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鏡の世界の迷子の旅路 無断転載

156小閑者:2017/08/27(日) 18:32:50

「あはは〜。あ、そうだ!
 修行で思い出したんだけど、恭也君のあの動きってどうやってやってるの?」
「あの動き?」

 場を和ませようと愛想笑いをしていたエイミィが唐突に切り出したのは、昨夜のビルの屋上でクロノとの戦闘で見せた恭也の瞬間移動についてだ。
 リンディとクロノは直ぐに気付いたようだが、当然聞き返してきた恭也に説明するためにエイミィは空中にディスプレイを投影すると件の戦闘シーンを再生した。

「ほら、ここ。姿が消えてるこの動き」
「…」

 画像を説明しながら恭也に説明していたエイミィはかなり珍しいものを見た。恭也が目を見開き(と言っても当人比1.2倍程度)、絶句していたのだ。

「お、おい、恭也?」
「…凄いな、何も無いところにテレビが映るのか…」

 恭也の態度に驚いたクロノが刺激しない様に気をつけながら声を掛けると、恭也が呆然としたまま呟いた。

「ア、ハハ…、まあこの星の人は初めて見たらちょっとビックリするかもね」
「…宇宙航行船を見てるんだからこれ位で驚かなくてもいいだろう」
「気絶してる間に運び込まれて、寝てる間に連れ出されたのに実感できる訳ないだろう。それに、こちらの方が身近な分だけ実感し易い」
「それでも既に受け入れて平常心を取り戻してる辺りは、流石と言うかなんと言うか」

 空想でしかない筈の魔法を受け入れた恭也であれば、地球にある技術の延長上にある(可能性のある)技術を受け入れられない訳がないだろう。

「じゃあ、もう一回流すね?
 ほら、ここ」
「…これが何か?」
「え?えっと、出来ればこの動きを説明して貰いたいんだけど…」

 恭也の“何か異常がありましたか?”と言わんばかりの発言にエイミィの言葉が尻すぼみになる。この瞬間移動じみた高速行動はこの次元世界の人間には当然の技能なのだろうか?

「…画像が途切れている事を俺に指摘させる事に意味があるんですか?」
「…は?」
「待て、恭也。何の話だ?
 ここからここまで一瞬で移動した方法について聞いてるんだぞ?」
「お前こそ何を言ってる?
 この場面は高町に向かって跳び蹴りしようとした男を弾き飛ばした時だろう?
 記憶が飛んでなければ、俺は走り寄って肘打ちしただけだぞ」
「…」
「…」
「つまり、恭也さんは特別な何かをした訳ではなくて、いつも通り走っただけ、と言うことかしら?」
「勿論です。俺に超常能力は備わっていません。少なくとも、そんな便利な機能があるなんて把握してません」

 答えた恭也は、表情は勿論、呼吸が乱れる事も、心拍数が変化して顔色が変わる様子も無い。
 問い掛けた3人は視線を交わすと念話での密談を始めた。

<クロノ、どう思う?>
<動揺した様子はありませんが、鉄面皮は何時もの事でしょう。それに初めから質問される事を想定していた可能性もあります。
 そもそもあそこまで極端な前傾姿勢を取るのは、あのスピードで走ることを前提にしていなければ有得ません>
<あ〜、でもスピードに合わせて体を倒すのは当然だって言われちゃうと反論が難しいと思うよ?我武者羅な時って覚えてないことあるし>
<或いは自分達の技術を隠蔽しようとしているのかもしれないわね。
 分からないのか隠しているのかすら不明だけど、何れにせよ問い詰めても答えが得られる事は無いでしょうね>

「どうかしましたか?」
「あ〜、何でもない、何でもない。
 それじゃあ、こっちは?
 一番最初に君がクロノ君に近付いた時、クロノ君には君の動きを認識出来なかったらしいんだけど…」
「こちらも特別な事をした訳ではないんですが…、とは言ってもあれだけ驚いていたと言う事は魔法の世界では存在しない技法なんですかね」
「じゃあ、こちらは何かしているのか!?」
「気配を抑えただけだ」
「…は?」

 余程気になっていたのか、クロノが勢い込んで問い掛けると恭也は何でも無い事の様に答えた。だが、技法が存在しないと言うことは“気配を抑える”という概念そのものが存在しないのだ。初めから言葉だけで伝わる訳が無い。

157小閑者:2017/08/27(日) 18:33:34

「えっと、それは具体的には、って、え〜〜!?」
「な、な!?」
「わかったか?気配を誤魔化されると、視界に映っていても認識し難くなるだろう?」

 クロノの感覚では目の前に座っている恭也が霞んで見えた。いや、色彩が薄れて透明に近付いたと表現するべきか?
 この感覚は、体験しなければ絶対に理解できないし、説明したところで誰も信じないだろう。そして、こんな事を意図的に行えるなら、瞬間移動が偶然の産物などと言う戯言を信じる気になれる訳が無い。
 またもや長年信じてきた常識を覆されてリンディが呆然と呟く。

