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創価学会の功罪を考える

1915犀角独歩:2007/09/05(水) 18:50:11

> 彼が「ひとり勝ち」といったのは、これまでの学会批判が全く有効性をもたなかった、という事実を、学会ではそのように思っているのだ、という指摘であり、皮肉を込めた表現でした。

ここなんですよ、わたしも凝視したのは。
ただ、それが皮肉なのか・本気なのか、わたしはこの方とあまり付き合いがないので、よくわかりませんでした。けれど、偶ロム偶ログさんが、そう仰ったので、「やはり、そうか」という気分で受け止めました。

反学会側のタームは、大きく二つあります。一つは「創価学会には功徳がない」、もう一つは「事実を糾明して、創価学会に打撃を与える」

実はこの二つを総括したのが今回のご発表であったろうとわたしは傾聴していました。

顕正会あたりは、盛んに創価学会は正本堂以降、功徳がなくなった(この功徳という用法は学会を含む石山圏独特ですが、いまはそのまま使用します)というわけですが、モーニングさんが示す学会像は180度逆なわけです。「本尊も、教義も、みな二次的副次的なことだ。事実、創価学会には功徳と福運と実証が溢れている」という反学会の意見を真っ向から覆す意見を以前から述べていたわけです。つまり「創価学会にはほかなど問題にならない功徳がある」ということを「勝ち」と表現しているわけです。

今回は「仇討ち」という点にスポットが当たってしまったために、モーニングさんが述べたもう一つの結論が忘れられてしまいました。こう仰った。「われわれ学会員が伝えるものは、本尊でもなければ、教義でもない。学会精神なのだ。勝つまでやり続ける生命力を一人になって貫くということ。この学会精神がどんなものかは、学会員でなければわからない。教義などという小難しい話で説明するのではなく、会員の魂と情熱に訴える大合唱、『学会歌』という老いも若きも、学も無学も、共に手拍子をし、肩組み合って歌うなかに、端的にみることができる」

これはわたしはそのとおりだと思います、もちろん、賛同するか、否かは各人の見解ですが。

島田先生の学会分析は、外から見た創価学会の分析であり、長時間の熱弁であり、実に精緻なものでした。新たな視点が満載でした。この点は、あとから記そうと思います。
この島田先生の発表に対して、内から見た創価学会分析は、短時間の穏やかにして、しかもまた、違う意味で精緻であったと、わたしは聴きました。

島田先生は講演の終わりに「独歩さんが、いくら本尊の真偽をやっても、創価学会はびくともしないでしょう」と括りました。そのことをモーニングさんは「創価学会は本尊論は一貫している。今後、変更することはない。過去を振り返ることもしない」

そうでしょう。学会員にとっては、まさにそうでしょう。
さて、では、ここから、どうやって、「一本」を取るか、わたしは挑戦をやめたわけではありません。


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