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創価学会の功罪を考える

1685犀角独歩:2005/05/02(月) 04:38:40
1659 愚鈍凡夫さん、ご紹介の日蓮本仏論を拝見しました。
それにしても、池田さんを斬った返す刀で自分を切っていますね、この文章は。

> 「末法において主師親三徳を兼備(けんび)するのは御本仏日蓮大聖人だけであり、弟子檀那(だんな)に成仏の記別を授けることができるのも御本仏だけ。また、三世十方(さんぜじっぽう)を全て御覧になることができるのも、衆生に福徳を与えるのも、衆生の境智冥合の対境となるのも、全て御本仏の境界においてのみ、なしうるのである」

何でこんなことが言い切れる訳なんでしょうか。
成仏の記別を与えられるのが蓮師だけならば、滅後、本日に至り、未来永劫、誰も成仏の記別を受けることが出来ない、すなわち、成仏できないことになります。それとも、夢の中にでも、蓮師が現れて記別するとでも言うわけでしょうか。

池田本仏論も、言うに落ちた戯論でしょうが、それを否定するために紡がれる日蓮本仏論もまた、根拠薄弱な空想の産物というほかありません。

また、

> 本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目という三大秘法の全てを具(そな)えて、欠けるところのない大御本尊

であるそうだが、ならば、未来広宣流布に戒壇建立の砌、寺名を「本門寺」に改称することを目指してきた石山義はどこに行ってしまうのでしょうか。また、たしか、石山が真跡として扱う『三大秘法抄』の「最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者」、また、二箇相承の「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」という蓮師が唯一人興師に託したという「遺言」はどうなってしまうのでしょうか。
教義改変は石山にもあるということでしょうね。


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