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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

661避難民のマジレスさん:2019/02/24(日) 22:42:33 ID:LC3de7YgO
>>659
『I AM THAT 私は在る』
【80 気づき】(つづき)

 質問者 訓練によってアクセスできる宇宙的記憶というものを想像すること
     はできます。しかし、どのようにして未来が知られるというのでし
     ょうか? 予期しない出来事は不可避です。
 マハラジ
 あるレベルで予期しなかったことは、高次のレベルから見れば確実に起こる
 ことかもしれない。
 結局、私たちはマインドの限界内に在る。
 実際には、何も起こってはいないのだ。
 過去もなければ、未来もない。
 すべては現れであり、何も存在しないのだ。
 質問者 何も存在しないとはどういう意味でしょうか? あなたは虚空にな
     るのでしょうか、それとも眠りにつくということでしょうか? あ
     るいは、あなたは世界を消し去り、あなたのつぎの思考のひらめき
     で私たちが生命に連れ戻されるまで、私たちを停止の状態にとどめ
     るということでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 そんなひどい話ではない。
 マインドと物質の、そして名前と形の世界は続いていく。
 だが、それは私にとってまったく重要ではない。
 それは影のようなものだ。
 それはそこにある。
 どこへ行こうともついてくる。
 だが、どのような意味でも私を邪魔することはない。
 体験の世界はそのまま残る。
 だが、欲望と恐れで私に関わる名前と形は残さないのだ。
 体験とは、いわば属性をもたない純粋な体験だ。
 ほかによりよい言葉がないために、私はそれを体験と呼ぶのだ。
 それは大海の波のようなものだ。
 つねに存在しながら、その平和な力に影響を与えることはない。
 質問者 体験は無名無形の定義できないものだということでしょうか?
 マハラジ
 はじめは、すべての体験がそのようなものだ。
 記憶から生まれた欲望と恐れが名前と形を与え、ほかの体験と分けてしまう
 のだ。
 それは意識的な体験ではない。
 なぜなら、それはほかの体験と対立しているわけではないからだ。
 それでもそれは同じ体験なのだ。
 質問者 もし体験が意識的ではないなら、どうしてそれについて話すのでし
     ょうか?
 マハラジ
 ほとんどのあなたの体験は無意識のものだ。
 意識的なものは非常に少ない。
 あなたは事実に気づいていないのだ。
 なぜなら、あなたにとっては意識的なものしか数に入らないからだ。
 無意識に気づくようになりなさい。
 質問者 無意識に気づくことができるのでしょうか? どのようにするので
     しょう?
 マハラジ
 欲望と恐れが覆(おお)い隠し、歪(ゆが)ませてしまう要因なのだ。
 マインドがそれらから解放されたとき、無意識は容易に手に入るようになる。
 質問者 無意識が意識的になるという意味でしょうか?
 マハラジ
 むしろ反対だ。
 意識が無意識とひとつになるのだ。
 それをどちらから見ても区別がなくなるのだ。
 質問者 困惑してしまいます。どうして気づいていながら、しかも無意識で
     あることができるのでしょうか?
 マハラジ
 気づきは意識に対して限定されてはいない。
 それは存在するすべてに対するものだ。
 意識は二元性のものだ。
 気づきのなかに二元性はない。
 それは純粋な知覚のひと塊なのだ。
 純粋な存在と純粋な創造についても同じように、無名、無形、静寂であり、
 しかも絶対的実在だと言うことができる。
 言葉では言い表せないということが、それらに影響を与えることはまったく
 ない。
 それらは無意識でありながら、本質的なものなのだ。
 意識を根本的に変えることはできない。
 それは修正することができるだけだ。
 いかなるものも、変化するためには朦朧(もうろう)とした状態と消滅を、
 死を通らなければならないのだ。
 金の装飾品は、ほかの形に鋳造される前に溶解されなければならない。
 死ぬことを拒むものは再誕生できないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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