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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

955避難民のマジレスさん:2019/06/04(火) 13:14:34 ID:jfWCoXjM0
質問者
 この困難を師やイシュタ・デーヴァター(信仰の対象として選ばれた神)が和らげてくれるのではないでしょうか?
 師や神が真我をありのままに見る力を与え、私たちを彼らのようにし、真我実現へと導いてくれるのではないでしょうか?

マハルシ
 イシュタ・デーヴァターや師は、実に強力な助けとなります。
 しかしその助けが効果をもたらすには、あなたの努力も必要です。
 あなたの努力は必要不可欠なものです。
 太陽を見なければならないのは、あなたなのです。
 眼鏡や太陽そのものがあなたのために太陽を見てくれるでしょうか?
 あなた自身が自己の本性を見なければならないのです。
 (そのために)たいした助けは必要ありません!

質問者
 私の自由意志と全能の神の圧倒的な力との間にはどのような関係があるのでしょうか?

 a 神の全知と自我の自由意志は一致しますか?
 b 神の全能と自我の自由意志は一致しますか?
 c 自然の法則と神の自由意志は一致しますか?

マハルシ
 一致します。
 自由意志とは、判断や意思という限られた自我の能力が現在現れているものです。
 その同じ自我は、振り返れば自らの過去の行いが「法則」の流れの中にあることを認めます。
 つまり自我は自身の自由意志が「法則」の流れに繋がっていることを知るのです。

 自我は個人の自由意志の現れを通して、その中に神の全知全能が働いていることを見ます。
 それゆえ、自我は自由意志の現れにしたがうべきであると結論づけるのです。

 自然の法則は神の意思の現れであり、神によって決められたものです。

質問者
 科学、心理学、生理学、哲学などの研究は、
 
 a ヨーガによる解放
 b 実在の統一性の直観的理解

 の助けとなるでしょうか?

マハルシ
 aに関しては、ほとんど役に立ちません。
 ある知識はヨーガに必要でしょう。
 それは書物の中に見いだせるでしょう。
 しかし必要とされるのは実際に応用できるものであり、個人の実体験、(グルとの)個人的な接触、個人的な指導が最も役立ちます。
 bに関しては、真理を直観的につかもうと苦心して勤勉にその働きや本質を理解しようと努めても、実際の直観は感覚に近いものであるため、修練と(グルとの)個人的な接触を必要とします。
 単に本を読んだだけでは、たいして役に立ちません。
 実現後には、知的な理解や知識は無用な重荷となり、がらくたとして投げ棄てられます。
 自我を投げ棄てることこそが必要なことなのです。
 
質問者
 夢見と目覚めはどのように異なるのでしょうか?

マハルシ
 夢の中で、人は異なった身体をとります。
 そしてその身体は、夢で感覚的接触を得たとき、再び目覚めの身体に入るのです。

質問者
 幸福とは何でしょうか?
 それはアートマンの中に本来備わっているのでしょうか?
 あるいは対象の中、あるいは対象と主体が出合うときに生じるのでしょうか?
 それでも、私たちは日々の出来事の中に幸福を見いだせません。
 いったいそれはいつ起こるのでしょうか?

マハルシ
 望んでいたものが手に入ったとき、あるいは望んでいなかったものから自由になたとき、あるいはそれを想い起こしたとき、私たちは幸福だと言います。
 そのような幸福は相対的でしかなく、快楽と呼ぶにふさわしいものです。
 しかし人は絶対的で永久的な幸福を求めています。
 それは対象物の中ではなく、「絶対なるもの」の中にあるのです。
 それは苦痛と快楽の両方から自由になった平和──中立的な状態です。


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