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創価学会の功罪を考える

1155サムエル:2004/05/14(金) 15:33
犀角独歩さん
丁重なお返事、ありがとうございます。実は一年ほど前からここを紹介してもらい閲覧させていただいております。私は創価大を卒業後、いわゆる活動家として日々過ごしていましたが、富士桜くんの猛烈なしゃくぶくを受け、脱会し法華講へ家族共々移籍いたしました。しかし日蓮正宗が「絶対」と言う簡単には説明出来ない固定観念が強すぎる私に警笛をならしてくれたのは富士桜くんでした。もちろん最初は嫌悪がありました。しかしながら彼がなぜ犀角独歩さんの論を始め、ここに集う方々の投稿を読むように進めてくれたのか、今になってわかり始めた経緯でございます。どうぞ今後も私の方こそよろしくお願い申し上げます。

1156管理者:2004/05/14(金) 17:12

MILD SEVEN さん

思い返せば、ニガイ思い出が詰まっている創価学会時代です。MILD SEVEN さんが受けた仕打ち、それなりに理解できますよ。僕も同じ被害者であると同時に、又、加害者でも有ったからです。今後ともよろしくお願いいたします。


サムエルさん

管理者として至りませんが、今後ともよろしくお願いいたします。御参加有難うございます。

1157MILD SEVEN:2004/05/15(土) 01:23

ご丁寧に・・・ご理解・御慈悲。
ありがとうございます。

念をおして言いますが、私は、創価学会員には憎しみはありません。
憎むべきは組織。
形の無いものです。
霊的な問題です。

   ・・・

ところで。
実は・・・私が日本にいる間は、単なる改善提案にすぎないものが、アメリカ等で証しすれば・・・日本再占領計画?にすり替えられる事も考えられます。
これは考えすぎでしょうか?
ともかく、日本が良くなればいいのですが。
乱暴な感がありますが、情の薄い私の懸念です。
これは、あまり気にしないでください。
独り言です。

http://momoi7.hp.infoseek.co.jp/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

その内、近所の日蓮宗のお寺を訪問しようと思っています。
教えて頂きたい事がありますし、既に・・・無関係ではありません。

1158犀角独歩:2004/05/15(土) 09:34

MILD SEVEN さん:

> 日蓮宗のお寺を訪問

とのことですが、あまり期待されないことです。

戦後、日本社会のなかで日蓮宗は、日蓮正宗創価学会を日蓮宗の亜流、あるいは異端として扱ってきました。けれど、小樽法論痛手以降、この集団と正面切ってやり合うことを放棄してしまいました。末寺に至っては尚更のことです。真剣に石山・学会問題に取り組んでいる日蓮宗僧侶は、たぶん両手の指の数にも至らないかも知れません。寺院数、僧侶数が石山の10倍の規模を誇る日蓮宗の実像です。もっと言えば、日本社会で連立与党の地位を得た新興宗教団体の構成員が市中を跋扈する片隅でひっそりと寺院経営をする末寺住職にこの問題を突きつけることはある面、酷というものです。

以下の書籍をご承知でしょうか。

合本再版『創価学会の徹底的解剖・内部矛盾』日蓮宗現代宗教研究所編
発行日:平成16年1月30日/編集:日蓮宗現代宗教研究所/発行責任者/久住謙是

この『あとがき』に
「日蓮宗現代宗教研究所編集の『現代宗研教化資料シリーズ11―創価学会の徹底解剖―お題目弘通運動のために』(昭和62年3月1日、日蓮宗宗務院発行)で、著者中野教篤師は、
  日蓮本仏から法主本仏、池田本仏と理論的につながってきた、「謗法」の根の深さ(同書35頁)
  どんなかたちで自民党にスリ寄るかという、その仕方をめぐる矛盾の顕在化、(中略)その底流には、創価学会的な「国立戒壇」「王仏冥合」論の亡霊が横たわっている(同書38頁)
 と指摘しています。国政に与党としてからむ現在の公明党の姿や、平成14年の会則改正・規約変更で池田大作「教祖」を明文化した創価学会の姿を17年前に「予言」しています。
 同じく『現代宗研教化シリーズ―創価学会の内部矛盾』(平成2年3月1日、日蓮宗宗務院発行)で師は、
  昔流の創価学会批判ではだめです。2年、3年たつとどんどん変わっていきます。日蓮正宗教学なら何年たっても批判は通ずるが、創価学会の勝手気ままな解釈というのは自由自在に変わっていくから、10年前に創価学会がこう言ったからというのでは批判は通用しない。(同書46頁)
 と指摘してます。事項連立政権の現状を、師がご存命ならどう分析されるでしょう。
 明晰な分析と的確な指針において、師は第一人者でした」(97頁)
と記されています。

今回、再版された内容は大いに参考に、正鵠を得ていながら、石山・学会を羽毛で撫でるほどの打撃も与えませんでした。中野師の葬儀は、日蓮宗各位の石山・学会問題の意識と比例する如く、ひっそりとして寂しいものであったといいます。

また、わたしがサイトに紹介する執行海秀師明論文の数々も誣いられた信者・会員の耳に届くことなく半世紀近い歳月が流れました。

石山・創価学会員達は、MILD SEVEN さん、問答名人さん、またわたしや、同じく脱会した人々が受けた攻撃のように、議論、解析、研究を、悪口雑言という人身攻撃にすり替えて葬り去る非人道性で一貫してきました。この有様はしばらく前、当スレッドでその典型的が晒された如くです。

既にご存じだと思いますが、創価学会問題にいち早く警鐘を鳴らした牧師さんは森山諭師でした。しかし、いま日基会でこの問題に真剣に取り組み人をわたしは知りません。

その意味からも、MILD SEVEN さんの健闘をお祈り申し上げます。

1159MILD SEVEN:2004/05/15(土) 10:25

ありがとうございます。

合本再版『創価学会の徹底的解剖・内部矛盾』日蓮宗現代宗教研究所編
発行日:平成16年1月30日/編集:日蓮宗現代宗教研究所/発行責任者/久住謙是

実は・・・上記の本は既に分けていただいておりまして、その時に近所の日蓮宗の寺名を伝えてあります。
また、歩けば3分?位近くにそのお寺があります。
いつも気になっていました。

ともかく、ありがとうございます。
私は、(統一教会)等のカルト問題に真剣に取り組んでいる(脱会・救出の手助け)キリスト教会(複数)に、素直さの無い創価学会 問題相談しています。
水面下での協力体制は、国際的にも構築中です。

犀角独歩さんも頑張ってください。
ありがとうございます。

1160犀角独歩:2004/05/15(土) 11:05

MILD SEVEN さん:

> 上記の本は既に分けていただいておりまして…

あ、そうでしたね。屋上屋を重ねました。失礼しました。
朝、寝ぼけて書いた…、というより、既にボケが始まっているのかもしれません(笑)

わたしも心ある牧師さんとは協力関係を構築し、事に当たっています。
時には三位一体その他で激論に及ぶこともありますが、好い人たちです。

どうにも外国語が弱く、なかなかグローバルな展開はできませんが、ともかく世界的なカルト監視機構は、わたしがネットワークしている日本の機構と連携しています。
皆、共通した認識は「日本最大の(カルト)宗教問題は創価学会問題である」ということです。

日蓮の名の下に人を憎悪させ、自分たち以外を蔑んで止まない日本最後の差別問題とわたしはとらえています。

ともかくもご健闘をお祈り申し上げます。

1161MILD SEVEN:2004/05/16(日) 01:16

>わたしも心ある牧師さんとは協力関係を構築し、事に当たっています。
時には三位一体その他で激論に及ぶこともありますが、好い人たちです。

そうです。
前向きな競い合い・切磋琢磨こそ、私の日本での目的です。
千年の平和は夢ではありません。
アジア・世界への創造的開拓、情報発信国家の確立。

生意気ですみません。

実は・・・私は、教会に迷惑をかける事を危惧していまして・・・。
それは、日蓮宗寺院に対しても同じ事。
まずは、ネット上で、現実の試練を乗越えた方々との結束をはかり・・・次の段階へと・・・。
着々と、歩んで行きたいものです。

1162MILD SEVEN:2004/05/19(水) 01:29

<今日の愛読書より>

・・・ただ多くの人の個人的努力により、また真の正しい宗教によってでしか実現されない。
だが、実際には、おそらくまた、不幸を通じて実現されることになろう。
というのは、経験上から見ても、このような、より全般的な、最も分かりよい実地の教訓がなければ、単に説教や講演だけで、社会が改善されたためしがないからだ。
上からの模範と不幸な出来事とが、民衆にとっては一番効果のある教育手段である。
・・・。

   ・・・
   ・・・

試練や迫害、逆境。
証し人とは・・・?
タイムリーな証しは、最前線から。
私からの助言です。
 
  /////////////

キリスト教会・各教会への情報は、上記まで。
創価も、現世ご利益強調や池田氏のあり方の鵜呑みでは無く、純粋に、日蓮氏に従ってみたらどうでしょうか!?
何事も、直参が一番。
池田氏を超える事は容易いと思いますが・・・。

これ以上は・・・。
お互いの立場がありますね。
でも。
いい人は増えてほしいものです。

なんとも・・・。

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1163MILD SEVEN:2004/05/20(木) 02:41

他サイトからの情報

自民は公明支援の創価と犬猿の仲(他宗派は邪宗と言って排他的な差別意識がある)である全日本仏教会に参院選へ支援要請との事、公明支援の創価は何時まで自公連立と呉越同舟のもとに付き合ってゆけばいいの、これからの政治活動はどうなるの?。

   ・・・

これはお笑い。
創価は、どっちつかずの蝙蝠組織と化すのか?
これはシナリオ通り。
愚かな・・・。

創価は、悔い改められるか?
見ものです。

http://hidebbs.net/bbs/momo7?sw=7&m=10

http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1164通りすがり:2004/05/20(木) 09:04
マイルドよ。あちこちにおんなじ投稿するな!

1165サンタ:2004/05/20(木) 10:45
メリークリスマス。

1166MILD SEVEN:2004/05/24(月) 12:45

創価学会は、強引な折伏などの加害者であるにもかかわらず、抵抗する者に対しては、組織ぐるみで「見せしめ」策略を展開する。

名誉会長自身の発言で、その体質がよく分かる。

「警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。」

更に、抵抗する者に対しては、詭弁を弄し、こともあろうに、誹謗だ中傷だと騒ぎ立て、被害者を装うのである。

   ・・・

この種の問題は、現状の警察では取り締まる事が出来ない。
しかも、警察内部・司法関係も徐々に・・・。
法が脅かされつつある。
この国の中身が、いつの間にか違うものになってしまう事があってはならない。

何が正しいか?
各自、自分で判断する事は必要である。
巧みな独裁体制によりコントロールされる精神は、やはり、限界の壁を超える事は出来ない。
人間の限界とは悲しいもの。

忌まわしいものだ。偽善の創価学会・公明党。
あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせないのです。

この国を、ブラック ホール にしてはならない。

   ///

私は、創価内部の改善を希望する者です。
聖職者無き創価学会。
指導者無き組織と言ってもいいでしょう。
あまりにも哀れです。

各界 聖職者に期待します。
私も、努力します。

1167通りすがり:2004/05/25(火) 12:32
マイルドよ。あちこちにおんなじ投稿するな! といっているだろうが。

1168MILD SEVEN:2004/05/27(木) 04:03

私は、「霊的な事」地上で、誰の指図・命令を受けるいわれは無い。
権威の問題だ。
既に天からの「恵み」は受けている。
私の、別名は「自由」とも言う。

奇蹟を体験して・信じて・成長して来なければ・・・分からない事。

私に、不完全な命令をすると後悔する事になる。
警告しておきます。
霊的な事です。
聞く耳を持ちなさい。

1169みかん:2004/05/27(木) 13:13
>MILD SEVENさん

あなたの御所属の教派はどこですか?

1171通りすがり:2004/05/28(金) 06:26
管理人さん

>1170 

MILD SEVEN 氏は、対話する気も無く、みかんさんの問いかけも無視し、また、性懲りも無く、一方的に創価学会攻撃を繰り返している。もう、MILD SEVEN 氏には、この掲示板への書き込みを禁止にしてはどうですか。

1172管理者:2004/05/28(金) 07:58

通りすがりさん 

>1171

管理者も同意見です。

MILD SEVEN さん

>1170

このレスは、掲示板のルールに抵触していますので、削除致します。

今後も、同様のルール抵触発言を繰り返される場合は、掲示板への書き込みをお断りすることになりますので、ご承知置きください。なお、抵触した掲示板のルールは以下の通り。
 

【書き込みの基本原則】
2.富士門流の発展に寄与する論議をお願いいたします。
  ③但し、特定の組織をターゲットにした、しかも、一方的な攻撃宣伝は慎んでください。

1173MILD SEVEN:2004/05/28(金) 10:20

>みかん さん

私が洗礼を受けたのは、1991 デュッセルドルフ「ドイツ」にて。 
ドイツ人宣教師「リーベンゼラ宣教団」より。
現地で働いていた時、教会に通い、更に、マンツーマンの指導を受けました。
また、子供の頃、カトリックのスパルタ集団生活、教育を7年間受けています。
何事も、主の導きあっての事。
昔、リーベンゼラの先生と、カトリックの方と、ある福音自由の教会で祈り、学びました。
私は祖母、母、私と、三代目のキリスト者です。
私の母教会はドイツにあります。

イザヤ書51−9。40−1。 エゼキエル書3−9。 マルコ14−38。 ルカ12−4。 ヨハネ14−18。 テサロニケ1、2−14。 テモテ2、1−14。 詩篇9−19〜20。51−10〜13。110−2。145−1〜2。149−1。 

   ・・・

最近?までは、実家のあるカナダでは、その土地土地の各種教会に通っていました。
もちろん、現在の日本でもしかり。

1174有常 次郎:2004/05/28(金) 20:48
管理者さま、、要するに「、、日興サンが連祖崩御後の「ご供養激減による身延生活不可能」と断じてからの、、「、、ヨシミみを頼っての下野、、」、、には、、納得、、です、、。 問題は「、、その後、、における日蓮=真筆=ホンモノ本尊への=、、忠誠心は、、???」 、。 答えは「、、現今の大混乱???、、」の「無様なていたらく===999%での確信犯==エエカゲンだった事、、」にはなりませんでしょうか、? 今、Mildサンを排除する傾向ですが、、本来の排除されるべきは、、???でしょうか、、?? ゴメン、、。

1175管理者:2004/05/28(金) 21:43

有常 次郎さん

>今、Mildサンを排除する傾向ですが、、本来の排除されるべきは

管理者は個人的には、御参加の皆様を排除しようという考えは本来毛頭持っておりません。ただ、公開の掲示板ですから、どうしても最小限度のルールは必要となってきます。現在のルールは、現在までの折々の経過の中から、決められてきたものです。管理者は、決められたルールに沿って、掲示板を最小限度で、管理させて頂いております。御理解賜りたいと存じます。

なお、「本来排除されるべき」は、似非教義、似非宗教、宗教マルチ、でしょう。ただ、これは、当掲示板から排除する、という意味ではなくて、この世から排除すべきもの、という意味です。当掲示板のルールを尊重して頂ける方は、どなたで有ろうと、どの団体に所属しておられようと、又、どのようなお考えをお持ちであろうと、掲示板への参加を排除される事は決してありません。

1176ペン太郎:2004/05/28(金) 21:46
MILD SEVEN さん。はじめまして、元顕正会員でこの掲示板に出会う事によって現在は正宗の信仰自体に疑問を持つようになった者です。宜しく御願します。

当掲示板は私のような者にとっては本当に有意義なところなのです。

MILD SEVEN さんが皆さんとしっくりいかないのは、そのあたりのところを良く理解頂いてないからではないでしょうか。

私個人としましては、MILD SEVEN さんは極めて正直な人で真面目な方と感じております。

しかしMILD SEVEN さんが今までのような投稿を続けられることは、当掲示板を注目されている多数の方との溝を深めることにはなっても、MILD SEVEN さんの主張を理解させることは不可能なように思います。

キリスト教のことは良く分かりませんが、少なくともこの掲示板を注目されている方はキリスト教を勉強したいとは思っていないと思います。

創価学会批判つながりでの、当掲示板への「無差別爆弾的な、他の板への投稿と全く同じ内容の投稿」はルール違反と言われても仕方ないと思います。

信仰者以前に、社会人としての最低のルールは守られたほうが良いのではないでしょうか。ご自身の信仰に傷を付けることになることを心配致します。


創価学会に多くの問題があるのは事実です。しかしこの掲示板で論議されているのは、創価学会を含む、富士門流すべてが抱えている根本の問題です。このあたりにご配慮頂けないのならば、当掲示板への参加は無意味になるような気がします。

1177みかん:2004/05/29(土) 01:05
>>1173 MILD SEVENさん
いずれにせよ、日本でもカナダでもドイツでも福音派の教会が主ですか?
それとも、他派の教会も多いのですか?

>>1174 有常 次郎さん
「本来排除されるべき」というのなら、改めて考えてみれば、多重ハンドル常習者のあなたかもしれませんねぇ。書き込みが常に意味判らないしw。

とはいえ、ノイズの範囲に収まっていて、掲示板の機能に支障がないなら、少々の変人は放置して良いんじゃないですか。べつに。わけわからん人に「言論弾圧ー」とかいわれるよりはましかもね。

1178MILD SEVEN:2004/05/29(土) 01:39

>みかん さん
その土地土地、なんでもありです。(異端は除きます)

カトリックは、訳あって・意識して、通いません・・・良きパートナーですが。
夫と妻、妻と夫の関係?かな?

   ・・・

富士門でも共有出来る?教学を紹介します。

<愛読書より>

人間は信仰を持つのが正しい事、そして不信仰よりも信仰を持つほうが幸福である事を、自ら経験して知らねばならない。
それも、しばしば長い間にわたり、苦痛を伴いながら。
こういう経験からのみ、単にうわべだけの信仰告白でなく、確固とした信仰、本当の確信が生まれてくる。
(補足=信仰の霊は、主から与えられるもの。自分免許では無い)

   ///

・・・どんな人でも、原則的には、あらゆる事柄、最も偉大な事柄をさえ、成し遂げ得ることである、しかも、それを成すについての主な条件がその人自身に備わっているかどうかに関わり無く。
信仰と共に、人間の様々な可能性はまったく独りでに成長する。

   ///

・・・同様に、あまりにも繊細な感情、人間嫌いや実行嫌い、あるいは病弱、神経質、その他それに似たいろんな「事情」を口実にする事や、さらにまた、冷やかに尊厳を取り繕う事なども許されない。
つまり、こうした尊厳ぶりの為に、多くの人達は、世間一般の見解やその時代の流行思潮に合わない一切のものから遠ざかってしまうのである。
この時期は、完全に正しい、したがってまったく喜ばしい生活へ進む途上の「急な曲がり角」の一つであって、そこを通り越せない者が多い。
冷酷な世間とたえず接触する為に誰の心の周囲にも、ともすると凍りつき易い氷の殻が、そのまま段々厚くならないように、更にひき続いて試練や、時には誹謗や、あらゆる種類の苦渋によってその凍結を防がなければならない。
さもなければ・・・。

   ///

・・・いずれにしても、何らかの導きに対する信仰が無ければ、この世で並々ならぬ事は決して起こるものではない。
そういう信仰を持つ者だけが、しばしば同時代人全体を向こうにまわして抵抗し続け、ついにはその時代にその人自身の刻印を押すのである。
また、その人は必ずしもそれを自発的にする訳ではなく、大抵の場合、苦痛な強制にさえ従うのである。
なぜなら・・・。
・・・まさに、キリスト教的人生観が必要になってくる。

   ・・

本来、宗教とは、自己犠牲の上に成り立つもの。
日蓮氏も、そうやったでしょう。
無償の愛は、偽宗教には無いでしょう。
一つの判断基準です。

1179MILD SEVEN:2004/05/31(月) 12:37

<創価学会問題 まとめ>

創価学会は、強引な折伏などの加害者であるにもかかわらず、抵抗する者に対しては、組織ぐるみで「見せしめ」策略を展開します。

名誉会長自身の発言で、その体質がよく分かります。

「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 (扶養研修所での指導)

「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんて言うのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから。」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会)

「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ!」

「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」

更に、抵抗する者に対しては、詭弁を弄し、こともあろうに、誹謗だ中傷だと騒ぎ立て、被害者を装うのです。

   ・・・

この種の問題は、現状の警察では取り締まる事が出来ません。
しかも、警察内部・司法関係も徐々に・・・。
法が脅かされつつあります。
この国の中身が、いつの間にか違うものになってしまう事があってはなりません。

何が正しいか?
各自、自分で判断する事は必要です。
巧みな独裁体制によりコントロールされる精神は、やはり、限界の壁を超える事は出来ません。
人間の限界とは悲しいもです。

忌まわしいものだ。偽善の創価学会・公明党。
あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせないのです。
私は、あなたがたに話す事がまだ沢山ありますが、あなたがたには、それに耐える力がありません。
実に、天に入るのにも力がいるのです。

   ・・・

ヤフーBB452万人名簿流出&ソフトバンク40億円脅迫事件がありました。

34年前の共産党委員長宮本宅盗聴事件=竹岡(実行犯)神崎(検事)浜四津(弁護士)
同事件は2審まで行き、学会側敗訴。3審上告も後棄却→宮本に賠償金を払い終了。

公明党代表の神崎氏が過去、検察を辞職に追い込まれたのは、職務よりも池田氏・創価学会優先の結果。
創価学会の体質がわかります。
創価学会員は、これからますます社会・企業内でマークされる事になります。
会社機密等に携わる事が出来なくなる事が多分に予想されます。

ヤフー本社等、アメリカでは、創価学会に対してどの様な対策を練っているか予想出来ますか?

対 創価の財閥編成については、既に世界に証ししています。
永続性無き、現世ご利益とは?
危険です。

愚弄するつもりはありませんが、三菱等はなぜ? 過去の太平洋戦争の間違いを繰り返そうとするのでしょうか?
また、世界相手に戦うのでしょうか?
「心臓」無き組織の理想は、魔界の力にねじ伏せられ、獣道を進み・・・ついには、滅びる運命にあります。
力の差を理解していません。

聖職者無き創価学会。
指導者無き組織と言っても過言ではありません。
あまりにも哀れ。
各界 聖職者に期待します。

人間の教えを、教えとして教える池田教学には失望しています。
これは、宗教ではありません。
素直さや、心の優しさが感じられません。
この国を、ブラック ホール にしてはなりません。

1180MILD SEVEN:2004/05/31(月) 12:51

日蓮氏と話をしたい。
正直な気持ちです。
直系の弟子は何処にいるのでしょう?
本物?なら、世に隠れているのでしょうか?

本物?なら、謙遜を身につけ、その戦いの時が来るまで、無駄な力を使わないもの。
私は、そう思います。
戦えば、圧倒的な力を証明するはず。
そういう方と話をしたいものです。

   ・・・

余談ですが、思いをストレートにカキコする、特殊なネット環境。
タイムリーな消化能力は、女性の方が上か!?
男と女の感情のコントロールの違いでしょう。
男としては、編集は、ゆっくりやればいい・・・。

1181有常 次郎:2004/06/02(水) 21:50
1177様、、少々の「変人のご猶予のお言葉」には深心より多謝、大謝の感慨、、大で御座います、、。 今後とも宜しく御指導の程、、。 早々、。

1182MILD SEVEN:2004/06/05(土) 02:02

職場で、アルコールスプレーを目にかけられました。
冗談!? そんな問題ではありません。

・・・昔、教会に通いだしたころ、それを職場の先輩に報告したところ「たまたま創価学会員でした」それ以降、なにかあっても、(お前が悪い、全部お前が悪い。と、一方的に、いじめられた事を思い出します。
やはり、創価の策略と判断するのは当然の事でしょう。
私は、いつでも殉教する覚悟は出来ています。
悪の組織=創価学会。
次は何をする?

1183MILD SEVEN:2004/06/06(日) 02:38

<このままでは、日蓮氏(教学)が疑われます>

大切なのは心のあり方であって、哲学は一つの手段にすぎません。
私は、池田創価にはオウム的なものを常に感じます。
池田創価の哲学?対話?
心が救われてないと、哲学は制御出来ないと思います。
また、霊の戦いにおいての<力の差>を超える事は出来ません。
宗教は哲学だ。などという池田創価の見解は、民衆を巧みにコントロールする、オウム的手法です。
心の領域の未熟な人間を巧みにロボトミー化する池田創価の手法は、人間の尊厳?・可能性を踏みにじっています。
これは、天への反逆です。
国家の未来を考えるとき、それは、国家反逆でもあります。

優秀な者は世界に沢山います。
しかし、心の領域はどうでしょう?
相手の良心を誘導し、高め、成長させ、解放し、真の自由・信頼関係を築くのは、我々の伝統です。
超自然体です。

邪悪な組織の拡大は、いろいろな策略・画策を弄しての魔界の手法。
我らが証しする場合は、個人でも可能で、労力も、資金も大してかかりません。
単純な事です。
創価学会内改善は、必至な問題です。

日本を滅ぼさないで下さい。
池田創価が、このまま組織拡大し、のさばる事は、日本が世界に見捨てられる事になります。
もちろん天からも。
よくよく、ご検討を。

1184MILD SEVEN:2004/06/08(火) 03:35

過去に無い下品な職場・・・。
相手の人格低下を画策して楽しむ魔界的環境。
責任者の意図は何?
創価学会員多数あり。

今まで、さんざん池田創価のモルモットにされて来ましたが、今や、私の研究室に早代わり。
正直者は「馬鹿」を見る。とはこの事か??
あざける者の救いようの無さは・・・哀れ・・・。
・・・得意芸の「適当」で、対処しています。

1185MILD SEVEN:2004/06/08(火) 12:00

我らは弱き時、強くされます。
主は我らの苦しみをご存知です。
恵みの時、試練の時、いろいろあります。
主にあって、創造主の養子とされた我らの苦しみ・悲しみは、天に届いています。
時が来れば、復讐は、主がしてくださいます。
我らは安心して愛=神の導きの人生を歩んで行けます。

リラックス・リラックス。

1186有常 次郎:2004/06/08(火) 19:23
Mildさん、 小生は一応は「白人最優先?とも言えるヨーロッパキリスト文明==欧州〜中南米方面、、」を数十年に渡って検察や考察致しました、、。 その結果、、エエカゲンな「主=キリスト、、??」などから「その場しのぎの偽善フンプンの現実、、」などを、「、、ウンザリするほど見聞、、」致しました、、。 ドーモ貴殿は、、「偽善的キリスト教の原理主義者、、?、、」と疑いはじめておりますが、、?? いわゆる、、狂信、、=== 創価、、??のラインと同じレベル、、??のように見えてきましたが、、?、、。 失礼、、。

1187MILD SEVEN:2004/06/08(火) 21:25

そうですか?
それでは・・・。

<自由騎士団>

下記、2つのサイトで、携帯用アドレスを取得出来ます。

http://www3.ezbbs.net/cgi/sendurl?id=momo7&dd=15

http://www1.ezbbs.net/cgi/sendurl?id=g47009765&dd=03

1188MILD SEVEN:2004/06/09(水) 06:35

>1186 有常 次郎さん

私が洗礼を受けたのは、1991 デュッセルドルフ「ドイツ」にて。 
ドイツ人宣教師「リーベンゼラ宣教団」より。
現地で働いていた時、教会に通い、更に、マンツーマンの指導を受けました。
また、子供の頃、カトリックのスパルタ集団生活、教育を7年間受けています。
何事も、主の導きあっての事。
昔、リーベンゼラの先生と、カトリックの方と、ある福音自由の教会で祈り、学びました。
私は祖母、母、私と、三代目のキリスト者です。
私の母教会はドイツにあります。

   ・・・

イザヤ書51−9。40−1。 エゼキエル書3−9。 マルコ14−38。 ルカ12−4。 ヨハネ14−18。 テサロニケ1、2−14。 テモテ2、1−14。 詩篇9−19〜20。51−10〜13。110−2。145−1〜2。149−1。 

   ・・・

最近?までは、実家のあるカナダでは、その土地土地の各種教会に通っていました。
その土地土地、なんでもありです。(異端は除きます)
カトリックは、訳あって・意識して、通いません・・・良きパートナーですが。
夫と妻、妻と夫の関係?かな?

もちろん、現在の日本でもしかり・・・この国では、職業上なかなか厳しいですが。

死に場所を探している、源氏(母方)と平家(父方)の合いの子です。
やはり、怠け者でしょうか?
主の導き・守りは確かです。
なかなか死なないものです。

・・・

人間の教えを、教えとして教える池田教学には失望しています。
これは、宗教とは言えません。
素直さや、心の優しさが感じられません。

聖職者無き創価学会。
指導者無き組織と言っても過言ではありません。
あまりにも哀れ。
各界・聖職者に期待しています。

1189MILD SEVEN:2004/06/09(水) 06:51

<タイムリーな国政問題>

日本列島(だけでなく)全般で、三菱「創価隠ぺい工作体質=ブラック ホール」外しが始まっています。

創価学会には悔い改めさせましょう!

<自由騎士団の砦>
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

<ネットで収拾した創価学会情報>

http://hidebbs.net/bbs/momo7?sw=7&m=10

1190有常 次郎:2004/06/09(水) 19:33
Mild 様、 私が検証致しましたのは、、「、、いわゆる聖職者==神父の方々の堕落ブリ、、」をバッチリと検証致しからで御座います、、。 ポイントの一点==は性欲の暴走、、??です、、。  人を導く方々が「、、信者の子息をダマシ込み性的虐待の連続事件、、」が世界的に暴露されました、、。  「、、これが999%位も総てを表現されている、、」と確信せざるを得ません、、。 要するに「、、偽善の権毛、、??」と断ぜざるを得ません、、。 キツイ一言ですが、御免くださいませ、、。

1191MILD SEVEN:2004/06/10(木) 02:20

>有常 次郎 さん
その懸念についての対処法は、証ししています。
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv&id=xvssv

しかしながら、ここは日蓮氏関連サイト。
私としては、異教排除では無く、競い合い・営業が大切と思っています。
向こう千年の平和・競い合いの為に。
戦争や争い(同国民同士では特に醜い)では無く、平和的解決の道は・・・これしかありません。

いかがでしょうか?

1192有常 次郎:2004/06/10(木) 19:22
、、ナルホド、、。   決して貴殿の人格を無視〜抹殺、、〜等言う事では御座いません、、。 、、共存への選択枝への道は、、??何か、、??を思索出来れば、、幸甚でございますが、、?、、。 ご無礼致しました、、。

1193MILD SEVEN:2004/06/11(金) 01:34

聖職者あっての我々があります。

旧約時代の、預言者と王「預言者も兼ねた場合もあります」の関係は、新約の現代では圧倒的に出せる可能性があります。
だれでも、ダビデやソロモンになりうるという事です。
聖職者あってこそのリバイバル。

・・・

日蓮氏関連の方々への助言としては、組織のトップはやはり純粋な者であるべきです。
そして、聖職者は必要です。
池田氏の強引で危険なあり方には、我々には常に本能的に危険を感じさせます。
(情報では、過去、消費者金融の営業本部長だったとか)
宗教の観点からは、指導者と一般信者の立場がアベコベになっていると感じます。
私から見ると、可能性のある純粋な者が、馬鹿と言われ、封じ込められていると判断されます。
組織の大きさと、宗教法人の{格}は、別問題です。

真の実力者は、沢山、世に隠れていると思います。
池田創価の驕りは・・・砂上の楼閣。
気がついてほしいものです。
やがて、・・・その時は来ます。

1195管理者:2004/06/15(火) 06:13

MILD SEVEN さん

>1194 池田創価の狂学が原因で、日蓮氏が疑われています 

このレスは【書き込みの基本原則】の2、『富士門流の発展に寄与する論議をお願いいたします』の③、《但し、特定の組織をターゲットにした、しかも、一方的な攻撃宣伝は慎んでください。》に該当しますので削除いたします。なお、貴殿には、既にこの点については、ご注意申し上げて来ましたが、今回もお聞き届け頂けませんでしたので、今後の、当掲示板へのご参加をお断りする事になりますので、悪しからずご了承賜りたく存じます。

1199管理者:2004/06/16(水) 13:10

当スレッドは書込み禁止とし、当分の間、閉鎖いたします。

1200管理者:2004/11/05(金) 13:51

創価平和さん

掲示板御参加の皆さん

長らく書き込み禁止にしておりましたが、本日をもって、当スレッドの閉鎖を解除いたします。

1201平和創価:2004/11/06(土) 08:31
どうも有難うございます。
つぶやきスレッドにも書きましたが、民主主義が必ずしも良いとは言えない例を挙げます。
かつてのドイツがワイマール憲法の下で1919年に婦人参政権を認め、男女平等の普通選
挙を施行した後、1933年に危険なヒトラー政権が誕生したことや、イラクで1964年
に婦人参政権を認めた後、1979年に危険なフセイン政権が誕生したことです。ドイツで
は国家社会主義労働者党(ナチス)の巧みな選挙宣伝に乗せられた人々が、その正体を見抜
けずあのような政権を誕生させたのです。またイラクでは識字率の低い人々が選挙権を得た
ためにバース党の本質を見抜けずあのような政権を誕生させたのです。

私は他のサイトでも制限選挙を提唱してきました。選挙権はアメリカと同じように希望者の
みに与える制度にすべきであると思います。選挙に無関心な人がいつも棄権しているような
状態を回避するためにも希望者のみに選挙権を与える制度にすべきであると思います。満1
8歳になった者には選挙権獲得の意志の有無を調査し、選挙権獲得志願者に法律、政治、経
済に関する筆記試験を受験させ、一定レベルの規準に達した者だけに選挙権を与える制度に
すべきであると思います。当然「憲法15条」と「公職選挙法」も改正されることになりま
す。その方が真実の平和を維持するために有効であると思います。

創価学会は公明党を支持していますが、今度のイラク戦争やイラク自衛隊派遣には反対であ
った学会員も多かったと思います。今回の日本人人質殺害事件では、創価学会や公明党は何
もできず、見殺しにしてしまったわけです。総理が台風被災地を訪問する時、「テロに屈す
ることはできない」と言った瞬間にもう香田証生さんの死は決定したのです。ザルカウイが
率いる武装集団の人質になったならば、要求を受け入れなければ斬首されるのはほぼ確実で
あることを知りながら、総理に自衛隊1時撤退を進言しなかった公明党の責任は重いと思い
ます。公明党が党大会を延期させても人質救出に全力を挙げるべきであったと思います。
「いかなる宗教団体も政治団体も会社組織も有権者に投票依頼をしてはならない。またそ
の秘密を聞いてはならない。夫婦、親族、友人関係でも同様とする。これに違反した者は
1年以下の懲役、または300万円以下の罰金に処する」という法律をつくれば、創価学
会員も安心して自分の頭で投票する政党や人物を決めて投票することができると思います。

公明党に投票しないと仏罰が当たるのでないか、でもイラク自衛隊派遣には反対だ。そん
な苦しみを抱えてノーローゼになった者もいたのです。私がそうでした。

1202平和創価:2004/11/06(土) 08:52
創価学会は多くの人を幸福にしてきました。このことは確実です。私は純粋に御本
尊を信じ、勤行唱題することにより、力強く生きることができるようになりました。
1時間、2時間、3時間と唱題することにより、集中力と持続力がつき思考力も上
がりました。私は18歳の時にはIQ143まで引き上げることができました。全
開した時にはIQ157はありました。もう勉強が面白くて面白くてどうしようも
ない状態でした。池田先生の指導を胸に勉強することに因って、無気力な中学生は
勉強の虫に変身したのです。創価学会なくしては私はあり得なかったと思います。
いやもう自殺していたかも知れません。だから創価学会には感謝しています。これ
は「功」の方です。

1203平和創価:2004/11/06(土) 08:59
唱題は記憶力も増大させます。世界史の教科書を3回集中して読んだだけで学年1番
ぐらいの成績をとることもできました。他の生徒達はノートを作り必死に勉強してい
ましたが、私は読んだだけで殆ど頭に入ってしまったのです。また物理の難問を公式
を使わずに自分の頭で解いたこともあります。

私の高等部時代の体験発表を終わります。

1204とおりすがり:2004/11/06(土) 21:55
うっとおしい自慢バナシ
学会員が嫌われるのがよくわかる

1205平和創価:2004/11/06(土) 22:37
>>1204
謙虚さは大切ですね。体験発表が顰蹙を買うこともあるのではいけませんね。失礼
しました。でも長時間の唱題は持続力、集中力、根性をつけることは確実です。

1206BIN:2004/11/07(日) 01:19
それは、顕正会であれ、正信会であれ、法華講であれ、同じことがいえるのでは?何も創価学会だけの専売特許ではないはず。

1207平和創価:2004/11/07(日) 08:24
基本は同じですね。ただ創価学会はきめ細かい個人指導が徹底しているという点に
特徴があります。未来部員、中等部員、高等部員に対して、勉強の方法などを具体
的に教えてくれる幹部がいます。

1208平和創価:2004/11/07(日) 08:33
禅宗のように座禅を組む瞑想方法も精神統一の訓練になりますが、日常生活にそれを
取り入れている人はあまりいません。日蓮宗でも同様ですが、朝1時間、夜1時間唱
題を欠かさず実行している檀徒の人は稀であると思います。10代の少年達が朝晩勤
行唱題を実行するという光景は、一般的にはあまり見られるものではありません。

1209流石 桜子:2004/11/07(日) 18:42
、、、ドーモです、、。 封鎖解除オメデトー、、。 トタンに調子モンの平和創価学会?の回し者的なしゃべりすぎの軽薄者がシャシャり出てきました、、。 様子見は、?、でしょうが、、管理人サンもサゾ複雑かと、存知ます、、。

1210平和創価:2004/11/09(火) 17:30
宗門、法華講、妙観講、顕正会、日蓮宗その他の宗教の方々にお聞きしたいのですが、
あのイラク戦争とイラク自衛隊派遣に対してはどのような態度を採られたのですか?
私は他のサイトで、創価学会はイラク戦争に賛成した唯一の宗教団体だとか、イラク
自衛隊派遣に創価学会、公明党が賛成したからあのような日本人人質殺害事件などが
起きたのだとか非難されたのですが、自民党に賛成したのは創価学会だけではないと
思います。皆様方のご意見をお伺いします。

1211Slow Life:2004/11/09(火) 19:03
むむ、、。 貴殿のお名前は個人なのか? 団体なのか? 平和を愛する創価学会より皆様に申し伝えるので「控え居ろう、、!!」という、 無言の文底の深みを包含致すようなハンドル名は、、ギョッとする威圧感を感じますが、。 ヒョットすると貴組織をあげての「組織防衛的な攻撃???」ではないでしょうネ、、。 マーお手並みを「ご拝見、、」と行きましょうか、、。

1212大勇者:2004/11/11(木) 19:09
Slow Lifeさん。   はじめまして。
>>1211 は考え過ぎですよ。
平和創価さんは、ここの板でも受験を控えた学生であることを宣言しているのですから、
創価学会の代表者のような受け止め方をするのはプレッシャー掛けすぎだと思います。
HNに関しての思い入れもあるでしょうから・・

>>1210
平和創価さんなりの個人の意見の投稿を楽しみにしてますよ。

1213nam:2004/11/11(木) 20:59
日本仏教教団でイラク参戦に賛成したのは創価学会だけだよ。
とんだ平和団体さ。公明党もね。

1214へいわそうか:2004/11/12(金) 05:43
しかしキリスト教団の中には賛成した教団はあったのではないですか?
特に「末日聖徒・イエスキリスト教会」(モルモン教会)は、アメリカ国家の決定には
絶対に従うという主義を持っていますからイラク戦争には絶対賛成でしょう。またアメ
リカで組織された「セブンズデー・アドベンチスト教団」(SDA)も反対はしなかっ
たと思います。

1215愚鈍凡夫:2004/11/17(水) 06:53

創価学会員の方にお尋ねします。
創価学会では拠点提供者などに、特別に「金壱萬圓也」の御形木を販売しているって噂は本当の話ですか。れいの、「下野国小薬邑本如山淨圓寺 大行阿闍梨本證坊日證 授与之」の授与書を削除した日寛書写漫荼羅の複製を少し大きくしたやつですか。
昔あった、「特別御形木御本尊」のニューバージョンでしょうか。 ( ̄ヘ ̄)ウーン

「創価学会に限って、ドジョウは何匹もいるんだなぁ・・・・・・。これが」(by 独り言)

1216大勇者:2004/11/18(木) 22:35
愚鈍凡夫さん
おひさしぶりです。

当方の地域では、会員宅において「特別御形木御本尊」を見たことはありません。
会館に遠距離の地域ではありうるのかも知れません。

因みに当地域の拠点宅は「日達師」です。
我家はご指摘の「日寛師」です。

1217未途:2004/11/27(土) 23:06
創価学会がこんなに伸びた理由
1.法華信仰の力強さ
2.戒壇のご本尊様
3.戒壇のご本尊様とつながる家庭のご本尊までを幸福製造機としたこと
4.幸福製造機とご本尊を呼んだり、戦前の罰論折伏を功徳論折伏に転換
 した戸田2代会長に発想と指導力
5.座談会
6.日淳上人という理解者がいた
7.戦前の創価教育学会という母体になった講があったこと
8.末寺に所属する通常の法華講と違い、総本山直属の講という意識があ
 ったこと。

1218問答迷人:2004/11/28(日) 06:18

未途さん

もう一つ忘れてならない事が有ると思います。それは

信仰心を組織化したこと。そして、「組織にたいする忠誠心の強さ=信心の強さ」と教えた事。

これが、巨大宗教団体を作り出し、支え、更なる発展に向けた原動力となっていると僕は思います。

1219大勇者:2004/11/28(日) 11:02
「組織にたいする忠誠心の強さ=信心の強さ」
というよりも、
「先生(名誉会長)にたいする忠誠心の強さ=信心の強さ」と教えた事。
ではないでしょうか?

「総本山直属の講という意識」というのは、はて?という感じですね。
学会員も末寺に所属したのではないかと思いますが。
過去には通常の法華講員に対して優越感を持っていたという事なのでしょうか?

1220問答迷人:2004/11/28(日) 11:46

大勇者さん

なるほど。そうすると、「池田先生に対する忠誠心の強さ=信心の強さと教え、その信仰心を組織化したこと」という事ですね。

1221大勇者:2004/11/28(日) 12:58
問答迷人さん

私はそのように思います。
私が不思議なのは、「先生に対する忠誠心」が老若男女に渡る事です。
池田氏(あえて先生省略)の会長就任以前の入会の方々までも、
忠誠心の強さ=信心の強さ と言いうのはなぜだでしょう。
どうやってここまで浸透させることが出来たのでしょう?

私はこれはひとつに、新聞も含めた出版物路線が大成功だったのではないかと思います。
>>1217 の(9)に書籍販売の成功が入ると思います。
印刷文字の人を納得させる力は大きいと思うのです。

1222犀角独歩:2004/11/29(月) 12:20

創価学会が発展した理由、そのいちばんは完全な自給自足の経済組織を構築できたからでしょう。

在家信者が信心活動をやって飯が食える形を出版その他の事業で確立したから、不動のものとなった。また、相互扶助の意識が強く、会員同士が助け合うことを当然のこととして行われるところに会員は功利性を感じたのでしょう。この二つが大きな要因であるとわたしは思います。

1223愚鈍凡夫:2004/12/03(金) 21:18

しっしまった。レスする場所を間違えてしまった。 〔≡_≡;〕

>>1216:
改めて大勇者さん、レス有り難うございました。

1224犀角独歩:2004/12/08(水) 10:13

朝日新聞『AERA』で連載された『自公5年 創価学会に何が起きているか』は、従来の創価学会特集と取材・執筆において一線を画する内容になっていますね。

最も評価できることは、反創価学会ジャーナリストを完全に排除し、そこからの情報を使用しない編集方針で一貫したこと。先の『週刊ダイヤモンド』は、情報収集をその提供者に頼り、結局のところ、謝罪。(まあ、謝罪広告を出して、そちらのほうは今度は学会員に売れ、一粒で二度美味しかったのかも知れませんが)

いずれにしても、ここ数十年間、反学会の情報元となった人々を援用する時代は終焉を迎えたと言うことであろうと思います。その意味において、わたしは、今回の『AERA』の編集方針には賛同します。

わたしは、創価学会脱会に当たり、富要等の資料と石山僧から得た「正統教学と化儀」を足がかりに脱会したわけです。しかし、実際、ここに来て当掲示板で、問答さんをはじめ、皆さんと論攷を重ねてきた結果、その石山の教学も中世以降のまがい物であることが明らかになったわけです。

先には、日蓮本仏論が中世以降の勝止観劣法華・勝天台劣釈迦を焼き直し、勝御書劣法華・勝日蓮劣釈迦とした中世の派祖本仏を言わんがための中世の捏造であり、その根拠となったのが数々の偽書と他山からパクった相伝類。まったく呆れ果てていたところに、ここに来て石山彫刻本尊が禅師授与漫荼羅を臨模作為したパッチワークであることがわかりました。ここまで来ると、たしかに現創価学会からも、かなり距離ができた、そんな感じはありますが、実はわたしはそう思っていません。

池田さんが彫刻本尊が紛い物であると気付いたのは、いつのことなのか…、わたしは興味があります。戸田さんの意志を継いで昭和42年に800万信徒から500億円近い金を集めて、正本堂を建てました。この段階で彫刻本尊は修繕を加え、その際に詳細な写真を撮った、また、木片の一部を関西方面の研究期間に持ち込み、年代鑑定も行ったなどというまことしやかな情報も漏れ聞こえます。その実否はともかく、この頃既に池田さんは彫刻本尊が何たるものであるのか、しっかりと掌握していたのではないか…、わたしにはそんな思いがあります。東洋学術研究所(東洋哲学研究所)なんかを通して、科学的、且つ常識的な「仏法」というものの客観的に認識するに至る経緯もあったでしょう。

ただ、しかし、それ以前、昭和20年以降から昭和40年代中期まで、日蓮本仏と彫刻本尊、国立戒壇で驀進してきた流れがあり、その熱い想いを背負った会員層があるわけです。だから、すぐには方向転換はできないわけでしょう。「仏教は普遍的でなければならない」、こんな足枷もあるはずです。けれど、たぶん、池田さんのなかで、日蓮本仏も、彫刻本尊も、その実態はよくわかっていたはずです。となれば、目指す方向はそこからの脱却であり、一般社会に通用し、且つ世界に通用する仏教と集団の構築を考える形で歩み始めた。それは旧態依然とした中世の捏造教学とお宝信仰(器物崇拝)とは真っ向から対峙するものであったのでしょう。いまでも、学会では「三大秘法の本尊」と緩衝剤のように言葉を選びながらも「本門戒壇本尊」信仰を引きずっているわけです。しかし、これは、池田さん、もしくは創価学会執行部が目指す最終的な完成形からすれば、ただの通過点に過ぎないはずです。

1225犀角独歩:2004/12/08(水) 10:13

―1224からつづく―

学会は、現行学問から突っつかれて揺らぐような教学体系から「卒業」していく方向性で具体的に進んでいると思えます。その思いは、たぶん、彫刻本尊の欺瞞性を、池田さんが知った段階から始まったのではないのか…。わたしの学会感はそのように変貌してきました。

ただ、池田さんへの熱烈な思いが会員にはあり、個人崇拝感覚のない側からすれば激しいギャップに見舞われるわけです。けれどたぶん、会員はこれをギャップとは思わないはずです。何故なのだろうか。そんな呻吟が、わたしにはありました。

たぶん、これは証拠主義と体験主義という、二局面からの違いでしょう。
ここ掲示板で、数年来行ってきたのは徹底した証拠主義としてのアプローチです。事実を見極めるうえで、もちろん、この姿勢は何等批判されるところはありません。この点は今後も一貫して変わることはないでしょう。このような当掲示板と、その運営者である管理人さんにわたしは敬意を表するわけです。

一方、事実が明確にわかった。では、どうするという選択に迫られたとき、では、実践的、かつ実感としての歓喜(かんぎ)はいずこに求めればよいのかという問題が生じるわけです。

学会では過去50年の発展と各会員の体験に自信を持っているでしょう。
証拠主義は信頼できる資料から事実を見極めようとしたわけです。ある面、わたしはここで行われてきた理論実験は、昭和60年代に1650万会員を豪語し・いま820万・差し引き800万人の脱会者の代弁的な要素が強かったのかも知れません。
けれど反面、当の学会側は実際にあった発展と各会員の実体験を、では、どのように理論付けられるのかというのが教学構築の前提なのであろうとわたしには思えます。

以上は、創価学会・池田さんを肯定しているわけでも・否定しているわけでもなく、何故彼等があのように考え・行動するのかを考える前提で記すことです。

冒頭に戻りますが、過去数十年、考える資料としたところは反学会側ジャーナリストからの情報とスタンス、もうこの時代は終焉を迎えたわたしは断言してもよいと思います。
わたしはかつて法華経に書かれてあることを知りたければ、極端な話、天台教学と、それを踏襲した日蓮教学をまず横に置いて読んでみることだと語りました。

いまの学会を考えるのに当たり、従来言われてきたことを、ひとまず置いて、わたしは、池田さんが彫刻本尊の実態を知ったときから考え・進んだ方向性として創価学会の路線と今後を考えてみたい、そんなふうに考えています。

わたしが今回行った禅師授与漫荼羅に基づく拙稿は、かつて、どこぞの坊さんが目を凝らしてやったことであったでしょう。その御仁は、その実態を知ったうえで、最高権力者として君臨し、巨万の金銭を信徒に求め、800万信徒の思いがいとも容易く壊したうえで新たな建造物を造るのにまた金銭を指せることもなんら罪悪感もなく行えたのでしょう。一方、その実態を知りながら、過去800万の思いを背負い、数十年のスパンで方向を転換していこうとしたのが学会であったのか。さて、どうでしょうか。

今後の創価学科は、どうなっていくのか。そのもっともプロトタイプとなっていくのは、やはり、東京の創価学会でしょうか。将来のことをともかくとして、いま東京の創価学会は、どのようになっているのでしょうか。
どなたかレクチャーいただけませんでしょうか。

1226犀角独歩:2004/12/08(水) 10:19

【1225の訂正】

誤)ある面、わたしはここで行われてきた理論実験は、昭和60年代に1650万会員を豪語し・いま820万・差し引き800万人の脱会者の代弁的な要素が強かったのかも知れません。
正)ある面、わたしを含めてここで行ってきた理論実験は、昭和60年代に1650万会員を豪語し・いま820万・差し引き800万人の脱会者の代弁的な要素が強かったのかも知れません。

誤)創価学科
正)創価学会

1227名無し@富士門流:2004/12/08(水) 10:32

犀角独歩さん、こんにちは。

どうも「いま」の東京の創価学会は、すでに明年予定の都議選モードのようですよ。

近隣各県とも交流が始まったとか。

1228犀角独歩:2004/12/10(金) 00:36

名無し@富士門流さん、有り難うございます。

1229世知勉不:2004/12/10(金) 01:19
今後の創価学会は池田宗という色をより強めて行くのではないでしょうか。池田氏が亡くなった後も学会内での大分裂は無いのではと想像しています。牧口氏、戸田氏、池田氏もみなそれぞれ考えが異なっています。三代会長は戦国時代の織田氏、豊臣氏、徳川氏に非常に似ている気がします。日蓮正宗は天皇家といったところでしょうか。過去の歴史から見ると未来は歴然です。

浅はかな見識ですが、宗教法人で完全無欠なところは無いのではないでしょうか。

なら、これから大切なことは立正安国論(第八段)にあるように、一切衆生が謗法に供養しなくなったならば、邪義・邪宗は滅び、かわって正法が栄える。かくして一国が皆、正法に帰依したならば、いっさいの災難は消え、平和楽土が実現するという部分です。

“日蓮正法”は供養を受けてなくても広宣流布できるものであると信じます。

何が正しい宗教か知れる方法のひとつとして全宗教法人への供養停止を全民衆の運動にして行けないものでしょうか?

世知勉不は世間知らずの勉強不足の意味です。初心者ですので不具合等ご享受お願いと、お許し下さい。

1230犀角独歩:2004/12/10(金) 11:48

世知勉不さん、はじめまして。

創価学会の今後の方向性、池田さんの絶対的神格化の推進。
この点が外にいるとあまりぴんと来ません。しかし、たしかに新『会則』その他を見ても、そんな調子なのであろうとは想像できます。

経済機構のさらなる充足、政治的安定。この二つは、必須要件なのでしょうが、個人的な体験主義の理論化と技術化という側面が、対個人的な要素となるのでしょうか。これを支える相互扶助的な要素は大きな功利性を有しているのであろうと思います。
わたしはどちらかというと創価学会はボランティアをやらない団体、こんな批判を続けてきました。しかし、今回の新潟中越地震では会館を開放し、会員も積極的に支援救済に働いたと、まったく関係のない人々から見聞し、ややその考えを改めたところがありました。

1週間ほど前に長岡に会館が建ったのに地震が起きた顕正会の口上とは大きく違っていました。地震で会館が揺らいだとか・揺らがなかった、石に潰されて亡くなった方の信心がどうのという世間の顰蹙を買う非常識さ、はたまた門戸を固く閉ざして罹災者を入れなかった寺院とは格段の精神性の相違があります。

先頃、とあるマスコミ関係者と話していたところ、「何故、創価学会は病院を造らないのでしょうか」と不思議そうに尋ねていました。

この点はたしかに創価学会の伝統的な部分とも大きく拘わることなのかも知れません。いわゆる病気は信心で治すというところでしょうか。良観への敵愾心が社会運動を妨げてきた側面もあります。たしかに個人的な信仰として、どんな現れでも勝手ですが、では対他・対社会となったとき、単に法の流宣をもって完きとすれば、冷笑を買うのみです。「菩薩道」とは時には自分の身骨を裂き、人に与えてこそ成就するというのが古来より、一貫した理解でした。
800万会員が、社会運動に動き出すとすれば、社会は大きく変わるでしょう。

> 正法に帰依したならば、いっさいの災難は消え、平和楽土が実現

わたしはこの表現は、現代的には多少“翻訳”が必要であろうと思います。
人々が正しい考え方・正しい行動を採る方途を選べば、人的災難は消え、共同して当たれば、自然災害も克服でき、平和楽土は実現すると解釈し直す必要性を痛感します。
つまり、このような思考・行動規範を古来の言葉で言えば「正法」と言うと見るのが一貫したわたしの考えです。

特定の経典を信じ、お呪いを唱え、建物(戒壇)を建立すれば、世が安穏になるなどというおとぎ話は、現在ではただ物笑いの種です。

> “日蓮正法”は供養を受けてなくても広宣流布できる

このような仏法理解は、どのようなところから導かれるのか、心情的には理解できないこともありませんが、佛教理念としては無理があるのではないでしょうか。

古来より、托鉢は出家者の食を施すという実利的な面を持ちながら、供養する側は徳を積むという精神的功利面を持ってきました。修行できないけれど、供養によって徳が積めるという功利性です。その点から供養は否定されることではありません。
ただもちろん、世俗と何ら変わらない生活、いや、それどころか宗教貴族化した連中に供養などする必要をわたしはまるで感じません。寧ろ、貰いたいぐらいです。

以下、既に皆さんと話し合ってきた点です。菩薩とは世俗の有資産家であったことが残される彫刻絵画から推されます。その行で言われる「布施」は布き施すということで、つまり、菩薩が自分が持っている財産を積極的に人々に施し、時には身を粉にしても救済に当たる修行を意味したものであったことが知られます。在俗が坊さんに「布施をする」という語彙的用法はまったくの転倒であるわけです。つまり、現代的な意義からすれば、仏法に帰依する人々が自分たちの財産を積極的に人々に施し、その救済に当たる、いわばボランティア活動は菩薩の布施行と軌を一にするということです。

神秘化されたお宝・集団・個人が、奇跡的な力を発揮し世が変わるなどという与太話は20世紀で終わりにしましょう。

上述のような次第によって、人々に手を差し伸べることが、当たり前の佛教集団と構成員の姿に変われば、21世紀に佛教は生き残るとわたしは考えています。

いまのところ、このような方向転換の可能性は、顕正会では0%、石山の坊さんにもほぼ望めず、では創価学会本体はどうか、先の震災ではややその曙光が見えたか否か、わたしはそんな観察を行っています。

1231世知勉不:2004/12/10(金) 17:36
犀角独歩さんにご挨拶頂き光栄に存じます。また多くの素晴らしいご意見をありがとうございます。大変勉強になり非常に喜んでいます。

>神秘化されたお宝・集団・個人が、奇跡的な力を発揮し世が変わるなどという与太話は20世紀で終わりにしましょう。

お題目で奇跡的な力を発揮することは偶然ってことでしょうか?

犀角独歩さんは生命が永遠であると思われますか?

創価学会のお陰で仏法に巡り合いました。池田さんのお陰で全ての宗教法人に疑問を抱くようになりました。いまの大御本尊はパッチワークのようですね。法華経自体も出所がはっきりしないもののようですね。今に残る物証だけで佛教を考えるのには無理があるのでしょうか。

永遠の生命であるならば、どんなに苦労をしても今生で成仏したいと、ただそう思うのです。

1232犀角独歩:2004/12/10(金) 22:00

世知勉不さん:

> お題目で奇跡的な力を発揮することは偶然

お題目でも奇跡は起きるでしょうし、お念仏でも起きるでしょう。
キリスト世界は神秘と奇跡で満ちあふれています。
シャーマニズムではもっとそうかも知れません。
宗教の数だけ、奇跡はあり・体験はあり・御利益もあれば・罰もある、というのが宗教を俯瞰した実感です。

しかし、わたしは「神秘化されたお宝・集団・個人が、奇跡的な力を発揮し世が変わるなどという与太話」と記したのであって、お題目に奇跡がないとは記していません。

> 生命が永遠であると思われますか?

どうでしょうか。
お釈迦様が応えなかったことです。わたしも従来どおり、無記とします。

> 今に残る物証だけで佛教を考えるのには無理があるのでしょうか

その物証で考えるのが学であり、体験で実感するのが行なのでしょう。

> 今生で成仏

成仏とは何でしょうか。
また、これが度脱・解脱・到彼岸・涅槃を意味してのことであれば、二度と娑婆世界に戻ることはなくなるわけですね。

1233平和創価:2004/12/11(土) 16:50
私の方がもう悟ってますよ。生命の連続性や死と再生は体験しなければ分かりません
からね。

1234犀角独歩:2004/12/11(土) 21:15

では、死を語らなかった平和創価さん、あなたのほうがお釈迦様より悟りが上だというわけですか。
これはお笑いです。

1235山谷:2004/12/11(土) 23:03
生命を悟り切った事を平然と書きこめる精神はどれだけ病んでるのか容易に想像できる。しかしまたこの団体の多くはこの手の世迷い事を意図もたやすく言ってのける。そんな団体に何を期待するのか、そちらの方が全く理解に苦しむが。

1236半可通:2004/12/12(日) 07:18
>1230 犀角独歩さん

>>先頃、とあるマスコミ関係者と話していたところ、「何故、創価学会は病院を造らないのでしょうか」と不思議そうに尋ねていました。

昔、むかし、ある幹部に聞いた話です。「人がいない」と、
たとえば、天理教に「よろず相談所病院」というのがあります。ここは、各診療科のの部長さんは、みな京大のエリート医師です。

だから、何事か起きても、最後は京大のネットワークで最高の治療が受けられます。
天理教の教師さんは、身上の相談だけをする。まあ、いわゆるカウンセリングですね。

ところが、創価学会が病院を作る場合、たとえば東大の医局を回って頭を下げまくって同じような病院を作れるのかどうか?

かといって、ドクター部を糾合してみてもまともな病院一つできるかどうか?
病院というのは、上に連なるネットワークがないとまともに機能する病院とはいえません。
そこそこの医師を何人か集めたところで、難病の患者一人抱えただけで立ち往生です。

創価大学に宗教学部ができない事情と似通っているのかも知れません。

1237犀角独歩:2004/12/12(日) 08:07

> そんな団体に何を期待する

これはわたしに言っているのでしょうか。
期待しているのではなく、800万人の現世勢力があり、人々がいる。
実際に創価学会がなくなることはない以上、では、何をすべきかを記したのみです。誤解なきように。

1238犀角独歩:2004/12/12(日) 08:14

半可通さん、はじめましてでよろしいのでしょうか。
お記しのところ、なるほどなと思いました。

わたしは創価学会は病院を作るべきだと思います。
病院では、実際には治らない病気も抱え、日々、亡くなっていく方と向かい合うわけです。この現実を回避して「信心をすれば、絶対に病気は治る」「不可能を可能にする」という自分たちの謳い文句と真正面から向かい合うことです。

実際には治らない病気、そして、人はやがて死にます。その現実を前にして、治る、死なないだけが実証ではなく、では、どうやって病と向かい合っていくのか、死んでいく人と向かい合っていくのかという、寧ろ本来、宗教が向かい合うべき問題に一歩、踏み込んでいくべきであると思うからです。

力ある宗教であれば、治らない病人、死んでいく人を納得させることができます。そこにこそ、実は宗教の進化があるとわたしは考えます。
半可通さんには、ご投稿の文面から察して、ご賛同いただける点ではないかと思うものです。

1239世知勉不:2004/12/12(日) 10:48
既に政党があり教育機関があり地域拠点があるのですから、問題なく運営できる状態になれば病院もつくるのではないでしょうか。創価大学にまず医学部ができてからかも知れませんが。学会は用心深いところです。念には念を入れて、さらに念を入れてみたいな。あと、仏法は勝負らしく失敗は許されないようです。

個人的には宗教団体は宗教だけに専念して欲しいです。学会は日蓮正宗信徒という立場以外のことをして今のようになったと思います。宗教をしているひとが政党で活躍する、学校で活躍する、病院で活躍するでいいのではないでしょうか。宗教団体が政党、学校等を運営するのは社会を思い通りにしたいだけだと思います。

いつでも100%正しい指導者なんていませんが、仮にいま池田さんが100%正しいとしても、将来どんな上層部になるか疑問です。日蓮正宗然りです。その時に創価学会が公明党単独政権であったりしたら大問題です。

信者の方には、将来の責任は今の自分にあると自覚して頂きたいです。もし、そんなことありえないって言われる方は無責任なのではないでしょうか。宗教団体が団体でするのは教えだけで、行動は個人で、が安全なのではないでしょうか。

1240犀角独歩:2004/12/12(日) 11:28

世知勉不さん:

> 個人的には宗教団体は宗教だけに専念して欲しい

なるほど。御説、尤もであると思いました。シャキャムニの原始教団は、生産と貯蓄を留めましたから仰るところが、元来の有様であろうと。

宗教団体、つまり宗教法人には、職員が認められているわけですが、この人々は統治下では何等特権性が認められているわけではなく、一般人と同じ国民です。つまり、納税義務もありますし、何より生きるために衣食住が必要です。消費するために収入が必要と言うことになりますから、いきおい、その職員を有する宗教法人は収入が必要となります。また、活動の拠点を求められますから、その土地家屋の保有には、当然、経費がかかります。宗教団体が宗教活動だけに専念すると言うことは、つまり、宗教活動を収入源とする以外に方途はないという構造を背負っているわけですね。

ただ、個人的な感情からすれば、金員にまつわる宗教感情は不純であると考える傾向が、これはシャキャムニの時代から営々と受け継がれているわけです。
この理想と現実のギャップで、「お金が掛からない宗教」であるという表看板を掲げることになるのでしょうが、実際は、上述の事情がある故に、これは絵空事であることはわかります。

また論点を換えれば、大乗仏教などに登場する仏・菩薩には、薬王など、「薬」の名を付された諸尊が多く登場します。これには概ね二説あり、一つは向精神薬、つまり幻覚を催す薬物の使用が仏教教団のなかで一つの秘儀を生んでいたという指摘、もう一つは、仏教集団、若しくはその一部の人々は民衆救済、若しくは生業として医道を兼ねてきたという指摘です。
もし、この後者の指摘が適宜なものであれば、現行宗教法人が医業を兼ねることは、大乗仏教の経緯からして、宗教行為からスポイルできるかどうか。ただし、現代社会の医師(会)の特権性、非倫理性と仏教教義に整合性があるか否かは議論されなければならないでしょうね。

浄土真宗、また日蓮宗などでも、ビハーラからターミナルケア、いわば臨死医療に僧侶が関わる試みが静かに始まっています。これは無償の宗教行為とするか、それなりの代価を認めるか、その延長に宗教法人と、その職員の活動として代価を認めるか、種々、勘案すべき問題は山積されていると、わたしは考えます。

宗教は個人としての功利性に支えられますが、菩薩という利他行になるとき、単に法施に留まる消極性は、社会的には反感を抱かれていることは事実です。

以上、世知勉不さんへの反論では決してなく、当板でも皆さんと考えていきたい問題の一つであるということです。

1241世知勉不:2004/12/12(日) 12:31
説明不足と箇条書きで申し訳ないです。

今の日本なら純真なる宗教ができるのではないでしょうか。在家信者の集まりであればできるのではないでしょうか。食うに困らない資産がある方は専念することもできます。意思伝達もインターネットがあればできます。密教のようなこともなく今は教義も殆ど揃います。素晴らしく純粋な宗教団体がいずれ出現すると思います。既にどこかで活動されているかも知れませんが。偉大なる指導者もいりません。教義さえきっちり整理できれば可能ではないでしょうか。

犀角独歩様は真実を探し整理されている方のお一人ではないでしょうか。なんとかならないものでしょうか。

板の意図と違いますのでこれくらいにします。すみません。

1242犀角独歩:2004/12/12(日) 12:46

世知勉不さん、有り難うございます。

わたしは宗教団体信仰からの「卒業」を訴えてきた独りです。
ですから、仰るところよくわかります。
当板の管理人さんは、斯くも意義ある場を提供してくださっています。
わたしは、ここを現代のサンガと称したのです。
ここから道は拓けていく、わたしはそう予想しています。

1243きゃからばあ:2004/12/12(日) 16:10

せめて、唱題できる病院がほしい!
仏間もあったらうれしいな。
完全防音の個室があったならもっとうれしい!
ただし1日1万円以内が希望ですが。

1244半可通:2004/12/12(日) 17:33
>1239

>> 問題なく運営できる状態になれば病院もつくるのではないでしょうか。創価大学にまず医学部ができてからかも知れませんが。

医学部ができることは、ないと思います。なぜなら、医学部を作るためには、まず教授を40人程度集める必要があります。現役の教授・助教授程度でないとちょっと無理です。
内部に人材は、いないでしょう。博士号と留学経験と、欧米の一流医学雑誌に論文が掲載されていなければなりません。
外部から教授を招聘した場合、当然助教授、講師を連れてきますから、学会内部に人材がいたとしても、せいぜい講師あたりから始めなければなりません。
内部の人材が始めて教授選に立候補できるのにまず10年かかります。

地方の国立大学の医学部が、本学出身教授で教授会の過半数を占めるのに約80年かかったといいます。
東京の私立大学でも同様です。
池田さんはこうした事情を知った上で、医学部設立をあきらめたようです。

>1238

>> 実際には治らない病気、そして、人はやがて死にます。その現実を前にして、治る、死なないだけが実証ではなく、では、どうやって病と向かい合っていくのか、死んでいく人と向かい合っていくのかという、寧ろ本来、宗教が向かい合うべき問題に一歩、踏み込んでいくべきであると思うからです。

これをすると、「創価学会」でなくなってしまうのでは????

1245「御書の声」:2004/12/12(日) 18:07
池田大作の「寿命の尽きる日」が嵐のはじまり。
「池田大作のXデー」

創価学会はその日のために体制は整いつつあるが、池田大作の存在が大き
すぎて組織の本格始動は時間が掛かるだろう。

「池田センセイのために」頑張る創価学会員の心に真空タイムが襲う!
本部から地方組織までカリスマ依存の組織は暫らく方向感覚を失うだろう。

以前「池田大作倒れる!」のニュースが駆け巡った事があった。
その時も、池田の病状の真相は池田夫人側近にしか判らなかった。
副会長クラスも公明党幹部も判らなかった。
創価学会の奥の院は一部の人間にしか判らないのだ。

今ハッキリしているのは『池田家の創価学会』を存続させようと考えて
いる勢力がソノ準備は完成していることだ。
池田夫人と秋谷の連携で実質的な世襲は完成していよう。

問題は池田亡き後の創価学会の組織活力がどうなるかだ!
組織のタガがはずれ、沈滞なら・・・
創価学会に無いといわれている派閥も化学反応が始まる。
単なる友好的な人脈が核となり、不安が安心を求めて固まってゆく。

戸田城聖亡き後も3年の暗闘期間を経て池田大作が全権を掌握したのだ。
創価学会波乱は3年以降から始まる!

日顕宗門も狙っている!
池田センセイ亡き創価学会に「戒壇の御本尊さまの元へ還ろう!」の声
が迫ってくる。
心の焦点を失った学会員に「戒壇の御本尊さま」は引力が有る。
日蓮正宗にとって千歳一遇のチャンスがやって来る。

創価学会の組織が沈滞し、不信を誘発すれば、
「戒壇の御本尊さまの元へ還ろう!」の声は大きな力を発揮する。

一旦、宗門の信心に付けば、創価学会時代の
「組織活動に明け暮れた人生」「財務、財務の貢ぎ人生」に目が醒める。
ムラムラと創価学会時代の後悔が沸き起こることになる。

「池田大作に騙された」脱会した宗門信者の多くが実感する心境なのだ。
それは創価学会に対する怨念に変わってゆく。
そして「戒壇の御本尊」絶対の確信になる。

「池田センセイ」絶対が「戒壇の御本尊」絶対に置き換わる。
オセロの目が逆転するように、このような現象が庶民レベルで広がる
悪夢は空想ではない。

「池田センセイ」絶対が無くなれば組織のタガがはずれる。
創価学会に無いと言われる派閥が内部で動き出すのはソレからだ!
池田大作が作り上げた組織体質は謀略が横行する。
自壊本逆となればソレが災いして、分解反応は止められない。

「創価学会は外部からは潰せない、潰れる時は内部からだ!」
これは池田大作の言葉だ、よくその弱点を知っているからと言える。

「創価学会撲滅!」
池田大作は余りにも多くの怨念を買いすぎた。

1246大勇者:2004/12/14(火) 14:31
犀角独歩さん。

私には、「広布基金」に対して「お布施」という感覚は全くないのですが、
日蓮正宗創価学会時代は「お布施」だったのですか?

地方会館の建設や事業維持に使用する為の基金という感覚で寄付して来ました。
(もちろん本部職員の給与も)
会長や副会長職の方々が4000万〜程度の給与(週刊誌による)と言われているみたいですけど、
それほど驚くほどの額でもないような気がします。
民間企業と比べても妥当な年収ではないかと思っています。
副会長が多数いるのは困りますがね。

給与の話は余談でしたが、
現在「お布施」という感覚の会員は少ないのではないかと思います。

1247犀角独歩:2004/12/14(火) 18:53

大勇者さん:

> 「広布基金」に対して「お布施」という感覚は全くないのですが、
日蓮正宗創価学会時代は「お布施」だったのですか?

そう言ったのは池田さん本人です。
池田さんが『仏教史観を語る』という講演で述べた内容です。

また、真心の財務は金額に比例するという内部資料がありました。
「財務こそ、広布のための真実の供養であり、もっとも大聖人が喜ばれるところ」という内容です。

かつて、戸田さんは
「宗教で金儲けするぐらい簡単なことはないのだぜ。お賽銭をあげろと言うんだよ。
 金を出して神を拝めば、倍にも3倍にもなって返ってくるから、出せ、出せと言うのだよ。やりたければやってもよいが、必ず地獄へ行くからやってみたまえ」
と言ったものでした。

> 会長や副会長職の方々が4000万〜程度の給与(週刊誌による)
> それほど驚くほどの額でもないような気がします。
> 民間企業と比べても妥当な年収ではないかと思っています。
> 副会長が多数いるのは困りますがね。

それは週刊誌などで記す一般的な感覚と違っていることを意味するのでしょう。
民間企業は営利法人であり、利益追求を目的にした法人格です。そこでは成功に比例して報酬があり、それに準じた納税があるのは当然のことでしょう。
けれど、宗教法人は営利追求を目的にするわけではありませんから、一般企業と同等の経済効果からその給与・報酬を論じることはナンセンスです。
ここで意味を持つのは宗教邦人職員が高給であれば、インチキ宗教という印象を一般の人々に与えるという配慮でしょう。この点は何も創価学会に限らず、石山で阿部さんが東京の豪邸を建てれば、糾弾されるのと同様の意味があろうかと思います。
幹部の高給は、要は会員から吸い上げられた金銭に比例するわけですから、会員の奴隷会場の印象を与えないでしょう。それをそう思わないとしたら、神経が麻痺していませんか。

高給取り、大金持ちの宗教指導者はインチキというのは、そもそもかつての戸田・創価学会の論法であり、それを踏襲したのは若き池田さんでした。
なお、名誉会長、会長、副会長の給与は週刊誌が報道するのではなく、四谷税務署その他が発表した高額納税者一覧に池田さんをはじめとする名前が載ったことを転載したまでのことでしょう。

> 現在「お布施」という感覚の会員は少ないのではないかと思います。

そのような変節は、けっこうなことでしょう。
団体に金を出して、それに功徳があるなどというキャッチフレーズ、詐欺商法の口上以上の意味は持たないからです。

1248大勇者:2004/12/14(火) 20:43
犀角独歩さん

ご返事ありがとうございます。

「お布施」という感覚と言ったのは、
「修行できないけれど、供養によって徳が積めるという功利性」ではなく、
「広宣流布の為の財務は折伏と同じ」という意味で「お布施」とは違う意味ではないかと思ったものですから......
「全国の会員さんの為に使ってください」というような気持なのですが......
大事なお金をドブに捨てることは人間なかなか出来ないものです。
自分の心の整理に理由を付けてるだけなのかも知れません。
ですから、それに功徳があるというキャッチフレーズは現存していると思います。

職員給与は宗教法人と言えども労働対価であると考えれば、
民間企業や公務員などに準じてもおかしくはないと思います。
個人所得や資産においては納税を行っていると思いますので、逆に所得を少なくして経費を多く使わせるより健全であるとも言えます。
そう考えると職員自身は財務しないでしょうね。
財務から得た給与をまた財務したら税金の無駄払いですから・・・(そのこと方が悔しい気がする)

会員の財務も所得控除の対象にはならないし、企業として寄付した場合でも学会への寄付は経費扱いにはならないです。(当たり前ですけど)


個人資産についても、海外事業展開での信用度を考えれば必要な戦略と思います。

以上は全くの私の個人的な根拠ない思い込みを投稿していますが。

1249犀角独歩:2004/12/14(火) 20:55

大勇者さん、あなたのような考え方は、宗教貴族をのさばらせるだけ、宗教法人は金儲けのためと言っているようなものでしょう。
あなたが書いた宗教と団体は何の魅力もないただの俗物とわたしには映じます。

1250大勇者:2004/12/14(火) 22:07
宗教法人といっても、法人事業としての社会的責任(返済)を果たさなければいけないのですから...
「金儲け」と一括りに出来るものではないと思います。

そのお金を預かった銀行が他へ貸付るのですから...

