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創価学会の功罪を考える
1948
:
問答迷人
:2011/08/04(木) 19:27:28
追加です
日蓮法華の信仰者である僕は、次のように考えています。
「法華経が釈尊滅後数百年以上経過してからの創作であるとしても、法華経には、釈尊の悟りが正しく受け継がれており、その釈尊の悟りのエッセンスを日蓮聖人は南無妙法蓮華経として説かれたのである。」
これに対して、法華経を単なる創作物語に過ぎない、とする立場の方は、恐らく次のように考えられるでしょう。
「そもそも、大乗経典は釈尊が説いたものではない。後世の弟子の創作であり、いくら法華経が大乗経典の中の最高峰であると言っても、所詮、架空の創作物語の範囲での優劣に過ぎず、それらは釈尊とは直接何の関係もない。」
当然のことながら、考古学の立場からは、後者の大乗非仏説の方に軍配が上がりそうです。しかし、僕は次のように考えています。
「悟りは、悟った人にしか判らず、その悟りを正しく表現することは甚だ困難である。それゆえ、釈尊の弟子の中に、釈尊の悟りを追体験した方が次々と出ておられれば、大乗仏典は創作物語でありながら、物語の形で釈尊の悟った世界を表現しているという事が可能になるのではないか。つまり、非仏説でありながら、その中身は、仏の悟りを解き明かしている、という可能性を十分考えることが出来る。」
これはもう、信仰の世界です。あとは、僕自身が信仰によって、日蓮聖人の体験した世界を追体験することが出来るかどうか、この一点に尽きると思っています。
それから、池田教は当然信仰として成り立つと思います。『このようなマンモス組織を作り上げたリーダーの池田氏が、既に釈尊の悟りを追体験して仏教の精髄に到達しており、民衆を正しく導く事の出来る世界唯一の指導者である」という信仰。この信仰の是非は歴史が明らかにしてくれると思います。
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