「…魔法も使わずにこんな事が出来るものなの?」



 リンディ達が混乱するのも無理も無い事ではある。
 魔導師とは“魔法を使える人間”だ。人間と言うカテゴリーの中で魔法の使える一部の者と言う事は、言い方を変えれば魔法を使わなければ一般人と変わらないのだ。
 恭也を“一般人”にカテゴライズする事は、彼を知る全ての人から反対されるだろうとクロノは思うが、恭也の瞬間移動や認識阻害が彼個人の先天的な特殊技能では無いと言う言葉を信じるならば自分達も訓練すれば同じ事が出来ると言う事になる。…信じる、ならば…、信じられるか!!
 確かに、体を鍛えれば速く動けるようになるし、息を殺して身を潜める事もある。だが、限界は当然ある。あるべきだ!
 クロノの誘導弾を躱していた時の恭也のスピードは十分にレッドカードを付き付けられても文句を言えないレベルだったが、それでも常識の範囲の端っこにぎりぎり引っ掛かっているという事で目を瞑れなくは無いだろう。(そもそもあの回避行動の一番恐ろしい所はスピードそのものではない)
 だが、いくら体を鍛えた所で30倍速で行動できて良い筈が無いし、息を殺してコソコソしていたからと言って人の目に映らなくなるなら泥棒など遣りたい放題である。



 恭也の持つ脅威の能力を目の当たりにした事で自失していた3人は、お茶を入れ直して気持ちを落ち着けると、話題を今後の方針に戻して再開した。
 ちなみに3人は先程見せ付けられた精神衛生上よろしくない事柄については、アイコンタクトによる緊急会議で今後触れない方針で行く事が可決されたのだった。無論、何の解決にもなっていない。

「すっかり、話が逸れちゃったわね。
 どこまで話したかしら?
 …そうそう、挨拶に行かないなら恭也さんはどうするの?その一家と距離を取るなら街中を歩き回る積もりは無いんでしょ?
 このマンションに居て貰う分には構わないけれど息が詰まらない?」
「テスタロッサが警戒心を覚えたなら、同じ部屋で寝起きするなんて暴挙には出られないでしょう。
 昨日の、…宇宙船?あれの部屋が余っているならあそこでも構いませんが」
「空いてる部屋はあるけれど、閉鎖空間に閉じ篭るのは今のあなたにはお勧めできないわね。このマンションの空き部屋じゃ駄目かしら?」
「空き部屋があるのに同室に放り込んだんですか…?
 いえ、それでは暫くそこを貸して下さい。
 後は、何かする事を貰えませんか?出来れば昨日の事件の関連の手伝いを」

 恭也の申し出にリンディは思わず眉を顰めた。
 恭也がなのはとフェイトに出会った経緯は分かったし、例の遺跡のランダム転送に巻き込まれた被害者の1人である事も裏が取れている。恭也が闇の書側の陣営に属している可能性はまず無いという事になる。
 だが、そうなると態々事件に関わろうとする理由が分からない。
 なのはの時の様に事件の関係者に強い思い入れがある訳ではない。
 事件に関われば死に繋がる可能性がある事は判っているだろう。
 自分だけは大丈夫などと高を括っていたり、ゲームの様に死んでも生き返れると思っている訳でも無い。
 そして、それらが分かっている以上、参加表明は気軽なものでは無い筈だ。
 そうなると一番高いのは、家族の死を知って自暴自棄になっている可能性だろうか。

 リンディの危惧を察したのだろう。恭也が苦笑しながら言葉を足した。

「自棄になっている訳ではありませんよ。
 この世界に来てから助けられてばかりいるんです。
 あの人達が居なければ、俺は目の前の現実に呆気なく潰されていた」

 それは容易に想像出来る仮定だ。恭也にとって根幹と言える物を、何の前触れも無く全て喪失したのだから。

「だから、受けた恩に報いたい。
 皆に危険が迫っているなら、看過する事は出来ない。何が出来る訳では無いだろうけど、“何もしないでいる”なんて事、出来ない」

 何かを噛み締める様な、慈しむ様な眼差しに反して、淡々とした口調で語り終えた恭也にクロノが重い口を開いた。

158小閑者:2017/08/27(日) 18:34:09

「気持ちは、まあ、察する事位は出来る。
 だけど、許可する事は出来ない。
 僕らにはない技能を持っている事は認めるが、それでも魔法を使えない君では、力不足と言わざるを得ない」
「…そうか。
 分かった。無理強いして状況を悪化させたら目も当てられないからな。
 だけど、戦力にならないなら戦闘に参加させろとは言わないから、何かしら手伝わせて貰いたい。荒事の方が得意である事は事実だが雑用くらいは出来るだろう」
「お前だって被害者なんだ。そこまでしなくても、良いだろう?」
「いや、こちらは俺自身の都合で申し訳ないが、何かに集中していないと忘れていた反動なのか、あの記憶が繰り返し再生されて、あまり健全でない精神状態になりそうなんだ。
 物を考える余裕が無くなるほど闇雲に走り回っているのも手ではあるが、出来れば役に立つことをしたい」
「…わかった。何か出来る仕事を探しておこう」
「感謝する」

