[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
創価学会の功罪を考える
1891
:
マハー
:2007/05/07(月) 19:58:28
>神教とは何を指しますか。
>具体的になにが抜けているとお考えですか。
もしかしたら、私が知らないだけの生意気な発言だったかも知れません。
先述の民俗信仰と仏教の関りに重点をおく視点として、例えば古神道として南北朝からの「伊勢神道」やそれ以降の吉田神道の興隆、また八幡大菩薩(八幡系)、稲荷系の勢力の影響などです。
資料不足でしっかりとした提示が出来ませんが、鎌倉時代の「伊勢神道」「吉田神道」とも、反本地(神)垂迹(仏)説を唱えただろう事は容易に想像出来ます。これに対して日蓮は本義であるところの本地(仏)垂迹(神)説を採用してる筈です…八幡神(三神?)はこの時代既に大菩薩号を贈られていて、日蓮もその曼荼羅に菩薩号で勧請していますね。迹=諸天(神)=菩薩とする関係性だと思うのですが、どうもしっくり来ないと勘案していたところです。
>この筋からの検討はけっこうなことであると思いますが、原典で使用法をしっかりと
>認識したうえでが原則でしょうね。
スピコンの源流と考えられるタントリズムや、神仏習合や山岳信仰、氏神説、やモガリなどは、鎌倉以前からありました。日蓮に使用法が見当たらないのではなく、日蓮が採用しなかった・・・不必要であったのでしょう。そしてこれにはきっと論理的な理由があった筈と思います。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板