何の魅力もないただの俗物の話であるのは仰るとおりです。
申し訳なかったです。
しかし信仰とお金は切り離せますが、
組織とお金は切り離せないものだろうと思います。

今年も女房に「ご供養しておいたから」と一言...
「あっ うん」と答えました(。。。
有意義に使ってもらう事を祈るばかりです。

1251犀角独歩:2004/12/14(火) 22:24

大勇者さん、金儲けとひとくくりに出来ないと言う希望的な完則は手前味噌で勝手ですよ。
しかし、会長、副会長が4000万の給料取っても大企業と一緒、当たり前というあなたの考えのほうが「金儲け」と一括りにしているんじゃないでしょうか。
よく飼い慣らされているという印象を懐くばかりです。

そもそも宗教法人が、法人事業として社会に果たす責任とは何でしょうか。
また、そのように社会に対してというのであれば、どこまで会内の情報が公開されているのでしょうか。

預けていると考えているようですが、ではどうやって返して貰うのですか。
組織が功徳で返してくれるのでしょうか。功徳はあなたご自身の努力によるもので組織とは無縁でしょう。

あなたがどんなに預けようが勝手です。
しかし、そんなことが正しいと思う外部の人間は一人としていないであろうとわたしは思います。つまり一般常識の代弁としてわたしは記しました。

実際の創価学会がどうだか知りませんが、あなたがここに書いた組織と金は実に杜撰で勝ひどいものであるというのが、偽らざる印象です。こんなことに金を棄てるあなたを心底、気の毒に思いますが、ご本人は満足なのでしょう。このギャップこそが、社会一般にあなたのようが考えが理解されない大きな原因であろうと思います。

1252犀角独歩:2004/12/14(火) 22:29

大勇者さんには何ら悪感情は抱きませんが、慌てて打ったために数カ所、間違えました。
判読いただけると思いますが、完則は観測、勝は且つ、です。

大勇者さん、目を覚ましませんか。

1253大勇者:2004/12/15(水) 00:46
犀角独歩さん。

私の文章が稚拙の為、誤解なされているようです。
私の1250の投稿は功徳論ではなくて、経営的面、経済的から見たものです。
もちろんその分野に於いても私は素人ではあります。

社会的責任の最低限のものは、例えば常時ある支払い負債の事です。
宗教法人でも破綻すれば取引業者に迷惑を掛けることになります。
そういう意味でどのような団体であれ健全な「経営」を行っていかなければならない筈です。
預けているというのは法人の銀行預金のことです。
その預金を各銀行が運用しているのでしょう。

宗教法人の日本円の銀行証書など「確固たる資産評価」になりえるのでしょうか。
銀行破綻の危険性はもとより、
宗教団体の分裂、解体、没収だって有り得ます。

株式や貴金属、海外貨幣での資産運用の影響を考えれば非公開は致し方ないところでしょう。

ま〜私がそんな事を心配する必要も無い訳ですが...
それと1250は打ち誤りで、財務は勝手に女房がするので、
実は幾ら寄付しているのか知らないのです...
聞かない様にしています(苦笑

1254会員:2004/12/15(水) 01:20
男子部長の指導の中に、我々は大聖人のでしで、下種しないと成仏しないと教えがあり、折伏、新聞啓蒙しないと駄目だといわれ、折伏は無理です 、友達は入会する気ないし、話も聞かないよ。と云うたら、真剣にお題目しかないから入会しないんだ。願って叶わない物は無いんだの一点張りで…、本来の目的が分からなくなってきました

1255犀角独歩:2004/12/15(水) 08:36

大勇者さん:

別に誤解などしていませんよ。
会長・副会長は4000万円以上の給与でもよいという点に納得が行かないと言っているのです。
また、あなたの言い方では、広布基金は経営面の支払いのため、また、預けられたお金は銀行も運用しているなどといっていますが、では、お尋ねしますが、広布基金は債務支払いのために、また銀行が預貯金を運用するために行っているわけですか。この財務の名称は広布基金、つまり、広宣流布の基となる金という意味ですね。となると、債務支払い、銀行の預貯金運用が広布であるということになります。

そうではなく、広布基金とは、あくまで広宣流布の基金とするという触れ込みで集めた以上、それ以外の用途で使用すれば、それは詐欺に該当することになるでしょう。そのなかで、特定個人が法外の給与を得ることも入っています。

わたしは創価学会員ではありません。しかし、あなたはそうなのであれば、宗教法人創価学会が健全な運営をする監視の義務を各会員を負っているはずですよ。創価学会の社会的影響、それはあなたの言葉に拠れば、日本にのみならず、世界的影響を持っているようですが、となれば、その会運営の監視の義務はさらに重いものになります。

わたしはあなたの広布基金への口上を聞いて、溜息が出るのは、全国津々浦々、財務に肯定的などの学会員に聞いても返ってくる同じ考えだからです。また、それが年末の今、書かれているという事実です。つまり、それはあなたご自身が考えたこととご自身で思いながら、‘植え付けられた’ものだからです。
創価学会から打ち出される口コミ、新聞、会合でまことしやかに語られる財務・広布基金をどう考えるかという‘指導’そのものを、あたかも自分の言葉・考えのように語っているその姿です。それはあなたの考えではなく、創価学会環境のなかに、知らずに刷り込まれた言葉を恰も自分の言葉のように、それも財務の時期にその宣伝マンのように、ここに書き込んでしまっているからです。

しかし、そのもっとも恐るべきご自身に起きている事実に少しも気付いていない点を言っているわけです。あなたはご自身の考え方を操作されているわけです。これは宗教問題と言うより、心理操作、集団煽動のメカニズムの好見本として、あなたの存在が今ここにあるという事実を厳正にとらえたほうがよろしいでしょう。

1256平和そうか:2004/12/17(金) 04:35
>>1244
半可通さん。初めまして。
>医学部ができることは、ないと思います。
これは大変私にとってはきついお言葉です。私は生命論の正しさを科学的に証明する
ために勉強しています。創価大學に医学部があればそこを受験し、そこで研究をすす
めたいと思っていましたが、存在しないため国立大學を受験してそこで研究をすすめ
ながら、創価大學に医学部ができる時を待とうという考えでいましたから。

人間の死はその人の個人の終わりではあるが、意識は死を通して連続するという創価
学会の生命論を科学的に証明することに因って広宣流布は現実のものになると思って
います。生命論を科学的に証明する方法は2通りあると思います。一つは生物物理学、
生物化学から証明する方法であり、もう一つは医学の方向から証明する方法です。

創価学会が創価大學に医学部や理学部生物学科を創設しないとなると、私は今まで何
のために自分の人生を犠牲にして勉強してきたのか分からなくなってしまいます。
創価学会の生命論の正しさを、他の大學の中で証明しようなどと言ったらそれこそ気
違い扱いされてしまいますよ。

1258愚鈍凡夫:2005/01/09(日) 12:35

創価学会も今回のスマトラ沖地震の被災地に救援物資を送ってるんですね。
素直にエールを送りたいと思います。頑張って下さい。 (^∧^)合掌
 セイノッ ⊂(^・^)⊃フレー \(〜0〜)/フレー

創価学会:学会ニュース
http://www.sokagakkai.or.jp/SITE1PUB/sun/4/news/report990.html?t=1095330019189

1259犀角独歩:2005/01/09(日) 13:04

わたしも創価学会のこのような支援にエールを送ります。
有り余る、潤沢な資金を、世のため・人のために惜しみなく使ってくれることを希望します。

1260吉祥仙人:2005/01/09(日) 20:20
創価学会一会員から
当年43歳 1980年代に学生部・青年部を過ごした者として一言
どうもどの掲示板を見ても「会長本仏論」なる邪義を、全学会員が支持して
いるように扱われていることが納得いきません。
池田先生は指導者であって、教祖でも信仰の対象でもありません。

1261おおい:2005/01/09(日) 21:03
吉祥仙人さん、ちゃんと資料読んでんの。
会長本仏論があったことは創価学会自体が認めていたことじゃないか。
その後、軌道修正したんだから、いまは鳴りを潜めているのは当たり前。
過去の歴史を覆い隠していなおるのはやめなよ、みっともない。

1262おおい:2005/01/09(日) 22:16
会長本仏論、池田本仏論
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_6.html
ただし、ぼくは法華講じゃあありませぬ

1263犀角独歩:2005/01/10(月) 01:32

百禍繚乱、なかなか勝れたHPですね。
これで大石寺・法華講の批判文書が載れば完璧です(大笑)

1264吉祥仙人:2005/01/13(木) 20:42
 おおいさんへ
 私が本で読んだ限りでは、帰命論を言い出したのは、福島源次郎元副会長
との事でしたが、違いましたでしょうか
 そしてその副会長の末路はいかがだったでしょうか

1265愚鈍凡夫:2005/01/13(木) 21:17

横レス失礼します。
小生は、福島源次郎氏や原島嵩氏をことさら弁護する気はありませんが、会長本物論は当時、学会内ではまことしやかに囁かれていたことだし、半ば常識であったといえるでしょう。
ただ、明確に会長本物論を示唆する文章として福島源次郎氏の言葉が残っているということではありませんか。それをいいことに、創価学会では会長本物論の責任を福島源次郎氏一人になすりつけようとしています。ここいったやり方は、フェアーじゃないと思います。
参考のため、会長本物論が当時の学会では常識であったことを示す証拠をいくつか提示します。

**************************************************
 現在でいえば、社会それ自体。しかし民衆の犠牲のうえで成り立っている主徳を失った社会もあり、その民衆は不幸です。
 真に人々を根底から幸福にするには、妙法を根底とした社会以外にない。全日本を、そして、世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえていらっしゃる。
 師徳――眷属を指導する力
 師とは、知識を教えるのみでなく、智慧を開かせてあげる者でなければならない。現代の教育は、知識に終始した師徳なき姿である。
 以信代慧の妙法によらねば、真実の師徳はありえない。私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。
 親徳――眷属を慈愛する力
 親の愛は、相対的であり、子の発展をさまたげる場合がある。
 身命を惜まず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる。

(「講師筆記試験答案」から 大白蓮華41年2月号)
**************************************************

「池田先生こそ本門弘通の大導師であります。私達は、かかる希有の師と会うことのできた福運をかみしめると同時に、必ず師の心にかなう弟子として生涯を貫き、学会総体に久遠元初の生命活動を確立し、広宣流布達成を決意するものであります。」(八矢英世論文 文集「教学と私」第一巻)

「御書に「今日蓮等の類いは善の導師なり」(御書全集712㌻)とあるごとく、別しては日蓮大聖人こそ末法の大導師であられるが、総じて民衆を幸福へと指し導いていく指導者こそ、この「導師」「大導師」の今日的な謂でもあると明示。さまざまな世界の指導者のなかにあって、牧口初代会長こそ、真実の成仏即幸福の道を指し示し、広宣流布の大願へ民衆を導いていった指導者であり、大導師であると論じた。」
(池田会長指導 聖教新聞52年6月2日付)

それと、不幸な死に方をした大幹部は福島氏だけではありませんよ。

1266犀角独歩:2005/01/13(木) 21:35

死に方がどうのってなんて考え方自体、くだらないですね。
正しく生きれば、正しく死ねる、そんなこと自体、日蓮仏教が作った幻想の一部でしょう。
池田さんは脳軟化症だそうですが、別段、わたしは罰だと思いません。
反面、阿部さんは元気いっぱいだそうですが、その生き方には納得はいきません。

1267犀角独歩:2005/01/13(木) 21:44

関連しますが、死んで色が白くて、軽ければ成仏(大笑)
これって、白王主義という人種差別がもたらした取るに足りない迷信ですし、太っていた人が死んだ痕も重いのは当たり前、軽くなるはずはないわけです。
軽ければ天に近い、死んで天に行く非科学的な発想で、こんなものをいまだにいって、「ええ!そうなんだ」というのなら、まだしも「わたしは見た」とまるでいつも見ている様に騙る大嘘つきの数が、その集団のインチキ度と正比例すると思う昨今です。

昭和30年からリアルタイムに生きたわたしにとって、創価学会で池田本仏論を語っていたのは、愚鈍凡夫さんが言うとおりで、何も福島さんに限ったことではなく、また、仰るとおり、その責任のすべてを果敢にも一人でしょって討ち死にしたのも福島さんでした。ただし、死人に鞭を打つわけではありませんが、副会長当時も、やめたあとも、福島さんのあり方には、まったく賛同できるところはありません。池田さんの非を責める以前に、片棒担いだ自分の非を贖うことを考えるべきであったでしょう。
さらに言えば、作った講が仰いだ指導教師、つくづく師に恵まれなかった気の毒な人でもあったと思います。

1268犀角独歩:2005/01/13(木) 21:55

それから吉祥仙人さん(はじめまして)、あなたは本で読んだだけでしょうが、わたしはリアルタイムで見てきました。学生時代に受けた教授東洋教学試験では「主師親の三徳とは」という設問の模範解答は「池田先生のこと」という試験を受けた人間です。聞いた話ではなく、わたしが育った創価学会では池田本仏論なんて当たり前でした。

それとさらに言えば、現代の創価学会で「池田先生、絶対」なんて当たり前のことでしょう。あなたがそれを否定するのであれば、創価学会員としてはまだまだということでしょう。まだ観心も本流も知らない上っ面しか教えられていない程度のところでさまよっているということでしょう。文底釈も、奥義も知らない素人会員ということでしょうね(笑)

1269愚鈍凡夫:2005/01/13(木) 22:31

>>1266:
小生のカキコが犀角独歩さんに誤解を招いたとしたらあやります。済みませんでした。
m(_ _;)m ゴメン!!
言葉足らずでした(「いつものことやろ」 by外野席)。

小生は、人の人生は死に方ではなく、生き方にあると思っています。
したがって、死に方を人生の集約とばかりに喧伝する教団の姿勢に我慢できません。
また、死に方云々で人を測ることは、災害で不幸にも亡くなった方々を冒涜する行為でもあります。
奇しくも、今年は阪神淡路大震災10周年であります。神戸市内でもっとも被害の大きかった長田町は、創価学会員の方々が多く生活されていた場所と聞いています。
吉祥仙人さん、死に方で人の人生を測ることは、あなたの同志を冒涜することになりますよ。

1270愚鈍凡夫:2005/01/14(金) 05:55

>>1265の「会長本物論」は「会長本仏論」の間違いです(決してギャグではありません。悪しからず)。
m(_ _;)m ゴメン!!

おおいさん紹介の「池田大作本仏論」に出てきますが、実は、会長本仏論の先駆けは池田さんなんですよね。既に昭和33年9月14日の講演で、戸田さんのことを「仏さま」と尊称しています。

「仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです。きちんと21年先を目指して、そうおおせになったのだもの。先生が4年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。聞いておけよ。あと25年だよ』とおおせになったのだから。それから4年目だから、ちょうど21年です。というわけで、必ず広宣流布はできるのです。」(「会長講演集 第3巻」 初版P317)。

この21年後は、言わずと知れた昭和54年ですね。池田さんが会長を辞任した年です。
この会長本仏論に対しての、日達師の言い訳がましい発言が下記です。

**************************************************
なるほど学会では、「池田会長本仏などということを言った覚えは無い、学会ではそういうことは無い」と、こう言っております。しかしながら考えてみますと、一番初めは昭和50年前後でしたか、『火の国』という小冊子を学会のある一部の人で作った。その本に明らかに「会長が仏様である」ということを述べておりました。又、もっと古くは、最近分かったのですけれども、既に昭和38、9年ごろから「会長が仏だ」という話は出ておるんです。それを我々は知らなかった。

御法主日達上人猊下御言葉 妙観会の砌
*************************************************

個人的に日達師は、早くから創価学会で言われる「会長本仏論」を知っていたと思います。ただ、当時立場上、公にできなかっただけではないでしょうか。

「御法主日達上人猊下御言葉 妙観会の砌」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/1979/D54-04-03.html#1

1271犀角独歩:2005/01/14(金) 09:43

>1269

愚鈍凡夫さんのお考えと心情には賛成です。また、誤解して、とってもいません。(ご安心を)
あくまで、逝去の姿で判断する「恐怖操作」への憤りの範囲です。

それにしても懐かしい資料ですね。昭和50年代に目を皿のようにして読んだ資料です。
しかし、愚鈍凡夫さんが仰るように、達師は知っていたでしょうね。
わたしがいちばん不自然だと思うのは、模刻された学会成就本尊が本部に入仏式をやり、それを『聖教新聞』1面トップで報道もしていたわけです。それなのに、宗門は知らなかったで通したことです。当時、どの寺院でも『聖教新聞』は読んでいたはずです。

実際に達師に池田さんが口頭で許可を得たかどうかは別として、新聞で報道された段階でも気付かなかったというのであれば、母体・本山という立場からすれば、その段階で明らかに監督が行き届いていなかった。「石山700年の化儀」への冒涜であれば、その引責は達師にも及ぶところでしょう。まあ、そんなことで、知らぬ・存ぜぬだったのでしょうか。

わたしは模刻事件で学会を辞めた口ですが、いま考えると、池田さんや学会首脳は彫刻本尊の実態をその頃知り、「なんだ、そうだったのか。だったら、自分たちが勝手に本尊を作ったって、どうってことはない。何せ池田先生は、日蓮大聖人の生まれ変わりなんだから」なんて論調だったのかと想像しています。

正本堂に彫刻本尊を遷座する折、赤沢朝陽からAに、さらに下請けに出されて修繕された…、その際、聖教新聞社・カメラマンH氏が詳細な彫刻本尊の写真を撮影した…、腐朽し崩れ取れた彫刻本尊の木片をとある科学機関に持ち込み、放射年代測定を行った…、などという噂とも真実とも取れる情報が実しやかにささやかれた時期でした。もし、これらが事実であれば、その結果を池田さんと学会首脳が認知しなかったわけはないわけですね。

ここで始めて真実を知ったのでしょうか。しかし、国立戒壇といって800万人500億円近い金を集めて実際に正本堂ができてしまったあとの話です。いまさら、あとには引けないという思いが学会にはあったのでしょうか。それから、長いながい軌道修正がはじまり、いまもその道程にあるのだろうと思います。会員の不信感を惹起させず、上述の過ちから如何に軌道修正するか、そのことこそ、最も学会大本営が腐心してきたことでしょう。その時々に各会員に刷り込まれた口上が、どんなものであったか。時折、ここに書き込まれる学会・現体制を肯定し、言われたままを鵜呑みにし、それをあたかも‘自分の考えのように’にここに投稿する人々の心象で窺い知ることができるわけです。「ああ、いまは学会はこういう形で会員を納得させているわけだ」と。

外から見れば、こんなふうに操作されているんだと簡単にわかるわけですが、当の会員は自分の姿は見えないわけです。学会擁護の代理戦争の駒、歯車のひとつとして、どのように考えるかまで刷り込まれたプログラムで感情的になっているわけです。他愛ないというか、まあ、根が正直で素直な性格を利用されていることに気付くには時間はかかるでしょう。

まあ、そうは言っても、創価学会と会員は被害者である側面を持っている、そんなことを最近、夙に思い、軌道修正に纏わる、所謂「生みの苦しみ」に関しては、同情的な気持ちになっているのは事実です。学会員であった自分を騙したのは、創価学会だったのか、いやその創価学会もまんまと騙された当事者であったのであろうという認識です。

ただしかし、そうなると、「池田本仏論」なるものだけは、これは「学会の」(あくまで「」カッコつきですが)オリジナルの過ちということになるわけですから、この点を現創価学会が否定するのであれば、それは実に結構なことであるとも思うわけです。

被害者が加害者になる無限連鎖…、しかし、これがカルト問題の本質であるわけですが、まあ、こういう論法が学会を含む彫刻本尊信仰圏に当て嵌まるか・どうか…、これは各信徒のレスポンスと襟度で一般は判断することと言い添えておきましょうか。

1272吉祥仙人:2005/01/14(金) 20:54
犀角独歩さまへ
なるほど了解いたしました。
ただ、私が学生部当時は「会長本仏論」はすでに廃れもしくは破釈されて
いたようです。
過去の過ちを認め、懺悔するべきかもしれません。

1273吉祥仙人:2005/01/14(金) 21:08
愚鈍凡夫さまへ
同じく了解いたしました。

1274大勇者:2005/01/15(土) 19:23
遅ればせながら、
本年も宜しくお願い致します。
>>1271 犀角独歩さん 昨年は色々とご迷惑お掛けいたしました。

私は入会15年程度なので、その昔に「池田本仏論」が囁かれていたのかどうか
存じませんが、今のところ会員からは聞いた事はありません。
強烈な池田崇拝者は多く居られると私自身も感じます。

近年学会で説明されているのは池田本仏論ではなくて人間本仏論的な事ではないかと思うのは私だけでしょうか?
「我々も先生も皆が仏なのだ」と言ったような趣旨の話は聞かされる時はあるものですから、
これは、近年になってからの所謂、論理のすり替えだったのでしょうか?
皆様の御考察を伺えればと思います。

1275おおい:2005/01/15(土) 19:47
>1274
愚鈍凡夫さんが上げた資料を読んで言ってんの?

1276吉祥仙人:2005/01/15(土) 21:08
おおいさんへ
私も大勇者さんも、過去「会長本仏論」が無かったとは言っておりませんし
それは誤りだったと思っております。(大勇者さんそうですよね?)
現在学会でも「会長本仏論」は明らかな邪義とされています。
池田先生を広布の指導者と仰ぐのが本来の姿ですが、大勇者さんのおっしゃ
るとおり、個人的に崇拝する会員がいることも事実です。それは個人の趣味
のようなものと私は理解しております。
師弟ということを強調した場合、それが個人崇拝につながりかねない危険性
はあります。
しかし師弟とは師に盲従することではないと、学生部時代、指導されました
法華講では池田先生を誹謗するために、過去の遺物である会長本仏論をむし
かえし、邪見を広めていると言わざるをえません。
阿部日顕は自分こそ個人崇拝してもらいたくて伏せ拝を強要しています。
学会員は池田先生に伏せ拝などしません。

1277管理者:2005/01/15(土) 21:27

吉祥仙人さん

>1276 阿部日顕、乃至、池田先生

以前も議論になりましたが、阿部日顕氏は歴史上の過去の人物では有りませんので「阿部日顕」と呼び捨てするのは、聞き苦しいです。いわんや、その後に、対比させて「池田先生」ではなおイタダケマセン。日顕氏、日顕さん、程度の敬称はつけて戴きたいと存じます。今回は削除致しませんが、同じような表記が続くようですと、削除対象に致しますので、ご注意をお願いいたします。勿論、「池田」と呼び捨てする向きも同じく削除対象です。

1278吉祥仙人:2005/01/15(土) 22:20
失礼しました。反省し、以後日顕管長と呼ばせていただきます。

1279吉祥仙人:2005/01/15(土) 22:23
追伸
期待したとおり、実に真面目な掲示板で安心いたしました。

1280名無し@富士門流:2005/01/15(土) 23:13

横レス失礼します。

ここのところの議論と関連するかどうかわかりませんが、福島源次郎氏の「蘇生への選択」をパラパラと読んでいましたら、「『帰命論』の総括」と題する頁があり、そこには「『師への帰命』論は、当時の宗門が厳しく指摘するところの『池田会長本仏論』の最大の論拠としてもっとも強く批判されました。この件についてはいずれ稿を改めて総括をしたいと考えていますが、ここでひとまず断っておきたいことは、私は『先生』を本仏だとか大聖人の再誕と考えたことなど毛頭なかったということです。」と書かれていますね。

よく学会の方が、過去の「池田本仏論」なるものは福島氏の独創のように言いますが、その福島氏本人はそれを否定しています。
むしろ、当時の学会内での風潮がそうであったと言っています。

ま〜、どうでもいいことなんですけどネ。

1281大勇者:2005/01/15(土) 23:33
>>1275 おおいさん。
勿論、読ませて戴いております。 百禍繚乱も。
池田氏の揚々な発言も、仏性や仏界などの所謂 民衆主義や人間主義と言った学会の視点から見れば、
個人崇拝(池田教)の論証と破するのはフェアではないと思い愚見している次第です。

1282犀角独歩:2005/01/16(日) 00:02

創価学会のお二方。

15年やそこいらの短い時間ではこの問題はわからないでしょう。
なにせ、昭和3、40年代からの話です。すでに50年スパンの話ですよ。
いま言われていないなどというのは議論がずれています。
「日本は戦前から軍隊はなかった。なぜならば、現代の日本は軍隊を持っていないからだ」といううようなものでしょう。

わたしは創価学会を50年間、見てきたのです。
30年前、たしかに池田本物論は言われていましたよ。
わたしが中等部長になったときも、高等部衷心グループ長になったときも、その担当幹部は、「君は人材だから、特別に教えてあげるけれど、池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わりなんだ」、そう諭されたものでした。

なお、「フェア」云々というのであれば、「池田‘先生’」に対して、会ったことも、実際に話を聞いたこともない阿部さんのことを「阿部日顕」と呼び捨てにし、管理者さんから指摘を受けるような創価学会一般の論調こそ、フェアではないわけです。

過去のことをいまの現状で推し量って云々するほど、ナンセンスなことはありません。
夏に「日本では雪は降らない。事実、いま降っていないから」というものでしょう。
実に馬鹿ばかし、反論であると思うわけです。

ただし、吉祥仙人さんの真摯な前向きな議論の参加の仕方には、わたしは誠意を感じます。今後とも大いに語り合いたいと思います。

1283犀角独歩:2005/01/16(日) 00:05

あれ、いかんですね。
愚鈍凡夫さんと同じ打ち間違いをしてしまいました。
池談本物論は池田本仏論の間違いです(笑)

1284犀角独歩:2005/01/16(日) 00:17

名無し@富士門流さん:

『蘇生への選択』という、あの上っついた本で、福島さんが何を言おうと駄目でしょう。
あの人は『人間革命は現代の御書』と言って憚らなかったんです。
わたしは高等部時代、信濃町の青年会館で個人指導を受けたとき、「『人間革命は現代の御書だ。100回読みなさい」と指導を受けましたよ。御書は石山門で言えば末法の法華経でしょうし、それを説いたのは御本仏です。つまり、本仏:御書=池田:人間革命という関係にあるわけですから、池田本仏を言ったと捉えられても致し方がないことです。

また、当時、福島さんは副会長です。池田会長に次ぐ、副会長職に会ったわけですから、「福島個人が言ったこと」という弁明は成り立ちません。創価学会副会長の指導として公式な意味を持ちます。故に責任をとって辞職もしたわけでしょう。

…とまあ、記しても、名無し@富士門流さんにはどうでもいいことでしょうが(笑)

1285大勇者:2005/01/16(日) 00:26
>>1282 犀角独歩さん
「君は人材だから、特別に教えてあげるけれど、池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わりなんだ」
これはある脱会者のHPでも読んだことがあります。
そのHPでは、ある程度の役職まで行った者だけに特別に教えてあげるという様な、
陽動に使われているとの事でした。もしそうであれば、私などの末端が知らずに現在も囁かれてるのかも知れません。

信仰歴40年〜50年の会員の方からでも池田転生論は聞く事はありませんが。
幹部だけが知っていて秘密にしてるのでしょうか?笑える話ですね。
事実だとしても公開しない理論など信仰上無意味であると言わざるを得ません。

1286犀角独歩:2005/01/16(日) 00:43

大勇者さん、何をわけのわからないことを行っているのですか。
創価学会が公式発表以上に口コミで指導を徹底するのは周知の事実です。
ここでそういう見苦しい言い訳をすればするほど、あなたと、底から見える創価学会は不誠実と映るわけです。
なぜならば、福島さんも、また、愚鈍凡夫さんが紹介するHPに載る記事も、あなたが言う「信仰歴40年〜50年の会員」の言葉そのものであるからです。
わたしもまた、末端幹部であったといえ、昭和30年、生まれながらの創価学会であり、そのわたしが、ここにその転生論を書いているのに、聞いたことがないとはどこをよんでいるのかと言いたい訳です。
そのような、あなたの不誠実な会話に私は付き合う気はないと申し上げているわけです。

1287大勇者:2005/01/16(日) 01:14
>>1286 犀角独歩さん。
その口コミ指導は50年経っても未だ私の世帯には届いておりませんが。
不誠実な会話と仰りますが事実ですけれども。

悪意のあるプロバガンダなのかマインドコントロールの手法なのかどうかを判断する為の
見極めを考えるべきと言っているだけなのですが、「わけのわからないことを言っている」とは
非常に残念です。

1288犀角独歩:2005/01/16(日) 01:17

大勇者さん、あなたのところにとどいなかろうが、それが届いた数十万の人間が、それを届いて脱会したのは事実です。
プロパガンダとは、自分の見える範囲ですべてを決めるあなたにこそ、当てはまる言葉でしょう。
実際に愚鈍凡夫さんにしろ、その他に人々にしろ、資料は提示しているのです。
その資料は一切、無視で、自分の範囲などという態度こそ、残念です。

1289名無し@富士門流:2005/01/16(日) 01:18

犀角独歩さん、今晩は。

>1284

なるほど実体験からのお話しですね。
私などは福島氏のことは、この一書からしか知りえないものですから。

他所の学会系の掲示板などでは、「会長本仏論」は福島氏の独創のように語られていたのを記憶しています。
たまたま古本屋の100均コーナーで、「蘇生への選択」を見つけたので、学会員さんとも度々議論をする機会がありますので買っておいたものです。

ま〜、100円だからいいか!

1290犀角独歩:2005/01/16(日) 01:19

それに50年経っても、届くわけもないでしょう。数十年前に根絶やしになった話が、なんで居間、届くはずがあるのですか。
何を言っているのですか。

1291大勇者:2005/01/16(日) 01:21
また口コミ指導なるものを鵜呑みにするほど会員は愚かではないことを信じていることも
我見として付け加えておきます。

1292犀角独歩:2005/01/16(日) 01:25

名無し@富士門流さん。池田本仏論は、福島さんの独創という点については、愚鈍凡夫さん(たびたび名前を挙げて恐縮です)も挙げていますが、自作自演という見方もありますね。

その顕著な例が、蓮師縁の地に行った池田さんが、杉の古木かなんかに手をかけて「なつかしいな」といい、700年ぶりに、その場所と、その気の元に訪れたポーズをとった話は有名ですね。実際のところは、その木は数百年の樹齢しかなくて、笑い話になったというおちでしたが。

まあ、池田さんを笑いものにする気はありませんが、私の青春時代はこの手の話は事欠きませんでした。そんな実体験のある人間に「そんなことはなかった。話を聞いてない」と言われても、わたしとしては、単に実体験を記述しているのに過ぎないわけです。

いや、これはもちろん、名無し@富士門流さんに申し上げているわけではありませんが。

1293犀角独歩:2005/01/16(日) 01:26

口コミ指導を信じるほど、おろかではないのであれば、各会合で発表される新聞損他に載らない一切の指導を会員はまったく信じないことを意味します。
そんなことが現実的ではないことは会合に参加している会員であれば誰しもすぐにわかることでしょう。

1294大勇者:2005/01/16(日) 01:35
自分の範囲では「池田本仏論」なるものを聞いたことが御座いません。
これは事実です。
自分の範囲や体験を投稿して何か問題でもあるのでしょうか?

1295犀角独歩:2005/01/16(日) 01:39

> 1294

あるでしょう。
池田本仏論が語られていたのは、いまから30年前の話です。
それを今、聴いたことがないと言って、何の意味がありますか。

1296愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 01:40

帰命論で思い出したのですが、「小説人間革命」に同じような記述があったと思い、探してみたら案の定ありましたので、引用してみます。

「ギャグではありませんので、池田さんと山本伸一を重ね合わせないようにお願いします」(by 独り言)

**************************************************
――『革命は死なり。われらの死は妙法への帰命なり』と、書いた時、山本伸一は妙法に帰命すべきわが宿命と、使命を、深く強く自覚していたのではなかろうか。それは『最高の栄光ある、青春の生きゆく道』の自覚であったが、また未知への恐怖をはらんだ自覚でもあったろう。すなわち、彼がみすがら強行した革命であったのだ。それはまさに『革命は死なり』であった。つまり己の一切を空しゅうして、悔いない覚悟とは、戦後のあまりにも平凡な、無名の一青年、山本伸一の死を意味する。しかし彼の死は『妙法への帰命』であったのである。この革命を強行したもの――山本伸一は、すでに妙法の革命家として、蘇生していたのである。したがって、彼は、あらゆる悩みのなかから、この時、はじめて雄渾な勇気と希望とをいだくことがてきたに違いない。
 この若い革命家の『妙法への帰命』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである。

「人間革命 第3巻P182」より
**************************************************

「むむっ、自画自賛恐るべし。さすがに自分ではこうは書けないわなぁ」(by 独り言) (-"-;A ...アセアセ

おもいっきり「帰命論」→「会長本仏論」の流れですね。

1297犀角独歩:2005/01/16(日) 01:42

あと、1293に関しては、大勇者さん、なんか言うことはないのですか。

1298犀角独歩:2005/01/16(日) 01:46

面白い。

> 戸田城聖への帰命

換言すれば「南無戸田城聖」=「南無会長先生」=「南無池田先生」=「南無日蓮大聖人」=南無妙法蓮華経という脈絡ですね。

1299愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 01:47

訂正

誤→すなわち、彼がみすがら強行した革命であったのだ。
正→すなわち、彼がみずから強行した革命であったのだ。

です。悪しからず。 m(_ _)m

1300大勇者:2005/01/16(日) 01:48
『戸田城聖の指導する仏法への帰命』と読むでしょう。普通。
会長本仏論の根拠とは全くなり得ないと考えます。

1301犀角独歩:2005/01/16(日) 01:51

> 『戸田城聖の指導する仏法への帰命』と読むでしょう

では、なぜそう書いていないでしょうか。
そうやって言いかけ、書き換え、言い逃れする態度が不誠実だというのです。
過去の過ちは過去の過ちとして認めないからプロパガンダと言われるのでしょう。

1302犀角独歩:2005/01/16(日) 01:51

だいたい、「会長先生は仏です」という言葉がある以上、動きがたいでしょう。

1303大勇者:2005/01/16(日) 01:52
>>1293
口コミ指導に対して、資料による研鑽作業を行い確認する会員さんが
一般的と思われます。

1304犀角独歩:2005/01/16(日) 01:52

前の質問に答えないで人の揚げ足ばかりを取るのはやめなさい。
みっともないですよ、大勇者さん、学会に恥をかかせるもんじゃないでしょう。

1305名無し@富士門流:2005/01/16(日) 01:53

愚鈍凡夫さん、例の「人間革命」第3巻の記述は、現在出版されているもの(聖教文庫版P183)は「希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを」の部分が「稀有の師と一体となっての『妙法への帰命』であることを」へと改竄されています。

したがって、最近学会に入った方や最近学会に興味を持ちはじめたものにとっては、わからないのでしょうね。

1306犀角独歩:2005/01/16(日) 01:55

> 資料による研鑽

大勇者さん、資料というのは創価学会発信ばかりじゃないでしょう。
愚鈍凡夫さんが、挙げている資料を、では、あなたは何で少しも研鑽しないんですか。

1307犀角独歩:2005/01/16(日) 01:56

> 1305

正鵠を射たご指摘ですね。
このように捜査された結果が1301ですか。
手に取るように操作の次第がわかりました。

1308犀角独歩:2005/01/16(日) 01:57

訂正すると駒を取るので恐縮ですが、「捜査」は「操作」です。

1309大勇者:2005/01/16(日) 02:00
>>1301
全く言い逃れでもなんでもないと思います。
犀角独歩さんが悪意を持って読むからでしょう。ご自由ですが。
>>1302
「弘教を行う人は仏です」と言う言葉でしょう。
会長先生のみが仏だとでも?

1310犀角独歩:2005/01/16(日) 02:05

書き換えについて言えば、わたしは戸田さんのスピーチレコードを多数、所持していますが、いま学会が発刊する戸田さんの言行録はまるで書き換えられています。
この点は御書全集でもそうで、富士宗学要集でもそうです。

それを、いま観光されているものが事実であると見ると、過去の事実は何も見えず、今言われていること、自分が知っていることが正しいという短絡で終わってしまいます。

つまり、構成員はいつの時代もそうやってだまされてきたわけです。
その意味で、大勇者さん、あなたも騙された被害者です。
お気の毒です。事実を知るためには過去の資料を自分の努力であたるしかありません。
いま、聞いたこと、読んだことは改善されたものである認識をまず持つことです。
あなたは、書き換えられた資料を鵜呑みにさせられることによって、操作されているのですよ。

吉祥仙人さん、ロムされていますか。ここいらの本質を、どうか凝視してください。

1311愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 02:06

>>1300:大勇者さん。

> 『戸田城聖の指導する仏法への帰命』と読むでしょう。普通。

とは、読めないでしょう。普通。

何故なら、
「具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである。」
と書いてあるのですよ。「希有の師への帰命」、すなわち、「人間・戸田城聖」への帰命でしょう。
何度読み返しても人への帰命を言っている文章ですよ。

1312犀角独歩:2005/01/16(日) 02:07

わたしは、悪意など、持っていませんよ。

>1309はまた、いまのことで昔を推し量っていますね。

1313犀角独歩:2005/01/16(日) 02:11

>>1302
> 「弘教を行う人は仏です」と言う言葉でしょう。
> 会長先生のみが仏だとでも?

なにを勝手に言い換えているんですか。

会長先生が仏といえば、会長先生が仏。なんで会長先生を「弘教を行う人」と言い換えるんですか。

では、弘教を行う人はみんな会長なんですか。
そうじゃないでしょう。
あなたが折伏をすると、あなた、大勇者さんは、会長なんですか(爆笑)

1314大勇者:2005/01/16(日) 02:15
>>1312
先ず、「池田本仏論」なるものを語る学会員など稀有であることを
確りと認識すべきではありませんか?
何度も書きますがこれは、現実であり事実です。

1315犀角独歩:2005/01/16(日) 02:18

>1314

だから、それは今の話で、30年前のことじゃないと何度も言っているでしょう。
いま、それは修正されたのは結構なことだ。しかし、その代償として、池田さんは会長職を辞任したという歴史が動かないといっているんですよ。

1316大勇者:2005/01/16(日) 02:21
>>1311
人への帰命などと解釈している会員はいないでしょう。実際に。

1317大勇者:2005/01/16(日) 02:29
>>1315
だから何故、その30年前の口コミを語る末端の会員が私の範囲に居らないのかと言っているのです。
犀角独歩さんは幹部候補生だったのではないですか?
極一部の幹部の間での口コミでの話しなど批判の対象にならないでしょうと
言っているのですが。

1318犀角独歩:2005/01/16(日) 02:31

以下の文章のように池田さん自身が「池田会長本仏論」に触れ、『聖教新聞』にも掲載されたわけですから、最近、入会した会員がいくら「会長本仏論」がないと息巻いても始まらないでしょう。


池田大作著・聖教新聞掲載『恩師の二十三回忌に思う』
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/ikeda_toda23.html
(ジャンプが飛ばない場合は、上記アドレスをアドレスバーにコピペしてご覧ください)

1319犀角独歩:2005/01/16(日) 02:34

> だから何故、その30年前の口コミを語る末端の会員が私の範囲に居らないのかと言っているのです


その理由はいたって簡単です。会長本仏論にあきれ果ててみな脱会したからです。
創価学会は昭和63年に1650万人会員を正式に発表していました。
ところかが今は1000万投票を目指しているわけです。
意味するところはわかりますか。
創価学会は東京都の人口に匹敵する脱会者を出しているのです。
だから、30年前の口コミを語る人間は残っていないのです。
30年前からの会員でそれを語らないのは、その後、学会内で言われた口コミで言いかえをしてきた人間が現役会員だからだということを意味しているわけでしょう。

1320愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 02:38

>>1316:大勇者さん

名無し@富士門流さんが、>>1305で紹介されている書き換えられた文章しか知らない会員の方々には解釈できないかも知れませんが、小生が所有する「人間革命第3巻:第4版昭和42年3月28日)では、間違いなく、「具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである。」と書いてあります。
小生は、1962(昭和37)年入信ですが、長い間、会長本仏論は常識でしたよ。母によく、会長先生は天皇陛下よりも偉いと教えられました。
また、口コミで「池田先生は何でもご存じである」といった、"池田マジック"が末端組織まで流布していたものです。

1321犀角独歩:2005/01/16(日) 02:39

池田さんが「代々の会長を神格化などしてはなりません。とくに私は若くして第3代会長の任に就きましたが私などを絶対視してはならないし、かりそめにも、主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いることは誤りであり、絶対にあってはならないことです」と、なぜ記さなければならなかったと言えば、それは

*代々の会長を神格化したことが実際、学会内にあり
*私(池田大作)を絶対視し、主師親の三徳具備といい、本門弘通の大導師

といった事実があり、それを問題視された経緯があったからこそ、このような弁明があったという歴史を創価学会員は言い逃れせず、真正面から、見なければいけないということです。

1322大勇者:2005/01/16(日) 02:45
>なんで会長先生を「弘教を行う人」と言い換えるんですか

会長先生が弘教を行う人の一人だからでしょう。

>では、弘教を行う人はみんな会長なんですか

そうです。その通りです。みんな会長です。
(個人的意見であることはお断りしておきますが)

1323犀角独歩:2005/01/16(日) 02:48

1318のジャンプだと『聖教新聞』の紙面が出ませんね。
以下だと、出ます。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ikeda_toda23.html

1324犀角独歩:2005/01/16(日) 02:49

>1322

そうですか。これからは、では、あなたのことを会長先生と呼びましょう(大笑)

それで、わたしが示した池田さん本人の池田本仏論批判についてのコメントはどうですか

1325犀角独歩:2005/01/16(日) 03:07

会長先生、どうしました。
もう、言葉に詰まりましたか。
ただし、わたしは、あなたをやっつけることを目的にしているわけではありません。
しっかりと事実を見ない際と申し上げているわけです。
夜も更けました。わたしはいったん、寝ます。

しかし、この問題に関しては、わたしは一歩も引きません。
そのことだけは明言しておきます。
続きは徹底的に受けて経ちます。
では、お休みなさない。

1326犀角独歩:2005/01/16(日) 03:09

失礼、訂正します。

誤)事実を見ない際
正)事実を見なさい

1327大勇者:2005/01/16(日) 08:43
>>1325
それでは先ず、貴方が30年前に聞かされたという
「池田本仏論」なる言論そのものをご提示願います。

1328犀角独歩:2005/01/16(日) 09:39

> 1327

会長先生、論点をずらすのはやめなさい。
また、それら資料については、何度も繰り返しているとおり、愚鈍凡夫さんが提示しています。
また、30年前に池田本仏論があったことを池田さん自身が認めた『聖教新聞』の記事を載せているにもかかわらず、30年前に池田本仏論がなかったという論拠を、あなたは示すべきでしょう。なぜ、それらをないことのように書くわけでしょうか。

1329犀角独歩:2005/01/16(日) 09:43

会長先生、あなたは1324のわたしの質問に答えずに、質問をするのはルール違反です。
まず、答えることが誠意ある態度です。そうやって、自分に不利なものは無視して、話を変えてしまう議論の仕方は姑息であり、不誠実です。
繰り返します。

わたしが示した池田さん本人の池田本仏論批判についてのコメントをまず述べてください。

1330吉祥仙人:2005/01/16(日) 10:45
私が寝ている間に白熱の論議が戦わされていたのですね。
論点を整理すると、過去にあった=現在もある を認めるかどうか
にあると思います。
1319にあるとおり、会長本仏論に騙されたと思った方が退転して
現在の学会があるとすれば、少なくとも現在は会長本仏論を信じて
この信仰の根拠としている人は少ないといえるのではないでしょうか
私が最初に問題提起したのも、「どの掲示板を見ても会長本仏論なる
邪義を(現在の)学会員が全員支持しているように書かれるのは心外
です。」ということでした。
皆さんに確認したいのですが、過去の過ちを反省し、現在は
名誉会長は、(言い方は様々ですが)指導者である。
と言う事が現在の学会員の多くの常識であると言うことは、
認めていただけるでしょうか?

1331吉祥仙人:2005/01/16(日) 10:54
犀角独歩さんの1319を読み間違えていたかもしれませんが
実際、名誉会長が「現在の仏だ」と言われて信心したカルトな方が
名誉会長自らそれを否定したので退転したということはあり得るのでは
ないでしょうか

1332犀角独歩:2005/01/16(日) 11:03

1330 吉祥仙人さん:

> 過去の過ちを反省し、現在は
> 名誉会長は、(言い方は様々ですが)指導者である。

もちろん、そうですよ。
先に挙げた池田さんの『恩師の二十三回忌に思う』にあるとおり、率直に反省したという点は評価しているわけです。

池田会長本仏論などという実に愚劣な個人崇拝という歴史的な事実を秘匿したり、改竄されない限り、その反省は外部も真摯に受け止めるでしょう。

ところが、そのように池田さん自身が反省した歴史的な事実 ― 池田会長本仏論 ― が「なかったこと」のように記述することは、反省自体が反故となり、さらに歴史を改竄するというきわめて不誠実な態度であるわけですから、その点は認められないというのが議論の流れです。

現創価学会で池田さん自身が認めた「会長本仏論なる邪義」が撤廃されたことはたいへんにけっこうなことでしょう。

1333犀角独歩:2005/01/16(日) 11:18

1331 吉祥仙人さん:

>> 1319
> 名誉会長が「現在の仏だ」と言われて信心したカルトな方が
> 名誉会長自らそれを否定したので退転したということはあり得る

それはあるのではないでしょうか。
戦前、熱烈な天皇崇拝者であったわたしの母は、『恩師の二十三回忌に思う』を読んだとき、「敗戦で天皇陛下は人間したときは悲しかった。今度は、池田先生も人間に戻ってしまった。神様も、仏様も、人間に戻ってしまって悲しい」というようなことを言い、涙を流していました。

このような個人崇拝はしかし、池田さんの言葉にもある「代々の御法主上人は、唯授一人、その遣使還告のお立場であらせられると拝し、尊崇」という執行海秀師の言説を籍りれば、派祖本仏論、持住本仏論(宗派・本山のトップが日蓮聖人より、現状的な意味においては尊い、もしくは=の関係である)という中世教学の焼き直し、また、戦前の天皇崇拝を戦後民主主義社会で焼き直したカリスマ信仰として暴走したのではないのかという議論を、ここでしてきたと記憶します。わたしは、この分析はある面、正しいと思います。
ですから、カリスマ信仰、池田会長本仏論という歪んだ…、吉祥仙人さんの言葉を使えば「カルトな方」というのが、実は戦後、戸田さんから池田さんを支えた人々の大多数であったのが、過去の創価学会であったわけでしょう。

昭和20〜40年代の学会批判書を読めば、今で言うカルト団体批判となんら変わらない論調で創価学会は批判されています。それは単に創価学会を誤解したというより、当時の破竹の勢いの創価学会は世間一般、他宗からは「カルトな」様相として受け止められたとおりの有様であったことを物語っています。であればこそ、池田会長本仏論という邪義が蔓延する精神的な土壌が創価学会内に蔓延していたが故に、池田さんの『恩師の二十三回忌に思う』への反省まで転がっていったわけでしょう。その歴史的な事実を真摯に捉え反省するのであれば、池田さんを指導者にしようが外部から咎められるいわれはないでしょう。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ikeda_toda23.html

1334大勇者:2005/01/16(日) 11:51
犀角独歩さん
論点をずらしてなどいません。

「池田本仏論」を私は聞いたことも読んだことも御座いませんので、
貴殿が30年前に聞いたと言う池田本仏論なる言論なり論文なりを記憶で結構ですので
提示下さいと言っているのですが。

信徒団体の会長職は久遠本仏であるとの言論なのですか?
それとも池田大作氏なる人物は如来であるとの論ですか?

それとも自然派生した口コミ伝説に対して謝罪しただけなのでしょうか?

先ず、池田氏が本仏であるという理論を御書き願います。

1335犀角独歩:2005/01/16(日) 12:02

> 1334

あなた、くどいですね。
先に記したとおり、そのような資料が、愚鈍凡夫さんも挙げているとおり、枚挙に暇がない。また、実際にすでに示されているでしょう。示されているわけですから、それを見ればよろしい。それを読まず、頬かむりをして「ない」と言ってもはじまらないでしょう。
また、1329に再度、問うた点を何を避けているのですか。
答えなさい。

1336犀角独歩[TRACKBACK]:2005/01/16(日) 12:08

ここ何日間でも池田本仏論に関して、以下の提示がありました。
それにもかかわらず、聞いたことも・読んだこともない?、呆れた話です。

池田本仏論
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_6.html
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/r1265
「御法主日達上人猊下御言葉 妙観会の砌」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/1979/D54-04-03.html#1
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/r1296
池田大作著・聖教新聞掲載『恩師の二十三回忌に思う』
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/ikeda_toda23.html

1337愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 12:25

創価学会は、その急速な発展故に多くの不幸を生み出しました。
創価学会と世間との板挟みの中で自殺された方もいらっしゃいます。気の毒なことに、こういった方々は、創価学会に迷惑を掛けたとして死後も鞭打たれました。
現在の創価学会員の方々は、脚色された創価史ではなく、現実の創価史を真摯に学んで頂き、組織力と資金力による奢りから来る慇懃無礼な態度を改めてもらいたいと思います。そして、マインドコントロールの不幸を根絶してもらいたいと思います。
これは、特定の個人を指して言っているのではありません。小生の住む大阪の地にも、こういった創価学会員が沢山います。小生は、これからも、相手を無視した強引で無礼な布教活動には、断固抗議していきます。

1338大勇者:2005/01/16(日) 12:38
>>1336
全て二次資料としか思えませんが。

口頭による伝達であった為に、一次資料が存在しないのであれば
書き記して於いたらいかがですか?

1339犀角独歩:2005/01/16(日) 12:52

提示した資料の中で、取り分け、『恩師の二十三回忌に思う』は、『聖教新聞』昭和55年4月2日1面に載った一次資料です。その他、6・30についても同様です。
これらのどこが二次資料なのですか。

こうやって、あることをないという体質に、世間一般は危機感を感じ、不快感を禁じえないわけです。また、質問したことに答えず、一次資料を二次資料というなど、言い逃れして、自らの日を改めない団体と個人は、まったく信用できないものであり、議論そのものにならないわけです。

また、現時点でもまだ、、『恩師の二十三回忌に思う』という‘一次資料’に対するコメントはどうしましたか。答え‘られない’と判断しましょう。

1340大勇者:2005/01/16(日) 13:11
>>1339
1334で答えております。

「主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いること」が会長本仏論なのですか?
それによって大勢の脱会者が出たと?
管理責任を謝罪した文面であれば、一次資料とはなり得ません。

1341愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 13:40

**************************************************
 そして、牧口と仕事の苦楽を共にした時、この「主」は、実は自分の終生の「師」であることを悟ったのである。
 厳しい「師」であった。生涯ほめられたことは一度もなかった。しかし、年齢的にいっても、また、やさしい「親」ともなった。
 詮ずるところ、戸田は、いつか牧口という一人の不世出の教育者に、「主」「師」「親」を見いだし、純真に仕(つか)えたのである。
「人間革命 第2巻P269」
**************************************************

牧口さんは主師親の三徳具備でいらっしゃるそうですから、明確に「会長本仏論」を謳っていますよ。
そして、「人間革命 第3巻」では「戸田城聖への帰命」を説き、1966(昭和41)年の「講師筆記試験答案」では池田さんこそ主師親の三徳具備であると主張しています。これらは紛れもなく「牧口」→「戸田」→「池田」と連なる「会長本仏論」の継承ですね。
ちなみに「帰命」とは、「南無」のことであり、仏に対する絶対的帰依のことである。末法の正法の立場から言えば、「人」への帰命は御本仏日蓮大聖人(久遠元初の教主釈尊)、「法」への帰命は三大秘法の南無妙法蓮華経(文底下種の法華経)を意味し、人法一箇の御本尊であると創価学会員の時代に学びましたが、今の学会教学では違うのですか?

1342犀角独歩:2005/01/16(日) 13:43

> 主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いること」が会長本仏論

そうでしょう。
この文面は
「“会長本仏論”…指導者と仏…代々の会長を神格化…絶対視…主師親の三徳点…本門弘通の大導師」

と池田さんが会長本仏論の説明語として使われているわけです。
いま、創価学会の勤行観念文は変わりましたが、当時学会も使っていた観念文では「本因妙教主…主師親三徳…日蓮大聖人」と明確に示されています。主師親三徳は末法本仏日蓮大聖人のみを指す言葉でした。

あなたのいう弘教をする会員がみな会長だなどと、会内でも失笑を買うことを言って憚らないようでは、このような意味は取れないでしょう。話になりません。

1343名無し@富士門流:2005/01/16(日) 14:14

ま〜、学会さんは人の入れ替わりが激しいのか、「現当二世」で過去のことはふりかえらないのか、とにかく過去の明確な学会出版物から引用しても、事実を事実と認めないところがありますよね。

以前私も、「国立戒壇論」で散々学会員さんともめたことがあります。

顕正会の浅井氏の「国立戒壇論」を田中智学師の戒壇論の焼き直しと批判しながらも、こちらが戸田会長の講演集などから、全く田中智学師と同じ戸田氏の話しを引用しても、トンチンカンな解釈をして返してくるというのが通例でしたね。

戸田氏は明確に「日蓮正宗を国教として、天皇も帰依し戒壇を建立するようになった場合、戒壇の御本尊さまをどこの宗派がだせるか。」(『大白蓮華』昭和35年1月号P22)と述べ、日蓮正宗の国教化を主張しています。

ただしその公演内容は、『戸田城聖先生 講演集』(上巻P308)では「この日蓮正宗に、天皇も帰依し、国立の戒壇を建立するようになった場合 、戒壇の御本尊様をどこの宗派が出せるか。」と改竄され、さらに『戸田城聖全集』(聖教新聞社版第4巻P164)では「この日蓮正宗に、天皇も帰依し、本門の戒壇を建立するようになった場合 、戒壇の御本尊様をどこの宗派が出せるか。」へとさらに改竄されました。
したがって「なかったのではなく」、現在の学会員さんには殆ど知られることがなくなっただけのことなんですけどね。

1344犀角独歩:2005/01/16(日) 14:29

そうなんですよね。明確な文章を引用しようが何しようが言い張っておしまいです。
まあ、大勇者さん辺りはそれでも口汚い人身攻撃をはじめないだけ、まだ節度はあるということでしょうか。

この不毛のやり取りはしかし、ここ創価学会スレッド、または顕正会スレッドの特徴をなします。それは要するに、そういう統計的性格を学会なり、顕正会なりをやっていると知らず受け継ぐことになるということでしょうか。宗教‘団体’信仰を卒業した側としては、「やめてよかった」と思う瞬間です。

1345愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 15:01

今の創価学会の実態は、聖教新聞と大白蓮華の発行部数から推測して、実数500万人(幽霊会員を除く)を超えることはないだろうと思いますが、創価学会と関連した掲示板などを覗くと、感情的で非論理的な主張が多く、読むに耐えないレスが多いです。これでは、後戻りのできないITの時代に醜態を晒すだけで、益々会員数が減っていくだけだと思います。
創価学会の歴史の改竄は、池田さんが7年周期説という法華経や御書にもない奇妙なことを言い出したことに始まると思いますが、ここらで一度、学会史の総括をするべきだと思います。このまま改竄のパッチワークを続けていくと、現実離れした虚構の楼閣に学会員を閉じこめてしまうことになるのではないでしょうか。

1346邪教:2005/01/16(日) 15:05
女優・杉田かおるの衝撃告白
http://www.weeklypost.com/jp/99082027jp/brief/opin_1.html
17歳の時から熱心な学会活動を続けてきた女優・杉田かおるーー。
今から4年前、彼女は自ら「退会届」を出して訣別したが、そのことすら
公表せず、過去の活動についても固く口を閉ざしてきた。だが、今や状況
は変わった。誰かが話さなければならない。重い義務感から、彼女は自分の
知りうるすべてを明かす決心をしたーー。

「私はある時期までは信者であることを恥じたことはありませんでした。
自分がこれだと信じるものを他人にわかってもらいたい。そう思って積極
的に布教活動を行ないました。でも、ある時期から創価学会は変質してい
きました。それは、自分の信心が足りないからだと思いこもうとしました
こともあります。しかし−−。私は“広告塔”という立場にいたことで、
一般信者が見られない裏側を見てしまった。そこで、目にしたのは、純粋
な信仰とはほど遠いものでした。結局私は、4年前に創価学会を脱退しま
した」

1347犀角独歩:2005/01/16(日) 16:07

以下、主師親三徳に関するかつての創価学会の公式見解(一次資料)をそのまま、掲載しているHPがありました。(この際と、ならびに管理者とわたしは無関係です、念のため)参考に紹介しておきます。


「教学上の基本問題」について(6・30)
四、帰命・主師親三徳・大導師・久遠の師
http://norimaki.faithweb.com/kimyou.htm

上記ページの上部ディレクトリーは以下のとおり

特別学習会テキスト
http://norimaki.faithweb.com/gakuindex.htm

※この内容は、『聖教新聞』に掲載され、さらに特別額集会テキストとして小冊子にまとめられ会員に配られた創価学会の公式文書です。ここにかつての創価学会の実像があります。(いまはもちろん、大きく変化しています)

1348犀角独歩:2005/01/16(日) 16:09

> 1437

急いで打ちましたので、また、間違いがありました。
お詫びし、訂正します。

誤)この際と、ならびに管理者とわたしは無関係
正)このサイト、ならびに管理者とわたしは無関係

誤)特別額集会テキスト
正)特別学習会テキスト

1349彰往考来:2005/01/16(日) 16:30
横レス失礼します。だいぶ活発な議論がなされているようですね。
自己紹介ではありませんが、私のHNは彰往考来(しょうおうこうらい)です。
過去を彰(あきら)かにして未来を考えるという意味です。その観点から今回の議論を見るならば、昭和47年から昭和53年頃までの創価学会出版物を紐解けば池田会長本仏論なんてゴロゴロしています。
少なくとも当時指摘された一番古い会長本仏論とされたものは、>1265で紹介されている『大白蓮華 昭和41年2月号』に掲載された「講師筆記試験優秀答案」でしょう。そこでは、「主師親の三徳を現代生活の上から説明しなさい」という問題に対して「池田先生のみ現在において主師親三徳でいらっしゃる(要旨)」とあります。個人がどのような考えを持とうと自由でしょうが、それを会内の機関誌に優秀答案として載せているのですよ。これは一次資料でしょう。組織としてそう考えていたということです。ある副会長ひとりの勝手な考えではありません。なおこの件では主師親三徳具備のお方は日蓮大聖人のみということを当時指摘を受けた創価学会も確認しています。念のため。
>1323にあるように昭和55年に創価学会が路線変更をしたので現在はきっとその片鱗もみられないのです。国立戒壇も同じです。確か昭和47年でしたっけ、創価学会が路線変更をしているわけです。従って若い会員の人はそんな事実があったことすら知らないという人もいるわけでしょう。けれど私を含め当時嘆き苦しんだ人は決してその怨念を忘れることはできないと思いますよ。命をかけていたし、人生を左右する決断をしてきたのですから。

>1322
大勇者さん、あなたのこの考えは間違っていますね。日達猊下のお言葉を紹介しましょう。創価学会と日蓮正宗は別れましたけれど、現役の創価学会員で日達猊下の御本尊を拝んでいる人はいっぱいいるし、現在の創価学会の論調をみても日達猊下のお言葉に対して否定してはいないのだから聞く耳はあるのでしょう? 下記の文章で“仏”を“会長”に置き換えれば成り立ちますよ。そりゃあそうです。下記の文は会長本仏論の破折なのですから。
「昭和49年6月18日 於 大講堂
誰れ誰れが仏であるという言葉もこの近所で聞かれるのであって、私は非常に憂慮しています。
成程、もし誰れ誰れが仏であるというならば、それは我々は、みな全部仏であります。
それは理の上からそうなります。
しかし、我々の宗教の、信心するところの仏ではない。
我々は、凡夫が、体の仏であるということは、御書にはっきり書いてあります。その体の仏を以て、どこまでも仏だといいふらしていくならば、大変間違ったことになります。」

今回の件で手持ちの資料を調べると、『北条報告書』が出てきました。懐かしいですね。久しぶりに『慧燈 第8号』の「極秘文書『北条報告書』の背景を探る」を読みました。花野師はこれで日顕管長の逆鱗にふれ、『慧燈』は廃刊になったのでした。歴史は繰り返す。まさに“彰往考来”です。

1350彰往考来:2005/01/16(日) 16:39

>1349 自己レスです。
参考資料を打ち忘れました。

<参考資料>
『蓮華87号の正しい読み方資料』(昭和53年、大村一生)
『創価学会言論資料集』(昭和53年、浄信寺)
『特別学集会テキスト』(昭和53年、創価学会)
『6・30 11・7を理解するために』(昭和54年、常光寺)
『慧燈 第8号』(昭和55年、大白法編集室)

1351彰往考来:2005/01/16(日) 16:41
>1350

たびたびすみません。訂正です。

誤:特別学集会テキスト
正:特別学習会テキスト

1352大勇者:2005/01/16(日) 18:39
彰往考来さん

ご指摘ありがとう御座います。
>1322はお詫びして撤回致します。感情的なレスでした。申し訳ありません。

主師親三徳には高低浅深があります。私はこの考えには概賛成と考えて居ります。
一切を衆生を救う最高の三徳を具備する本仏は久遠元初の自受用身即日蓮大聖人しかおりません。
会長が本仏であるとの論は会長が日蓮大聖人であるとの論になります。
このような転倒した論議が30年前に大真面目に語られていたなどとは俄には信じ難いのが
心境なのです。
また、この議論により多勢の脱会者が出たと・・・
そんなバカバカしい事が有り得たのでしょうか?
もし有り得たのであれば、その「池田本仏論」なるものはよほど奥深い教義なのでしょう。
全く理解出来ません。

>犀角独歩さん。
不快な思いをさせてしまったと思います。
お詫び申し上げます。

1353吉祥仙人:2005/01/16(日) 19:07
 創価学会と池田先生は無謬であると、学会員は信じたいのです。
信じるものは確かに正義であってほしいのです。
 大勇者さんには、根性無しの壮年部と怒られそうですが、過去の
過ちは認めなければならないでしょう。
 だからと言って私の信心が揺らぐものではありません。現実の体
験=現証が、確信を与えてくれています。
 ただ、私が繰り返し言いたいのは、現在「会長本仏論」は明らか
な邪義と多くの学会員に認識されていると言うことです。

1354吉祥仙人:2005/01/16(日) 19:12
 大勇者さんへ
 書き込みを考えているうちにあなたのスレが先に出ました。
 余計な文が入った事をお詫びします。

1355愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 20:40

下記のHPを読んでいたのですが、創価学会に言えることは、脱会者の受け皿と化した法華講にも言えるのではないかと素直に思ってしまいました。 ( ̄Д ̄;;
五十歩百歩でどっちもどっちと思うのは小生だけだろうか・・・・・。 (ー_ーメ)

「第四章 創価学会の体質」
http://homepage3.nifty.com/y-maki/syakbk/025.htm

1356大勇者:2005/01/16(日) 23:20
吉祥仙人さん
はじめまして。

お詫びなさる様な事ではありません。
是非、御指摘御批判頂ければと思います。

私は信仰に於いて重要なのは、それが自身、家族、社会、果ては人類にとって
価値が大か小かの評価だと考えております。

人間革命なる「小説」は一読しておりますが、新人間革命は読んでもいない名ばかりの
学会員です。
吉祥仙人さんに学ばさせて頂ければと思います。宜しくお願いします。

1357単己:2005/01/17(月) 05:55
池田本物論が話題になっているようなので、自分の思い出を一つ。

池田本仏論は自分が学生部の時にも活動家の間では暗黙の了解として存在していました。
信心が深まれば深まるほど、日蓮再誕として池田さんを崇拝するのが当然という風潮でした。恐らく今でもそうだと思いますが。
およそ20年ほど前になりますが、「日顕上人猊下を仏法の大導師として帰命しよう」と、聖教新聞や大白蓮華で指導されていた頃です。
しかし、実際の会合での幹部の指導ではあくまで「池田先生根本」でした。日顕さんや宗門なんて幹部の口から出たことは無いですね。
池田さんへの個人崇拝の深さがそのまま信仰の深さという事でした(漫荼羅本尊への信仰心ではありません)。
正直、こういう風潮というか学会の「流れ」は抵抗がありました。大小色々会合があっても、信仰の話をしている人は稀でした。ほとんどが池田さんに対する忠誠心・崇拝を煽る話でした。

また、学生部の中でまことしやかに口コミで流れていた事の一つに、「学会歴代三代会長と日蓮・日興・日目の事跡を追っていくと、日蓮・日興・日目の流れが池田・戸田・牧口とピタリと当てはまる」。
つまり、牧口=日目、戸田=日興、そして日蓮=池田さんということになるということでした。本弟子方が大聖人(=池田さん)の再出現のために露払いをするという図式です。

もっとも、どのくらいの範囲でこういう話が流れていたかは分かりません。ただ、こういう話が会合終了後の雑談の中で語られていたのは事実です。

1358彰往考来:2005/01/17(月) 07:50

>1352
大勇者さん、

わかっていただいたようでありがとうございます。
お互い前向きな議論をしましょう。過去の過ちを繰り返さないためにも。
まあ、「池田本仏論」という極めてバカバカしい議論があって、大量の脱会者
がでたというのは、おる面では真実でしょうね。もちろんこんな単純なもの
ではありませんでしたが。>1357でご指摘されているような話はいっぱいあ
りますよ。「池田先生に帰命するんだ!」とかね。

1359彰往考来:2005/01/17(月) 07:52
>1358

訂正です。

誤:おる面
正:ある面

たびたびのミスを深くお詫び申しあげます。

彰往考来   拝

1360犀角独歩:2005/01/17(月) 08:29

> …三徳を具備する本仏は久遠元初の自受用身即日蓮大聖人

そもそも、この考え自体、中世以降の捏造教学であり、日蓮その人とはまったく無縁のものであること、漢訳仏教の恣意的翻訳操作の問題、さらに法華経に留まらず、すべて大乗仏典は、釈尊とは無縁の創作仏教物語である…、という幾重にも折り重なった多くの問題を、日蓮門下は抱えていることを留意しなければならないわけです。

> …会長が本仏であるとの論は会長が日蓮大聖人
> …転倒した論議が30年前に大真面目に語られていた…
> また、この議論により多勢の脱会者が出たと・・・
> そんなバカバカしい事が有り得たのでしょうか?

ええ、事実です。
ただ、そのようなことを「バカバカしい」と思う学会員が、そのまま、会に居続けられるようになったことは、大変にけっこうなことであろうかと存じます。

しかし、実際、現在でもそう信じている人たちは確かに存在するでしょう。
宗門から離脱し学会にいった僧侶の中には「池田先生が袈裟衣を着れば日蓮大聖人」と語った話は石山ではまことしやかに語られていました。


ただし、指導者を神仏の再誕とする論は、池田さんとその周辺に限らず、いつの時代でも、集団化した人々に動かす基本原理となってきたものでした。天台を小釈迦といい、また、聖徳太子信仰もそのような影を持ち、伝教崇拝も天台再誕説を孕むわけです。保田教学では、中興の祖・要師を目師再誕と見做していたことが我師『申状見聞』から仄聞できます。

石山ではそもそも、蓮師と釈尊を同一仏であるとする考えは寛師に見られ、ひいては久遠元初自受用報身如来と看做すことも、これまた再誕論であることは、殊に日蓮本仏論者は意識しなければいけないわけです。大勇者さんの言を籍りれば、一般の日蓮門下すれば、さらに社会一般からすればまことに「バカバカしい」と映ずる教義であることを知らなければなりません。

沸騰した熱烈な個人崇拝が、それ以前の宗教、もしくは教義から派生するとき、必ずや原型となった崇拝対象との同一視が生じ、そして、再誕論がまことしやかに語られてきた…、それが古今東西、人類が紡いだ歴史の現実であり、石山は言うに及ばず、興師門下、そして、近代では創価学会もその例外ではなかったということです。

1361犀角独歩:2005/01/17(月) 08:30

―1360からつづく―

なお、吉祥仙人さんが

> 私の信心が揺らぐものではありません。
> 現実の体験=現証が、確信を与えてくれています

が記されておりますが、このような発言は得に創価学会に限らず、石山でも、顕正会でも、もっと言えばあらゆる宗教で、信者は誰しも口にすることです。ことさら、特別なことではありません。換言すれば、「体験」は宗教の真価であるけれど、真実とは無縁のものです。人間という動物は、架空の出来事を事実のように実感できる想像力を発達させています。まったくの虚構、演技に過ぎない映画、演劇、テレビ番組を見て喜怒哀楽に浸れる心理構造は、宗教が与える感動、もしくは体験と密接な関係にあるのでしょう。
社会心理学で言えば「個人的リアリティ」と言われるところです。

ただ、では功徳、祈願成就はどうであるかという問いが生じます。これまた、宗教の数だけ、功徳(御利益)と罰も同じ数あります。どの宗教でも功徳はありますし、罰もあることは宗教全体を見渡せば、すぐに気付けることです。
つまり、これは信仰心は人間の能力を最大限まで活性化させるものであることを意味し、実は、その能力は、特定の集団、教義、本尊、指導者によって与えられたものではなく、個人に帰属するものであるということでしょう。

それを集団・指導者に対する恩義であるとするような心理操作は、宗教集団の「営業」トーク以上の意味を持ち合わせていません。

宗教集団・指導者信仰から脱却し、元来の宗教信仰に回帰するべきだと指摘したのは宗教病理学の専門家でもある小田晋師でした。今の創価学会員からすれば、これまた仰天することかもしれませんが、師は三障四魔教説を元に妄想を発症した創価学会員である精神障害患者を研究し論文を発表しています。

http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/open/ol001_takahasi.html#04e
(参:http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/01/01_106.htm )

いずれにしても、創価学会がカリスマ信仰から脱却した信仰形成を移行し、池田会長本仏論が過去のこととなることは、むしろ、歓迎すべきことなのでしょう。先んじた国立戒壇論の放棄は、800万人・500億円に及ぶ散財を会員に強いた点は精算されることはありませんでしたが、ラジカリズム、ファンダメンタリズムからの卒業としては意味がありました。しかし、冒頭に陳べた日本仏教集団が共通して持つ難問のクリア、さらに特権階級化した指導者ファミリーの世襲制問題、蓄財など、社会的悪評をどうクリアするか、まだ創価学会には問題は山積していることは、会員は、もっと深刻に捉えるべきであるとわたしは考えています。

1362大勇者:2005/01/17(月) 10:59
単己さん
>>1357 の御投稿の如くは現在でも多いに行われております。
私は学会内のある人材グループに属しておりますが、この中での指導の基本は
学会内でのエリート意識を持たせ実動させるというものだと感ます。
あくまでここでは「池田本仏論」ではなく「徹底した師弟論」に終止します。
この「徹底した師弟論」の事が「池田本仏論」なのか?「池田本仏論」からの摩り替えなのか?
については疑問に感じておりました。
研鑽資料は「小説」と「新聞」が殆どであり物足りなく思っておりました。
青年部のこの「先生の勉強会」を早く卒業して壮年部へ行きたいのが素直な本音でおりましたので、
壮年の方々に実は「池田本仏論」容認者が多く残っているとすれば、残念に思います。
吉祥仙人さんのような考察のかたが主流である事を期待します。

1363大勇者:2005/01/17(月) 11:22
犀角独歩さん
>そもそも、この考え自体、中世以降の捏造教学であり

私は捏造とは考えていません。
文底秘沈と拝するかどうかだと考えています。
これを捏造と断定するならば大乗仏教そのものが捏造の塊になってしまうと思います。

日達師は

一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、
竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。

ここの「しづめたり」は真筆こそないものも、日興師以降より「ひしづめたり」と
と拝し読んで来ていると仰られております。

1364犀角独歩:2005/01/17(月) 11:38

大勇者さん:

あなたがどう考えるかは勝手ですが、この件については、当板では徹底した議論してきたことです。これはまた、どう考えるかではなく、事実はどうかという問題です。単に言い返すのではなく、もっと過去ロムを読み込んでから反論するなら反論しなさい。

また、言われるまでもなく達師の言などもとより承知です。
文底秘沈をしたのはしかし、一念三千であり、寛師はこれを法華経・寿量品・文底と三重に配したという初歩的なことは知らないわけはありません。その前提で、捏造であると言っているのです。

なお、大乗仏典は「捏造」ではなく「創作」です。
まだ、こんな幼稚な言い返しをする人がロム者にいるとはまったくもって驚きです。
程度が知られるというものですよ、もっと勉強して出直しなさい。

1365大勇者:2005/01/17(月) 22:48
>>1364
ずいぶんな御返答ありがとう御座います。

仰る通りにもっと過去ロムを読み込んで勉強致します。
確か「文底秘沈」をどこまで遡れるかについては結論付けてないと思いましたが
再度ロムって見ます。

久遠元初の自受用身即日蓮大聖人については、そのように拝するという
私の考えですので勝手にします。
「本仏」は捏造したり創作したり出来るものではありません。

1366犀角独歩:2005/01/17(月) 23:02

> 「本仏」は捏造したり創作したり出来るものではありません

本仏は捏造できなくても、本仏という教義はいくらでも捏造できます。
それが石山から学会にいたる日蓮本仏という教学の系譜です。

なお、真蹟遺文中には自受用身なる言葉自体出てきません。
真偽ごちゃごちゃになっている御書を全部本物であると鵜呑みにした最初の一歩で躓いているわけです。

要するに基礎の基礎がまるでできていないということです。
腹を立てる前に自分の教学とはどんなものであるのか、よく反省してみることです。
正直、言って、ここの掲示板でやり取りする水準にはまるで達していません。
小学生が大学の講義に出ているようなものです。
これを悪口ととるとか、忠告ととるか、現実と取れるかで、今後の進展は大きく変わることでしょう。

健闘をお祈りするばかりです。

1367吉祥仙人:2005/01/19(水) 20:46
 横から失礼します。
 過去の書き込みを勉強させていただいておりますが、現在400代です。
正直言って誠、小学生が大学の講義を受けている如くです。
 いずれ、論議に参加させていただきたいと思います。
 特に、現実に生きていくうえの功罪について

1368犀角独歩:2005/01/19(水) 20:58

吉祥仙人さんのことも、わたしは、楽しみにお待ちいたしております。
当スレッドばかりではなく、『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』ほかも、当板ので議論されてきた内容を知るうえで一読されることをお薦めします。

1369通りすがる:2005/01/20(木) 20:38
あるHPに、保田妙本寺の、鎌倉日桜師が日達上人は
毒殺されたというようなこと書いてありましたが
日達上人に死に際はどんな、様子か知ってる人いますか?

1370吉祥仙人:2005/01/20(木) 21:13
 山崎正友氏が日達上人を接待し、クルーザーで舟遊びをしている最中
体調を崩し、富士宮の病院で急死されたと理解しております。

1371邪教:2005/01/20(木) 21:29
な〜〜〜〜か、ハイソなレジャーをおたのしみだったのですねえ。

1372通りすがる:2005/01/20(木) 21:50
吉祥仙人さんその病院はどんな病院ですか?

1373吉祥仙人:2005/01/20(木) 22:11
 フジヤマ病院と言う名前しかしりません。

1374吉祥仙人:2005/01/20(木) 22:15
 詳しくは検索してみてください。

1375おおい:2005/01/20(木) 22:19
最近、日顕さん落しで学会も顕正会も連合してるみたい。
暮れの11月15日付け『顕正新聞』のまんま、吉祥仙人さん。
学会も顕正会も同じ出どこの情報によってんのかね。ふうん。

1376吉祥仙人:2005/01/20(木) 22:27
 おおいさんへ
 もし、私の書き込みが誤解、あるいは操作された情報に基ずているなら、
どうか事実を明らかにしてください。

1377吉祥仙人:2005/01/22(土) 21:25
 誤解、あるいは操作された情報に基ずいて
訂正
 誤報、あるいは操作された情報に基づいて

1378愚鈍凡夫:2005/01/22(土) 23:38

横レス失礼します。
ネットで検索掛けたら、こんなんヒットしました。 ((( ;゚д゚)))アワワワワ

**************************************************
●国賊地口太昨「創下学園」を斬る
と、言う題の本を読んでみました.
-----------------------------帯から
(コダイ悪魔教に日本を売る)
国賊地×太昨「創×学園」を斬る 太田龍 (泰流社)

地口創下学園はコダイ悪魔教から、日蓮法華経信仰を破滅すべき任務を与
えられている!!
彼らが本当に信ずるのは「ルシファ=悪魔」であり、
日本民族はこの「黒魔術の力」に気づかねばならない.(よう書くわい)

序章  人々を餓鬼界、地獄界に引きずり込む悪魔教、創下学園
第一章 法華経の敵、池口太昨の正体は?
第二章 「フランス大革命」を礼賛する地口太昨創下学園の犯罪
第三章 「東京裁判(コダイ米英多数派判決)史観」の枠組みの中に
    法華経信仰を取り込もうとした池口創下学園の罪
第六章 地口太昨の、日蓮正宗、細井日達法主「毒殺」事件を推理する.
----------------------------ここまで
第六章 六、(より抜粋) P.121
五つの問題点
(1)日蓮法主の創下学園青年部による強制連行(誘拐).
(2)その2時間後、不慮の事故(毒殺と推定).
   (創下学園には、学園員の医師による「ドクター部」と称する組織がある.
(3)一ヶ月後、問題の医師の変死.(確か、その妻も変死)
(4)事件の下手人と目される青年部員の大幹部への出世.
(5)鎌倉日桜師が「細井日蓮法主は毒殺された」と明言していると伝えられる.
以上.
**************************************************

「なっ、なんやねん。これは・・・・・」(by 独り言) ( ̄Д ̄;;;

Re: リンク付け足し〜日蓮正宗、細井日達法主「毒殺」?
http://www.asyura.com/sora/bd13/msg/561.html

1379通りすがる:2005/01/23(日) 07:55
やはり、日達上人の死には、疑問があるんでしょうか
シアトル事件の、主役、クロウ夫人の死も疑問がりますよね

1380吉祥仙人:2005/01/23(日) 09:07
 愚鈍凡夫さま
 あわわ・・・な本ですね、本当にあれば
 誰がどんな掲示板に書き込んだか知りませんが、ネットに書き込む上で
ありもしない本の目次をでっち上げたとしか思えませんね。
 2ちゃんねるあたりに氾濫する下品な書き換え(誤植)のオンパレード
 人の死という厳粛な事実を憶測で勝手にいじくりまわす。良識のかけら
でもあれば、できないことです。
 愚鈍凡夫さまともあろう方が、この掲示板に引用する価値を認めたとは
驚くしだいです。お酒でも飲まれていたのでしょうか。

1381祝8郎:2005/01/23(日) 14:20
その本は、ずいぶん前に池袋法道院前の仏具屋にも平積みで置かれていましたね。
ネタ元は犀角独歩さんが旧知の南条白山とか高橋公●の弟のはずです。
オ●ムのネタ本にもなったトンデモ本で、一部の正宗寺院の受付でも売られていたのを見ています。

1382犀角独歩:2005/01/23(日) 15:02

> 1381

いえ、わたしは南条白山さんと旧知というわけではなく、わたしが当人に出した手紙を、こちらに確認するわけでもなく、『アサヒ芸能』の自分の原稿で勝手に使われただけです。また、彼は『福田』かなんかに「福島源治郎さんと男子部時代に知り合いで家に言った」とか何とか、親密そうに書いていたので、本人に確認したら「そんな人は知りません」とのことでした。そのまま、彼に伝えたら、釈明文を送ってきたことがありました。ちなみに福源さんの勉強会に、わたしは参加したことがありましたが、全体的に僧侶蔑視、教学が浅薄と窺え、その感想を率直に述べるとなんだか不機嫌になったので、それ以上、得るものもないので、物別れになった…という過去の一幕がありました。

なお、該当書は、わたしは読んでいません。
ここいらの人が書いた本は、わたしはなにも参考にしません。
これらの学会批判は過去の遺物、これからは島田師や、『AERA』のような学会考察が主流になるでしょう。マッチポンプ、真ん中には行って騒ぎを起こしては、利ざやを得るような低俗な手練手管が通用する時代は終わりです。

愚鈍凡夫さんの紹介は、シニカル・ユーモアの範疇ということだと思いますね。

渡辺昇一師は『日本史から見た日本人・古代編』(祥伝社)のなかで、
「自分の国の悪口ばかりを言っている人を活動させておくこと自体、現在の日本が高い文明状態にあると思い、それを誇りに思っている」(P7)
と書いていました。わたしは、この件が好きで、創価学会も、石山も、これくらいの懐の深さを見せれば、成熟した団体であると世間から思われるものの、という感慨を新たにする昨今です。

1383彰往考来:2005/01/23(日) 15:53

自己レスです。

1349で国立戒壇に関する創価学会の路線変更について、

>確か昭和47年でしたっけ、創価学会が路線変更をしているわけです

と書きましたが、これは記憶によるもので、正確には昭和45年と思います。
昭和45年5月3日の第33回本部総会での池田会長(当時)指導がそれにあたると考えます。

以上、訂正いたします。

1384通りすがる:2005/01/23(日) 16:05
シアトル事件にしても、芸者遊興捏造写真にしても
創価学会の捏造がはっきりしてるのに、司法は
創価学会に対して、はっきりした断罪をくださない
曖昧模糊な、判決、日本の裁判制度は牛耳られた

1385犀角独歩:2005/01/23(日) 17:20

> 1384

写真の加工はともかくとして、椎名さんの古希かなんかの祝いを、芸者さんや、仲居さんがいるような高級料亭で行うという石山坊さんの、一般の庶民感覚から乖離した日常が問題なわけでしょう。こういう点を何で法華講はぼっと見逃すんでしょうか。

また、芸者写真にしても、シアトル事件、達師の死亡についても、それぞれ石山・学会の出版物に掲載されたネタ、そして、その論評が、そのまま、自分の考えになってしまう心理操作された側面を、よくよく自分に引き当てて考えてみる必要はあると思いますよ。

1386愚鈍凡夫:2005/01/23(日) 17:40

>>1380:吉祥仙人さん、どうも。

いやねぇ、「日達師毒殺説」というのも、所詮は、UFOに誘拐されたとか、マーカット資金(M資金)が低利子で借りられるって類と大して変わらない次元の話だろうと思いましてね。
逆に言えば、2ch風に揶揄される程度のネタでしかないと言うことではありませんか。
それを真に受けるとしたら・・・・・、どうでしょうか。( ̄ヘ ̄)ウーン

話としては、「クロウの変死」「東村山市議会議員の変死」の話の方が信憑性があると思います。

1387祝8郎:2005/01/23(日) 17:45
芸者写真の件ですが、遊興とはいえないまでも、事実として芸者をあげたわけですよね。
写真の改変にしても、改変前と改変後で「芸者をあげた」という事実が覆るものでもなかったのではありませんか。
この問題は、写真という著作物に勝手に手を加えた、という著作権法違反の問題だと思われます。
写真を掲載した「創価新報」は創価学会の内部部署が編集する機関誌なのですから、けっきょくのところは創価学会が平気で著作権侵害とい「犯罪」を犯したということになるわけです。
つまり、
一、創価学会は著作権法に違反し著作権侵害をした。
二、古稀の祝いであれ何であれ、大石寺僧は芸者をあげた。
事実はこのふたつだけですね。
創価学会が著作物を改変・改竄するというのは、堀日亨氏の「富士日興上人詳伝」、戸田城聖氏の「小説 人間革命」、同じく戸田氏の講演集など枚挙にいとまがありません。

また、シアトル事件については、裁判所の和解調停を大石寺側が受け入れ、阿部日顕氏の著作「真実の証明」を再版・増刷しないとした事実もあり、軽々に「捏造」と言い切ることもできないと考えられます。

1388吉祥仙人:2005/01/23(日) 19:04
 愚鈍凡夫さま
 一読して、真に受けてしまいました。
 後から読み返しリンクも開いてみて早まったと思ったものの後の祭りでし
た。
 瞬間湯沸かし器のサガ、お恥ずかしいしだいです。

1389愚鈍凡夫:2005/01/23(日) 19:46

日達師で思い出し、古い資料を読み返していたのですが、またまた首を傾げてしまいました。

「アヤヤほど可愛くありませんが」(by 独り言) (^▽^;)
「分かってるちゅうねん!!」 (by 外野席) (▼▼メ)

「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。」

「現時における」って言っても・・・・・。保険を掛けたな・・・・・・。

「即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。」

「安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず」と言っても・・・・・。創価学会員の時代に何度も拝観しておりますが・・・・・。 (-"-;A ...アセアセ

創価学会と顕正会の間で揺れ動く法主心を垣間見た思いでした。

「正本堂の意義について日達上人猊下より訓諭」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/1972/113.html

1390通りすがる:2005/01/23(日) 22:08
祝8郎さんへ、たしかに古希祝いに芸者をあげました
しかし、創価日報に載ったのは、日顕上人以外の人物
背景をぬりつぶし、日顕上人、お一人で、芸者をはべらしたかの
ような、トリミングを行ったのです。それも下品な言葉で揶揄して
シアトル事件にしても、裁判の判決文では
「シアトル事件」の存在すらも、客観的に立証されていないと認定されている。」
となっているのです。

1391犀角独歩:2005/01/23(日) 23:07

1389 愚鈍凡夫さん:

たしかに細井さんの、この文章は今読み直すと苦笑せざるを得ません。

「…須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」

だったら、広宣流布したら(するわけはないことはさておいて)、中の須弥壇は蔵から、違う形に作り替える設計になっているとでも言うわけだったんでしょうかね。
それとも樒を飾れば、もう蔵じゃないというところでしょうか。
曖昧模糊、歯切れの悪い、矛盾に満ちた文章をたいそうな文体で誤魔化したまったくどうしようもない発言ですね。

1392愚鈍凡夫:2005/01/24(月) 08:26

犀角独歩さん、レス有り難うございます。
「樒」は「悪しき実」が名の由来と「広辞苑第4版」に載っていましたが、石山にとって正本堂こそ「悪しき実」だったのかも知れませんね。

日達師の訓諭を読んだ後、下記のHPを読むと、何となく切なくなるのは何故でしょうか。 (..;)

「あの頃のこと 第10回」
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/1558/page064.html

1393吉祥仙人:2005/01/24(月) 09:08
 山崎正友氏らしい「記憶の後付」ではないかと思います。
 宮本共産党議長宅盗聴事件の裁判当時でも、こんな話は出てこなかった
と思います。当時は創価学会と敵対し、盗聴事件の傍証として別な事例を
示したほうが有利だったにもかかわらず。
 そしてこちらの盗聴には北林氏が出てこないのも、同裁判で北林氏の関与
を証明できなかったゆえではないでしょうか。
 山崎氏の証言は、過去のさまざまな裁判の判決から言っても、信用するに
は大きな危険が伴うと思います。

1394愚鈍凡夫:2005/01/24(月) 13:49

山崎さんの言ってることの全てが真実だとは思いませんが、創価新報などでの陰湿で執拗な個人攻撃を目にするにつけ(昨年の8月まで聖教新聞と創価新報を購読していました)、山崎さんの発言には真実が多分に含まれていると思っています。勿論、他の資料と照合しなければなりませんが。
また、山崎さんが辻褄の合わない改竄のパッチワークを続ける巨大組織に戦いを挑む姿には賛同しますが、だからといって、山崎さんの人生を賞賛する気はありません。本人も、創価学会と深く関わったことについて、慚愧に堪えないのではないでしょうか。

「あの頃のこと 第10回」については、日達師の歯切れの悪い説法の背景を物語っていると思います。

1395彰往考来:2005/01/24(月) 17:13

吉祥仙人さん

>1393

はじめまして、彰往考来です。

どうも前後関係がわからないのですが、1393で北林氏が出てきます。
どういう内容なのでしょうか?