 自覚があったのか、恭也が納得して大人しく引き下がった事にクロノは小さく安堵した。
 恭也の技能はかなりの戦力として期待出来るが、一般人を巻き込むのは極力避けたい。それがクロノの偽らざる思いだ。リンディも、なのはの時とは違い本人が引き下がったためそれ以上勧めることはなかった。
 尤も、結論から言えば恭也は引き下がりこそしたが、納得した訳でも大人しかった訳でもなかったのだが。





「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」

 フェイトはいつもの4人で学校を出ると高町家でアリサ達と別れ、着替えを済ませたなのはと、合流したユーノと共にハラオウン家に帰宅した。
 普段から放課後には一緒にいる事の多い仲の良い2人ではあるが、この日の目的は恭也の様子見だ。
 昨夜、ハラオウン家に運び込んだ恭也が意識を取り戻す前に帰宅する事になったなのは達は勿論、フェイトも復調したとは言い切れない今朝の様子が気になっていたのだ。
 だが、帰宅と来訪の言葉に声が返される事はなかった。
 海鳴での拠点となるこのマンションで暮らすようになってから、フェイトが帰宅した時には必ず家にいる者が「おかえり」と迎えてくれていた。そのちょっとしたやり取りをここで暮らすようになってから得た数ある楽しみの内の一つとしていたフェイトは小さく落胆した。今日は誰もいないのだろうか?

「なのは、上がって。ユーノも変身解いたら?」
「うん、お邪魔します」
「僕も失礼して」

 フェイトの言葉に従って玄関に上がったなのはが脱いだ靴を揃えている隣で、なのはの肩から降りたユーノが人の姿に戻る。フェイトは着替える前に2人をリビングに通す為にそこに通じるドアを開けると、目の前の光景に立ち尽くした。
 先程の予想に反してリビングには先客がいた。立ち尽くすクロノとアルフ、そしてソファーに座った恭也だ。しかし、フェイトが言葉を無くしたのは予想を覆されたからではなく、場を満たす険悪な雰囲気に呑まれたからだ。

「主人の帰宅と来客だ。迎えてやったらどうだ?」
「あ、フェイトお帰り」
『え?あ、フェイトちゃん、お帰り』
「ただいま、アルフ、エイミィ。…何かあったの?」

 ドアノブから手を離す事も出来ずに立ち尽くすフェイトに背を向けたまま発した恭也の言葉に反応したのは、ドアが開いた事に気付かない程緊張していたアルフとこの場にいないエイミィの空間ディスプレイ越しの声だった。
 フェイトは改めて帰宅の挨拶を返してから、小声で恐る恐る現在の状況に至る原因を問い掛けた。恭也とクロノの仲は決して良好だった訳ではないが、理由も無く睨み合う程犬猿の仲と言う訳でもなかった筈だ。

『それがねぇ…』
「この男が模擬戦中のアースラの武装局員を襲撃したんだ」
「ええ!?」
「人聞きの悪い事を言うな。別に背後から忍び寄った訳でも、不意打ちした訳でもないだろう」

 クロノの怒気を孕んだ声に答える恭也の声は普段通りの平坦そのものだ。

159小閑者:2017/08/27(日) 18:35:37

「参加表明もしたし、あからさまに刀を構えて敵対姿勢も示したし、相手が認識したのも確認した。
 実際、彼らも初めて直ぐは躊躇していたが、最終的には全力を出していた筈だ。彼らが本気になるまで俺も躱す事に専念していたしな」
「だからと言って、彼らが自信喪失して塞ぎ込むまで追い詰めるのはやり過ぎだ!」
「それこそ俺を非難するのはお門違いも甚だしいぞ。
 模擬戦で遅れをとったのは彼ら自身の責任だ。あれが彼らの実力の全てだったとは言わないが、打ち負かした事に非があると言う理屈は承服しかねる。
 攻撃についても治療が必要になる程の負傷は負わせていない」
「それはっ…」

 恭也の台詞にクロノが言葉に詰まる。参戦そのものは恭也から押し付けたに等しいが、その勝敗の責任の所在については確かに正しい。正論だ。だが正しいからと言って納得出来るとは限らない。ただし、模擬戦が3対1だった上に当然ながら恭也が魔法を使えないため、圧倒的に優位にある筈の局員を負かした事を公然と非難出来る訳がない。尤も、だからこそ負けた局員のプライドが粉砕された訳だが。
 それでも人間は何も感じない木石でも感情の無いロボットでもないし、ましてや聖人君子でもないのだ。同僚が塞ぎ込んだ元凶が昨日医務局で暴れた人物となれば恭也への印象が良くなる事などない。今回は恭也が強引に仕掛けた事も不評を買う原因の一つだろう。

