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創価学会の功罪を考える

1899マハー:2007/05/21(月) 19:57:46
独歩さん
御返事が遅れて申し訳ありません。

>この点については、この経典自体から影響といえるかどうかは、具体的な日蓮の引
>用がない限り言えないと言うのが、文献的な視点ですね

文献的視点となればそういうことになります。
>>1894
>まず第一に「逆修」語の使用はまったく見られません。

確かに文献的視点となれば「逆修」語句そのものの使用はなかったでしょうが、「十三回忌」、そして、日蓮門下への「入道制」を取入れ、これは逆修からのものと思います。日蓮にとって「入道」も「十三回忌」も単なる通過儀礼ということではないだろうと思います。
何かしらの宗教的意味があったはずです。
十三回忌に法華経通読するのは、
「本地大日如来に法華経の威光によって地獄の罪障消滅」を予め追善するもの、入道は「死後に備えて在家のままでの出家」ですよね。(在家の出家は矛盾しますが、そもそも矛盾してるのが逆修ですから)

>経典というのは、そもそも後世の創作なのであって、そのなかで中国で創られたもの>だけを偽経というのはナンセンスではないかということです。

文献的視点で言えば偽経となりますが、仏教の発展と見れば、中国で創作されたからとの理由だけで斥けるのは確かにナンセンスと思います。
ただ…この辺の判断は難しいですよね。
日本で作られた同じ偽経の「地蔵十王経」は?
偽経ではないが、偽作の「逆修日記事」、まして日蓮遺文の偽作も多いでしょう。
文化として根付いてしまったのは致し方ないけれども…しっかりとした認識の上でその文化の在り方を見直すことも必要と思います。

>輪廻転生と回忌法要の矛盾は、しかし、法要を収入源とする側の問題と言うほど単
>純なものではないとわたしは思えます。

はい。私もそのように思います。そこで「日本人の先祖観」を取り上げなければならないと考えています。日蓮は民に根付いた民俗信仰を否定せず包容しながら法華経を宣揚したのだと思います。

>荼毘にし遺骨とすることはかなり特殊なことに属したのだと思えます

私も同意です。
しかも、もうひとつかなり特殊だと思えることは、佐渡の住人が身延に墓所を持つと言うことです。


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