1396とおりゃんせ:2005/01/24(月) 17:28
山崎さんは前科者であるのは事実。
だから語る資格なし。
だいたい、盗聴という犯罪行為を、会社の営業でもやっている論調で書く神経は反省ゼロ。
こんな人間を置いておく日蓮正宗、妙観講も同罪。
だからと言って書いている内容が嘘とはならない。
学会がおかしいのも事実。
ここで大事なこと。自分が所属している団体へのひいき発言はやめようぜ。
ところで、北林っていう葬儀屋の社長、どんな形で当時関与してたの?
それよりなにより、この人、学会では評価されてんだ(爆)

1397愚鈍凡夫:2005/01/24(月) 20:04

報恩社社長の北林芳典さんの話というのは、次のような内容ではありませんか。

**************************************************
「"無病息災"を願う宗教と死者でかせぐ葬儀の奇妙なドッキング 池田がこよなく愛する"葬儀屋稼業"

 飲食店と書店の次は、"葬儀会社"が急成長した。
池田大作が社長会のたびに面白がった"富士白蓮社"の他に、数社が設立され、なかでも、"盗聴、謀略師団"のワザ師として悪名高い北林芳典が社長をつとめる「報恩社」は、情報謀略活動の拠点会社としての役割も果たしている。
日蓮正宗に破門されて以来、創価学会は、僧侶不用の「友人葬」を称え、葬儀をとりしきる学会系葬儀社が、その実施部隊として活躍した。
会場の設営、墓地や火葬の手配はもちろんのこと、古手の学会幹部が導師をつとめる儀典までをとり仕切り、学会員の葬儀を独占して荒かせぎを続ける、これら葬儀社は、余勢をかって他宗の人々の葬儀にまで手を伸ばしている。
創価学園卒の幹部が、棺桶のクギ打ち用の石をポケットにしのばせ、他宗の人々の葬儀にまで走りまわりながら、
「昨日は、池田先生の会食(年に一度か二度)の席で、激励されました!」
 とハッスルする姿は、異常を通りこして、こっけいですらある。

「池田大作 日本経済乗っ取りの野望 6-2」より
**************************************************

「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
http://www.toride.org/takeov/4_6_2.htm#6

1398愚鈍凡夫:2005/01/24(月) 20:30

>>1397:からのつづき

昭和43年に行われた参議院選挙の際に、他人の投票入場券を盗み、組織ぐるみで本人になりすまして公明党に投票した「替え玉投票事件」で、創価学会学生部の北林芳典、宮本孝、砂川昭夫ら8人が有罪判決を受けた。

**************************************************
日本共産党・宮本委員長は、同年8月26日、創価学会による電話盗聴事件に関し、会長の北條氏ら5人を相手取り、通信の秘密、政治活動の自由およびプライバシーの権利を侵害した不法行為等により、1千万円の損害賠償を請求する民事訴訟を提起したのである。
この裁判の過程では、それまで創価学会が行なってきた、数々の盗聴行為が浮き彫りにされていった。

<東京地裁の判決文>
被告山崎は、昭和47年以降、学会ないし北條から資金等の提供を受け、被告廣野、同竹岡、同北林らを指揮して、少なくとも次のような情報収集活動を行った。
(ア)日達上人と浅井父子との、妙縁寺における会談の盗聴
(イ)秋谷、原島、被告山崎と浅井父子らとの、常泉寺における7回にわたる対決討論の盗聴
(ウ)妙信講に対する内部情報収集活動
(エ)立正佼成会に対する内部情報収集活動
(オ)学会と対立関係にあった松本勝彌に対する内部情報収集活動
(カ)学会批判者の拠点である妙本寺における内部情報収集活動
**************************************************

「謀略活動」
http://members.at.infoseek.co.jp/netplane/boryaku.html

1399犀角独歩:2005/01/24(月) 22:02

愚鈍凡夫さん、要するに、山友さんと同じく、北山某は、盗聴、その他の前科があるというわけですか。
なんで、石山も、学会も、前科がある人間に、ここまで、発言権を与えるのでしょうか。
それぞれの資質が問われようと言うものですね、これは。

1400愚鈍凡夫:2005/01/24(月) 23:30

犀角独歩さん、どうも。

あれじゃないですか。どちらかの幹部がドジを踏んだら、鬼の首を取ったように大はしゃぎする両陣営ですから、ネタを持った人物なら誰でもOKってことじゃないですか。
両陣営とも、相手をボコボコにできるんだったら悪魔にでも魂を売りそうな勢いですから。

このバカチンが〜!!!  川`0´)/☆#T。T) アウッ!

1401吉祥仙人:2005/01/24(月) 23:41
 山崎氏が創価学会恐喝事件で実刑判決を受け、確定し、収監までされた
事実を忘れてはならないと思います。
 また、かつて週刊誌上で阿部管長を口汚く罵っていたこともご記憶にあ
る事と思います。
 そして正信会から法華講へ寝返ったことも。
 かの人の証言ほどいつ変わるかわからないものは無いと言えましょう。

1402愚鈍凡夫:2005/01/25(火) 00:23

でも、北林芳典さんのように創価学会さえ裏切らなかったら、前科があっても創価学会御用達葬儀社「報恩社」社長の椅子に座って、温々としていられるというのも何か変ですよ。
それに宮本元共産党委員長宅盗聴事件の実行犯の一人、竹岡誠治さんはヤフーBB加入代理店・SST社長ですよ。脛に傷持つ身であっても、創価学会に楯突かなければ優遇されるというのもおかしな話だと思いませんか。

「FORUM21・特集/ヤフーBB個人情報流出事件と創価学会」
http://www.forum21.jp/contents/04-3-15.html

1403犀角独歩:2005/01/25(火) 04:35

> 1400

愚鈍凡夫さん、まったくですね。

> 1401

吉祥仙人さん、当板では、自分が所属する団体のひいき発言は、相手にされないのが常ですよ。そうではなく、自分が所属する団体であればこそ、その責任に基づいて、発言する必要があるでしょう。山友さんなんて、ここではだれも相手にしてませんよ。今後、メディアも相手にすることはないでしょう。それを使う石山はどうかしています。

まあ、言い足せば、山友さんがやったことであったにせよ、宮本宅、もしくは達師盗聴は、創価学会がやった犯罪と認識されているのも事実です。間違った過去はなかったことにして誤魔化すのではなく、しっかりと反省し、謝罪もして、前に進まなければ、社会一般の不信感は払拭できるものではありません。

それはそれとして、創価学会員であるあなたは、盗聴なんて言う恥ずべき前科がありながら、「最蓮房だ、日興だ」と、さも正義感ぶって文を書く人間をどう感じるわけですか。自分たちの組織の御用達でやっている会社を使う学会員の有様を、世間一般はどう感じるかという視点から、考える必要があるでしょう。学会が批判する山友さんなら、ここに批判できるが、学会で認める北林さんならば同じ犯罪を犯した人間でも批判が書けない自分の有様を省みてはどうですか。

山友さんのことはわかりましたから、あなたは北林さんを、学会員として、どう思うわけですか。あなたが、この人を庇い立てすると言うことは、盗聴という恥ずべき行為も認めると言うことなんでしょうか。それとも、そんなことはなかったというわけなんでしょうか。

1404吉祥仙人:2005/01/25(火) 08:44
 北林芳典氏は自著「邪智顚倒」「反逆の裏にある顔」において昭和43年
のいわゆる新宿事件(替玉投票事件)について正直に経緯を記述し、反省し
謝罪しています。宮本邸盗聴事件に北林氏が関与していなかったことは、昭
和63年の控訴審高裁判決でも明らかです。(なぜか慧妙では確定判決であ
るこちらが載っていないようですが)
 ただし、高裁判決でも北条副会長(当時)の関与が認定され、創価学会の
組織的関与がうかがえるとされたことは事実です。このことについては北条
前会長は裁判中途で亡くなり反論の機会が失われたわけです。
 山崎氏が創価学会の要職にある時、盗聴事件の中心となって行ったわけで
すから、創価学会の犯罪と言われるのは止むを得ないことでしょう。
 創価学会は二度とあのような人間を幹部に登用しないよう反省し、謝罪し
前に進まなければならないでしょう。

1405愚鈍凡夫:2005/01/25(火) 09:26

北林芳典さんは、宮本議長宅電話盗聴事件の時、裏で協力していたのではなかったでしょうか。
何れにせよ、盗撮・盗聴・尾行といった他人のプライバシーに土足で踏み込むような真似は、少なくとも宗教に携わる人間のやることではないことは確かです。

尚、宮本議長宅電話盗聴事件については、ここが詳しいです。

盗聴集団創価学会
http://www.toride.org/tap/tap1.htm

創価学会の言い分として、「地涌」の記事も紹介します。

地涌704
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/20/704.html

1406犀角独歩:2005/01/25(火) 10:15

1404 吉祥仙人さん:

重ねてお尋ねします。
北林さんは「反省し謝罪」したとのことですが、それで、過去を不問に付すと言うことでしょうか。いずれにしても、縁起法門を説く仏法に執行猶予も、時効もないでしょう。
盗聴その他で、迷惑をかけ、被害を与えたものに対して、過去の反省・謝罪を無効にするような行いは、仏法規範をもってくるまでもなく、現行法とて、再犯と見なし、犯すところの裁きはさらに重いことになります。そのような意味で、学会、もしくは会員は、そのような人間に対しては、もっと厳重に扱い、監視の目を光らせるべきではないでしょうか。

ところ、愚鈍凡夫さんが挙げられている『地涌』の創刊から、その内容に至るまで、この北林さんは、関与しておりませんでしたか。これは質問です。

1407犀角独歩:2005/01/25(火) 10:20

1406の補足です。

1404の吉祥仙人さんは、わたしが1403において、事実関係は示されたものの「北林さんを、学会員として、どう思うわけですか」という質問に対しては、答えておりません。
この答えを併せていただき、議論を進めたいと思います。

1408彰往考来:2005/01/25(火) 18:28
>1404
吉祥仙人さん、

何も私は貴殿を問い詰めるつもりはないのです。
北林氏が、世間に対して、創価学会に対して、そして一般の創価学会員に対して
謝罪しているとはとても思えないのですが、『邪智顚倒』の中で謝罪していると
いうことですから、まずはその本を読んでから考えたいと思います。

ただし誤れば済む問題ではありません。裏の社会で生きてきたのなら、表に出て
くるのはルール違反でしょう。なにが『日蓮と最蓮房』ですか。エエカッコする
なといいたいですね。

誤ってすむなら、正本堂破壊という世紀の愚行(私だってご供養したのですよ!)
をした日顕さんを創価学会の人は許すのでしょうか?

1409彰往考来:2005/01/25(火) 18:33
>1408

訂正です。

誤:誤れば、誤って
正:謝れば、謝って

1410吉祥仙人:2005/01/25(火) 21:40:33
 犀角独歩様
 私の個人的な思いを述べさせていただきます。
 マスコミであることないこと述べていた山崎氏の実態(と思っておりま
す)を広く知らしめてくれた人と思っております。山崎氏を正義の内部告
発者と信じる人が少なくなったのは、北林氏のお蔭であると思っておりま
す。こんなところでしょうか
 「地涌」については単なる読者なのでわかりません。
 ちなみに誤解があるようですが、北林氏がかかわったのは替玉投票事件
であって、盗聴事件ではありません。

1411吉祥仙人:2005/01/25(火) 22:02:37
 追伸
 北林氏に限らず、犯罪を犯した人間でも更生し社会復帰する権利と義務が
あると思います。山崎氏も例外ではありません。
 では、なぜ創価学会が山崎氏の旧悪を暴き、現在も非難を続けるのか
 それは山崎氏が創価学会に対し反省も謝罪もせず(阿部管長に対しては、
懺悔し、前非を悔いたそうですが)権利を行使せず義務を果たしていないか
らだと思います。

1412愚鈍凡夫:2005/01/25(火) 23:00:09

> マスコミであることないこと述べていた山崎氏の実態(と思っております)を広く知らしめてくれた人と思っております。山崎氏を正義の内部告発者と信じる人が少なくなったのは、北林氏のお蔭であると思っております。

福島・山友・原島各氏がそうであったように、曝露話というのは、両刃の剣だと思います。小生は、北林さんの場合も、山友さんと同じ穴の狢だったことを自ら曝露したようなものだと理解しています。

1413犀角独歩:2005/01/25(火) 23:02:18

吉祥仙人さん、わたしが創価学会がどう考えているのかを聞いているのではありませんよ。
あなたが、どう思っているのかを聞いているのです。
また、なぜあなたが創価学会と全く同じ論調なのかを聞いているのです。
なお、「創価学会に対して」謝罪したかどうかは、外部であるわたしどもにはなにも関係ありません。

1414犀角独歩:2005/01/25(火) 23:10:47

1413をもう少し補足します。

要するに「創価学会に対して謝罪をしたならば、犯罪を犯して許す。謝罪しないならば許さない」、ひいては特に反社会性がなくても「創価学会に刃向かうならば許さない」と言ったたぐいのファンダメンタリズムに不快感を生じると言っているのです。そして、あなたも、その例外ではないということです。

会員にとっては、どうか知りませんが、日本も、地球も、創価学会の価値観で動いているわけではありません。ただ、その一員であることを積極的にわたしは考えようとしています。そんな矢先に、創価学会中心、創価学会に謝れば許すなどというまったく社会一般に通用しない理論を、この平等の場に持ち込まないでほしいと言いたいわけです。

1415彰往考来:2005/01/26(水) 07:43:29
>1410
吉祥仙人さん、

北林氏が盗聴事件にはかかわっていないと断定されていますね。
では、その証拠を出してください。小生も昨夜古い資料をひっくり
かえしました。唯一でてきた創価学会の見解(?)は替え玉事件の
もので秋谷副会長(当時)の発言です。盗聴事件では見当たりませ
んでした。

******************************
―最近の週刊誌等による誹謗記事について(上)
      秋谷副会長に聞く

昭和四十三年の参議院選挙について、東京新宿で「六千人もの」学会
員による〝替え玉投票〟があったとしていますね。(後略)
秋谷 たしかに、一部の青年が熱心さのあまり、他人の投票用紙を
使用して投票するという事件が過去にありました。いかに熱心さの
あまりとはいえ、法律に抵触することであり、許されるべきもので
はありません。事実、事件を起こした関係者八人は起訴され、東京
地裁で昭和四十三年十月に有罪の判決が確定しています。関係者も
深く反省しています。
(後略)
−聖教新聞 昭和55年6月26日 3面
******************************

とあります。なおここでは創価学会としての関与、加担者六千人とい
うのは否定されています。

北林氏が盗聴事件にかかわっていないという報道が聖教新聞にあった
のですか? 
北林氏が盗聴事件にかかわったかどうかは知らない、解らないという
のが貴殿の立場ではないのですか?

1416吉祥仙人:2005/01/26(水) 10:47:34
 愚鈍凡夫様
 >同じ穴の狢
 創価学会員である立場から一歩離れてみれば、その通りかもしれません。
 創価学会を擁護するか非難するかで人物を色分けすることは、不毛な論戦の
原因となるでしょう。
 そこに出てくるのは好悪の感情だけでしょう。
 山崎氏も北林氏も同一のレベルにあるのかもしれません。
 両者とも「あんなやつと一緒にするな」と怒るかもしれませんが。

 でも冷笑主義でもいけない。社会生活を送る上で一番役に立たない主義だと
思うのです。

 何かを信じる、できれば信じきることによって人間の活力が最大限に発揮される
ことは間違いないでしょう。(信じるものについて慎重に検討したうえで)

1417吉祥仙人:2005/01/26(水) 11:06:58
 犀角独歩様
 創価学会中心主義とのご指摘、誠にその通りでした。
 信じるものの正義をうったえたくなる感情に流されていたようです。
 
 対話とはお互いの主張を認め合い、共通点と対立点を見出し、折衷ではなく
より高い価値の発見を目指すものであると思います。

1418愚鈍凡夫:2005/01/26(水) 11:26:20

吉祥仙人さん、小生は「様」で呼ばれる程の人間ではありません。「さん」付けでお願いします。 m(_ _)m

北林さんを弁護することは創価学会を擁護することにはならないと思います。改竄のパッチワークを止め、現実にあったことをあったと認めることが大事なのではないでしょうか。
外敵を作り、それを攻撃することが信仰ではないでしょう。そんな修羅の緊張感の中で育てば、相手を思いやる心など育まれるはずもありません。

小生は、「信じる」ことよりも、真実を真正面から見つめ、誤りがあれば素直にそれを認め、軌道修正する姿勢こそ重要だと思います。これは創価学会員時代の過ちから学んだことです。逆に言えば、信仰対象が「信じる」にたり得るものかどうか検証する勇気こそ大切なんじゃないでしょうか。

1419吉祥仙人:2005/01/26(水) 11:31:43
 彰往考来様
 1416・1417のとおり、感情的になって北林氏の過去について断定してしまい
ました。
 根拠は先に出した「邪智顚倒」に引用されている昭和60年4月22日東京地裁
「判決文」のみです。(先に高裁判決云々と書いたのは思い込みでした。)

 「被告山崎の前記供述を採用し得ない以上、これらの事実から被告北林の
本件電話盗聴への関与を推認することはできず、他に右関与を認めるに足る
証拠はない。よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告の
被告北林に対する本訴請求は理由がなく、棄却を免れない。」

 ・・・無罪となった私を東京高等裁判所には控訴しなかった。

                        (邪智顚倒P34〜35)

1420吉祥仙人:2005/01/26(水) 12:13:34
 ご指摘に従い愚鈍凡夫さんへ

 過去の会長本仏論・国立戒壇論の誤りと修正については、ここで学ばせて
いただきました。

 それを「改竄」していると言うご指摘については、私のように後世になって過去を
学ぶ人間が出てきたとき、いらざる混乱をまねかないために改訂していると理解して
おります。
 そのまま載せて、注釈で「現在は誤りとされている」と手間をかける方が正直
なのかもしれませんが。
 そこが信仰の難しさ、初代・二代・三代会長の過ちをあえて記載することが信心を
深める強める上で役に立つかどうか。
 「過去に生きるのではなく、現在と未来に生きるのだ」というのは詭弁でしょうか
 私はそのようにありたいと思います。

 別な書き込みで拝見しましたが、過去の学会活動のせいで「人生を棒にふった」
との想いが強ければ、それもかないませんか(愚鈍凡夫さんのことではありません)
 
 「信じる」にたり得るものかどうか検証する勇気
 
 とのことであれば、文証・理証・現証ですが

 創価学会員時代の過ちから学んだこと
 
 であれば、ウーム

1421彰往考来:2005/01/26(水) 12:42:07
>1419
吉祥仙人さん、

レスありがとうございます。
つまり、裁判所の判断は“疑わしきは罰せず”という
冤罪を避けるための大原則を適用したのにすぎません
ね。『邪智顚倒』は今、発注中ですのでまだ読んでい
ませんが、これで無罪となり控訴されなかったから、
関与していないということが証明されたと北林氏は
思っているのでしょうか。控訴しなかったのは原告
側が裁判所の判断を覆すにたる証拠を持っていなか
ったためではありませんか?

以下は吉祥仙人さんに問いかけるものではありません。
北林氏はインターネットで『日蓮と最蓮房』という愚
論を公開しています。ここには本書を書く動機のよう
なものが書かれていますが、『替え玉事件』や『盗聴
事件』については一切触れられていません。持論を広
くネットで公開するのなら、自分が過去に世間に対し
て犯した過ちをネットで自己批判して初めて持論を世
に問うべきだと思うのです。『盗聴事件』に関与してい
ないのなら、その胸のうちをぶつければよい。それを
しないで、シャアシャアと持論を発表する姿勢が私に
は許せないわけです。

1422犀角独歩:2005/01/26(水) 23:53:13

吉祥仙人さん、ご理解いただき、幸甚です。

わたしは、過去の確執を越え、創価学会を今一度再考しようと思っています。
これは穿った意味ではなく、真摯に考えたいという意味です。
これはまた、石山でも、顕正会でも、話し合う用意があれば、わたしは両手を開いて応じる考えです。

ただし、ファンダメンタリズム、カリスマ、アナクロニズムはいただきません。
そんなご都合は、わたしにはまったく無縁です。わたしは、ただ真実に忠実に客観的に考え、語るのみです。

1423吉祥仙人:2005/01/27(木) 08:56:13
 犀角独歩様
 どちらのスレッドに書き込むか迷いましたが、こちらの過去の書き込みにも同様の
ご発言があったようなので。
 創価学会が具体的に何をやっているか手近にあった資料から

 1月25日付聖教新聞5版 9面
  
 「インド洋大津波と国連」
 との見出しで紙面の大半を割き、国連高等難民弁務官事務所日本・韓国地域代表に対する
インタビュー形式で、その活動と要望を紹介しています。
 このような国連機関の広報活動への紙面提供は「実際行動」に当てはまりませんでしょうか
 これほど紙面を割いた記事は一般紙では見なかったように思いますが
 (もっとも私の取っている一般紙は、東北の地方紙ですが)

1424犀角独歩:2005/01/27(木) 10:14:10

吉祥仙人さん
(どうぞ、「さん」付けでお願いいたします)

> 創価学会が具体的に何をやっているか手近にあった資料
> 国連機関の広報活動への紙面提供

紙面を提供するだけでは、評論と変わりませんでしょう。
この機会ですから、お尋ねしますが、創価学会では、先の新潟中越大地震では、会としてどれくらいの義捐金を出し、どのような救済支援活動を展開したのでしょうか。
また、今回のスマトラ沖大地震・インド洋大津波被害に対しては、どれくらいの支援、また人的派遣を行ったのでしょうか。具体的数値を上げて、ご教示いただけませんでしょうか。

先に愚鈍凡夫さんがご紹介なさっていらっしゃいましたが、なんらかのアクションはあったとお聞きしました。「広報」していただければ、有り難く存じます。

1425彰往考来:2005/01/27(木) 17:29:50
>1419
吉祥仙人さん

“管理者からのお願い”のスレッド52に

【書き込みの基本原則】があります。

ここで、相手に対する敬称は『〇〇さん』で統一して戴きたいと存じます。

とありますように、〜さんでお願いいたします。

吉祥仙人さんの冷静な投稿は非常に勉強になります。今後ともよろしく
お願いいたします。

1426お題目差し止め事件:2005/01/28(金) 10:13:20
公明党・創価学会が黙認した「お題目差し止め事件」

九九年四月一日、日本山妙法寺僧侶が衆議院面会所に於いて国会衛視
(国会に於いて警備に当たる職員)から「お題目が示威行為に当たる
から止めろ」と威圧強要された。
(略)
何度かの行動体験から、現場が大音声等いわゆる「示威行為」をとれる
場所でないことは知っていた。僧侶は私の知る人でもあり、念のため
状況確認をした。「お題目教団が無関心もしくは黙殺している現状が
より深刻」と語った。

ちなみに、創価学会が仮にお題目教団なら、反駁するなり「政治的」な
対応をするはず。自自公連立に向かう公明党の閣外協力によって件の
新法が成立したことと考え合わせると合点がいく。「お題目」を利用
するだけの団体だと確認できた。
http://senmon.fateback.com/soukagakkai/shukyou/dpj_daimoku.html

1427大勇者:2005/01/28(金) 11:36:28
管理者さんへ
1426のレスは他掲示板などにも多数のコピペを繰り返している投稿です。
禁止事項の特定宗教の宣伝であると思います。

当投稿共々削除すべきと思いますが。
いかがでしょうか?

1428犀角独歩:2005/01/28(金) 12:08:04

> 1426

わたしは参考になりました。
削除の必要はないと思います。

特にジャンプ先の文章は日蓮宗現代宗教研究所嘱託を勤める日蓮宗僧侶の方の文章であり、「本宗(日蓮宗)も沈黙」と、自分たちの問題としても考えた論の組立になっています。

藤井達師・日本山妙本寺の題目行脚が、インド独立の父・ガンジーに感銘を与え、非暴力・無抵抗主義に影響を与えた日蓮門下として誇るべき平和行動です。
上述の論の組立は常不軽菩薩の但行礼拝行の視点からも論じているわけですから、他のスレッドで議論されている平和提言と、実際の行動、もっと言えば日蓮門下としての平和運動の在り方を考える基とし、それを日本山妙法寺は、どうとらえ、それを創価公明が、どう反応し、日蓮宗一般ではどう考えたを概観するうえで、1426の投稿は価値があると思います。

1429管理者:2005/01/28(金) 12:12:16

大勇者さん

いつも投稿、誠に有り難く存じます。今後とも宜しくお願いいたします。

>特定宗教の宣伝

うーん。そうでしょうか。どの宗教の宣伝になっているのか、僕には読み取れませんが・・・

それから、他の掲示板での事は、当掲示板では不問です。当掲示板で同じ内容を繰り返し投稿した場合は削除対象になりますが・・・

まぁ、大勇者さんとしては、内容がお気にめさないのだろうと思いますが、禁止事項に当たるとまでは判断するのは無理が有るように思います。管理者としては、削除は見送りたいと存じます。引き続きご意見がありましたら、拝聴致します。

1430大勇者:2005/01/28(金) 12:51:25
管理者さんへ。

了解致しました。
日本山妙法寺の活動は素晴らしいと思います。
投稿の本文が「お題目教団」の宣伝に見えたものですから、
逆に日本山を貶める内容ではないかと思いました。

開祖藤井日達さんが日蓮門下とは思ってませんでした。
認識を改めます。

1431吉祥仙人:2005/01/29(土) 17:21:26
 犀角独歩さんへ
 >1424 具体的数値を上げて

 申し訳ありません。「聖教新聞何月何日付これこれの記事が」と言うほどの
資料もとってありません。1423はたまたま手元にあったものからの記載でした。
 思いつきで書き込んで、質問に答えられない、不勉強です。反省。
 
 いずれ、内戦終了後のカンボジア総選挙への協力とか、地雷廃絶運動への協力とか
資料を探して提出したいと思います。
 (どなたかボイスエンドやアボリション2000に参加した方
 これを読んでませんかね)

1432犀角独歩:2005/01/29(土) 21:10:13

吉祥仙人さん、ご返答、有り難うございます。

わたしの質問は、創価学会の方には耳が痛いかもしれませんが、わたしの指摘するようなハードルを創価学会が越えていけば、世間の評価は、さらに上がることは事実だと思います。
単なる批判と、どうかとらえず、創価学会(員)の課題として、考えてみてください。

わたしは創価学会を批判すること、撲滅することを考えているのではなく、改善、進歩を願っているのです。

1433真実 探求者:2005/01/29(土) 21:19:37
ご免、、。 あなた様の紳士的な応対には、賞賛に値します、、。 並みのネット参加者とは二味も違うようです、。 ドーゾ、存分に疑問を開襟され、少しでも解明されますよう、、。 早々、、。

1434真実 探求者:2005/01/29(土) 21:25:22
ご免、、。1433は 吉祥仙人さんあてへの投稿です、、。 時間的落差が発生したようです、、。 失礼しました。

1435吉祥仙人:2005/01/29(土) 21:47:58
 犀角独歩さんへ
 このスレッドの表題にかえって。
 時代と社会が変化する中、犀角先生が見てこられた創価学会も変化してきていると
思います。政界で2+1とも言われる公明党の支持母体であり、国連からもNGOと
認められ(正確にはSGI創価学会インターナショナルがですが)ていることは事実
です。
 この巨大集団が社会の重要なファクターであることは間違いないでしょう。
 いたずらに賞賛するでなく、嫌悪するでなく、冷静に批評する方の存在が学会にとっても
必要でしょう。(もちろん学会員としては賞賛してもらった方が嬉しいですが)
 学会員の使命として、地域・社会に理解と友好を拡げて行くということがあります。
 妥協でなく、対立でなく、というのは難しいですが。その可能性を信じて対話を重ねて
いきたいと思います。

1436犀角独歩:2005/01/30(日) 00:15:51

吉祥仙人さん、先生は、まあ、やめてください。

正直に申し上げて、わたしは自分の過去の偏見、脱会に至った確執、そんな一切合切を些細なことと捨て置いて、まったくまだ誰も記していない、正本堂以降の創価学会、そして、今後を素描する準備を始めています。

『必携/図解 大石寺彫刻本尊の鑑別』、この増補改訂版以降の、わたしの課題はここに絞っています。ただし、下らない感情的批判ではありません。いままでになかった新たな創価学会論です。お言葉を借りれば「妥協でなく、対立」でもない素描です。

そのために、真摯に、創価学会員と対話をする用意があります。
わたしの視点は、ひとまずは10年、次の10年、短いスケールでは50年、しかし、実際は700年、つまり、蓮師が亡くなって現在に至る700年を一つのスパンとして、700年後に取りあえずの視点を置いて、そこから逆算したスケールで創価学会・池田さんを観よう、また、今後、数十年の創価学会の「スケジュール」をシュミレーションもしてみようとも思っています。

申し上げておきますが、石山に仮託するような過去の遺物と、わたしはかけらほども強調すうつもりはありません。学会が目くじらをたてる過去の発言者は、わたしにとっては問題外です。そんな時代は終わったのです。

まったくそんな人々とは別次元で、新たな創価学会論を展開するということです。しかし、繰り返しますが、批判のための批判ではありません。未来の展望を考えるという意味です。しかし、それはもちろん、創価学会への妥協も意味しません。わたしは犀角独歩です。ただ独りわたしはわたしの考えで歩みます。しかし、それは反感とか、協調とか、そんな単純化された語彙で説明を付ける考えとは、それこそ、次元を異にして考えています。

1437吉祥仙人:2005/01/30(日) 10:17:30
 犀角独歩さんへ

 『創価学会論』は21世紀の重要な論点でしょう。
 
 創価学会員も過去からひきずった(悪口馬詈されるという)被害者意識から脱却すべき
時代にきていると思います。被害者意識が強いので、過敏に、感情的に、反論してしまう
のでしょう。身に覚えのあることです。

 日蓮大聖人よりおおよそ700年の月日を経て創価学会が出現し、かくも賛否かますびしい
勢力に発展したことを考えれば、それを論じるに過去700年・将来700年の考察が
必要かも知れません。

1438彰往考来:2005/01/30(日) 11:10:55

>1404,1419
吉祥仙人さん、

『邪知顚倒』(1994年、はまの出版)を読みました。以下は私の感想と所見です。スレッドで3駒あります。

『邪知顚倒』の138頁に「新宿替玉事件」の経緯と謝罪が若干触れられています。

****************************************
私たちが惹起した事件によって、昭和四十三年の事件当時、創価学会には並なみならぬ迷惑をかけた。そのうえ、事件から二十六年も経ったのに、私たちの不祥事をもって、創価学会全体の体質問題とされたのでは、私としては申し訳けない思いで胸がいっぱいである。(中略)
断っておくが、新宿事件における替玉投票は十三票である。(中略)
事件の概要は、新宿の一等地域の青年十三名が、熱意のあまり、転居先不明などでアパートなどに何日も放置されたままになっている投票用紙を盗み、投票日の前に他人になりかわって不在者投票をしたというものだった。
私も他人になりかわり一票の投票をした。(中略)
選挙違反者のうち、六名が略式裁判で罰金刑となり、あわせて公民権停止を言い渡された。私を含む八名は起訴され、公判廷にまわされ、被告席にすわる身となった。(中略)
判決は軽い者で禁固三カ月、重いものは同一年三カ月であった。ただし全員、四年から三年の執行猶予つきであった。
いうまでもないが、全員が二十年以上前に執行猶予期間を満了しており、法的には刑の言い渡しを受けていないのと同様の扱いである。(後略)
***************************************

『邪知顚倒』の上記箇所(138頁)で北林氏は自分たちの仕出かしたことが創価学会の体質とされたのでは申し訳ないと言っているだけです。
世間に対して、迷惑をかけた一般の創価学会員に対して謝っているわけではありません。
事件経緯も不明瞭で誰が主犯で、誰の指示で、北林氏はどういう立場だったのか、個人の判断でばらばらにやったのかそれともグループでまとまってやったのか、組織はどこまで関与したのか、幹部はどこまで事前に認知していたか、など全く説明していません。
まして『邪知顚倒』の説明では選挙違反者は14名なのか13名か不明です。(一人は女性で誰か男性幹部に頼まれて替玉投票をしたので14名13票になったと思われます。)
執行猶予期間を満了したから無罪と同じだと主張したいのでしょうか。法的にはそうかもしれませんが免罪にはなりません。たった一票の替玉投票でも有罪となった事実は消えないのです。それこそ人生を棒に振ってしまう。厳しいものです。
要するに北林氏はちゃんと経緯を説明していません。反省などしていないと思えるのです。

1439彰往考来:2005/01/30(日) 11:12:03

1438の続きです。

北林氏の弁は山崎正友氏攻撃に終始していて正直読むのが苦しかったです。現在の創価学会の論調と全く同じです。まるで創価学会の山崎批判ロジックは彼が中心に組み立てているように思えるほどです。まあそうかもしれません。もちろん私は山崎氏を支持するものではありません。念のため。
北林氏は「盗聴事件」に関して裁判官を批判し、「しょせん文科系の知識だけでこの裁判をこの事件を裁くには限界があったと思う」(87頁)と言っています。よく言うよ、とはこのことです。一往私も理科系の大学を出た人間ですが、判決内容(詳細は略します)はおかしいと思うものではありませんでした。まして『邪知顚倒』によれば北林氏は理学部中退ということです。大学中退の人が他人(裁判官)に対して理科系の知識うんぬんといえるのでしょうか。僭越だと思います。『邪知顚倒』では「盗聴事件」に関しては自分は関与していないという説明ばかりで実際のところはわかりません。ただ北林氏は昭和43年に初めて山崎氏と出合い、昭和53年頃まで山崎正友氏の部下でかなり裏の仕事をしていたようです。いつからとか仕事内容などの説明は同書にはありませんがこのような関係であれば北林氏が「盗聴事件」に間接的にでも関与していないことのほうが不思議ではあります。

『邪知顚倒』にて公開されている北林氏の経歴をみてみるととても不可解です。彼は、選挙違反で逮捕された後、「第三文明」編集部に所属しているのです。この雑誌の発行会社は創価学会の関連団体です。選挙違反で逮捕され、本人の弁では散々創価学会に迷惑をかけた者が関連団体に就職している? 信じられません。通常はありえません。まして創価学会はそんな甘い団体ではありません。北林氏自身が、「なお、「新宿事件」後、創価学会においては、選挙の支援のたびごとに、悪質な選挙違反を起こした者は創価学会より除名するという厳しい組織通達が徹底された。私はそのたびに身の細る思いだった。」(146頁)といっているように普通は除名なのです。除名にもならずに逆に面倒をみてもらっているのでは創価学会は北林氏に借りがあると考えられませんか? 彼らが創価学会の組織としての犯罪を個人の罪として被ったのではないかと。もちろん『邪知顚倒』では「第三文明」編集部に所属していたことは一切説明なしです。

『邪知顚倒』を読んで、なぜ自分自身が北林氏を本能的に嫌うのかわかったような気がします。彼の間違ったロジックは暗黒時代の創価学会幹部そのものであるからです。彼らは“創価学会天動説”なのです。なぜなら世の中は創価学会中心に回っていると信じているからです。私は、彼や山崎氏やT氏のように非常識な行動や指導をする者が創価学会幹部であったがために方向を誤り、創価学会と日蓮正宗との問題が発生したと思っています。もちろん他にも原因はあります。

1440彰往考来:2005/01/30(日) 11:12:56

1439の続きです。

『邪知顚倒』の115頁にT氏(同書では実名)が出てきます。113頁は昭和45年の夏期講習会での若かりしT氏の写真です。今更ながら、そうか、北林氏らとT氏は同じ穴のムジナだったのだとわかりました。
以下は私の体験ですが、T氏は昭和48年に創価学会全国学生部部長でした。彼は同年6月(だったと思う)の関西学生部幹部会に都議選の真っ只中の東京から来て、「関西の学生も東京へ来て選挙活動をせよ。未成年でもかまわない。なぜなら君たちは煙草を吸わないのか。」と指導したのです。当時一学生部員でその会合に出席していた私は驚きました。選挙違反を強制してよいのか、と疑問に思うとともに憤りを感じたものでした。なお、この会合のあと、とある関西学生部の幹部はTの野郎、関西学生部をなめやがって!と怒っていましたから、皆が狂っていたわけではありません。『邪知顚倒』で「新宿事件」は組織としての関与はないと北林氏は言っていますが、上記のような私の経験からとてもそんなことはなく、少なくとも上層部の間違った指導はあったはずです。今から思えば暗黒時代でしたね。今でも私は煙草を吸いませんが、それはT氏の間違った指導のおかげです。創価学会幹部の指導を鵜呑みにしたら大変なことになるという事がわかったのもT氏のおかげです。T氏のいうとおりにせず(当たり前でしょ!)指導と逆に行動したので助かったわけです。指導どおりしていたら今ごろ私は前科者になっていたかもしれません。当時未成年でしたから。

平安出版から発行されている北林芳典著の『暁闇(ぎょうあん)』と『饒舌の故に』の2冊が、2月8日より平安出版のホームページで全文公開されるようです。
ネットで公開する北林氏の意図はよくわかりませんが、ネット公開した『日蓮と最蓮房』が極めて不評だったのみならず、自分自身の過去まで議論され始めたことによるのでしょうか。でもそうとするなら、北林氏自身の不徳のいたすところではありませんか?『日蓮と最蓮房』は28章あることから、法華経28品とひっかけたつもりなのでしょうが、“28品悉く南無妙法蓮華経”ならぬ“28章悉く誤りだらけ” ですから。過去の問題も誤解があるのはきちんと説明されていないからです。北林氏は未だに「盗聴事件」の当事者だったH氏などとお付き合いがあるのですから、「新宿替玉事件」や「盗聴事件」はいかに実行されたか当事者しか知りえない事実をお書きになり、その中で身の潔白や反省を主張されたらいかがでしょうか?『日蓮と最蓮房』よりそちらのほうが北林氏には重要なことと思います。平安出版でのネット公開はその一環なのでしょうか。

北林氏がこの掲示板を読んでいるかどうか知りませんが最後に次の言葉を彼に贈りたいと思います。北林氏の大好きな師匠である池田センセイの『人間革命 第六巻』(昭和46年、聖教新聞社、87頁)からです。彼が社会に出た年に発行されているのも何かの縁でしょう。ちなみに発行者はあの福島源次郎氏です。

「もし彼が(中略)心から悔悟したとするならば、当然、一生涯、謹慎して、唱題三昧の日を送っているべきはずです。彼には、その悔悟の姿が少しも見られない。」

1441吉祥仙人:2005/01/30(日) 13:47:29
 愚鈍凡夫さんへ

 >・・・当事者だったH氏などとお付き合いがあるのですから「新宿替玉事件」や
「盗聴事件」はいかに実行されたか当事者しか知りえない事実をお書きになり、その中で
身の潔白や反省を主張されたら・・・

 北林氏本人にとっても、創価学会にとってもいまさら触れられたくない古傷でしょうが
確かに山崎氏ひとりに全責任を負わせるのは無理があるかもしれません。たとえ「山崎師団」
などと公言していても。
 ましてや当時の学会の雰囲気について、皆様の証言がこれほどあるのですから。

 しかし、これらの事件を再度検証すれば、反学会ジャーナリズムが勢いづくことは
間違いないことですし、山崎氏が飯の種ができたと喜ぶだけのような気がします。

1442吉祥仙人:2005/01/30(日) 13:51:26
 あわわ・・
 彰往考来さん、ごめんなさい
 愚鈍凡夫さん、失礼しました

1443彰往考来:2005/01/31(月) 07:25:47

>1441

別に再度検証する必要はないと思いますよ。必要なのは“反省”です。

「彼には、その悔悟の姿が少しも見られない。」

1444吉祥仙人:2005/01/31(月) 21:52:11
 >1440・1443
 人間革命6巻では
 (笠原氏は)ですが

1445彰往考来:2005/02/01(火) 07:38:47
>1444

そうですよ。『人間革命』にある笠原氏への言葉をそのまま“切り文”して贈ったのですよ。
それがどうかされましたか。
『人間革命』の指導はある特定の人だけへの指導ではありませんよね。「広く会員への先生のご指導である」
というのが創価学会の教え(?)だったと理解しています。

ご不満なようでしたら創価学会初代会長牧口先生のお言葉を紹介しましょうか?

1446犀角独歩:2005/02/08(火) 18:16:22

オフ会スレッド461 吉祥仙人さん:

> 創価…ルネサンス

そうですね。わたしはそれが提唱されたときに、青春時代を過ごしました。

> 名誉会長は指導者…学会2世3世の間では

たいへんけっこうなことであると思います。
この前提で、一つ質問してよろしいですか。
縁起の悪い話で恐縮ですが、将来、池田さんはお亡くなりになりますね。
「永遠の指導者」という場合、そうなると、生前、過去の指導集などを参照にしながら、未来の会員は信仰活動に励むことになりますか。わたしはこれはかなり厳しいだろうと思うわけです。

戸田さん逝去後、池田さんという新たな指導者を得たからこそ、創価学会は発展したわけですね。
正本堂以降、池田さんは「戸田さんの御遺命は一切果たした。今後、「広布第2章」と言いました。ここから戸田さんの遺訓以上のプラスアルファがあった故のいまの創価学会であろうとわたしは観察するわけです。

しかし、池田さんを永遠の指導者としてしまえば、生前の指導の域を出ないことになりますし、また、その時代時代に適応した生きた…、というか生の指導者はあり得ないことになりますね。
わたしは、実はここに創価学会の今後の存亡がかかっていると思うわけです。

戸田さんが亡くなったとき、新聞などは「創価学会は空中分解する」と評した。それを乗り越えてのいまの創価学会の発展があった。
池田さん逝去後、わたし周辺の人々(学者など)は、「創価学会は少なくとも三分裂する。池田ファミリー、首脳部(秋谷)、公明(神崎)の三つである」という見方が多くあるように思えます。
創価学会が分裂するか否か、それはそれでの道ですが、永遠の指導者池田さんという「故人」を懐く創価学会は、しかし、生き生きとした、時代適応の指導体制を採っていけるものでしょうか。
わたしは指導者の永遠化・固定化というのは上述の問題を孕むと分析するわけです。
これは、もちろん批判ではなく、予測です。
このような点は、 吉祥仙人さんは、どうお考えになりますか。
参考にお聞かせ願えないでしょうか。

1447吉祥仙人:2005/02/08(火) 19:30:04
 犀角独歩さんへ

 創価ルネサンスは平成2年の遥か以前から言われていたのですね、今、母から
聞きました。(青年部でルネサンス大学校に参加していたので)

 さて、池田名誉会長以後についてとのことですが、私見を述べさせていただければ、
池田青年以上の青年は必ずいるはずです。何万何十万何百万といる青年部・旧青年部の
中から次の指導者が出現すると思います。ただしそれは一人ではなく数人はいるでしょう
その人々の集団指導体制となるのではないでしょうか。
 
 誤解されかねないのですが、私たちが学生部だったころ「俺たちと池田先生の年齢差は
池田先生と戸田先生のそれと同じだ。俺たちが先生の弟子として先生のあとを継ぎ、次の
指導者とならなければならない。」との気概で活動していたものでした。

 そういうわけで、将来については楽観しております。
 あまり参考にならない私見で申し訳ありません。

1448犀角独歩:2005/02/08(火) 19:54:23

吉祥仙人さん、

レス、有り難うございます。

> …次の指導者が出現…数人…集団指導体制となる

なるほど。教義的面からは、このようなことは可能かもしれません。
ただ、巨大組織の財産掌握という視点ではどうなっていくのか。
このような具体性が宗教法人「経営」という別側面に常につきまとっているわけです。
まあ、この点を議論する必要はありませんが。

> 将来…楽観

先の島田師の分析でも、創価学会は空洞化が進んでいるというのですが、このような楽観は、どんな根拠に依るのでしょうか。

1449吉祥仙人:2005/02/09(水) 18:19:25
 犀角独歩さんへ

 「創価学会が空洞化」とは具体的にどのような傾向が見られているのか、わかりませんが。
昔の創価学会的活動(有無を言わせない折伏)が減少(衰退)しているのは事実をもって
空洞化とは、認識不足と言えるのではないでしょうか。

 いまは折伏で新来者が入会(入信)しなくとも紹介者が幹部から罵られることはありません。
それよりもし入会するまで帰さないような非常識な折伏をしたなら、それこそ指導を受けるように
言われます。

1450犀角独歩:2005/02/09(水) 19:33:41

1449 吉祥仙人さん:

> 空洞化とは、認識不足と言える

たぶん、誤解なさっているんじゃないでしょうか。

わたしは意識ある創価学会員(たとえば、吉祥仙人さんのような方)は、ご自分なりの意義を感じ、活動されていらっしゃるのでしょうから、仰るとおり、空洞化を感じていないわけでしょうね。
それはそれでけっこうなことであると思うわけです。

わたしが子供の頃、創価学会に具多的な目的がありました。
つまり、国立戒壇=正本堂の建立を通じた一国広宣流布と平和楽土の建設です。
国立会談論は当の正本堂が建つ頃には民衆立と方向転換されました。(わたしは、これは別段、当然の変更であると評価しています。ただし、それまでの打ち出しから改変されたのは事実です)
いまも、顕正会が言うところですが、これはもはやアナクロニズムというほかありません。まあ、それは、当スレッドとも、吉祥仙人さんともまるで関係はありませんが。

話を本筋に戻しますが、わたしが小学生であった頃、ともかく、創価学会には、仏法としての、国家を相手取った目的があったわけです。個人には人間革命という目的がありました。ところが、いまの創価学会は人間革命という個人的な目的はあるにせよ、国家という目的については、必ずしも明確ではなくなってきているわけです。

これは憶測の域を出ませんが、吉祥仙人さんとデルトロさんの「広宣流布」議論というのは、そんな見解の相違から端を発しているようにわたしには映じます。

たしかに創価学会は公明党を通じて、国政に参画することによって、国家を善くしていくという実際的な活動があります。(その賛否をここに問うものではありません)ところが、これは宗教法人としての目的ではなく、あくまで公明党という政党の範疇を越えるものではないわけですね。

この点で、外部から観察していると、創価学会(員)は公明党の支援を通じて以外、いったい、仏教理念をどのように実現しようと考えているのだろうか?という疑問が生じることになるわけです。
それが「政治活動で」というのであれば、それはもはや宗教活動と言うより、政治活動です。

このような点が曖昧であれば、外部から観れば、「空洞化しているのではないのか」という疑問が生じる一つの要因になるのではないでしょうか。

また、たとえば、創価学会に公式に「いまの会員数は何名ですか」と問い、さらに「そのうち、どれだけの方が実動されているのでしょうか」と問うたとき、どんな答えが返ってくるのでしょうか。

学校を例に採りましょうか。クラスに50人いました。
そのうち、5人しか学校に来ない、意義を感じない、必要性を感じない、と思っていたら、「学校は空洞化している」などいう批判が上がるのではないでしょうか。

吉祥仙人さんは、この‘統計’を掌握されていますか。このパーセンテージが低ければ低いほど、それは組織としては、「空洞化」という観察は避けられないのではないでしょうか。

以上が「空洞化」の意味です。ただし、これは批判とか、そんなことではなく、今後の創価学会の課題として、注目されている点ではないでしょうか。要は空洞化を感じさせない実際的な宗教法人としての活動、さらに、その会員数に比した動員数の増加があれば、誰も、そのような認識はしないと思います。それを単に、認識不足と切り捨てるのは、開かれた議論とは言えなでしょう。

また、わたしは1448に吉祥仙人さんの「楽観」はどこから生じるのかと問うたのであって、その点は、何も応えず、単に「認識不足」と切り捨てては、創価学会を排他的と誤解させるのではないでしょうか。

つまり、楽観の理由、実際の活動、さらに活動比率をここに挙げられれば、事は済むことであるからです。どうでしょうか。

ただし、これは詰問しようという意図ではなく、このような応答のなかで、創価学会の‘誤解’は解けるという点を、特にわたしは強調したいわけです。

1451犀角独歩:2005/02/09(水) 19:37:26

【1450の訂正】

毎度、済みません、訂正します。

誤)創価学会に具多的な目的
正)創価学会に具体的な目的

誤)国立会談論
正)国立戒壇論

1452愚鈍凡夫:2005/02/09(水) 19:57:11

正本堂は池田さんの7年周期説の総仕上げで、目論見では広宣流布の時であったはずだったんでしょうが、世の中そんなに甘くないといった現実が目の前にあったわけですよね。
それ以降も、何故か「勝利・勝利・大勝利」と、かけ声だけが空しく響いたものでした。
小生なんかは、いつも何に勝利したんだろうかと思ったものでした。選挙で自民党に勝ったことはないし、学会員数と言っても、いつまでたっても日本人の1割にも満たないのに・・・・・?
言うならば、一種の詐欺商法を宗教に応用するとこうなるのかなと思ったものです。
これからの流れとしては、「総合商社・創価学会」との看板を掲げ、宗教法人を卒業されたらどうですかと提案したいですね。新たな目標を経済改革にされたらどうでしょうか。

1453吉祥仙人:2005/02/09(水) 20:43:23
>1450

 犀角独歩さんへ

 私の認識不足でした。

 確かに私の所属している地区でも、そういう意味では空洞化が見られると思います。

 それを問題意識を持って考えたことはありませんでした。楽観的というより能天気だったかも
知れません。ご存知のとおり会員をABCのクラス分けで数える「伝統」があります。寝ている
部員さんを如何に立たせるかは、重要な日々の活動です。
 もっとも私自身、組織では半分寝ているようなものですが。

1454大勇者:2005/02/09(水) 23:17:23
吉祥仙人さん
>池田名誉会長以後について

私は組織体制についてどのように動くのか?については余り興味ないのですが、
どのような教学を前面に打ち出してくるかには興味あります。
「教祖池田」とか「本仏」とかではない以降の池田さんの位置付について、
今「五百の実」について調べようと思っているのですが、的外れだと思いますか?

1455吉祥仙人:2005/02/09(水) 23:20:21
 大勇者さんへ

 浅学で申し訳ありません。「五百の実」とは後の五百歳に関する何かでしょうか
御教授ください。

1456大勇者:2005/02/09(水) 23:53:30
論拠は
報恩抄p310 撰時抄p270
国清百禄など他にも多々あるようです。日寛師にもあるとの事だが資料を探しているところなのですが。

千年にひとり聖人が出て、五百年にひとり賢人が出るとの説です。
大数によれば、五百年にひとり聖人がでるとなります。

これならば、教祖とか本仏など使わなくても賢人、聖人でこと足りることになります。

1457大勇者:2005/02/10(木) 00:30:53
撰時抄愚記(日寛上人文段集p268)

一には五百年に聖人出ずるの説は孟子十四二十二に云く「孟子云く、舜由り湯に至るまで五百有余歳」と云云。趙氏に云く「五百歳にして聖人出ずるは天道の常なり」と。然るにまた遅速あり、正しく五百歳なること能わざるが故に「有余」というなり。

二には千年に聖人出でて五百年に賢人出ずるの説は、王子が拾遺記に云く「丹丘は千年に一たび焼け、黄河は千年一たび清む。皆至聖の君、以て大瑞と為す」文。晋書の註に云く「千年に一度、聖人の出ずるを見、五百年に一賢を見る」と云云。孔子聖人は仏滅後三百九十九年に当り、周の霊二十一年庚戌十一月四日、魯国に生る。周の敬王四十一年壬戌四月八日に卒す、年七十三歳なり云云。これ仏滅後四百七十二年に当る、故に大数は五百年なり。清浄法行経に云く「光清菩薩、彼に仲尼と称す」等云云。

天台大師は孔子の滅後一千十五年に当って、梁の武帝の大同四年の誕生なり。隋の開皇十七年丁巳の入滅、春秋六十歳なり。伝教大師は天台滅後一百六十九に当って生まれたまう。御年五十六歳にして弘仁十三年の入滅なり。具に前に弁ずるが如し。

蓮祖大聖人は伝教滅後四百一年に当たって生まれたまう。即ち天台滅後五百七十年に当るなり。若し伝教に望み、若し天台に望めば倶に五百年の前後なり故に大数は五百年に聖人出ずるの説、以て憑拠たるべきなり。

1458犀角独歩:2005/02/10(木) 01:29:49

> 1457

寛師の説や、その引用文が正しいなどということはないでしょう。
しかし、そうやって、500年、1000年で割り切っていくのであれば、蓮師から寛師は500年離れ、
池田さんは1000年離れないとつじつまが合わないことになりませんか(笑)

1459名無し@富士門流:2005/02/13(日) 21:58:32

北林氏が、既出の書籍についてもネット上に全文展開しました。

http://www.heianbooks.jp/zenbun/jyouzetu/index.html

http://www.heianbooks.jp/zenbun/gyouan/index.html

何かあるんでしょうかね?

1460彰往考来:2005/02/14(月) 12:27:49
>1459

紹介ありがとうございます。平安出版のHPではなく
報恩社のHPに出ていますね。

何を狙っているのでしょうかね。報恩社のHPなら
意見欄を投稿できるようにすれば、いいのですけ
どね。

1461犀角独歩:2005/02/14(月) 19:15:37

先日、講演していただいた島田先生が、学会についての報道の仕方に、以下のようなコメントを blog に載せています。もっともだと思った次第です。

*** 以下転載 ***

楽天と創価学会が?

おかげさまで、『創価学会』9刷が決まりました。

それと直接は関係ないのですが、今週の『週刊文春』に楽天と創価学会の間の関連性を指摘した記事が掲載されました。まあ、きっとこの程度だろうと思いつつ買って読んだのですが、楽天が抗議するのも当然といえる内容でした。

記事の中で事実として指摘されていることは(あくまで記事の中でということではっきりした証拠があるとはかぎりませんが)、楽天ゴールデンイーグルスのコーチのなかに3人学会員がいる。エースとなる予定の岩隈投手も学会員である。楽天の三木谷社長の祖父(故人)が学会員で幹部であり、その長男、三木谷社長にとっては叔父が現在も学会員である。基本的にはそれだけで、あとは憶測で両者の関連性を指摘しているにすぎません。

その憶測というのは、たとえば、学会が楽天をビジネスパートナーにしたいと考えているとか、球団の観客として学会員をあてにしているといったものです。こうした憶測が、どうかと思うのは、企業にとってどうして宗教教団がビジネスパートナーになったりするのでしょうか。イメージがまったくわきませんし、東北地方に学会員が多いわけではなく、むしろ地域的に少ないはずです。学会員を観客として当てにするなら、首都圏や関西に球団をもっていかなくては、何の意味もないはずです。

なんか、もうこういうつまらない関連性の指摘はやめたほうがいいのではないでしょうか。創価学会の報道にかんして、そういう時代はとっくに過ぎ去っているように思います。

http://blog.livedoor.jp/shhiro/

1462彰往考来:2005/02/16(水) 07:40:31
>1460

自己レスです。

間違えました。平安出版と報恩社の両方のHPに出ています。

しかしまあ、平安出版はこの本の出版元で出版元が無料で全文
を公開するとはちょっと異常ですね。
性懲りも無く“日蓮と最蓮房”も公開しています。そろそろ恥
をさらすのを止めていただきたいですね。

1463愚鈍凡夫:2005/02/16(水) 09:41:55

世の沢山の人々に読んでもらって、その批判を仰ぐなんてことはないでしょうね。 (^^ゞ
それとも、創価学会員向けの啓蒙の一つなんでしょうかね。創価学会員以外の共感は呼べそうにない本ですから。
ひょっとしたら、みんなが金を出してまで読みたいと思っていないようだから、だったらタダで読ませちゃえって太っ腹(?)な考えだったりして。

1464犀角独歩:2005/02/16(水) 11:49:51

まあ、しかし、少し仏教に関する教養と常識を持ち合わせた人であれば、呆れ果てる内容といえるでしょうね。これが創価学会の一般会員向けのスケールなのでしょうか。せっかく、大学を作ったり、優秀な学者を出版などで採用しても、これでは、致し方ありませんね。

過日の研究会で、島田先生も日蓮遺文の勉強を始めていることを披露し、小松邦彰師の遺文講義に参加していることを告げておられました。ここで使用されているのは、確実な真跡のみを収録した米田淳雄師・不軽庵版『平成新修日蓮聖人遺文集』であることを、学者の良心として語っていたのが印象的でした。このような良識からすると、いまどき、最蓮房その他に係る御書を、なんら資料考証もせずに、あたかも真筆のように扱うこと、論じることは、既に受け入れられない時代に入っていると知るべきです。

わたしも小松先生の講義は何度か、聴講しましたが、この場で、「最蓮房関係の御書は、すべて真筆です」などと言ったら、講師はもとより、参加者全員から、その良識、むしろ教養と常識を疑われることになります。なんで、こういう良識が理解できないのか、結局、閉鎖的信念大系集団にいるということは、そのような点でまったく神経が鈍感になったうえ、さらにファンダメンタリズムにも陥るという二重の禍を背負うことになることが理解されないからでしょうね。

当掲示板では、そのような点を、(クリアできない学会を含む石山系信念大系の)富士門にありながら、それをクリアした人の集まりである故に、稔りある議論、発展的な議論が可能になっているのだと思います。

まあ、北林本、取るに足りず、そう結論づけて相手にしないのがいちばんであるとわたしには思えます。こんなものを本気で読み、参考にすれば、物笑いになるのは当の創価学会(員)でしょうから。

1465パンナコッタ:2005/02/16(水) 12:31:40
まあ、新刊を出し続け会員に買わせるのが、学会の歯車なんですから売れ上げが悪そうな
最連坊のネタではダメとの判断があったのかも知れないですな。カネさんの方が売れますよ
ネタでは。

1466犀角独歩:2005/02/17(木) 01:26:28

ネタでは、ですね。
しかし、けっこう、書き込みの言葉遣い、横柄ですね(笑)
ここでは、みな丁寧なので、目立ちますよ。

1467彰往考来:2005/02/17(木) 07:41:18
パンナコッタさん

はじめまして。彰往考来です。

>1465 
誤:最連坊
正:最蓮房

ですのでよろしく。

1468名無し@富士門流:2005/02/17(木) 11:04:52

>1465
パンナコッタさん、はじめまして。

非常に意味深なことを書かれますね。

>カネさんの方が売れますよ

これは「本門戒壇之大御本尊」の鮮明な写真と、大石寺蔵「日禅授与之御本尊」の鮮明な写真とを使った、K氏の著書がいよいよ出版されるということでしょうか?

もしそうなら私は創価学会を見直します。

1469パンナコッタ:2005/02/17(木) 12:06:36
>1466 ああ、ごめんなさい。 大変申し訳ありませんでした。

>1467 指摘、ありがとうございます。

>1468 地区に書籍やビデオ、民音のチケットが割り振られている事実は、
教団収入の安定化を意味していると思ったからです。

1470名無し@富士門流:2005/02/17(木) 12:41:33

>1469
そうでしたか、私の考えすぎですか。

カネさん=金さん(「山居院と三鳥派弾圧事件」の金さん)、ではないかと勘違いしました。

「本門戒壇之大御本尊」の鮮明な写真と、大石寺蔵「日禅授与之御本尊」の鮮明な写真だけでも公開してくれませんかね〜

やっぱ無理ですかね。

1471犀角独歩:2005/02/17(木) 14:14:00

> カネさん

とは、『香峯子抄』(主婦の友社)のことではないのですか。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=4072459607

1472愚鈍凡夫:2005/02/17(木) 19:10:23

あのおばさん、ウチの近所あたりでは、
カネゴンで通ってますよ(流行らせたのは小生ですが)。 (^O^)

1473犀角独歩:2005/02/18(金) 00:03:28

『香峯抄』、わたし、実はまだ、この本を読んでいないのですが、いちばん、興味があるのは、亡くなった次男坊をどんなふうに記述しているかです。

もう一点、女性の名前で〜抄というと日本人であれば、誰でも『智恵子抄』を想起しますが、この場合、記したのは、高村光太郎でした。

ご本人の著作で、ご自分の名前に『〜抄」。自分で書いたものに抄を付けたわけですね。
わたしも物書きの端くれですが、このセンスはちょっと、理解できません。つまり、主婦の友社の編集感覚に違和感を懐きました。

1474彰往考来:2005/02/19(土) 09:38:48
>1473

そうかなあ。主婦の友社の編集感覚かなあ。
だって、この人の旦那様の著書はそんなのばかりですよ。『女性抄』とかね。

1475犀角独歩:2005/02/19(土) 10:25:23

ああ『女性抄』。となると、『〜抄』はご当人夫妻のセンスですか?

1476愚鈍凡夫:2005/02/19(土) 10:58:46

では、
次の本は「創顕問答抄?上下巻」(by 「偽書」なんちゃって)って処ですかね。 (^◇^;)

1477犀角独歩:2005/02/19(土) 13:32:20

1470 名無し@富士門流さん:

> カネさん=金さん(「山居院と三鳥派弾圧事件」の金さん

この点、少し詳しくご教示いただけませんでしょうか。

1478名無し@富士門流:2005/02/19(土) 15:06:29

>1477
犀角独歩さん、今日は。

「カネさん」に関しては、完全なる私の早とちりであったようです。

私が期待を膨らましたのは、「山居院と三鳥派弾圧事件」についての論考を明治記念館で発表された方が学会におられ、その方は古文書も通読でき且つ「本門戒壇之大御本尊」と「日禅授与之御本尊」(大石寺所蔵)の鮮明なる写真を所持され、「本門戒壇之大御本尊」の真偽に関する論考も既に完成されており、後は出版を待つばかり(組織からのGOを待つばかり)とのことだったのです。
その方の名字が「金〇」さんなので、学会の方が「カネさん」と愛称で呼んでいるのかと勘違いしました。
数年前には大石寺宗門との法論で有名な、新階央氏とペアで大石寺塔中坊の伝日禅師開基といわれる「南之坊」にて、大石寺僧侶相手に法論に挑んだこともあると言う噂です。

但しこれらはあくまでも大石寺信徒及び学会員からの聞書きです。

学会員さん、あるいは元学会員さんからのフォローを戴ければと思います。

1479犀角独歩:2005/02/20(日) 00:17:56


名無し@富士門流さん、有り難うございます。

しかし、情報通ですね。このような御仁がいらっしゃることは、こちらの常連さんからも訊いておりました。その方が、このような発表をなさっているとは存じ上げませんでした。

常連さん曰く「この公開を本部がOKするのには10年、20年かかる。けれど、今回の発表が、それを早めたかもしれない…」

今回の発表とは昨年暮れのわたしの発表のことです。
さて、どうなることか。
楽しみなところです。

1480名無し@富士門流:2005/02/20(日) 00:49:14

>1479
犀角独歩さん、

>常連さん曰く「この公開を本部がOKするのには10年、20年かかる。けれど、今回の発表が、それを早めたかもしれない…」
>今回の発表とは昨年暮れのわたしの発表のことです。

実は私もずっとそのように思っていました。
犀角独歩さんによる出版物が、これまでの「偽作論」とは大きく違い、視覚で判断できる点は重ねて述べてきました。
これを出された以上、無視をし通すか、真実を明らかにするかどちらかであろうと思います。
情報化社会ですから、本山・本部が黙っていても多くの信徒・会員の目にふれ、論議が起こるのは極めて自然なことだと思います。

正信会や学会は言葉は悪いですが、本格的に本山と決別・決着をつける最大のチャンスを迎えたとすら思うわけです。
是非このチャンスに、出すものは出していただきたいと願うものです。

1481犀角独歩:2005/02/20(日) 01:16:51

名無し@富士門流さん:

仰るような環境になるためには、いくつかのハードルがあるわけです。
なぜか、学会を含む石山系信徒は漫荼羅の写真を撮ることを罪悪視するわけです。
なおさらのこと、それを図形として扱い鑑別するなど、謗法の極みのような感覚があるでしょう。

しかし、自分の家で拝んでいる本尊は、どれもその禁止されているはずの写真製版で作製された印刷です。まず、この事実に気付けないわけです。また、初期の『富士宗学要集』、また、『聖教新聞』にしても、漫荼羅の写真ぐらい載っていました。

それがいつの間にか、御法度に仕上げられてしまったわけです。
まず、このハードルを越えない限り、前に進めません。
わたしのような「無所属」は勝手ですが、学会員で、それも本部の眼を気にしなければならないとなると、これはもはや絶望的です。しかし、既にやってしまった人間がいれば、さらに、そのような認知が広まれば、時代は動きますね。その意味で、わたしは学会を含む石山の時代を捻った実感があるわけです。

無視するのは、勝手ですが、既に日蓮宗内では、講演をまとめた『大石寺漫荼羅本尊の真偽について/所謂「本門戒壇の大御本尊」の図形から見た鑑別』は、有志に配布されましたし、4月までには、わたしの原稿が載る本が1万部近く、教師に届きます。日蓮宗教師方がお読みくださるかどうかわかりませんが、ともかく、1万部が世に出ることは事実です。

「賽は投げられた」という言葉があります。もはや、彫刻本尊に関する図形鑑別という既成事実は日蓮宗史の不可逆的事実として刻印されました。

結局のところ、認めた順に誠実、事実に対して正直という認知を受けることになっていくでしょう。認めず、無視し、大層なことを言っても駄目です。彫刻が生身の本仏だ・歯に付いた肉が生きているなんていうオカルトを暗黙裡に認めている信仰圏にいる人間は、その良識を疑われる時代に入ったと言うことです。

さっさとカミングアウトして、良識・常識の通行手形を手に入れること、これが今後の、石山系に石を置く人間が学界、社会一般でしなければならないことになっていくでしょう。

明瞭な彫刻本尊と、石山蔵禅師授与漫荼羅をお持ちならば、是非とも、発表していただきたいものです。また、そのことは、今後の学会教学の到達点に取って、捨て去る器物の故、当然の歴史の推移として、未来の人は認知することです。

もう2度と、「弘安2年10月12日に楠板に直筆し、法師が彫った」などという与太話で人をだませる時代に逆行することはないわけですから。

1482愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 15:24:42

名無し@富士門流さん、なんですね。

> 正信会や学会は言葉は悪いですが、本格的に本山と決別・決着をつける最大のチャンスを迎えたとすら思うわけです。
> 是非このチャンスに、出すものは出していただきたいと願うものです。

当事者にすれば、真綿で自分の首を絞めるような気分でしょうね。嘗ての自分と自家撞着するわけですから。嘲笑と怒号がこだまする風景を思い描きながら、底知れぬ畏怖の念に苦悩するのかもしれません。
でも、その深いトンネルを抜けないと、未来は閉ざされるんですよね。

1483名無し@富士門流:2005/02/20(日) 18:11:34

犀角独歩さん、愚鈍凡夫さん、今晩は。

大石寺側としては、既に学会員の中に所謂「本門戒壇之大御本尊」が、偽物であると主張動きがあるとしています。

http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_g/emyo_g.htm
(大石寺機関紙「慧妙」最新号)

既に助走は始まっているとみてもいいのではないでしょうか?

1484名無し@富士門流:2005/02/20(日) 18:14:37

訂正です。

誤:偽物であると主張動きが
正:偽物であるとの主張が

該当の記事は、リンク先の「慧妙」平成17年2月16日号3面です。

1485犀角独歩:2005/02/20(日) 19:39:54

名無し@富士門流さん、興味深い、記事のご紹介有り難うございます。
しかし、創価学会員が、ですか(笑)

1486吉祥仙人:2005/02/20(日) 19:57:36
 お久しぶりです

 どこかのホームページに、名無し@富士門流さんの紹介されたような記述があったとすれば
その出所はこの掲示板と推察いたします。
 なぜなら、最も先鋭的な「創価新報」最新号にすらその様な気配は微塵もないからです。

1487犀角独歩:2005/02/20(日) 20:04:29

まさか、問答さんや、わたしのことを学会員といっているのではないでしょうね(大笑)


そういえば、どこかのHPで、わたしが日蓮宗、現宗研に急接近、当掲示板は身延派の謀略舞台に占拠されているなんて書かれていました(爆笑)

一人の主張する人間がいると、「どこどこの」と所属を特定しないではいられない、はじめの一歩で躓いています。

わたしはどこの所属でもありません。わたしは独歩です。他を寄せ付けず、孤立するという意味ではありません。わたしは、心ある人であれば、誰とでも話しますし、歩みもします。しかし、共にしばし歩んだからと言って、どこどこの集団の、とはなりません。わたしはわたしです。

1488犀角独歩:2005/02/20(日) 20:05:37

どうも、打ち間違いが多くていけません。
謀略舞台は、もちろん、謀略部隊です。

1489問答迷人:2005/02/20(日) 20:17:52

名無し@富士門流さん
犀角独歩さん
吉祥仙人さん

慧妙の記事、読んでみました。気になる箇所が一箇所ありました。転載します。

「しかしながら、一方、日興上人のもとで四年間を身延で共に過ごした民部日向は、日興上人の身延離山後の正安○年十二月、自ら板本尊を造立している。いかに大聖人の法義に疎い五老でも、いちおう大聖人の直弟である以上、自ら全くのの新義を作り出すことはありえないから、これは、身延山久遠寺の本堂に安置されていた本門戒壇大御本尊を拝した日向が、大御本尊を真似て板本尊造立に及んだ、考えるほかはない。」(慧妙平成十七年二月十六日第三面)

この「日向師による正安年中の板本尊造立、というのは、事実なんでしょうか。既に議論の終っている事かもしれませんが、敢えて皆さんにお伺いいたします。僕は初耳でしたから。

1490問答迷人:2005/02/20(日) 20:29:08

犀角独歩さん

>どこかのHPで、わたしが日蓮宗、現宗研に急接近、当掲示板は身延派の謀略部隊に占拠されている

これは、大笑いですね。しかも、御参加の皆さんに対して、大変無礼な言い草です。

この掲示板は公開の掲示板で、しかも、ルールがはっきりしています。乗っ取るなんて事、どうやったら出来るのか、教えて欲しいものです。

1491犀角独歩:2005/02/20(日) 20:48:01

問答名人さん:

以下のサイトです。
わたしに悪意があるように見えないものの、また、掲示板そのものに悪意を懐くようでもないのですが、

「顕正会批判を隠れ蓑に、日蓮正宗のイメージダウンを企む身延派プロパガンダの本拠」とは、いったい、なんのことやら。

なんで、直接、尋ねたりしないで、こう決め付けるのか、理解に苦しみます。
ここの管理者さんには、こちらに来て親しく議論をすることを希望します。

リンク集:真実の「日蓮大聖人の仏法」を求めて
http://kane765.at.infoseek.co.jp/link.html

1492犀角独歩:2005/02/20(日) 21:04:54

> 1491

おっと、今度は書き違いどころか転載ミスです。
わたしの勘違いもありました。訂正し、お詫びもいたします。

*** 以下転載 ***

3.富士門流信徒の掲示板

「富士門ネット」の掲示板であるが、最近は身延派のスパイに占拠された観がある

4.日蓮宗現代宗教研究所

顕正会批判を隠れ蓑に、日蓮正宗のイメージダウンを企む身延派プロパガンダの本拠

6.佛教再考

犀角独歩さん(元・日蓮正宗信徒、現在は上記の「日蓮宗現代宗教研究所」や立正大学関係者らと緊密な関係)

*** 転載終わり ***

ひとこと弁明すれば、別にわたしは日蓮宗のみならず、その他、自分が是と思う人・集団とは緊密な関係です(笑)

1493愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 21:17:42

犀角独歩さん、どうもです。
> 当掲示板は身延派の謀略舞台に占拠されているなんて書かれていました(爆笑)。

「謀略舞台」、あまりの面白さに小生メモってしまいました。
メモメモメモ_φ(._.φ(゜-゜;φ(._.φ(゜-゜;φ(._.φ(゜-゜;)カキカキカキ

名無し@富士門流さん、今晩は。久しぶりに「聖人御難事(1279(弘安2)10月)」を読んでみました。

「清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。」(「聖人御難事」学会版P1189)

この文が蓮祖自身、出世の本懐を遂げたことを宣言した文証であるなら、そのあとに、27年間の辛酸の日々を振り返り、ご自身が"法華経の行者"であるとの確信を述べられていますが、出世の本懐の中身には一言も触れていないのは何故でしょう。まさか、1275(文永12)年3月の「阿仏房御書(偽書)」に一機一縁の漫荼羅が蓮祖の出世の本懐であると記されているから「聖人御難事」には敢えて記さなかったとでもいいたそうですが。

「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。」(「阿仏房御書」学会版P1304)

やっぱ、最期の最期まで言い張るのが、石山の処世術なんですね。

1494吉祥仙人:2005/02/20(日) 21:24:12
 補足
 >中外日報
 >商売の邪魔になる日蓮正宗は目の敵・・・

 (商売の邪魔になる。)日蓮正宗は目の敵・・・と告白すべきでは

1495愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 21:37:34

訂正、
「阿仏房御書(偽書)」の執筆年は、学会版が1272(文永9)年3月、新定が1276(建治2)年3月、昭定が1272(文永9)年3月でした。 m(_ _)m

1496通りすがり:2005/02/20(日) 21:40:25
慧妙の憶測は、どこぞの掲示板での淳のつく人や呆のつく人や「れ」のつく人VS坊のつく人や語尾ののびたハンネの人あたりとのやり取りが元ではないですかね?

1497れん:2005/02/20(日) 21:50:54
問答名人さん
>1489
民部阿日向師の造立と言われる板マンダラについては、堀日亨師が「富士日興上人詳伝」に以下の如く述べられています。
『板本尊は延山に多数ある。なかにも、日向の添書に「正安二年庚子十二月日。右日蓮幽霊成仏得道乃至法界衆生平等利益の為に之を造立す」とある丈二尺七寸、幅一尺八寸の大聖人の御筆を写した板本尊が、宝蔵に厳護せられてあるが、ほとんど秘仏で、一般には公開せられていないのはなんのためかを知らぬ』
以上ご参考までに。

1498犀角独歩:2005/02/20(日) 22:02:54

れんさん、横から失礼します。讃文?の「幽霊」ですが、これは『法蓮抄』の「今法蓮上人の送り給える諷誦の状に云く 相当慈父幽霊第十三年忌辰 奉転読一乗妙法蓮華経五部」と同じ用法と見ていいのでしょうか。

幽霊とは、いまのお化けのような用法ではなく、「幽」とは、かすか、かくれ、奥深く静かということで、迷わない霊を意味する言葉でしょうか?

たしか、この「幽霊」談義は、以前もしましたが、しかし、この向師の文、「日蓮幽霊成仏得道」と来れば、蓮師を成仏させるための漫荼羅という意味になるのでしょうか?
この板本尊は、しかし、向師に係るものでしょうか。

1499犀角独歩:2005/02/20(日) 22:03:54

1496 通りすがりさん、なるほど、当を得た観察かと存じます。

1500れん:2005/02/20(日) 22:27:19
犀角独歩さん、この向師造立?の板本尊は実物も写真も見たことがありませんから、はたして向師に係る板マンダラかどうか私には判断出来ません。ただ、堀師のあの記述により、そのような板マンダラが身延山に存在するということを認知しているばかりです。この板本尊については、所蔵している身延山の僧侶に聞かれた方が詳しいことが分かることと存じます。
脇書?の幽霊の語は犀角独歩さんのご指摘のように、私も法蓮抄の用語例に準じているように思えます。「日蓮幽霊成仏得道…」なかなか難解ですが、先師である蓮師の仏果増進を願って造立した板本尊という意味になりましょうか…。

1501問答迷人:2005/02/20(日) 22:29:19

れんさん 早速のご回答、有難う御座います。

富士日興上人詳伝(合本)にあたり、321-322頁に当該記述を確認しました。

兎も角も、そのような脇書のある板曼荼羅が延山に現存することは事実なんだと思います。ただ、日向師は富士一跡門徒存知事に「御筆の本尊を以って形木に彫み不信の輩に授与して軽賎する由し諸方に其の聞えあり、所謂日向日頂日春なり。」と書かれ、板に刻んだ事が批判されています。勿論、この存知事では、版木に刻んで印刷したことが咎められていますが、板本尊も当時の北山からすれば、御筆曼荼羅を刻む訳ですから、批判の対象にされていたと思われます。慧妙の反論は、この存知事の無論を無視していますから、反論としては弱いように思います。

1502名無し@富士門流:2005/02/20(日) 22:31:22

管理人さん、今晩は。
幽霊曼荼羅に関しては、既にれんさんがご指摘いただいた通りだと思います。
堀日亨師の「冨士日興上人詳伝」P321〜322に、れんさんご指摘の記述があります。

この件に関し以前他の掲示板で、身延での修行経験をお持ちの川蝉さんにお聞きしたことが御座います。
残念ながら拝観の経験は無いようです。所謂「本門戒壇之大御本尊」と同様「秘仏」のようです。
ま〜「秘仏」といい、宗内僧侶にも殆ど知られていないようなものですから、恐らくは??ではないでしょうか。

通りすがりさん、犀角独歩さん、私も同感です。以下の掲示板で宗創の代表で法論が行われていますが、学会側は「慧妙」記事の如く主張されています。

http://8327.teacup.com/woman/bbs

愚鈍凡夫さん、仰る通りだと思います。

1503問答迷人:2005/02/20(日) 22:31:48

訂正です

× この存知事の無論を無視

○ この存知事の議論を無視

1504名無し@富士門流:2005/02/20(日) 22:36:26

「管理人さん」改め「問答名人さん」(失礼しました)、入れ違いの投稿になってしまいました。

重ね重ね申し訳御座いませんでした。

1505問答迷人:2005/02/20(日) 22:44:52

名無し@富士門流さん

とんでも御座いません。管理者としての発言は「管理者」として書いています。掲示板参加者として書き込む場合は、「問答迷人」のハンドルネームで書き込ませて戴いております。同じ作業をして下さったのですね、有難う御座います。

1506犀角独歩:2005/02/20(日) 23:07:44

1500 れんさん、有り難うございました。

なんだか、しかし、不思議な文章であると思いました。


1502 名無し@富士門流さん:

すみません。ご紹介のページ、拝見しましたが、双方が、両集団の「代表」ですか?
個人的に組織を背負って、それぞれで主張しているということですよね。

少なくとも、現学会、また、石山の主張とも、それぞれ異なっていると思いますが、これはわたしの読み込みが浅いための誤読でしょうか。

1507通りすがり:2005/02/20(日) 23:08:22
しかし呆氏…見苦しい。まるで「れ」…。

1508管理者:2005/02/20(日) 23:16:32

名無し@富士門流さん

ご紹介いただいた掲示板、なんだか酷く荒れていますね。こんな状態でまともな議論が出来るのでしょうかねぇ。何か、富士門各派の真実の姿を見てしまつた様な気分になりました・・・。

それにしても、当掲示板御参加の皆様は、紳士淑女ばかりですよね。当掲示板の管理者としては、何か、逆にほっとするものが有りました。

1509名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:22:54

犀角独歩さん、通りすがりさん、某掲示板は「場外乱闘有り」のようです。

ところで「身延派のスパイ」って誰のことを指していっているのでしょうね?