「ダメだよ、恭也君。悪い事をしたと思った時はちゃんと謝らないと」

 クロノに代わって恭也を諌める声は意外な人物から上がった。たった今事情を聞いただけのなのはだ。ただし、それはそれまでの会話の流れをまったく無視して恭也に非がある事を前提とした内容だった。隣にいるフェイトも不思議そうになのはを見ている事から、なのはの台詞こそ疑っていないながらもその根拠が分からないのだろう。
 なのはの台詞に援護して貰ったクロノを含めた恭也以外の全員が驚き注目する中、恭也はドア付近にフェイトと並んで立つなのはに背を向けたまま言葉を返す。

「…非難される要素が俺の何処にある?参戦が強引過ぎたと言うなら非を認めんでもないが、ハラオウンが咎めているのはそこではないだろう」
「そうだね。でも、私が言ってるのはその事じゃないよ。
 私はお父さんに『自分の心にだけは嘘をつくな』って言われてる。恭也君は違ってた?」

 その言葉に今度は恭也が沈黙した。この場合、“沈黙は肯定”と受け取るべきだろう。

 クロノは恭也の参戦そのものを責める積もりは無かった。なのは達との訓練内容は聞いていたし、恭也が戦う事を目的として体を鍛えている以上、必ず対戦形式のそれを必要とするのだ。だから、今回の騒動は、単純に恭也のやり過ぎが問題だと考えていた。
 しかし、なのはの台詞は恭也が故意に局員を過剰に追い詰めたか、恭也の参戦そのものが別の意図を、謝罪が必要な彼にとって後ろめたい理由を含んでいる事を示唆していた。

「なのは、どう言う事だ?彼が局員と戦った事に何か理由があるのか?」
「え?」

 クロノが自覚出来る程硬くなった声でなのはに問い質した。
 昨夜からの審問とその事実確認によって恭也が闇の書側の陣営に属している可能性は限りなく低いと結論したが、彼が意図して局員を害したとなれば“白に近いグレー”という評価が黒味を増すことになる。
 だが、キョトンとしたなのはの表情にはどう見ても『何を聞かれているのか解りません』と書かれていた。その反応にクロノが怪訝な顔をすると、リビングの入り口に佇んだままのフェイトとなのはをソファーの方へ行くように促したユーノが苦笑しながらフォローをいれた。

「クロノ、なのはは別に恭也の考えてる事を推測してる訳じゃないよ」
「どういう事だ?恭也の考えを予想できるから行動を咎めたんだろう?」
「それが勘違いなんだよ。
 なのはが指摘してるのは、行動じゃなくて今の恭也の態度だよ。ねぇ、なのは?」
「…うん。恭也君がした事が悪い事なのかどうかは私には分からないけど、後悔してる様には見えたから…」
「高町、一つだけ確認しておく。表情も見ていないのに何故そう思った?」
「え?えっと、話し方とか雰囲気とか、かな…」
「…理不尽な」

 恭也は小さく溜息を吐くと右手で髪を掻き揚げた。それは何気ない仕種ではあったが、恭也がこういった気を紛らわせる類の振る舞いをする事は少ない。その新鮮さと、物憂げな表情と仕種に、知らずなのはとフェイトの視線が釘付けになっている事をエイミィだけが目敏く気付いて浮かびそうになる笑みを苦労しながら隠していた。
 全員が静かに見守っていると、根負けした様に恭也が口を開いた。

160小閑者:2017/08/27(日) 18:36:09
「…ただの八つ当たりだ」
「八つ当たり!?…何に対して?」

 クロノが怒りよりも疑問が先に立ったのは、クロノの描いている恭也のキャラクターから離れ過ぎていたからだ。
 悪戯のレベルならともかく、今回は陰湿と言えるレベルだし、それを屁理屈を並べて誤魔化そうとするとは思っていなかった。自分よりも付き合いの長い4人の様子を伺うと全員が驚いている事から、自分の見立てが見当違いという訳ではない様だ。
 恭也も自覚があるのだろう、酷くばつが悪そうにしている。それでも話し続けるのはなのはの指摘通り後ろめたい気持ちがあるのだろう。

