したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

創価学会の功罪を考える

1914偶ロム偶ログ:2007/09/05(水) 15:03:00
オフ会および同スレッドでの、「創価学会ひとり勝ち」云々について。

「学会のひとり勝ち」
私は、発表者とは全く違う立場ですが、このタームには似たような感想をもっています。
何に勝ったとのか、発表ではよくわかりませんでしたが、要するに「学会VS反学会」という図式でのことでしょう。
反学会の動きは1974年に表面化した言論出版妨害事件までは、ミニコミでは多少ありましたが、マスコミではほとんどなされていませんでした。
批判のほとんどは、他宗教によるもので、各教団は機関紙誌で批判したり独自に冊子を出版したり、宗教関係や仏教関係の新聞で批判を続けていました。
それが言論出版妨害事件を契機に週刊誌や月刊誌が批判の中心になります。
池田氏は1970年の本部総会で公式謝罪をすることになり、公明党議員の学会内役職兼任をやめざるをえませんでした。
さらに第一次宗創紛争では学会からも批判者・造反者が出て宗門の学会批判僧侶とともに学会批判をはじめました。
このときには山友・原島といった除名幹部が、内藤国夫氏や元学会で檀徒になっていた週刊誌データマンの段勲氏などの協力で週刊誌・月刊誌で批判キャンペーンをくりひろげました。
第一次紛争にいたるマスコミの学会批判は、じつは創共協定が発端となっています。
また池田氏の宗門離れというか距離を置く言動は正本堂建立後に顕著になっていきます。
結果、池田氏は会長辞任と法華講総講頭辞任に追い込まれました。
後任の第四代会長に北条浩氏が就任しましたが、これは池田氏の指名でした。
北条氏の死去にともなって第五代会長に秋谷栄之助氏が就任、これも池田氏の指名です。
その後、池田氏の法華講総講頭再任で宗創蜜月が復活しましたが、これも第二次宗創紛争で完全決裂しました。
第二次紛争とほぼ同時に連立政権をめぐっての反創価公明キャンペーンが週刊誌などで復活します。
この時期は自民党・他教団・一部マスコミ・四月会が連携しました。
これほど長期間にわたり断続的に批判キャンペーンを受けたにもかかわらず、学会員はそれほど減少しているように見えません。
それどころか、各地の座談会では、大石寺に行ったことが無い会員が確実に増えてもいます。
また、公明党も国政では議席を減らしているものの政権与党になり、地方議会選挙では落選者をほとんど出していません。
他の教団はほとんどが政治と直接関与することを回避するようになってしまいました。
マスコミも単発的には批判はしますが、キャンペーンをはるようなことはなくなってしまいました。

こういった流れを、学会では「師弟勝利の歴史」と名づけているようです。
個々には四月会参加教団の分裂や実質的解散、参加国会議員の失脚、一部週刊誌とライターの名誉棄損での断罪、などなど。
これらは創価新報や聖教新聞の座談会で繰り返し続けられています。

つまり、学会は批判にびくともしていない、池田氏の数々の名誉称号受賞、政権与党、地方議会でのキャスティングボートなどが証明している、という論理です。
オフ会の発表者はそのような学会の実状・体質を報告してくれましたが、彼がそのように思っているということではありません。
彼が「ひとり勝ち」といったのは、これまでの学会批判が全く有効性をもたなかった、という事実を、学会ではそのように思っているのだ、という指摘であり、皮肉を込めた表現でした。

私は、不愉快になるどころか、あらためて学会に対する警戒と批判の必要性を感じましたし、反省するところがありました。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板