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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

926避難民のマジレスさん:2019/05/27(月) 09:30:23 ID:jfWCoXjM0
1935年1月30日

対話20

エヴァンス・ヴェンツ氏
 ジニャーニ(真我実現した人)にとって孤独は必要でしょうか?

マハルシ
 孤独は人の心の中に在ります。
 世間の雑踏の中に在りながら、静かな心を保っている人がいるかもしれません。
 そのような人は、ただ独り在るのです。
 深い森の中に暮らしながら、心を制御できない人もいるかもしれません。
 そのような人は独り在るとは言えないでしょう。
 独り在ることとは、心の在りようです。
 たとえどこにいようとも、欲望にかられた人は独り在ることができません。
 その反対に、無欲の人はいつでもただ独り在るのです。

質問者
 ということは、仕事に従事しながらも欲望に触れることなく、ただ独り在ることもできるということなのですね?

マハルシ
 そうです。
 執着心とともに為された仕事は足かせとなりますが、執着心なしに為された仕事が行為者に影響を及ぼすことはありません。
 このように仕事をする人は、たとえ仕事の最中にあってもただ独り在るのです。

質問者
 チベットには孤独の内にあって、しかも世界を救済している多くの聖者がいると言われています。
 そのようなことは可能なのでしょうか?

マハルシ
 可能です。
 真我を実現することは、人類に与えることのできる最も偉大な救いです。
 それゆえ、聖者は森にとどまっていようとも助けとなることができるのです。
 しかし「独り在る」とは森に住むことだけを意味するのではないことを覚えておきなさい。
 それは街中であろうと、世俗の仕事の只中にあろうと可能なのです。

質問者
 聖者が人々に交わって助けを施すのは必要なことではないでしょうか?

マハルシ
 ただ真我だけが実在なのです。
 世界やその他すべては実在ではありません。
 真我を実現した人は、世界を自分自身と別のものとして見ないのです。

質問者
 つまり聖者の真我実現は、人類の意識をそれとは気づかぬうちに向上させているということなのですね?

マハルシ
 そうです。
 助けは目に見えないものかもしれません。
 それでも、それはそこにあります。
 聖者は知られることなく全人類を助けるのです。

質問者
 他の人々と交わったほうがよいのではありませんか?

マハルシ
 交わるべき他者というものはないのです。
 真我は一つであり、唯一の実在だからです。


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