「…認めたくなかったんだ。
 俺が習ってきた、…いや、父さん達が教えてくれた剣術が魔法に劣るなんて、認めたくなかった。絶対に。
 あんな事をしても意味が無い事は分かっている。
 強さなんて相対的なものだから、相性はあっても絶対的な優劣なんて存在しない。高町やテスタロッサ、ハラオウンに俺が勝てないから魔法の方が優れている訳でも、俺が他の局員を制したから剣術が勝る訳でもない。
 模擬戦の勝敗なんて当事者個人の問題でしかない、それが分かっていても我慢出来ずに勝つ事に拘った。
 八つ当たり以外の何物でもない。…無用な波風を立てた事は謝罪する」
『…それはひょっとして、今朝クロノ君から言われた『魔法が使えないから参戦を認められない』っていう、あれの所為、かな?』
「ずっと燻ってはいたんですが、まあ止めを刺したと言うならそれです」
「うっ」

 しばしば現れる現地の協力志願者を事件から遠ざける為に一番説得力のある理由としてクロノが普段から使っている台詞なのだが、今回ばかりは裏目に出てしまった。尤も、今までに内容そのものに反感を持たれたとしても、根拠を覆された事は無かったのだが。

「私、恭也に勝てたこと無いんだけど…」
「私も初めの頃はともかく、最近は負けっぱなしなんですが…」

 おずおずと挙手しながら弱々しく報告するのはフェイトとなのはだ。
 2人とも恭也を事件に巻き込みたいと思っている訳ではないが、恭也よりも強いと評価される事には物凄く抵抗感がある。

「それはお前達が態々俺の戦い方に合わせているからだ。テスタロッサはデバイスすらなかったからな」
「その代わりにあたしとフェイトの2対1だったけどね」
「それに私は近接戦闘も出来る積もりだったんだけど…」
「悪くはなかったと思うぞ?」

 恭也のフォローに対してフェイトは何とか愛想笑いで応えた。
 恭也に認められたと思えば嬉しいと思えなくはないが、恭也の動きを知っているだけにお世辞にしか聞こえない。

「何にせよ、空を飛ばれれば追撃できない事に変わりはない。ハラオウン執務官の言う通り戦力にはならないだろう」
「キョーヤも魔法が使えれば良かったのにねぇ」
「そう…、あれ?恭也は魔法が使えるかどうか確認した事あるの?」
「無いな」
「じゃあ、もしかしたら恭也君も私みたいに」
「ぶっつけでレイジングハートを託した僕が言うのもなんだけど、なのはは例外中の例外だと思うよ?」
『そうだね、残念だけど無理だと思う。昨日、医務局に担ぎ込まれた時についでに計測して貰ったんだけど、保有魔力量はFランク相当しかなかったから』
「それはどの程度なんですか?」
「11段階に分類したランクの一番下だ。
 魔法の資質は魔力量だけで決定する訳ではないんだが、魔法への変換効率や運用技術は練習量がそのまま反映されると言っても過言じゃないから初心者でそれらが高い事はまず無い」
「ちなみに管理局の平均はAランクだよ。
 なのはは認定試験を受けた事がないから正式なものじゃないけど上から4つ目のAAAランクくらいだ。フェイトは最近試験を受けて正式にAAAランクに認定されてる」

 ユーノの補足説明を聞いても、当事者のなのはに驚いた様子は無い。勿論、当然の事と受け取っている訳ではなく実感が湧いていないだけであるとこの場の全員が理解している。それに、明らかに魔導師としての資質についてが例外中の例外に分類されるなのはを引き合いに出して強調すれば恭也を混乱させてしまうだろう。

161小閑者:2017/08/27(日) 18:36:45
『更に付け加えるならさっきの模擬戦の相手は3人ともAランクだったんだよ?』
「敵方、闇の書の陣営は?」
「前衛の2人は推定AAAだ」
「テスタロッサと同程度か…。やはり、まともに相手を務めるのは無理と考えるべきか」

 改めて確認した事実に落胆する恭也とは対照的に、恭也の技量にエイミィは戦慄から頬を冷や汗が伝う。
 管理局には魔導師ではない局員も多いが、彼らが戦闘要員として前線に立つ事はない。局が彼らに要求しているのは指揮能力であって戦闘能力ではないからだ。
 そして、一般的に非魔導師が魔導師を制すると言えば、指揮を執る事で魔法を使えない状況に魔導師を追い込むか、局所的な戦術で遅れをとっても大局的な戦略で勝利を収める事を言う。
 恭也がしたのは、この一般論を真正面から覆す事だ。

 恭也はAランクを真っ向勝負で3人同時に下した。勿論、彼らが本来の力を発揮出来ていない事は想像できる。初見で恭也の動きに冷静に対処できる者は居ないと思ってい良いだろう。実際、恭也は昨夜AAA+であるクロノすら戦闘開始直後に撹乱する事に成功している。如何にクロノが無傷での無力化を念頭に置いていたとは言え、恭也とて殺傷する意思が無いからこそ武装しながらも徒手で応じたのだ。対峙が長引き、冷静さを取り戻すことで恭也の特性に付け入る方法を思いついたに過ぎない。
 つまり、魔導師の取り得る手段を知る恭也は、彼の戦闘スタイルを知らない魔導師を相手にする限り、付け入る隙を見出せることになる。
 更に、模擬戦では5ランクの開き、いや恭也は魔法を使えないのでFランクの資質を無視したとして6ランク差を覆したのだ。単純計算で恭也がDランクに達すれば、AAAランクの魔導師に対抗出来る事になってしまう。

