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創価学会の功罪を考える

1360犀角独歩:2005/01/17(月) 08:29

> …三徳を具備する本仏は久遠元初の自受用身即日蓮大聖人

そもそも、この考え自体、中世以降の捏造教学であり、日蓮その人とはまったく無縁のものであること、漢訳仏教の恣意的翻訳操作の問題、さらに法華経に留まらず、すべて大乗仏典は、釈尊とは無縁の創作仏教物語である…、という幾重にも折り重なった多くの問題を、日蓮門下は抱えていることを留意しなければならないわけです。

> …会長が本仏であるとの論は会長が日蓮大聖人
> …転倒した論議が30年前に大真面目に語られていた…
> また、この議論により多勢の脱会者が出たと・・・
> そんなバカバカしい事が有り得たのでしょうか?

ええ、事実です。
ただ、そのようなことを「バカバカしい」と思う学会員が、そのまま、会に居続けられるようになったことは、大変にけっこうなことであろうかと存じます。

しかし、実際、現在でもそう信じている人たちは確かに存在するでしょう。
宗門から離脱し学会にいった僧侶の中には「池田先生が袈裟衣を着れば日蓮大聖人」と語った話は石山ではまことしやかに語られていました。


ただし、指導者を神仏の再誕とする論は、池田さんとその周辺に限らず、いつの時代でも、集団化した人々に動かす基本原理となってきたものでした。天台を小釈迦といい、また、聖徳太子信仰もそのような影を持ち、伝教崇拝も天台再誕説を孕むわけです。保田教学では、中興の祖・要師を目師再誕と見做していたことが我師『申状見聞』から仄聞できます。

石山ではそもそも、蓮師と釈尊を同一仏であるとする考えは寛師に見られ、ひいては久遠元初自受用報身如来と看做すことも、これまた再誕論であることは、殊に日蓮本仏論者は意識しなければいけないわけです。大勇者さんの言を籍りれば、一般の日蓮門下すれば、さらに社会一般からすればまことに「バカバカしい」と映ずる教義であることを知らなければなりません。

沸騰した熱烈な個人崇拝が、それ以前の宗教、もしくは教義から派生するとき、必ずや原型となった崇拝対象との同一視が生じ、そして、再誕論がまことしやかに語られてきた…、それが古今東西、人類が紡いだ歴史の現実であり、石山は言うに及ばず、興師門下、そして、近代では創価学会もその例外ではなかったということです。


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