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創価学会の功罪を考える

1889マハー:2007/05/07(月) 19:33:05
>「お墓博士」と称された藤井正雄師の監修・・・
すばらしいですね。仏教と民俗学は密接に接近すべきと思います。
特に民衆救済を目標とする宗派においては。

>「日月浄明徳仏の舎利を供養せん」といった件がありますから、釈迦に限ったことで
>はありませんでしょう。

確かに釈迦に限ったことではありませんが、そこは、「日月浄明徳仏」と言っても、「釈迦が説く、いにしえ、無量恒河沙劫の如来の舎利」 の供養でしょう。菩薩の舎利ではありません。身軽法重、「法華経を説く仏への賛嘆」としての供養を釈迦が語るのですから…
完成者と修行者の関係を見れば、やはりあくまでも如来の舎利です。
しかも、焼身供養した側の舎利については何も言われていません。

日蓮門下に舎利供養の意識があることは理解しましたが、しかしそれは即身成仏義からの 「仏の舎利」だからではないかと思います。 考えようによっては法華経によって誰もが成仏するのであれば地獄もそこへ彷徨う霊も想定する必要もないわけで・・・ 確かに霊障とは一線を画するように思えますね。

>多宝如来が舎利・・・
なるほど。確かに死者を表す面であると思いますし、舎利かも知れないですね。
これは法華経を作った人々が何を言い表したかったかと言う事になると思うのですが、もし多宝如来が舎利であるならば、直接「舎利」であること書けずに比喩を持ちいなければならなかった理由が問題ではと思います。

>むしろ、舎利崇拝は、釈迦より歴史が古い故に、荼毘に付された釈迦の遺骨=舎利>の分骨騒動が起きたのでしょう。

中村元氏よると
釈迦の葬方は古来の葬方に反抗していた 部分もある との見解もありますね。
火葬 茶昆 jhapeum は、釈迦より古く(身分や地域差はあるでしょうが)あったのではないかと思います。遺骨 sariraniの扱い方となるとよくわかりませんが、廟樹(木の下に埋葬)の下で平気で休んだり、好んで瞑想したり、また、遺体遺骨をガンジス川に流したりする風習からすると必ずしも舎利崇拝の歴史が古いとは思わないのですが・・・
ガンジス川に流す形式が舎利軽視であるとも言い切れないですね、それなりの宗教的意義を見出して行われるのでしょうから。


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