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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

672避難民のマジレスさん:2019/03/01(金) 06:24:56 ID:LC3de7YgO
>>670
81の2『I AM THAT 私は在る』
【81 恐れの根本原因】(つづき)

 質問者 個人と観照者には何の関係があるのでしょうか?
 マハラジ
 何の関係もない。
 なぜならそれらはひとつだからだ。
 分離してはいけない。
 関係性を探そうとしてはいけない。
 質問者 もし見られるものと見る者がひとつなら、どのように分離は起こる
     のでしょうか?
 マハラジ
 その本性からして異なり多様である名前と形に魅せられて、あなたは自然で
 あるものを区別し、ひとつであるものを分割するのだ。
 世界は豊かな多様性を持っている。
 だが、あなたがなじめず、おびえを感じるのは誤解によるものなのだ。
 危険な状態に在るのは身体であって、あなたではない。
 質問者 基本的な生物学的不安、逃避の本能が多くの形を取り、私の思考と
     感情を歪曲してしまうことは理解できます。しかし、不安はどのよ
     うにして現れるのでしょうか?
 マハラジ
 それは「私は身体だ」という観念によって生じた精神的状態だ。
 それは「私は身体ではない」という反対の観念によって取り除くことができ
 る。
 どちらも観念であり偽りだ。
 しかし、ひとつがもうひとつを取り除く。
 どの観念もあなた自身のものではないということを認識しなさい。
 それらはみな、外側からあなたにやってくるのだ。
 あなたは全力をあげて考えなければならない。
 あなた自身があなたの瞑想の対象になりなさい。
 あなた自身を理解しようと努力することがヨーガなのだ。
 ヨーギになりなさい。
 あなたの人生をそれに捧げなさい。
 熟考し、驚き、探求しなさい。
 あなたが誤りの根本と誤りを超えた彼方の真理にたどり着くまで。
 質問者 瞑想の中で瞑想するのは誰でしょうか、個人、あるいは観照者でし
     ょうか?
 マハラジ
 瞑想とは意識の高次の状態を貫き、最終的にそれを超えていこうとする意図
 的な試みなのだ。
 瞑想の技法とは、後に残してきたレベルの理解を失わないままつねにより精
 妙なレベルへと注意の焦点を移行する技だ。
 ある意味では、それは制御しながら死を迎えるようなものだ。
 人は最低の段階からはじめる。
 社会環境、習慣と慣例。
 身体的環境、姿勢と身体の呼吸。
 感覚器官、それらの感覚と知覚。
 マインド、その思考と感情。
 人格の構造全体が把握され、確実に捕らえられるまでだ。
 瞑想の最終段階は、アイデンティティの感覚が「私はこれだ」を超え、「そ
 こに在る」を超え、すべての観念を超えて、非人格的な、純粋な存在へと到
 達されることだ。
 だが、あなたが瞑想するときは精力的でなければならない。
 それは間違いなくパートタイムの仕事ではない。
 あなたの興味と活動を、あなたに必要なこととあなたの家族にとって最低限
 の必要に制限しなさい。
 あなたのエネルギーと時間を、あなたのまわりにマインドが築いてきた壁を
 破壊するために確保しなさい。
 私を信じるがいい。
 けっして後悔しないだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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