[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
創価学会の功罪を考える
1450
:
犀角独歩
:2005/02/09(水) 19:33:41
1449 吉祥仙人さん:
> 空洞化とは、認識不足と言える
たぶん、誤解なさっているんじゃないでしょうか。
わたしは意識ある創価学会員(たとえば、吉祥仙人さんのような方)は、ご自分なりの意義を感じ、活動されていらっしゃるのでしょうから、仰るとおり、空洞化を感じていないわけでしょうね。
それはそれでけっこうなことであると思うわけです。
わたしが子供の頃、創価学会に具多的な目的がありました。
つまり、国立戒壇=正本堂の建立を通じた一国広宣流布と平和楽土の建設です。
国立会談論は当の正本堂が建つ頃には民衆立と方向転換されました。(わたしは、これは別段、当然の変更であると評価しています。ただし、それまでの打ち出しから改変されたのは事実です)
いまも、顕正会が言うところですが、これはもはやアナクロニズムというほかありません。まあ、それは、当スレッドとも、吉祥仙人さんともまるで関係はありませんが。
話を本筋に戻しますが、わたしが小学生であった頃、ともかく、創価学会には、仏法としての、国家を相手取った目的があったわけです。個人には人間革命という目的がありました。ところが、いまの創価学会は人間革命という個人的な目的はあるにせよ、国家という目的については、必ずしも明確ではなくなってきているわけです。
これは憶測の域を出ませんが、吉祥仙人さんとデルトロさんの「広宣流布」議論というのは、そんな見解の相違から端を発しているようにわたしには映じます。
たしかに創価学会は公明党を通じて、国政に参画することによって、国家を善くしていくという実際的な活動があります。(その賛否をここに問うものではありません)ところが、これは宗教法人としての目的ではなく、あくまで公明党という政党の範疇を越えるものではないわけですね。
この点で、外部から観察していると、創価学会(員)は公明党の支援を通じて以外、いったい、仏教理念をどのように実現しようと考えているのだろうか?という疑問が生じることになるわけです。
それが「政治活動で」というのであれば、それはもはや宗教活動と言うより、政治活動です。
このような点が曖昧であれば、外部から観れば、「空洞化しているのではないのか」という疑問が生じる一つの要因になるのではないでしょうか。
また、たとえば、創価学会に公式に「いまの会員数は何名ですか」と問い、さらに「そのうち、どれだけの方が実動されているのでしょうか」と問うたとき、どんな答えが返ってくるのでしょうか。
学校を例に採りましょうか。クラスに50人いました。
そのうち、5人しか学校に来ない、意義を感じない、必要性を感じない、と思っていたら、「学校は空洞化している」などいう批判が上がるのではないでしょうか。
吉祥仙人さんは、この‘統計’を掌握されていますか。このパーセンテージが低ければ低いほど、それは組織としては、「空洞化」という観察は避けられないのではないでしょうか。
以上が「空洞化」の意味です。ただし、これは批判とか、そんなことではなく、今後の創価学会の課題として、注目されている点ではないでしょうか。要は空洞化を感じさせない実際的な宗教法人としての活動、さらに、その会員数に比した動員数の増加があれば、誰も、そのような認識はしないと思います。それを単に、認識不足と切り捨てるのは、開かれた議論とは言えなでしょう。
また、わたしは1448に吉祥仙人さんの「楽観」はどこから生じるのかと問うたのであって、その点は、何も応えず、単に「認識不足」と切り捨てては、創価学会を排他的と誤解させるのではないでしょうか。
つまり、楽観の理由、実際の活動、さらに活動比率をここに挙げられれば、事は済むことであるからです。どうでしょうか。
ただし、これは詰問しようという意図ではなく、このような応答のなかで、創価学会の‘誤解’は解けるという点を、特にわたしは強調したいわけです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板