『面白そうな話をしてるわね』
「かあさっ、リンディ提督…」

 話に割って入った通信者のにこやかな笑顔を見たクロノが頬を引き攣らせる。
 彼の母親は非常に有能な指揮官ではあるのだが、極稀にこの上も無く突飛な手段を思いつく面がある。ほとんどの場合にその突飛な手段が功を奏して通常よりも迅速な解決やより良い結末を迎えるのだが、堅実なプロセスを積み重ねて解決へ向かうクロノにとって胃を痛める思いばかりさせられるのだ。何より、その方針の拠り所が“勘”と明言されては、仮に長年の経験や観察眼を元にした信頼性の高い推測だったとしても、心配せずには居られなかった。
 今、空間ディスプレイ越しに彼女が浮かべている表情は、クロノに胃痛の苦しみを想起させるのに充分過ぎる威力を持っていた。

『話は聞かせて貰ったわ。
 八神恭也さん。
 模擬戦については実質的な被害も無かった事ですし不問とします。
 それから、あなたに参戦する意思があるなら、特別にこちらで魔法を使うためのデバイスを用意します』
「本当ですか!?」
『本当よ。
 あなたの資質と努力次第で飛躍的な力を得られるでしょう。
 ただし、私が実力不足と判断した場合には絶対に参戦を認めませんから、その積もりで』
「十分です。御厚意、感謝の言葉もありません」





続く

162小閑者:2017/09/17(日) 14:54:43
第17話 製作




「で、オメーの望みは何だ?」

 開口一番に投げかけられたその台詞には、辟易とした、と言うよりは興味なさ気な、つまらなそうな感情が込められていた。それは、声音に留まらず表情にも態度にも見て取れるのだから勘違いと言う訳ではないだろう。
 この人に頼んでホントに大丈夫かな?
 なのはとフェイトが揃って不安に駆られているのを他所に、恭也は感情を表す事無く男と向かい合っていた。



     * * * * * * * * * *



 リンディからデバイスの貸与を許可された恭也だが、その後もトントン拍子に話が進んだ訳ではなかった。
 何しろ恭也は魔道資質が低い上に、これまで一度として魔法の訓練を受けていなかったのだ。何年も先を見据えて訓練を始めるのであればまだしも、彼の目的はあくまでも現在直面している闇の書事件への参戦なのだ。
 そんな恭也に武装局員に制式採用されているストレージデバイスを持たせても当然魔法は使えない。魔法を行使するための演算をしてくれるデバイスと言えど、そもそも魔法を起動できなければ意味を成さないからだ。
 その予想は、クロノのS2Uを持たせてピクリとも反応しなかった事で裏付けが取れている。
 その結果に、当然の事と考えていたクロノ・エイミィ・ユーノと比べて、なのは・フェイト・アルフはあからさまにがっかりしていた。恭也にはそもそも魔法を起動する感覚が無いことは分かっていたので、これには確認以上の意味は無いのだが、普段の恭也が理不尽なまでにあらゆる事(主に特撮映画かCGでしか実現できない様な運動)をこなして見せてきたために、無意識の内に恭也に出来ないことは無いと思い込んでいたのだ。
 その様子を見て苦笑していた3人だが、僅かに眉を顰めている恭也に気付いて全員が驚いた。当然、魔法が発動しない事に対してだろうが、その程度で恭也が表情を崩すとは思っていなかったのだ。たとえ、事件に参戦出来るかどうかの瀬戸際だとしてもだ。
 エイミィは恭也にストレージデバイスの特性を説明し、本命である所有者の魔力を使用して自律的に魔法を発動できるAIを搭載したインテリジェントデバイスでの確認を促した。
 確認に使用したのは、なのはのデバイスであるレイジングハート。フェイトのバルディッシュを使わなかったのは、バルディッシュと恭也が初対面だったからだ。勿論、面識が無ければ出来ない訳ではないが、意思を持つデバイスである以上、普通はマスター登録を済ませた者以外に使用される事を拒む。今回はなのはからの頼みである事と、あくまでも確認だけだからこそ引き受けてくれたのだろう。だが、恭也に握られたレイジングハートが魔法を起動して見せても、恭也は納得しなかった。
 別に恭也が贅沢を言っている訳でも見栄を張っている訳でもない。戦闘で使用するなら恭也の意図を反映した魔法でなければ意味を成さないからだ。長年の付き合いを経て、阿吽の呼吸で互いの意思が汲み取れるようになっていれば未だしも、渡されて間もないデバイスのAIと即座に意思疎通が出来るようになる訳が無い。
 また、恭也のデバイスとしてではなく、魔法の使える戦闘要員としてインテリジェントデバイスを携える事も出来ない。魔力タンクとしての役割を果たすには恭也の魔力容量は小さ過ぎるのだ。

