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創価学会の功罪を考える
1900
:
マハー
:2007/05/21(月) 20:01:24
1899から続き
>> 焼身供養した側の舎利については何も言われていません。
>判読しかねます。もう少し補足いただけませんか。
薬王菩薩本事品第二十三での
一切衆生憙見菩薩の焼身供養の件のことです。
「於日月浄明徳仏前。以天宝衣。而自纏身已。潅諸香油。以神通力願。而自燃身。光明遍照。」
「日月浄明徳仏の前に於て、天の宝衣を以て自ら身に纏い已って、諸の香油を潅ぎ、神通力の願を以て自ら身を燃して、光明遍く八十億恒河沙の世界を照す」
布で巻いて油を注いでの点火の仕方は釈尊の葬法と似ていますが、この菩薩の舎利についてはその後出てきません。舎利供養の対象から菩薩としての修行者は外れているのではないかと思います。法華経や涅槃経で提議している舎利供養とは結局、「偉大な仏の舎利」について我々は如何すれば良いかという着地点です。これは、シャーキャムニのサンガが始めてその死に直面して、火葬という方法をとったことを示し、逆に古来からの順当な葬法ではなく、むしろ様々な方法の中から火葬を選択したことが覗えます。
>日蓮御影像が舎利に取って代わったのだろうと、わたしは考えています。
大石寺の舎利塔が何時頃からなのか分かりませんが、独歩さんはそれこそ偽遺骨と御考えになっていると言うことでしょうか?
もしそうであれば、それこそ客寄せ威厳付けの目的だったのでしょうか?
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