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創価学会の功罪を考える

1361犀角独歩:2005/01/17(月) 08:30

―1360からつづく―

なお、吉祥仙人さんが

> 私の信心が揺らぐものではありません。
> 現実の体験=現証が、確信を与えてくれています

が記されておりますが、このような発言は得に創価学会に限らず、石山でも、顕正会でも、もっと言えばあらゆる宗教で、信者は誰しも口にすることです。ことさら、特別なことではありません。換言すれば、「体験」は宗教の真価であるけれど、真実とは無縁のものです。人間という動物は、架空の出来事を事実のように実感できる想像力を発達させています。まったくの虚構、演技に過ぎない映画、演劇、テレビ番組を見て喜怒哀楽に浸れる心理構造は、宗教が与える感動、もしくは体験と密接な関係にあるのでしょう。
社会心理学で言えば「個人的リアリティ」と言われるところです。

ただ、では功徳、祈願成就はどうであるかという問いが生じます。これまた、宗教の数だけ、功徳(御利益)と罰も同じ数あります。どの宗教でも功徳はありますし、罰もあることは宗教全体を見渡せば、すぐに気付けることです。
つまり、これは信仰心は人間の能力を最大限まで活性化させるものであることを意味し、実は、その能力は、特定の集団、教義、本尊、指導者によって与えられたものではなく、個人に帰属するものであるということでしょう。

それを集団・指導者に対する恩義であるとするような心理操作は、宗教集団の「営業」トーク以上の意味を持ち合わせていません。

宗教集団・指導者信仰から脱却し、元来の宗教信仰に回帰するべきだと指摘したのは宗教病理学の専門家でもある小田晋師でした。今の創価学会員からすれば、これまた仰天することかもしれませんが、師は三障四魔教説を元に妄想を発症した創価学会員である精神障害患者を研究し論文を発表しています。

http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/open/ol001_takahasi.html#04e
(参:http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/01/01_106.htm )

いずれにしても、創価学会がカリスマ信仰から脱却した信仰形成を移行し、池田会長本仏論が過去のこととなることは、むしろ、歓迎すべきことなのでしょう。先んじた国立戒壇論の放棄は、800万人・500億円に及ぶ散財を会員に強いた点は精算されることはありませんでしたが、ラジカリズム、ファンダメンタリズムからの卒業としては意味がありました。しかし、冒頭に陳べた日本仏教集団が共通して持つ難問のクリア、さらに特権階級化した指導者ファミリーの世襲制問題、蓄財など、社会的悪評をどうクリアするか、まだ創価学会には問題は山積していることは、会員は、もっと深刻に捉えるべきであるとわたしは考えています。


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