163小閑者:2017/09/17(日) 15:03:58

 落胆を表す恭也の姿に、クロノはふと違和感を覚えた。
 恭也の落胆は、自分が魔法を使えなかった事に対するものだ。それはつまり、闇の書事件に参戦出来ない事を悔しがっていると言う事。
 「戦力外」という汚名を返上しようとしている恭也が落胆してもおかしくは無いだろう。そう考えてみるが、違和感は拭えなかった。
 クロノは自身の勘を軽視していない。全幅の信頼を寄せるほどではないが、危機に直面している訳ではない現在、違和感の正体を突き止めるために思考を割くことを厭う理由はない。何に足元を掬われるか分からないので、今回の事件に限らず、クロノは懸念事項を極力その場で解決するようにしていた。

 もともと恭也には魔法が使えない事を理由に戦力外通告を出した訳だが、それが彼のプライドをいたく傷つけてしまった為に局員への八つ当たり紛いの行動を取らせてしまった。
 だが、本来なら咎められるべきその問題行為は結果的に彼の益となった。彼の戦闘技能を評価した提督が、戦力の向上を条件にして参戦を許可したからだ。
 しかし、そのための手段である魔法が、本人の適正の低さから足しにならないことが判明し、その事を悔しがっている。

 経緯を思い返す事で、クロノは違和感の正体に気付いた。
 クロノには恭也が事件に参戦する事に拘り過ぎている様に思えたのだ。
 汚名返上の手段としての参戦ではあるが、そのために魔法を使っていたら彼の技能、つまり彼の流派の優位性を示すと言う当初の目的は果たせていない事になる。
 まさかとは思うが、手段である「参戦」に固執するあまり目的を忘れているのだろうか?有得ないことではない。忘れがちだが彼は10歳児なのだ。目先の事に囚われたとしても何の不思議も無い。
 だが。
 正直、否定したい。したいのだが、考慮しなくてはならない。あらゆる可能性を考慮する事こそが、恭也へと何の疑いも無く信頼の眼差しを向けるなのはとフェイトに対して、彼女らの協力を得ている自分の責務だ。

 恭也の目的が事件への「参戦」だとすれば、あの「八つ当たり」はそのための布石、つまり戦力となる事をアピールするために計算して取った行動なのではないのか?
 だが、八つ当たりである事を指摘したのはなのはだったはずだ。彼女だけが気付くように演技したと言うのは無理が無いか?
 ならばもっと以前、ビルの屋上での僕との戦闘は?赤い少女とのやり取りや、仮面の男ともグルなのか?まさかとは思うが、フェイトと、いや、なのはとユーノに接触した事さえも?
 しかし、ロストロギアの誤作動に巻き込まれてこの世界に無作為転移してきた事は裏が取れているんだ。あの身の上話は事実なんじゃないのか?
 では、なのは達と知り合ったのはあくまでも偶然で、単にそれを利用しているだけ?

 自分が酷く混乱している事に気付いたクロノは大きく息を吐き出した。疑惑と証拠、状況と結果が絡まっていて、際限なく疑いが深まってしまいそうだ。

 落ち着け。
 今、一番重要なのは、彼の目的だ。
 参戦がなのは達への純粋な助力であれば問題は無い。
 …では、そうでなかった場合は?彼が、八神恭也が闇の書の陣営に属していたとしたら?



 ハラオウン家のリビングを包む奇妙な沈黙を破ったのは、デバイス貸与を認可してから通信を切っていたリンディだった。

『お待たせ。デバイスの当てが出来たわよ。
 あら?ずいぶんと沈んでるように見えるけど、何かあったの?』
「いえ、自分の不甲斐無さを痛感していただけです」

 恭也が自ら顛末を話すと、リンディが納得したように頷いた。

『そう。
 それで、どうするの?ここで諦めるのも選択肢の一つだと思うけど?』
「いえ、最後まで足掻く積もりでいます。
 一朝一夕で技能が上がる事は無いのでしょうが、座して待つことは出来ません」
『そう。
 でも、多分魔法が使えるようになるだけでは、あなたの戦力を向上させるのは難しいと思うわよ?』
「え!?どういう事ですか!?
 魔法抜きでもあんなに強いんだから、恭也君が魔法を使えるようになれば凄く強くなると思うんですけど…」

164小閑者:2017/09/17(日) 15:06:46
 リンディの言葉に反応したのはなのはだったが、当の本人である恭也とクロノ以外は同じ感想を持ったようだ。
 認めたくない事実だろうに、やや口篭りながらも恭也が口を開いた。