1510愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 23:25:33

「むむっ、下手にボケをかますとやばいかも・・・・・」 (..;)
プンプン( ̄^ ̄メ)\(_ _ ;)ハンセイ…

1511名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:29:58

>1508
管理人さん、

私はむしろここの掲示板が特別なのだと思います。
宗教という最も感情的になりやすい議論をここまで理路整然と対話できるのは、どこまでいっても管理人さんのお人柄と優れた管理能力のおかげだと何時も感謝しています。
ありがとう御座います。

1512通りすがり:2005/02/20(日) 23:32:26
身延の人というと…葵のつく方がいましたねぇ。

1513犀角独歩:2005/02/20(日) 23:37:06

1509 名無し@富士門流さん

> 「身延派のスパイ」って誰

うーん、そんな人いますかねぇ?
延山系の人が読んでも卒倒しそうなこと多いんですけどね、こちらの各スレッドは(笑)

1514名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:37:09

>1512
通りすがりさん、

確かその方も「坊」のつく方じゃなかったでしたっけ?

1515名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:38:27

>1513
犀角独歩さん、

やはり想像でものをいってるに過ぎないようですね。

1516通りすがり:2005/02/20(日) 23:45:28
はい、名無し@富士門流さん。確か@もついてましたねー。

1517管理者:2005/02/20(日) 23:54:45

名無し@富士門流さん

>管理人さんのお人柄と優れた管理能力のおかげだと何時も感謝しています。

これは違うのですよ。最初、掲示板を立ち上げよ、と勧めてくれた人がいます。そして、彼は、『掲示板は荒れやすいから、書き込みのルールをしっかり作らなくてはならないよ』って、教えてくれたのです。それが、功を奏しているんです。

その彼とは、『創価学会独立独歩』のチョンガーさんなんです。最初に井戸を掘った人の事を忘れるな、という中国の諺を創価学会にいた時に良く聞かされましたが、この点は大切にしたいと思います。チョンガーさんに敬意を表して、彼のHPアドレスを何回目かですが、掲載させて頂きます。

http://shunpo.ld.infoseek.co.jp/index.htm 『創価学会独立独歩』

1518犀角独歩:2005/02/21(月) 00:10:29

管理者さん、恥ずかしながら、チョンガーさんのお名前は存じ上げていましたが、そのサイトが「独立独歩」であったと、いま気付きました。

なんと、わたしはその「独歩」を名乗って、ここに登場してしまったわけですね。
なんともはや、今頃になって気付きました。

管理者さん、チョンガーさんには改めて敬意を表するものです。

1519通りすがり:2005/02/21(月) 01:01:17
例の掲示板、坊氏を書き込み禁止にして勝手に終わってしまいましたね。あの管理人さんの判定…いくら身内とはいえ、アレで勝ったと思っているらしいが本気なのでしょうか?

1520彰往考来:2005/02/21(月) 07:18:36
>1489問答名人さん、

日向師の板本尊については昭和52年の『蓮華10月別冊号』(蓮華編集部)に細井日達師が「本門戒壇の疑難に対する弁駁」と題して、昭和51年10月発行の『月刊ペン』に宮崎英修師が書いた「大石寺の板まんだらその価値と成立」への反論を記載していますが、その中(3頁)に以下の内容があります。

****************************************
身延山久遠寺には本堂の御本尊がないわけであります。では、日向はどうしたかと申しますと、彼は大聖人の御本尊を写して、板本尊を造っております。それは『身延山文書』に
「一、板本尊 本尊は祖師の御筆を写すが、下添え書きは、第三祖向師(日向)の筆なり。下添え書きに云く、正安二年庚子十二月 日、右、日蓮幽霊成仏得道乃至法界衆生平等利盛の為に敬ってこれを造立す」(日蓮宗宗学全書二十二巻)
と書いてあります。我々正宗の者から見れば、真に不思議なことは、大聖人が成仏していないと思っているのであります。日向造立の板本尊は、即ち日蓮幽霊成仏のためだと書いてあります。
幽霊とは、中有に迷っている霊魂のことであります。中有とは成仏しない、地獄にもいかない、中間のことで、この中にある霊魂を幽霊というのであります。これが大聖人の正しき弟子の教えでありましょうか。真に笑止の至りであります。正安二年は、日興上人身延離山から十一年の後であります。更に、その後十三年も日向は身延に在住しております。そして、この板御本尊は身延の本堂の本尊としておったことは、この板本尊造立の正安二年より五十一年も後の観応二年、辛卯の年に
「身延山久遠寺同御影堂、大聖人御塔頭、塔板本尊  金箔 造営修造結縁」(日蓮宗宗学全書一巻)
と中山三代日祐の『一期修善根記録』に書き残してあります。
これをもって身延の御影堂の大聖人のお厨子の中に、日向造立の板本尊が安置してあったことはあきらかであります。
宮崎氏は、板本尊は我が日有上人がはじめて彫刻したと、臆面もなく述べているが、日有上人より百五十年以上も前に、自分の派祖日向が板本尊を造立していることを知らないとはまことに迂闊千万であります。
一尊四士の釈尊像を中心とする日向が、板本尊を造立したということは、その前に戒壇の大御本尊が存在していたという正しい証明であります。この日向造立の板本尊は、今は富士に気がねしてか本堂にまつらず倉庫の中に隠匿しているのであります。
(中略)
(創価学会第三十九回総会に於ける講演の抜萃)
****************************************
引用者注:文中、板本尊, 板御本尊との用語不一致がありますが原文のママです。

1521問答迷人:2005/02/21(月) 07:48:17

彰往考来さん

有難う御座います。達師がすでに述べていた事なんですね、この反論を良く読んでいなかったのは迂闊でした。

それにしても、「宮崎氏は、板本尊は我が日有上人がはじめて彫刻したと、臆面もなく述べているが、日有上人より百五十年以上も前に、自分の派祖日向が板本尊を造立していることを知らないとはまことに迂闊千万であります。」と達師が述べた事に対する、宮崎師、或いは日蓮宗としての再反論はあったのでしょうか。もし、御存知なら、ご披露戴けると幸いです。宜しくお願い致します。

1522彰往考来:2005/02/21(月) 07:54:19

犀角独歩さん、

1520で紹介した事例では宮崎氏が『月刊ペン』に載せたのが昭和51年10月。
それに対する石山の反論が『蓮華』に登場するのが昭和52年10月でちょうど
1年後になっています。ご参考まで。

1523彰往考来:2005/02/21(月) 07:56:43
>1521 問答迷人さん

再反論があったかどうか残念ながら存じ上げておりません。

彰往考来

1524愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 08:16:55

横レス失礼します。
でも日達師の言葉は、取りようによっては、日向師が板漫荼羅を造立したから、日有師が板漫荼羅を造立したってかまわないじゃないかと言っているようにも採れますね。

「一、御筆の本尊を以て形木に彫み不信の輩に授与して軽賎する由諸方に其の聞え有り所謂日向日頂日春等なり。日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。」(富士一跡門徒存知の事)

日向師は日興師の弟子ではないから、この文とは関係ないと言えますが、日有師は興門派の流れを汲むわけですから、この文を無視できない存在ですよね。所詮、日達師も都合の悪い文証は平気で無視するタイプでしょうか?
逆に、日有師の板漫荼羅のアイデアは、日向師のパクリであったとの解釈も成り立つのではないですか。

1525犀角独歩:2005/02/21(月) 08:54:59

彰往考来さん、有り難うございます。
石山の反論、心待ちしております。

しかし、‘伝’向師板本尊を直ちに本物と断定したり、「幽霊」語の用法に『法蓮抄』を考慮に入れていなかったり、いつも思いますが、達師というのは、どうしてこうも穴だらけなのでしょうか。

1526吉祥仙人:2005/02/21(月) 08:55:50
 話をややこしくするようですが

 例の板本尊模刻事件の学会側の主張は

 「日達上人は、『ご本尊はその人の宝であるからどのように荘厳してもよい』と
おっしゃていた。」

 とのことです。

1527愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 10:05:02

吉祥仙人さん、「本尊模刻事件」の創価学会、日蓮正宗双方の主張を紹介します(当然、双方の主張に食い違いがあります)。

御本尊謹刻問題 自由座談会 赤沢氏
http://ranhou.hp.infoseek.co.jp/mokoku.htm

模刻の手記
http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/shuki.htm

1528一字三礼:2005/02/21(月) 10:41:08
横レス失礼します。
愚鈍凡夫さんが挙げてくださっている「富士一跡門徒存知の事」の一文ですが。
これは、本尊を形木に刻む事を禁じているというより、本尊を不信の輩に授与することの方を禁じている、というように読めませんか。

1529愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 11:15:01

一字三礼さん、レス有り難うございます。
「一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。」
とありますから、「形木に彫み」「不信の輩に授与」の二つを禁じたものと思いますがいかがなものでしょうか。

1530名無し@富士門流:2005/02/21(月) 17:41:15

何時の間にか話題が「本尊模刻」に移っていますね。

保田の客殿安置の日興上人書写の模刻本尊は、赤沢朝陽でやってもらったようですね。

1531一字三礼:2005/02/21(月) 22:01:11
愚鈍凡夫さん、仰るとおり二つを禁じたのでしょうね。

しかし、何故本尊を形木に刻むのを禁じるのでしょう。日本では経典さえ「百万塔陀羅尼経」(770年)以来、木版印刷されているし、蓮祖使用の法華経も「春日版」。
仏像に開眼供養する法華経は印刷でもOKで、曼荼羅本尊ではダメという理由がわかりません。

1532愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 23:17:29

一字三礼さん、どうもです。
漫荼羅=本尊と言いいますか、この頃には既に漫荼羅正意が主流になっていて、滅多なことでは授与しないのが通例になっており、書写数もそんなに多くなかったから「書写し奉り之を授与する者なり。」と堂々と言えたんじゃないでしょうか。
そういう意味では、当時の信者にとって漫荼羅を授与してもらえるというのは、今以上に価値のあることで、模範的信心の証(富士門にとって)となっていたのかも知れないと思ったりしています。

1533彰往考来:2005/02/22(火) 07:48:18
>1526吉祥仙人さん

なぜあなたはいつも“パンドラの箱”を開けるのでしょうか。
もちろん徹底した議論を避けるつもりはありませんが、現時点で達師の過去
のご発言を部分的に引用するのは不適切と考えます。
達師の弁を借りるなら、「今後、模刻事件での一切の議論を禁ずる(要旨)」
とのご発言をどう考えますか?

1534愚鈍凡夫:2005/02/22(火) 10:39:09

これは、「本尊模刻事件」の個人的な感想ですが、

小生は、秋谷会長の
「明快ですね。学会本部常住の御本尊をはじめ、他の御本尊についても、日達上人は昭和四十九年の段階で明確にご存じだったわけだ。まったく光久も無責任な発言をするものだな。」

との発言を受けて、赤沢氏が
「本当にそう思います。こと御本尊のこととなると日達上人は厳格で、必ずそばにだれもいない時に話をされていました。それが役僧であろうと側近であろうと、だれかいる時にはそうした話は一切口にされませんでした。」

と、答えていることに注目しました。赤沢氏の言う、御本尊に厳格な日達師が

「御本尊は受持した人のものですから、信心の上で大切にするのであれば、板御本尊にするのは自由です。他の人がとやかく言うものではありません。紙幅(しふく)を板御本尊にするということは、以前からもあったことです。特段、問題にすることではありません」

「と言われていた」という秋谷会長の発言は矛盾していますよね。
それと気になるのは、日達師と赤沢氏のやりとりには証人がいないと言うことです。
もう一つ、赤沢氏が「池田大作授与の御守本尊昭和二十六年五月三日」の漫荼羅彫刻について触れていないのが気になります。長年日蓮正宗の漫荼羅彫刻を請け負っていた仏師なわけですから、当然、御守本尊の意義は承知していたはずです。それなのに、板に彫刻したのはどういう了見でしょうか。そういう意味で、小生は、この赤沢証言に信憑性を感じません。

1535吉祥仙人:2005/02/22(火) 11:23:31
 彰往考来さんへ

 よけいなことですみませんでした。

1536彰往考来:2005/02/22(火) 12:29:25

>1535吉祥仙人さん

どんな機密文書でも一旦コピーされるとひとり歩きします。
それと同じで一旦箱が開いて中身が出てしまうと、閉じる
だけではすみません。
私も1534の愚鈍凡夫さんとご意見と同じです。たしか赤沢
氏の話は全く創価学会側の証言と反する内容もあったと記
憶しています。今日の夜でも古い資料をひっくり返してみ
ましょう。

1537真実 探求者:2005/02/22(火) 17:41:34
1533 彰往 考来 さん、、失礼します。 小生は、当該方の問題提起によりまして、「ウロ覚えの過去の記憶」が 愚鈍 凡夫さんの明快なるお答えにより、とても参考になりました、。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 お答えのご面倒の時は、過去の〇〇スレッドをご参照下さい、だけでも勉強になります、、。 ドーカ、投稿・発言するという「機会均等の平等性だけは、今後も御維持」して戴ければ幸い、と存じます、が、、、。 御免下さい、、。 早々。

1538真実 探求者:2005/02/22(火) 17:59:54
ドーモです、、。 追加させてください、、。 悪意に満ちたような「ネット荒らしや、口汚く暴言だけの逆切れ文言以外は、、」何卒御穏便にお取り計らい下さいませ、、。 早々。

1539彰往考来:2005/02/23(水) 07:28:26

>1537,1538 真実 探求者さん

ご指摘の点は
①自由な発言を封じてはいけない
②冷静に対応しなさい

ということかと存じます。
ご指摘を肝に命じます。今後ともご指導のほど
お願い申し上げます。

彰往考来

1540彰往考来:2005/02/23(水) 07:36:10
本尊摸刻事件については『創価学会の偽造本尊義を破す』(平成9年、大日蓮編集室)の87頁に水島師が日蓮正宗の主張を書いています。色々な資料を冷静に読み比べると、私は水島師の弁が一番説得力があると考えます。水島師の要旨は、
(1)日達上人が昭和49年の秋に了解されていたとすると、わずか三、四カ月後の昭和50年1月に失念されていたはずがない。
(2)日達上人が七体の摸刻を昭和49年の段階で承知されていたというのは赤沢氏ひとりの証言で他の証言と矛盾する。
(3)摸刻された七体の紙幅御本尊の中にお守り御本尊がある。
というものです。
特に(3)については、「本宗においては古来、個々に授与される鎮護御本尊は、本人が死亡した場合はお寺に納めることが原則であります。これを、かりそめにも板本尊として彫刻し、他人に拝ませることなど絶対に許されることではありません。宗門において許されざる行為を、山法山規を厳守された日達上人が、これを承認したり黙認されることなど、ありえません。」(95頁)とあります。

なお、同書104頁に昭和49年9月2日の「藤本メモ」についての記載があります。雪山坊における学会と宗門との連絡会議の記録であり、7番目に「7.本部3階の御本尊の件−板本尊にしたい」というのに対し「7の件−OK」とあります。本部3階の御本尊とは学会本部の日昇上人の紙幅御本尊(昭和26年5月19日に御書写)です。
宗門側の見解は、新たに日達上人に板本尊の御下附を願い出ると思っていた(日昇上人の御本尊を板本尊に摸刻するのを許可したものではない)というものです。これに対して学会側の主張は、『地湧からの通信第26巻』(1993年、はまの出版)の176頁にあるように摸刻OKと解釈しています。どちらの主張が正しかったのかわかりませんが、少なくとも解釈の違いがあったのでしょう。そうすると、学会が主張しているような“日達上人が失念した、それを学会がかばった”というのではないと思います。ただ宗門側の主張もちょっと無理があると思います。この御本尊は創価学会として意義深い御本尊で創価学会重宝としたためられています。それを手放して替わりを、と創価学会側が考えたとは思えないからです。参考までにこの御本尊は柳沢宏道師の『石山本尊の研究』(平成9年、はちす文庫)の第32番目に入集しています。

赤沢氏の証言としては二次資料ですが、『継命』昭和55年9月15日号に「五十三年の一月に、赤沢朝陽さんが経営難などの問題の背景もあって、猊下にお目通りしています。そのとき学会の諦法の実態に耐えきれず、多数摸刻したことを告白なさったんじゃないかと思います。猊下は「なに!」と驚かれて、大宣寺さんに「お前行ってこい」と調査を命じられて、事実が判明したんです。」という原島氏の証言を載せています。同様の内容が『大日蓮』の平成5年11月号に菅野慈雲師(大宣寺住職)の話として載っていますので、原島氏の談話の出処は菅野慈雲師でしょう。 

http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/shuki.htm

赤沢氏本人は平成9年10月18日付けの聖教新聞の自由座談会で、この話はつくり話として否定されています。これもどちらが正しいのか分かりかねますが菅野慈雲師の話が信憑性があるような気がします。

創価学会による本尊摸刻事件。これは私が池田氏をセンセイと呼べなくなった原因です。当時死ぬほど苦しんだことでした。そして、「一切の論議を禁ずる」という日達師のお言葉とともに自分自身の心の中に封印したのでした。今この封印が解かれてしまったわけですが、改めてあの問題が自分自身にとって解決していなかったことに気がつきました。さあこれからどうしようかと思案中であります。

1541彰往考来:2005/02/23(水) 07:51:26
>1530 名無し@富士門流さん

ご存知とは思いますが、自由座談会で赤沢氏の以下の発言があります。

>赤沢 そんなことはありません。現に学会本部の御本尊以外にも、保田の

妙本寺では十体、日向(ひゅうが)の定善寺では七体ほど、それぞれお寺の

御本尊の写真を撮り、謹刻しています。何より日顕自身、広島・正教寺の客殿の

御本尊が大きすぎて御厨子(ずし)に入らず、住職に「赤沢に言って、写真を撮

ってもらって小さくしろ」と指示を出していたことがあります。

http://ranhou.hp.infoseek.co.jp/mokoku.htm

1542犀角独歩:2005/02/23(水) 08:28:15

1531 一字三礼さん、横レス失礼。

> 法華経は印刷でもOKで、曼荼羅本尊ダメという理由がわかりません

わたしは、こう考えます。
法華経は万人に開かれたテキストだけれど、漫荼羅は個人宛の允可証のようなものだから。
法華経のなかで五種法師の修行で書写が奨励されていますから、複製は、むしろ是で、その修行を末法不相応と停止(ちょうじ)するはおかしいと、わたしには思えます。ということで一字三礼さんのお考えに賛成。

一方、漫荼羅複写にはわたしは反対の立場です。何故ならば、これは各個人宛、特定用途をしてしたものだからです。個人宛の処方箋、自分が取得した権利書、免許証などは、コピーして他人が使っても、何の意味もないのと同様です。

万人向けの仮本尊を大量生産するなどという発送は、考案者である日蓮その人になく、それを継いだ日興にもなかった。その精神がまた継承され重須文書になったという脈絡を見るべきと、わたしは考えますが、如何でしょうか。

1543犀角独歩:2005/02/23(水) 08:47:58

模刻に関する石山・学会双方の言い分は、どちらに軍配を揚げるかと考えた瞬間に事実は見えなくなるでしょう。それぞれ、勝手な言い分があり、嘘があり、事実もある。それぞれの主張から事実部分を如何に抽出できるか、です。

また、歴史的に、近視眼的な視点で謗法、法外云々を語るのはナンセンスでしょう。
漫荼羅を本山に許可を取らず板に刻むのは、蓮興二祖の感覚からすれば、そもそも彫刻、複製はNG。影師頃から近代に至るまで、漫荼羅を末寺、石山から離れた地方の住職が、そもそも書写をしていたのだから、板に刻むことで大騒ぎするのは、おかしな話。明治大正昭和戦前で、模刻は別段、本山の許可など取らずに行われていた模様で、それが学会勃興以降NGになった歴史を看過するのはどうか。あと、学会成就本尊の入仏式は『聖教新聞』一面トップで報じられていたのに、それをあとあとまで石山坊さんが知らなかった、そんな馬鹿なとわたしは、思います。

もう一点、石山・学会双方、模刻本尊は7体だ、8体と言っていますが、これは嘘でしょう。
わたしが20代の頃、学会本部に副会長指導を受けに行ったとき、銀舞会館で(あったと記憶する)待っているとき、仏間で唱題しようと、漫荼羅本尊を見ると、正本堂建立時に学会幹部に頒布された、所謂特別御形木本尊を彫った板本尊でした。たぶん、この手のものは、ほかにもあったのではないでしょうか。学会には一貫して紙幅しか下付しなかったのに、法華講やら、他の団体には板本尊が許可されていた、面白くないという空気が当時の石山周辺にはあったように思います。その反動で、学会施設その他で板本尊へ取り替える風潮が、池田さんの鶴の一声で始まったのではないのか(これは当時の雰囲気からの推察ですが)

さらに、もう一点、石山が本尊模刻で怒ったのは、実は語られないもっと大きな理由があったと、本山勤務の執事職から訊いたことがあります。それは、なにか。要は、板に彫るとき、その傍らに「池田大作」という本人のサイン(あの独特の字)を一書に刻み込んだ。これが本山の逆鱗に触れたということでした。

結局のところ、学会本部入仏を新聞で見ても黙認したけれど、その他よくよく聞き調べたら、池田さんのサインが模刻本尊に彫り込まれていることを知り、激怒し、「そんなみっともないもの、宝蔵にでもしまっておけ」というところまでなったというのが、真相ではないのか、とわたしは考えています。

1544一字三礼:2005/02/23(水) 11:25:42
犀角独歩さん、レスありがとうございます。
仰ることに賛同いたします。

私の意見は非常に表面的なものでして。
興師ではなく蓮師の法華経の扱いは、佐渡に書写して送る約定を反故にしている経緯から「濫りに分布せず」であったのではないか、と考えます。
しかし蓮師在世当時にも、すでに印刷された法華経があったわけです。となれば、人から書写したものを入手できなければ、印刷版を手に入れる事も可能であったかもしれません。印刷技術の発展自体が、蓮師の「濫りの分布せず」のスタイルを実質的に空しいものにしたのではないか、と考えます。
蓮師の大曼荼羅の扱いも法華経に準じたもので、相手の信行の度合いを測って授与したものと理解しております。そうなるとやはり、コピー技術が発達した現代では空しいように思います。
勿論、ご指摘のように大曼荼羅には相貌の違い、信心の認可的な意味合いから条件は法華経とは全同ではありません。
しかし、現実的には大曼荼羅のコピーは、止めようの無いことでもあり、書写に限定すれば坊さんの飯の種にしかなりません。ちなみに私は、ボロボロになった経でも捨てるまでに強い精神的な抵抗があります。

1545愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 12:32:11

見方を変えれば、「経」は何れが本尊であるかの指南書、本尊は信仰の対象。と言う違いがあるのではないでしょうか。だから、「経」は一字一句間違いなく伝わることが重要で、修行としての書写とは、また違った意味を持っているのではないでしょうか。
形木の延長線上にある発想とはいえ、本尊に関しては、現代のように印刷技術が驚異的な発展を遂げるとは誰も想像してないかったでしょうね。
また、鎌倉・室町時代の人が試し刷りの漫荼羅サンプルを見たら、皆さん、家に帰って「一身上の都合により・・・・・」なんて書状を認めたりするんでしょうね。 (^^;)
それに、寺院に多大な貢献をした御仁に賞与として書写漫荼羅を授与するといった理由付けも出来ますしね(こっちの解釈が本筋だったりして)。

ただ、今では「富士一跡門徒存知の事」のこの文は、富士門一同にとって、踏んではならない地雷のような存在になってしまいましたね。

「一、御筆の本尊を以て形木に彫み不信の輩に授与して軽賎する由諸方に其の聞え有り所謂日向日頂日春等なり 。日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩 に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。本尊人数等又追放人等、頚切られ、死を致す人等。」(「富士一跡門徒存知の事」学会版P1606)

1546愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 12:37:33

考え事をしながら、キーボードを打ってたら、変な文章になってしまいました。
m(_ _;)m ゴメン!!

1547犀角独歩:2005/02/23(水) 12:41:30

一字三礼さん、仰る御意、一々に賛同できます。

書写行からすれば、開版法華経を使うのも不謹慎なんてことになるのでしょうか。
しかし、書写行は、いわば複製流布の薦めですから、今日的には、たしかに印刷は可ということになりますでしょうね。

>
現実的には大曼荼羅のコピーは、止めようの無い

まったく仰るとおりであろうかと存じます。
わたしは蓮師の祖意から観れば、という限定で反対と言いますが、それを謗法などという気は毛頭ありません。また、漫荼羅を本尊としたければするも是と思います。
ただ、祖意の如きに振る舞おうとする人を却って謗法などという認識不足者には異を唱えるばかりです。

> ボロボロになった経でも捨てるまでに強い精神的な抵抗

お気持ちはわかります。

これは一字三礼さんのことではなく、石山圏の話ですが、他と比べて、勤行に勧請がないのは変。これには賛同します。同じようなことですが、尊体本尊その他に入魂・脱魂という法義がないために区切りがつかないという欠陥があると考えています。脱魂という所作がないために、仏のままで、火にくべる、仏教的にはげにも恐ろしいことをやってのけてしまうのでしょうね。それは「謗法払」に留まらず、自宗の本尊の回収処分でも同様のことになっています。

1548犀角独歩:2005/02/23(水) 12:48:17

愚鈍凡夫さん:

> 本尊を以て形木に彫み

というのは、結局のところ、「形木に刻んで刷った紙幅」、「模刻した板本尊」の、どちらなんでしょうかね。

変な文章は、愚鈍凡夫さんのではなく、そもそもこの文面です。

1549名無し@富士門流:2005/02/23(水) 13:02:50

皆さん今日は。

大石寺のように、当代貫首書写の漫荼羅を御形木(コピー)にして配布するのは、門下内では異例ですよね。

普通は御形木・模刻は宗祖漫荼羅を行うのが普通で、稀に歴代が尊敬する先代などの書写漫荼羅を模刻(保田では伝師が郷師書写漫荼羅を模刻した)するケースがあるくらいだと思います。

自分の書いた漫荼羅を御形木あるいは模刻して配布するのは、「楽して金儲けしたい」だけじゃないんでしょうか?
それとも「当代貫首」=宗祖と同等ということでしょうか?石山では日寛師の代から、自分で書いた漫荼羅を御形木にして配布しているようですね。

1550愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 13:08:04

犀角独歩さん、どうもです。
言われてみれば、漫荼羅を板に刻む事を禁じているのか、それとも、その形木を使って印刷する事を禁じているのか分かりかねる文章ですね。
しかし、どちらにも採れて、言い逃れができるように意図的に書かれた文章なのでしょうかね。

「知的犯罪の指南書として使われたらどうしよう」(by 独り言)

1551一字三礼:2005/02/23(水) 13:42:14
犀角独歩さん

> 尊体本尊その他に入魂・脱魂という法義がないために区切りがつかないという欠陥があると考えています。
まったく仰るとおりで、如何に便宜的・形式的なインチキくさい儀式であっても、所詮、崇拝物自体は紙や木の信仰的付加価値部分ですから、入魂・脱魂は必要不可欠なのでしょうね。

やはり、蓮師の大曼荼羅授与という行為は、蓮師の法儀からしても特別なものだったのではないでしょうか。
現代のように一家に一本尊などではなく、蓮師の考える弟子達にとっての本尊とは、寺院本堂に奉られる一尊四士を想定されていたのではないでしょうか。
信者達は本堂に参詣し、一尊四士に拝復し、その後に僧侶の説法を聞いて帰る、自宅での勤行儀は東方に向かっての唱題・読経、そんな形式想像します。

蓮師の時代には、まだ仏壇という概念がありませんし、有力信者が持仏堂を所有していても仏壇というよりは、寺院のように使われています。
やはり、「一家に一本尊」の考え方が間違いなのではないでしょうか。

1552彰往考来:2005/02/23(水) 22:48:52

形木本尊について、最古の資料は中山三世日祐師の「本尊聖教録」(康永3(1344)年)にある「形木本尊 二鋪 三枚」(『日蓮宗宗学全書第一巻上聖部』昭和43年第二版、山喜房佛書林、407頁)でしょう。この形木本尊は「本尊聖教録」の記載内容から明らかに紙に刷ったものです。中山初祖日常師の「常修院本尊聖教録」(永仁7(1299)年)に形木本尊は記載されていませんが、日常師の収集以後にもたらされたか、この形木本尊が法華寺分ではなく本妙寺分であることからもともと日常師の手元になかったかのどちらかでしょう。なお、「常修院本尊聖教録」の宗学全書本は錯簡があり、寺尾英智師の『日蓮聖人真蹟の形態と伝来』(平成9年、雄山閣出版、349頁)に修正記載されています。
「本尊聖教録」の記載では授与者などは不明です。正徳2(1712)年頃の「堀之内妙法寺目録」(『御本尊鑑 遠沾院日亨上人』昭和45年、身延山久遠寺、196頁)は中山法華経寺が日頂授与之漫荼羅の形木を一幅所蔵していたことを伝えていますが、天正19(1591)年の「日俒御手前ニ有之御霊宝」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』昭和62年、立正大学日蓮教学研究所、<資料紹介6頁>)や天正20(1592)年の「中山霊宝之注文」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』、<資料紹介9頁>)に記載がなく、慶長3(1598)年の「正中山御霊宝目録」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』、<資料紹介20頁>)に「従上方持下日頂授与三枚次之大曼荼羅 一幅 当山江令寄進之」とあることから「堀之内妙法寺目録」記載の日頂授与之漫荼羅の形木は天正20年から慶長3年の間に奉納されたものと考えます。中山から流出し、このとき還流した可能性もあるかと思います。

また身延山久遠寺においても形木本尊を旧蔵していた記録があります。慶長8(1604)年の「身延山久遠寺御霊宝目録(乾師目録)」(『昭和定本日蓮聖人遺文 第三巻』昭和63年改訂増補版、総本山久遠寺、2747頁)に「建治ノ御形木 弘安ノ御形木 合二幅」とあり明らかに紙幅です。『御本尊鑑 遠沾院日亨上人』は主として身延旧蔵御本尊の遠沾院日亨上人による模写で第21番(42頁)に日頂上人授与御本尊が入集しています。編者の影山師は、乾師目録にある形木とし「無年号であるが授与者の名とその位置讃文その他の形式から見て、清水市海長寺所蔵の日頂上人授与の分(立正安国会御本尊集第五三)と殆んど一致する。故に恐らくこれは海長寺所蔵の曼荼羅を原型とした形木であろう」としています。

いずれにせよ、「富士一跡門徒在知事」に「所謂日向日頂日春等」とあるうちの「日頂授与之漫荼羅の形木」が記録にあったことは興味深いことです。

日春師の形木は、『日淳上人全集下巻』(昭和57年改訂分冊、日蓮正宗仏書刊行会)の1544頁(「富士一跡門徒在知事書聞」)に「第四条中日春といふ人は岡宮光長寺の開山で日法師の先輩に当る人であつて模刻の御本尊が郡内に現存する。」とありますが詳細は不明です。淳師の文章では板本尊のようですが、そうではなく紙幅であったかもしれません。

by 彰往考来

1553犀角独歩:2005/02/24(木) 00:40:43

1549 名無し@富士門流さん、まったく、お考え賛同します。

1550 愚鈍凡夫さん、本当に変な文章ですよね。

1551 一字三礼さん、わたしは、仏像奉安と漫荼羅奉懸とは、まるで違う化儀堕と思っています。
また、一尊四士は、取りあえず、興師の考案で、また、漫荼羅を本尊とするのも、その確定は興師。しかし、その奉安と奉懸は、別義であると考えています。

1554名無し@富士門流:2005/02/24(木) 01:54:51

>1553
彰往考来さん、

日淳師が仰るものは、伝日法作の日春供養板曼荼羅のことを勘違いされての事ではないでしょうか?

http://fujigoko.tv/furusato/bunka/act08.html

かつて犀角独歩さんから指摘されましたが、日法師は「門下歴代大曼荼羅本尊集成」掲載の写真によれば、首題の下に「日法(花押)」あるいは「沙門日法(花押)」と書かれていますが、この板曼荼羅は首題の下が「日蓮大聖人」と書かれて(彫られて)おり、本当に日法師の彫刻かは疑問ですけどね。

なんとなく『日淳上人全集下巻』の記述をみますと、この板曼荼羅のことを勘違いされてのご発言かと感じられます。

なお、他門においても当代貫首の漫荼羅を御形木にする例はあるのでしょうか?
普通は御形木といえば、宗祖図顕の漫荼羅ではないかと思うのですがいかがでしょう?
この点ご教授戴けますと幸です。

1555名無し@富士門流:2005/02/24(木) 02:00:04

>1553
犀角独歩さん、

ご賛同戴きありがとう御座います。

以前このスレッドで、学会員の三鳥派に関する論考について、関心をお持ちのようでしたが、「つぶやきすれっど2」の>1362 のご投稿を拝見しなんとなく納得しました。

菅田師の講義内容を、是非お教え戴ければと願うものです。

1556犀角独歩:2005/02/24(木) 07:52:35

1555 名無し@富士門流さん:

菅田師のお話は多岐に亘り、実に「濃密」でした。
ご承知であると思いますが、『中外日報』平成元年1月25日1面に(上)、同26日1面に(下)が載った、同師の文・『日蓮異端・三島派にみる古神道的要素をめぐって』に沿った内容でした。
大見出しを拾えば、

(上)・創始者日秀はじめ玄心・玄了らは遠島に
    ・富士派大石寺の異端
    ・幕府 芽生えを徹底弾圧
     教義 未だ明確には判明せず

(下)・富士宗学の神道的部分の突出が三島派か
    ・行法にちらつく影 神道
    ・遠島で絶えた“邪宗”
     八丈島 日本宗教史の謎遺る

でした。講義はもちろん、堅樹派、完器講にも及びました。

菅田師は、現地見聞の強さ、話題にする場所場所を、実際に訪れたうえでの話であるだけに、それだけでも聞き応えのあるものでした。講義内容をここに簡便に述べることは、とてもできません。

1557犀角独歩:2005/02/24(木) 09:11:35

1551 一字三礼さん、昨晩は酒も入っていましたので、簡潔に書きました。
重ねて、記させてください。

以下は、問答さんとも議論をさせていただいた点ですが、法華経そのもののコンセプトからすれば、この塔内に置かれるべきは法華経典であると類推されます。これを妙法蓮華経の五字と見た着想は蓮師の考案であろうと思えます。しかし、七宝塔を南無妙法蓮華経七字に見立てるという真偽未決に見られる着想を蓮師が果たして懐いていたか、わたしは懐いておられなかったであろうと思えます。

これまた、過去の議論の延長になりますが、釈迦仏と題目五字、どちらが末法本尊かという議論はしばしばなされました。いまは、この議論を繰り返すのではなく、さらに違う視点から言えば、蓮師にとって、妙法蓮華経の五字は一念三千宝珠を裏むが故に尊いという考えが本尊抄に見られる点のみを挙げます。

以上雑駁な概観ですが、わたしは、蓮師の本尊観は一貫して久遠実成の釈尊である、しかし、行ずる観法は一貫して一念三千であるという二面性をそこに窺います。蓮師が仏像に「魂」を入れる所作として考えお出でであったのはその御前に法華経典を置くことで梵音声に代え、ここに三十二相具備するととらえたことは、もちろん、疑問の余地はありません。漫荼羅正意論者は、しかし、晩期、蓮師は以上のような本尊奉安から漫荼羅に移行したと言います。しかし、わたしはその点は納得できません。何故ならば、興師『宗祖御遷化記録』に至るまで、蓮師が一体仏を随身されていたことは紛れもない事実だからです。つまり、入滅のその日まで蓮師が拝んでいたのは、この一体仏であることにも、疑問の余地がありません。(しかし、墓所にそれを置くこといい遺したのは、本尊が漫荼羅となっていたからだというのは、短絡以外の何物でもありません。墓所という道場とは別の用途からでしょう。墓所の様式は三宝奉安、すなわち、仏=一体仏・法=註法華経・僧=蓮師遺骨となっており、別段の意義がそこにあったからでしょう)

「では、漫荼羅は?」という疑問が沸くわけですが、わたしは漫荼羅は、妙法蓮華経の五字で奉懸の場を道場たることを示し、一念三千を裏むことを十界勧請で表し、さらに漫荼羅奉懸の場所を戒壇たることを四大天玉の勧請で示し、祈祷・護という密教的要素を不動・愛染の勧請で補完し、授与者名・日付を記すことで允可・免許の意義も備え、さらにそれら図示によって、蓮師教義の規模もそこで尽くすという、複合的機能があったのであり、つまり、これは釈迦仏像本尊という機能とは別段のものであったのではないのかと考えています。

1558犀角独歩:2005/02/24(木) 09:11:59

―1558からつづく―

しかしながら、重須文献、殊に伝・順師文など、あるいはまた、京で考案されたという一塔二尊四士という奉安、現代で言えば、延山久遠寺の漫荼羅図に基づく仏像配置など、一貫しているのは、漫荼羅を仏像配置図と観るという点であろうかと存じます。

わたしも以上のように、実は考えてきました。
しかし、最近は、これは少し雑駁な発想ではないのか、と考え直すところがあります。

蓮師は漫荼羅を奉懸し、かつ、それに向かって読経・唱題をしたのだろうか?
そんなことをずっと皆で語らってきたのですが、わたしはこの可能性は限りなく少ないと考えます。蓮師が拝まれていたのは、釈迦一体立像であることは疑問の余地がありません。

また、一尊四士という様式の着想は、たぶん、蓮師その人に既にあったように窺え、これを自身の義としたのは興師であったと言う点は重須文書から窺えるわけです。その後の発展で、漫荼羅図を戒壇本堂奉安の仏像配置の、いわば設計図のように見なすに至ったことは、想像されます。いきおい、戒壇本堂奉安の様式をそこに見たのであろうと思えます。

このような考えは、たぶん、京方でも同じで(もしくはどちらかが影響を与えあって)一塔二尊四士を生じた時代背景はあったのであろうと推測されます。
余計なことを記せば、一塔二尊の造立は、法華経の文意、もしくは本尊抄の記述から見ても甚だ不可であると主張してきました。何故ならば「塔中」となっておらず、釈迦・多宝の二仏が塔の外に置かれてしまっているからです。つまり、蓮師の祖意をそれら造立形態は尽くしていないとわたしには思えます。宝塔内に法華経典を置き、左右に釈迦・多宝であれば、法華経の文意、それを五字に置き換えれば、蓮師の着想を忠実に再現したことになろうかと思います。

しかし、仏像奉安と、漫荼羅奉懸はしかし、元来、別段の意味を有して蓮師は確立されたのにも拘わらず、一体仏の遺失、さらに漫荼羅書写における特権性(仏像は仏師という芸術家が作るが、漫荼羅は法義を司る僧侶が書ける)という実利面から、漫荼羅は仏像と同義と見なされるにいたり、現在に至っているのはないかと思えます。

諄い文章になりましたが、以上のことから、仏像と漫荼羅は、その用途を別にすると、わたしは考えています。

1559一字三礼:2005/02/24(木) 11:46:50
犀角独歩さん、レスありがとうございます。

> 蓮師の本尊観は一貫して久遠実成の釈尊である、しかし、行ずる観法は一貫して一念三千であるという二面性をそこに窺います。

私などでは、はっきりとつかめないのですが、「久遠実成の釈尊」と「一念三千」とはどのような関係にあるとお考えですか。

「一念三千」はいわゆる「倶の十界」を機軸として十如是を三世間を加えて説明される、地獄から仏までの、言わば循環の理論ですよね。私の中では、この「一念三千」理論が法華経の内容と結びつかないのです。法華経の中心になる教説は言うまでもなく「二乗作仏」と「久遠実成」。「一念三千」が法華経の法門であれば、どこから導きだされたのでしょうか。

> 妙法蓮華経の五字は一念三千宝珠を裏むが故に尊いという考えが本尊抄に見られる点のみを挙げます。

妙法蓮華経の五字は宝塔であり、且つ妙法蓮華経の五字は一念三千を含む。という事は「一念三千」は宝塔内の釈迦・多宝ということになるのでしょうか。

> これは釈迦仏像本尊という機能とは別段のものであったのではないのかと考えています。
曼荼羅と仏像がまったくの別儀であったとの結論、賛同いたします。

> 蓮師は漫荼羅を奉懸し、かつ、それに向かって読経・唱題をしたのだろうか?

ここに関してはいつも真偽論に突き当たるのですが、例の「本尊問答抄」の最後に、

「其の旨をしらせまいらせむがために御本尊を書きをくりまいらせ候に、他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給ひ候へ。」

これをどう読むかという事で変わってくるのではないか、と思います。私見では、授与した弟子達には大曼荼羅に向っての唱題・読経を勧めていたのではないでしょうか。

> 一塔二尊の造立は、法華経の文意、もしくは本尊抄の記述から見ても甚だ不可であると主張してきました。

このご見解もまったくそのとおりであると思います。一塔両尊四士という奉安形式は、なにか大曼荼羅とも一尊四士とも付かぬ中途半端な感が拭えません。

1560彰往考来:2005/02/24(木) 12:20:50
>1554名無し@富士門流さん

日春供養板曼荼羅のご紹介ありがとうございます。
淳師の件はおっしゃるようなことと思います。

残念ながら私は他門流についてはほとんど知識が
ありませんので、存知あげていないということに
なります。

1561犀角独歩:2005/02/24(木) 14:23:53

1559 一字三礼さん:

>「久遠実成の釈尊」と「一念三千」とはどのような関係

蓮師教学の掌握としては、

本門本尊…「久遠実成の釈尊」(脇士・四菩薩)
本門題目…妙法蓮華経…「一念三千」

という関係であろうととらえています。
蓮師の認識とされては、開権権遠、もしくは顕本遠寿以前の釈尊は迹仏の域であり、これでは真の一念三千とは言えないという廃立ではないでしょうか。寿量では三妙合論で、‘本’因・果・国土が、ここに明示されるととらえるわけですね。生(因)仏(果)国土はもちろん迹門以前でも揃うには揃っていますが、この頭に付く、‘本’がポイントですね。本の因果国と、それ以前では、その意味は天地雲泥であるからこそ、台学を踏襲して開目抄に典型を見る本迹義を蓮師は孕んだのであろうと存じます。(ただし、その教義をわたしが信仰するという意味ではありません)

> 「一念三千」…地獄から仏…循環の理論

なるほど。このように整理されていらっしゃるわけですね。
妙楽の成句である一念三千は、言うまでもなく天台説・章安記の三千不可思議境で、三千而非三千、不思議一というところでしょうが、わたしは参禅、観心法の実践論、つまり、禅を組んでいるときに、己心に地獄から仏を三千に観察する行法であろうと、本文から考えています。この三千はしかし、羅什が九如是として挙げたところを敢えて十如是とし、その乗数を三千としたのは、三千大千世界という吉数への語呂合わせとも思え、わたしは承伏しかねます。


> 「一念三千」理論が法華経の内容と結びつかない

まったく、同感です。上述したとおり、台学では法華経の説くところは一念三千と言いますが、わたしはまったくそうは思えません。天台は、むしろ法華経を通じて、そのような参禅中の観察心法の行法としたわけで、それが法華経の至極であるという考えには、わたしも納得できません。

> 法華経の中心になる教説は言うまでもなく「二乗作仏」と「久遠実成」。

さらに正確を期せば、二乗までの記別(未来成仏予言)と仏になることによって得られる量り知れない長寿という功徳というのが、そのコンセプトで、だから、未来成仏を信じて、五種法師行に専念し弘教すれば、六根清浄を得、死後は極楽世界の蓮華から化生できる、四安楽行もある(安楽とは羅什以前のスカバティー(極楽)の訳語)というのでしょうね。

1562犀角独歩:2005/02/24(木) 14:24:28

―1561からつづく―

> 「一念三千」が法華経の法門であれば、どこから導きだされた

華厳・般若のモチーフを採り入れて、というところでしょうか。
法華経中では、方便の十(九)如、寿量の三妙合論でしょうか。


> 妙法蓮華経の五字は宝塔であり、且つ妙法蓮華経の五字は一念三千を含む。という事は「一念三千」は宝塔内の釈迦・多宝ということになるのでしょうか。

いや、そうではないと思います。
まず、前提として、蓮師の着想に題目=宝塔はなかったであろうと、わたしは窺います。では、宝塔をどう解釈されたのかということになりますが、日女御前に

「宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」

と書き送っておられるわけですね。この書は、しかし、浅井師「八葉蓮華説」は偽書という捌きからすれば、一体、どうなるのか、真跡鑑定の能力はなく、わたしは決し得ませんが、いずれにしても、妙楽が何故か、「一念」と解釈し直した台説・章記の「一心」にこそ、あると思えます。多宝出現は、法華原本から蓮師に至るまで、一貫して真実証明(しょうみょう)を意図するものではなかったでしょうか。しかし、その久遠釈尊は、もちろん観心の本尊であるというのが、台学を踏まえた蓮師の着想でした。

> …「本尊問答抄」

大胆な管見を陳べれば、わたしは同抄は(興師の?)偽書であると思います。

> 弟子達には大曼荼羅に向っての唱題・読経を勧めていた

こう決断するのに、それを指示する真跡・事跡は、わたしはあまりに乏しいと思います。なにより、蓮師は随身仏は、遷化録にも現れるのにも拘わらず、では、蓮師が常時勤行・唱題をしていた随身漫荼羅は?となると、そんな形跡も事跡もまったく見られません。

師匠と違う勤行作法を、果たして弟子にさせるのか、わたしはこのようなことはあり得ないであろうと思います。

そのことから類推すれば、各弟子檀那も、それぞれ釈迦木像を所持し、常の所作に勤行・唱題をしていたのであろうと思います。

1563名無し@富士門流:2005/02/24(木) 14:30:36

皆様、今日は。

犀角独歩さん、彰往考来さん、ありがとう御座います。

話を戻すようで恐縮ですが、北林氏の「饒舌の故に」に出てきます、正信会伝法寺住職の浜中和道師の回想録というのは信憑性のあるものなのでしょうか?
全文をどこかで閲覧等できるのでしょうか?

http://www.heianbooks.jp/zenbun/jyouzetu/index.html


テープの公開については、正信会HPにもコメントが出ていました。

http://www.fujimon.or.jp/siryou/cmnt0003.html

北林氏は原稿用紙1800枚に及ぶ「浜中回想録」を手にされたようですが、「饒舌の故に」では学会側にとって有利な個所だけを引用していると思いますが、妙信講問題から久保川師とともに一連の問題の渦中にあった人物と聞きますから、この回想録にはチョッと興味が湧きました。

1564一字三礼:2005/02/24(木) 21:00:07
犀角独歩さん

一念三千の丁寧なご教示ありがとうございます。

> その乗数を三千としたのは、三千大千世界という吉数への語呂合わせとも思え、わたしは承伏しかねます。

摩訶止観は緻密に深く考えられているとは思いますが、を読んでいると、十境やら十法門やら足したり掛けたりしてとんでもない数字になったりしますね。

「所破かくのごとし、能破もまたしかり、所能合すれば一十八万八千五百六十八句あり。自行かくのごとし、化他もまたしかり、合すれば三十七万七千一百三十六句の止観あり。」

って、言われたって私にはもう数が追いかけきれまへん。

> 天台は、むしろ法華経を通じて、そのような参禅中の観察心法の行法としたわけで、それが法華経の至極であるという考えには、わたしも納得できません。

仰るとおりで、天台には”始めに止観あり”ですね。様々な経典から切文しては、自身の禅法に結び付けているようにも思えます。
逆に言えば、法華経ではさほど三昧(禅・止観)を重視してはおりませんね。法華経で尊ばれるのはまず「信」であり、仏に逢い、また法門を聴聞した時の「歓喜踊躍」であり、寿量品に至れば一品の中で繰り返し3回も使われる「恋慕・渇仰」などでしょう。総じて法華経で褒められるのは皆、躍動的・情熱的な印象を受けます。

> 師匠と違う勤行作法を、果たして弟子にさせるのか、わたしはこのようなことはあり得ないであろうと思います。

なるほど、確かにそのとおりですね。私も自身の意見を取り消して、犀角独歩さんのご見解に賛同いたします。

1565愚鈍凡夫:2005/02/24(木) 21:09:46

最近疑問に思うことなのですが、一念三千は無限の静寂の中に沈み込むような禅定独特の緩やかな呼吸法をイメージさせますが、逆に唱題行はトランス状態まで精神を高揚させていく過呼吸のようなイメージがあります。
蓮祖はこの一念三千の観法と唱題行の何処に類似性を見いだし、唱題行を民衆に奨励したのだろうか。そんな疑問を感じています。

御遺文を拝すると、蓮祖は正像末といった時機に拘っていたと思います。
小生の場合、唱題行と言えば、学会員当時のストイックなイメージがついて回るのですが、ちょっと学会の場合、唱題が攻撃的過ぎるのでしょうかね。

1566大盛り:2005/02/24(木) 22:15:30
天台を読んでいなければ成り立たない会話でついていけない。すごすぎ。

1567一字三礼:2005/02/24(木) 23:11:34
愚鈍凡夫さん

> 蓮祖はこの一念三千の観法と唱題行の何処に類似性を見いだし・・

同感です。
一念三千を末代幼稚の為に妙法蓮華経に包んだという事は、

一念三千の観法(像法)=南無妙法蓮華経(末法)

となりそうですが、時機により唱題行の方が何故か優れているんですよね。
また、観心本尊ではあっても、観心題目ではありません。

正・像・末の三時の分け方も、法華経では在世・正法・像法と説かれます。
まあ、本門に入れば三時の別も権帯でしょうが。

1568犀角独歩:2005/02/24(木) 23:34:09

このような議論を出来る方がいらっしゃることを嬉しく思います。

一字三礼さん:

> 摩訶止観…とんでもない数字になったり…

たぶんなんですが、天台と言う人は、禅を組みながら、いまでいう数学の数取りみたいなことをやっていたのではないでしょうか。いまでは小学生が九九とかやりますが、数字の羅列主義みたいなことは案外、瞑想行に含まれていたのかも知れません。
正確な計算は日蝕・月蝕など、天体の運行を予測することもでき、いまでは天文学に属することを、計算から予測すれば、世の尊敬を集めることも可能であったでしょう。ですから、数学に類することが瞑想・参禅に含まれているのは、むしろ当然ではないのかという感覚をわたしは持っています。

岩本師だったか、論釈などに現れる数字の羅列主義をインド、また、中国の特徴に挙げていましたが、こういう整理整頓は、瞑想と関連して行われていたと見ると、仏教社会が違う感覚で見えてきますね。

> …天台…止観…様々な経典から切文…自身の禅法に結び付けている

さすが。曹洞宗の中野東禅師という方があって、お話をした折、「天台は総合学問みたいなもの」という表現をされ、「ああ、なるほど」と納得したことがあります。
それまで、涅槃経が優位であった風土で、華厳、般若などを統合し、理論構築をした、換言すれば、自分なりに再構成をしたのが、天台学ですから、仰るような側面は当然あって、しかるべきであろうと存じます。

> 法華経ではさほど三昧(禅・止観)を重視してはおりません

さすが。そうなのです。
けれど、漢訳でいう「一心欲見仏」は禅定体験、「不自惜身命」は実践布教という二側面を書き表したものであると、わたしは読みます。

> 法華経で尊ばれる…「信」…「歓喜踊躍」…「恋慕・渇仰」

なるほど。このご賢察は納得できます。
法華経では、その根底には「経典崇拝」という、それまでの舎利、仏塔崇拝を継承した新たな側面も持っていますね。

> 躍動的・情熱的な印象

これもまた、一字三礼さんのお人柄を染み出るような法華経観ですね。
わたしは、法華通読で、驚嘆したのは、わたしが最大の苦手の不怒という側面です。法華菩薩の特徴は、決して怒らないという点です。それを、わたしは冷静沈着という、いわば冷めたように看取していたのですが、仰るような躍動・情熱、そして怒らないとすると、法華経が創作されたアフガニスタン?周辺の風俗が、彷彿とされます。
漢訳仏典で、もっとも失われてしまっているものは踊りと音楽というダイナミズムであると常々思ってきました。まさにその点を一挙に補完してくださったようで感激すら覚えました。


愚鈍凡夫さん:

> 一念三千は無限の静寂…唱題行はトランス状態まで精神を高揚させていく過呼吸…蓮祖…一念三千の観法と唱題行の何処に類似性を見いだし、唱題行を民衆に奨励したのだろうか

これまた、達観ですね。
仰るギャップは、止観をよく読むようになって已来のわたしの感想と同じです。
蓮師の台学受容というのは、まったく瞑想参禅的なニュアンスを感じられず、むしろ、当時、流行りだしていた念仏称名という、お言葉を借りれば過呼吸(貫名師の言葉で言えば有酸素運動)に重点を置いた折衷形式であったのでしょうか。
このような視点から分析、興味が惹かれます。
名僧・称名・唱題時の脳波を取って研究した影山教俊師の分析をお聞きしたいものです。

大盛りさん:

はじめまして…、ではないような気がします。
止観その他は、なかなか面白いですよ。
もし、お読みになっておられなければ、お薦めします。

1569犀角独歩:2005/02/24(木) 23:36:45

【1658の訂正】

誤)名僧・称名・唱題時
正)瞑想・称名・唱題時

1570愚鈍凡夫:2005/02/25(金) 10:26:56

>>1567:一字三礼さん、レス有り難うございます。
>>1568:犀角独歩さん、レス有り難うございます。

法華経のエッセンスを抽出すれば一念三千となり、その一念三千は法華経の題目に集約されると蓮祖は確信されたのではないでしょうか。
また逆に、「五五百歳」に四菩薩が宣布する妙法とはなんぞやとの設問を立てたこと。ここに蓮祖のオリジナリティがあったのかも知れないと思います。
そして、唱題行に結論づけたことで龍樹・世親・天台・伝教という先人たちと肩を並べる自分を想像し、一人ご満悦だったのかも知れませんね。内心、ご自分が上行菩薩の再誕であると確信されていたのかも知れませんよね。

ただ、1565にも記しましたが、一念三千の観法と唱題行が同じ結果をもたらすとは思えないのです。精神的には逆の作用があるように思えてなりません。

1571犀角独歩:2005/02/25(金) 12:41:08

愚鈍凡夫さん:

> 一念三千の観法と唱題行…精神的には逆の作用

わたしも‘いまの’、特に‘学会の’題目の‘上げ’方だと、この対比はその通りだと思います。

ただし、唱題は蓮師時代も、本当にいまと同じようにされていたかどうか。
この点では、考証の余地はあります。中世文献などを見ていても、「題目三返」とか「五返」とかいう記述は目にしますね。わたしは、このような唱題の一返は、かなり長い時間(短くても1分以上)ゆっくりと、引き題目のように唱えていたと思います。

歌舞伎なんかの台詞回しのスピード、あれは中世の人が集まって話すスピードだそうですね。
昔はスピーカーがなかったので、大きな声で、明瞭にゆっくりと発声していた。その名残だそうです。これはたぶん、仏事の勤行・唱題でも同様ではなかったでしょうか。

わたしはこの点に気付いていてから、唱題のスピードを石山丑寅勤行の引題目並にゆっくりと唱えるように変えました。すると、それまでの、感じと打って変わって、むしろ、参禅のときのような心地に変わったので、自分でも吃驚した記憶があります。

「お試しあれ」と申し上げておきます。

1572犀角独歩:2005/02/25(金) 12:59:56

なお、創価学会の超特急唱題、あの起源は、石山の寒経のやり方という話ですが、この実否は如何に?

これまた、余談ですが、蓮師の時代、唱題するのに太鼓を叩いていたかどうか。
学会は、あっさりと、これは廃したのは何故か、けっこう、唱題一つでも考証の余地はたくさん、残っていると思います。

余談ながら、石山では、学会の「題目の上げ方」を「ナメコ題目」などと言います。「南無妙法蓮華経、…」と聞こえず、あまりの早口に「ナメッコッ、ナメッコッ…」と猛烈に繰り返して聞こえるところから、こんな悪口が生じました。このスピード、しかし、太鼓で和するという石山ほか、一般門下の唱え方であれば、絶対に不可能。あんなに早く太鼓はたたけないでしょうし、多少、スピードを落としても、サンバ・ドラムのような感じになるでしょうから。

ま、しかし、気分の高揚、唱題の功徳も語られるわけで、石山、もしくは蓮祖以降、中世と違っても、今風の「上げ方」、さらにSGI勤行なるもので、満足、功徳の体験もあるのでしょうね。一概に悪いとは言えないのかも知れません。

1573通りすがり:2005/02/25(金) 20:11:47
私は元はナンミョウなのかナムミョウだったのかも気になります。

1574とゆうか:2005/02/25(金) 22:11:50
私には、みょーりぎょー・みょーりぎょーとか、みょーりげげる・みょーりげげると聞こえる。
かなりシュールですだ。

1575犀角独歩[TRACKBACK]:2005/02/25(金) 22:21:39

通りすがりさんが疑問に思われている点は『素朴な疑問』スレッドで'02年5月頃に話題になったことがあります。


その時、さらに拡大して、わたしが投稿しました。

*** 以下転載 ***

独歩 投稿日: 2002/05/17(金) 15:27

…古来の日本語には「はひふへほ」の音はなかったと大野晋博士が書いていましたね。では、どんな音であったかというと「ぱぴぷぺぽ-pa・pi・pu・pe・po」であると言います。それが中世には「ふぁふぃふぅふぇふぉ」になり、「はひふへほ」に変化してきたと言います。「んな、馬鹿な」と思いたいところですが、たとえば「か」と「が」を発声する時、口唇咽喉の形状は同じです。他のか行の音もそうです。これはさ行・た行も同様。しかし、は行だけは清音の発声では唇を開いたまま、濁音を発声する時には閉じていた唇をはじくように開いて発声します。ところが半濁音である「ぱぴぷぺぽ」を発声する時の口唇咽喉の形状は濁音と同様。このことから、は行は本来、P音であったと言われるわけです。

そうなると南無妙法蓮華経は「なむみょうぽうれんげきょう-Nam・Myou・Porengek・you」となってしまうわけです。しかし、これは一概に否定できないのです。なぜならば、真蹟のない『御義口伝』ですが妙法蓮華経の梵語を「薩達磨芬陀梨伽蘇多覧」とあります。これは現在、「さだるま“ふ”んだりかそたらん」と訓読みされるのですが、「芬陀梨伽」は梵語の pundarika の音写ですから、プンダリーカ。通じていえば、sad-dharma-pundarika-sutra 、これを日本語的に読めば「さだるま“ぷ”んだりかすーとら」となり「ふ」ではなく「ぷ-pu」であるからです。

さらに定着しませんでしたが、日本語の旧仮名遣いでは「きょう」は「けふ」となりますが、平安文学の研究などでは、この旧仮名遣いは文字どおりに読んでいたのではないのかといわれています。「なむみょうほうれんげきょう」を旧仮名遣いで記すと「なむめうほふれんげけふ」となるのでしょうか? すると Nam・Mehu・Pou・Renge・Kehu という音に近いことになるようです。

また、古代人は現代人よりはるかにゆっくりと話していたと言われ、たとえば歌舞伎のあのゆくくりとした発声のスピードが標準的なものであったのではないのかとも言われていると教えてくれた先生がおりました。

700年の時間の経過は文語的な変化ばかりではなく、それ以上に口語的変化があったことは否めません。

ここで素朴な疑問です。いったい、聖人が唱えられていたお題目は、如何様なものであったのでしょうか。

あと、よく言われることですが、座法も、正座ではなく、胡座であったことは御影像からも間違いのないことであるようですね。

ここでも、素朴な疑問です。しかし、女性はどうであったのでしょうか。ここら辺はよくわかりません。ご存知の方、いらっしゃりましたら、ご教示ください。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/r55

*** 転載おわり ***

真跡遺文で拾えば『妙法尼御前御返事』(弘安元年(1278)07・14)に

「御消息に云く めうほうれんぐゑきやう(妙法蓮華経)をよるひる(夜昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしやう(高声)にとなへ、乃至いきて候ひし時よりもなほいろもしろく、かたちもそむせずと云云」

とあります。当時、川蝉さんが指摘されていました。それに対して、

> めうほうれんぐゑきやう

の「ぐ」は編集の段階でよみの便宜に濁音を補ったのでしょうね。「ゑ」は既に失われた母音なので、実際はどのように読まれていたのでしょうか。大野晋説を敷衍すれば

「 Meu-Pou-Rengu“e”-Kiyau 」

とでもなるのでしょうか。
編集段階の表記の改めというのは、けっこう、ありますでしょう。聖人は吃音を「ん」で表記されていたと読んだ覚えがあります。となれば、「思って」は「おもんて」などとなり、実際のところ、当時はそんな発声であったのであろうと私は想像しています。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/r64

と応じたことがありました。

注目すべきことは、ここで唱題は、わずか2回となっていることです。

1576犀角独歩:2005/02/26(土) 18:15:02

―1575からつづく―
はひふへほ<ぱぴぷぺぽ につき、興味深い、ページを見つけました。

大野晋説とわたしが即断していたことは、上田万年説が先行していたようです。(もちろん、大野晋師も書いています)

ひよこがぴよぴよ
http://homepage2.nifty.com/kawahara0309/hiyoko.html

1577愚鈍凡夫:2005/02/27(日) 00:31:06

犀角独歩さん、どうもです。

「忙しいったらありゃしない」(by 独り言) ε〜( ̄、 ̄;)ゞフー

ふと、思ったのですが、
昔の唱題が引き題目よりもゆったりとしたものであったら、みんなで唱和するときは困ったでしょうね。
人によって、それぞれ長さが違ったりなんかして。 (^^ゞ

1578吉祥仙人:2005/02/27(日) 06:21:29
 実体験から

 学生部当時、「グループ長の勤行・唱題のスピードについていけない」と部長に言ったところ、

 「勢いのある題目も大事なのだから、あわせるように」と指導されました。
 
 
 ついでに、学会では今、引き題目は行いません。

1579犀角独歩:2005/02/27(日) 08:56:44

愚鈍凡夫さん
吉祥仙人さん

わたしの投稿のポイントは、要は、いまの勤行・唱題が、蓮師と同じと思ったら大きな間違いだろうということです。

1580彰往考来:2005/02/27(日) 11:53:26

>1575 女性はどうであったのでしょうか。ここら辺はよくわかりません。

玉沢妙法華寺蔵『日蓮聖人像』は左下隅に曽谷教信夫妻を描いています。
この図が初期教団の姿を表すものと仮定しますと曽谷教信は胡座であるの
に対して夫人は正座です。当時女性は正座だったのではないでしょうか?

なお、日本では女性はまず胡座をしませんが、タイでは女性も胡座をして
いる姿をみて文化の違いを感じました。

この画像は2003年に東京国立博物館で開催された『大日蓮展』に出展
されていましたのでごらんになられた方も多いと思います。そのときの目
録に掲載されています。同じ画像が宮崎英修著『日蓮とその弟子』(昭和
46年、毎日新聞社)にも掲載されているのですが、こちらは肝心の箇所
が切れていて確認できません。画像では夫妻は数珠を片手に聴講されてい
ます。

ご参考まで。

1581犀角独歩:2005/02/28(月) 08:38:50

1580 彰往考来さん、有り難うございます。

この像の、制作年代はいつ頃なのでしょうか。

正座、これが正しい座という呼称自体後代に属すると思います。
以前、聞いた説明では、この座法が定着したのは、武家の勃興に関係するということで、つまり、直ぐに立ち上がれ、抜刀できるからであるなどという説明を石山の僧侶から受けたことがあります。

となると、この座法自体、男性によって定着したことになるわけで、その意味からすると、曽谷妻(女)像が、そうであるという説明と食い違っていることになります。

その点からも、なかなか興味深い資料ですね。

1582パンナコッタ:2005/02/28(月) 17:24:41
横レス失礼します。
正座に関しては、神道の影響が大きいと以前聞いたことがあります。ここでも神本仏迹論の
影響があると思われますが、女性の服装の変遷をみると奈良朝の女官辺りから「重ね」が
主流となり、座って胡座をかくことはまず出来ません。
一般の民のおかみさんなら違ったかも知れませんが、鎌倉期の武士の夫人なら他人がいる所で
裾をひろげるようなマネは絶対しなかったでしょう。

ズレますが隣国韓国では古来より、罪人の座らせ方として一般的ではなかったようです。
キリスト教の布教時に、神に跪く姿勢をとらせるのに苦労したようです。

1583彰往考来:2005/02/28(月) 22:23:47

>1581
>この像の、制作年代はいつ頃なのでしょうか。

玉沢妙法華寺蔵日蓮聖人説法図について坂輪宣敬師は、
「玉沢手鏡草稿中の日昭の譲状に
一、生御影、絵は大蔵也、居子ニテ御説法、曽谷夫婦聴聞問之体也、御経第六巻ノ初、宗祖御筆也、授与法名法蓮、蓮華比丘尼、文保十一年十六日
とあるので、この書を信ずるかぎり、本画像の聖人在世中の成立ということも十分考えられる。」(昭和46年、大崎学報第125・126号(「日蓮聖人画像について」、126頁)としています。
また、田中豊蔵師は、「余は玉澤の説法図をも矢張り佐渡以後、身延の初期、即ち教信の剃染するすぐ以前假定すれば建治元年から三年迄のものと考えたい。」(『日本美術の研究』1960年、二玄社、197頁)としています。しかしながら田中師は同書で、十界曼荼羅を書かず一尊四士を書いているのはそのほうが絵画的であるとか、この道場は身延であるとされていますが、その見解は疑問であると私は考えます。坂輪師も「(田中)氏の論文にはやや賛同しがたい点もある」(『日蓮と法華経 講座日蓮第1巻』1972年、春秋社、222頁)と指摘しています。
樋口誠太郎師は「この妙法華寺御影は、迫力はあるがおそらくずっと後の世のものかと思われる。その理由は前に記したごとく、日蓮が禅宗様式のみなりをしていること、曽谷夫妻の姿も鎌倉時代の風俗ではない。まず、曽谷法蓮の侍鳥帽子は、室町時代の他の絵画に見られる様式と共通の方式で描かれているし、服装も(直垂姿)室町時代ぐらいまでくだるのではないかと思われる。それらに加えて、曽谷法蓮の妻の服装が腰巻姿といって、室町時代武家女性の正装で描かれていることから、これらはだいたい室町時代の作品とみて良いのではないか。これを南北朝期にまで作期をあげるのも問題であろうと考える。」(『日蓮 房総における宗派と文化』昭和55年、千秋社、239頁)と指摘しています。
また宮島新一師は、「妙法華寺本日蓮上人画像は、十四世紀初めに描かれたもので・・・鎌倉時代後期に、曽谷教信の子(傳浄、?〜一三五九没)が製作させたものと考えるべきであろう。」(『肖像画』平成6年、吉川弘文館、170頁)としています。
以上のことから、玉沢妙法華寺蔵日蓮聖人説法図は鎌倉時代から室町時代の作と考えてよさそうです。
私はこの説法図もしくはその原画は文応元年の松葉ヶ谷の法難のあと下総の富木常忍の持佛堂で実施された百日説法を描かれた画ではないかと考えています。どうみても描かれた蓮祖がお若い。40歳前後にしか見えません。身延期であれば50歳以後です。また右下の履物がいかにも来客を思わせる描き方からそう考えるものです。この絵で十界曼荼羅を書かず一尊四士を書いているのも文応元年の描写であれば納得できます。

1584犀角独歩:2005/03/01(火) 01:52:32

1583 彰往考来さん

緻密なご教示、有り難うございます。
恐縮ですが、もう一点。

> 一尊四士…文応元年…納得

とは、どのような意味でしょうか。

1585彰往考来:2005/03/01(火) 07:30:53

>1584

蓮祖在世中に文字漫荼羅が本尊であったのかどうかは過去のスレッドで議論され
ているように大きな問題です。
この問題に触れるのではなく、単純に日蓮聖人図として見た場合、後世のものは
日蓮聖人涅槃図で臨滅時の漫荼羅が掲げられているように、文字漫荼羅が描かれ
る例が多い気がします。後世のものから見ればそのほうが“もっともらしい”と
か“絵になる”ということでしょうか。
ご案内のように、山中喜八師の『御本尊集』では最初の文字漫荼羅が登場するの
は文永8年です。史実かどうかは別にして龍の口法難の後ですので第1番漫荼羅
も事実上佐後期に属すと考えます。
文永8年より前の文字漫荼羅はどれひとつとして真筆はありません。すべて偽筆
です。このことから、文応元年の状況を描写していると考えられる本図で文字漫
荼羅が描かれていないのはむしろ妥当なことであると考えている次第です。

1586犀角独歩:2005/03/01(火) 10:21:39

1585 彰往考来さん

重ねて御礼申し上げます。
有り難うございました。

> 文応元年…描写…文字漫荼羅が描かれていないのはむしろ妥当

これはたしかに、漫荼羅が描かれていないのは妥当ですね。

蓮師門下の漫荼羅・本尊の変遷は、伊東流罪以降、一体仏、仰るように文永期以降に漫荼羅の図示が始まる。ここまでが蓮師在世の出来事であろうかと存じます。
その後、興師は、一尊四士を自義とし、追って漫荼羅本尊正意がやがて定着しますね。いつの頃と査定されるのか、わたしは存じ上げませんが、その後、一塔二尊四士の奉安様式が京都方面で生じ、それが全国に広がっていた。そんな変遷があろうかと存じます。

一尊四士の仏像奉安は、その理論的原形を文永10年の『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』に求められるでしょう。となれば、文応元年からは13年も以前のこととなります。また、伊東流罪は弘長元年か3年のことですから、伝承の如く、この頃かから蓮師が一体仏像を随身されたとしても、係る史実はそれ以前のことです。ただし、脇士を持たない一体仏は、特に蓮師に係る奉安とは言えないと思えます。

つまり、文応元年の段階では、それまでの仏像奉安、たとえば、一体仏、もしくは、脇士に文殊・弥勒などを置いた形式はあっても、四菩薩(士)を置く奉安が成立していたとはとうてい思えません。

以上のことから、文応元年時点で一尊四士を充てることは、まったく不適時であると思いますが、如何でしょうか。

1587彰往考来:2005/03/01(火) 12:27:02

>1586 文応元年時点で一尊四士を充てること…不適時

そうですね。私は文字漫荼羅が描かれていないのがむしろ妥当
なことであるという観点でして、いわれてみれば一尊四士でも
ちょっと変ですね。

1588犀角独歩:2005/03/01(火) 21:02:55

1587彰往考来さん:

> 文字漫荼羅が描かれていない…妥当

御説敬服します。

> 一尊四士…ちょっと変

この点、コンセンサスが採れたことを嬉しく存じます。

1589愚鈍凡夫:2005/03/06(日) 00:16:32

済みません。話題を創価学会に戻しますが、
小生は、創価学会が社会貢献したことで最大のものは、在日問題や同和問題による不満の捌け口のクッション的役割を果たし事ではないか思います。
「信仰は役に立つか」スレで人種差別の問題が議論されようとしていますが、創価学会は表面的に差別のない互助的組織としての役割を果たしてきたように思います。
但し、これは表面的なことで、創価学会員でも酒に酔うと、関西弁特有の口汚い言葉で罵る人も少なからずいます。
まぁ、これは関西の際だった特徴かも知れませんが、これらの人々の中には必死に努力して、社会的成功を収めている人が少なくないから、一種の妬みでしょうね。
悲しいかな、本音と建て前がはっきりしているのが創価学会の特徴でもありますね。

1590愚鈍凡夫:2005/03/22(火) 14:19:30

創価学会は、
「季札といひし者は心のやくそくをたがへじと王の重宝たる剣を徐君が墓にかく王寿と云いし人は河の水を飲んで金の鵞目を水に入れ公胤といひし人は腹をさいて主君の肝を入る此等は賢人なり恩をほうずるなるべし、況や舎利弗迦葉等の大聖は二百五十戒三千の威儀一もかけず見思を断じ三界を離れたる聖人なり、梵帝諸天の導師一切衆生の眼目なり、而るに四十余年が間永不成仏と嫌いすてはてられてありしが法華経の不死の良薬をなめて・種の生い破石の合い枯木の華菓なんどならんとせるがごとく仏になるべしと許されていまだ八相をとなえずいかでか此の経の重恩をばほうぜざらん、若しほうぜずば彼彼の賢人にもをとりて不知恩の畜生なるべし、毛宝が亀はあをの恩をわすれず昆明池の大魚は命の恩をほうぜんと明珠を夜中にささげたり、畜生すら猶恩をほうず何 に況や大聖をや、」(「開目抄」学会版P203)

「夫れ老狐は塚をあとにせず。白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし。いわうや人倫をや。」(「報恩抄」学会版P293)

などの文証を引用して、「報恩」、「報恩」と捲し立てていますが、
れいの「香峯子抄」には、仲人の小泉隆氏や、白木家の折伏の親である原島夫妻のことはまったく記されていないらしいですね。まして、原島精子初代婦人部長には個人的に世話になっていると思うのですが。池田さんの戸田さん亡き後の戸田家に対する態度など、「報恩」を盾にする教団とは思えないのですが、所詮、「報恩」とは創価学会が受けるものであって、他に報ずるものではないというのが学会の理念なんでしょうか。

1591吉祥仙人:2005/03/23(水) 09:02:16
 愚鈍凡夫さんへ

 おりしも、3月度座談会拝読御書は「報恩抄」の上記の部分でした。

 まあ、創価学会の功罪を考えるうえで、批判されてしかるべきところは当然あるでしょう。
 それも含めて、それを補って余りある功績があると、私は思います。

 事実を述べれば、「個人的リアリティー」と言われることを覚悟で、自身の体験をあげます。
理論がどうの、社会的にどうのと言われるより、個人にとっては、個人の体験こそが、
自身の人生経験こそが、最も重大な根拠となりえるのではないでしょうか。
 その寄り集まりが、創価学会の最大の功績であり、実力であり、存在意義でしょう。

 まして、悪口罵リ(でてこない・・・)されることが、「実証」とする学会においては、
「勇者は喜び、愚者は退く」とばかりに、ますます勇猛精進するでしょう。

 正直言って、「世間から賞賛されたら、学会の歴史的役割はおわる」とさえ指導する
学生部幹部がいたほどです。

 ま、私としては、「創価学会幹部か、りっぱですね」と言われるほうがうれしいですが

1592犀角独歩:2005/03/23(水) 09:08:19

> 世間から賞賛されたら、学会の歴史的役割

では、170の称号・勲章で学会と池田さんは終わったんですか(笑)

1593犀角独歩:2005/03/23(水) 09:14:42

> 個人の体験こそが、自身の人生経験こそが、最も重大な根拠

これはそうでしょう。しかし、それをもって、自分たちが最高で、他が間違っていると、自分たち以外の‘個人的リアリティ’を認めないうえで、「邪宗」だなんだと排撃してきたから、創価学会の社会的批判があったことを忘れてはならないでしょう。

創価学会が共生を模索し、他の「個人的リアリティ」を認めるようになれば、そんな批判はなくなります。しかし、では、何でも一緒かと言えば、そうではなく、「自分たちの会はいいですよ」と言えるものを、他者攻撃無くして、如何に構築できるかという次段階に創価学会は入るべきでしょうね。

池田さんの対談なんか読んでいると、案外、そんなストーリー展開になっているのに、当の学会員は、そうは見えないギャップに、また批判があるということです。

進むべき、方向性は見えていると思えますが。

1594犀角独歩:2005/03/23(水) 09:42:34

やや横道ですが、3月19日オウム真理教地下鉄サリン事件10周年集会に参加してきました。

この事件でご主人を亡くされた高橋シズヱさんがアメリカから9・11テロ被害者の会のメンバーを招待された、実に重要且つ有意義な会合でした。

オウム真理教の信者は、もっとも脱会をさせるのが難しいというのが、支援者の経験則です。その理由は何か。彼らが神秘体験という強固な個人体験を有しているからです。
神秘体験・個人体験、換言すれば「個人的リアリティ」ということです。
そして、彼らが脱会しないメカニズムは、1591に吉祥仙人さんが記述されたのとほとんど同様である点が注目されました。

9・11に世界貿易センタービル、またペンタゴンに突っ込んだ旅客機を操縦していた実行犯、また、日々報道される自爆テロに命を捧げる人々、また、いま、この瞬間に神の名の下に武器を手にして、殺戮を繰り返す人々を強く支えているものは何でしょうか。
それは彼らの信仰に基づく「個人的リアリティ」です。

1595パンナコッタ:2005/03/23(水) 11:13:51

〉個人のリアルですか。  
 オウム事件の時、司馬遼太郎さんが
「・・・光が見えたとかの、生解脱。そう生解脱がいちばんあぶないんだ・・」
と、盛んに指摘していたのを思い出しました。
更に体験談などを聞いてカタルシスを感じるのも個人のリアルの一つでしょうね。

1596犀角独歩:2005/03/23(水) 11:34:08

しかし、宗教団体というのはいいですね。
その団体が半世紀で、膨大な資産を構成して、幹部連が大金持ちになったわけです。一般の企業であれば、三波春夫さんじゃありませんが「お客様は神さまです」とか言って、感謝されるのはお客さんのほうです。ところが金を出し、無償労働をした会員のほうが、お金持ちにしてやったほうに「報恩」しろと言われるわけなんですね。

これはけっきょく、会員が「個人的リアリティ」で幸福感を味わったからだというのがその根拠のわけですか。創価学会員がお人好しだとおもうは、こんなところですね。

まあ、関係ないですが、神仏はお金は要らないわけです。食べるものがあるとすれば、法味でしょう。
会員と神仏の中間に組織・指導者がいます。そして、会員が出した金は、その中間の組織・指導者が手中に収めます。神仏には決して届くことはありません。それなのに、御利益を与えるのは、その上にある神仏です。

わたしはこんな構造を宗教の中間搾取と呼んできました。

1597愚鈍凡夫:2005/03/23(水) 12:29:24

吉祥仙人さん、どうもです。

> 理論がどうの、社会的にどうのと言われるより、個人にとっては、個人の体験こそが、
> 自身の人生経験こそが、最も重大な根拠となりえるのではないでしょうか。

小生は、創価学会が社会に果たした最も大きな役割は、在日問題・同和問題を吸収したことだと思っています。具体的に言えば、本来なら左翼に流れたであろう人々を吸収して、暴動が起きないように防いだことだと思っています。

個人の体験、個人の人生経験が重要であるならば、他の宗教であっても、極端な話、無宗教であっても別段問題はないのではないでしょうか。生きていれば自ずと何らかの体験・経験は付いてくるものですから。

> まして、悪口罵リ(でてこない・・・)されることが、「実証」とする学会においては、
> 「勇者は喜び、愚者は退く」とばかりに、ますます勇猛精進するでしょう。

勇猛精進と言いますが、結局は寄らば大樹の陰で、数の論理が働いているからでしょう。いざ、個人となれば、弱者の集まりですよ。「独りの時に強き人」は、経験上、創価学会ではあまり見かけませんね。
真に強き人は、静寂の中に生きていますよ。まるで大地を鷲掴みするようにしっかりと根を張ってね。そういう人は、執拗なまでに己を鼓舞する必要などないのですよ。

大きなお世話ですが、学会の公式ホームページに仏法用語(と言うよりは学会用語)のIME登録辞書がありますよ。パソコンのIMEに取り込んでみられてはどうですか。入力が楽になりますよ。

> 正直言って、「世間から賞賛されたら、学会の歴史的役割はおわる」とさえ指導する

池田さんは、世間から賞賛されたがっているでしょう。白木さんや竹入さんが国から勲章を貰ったときなど、賞賛するどころか、無視していたのではないですか。
小生は、創価学会の宗教団体としての歴史的役割は既に終わっていると思っています。今までとはまったく違う方針を打ち出さなければ、自然に衰退していくのではないでしょうか。とは言っても、昭和30年代、40年代の入信者が全員いなくなるまでは、そうもいかないとは思いますが。

以前、「全ての学会員が幸福になれば、広宣流布はあっという間に達成されますよ。」と言ったことがあります。そろそろ、学会員の善意や使命感を搾取するのを止めて、学会員に「報恩」の誠を尽くしてはどうでしょうか。

1598パンナコッタ:2005/03/23(水) 13:09:09

よく学会は「一人立て」なんて鼓舞させますが、『御義口伝は偽物である』なんて
言う人物は反逆者として罵詈雑言浴びせるでしょう。 なんだかな〜。
 事実は事実として受け止められないんでしょうね。 先日学会は、英語版の
御義口伝を出しました。聖教紙上で「大聖人の講義を日興聖人が書写したと伝え
られている・・」と、説明が載っていました。恐らくは確信犯なのでしょうね。

1599パンナコッタ:2005/03/23(水) 13:12:38
〉1598  日興上人ですな。すんません。

1600愚鈍凡夫:2005/03/23(水) 13:33:04

「日興上人が書写したと伝えられている」と言うのが渋いですね。
何か突っ込まれたら、「だから、日興上人が書写したとは言ってないだろう。ちゃんと、伝えられていると言っているじゃないか。文句があるなら、日蓮正宗に言ってくれ」ってかぁ〜。 (-"-;A ...アセアセ

今更、いままで創価学会が得意げに引用していた文証が悉く偽書からの引用だったなんて言えないでしょう。これからも、「日蓮大聖人の御聖訓」と言い張るのじゃないでしょうか。
「日蓮大聖人の御聖訓を偽物呼ばわりする魔の眷属め! 成敗してくれる」なんてヒステリックに叫びながら。 ∫(TOT)∫ムンク

1601パンナコッタ:2005/03/23(水) 16:18:24
>1600  ええ、愚鈍凡夫さん、そうなんですよ。
こういう言い回しで、お茶を濁すやり方が罷り通っていますから、止めて欲しい
ですね。 
文章の証拠付けに使われる『遺文の切り張り引用』もよく見ると、明らかに偽書
や、かなり怪しい物も平気で引用していますね。やはりあの御書全集が全てと考えて
いるからなんでしょうかねぇ。
 御義の英語訳はそれなりには評価出来るかもしれませんが、英語ネイティブの仏教
研究者はいったいどう思っているのかな。 あんまし相手にしてないような・・・。

1602愚鈍凡夫:2005/03/23(水) 20:44:52

「う〜ん、これは日本古来から伝わる言葉遊びか? 訳分からん」
なんて首を傾げたりして。

「アヤヤほど可愛くありませんが」
って言うかなぁ・・・・・。 (*^。^*)

1603吉祥仙人:2005/03/24(木) 05:48:21
 「つぶやき」になるかもしれませんが。

 日蓮正宗の教学(富士宗学全集・要集)を創価学会が継承し、阿部管長も偽物と
鑑定した「大石寺の大御本尊」を擁護する。
 戸田先生への義理立てだけではないでしょう。まして、教団維持のためだけとは
思いたくない。


 学会員は言う。「宗教を金儲けに使う邪宗教と一緒にするな。」
 皆さんは言う。「なぜ、創価学会がそういう宗教でないといえるのか。」

 どうも、このへんをドウドウ巡りしているような気がします。

1604犀角独歩:2005/03/24(木) 11:18:22

金儲け宗教だ=莫大な資産を構築して、特権幹部は法外な給与を取っているから=外部
そうではない=各人が組織・指導者を通じ、実証を示し、幸福感を得ているから=内部

という両面があるからでしょうね。会は会員が幸福感を味わっている限り、収益が成り立つから、会員にだけ満足感を与え、その見返りを得て資産を形成するという閉じた生態系が構成されているのでしょう。外部からすれば、会員が感じる幸福感など、まったく関係ないわけですから、上述の部分しか見えない。反面、会員は自分たちの実証に判断基準を置くから社会的批判には目を向けない。それがまた、外部から批判となるという堂々巡りでしょう。

1605& </b><font color=#FF0000>(fEkpAFto)</font><b>:2005/03/24(木) 12:47:56

> 学会員は言う。「宗教を金儲けに使う邪宗教と一緒にするな。」

金を集めすぎている創価学会に、「一緒にするな」と言う方が無理なんですよ。
世界規模で広がる被災民や難民に、その有り余る資金力で、惜しみない支援をしているというのであれば、誰もそう思わないんでしょうけど。
毎年数千億円も集めて、広宣流布は金で買えると思っているんだろうかと、小生なんかは見ていますけどね。 ( ̄Д ̄;;

1606愚鈍凡夫:2005/03/24(木) 12:55:57

済みません。
>>1605の投稿は小生です。ブラウザの調子がちょっと変です。 m(_ _)m

1607パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:29:29

都合良く、英訳御義の訳者、元コロンビア大教授バートン・ワトソン博士の特別寄稿が
大百蓮華4月号に載ってましたので以下抜粋。 しかし、なんか変なんですけど・・。

『インドの人々は、中国人とは違って、古代においては史実の記録にほとんど興味
を示さなかったようである。彼らはヴェーダ聖典やウパニシャッド、また、いくぶん
後代になる仏教やジャイナ教などの、歴史的・哲学的作品の伝承にには多大な関心
を払った。しかしそれらは口述形式で伝承したものであった。
 インドの人々はおそらく、この世を不確かな有為転変の領域と見て、俗世の出来事
を記録するのをむなしく感じていたのであろう。』

1608パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:30:15

続き

『1998年、私は「法華経」の英訳作業を開始した。 これは、池田会長と
私の会見の中で検討されたプロジェクトであった。鳩摩羅什の漢訳「妙法蓮華経」
にそっての英訳である。  
 漢訳の「法華経」は数種類あるが、中国・朝鮮・日本で最もよく知られている
のが羅什訳である。古代の漢文で書かれた羅什の文章は、流麗で、意味が不明で
あったり、論議の争点となるような表現は、まず見当たらないという名訳である。
 そのため、翻訳者として直面した問題は、原文の意味をどう捉えるかではなく、
それをいかに平明で滑らかな英語にするかであった。
 仏教書の翻訳者の中には、古風な聖典の響きの言葉を使って、崇高で宗教的な
トーン(格調)をもたらそうとする者もいる。
 しかし私は、自分の翻訳文に決して古風な英語を使うことはない。むしろ、
できるかぎり分かりやすく、最も心地よい響きの現代英語にするよう心がけている。
この方針こそ、私が英訳版「法華経」で目指した目標であった。釈尊自身、仏教の
教えは大衆が日常使う言葉で表現すべきだと語ったと伝えられているからである。
 この翻訳書が1993年にコロンビア大学出版局から出版されて以来、「御書」
に引用されている「法華経」の英文は、この書が用いられるようになった。』

1609パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:30:54

続きの続き

『私が取り組んだ長期的なプロジェクトの一つが「御義口伝」の英訳であった。
 池田会長の著作を頼りにして、翻訳に励んだ。1990年代、私はこの仕事に
忙殺された。この翻訳書は最終的に2004年末に、英訳《御義口伝》
〈The Record of the Orally Transmitted Teachings〉という題名で、創価学会
から発刊された。
 一般に、仏教を論じる中国や日本の著作家や講演者たちは、好んで「即今」
(今まさに)という言葉を使う。彼らがこれによって表現したいのは、「仏教の
教えは、あなた個人にとって、たんなる教義上の理論としてではなく、あなたの
人生そのものの中で、”今まさに”どんな意味をもっていますか?」ということ
である。
「御義口伝」で日蓮大聖人が言われていることは、本質的にこうした性質
のもののように私は思われてならない。
 大聖人は、釈尊の生涯や時代というコンテクスト(背景)から、法華経に
説かれた物語や思想を取り出して、それらが聴衆の人生や時代にどのように当て
はまるかを示そうとした。聴衆とは、末法と呼ばれる鎌倉時代の日本人であり、
同時に場所と時代を問わず、”今まさに”いたるところにいる、あらゆる人々
なのである。
「御義口伝」へのこのような捉え方が私の翻訳の基本である。私はそれが間違い
ではないこと、そして私の翻訳が英語圏の読者たちにこのことを正しく伝え得る
ことを、心から望んでいる。』

1610パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:31:35

続きの続きの続き

『私は、かなり前からコロンビア大学で教鞭を執らなくなったため、残念ながら、
私の翻訳への学生達の反応を聞く機会はなくなってしまった。
 しかし、私が創価学会のために翻訳した書物は、どうやら売れ続けているよう
である。これは、どこかにその真価を認める読者層がいることを示すものであろう。』
  大白蓮華4月号 池田SGI会長とともに歩んだ30年の翻訳人生 より引用

如何だったでしょうか。自分は???????の連発だったのですが・・・・。

1611犀角独歩:2005/03/24(木) 16:46:01

法華経を英訳するのであれば、梵本のテキストを使えばよいわけで、翻訳したものをまた翻訳するような愚(これじゃ、伝言ゲーム)をするのか、それをまた、コロンビア大学で教鞭を執った人が行った?というのは、驚きというより、呆れた気分になりました。

まあ、しかし、什の妙法華を使う日本と英語圏では意味がある?ということでしょうか。

さらに冗談にも程があると思ったのは、「「御義口伝」で日蓮大聖人が言われている」と、その資料の分析もなしに、よくぞ書いたという驚きで、これまた、呆れた気分に近いものがあります。

しかし、御義口伝では、日蓮本仏はまったく説かれていないわけで、久遠釈尊の顕彰になっているわけですが、ここら辺は、どうやって「解釈」を付けるのか、興味深いところがあります。

翻訳の質そのものは、わたしの云々できるところではありません。
名訳や、意訳、違訳かどうか、伝言ゲームのように、どんどん事実から離れていなければいいのに、と願うばかりです。

1612愚鈍凡夫:2005/03/26(土) 03:38:32

犀角独歩さん、どうもです。
スレを間違って投稿したので、こちらに移動します。
嘗て池田さんは、立正佼成会の庭野さんが国会の証人喚問に呼ばれた時、戸田さんがそれを羨ましがって、自分の処にもこないかなぁっと感想を述べたというエピソードを紹介して、これこそが真の言論であると学生部の会合で指導したそうですが、いざ、自分がその立場になった時、逃げ回ってなんとか証人喚問を阻止しよう画策したと聞いています。
言行不一致が池田さんの際だった特徴と言えるでしょうね。 ムカッ( ̄∩ ̄#

1613犀角独歩:2005/03/26(土) 08:49:47

愚鈍凡夫さん、それでも、池田さんて、1回は証人喚問に立ったことがありましたよね。たしか、証人台に50万円入りの財布を置き忘れたというやつです。証言に立っているとき、その財布をずっとなで続けていた。あとで理由を聞かれたら、「そうすると、気持ちが落ち着く」。そんな話ありませんでしたっけ?

