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創価学会の功罪を考える
1897
:
犀角独歩
:2007/05/09(水) 07:24:40
―1896からつづく―
> 閻魔yamaの方角は南方向…水平の方向の意思が散見されます
これはすこし混乱がありませんか。
yamaは人で一番最初に死に、一番最初に死の世界に行った人というのがモチーフですが、これが閻魔になって地獄の審判になるのはあとの話です。
yamaの段階では、単に冥府の王で、そこは地獄ではありません。
古代インドでは、冥府も楽園も、仰る水平方向、つまり、歩いていける地続きの場所として想定されていました。しかし、地獄は地の下でした。yamaが閻魔となって地獄と習合した段階で閻魔まで地の下に移動させられたというのが時系列でしょう。また、点は二火道説でも見られるように荼毘に付して煙になった遺体が上る方向ですから、天です。つまり、地から見た上と見なされていました。神が天と同じ梵語の訳であることも頷けます。
冥府・楽園は水平でも、天と地獄は上下でした。
岩本裕師は『極楽と地獄』のなかで
「地獄の信仰なり思想なりがインドの原住民の宗教信仰の影響で成立したという証拠はまったく知られていない。
ところが、インダス文明の時代以来交流の行われていたチグリス=ユーフラテス河流域には、古くから地獄の思想があったことが知られている。すなわち、この地域には世紀三千年のころから栄えたシュメール族の間には「戻ることのない国」クルの信仰があった。冥府クルは地下の陰鬱な国で、バビロニアおよびアッシリアのアラルルー、ヘブライ族のシェーオールとともに、セム民俗が古くからもっていた地獄思想の表象である…地獄についての信仰は世紀前十世紀ごろよりのちにインドに達したと考えられる」(P163)
といいます。つまり起源の段階で既に「地下の陰鬱な国」とされているわけです。
> 法華経で説かれるところの「阿鼻獄」はヤマ天(最初の死者)のいる場所との発想と一致しない
法華経では「下至阿鼻地獄」ですね。
日蓮門下で、ヤマ天という発想は希薄でしょうね。
> 「往生要集」では、「八に阿鼻地獄とは、大焦熱の下、欲界の最低の処にあり」云々という具体的な地獄図になっていますね。
この具体的位置を、日蓮は『往生要集』によったのか、『法華経』に基づいたのかという投げかけですか。なるほど。
>…各教団所有の地獄観からの超克が有効であり、必要条件でもあると思いますが、具体的イメージだと逆に抜けやすい気がします。
これはなかなかのご賢察であると思います。
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