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創価学会の功罪を考える

1867犀角独歩:2007/04/27(金) 20:17:50

―1866からつづく―

> 我々日本人がニーズとする仏教形式は何だろうか?という事を問題にしたい

けっこうな問いだと思います。この立案には何ら反対ではありませんが、わたしが記したことは、先のマハーさんの「学会が破壊したもの」という筋です。ですから、これとは別件の記述です。

> 大衆側への思想潮流という意味では影響がないとも言えないだろう

どうでしょうか。創価学会の実際勢力は300万人以内といわれています。
1億人を超える日本の人口からすれば、影響力を持つ人数ではないと思えますね。結局、その影響は学会員と、それに拘る反対勢力に限られるでしょう。
わたし自身、この会を離れて生活をしていて、殊仏教ということに限っていえば、何ら伝統教団の僧俗に与えている影響を感じませんし、そんな器具の声を聞いたこともありません。ストレートな言い方をすれば、創価学会のやり方など、「変なことをやっている」という程度で、相手にしている僧俗はいないのではないでしょうか。

> 僧侶のいない葬式というのはインパクトあります。

キリスト教や、神道であれば、当然のことになりますね。
そのなかで、さらに聖職者によらない葬儀も出てきたということですね。
しかし、僧侶は、本来、葬儀に関わらなかったのであって、一般民衆の葬儀に僧侶が関わるようになったのは行脚する念仏聖からではないでしょうか。鎌倉時代にも遡れない、つい数百年の動向です。それが檀家制度によって定着し、廃仏毀釈を経、また、仏教僧侶と一般民衆の間における葬儀形式で昔に戻る様相が少し見られるというところではないでしょうか。

> 学会は「先祖の霊」を否定するのか?というような事です。もしこのような路線に学会が進むのであれば、「先祖霊」を否定する仏教団体をいままで私は知りません。

これは、日本の「伝統教団」の話ですか。
仏教の発祥地、インドに行って「先祖霊」などといったら、びっくりされるでしょう。輪廻転生を取り入れた仏教教団において、先祖の霊は依然として残ると考えるとすれば、それこそ、矛盾します。
仏教のグローバルスタンダードとはいいませんが、先祖霊と輪廻転生というまったく矛盾する考えが同居するほうが、実は不思議です。

別段、学会を弁明する気はありませんが、「生命」という外来思想で、日蓮と仏教をアレンジしたここにおけるアイディアは、この矛盾が底意にあるために、先祖供養に消極的な側面を有しているのではないのかと思える節があります。

よくわかりませんが、マハーさんは、学会の先祖霊軽視に危惧を抱いているということですか。では、なぜ、日興が墓を捨て去ったことには肯定的なのでしょうか。

日蓮の墓(遺骨)も守り、先祖霊崇拝も守るということでなければ、論理は一貫しないと思えますが、どうも、この点をお考えがよく理解できません。補完いただけませんでしょうか。


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