1614愚鈍凡夫:2005/03/26(土) 12:11:54

それって、池田さんにとっては漫荼羅よりも日本銀行券の束のほうが御利益があるということでしょうか。
厄よけの御守りとして財布に入れていたなんて言い訳すると笑えるのにな〜。 (^O^)

1615犀角独歩:2005/03/27(日) 00:34:42

愚鈍凡夫さん、なんだか、みんな引いてしまいましたね(笑)

1616愚鈍凡夫:2005/03/27(日) 01:16:44

犀角独歩さん、そういえば・・・・。最後の追い込みで忙しいんでしょうか。 (;^_^A アセアセ…

多くの人の犠牲の上に自身の栄光を築き上げた池田さんが、人生の最終章に何を綴のか、みんなが注目している思うのですが、ただ一つ、日本国の王となる儚い夢が消え去る瞬間、どんな人生だったと総括するのでしょうね。
最期まで己以外の人を信じることが出来なかったことから生じた、深い孤独を悔やむのでしょうか。 (..;)

1617犀角独歩:2005/03/27(日) 16:56:34

愚鈍凡夫さん、どうも。

> …最後の追い込み

自分が書いた原稿が載る本2冊がそろそろ出るはずなんですが、それが遅れているのを忘れるぐらい、仕事がたまって焦っております。なのに昨日は横須賀で、明日は、午前中に浜松に行く用事がありと、どうも、出歩くことが多いのです。

> 池田さん…悔やむ

いやぁ、このお人は「悔やむ」という精神作用とは無縁と思えますね。

1618想定 予定者:2005/03/28(月) 21:18:48
1617 さん、、。  視点を思考いたすご無礼ゴメン下さい。 時に「、何を、? どう、? 悔やむ、?」、のでしょうか、、? 御本人(I氏)」、が、、「反省・吐露されても、結果的に活字になるか、、? ならないか、、?」、、「、、イワユル公人、??、」、としての、、発言、?、も、会内の反対者勢力が、?が、、封殺、するかも、?=イワユル、、ニギリつぶす勢力、?、の存在は??は、、想定、、しておくべきでしょうか、、?? または、、想定の外、、でしょうか、、??
、、?? 、、マー、、某団体さんは、、「、次期都議選、、??、、」、、を控えて、、「、、行け、、行け、ドン、!!、ドン!!、」という、??、、「、、実利、一辺倒、、??」、、でしょうか、、?? 庶民イジメのコワイ団体の真骨頂、、が現存、、??、、でしょうか、、???

1619犀角独歩:2005/03/29(火) 08:58:25

想定予定者さん、ちょっと、ご質問がはっきりとわからないのですが、池田さんに反省とか、悔悟なんてないだろうという50年ウオッチャーの印象を記しました。また、あの手の組織は、反省を活字化すれば、件の如く、非を論われるだけですから、言論問題で一回、そして、第一次紛争で一回、以降、そのようなことはしなくなったと思います。今後はしないだろうと思えます。

1620想定 予定者:2005/03/29(火) 21:08:08
、、ドーモです、、。 I氏が反省も悔悟も皆無、? という件は? でしょうか、、?? 小生としましては、、「ご本人は、ヤハリ一度は国会証人の喚問、?」に対しては、、「、、一度位は国会証人の喚問に出る、?、」という、、度量の大きさ、? を示す事が、 最良、? だったことは、?、、「、ご本人自身が、一番に、? 後悔しておられる、、??」、かと、、自己判断した、次第で御座います、、。 ゴメン下さい、、。
出来なかった、、?」、、「、、この件は、出ておくべき?

1621犀角独歩:2005/04/04(月) 13:14:13

殊勝な方がいらして、以下の画像をわたしに送ってくださいました。
参考にサイトにおいて見ました。ご参考に、ご覧いただければと思います。

まあ、こういっては何ですが、なかに登場する女子部の会合その他、わたしはひどい違和感というか…、批判と採られては困りますが嫌悪感を覚えました。かつて、この手を見聞して、感動していたのかと思うと、我ながら、複雑な気持ちになりました。

久本雅美体験談
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/hisamoto_taiken.wmv

1622犀角独歩:2005/04/04(月) 13:30:04

1621、ジャンプしない場合は、アドレスバーにコピペしてください。

1623犀角独歩:2005/04/05(火) 22:19:01

いま『折伏教典』を読んでいます。
この本が絶版になったあとは『創価学会入門』が取って代わったのでしょうか。
その後、石山と袂を分かったあと、いまは上述の二書に取って代わった本は何でしょうか。どなたか教えてください。

1624三学無縁:2005/04/06(水) 12:57:54
独歩さん
『創価学会入門』は絶版ではないようですが、その他に小冊子がでています。
『新会員の友のために』全三冊。
必要でしたら買っておきましょうか。
一冊、一〇〇円か二〇〇円だったと思います。

1625犀角独歩:2005/04/06(水) 22:19:48

> 1624

三学無縁さん、有り難うございます。
よろしくお願いいたします。

質問です。『日蓮正宗方便品寿量品精解』(P203)に載る『教学問題の解説』はお持ちでしょうか。

1626愚鈍凡夫:2005/04/07(木) 00:16:26

公明党三重県本部の意向を無視して市会議員に無所属で立候補する創価学会員もいるんですね。いやはや、時代も変わったものだ。 ぴぃす((^へ^)v

**************************************************
◆風穴

 「無所属、無党派で出馬する」。結婚した時、仲人を務めてもらった、旧青山町の公明党市議が引退すると聞いた今年1月下旬、伊賀市高尾の会社員、岡山丈洋(45)は、そう決心した。
 現在、同党の議員は4人。しかし、今回の選挙戦では、同党の公認候補は旧上野市2人と旧伊賀町1人の計3人に絞られ、「高齢」を理由に旧青山町の市議だけ外されたのだ。旧上野市など旧6市町村での合併が進められる一方で、名張市との合併問題に翻弄(ほんろう)された旧青山町。同党支持者には、伊賀地域南部の立候補予定者がいなくなる党の決定に「旧上野中心の考え方で、地元軽視だ」などと反発する人もいたという。こうした中、同党県本部に抵抗して立候補を予定する岡山の動きは、固い組織票で知られる同党関係者に波紋を投げ掛けた。
 岡山は「創価学会員だが党員ではない」と強調する。出馬の経緯から組織選挙は難しいが、学会員個人の支持には期待している。加えて選挙戦のカギとなるのは、在住する地元や、旧青山町の桐ケ丘団地に住む同世代の無党派層からどれだけ応援してもらえるかだ。
 旧同町の他の立候補予定者は現職市議ばかり。地元の将来を訴えて当選し、風穴を明けることが出来れば、「市議の仕事に純粋に取り組みたい。二足のわらじは履けない」と、会社を辞める覚悟だ。(敬称略)

〔伊賀版〕

毎日新聞 2005年3月17日
**************************************************

MSN-Mainichi INTERACTIVE 都道府県ニュース
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/mie/archive/news/2005/03/17/20050317ddlk24010657000c.html

1627吉祥仙人:2005/04/08(金) 05:47:29
 横から失礼します。

 政治参加は国民の権利ですから、他人がとやかく言うことではないかもしれませんが、

 周りから「あと1期待ったら、現職が引退するから」と言われても待てない方も
いるようです。

1628犀角独歩:2005/04/08(金) 11:11:39

> 政治参加は国民の権利ですから、他人がとやかく言うことではない

そうなんですよ。ですから、しつこく投票依頼を受けて、何となく公明党に入れてしまうというのは、どうも、よくないとわたしは思うわけなんだ。

事実、そう思うわけです。ですから、組織打ちだし、選挙依頼という学会・公明の在り方ではなく各人の自主性を重んじる吉祥仙人さんの投稿を拝読し、賛同の意を表するものです。

1629愚鈍凡夫:2005/04/08(金) 13:04:39

組織からの打ち出しを勅語の如く受け取る学会員が多い中、自分の意志を表明できる人が増えていくのは喜ばしいことだと思います。 ぴぃす((^へ^)v

学会員で多いのが、選挙の度に公明党候補者を聖人君子の如く口コミ宣伝するのですが、「この候補が国会で何をしたのですか?」と尋ねると、回答できる人は殆どいません。組織からの通達だから、知らない候補者でも無条件で応援するというのが実際のようです。

1630パンナコッタ:2005/04/08(金) 15:46:53

決め文句は、
 「我々は政治屋じゃない。仏道修行として応援なんだ!!」
 て、ところでしょうか。

 オウムの岡崎被告の最高裁判決が出ました。組織に翻弄された人の姿を見て、
同じ様な轍を踏まずにいってほしいものですが・・・。

1631愚鈍凡夫:2005/04/08(金) 17:57:34

創価学会に入会する人の多くは、一部を除いて元来生真面目な人が多いですから、そういう人が脱会すると、あらゆる手段を行使して精神的に追い込み、あわよくば、自分で自分の始末をさせようとしますからね。

批判を中傷とすり替え、
「不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり、五戒の初めにも不殺生戒八戒十戒二百五十戒五百戒梵網の十重禁戒華厳の十無尽戒瓔珞経の十戒等の初めには皆不殺生戒なり、儒家の三千の禁の中にも大辟こそ第一にて候へ、其の故は「・満三千界無有直身命」と申して三千世界に満つる珍宝なれども命に替る事はなし、蟻子を殺す者尚地獄に堕つ況や魚鳥等をや青草を切る者猶地獄に堕つ況や死骸を切る者をや、是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり、」(「秋元御書(未決)」学会版P1075)

なんて文証を引用して、非道な行為を正当化しようとします。

小生の場合は、未だに執拗な攻撃が続いていますが、元々生真面目な性格ではないものですから、先方では始末に困り果てているようです。 ( ̄(エ) ̄)ゞ クマッタナー

1632愚鈍凡夫:2005/04/08(金) 18:30:39

下記のHPの記事を読んで、金正日と池田さんがだぶって見えたのは小生だけだろうか。 ( ̄ヘ ̄)ウーン

創価学会の伝家の宝刀、「御義口伝講義」ですか〜ッ。
「抜きますかね・・・・・、ふつう・・・・・。」 アセアセ( ̄_ ̄i)タラー

新潮「名誉会長『体調異変』で密かに始まった創価学会『世襲の儀式』」(3月24日)記事
http://wave2005.hp.infoseek.co.jp/kyouki/050328.htm

1633真実 渇仰者:2005/04/08(金) 19:25:10
、、京都の誠聖神中央教会での信じられない事件には驚愕、、です、、。(京都新聞3月8日より) その「牧師の毒牙の犠牲者=児童レイプ事件、、」、の容疑者=金氏(永田 保)は「、私に逆らえば=地獄に落ちる、!!」、、と脅迫していた由、、。
、、オウム、、にしても、同じ言動で洗脳されていましたようです、、。 どこぞも、、「==同じの」様でしょうか、、?? ああ、 恐ろしヤ、、。、一寸ほど考慮したり、冷静に思考する時間と暇を、当事者に「与えないようにする技術=ノウハウが勝った、」、、ような現象には、、腹立たしい、、限り、、です、、。

1634海千 山千:2005/04/08(金) 20:04:46
、、先手は必勝の手筋も、ご存知ない、とは、。 世の中、、人生も、、イロイロ、ですから、?、 今後も、、意外な想像外の事件、など、は多発、?でしょうか、? この程度でビビッテ、、居るようでは、?、、でしょうか、?

1635真実 渇仰者:2005/04/08(金) 21:29:57
、、スミマセン、、です、、。

1636愚鈍凡夫:2005/04/08(金) 22:27:07

「空飛ぶ法王」と呼ばれた本物の法王が惜しまれながら永久の眠りにつき、偽物の法王が警察に婦女暴行でパクられるとは・・・・・。いやはや、天国と地獄を絵に描いたようなものですね。 (-"-;A ...アセアセ

パクられた方の法王は、
「狼よ!もとい!おお紙よ。いや違った!おお髪よ。これも違うな。おお神よ!!」 〔(/-o-)/〕
こんなふうに留置所の中でほざいているんでしょうかね。

1637吉祥仙人:2005/04/10(日) 12:42:17
 ところで、これのどこが「創価学会の功罪」と関係あるのでせうか?

1638犀角独歩:2005/04/10(日) 16:41:32

1632、ご紹介のサイトを読みました。

> 御義口伝」とは、戸田城聖元会長から池田名誉会長に伝えられたといわれる

とはなんのことでしょうか。日興記と云われる以外に戸田さんの義を池田さんに口伝した何かがあるというわけでしょうか。

しかし、『御義口伝』講義ですか。まさか真偽論証も何もないお粗末なものではないでしょうね。あ、いらないわけでしょうかね。戸田さんの御義だから、「言った、聞いた」と名乗りを上げたもの勝ちということ? となると、阿部さんの相承批判とどこが違うのでしょうか。

> 創価学会は世襲を否定

まあ、いずれにしても、池田さんが…、というより、創価学会が世襲制を採るかどうかは見物です。
かつて池田さんは「世襲制は邪宗」と断言しているわけですから、自分たちが「邪宗」であるという決定を実際に行うかどうかを注目しています。
云うことがころころ変わる、普遍性がないのはいかんとは、第二次宗創紛争当初の、学会の石山批判でした。
さて、点に吐いた唾になるかどうか。顔にかかるのは必至と思えますが、どうでしょうか。

> 香峯子さんを神格化

これは、世襲制以上に滑稽ですね。

1639愚鈍凡夫:2005/04/10(日) 17:26:04

いやはや、昨日今日と、桜の名所は人だらけです。桜を見に来たのか、群衆を見に来たのか、さっぱりわからん状態です。染井吉野の寿命は100年ぐらいらしいですが、各地の桜の名所も、そろそろ世代交代しなければ人が来なくなるのじゃないでしょうか。
一斉に咲いて、一斉に散る。さすがにクローン技術の賜物だと思いますが、何故か、思考パターンが同じになっていくカルト宗教信者を思い起こさせます。

血脈相承といえば、池田さんは証書を発行してましたよね。「広宣流布血脈の新弟子を証す」って書かれたあれですが、確か第1号が原島嵩さんでしたっけ(ネタとしては笑えますね)。

池田さんは、長男の博正さんの結婚式に欠席されてますよね。博正さんが教え子と結婚するのが許せなかったんでしょうかね。
あれから数十年、池田さんも心変わりされたということでしょうか。「仏法は時によるべし」とかってやつですか。(;^_^A アセアセ…

1640吉祥仙人:2005/04/10(日) 20:07:25
 予言を一つ

 博正副会長は、東京創価学園の理事長として「平和・文化・教育」の三大事業の
「教育」の面で、池田名誉会長の後継者となるでしょう。創価大学の理事長になれるか
どうかはご本人の今後にかかっているでしょう。

 私の思うところ、島田師は池田名誉会長後の創価学会について、おおよその予測を
持っておられると見ます。

 まあ、人事について云々することは学会の最大のタブーですが。
 過去にいったい何人が人事にオンシツして退転したことか。

1641犀角独歩:2005/04/10(日) 20:12:17

> 人事にオンシツして退転

ああ、なるほど。こういうマインド・コントロールをしておくと、退転=オンシツということで脱会者の人格を否定し、組織を保持をすることが出来るんですね。便利な仕組みです。

ここで問題にしているのは、昔と今は言うことが違う。息子を後継者にして世襲制をすれば、池田さんは歴史に残る大嘘吐きだという話、ただ、それだけです。

1642吉祥仙人:2005/04/10(日) 20:41:26
 犀角独歩さんへ

 言葉が足りませんでした。

 退転=オンシツという図式を描いたつもりではありません。私自身、人事にオンシツ
して活動停止状態に至りましたが、退転はしませんでした。

 まして、退転(悪い言葉を使ってしまいました。脱会と以下改めます。)ではなく
脱会者の人格を否定するつもりは毛頭ありません。
 脱会者を責めれば、脱講者を生み出している創価学会の立つ瀬がなくなります。

1643犀角独歩:2005/04/10(日) 21:15:50

いやいや、 吉祥仙人さんを批判したつもりは毛頭ありませんよ。

たいがい、組織構築というのは勝者の論理であって、1641のようなご都合の自浄作用によって成り立っています。

博正さんはカリスマ性無し、人望もない、次男さんが亡くなるまで、親の大作さんだってそんなに重視していなかった。しかし、博正さんは池田さんの息子に生まれ落ち、後継者と目された弟の死によっていまの地位、今後の地位が約束された。こんな運を説明するのに便利なのが「過去世の行い」。しかし、一般人は、凡人でもボンボンであれば、不動の地位を手に入れられ、組織力、財力があれば、周りが中心者に祭り上げてくれるというどこの組織にもある人事だと眺めているだけです。

吉祥仙人さんが仰るとおり、信心と人事はイコールではありませんね。

1644愚鈍凡夫:2005/04/10(日) 22:01:50

池田さんって不思議な人ですね。長男の結婚式には欠席して、悪名高き北林芳典の結婚披露宴には夫婦そろって出席したそうですよ。池田さんにしては珍しいことらしいですね。
自分のために平気で泥水を飲む弟子の方が可愛いんでしょう。

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監視・密告・権力の二重構造

古谷 もう一つ重要な共通点は、監視・密告制度。北朝鮮が監視社会であることはよく知られていますし、高級官僚の家でも盗聴器がついているといいますが、創価学会の場合には学会本部の連絡局や第一警備部(特別警備)が中心になって、金城会(池田警備グループ)や創価班(会合運営グループ)を使って同様の機能をはたします。加えて、そのときどきで特殊グループを編成してターゲットを監視する。近年では、広宣部という組織が暗躍しているといわれます。監視・尾行はもちろん、盗聴も実施しているかもしれません。
 また創価学会では密告が制度化しているわけではありませんが、それ以上に不気味なのは、婦人部・女子部を中心とした「指導を受ける」という体質が日常化していること。自分の身辺の様子を包み隠さず幹部に語り、これからどう行動したらいいか指導を受ける。たとえば家庭の団欒のなかで、夫が池田に対する批判的な言辞をもらしたり言動を示せば、妻や娘を通して即座に幹部に伝わってしまいます。
押木 山本伸一になぞらえて若手最高幹部のグループ「伸一会」をつくったときも、同時にその妻たちのグループ「伸峯会」を発足させて、カネ(香峯子)夫人に仕切らせていました。下手なこというとすぐに女房が報告してしまう、亭主の監視用のグループだ、と伸一会メンバーも嫌がっていた。
小川 池田体制の二重構造です。実際には第一庶務が創価学会をコントロールしている。共産主義国家での、国家と党の関係にそっくりです。国家より党のほうが上であり、創価学会執行部より第一庶務のほうが上なんです。
押木 池田家統制ですね。
小川 池田家と、執事の第一庶務という関係。その執事に秋谷会長以下、たばになってもかなわない。一方、外国からの被害はすべて国家が受けるように、創価学会にかかる血しぶきは全部秋谷さん以下の首脳が受ける構造です。

「永遠の指導者・池田センセイ」と「偉大なる将軍様」の共通点
http://www.forum21.jp/contents/contents12-1.html
**************************************************

会長も三代以降はただの最高責任者であって指導者(会長先生)ではない。第五代会長の椅子に座った秋谷さんの本音はどうなんでしょうね。池田さん以外は、言いたくても言えない構造が学会幹部を呪縛しているようです。

1645犀角独歩:2005/04/11(月) 07:56:24

秋谷さんですか。
『小樽問答誌』を再読したら、「秋谷城永」と戸田さんからもらった名で載っていました。師匠の鞍替え、名前の返上。「生き延びるのがお上手」ということでしょうか。

1646愚鈍凡夫:2005/04/11(月) 15:16:50

一説によると、池田さんは博正さんよりも、御年25歳の城久さんの忘れ形見に御執心という噂もあります(果たして、「孫」なのか「四男」なのか、どっちだろうなんて下世話な噂もチラホラと)。香峯子さんは、博正さん贔屓ですから、この後継者争い、池田さんと香峯子さんのどちらが先に死ぬかで軍配が変わるやもしれませんね。

1647吉祥仙人:2005/04/13(水) 04:56:31
 >1644

 余計な話を一つ

 第一庶務が話題になっていますが、そこにいる女子部員を週刊誌が「喜び組」に
例えて「美人が集められている」と書いたとき。

 新宿区女子部員「ニコニコ」
 新宿区男子部員・学生部員「冗談じゃねえ、どこに美人がいるんだ」

 という反応がありました。

1648犀角独歩:2005/04/13(水) 06:57:26

第一庶務って、池田さんの名前で書籍を書く以外にどんな仕事をして居るんですか。
あと、色紙・サインを代筆するのは、なんていう名前で呼ばれる人達でしたっけ?

1649愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 08:21:52

原島嵩さんに言わせると、第一庶務には文字通りの「雑多な事務処理」をする第一庶務と、もう一つ「喜び組」の任務を担った第一庶務が存在していたそうですよ。
人前ではこの両者が混ざって一緒に池田さんと行動するものだから、一般の目からはカムフラージュされているとか。
ただし、原島さんが嘘つきでなければの話ですが。

> 新宿区男子部員・学生部員「冗談じゃねえ、どこに美人がいるんだ」

美醜の基準は人それぞれですから。ましてや、やっかみが混じっていたら尚更です。

1650犀角独歩:2005/04/13(水) 09:22:49

愚鈍凡夫さん、ほんとに知らないので質問なんですが「喜び組」って、なんですか。

1651愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 09:49:28

喜び組といえば、将軍様と大奥の関係ですよね。 (*^。^*)ポッ!!
詳しくは、下記をどうぞ。 | 電柱 |。\) )))) ハズカシイ

週刊現代Online
http://kodansha.cplaza.ne.jp/wgendai/top_news/20030301/top_1/main.html

1652犀角独歩:2005/04/13(水) 11:13:22

1651 愚鈍凡夫さん:

この意味の「喜び組」ですか。
それが第一庶務にあると?
うーん。

1653愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 11:56:19

犀角独歩さん、どうも。

>>1644:で紹介した下記のページも「第一庶務」を「喜び組」になぞらえています。

徹底比較「創価学会と北朝鮮」
http://www.forum21.jp/contents/contents12-1.html

もう一つ、ここの掲示板の主旨にはそぐわないので迷ったのですが、有名なHPですのでUPしておきます。ご参考までに。

法廷で"潔白"示せなかった 池田大作『破廉恥行状記』
http://www.toride.org/hrenti/hrentindex.html

1654真実 渇仰者:2005/04/13(水) 18:42:20
、、横から失礼、、です、、。 その後の某誌や旁紙などによりますと、「喜び組=自らの喜び、、なのか、、他者を喜ばせる=喜び組、、??」、、はふめい、、??、、だが、、 昨今、、ドーモ、、後者のほうが、、比重が高まった、、ようです、、?、、。 ホリエモンさまでは、有りませんが、、「、金と権力、、を所有、、」、、しますと、人生が、、狂ってしまう、、?、、方も、、散見、される、ようです、? 因みに、「、神学の博士号は十万円ほどから入手、、?」、、の”博士ビジネス”も自由の国の米国では存在(産経新聞4月9日より)のようです、、。 この点はオドロキ、、??でしょう、、??  推察が許されるならば、、「、、対談ビジネス、〜〜勲章ビジネス、、??」、、も100%で否定は怪しく、、??なった、、ようでしょうか、、?? IT文明の恩恵、、?、、でしょうか、、?? ゴメン下さい、。

1655小心者:2005/04/13(水) 19:48:17
横からゴメンします。「 風聞の喜び組、?」とは、独断と偏見をお許し願えれば、?、イコール、=は、国策的、?、な、「従国的な慰安婦、、??、」、と、?存じます、?  中南米やアフリカ最貧諸国などの、「、生活上、?、止むに、、止まれず、?、」、、からの、?、物件事項、?、とは、趣、? が違う、?、ようです、。 そこかしこに、?、、某組織の、?、、暗黙の、了解、、?、の存在が、?、懸念、、されます、、でしょうか、、?
 従いまして、自由の国=アメリカではあらゆるビジネス機会が満載です、、。 公に通じるような免許、、資格、、などは、厳しい事前審査と面接試験などがありますが、その他の、、「、身内的な小規模な件は、ユルユルな抜け道が沢山存在、、」、のようです、。 これも自由のヒトツ、かと思います、。

1656犀角独歩:2005/04/13(水) 23:48:16

愚鈍凡夫さん

> 『破廉恥行状記』

わたしはこの小冊子をもっています。
たしかに当掲示板にはふさわしくない話題ですね(笑)

1657愚鈍凡夫:2005/04/14(木) 05:41:08

犀角独歩さん、どうもです。
今、ここのスレを見た人は、なんで「喜び組」の話をしてるんだろうと思うでしょうね。( ̄ヘ ̄)ウーン
吉祥仙人じゃないですが、「それで、創価学会と喜び組にどんな関係があるのですか。」って問われそうですね。 (^_^;)

1658愚鈍凡夫:2005/04/14(木) 05:43:36
訂正

誤→吉祥仙人じゃないですが、「それで、創価学会と喜び組にどんな関係があるのですか。」って問われそうですね。 (^_^;)

正→吉祥仙人さんじゃないですが、「それで、創価学会と喜び組にどんな関係があるのですか。」って問われそうですね。 (^_^;)

です、悪しからず。 m(_ _;)m ゴメン!!

1659小心者:2005/04/15(金) 19:22:01
ゴメンします、、。 吉祥仙人サンは、誠に、「、、純粋な方、、と、、」、、確信しておりました、、。 とても、、まじめに誠実に御自分との「、葛藤、、?、、」、、の御経過、、?、、のような、、??、、が件、、を、、実感、、しておりました、、。 彼の御発言、、は、、とても、、、とても、、「、、意味が深い、、??かが、、存在、、??」、、のようです、、。 小生は、かれの御発言は最大の「貴重な一見」、、かと、、信じます、、。 能書きをタレテ誠に済みませんです、、。早々。

1660吉祥仙人:2005/04/18(月) 05:01:33
 補足

 新宿区の男子部・学生部云々の話はつまり、学会本部職員の女子部員は
たいてい新宿区女子部員で、日常的に活動で接していて、和気あいあいと
罵りあったり(?)していたので「どこが美人なんだ」という発言に
なったのでした。

1661小心者:2005/04/18(月) 20:05:29
、、ドーモです、、。  御久方ぶりの、、御登場、、大、大、、歓迎、、かと、、存じます、。 ドーゾ、、存分に、、「御提言、、宜しく、お願い、」、をいたします、、。

1662愚鈍凡夫:2005/04/29(金) 06:43:43

「つぶやきすれっど2」>>1540:でパンナコッタさんが言われているのは下記の記事だと思います。

**************************************************
警視庁捜査二課は二十五日、東京都足立区の保養施設の業務委託契約をめぐり、特定の業者が受注できるよう働き掛け、見返りに現金二百万円を受け取ったとするあっせん収賄容疑で公明党足立区議の忍足(おしたり)和雄容疑者(62)を逮捕しました。贈賄容疑で温泉保養所経営「勇駒」役員の川島章男容疑者(68)=同区千住=ら二人も逮捕。調べに対し、三人とも容疑を認めているといいます。忍足容疑者は同日夕、議長に辞職願を提出、受理されました。

 調べでは、忍足容疑者は区議会副議長を務めていた二〇〇三年七月ごろ、神奈川県湯河原町にある足立区の保養施設「湯河原あだち荘」の管理運営業務の委託契約をめぐり、川島容疑者らから勇駒が受注できるよう請託を受け、当時の区幹部職員に働き掛け、その見返りに翌年八月ごろ、同容疑者らから現金二百万円を受け取った疑いです。

 業務は公募に応じた業者の中から区職員が選定して委託。忍足容疑者は、区が内々で定めていた選考基準などを幹部職員から聞き出し、川島容疑者側に伝えていたといいます。

 忍足容疑者は一九八三年五月に初当選。現在六期目。○三年五月から一年間、区議会副議長を務めました。昨年五月から監査委員を務めていましたが、今月二十一日に同委員の辞任届を提出していました。

 湯河原あだち荘は七五年に開設された区民向け宿泊施設。勇駒は昨年四月、施設の管理運営業務を年間約一億五千四百万円で受注。今年四月にも約一億五千万円で請け負っています。

**************************************************

公明区議 収賄で逮捕/東京・足立 業者から200万円
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-04-26/15_01_0.html

1663犀角独歩:2005/04/29(金) 11:19:55

突然、思いついたのですが、創価学会の言うところは「人間革命」ですが、これはむしろ生命革命という「教義」性を有しているように思う。
また、生命は、法華・天台・日蓮の系譜で語られてきた一心(一念)が現代的に置換されたもので、革命は、精進、仏道という鍛錬が置換されたものと映じる。しかし、生命と心、革命と仏道はイコールとはなっていない。徹底した現世利益論が塗り込められているのが「生命革命」だと思う。
まあ、どうでもいいようなことですが、そんなことを考えました。

1664愚鈍凡夫:2005/04/29(金) 16:56:21

ある日の「寸鉄」より

名誉会長夫人に世界から顕彰。創価の女性の代表。婦人部・女子部の大栄冠。

「う〜ん? かねさんって、役職なんだっけ?」 。。。o(゜^ ゜)ウーン

組織利用の商売や金銭貸借は厳禁。信心を食い破る悪人には厳しき仏罰が

「あの〜っ、これって戸田さんのことですか?」 ( ̄〜 ̄;) ウーン

他人の批判ばかりするのは慢心だ。福運を消すだけだ。広布の主体者たれ。

「あの〜っ、これってもしかして、池田さんのことですか?」 ( ̄Д ̄;;

1665犀角独歩:2005/04/29(金) 19:01:25

> 組織利用の商売や金銭貸借

たしかに町金融の大蔵商事を学会員から出費させてはじめて、学会員に貸し、そこで営業部長をやっていたのは、池田さんでしたね。
今の会員の知らない昔話となったのでしょうか。

1666小心者:2005/04/29(金) 19:34:25
>、、町金融の、、。
 さすが鋭い御指摘、、です。  わたしの偏見をお許し願えれば、、? ドイツのヒトラーは五輪オリンピックを、国威発揚の絶好のチャンスと捕らえていたようです、またお隣の中国も二年後の北京五輪を最大の、国威発揚のさいだい機会、?、と思えるような動き、、です、。 宗教は、一応は無関心を装いながら、その本音は、、?? 一体、、?? 何なのでしょうか、? 
S会、、K党などの政教の一致的な懸念は、心配しておりますが、? 今後は、、?? でしょうか、、??

1667犀角独歩:2005/04/30(土) 23:09:07

本日、都内を電車で歩き回り、中吊り広告を見ていたら、第三文明だかなんだかでは、共産党の事件を盛んに特集していました。
どっちもどっち、そう思ったのはわたしだけでしょうか。

1668愚鈍凡夫:2005/05/01(日) 08:57:11

桜があっという間に花吹雪になって散ってしまったかと思ったら、反則まがいの暑さですね。 ε-(´o`;A アチィ
今回、案の定、衆院統一補選福岡2区で山拓さんが当選しましたが、公明党に選挙協力を頼むと、結構金がかかるそうですね。
聖教新聞数百部の定期購読なんて当たり前で、学会への寄付を暗に仄めかされたりするそうです。
「公明党の推薦と、うちの活動家が動くかどうかは別だ。」というのが脅し文句だそうです。
公明党との選挙協力は麻薬だといった自民党幹部がいたそうですが、高い代償を支払い、プライドを投げ捨てるという意味では同じなんですね。

1669犀角独歩:2005/05/01(日) 09:08:54

愚鈍凡夫さん、おはようございます。
この山拓を公明党支援というのは一体どうなっているんでしょうか。
恥・外聞よりも、主義主張よりも、どんなことしてでも政治家になればいい、この節操のなさ。推した創価・公明も世間の失笑を買うより、自民1人をロボットに出来るほうを選んだということでしょうが、山拓の悪評を共に背負い込むのはどうか、それを何とも思わず応援する学会員もどうか、こんなことが罷り通って、清き一票もあったものじゃないという実に気分の悪い選挙でした。

1670愚鈍凡夫:2005/05/01(日) 10:07:31

犀角独歩さん、おはようございます。
議員バッチは水戸黄門の印籠みたいな物なんでしょうね。権力の象徴を失うと、ただのおっさんになってしまう。先生からおっさんと呼称が変わるのが怖いんでしょうか。公明党代表代行(ようわからん役職ですなぁ)の浜四津さんが私心を捨てて山拓の応援に駆け付けたのには笑えましたが、浜四津さんといえば、拉致被害者の増元るみ子さんの弟・増元照明さんに一言の謝罪もないようですね。

資料
http://nyt.trycomp.com/hokan/0023.html

1671犀角独歩:2005/05/01(日) 11:58:41

愚鈍凡夫さん、「絶対平和」を言う?創価学会員は、自衛隊派遣、ひいては憲法改正再軍備をどうとらえるのでしょうか。
また、ご指摘のらち問題への対応をどうとらえるのでしょうか親方創価・公明の言うことは何でも正しいと言ったところでしょうか。

1672パンナコッタ:2005/05/01(日) 12:40:22
横レス失礼します。

自衛隊派遣の時、反対の署名を呼びかけネットなどで話題になったB長さんがいましたね。
その後どうなったのかな? 組織的にはケムたい存在でしょうから閑職の副役職にされるのかな。

1673愚鈍凡夫:2005/05/01(日) 12:47:51

犀角独歩さん、どうもです。
公明党は、創価学会を如何にして守るかというのは学会員向けで、その実、池田さんを如何にして守るか、といったいわば池田さんのための個人的な政党ですから、池田さんの匙加減一つでどうにでも主張を変える、太鼓持ちのような存在なのでしょうね。
結局、池田さんが平和を守るために軍隊は必要だと言えば、公明党も、創価学会も「涅槃経にもそう書いてある。さすがに池田先生だ。」なんて主張し、池田さんが憲法9条は普遍である。と言えば、「法華経には不屈の忍耐をもって法を広めよと書いてある。さすがに池田先生だ」なんて、秋谷さんあたりは恥ずかしげもなく言うんでしょうね。 ( ̄Д ̄;;

1674犀角独歩:2005/05/01(日) 13:30:47

愚鈍凡夫さん

わたしは創価学会の論調の中で、もっともいちばんわからないのは「池田先生を守る」という‘指導’です。教えを守るでも、規律を守るでもなく、池田さんを守る?? 将棋の王将を最後まで取られようにする戦争ゲーム的発想だと思えるわけです。指導者は一身を擲って死身弘法の見本を示すのであればわかりますが、何で、こんな発想が生じるのでしょうか。

1675犀角独歩:2005/05/01(日) 13:32:44

【1674の訂正】

誤)王将を最後まで取られようにする戦争ゲーム的発想
正)王将を最後まで取られないようにする戦争ゲーム的発想

1676犀角独歩:2005/05/01(日) 14:13:05

さらにもう少し書けば、戸田さんは「創価学会の組織は戸田の命より重い」と言ったとか。しかし「池田先生を守れ」では「池田の命は、学会員より、創価学会の組織より重い」ということになってはしまわないのか。これでは、ただの独裁者のイメージしかないだろうということです。

毎年「池田先生に使っていただく」と言って多額の寄付(=財務)が集まり、「池田先生を守る」と体を張る学会員は、まるで創価王国の奴隷という印象を拭えないではないのか。こう書くと悪口と学会員は取るかも知れませんが、しかし、‘先生’に使っていただく財務も事実なら、守っているのも事実でしょう。
民衆が喜んで財産を差し出し、心身も差し出す、こんな構造は専制君主以外の何ものでもないと思うのは、悪口なのでしょうか。

尤もこの構造は石山の阿部さん、顕正会の浅井さんでもさして変わりがあるように見えません。

1677愚鈍凡夫:2005/05/01(日) 14:31:04

「池田先生が命を削って我々学会員を守ってくださっている」といった幻想の刷り込みが、「先生の恩に報いるため、先生を守り抜こう」といった思い込みを美意識へと高め、その結果、悲劇のヒーロー的ナルシズムに嵌っていくんでしょうね。 ( ̄^ ̄ゞ ケイレイ!!
これも、池田さんに尻尾を振って、出世しようとする学会貴族が、学会員を煽動した結果なんでしょうか。まぁ、池田さんが側近たちに対し、ことあるごとに忠誠心を試す事ばかりしていれば、自ずとそうなるのでしょうね。
でも、宗教指導者たる者、国会であろうが裁判所であろうが、何度でも足を運んで、信者のために楯になるのが筋だと思うのですが・・・・・。 (-"-;A ...アセアセ

1678犀角独歩:2005/05/01(日) 17:33:04

愚鈍凡夫さん、または学会員の方

> 「池田先生が命を削って我々学会員を守ってくださっている」

どんな点で、こんなふうに思うのでしょうか。
「池田先生」を守る会員がまた、「先生」に守ってもらっているという相互扶助の関係は成立しようがないと思うのですが。
たとえば、どんなときに、こんな感慨を、学会員は実感するのでしょうか。

1679愚鈍凡夫:2005/05/01(日) 19:10:53

犀角独歩さん、どうもです。

「身命を惜しまず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる」(『大白蓮華』昭和41年2月号)

「私から幹部の任命を受けることは、記別(きべつ=仏が弟子達の未来の成仏を約束すること)を受けることです。これなくしては法華経を持つといえども無益である」(『前進』昭和42年2月号)

「なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく」(第40回社長会・昭和45年11月19日)

「皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ」(『前進』昭和44年10月号)

「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない」(『前進』昭和45年5月号)

「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない」(『前進』昭和40年6月号・池田指導)

こういった演出の度重なる刷り込みが、偉大なる池田先生といった幻想を作り上げたのではないですか。

創価学会問題6・池田大作本仏論
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_6.html

1680吉祥仙人:2005/05/01(日) 19:36:52
 かつてロシア革命当時、赤軍創設者で最高司令官のトロツキーは装甲列車で
前線を移動しながら、「私が最前線で指揮する、諸君は私を援護してくれ」と
のたまわったそうです。

1681犀角独歩:2005/05/01(日) 22:12:28

吉祥仙人さん、トロツキーと池田さんは同じだという意味ですね。

1682犀角独歩:2005/05/01(日) 22:13:35

愚鈍凡夫さん、なんだか、池田さんて、デンパな人ですね。

1683愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 00:00:40

犀角独歩さん、どうもです。
この恐るべき自画自賛の嵐こそ、池田さんの池田さんたる由縁なんでしょうね。 (;^_^A アセアセ・・・

千葉の清澄寺の千年杉(本当は樹齢約250年)の木肌をナデナデしながら、
「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」
と宣うこの神経。このギャグのセンスには誰しもが脱帽だったりして・・・・・。
やっぱ、養殖じゃない天然物はスゴイ!! (○ ̄ 〜  ̄○;)ウーン・・・

1684愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 00:09:06

トロツキーといえば、確かスターリンに追われ、メキシコで登山用ピッケルで殴り殺された御仁ですよね。
(・"・;) ウッ! おもいっきりイタソー

そういえば池田さんも、どこぞの大きなお寺の住職に対し、
「ハリガネねでゆわえて、トンカチで殴れ」とか言ってませんでしたか。 (O.O;)(o。o;)

どちらかと言えば、トロツキーと言うよりスターリンかと・・・・・・。

1685犀角独歩:2005/05/02(月) 04:38:40
1659 愚鈍凡夫さん、ご紹介の日蓮本仏論を拝見しました。
それにしても、池田さんを斬った返す刀で自分を切っていますね、この文章は。

> 「末法において主師親三徳を兼備(けんび)するのは御本仏日蓮大聖人だけであり、弟子檀那(だんな)に成仏の記別を授けることができるのも御本仏だけ。また、三世十方(さんぜじっぽう)を全て御覧になることができるのも、衆生に福徳を与えるのも、衆生の境智冥合の対境となるのも、全て御本仏の境界においてのみ、なしうるのである」

何でこんなことが言い切れる訳なんでしょうか。
成仏の記別を与えられるのが蓮師だけならば、滅後、本日に至り、未来永劫、誰も成仏の記別を受けることが出来ない、すなわち、成仏できないことになります。それとも、夢の中にでも、蓮師が現れて記別するとでも言うわけでしょうか。

池田本仏論も、言うに落ちた戯論でしょうが、それを否定するために紡がれる日蓮本仏論もまた、根拠薄弱な空想の産物というほかありません。

また、

> 本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目という三大秘法の全てを具(そな)えて、欠けるところのない大御本尊

であるそうだが、ならば、未来広宣流布に戒壇建立の砌、寺名を「本門寺」に改称することを目指してきた石山義はどこに行ってしまうのでしょうか。また、たしか、石山が真跡として扱う『三大秘法抄』の「最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者」、また、二箇相承の「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」という蓮師が唯一人興師に託したという「遺言」はどうなってしまうのでしょうか。
教義改変は石山にもあるということでしょうね。

1686吉祥仙人:2005/05/02(月) 05:26:12
 つぶやきになりますが。

 かつて「第4インター万歳」を唱えていた私は、トロツキーの名誉回復を
願って止まないものです。

 歴史上の功績を正当に評価されないのは、悲しいことです。

1687愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 06:32:53

犀角独歩さん、おはようございます。
日蓮正宗の本尊感って変ですよね。蓮祖を御本仏と仰ぎながら、歴代法主のコピー漫荼羅は本尊と仰ぎ、蓮祖漫荼羅は本尊としての信仰対象から外すのですから。
それに日蓮本仏論、その亜流である法主本物論・会長本物論、何れにしろ蓮祖の仏法とは関係ない異流儀でありながら、双方が偽書の蓮祖遺文を駆使して罵倒しあうというのも滑稽な話ですね。
「おまいら、ゆうたもん勝ちかよっ!!」といった虚しさを覚えます。

1688愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 06:35:37

誤⇒法主本物論・会長本物論

正⇒法主本仏論・会長本仏論

です。悪しからず。 m(_ _)m

1689愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 06:46:29

済みません、もう一点訂正です。 (;^_^A アセアセ・・・

誤⇒本尊感

正⇒本尊観

です。またまた悪しからず。 m( ̄ー ̄)m ゴメン

1690犀角独歩:2005/05/02(月) 06:48:39

1687 愚鈍凡夫さんも、朝がお早い。おはようございます。
まったく同感です。

1691愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 08:27:16

犀角独歩さん、ご賛同いただき有り難うございます。

「むむっ、そろそろ年寄り予備軍だろうか・・・・・」(by 独り言)

1692初信者:2005/05/16(月) 05:37:39
最近、知人が自殺をいたしました。原因は、病気の事(がん)のようですが、何がきっかけで自ら命を絶ったか今となってはわかりません。日蓮仏法上、自殺の
罪とその消滅法について、このような自殺がなくなる事を祈り御質問いたしますので、よろしくおねがいいたします。

1693初信者:2005/05/16(月) 05:55:27
申し訳ありません。スレッドの建て方が分からず、間違って書き込みいたしました。スレッドテーマ提案用 に書込みいたしましたのでよろしく御願いいたします。

1695犀角独歩:2005/05/22(日) 16:27:37

小樽問答の話題、以下、文章を紹介しておきます。

創価学会調査報告
本当に日蓮宗僧侶が創価学会員になったのか
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho35/s35_068.htm

1696管理者:2005/05/23(月) 06:15:25

『顕正会の実態を検証する』スレッドの455レスがスレ違いと思われますので、こちらに移転しました。関連する456レス〜460レスもこちらに移転しました。よろしくお願いいたします。


455 名前: 吉祥仙人 投稿日: 2005/05/22(日) 05:33:54

 最近の聖教新聞座談会では、前公明党委員長矢野ジュンヤ氏が文藝春秋に寄稿した手記について、学会青年部と首脳部に対し謝罪したことが、大々的に報道されています。矢野氏は引退したとはいえ「公人」に準ずる立場でしょうから、その言動について実名で報道することは、「公益」があるのでしょう。


456 名前: 犀角独歩 投稿日: 2005/05/22(日) 06:52:22

455は、当スレとまったく関係ありません。よって、削除の対照となると思います。


457 名前: 三学無縁 投稿日: 2005/05/22(日) 21:14:05

まあ、「創価学会の功罪を考える」スレッドならばギリギリかもしれませんが、聖教の創作座談会は、とても「報道」などというものではありません。あらゆる機関誌紙類における記事は「情報宣伝」を目的としたものです。仮に聖教で「報道」とよぶことがでるるとするならば十面、十一面の2頁だけでしょう。創作座談会では、よく、5W1Hのない記述を批判していますが、矢野氏の件にはそれがありません。全くの自語相違で、自己矛盾というか破綻しています。私としては、削除よりも、455から私の書き込みまでを「功罪」スレッドに移動していただいたほうが良いかと考えます。管理人さま、御面倒をおかけしますが、御高配お願いいたします。


458 名前: 小心者 投稿日: 2005/05/22(日) 21:51:15

455 様、、小生は、日刊ゲンダイ紙の月曜日の主張、、から、竹入氏とは別な何か、、??、、が、、在ると、、??、、存じました、。既報のごとく、和解、??、、に近い、、??、、は??です、、。 一旦は退却を迫る、、??、、強力な、、??、、かが、、??  存在、、?? でしょうか、、。 創価学会による言論弾圧のピークをも感じますが、、??


459 名前: 小心者 投稿日: 2005/05/22(日) 22:18:47

、、続、、ですが、、、、小生は、仙人さまは、、当初は気骨も、、??、、と思いましたが、、昨今のレスポンス、、からは、、いわゆる、、過去の方方と相似の、、並み、、?、、の方、、だった、、ようでしょうか、、、。 当該のHPを、、S会の、宣伝、、かく乱に、、御利用、、??とした魂胆が御判明のようでしょうか、? ご苦労様では、、御座いましたが、、発言の自由に関しては、何かを、、?? 掴めた、とは思います、? が、、。


460 名前: 大崎 投稿日: 2005/05/22(日) 22:38:07

吉祥仙人さんは反省しなさい。創価学会の宣伝に来るんじゃない。

1697パンナコッタ:2005/05/23(月) 20:27:11

彰往考来さんの指摘でこっちに移動。

組織運営、収入源、宣伝、無償で働く人手の確保と客観的に考えて、これは凄いです。
ただ善し悪しは別ですが。

対マスコミ的に楔的な意味合いを持つ聖教新聞の印刷委託や、地方プロモーター的役割
を持ち必ず収益をあげる民音、組織に割り振って売り上げを確保する書籍やビデオの類
など需要が本当には無くても、それを生み出させる力が現実に組織にはありますね。
こうした方法は、マルチ商法やネズミ講の類、はたまた他の宗教組織の格好の見本となり、
信じさせる事に力点を置くやり方はどこも似たような(対象は別として)感じになりますね。

1698彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/23(月) 21:48:21

バンナコッタさん
>1697他の宗教組織…どこも似たような

つまり、宗教団体だから、需要を生み出せる力があるということですか?
宗教団体だからいらないものでも買うということですよね。
なぜでしょうね。功徳があるからとかいって買わせるからでしょうか?

1699パンナコッタ:2005/05/23(月) 22:19:48
ええ、
功徳=現世利益とのすり込みの前提があって、なせるものでしょう。
さらに買い渋るような人には「買えるようになる。つまり福運がつく」との指導をすることで
その人を追い込み、結局買わせるようにさせるのが、正義の行動だと思いこんでいるのが末端
活動家の実体でしょう。 ある意味、立派な営業であると思います。

1700彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/24(火) 07:11:18

>1699バンナコッタさん

なるほど、よくわかりました。ということは一般社会における
ビジネスとは違う点
… 功徳=現世利益とのすり込みの前提 …
があるのでビジネスモデルにはし難いですね。

ありがとうございました。

1701彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/24(火) 07:23:40

元公明党委員長の矢野絢也氏に対する昨今の聖教新聞の報道には何か異様なものを感じます。公党(こうとう:おおやけの党の意)の元委員長であった矢野氏は公人にあたるので実名で報道されています。矢野氏に対する非難は2005年4月28日の聖教新聞の「常勝関西記念座談会」で突如始まりました。その後、5月9日の同座談会の「公明党矢野元委員長が海外!?」で矢野氏が夫婦で海外へいっている最中であることが暴露され、5月16日の聖教新聞で「矢野絢也公明党元委員長が心から謝罪」という記事を載せています。興味深いのは、聖教新聞の6面か7面にある“声”の欄(読者の投書)で、一般の読者(学会員)からの矢野氏に対する非難を載せていることです。ざっと例示します(聖教新聞では実名ですがイニシャルにしました)と
①5月5日(木)6面
大阪府東大阪市 N.N.(主婦56歳)矢野元委員長の謝罪に思う 「口先だけ」なら絶対許さない
東京都渋谷区  H.F.(会社員38歳)政治家を厳しく監視しよう
②5月12日(木)6面
大阪府東大阪市 M.S.(会社員50歳)矢野元委員長に怒り 「行動」で示せ
札幌市白石区 I.H.(主婦52歳)今海外旅行とは!? 支持者の大恩忘れるな
③5月14日(土)7面
北九州市小倉南区 T.S.(主婦51歳)矢野忘恩に憤り 行動なき謝罪は認めない
④5月16日(月)7面
大阪市住之江区 T.N.(会社員39歳)矢野元委員長の言動に思う―大物ぶったうぬぼれ
大阪府豊中市 K.T.(自営39歳)あんたホントに学会員?

といった具合です。 “声”の欄は読者の投書ですが、創価学会の見解と異なる意見は載りません(私の投書など一度も載ったことはありません)ので、学会の公式見解に準ずると考えてよいと思います。興味深いのは④で上記の「矢野絢也公明党元委員長が心から謝罪」という記事の載った同じ日に掲載されているのです。恐らくは編集上、タイムラグがあって両方の記事が同一日に載ったのでしょうが、片や謝罪をしましたよ、という記事を載せた同じ日に別の面でその謝罪した本人をボロカスに書くという自己矛盾、遠慮のなさと非常識、そして失礼さ。イヤですね、これが創価学会だ!文句あっか!と言わんばかりです。また別の問題点もあります。12日のH氏や16日のN氏は投書の中で矢野氏が海外旅行としている点です。9日の聖教新聞では「夫婦で海外へいっている最中である」とあるのみでその目的が旅行であるとは書いていないのです。そのさわりを紹介すると、(( )内は引用者注)
竹村(関西男子部書記長)ところが、だ。聞くところによると彼は夫婦で今、海外に行っているというんだ。
(中略)
熊谷(関西男子部長)だいたい、いったい何のために行くのか。目的は何なのか。
竹村 仕事なら一人でいけばいいじゃないか。
弓谷(男子部長)その通りだ。夫婦づれなら「遊び」だ。そう思われても、しかたない。
竹村 彼は、本当に学会員なのか?
熊谷 とにかく詫びたというけれど、いったいどこが謝罪なのか、と言いたい。

といったところです。

1702彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/24(火) 07:25:00

>1701の続きです。

ここからわかるとおり、聖教新聞の記載内容では目的は不明で海外旅行かどうか彼らは知らないのです。情報の出所も不明、海外とあるのみで行き先も日時も不明です。三学無縁さんが指摘されているように、いわゆる5W1Hが不明という典型的な悪例です。ところが後日の投書では明確に旅行となっていて、そこに情報操作の意図を感じます。冒頭に私は公人であるから矢野氏は実名で報道されたと書きました。野党とはいえ公党の元委員長ですから公人でしょう。公人が海外の要人と会うときは夫人同伴が原則であることを弓谷君たちは知らないようです。米国大統領が日本へ来る際に夫人同伴ですが、あれは日本旅行でしょうか?これが世間の常識なのです。従って夫婦で海外に行っているという事だけでは旅行かどうかはわからないのです。もちろん旅行かどうかは不明ということで旅行の可能性を否定しているのではありません。あくまで記事内容の範囲での議論です。
5月16日の記事は「矢野絢也公明党元委員長が14日、学会青年部の代表らと東京都内で懇談。1993年・94年に月刊誌「文藝春秋」に掲載した手記について「書いたこと自体が間違いであった」等と認め、学会に公式謝罪した。懇談は、矢野元委員長の求めに青年部代表が応じたもの。(後略)」とあり、これで手打ちがあったのか、5月16日以後は聖教新聞に矢野氏に関する批判記事はないようです。なにがあったのか解かりませんが「狸祭り事件」みたいだなと思っているのは私だけでしょうか。なにはともあれ、これで矢野氏は竹入氏のようにこれでもか、これでもか、という個人攻撃の嵐にはさらされないのでしょう。でもこんなことしていたら、公明党委員長の成り手がなくなってしまうと思うのです。身から出た錆びでどうでもよいのかもしれませんが。
聖教新聞の座談会は、品のなさ、内容のなさ、論理のでたらめさという3悪がそろっていますので論評に値しないのですが、少々目に余るので私論を述べました。

>1696吉祥仙人さん、ロムしてますか? わかりましたか?

1703三学無縁:2005/05/24(火) 16:16:32
寸鉄は、相変わらず続けていますね。

2005.5.24付
大恩の学会に背き、同志を苦しめた「傲慢」の輩は許すな。後世の誡めだ。

誤っても許さない、怨念まるだしで、慈悲の心が見えませんね。
寸鉄と創作座談会はともに「Pチェック」ですから「P原」扱い、誤解のしようもありません。
自分たちの都合で議員にしておいて、なにを恩着せがましいことを言っているんてしょう。
「議員恩給を貰えているのは誰のおかげだ」
とでもいったところでしょうか。
これでは「学会のための議員」と思われても仕方ないのでは?
いいかげんに国政から撤退すればいいのに、と思うわけであります。

1704パンナコッタ:2005/05/24(火) 19:25:51
しかし学会の主張をそのまま聞いていると、公明党の代表になった人物はろくでもない悪人
ばかりと言う事になりますね。 そんなところに投票は、したくないとみんな思いますよね、普通。

彰往考来さん、
一般ビジネスへの応用というより、利益を上げるシステム形態のモデルとしてなら、十分見習う
点があると思います。

三学無縁さん、
内部的には、議員その人物の資質といった当たり前の事などはどうでも良くて、支援する事を
「仏道修行」と捉えるようにして丸め込む体質にも大きな問題がありますよね。

1705小心者:2005/05/24(火) 20:44:26
、、サスガ、、!!
 >、、ろくでもない、、。
 には、、、サプライズ、、!!、、でした、、。
 さすがは、、御余裕の仏界、、??、、をも、、実感、、しました、、。

1706犀角独歩:2005/05/24(火) 21:27:42

寸鉄ですか。くだらないですね。創価学会というのは、こんな程度の下らない団体だと自己宣伝しているようなものでしょう。

これが池田さんが朱入れして完本になったとしたら、池田さんというのは実に器量の小さな人間だということでしょう。わたしはそんなことはないと思いますね。これら、寸鉄や、座談会は、池田さんが如何に了見が狭く、ちっちゃなことにこだわり、個人攻撃するようなガキ大将みたいな幼児性格な人間だと宣伝しているようなものでしょう。これは、聖教新聞内の反池田勢力が、池田大作イメージを貶めるためにやっているプロパガンダじゃないですか。

こんなくだらないことで矢野さんが公人かどうかを論ずる必要はないでしょう。こんなことを書く聖教新聞が一般流通する資質ある新聞かどうかを問うたほうがいいでしょう。

1707吉祥仙人:2005/05/25(水) 08:19:45
 犀角独歩さんへ

 「寸鉄」は始めは戸田第2代会長(理事長?)が書き始めたものと聞いて
おりますが、当時をご存知の方として、昔からこのようだったのでしょうか?

 「人間革命」に引用される「寸鉄」は

 指導もせずに威張っている幹部は阿羅漢ではなくダラ幹というのだ
とか
 愚痴ばかり言っているのはイザヨイ夫人ではなく世迷い夫人というのだ。
とか
 今でも通用するような、至言だと思います。

 ちなみに、私も聖教新聞の左下スミは読みません。

1708犀角独歩:2005/05/25(水) 10:44:21

吉祥仙人さん

> …寸鉄…戸田第2代…当時をご存知…昔からこのようだったのでしょうか?

わたしは昭和30年の生まれですから、戸田さんの時代のことは知りません。
寸鉄が心を打った思い出はありません。

> …ダラ幹…世迷い夫人

そもそも、こんな表現自体を‘下品’と思い、仏教に似つかわしくなく嫌悪感を抱くのが一般の見解であろうとわたしは思います。
ですから、こんなことを積極的に記して、その評価を地に落とす聖教新聞の編集というのは、内部にあって、わざと創価学会、池田さんの評価下落を画策しているのではないと思える程というのが、常識から見た判断と思えるわけです。まあ、これは聖教新聞が仏教紙であれば、という前提で、記すことです。

1709犀角独歩:2005/05/25(水) 10:54:51

それから、吉祥仙人さん

1701、2に彰往考来さんが、あなたに懇切丁寧に根拠を挙げて説明しているのに、それをまるで無視した形で、投稿を続けるのは止めなさい。

そういう非礼・無礼な態度が「創価学会員は非常識」という印象を与えるわけです。
あなたは、ここに創価学会泥を塗りに来ているんですか。
あなたを通じてみる創価学会に、わたしは、嫌悪感を抱くことを、ここにしっかりと書いておくことにします。

1710管理者:2005/05/25(水) 11:58:37

吉祥仙人さん

『顕正会の実態を検証する』スレッドの455レスをここのスレッドに移転しましたところ、1701、1702レスで、彰往考来さんが反論のレスをされています。この反論に応答されては如何でしょうか。無視するような形で1707レスをされておられますが、こういうやり方は、やはり、レスして下さった方に対して無礼となり、当掲示板のルールに抵触する恐れがあります。よろしくお願いいたします。

1711パンナコッタ:2005/05/25(水) 12:02:21
「創価学会は仏教ではない」と言われる所以ですね。機関紙で会員を引き締めるためのプロパガンダ
なんですから、それを信じ込んでいる人は周りから見ればただの、「痛い存在」にしかならないのですよ。
だから軋轢が生まれてしまうのですね。

大白蓮華6月号の観心本尊抄の現代語訳で、
『未有壽量佛來入末法始此佛像可』の部分に、ことわりを入れて、
「寿量品の仏については一度も顕されたことはなかった。それは、末法に至って初めてこの本尊が出現
 されることになっていたからであろうか」
と、訳しています。理由は、
『本門の本尊を「仏像」と表現しているが、これは「仏のすがた」という意味である。しかし現代語で
「仏像」というと、立体像や絵画として造立されるものという意味合いに限定されるので、「像」という
言葉を避け、「本尊」と訳した。(手塚欣成)』 大白蓮華 観心本尊抄現代語訳⑨ より引用

曼陀羅本尊論に帰結させんが為でしょうけど、こんな改悪は許される物ではないでしょう。

1712犀角独歩:2005/05/25(水) 16:14:05

パンナコッタさん、これはたしかにひどいですね。
北林本なんかもそうですが、要するにいまの自分たちの考えから、蓮師伝記、御書、教学、そのた何でも考え、平然と書き換える。真跡を偽書といい、事実と虚偽といい、虚偽を事実と言って憚らないということですか。困ったものですね。

1713吉祥仙人:2005/05/25(水) 17:32:52
管理人さん・彰往考来さんへ

 失礼いたしました。

 反論になるかどうか分かりませんが。

 矢野さんが公人であるから実名で記事にされてもしょうがないと言いたかった
だけで、それが公序良俗に反するかどうか論じるつもりはありませんでした。

 マスコミ等の記事が「品ナイ内容ナイ論理的でない」かどうかは読者が判断
するもので、一々論評していては収拾がつかなくなるのではないでしょうか。
 明らかな名誉既存・プライバシー侵害でない限り、報道の自由は保障されて
いるのではないでしょうか。
 彰往考来さんの私論は私論として拝見しましたが、論争しないから云々されては
困惑いたします。

 第3者である管理人さんのお考えはいかがでしょうか。

1714吉祥仙人:2005/05/25(水) 17:43:41
 追伸

 私は私の責任で自由に意見を書き込ませていただいているつもりです。
 組織がどうのこうのといわれるのは、まったくの心外です。

1715犀角独歩:2005/05/25(水) 19:06:06

個人の自由で書いているのであれば、創価学会の見解をコピペするのではなく、自分の意見を書けばよいのです。

吉祥仙人さんがやっていることは、わたしから見れば、自己見解のない創価学会宣伝行為です。ですから、ここのように自身の考えで議論するこの場には馴染みませんし、一々の書き込みは鬱陶しいと言っているわけです。

だいたい、ここは創価学会の鋼材を考えているわけで、単に創価学会の考えをコピペするのではなく、その功罪を論じてこそ、スレの趣意に添うことになります。それをしないことは趣旨違反であり、宣伝行為であって、当板そのものの趣旨に違反すると言うことです。

議論をせず、単に創価学会のコピペは、ここでは“荒らし行為”に該当するというのが、わたしの判断です。

1716犀角独歩:2005/05/25(水) 19:07:12

【1715の訂正】

誤)鋼材
正)功罪

1717彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/25(水) 19:24:41

>1713 吉祥仙人さん

当事者として申し上げます。

>「品ナイ内容ナイ論理的でない」かどうかは読者が判断

読者が判断するのだから何を書いてもよいというわけではありませんよね。もちろんあの文章がそうであるかどうかを貴殿に問うているのではありませんが、私は悲しいのです。仮にも宗教者が、人の道を説くべき人たちがこのような文章を書くことが。このような発言をすることが。
それと私は公人に準するとはいえ、矢野氏は現役引退をされているのですから、海外へ行っているウンヌンは立派な名誉毀損・プライバシー侵害だと思いますよ。

>一々論評していては収拾がつかなくなる

そのとおりです。聖教新聞のくだらない論理につきあうほどヒマではありません。しかし、矢野氏の件では裏に見え隠れする動きがあり、少々目に余ると感じましたので私論を述べたわけです。私は縁あって関東に住んでいますが生まれも育ちも大阪です。学会二世でした。その意味で矢野氏は書記長時代からよく存知あげています。彼が京都大学の学生部員だったころの話も知っています。吉祥仙人さんより詳しいですよ。だからこそ論評したのです。関西の創価学会員が矢野氏に対して不快感を持っていることも存じ上げています。私だって当事者のひとりだったのですから。

>論争しないから云々
私は論争を仕掛けていませんよ。ロムしていますか? わかりましたか? と問うただけです。わかったのなら、イエス、わからないなら疑問をぶつけるなりしてそれなりに返事をされればよかっただけです。

※これ以上は時間の無駄ですので、矢野氏に関しては新たな記事でもない限りこれにて終了したいと思います。ただ吉祥仙人さんに何かご意見があるのでしたらお答えすることはやぶさかではありません。

1718犀角独歩:2005/05/25(水) 19:27:40

吉祥仙人さんの一連の投稿は、
『管理者からのお願い』の

「4 特定教団の教えの布教を目的として当掲示板を利用することを禁止します。特定教団の教えの布教を目的とした書き込みがなされた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、特定教団の教えの布教を目的としした書き込みを続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい」

に該当すると、思います。

会合かなんかで、語られたことを聞いてその気になって、鵜呑みにした創価学会論調を、ここに書き込み、反論は無視して、ほとぼりが冷めるとまた繰り返す。これは“荒らし行為”でしょう。

1719吉祥仙人:2005/05/25(水) 20:33:05
 創価学会の考え等を述べるのは禁止で、自分が読んだ本の内容を書くことは
許されるのでしょうか。
 自分が影響を受けた考えを書くことすら許さないなら

 ここに書き込まれていることのほとんど全ては削除の対象になるのでは
ないでしょうか。

1720吉祥仙人:2005/05/25(水) 20:59:32
 犀角独歩さんへ

 創価学会は独善的だ云々はこちらの掲示板でイヤと言うほど拝見しました。

 それはそれぞれの方の見解ですからあえて異は唱えません。
ただ。
 犀角独歩さんが事あるごとに、私の書き込みを排除しようとされる行為は
私から見れば「独善的」と思えることを述べておきます。
 犀角独歩さんはご自身の同調者・賛同者のみの書き込みを求めていらっしゃる
のではないと思っておりました。
 創価学会の功罪を考えるというスレがあるなら、当然功績を称える書き込みが
あっても然るべきではないでしょうか?それすらも許さないとは、何故でしょうか

 自身の価値観に反する書き込みは許さないと言うのであれば、対話は成立
しません。自身の意に沿わない意見も排除せず接点を求めるのが対話ではないで
しょうか。
 鬱陶しいだの、荒らしだの、反論の出来ないきめ付けを一方的に行って、
意見を封じようと言うのはいただけません。

1721犀角独歩:2005/05/25(水) 21:07:24

吉祥仙人さん

わたしが言ったことを改竄するのはやめなさい。
わたしは、功罪を論じるべきだといったわけで、それをそのまま書くのはこのスレの趣意に反するといったわけです。

創価学会が功利面があれば、ちゃんと証拠を挙げて投稿すればいい。そう繰り返してきました。

わたしの趣意に合わないことを難じているのではなく、証拠も挙げず、創価学会の主張をコピペするのは、難じているわけでしょう。わざと、そうやって話を改竄して、人を非難するのはやめなさい。

また、意見など、封じているわけではなく、創価学会の宣伝を封じているのです。論理を摩り替えるのはやめなさい。

> 反論の出来ないきめ付け

とは、いったい、なにをさしているわけですか。

1722犀角独歩:2005/05/25(水) 21:12:07

もう少し書きます。、わたしは賛同者を求めているわけではなく、正当な理由、証拠を挙げた議論を求めているわけです。

何を勘違いしているのか知りませんが、問答名人さんにしても、彰往考来さんにしても、わたしとは、詳細な点では、合意が得られていないことはたくさん、あります。

なお、独善というのは、ちゃんとした理由、説明もせず、創価学会のことを押し売りするような態度をこそ言うのです。

1723管理者:2005/05/25(水) 21:37:13

吉祥仙人さん

この掲示板は有る意味で特殊な掲示板です。各派に分裂した富士門流各派の相互理解を元として、お互いの立場を超えて議論したり、意見交換したりすることを目的としています。ですから、自分の立場を超えることが困難な場合は、この掲示板での書き込みは、浮き上がってしまいます。さらに浮き上がったまま書き込みを続けると、参加者から総スカンを食らう羽目になります。そういう特殊な掲示板です。管理者からのお願いスレッドに書かれている、当掲示板の書き込みのルールを今一度ご覧になってください。この掲示板の特異性が御理解戴けるのではないでしょうか。よろしくお願いいたします。

1724吉祥仙人:2005/05/26(木) 04:47:41
 管理者さんへ

 「自分の立場を超えることが困難な場合は・・・浮き上がってしまいます。」

 確かにその様でした。反省しお詫び申し上げます。

 自分の立場・拠り所・信じるものに固執して反論する私の姿勢こそ、対話を
拒絶するものだったかもしれません。

 正直言って、先日(本人は)「ちょっとしたニュース」のつもりで、新聞に
報道されていますよと書き込んだのですが、皆様の心証を害し不快な思いを
させてしまったことをお詫び申し上げます。

 勉強不足である事実は常々さらしてきたとおりです。情報源として特定の
宗教団体の新聞等を掲載した不明を反省いたします。

 自分の考え・意見が自分にあるのかどうか、本当に自分のものなのか、
マインドコントロールを受けていないと言い切れるかどうか、考え直して
見たいと思います。
 少なくとも、人から見て「洗脳されている」と判断されないような自己を
築き上げたいと思います。

 お騒がせして申し訳ありませんでした。

1725管理者:2005/05/26(木) 07:27:03

吉祥仙人さん

この掲示板は、参加される方の為の掲示板です。管理者は交通整理役に過ぎません。この点を御理解賜り、今後ともご参加のほど、宜しくお願い申し上げます。

1726犀角独歩:2005/05/26(木) 09:04:28

創価学会の功罪、前者は会員からすれば生きる喜びを与え、人間革命、総体革命、世界平和に貢献する場を提供したということでしょうか。では、後者は、と言えば、創価学会的な考え以外を排除する、学会への敵を自分の敵のように憎悪すること、また、賞罰によってコントロールされるようになってしまうということでしょうか。

ここでも文献資料という証拠を多々扱いますが、これを扱う前提があります。何か。つまり、その資料をありのままに見られる心が確保されているかどうかということです。このために、もっとも邪魔者は他から与えられる解釈です。それは換言すれば、自分が考える自由が確保されているかどうかということです。

一連の学会擁護の投稿を見るに付け、それら人々は、その自由を壊されている人だということがよくわかります。情報をどう解釈するのか、そして、自分の解釈を排除するようにされてしまっているということです。さらに与えられた解釈以外を、無視、軽視、もしくは憎悪するようにコントロールされているということです。

会と指導者と、どこまで自分が同じになれるか、意志はそこに集中しています。このような状況に人間を仕立て上げることを、わたしは罪悪であると考えます。

聖教新聞に書いてあった、創価新報に書いてあった、では、それをどう思うか。
池田さんが、こう発言した、ああ発言した、では、それをどう思うか。
このどう思うかが自分です。この部分を会と先生の言うとおりと放棄させられ、与えられた解釈を鸚鵡のように繰り返す、猿のようにボスの物まねをする、その先の、では、自分はどう考えるという最大重要な心的能力がばっさりと欠落しています。このような“訓練”と“成果”をわたしが罪悪とみます。

創価学会のなかの思想訓練は、

「この先生の指導を読んで、君はどう思うのか」
「先生が偉大だと思います。先生の言うとおり実践します」

ここで、たとえば、
「先生の言っていることは間違っていると思います」
「それは君が信心がないからだ。もっと一生懸命にやっていけば、わかる」
という会話となるでしょう。つまり、何が道間違っているのか。自分がどう考えるのかという重要な議論は、なされないことになります。いや、なし続ければ、その組織と指導者から去るしかない構造にもなっているのでしょう。

これは顕正会でも、石山でも、あまり、変わりません。
ただし、石山のもとよりの信徒は、もう少し伝統仏教的でしょう。

いずれにしても、以上のような状態にある人との議論は、ただの時間の無駄です。
彼らにとって、考える余地はなく、与えられた情報と解釈以上に自分で考えることはできず、できない以上に、他の解釈に対しては、それを受け入れられないように操作されているからです。
いわば、蓋の閉まった水筒には水は入らないと言うことです。

実は創価学会の功罪を考える、顕正会の功罪を考える、大石寺の功罪を考える、日蓮の功罪を考える、仏教の功罪を考えるでも同様ですが、その功罪を考えると言うことは、思考の自由を自分はもっているのかどうかという試金石なのだと気付ける人のみが、議論が可能であると言うことです。
その思考の自由を確保できない人は、まず、それを確保すること、ただ、それのみが課題であるということです。それができていない人との会話は、できた側からすれば、徒労、繰り返し、ただの時間の無駄、換言すれば、鬱陶しいということです。
この「鬱陶しい」という言葉はひどい言葉です。しかし、そのように思われる状況が考える自由を放棄した人間に接する偽らざる心境であることを組織・指導者に誣いられる人々は見聞する機会をもったほうがいいので、敢えて、使用しました。

功・罪とは、実は、そんな自分自身の思考の自由の与・奪の異名であると考える昨今です。

1727大勇者:2005/05/30(月) 23:01:48
吉祥仙人さん
>ちょっとしたニュース
の御紹介有難う御座います。
聖教新聞って購買してる人の中で本当に読んでいる人は何割位なものでしょう。と、ふと疑問抱きました。因みに私は全くと言っていいほど読みません。
大百蓮華に関して、>1711のパンナコッタさんと同じように私も感じましたね。
ただ神奈川青年部編ですから・・・
私としては、大白蓮華は聖教新聞の延長上の記事程度にしか考えていないのですが、それにしても今月号はちょっと酷いなとの印象ですね。選挙モード見え見えです。
先日、昭和47年の聖教新聞があったので読んだのですが、それなりに真面目に御書などを研鑽していて、現在よりも(私から見れば)好印象でした(笑
さてそんな6月号の中でも、ファン・マルチネス教授の紹介を後半の池田氏への歯の浮く持ち上げを除けば共感出来る面が多々ありました。
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ヌール大学教授
ファン・マルチネス
「そこでは、どの教会がより多くの人々を教会に集められるかという教会の競争を生み出し、自分は善者であり真実であり、また、われわれが唯一の真実で他はすべて間違いを犯してあり、すべて地獄に向かうという考え方が生まれたのである。私自身はこの考え方は認められないと考える。」
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1728犀角独歩:2005/08/07(日) 13:15:32

詳しい方がいらっしゃいましたらレクチャーください。

○現在の創価学会の「本尊」について

(1)学会本部は、模刻板本尊を使用しているか
(2)各会館の本尊は何を使用しているか
(3)新会員に頒布されているのは、いまだに日寛本尊か
(4)日寛本尊の値段はいまでも3000円か
(5)携帯本尊はまだ頒布されているか
(6)携帯本尊の値段は、いまでも5000円か
(7)創価学会本尊は、どこで作られているのか、その原価はいくらか
(8)回収された大石寺の旧本尊はどうしているか

1729犀角独歩:2005/08/07(日) 13:43:38

○創価学会の本尊問題についての確認

過去に戻りますが、正本堂が建立されたとき、細井さんの「特別御形木本尊」というのが一定の幹部以上に頒布されました。これが大量であったために、寺院で配布するだけでは間に合わず、学会の地域会館で配布されました。この際、創価学会では、この本尊は作り水増し配布して利益を上げたということが、正信会運動の火に油を注いだと記憶します。

このことは、当時、週刊誌でも盛んに報道され、学会会館から配布された漫荼羅の調査したところ、絶対に使用されるはずのない新聞紙で裏打ちをされていたり、本尊を刷った紙が大石寺指定の用紙ではないなどの事実が発覚したと記憶しています。結局、この事件は阿部さんが不問として落着してなかったことになったのですが、わたしは、あの当時、この特別御形木本尊と平行して、お守り本尊を学会が勝手に乱造していたのを記憶しています。この点、いま、手許に資料がないのですが、なにかご存じの方がいらっしゃいましたら、ご投稿ください。この本尊は、和紙に表装されたものではなく、プラスチック、また、陶器製のものも含み、航空関係者(パイロット、スチュワーデス)などに多く頒布された記憶があります。これも石山に無許可で勝手に大量生産したものと記憶していますが、この点をご存じの方はいらっしゃいますか。

創価学会頒布用の本尊は、主に法道院がその権限を有し、この印刷業者が浅井甚平衛さんの会社であったというのは本当でしょうか。また、その後、本尊印刷は富士宮のきうち印刷に指定業者が変更になると共に、本山管理に移行したというのですが、この点はどうでしょうか。石山の印刷本尊はいまでも、このルートなのでしょうか。

一方、破門独立した創価学会では、その後、日寛本尊の独自頒布を始めましたが、これは一体どこで作っているのでしょうか。(1728の(7)の質問)

また、葬儀用の本尊も使用されているとのことですが、これもまた、同じ日寛本尊を使用しているのでしょうか。これまた、どこで製作されているものでしょうか。

あと、本尊から離れますが、やはり、52年度路線前後、石山の「御秘符」に似せ、「護符」というものが各会館から会員に配布された時期がありました。これは学会本部常住本尊の埃を払った紙という話?でしたが、その後、もちろん、廃止されました。この点、ご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。

以上、情報を整理したいと思いますので、よろしくお願いいたします。

1730犀角独歩:2005/08/07(日) 13:59:18

あと、もう一点、石山事情に詳しい方にお尋ねします。

当時、創価学会で頒布されていたお守り本尊のなかに、先に記したとおり、プラスチック、陶器、また、(未確認ながら)金属板に印刷されたものがあり、これらは、表装軸物の形を取っていませんでした。

このようなお守り本尊を、石山が下付した事実はあったのでしょうか。

1731パンナコッタ:2005/08/07(日) 14:47:25
独歩さん、(4) (5) (6) は そのままです。
直接関係はないのですが、創価大にある本尊は”学会重宝水谷本尊”のレプリカか模写と思われます。

また葬儀用とのことですが地方会館で以前、表装タイプの寛師本尊を貸し出ししていたことではないでしょうか。

御秘符は実はまだあります。古くからの信者さん向けに学会本部で細々とではありますが配布しています。むろん
末端で一般の方や若い方は存在すら知らないでしょうけど。

1732パンナコッタ:2005/08/07(日) 14:54:05
失礼、(3) もそのままです。
(2)は達師筆のはそのままでしょう。各小部屋にあるのは、一枚刷りの寛師本尊です。

1733犀角独歩:2005/08/07(日) 15:30:39

パンナコッタさん、有り難うございます。

創大にある本尊は、水谷本尊のレプリカですか。
これはなかなかの情報でした。

> 御秘符

この言い方なんですが、52年度路線の前後、御秘符は石山から、護符は本部からという使い分けがあったと記憶しているんですが、いまは本部一本と言うことになるのでしょうが、これは護符ではなく、いまは御秘符でしょうか。細かい点ですが、確実な情報をまとめたいので、ご教示ください。

> 表装…一枚刷り

この違いは、前者が従来の和紙掛け軸表装で、後者が表装模様まで一緒に印刷してラミネートをかけた違いということでしょうか。

以前、日寛特別御形木本尊の話題が出たと思いますが、これも、やはりこの1枚刷りというやつですか。

やや余計な話になりますが、掛け軸型本尊では、留め紐があり、巻いた状態でも広がらないのですが、ラミネートをかけたあの印刷ものも、配布以前は巻いた状態で保存してあるんでしょうか。ラミネートをかけてあるのに巻けるのか・巻いたらプラスチックだから巻き癖が突いて戻りづらいだろうと余計なことが気になるのですが、案外、平気なものなのでしょうか。

1734パンナコッタ:2005/08/07(日) 16:55:19
周りが緑系の一般タイプ(ラミネートといってもパウチのようなものでなく、
手では裂けなく紙と見間違うようなカレンダーの素材だと思う)と、
特別御形木といわれる表装した一回り大きめの二種類です。【これは一枚刷りではありません】

あと、地方の会館本尊に「願主 池田大作」添書があるものがありますね。

創価大の本尊に関しては、天台・伝教に帰命があること、龍樹・妙楽の名があることからの
推測です。

1735犀角独歩:2005/08/07(日) 23:50:15

パンナコッタさん、

創価学会の印刷物に関しては、寺の受付にぶら下げてあったので、手にとっていじったことがあります。いまのは知りませんが、販売を始めた当初のものはラミネートという感じでした。いまのはさらに原価ダウンで厚手のコート紙と材料費をさらに削減しているのでしょうか。

確かな情報ではないのですが、この印刷物、中国か、インドでただ同然の価格で作っているというのは本当でしょうか。1枚単価10円以下、ほぼ3000円の利益というのですが、どうでしょうか。

1736パンナコッタ:2005/08/09(火) 12:21:59
独歩さん、
一枚刷りの手触りはそんなに、つるつるした感じではないですよ。ちょっとケバだった感じで
シワもよります。唐草模様のような下地に、表装仕様の曼陀羅部分を転写したという感じですね。
だから携帯本尊への応用が簡単だったのでしょう。場合によってはタタミ一畳大に引き延ばす
こともわけはないと思います。

印刷の海外下請けの実否はわかりませんが版下があれば何処でも量産可能ですし、現に仏壇
は中国やタイで生産された物が輸入されています。 通販の開運グッズのような仕入れ、加工
のような流通ルートがあるのかもしれません。
やはりこれに関しては、浄圓寺さんに問い合わせるしかないでしょう。
ちなみにこの本尊の日付は、享保五年六月十三日。 養師に相承した後の執筆ですね。

1737犀角独歩:2005/08/09(火) 18:37:17

パンナコッタさん、有り難うございます。
そうすると、当初のものよりは少し品質が改善されということでしょうか。
わたしは見たものはまるでラミネートという感じでした。

まあ、表装は中世以降のことで、当初は板張り、もしくは幡のように靡かせていたというのが中尾師の御説ですから、必ずしも、表装がただしいというわけではありませんが、しかし、布の模様まで一括印刷というのは、何か面白い作りですね。

一応、草木成仏という流れから紙幅と言うことがあると思うんですが、そこにビニールをかけてしまうといきなり無機質という印象がします。もっとも数十年前、九州のメンバーは船で登山をしており、各客室にあるテレビに漫荼羅本尊を映して、拝んでいたなんて話を覚えています。ここらへんは学会は実にあっけらかんとしていますね。

ビニール製品は化石燃料、元をただせば生物だという居直りもできるのかも知れません。それにしても養師相承との関わりというような因縁は授与書きを消せば、その因縁も消えると言うことでしょうか。ただ、この点は、もはや石山は批判できないと思います。というのは、わたしが所属していた寺院では寺院本堂の板漫荼羅の「願主・法華講総講頭/創価学会会長池田大作」を膠か何かで練ったパテで埋めて、黒く塗ってわからなくしていました。やっていることは同じだということです。方や、「猊下」の許可があるからいいというのでしょうが、似たり寄ったりというところですね。

1738パンナコッタ:2005/08/26(金) 20:12:01
嫌がらせ電話3000回超 創価学会員に懲役1年−札幌地裁  
『札幌市中央区の日蓮正宗の寺院に三千回以上の嫌がらせ電話をかけたとして、偽計業務妨害の罪に問われた鳥取県倉吉市、
創価学会員でパチンコ景品交換所従業員谷口博司被告(53)の判決公判が二十六日、札幌地裁であった。吉村正裁判官は
谷口被告に懲役一年、電話機一台没収(求刑・懲役一年六カ月、電話機一台没収)を言い渡した。
 判決理由で吉村裁判官は「社会通念を逸脱した回数の嫌がらせ電話をかけ続けたのは明らかで、執拗(しつよう)、
陰湿であり、酌量の余地はない」と指摘。「創価学会の鳥取県の副支部長だった被告は、一連の電話を日蓮正宗の誤った教義を
ただすためと正当化し、今後もこの寺に電話をかけると公言するなど、反省の情に乏しい」と述べた。
 判決によると、谷口被告は昨年六−七月と同十二月−今年四月に三千七十五回、自宅から同寺院に電話をかけ続けて宗教論争を
持ちかけ、寺院の業務を妨害。創価学会広報室によると、谷口被告は今年六月、鳥取県内の副支部長を解任された。
    2005/08/26 15:04  北海道新聞 より引用
 http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&amp;d=20050826&amp;j=0022&amp;k=200508262453

はたして当事者は、何を今思っているのでしょうかね?

