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創価学会の功罪を考える
1794
:
犀角独歩
:2006/06/30(金) 08:42:05
1792の投稿は、わたしにとっては懐かしい感情を懐かせました。。
「ああ、学生部の頃、そんなことを考えていたな」という懐古気分を味わいました。
わたしは、過去50年間、創価学会の激変を見てきました。
親たちは、戦前の日本の大変化を超えて、戦後を生きました。
> 大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうあれ
創価学会はこれからも変わっていくでしょう。
変わりに変わって、やがて、日蓮からも離れていくのだろうと思います。
そんな未来を彷彿とさせる投稿でしたね。
> 創価学会は池田教ではありませんから。日顕宗でもありません。
では、創価学会とは何なのかという問いがこの時点で涌くでしょうね。
当掲示板では、日蓮の実像を、ここ数年来、考えてきたわけですが、結局のところ、ことに日寛に代表される大石寺教学は、その日蓮の教学とは全く違っていることは明らかです。では、創価学会は、一体、何の教学に拠っているのかと言えば、やはり、それは日寛のいう教学と本尊でしょう。しかし、ひきこもりさんは、大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうであれとそれを斥けるわけですね。石山が言う破門・学会が言う独立した団体が、元母体の「大御本尊」や、かつて供養した正本堂を廃棄するのは、まあ、心情的にわからないでもありません。けれど、蓮祖の教義もどうであれと言って、唱題根本というのは、自己矛盾がありますね。何故ならば、唱題の発明は日蓮その人の教義だからです。
大御本尊、正本堂、日蓮教学でもない、さらに池田教でも、日顕宗でもない唱題というのは、門下一般が聞けば、「何だ、日蓮宗と同意なんだ」と映じるでしょうね。しかし、そういえば、「いや、違う」という答えが返ってくるのは、容易に想像できます。
では、ひきこもりさんがいう唱題とは一体なんでしょうか。
とりあえず、創価学会と、その「指導」は重視しているようですが、そうなると、創価学会教、もしくは戸田教といったところでしょうか。
むしろ、ひきこもりさん自身の心教といったようなものに感じますね。
さて、どうなんでしょうか。
興味深い点です。
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