[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
創価学会の功罪を考える
1884
:
犀角独歩
:2007/05/03(木) 12:40:15
―1883からつづく―
> …奉安堂そのものが廟堂との見方
いや、奉安堂、正本堂、奉安殿は、彫刻を祀る厨子一式を蔵として、宝蔵と同義です。しかし、実質的には、参拝料をごそっと集めるための5000席の集金システムです。あんな偽物を、偽物と知ったうえでこんな荒稼ぎをやり続ける様は、まったくの悪徳商法というほかありません。
> 廟所=墓所で良い
もちろん、そう考えます。
> 遺骨を安置せずとも祭祀場を墓と指す使用法もある
石山とその末寺に置かれる三師塔とう三連五輪塔は、まさにその典型です。
> 墓石というのは、霊や魂の固定機能を代役する部分がある
そのお考えを採っていらっしゃるわけですね。
土葬の頃は、亡者がはい出してこない重しとしたとか、なにより、動物が掘り返したりしないための蓋のような役割であったりといった実用的な側面から、墓石をあの世とこの世をつなぐゲートのように考えたり、センチメンタリズムとも、宗教的ともいえる解釈であったりと様々ですね。
きゃからばあさんというHNのお使いもありますが、五大、もしくは妙法蓮華経の五字に配当するという発展もあったわけですね。塔婆はストゥーパで五輪塔と同等の意義に対して、家名を刻む墓標は家制度先祖代々の象徴ということになるでしょうか。わたしは個人的に霊魂の「依り代」という発想よりは、今日的には遺骨の実質的な保管とメモリアルという側面からの認識が一般的なのではないかと思えます。
> 日蓮に置いては曼荼羅本尊にもこの「依り代」機能を持たせる節
いや、これはないでしょうね。日蓮は霊は、信心があれば霊山に、なければ地獄、もしくは六道輪廻という発想でしょうね。
> 霊魂やみたまを考察して行くにはこの固定機能を担うものが何であるか探るのは大変重要
。
墓がでしょうか。とすれば、この点は日本人の霊魂を探るうえでは、たしかに重要ですが、日蓮には当て嵌まらないでしょう。
「みたま」は御霊ですか。日蓮の用法は「御魂」です
先にも引用しましたが、日蓮は『文句』の「識陰如霊」(識陰は霊の如し)と引用しています。ここでいう識陰を五陰世間の識をいうのだろうと思います。では、霊については、同じく『文句』に「靈即神智是般若」(霊は即ち神智、是れ般若)というわけです。ここでいう神は、「たましい」、もしくは心を意味し、それが般若=智であるというわけですね。いま言われるような‘スピリチュアル’な意味とは全然違います。つまり日蓮が霊と言うときは、この線でしょう。先祖の霊を日蓮的に訳せば、先祖の遺志ほどの意味となろうかと思えます。
> 日蓮…「遺骨崇拝」とまで行きますか?
この点は、骨と魂ということで後述します。
> 諡号と戒名はその成り立ち用法、目的と全く異なっています。転じて死後戒名に発展したというのは誤解と思います。
これは、わたしの文章が拙(まず)いので、マハーさんは判読を取り違えていらっしゃります。わたしは、死後、名を贈るという風習が、本来、大陸からの影響で日本にはあったので、それが戒名にも適用されたと言いたかったのです。
戒名とは戒を受けるときに授かるのが本来の在り方でしょう。ですから、その成り立ちは、よほど、法号に近いわけです。しかし、近代では、無信仰で、ただ、葬儀といえば、寺に頼むといった有り体ですから、生前の受戒名が廃れたのでしょう。そこで死後の段階で遅ればせながら、引導の段階で戒名授与となったというのが歴史ではないですか。それがいつのまにか葬儀の段階で戒名をつけるのが当たり前となり、さらに高じて「生前戒名」を売るような宗教ビジネスまで興りました。嘆かわしい話です。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板