1739ラキ:2005/08/27(土) 00:55:58
「法華ちゃんねる」にて、音声のみで谷口被告と法華講の電話での対論が公開されてます。
http://hokkech.ddo.jp/

谷口被告の発言が支離滅裂で・・・

1740犀角独歩:2005/09/06(火) 16:34:44

本日、衆議院選挙公報が新聞に入っていて、ざっと眺めました。
ノーネクタイ(クールビズ)で顔写真を載せていたのは、神崎さんだけだったのが印象的でした。

しかし、公明党が、ということではなく、全党、共通して記されるキャッチフレーズは、実に駄文、駄作ばかりで、センスが悪い。中学・高校の学級委員の選挙を見るように感じました。

1741宮本:2005/09/09(金) 20:03:34
パンナコッタさんへ

 確かに事実だろうけど、こんな話は、他のサイトでしくださいね。
人数が、多いから、学会がいいとか、正しいとか言いませんが。
(私もたいした学会員では、ありません)
副支部長以上の学会員は、推定20万人以上いるんですから、何人か
できの悪いのが、いるのは、しかたないと思いますが。

1742犀角独歩:2005/09/09(金) 22:37:49

宮本さん

わたしはあなたの論法はまったく納得しません。
20万人いようが1000万人いようがその任免をしたのが創価学会であれば、責任はあるでしょう。

たとえば同じ事件を起こしたのが公務員だったらどうでしょうか。警察官であったらどうでしょうか、自衛官であったらどうでしょうか。消防士であったらどうでしょうか。いっぱい人がいるのだから、一人ぐらい鉄砲をぶっ放す奴がいたって仕方がない、一人ぐらい、消防士でも放火する奴がいても仕方がないので済むのでしょうか。このような宗教法人ならば、仕方がないという無責任な態度が宗教法人が社会に害悪を流す最大の原因になっています。

わたしはパンナコッタさんに何ら咎はなく、こんな下らないことをやる創価学会幹部、それを任免する創価学会に責任があると思います。

こういう信者の言い逃れで、自分達を肯定する愚かさが、宗教が社会に害悪を流すことを助長しているのです。

1743独学徒:2005/09/09(金) 22:40:08

>1741

宮本さん、

初めまして、学会員の独学徒と申します。

>副支部長以上の学会員は、推定20万人以上いるんですから、何人か
できの悪いのが、いるのは、しかたないと思いますが。

私は犯罪に「しかたない」はありえないと思います。

同じ学会員として恥ずべき事件であり、名誉会長含め、会長以下心ある学会員は真摯に批判を受け止めるべきだと思います。

当然、迷惑をかけた宗門寺院と御住職様にも、心よりお詫びすべきだと思います。

それが当然の事だと思います。

この事件は、本人だけの責任とは言いがたいものがあります。
恐らく彼は、学会に入らなければ、このような事件は起こさなかったでしょう。
学会員であるが故に起こした事件なのです。
宗門に嫌がらせをすることが、まるで正義であるかのように喧伝する、一部組織での指導性や聖教報道にも問題があります。
事件を起こした本人も悪いし、学会も悪いのです。

1744パンナコッタ:2005/09/10(土) 00:16:16
>宮本さん、
この記事をコピペして2週間が経ち、ラキさんの追加情報意外は全くスルーされていますよ。

犯罪に対する判決の記事であり事実である以上、この板に残るように引用しました。
”功罪を考える”スレとしては適切ではないでしょうか。

1745宮本:2005/09/10(土) 17:03:34
犀角独歩さん

  反社会的な行為が、悪い事であるのは、当然の事で、謝罪、反省は当たり前です。

 学会の現場(最前線とでもいいましょうか)は、
理屈どうりなっていないケースが、多々あります。(愚痴ではありません)

 例えば、勤行するのは、常識ですね。で、やってなければ、指導すべきだ。
となります。

 まず、会うのが大変。そこから、えんえん指導となります。

 地区単位でいゆうと五十人から百人って所ですが、生活全般に
関わる事となると、人権問題もでてきます。

 冠婚葬祭もあり、サポートがいります。

 五十人から百人にそれぞれ意見があり、宿命があり、要望、要求があります。
それらが、地区幹部の元に、全部、洪水のように押しよせてきます。

 生身の人間相手ですと、何でも簡単には、いきません。

(犀角独歩さんの意見が、正しくても、それが、正論になるのは、時間が
かかるのです。人を見て法をとけと言いますでしょう。)

 私見ですが、役職と信心は、正比例関係になっていませんし、公式発表の
ピラミッド型の組織図なんて、全然違います。草創の頃と違うのです。

 直接の担当組織以外、努力のしようもありません。

役職なんて、幻想ですよ。参考にはしますが。役職権限なんてあるようで
全然ありません。

 本音の所、一般の学会員が、会った事も無く、見たことも無い人の事、
同じ学会員でも責任とれません。直接の関係幹部、会長だとそうは、
いかないでしょうが。
 
 沖縄の離島に住む学会員に、北海道の学会員の事で、あなたに責任が
あるなんて言いませんでしょう。
 幾ら指導しても会則を守らない、
信仰を実践しない会員の事で責任とれないのです。
 あくまで、私見ですが、全てを把握する事など、
凡夫の我々には、出来ないのです。信心といえども万能では、ありません。

 江戸時代ならまだしも、犯罪者がでるたびに、所属の宗教で全てを
論じるのは、無理があるでしょう。
 会員の意識は、一部の聖教報道のお粗末記者とは、違うのです。
信心となりますと、時間的ズレは、ありますが、後が大変なんです。
舞いた種は、当事者で刈り取る事となりますから。

1746ラキ:2005/09/10(土) 18:21:58
元学会員のラキと申します。
今回の事件に関しては、学会の”信心”を実践したから起こった事件だと思っています。
機関紙や幹部指導。会長の指導。正しい学会が堕落した宗門に対して、
世法の法を犯しても邪儀を粉砕するためには、何をしても良い印象を与える指導が原因だと思います。
幹部指導や機関紙で”世法を犯す行動”はしないように、指導してれば、このような事件は減るか無くなると思います。
他の地域だからと目をそむけずに、自分の所属してる地域の幹部から、上に問いただし、
組織全体で反省をする事が大切ではと思います。
下記のHPに付いて、脱会前に問いましたが、返答がもらえなかったのが残念です。
組織の長が無慈悲な行いをしてる事が良くわかると思います。

http://www.bea.hi-ho.ne.jp/jinken/

1747宮本:2005/09/10(土) 19:41:03
ラキさんへ

>世法の法を犯しても邪儀を粉砕するためには、何をしても良い印象を与える指導 

 おそらく、あなたが言うのなら、そういゆう印象を与えた指導が、
どなたか知りませんが、あったんでしょうが、
 そんな指導なんて、私には、通用しません。した覚えもありません。
逆に潰した経験は、ありますが。
 今、選挙ですが、担当の会員には、毎回、法律違反行為は厳禁ですと
指導しています。私もした記憶がありません。

 紹介のホームページは、何年も前からありましたね。

>目をそむけずに
 ここの方より、もっと大変な苦労をされている方の方が、優先です。
そんな事ないと思いますが、
他人がなんとかしてくれると思っているなら、ちょっと甘いと思います。
出来るかどうかは、別として、御書には、ここの内容より不可能と
思えるようなことが、解決出来ると指導があった思います。
 酷な言い方ですが、あくまで、理屈上の話ですが、
御書の内容、信用していないとなりますが。どうなんでしょうか?
御書にありませんでしたか?
  
 当事者御自身の信心で解決するのが、筋ではないですか。

>返答がもらえなかったのが

 納得できる返答する能力を持った幹部に出会えなかったのは、残念な事です。
今となっては、そうとしか言えません。

1748パンナコッタ:2005/09/10(土) 19:51:31
>宮本さん、
ならば幻想である役職や、万能ではない信心などお止めになったらどうですか。
なぜB長を中心としたブロックを動かさないのでしょうか。人権問題に絡むようなものこそ公明の議員に対処して貰うべきでしょうし、
副役職の本部・Z幹部に、なぜ積極的に動いて貰うようにしないのですか。
個人が持つ必要以上の責任感と、感じる必要のない罪悪感を持っての活動で、きりきりまいになっている人の愚痴にしかみえません。
自分でまいた種は自分で刈るのが大人としては、あたりまえのことでしょう。

事件を起こした男は当時副支部長とのことなので圏・県幹部の面接を受け任命されているのであって、
この男に役職を認めた幹部達にも責任があるだろう とみなさん指摘しているのですよ。
都合が悪ければ蓋をして、さらにトカゲの尻尾を切るような無責任な体質にも問題がある と言っているのですよ。

1749ラキ:2005/09/10(土) 20:47:23
宮本さん。
池田名誉会長自身が過去に、「金槌で頭を」とか「クリントン見たく口を上手く」等述べていますね。
とても、信仰者の発言と思えない指導をしておりますが、私の記憶違いでしょうか?

紹介のHPの方は、会長にじかに手紙を出しても問題の解決にならなく、裁判を起こして自己の人権を守ろうとしてるのですが、
それが、平和、人権尊重と言ってる団体の対応とは、情けないと思います。

苦労に優先順位等無いと思います。
苦労はその人の個人の範囲であり、それに優先順位を付けるべきではないと思います。
まして、平等の信心をされているのですよ。

>酷な言い方ですが、あくまで、理屈上の話ですが、
御書の内容、信用していないとなりますが。どうなんでしょうか?
御書にありませんでしたか?
真筆でも御書の内容は、私には問題外です。
信心が無いからです。
まして、法華経が釈迦の説いた教えでないのを知り、その時点で連師が教える法華経信仰をが崩れたからです。
  
>当事者御自身の信心で解決するのが、筋ではないですか。
HPの当事者の信心で解決できる問題ではなく、慈悲の仏法をしてる組織が、
人権侵害をしているのに、救いの手を差し伸べないのは、おかしいと思います。

>納得できる返答する能力を持った幹部に出会えなかったのは、残念な事です。
今となっては、そうとしか言えません。

区まのでの幹部が指導できる能力が無い、人達と言うことになります。
何人にも話をしましたが、回答は頂けませんでした。
調べてから返答をすると言って、1年もです。

現役時代、選挙活動は反対していました。
信心とは関係ないからです。そして、新聞啓蒙や民音のノルマがあるのも不自然な事だと思い、
営利目的ではないのですから、ノルマがあるのは信心を利養した勧誘活動としか言えません。
もちろん、反対意見を述べても、信心がないで済ますのは、道理にかなった説明ではないと言えます。
一番怒りを覚えたのは、会員に”ランク”を付けてることです!
活動の度合いでランクを付けるのは、差別そのものだと思っております。

法華ちゃんねるで放映してる学会関係の映像を見れば”正義の団体”と思えない発言が見られます。

http://hokkech.ddo.jp/

1750犀角独歩:2005/09/10(土) 22:22:20

> 1745

ここに宮本さんが書いたことは、創価学会でしか通用しないでしょう。
だいたい、わたしは創価学会には35年いました。あなたにレクチャーいただくことは何一つありません。それ故だからこそ、記していることです。

要するに、あなたの記していることを一言で言えば、「無責任極まりない幻想の組織」ということでしょうか。

では、あなたにお尋ねしますが、責任もとれない、信心にも比例しない役職というものを、なんで創価学会は任免しているのでしょうか。幻想ならば止めればいいだけです。

信心が万能でないことは分かっています。しかし、それは役職は絶対ではない、創価学会は絶対ではない、この信仰は絶対ではない、つまり、その頂点の池田さんも絶対ではない、三大秘法の本尊は偽物である、ならば、それを中心に作られた日寛も絶対ではない、さて、では、創価学会の正当性、存在理由は、ないことになりませんか。どうでしょうか。あなたの記していることは自滅論法に過ぎないでしょう。

もっとも、わたしは創価学会はあなたが記した程度のものであると、勿論、認識しています。

何より、役職を与えて、人を動かすが、その任免に責任すら負うことも出来ほど、肥大し、末端に神経も行き届かない不完全組織であると、あなたが言うことに、わたしは同意すると言うことです。

1751宮本:2005/09/10(土) 23:47:07
犀角さん
 >何より・・・わたしは同意すると言うことです。

 学会の現状は、そのくらいが、妥当の評価と私も思います。
不満もある方もいるでしょうが。

本当は、もっと詳しく書くのが、礼儀でしょうが。おゆるしください。(夜も
遅いので眠ります)

1752宮本:2005/09/11(日) 07:28:11
パンナコッタさんとラキさんと犀角独歩さんへ

 発言に関し、細かく文意を汲み取り、丁寧に答えるのが、礼儀でしょうが、
何分、当方は、一人で、時間もありません。
 ご承知の通り、リアルはバーチャルとは違います。
研究論文発の意見交換でしたら、もっとするのですが。
 また、どういう内容にせよ、面談の上。詳細、意見を聞くのが、
適切かとも思います。
 ネットでの意見交換には、おのずと限界がありますから(自明の事ですが)
近隣在中の方でしたら、伺うのですが。残念ながら当方、それも出来ません。
 犀角独歩さんには、事前連絡の上、了解を得られれば、
いつか、お会いしたいとも思います。
では、失礼します。
 今日は、選挙で大変です。

1753犀角独歩:2005/09/11(日) 08:22:33

宮本さん、1751のことならば、了解です。

お気軽にご連絡ください。スケジュールが合えば、お会いすることは歓迎です。

1754パンナコッタ:2005/09/11(日) 10:46:50
宮本さん、
ぜひ、お会いしたいですね。
やはり会って話すことが大切だと自分も思いますので。

独歩さん経由で連絡はとれますので、その節はよろしくおねがいします。

1755ラキ:2005/09/11(日) 11:20:58
宮本さん。
私も、独歩さん。パンナコッタさんと同様にお会いしてお話がしたいです。
独歩さんの生息圏内なので、よろしければご同席させて頂ければ幸いです。

1756犀角独歩:2005/09/11(日) 12:37:25

宮本さんは、わたしに個人的にというお話のようですが、皆さんも会いたがっていらっしゃいます。もちろん、それも歓迎です。けれど、以上の皆さんのお声があります。是非、オフ会にもご参加ください。

れんさんも、そろそろご参加くださるのでしょうか。
彰往考来さん、独学徒さん、そして、他の常連の方々と、充実した内容になってまいりました。

そう、昨日、偶然、ワラシナ先生と電車で乗り合わせました。お元気そうで何よりでした。また、いつも富士門流信徒の掲示板、また、わたしのブログをご高覧下さっていただいていると有り難いお言葉を頂戴しました。

板から外れました。失礼いたしました。

1757学会の支援はもういらない:2005/09/14(水) 13:13:28
大阪2区で学会の支援した佐藤氏は落ち、川条さんが自民の力だけで当選しました。
学会の支援はもういらないモデルケース。
大阪17区で当選した岡下氏は自民で学会が支援しましたけれども、
れっきとした阿部宗門法華講員です。

1758ラキ:2005/09/14(水) 14:06:06
>大阪17区で当選した岡下氏は自民で学会が支援しましたけれども、
れっきとした阿部宗門法華講員です。
学会の矛盾した行動ですね。ある意味、与同罪に当たるのに平気で応援する学会て・・・

学会=公明は弱者の見方と言っていて、実は弱者を圧迫する法案に賛成してる現実があります。
今回の解散で一時、白紙に戻ったと思われる、『精神保健福祉法第32条』(通院医療費公費負担制度)が、
再度、厚生労働省によって、見直しが行われることになるでっしょう。
その反面、児童給付金の年齢を中学生まで適応とか、出産援助金の50万までのUP.
公明はばら撒き政治をしてるとしか言いようの無い事もしております。
学会=公明の正義は、本音と建前が違うと思います。
難病の父を持つ私には、障害者切捨てと思える法案を通してる、
公明=学会には、正義は無く、自分たちには関係ない(障害者の家族がいないから、無関心)の学会員には、
あなたたちの、人権や平和と言ってるのに、まるっきり正反対のことをしてる矛盾に目を向けてほしいものです。

1759れん:2005/09/14(水) 14:36:24
ラキさん、はじめまして。32条の件、私も大いに矛盾を感じております。
私自身、癲癇の患者でして、32条の恩恵を受けております。この病気の患者は、なかなか定職につくのは難しく、低所得・或いは生活保護を受けている方も多いと聞いております。現在、32条のおかげで脳波の検査等にかかる高額な治療費の負担が軽減されていますが、これが廃止になれば、低所得の患者の生活に経済的な圧迫をあたえることになり、低所得の患者は適切な治療を受けたくても受けられなくなる事例も生ずる可能性もあると思います。
一般向けに受けのいいことを言っていても、一方で弱者を圧迫することに加担する…こういうところで、看板に偽りありということがはからずも露呈するものです。

1760ラキ:2005/09/14(水) 19:44:05
れんさん、はじめまして。
れんさんの意見には同意いたします。
32条ですが、廃止にはならなく、国が90%を負担していたのを85%にする予定です。
県が5%と負担。市町村では、独自に5%を負担してるところもあるので、自己負担金が5%〜10%になります。
32条適応者は、ご存知のとおり医師の診断書と収入を提出して審査を受けてから、適応の是非が問われますが、
適応者は収入が少ない。長期療養を執拗がいる等、経済面の苦しい方が大半です。
対人恐怖症。パニック症候群等、普通に通院できなく、タクシー等の交通手段を利用してる方も居ます。
たかが5%UPでも経済面の圧迫は目に見えています。
現実に適切な医療を受けたくても、経済面で医療を受けられない方や、通院回数を減らしてる方も居ます。
そのような方のために、私はメンタル系HPを運営していて、32条の事を広めています。
32条のことを知り、適応されて安心して医療が受けられて社会復帰に向けてる方も沢山居ます。
本当に福祉を考えてる学会=公明ならこのような問題に取り組まなければいけないのを、
世間一般に受けがいい、児童手当バラまきには疑問の余地はありません。

1回の医療費が国保で3〜5千円掛かり、月2回から4回の通院が必要で、
3ヶ月に1回の血液検査の義務もあり、その他検査を入れると膨大な医療費負担になります。
32条を適応されれば、千数百円ぐらいで1回の診療が受けられると、経済面を考えずに安心して医療が受けれます。
32条審査は医師の診断書と納税証明書を付けて、審査を受けて適応の是非が決まります。
本当に弱者救済を福祉をと言ってる公明=学会がこのような法案改正にNO!と声を上げないのが不思議です。
「精神保健福祉法第32条」の事を知り、学会員は組織総出で声を上げて本当の正義を証明していただきたく思います。
個人的に学会員で32条の恩恵を受けている方は、要望書等を出していますが、
そのような話を聞いてる”学会員”はわれかんせずとそ知らぬ顔をしてる方が大半です。
(この話は、私の周りの学会員だけと申しときます)
これを機に、学会員は自分達のしてる”弱者を苦しめる”行動を認識して頂きたいです。
板違いでもありますが、このように苦しんでる人達が居ることをわかってください。

1761彰往考来(しょうおうこうらい):2005/09/17(土) 19:34:13

このスレッドとは直接関係ないと思いますが、話が出ていますので、赤川学氏の『子どのが減って何が悪いか!』(2004年、筑摩書房(筑摩新書)を紹介します。
この本は児童手当の増額が出生率の回復にはほとんどつながらず少子化対策にはならないというのを論証した本です。非常におもしろい内容でした。出生率1.34(1999年)を人口維持に必要な2.08に高めるには月30万円を越える児童手当・育児休業保障が必要との試算があるそうです。現在の水準ではほとんど効果がないのです。しかしこんなにもらったら働かなくなってしまいますね。月30万円が非現実的であるのは年金財源をいうまでもなく誰の目にも明らかです。
この本で特徴的なのは、従来言われている、“女性の就業率が高い国ほど、出生率も高い”とか“男女共同参画社会が実現すれば、少子化は防げる”といった主張を統計学的に否定していることです。氏に言わせれば統計的には“女性労働力率が高ければ高いほど出生率は低い”(同書、17頁)ということになります。また“夫の家事分担の多い家ほど、子どもの数は少ない”(78頁)のです。つまり男女共同参画社会の実現は子ども数の増減とまったく無関係で少子化少子化対策にはなり得ないのです。但し、著者は男女共同参画は少子化対策であろうとなかろうと必要なことだと主張しています。

「子どもは、少子化対策や男女共同参画の道具ではない。まして「子どもを産んだら得をする」とか「子どもに老後の世話を頼みたい」とか、親のあさましい動機で産まれてくるべきでもない。仮にどんな重度の障害をもって産まれてきたとしても、愛情をもって育てる覚悟をもてた男女だけが、子どもを産めばよいのだ。そうした選択の結果、産まれる子どもの数が少なくなったとしても、それはそれで仕方ないことだ。
子どもは、親や周囲の人から愛されるために産まれてくる。それ以外に、産まれる理由は必要ない。」(217頁 あとがき より)

児童手当の拡充や男女共同参画推進を主張している方もそうでない方もぜひ読んでいただきたい内容でした。

児童手当の拡充や男女共同参画社会に熱心に携わっておられる方のご意見をお聞きしたいものです。

1762彰往考来(しょうおうこうらい):2005/09/17(土) 19:37:13

>1761 誤記訂正

誤:赤川学氏の『子どのが減って何が悪いか!』
正:赤川学氏の『子どもが減って何が悪いか!』

1764彰往考来(しょうおうこうらい):2005/09/20(火) 07:43:10

2005年9月21日付けの『創価新報』7面には久しぶりに公明党元委員長・矢野絢也氏の批判記事が載っています。

辞任の引き金になった〝明電工疑惑〟
自宅で2億円もの大金を授受
矢野絢也公明党元委員長の〝灰色の幕引〟

と題して明電工事件の解説と、その際の矢野氏の行動批判を記載しています。
前後関係がなく突如現れた記事ですのでその裏にある事情はわかりませんが、恐らくは今回の衆議院選挙で矢野氏の取った公明党への支援活動が不十分かゼロであったために不満が重積し、そのはけ口として批判記事が再開されたものと考えます。さすがに衆議院選挙の最中は選挙結果にひびきますから控えたものと推慮します。

私の記録漏れがなければ2005年4月28日付け『聖教新聞』で突如として『聖教新聞』紙上で現れた矢野氏への批判は2005年5月16日付けの「矢野絢也公明党元委員長が心から謝罪」と題した記事で、しばらく鳴りをひそめました。その後は『聖教新聞』上ではみかけなくなり、2005年6月15日の『創価新報』に「不知恩の輩の邪義を暴(あば)く」と題した記事でこの間の経緯のようなものがまとめて記載されています。ここでは最後に「謝罪が本物なのか、口先だけのパフォーマンスなのか、今後、彼が示す「誠意」と「行動」を厳しく見極めていく必要がある」と閉めています。その後、矢野氏との今回の騒動は一部週刊誌にとりあげられています。『週間新潮』の6/16号では「「創価学会の糾弾」で活動自粛に追い込まれた「矢野絢也」」と題して夕刊紙『日刊ゲンダイ』に矢野氏が連載していた政治コラムが中止になったことなどを記載しています。『週間現代』の8/6号では「創価学会&公明党のタブー「矢野極秘メモ」100冊が持ち去られた」と題して、約40年間矢野氏が衆議院手帳に記したメモが元公明党議員の黒柳氏、大川氏、伏木氏により矢野氏の自宅から運び出されたという内容です。創価学会や公明党がこれらの週刊誌に抗議した形跡がありません。もし記載内容に事実誤認があれば必ず抗議するのが創価学会ですから週刊誌の内容はそう外れていないのでしょう。8月3日付けの『創価新報』で「矢野絢也公明党元委員長と青年部代表との面談 本年5月 の詳細」と題して5月の矢野氏と創価学会青年部代表との面談内容が紹介されています。あるいはこれは『週間現代』8/6号の記事に対する対応であったのかもしれませんが、そうであれば何の反論もなくお粗末な内容です。

今回(9月21日付け『創価新報』)の批判記事は6月15日付け『創価新報』の続きといってよいでしょう。つまり『創価新報』は「矢野氏の謝罪は本物ではなく、口先だけのパフォーマンスにすぎない、彼には「誠意」と「行動」が全くない」と指摘していると思われます。
ということは、これから矢野氏に対する批判記事が続くことが予想されます。矢野氏のとった行動がよいか悪いか別にしてこのようなバカなことをしていてよいのでしょうか?『聖教新聞』や『創価新報』は仮にも宗教団体の機関紙なのです。また、もし矢野氏のとった行動が悪いと主張したいのなら過去の出来事ではなく現在の出来事を記事にすればよいはずです。しかしながら現状はネタ不足なのか壊れたレコードのように過去の出来事の繰り返しです。情けない思いをしているのは私だけなのでしょうか?何年か先は公明党現委員長が批判の矢面なのでしょうか。それとも彼はその時「そうはイカンザキ!」と叫んでいるのでしょうか?

こんなバカバカしいことはいつまでも続けず止めるべきであると思います。

1766パンナコッタ:2005/09/26(月) 15:43:11
大白蓮華10月号に、教学任用試験のテキストが掲載されていますが、①出題御書3編
(異体同心事・四条金吾殿御返事〈法華経兵法事〉・一生成仏抄)と、何れも真偽未決文ですね。
②教学入門、③世界広布と創価学会 に引用された切り文の御書は49編。そのうち真蹟部分は
たった16編。  他に立正安国論の国の字が”国構えに民”とか二箇相承、無作三身とかが平然と
書かれており、こんなんで本当に学会教学に未来なんてあるのでしょうかねぇ。

ちなみに”御生涯”と題された部分に、
「弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです」と書かれています。
なんだか”創価学会入門”(昭和45年5月3日発行・教学部編)の苦しげな記述が復活したかの如くですね。

1767彰往考来(しょうおうこうらい):2005/09/26(月) 18:13:15

>1766 パンナコッタさん
>立正安国論の国の字が”国構えに民”

本当ですか? ちょっと大白蓮華10月号を見て確かめてみます。

>「弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです」

創価学会が初信者の多い任用試験受験者にこう教えることは、いまだ戒壇本尊を公式には“本物”としているということですね。
イヤハヤ。

1768パンナコッタ:2005/09/26(月) 19:43:10
彰往考来さん、10月号の100ページ上段です。

『別の本に騙される可能性も充分にあるのだ。それが財テクの本だったらどうなる?
あなたは金の使い方を誤り、大損するかもしれない。医学や健康の本だったら?  あなたは間違った
医学知識を植えつけられ、危険な健康法を実践して健康を害するかもしれない。歴史や宗教の本だったら?
あなたは歪んだ思想に染まり、貴重な人生を台無しにするかもしれない。
 そうなったら取り返しがつかない。著者は責任を取ってなんかくれない。間違った本を書いた著者が反省して、
被害を受けた読者に補償したなんて話は聞いたことがない。
 守ってくれる人はいない。あなたの心を侵略し、汚染しようとする「思想のウィルス」に対抗できるのは、
あなた自身しかいないのだ。』 
    こんなにヘンだぞ!「空想科学読本」 山本弘  あとがきより引用

任用試験の内容は上記の「思想のウィルス」そのものであり、まさに汚染の拡大ですね。

1769独学徒:2005/09/26(月) 23:48:55

パンナコッタさん
彰往考来さん

まったくですね。
しかも

>「弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです」

覚えろといわんばかりに太字になっています。

ほんとに進歩のない組織です。

任用試験でこのように教えておきながら、その所蔵がどこにあるかをふれないなどとは理不尽極まりないと思います。

他のスレッドでも投稿しましたが、

>「弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです」

これが真実なら、創価学会を脱会し宗門に行くべきでしょう。

このような嘘・デタラメを、教学初心者に教え込むことに、断固反対し抗議します。

1770犀角独歩:2005/09/27(火) 11:21:03

> 1766

まあ、たしかにひどい内容ですね。
皆さんとぜんぜん違うところにわたしは目が行ったのですが、

> 大御本尊を建立

の「建立」。創価学会ではこういう言い回しをするんでしたね。

1771ラキ:2005/09/27(火) 19:06:58
赤川学氏の「子どもが減って何が悪いか!」読みました。
児童手当増額しても、諸外国と違い、社会全体のサポート体制が確立してないから、
無駄なばら撒きでしかないのだと。
福祉を唱えてる公明=学会にもう一言。
介護保険制度の悪法も見直しをしてもらいたいですね。
介護ペルパーさんが来ても”介護”なので、利用者のお手伝いしか出来ない。
食事の準備を本人がする時の手助けだけで、調理を行うと”看護”になるので、
ヘルパーさんがいくら手伝いたくても出来ない、と言う、利用者には有難くない法律は、
利用した事がない人にはわからない盲点です。
障害認定も、自力で動ける、動けないで、決めるぐらい極端だと思います。
手足が麻痺していても、多少自力で動かして、食事が取れると”看護”ではなく”介護”扱いで、
食事の支度を出来ないのに、食事の支度の介護はしてもらえないのです。
板違いではありますが、公明を組織を挙げて応援してる、学会は与同罪と私は思います。

そう言えば、学会では「三世福徳」なるご記念札を5,3に販売したらしいですね?

1772彰往考来(しょうおうこうらい):2005/09/29(木) 09:59:00

>1771

そうですか。お読みになりましたか。紹介した甲斐がありました。

1773れん:2005/09/29(木) 20:50:40
>1771
児童手当て増額…諸外国と違い社会全体のサポート体制が確立していないから無駄なばら撒きでしかない
全く同感です。その無駄なばら撒きも国民の血税が財源ですから、一円たりとも無駄なことに使って欲しくないという思いがあります。
介護保険制度についても、私の両親も七十・八十の高齢者ですからもう決して他人事ではありません。現行の制度について見直すべきところは見直して制度の悪い部分を一日も早く改善してほしいものです。
私も元学会員として、客観的に見てみると、かつての所属団体の支持する政党の現在の体たらくを見るにつけ、批判的にならざるを得ない現実があります。

1774ラキ:2005/09/29(木) 21:11:59
地元ネタになりますが、過去に公明がらみで迅速に行った政策があります。
信号機付きの横断歩道設置です。
それから数年もしないうちに、歩道橋を設置して、横断歩道を10m程移動して設置。
地域住民が切望したわけでもなく、学会住民の要望があり、迅速に施工された事がありました。
逆に開かずの踏切がある場所では、歩道橋設置の要望が合ったのに、設置されるまで長い期間掛かった矛盾があります。
与党連立になったら速やかに工事施工が始まったのは、言うまでもありませんが。。。

1775iひきこもり:2006/03/05(日) 19:56:53
生命論、特に死後、生前の問題を、現代人の有識者に与えたことは、大きな功だと思います。

1776名無し:2006/03/07(火) 00:42:21
>>1775
iひきこもりさん、創価学会がですか?
出来たら詳しく教えていただけませんか?

お願いします。

1777ひきこもり:2006/03/09(木) 00:50:08
>>1776
創価学会ですね。創価がなければ多くの人達に、聖書的死生観や、マルクス共産死生観、
ギリシャ哲学死生観を超える思想は広まらなかったでしょう。

1778ひきこもり:2006/03/09(木) 00:58:46
あと在来日本仏教は、神仏混合思想の為に本当の生命主義や生命論を否定する傾向に
あったと思います。

もし創価がなかったならば、生命科学への一歩さえ世界は踏み出していないでしょう。
「生命科学」は基礎理学、基礎医学の基にあらねばならぬことが、生命科学は今や原始
状態です。聖書に全世界は毒され、科学は闇です。

1779名無し:2006/03/09(木) 19:44:20
>>1777-1778

ひきこもりさん、ありがとうございます。
なるほど。

1780犀角独歩:2006/03/10(金) 01:18:39

生命科学と創価学会が何の関係があるのでしょうか。

1781パンナコッタ:2006/03/22(水) 16:17:47
耐震偽装マンション関連のニュースで、公明議員の関係が噂になっていましたが、
まんざら根拠のない話ではないようですね。
 http://www.asahi.com/national/update/0322/TKY200603210331.html

1782ひきこもり:2006/03/23(木) 16:15:53
人生に絶望を感じ目標を失った人達や、死や病気を恐れて何事にも無気力になった人達に、
創価は勇気と生きる希望を与えました。これは功ですね。実際真面目は創価は、精神的に強
いです。

もう70代の壮年部員や婦人部員が、発溂と生活しています。生きることが楽しいんですね。
また困難が起きてもへこたれないですね。

実際私の地域の真面目な創価の人達は、強いですよ。
私は個人主義者になり、部屋に籠ってする仕事を主としていますが、信心を忘れると鬱になる
ことがあります。

1783励合人:2006/06/10(土) 02:26:52
はじめましてレイアウトと申します。
ちょこちょこですが、サイトを拝見して気づいたことを書かせて頂きます。
掲示板に私は学会員ですと書いてある方が皆さん学会員だとは思っていませんが、所属組織を名乗るならそれなりの言い方や責任を持たれてはどうかと思いました。
私は創価学会と名乗ってる方で誰がみても変なことを言ってる方はニセ学会員ではないですか?

ところで、時々、創価学会のお陰とか何々のお陰とか目にしますが、何があったとしても基本は自分自身、その本人の力ではないのでしょうか。
創価学会の池田さんや本部は学会のお陰とか言っておられるのでしょうか?
勉強不足で申し訳ないのですが、お釈迦さんや日蓮さんもわしのお陰とか言っておられたりするのでしょうか。なら仕方ないかも知れませんが。
私の意見は自分自身のことは自分の責任であり、いいことも悪いことも自分の選択により決めていることだと思います。感謝することは大切であるが、感謝させることは間違いであると思います。人助けも結局は自分の為にやっているのであって、そう考えると誰しも感謝することのみです。感謝させたり感謝しろと思うことは自己中心的な考えなのではないでしょうか。

1784励合人:2006/06/10(土) 04:04:12
創価学会の方に聞きます。日蓮さんは強敵と戦われましたと言ってもおかしくないのではないでしょうか。でしたら、このサイトで正当性を立証されるのが筋ではないでしょうか。組織をあげて戦われるよう提案されるべきです。このサイトが強敵かどうかは分かりませんが自分が信じるものが言われているのにそのままにしてはなりません。少なからず日蓮さんの生き方を糧にされているのですから。常勝とは負ける戦いはしないという意味ですか?学会員ならこのサイトのことを多くの学会員に伝えるべきです。そしてこのサイトの異論に勝利できるのであれば創価学会の広宣流布も夢でなくなります。そう思われませんか反創価学会の方々?
間違いは間違いで認めて改めていくことで成長があります。人間なんて誰も間違いだらけです。日蓮さんも間違われたことがあるはずです。意固地にならないで素直になりましょう。
日蓮さんが今を生きていて、このサイトを知られたら黙ってはいないでしょう。そして間違いがあれば改めてられたはずです。当時で日蓮さん本人が知る限りの知識と経験で公に正しいと思い込めていることばかりの状態だからあれだけの情熱を注がれ活躍されたのだと思います。人間は嘘があると後ろめたさからスキや逃げが出るのです。嘘は未来で必ず証明されます。今だけ通用することに生きようとせず、今の時代を生きる責任を持って未来のひとにプラスになるように行動してあげて下さい。プラスになるひともいればマイナスになるひともいるというのは間違いです。というか100%正しいことではないのではないでしょうか。
正しいことばかり、これほど強いことはないのです。逆に正しいことばかりを言うひとは強い気持ちの持ち主です。過去の過ちを批判されても今を正しいことが言える人間になろうではないですか。そうすれば創価学会ももっと良くなるのではないでしょうか。
個人的には宗教法人をやめて日蓮仏法を土台にした池田さんの思想をもとに地域活動やボランティア活動をされる団体になられることをお薦めします。その方が大いに発展されるでしょうし社会的にも価値があると思いますし嘘もなくなります。池田さんが生きていられる時にしかこれはできないと思いますのでよく考えて頂きたいです。

1785励合人:2006/06/10(土) 04:42:53
このサイトに出会えた日蓮系の信者の方のご多幸をお祈りします。このサイトに集う縁に意味があると思います。
この板は創価学会の功罪でした。功罪…、罪があればダメですょ学会員さん。功を重視して伸ばすのは一向に構いませんが罪や間違いは改めて欲しい。学会員さん全員がこのサイトを隅々まで見て頂いたら真面目な学会員さんは間違いの部分を改めて下さるだろうけど真面目な学会員さんにそんな時間はないのでしょうか。なら不真面目な学会員さんから真面目な学会員さんにこのサイトの推薦と説明を何卒お願いします。日蓮仏法系全てに言えると思いますが。

1786パンナコッタ:2006/06/16(金) 00:25:44
秋谷会長の続投が決まったみたいですね。
 7月に任期を迎える創価学会の秋谷栄之助会長(75)の続投が14日、固まった。1981年に北条浩第4代会長の急逝を受けて就任。
 在任期間が5期25年に及ぶことから交代もとりざたされていたが、2007年春の統一地方選や夏の参院選を控え、会長交代は
 選挙への影響が出かねないと判断した。創価学会は公明党とともに選挙への取り組みを加速する。

 「大変厳しい選挙戦になる。我が党としても必要な議席を確保しなければ、与党で過半数を維持できない」。
 公明党の神崎武法代表は14日の記者会見でこう訴えた。創価学会も15日、東京本部で全国の方面長を集めた幹部会合を開き、
 選挙への結束を確認する。(07:02)   NIKKEI NET より引用

 http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20060615AT3S1401H14062006.html

1787ひきこもり:2006/06/24(土) 14:05:01
>>1785
私は創価で朗々とした境涯です。勤行唱題あれば動くこと無しです。

まぁコテは「ひきこもり」ですが、広宣流布への精神は猛烈ですよw

大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうあれ、信心が
根本です。私はまた毎日唱題したら、また元気一杯ですお。

1788問答迷人:2006/06/25(日) 20:35:25

ひきこもりさん 今晩は

>大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうあれ、信心が根本です。私はまた毎日唱題したら、また元気一杯ですお。

ひきこもりさんは、唱題至上主義ですか。

僕は、括弧付きの蓮祖の教義を絶対視はしませんが、真蹟遺文は大切に考えています。本尊抄の「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。」の文を根拠として、妙法蓮華経の五字が認められた蓮祖の文字曼荼羅への南無(帰命)を大切に考えています。

具体的には、この文字曼荼羅を拝する事が、妙法蓮華経の五字に対する帰命に当たり、文字曼荼羅を拝して南無妙法蓮華経と唱える事が帰命に当たり、文字曼荼羅に向って合掌することが帰命に当たると考えています。即ち、それは、身口意の三業で文字曼荼羅に帰命することになると考えています。

そして、このように三業具足で文字曼荼羅に帰命することが、蓮祖の本尊抄の「此の五字を受持」に相当するのだと考えています。

朝夕、勤行・唱題することが、蓮祖の教えに叶ったもので有る事は、僕は疑問を持っておりません。

但し、それが釈尊、並びに法華経の原意に沿うものであるかどうか、これは大いに議論の余地が有ると思っております。

1789真実探求者102:2006/06/27(火) 20:48:05
1787様、、なかなかの強がり的な御都合のご意見でしょうか、、、???
 要するに、、「、、組織内での疑義、、」を「、、全く許さないゾ、、」、、と言う、内部事情が、、一番に最優先した結果の「、、お答え、、」、、のようでしょうか、、、???
 現今は、、皆様方が、、ソコソコ学習をされました。 従って、、少々の「、ダマシのテクニック、、」、、は、感知済ではないでしょうか、?

1790ひきこもり:2006/06/27(火) 23:53:19
実際、教学はともあれ、私が中学生の時に大御本尊に祈ったことは、
全て叶いました。

子供の時に大きい体験があるかどうかかが肝腎だと思います。
私は前世を7歳ぐらいの時に思い出しました。死ぬ直前の病院の病棟
でした。

1791下学上達:2006/06/28(水) 21:54:22
初めて書き込み致します。ここでの書き込みは本当に勉強になります。
創価学会員である私にとって、目から鱗が落ちるほどの毎日ですが、
楽しみにROMしています。常連の皆様よろしくお願い致します。

>ひきこもりさん

ひきこもりさんは「大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうあれ」
と書かれていますが、単純にこの三つはどれも大変重大な事と思いますが、
これがどうでも良い事柄ならば、根本から崩れてしまいます。
同じ学会員としてかなり疑問に感じました。

1792ひきこもり:2006/06/29(木) 21:12:51
>>1791
時代によって法華経まで変わると言う指導を、私は高等部時代に聞きました。総本山に行けない日が来る
と言う言う指導も聞きました。

蓮祖には誤りがあると犀角独歩さんが仰っていますが、それは私も学生部ぐらいの時に知っていました。
蓮祖の御書の表記に年の誤りがあるのです。これは日寛上人も指摘されているようです。「示同凡夫なる
が故に」と寛師も指摘されていた記憶があります。

要は我々が唱題して幸福境涯を築くことです。時代時代によって創価学会会長の指導も変わります。牧口
会長の指導を今やって罰論を振りかざしたらだめです。戸田会長の昭和20年代30年代の講演集を今振
りかざしてもだめです。時代に即応して、いかに多くの人を幸福にするかと言うが創価学会の目的ではあ
りませんか?池田先生の昭和30年代の御指導でも現代には当てはまらないこともあるかも知れません。
創価学会は池田教ではありませんから。日顕宗でもありません。

1793犀角独歩:2006/06/29(木) 21:16:16

ひきこもりさん

あなたは真剣に考えているのですね。そのあなたの真摯な姿勢を、わたしは理解しますよ。
敬意すら懐きます。

1794犀角独歩:2006/06/30(金) 08:42:05

1792の投稿は、わたしにとっては懐かしい感情を懐かせました。。
「ああ、学生部の頃、そんなことを考えていたな」という懐古気分を味わいました。

わたしは、過去50年間、創価学会の激変を見てきました。
親たちは、戦前の日本の大変化を超えて、戦後を生きました。

> 大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうあれ

創価学会はこれからも変わっていくでしょう。
変わりに変わって、やがて、日蓮からも離れていくのだろうと思います。
そんな未来を彷彿とさせる投稿でしたね。

> 創価学会は池田教ではありませんから。日顕宗でもありません。

では、創価学会とは何なのかという問いがこの時点で涌くでしょうね。

当掲示板では、日蓮の実像を、ここ数年来、考えてきたわけですが、結局のところ、ことに日寛に代表される大石寺教学は、その日蓮の教学とは全く違っていることは明らかです。では、創価学会は、一体、何の教学に拠っているのかと言えば、やはり、それは日寛のいう教学と本尊でしょう。しかし、ひきこもりさんは、大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうであれとそれを斥けるわけですね。石山が言う破門・学会が言う独立した団体が、元母体の「大御本尊」や、かつて供養した正本堂を廃棄するのは、まあ、心情的にわからないでもありません。けれど、蓮祖の教義もどうであれと言って、唱題根本というのは、自己矛盾がありますね。何故ならば、唱題の発明は日蓮その人の教義だからです。

大御本尊、正本堂、日蓮教学でもない、さらに池田教でも、日顕宗でもない唱題というのは、門下一般が聞けば、「何だ、日蓮宗と同意なんだ」と映じるでしょうね。しかし、そういえば、「いや、違う」という答えが返ってくるのは、容易に想像できます。

では、ひきこもりさんがいう唱題とは一体なんでしょうか。
とりあえず、創価学会と、その「指導」は重視しているようですが、そうなると、創価学会教、もしくは戸田教といったところでしょうか。
むしろ、ひきこもりさん自身の心教といったようなものに感じますね。
さて、どうなんでしょうか。

興味深い点です。

1795真実知求者 38:2006/07/13(木) 17:27:18
  >>1792、、池田教ではありません、、。
 本当でしょうか、?
 貴機関誌には、連日、池田氏への礼賛記事満載、です、。
 まるで、仏様の様な扱い、?、では、?
 ここまで神格化、神聖化しますような事実には、?、多くの方々も、ヒョットとして、中身は「池田教」、?、だと懸念もわき出ます様でしょうか、?
 マー、一応、れっきとした宗教法人ですから、ご自由でしょうが、。 でも、何かが、引きかかりますです、よ、。 御免くださいませ、。

1796マリネス:2006/07/14(金) 16:42:13
池田教でもない、日顕宗でもない。では何宗なんでしょうかね。ちなみに池田教も日顕宗もこの世に存在しない名称なんだけどね

1797今川元真:2006/07/14(金) 17:06:04
創価学会の罪・ 四分五裂して悪縁をばらまく。 創価学会の功・ 仏教革新して流布した。

1798真実は知りたい者:2006/07/14(金) 18:58:06
 直近の地政学難題には心配ではございます。
産経新聞の産経抄で「歴史の重み」を披露中です。
http://www.sankei.co.jp/news/colomn.htm
示唆に富む文章でした、。 するに「暴力の力を思考する団体」には、いかに対処すべき、?、かを、歴史的な事実より後生の我々に教訓を示して居ますようです、。

1799真実は知りたい者:2006/07/14(金) 19:03:40
失礼しました。
http://www.sankei.co.jp/news/coloumn.htm
 でした。

1800真実は知りたい者:2006/07/14(金) 19:07:42
済みません。
http://www.sankei.co.jp/news/column.htm

1801真実は知りたい者:2006/07/14(金) 20:32:27
、、NHKの「巧妙が辻」もたけなわです。
 これは「世襲問題」が視点でしょうか?
 姉の子の「秀長」を後継者にしたにもかかわらず、誰の子とも知れない「秀頼」に世襲した秀吉の「傲慢さが墓穴」、を掘ったようです。
 この歴史的な教訓===、、は、、、世襲すれば、、即、、崩壊、、の、、運命、、で、、しょうか、???

1802今川元真:2006/07/14(金) 23:05:07
組織システムが公正平等に機能すれば「世襲」であろうが「くじ引き」であろうが、大差無いのでは無いかと考えます。「誰が継ぐか」では無くて「何を行うか」でしょう。

1803ひきこもり:2006/07/15(土) 02:00:22
創価は功の方が多いと思います。自分自身中学生から創価でした。私は小学生の時には
勉強嫌いで、家庭教師までも困らせた子供でした。しかし創価に入会した後、私は何故
勉強が必要なのか、池田先生の御指導から知りました。勉強は人との優劣を競うもので
はなく、自身の幸福の為にするものであるという御指導でした。

私は人が変わったように勉強するようになりました。学校の成績を鼻に掛けている者達
が哀れに見えてきました。学友は「何でそんな馬鹿なこと(唱題)をやっているんだ?」
と私に言いました。しかし成績は最後には私の方が勝ちました。

名聞名利の為の勉強よりも、人生の幸福の為の勉強が勝ったのです。創価はやはり功が
大きいですよ。いろいろ非難されていますけれども。創価が非難される原因の最大のもの
は、非常識でしょう。また外部の人を謗法呼ばわりしたり、冷淡であったりするためでし
ょう。

1804犀角独歩:2006/07/17(月) 06:34:17

> 名聞名利の為の勉強よりも、人生の幸福の為の勉強が勝った

勝った・敗けたの話になるところが、如何にも勝敗に拘る学会の影響をお見受けしますが、名誉とカネに幸福はなしという結論は、名誉会長、カネさん(今は香峯子と書くんでしたか)という名が表す体と、必ずしも一致しませんね。

いずれにしても、大乗菩薩は四弘誓願に精進するのであって、救うべき対象(衆生無辺誓願度)をつかまえて、その相手と自分の勝劣、勝敗を言ってしまえば、この誓願は瓦解します。人生の途上で幸福を言ってしまえば、仏道無情誓願成はそこで立ち止まることになるでしょうね。

菩薩に幸福があるとすれば、自未度先度他(自ら未だ成仏せずに、まず先を成仏さす)意外にはないというのが法華経の叡智だと、わたしは思います。
> 創価が非難される原因…非常識…謗法呼ばわりした…冷淡

これは、世間一般から見える学会の有様で、尤もなご意見であろうかと存じます。

1805犀角独歩:2006/07/17(月) 17:22:51

【1804の訂正】

誤)仏道無情誓願成
正)仏道無上誓願成

ひどい打ち間違えでした。

1806傍観者:2006/07/17(月) 18:31:42
 割り込み失礼。
鋭いご意見などはとても勉強になります。
今、感じますのは「人間とは誠にヨワイ,、、ひ弱な存在?」、かナー、と思います。
 
過去の自分がそうでした。 在る友に何回もウソつかれても、何度も裏切られても、愚痴は言っても、見限って絶好する勇気が在りませんでした。
世の中はウマイ、甘い誘いに充満しています。 これからはすべては自分の自己責任に目覚めたく思います。

1807:2006/07/17(月) 21:11:22
ひきこもりさんの発言に感動しました。人生の困難をどう越えて生きるべきかだと思います。

1808下学上達:2006/07/18(火) 19:30:38
ひきこもりさんと同じく学会員です。
ひきこもりさんは「人生の幸福の為の勉強が勝ったのです」とおっしゃられていますが
勝ったか負けたかは、最後の最後、臨終の時しか判らないと思います。
今現在、勝ったとお思いかもしれませんが、今後は誰にも判りません。

1809傍観者:2006/07/19(水) 19:02:56
 下学上達さん。
 仰るとおりかと、思います。
一時は「スッゲー、こりゃ、功徳ダ、?」と確信しても、後々から見てみますと「トンデモナイ様なダマシのサイン?」で在った?、などの現象は存在するかも知れません? 
 ヤハリ「臨終こそ一番」かも、?

1810統合失調不安者:2006/07/20(木) 20:17:40
 傍観者さん、>臨終こそ。
 お言葉ですが、ソンナ悠長な構えで宜しいんですか、?
 今時、IT、そして、インターネット時代の時代の早い流れ中です。
 コンナ時勢に「臨終まで不明、?」、とは、いかがなものでしょうか、、?

 IT時代では、一秒でも早く「正確な情報をキャッチした方」、が、損害の回避に受けて方向の転換が出来るのではないでしょうか?
 確かに「臨終=総決算」は理解できますが、庶民の感情としましては「その前に各自が判断」を「努力」をして頂きたいですが、?

1811傍観者:2006/07/20(木) 20:19:07
 傍観者さん、>臨終こそ。
 お言葉ですが、ソンナ悠長な構えで宜しいんですか、?
 今時、IT、そして、インターネット時代の時代の早い流れ中です。
 コンナ時勢に「臨終まで不明、?」、とは、いかがなものでしょうか、、?

 IT時代では、一秒でも早く「正確な情報をキャッチした方」、が、損害の回避に受けて方向の転換が出来るのではないでしょうか?
 確かに「臨終=総決算」は理解できますが、庶民の感情としましては「その前に各自が判断」を「努力」をして頂きたいですが、?

1812サイサイ:2006/07/21(金) 15:56:21
皆さん始めまして、ひきこもりさんの言ってる事は、犀角独歩さんの指摘しているとおり、ひきこもりさんの信じるところの心教なのだと思います。

創価学会の中は様々な価値観で溢れかえっています。

いろんな”私の学会観”が存在しているのです。

なので、貴方は貴方、私は私という事で、創価学会の問題から 逃れようとする事には疑問を感じます。

功績が”多”であるという背景に、多くの犠牲を払った(今日に於ける創価学会問題)という事実を考えるならば、評価は、あくまで反省を抜きにしては語ることは出来ないと思います。

1813独学徒:2006/07/21(金) 21:43:42

「慧妙」の1面に、学会本部職員が彫刻を否定したとの記事が出ています。

学会側が主張した彫刻の真偽論は、なんと犀角独歩さんの御所論そのままのようです。

一点、資料として出したものに、カラーの彫刻写真があったとの事です。

犀角独歩さんの御所論は、大石寺僧、富士学林教授等もその場でお聞きでしたから、学会が今更何を言おうが、犀角独歩さんの御所論の盗用でしかないと思います。

「法盗人」の謗りは免れませんね。

1814犀角独歩:2006/07/21(金) 22:09:43

独学徒さん

情報、有り難うございます。
わたしはこの件について、何も知りません。
『慧妙』記事について、もう少しご投稿願えませんか。
彫刻のカラー写真の資料は手に入るものなのでしょうか。
該当記事、お手数でなければ、PDF、もしくはGIFでご送付願えませんでしょうか。

saikakudoppo@rio.odn.ne.jp

1815独学徒:2006/07/21(金) 22:44:47

犀角独歩さん、

>彫刻のカラー写真の資料は手に入るものなのでしょうか。

おそらく偽装入信によって御開扉を受け、隠し撮りかなにかしたのではないでしょうか。
普通は入手できないと思います。

1816傍観者:2006/07/22(土) 22:16:49
,,
 この度は、ご迷惑をお掛けしました、、。 管理人様の采配にて、不適当部分を「削除」をお願いします。
以後反省と陳謝に没頭します次第です。

1817傍観者:2006/07/28(金) 20:46:40
、、、再度、、頭を伏して、、お詫びを申し上げます、、。

1818ひきこもり:2006/07/29(土) 21:08:20
功の方が多いと思います。創価は希有の団体ですよ。

1819独学徒:2006/08/19(土) 19:19:43

24時間テレビのCMでゴルバチョフ氏が映っていました。
今年のテーマは「絆」ですが、ゴルバチョフ氏は創価大学、特に創立者の池田大作氏とはそれなりの仲で「絆」もあろうかと思います。
もしかしたら創価学会の「功」の部分を何か宣伝してくれるかも知れませんね。

1820パンナコッタ:2006/11/09(木) 21:41:05
秋谷会長が退任で、原田副理事長が後任のようですね。
 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061110k0000m040078000c.html

1821独学徒:2006/11/09(木) 23:05:32

>1820
理事長も正木氏に交代ですか。
新任の会長・理事長は、それぞれ第1次・第2次宗創紛争で、青年部の重鎮として活躍した人たちですね。
さて、どうなることでしょう。

1822犀角独歩:2006/11/10(金) 08:52:55

パンナコッタさん、ご紹介の記事を読んで「おや?」と思ったのです。原田氏は「53年に入会」となっていたんですが、全国学生部長を、わたしが学生部時代に務めていたと記憶しています。わたしの入学は49年。4年より学生部籍は、ずっと長いには長かったのですが、どうも、勘定が合いません。この新聞の記事は間違っているんじゃないでしょうか。

1823臨時:2006/11/10(金) 12:58:39
原田氏は1953年入会(12歳)という事でしょう。

1824パンナコッタ:2006/11/10(金) 13:52:38
臨時さんの言うとおり、1953年の入会との事ですね。
 http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/soka-info/information/official.html

1825犀角独歩:2006/11/10(金) 20:41:47

なるほど。臨時さん、パンナコッタさん、有り難うございます。

1826みかん:2006/11/11(土) 15:43:25
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061111i106.htm?from=rss
>宗教法人「冨士大石寺顕正会(たいせきじけんしょうかい)」

とありますが、登記上の名称は「宗教法人顕正会」ではなかったでしょうか。

1827パンナコッタ:2006/11/11(土) 16:23:17
元参議の柏原ヤスさんが、お亡くなりになったようですね。何はともあれご冥福をお祈りします。
 http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20061110000472


みかんさん引用の記事は、”顕正会の実体を検証する”に移動した方がよいと思いますが

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A8%E5%A3%AB%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E5%AF%BA%E9%A1%95%E6%AD%A3%E4%BC%9A
宗教法人法に基づく届け出名で、いいようですね。

1828藤川一郎:2006/11/13(月) 11:44:09
>>1826

>>宗教法人「冨士大石寺顕正会(たいせきじけんしょうかい)」とありますが、登記上の名称は「宗教法人顕正会」ではなかったでしょうか。

その通りです。浅井氏曰く
「法律上の名、宗教法人顕正会」
「仏法上の名・冨士大石寺顕正会」
だそうです(笑)。

1829みかん:2006/11/16(木) 11:51:29
まちがえて、顕正会の記事を、ここのトピックに書き込んでしまいました。失礼しました。

さて、今朝の聖教新聞には、どこにも、教育基本法を特別委員会で、自民・公明の与党だけで強行採決したことについての記事が掲載されていません。教育基本法の教の字も、衆議院の衆の字も載っていません。

今朝の公明新聞は未確認です。

また会長交代が発表された10日以降の聖教新聞をチェックしましたが、秋谷栄之助氏についての記事は、10日の2面に、秋谷氏が最高指導会議議長に就任したことが小さく掲載されているだけで、会長退任についても、秋谷氏が前会長であったことも、一切記載がありません。

1830名無しさん:2006/11/17(金) 18:57:24
聖教新聞は本当に、情報制限をしていますよね。
宗門との裁判では8割が敗訴なのに、たまたま勝った裁判を
創価新報で、大げさに取り上げたり・・・。
学会員はこの事、知っているのかな?(汗)

1831再挑戦者:2006/11/17(金) 22:34:56
 横から失礼します、、。
 心理学的にも、ダマサレて居る現実を是認したくないようですか、ネ、(「あなたも、こうしてダマサレる」R,レヴイーン、忠平訳、草思社)
 「、、勝ちたい、、勝ちたい、、は負ける、、もと、、」、、のようです、、。 某S会関連、、は「、、アセリとイラ立ち、」が散見されます、。
 先般も某外務省高官さえもが「、、S会は金 正日 体制とソックリダ、!!」、、とオフレコ報道が暴露済です、、。 陰では「正確に観察の方方が存在、、」、のようです、、。 (大拍手、、!!)

