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創価学会の功罪を考える
1886
:
犀角独歩
:2007/05/03(木) 12:42:12
―1884からつづく―
> …創価学会の成功のひとつのカギに、新興宗教でありながら、「自前の葬儀システムを持つ」…ファクター…大正デモクラシー以降の新宗教と伝統仏教団との大きな差とも取れます。
これは何か勘違いなさっていらっしゃいませんか。
先にも記しましたが、わたしは父の葬儀を創価学会を通して「日蓮正宗」で行ったのですよ。院号戒名を寺から取ってくれたのも学会の幹部でした。わずか20年ほど前のことです。大正どころか昭和50年代終わりの話です。創価学会が自前の葬儀を始め、戒名不要を言い出して20年も経っていませんよ。また、2代会長戸田さんの奥さんの葬儀は寺院を通じて行われたという実例もあります。
> 例えば、日蓮正宗創価学会時代に学会のみを批判して、正宗を批判することは難しかったのではなかったでしょうか?
斟酌しかねますが、一例を引きます。過日、復刊された『創価学会批判』という本があります。この本は3部構成で歴史・教理・思想を分けて批判しています。創価学会が拝借している石山教義と歴史、本尊をがっちりと批判していますよ。
> スキャンダルな批判
安永弁哲氏『板本尊偽作論』はこの愚を犯していました。しかし、全体の半分です。
> 財政的な面で伝統仏教側が危機感を感じていないのでしょうか?
感じていないでしょう。
> 学会の友人葬や戒名不要論は仏教界に一石を投じたと思います
何を根拠にこのようなことを仰るのかわかりませんが、何一つ影響を与えていないでしょう。また、一般人にしても「創価学会で友人葬をやっているし、戒名も要らないというから、うちもそうしよう」なんて話があるのですか。創価学会に眉をひそめることはあれ、見習おう何て人がいるのですか。もし、いたらお目にかかりたいですね。
学会をヨイショする嘆かわしい学者が、ここの出版物にそれらしいことを書いていますが、こんなものはどれも幇間以上の意味はないでしょう。鵜呑みにできるような代物ではありません。オモチャと一緒です。オモチャが悪ければ、喧伝、プロパガンダ、自画自賛へ拍手して、稿料をもらっているだけでしょう。学会から称賛されても、それ以外からは白眼視されているところでしょう。嘘は百編ついても本当になりません。
> 実は「伝統仏教であると標榜する団体」に対して、どうしても二分立にならざるを得ないジレンマを抱えてしまっているのが悩みなのです。
具体的にお聞きしたいものです。
> オモチャのような教義ほどより恐い
まあ、これは言える側面は確かにあります。
> 鎌倉仏教も空海から見れば新興です。
その空海も、その当時からすれば、中国の新興の真言宗を、持ち帰った新興であったわけですね。
> 日蓮正宗が、鎌倉仏教かと言えば全然違う、…伝統的…正当である根拠に無関係
これはそのとおりだと思います。
> 伝統色を利用して正統であるが如く吹聴
こんなまやかしは現代人の仏教離れの原因ということでしょうね。
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