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創価学会の功罪を考える
1892
:
マハー
:2007/05/07(月) 20:03:07
>> 往生要集が玄奘訳の影響を受けているのであれば、法華経のそれとはやはり違うでしょう。
>具体的には、どう違いますか、というのが、わたしの質問です。
私は言語学的な専門知識は持ち合わせていないことを先にお断りしておきます。
ナラカが本来どのようなサンスクリット言語からの発生かわかりませんが、場所を表す言語とはやや違って、「人の状態」や「ありさま」を指す言語に近いと思います。
法華経で使われる「アビーチ」は程度を表す、「最下層」「一番」「最も」などでしょう。
これは法華経で説かれる地獄が「有頂天」→「阿鼻獄」の対比などからも想像がつきます。つまり法華経の成立時点では、多種多様な地獄のビジョンは見えておらず、「法華経最高」に対して、逆は「最も悪い」という関係性です。
涅槃経で説かれるところのnirayaは、
「行いの悪い人は、身体のやぶれて死んだ後に、悪いところ、苦しいところ、墜ちるところ、地獄(niraya)に生まれる。」(中村元訳)
ここでも具体的な先入観は見られません。
また閻魔yamaの方角は南方向とされており、釈尊の遺体運ぶとされた方向などでも
上下ではない水平の方向の意思が散見されます。このようなことからも法華経で説かれるところの「阿鼻獄」はヤマ天(最初の死者)のいる場所との発想と一致しないことが伺えます。是に対して「往生要集」では、「八に阿鼻地獄とは、大焦熱の下、欲界の最低の処にあり」云々という具体的な地獄図になっていますね。たしかに、この八大地獄にも其々サンスクリット語で、サムガータ、ラウラバなどが割り当てられていますが、これは玄奘が密教化した教典を持ち帰った為であると思います。
上記が私の、「日蓮が法華経のナラカをそのまま受け入れているのとは違う」と記した意図でした。
しかし、私は現代に言われているように、所謂「地獄絵図」を具体的に信者にプッシュする手法が即「破壊的カルト」の常套手段のような言われ方には少々疑問を持っています。脱会などの際の精神的ダメージからの回復の為には、各教団所有の地獄観からの超克が有効であり、必要条件でもあると思いますが、具体的イメージだと逆に抜けやすい気がします。
真如苑の話に戻して恐縮なのですが、苑ではあまり具体的な地獄世界を教えないようです。そこでは「一闡提に堕ちる」と言うような使い方をします。ではそれが実際にどういう状態を指すのかはあまり明確に語られません。しかし「一闡提」語句そのものへのわからない恐怖感が強く残ってしまうようです。
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