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創価学会の功罪を考える
1927
:
偶ロム偶ログ
:2007/09/09(日) 03:10:18
一字三礼さん
>創価学会は、もはや仏教団体ですらないのでしょうか。
難しいところですね。現在の創価学会は「池田思想」という非常に曖昧なものを信奉し、それを広めることをもって広宣流布と呼んでいるように見受けられます。
それだけであれば確かに「仏教団体」ではないと考えることができ、ある意味すっきりするのですが、、、。
彼らはいま現在も、漫荼羅本尊に向かい略式とはいえ勤行をし、多少は御書を読んでもいますから、「仏教系の団体」ではある、というところではないでしょうか。
>私が最も違和感をもったのは、彼の発表する創価学会からは日蓮法華どころか、
>仏教の要素がまったく聞き取れないことでした。
まったくおっしゃるとおりで、三十年前、四十年前の創価学会を知っている私や独歩さんからすれば、まったく知らない違う団体になったとしか思えない、そう感じるわけです。
しかし、モーニングさんが「仇討ちの精神」と発表されたとき、その言葉は、忘れていたけれどたしかに聞き覚えのあるものでした。
その「仇討ちの精神」は戦後、戸田城聖氏が牧口常三郎初代会長の三回忌の席上で発言したことに原点がある、というモーニングさんの指摘は正しいでしょう。
それから現在に至るまでことあるごとに学会員はそれを刷り込まれ続けてきたのです。
当然のことながら、仇討ちは勝たなければなりません、返り討ちにあって負けては「恥」になるわけです。
つまり学会員の公私は「勝利する」という強迫観念に支配されていると私は思っています。
それは池田さんの仇討ちであり学会批判に対する仇討ちであるわけですが、勝利ということについていえば、家庭で、地域で、職場で、学会員でない者には負けてはならない、そういう論理なのです。
独歩さんが指摘された、
>過去の発言、行動を詳細に挙げれば、現代の創価学会は、その過去の発言に
>よって自ら自己否定を強いられることになる、その最善策が、過去を振り返
>られないということなのでしょう。これは創価学会にとっては、まことに都
>合がいいわけですが、実際に創価学会を“加害者”とみなす陣営からすれば、
>やはり、「冗談じゃない」ということになります。
という点について言えば、学会員たちは創価学会に入ることで「謝罪から解放」された、ということなのかもしれません。
たとえ謝るようなはめに陥っても、それは池田さんであれば「学会員を守るための屈辱」であり、学会員であれば「池田先生と学会を守るため」にしたこと、そう自分に言い聞かせているのでしょう。
ですから彼らは心の底から反省するとか謝罪するということはない、私はそう思っています。
もし有るとするならばそれは、「池田先生に申し訳ない」という反省であり謝罪でしょう。
反省や自省のない仏教など普通では有り得ません。
ですから私は彼らをせいぜい「仏教系の団体」であるというていどにしか思っていないのです。
パンナコッタさん
>この先公明党が与党から野党の一派に成り下がった時、広布に走れ・紅の歌・
>威風堂々の歌 等を、末端に歌わせ結束を図るという打ち出しをしそうな気
>がしますね。
たしかにそうかもしれません。私もそのような気がします。
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