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創価学会の功罪を考える
1240
:
犀角独歩
:2004/12/12(日) 11:28
世知勉不さん:
> 個人的には宗教団体は宗教だけに専念して欲しい
なるほど。御説、尤もであると思いました。シャキャムニの原始教団は、生産と貯蓄を留めましたから仰るところが、元来の有様であろうと。
宗教団体、つまり宗教法人には、職員が認められているわけですが、この人々は統治下では何等特権性が認められているわけではなく、一般人と同じ国民です。つまり、納税義務もありますし、何より生きるために衣食住が必要です。消費するために収入が必要と言うことになりますから、いきおい、その職員を有する宗教法人は収入が必要となります。また、活動の拠点を求められますから、その土地家屋の保有には、当然、経費がかかります。宗教団体が宗教活動だけに専念すると言うことは、つまり、宗教活動を収入源とする以外に方途はないという構造を背負っているわけですね。
ただ、個人的な感情からすれば、金員にまつわる宗教感情は不純であると考える傾向が、これはシャキャムニの時代から営々と受け継がれているわけです。
この理想と現実のギャップで、「お金が掛からない宗教」であるという表看板を掲げることになるのでしょうが、実際は、上述の事情がある故に、これは絵空事であることはわかります。
また論点を換えれば、大乗仏教などに登場する仏・菩薩には、薬王など、「薬」の名を付された諸尊が多く登場します。これには概ね二説あり、一つは向精神薬、つまり幻覚を催す薬物の使用が仏教教団のなかで一つの秘儀を生んでいたという指摘、もう一つは、仏教集団、若しくはその一部の人々は民衆救済、若しくは生業として医道を兼ねてきたという指摘です。
もし、この後者の指摘が適宜なものであれば、現行宗教法人が医業を兼ねることは、大乗仏教の経緯からして、宗教行為からスポイルできるかどうか。ただし、現代社会の医師(会)の特権性、非倫理性と仏教教義に整合性があるか否かは議論されなければならないでしょうね。
浄土真宗、また日蓮宗などでも、ビハーラからターミナルケア、いわば臨死医療に僧侶が関わる試みが静かに始まっています。これは無償の宗教行為とするか、それなりの代価を認めるか、その延長に宗教法人と、その職員の活動として代価を認めるか、種々、勘案すべき問題は山積されていると、わたしは考えます。
宗教は個人としての功利性に支えられますが、菩薩という利他行になるとき、単に法施に留まる消極性は、社会的には反感を抱かれていることは事実です。
以上、世知勉不さんへの反論では決してなく、当板でも皆さんと考えていきたい問題の一つであるということです。
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