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創価学会の功罪を考える
1901
:
マハー
:2007/05/21(月) 20:03:16
>>1895
>ここで、ポイントになるのは、それらすべてを崇拝する在り方もあれば、そのなかの
>一つを採って、一切に替えるという考え方もあるということではないですか。(この典
>型が創価学会で、全部、本尊(日寛の印刷本尊)ですませています)
なるほど。これは現在では日蓮宗と日蓮正宗の違いとも取れますね。
>「スピリチュアル」ですが、では、これと生命論はなにが違うのかというのは、マハー
>さんとの議論のなかでは、実は一つの論点なのだとわたしは見ています。
これは確かに悩ましいところです。(笑)
しかし、学会の生命論は、「仏性」や「本仏」語を「生命」に置き換えているのだと思います。これは、現代の「生命観」が先にあってそれに依って教学を遡ることになりますが・・・・独歩さんの言うように、大正生命主義との新たな習合を見せたと言えるかも知れません。
戦後の成長期に受け入れられやすかったのでしょう。
こういった生命(宇宙)論よりスピコンの方がもっと伝統的で鎌倉以前からのものであり、実はスピチュアルを取り入れた仏教の方が、より正統的であるとも言えるかもしれません。現代人の感覚が懐古的なものを求める傾向になりつつあるといか、一時的にそのような様相を見せているように感じられます。密教的な「不思議」に魅かれているのでしょうか。
そういう意味では、スピチュアルと生命主義や日蓮宗学とは、本来相性が悪いと思うのですが、日蓮系がまったく「スピチュアル」を取り入れてないかと言えばそうではなくて、佼成会や霊友会などには間々見られます。
ですが富士派と「スピチュアル」に限っていえば、「相容れない」と言えるかも知れません。これは何故かと考えるに、日蓮が真言師を批判していることに忠実であるからだけではないですね。また、曼荼羅正意だからでもない・・・
私は「守護神」や「善神」の捉え方ではないかと思っているのですが。
一期一会の曼荼羅に若し「花曼荼羅」のような守護神を決めるような意味を持たせていたら、もっと「スピチュアル」的になっていたのではないかと思います。
守護神ではないが、似たような発想があるとしたら同生天・同名天の倶生神ぐらいですかね。
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