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創価学会の功罪を考える

1885犀角独歩:2007/05/03(木) 12:41:22

―1884からつづく―

> 法名の上に付く院号、道号などは諡号の転用と考えられます。

これは、違います。院号とは、院を建立寄進した者に与えられる名です。院号には二段階あり、院、そして院殿(いんでん)です。
道号は先の法号のなかでも出家者に与えられるところで区別があります。日蓮門下では日号・房号のひっくるめた言い方でしょう。

この点については戸田浩暁師の不朽の名著『日蓮宗の戒名の理論と実際』によく整理されています。

○○院(殿)=院号・○○=法号・日○=日号・(大)居士/大姉/信士/信女=位号で、この合称を戒名というのが一般です。

> 日蓮…諡号を肯定

当然でしょうね。

> 遺骨に魂の定着機能を見ていた

この魂と骨を、日蓮は密接な関係で論じています。
もっとも端的に表現されるのは『木絵二像開眼之事』のことでしょうか。

「人死すれば魂去、其身に鬼神入替て亡子孫。餓鬼といふは我をくらふといふ是也。智者あって法華経を讃歎して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身。生身得忍といへる法門是也。華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す。涅槃経に身雖人身心同仏心いへる是也。生身得忍の現証は純陀也。法華を悟れる智者死骨を供養せば生身即法身。是を即身といふ。さりぬる魂を取返て死骨に入れて彼魂を変て仏意と成す。成仏是也。即身の二字は色法、成仏の二字は心法。死人の色心を変て無始の妙境妙智と成す。是則即身成仏也。故法華経云 所謂諸法如是相[死人ノ身]如是性[同ク心]如是体[同ク色心等][云云]。又云、深達罪福相閣照於十方微妙浄法身具相三十二等[云云]。上二句は生身得忍。下の二句は即身成仏。即身成仏の手本は龍女是。生身得忍の手本は純陀是也。」

ここに日蓮の遺骨と魂の関係は明瞭です。如何ですか。

> 中間に冥界や霊界を想定していたか疑問です。

ここで中間・冥界・霊界を同一に論じられては混乱が生じます。
中間ということでは、先にも挙げたとおり、日蓮は「中有」をはっきりと想定しています。説明する必要はないでしょうが、生前は肉身が‘有’り、再生(いまでいう生まれ変わり)すればまた肉身が‘有’ります。この有と有の‘中’間を中有というわけです。しかし、これと冥界は別です。この日蓮の用法では「冥土」でしょう。霊界という考えはありませんでした。

>> 道場に納めたあと、身延に「はか(墓)」が造立されていることが後文では書かれていますね。
> これは本当に造立されたのでしょうか、造立されたすれば何でしょう?

真蹟遺文に書かれてあるわけですから、造立されたのではないでしょう。疑う余地はありません。ただし、その様式は、どうであったのかは、想像の域を出ませんが、わたしは墳墓のようものであったと考えています。

> 日蓮思想の議論には、神教側からの視点がごっそり抜けているような気がしています。

神教とは何を指しますか。
具体的になにが抜けているとお考えですか。

> この霊魂から測って考察していきたい

この筋からの検討はけっこうなことであると思いますが、原典で使用法をしっかりと認識したうえでが原則でしょうね。
わたしは空海・最澄のことをしっかり述べる力量はありませんが、日蓮、天台がいう霊・魂と、真如苑や、スピコンなどでいわれる霊魂とは、意味が全く違います。創価学会の生命は霊魂+十界+宇宙で、また、違います。まず、この点をしっかり整理したうえから検討しないと徒労に終わりますでしょうね。

> 往生要集が玄奘訳の影響を受けているのであれば、法華経のそれとはやはり違うでしょう。

具体的には、どう違いますか、というのが、わたしの質問です。


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