1834再挑戦者:2006/11/18(土) 20:38:14
 、、しつこいですが、もう一言です。
 新会長のH某いわく「、、靖国参拝意は慎重、を希望、」、、とか。 なるほど、「、政教一致の選挙活動も慎重に、、?」、とご期待したいですネ、。 言い過ぎて済みませんでした、、。

1836管理者:2006/11/18(土) 21:45:47

再挑戦者さん

1831-1833のレスは、余り意味のない反復投稿であり、当掲示板のルールに抵触します。
1831のみ残して、削除します。

1837パンナコッタ:2006/11/24(金) 19:51:44
公明党目黒区議団6人全員が、辞職したようですね。
 http://news.tbs.co.jp/index-j.htm

『調査費疑惑、公明党目黒区議団が辞職
 東京・目黒区議会議員の政務調査費無駄使い疑惑で、公明党は区議団全員の次回選挙での公認取り消しを決定、
これを受けて区議団6人は全員、ただちに議員辞職することを決めました。
 目黒区議には1人年間204万円、公明党区議団6人でおよそ1200万円の政務調査費を請求していました。
しかし、この中に領収書の書き換えなど不審な内容があることを「イブニングファイブ」が報道。放送後、
公明党本部だけで100件以上の苦情が寄せられました。
 公明党東京都本部では、監査請求を受けるなどした772万円について、全額返還するよう区議団に指示していました。
 公務党本部では全員の議員辞職について、「政務調査費が区民の税金であることを鑑み、不適切に支出していた事実は
区民の信頼を著しく裏切り、かつ党の信頼を傷つける行為」であるとして、さらに厳重な処分を決めたもので、
「区民のみなさまに心からおわびします」としています。 (24日18:38)』
   (リンクが切れて更新されることがあります)

1838再挑戦者:2006/11/25(土) 19:22:43
 横から失礼します。
 、、この件は醜聞のようにも聞こえまするが、小生には深い、疑問と懸念が???かと、思います。
  都の公明党区・目黒議員方らは、事前に関係先に相談したでしょう、?  昨今、地方自治体の談合やウラ金汚職に庶民はウンザリしていますで!!   当該者らは隠し通せ無い、と判断したのでしょう、。 隠せ通せる、と判断したならば、
この逆の行動でしたでしょう、。 やはり陰の世論と世俗の応援が有れば、、状況が激変する一側面を暴露した事件でしたでしょうか、、。

1839パンナコッタ:2006/11/26(日) 13:54:41
かなり充実した合宿だったようですね。自分も行きたかったな。

地方では、又公明議員のお粗末な行動が記事になりましたね。
 http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20061126/mng_____sya_____007.shtml

『「会議抜け出し」で統一選出馬せず  愛知・半田と常滑の公明3市議
 愛知県半田、常滑両市の市議らが7月に札幌市で開かれた全国都市問題会議中に、
日程にないラベンダー見物などをした問題で、会議を抜け出した両市の市議のうち、
公明党会派の3人が、市民や支援者の信用を失ったとして、来春の統一選に出馬しないことが分かった。
 全国都市問題会議で、半田市議は保守系最大会派・市民クラブの9人と公明の3人が
富良野のラベンダーなどを見物。常滑市議は保守系最大会派・新和会の5人がゴルフ観戦をしたほか、
公明の1人が半田市議らとともにラベンダー見物などをした。
 会議を抜け出した両市の公明市議4人のうち、今期限りで引退が決まっていた1人を除く3議員が
党県本部に出馬辞退を申し入れ、了承されたという。3市議は4−3期目で、1人は議長、もう1人は副議長経験者。
 半田市議会公明党の南雲忠光代表は「自らを律しようと、辞退を党に申し入れた」と説明。別の議員は
「責任を感じており、(不祥事の発覚後)すぐに辞める考えだった」とした。公明支持者の1人は
「誠実に議員活動をやってほしかった。もし来春出馬しても、推せなかっただろう」と話す。
 一方、保守系議員計14人は、いずれも統一選に立候補する見通し。
「次の4年間でさらに頑張り、汚名返上をしたい」と意欲をみせる議員がいる一方、
「議会の要職を辞任したことで責任は果たした」「辞めようと思ったが、支持者が(不出馬を)許してくれない」
との理由で出馬の意向を示す議員もいる。
 今回の問題をめぐっては、両市議とも参加費用に充てた政務調査費を返還。半田市議会は、
政務調査費制度そのものの廃止案を可決し、来年度から政調費が支給されなくなった。』
  (リンクが切れて更新されることがあります)

1840再挑戦者:2006/11/28(火) 20:54:27
 失礼します。
 いろいろと有りましょうが、ドーモ、現場サイドと高級参謀クラスのかた方との「現状の認識のギャップ、、?」、、が存在のようでしょうか。(末寺と本山の例?)
 例せば、当時の日蓮時代にも当てはまる、かと、、。 本人がバンバン進めた信・行・学の勢いに対して現場サイドの各老僧方は、イミジク感じ、結果的に「、、ワシは天台の弟子なり(沙門)、」と言わしめたのは、、一体、、??? 、、でしょうか、、?
 日蓮様にも多少の「論理の飛躍のような形が、、??」、と懸念しますが、、。 たとえば「久遠、、自、、報、、如来、、」などは、、人類有歴史の200万年以前の「DNA」までさかのぼる事柄でしょうか、?  「地・水・風・火・空、、」とは、?? 究極は「DNA」、でしょうか、? 疑問点ばかり、、です、、ゴメン下さいませ。

1841パンナコッタ:2006/12/17(日) 15:39:44
浦安のベテラン公明市議がセクハラをしたとの、トホホな記事が出ていました。
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/31811/

『浦安市議会の議長経験もある公明党のベテラン市議(64)が、今年5月の市議会研修旅行中に
同行した40代の市の女性臨時職員にみだらな発言を繰り返したり、体を触るなどのセクハラ行為を
していたことが16日、分かった。産経新聞の取材に対し、市議はセクハラを行った事実を認めた。
 研修旅行は群馬県高崎市内にできた「浦安市民水源の森」の視察を目的に1泊2日の日程で5月22〜23日に行われ、
市議の大半と担当する市職員が参加した。
 22日は水源の森に隣接した高崎市の保養施設に宿泊した。市議は夕食時に酒を自費で注文して飲み、
ガイドとして視察に同行した同市臨時職員の女性に飲酒を強要したうえ、交際を迫る内容のみだらな発言を繰り返した。
その後の2次会でも女性を平手で殴り、ダンスを強要して体を触るなどしたという。その際、市議には「おれは議長までやった。
言うことを聞け」などと自らの立場を利用する言動もあったという。
 研修旅行後、女性が上司に相談してセクハラが問題化した。その後、弁護士を介した示談交渉が元議長と女性の間で行われ、
6月半ばに和解が成立したという。
 市議はセクハラ行為を認めたが「交渉で『(セクハラは)なかった』ことにすることになった。
相手の女性の立場を考えて公表は差し控えた」と話している。
 市側は「当事者同士が合意している以上、言う立場にない」としている』
   (更新して、リンクが切れることがあります)

1842再挑戦者:2007/01/10(水) 19:10:06
 、、失礼します、。
 先般の沖縄県知事選挙応援で党の重鎮、、浜四津女史が訴えられた、、。
 容疑は「出まかせのガセネタ・ちょうちん発話、」、のようです、。
 イケダ・シエンシエイこそ我が命、、と、洗脳された方ならではの言々のようです、、。
 創価・公明こそ、、思い込みの大きい方方のご発言は、深い・意味・そうせざるを得ない立場など、、が懸念されます。
 カルト、洗脳の恐ろしさを示唆しています、。 国会で数百回もの公開質問を実施しながら、「全くゼロ」と断定した方の責任は、?
 どうなるのでしょうか、? ( 週刊新潮、最新刊、日刊ゲンダイ、最新号、) 
konnnaeekaden

1843天蓋真鏡:2007/01/14(日) 10:15:27
悪を叩いてるだけで悪を止められないのは謗法に為らないか。 愚痴レベルで悪を叩き謗法に堕し、煽って囃すストレス再生産は退転と言わないか。

1844パンナコッタ:2007/02/16(金) 22:54:54
広島の公明市議団が、政務調査費で自動車を購入していたとのこと。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070216-00000142-jij-pol

『広島市議会の公明党市議団が、2005年度交付分の政務調査費を自動車購入費などに充てていたことが分かり、
市監査委員は16日、使途不明分を含め違法支出と認定した358万円を返還させるよう、秋葉忠利市長に勧告した。
また、他の2会派でも違法支出が判明した。
事務所がないのに政調費の事務所費を支出していたとして、住民監査請求が出されていた』
  (更新されてリンクが切れることがあります)

1845パンナコッタ:2007/02/22(木) 23:30:38
>>1844 の続報が出ていました。
 http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000000702170001

「広島市議の政務調査費をめぐる問題で、公明党広島市議団が不正支出を市監査委員から指摘されたことを受け、
同党幹部が17日、記者会見を開いた。自動車購入費など約358万円を政務調査費の事務所費(05年度)から
支払っていたことについて、あらためて謝罪した。全額を近く市に返還するという。一方で、不正の背景を
「制度の使途基準が明確でなかった」とし、かかわった市議の処分はしないことを明らかにした。(宮崎勇作)
 同党県本部代表の斉藤鉄夫衆院議員、中国方面副議長の桝屋敬悟衆院議員と、05年度の会計責任者で同党市議団の
平木典道幹事長の3人が出席。冒頭で謝罪した。
 今回の監査で明らかになった3会派総額約386万円の不正支出のうち、約358万円を公明党が占めた。自動車をはじめ、
スーツや靴など私的な商品の代金まで事務所費から支払ったことがわかっている。
 不正の背景について幹部らは、「我々の認識も甘かったが、使途基準そのものがあいまいだ」と制度の問題を指摘した。
また金額の大小はあるものの、所属議員8人全員が不正にかかわっていた可能性が高いことを明らかにした。
「全員が深く反省している」として、公認の取り消しや辞職を求めるなどの処分はしない方針という。
 取材陣からは「なぜ公明党だけ突出しているのか」「公金意識が欠けているのではないか」などと質問が相次いだ。
 政務調査費に関する領収書は会派で5年間の保管が義務づけられている。同党は今後、05年度以前の支出についても
独自に調査を進める方針。また共産党などが、開会中の2月定例会の最終日(21日)に各会派の収支報告書にすべての領収書を
添付する条例改正案を議員提案する予定で、公明党も加わるという。
 住民監査請求をした市民団体「政務調査費を透明にさせる会」の秦明美代表は
「これだけの不正支出があって処分もないなど、市民の常識からかけ離れている。独自調査をするなら外部の専門家を入れて徹底的にすべきだ」と
話している」
    (更新されてリンクが切れることがあります)

1846小作:2007/02/23(金) 06:44:04
区議なら斬ったってたいした影響はない。
市議ではそうはいかない。

1847独学徒:2007/03/05(月) 23:12:22

本日の聖教新聞掲載の「新・人間革命」には、池田会長が『御本尊七箇相承』を引用しながら指導しているところが出ています。
創価学会は、大石寺の彫刻を未だ否定できないばかりか、『御本尊七箇相承』を日蓮⇒日興の相伝書として肯定している事が判ります。
しかし『御本尊七箇相承』の後半部分は、学会にとって都合が悪いので、あくまでも都合がいいところだけ引文するところは、なんとも学会らしいと思いました。

1848南京豆:2007/03/06(火) 04:37:26
質問です。

最近の「人間革命」を読みたいのですが、お金を払って買う気はしないし、どっか公立図書館に置いてあるとこはありませんか?
東京在住です。国会図書館は、めんどくさいなあ。
どなたか、おしえてください。m(__)m

1849パンナコッタ:2007/03/06(火) 16:03:13
>>1847
独学徒さん、小説にも引用される学会の宇宙生命観とは、なんだか
秀句十勝抄の即身成仏化道勝八に引用されている真言密教の阿字観っぽい
感じがしますね。

>>1848
八王子市立図書館。
 http://www.library.city.hachioji.tokyo.jp/hachioji03.htm

1850南京豆:2007/03/06(火) 21:20:36
パンナコッタさん。

どうも、ありがとうございました。m(__)m

今度、行ってきます。

1851パンナコッタ:2007/03/15(木) 13:37:14
また公明の市議団が政務調査費の不正使用をしたとの、記事が出ていましたね。
 http://www.asahi.com/national/update/0314/TKY200703140476.html

「埼玉県越谷市議会の公明党市議団が05年度に支出した政務調査費で、白紙の領収書に架空の飲食費を
書き込んで不正に処理したケースのあることが分かった。長崎県への視察中に越谷市内で食事をしたことに
なっていた。同市議団は朝日新聞の取材に、「認識が甘かった。不適切な領収書を出して申し訳ない」と不正
行為を認めた。
 問題の領収書は、越谷市内の飲食店で「05年5月10日」に、市議団6人の昼食代として「1万8000円」を
支出した内容。同市議団は、5月9日から11日まで長崎県へ行政視察のため旅行中で、越谷市にはいなかった。
 同市議団の杉本千恵子代表によると、2泊3日の視察旅行中の飲料費や地元駅までの電車代などの雑費を
1日1人1000円として計算。6人で3日間に計1万8000円かかったことにして、杉本代表が越谷市内の飲食店の
白紙の領収書に自ら金額と日付を記入したという。
 この店で最も高いメニューは、みそチャーシューめんと塩チャーシューめんの850円。店長は「6人で1万8000円を
飲食するのはまず無理。『公明党市議団』あてに領収書を出した覚えもない」と話した。
 越谷市内の住民7人が今月6日、政務調査費について、市監査委員に住民監査を請求した際、この領収書の
日付の矛盾を指摘していた。同市議団は、7日付で1万8000円を市に全額返納した。
 当初、杉本代表は「他の領収書が紛れてしまったと思う」と説明していたが、朝日新聞の取材に、領収書を
不正に作ったことを認めた」
   (更新されて、リンクが切れることがあります)

1852マハー:2007/04/19(木) 20:14:46
こんにちは、突然の投稿を失礼致します。
小生はハンドルネームをマハーと申しまして、「反苑の会」というグループに参加している者でございます。
今回、やや畑違いとお感じになりやも知れませんが、貴辺掲示板に参加させていただき、賢学の皆様のご意見を賜りたいと思っております。よろしくお付き合い下さいませ。
「反苑の会」のメンバーがなぜ「創価学会の功罪を考えるスレッド」にと疑問に思われるやも知れませんが一口には説明が難しいので投稿を進めながらにしたいと思います。すみませんが御了承下さい。
小生のテーマは、簡単に言いますと「創価学会の路線は日本の伝統仏教を破壊するか?またその功罪は?」という事であります。
創価学会の宗門離別後の路線として、順修戒名の廃止、学会葬(友人葬)、墓石改革、塔婆不要論などの方向に進んでいることが挙げられると思いますが…
そこで、御書「十王讃歎鈔」 「仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」 「閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経」の3点についての平成3年以前の、学会教学部と大石寺側のそれぞれの見解を御存知でしたら御教え下さい。

1853パンナコッタ:2007/04/19(木) 22:39:32
マハーさん、初めまして。 とりあえず学会側の参考文。
 http://www.houonsha.co.jp/jiyu/11/383.html

また、学会版御書全集の巻頭凡例に、
「現代教養に裨益なき十王讃歎抄・八大地獄抄等、純天台なる三八教・秀句十勝抄等の如き縦い
御真書でも聖祖の御抄録分と見做して且らく文を除いた」
 とあり、掲載されていないので一般の学会信者は十王讃歎抄の存在自体知らないですし
教学部の方でも、あまり触れていなかったように思えます。

1854マハー:2007/04/20(金) 18:45:21
パンナコッタさん
ありがとう御座います。
御紹介の参考文から考えるに、十王讃歎抄に関して学会では宗門離別前には「偽書とは疑いながらも明確に斥ける」ことはしなかったが、離別して後は「偽書と断定し用いない」と読みました。また、十王讃歎抄は偽書ではあるが、「日蓮に十王信仰があった」こと自体は否定してないので、今後の学会の路線としても「十王信仰」を許容して行くとの方向と見ましたが、どう御考えになりますか?
日寛も妙法漫荼羅供養抄の中で十王讃歎抄を引用していますし、遺文の各所に八大地獄などの「世界観」を有していると言わざるを得ないことから、小生は「学会は十王信仰を捨てきれない」のではないかと思うわけです。
小生が何故こんなことを言うかというと、学会は友人葬を一応は定着させることに成功したにも関らず、何故七日や年忌法要を続けるのかが非常に疑問であったものですから…

1855パンナコッタ:2007/04/20(金) 22:54:46
>「十王信仰」を許容して行くとの方向
と言うより、"その要所要所を切り取り、自然に信仰体系に組み入れる"ような
ニュアンスだと思います。
通常、地獄観などは信徒を律するのに有効な要素の一つになり得ますが、
ある意味、進化させた形で会員を教団に縛り付ける要因の一つになっていますね。
(カルト的と揶揄される部分ですね)これがマハーさんがおっしゃる
"十王信仰"の意味合いの部分であるなら、これを活用して教団を巨大化させた訳ですから
これからの組織維持にも、無くなる事はないでしょうね。

年忌法要などを続けるのは、日蓮正宗の信仰形態から完全に脱していない、脱せない
ひとつの証でもありますね。
"意味合いは本当のところ判らないが、なぜやらない"と、古くからの信徒の声を
無視できないと言ったところも、あるでしょう。

1856マハー:2007/04/25(水) 00:28:23
パンナコッタさん
ありがとうございます。大変参考になりました。
>"その要所要所を切り取り、自然に信仰体系に組み入れる"ようなニュアンス

私は寧ろ伝統仏教側の方が「地獄観」などを内在してしまっており、
新宗教である創価学会がそれに対抗出来る勢力に成り得るのか?との構図で捉えております。

1857マハー:2007/04/25(水) 00:51:00
犀角独歩様 
飛び入り失礼致します。

>日蓮の墓を捨て去ったのではないでしょうか。

そもそも日蓮の時代に墓石はそれほど重要なものではなかったのではないでしょうか?
輪番制は墓を守るのではなくて寺にその重点が置かれていたとは考えられませんか?
私は鎌倉時代の日蓮門下に「依り代信仰」の端があったとは思えません。
もし墓石のようなものがあったとしても非常に小さい五輪塔だったのではないでしょうか。

1858犀角独歩:2007/04/25(水) 07:28:33

マハーさん、はじめまして。
こちらでは、「さん」付けが決まりです。
お気軽にお声掛けください。

> 墓石はそれほど重要なものではなかった

どうでしょう。五輪塔のようなものが既にあったのでしょうか。

なお、わたしが「墓」と記したのは、‘日蓮の遺骨のある場所’ほどの意味です。
ですから、わたしが捨て去ったと記したのは、日蓮の遺骨と、その埋葬場所です。

わたしは冨士門の伝説は、実に矛盾していると考えます。
というのは、当初、日興が他の本弟子5人を批判するのは、墓番を守らず、日蓮の墓(遺骨と保管場所)を蔑ろにしたというのです。ところが、そう批判した当の本人、日興が、その墓を捨ててしまった。つまり、日興はかつての自分の言で自らを批判される矛盾を犯していないのかというのが、わたしが記したことです。

1859犀角独歩:2007/04/25(水) 19:30:34

マハーさん

「反苑の会」で検索したら、自分のページが出てきてビックリしました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50461834.html

先のご質問に係りますが、石山の真偽疑に対する考えは以下のようです。
石山全集の文章です。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/sekizan_gosho_singi_kenkai.pdf
(ジャンプしないときは、アドレスバーにコピペしてください)

> 「創価学会の路線は日本の伝統仏教を破壊するか?またその功罪は?」

三色旗をピラピラ振り回した段階で、もはや、伝統教団からかけ離れた印象があります。もっとも3分類好きは創価学園が創られた段階で既にあり、たしか英知・栄光・情熱といったと記憶しています。

ただ、伝統仏教を破壊と言うときの主語、何をもって‘伝統仏教’と呼ぶのかという定義がまず必要だと思います。

わたしは、父の葬儀を創価学会を通じて行ったのですが、寺院から坊さんを連れてきてくれ、ご丁寧に院号戒名まで、学会幹部が取ってくれました。それがいまさらになって、僧侶不要、戒名不要が仏教の本義だと言い出すのであれば、破壊されたのは、伝統仏教ではなく、創価学会そのものの歴史でしょう。「創価学会は過去に間違ったことをやっていました」ということになるからです。

繰り返せば、創価学会が破壊しているのは自分たちの過去である以上の意味をもたず、伝統教団側、当初より創価学会の在り方を「創価学会自体の破壊」ととらえているのではないでしょうか。

1860犀角独歩:2007/04/25(水) 19:38:34

上記投稿、ちょっと、補完すれば、創価学会…石山に言わせれば破門、学会に言わせれば独立…後の路線は、マハーさんが仰るような伝統教団に対する影響など、ほとんど、与えていないのが現実だろうと考えます。
「すごい影響があった」と思う学会員がいれば、「伝統教団は創価学会なんか、ぜんぜん相手にしていない」という現実が見えていないからでしょう。

1861マハー:2007/04/25(水) 23:05:01
独歩さん
ご返事感謝致しします。
>> 墓石はそれほど重要なものではなかった
>どうでしょう。五輪塔のようなものが既にあったのでしょうか。

ええ私も墓石はなかったのではないかと思います。若し考えられるとすれば小さな木造か石かの五輪塔だろうと思います。これは、頼朝の墓が五輪塔であった(伝説的)とすれば日蓮も知っていただろうと考えたからです。

>日興はかつての自分の言で自らを批判される矛盾

独歩さんの仰る理論展開はすっきりしてますね。矛盾だと思います。
しかし例えばですが「日蓮の遺骨のある場所には日蓮の魂(霊)が眠っている」
このような思想が日興にあったのだろうか?と…
私はこの部分を知りたいのです。
鎌倉時代の日興にこのような思想がなかったのであれば、矛盾ではありますが墓の場所に拘る必要はないと試想してみました。また五老僧が墓番を守らない理由も納得が行きます。
そもそも「墓を参る」思想などなかったのですから。当然ですが順修戒名もこの時代ありえません。しかし入道を認めているのであれば「死後の安泰」に対してのなんらかの世界観を有していた筈です。八大地獄抄は確かに偽書かも知れません。酷い内容と思います。しかし日蓮は実は似たような「地獄世界」を持っていたのではないでしょうか?(本当はこの私の主張を否定して欲しかったりするのですが)

1862マハー:2007/04/25(水) 23:46:24
>ただ、伝統仏教を破壊と言うときの主語、何をもって‘伝統仏教’と呼ぶのかという定義が
>まず必要だと思います。

固有名を出して喃ですが、一応ここでは全日本仏教会と定義したいと思います。

>当初より創価学会の在り方を「創価学会自体の破壊」ととらえているのではないでしょうか。

直接的に関っている人からみれば教団の在り方を問題にするのは当然なのでしょうが、我々日本人がニーズとする仏教形式は何だろうか?という事を問題にしたいのです。
御時世や大衆に合わせてコロコロ変わるのは学会に限ったことではありませんし。

>仰るような伝統教団に対する影響など、ほとんど、与えていないのが現実だろうと考えます。
伝統教団に対する影響はほとんどないでしょう。その存続の意味では、私もそのように思います。しかし大衆側への思想潮流という意味では影響がないとも言えないだろうとも思っています。僧侶のいない葬式というのはインパクトあります。
何よりも学会は「先祖の霊」を否定するのか?というような事です。もしこのような路線に学会が進むのであれば、「先祖霊」を否定する仏教団体をいままで私は知りません。

1863しゅんかん:2007/04/27(金) 01:40:50
マハーさん、初めまして。
しゅんかんと申します、私は教学面はさっぱりですが、お付き合い下さいませ。

>何よりも学会は「先祖の霊」を否定するのか?というような事です。もしこのような路線に
学会が進むのであれば、「先祖霊」を否定する仏教団体をいままで私は知りません。

〇私は学会二世でして、活動は行った事がございません。
学会の会合と云うものに参加したのは、もうかれこれ30年以上前を最後とします。
つまり宗門より破門される前で近年の事は把握していません。
小学生の頃は、やはり親の言いなりですから会合にもそれなりに参加しました、
叉、両親はそこそこの地位に席を置いていたようですし(毎夜家に居たと云う記憶がございません)
家でも会合をよくしていました。
その頃からの私の記憶ですが「先祖の霊」と云う言を聞き入った記憶はございません。
正確に申しますと「霊」と云う言を余り発しない様に思いますが。

学会でも地域差は在るのかもしれませ、一例ですが以前のレスで独歩さんがお寺に参られる
手順として、蓮祖と興尊の墓に先ず手を合わせると記されてましたが、私がおります大阪の寺院では
まあそれらの所有を見掛けたのは一箇所(堺、本傳寺)のみです。
こちらの掲示板を拝見させて頂いて、東日本と西日本では少し温度差があるなあと感じております。

以前こちらでも投稿したと思いますが、私の実家では私のみが信仰をしていないのですが
在る事情で実家が無人となり、両親(父は故人)の仏壇と曼荼羅が置いたままに成っていたのです。
其処には父の遺影も置いたままでした、正宗、学会は過去帳のみです(位牌は置かない)
過去帳も仏壇内に在りました。私の家族は人並み外れた理不尽な理由ではありません。
随分たって姉に聞いた処「どうして置いたままだったんだ」すると「余り意識に無かった」
でした。
「私達は毎朝晩先祖供養をしている、だから過去帳だとか親のご本尊・仏壇の事は全く
頭を過ぎらなかった」との事でした。

1864しゅんかん:2007/04/27(金) 01:57:25
1863続き

この言葉は予想出来ました、彼らともう46年付き合って来ています。
私の細君が彼らの行為を疑問に思い、私に尋ねたのですが私はこの言を以って細君に説明していました。
(幼い頃からそれから親に植え付けられているのでしょうね)
それから後、姉より聞いた言です「私達は毎朝晩先祖供養をしている」と
ある種、彼らの免罪符の様なものとも云えるのではと愚考しております。
学会の信仰感と云う物の少しでも説明に成りましたでしょうか。
※当然全ての学会の方を指している物ではございません。

1865しゅんかん:2007/04/27(金) 02:07:28
訂正
誤=(幼い頃からそれから親に植え付けられているのでしょうね)
正=(幼い頃から親にこの言を植え付けられているのでしょうね)

補記、姉兄達は全て自身のご本尊を所持しているので、私が父の遺影、ご本尊その他を
引き取ったのでした。

1866犀角独歩:2007/04/27(金) 20:17:23

マハーさん

> 「日蓮の遺骨のある場所には日蓮の魂(霊)が眠っている」
このような思想が日興にあったのだろうか?と…

どうでしょうか。ただ、この論の立て方は舎利を大切にすることと一概につながらないのではないでしょうか。自分の師匠の舎利であれば、そこに魂とか霊が眠っているとみなくても大切にするのではないでしょうか。
たとえば、現代人が無宗教で肉親の遺骨に霊をみなくてもゴミと一緒に捨てたり、放りだしたりはしませんでしょう。
ですから、

> 日興にこのような思想がなかった…墓の場所に拘る必要はない

という想定は意味をなさないのではないでしょうか。
また、日興は当初、そのような人ではなかったと思えます、何となれば、墓番のために身延に登山したのですから。

> 五老僧が墓番を守らない理由も納得が行きます。

これまた、遺骨に霊魂が眠っていないと五老が見たかとは別の話ではないでしょうか。
第一、日向は最期まで貫徹したかどうかは判然としませんが、日興が出て行ったあと、遺骨を守っていたのではないですか。

> 「墓を参る」思想などなかった

これは違いませんか。なぜならば宗祖御遷化記録に墓番を定めています。つまり、墓を参る考えが日蓮以来弟子に継承されたことを物語っているからです。

> 順修戒名もこの時代ありえません

ええ、戒名は中世に曹洞宗系列で発生したものでしょう。
ただし、法号はありましたし、死後の安泰という点では、漫荼羅にその託した部分もあったでしょう。また、日蓮が晩年に「霊山浄土」に死後に託したこともこの関連から窺われます。ただ、それが墓につながるかどうかといえば、それはもちろん、イコールではなかったでしょう。しかし、自分の遺骨の安置場所と護持の仏(釈迦立像)・経(注法華経)を一カ所にまとめて保管することを遺言したことは、自身の遺骨を含めた遺品をもって弟子の信仰と修行の資とすることは意図したことを意味しますから、けっして、遺骨を軽視したということではなかったでしょう。また、しばしば消息文に見られる親の遺骨を頸に懸け、日蓮の許に訪れた話は、当時の遺骨に対する思いを物語るものであると思えます。

> 日蓮は実は似たような「地獄世界」を持っていた

それは当然持っていたでしょう。如何となれば、日蓮は「念仏無間」というのであって、この無間とは無間地獄の略であることはもはや疑いの余地はありません。まして『法華経』には「其人命終 入阿鼻獄」等の明文があるわけです。

>> 何をもって‘伝統仏教’と呼ぶのか
> 一応ここでは全日本仏教会と定義したいと思います。

そうですか。しかし、これでは難しいでしょう。

1867犀角独歩:2007/04/27(金) 20:17:50

―1866からつづく―

> 我々日本人がニーズとする仏教形式は何だろうか?という事を問題にしたい

けっこうな問いだと思います。この立案には何ら反対ではありませんが、わたしが記したことは、先のマハーさんの「学会が破壊したもの」という筋です。ですから、これとは別件の記述です。

> 大衆側への思想潮流という意味では影響がないとも言えないだろう

どうでしょうか。創価学会の実際勢力は300万人以内といわれています。
1億人を超える日本の人口からすれば、影響力を持つ人数ではないと思えますね。結局、その影響は学会員と、それに拘る反対勢力に限られるでしょう。
わたし自身、この会を離れて生活をしていて、殊仏教ということに限っていえば、何ら伝統教団の僧俗に与えている影響を感じませんし、そんな器具の声を聞いたこともありません。ストレートな言い方をすれば、創価学会のやり方など、「変なことをやっている」という程度で、相手にしている僧俗はいないのではないでしょうか。

> 僧侶のいない葬式というのはインパクトあります。

キリスト教や、神道であれば、当然のことになりますね。
そのなかで、さらに聖職者によらない葬儀も出てきたということですね。
しかし、僧侶は、本来、葬儀に関わらなかったのであって、一般民衆の葬儀に僧侶が関わるようになったのは行脚する念仏聖からではないでしょうか。鎌倉時代にも遡れない、つい数百年の動向です。それが檀家制度によって定着し、廃仏毀釈を経、また、仏教僧侶と一般民衆の間における葬儀形式で昔に戻る様相が少し見られるというところではないでしょうか。

> 学会は「先祖の霊」を否定するのか?というような事です。もしこのような路線に学会が進むのであれば、「先祖霊」を否定する仏教団体をいままで私は知りません。

これは、日本の「伝統教団」の話ですか。
仏教の発祥地、インドに行って「先祖霊」などといったら、びっくりされるでしょう。輪廻転生を取り入れた仏教教団において、先祖の霊は依然として残ると考えるとすれば、それこそ、矛盾します。
仏教のグローバルスタンダードとはいいませんが、先祖霊と輪廻転生というまったく矛盾する考えが同居するほうが、実は不思議です。

別段、学会を弁明する気はありませんが、「生命」という外来思想で、日蓮と仏教をアレンジしたここにおけるアイディアは、この矛盾が底意にあるために、先祖供養に消極的な側面を有しているのではないのかと思える節があります。

よくわかりませんが、マハーさんは、学会の先祖霊軽視に危惧を抱いているということですか。では、なぜ、日興が墓を捨て去ったことには肯定的なのでしょうか。

日蓮の墓(遺骨)も守り、先祖霊崇拝も守るということでなければ、論理は一貫しないと思えますが、どうも、この点をお考えがよく理解できません。補完いただけませんでしょうか。

1868マハー:2007/04/28(土) 18:45:55
しゅんかんさん
長文の御返事ありがとうございます。大変参考になりました。

>その頃からの私の記憶ですが「先祖の霊」と云う言を聞き入った記憶はございません。
>正確に申しますと「霊」と云う言を余り発しない様に思いますが。

どうもそのようですね。私もそう思います。

>彼らの免罪符の様なものとも

確かに日本人にとって「先祖霊」はある意味重要な問題だと思います。
宗教は生きている人の為と声高々に提唱しても現実には簡単に捨て去られるものではないと思います。

1869マハー:2007/04/28(土) 19:00:32
独歩さん
お手を煩わせて申し訳ありません。感謝致します。
「墓所をおろそかにした五人に対して、遺言も教えも厳格に守り通した方は日興上人だけ」
と言う通りすがりさんのレスに対しての独歩さんの
>日興は、日蓮の墓を捨て去った
と言う御返答は、全くその通りであり、何ら反対の意図はございません。

>よくわかりませんが、マハーさんは、学会の先祖霊軽視に危惧を抱いているということで
>すか。では、なぜ、日興が墓を捨て去ったことには肯定的なのでしょうか。

尤もな疑問だと思います。先に少し説明をさせていただき後に意見を述べたいと思います。
創価学会問題に限ることではありませんが、教団とその反対勢力の関りというものは複雑怪奇なものです。(私は犀角独歩さんと言う個人が多大な影響を日蓮系の宗教団体に与えたと思っております。)
シンニョ苑という団体は学会に対して相当に敵対視しております。対して実は当の学会は全く気に留めてないと言う印象です。まさに「なんの影響も与えていない」というところでしょう。
学会員さんでも地域差はありますが苑に対して殆ど知る人がいないのが現状だと思います。学会バッシングを利用する団体は「自分達が学会から攻撃されている」という手法を用います。確かに学会にも批判されるだけの問題もあるとは思います。

それともうひとつ私にとっては、学会側の大石寺へのやりすぎるともとれるバッシングは日蓮正宗の内部抗争のみに限定して捉えていいのだろうかとの疑問もあります。 大石寺は歴史ある伝統仏教側として捉えるのが一般的であると思われるからです。シンニョ苑は自称伝統仏教です。この辺も昔の学会によく似ています。ですが、いくら学会に「学会は日蓮正宗ではない」と言っても聞き入れなかったのと同じです。
私はこの掲示板においてシンニョ苑批判を展開することは望みませんので、すみませんがこれ以上詳しく論じる事は控えたいと思いますが、そのような理由から、「先祖の霊の悪因縁」「霊界」「霊言」という思想の呪縛を解く為に、私的信条としましては仏教からの「先祖霊」の徹底的な否定が必要と考えております。(因みに私は無宗教です。)

1870マハー:2007/04/28(土) 19:06:28

>自分の師匠の舎利であれば、そこに魂とか霊が眠っているとみなくても大切にするのでは
>ないでしょうか。

仰る意味は解りますが、シックリしません。
肉舎利を大事にすることは確かに仏教的と思います。しかし日興が「釈迦=日蓮」と見なしているとなれば別ですが、日蓮は法舎利として「経典」を寺院に安置信仰するチャイティァ的な印象でおりました。若しくは、ストーパ信仰的だったとしても重点はやはり遺骨よりもその堂であるべきだと思うのです。

>日興は当初、そのような人ではなかったと思えます。

そうでしたか。私は日興の書をしっかり勉強したのではないので日興がどのような人であったかは想像できませんでしたが「弟子としての誇りと気概ある」人との印象です。
御教授ありがとうございます。

1871マハー:2007/04/28(土) 19:11:22
>墓を参る考えが日蓮以来弟子に継承されたこと

墓石がなかったとすれば、遺骨は御堂安置であった可能性はどうでしょう。
「墓番」と「墓参り」はイコールではないのではないでしょうか?

>ただし、法号はありましたし
日蓮在世に、死した後に檀那に法号を授ける例があったのでしょうか?
若しあれば御教え下さい。

>日蓮が晩年に「霊山浄土」に死後に託した

これが日蓮の「別世界」の想定なのかどうか非常に気になるところなのですが、霊山は法華経、または釈、論に見られる部分からの解釈かと思います。

>しばしば消息文に見られる親の遺骨を頸に懸け、日蓮の許に訪れた話は、当時の遺骨に対
>する思いを物語る

逆に在家に墓がなかったことを物語っているとも言えます。「道場におさめる」のでしょう。
遺体に対して「穢れを祓う」という一般的な感覚に対して仏教的な行動をとったことを褒めているのではないでしょうか?遺骨に対する思い入れとは必ずしも繋がらないと思います。

>それは当然持っていたでしょう。

やはりそう思いますか。

>まして『法華経』>には「其人命終 入阿鼻獄」等の明文があるわけです

日蓮の言う「阿鼻獄」は、往生要集の影響を受けた地獄の発想であって、ナラカをそのまま受け入れているののとは違うとも思います。

1872マハー:2007/04/28(土) 19:16:52
>全日本仏教会
「全日本仏教会は日本の伝統仏教界における唯一の連合体」と自らが宣伝しているのですから
いいでしょう。

>葬儀形式で昔に戻る様相が少し見られるというところではないでしょうか。

なるほど。そういう見方も出来ますね。
尚更、伝統仏教界は好ましく思わないでしょう。


>これは、日本の「伝統教団」の話ですか

ええ。日本に限った話です。説明不足でした。

>先祖霊と輪廻転生というまったく矛盾する考えが同居するほうが、実は不思議です。

全くその通りです。仏教はその国時々の土着的信仰と融合していくのであって、別段「先祖霊」の思惟自体が有害であるとは思っていないのですが、この「日本人の精神」を教団利用し騙す事には憤りを感じるのです。

>先祖供養に消極的な側面を有しているのではないのかと思える節があります。

これは私の感想とは全く逆の考え方でした。
「先祖が地獄で苦しんでいるから供養しなさい」という供養の捉え方から寧ろ学会は脱却していると考えていました。
しかし、日蓮自体も回向について功徳を配分する発想が見受けられますから、致し方ないのかも知れません。

1873犀角独歩:2007/04/29(日) 11:27:43

マハーさん

> 学会バッシングを利用する団体は「自分達が学会から攻撃されている」という手法を用います。確かに学会にも批判されるだけの問題もあるとは思います。

この点については、やや複雑な思いがありますが、取り敢えずスルーします。

> 学会側の大石寺へのやりすぎるともとれるバッシングは日蓮正宗の内部抗争のみに限定して捉えていいのだろうかとの疑問

この疑義から出発していることはご投稿に通じていますね。

> …この掲示板においてシンニョ苑批判を展開することは望みません

ここは富士門流信徒から仏教を観る視点ですから、仰る矜持はもっともだと思います。

> 「先祖の霊の悪因縁」「霊界」「霊言」という思想の呪縛を解く為に、私的信条としましては仏教からの「先祖霊」の徹底的な否定が必要と考えております

この視点ですか。なるほど。
仰るところは先祖の霊障というものですね。
では、日蓮に霊障の考えがあったかどうかが問題になりますね。
日蓮の真蹟遺文で調べてみると「霊」語の使用は以下のとおりとなります。(数取りに多少の出入りがあるかも知れません。学術的に転用される方があれば、数え直してください)

霊応2、祟霊1、霊山38、霊鷲山12、霊山浄土13、幽霊1、聖霊17、悪霊3、含霊3、尊霊1、霊験2、霊地2、霊2

(現宗研資料 http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/ibun_shi.htm

霊山、霊鷲山、霊山浄土は場所。その他は死者に対しての用法と言うことになります。

‘霊’語の用法は『文句』の「識陰如霊」といった引用から考えれば生者・死者の両意に跨っているようですが、主に死者に偏っているのが現実でしょう。
マハーさんが問題にする先祖霊の悪因縁」といった向きは、以上の使用語彙から類型を拾えば「悪霊」「幽霊」がこれに当たるでしょう。ただし、日蓮の用法、先祖の霊「慈父幽霊」は障りをなすような意味では使用されていません。しかし、悪霊は「一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや。結句は法然流罪をあだみて悪霊となつて、我竝びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入て、或は謀反ををこし、或は悪事をなして、皆関東にほろぼされぬ」などと記すわけですから、いまでいう霊障感を日蓮がもっていたことが窺われます。

マハーさんが仰るような「先祖霊」という視点は、もちろん、日蓮は有していたことは複数の文献から明らかです。「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当たり一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」とは、あまりにも有名な文です。

1874犀角独歩:2007/04/29(日) 11:28:23

―1873からつづく―

> 日蓮は法舎利として「経典」を寺院に安置信仰するチャイティァ的な印象…ストーパ信仰的…重点はやはり遺骨よりもその堂である

マハーさんの用法は塔=堂ということで、では身延にあった墓は五輪塔ではないからという脈絡なのでしょうか。

法華経で「仏般涅槃の後、仏舎利を以て七宝塔を起つるを見る」「仏の滅度の後 舎利を供養するあり 又仏子の 諸の塔廟を造る」「舎利を供せんが為に 塔廟を厳飾」「諸の舎利を分布して 無量の塔を起つ」「諸仏滅度し已って 舎利を供養する者万億種の塔を起て」「舎利広く流布して 天人普く供養」「人の至心に 仏舎利を求むる」「諸仏の滅後に 七宝の塔を起て 亦華香を以て 舎利を供養」という舎利(塔)崇拝、一方、「皆七宝の塔を起て極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安ずることを須いず。所以は何ん。此の中には已に如来の全身います」と経(塔)崇拝が前者を打ち消す如くですが、しかし、「全身の舎利に七宝の塔を起てて、高さ六十由旬、縦広四十由旬ならん。諸天人民悉く雑華・抹香・焼香・塗香・衣服・瓔珞・幢幡・宝蓋・妓楽・歌頌を以て、七宝の妙塔を礼拝し供養」と舎利塔崇拝の記述はその後にみられます。まして日蓮がもっとも重視した寿量品には「衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し 咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず」とあります。さらに、そのあとにも「仏舎利を以て七宝の塔を起て」「舎利を以て塔を起て 七宝をもって荘厳」「我が滅度の後、所有の舎利亦汝に付嘱」「火滅えて已後舎利を収取し、八万四千の宝瓶を作って、以て八万四千の塔を起ること三世界より高く、表刹荘厳して、諸の幡蓋を垂れ衆の宝鈴を懸けたり」「我今当に更舎利を供養すべし」「我今日月浄明徳仏の舎利を供養せん」

以上のことから、わたしは日蓮に舎利と経典、いずれを採るかという二者択一論は希薄であったと考えます。

「仏記して云く 我が滅度の後一百余年を経て、阿育大王出生し、我が舎利を弘めん」「八十御入滅して舎利を留めて正像末を利益したもう」

しかし、「仏は法華経に戒めて云く_不須復安舎利〔復舎利を安ずることを須いず〕。涅槃経に云く_諸仏所師所謂法也。是故如来供養恭敬〔諸仏の師とする所は所謂法也。是の故に如来は供養恭敬す〕等云云。法華経には我が舎利を法華経に並ぶべからず。涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説かせ給えり」とあります。ここで、富士門下では舎利を捨て、経典を採るごとく論法の展開が見られるわけです。ここでこの門下では、舎利を採るか・教えを採るかという二者択一論をもって、日蓮墓を捨てることを正当化していますが、そもそも、日蓮はその択一を述べていません。述べているのは、舎利と経を比べれば、経は仏の師であれば舎利に優れるという順位付けであり、その優劣を論じたうえで両方を採っています。つまり、全身舎利(日蓮の教え)を採れば、砕身舎利(身延宗廟=墓)を棄てて善いなどと言うのは、詭弁以外の何ものでもありません。もし、斯様な考えが日興に基づくとは考えません。

> 墓石がなかったとすれば、遺骨は御堂安置であった可能性はどうでしょう。

マハーさんは、身延や、石山で、遺骨が、どのような安置されているのかをご存じないのでしょうか。身延の真骨堂は、宝瓶に容れ、かつては参観できた形式でした。それ以前は、宗廟に埋納されていたようです。また、石山では、あの彫刻本尊を奉安する厨子傍らの宝塔に奉納されているのではないですか。
「墓」という点に拘りを示しておられますが、この点については、日興の真筆で明らかです。

1875犀角独歩:2007/04/29(日) 11:29:05

―1874からつづく―

「一御所持仏教の事 御遺言に云く。
仏は釈迦の立像、墓所の傍に立て置く可し云云。
経は(私集最要文註法華経と名く)。
同く墓所の傍に篭め置き六人香華当番の時之を見らる可し」(日蓮聖人御遷化記録)

ここにはっきりと「墓所」とあります。遺骨が埋納されたのか、真骨堂に容器に容れて堂宇に安置されていたのか、それは明瞭ではありませんが、ともかく、遺骨を置き、その傍らに仏(釈迦立像)教(注法華経)を置く様式を、日興は「墓所」と明記しています。また、その前段に

「定
墓所守る可き番帳の事(次第不同)
正月      弁阿闍梨
二月      大国阿闍梨
三月      越前公 淡路公
四月      伊予公
05145
五月      蓮華阿闍梨
六月      越後公 下野公
七月      伊賀公 筑前公
八月      和泉公 治部公
九月      白蓮阿闍梨
十月      但馬公 郷公
十一月     佐渡公
十二月     丹波公 寂日房」

マハーさんの前提は、墓というより、墓石への重視がありますが、それはマハーさんの思惟でしょう。日蓮とその門下の思惟は、重点は遺骨・仏像・注法華経にあります。真骨堂に参る門下も御堂や墓碑を崇めているのではなく、遺骨そのものを崇敬しています。

> 「墓番」と「墓参り」はイコールではないのではないでしょうか?

イコールでしょう。香華を捧げ、経を上げることがその勤めであり、その‘墓’参する場所を守る順‘番’を「墓番」というのでしょう。

>日蓮在世に、死した後に檀那に法号を授ける例があったのでしょうか?

ないと思います。法号にせよ、その後の戒名にせよ、それは受戒の段階で弟子・檀那と認められたことをもって授けられるの本来の在り方でしょう。それを死後も使うわけですから、いまの在り方は違っています。
ただし、日本では諡号という慣例があり、これが転じて死後戒名という様式に発展したのではないでしょうか。しかし、この点は日蓮とは無関係でしょう。

1876犀角独歩:2007/04/29(日) 11:29:37

―1875からつづく―

>>日蓮が晩年に「霊山浄土」に死後に託した
> 日蓮の「別世界」の想定なのかどうか非常に気になる

これは真蹟遺文は挙げれば事足りるでしょう。

「後生には霊山浄土にまいりあひまいらせん」
‘後生’とは生きていた後、すなわち死後のことです。

「死出の山三途の河を越し給はん時、煩悩の山賊・罪業の海賊を静めて、事故なく霊山浄土へ参らせ給ふべき」

日蓮は、死後、共に霊山浄土で逢うことを促しています。
ただし、日蓮の霊山観は、もちろん、実在のインドの霊鷲山を指したのでしょう。ただ、いまの時代とは違い、飛行機もない時代、実際のところ、船と馬・徒歩でインド霊山に行くことは不可能であるけれど、死後、そこに詣でよう(善所=霊山に生じる)という考えがあったのでしょう。

> 逆に在家に墓がなかったことを物語っている

これは在家・出家ということではないでしょうね。
「身分」によったのでしょう。
それが陵・塚・廟・塔、そして、遺体投棄の野であれ、古来よりの風習と大陸文化の集合、宗教で言えば神仏習合という幾重にも折り重なったシンクレティズムがやがて風習、伝統普遍化し史となり、それらが崩壊し、再歴史をするという複雑な変遷があるわけですね。

> 遺体に対して「穢れを祓う」という一般的な感覚に対して仏教的な行動をとったことを褒めているのではないでしょうか?

このような考え方は、日蓮にはないでしょう。
日蓮の観じ用法で言えば「祓」はただの一度も使われていません。
遺骨を日蓮の許にもっていったのは、追善菩提の法要を行ってもらうためでしょう。

「母…舎利を頚に懸け…深洞に尋ね入て一庵室を見る。五体を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し、歓喜身に余り身心の苦忽ち息む。我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり…仏事を為し事故無く還り給ふ」
「父の舎利を頚に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ、今年は又七月一日に身延山に登りて慈父のはかを拝見す」

道場に納めたあと、身延に「はか(墓)」が造立されていることが後文では書かれていますね。

> 遺骨に対する思い入れとは必ずしも繋がらないと思います。

マハーさんは、霊、墓、遺骨に特別の思い入れがあるようですが、この思い入れから日蓮の考えを測ってしまっていませんか。上記遺文から再考してみては如何でしょうか。

1877犀角独歩:2007/04/29(日) 11:30:05

―1876からつづく―

> 日蓮の言う「阿鼻獄」は、往生要集の影響を受けた地獄の発想であって、ナラカをそのまま受け入れているののとは違う

もう少し具体的に説明いただけませんでしょうか。
地獄のサンスクリット表記は Naraka/naraca(nirayaなど) で、これは地獄を指します。インドでバラモン教から摂取され、それが経典に現れ漢訳され、集成したのが『往生要集』という時系列になりますね。

ここでマハーさんがいう、「ナラカ」と『往生要集』の地獄の記述と、何がどのように違うというわけですか。

>>>全日本仏教会
> 全日本仏教会は日本の伝統仏教界における唯一の連合体

わたしが言っているのはそのようなことではなく、一口に全日本仏教会といっても、その考えは区々であり、今回のご投稿におけるマハーさんの二分立:全日本仏教会=伝統仏教vs新興宗教=創価学会の差と、たとえば、日蓮法華と法然浄土経の差は、同じように違うわけだから、全日本仏教会を伝統教団と括って、新興宗教と比較しても意味をなさないということです。

また、マハーさんの定義は新興宗教創価学会が伝統教団の教義・法要を破壊したという点ですが、実際に、本来、法華経にも日蓮にもよらない伝統教団に影響の与えようもないわけで、この二分立判断はナンセンスであると申し上げたことです。

しかしながら、創価学会は、一見して石山批判という形を採りながら、実は自分たちの過去を否定する在り方を、では、わたしが肯定的に見ているかと言えば、そんなことはありません。ここで語られるオモチャのような‘教義’が仏教とも真実とも思いません。ただ、あまりに簡単、単純で、いわば幼稚すぎて、こんなものに一々目くじらを立てること自体、時間の無駄という気分があります。

翻って、ここの300万ほどの会員と、それを含む800万ほどの公明党に投票する人々が日蓮法華ブランドで、一番人気のタレント「池田先生」にお熱を上げている様は、心理学的サンプルとして興味はありますし、また、このような組織に呆れていながらも、しがらみから会員であることをやめない人々の心理はまた、興味の対象です。しかし通じて、これらが日本社会に与える影響は伝統仏教の破壊であるとは、実状から感じません。ただし、その政治・経済に及ぼす影響と、会と「先生」を守るために、国家そのものの方向性を誤らせる在り方のほうに、むしろ、注意を払うことが先決であると考えています。

> 尚更、伝統仏教界は好ましく思わないでしょう。

マハーさんは創価学会の在家葬儀が、伝統教団の在り方を破壊するという視点ですが、わたしの記したことは、いまで言う伝統教団が、それより古い伝統から見るとき、新興であるという視点を挙げている点を留意されなければならないと言うことです。

> …「日本人の精神」を教団利用し騙す事には憤りを感じるのです。

この騙している当事者が創価学会、または真如苑であるという意味ですか?

1878犀角独歩:2007/04/29(日) 12:38:27

【1876の訂正】

誤)伝統普遍化し史となり、それらが崩壊し、再歴史をする
正)伝統が普遍化し歴史となり、それらが崩壊し、再歴史化をする

誤)日蓮の観じ用法
正)日蓮の漢字用法

1879マハー:2007/05/02(水) 19:29:04
>>1873
独歩さん
霊の霊語の使用の統計、非常に参考になりました。有難う御座います。

>「一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや。結句は法然流罪をあだみて悪霊となつ
>て、我竝びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入て、或は謀反ををこし、或
>は悪事をなして、皆関東にほろぼされぬ」

こういった霊障感ですが、智ギ説天台の他にもう一つ、神道の反本地垂迹へ対抗しての「霊」を考えなければならないと思うのです。「悪鬼身に入る」などと用法が近いと思っているのですが、
必ずしも日蓮は「今で言う霊障感」と一緒ではないと期待しています。

「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当たり一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」とは、あまりにも有名な文です。

閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響ですね。日蓮は偽経であることをしりませんでしたから、このような記述は当然だと思います。私が>>1852で記した意図は、十王経が偽経だと定説になりつつある昨今何故、従来仏教形式からこれを引き剥がそうとする仏教団はないのか?というものからでした。「十王経」を偽経だと批判する学会も日蓮遺文に記されている部分だけは都合よく使い続けるのか?との思いがあります。

1880マハー:2007/05/02(水) 19:34:38
>マハーさんの用法は塔=堂ということで、では身延にあった墓は五輪塔ではないか
>らという脈絡なのでしょうか。

いいえ。私は五輪塔は墓石の一種に含めてしまっています。墓石らしきものが、本当にあったとすれば確かに五輪塔だっただろうというのが前述した意図でした。
御堂とは、建築物との意味あいで使用しました。 祖廟、御堂等々、用途と目的によって建築物名を使分ける専門の皆様には分かりにくかったと思います。失礼しました。
堂=入室出来る建築物、塔は、塔婆、廟塔、堂なども含む意味でした。

>以上のことから、わたしは日蓮に舎利と経典、いずれを採るかという二者択一論は
>希薄であったと考えます。

先ず、法華経に記されたところの「舎利」は全て、「釈迦の舎利」についてなのではないだろうかと思います。
独歩さんは、(日蓮に二者択一論は希薄であったとしても弟子日興はこの択一論に迫られた状況において)、「墓所を捨てて舎利を取った」という主張だったんでしょうか?
私は早とちりしていたかも知れません。私は日興が舎利を捨てて場所を取ったのではないかと汲んだものですから…。

>宗廟に埋納されていたようです。また、石山では、あの彫刻本尊を奉安する厨子傍
>らの宝塔に奉納されているのではないですか。

見物したことはないですが、話は存じておりました。
大石寺の舎利塔は遺骨の有無によらず形式的な塔と思っておりましたが、先程ホームページなどを検索したら遺骨があるとの主張のようですね。これは知りませんでした。奉安堂そのものが廟堂との見方なのでしょうか。

廟所=墓所で良いかと思いますが、
遺骨を安置せずとも祭祀場を墓と指す使用法もあるのではないかと思います。
その三点セットに重きを置いている点、賛同致します。


>マハーさんの前提は、墓というより、墓石への重視がありますが、それはマハーさん>の思惟でしょう。
墓石にのみ重視しているのではありませんが、墓石というのは、霊や魂の固定機能を代役する部分があると思っています。日蓮に置いては曼荼羅本尊にもこの「依り代」機能を持たせる節かと思いますので、霊魂やみたまを考察して行くにはこの固定機能を担うものが何であるか探るのは大変重要だと思っています。

>日蓮とその門下の思惟は、重点は遺骨・仏像・注法華経にあります。真骨堂に参る
>門下も御堂や墓碑を崇めているのではなく、遺骨そのものを崇敬しています。

そうなのですか…。
日蓮がタントリズム的であったとおもいますが、「遺骨崇拝」とまで行きますか?
しかし、これは参考にさせていただきました。

>ただし、日本では諡号という慣例があり、これが転じて死後戒名という様式に発展し>たのではないでしょうか

諡号と戒名はその成り立ち用法、目的と全く異なっています。転じて死後戒名に発展したというのは誤解と思います。ただ、法名の上に付く院号、道号などは諡号の転用と考えられます。日蓮も伝教や順徳などの諡号を使用するでしょうから諡号を肯定していたと思います。
>イコールでしょう。香華を捧げ、経を上げることがその勤めであり、その‘墓’参する
>場所を守る順‘番’を「墓番」というのでしょう。

遺骨に魂の定着機能を見ていたとなればたしかにそうなりますね。
遺骨ではなく曼荼羅に向かい経を上げることが「墓番」を守るという筋なのかと思っていましたが、ニュアンスが違ったようです。

>死後、そこに詣でよう(善所=霊山に生じる)という考えがあったのでしょう。

輪廻生死が前提なのかも知れませんが、善所に生じるその前、中間に冥界や霊界を想定していたか疑問です。

>それらが崩壊し、再歴史をするという複雑な変遷があるわけですね。
まったく同意です。

>道場に納めたあと、身延に「はか(墓)」が造立されていることが後文では書かれて
>いますね。

これは本当に造立されたのでしょうか、造立されたすれば何でしょう?
笠塔、五輪塔、廟塔…

>マハーさんは、霊、墓、遺骨に特別の思い入れがあるようですが、この思い入れから
>日蓮の考えを測ってしまっていませんか

個人的に日蓮は好きです。その曼荼羅にしても魅力があります。
ですがどうも日蓮思想の議論には、神教側からの視点がごっそり抜けているような気がしています。ですので、この霊魂から測って考察していきたいと思っています。
二分化に拘るわけではないのですが、空海と最澄、顕と密、如苑と学会など…
こういった思想の関連性を探るのに「霊」をひとつのキーワードに試みたいと思っています。

1881マハー:2007/05/02(水) 19:43:00
>もう少し具体的に説明いただけませんでしょうか。
>地獄のサンスクリット表記は Naraka/naraca(nirayaなど) で、これは地獄を指しま
>す。インドでバラモン教から摂取され、それが経典に現れ漢訳され、集成したのが
>『往生要集』という時系列になりますね。

地獄の表記は、先にパンナコッタさんからも御指摘があったとおり、信者利用の有効な手法として使われて来たと思います。独歩さんのバラモン教からの摂取の他、道教からの融合や、往生要集の逆輸入など中国思想での変化、肉付けの影響も大きいと思います。また往生要集が玄奘訳の影響を受けているのであれば、法華経のそれとはやはり違うでしょう。
妙法華経ではアビーチ地獄が音写され、正法華経では、無可大地獄と訳されるわけですが、下方への方向性を持つ点は地獄観の共通性とも思えます。「落ちる」語を頻繁に使用する教団は危険度が高いと思います。私の今後、研究課題です。


>全日本仏教会を伝統教団と括って、新興宗教と比較しても意味をなさないということ
>です。
島田氏の著書だったか失念してしまいましたが、創価学会の成功のひとつのカギに、新興宗教でありながら、「自前の葬儀システムを持つ」という点が挙げられていました。「なるほど」と思ったものでした。これは信者にとって実際にその形式によって行われなかったとしても、持っているという点だけでも重要なファクターと思います。またこれは、大正デモクラシー以降の新宗教と伝統仏教団との大きな差とも取れます。

それともうひとつ、全日本仏教会には、真言宗醍醐派が名を連ねております。
例えば、日蓮正宗創価学会時代に学会のみを批判して、正宗を批判することは難しかったのではなかったでしょうか?スキャンダルな批判に止まってしまいがちと思うのです。

>また、マハーさんの定義は新興宗教創価学会が伝統教団の教義・法要を破壊したと
>いう点ですが、実際に、本来、法華経にも日蓮にもよらない伝統教団に影響の与え
>ようもない
財政的な面で伝統仏教側が危機感を感じていないのでしょうか?
学会の友人葬や戒名不要論は仏教界に一石を投じたと思いますし、長い目で見たら現状サービスでは衰退するのではないでしょうか?

>この二分立判断はナンセンスであると申し上げたことです。

実は「伝統仏教であると標榜する団体」に対して、どうしても二分立にならざるを得ないジレンマを抱えてしまっているのが悩みなのです。

>ここで語られるオモチャのような‘教義’が仏教とも真実とも思いません。ただ、あまり
>に簡単、単純で、いわば幼稚すぎて、こんなものに一々目くじらを立てること自体、
>時間の無駄という気分があります。

オモチャのような教義ほどより恐いというのが実感です。
単純なほどMCは解けないです。
戒壇本尊と言うオモチャの板に何百年も騙され続けているのが現実でしょう。

>いまで言う伝統教団が、それより古い伝統から見るとき、新興であるという視点を挙
>げている点を留意されなければならないと言うことです。

其の通りですね。鎌倉仏教も空海から見れば新興です。
では日蓮正宗が、鎌倉仏教かと言えば全然違うわけです。
伝統的であることは本来、正当である根拠に無関係である筈です。
伝統色を利用して正統であるが如く吹聴しているに過ぎないわけです。

1882彰往考来:2007/05/02(水) 20:51:38

『別冊宝島Real 072 池田大作なき後の創価学会』2007年、宝島社

面白い表題なので買って読んでみました。定価1260円(本体1200円)です。
聖教新聞の印刷委託先の最新リスト検証など興味深い内容もありました。池田大作氏なき後の創価学会は乱世が現出するという人や分裂はないという人、池田本仏論、池田家による世襲など、まあ、色んな人が色んな事を仰っていますが実際どうなるかは誰もわからないということでしょう。
本書から興味のあった箇所を若干引用します。

今年三十五歳になる二世学会員の女性は、創価中学、高校に通い、熱心に学会活動に励んだという。「子どものころから学会以外の世界はなかった。親も先生もみんな池田先生はすばらしいと讃える。私にも池田先生しか見えなかったですね。池田先生の期待に応えるのが私の人生の目標でした。それをなくしたら、私が今までやってきたことがすべて無駄になる。一番怖かったのはそのことだった。あまりに長い時間を学会に捧げましたから、学会以外の世界に人間関係もない。どうしたらいいのかわからない。脱会できない理由はそこにあるんです。これは二世会員に共通する思い」(109頁、この箇所は与那原恵氏の執筆)

もっとも、この板曼荼羅(引用者注:富士大石寺蔵の本門戒壇の大御本尊)には昔からニセモノ説がささやかれていました。大石寺のなかにあって部外者には見られないので、真偽が確認できないのです。ただ、写真で照合してみると、別の紙に書かれた曼荼羅を下絵にして、後世になってから彫刻したものだと判断できます。最近、犀角独歩さんという方が、その実証的な研究を発表しました。実は、日蓮正宗の側は、板曼荼羅が本物ではないことを知っています。創価学会が日蓮正宗を攻撃するために暴露した「川辺メモ」によると、日顕法主(その当持は教学部長)が「本尊は偽物である」と言ったとのことです。(167頁、この箇所は島田裕巳氏の執筆)

池田の死後、創価学会の会員は、そして創価学会の組織は、池田の存在がいかに大きなものであったのかを改めて認識することだろう。だが、そのときには風船のようにふくらんだ池田の偉大さは、すでに消えかかっている。池田という存在は、実はバブルだったのではないか。創価学会の組織が虚像化によって懸命にふくらまし、池田自身がそれを演じることで保たれてきたバブルは、一瞬にして消滅してしまうかもしれないのである。(206頁、この箇所は島田裕巳氏の執筆)

1883犀角独歩:2007/05/03(木) 12:39:19

マハーさん、なかなか筆力があって、頼もしいですね。

少しお考えになっているだろう危惧感が見えてきました。
「霊」に係る問題点は、細木、江原といったメディアコマーシャリズムに乗った占いやらなんやらと一脈があり、これが大衆的にはスピコンという流行とも連なっているのでしょうね。

日蓮の「霊」の用法としかし、これらはあまり関連しませんでしょうね。
むしろ、日蓮門下でいえば、ご指摘の「本地垂迹説」を戦前に天皇本尊論として古来よりの天皇本地/釈迦垂迹とした高佐氏が戦後始めて、一大勢力をなしている九識霊断のほうが「霊」を相手取っているでしょう。

創価学会は霊ではなく、大正生命主義を、十界で説明し、かつまたその上昇志向を価値論でアレンジした戸田さんの生命論です。宇宙生命とのつながりから人間革命とやったのが池田さんでした。この教学の基礎理論は、石山信徒団体としての教学を踏襲しながら、生命論は反対に石山に影響を与えました。
霊という考え方は、石山の坊さんにもみられますし、たとえば、わたしが末寺の役員であったとき、塔婆の推進は主要な「営業活動」で促されていましたが、「先祖供養をしないと、障りをなす」なんてことを、坊さんが口にしたのでぎょっとしたことがありました。

> 「悪鬼身に入る」などと用法が近い

なるほど、この視点は納得がいきます。

> 必ずしも日蓮は「今で言う霊障感」と一緒ではない

ええ、違いますね。たぶん、もっとも違うのは「浄霊」がないということでしょう。

>>慈父幽霊
> 閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響

具体的に、どこを指して仰っていますか。

> 偽経

偽経ですか? 仰る意味は、インド原典がなく、中国で作られたということでしょうか?

> 十王経が偽経だと定説…昨今何故、従来仏教形式からこれを引き剥がそうとする仏教団はないのか?

親鸞の原理主義となれば、そういった方向性はありでしょうね。

> 「十王経」を偽経だと批判する学会も日蓮遺文に記されている部分だけは都合よく使い続けるのか?

「都合よく」はいずこも同じで、純粋に日蓮で考えれば、成り立つ日蓮を掲げる集団は、伝統・信仰の如何を問わずひとつとしてなくなるでしょうね。

> 五輪塔は墓石の一種に含め…墓石らしきものが、本当にあったとすれば確かに五輪塔

わたしは10年以上前、「お墓博士」と称された藤井正雄師の監修で、何冊か墓地・埋葬に係る本を書きました。しかし、どうも五輪の形成年代については確かな見識を有するに至っていません。

> 法華経に記されたところの「舎利」は全て、「釈迦の舎利」についてなのではないだろうか

先に引用したとおり、釈迦に限りません。だいたい、多宝如来もミイラであるとされたりしますが、全文の整合性からすれば、舎利と見るほうが至当であるとわたしは思います。また先に引用したとおり「日月浄明徳仏の舎利を供養せん」といった件がありますから、釈迦に限ったことではありませんでしょう。

むしろ、舎利崇拝は、釈迦より歴史が古い故に、荼毘に付された釈迦の遺骨=舎利の分骨騒動が起きたのでしょう。

> 独歩…「墓所を捨てて舎利を取った」という主張だったんでしょうか?

いや、違います。富士門下は、砕身(舎利)を捨てて全身(教え)を取ったということです。

> 私は日興が舎利を捨てて場所を取った

え? これはわたしが、そう考えているということでしょうか。
日興は、舎利(遺骨)も場所(身延)も捨てたという指摘です。

1884犀角独歩:2007/05/03(木) 12:40:15

―1883からつづく―

> …奉安堂そのものが廟堂との見方

いや、奉安堂、正本堂、奉安殿は、彫刻を祀る厨子一式を蔵として、宝蔵と同義です。しかし、実質的には、参拝料をごそっと集めるための5000席の集金システムです。あんな偽物を、偽物と知ったうえでこんな荒稼ぎをやり続ける様は、まったくの悪徳商法というほかありません。

> 廟所=墓所で良い

もちろん、そう考えます。

> 遺骨を安置せずとも祭祀場を墓と指す使用法もある

石山とその末寺に置かれる三師塔とう三連五輪塔は、まさにその典型です。

> 墓石というのは、霊や魂の固定機能を代役する部分がある

そのお考えを採っていらっしゃるわけですね。
土葬の頃は、亡者がはい出してこない重しとしたとか、なにより、動物が掘り返したりしないための蓋のような役割であったりといった実用的な側面から、墓石をあの世とこの世をつなぐゲートのように考えたり、センチメンタリズムとも、宗教的ともいえる解釈であったりと様々ですね。

きゃからばあさんというHNのお使いもありますが、五大、もしくは妙法蓮華経の五字に配当するという発展もあったわけですね。塔婆はストゥーパで五輪塔と同等の意義に対して、家名を刻む墓標は家制度先祖代々の象徴ということになるでしょうか。わたしは個人的に霊魂の「依り代」という発想よりは、今日的には遺骨の実質的な保管とメモリアルという側面からの認識が一般的なのではないかと思えます。

> 日蓮に置いては曼荼羅本尊にもこの「依り代」機能を持たせる節

いや、これはないでしょうね。日蓮は霊は、信心があれば霊山に、なければ地獄、もしくは六道輪廻という発想でしょうね。

> 霊魂やみたまを考察して行くにはこの固定機能を担うものが何であるか探るのは大変重要



墓がでしょうか。とすれば、この点は日本人の霊魂を探るうえでは、たしかに重要ですが、日蓮には当て嵌まらないでしょう。
「みたま」は御霊ですか。日蓮の用法は「御魂」です

先にも引用しましたが、日蓮は『文句』の「識陰如霊」(識陰は霊の如し)と引用しています。ここでいう識陰を五陰世間の識をいうのだろうと思います。では、霊については、同じく『文句』に「靈即神智是般若」(霊は即ち神智、是れ般若)というわけです。ここでいう神は、「たましい」、もしくは心を意味し、それが般若=智であるというわけですね。いま言われるような‘スピリチュアル’な意味とは全然違います。つまり日蓮が霊と言うときは、この線でしょう。先祖の霊を日蓮的に訳せば、先祖の遺志ほどの意味となろうかと思えます。

> 日蓮…「遺骨崇拝」とまで行きますか?

この点は、骨と魂ということで後述します。

> 諡号と戒名はその成り立ち用法、目的と全く異なっています。転じて死後戒名に発展したというのは誤解と思います。

これは、わたしの文章が拙(まず)いので、マハーさんは判読を取り違えていらっしゃります。わたしは、死後、名を贈るという風習が、本来、大陸からの影響で日本にはあったので、それが戒名にも適用されたと言いたかったのです。

戒名とは戒を受けるときに授かるのが本来の在り方でしょう。ですから、その成り立ちは、よほど、法号に近いわけです。しかし、近代では、無信仰で、ただ、葬儀といえば、寺に頼むといった有り体ですから、生前の受戒名が廃れたのでしょう。そこで死後の段階で遅ればせながら、引導の段階で戒名授与となったというのが歴史ではないですか。それがいつのまにか葬儀の段階で戒名をつけるのが当たり前となり、さらに高じて「生前戒名」を売るような宗教ビジネスまで興りました。嘆かわしい話です。

1885犀角独歩:2007/05/03(木) 12:41:22

―1884からつづく―

> 法名の上に付く院号、道号などは諡号の転用と考えられます。

これは、違います。院号とは、院を建立寄進した者に与えられる名です。院号には二段階あり、院、そして院殿(いんでん)です。
道号は先の法号のなかでも出家者に与えられるところで区別があります。日蓮門下では日号・房号のひっくるめた言い方でしょう。

この点については戸田浩暁師の不朽の名著『日蓮宗の戒名の理論と実際』によく整理されています。

○○院(殿)=院号・○○=法号・日○=日号・(大)居士/大姉/信士/信女=位号で、この合称を戒名というのが一般です。

> 日蓮…諡号を肯定

当然でしょうね。

> 遺骨に魂の定着機能を見ていた

この魂と骨を、日蓮は密接な関係で論じています。
もっとも端的に表現されるのは『木絵二像開眼之事』のことでしょうか。

「人死すれば魂去、其身に鬼神入替て亡子孫。餓鬼といふは我をくらふといふ是也。智者あって法華経を讃歎して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身。生身得忍といへる法門是也。華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す。涅槃経に身雖人身心同仏心いへる是也。生身得忍の現証は純陀也。法華を悟れる智者死骨を供養せば生身即法身。是を即身といふ。さりぬる魂を取返て死骨に入れて彼魂を変て仏意と成す。成仏是也。即身の二字は色法、成仏の二字は心法。死人の色心を変て無始の妙境妙智と成す。是則即身成仏也。故法華経云 所謂諸法如是相[死人ノ身]如是性[同ク心]如是体[同ク色心等][云云]。又云、深達罪福相閣照於十方微妙浄法身具相三十二等[云云]。上二句は生身得忍。下の二句は即身成仏。即身成仏の手本は龍女是。生身得忍の手本は純陀是也。」

ここに日蓮の遺骨と魂の関係は明瞭です。如何ですか。

> 中間に冥界や霊界を想定していたか疑問です。

ここで中間・冥界・霊界を同一に論じられては混乱が生じます。
中間ということでは、先にも挙げたとおり、日蓮は「中有」をはっきりと想定しています。説明する必要はないでしょうが、生前は肉身が‘有’り、再生(いまでいう生まれ変わり)すればまた肉身が‘有’ります。この有と有の‘中’間を中有というわけです。しかし、これと冥界は別です。この日蓮の用法では「冥土」でしょう。霊界という考えはありませんでした。

>> 道場に納めたあと、身延に「はか(墓)」が造立されていることが後文では書かれていますね。
> これは本当に造立されたのでしょうか、造立されたすれば何でしょう?

真蹟遺文に書かれてあるわけですから、造立されたのではないでしょう。疑う余地はありません。ただし、その様式は、どうであったのかは、想像の域を出ませんが、わたしは墳墓のようものであったと考えています。

> 日蓮思想の議論には、神教側からの視点がごっそり抜けているような気がしています。

神教とは何を指しますか。
具体的になにが抜けているとお考えですか。

> この霊魂から測って考察していきたい

この筋からの検討はけっこうなことであると思いますが、原典で使用法をしっかりと認識したうえでが原則でしょうね。
わたしは空海・最澄のことをしっかり述べる力量はありませんが、日蓮、天台がいう霊・魂と、真如苑や、スピコンなどでいわれる霊魂とは、意味が全く違います。創価学会の生命は霊魂+十界+宇宙で、また、違います。まず、この点をしっかり整理したうえから検討しないと徒労に終わりますでしょうね。

> 往生要集が玄奘訳の影響を受けているのであれば、法華経のそれとはやはり違うでしょう。

具体的には、どう違いますか、というのが、わたしの質問です。

1886犀角独歩:2007/05/03(木) 12:42:12

―1884からつづく―

> …創価学会の成功のひとつのカギに、新興宗教でありながら、「自前の葬儀システムを持つ」…ファクター…大正デモクラシー以降の新宗教と伝統仏教団との大きな差とも取れます。

これは何か勘違いなさっていらっしゃいませんか。
先にも記しましたが、わたしは父の葬儀を創価学会を通して「日蓮正宗」で行ったのですよ。院号戒名を寺から取ってくれたのも学会の幹部でした。わずか20年ほど前のことです。大正どころか昭和50年代終わりの話です。創価学会が自前の葬儀を始め、戒名不要を言い出して20年も経っていませんよ。また、2代会長戸田さんの奥さんの葬儀は寺院を通じて行われたという実例もあります。

> 例えば、日蓮正宗創価学会時代に学会のみを批判して、正宗を批判することは難しかったのではなかったでしょうか?

斟酌しかねますが、一例を引きます。過日、復刊された『創価学会批判』という本があります。この本は3部構成で歴史・教理・思想を分けて批判しています。創価学会が拝借している石山教義と歴史、本尊をがっちりと批判していますよ。

> スキャンダルな批判

安永弁哲氏『板本尊偽作論』はこの愚を犯していました。しかし、全体の半分です。

> 財政的な面で伝統仏教側が危機感を感じていないのでしょうか?

感じていないでしょう。

> 学会の友人葬や戒名不要論は仏教界に一石を投じたと思います

何を根拠にこのようなことを仰るのかわかりませんが、何一つ影響を与えていないでしょう。また、一般人にしても「創価学会で友人葬をやっているし、戒名も要らないというから、うちもそうしよう」なんて話があるのですか。創価学会に眉をひそめることはあれ、見習おう何て人がいるのですか。もし、いたらお目にかかりたいですね。
学会をヨイショする嘆かわしい学者が、ここの出版物にそれらしいことを書いていますが、こんなものはどれも幇間以上の意味はないでしょう。鵜呑みにできるような代物ではありません。オモチャと一緒です。オモチャが悪ければ、喧伝、プロパガンダ、自画自賛へ拍手して、稿料をもらっているだけでしょう。学会から称賛されても、それ以外からは白眼視されているところでしょう。嘘は百編ついても本当になりません。

> 実は「伝統仏教であると標榜する団体」に対して、どうしても二分立にならざるを得ないジレンマを抱えてしまっているのが悩みなのです。

具体的にお聞きしたいものです。

> オモチャのような教義ほどより恐い

まあ、これは言える側面は確かにあります。

> 鎌倉仏教も空海から見れば新興です。

その空海も、その当時からすれば、中国の新興の真言宗を、持ち帰った新興であったわけですね。

> 日蓮正宗が、鎌倉仏教かと言えば全然違う、…伝統的…正当である根拠に無関係

これはそのとおりだと思います。

> 伝統色を利用して正統であるが如く吹聴

こんなまやかしは現代人の仏教離れの原因ということでしょうね。

1887犀角独歩:2007/05/03(木) 12:44:51

彰往考来さん

宝島は、わたしのほうへも取材協力を呼びかけてきました。
今回のがそれかどうかわかりません。
島田先生、『寺門興隆』につづき、また、わたしのことを紹介くださっていましたか。

1888マハー:2007/05/07(月) 19:27:11
>>1883
犀角独歩さん
>これが大衆的にはスピコンという流行・・・・
>日蓮の「霊」の用法としかし、これらはあまり関連しませんでしょうね
>たぶん、もっとも違うのは「浄霊」がないということでしょう。

ええ。 私もそう思います。しかし「浄霊」と似た発想となる部分はあります。
レスの後で「逆修」について部分で述べたいと思います。

>> 閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響

>具体的に、どこを指して仰っていますか。

第一七日過秦廣王 讃曰。 一七亡人中陰身〜
(省略)
〜第十至三年過五道転輪王 讚曰。
 後三所歴是開津  好悪唯憑福業因
 不善尚憂千日內  胎生産死夭亡身

所謂 十仏事 のことを言っています。

御提示の
「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当たり一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」

では、日蓮はここで、十三仏事を肯定してますよね。
因みに「偽書」と疑われる弘法大師逆修日記事では、
十三年 大日如来
三十三年 虚空蔵
になります。

>偽経ですか? 仰る意味は、インド原典がなく、中国で作られたということでしょうか?

そういうことです。
たしかに偽経と言ってもニセモノではなく簡単に斥けるべきでないと言う議論もわかります だがしかしこれは大乗非仏説などの議論とは違い、私には法要がないと収入に困る側の詭弁に思えます。

1889マハー:2007/05/07(月) 19:33:05
>「お墓博士」と称された藤井正雄師の監修・・・
すばらしいですね。仏教と民俗学は密接に接近すべきと思います。
特に民衆救済を目標とする宗派においては。

>「日月浄明徳仏の舎利を供養せん」といった件がありますから、釈迦に限ったことで
>はありませんでしょう。

確かに釈迦に限ったことではありませんが、そこは、「日月浄明徳仏」と言っても、「釈迦が説く、いにしえ、無量恒河沙劫の如来の舎利」 の供養でしょう。菩薩の舎利ではありません。身軽法重、「法華経を説く仏への賛嘆」としての供養を釈迦が語るのですから…
完成者と修行者の関係を見れば、やはりあくまでも如来の舎利です。
しかも、焼身供養した側の舎利については何も言われていません。

日蓮門下に舎利供養の意識があることは理解しましたが、しかしそれは即身成仏義からの 「仏の舎利」だからではないかと思います。 考えようによっては法華経によって誰もが成仏するのであれば地獄もそこへ彷徨う霊も想定する必要もないわけで・・・ 確かに霊障とは一線を画するように思えますね。

>多宝如来が舎利・・・
なるほど。確かに死者を表す面であると思いますし、舎利かも知れないですね。
これは法華経を作った人々が何を言い表したかったかと言う事になると思うのですが、もし多宝如来が舎利であるならば、直接「舎利」であること書けずに比喩を持ちいなければならなかった理由が問題ではと思います。

>むしろ、舎利崇拝は、釈迦より歴史が古い故に、荼毘に付された釈迦の遺骨=舎利>の分骨騒動が起きたのでしょう。

中村元氏よると
釈迦の葬方は古来の葬方に反抗していた 部分もある との見解もありますね。
火葬 茶昆 jhapeum は、釈迦より古く(身分や地域差はあるでしょうが)あったのではないかと思います。遺骨 sariraniの扱い方となるとよくわかりませんが、廟樹(木の下に埋葬)の下で平気で休んだり、好んで瞑想したり、また、遺体遺骨をガンジス川に流したりする風習からすると必ずしも舎利崇拝の歴史が古いとは思わないのですが・・・
ガンジス川に流す形式が舎利軽視であるとも言い切れないですね、それなりの宗教的意義を見出して行われるのでしょうから。

1890マハー:2007/05/07(月) 19:39:52
>> 私は日興が舎利を捨てて場所を取った
>え? これはわたしが、そう考えているということでしょうか。
>日興は、舎利(遺骨)も場所(身延)も捨てたという指摘です。

私(マハー)が前レスおいてに「日興が舎利を捨てて場所を取った」との意見でした。
舎利がなくても、「別場所でも墓所としての供養が出来るのでは?」との意見でした。しかしこれは、日興に「遺骨崇拝」の意識が低いことが前提であり、私は日興門下が先祖供養に積極的でない門流のイメージであったためです。

>今日的には遺骨の実質的な保管とメモリアルという側面からの認識が一般的

現代の墓石に関して、遺骨の保管という面から長い目で見ると、本当はあまり好ましい環境とは言えないと思うのですが、記念碑的な認識が一般に広がってきた感はします。

>ここに日蓮の遺骨と魂の関係は明瞭です。如何ですか。

ええ、確かに浄霊や祓いでない。仏教的な舎利供養ですね。
少し日蓮に対して安心しました。
亦、戒名と諡号の件、独歩さんの仰る意図了解致しました。
順修戒名の普及にはその前の逆修戒名の成り立ちがあるわけです。
戒名に限定せず、「逆じめ修める」という考え方と死後とを考える事は無駄ではないと思いますし興味もあります。日蓮の専門家の方々は、「逆修」についてはどうのように御考えになりますか?
私は、日蓮はこの逆修思想を強く打ち出してるイメージ、(例えば、「地獄の責め苦を今に受ける」など)であると思うのですが、どうですか?
例え「除霊」や「悪魔祓い」のような発想が直接的にはなくても、この「逆修」の発想はそれにより近い部分があると思います。


>ここで中間・冥界・霊界を同一に論じられては混乱が生じます。

そうですね。特に「中間」語句の使用をやめて中陰または中有としましょう。
現代一般用語で「冥土」を解釈すると、「裁判と実刑の期間」のようなイメージになりましょうか。
中有と冥土が別とはどういったことでしょうか?
期間と場所を指す違いこそありすれ、同じように思えますが。

1891マハー:2007/05/07(月) 19:58:28
>神教とは何を指しますか。
>具体的になにが抜けているとお考えですか。

もしかしたら、私が知らないだけの生意気な発言だったかも知れません。
先述の民俗信仰と仏教の関りに重点をおく視点として、例えば古神道として南北朝からの「伊勢神道」やそれ以降の吉田神道の興隆、また八幡大菩薩(八幡系)、稲荷系の勢力の影響などです。
資料不足でしっかりとした提示が出来ませんが、鎌倉時代の「伊勢神道」「吉田神道」とも、反本地(神)垂迹(仏)説を唱えただろう事は容易に想像出来ます。これに対して日蓮は本義であるところの本地(仏)垂迹(神)説を採用してる筈です…八幡神(三神?)はこの時代既に大菩薩号を贈られていて、日蓮もその曼荼羅に菩薩号で勧請していますね。迹=諸天(神)=菩薩とする関係性だと思うのですが、どうもしっくり来ないと勘案していたところです。

>この筋からの検討はけっこうなことであると思いますが、原典で使用法をしっかりと
>認識したうえでが原則でしょうね。

スピコンの源流と考えられるタントリズムや、神仏習合や山岳信仰、氏神説、やモガリなどは、鎌倉以前からありました。日蓮に使用法が見当たらないのではなく、日蓮が採用しなかった・・・不必要であったのでしょう。そしてこれにはきっと論理的な理由があった筈と思います。

1892マハー:2007/05/07(月) 20:03:07
>> 往生要集が玄奘訳の影響を受けているのであれば、法華経のそれとはやはり違うでしょう。
>具体的には、どう違いますか、というのが、わたしの質問です。

私は言語学的な専門知識は持ち合わせていないことを先にお断りしておきます。
ナラカが本来どのようなサンスクリット言語からの発生かわかりませんが、場所を表す言語とはやや違って、「人の状態」や「ありさま」を指す言語に近いと思います。
法華経で使われる「アビーチ」は程度を表す、「最下層」「一番」「最も」などでしょう。
これは法華経で説かれる地獄が「有頂天」→「阿鼻獄」の対比などからも想像がつきます。つまり法華経の成立時点では、多種多様な地獄のビジョンは見えておらず、「法華経最高」に対して、逆は「最も悪い」という関係性です。

涅槃経で説かれるところのnirayaは、
「行いの悪い人は、身体のやぶれて死んだ後に、悪いところ、苦しいところ、墜ちるところ、地獄(niraya)に生まれる。」(中村元訳)
ここでも具体的な先入観は見られません。
また閻魔yamaの方角は南方向とされており、釈尊の遺体運ぶとされた方向などでも
上下ではない水平の方向の意思が散見されます。このようなことからも法華経で説かれるところの「阿鼻獄」はヤマ天(最初の死者)のいる場所との発想と一致しないことが伺えます。是に対して「往生要集」では、「八に阿鼻地獄とは、大焦熱の下、欲界の最低の処にあり」云々という具体的な地獄図になっていますね。たしかに、この八大地獄にも其々サンスクリット語で、サムガータ、ラウラバなどが割り当てられていますが、これは玄奘が密教化した教典を持ち帰った為であると思います。
上記が私の、「日蓮が法華経のナラカをそのまま受け入れているのとは違う」と記した意図でした。

しかし、私は現代に言われているように、所謂「地獄絵図」を具体的に信者にプッシュする手法が即「破壊的カルト」の常套手段のような言われ方には少々疑問を持っています。脱会などの際の精神的ダメージからの回復の為には、各教団所有の地獄観からの超克が有効であり、必要条件でもあると思いますが、具体的イメージだと逆に抜けやすい気がします。
真如苑の話に戻して恐縮なのですが、苑ではあまり具体的な地獄世界を教えないようです。そこでは「一闡提に堕ちる」と言うような使い方をします。ではそれが実際にどういう状態を指すのかはあまり明確に語られません。しかし「一闡提」語句そのものへのわからない恐怖感が強く残ってしまうようです。

1893マハー:2007/05/07(月) 20:16:43
>> …創価学会の成功のひとつのカギに、新興宗教でありながら、「自前の葬儀システムを持つ」…ファクター…大正デモクラシー以降の新宗教と伝統仏教団との大きな差とも取れます。
>これは何か勘違いなさっていらっしゃいませんか。

それこそ私の文章が酷いので伝わらなかったようです。(笑
日蓮正宗創価学会が、日蓮正宗の末寺で葬儀することは、自前の葬儀システムを持つことになります。私はここで、各自の檀那寺、菩提寺と、新興宗教団体の教義との一致性を取り上げてるのです。 例えば、「親鸞会という宗教団体に所属しているけれども、葬儀の時は菩提寺の日蓮宗で行う」と言った場合は内在的な矛盾を抱えている事になり、2代目、3代目は尚更 連綿が難しいのではないかと言うことを言いたかったのです。
これは、必ずしも信仰と葬儀の形式が一致しなければマズイと言うことではなく、寧ろその教団において「信仰と葬儀形式を一致させることも出来る手段」を持っていることの方がより重要です。つまり、「他宗菩提寺での葬儀は致し方ない」けれども、信仰心が強ければ、「一番良いところでの葬儀を行ってもらえるのよ」と言った具合ですね。つまり新興宗教団体側は葬儀形式を持った伝統仏教側と少なからず水密関係を築くメリットは大きいと私は見ています。

>こんなまやかしは現代人の仏教離れの原因ということでしょうね

伝統仏教がその布教活動を積極的に行わないのが一番の原因であるのですけれども、檀那寺での戒名でなければその寺に埋葬出来ないシステムに胡坐を続けるのも問題です。

>創価学会に眉をひそめることはあれ、見習おう何て人がいるのですか

あるでしょうね。例えば、「大山ねずが神教の葬祭を行い、公営墓地で埋葬する」なんてのに違和感がないでしょう。

>> オモチャのような教義ほどより恐い
>創価学会が拝借している石山教義と歴史、本尊をがっちりと批判していますよ

話は脱線しますが、真如苑では「六時教判」なる教学が存在します。法華涅槃部を更に分けて涅槃最勝とするのですが・・・笑ってしまうような話ですが大真面目です。
現代においてどのような教義を説こうがそれは自由です。ただし、それが恰も何百年以来の伝統的教義であるかの如くの教説は嘘になります。そうなれば、例えばそう言った教義を許容した水密関係側にある仏教団も当然批判の的とされて然るべきと思います。私が創価学会のみを批判して大石寺を許認するのは難しいと言ったのはそのような意味です。真如苑を批判するならば、同時に真言宗醍醐派をも批判することになってしまうのですが、脱苑者の心理的ストレスを増幅させる可能性も孕むと思い躊躇せざるを得ないところです。

1894犀角独歩:2007/05/09(水) 07:22:05

マハーさん

>>> 閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響
> 所謂 十仏事 のことを言っています。

この点については、この経典自体から影響といえるかどうかは、具体的な日蓮の引用がない限り言えないと言うのが、文献的な視点ですね。

> 「偽書」と疑われる弘法大師逆修日記事

上述の経と、ここで共通するのは「逆修」という点ですね。
マハーさんの論点は、ここにあるのだろうと思えます。
しかしながら、日蓮には、この考えはなかったでしょう。まず第一に「逆修」語の使用はまったく見られません。
逆修戒名という脈絡にもなると思いますが、逆修も、戒名も、ともに日蓮には見られません。

> 偽経と言ってもニセモノではなく簡単に斥けるべきでないと言う議論もわかります だがしかしこれは大乗非仏説などの議論とは違い、私には法要がないと収入に困る側の詭弁に思えます。

いや、わたしがいわんとしていることは、そのようなことではありません。
経典というのは、そもそも後世の創作なのであって、そのなかで中国で創られたものだけを偽経というのはナンセンスではないかということです。
輪廻転生と回忌法要の矛盾は、しかし、法要を収入源とする側の問題と言うほど単純なものではないとわたしは思えます。

> 完成者と修行者の関係を見れば、やはりあくまでも如来の舎利

法華経における舎利崇拝はあり、また、日蓮においては『木絵二像開眼之事』に舎利崇拝が見られることを見たということです。
また、日蓮の門下には親を荼毘に付し、遺骨を日蓮の許に追善供養のために持っていった有様が窺えました。しかしながら、日本は古来より、捨て墓(遺体を投げ捨てる)、もしくは土葬が風習で、荼毘にし遺骨とすることはかなり特殊なことに属したのだと思えます。

> 焼身供養した側の舎利については何も言われていません。

判読しかねます。もう少し補足いただけませんか。

> 確かに霊障とは一線を画するように思えますね。

そうですね。

> 火葬 茶昆 jhapeum は、釈迦より古く…舎利崇拝の歴史が古いとは思わない

わたしが記したことは、釈迦を荼毘に付し、その遺骨争奪が起きたのは、その前提として、遺骨崇拝があったから、つまり、遺骨崇拝は釈迦集団以前にあったという点のみです。

> ガンジス川に流す形式が舎利軽視であるとも言い切れない

ええ、もちろん、そんなことは記していません。

> 舎利がなくても、「別場所でも墓所としての供養が出来るのでは?」

なるほど、そういったご見解ですか。
日興にとって、日蓮御影像が舎利に取って代わったのだろうと、わたしは考えています。

> 日興に「遺骨崇拝」の意識が低いことが前提

なるほど。

> 私は日興門下が先祖供養に積極的でない門流のイメージであったためです。

先祖供養に積極的ではないのは、創価学会の特徴であっても、日興門下の特徴ではありません、と言いたいところなのですが、砕身舎利を軽視したのは事実ですから、そのイメージはなきにしもあらずということになりますか。

1895犀角独歩:2007/05/09(水) 07:22:59

―1894からつづく―

やや、話が拡散しているのは、舎利、遺骨、墓、先祖供養は一本の線でつながりますが、それぞれ個別の崇拝でもあるという点でしょうね。

舎利というとき、これは仏舎利を指すわけで、遺骨とは区別されます。
舎利崇拝は釈迦崇拝のひとつの形ですが、その舎利を祀る塔崇拝へ転換もし、さらに経塔崇拝から、話題になってきたような五輪塔崇拝という変遷も見せました。

