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創価学会の功罪を考える
1874
:
犀角独歩
:2007/04/29(日) 11:28:23
―1873からつづく―
> 日蓮は法舎利として「経典」を寺院に安置信仰するチャイティァ的な印象…ストーパ信仰的…重点はやはり遺骨よりもその堂である
マハーさんの用法は塔=堂ということで、では身延にあった墓は五輪塔ではないからという脈絡なのでしょうか。
法華経で「仏般涅槃の後、仏舎利を以て七宝塔を起つるを見る」「仏の滅度の後 舎利を供養するあり 又仏子の 諸の塔廟を造る」「舎利を供せんが為に 塔廟を厳飾」「諸の舎利を分布して 無量の塔を起つ」「諸仏滅度し已って 舎利を供養する者万億種の塔を起て」「舎利広く流布して 天人普く供養」「人の至心に 仏舎利を求むる」「諸仏の滅後に 七宝の塔を起て 亦華香を以て 舎利を供養」という舎利(塔)崇拝、一方、「皆七宝の塔を起て極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安ずることを須いず。所以は何ん。此の中には已に如来の全身います」と経(塔)崇拝が前者を打ち消す如くですが、しかし、「全身の舎利に七宝の塔を起てて、高さ六十由旬、縦広四十由旬ならん。諸天人民悉く雑華・抹香・焼香・塗香・衣服・瓔珞・幢幡・宝蓋・妓楽・歌頌を以て、七宝の妙塔を礼拝し供養」と舎利塔崇拝の記述はその後にみられます。まして日蓮がもっとも重視した寿量品には「衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し 咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず」とあります。さらに、そのあとにも「仏舎利を以て七宝の塔を起て」「舎利を以て塔を起て 七宝をもって荘厳」「我が滅度の後、所有の舎利亦汝に付嘱」「火滅えて已後舎利を収取し、八万四千の宝瓶を作って、以て八万四千の塔を起ること三世界より高く、表刹荘厳して、諸の幡蓋を垂れ衆の宝鈴を懸けたり」「我今当に更舎利を供養すべし」「我今日月浄明徳仏の舎利を供養せん」
以上のことから、わたしは日蓮に舎利と経典、いずれを採るかという二者択一論は希薄であったと考えます。
「仏記して云く 我が滅度の後一百余年を経て、阿育大王出生し、我が舎利を弘めん」「八十御入滅して舎利を留めて正像末を利益したもう」
しかし、「仏は法華経に戒めて云く_不須復安舎利〔復舎利を安ずることを須いず〕。涅槃経に云く_諸仏所師所謂法也。是故如来供養恭敬〔諸仏の師とする所は所謂法也。是の故に如来は供養恭敬す〕等云云。法華経には我が舎利を法華経に並ぶべからず。涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説かせ給えり」とあります。ここで、富士門下では舎利を捨て、経典を採るごとく論法の展開が見られるわけです。ここでこの門下では、舎利を採るか・教えを採るかという二者択一論をもって、日蓮墓を捨てることを正当化していますが、そもそも、日蓮はその択一を述べていません。述べているのは、舎利と経を比べれば、経は仏の師であれば舎利に優れるという順位付けであり、その優劣を論じたうえで両方を採っています。つまり、全身舎利(日蓮の教え)を採れば、砕身舎利(身延宗廟=墓)を棄てて善いなどと言うのは、詭弁以外の何ものでもありません。もし、斯様な考えが日興に基づくとは考えません。
> 墓石がなかったとすれば、遺骨は御堂安置であった可能性はどうでしょう。
マハーさんは、身延や、石山で、遺骨が、どのような安置されているのかをご存じないのでしょうか。身延の真骨堂は、宝瓶に容れ、かつては参観できた形式でした。それ以前は、宗廟に埋納されていたようです。また、石山では、あの彫刻本尊を奉安する厨子傍らの宝塔に奉納されているのではないですか。
「墓」という点に拘りを示しておられますが、この点については、日興の真筆で明らかです。
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