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創価学会の功罪を考える
1894
:
犀角独歩
:2007/05/09(水) 07:22:05
マハーさん
>>> 閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響
> 所謂 十仏事 のことを言っています。
この点については、この経典自体から影響といえるかどうかは、具体的な日蓮の引用がない限り言えないと言うのが、文献的な視点ですね。
> 「偽書」と疑われる弘法大師逆修日記事
上述の経と、ここで共通するのは「逆修」という点ですね。
マハーさんの論点は、ここにあるのだろうと思えます。
しかしながら、日蓮には、この考えはなかったでしょう。まず第一に「逆修」語の使用はまったく見られません。
逆修戒名という脈絡にもなると思いますが、逆修も、戒名も、ともに日蓮には見られません。
> 偽経と言ってもニセモノではなく簡単に斥けるべきでないと言う議論もわかります だがしかしこれは大乗非仏説などの議論とは違い、私には法要がないと収入に困る側の詭弁に思えます。
いや、わたしがいわんとしていることは、そのようなことではありません。
経典というのは、そもそも後世の創作なのであって、そのなかで中国で創られたものだけを偽経というのはナンセンスではないかということです。
輪廻転生と回忌法要の矛盾は、しかし、法要を収入源とする側の問題と言うほど単純なものではないとわたしは思えます。
> 完成者と修行者の関係を見れば、やはりあくまでも如来の舎利
法華経における舎利崇拝はあり、また、日蓮においては『木絵二像開眼之事』に舎利崇拝が見られることを見たということです。
また、日蓮の門下には親を荼毘に付し、遺骨を日蓮の許に追善供養のために持っていった有様が窺えました。しかしながら、日本は古来より、捨て墓(遺体を投げ捨てる)、もしくは土葬が風習で、荼毘にし遺骨とすることはかなり特殊なことに属したのだと思えます。
> 焼身供養した側の舎利については何も言われていません。
判読しかねます。もう少し補足いただけませんか。
> 確かに霊障とは一線を画するように思えますね。
そうですね。
> 火葬 茶昆 jhapeum は、釈迦より古く…舎利崇拝の歴史が古いとは思わない
わたしが記したことは、釈迦を荼毘に付し、その遺骨争奪が起きたのは、その前提として、遺骨崇拝があったから、つまり、遺骨崇拝は釈迦集団以前にあったという点のみです。
> ガンジス川に流す形式が舎利軽視であるとも言い切れない
ええ、もちろん、そんなことは記していません。
> 舎利がなくても、「別場所でも墓所としての供養が出来るのでは?」
なるほど、そういったご見解ですか。
日興にとって、日蓮御影像が舎利に取って代わったのだろうと、わたしは考えています。
> 日興に「遺骨崇拝」の意識が低いことが前提
なるほど。
> 私は日興門下が先祖供養に積極的でない門流のイメージであったためです。
先祖供養に積極的ではないのは、創価学会の特徴であっても、日興門下の特徴ではありません、と言いたいところなのですが、砕身舎利を軽視したのは事実ですから、そのイメージはなきにしもあらずということになりますか。
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