遺骨崇拝は、日蓮で見る限り、魂の去った遺骨を法華経で供養することによって即身成仏させるという法門を伴う形で尊重されていくわけです。これは舎利崇拝とは一線を画します。

また、墓はマハーさんが仰るように、遺骨を埋納された特定の場所を指すわけですが、このうえに置かれる墓碑の崇拝にはつながりません。しかし、これが五輪塔といった塔を形成するとなれば、先の塔崇拝の習合します。この点は、その後の卒塔婆とも連なっていき、卒塔婆崇拝は、写本遺文で見られることになります。塔は崇拝になっていくわけでした。

また、(霊)位牌、石山では「神座」とも記しますが、故人の戒名を記した位牌崇拝という風習は古くからあり、また、日蓮門下では御影像崇拝ということも興ります。これらは祖霊崇拝のあらわれなのでしょう。道教の影響でしょうか。

ここで、ポイントになるのは、それらすべてを崇拝する在り方もあれば、そのなかの一つを採って、一切に替えるという考え方もあるということではないですか。(この典型が創価学会で、全部、本尊(日寛の印刷本尊)ですませています)

日興は、日蓮の遺骨を捨て去りましたが、御影像を造って、それを生前の日蓮のように崇めたわけです。やがて、この日蓮の像は漫荼羅と一体視もされるようになるという変遷もまた見られ、こうなると、漫荼羅は日蓮その人の替わりともなります。この典型が人即法本尊という見地で、これを即断すればもはや日蓮の墓も遺骨もかえりみなくなったのが石山の有様です。

「創価学会は墓園事業には熱心だが墓参りには無関心」というのは、よくいわれることです。創価学会には遺骨に霊魂が宿るという発想は「ない」と言いきってもよいかもしれません。「生命は宇宙に冥伏する」というのが、戸田さん已来の考えでしょう。

やや、話題に上がりつつありますが、すぴこんという奇妙な展開を見せる「スピリチュアル」ですが、では、これと生命論はなにが違うのかというのは、マハーさんとの議論のなかでは、実は一つの論点なのだとわたしは見ています。

その視点を睨んで記せば、スピリチュアルといわれる亡者の「霊」は、生者を守護したり、災いをなしたりといった働きかけをするととらえられますが、創価学会でいう「死後の生命」は、宇宙に冥伏しているばかりで、生者に影響を与えるとは見なされません。また、この「生命は業を感じる」とし、生前の行いに従ってその生命が苦楽を感じながら、次の生まれ変わりをしていくというのが、創価学会の考え方です。しかし、この死後の生命は、生者に影響を与えるものではありませんから、霊障、徐霊のニーズは、創価学会にはないわけです。ここが、伝統教団がいう先祖供養、またスピリチュアルブームでいう霊の扱いと決定的に違うところでしょう。

1896犀角独歩:2007/05/09(水) 07:23:41

―1895からつづく―

> 日蓮はこの逆修思想を強く打ち出してるイメージ

近代の日蓮門下一般を見ると、逆修という考えは根付いています。
『日蓮宗事典』では、以下のように記述されています。

「預修とも称す。現在では「生前に法号を受けること」の意味に使われているが、本来は死後の往生菩提に資するために、供養を生前に自らの手で行うことをいう。つまり死後の追福はその利益少なく、正前に修する逆修は功徳が大なるものであると考えられた。これらの典拠は『地蔵菩薩本願経』に「若し男子女人ありて、在生に善因を修せず、多く衆罪を造らんに、命終の後、眷属小大為に福利を造るとも、一切の聖事は七分の中にして而も乃ち一を獲るのみ。六分の功徳は生者自ら利す。是を以て未来現在の善男女等、健やかなるとき自ら修するを聞き、分ち分ち巳に獲る」と説くところである。つまり、死後の追福で死者はその功徳の七分の一を受け、七分の六は生者が受けるという。また勝範(九九六−一〇七七)撰の『智無智通用集』などにも見出せる。これによると、逆修忌日を一年間に限定し、三十三回忌まで一三回の仏事を行うものとし、そして「右此日逆修作善七分全得日也」といって、生前みずから逆修すれば、七分の功徳を全得するというのである。このあたりを、その源泉とするものであろう。このことは、日本において平安時代すでに逆修の仏事が行われていたことを物語る。日蓮宗において逆修の仏事が盛んに行われた顕著な例は、中山法華経寺教団にみられる。すなわち一四世紀終末から一五世紀の初頭になると曼荼羅、特に交名部に逆修と刻み込まれた大型の板曼荼羅を始めとして、逆修のために建立した板碑が数多く現出する。このことは中山法華経寺教団の発展過程の中で、逆修の仏事を提唱することで、人々の進行を獲得していったといえる。またこの逆修が人々の中心仏事として定着したともいえると共に、人々の来世への限りない不安感から逆修という仏事が重要視されるに至ったものであろうと思われる。また、檀信徒に逆修法号を授ける場合には単に法号の書付けを渡すのではなく、「授戒式」を行うようにすべきである。式のつとめ方は『宗定法要式』「帰正式」に準ずる。逆修の書式は一例を挙げれば左の如くである。
(表書)=糊入又は奉書を用いて、横二つ折とし、更に、それを縦三つ折にすること。
 法号の内、二文字(日号ある場合には、日号)を朱書する。位号(居士、大師、信士、信女等)は、預修の時に必ず書き入れると限ったものではない。」

日蓮没後100年以降(14世紀)、主に中山法華経寺からとんことです。つまりは、日蓮にその考えはなかったということでしょう。
まあ、ついでに記せば、ここ富士門下では、この逆修は摂取されませんでした。

> 日蓮は本義であるところの本地(仏)垂迹(神)説を採用してる

ええ、これはそのとおりであろうと思います。

> …タントリズムや、神仏習合や山岳信仰、氏神説、やモガリなどは、鎌倉以前からありました。日蓮に使用法が見当たらないのではなく、日蓮が採用しなかった・・・不必要であったのでしょう。そしてこれにはきっと論理的な理由があった筈と思います。

これは、非常に簡単明瞭なことです。日蓮にとっては、供養は法華経、それ以外は不要と見なしたからでしょうね。

> ナラカが本来どのようなサンスクリット言語からの発生かわかりませんが、場所を表す言語とはやや違って、「人の状態」や「ありさま」を指す言語に近いと思います。

地獄が場所か・状態かというのは、いわば教相と観心のようなものでしょう。
どちらかではなく、両方だと思いますね。。

> 法華経で使われる「アビーチ」は程度を表す、「最下層」「一番」「最も」などでしょう。

これは状態ではなく、場所ですね。「地の下一百由旬」などというわけですから。説明するまでもないでしょうが、由旬は帝王は一定の時間に行軍できる距離を指す実数語ですから、つまり、その距離に地底であるという具体的な場所を指していますね。

1897犀角独歩:2007/05/09(水) 07:24:40

―1896からつづく―

> 閻魔yamaの方角は南方向…水平の方向の意思が散見されます

これはすこし混乱がありませんか。
yamaは人で一番最初に死に、一番最初に死の世界に行った人というのがモチーフですが、これが閻魔になって地獄の審判になるのはあとの話です。

yamaの段階では、単に冥府の王で、そこは地獄ではありません。
古代インドでは、冥府も楽園も、仰る水平方向、つまり、歩いていける地続きの場所として想定されていました。しかし、地獄は地の下でした。yamaが閻魔となって地獄と習合した段階で閻魔まで地の下に移動させられたというのが時系列でしょう。また、点は二火道説でも見られるように荼毘に付して煙になった遺体が上る方向ですから、天です。つまり、地から見た上と見なされていました。神が天と同じ梵語の訳であることも頷けます。
冥府・楽園は水平でも、天と地獄は上下でした。
岩本裕師は『極楽と地獄』のなかで

「地獄の信仰なり思想なりがインドの原住民の宗教信仰の影響で成立したという証拠はまったく知られていない。
ところが、インダス文明の時代以来交流の行われていたチグリス=ユーフラテス河流域には、古くから地獄の思想があったことが知られている。すなわち、この地域には世紀三千年のころから栄えたシュメール族の間には「戻ることのない国」クルの信仰があった。冥府クルは地下の陰鬱な国で、バビロニアおよびアッシリアのアラルルー、ヘブライ族のシェーオールとともに、セム民俗が古くからもっていた地獄思想の表象である…地獄についての信仰は世紀前十世紀ごろよりのちにインドに達したと考えられる」(P163)

といいます。つまり起源の段階で既に「地下の陰鬱な国」とされているわけです。

> 法華経で説かれるところの「阿鼻獄」はヤマ天(最初の死者)のいる場所との発想と一致しない

法華経では「下至阿鼻地獄」ですね。
日蓮門下で、ヤマ天という発想は希薄でしょうね。

> 「往生要集」では、「八に阿鼻地獄とは、大焦熱の下、欲界の最低の処にあり」云々という具体的な地獄図になっていますね。

この具体的位置を、日蓮は『往生要集』によったのか、『法華経』に基づいたのかという投げかけですか。なるほど。

>…各教団所有の地獄観からの超克が有効であり、必要条件でもあると思いますが、具体的イメージだと逆に抜けやすい気がします。

これはなかなかのご賢察であると思います。

1898犀角独歩:2007/05/09(水) 07:25:19

―1897からつづく―

> 真如苑…「一闡提に堕ちる」…「一闡提」語句そのものへのわからない恐怖感が強く残ってしまう

「一闡提」語の用法は独特ですが、特定語の恐怖操作は、ありがちな操作ですね。

> 私はここで、各自の檀那寺、菩提寺と、新興宗教団体の教義との一致性を取り上げてる

これは了解しました。

> 檀那寺での戒名でなければその寺に埋葬出来ないシステムに胡坐を続けるのも問題です。

まあ、ここはどうでしょうか。自治権に関わる問題ですね。
取り敢えず、長くなるのでスルーします。

>> 創価学会に眉をひそめることはあれ、見習おう何て人がいるのですか
> あるでしょうね。

そのご見解ですか。
こう記せば、少しコンセンスが取れるかも知れません。
わたしが創価学会の影響を評価しないのは、特定グループののプロパガンダには引っかからないという前提です。この点はマハーさんも同様ではないでしょうか。要は、創価学会の友人葬は日本社会の葬儀に大きな影響を与えている=創価学会はすごい、という学者を担ぎ出してのお祭り騒ぎには慎重に傍観するという立場だからです。

> 真如苑では「六時教判」なる教学…法華涅槃部を更に分けて涅槃最勝とする

六時教判という言葉は、笑止千万ですが、涅槃最勝は天台が出現した前夜の中国仏教の在り方そのものですね。
故に華厳ばりであった天台が法華最為第一を打ち出すに当たって、華厳経を籍り、涅槃と法華の同時としなければならなかったのであろうと考えています。

> 私が創価学会のみを批判して大石寺を許認するのは難しい

これは当然のことでしょう。

> 真如苑を批判するならば、同時に真言宗醍醐派をも批判することになってしまう…脱苑者の心理的ストレスを増幅させる可能性も孕むと思い躊躇せざるを得ないところです。

慎重を期すことはけっこうなことだと思います。
ただ、真言宗醍醐派を批正するという側面は、それなりの興味を誘いますね。

1899マハー:2007/05/21(月) 19:57:46
独歩さん
御返事が遅れて申し訳ありません。

>この点については、この経典自体から影響といえるかどうかは、具体的な日蓮の引
>用がない限り言えないと言うのが、文献的な視点ですね

文献的視点となればそういうことになります。
>>1894
>まず第一に「逆修」語の使用はまったく見られません。

確かに文献的視点となれば「逆修」語句そのものの使用はなかったでしょうが、「十三回忌」、そして、日蓮門下への「入道制」を取入れ、これは逆修からのものと思います。日蓮にとって「入道」も「十三回忌」も単なる通過儀礼ということではないだろうと思います。
何かしらの宗教的意味があったはずです。
十三回忌に法華経通読するのは、
「本地大日如来に法華経の威光によって地獄の罪障消滅」を予め追善するもの、入道は「死後に備えて在家のままでの出家」ですよね。(在家の出家は矛盾しますが、そもそも矛盾してるのが逆修ですから)

>経典というのは、そもそも後世の創作なのであって、そのなかで中国で創られたもの>だけを偽経というのはナンセンスではないかということです。

文献的視点で言えば偽経となりますが、仏教の発展と見れば、中国で創作されたからとの理由だけで斥けるのは確かにナンセンスと思います。
ただ…この辺の判断は難しいですよね。
日本で作られた同じ偽経の「地蔵十王経」は?
偽経ではないが、偽作の「逆修日記事」、まして日蓮遺文の偽作も多いでしょう。
文化として根付いてしまったのは致し方ないけれども…しっかりとした認識の上でその文化の在り方を見直すことも必要と思います。

>輪廻転生と回忌法要の矛盾は、しかし、法要を収入源とする側の問題と言うほど単
>純なものではないとわたしは思えます。

はい。私もそのように思います。そこで「日本人の先祖観」を取り上げなければならないと考えています。日蓮は民に根付いた民俗信仰を否定せず包容しながら法華経を宣揚したのだと思います。

>荼毘にし遺骨とすることはかなり特殊なことに属したのだと思えます

私も同意です。
しかも、もうひとつかなり特殊だと思えることは、佐渡の住人が身延に墓所を持つと言うことです。

1900マハー:2007/05/21(月) 20:01:24
1899から続き

>> 焼身供養した側の舎利については何も言われていません。

>判読しかねます。もう少し補足いただけませんか。

薬王菩薩本事品第二十三での
一切衆生憙見菩薩の焼身供養の件のことです。
「於日月浄明徳仏前。以天宝衣。而自纏身已。潅諸香油。以神通力願。而自燃身。光明遍照。」
「日月浄明徳仏の前に於て、天の宝衣を以て自ら身に纏い已って、諸の香油を潅ぎ、神通力の願を以て自ら身を燃して、光明遍く八十億恒河沙の世界を照す」

布で巻いて油を注いでの点火の仕方は釈尊の葬法と似ていますが、この菩薩の舎利についてはその後出てきません。舎利供養の対象から菩薩としての修行者は外れているのではないかと思います。法華経や涅槃経で提議している舎利供養とは結局、「偉大な仏の舎利」について我々は如何すれば良いかという着地点です。これは、シャーキャムニのサンガが始めてその死に直面して、火葬という方法をとったことを示し、逆に古来からの順当な葬法ではなく、むしろ様々な方法の中から火葬を選択したことが覗えます。

>日蓮御影像が舎利に取って代わったのだろうと、わたしは考えています。

大石寺の舎利塔が何時頃からなのか分かりませんが、独歩さんはそれこそ偽遺骨と御考えになっていると言うことでしょうか?
もしそうであれば、それこそ客寄せ威厳付けの目的だったのでしょうか?

1901マハー:2007/05/21(月) 20:03:16
>>1895

>ここで、ポイントになるのは、それらすべてを崇拝する在り方もあれば、そのなかの
>一つを採って、一切に替えるという考え方もあるということではないですか。(この典
>型が創価学会で、全部、本尊(日寛の印刷本尊)ですませています)

なるほど。これは現在では日蓮宗と日蓮正宗の違いとも取れますね。

>「スピリチュアル」ですが、では、これと生命論はなにが違うのかというのは、マハー
>さんとの議論のなかでは、実は一つの論点なのだとわたしは見ています。

これは確かに悩ましいところです。(笑)
しかし、学会の生命論は、「仏性」や「本仏」語を「生命」に置き換えているのだと思います。これは、現代の「生命観」が先にあってそれに依って教学を遡ることになりますが・・・・独歩さんの言うように、大正生命主義との新たな習合を見せたと言えるかも知れません。
戦後の成長期に受け入れられやすかったのでしょう。
こういった生命(宇宙)論よりスピコンの方がもっと伝統的で鎌倉以前からのものであり、実はスピチュアルを取り入れた仏教の方が、より正統的であるとも言えるかもしれません。現代人の感覚が懐古的なものを求める傾向になりつつあるといか、一時的にそのような様相を見せているように感じられます。密教的な「不思議」に魅かれているのでしょうか。
そういう意味では、スピチュアルと生命主義や日蓮宗学とは、本来相性が悪いと思うのですが、日蓮系がまったく「スピチュアル」を取り入れてないかと言えばそうではなくて、佼成会や霊友会などには間々見られます。
ですが富士派と「スピチュアル」に限っていえば、「相容れない」と言えるかも知れません。これは何故かと考えるに、日蓮が真言師を批判していることに忠実であるからだけではないですね。また、曼荼羅正意だからでもない・・・
私は「守護神」や「善神」の捉え方ではないかと思っているのですが。
一期一会の曼荼羅に若し「花曼荼羅」のような守護神を決めるような意味を持たせていたら、もっと「スピチュアル」的になっていたのではないかと思います。
守護神ではないが、似たような発想があるとしたら同生天・同名天の倶生神ぐらいですかね。

1902マハー:2007/05/21(月) 20:04:51
>>1896

>墓苑事業 〜
>霊障、徐霊のニーズは、創価学会にはないわけです

葬儀法要は宗教色が薄れていき、人生の通過儀礼のひとつとして扱っていくことになるでしょう。

>『日蓮宗事典』では、以下のように記述されています

非常に参考になりました。
戒名法号についてはまた折を見て投稿します。

>日蓮にその考えはなかったということでしょう。

「今度頚を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなりと申せしかば、」
種種御振舞御書は偽書と御考えですか?

>冥府・楽園は水平でも、天と地獄は上下でした

少し話が逸れますが、古来日本人も「黄泉の国」を水平方向に考えていたらしいです。

1903犀角独歩:2007/05/23(水) 07:37:38

マハーさん

> 「十三回忌」、そして、日蓮門下への「入道制」を取入れ、これは逆修からのものと思います

なるほど、“逆修の文化圏”から御覧になると、そう映じるかも知れませんね。
日蓮宗一般では行われていることですから、同じように考えられているかも知れません。ただ、ここ富士門下、殊に創価学会を含む大石寺圏からすると、回忌法要は回忌法要、入道は入道で、そこに逆修との脈絡を見ないということになります。

> 「本地大日如来に法華経の威光によって地獄の罪障消滅」を予め追善
> 入道は「死後に備えて在家のままでの出家」

これも創価学会を含む大石寺圏では、このようには考えられてはいません。

> 文献的視点で言えば偽経…偽経の「地蔵十王経」…偽作の「逆修日記事」…日蓮遺文の偽作も多い

まあ、伝承の編纂ですから、それをまとめた方も偽作という認識がないのが経典創作ですね。この点は『日本国現報善悪霊異記』などでも同様でしょうね。
ただ、日蓮遺文、漫荼羅の偽作は、故意であると考えざるを得ない節があります。

> しっかりとした認識の上でその文化の在り方を見直すことも必要

そうですね。ですから、ここでは徹底した挙証義務を課して議論をしてきたわけです。

> 日蓮は民に根付いた民俗信仰を否定せず包容しながら法華経を宣揚したのだと思います。

法華開会ということですね。


> 荼毘にし遺骨とすることはかなり特殊なこと

そうだと思います。

> かなり特殊だと思える…佐渡の住人が身延に墓所を持つ

浄土門でも、本山に分骨奉納という慣習が見られますが、わたしは寧ろ、このような風習は案外、あったことなのではないかと考えています。

> 薬王菩薩…舎利供養の対象から菩薩としての修行者は外れている

なるほど。この点は確認していません。少し調べてみようかと思います。
もし、この線から考えると、門下では日蓮を菩薩と考えていたわけですから、その遺骨と墓所の解釈は、では、どうなのかという視点が生じますね。

> 大石寺の舎利塔…偽遺骨と御考え…客寄せ威厳付けの目的だったのでしょうか?

ええ、もちろん、そう考えています。
そもそも、重須文献では遺骨が富士にないことは明らかです。それがいつの間にかあることになった。それも、その遺骨は半分しかないわけですね。
もう、かなり古い議論ですが、わたしはこの遺骨半分の記載を通じて、石山にある日蓮のものという遺骨は日目のものであると仮説を立てました。

垂井で荼毘に付された日目の遺骨は、半分ずつ、日尊は鳥辺野に埋葬し、一方、日郷は富士に持ち帰りました。ところが、日郷の持ち帰った日目の遺骨はなくなってしまいます。わたしが石山について嘆息を禁じ得ないのは正式な日目の墓所がここにはないことです。つまり日郷が持ち帰った半身の日目遺骨がない、ところが、石山が日蓮遺骨と主張するものもまた、“半身”のわけです。
故にいつの時代からか、日目の遺骨が日蓮の遺骨といわれるようになった経緯があったのではないのかと、わたしは考えています。
そして、身延の遺骨を「馬の骨」と悪し様に言うようになる頃には、日興が日蓮の遺骨を持って出たと主張する、得意の嘘つき体質が露わになったと言うことでしょう。

1904犀角独歩:2007/05/23(水) 07:38:06

―1903からつづく―

> 学会の生命論

先だって、松本修明師と話す機会がありました。そのとき、この「生命」語について、話題になりました。この語を日蓮門下ではじめて使ったのは里見岸雄であると、伊藤瑞叡師が語っていたということでした。「国立戒壇」語をはじめて使った田中智学の三男です。つまり、戸田さんは、国立戒壇も、生命も、みなこの系統からパクッたことになります。ちなみに「人間革命」という四字熟語は、堀日亨氏ご愛読の民間療法・健康法を記した本の題名でした。それを見て、戸田さんが「これだ!」と思ったかどうかわかりませんが、この人物、パクリに関しては天才的素養を発揮したことになります。

> 「仏性」や「本仏」語を「生命」に置き換えている

まあ、そうとも言えますが、日蓮門下の系譜から考えるとき、「生命」語に該当するのは、むしろ、「霊」です。福重照平の『日蓮本仏論』などを読んでも、「霊」語の使用は頻繁であり、富要でも、この点は同様です。もっと言えば、日蓮その人、天台文献もしかりです。

> スピチュアルと生命主義や日蓮宗学とは、本来相性が悪いと思う

これは、そうでしょうね。スピリチュアリズムというのは、外来思考ですから。
現在、スピリチュアルは「霊性」と訳されるわけです。しかし、意味的には、精神的な意味でのたましいの用法が先行していました。霊歌などもそうです。
日蓮が言う「たましい」は神という字を充てるわけですが、この用法と、いまでいうスピリチュアルは天台学の捌きを差し引けば、よく似ています。

> 日蓮系がまったく「スピチュアル」を取り入れてないかと言えばそうではなくて、佼成会や霊友会などには間々見られます。

この理由は、前項に記したことと無関係ではないと思います。

> 「スピチュアル」…「守護神」…「善神」…同生天・同名天の倶生神ぐらい

まあ、スピリチュアリズムというのは、神を意識したものと、まるで意識しない流れもありますね。守護神という考え方は、しかし、実に日本的ですね。唯一絶対の神を立てるような文化圏では、こんな考え方は成り立たないわけです。

> 「今度頚を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなりと申せしかば、」

これは逆修についての引用だと思いますが、わたしは、文字通り、回向 ― 自分の積功累徳を衆生に回り向かわせるということだと考えます。

> 種種御振舞御書は偽書と御考えですか?

この書の研究は、種々なされていますが、真筆と偽書の継ぎ接ぎを巻子にしたものであったわけですね。全文が偽書とは思いませんが、かなり混入があり、全体を信頼するわけにはいかない本であると思っています。

> …古来日本人も「黄泉の国」を水平方向に考えていた

これは、わたしも、この手の文献を読んだ記憶があります。

1905マハー:2007/05/24(木) 20:57:59
>>1903-1904
犀角独歩さん
大変勉強なりました。御礼申し上げます。

>故にいつの時代からか、日目の遺骨が日蓮の遺骨といわれるようになった経緯が
>あったのではないのか

直感的な物言いで申し訳ありませんが、仰られるようなことが充分有得たのではないかと思います。時期的検証や文献的な検証を挙げる能力は私にはありませんが、天文法華の乱や本末制度幕策の影響とか動機がなんとなくですが、ありそうです。

>浄土門でも、本山に分骨奉納という慣習が見られますが、わたしは寧ろ、このような
>風習は案外、あったことなのではないかと考えています。

ええ、私も有得ると思います。

>「人間革命」という四字熟語は、堀日亨氏ご愛読の民間療法・健康法を記した本の題名でした。

なるほど。健康法の本だったのですか。驚きました。
新宗教の大概のものはなんらかのパクリです。
例えば霊感商法などが近年騒がれましたが、伊勢講の御師による御初穂や旦那廻りにその走りを見る事が出来ます。

>意味的には、精神的な意味でのたましいの用法が先行していました。

精神 Spirit の意味あいですね。
私は、これからのBuddhismはそのような「Spirit」を選択していくべきと思います。

>まあ、スピリチュアリズムというのは、神を意識したものと、まるで意識しない流れもあ
>りますね

シャーマニズムや陰陽道などを色濃く反映したものは、神を意識しないように見えますが、根拠立てを求めると最終的にはアミニズムに行き着くと思います。
不思議な体験とか超能力のようなものを喧伝する宗教は、挙証主義からは程遠い世界です。最後には体験がものを言いますからね。
仏教は膨大な資料と論理的な深みがあるので、単純なアミニズム思想の理屈付けに利用して、信者を煙に巻くのには最適ですね。

>> 種種御振舞御書は偽書と御考えですか?
>この書の研究は、種々なされていますが、真筆と偽書の継ぎ接ぎを巻子にしたもの

なるほど。
割合はともかく、功徳が分配できるような思想は日蓮本人のものとは違うかも知れませんね。後世の加筆かも・・・


今回、掲示板に参加させていただいて得るものが大きかったです。
管理人様はじめ、賢学の諸氏さまに感謝致します。

1906東条英機:2007/08/24(金) 19:53:11
戦後、戸田城聖氏が創価学会を再興し隆盛を極め、政界にも進出そして後継の池田大作氏の時代なり衆議院にも進出
第四極の階層に希望を与え続けたのは事実だと思います、『第四極の階層(どの階層にも属さない所謂政治から取り残された人たち)』
しかし現在の創価学会・公明党は国家が衰退するときに必ず生じる少子高齢化現象、それは国民の精神的退行から始まるアブセンチズムが原因
だが、この事象を先取りして根本制度改革を推進する政治力が欠落している、

1907再挑戦者:2007/08/24(金) 23:13:42
、、失礼します。
 お名前が「、、」とは、実在の実名でも御座います。
 お心の御発信には御敬意を感じます。 しかし、ソコハカと無く、、怖い、??、、右翼的な、?? 、、かを感じます、? が、?

1908東条英機:2007/08/25(土) 19:00:23
再挑戦者殿
はじめまして 小生は創価学会・公明党関係者でも日蓮正宗関係者でも児玉・小佐野・笹川ライン関係者でも
ありません。
ごく普通の一般人ですよ。
全てに功罪はある事を伝えたいだけです、

1909再挑戦者:2007/08/25(土) 20:31:28
 ドーモです。
 当該HPの一応のルールでは、初めて御投稿されます場合は、それに先立って「自己紹介のスレッド」、にて、概略の信仰歴、現在までの変遷歴、今後の希望的展望などをご説明されて欲しいものですが、、?
 御気に障られましたならば、御免下さいませ。

1910偶ロム偶ログ:2007/08/29(水) 15:16:42
些細なことですが、

>1904
>「人間革命」という四字熟語は、堀日亨氏ご愛読の民間療法・健康法を記した本の題名でした。

桜沢如一著「カレル「人間」解説 : 人間革命なくして社会革命なし」東京P.U.C 1947年
のことかと思われますが、戸田氏が流用したのは
南原繁著「人間革命」東京大学新聞社出版部1948年
の方ではなかったかと記憶しています。

1911犀角独歩:2007/08/29(水) 18:10:22

1904はわたしの投稿です。

“人間革命”という用語について大橋慈譲氏の『佛教思想と富士教学』の“日亨上人を偲び奉る(16)”に「亨師は亦大変健康に十分気を付けられた。大浦孝秋の『人間革命』を購読され、青汁療法を永年に亘って実行されていた」(P345)とあったからです。

このことから、わたしは、戸田さんは、この日亨氏の有様を傍らで見ていて、この書名を‘いただいた’のだと類推していました。

ところが、いまネットで検索すると大浦孝秋著『人間革命』は見つかりません。しかし、‘青汁療法’‘大浦孝秋’‘人間’といった条件で探すと『人間医学』という一項がヒットします。

http://www.mishimaiin.jp/sonota8.htm

『佛教思想と富士教学』の誤植か、はたまた大橋氏の記憶違いか、それとも、本当に同名の書籍があったのか、答え保留となりました。
どなたか、この点をご教示いただければ幸甚です。

戸田さんの盗用については1910:偶ロム偶ログのほうがたぶん合っているのだろうと思います。

1912顕正居士:2007/08/29(水) 18:25:23
この「人間革命」という言葉は終戦後一時流行したものです。終戦後初代の東大総長に就任した
南原繁が昭和21年紀元節に行った「新日本文化の創造」と題する総長演説に起源があります。

「日本に欠けているものは『人間意識』であり、『人間性理想』であったと表明。よってその実現を
目指す主体的な人間革命による新たな国民精神の創造こそが世界的な普遍性に立つ、新日本
文化の創造、道義国家日本の建設の道であること、それが日本が世界と自らとに犯した過去へ
のつぐないを果たし、「民族の復活と新生」につながる方向である」
http://www.t-shinpo.com/tokusyu/ijin2.html
書籍  南原繁著『人間革命』東京大学新聞社1948年3月刊

時期内容ともに合致しますので戸田城聖の小説の題は南原繁由来だと考えます。

1913犀角独歩:2007/08/29(水) 19:06:56

1912:顕正居士さん

いつもながら、鋭敏なご教示、まことに有り難うございます。
参考になりました。

1914偶ロム偶ログ:2007/09/05(水) 15:03:00
オフ会および同スレッドでの、「創価学会ひとり勝ち」云々について。

「学会のひとり勝ち」
私は、発表者とは全く違う立場ですが、このタームには似たような感想をもっています。
何に勝ったとのか、発表ではよくわかりませんでしたが、要するに「学会VS反学会」という図式でのことでしょう。
反学会の動きは1974年に表面化した言論出版妨害事件までは、ミニコミでは多少ありましたが、マスコミではほとんどなされていませんでした。
批判のほとんどは、他宗教によるもので、各教団は機関紙誌で批判したり独自に冊子を出版したり、宗教関係や仏教関係の新聞で批判を続けていました。
それが言論出版妨害事件を契機に週刊誌や月刊誌が批判の中心になります。
池田氏は1970年の本部総会で公式謝罪をすることになり、公明党議員の学会内役職兼任をやめざるをえませんでした。
さらに第一次宗創紛争では学会からも批判者・造反者が出て宗門の学会批判僧侶とともに学会批判をはじめました。
このときには山友・原島といった除名幹部が、内藤国夫氏や元学会で檀徒になっていた週刊誌データマンの段勲氏などの協力で週刊誌・月刊誌で批判キャンペーンをくりひろげました。
第一次紛争にいたるマスコミの学会批判は、じつは創共協定が発端となっています。
また池田氏の宗門離れというか距離を置く言動は正本堂建立後に顕著になっていきます。
結果、池田氏は会長辞任と法華講総講頭辞任に追い込まれました。
後任の第四代会長に北条浩氏が就任しましたが、これは池田氏の指名でした。
北条氏の死去にともなって第五代会長に秋谷栄之助氏が就任、これも池田氏の指名です。
その後、池田氏の法華講総講頭再任で宗創蜜月が復活しましたが、これも第二次宗創紛争で完全決裂しました。
第二次紛争とほぼ同時に連立政権をめぐっての反創価公明キャンペーンが週刊誌などで復活します。
この時期は自民党・他教団・一部マスコミ・四月会が連携しました。
これほど長期間にわたり断続的に批判キャンペーンを受けたにもかかわらず、学会員はそれほど減少しているように見えません。
それどころか、各地の座談会では、大石寺に行ったことが無い会員が確実に増えてもいます。
また、公明党も国政では議席を減らしているものの政権与党になり、地方議会選挙では落選者をほとんど出していません。
他の教団はほとんどが政治と直接関与することを回避するようになってしまいました。
マスコミも単発的には批判はしますが、キャンペーンをはるようなことはなくなってしまいました。

こういった流れを、学会では「師弟勝利の歴史」と名づけているようです。
個々には四月会参加教団の分裂や実質的解散、参加国会議員の失脚、一部週刊誌とライターの名誉棄損での断罪、などなど。
これらは創価新報や聖教新聞の座談会で繰り返し続けられています。

つまり、学会は批判にびくともしていない、池田氏の数々の名誉称号受賞、政権与党、地方議会でのキャスティングボートなどが証明している、という論理です。
オフ会の発表者はそのような学会の実状・体質を報告してくれましたが、彼がそのように思っているということではありません。
彼が「ひとり勝ち」といったのは、これまでの学会批判が全く有効性をもたなかった、という事実を、学会ではそのように思っているのだ、という指摘であり、皮肉を込めた表現でした。

私は、不愉快になるどころか、あらためて学会に対する警戒と批判の必要性を感じましたし、反省するところがありました。

1915犀角独歩:2007/09/05(水) 18:50:11

> 彼が「ひとり勝ち」といったのは、これまでの学会批判が全く有効性をもたなかった、という事実を、学会ではそのように思っているのだ、という指摘であり、皮肉を込めた表現でした。

ここなんですよ、わたしも凝視したのは。
ただ、それが皮肉なのか・本気なのか、わたしはこの方とあまり付き合いがないので、よくわかりませんでした。けれど、偶ロム偶ログさんが、そう仰ったので、「やはり、そうか」という気分で受け止めました。

反学会側のタームは、大きく二つあります。一つは「創価学会には功徳がない」、もう一つは「事実を糾明して、創価学会に打撃を与える」

実はこの二つを総括したのが今回のご発表であったろうとわたしは傾聴していました。

顕正会あたりは、盛んに創価学会は正本堂以降、功徳がなくなった(この功徳という用法は学会を含む石山圏独特ですが、いまはそのまま使用します)というわけですが、モーニングさんが示す学会像は180度逆なわけです。「本尊も、教義も、みな二次的副次的なことだ。事実、創価学会には功徳と福運と実証が溢れている」という反学会の意見を真っ向から覆す意見を以前から述べていたわけです。つまり「創価学会にはほかなど問題にならない功徳がある」ということを「勝ち」と表現しているわけです。

今回は「仇討ち」という点にスポットが当たってしまったために、モーニングさんが述べたもう一つの結論が忘れられてしまいました。こう仰った。「われわれ学会員が伝えるものは、本尊でもなければ、教義でもない。学会精神なのだ。勝つまでやり続ける生命力を一人になって貫くということ。この学会精神がどんなものかは、学会員でなければわからない。教義などという小難しい話で説明するのではなく、会員の魂と情熱に訴える大合唱、『学会歌』という老いも若きも、学も無学も、共に手拍子をし、肩組み合って歌うなかに、端的にみることができる」

これはわたしはそのとおりだと思います、もちろん、賛同するか、否かは各人の見解ですが。

島田先生の学会分析は、外から見た創価学会の分析であり、長時間の熱弁であり、実に精緻なものでした。新たな視点が満載でした。この点は、あとから記そうと思います。
この島田先生の発表に対して、内から見た創価学会分析は、短時間の穏やかにして、しかもまた、違う意味で精緻であったと、わたしは聴きました。

島田先生は講演の終わりに「独歩さんが、いくら本尊の真偽をやっても、創価学会はびくともしないでしょう」と括りました。そのことをモーニングさんは「創価学会は本尊論は一貫している。今後、変更することはない。過去を振り返ることもしない」

そうでしょう。学会員にとっては、まさにそうでしょう。
さて、では、ここから、どうやって、「一本」を取るか、わたしは挑戦をやめたわけではありません。

1916再挑戦者:2007/09/05(水) 22:50:09
 横レス失礼。
 <、、いくら、、真偽、、やっても、、びくとも、、しないでしょう>。
 
 なかなか、含蓄のある考察ではございます。 
 ただ、あくまでも、一度か日蓮曼荼羅さまを拝んだ方では無いようです・・。
 当該のお方は、最高学府の東大の一分野の学徒・研究者に過ぎませんか。
 生きるか・死ぬか・・の修羅場を何十回も体験・実感した我らは、こんなアマチャン・ヤワな考察には、No、、と言わざるを得ません・・。 
 今後とも、諸賢の御提言には、関心・維持だけは、と存知ますが。

1917犀角独歩:2007/09/05(水) 23:01:46

再挑戦者さん

いや、島田先生の分析は、たしかでしょう。
要は、漫荼羅鑑別などでは、創価学会は微動谷もしないという分析については、です。

ただし、今後は、これまでのように、究竟の閻浮第一の本尊などいう調子ではいかない、では、今後、どうするのか、という次段階で、創価学会は動き出していますから、漫荼羅真偽といった単純な攻め口から、こちら側も、さらに新たな視点、新たな視点を睨んで、事に当たろうと思っています。

戸田さんの言葉を奪って言えば「追撃の手は緩めない」といったところです。

1918再挑戦者:2007/09/05(水) 23:54:24
、、、。
 
 ドーモ、、。
 今後には・・・・・???
 タダ、 弱者が、ボコボコ、、と痛められるのは、許容外かも〜〜?

1919偶ロム偶ログ:2007/09/06(木) 00:12:22
真偽スレの1837でこちらへの移動を提案したので、ひとこと。

私は高校時代にはじめてひとり折伏し、彼は学会に入りました。
大学時代には学内組織の春の新勧で一年生、二年生と二回やり、それぞれ数人が入ったと思いますが、これは代わる代わる何人かでの折伏でした。
私は学生時代に学会をやめましたが、卒業までの約二年半は、ある意味ではたいへんでした。
最初は学内メンバーとやりあっていたのですが、二週間たつかたたないうちに私とは一切口をきくなということになり、しかたなく、別サークルで学会批判を続けたものです。
真偽スレにも書きましたが、私は学会からすれば退転者であり謗法となったわけです。
私は幸いなことに熱心な学生部員でもなく、力説して折伏したこともうりません。
高校時代の折伏は、自暴自棄に陥っていた友人に対して、気分転換を勧めるようなもので、彼が入ったのには私が驚いてしまったくらいです。
私は学会、檀徒会、法華講を体験はしていますが元来組織が嫌いでしたから、みなさんのようなバリ活だったことはほとんどありません。
せいぜい、檀徒会のころに親類一家七人を脱会させて法華講に入れたていどです。
その後、私が正宗じたいから離れてから親類一家には本尊論や血脈問題、その他で正宗批判を続けましたが、彼らは反論せず、私の意見を受け入れたうえで、法華講にとどまっています。
「学会をやめて法華講に移ったのに、いまさらどこに行けばいいんだ」
学会では地方組織の大幹部、法華講では総代になった一家です。
受け皿のないままやめさせることはできませんし、いまでは信徒というより檀家というかんじでいるようです。

ほとんど参考にならないですね。すみません。

1920犀角独歩:2007/09/08(土) 09:22:17

『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』からの移動を、偶ロム偶ログさんから促されましたが、彫刻本尊に係る内容を少し書いておきたいので、敢えてそちらに記しました。

さて、こちらでは、『創価学会の功罪を考える』という筋から、少々記したいと思います。

このスレッド名で重要な点は功罪ということでしょう。罪過のみではなく、功績も考えるということです。

この二つはしかし、実は肯定的な立場にある人と、否定的な立場にある人では、そのバランスがまことに悪いわけです。

肯定派は、功績を肥大した形で論じますし、否定は罪過を肥大して論じるからです。まずはバランスよく考えること、つまり、実像をしっかり見据えることが第一歩となるわけです。

この点で偶ロム偶ログさんの視点は明晰なのだと思います。
わたしは脱会者としての被害者意識と、脱会後の活動家自体の自画像については加害者意識が、どうやら強いようで、厳正な中立的な分析に欠く嫌いがあったのだと、現時点で自己分析をしています。

しかし、時間というのは最大の治療師のようで、今回の合宿でモーニングさんのご発表を拝聴した際、わたし自身の関心事は、このような創価学会肯定型の内容を自分の感情がどう受け止めるのかということでした。

モーニングさんご自身にも告げましたが、わたしの第一の感想は「懐かしい」というところでした。もはや、二度と謳うこともない「学会歌」の歌詞と、クールではあるけれど、如何に創価学会幹部然とした発表した有様が、脱けて17年にして見聞するとき、どこか青春時代に命がけになっていた自分とシンクロするところがあったようでした。

問答さんとのやりとりとも関連しますが、わたしが半生をかけて何もかもを犠牲にしながらやってきた信仰、本尊と教義は“偽物”であったわけです。しかし、そこから振り返ると、その偽物の本尊と教義を信じ込んだ集団と人々のあの熱烈な信仰と行動力の源泉、創価学会の用語を使えば“生命力”は、では、どこから発生していたのだろうという新たな疑念が生じたわけです。

創価学会には功徳がないという批判はあるものの、今回のモーニングさんのご発表のように、「勝った」という実感を有する会員がいるからこそ、創価学会の現行勢力は保たれているのでしょう。ここには生命力と功徳を実感する人々がいるわけです。

たしかにカルトという言葉は熱狂的な信仰というのが、原意であって、では、その教義は真かといえば偽である、偽であるけれど、熱狂的な感動がそこにあるという反比例があるわけです。

たぶん、このような構造のなかで、感動し、“功徳”を実感する人々の心象は、偽の本尊・教義とは裏腹に、真として存在しているのだろうと思えます。
となると、ある意味、本尊・教義の真偽を問うことはナンセンスということになります。

では、この生命力の源泉、モーニングさんの言い方を借りれば、「勝ち」の源泉とはいったい何なのか、それを発表では「学会精神」だと結論していたわけです。全てを勝ちに変えていくプラス思考、それが学会精神なのだとモーニングさんはいうわけです。

1921犀角独歩:2007/09/08(土) 09:22:56

―1920からつづく―

楠山師は『立正安国論』を現代に読むという視点から日蓮の発想はプラス思考であり、念仏法然のマイナス思考と対峙すると分析していました。島田師は、わたしに対して本尊鑑別を行ったところで創価学会はびくともしないとも語ったわけです。両師によって出そろった結論は、ある面、なぜ、創価学会が日本最大の新興団体になったのか、また、会長が交代しようが何しようが、その勢力を保ち続けているのか、その要員について、モーニングさんの「学会精神」という結論と、実はまったく齟齬を来していないという一連の脈絡が、実が今回の合宿を通じた総体的な結論の一つになっていたことに、開催者であり、かつ、脱会者であるわたし自身がいちばん驚きました。

しかし、このような脈絡については、偶ロム偶ログさんは先刻ご承知なのであって、だからこそ、創価学会の功罪を見る実に長けたバランス感覚がそこにあったのだと改めて思いました。

では、一字三礼さんが仰ったような反対意見が的はずれなのかといえば、わたしは、そんなことを言いたいわけではない。つまり、このような創価学会の有様に「No!」という選択をした側は、罪過面がそこに何ら反映されていないという点を見ているからだと思います。その意味において、一字三礼さんの反応もまた、もっともだと思えます。

この点で、モーニングさんは、「創価学会は過去を振り返らない」、こう仰った。つまり、過去の発言、行動を詳細に挙げれば、現代の創価学会は、その過去の発言によって自ら自己否定を強いられることになる、その最善策が、過去を振り返られないということなのでしょう。これは創価学会にとっては、まことに都合がいいわけですが、実際に創価学会を“加害者”とみなす陣営からすれば、やはり、「冗談じゃない」ということになります。

先の学会精神ということに関連しますが、創価学会が言う師弟共戦で、かつて負けを喫した師匠を、逆転必勝に導いてきたのは何か、それが「仇討ち」なのだというのがモーニングさんがいうところでした。

法然は父親の夜襲で失い、その絶命の間際に「決して仇討ちをしてはならない。仇討ちはまた次の仇討ちを生む」と諭して出家して菩提を弔ってくれるよう遺言し、その亡父の逝去の年齢に法然念仏宗をはじめたと物語されてきたわけです。

法然の逸話と比し、いまの創価学会が仇討ちで「勝ち」を取ったという認識をするとき、しかし、メンタリティからいえば、わたしの個人的な見解として法然に劣るように感じます。

わたしは学会・顕正会を含む石山圏から距離を置き、通仏教をみるようになったとき、その寂照とした有様に魅了されました。前者の動的様は、本来、仏教がもっていた静的な部分から見ると、実に生臭く感じたという自分史があります。

この点は、一字三礼さんにご意見をお伺いしたいと思うのですが、漢訳のみならず、サンスクリット語原典も視野に入れて渉猟されてきた該博な知識からすると、この点で、モーニングさんの、というより、学会精神・仇討ちといわれるところに不快感が生じたのではないかと、わたしは観察しました。


雑駁な文章となりましたが、偶ロム偶ログさん、一字三礼さんほか、皆さんから、ご批正を賜れれば有り難く存じます。

1922犀角独歩:2007/09/08(土) 09:29:45

相変わらず訂正、すみません。

【1920】

誤)脱会後の活動家自体の自画像…中立的な分析に欠く嫌い
正)脱会後の活動家時代の自画像…中立的な分析に欠くきらい

誤)如何に創価学会幹部然とした
正)いかにも創価学会幹部然とした

【1921】

誤)その勢力を保ち続けているのか、その要員について
正)その勢力を保ち続けているのか、その要因について

誤)法然は父親の夜襲で失い
正)法然は父親を夜襲で失い

1923パンナコッタ:2007/09/08(土) 14:36:55
"その後も、深い爪痕を残す宗教"の一つであると言う事は、疑う余地はありませんね。
ただ、必要以上に罪悪感を感じてしまい、その重圧で身動きが取れないような事になっては
良くありませんね。 問答さんの示されたスタンスは、規範にも成りうる物かと思います。

学会歌の仇討ちの件につきましては、当の発表時に
「末端会員の間では歌われておらず、知らない人も多いじゃないか」と、
自分はツッコミを入れましたが、ちと温度差のある対応でしたね。

自分なりに振り返ってみれば仇討ちの復讐心は、牧口初代の獄死に対して
日本国及び日本に向けられていた感情をある意味、教団拡大の推進力に
していたんじゃないかと思えます。
また、第二次創宗紛争以降は、会長勇退→横浜で一人立つ を強調しはじめて、
"その復讐心"と増悪を、事情を良く知らない末端会員にも煽っていたのを憶えています。

勇ましい歌詞をつけた軍歌調の歌で集団の結束を図る というやり方は時代にそぐわなくなってきたのは
おそらく事実でしょう。 しかしながら主観ではありますが、この先公明党が与党から野党の一派に成り下がった時、
広布に走れ・紅の歌・威風堂々の歌 等を、末端に歌わせ結束を図る という打ち出しをしそうな気がしますね。

1925パンナコッタ:2007/09/08(土) 14:44:03
すみません。
 >日本国及び日本 → 日本国政府及び日本
    です。

管理人さん、すみません >1924は、削除してください。
お手数かけます。

1926一字三礼:2007/09/08(土) 23:25:21

犀角独歩さん

私は創価学会の歴史や事情はよく知りません。ただ、日蓮正宗の在家団体から破門・独立の経緯があり、現在にいたるのであろうと思う程度です。

だから、「創価学会は、興門系日蓮法華を奉ずる仏教団体」であるとの認識がありました。

私が最も違和感をもったのは、彼の発表する創価学会からは日蓮法華どころか、仏教の要素がまったく聞き取れないことでした。
いったい、何を布教して勝ったつもりになっているのか。
だいたい誰かに‘勝つ’だの‘負ける’だの仏教では否定されるべき価値観でしょう。

私以外の合宿参加のみなさんは、たいへんに博識で、創価学会の特殊な用語や事情を熟知した上で発表をお聞きになったのだと思います。

>メンタリティからいえば、わたしの個人的な見解として法然に劣るように感じます。

私もまったく同様に思います。創価学会は、もはや仏教団体ですらないのでしょうか。

1927偶ロム偶ログ:2007/09/09(日) 03:10:18
一字三礼さん

>創価学会は、もはや仏教団体ですらないのでしょうか。

難しいところですね。現在の創価学会は「池田思想」という非常に曖昧なものを信奉し、それを広めることをもって広宣流布と呼んでいるように見受けられます。
それだけであれば確かに「仏教団体」ではないと考えることができ、ある意味すっきりするのですが、、、。
彼らはいま現在も、漫荼羅本尊に向かい略式とはいえ勤行をし、多少は御書を読んでもいますから、「仏教系の団体」ではある、というところではないでしょうか。

>私が最も違和感をもったのは、彼の発表する創価学会からは日蓮法華どころか、
>仏教の要素がまったく聞き取れないことでした。

まったくおっしゃるとおりで、三十年前、四十年前の創価学会を知っている私や独歩さんからすれば、まったく知らない違う団体になったとしか思えない、そう感じるわけです。
しかし、モーニングさんが「仇討ちの精神」と発表されたとき、その言葉は、忘れていたけれどたしかに聞き覚えのあるものでした。
その「仇討ちの精神」は戦後、戸田城聖氏が牧口常三郎初代会長の三回忌の席上で発言したことに原点がある、というモーニングさんの指摘は正しいでしょう。
それから現在に至るまでことあるごとに学会員はそれを刷り込まれ続けてきたのです。
当然のことながら、仇討ちは勝たなければなりません、返り討ちにあって負けては「恥」になるわけです。
つまり学会員の公私は「勝利する」という強迫観念に支配されていると私は思っています。
それは池田さんの仇討ちであり学会批判に対する仇討ちであるわけですが、勝利ということについていえば、家庭で、地域で、職場で、学会員でない者には負けてはならない、そういう論理なのです。
独歩さんが指摘された、

>過去の発言、行動を詳細に挙げれば、現代の創価学会は、その過去の発言に
>よって自ら自己否定を強いられることになる、その最善策が、過去を振り返
>られないということなのでしょう。これは創価学会にとっては、まことに都
>合がいいわけですが、実際に創価学会を“加害者”とみなす陣営からすれば、
>やはり、「冗談じゃない」ということになります。

という点について言えば、学会員たちは創価学会に入ることで「謝罪から解放」された、ということなのかもしれません。
たとえ謝るようなはめに陥っても、それは池田さんであれば「学会員を守るための屈辱」であり、学会員であれば「池田先生と学会を守るため」にしたこと、そう自分に言い聞かせているのでしょう。
ですから彼らは心の底から反省するとか謝罪するということはない、私はそう思っています。
もし有るとするならばそれは、「池田先生に申し訳ない」という反省であり謝罪でしょう。
反省や自省のない仏教など普通では有り得ません。
ですから私は彼らをせいぜい「仏教系の団体」であるというていどにしか思っていないのです。

パンナコッタさん

>この先公明党が与党から野党の一派に成り下がった時、広布に走れ・紅の歌・
>威風堂々の歌 等を、末端に歌わせ結束を図るという打ち出しをしそうな気
>がしますね。

たしかにそうかもしれません。私もそのような気がします。

1928再挑戦者:2007/09/11(火) 20:48:10
偶ロム偶ログさん、
 横からご免下さいませ。
 確か、以前、小生の入信頃では「折伏教典」は規範=教科書も同然でした。 それが、なぜか、生命の重視に反する、人命の人命軽視をする方向に転換したのか、? 疑義があります。
 選挙の”一票欲しさに、!!!”「、邪宗方との和睦=与同法謗、」に通じる判断力・分析などの欠落こそが、現今の、似ても、似つかぬ、日蓮サンの否定につながった、ようでしょうか、、。
 諸賢様からの貴重な情報提供、いつも謝をいたします所存で御座います。失礼しました。

1929偶ロム偶ログ:2007/09/12(水) 04:22:22
再挑戦者さん

>「折伏教典」は規範=教科書も同然でした。

おっしゃるとおりでしたね。かつてわが家にはそれぞれ版の違う「折伏教典」が20冊以上もありました。
「折伏教典」は折伏する相手に「勝つためのマニュアル」でしたから、一種の想定問答集でもありました。
創価学会は時代や社会情勢の変化に敏感に対応して、「折伏教典」を頻繁に改訂し続けました。
しかし、それは折伏の現場からの声をくみ取ったものではなく、高学歴の教学陣たちが頭のなかだけで書いたものになっていったように思います。
創価学会の折伏は、いつのまにか民衆救済を目的としたものではなく、創価学会を広めることそれ自体が目的になってしまたように感じます。
かつて「邪宗」と呼んでいたものも、いつのまにか「他宗」になってしまいましたが、その理由は説明していません。
創価学会は、「謝罪」どころか「説明」すらもしない教団になっていますね。

1930犀角独歩:2007/09/12(水) 07:28:50

偶ロム偶ログさん

『折伏教典』は、何を原形にしたんでしたっけ。
最近、大石寺で出している、これまた、『折伏教典』を見本にしたような本は何といいましたっけ?

1931偶ロム偶ログ:2007/09/12(水) 13:28:21
独歩さん

>『折伏教典』は、何を原形にしたんでしたっけ。

戦前の皇道仏教行道会が出していた『聖衆読本』ともう一冊(ど忘れしてしまいました)を参考にしたと思います。
探し出せば出てくると思いますので、今度コピーをさしあげます。

>最近、大石寺で出している、これまた、『折伏教典』を見本にしたような本は何といいましたっけ?

大石寺が出したのは数年前の『折伏教本』ですが、最近出たのは
大草一男・編『折伏必携 完成版』(「暁鐘」390号別冊号)平19/04/28発行、713頁、頒価1700円
ですね。まあ、近来まれにみるトンデモ本です。
ちなみに216頁から始まる「第四部疑難破折編第一章本門の大御本尊について」では、
後世の偽作説
日禅授与本尊模写偽造説
脇書接合説
七箇相承違背説
願主不審説
身延無楠説
熱原法難無縁説
その他、全13項目36頁にわたって相変わらずの主張を垂れ流しています。
また241頁からの第二章宗祖本仏義、250頁からの第三章血脈相伝について、でも同様の内輪向け強弁を書いています。
第五部折伏50問50答、270〜379頁
第六部主な邪宗教の破折編、382頁〜688頁
とにかく一冊丸ごと石山体質の塊といったタノシイ本です。

1932犀角独歩:2007/09/13(木) 00:06:52

偶ロム偶ログさん

ご教示、有り難うございます。
『聖衆読本』でしたか。
で、妙観講の本というのは、大石寺すら、その発刊に責任を負っていないという不可思議な本のことですね。
こちらの山では、株式会社大日蓮出版というのを公式に創ったわけで、それはつまり、それ以外の本は、大石寺とは関係ないという表明=妙観発刊物、関係ないという意味ですね。

わたしが大石寺内事部で仕事をしているとき、教学部で許可をしない出版物は大石寺の正式の出版とは認めないと明言していました。
つまり、妙観講の発行物は大石寺の埒外ということ、つまり、内外共に“とんでも本”ということなのですね。
この辺の事情をしっかりと掌握しないと妙観講の出版事業の彼らの販売利益に貢献するだけのことになるわけですね(笑)

1933波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/13(木) 06:25:08
私の経験から言うと、妙観となんらかのトラブルがあっても石山宗務院は
全く”われ関せず”の態度をとる。

悪名高い慧妙は完全にどこが実質的出版編集かも隠していて理境坊内にあるのに、
明言を避ける。

彼らには彼らの僧侶ネットワークがあり、このネットワークの僧侶たちは
裏では慧妙、表では道心を用いてその妄言を喧伝する。

1934とおりすがり:2007/09/13(木) 16:45:29
>>悪名高い慧妙は完全にどこが実質的出版編集かも隠していて理境坊内にあるのに、明言を避ける。

一言申し上げるが、慧妙は理境坊内にはありません。
一応、富士宮市の住所地を編集地としておりますが、全ては郵便局から転送をし、出版も発送も妙観講本部(西荻窪)で行っております。
しかも、本部の行事の後に、講員を使い発送作業をさせております。
また印刷は共産党の赤旗と同じ印刷所を使用しております。
そもそも慧妙のどこにも「理境坊内」とは書いていない。
根拠不明の論はやめた方が良い。

1935とおりすがり:2007/09/13(木) 16:47:57
>>裏では慧妙、表では道心を用いてその妄言を喧伝する。

道心は宗門の通達により廃刊になった。
H師が道心上で慧妙を批判した事も影響している。
つまり上記は似非情報である。

1936波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/13(木) 18:57:33
>>1934
それは信じがたい。私の調査内容とは不一致。

慧妙には理境坊とは書いていないが編集はこの坊でなされているのは公然の秘密のはず。

>>1935
またねつ造ですか。道心が廃刊になった理由は慧妙とは全く関係のないこと。
あまりにもコジツケ過ぎて君の書き込みは抱腹絶倒ですらある。

だいたいその僧侶は、さかんに道心上でも本覚思想賛美・肯定をやり正宗宗門内でも否定的に
見られていたではないか。

その僧侶もある僧侶グループの片割れであり、道心や慧妙を使い、時には
北海道の法太郎などをその手足として使い謀略的言動や行動すら繰り広げていた
人物の一人ではないか?

旧時局グループのひとつであろうが。

1937阿佛棒:2010/02/22(月) 08:21:35
本日は創価学会禮賛をここにしるし大功徳を得てやろうと
スケベ根性で書き込む次第。

信心というのも要は結果であります。
病気は治らない貧乏である災難に見舞われる念仏者ブキャー

効果なければ信じなくて良し!であります。

現代にいたって創価学会が出現し大ブレイクしたのは
創価学会の教えによって人々が救われた何かがあった。それが思い込みやカンチガイを
含むものとしてもちょっと多過ぎませんか?

今の日本でもっとも悪口雑言を受けているのは池田先生であります。
ヒトラー麻原ビンラディン金正日と並べて世界の大悪人の筆頭であります
全くの善人とは思いませんが
先生がこんなに難を受けるのはもしかしたらオレって本佛って思っても無理からぬ。

一代で本願寺勢力に比肩する一大宗教勢力を作り上げたこの手腕はまさに世界宗教の教祖級であることは
信仰のある無しかかわらず

もっと評価されるべき

1938ちょっと立ち寄りました:2010/04/17(土) 15:45:20
創価公明をすべて悪であるという立場は取らない。何事も功罪があり、その「功」
の部分も冷静に評価すべきである。だが、創価公明の場合はいかにもプロパガンダ的に
「功」のみを過大過剰宣伝し過ぎるからそれが逆効果を生んでいる。
もっと自信をもってどっしり構えるべきではないか?

いずれにせよ池田大作後の創価は大きく方向転換の舵を切らざるを得ないだろう。
もう創価利権ネットワーク体制は縮小していくものと思われる。公明の発展的縮小と撤退、
職業幹部の減少、関連企業の縮小整理等々。

1939悟道掴悟空:2010/05/13(木) 22:47:18
悟道掴悟空と申します。皆さんこん○○は。

別に宗教一派を侮辱するつもりではありませんが、学会は未だに良いとも悪いともいえません。
ただ、天尊を求めているような感じは見受けられます。戸田氏しかり、池田氏しかり。
家系は創価学会なのですが、7〜8年前に、相当幹部のやり方に納得いかず、3度破折、2度手紙でいさめましたが、
未だに念仏僧?のような女々しい題目を送っておられるようで、少し嫌気が差します。
その幹部がとった行動も面白かったですね。当時はあまり問題化していなかった児童虐待動画を私に配布するとか、
増上慢も甚だしい行動を取ってはストーカーみたいにいる。

こういうタイプの人は、たとえば、階段を登っている時に、上段から睨んでいるようなもので、
一言でいうと 「うざい」 。
ハエか何かに集られているのかと思いましたよ、全く…。

池田「先生」にそうメールを送れば忘れ去られるように怒られる。
32歳の男がいうのもなんですが、氏の親の顔が見てみたいです。

しかも幹部を“通さずに”、直接メールを送っても返答なし。
それも一回、二回ではありません。まして十回、二十回でもありません。
百回近くの問答にも、池田大作という男は、一切返答しません。
それにつけて、改竄の寛尊についてどうかと構えれば、師匠の戸田城聖とかいう男は、
何の教育をしてきたのかと思えるほどです。

1940悟道掴悟空:2010/05/14(金) 00:53:29
もう一つ。
日蓮聖人のご教示通りに仏意仏勅(=本門のお釈迦様の本意に準ずる)をこなすと、
世にある全ての不可思議、若しくはその本果を全て開眼できます。
UFOとか霊などの素性も、事象を通して私は説明できます。

また私の仏眼は、その人の過去世を見抜くというものですが、池田大作名誉先生は
○○○良○の後世ではないかと思っていたところ、注法華経にはその三証を垣間見れて面白いです。
総じて、無敵であるかのようにうたい、確かにその通りのかな?という創価学会ですが、
注法華経を仏意仏勅で読むと、何の因行果徳でそうなっていったか垣間見れますので興味ある方はお試しください。
最近になっては確信にいたりました。

口伝である就註法華経口伝には南無妙法蓮華経と火大だけが説かれており、
他にも水大・地大・風大、総じて空大と五つあるのが分かりました。
ちなみに水大は全部書き記しています。空大も一緒のようでしたので書き記しています。

1941悟道掴悟空:2010/05/14(金) 10:37:47
この世の不思議は、全て変易生死(へんにゃくしょうじ)というもので考える事ができます。
分段生死は六道輪廻の狭間で悟れない出世を繰り返すという凡夫にはつき物の生死観ですが、
変易生死は四聖(ししょう)の活発な悟りで、三世自在の時を撰べる生死をする事ができます。
ただ、制限があって、
過去に行く場合はその現在においての定まった条理しか路にする事はできない。
未来に行く場合は、その過去現在を否定できない。
となります。
故に日蓮聖人様の「過去・現在・未来といっても、全く同じである」という理論が確実な結びとなりますね。

オカルトではありませんが、「ノストラダムスは未来から過去に生死を繰り返した」なんてありますけど、そこから考えると変易生死と理論がぴったり一致します。
ただ、弱点があって、時流にそってそうではない場合、簡単に空論になってしまいます。

霊というのは実在します。
「仏の三十二相」といいますけど、三十二相は誰しもが兼ねて備えています。それが不足している場合、人世間に往生できない。そのため霊となってしまう。
善霊は驚かせて精としないために神と同じ働きを生みます。南無妙法蓮華経では、追善供養で作仏するのはこの理論だと思われます。

現在宇宙科学を科学学会では活発に研究されていますが、宇宙の真理は釈尊の悟りであられる「宇宙即我・我即宇宙」を超えていません。過去・現在までの研究はほぼ完了済みで、未来も含まれている事実を完璧に理解すれば、それは悉く自分に過ぎないという生命の働きを鑑みる事ができると思います。

1942悟道掴悟空:2010/05/14(金) 10:59:35
経緯から考えて、像法漢土では南三北七の諸宗がありましたが、内に釈尊を敵とする悟りの法の人が見受けられました。これを諸大師は彼仏(かのほとけ)と皮肉っておられます。

特徴は
・六道の凡夫を超えない
・お釈迦様がだいっ嫌い

というところでしょう。


悟りの法というのは人間の鑑みる随一の方程式であるわけですが、すでに釈尊が体系されておられるので仏を侮って、結局は悟りの法を説こうとしても、円教である法華涅槃には負けてしまう。

うちに極楽寺良観という先生は、その中の代表的な無名の未来成道を誓う人だったと考えられます。
ただ、彼仏に過ぎないので、瞬く間に破られる。

こうして逐一在世につながる時には先立って空気を読み、何かを説いて自分が長者になろうと量る。

悟りの法の肝心は開近顕遠(かいごんけんのん)にすぎません。因んで、これをもって瞬く衆生を広開近顕遠にする人がいる時代を「如来の在世」と言います。
悟りの法が正しくないと、依報も粒子が働いて遠近が乱れてしまい、たまに水彩画のような風景を垣間見るのは、本尊が釈尊ではない題目を唱えていらっしゃる宗教があるからだと喝破します。

正宗で必要な知識はこれぐらいでしょうか?
足りないようなら、知見して書き込みますのでよろしくお願いします。

1943ひきこもり:2010/12/03(金) 21:41:30
>>1938
創価学会には多くの悩める人を救った大きな功労がありますよ。実際に創価の人は強いですよ。
問題は公明党と言う政党を作り、信者に特定の政党に投票を強制した点や特定の政党を非難させ
た点にあると思います。政党の選択を信者から奪い、民主主義とはおよそかけ離れた存在になっ
たために、宗門との離脱になったのでしょう。

1944古沢石日:2011/06/29(水) 22:27:20
お題目の力に功徳があったので布教できたのです。
昔の折伏は相手の幸福を第一に祈念したものです。
無欲の祈りに功徳をいただけた。

今は誰々を折伏して自分に功徳をもらおう!とか
組織上でのノルマでの折伏。

創価学会は勘違いしてますよ。
自分達が布教してきたってね。

人を思いやるお題目が同志を増やしてきたんですよ。
早く思い出さないと地球が無くなってしまいます。

1945古沢石日:2011/08/04(木) 01:02:04
>>1944の訂正をさせて頂きます。
>今は誰々を折伏して自分に功徳をもらおう!
これは草創期からの定番でした。
折伏の成果は自信の功徳になる。

今一番創価学会が犯している過ちは、日蓮聖人のお名前だけを
看板として使い、御文を学ばず、会長の指導を指針として活動している事です。
私もこの板で学ばせて頂き、少しながら偽書の怖さが解ってきつつあります。
ところが、地域の幹部が指導で使う御書は全て後世に作られた偽書ばかり。
それを指摘すると驚くべき答えが返って来ました。
「大聖人の御書であるか、後々誰かが作ったものか、そんな事は問題じゃない。
 我々はその御文を池田先生がご指導に引用して頂いたその時点で、その
 お言葉は先生のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。」
これは私の身辺の幹部の個人的な意見ではないと思います。
これは大変な事になってしまっています。

1946古沢石日:2011/08/04(木) 01:05:50
仏敵民主党 法戦Fどりによる功徳
こんな言葉が平然と語られています。

仏的民主党と連立を組んだら、血眼で民主党候補の応援をすると思います。
創価学会は何に「南無」しているのですか!!

1947問答迷人:2011/08/04(木) 12:57:41

古沢石日さん

>後々誰かが作ったものか、そんな事は問題じゃない。我々はその御文を池田先生がご指導に引用して頂いたその時点で、そのお言葉は先生のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。

これを日蓮聖人と入れ替えてみます。

「法華経が釈尊滅後に教団によって創作されたものであろうと、そんな事は問題じゃない。我々は、日蓮聖人が法華経の題目・妙法蓮華経の五字が究極の教えであると説かれた時点で、南無妙法蓮華経は日蓮聖人のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。』

如何でしょうか。池田崇拝と日蓮法華信仰とは、構造としてはそっくりなのではなかろうか、と思います。

1948問答迷人:2011/08/04(木) 19:27:28

追加です

日蓮法華の信仰者である僕は、次のように考えています。

「法華経が釈尊滅後数百年以上経過してからの創作であるとしても、法華経には、釈尊の悟りが正しく受け継がれており、その釈尊の悟りのエッセンスを日蓮聖人は南無妙法蓮華経として説かれたのである。」

これに対して、法華経を単なる創作物語に過ぎない、とする立場の方は、恐らく次のように考えられるでしょう。

「そもそも、大乗経典は釈尊が説いたものではない。後世の弟子の創作であり、いくら法華経が大乗経典の中の最高峰であると言っても、所詮、架空の創作物語の範囲での優劣に過ぎず、それらは釈尊とは直接何の関係もない。」

当然のことながら、考古学の立場からは、後者の大乗非仏説の方に軍配が上がりそうです。しかし、僕は次のように考えています。

「悟りは、悟った人にしか判らず、その悟りを正しく表現することは甚だ困難である。それゆえ、釈尊の弟子の中に、釈尊の悟りを追体験した方が次々と出ておられれば、大乗仏典は創作物語でありながら、物語の形で釈尊の悟った世界を表現しているという事が可能になるのではないか。つまり、非仏説でありながら、その中身は、仏の悟りを解き明かしている、という可能性を十分考えることが出来る。」

これはもう、信仰の世界です。あとは、僕自身が信仰によって、日蓮聖人の体験した世界を追体験することが出来るかどうか、この一点に尽きると思っています。

それから、池田教は当然信仰として成り立つと思います。『このようなマンモス組織を作り上げたリーダーの池田氏が、既に釈尊の悟りを追体験して仏教の精髄に到達しており、民衆を正しく導く事の出来る世界唯一の指導者である」という信仰。この信仰の是非は歴史が明らかにしてくれると思います。

1949古沢石日:2011/08/04(木) 23:14:03
問答迷人さん

ご意見を読ませていただいて本当にびっくりしました!
ご指摘のとおり、まったく同じでございます。
問答迷人さんのご意見を創価学会員は、
「釈尊 日蓮 そして 池田へと 正法は 受け継がれる。」などと
言い出しかねませんね。

しかし私は「お題目」が信仰で、日蓮聖人のご指導が信仰です。
私は釈尊をよく存じません。法華経二十八品もよく存じません。
でも、日蓮聖人が妙法蓮華経に帰命しなさいと仰せですので
それのみを信じ信仰しております。
創価学会の長は、組織の長であるだけで、会社のお偉いさんと同じです。
日蓮聖人はお命をかけて日本の柱としてまったくブレのない御一生を
過ごされました。過去現在未来、いかなる人間が現れてもどうにも
意見批判もする余地のない、最高の師であります。

1950古沢石日:2011/08/04(木) 23:21:15
池田先生には、欠片も感じれません。意見ブレ過ぎです。
先月久々に同中に行って、放送されていた過去映像みたんですが、高等部相手に右手を胸に当てる
しぐさ(アメリカの兵隊の敬礼みたいな動作です)を何回もしてました。
意味不明なのに、あんまり何度も繰り返すから、頭にきましたけど。
ピアノ演奏も見ましたが「この技術で作曲できるかな?」が感想です。
周りが持ち上げて持ち上げて持ち上げて、ヒーローになった感じですね。
私は、どうしてあんなに崇拝されているのか、まったくわかりません。
わたしが以前おまんだら書写の質問を繰り返しさせていただいたのは、
将来「池田まんだら」が出ると思いますので、そのときのためです。

1951古沢石日:2011/08/04(木) 23:22:49
×  問答迷人さんのご意見を創価学会員は
○  問答迷人さんのご意見をもし創価学会員が目にしたら

1952問答迷人:2011/08/05(金) 10:53:55

>日蓮聖人はお命をかけて日本の柱としてまったくブレのない御一生を
過ごされました。

その御一生を支えたのは何だったのか、やはり、一大秘法・妙法蓮華経の五字、という事になると思います。日蓮聖人の生き様は、驚嘆に値しますね。

1954独学徒:2011/08/06(土) 19:35:00

ご無沙汰しています。

私はお二人の意見とは正反対ですが、日蓮聖人はブレまくった人生だったと思います。

御主張もコロコロ代わっており、もって滅後の教団で異見が多数生じていると思います。

凡夫僧ですのでブレて当然、そんな生身の日蓮聖人を自分は慕っています。

最近は台家寺院に出向いて研修していますが、書名失念しましたが金沢文庫所蔵の古記録にあるとおり、日蓮聖人は何度も法論で負け行き詰まり、ご自身の主張を変化されたのだろうと想像します。

日蓮聖人の最大の間違え・謗法行為は、天台真言宗の開祖が伝教大師であったのに、弘安期に至るまでそのことに気付けず、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし、慈覚大師を誹謗してしまったことだと思います。

今はそのような生身の日蓮聖人像を確認するたびに、宗教間のイザコザほどおろかなものは無いと思います。

1955問答迷人:2011/08/06(土) 20:26:15

独学徒さん

御無沙汰いたしております。ご参加誠にありがとうございます。

>弘安期に至るまでそのことに気付けず、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし

その後、勘違いだと気付かれて訂正されたという事でしょうか。その辺りをもう少しご教授賜りたく存じます。宜しくお願いいたします。

1956独学徒:2011/08/06(土) 21:28:49

問答迷人さん、以下ご参考になれば幸甚です。

一昨年、京都国立博物館にて開催された、「日蓮と法華の名宝」展に出展された、日蓮宗大本山京都本國寺蔵・日蓮聖人御真蹟「一代五時鶏図」の記述が、それまでの吊り物と変わって台密の系譜に伝教大師の名があります。詳しくは以下の興風談所のコラムが参考になると思います。

興風談所コラム平成22年5月
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/colum_h22.html#h22_5


現在、東京国立博物館にて開催中の「空海と密教美術展」に出展されている、空海真蹟『灌頂歴名』に「最澄」の名があるようです。
http://kukai2011.jp/

伝教大師最澄が、自ら学んだ密教が傍系であることに気付き、弘法大師空海に弟子入りして、奔流の密教を天台宗に取り入れようとしたことは、歴史上の事実としてもはや受け入れざる得ないと思います。

また日蓮聖人が法論に負けていた様子を記す古文書は、以前私がブログで記していました。
以下、該当のブログを復帰させておきます。
http://fujikyougaku.blog22.fc2.com/blog-date-200701.html

また日蓮聖人の御主張が変化している点も、興風談所の「興風」掲載の所論が参考になると思いますが、一例としては興風18号所収の大黒喜道師「日蓮聖人の成仏義諸型とその受容」などがあります。

1957問答迷人:2011/08/07(日) 12:22:29

独学徒さん

ご提示誠にありがとうございます。

>台密の系譜に伝教大師の名

何らかの経緯によって、お考えを修正された訳ですね。とても興味深いご指摘です。また、現宗研の真蹟遺文において「随自意御書」と名付けられている書の記述「後延暦二十三年に御入唐、同じき二十四年御帰朝、天台・真言の宗を日本国にひろめたり。但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向てとかざるか。」(弘安元年)も、恐らくは、ここにも御考えを修正された事が窺がえる、と思いました。

>慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし、慈覚大師を誹謗

ご指摘の通り、伝教大師が弘めたのが「天台・真言の宗」であったとの認識を「随自意御書」を書かれた弘安元年頃には持って居られた訳ですから、それ以前のいずれかの時点で、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化してのではなく、伝教大師にも日本天台宗の教義を密教化してしまった責任はある、と言う風に、日蓮聖人が認識を変えられたという事だと思いました。

>日蓮聖人はブレまくった人生

「随自意御書」の、「但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向てとかざるか」という個所は、慈覚大師に対する批判が、伝教大師を含む日本天台宗に対する批判に変化した事を表明した事になりますから、比叡山に学んだ日蓮聖人に取っては、大きな心境の変化だったと思います。確かにブレたとも言えると思いました。

1958古沢石日:2011/08/07(日) 17:10:02
独学徒さん

ブレまくったとはどういう事でしょうか。
私がブレないという言葉を使ったことにたいしての対義語で
言葉を選ばず「ブレまくる」と使ったのでしょうか。
ブレまくるの意味ごぞんじですか。
あーだこーだ、こういったと思ったらこう言う、
さっきの言葉と今と全然違うよ。
あーーまただよ。あら、昨日と今日と明日全然別だよ。
こんな感じですかね。

日蓮聖人はブレまくっておられたのでしょうか。
是非ブレまくりのまくり部分を現存する文証を持って
事細かくご教示いただけますようお願い申し上げます。

1959独学徒:2011/08/07(日) 20:47:53

古沢石日さん、はじめまして。

「現存」ですか、厳しいご注文で。
「事細か」はご遠慮申し上げます。忙しいので。


かの浅経の読誦等の句に花厳・方等・般若等をいるゝたにも不思議なるに、後八年の大法法花・涅槃・大日経等をはしし入て上品上生の往生の業とするたにも不思議なるに、あまさえ称名念仏に対して法花経等の読誦はしちには往生せすなんと申て
(文永三年 真蹟断簡 池上本門寺蔵 御書全集未入集)

この時点では「後八年の大法法花・涅槃・大日経等」とあるように、大日経を爾前経としては扱わず所謂「法華涅槃時」の経典として扱っています。


法華経には正直捨方便但説無上道云云。涅槃経には邪見之人等云云。邪見方便と申は、華厳・大日経・般若経・阿弥陀経等の四十余年の経経也。
(建治三年 下山御消息 真蹟断簡分蔵)

この時点では大日経を「四十余年の経経也」と爾前経に位置づけています。
少なくとも「大日経」の取り扱いについて日蓮聖人は一期の内にブレました。
また先の投稿の如く、日本天台宗の密教化について、

日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となつく。又天台宗の慈覚・安然・恵心等は法花経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。
(建治元年 撰時抄 真蹟玉沢妙法華寺蔵)

と慈覚大師を伝教大師の師子身中の虫と誹謗されていますが、その理由は先に引用の下山抄に「叡山の円頓戒者又慈覚の謗法に曲られぬ。」と、慈覚大師から日本天台宗が密教化に傾倒したと誤解していたからでしょう。その後弘安期の「一代五時鶏図」で渋々日本天台宗の密教化が伝教大師に始まることを認識せざる得なくなっています。

遅ればせながら、本日東博の「空海と密教美術展」展観してきました。
金剛・胎蔵両界の灌頂記の第一番目に「最澄」の名が有り、伝教大師が空海に弟子入りしてまで、天台宗の教義に本場の密教を取り入れようとしていた事跡はもはや否定のしようがありません。両界灌頂の冒頭に記すなど、当初空海も最澄に対して畏敬の念をもって接していたのを感じます。

成仏義のブレに関しては、先に提示した興風談所の論考をご参考になさって下さい。
学問にはそれ相応の出費はつきものだと思います。何でもネット掲示板で得るのではなく、議論にあがった論著を手元に置く努力も必要なことと思います。

日蓮聖人は一期の弘通に一貫性は無く、門下に対する指導も変わっています。
今を生きる私たちとなんら変わらず、間違いを指摘されても頑固として曲げられなかったり、時には致し方なく考えを改めたのでしょう。

1960古沢石日:2011/08/07(日) 21:12:44
独学徒さん、ごあいさつもせず不躾なお願いをしまして
まことにもうしわけございません。
早々にご丁寧にご回答いただきまして
まことにありがとうございました。

1961古沢石日:2011/08/07(日) 23:03:51
>日蓮聖人は一期の弘通に一貫性は無く、門下に対する指導も変わっています。
>今を生きる私たちとなんら変わらず、間違いを指摘されても頑固として曲げられなかったり、
>時には致し方なく考えを改めたのでしょう。

御書も先に書かれた内容と後年とではご指導が変わっていくのでしょうか。
もしそうであれば、真蹟、写本の有無だけでなくご執筆年月日の整理も必要に
なるという事でしょうか。

>学問にはそれ相応の出費はつきものだと思います。何でもネット掲示板で得るのではなく、
>議論にあがった論著を手元に置く努力も必要なことと思います。

仰せのとおりだと思いますが、ネットからリンクリンク検索検索で得る情報量と
書籍一冊読破する情報量とでは、太平洋と牛蒡ほど差があると思います。
別にお金が無いわけではありませんが、移動もほとんど車でして、電車等で
読書の時間があれば是非読書はしたいのですが、自宅ではテレビも見ず
ネット三昧ですので、結局積読になってしまいます。

1962独学徒:2011/08/07(日) 23:33:42

古沢石日さん、

ネットの情報量は膨大ですが、信憑性を含め問題も多くあります。

本当の事が知りたいのであれば、できるかぎりの文献を収集することと、実際に寺院等に足を運んで自分の眼で実物を見る事が必須だと思います。

安房妙本寺のお虫払い法要などは、事前連絡等無くても誰でも参拝し、万年救護大本尊の御真蹟を拝する事ができます。

不動・愛染感見記も真蹟を拝する事ができます。

今年は土曜日の開催ですから、多くの方で賑わうと思います。

1963古沢石日:2011/08/08(月) 00:47:13
独学徒さん

>信憑性を含め問題も多くあります。

仰せのとおりです。これが一番の問題です。

>自分の眼で実物を見る事が必須だと思います。

これはとても大切だと思います。
以前京都博物館での国宝自筆立正安国論には
言葉に出来ないくらい感動いたしました。
数々の真筆御曼荼羅の感動、今でも昨日の事のように覚えております。

1964古沢石日:2011/08/09(火) 21:05:47
管理者さま

お手数をおかけしますが
>>1953 の書き込みを削除していただけませんでしょうか。
お時間おありの時で結構です。
読み返すとあまりにも失礼な書き込みでした。

1965古沢石日:2011/08/10(水) 23:10:07
管理者さま

お手数をおかけいたして申し訳ございませんでした。
削除ありがとうございました。


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