「…魔法でどんなことが出来るのか把握し切れていないが、高町の様に射撃魔法を主体とした様式では俺の戦い方に組み込めない。当然ではあるが、剣術には“射撃”や“飛行”の概念が含まれていないからだ。
 勿論、俺の魔法に高町ほどの威力があれば遠距離と近距離で使い分ければ済むんだろうがな」
『だけど恭也さんでは、たとえ攻撃魔法が使えるようになったとしても敵を打ち落とせるほどの威力は期待できない。
 やっぱり、ちゃんと分かってたのね』
「一応は。
 それでも新しく技能を身につけて、参戦出来るだけの戦力に上げて見せます」
『良い返事ね。それでこそ紹介する甲斐もあるってものよ。
 今から紹介するデバイス製作者は、私の知っている中ではいろいろと無理も聞いてくれる人で、一番上手に恭也君のような変則的な要望を適えてくれる筈よ。
 ただ、職人気質で気難しい人だから、気に入らないお客は相手にしない事もあるの。あ、媚び諂えって意味じゃないのよ?そういう人を一番嫌ってるみたいだし。
 いまいちあの人の選定基準が分からないんだけど、上手く気に入られる様に努力して』
「…わかりました。努力してみます」

 酷く漠然としたアドバイスであったが、恭也が同意した。勿論、他に返しようなど無かったのだろう。



     * * * * * * * * * *



 恭也がフェイトとなのはに連れられて訪れたのは、長閑な田舎染みた次元世界の片隅にある、民家にしては大きめな一軒家だった。
 無限書庫での事件に関わりのある資料探しを依頼されたユーノも、多数で出向くべきではないとのリンディの指摘で留守番役のアルフもいない。たった3人で初めての土地に訪れた心細さを表に出す少女達とは異なり、恭也は気後れすることも無く呼び鈴を押して来訪を告げた。
 そして、フリーのデバイス製作者の工房で、通された部屋にいた男に、自己紹介どころか挨拶も無しに開口一番に投げかけられたのが冒頭の台詞だった。

 老人の域に至ろうかという外見や面倒臭さそうな言動によって少女達から不安いっぱいの視線を浴びせられても、その男は態度を改める事も、入室直後から恭也に合わせていた視線を逸らす事も無かった。

「…聞いて貰っているとは思いますが、俺はデバイスはおろか、魔法にも馴染みが薄いんです。
 即席ではありますが概要は頭に詰め込んできましたから、具体的な表現でお願いします。
 インテリジェントデバイスかストレージデバイスかと言うことですか?」
「そんな事聞いてんじゃねーよ。
 リンディの嬢ちゃんが俺んトコに話を持って来たってこたー標準的なデバイスじゃあ役に立たねーってこったろーが。用途なのか形状なのか知らねーが、一般的なデバイスで満足できねー理由を言えってこった」

 一口に職人気質と言っても、要求されたスペック通りの製品を“賃金を得るため”に黙々と製作する者も居れば、そのスペックを要求する理由、ひいては顧客の性格や人柄を知り、“気に入った客の為に働く事”を生き甲斐にする者も居る。態度こそ客を相手にしたそれではないが、男は後者に分類されるようだ。
 別に優劣の問題ではない。賃金を得るためにも、気に入った客を喜ばせるためにも製作した品が他より優れていなくてはならないのだ。単に“仕事”と“趣味”の違いとも言える。
 仕事を請けて貰えるかどうかはこれからの会話に掛かっていると言っても良い。恭也もそれが分かっているのか、考えを纏める為に間をおいてから口を開いた。

「…守りたいものが、あります」

 恭也の答えは男の質問からはやや外れていたが、特に怒り出すことも無く会話を続けていった。

「魔法が使えりゃー守れんのか?」
「可能性が増えると思っています。
 勿論、魔法が万能でないことは知っています。それに、そもそも相手は魔法の達人で、俺には魔法の才能が欠片もありません」
「それじゃー意味ねえだろ。才能のある奴に任せといたらどうだ?」
「まず間違いなく、結果的には他の誰かが解決するんだと思います。ですが、俺自身が指を銜えて眺めている事に納得できません」
「自己満足か」
「はい」

165小閑者:2017/09/17(日) 15:10:00

 男の揶揄する様な言葉にも小揺るぎもしない恭也に、男の表情に笑みが含まれる。必死になって言葉を押し留めているのに、考えがありありと顔に表れている後ろの2人が恭也との落差を強調してくれるので尚更楽しいのかもしれない。
 なのはにとってもフェイトにとっても、真摯な思いを嘲笑するかのような男の態度は許せるものではなかった。それが大切な友人に対するものであれば尚更だ。それでも、声に出して非難する事を踏み止まっているのは、偏にこの家に入る直前に当の本人から口を出す事を固く固く禁じられていたからだ。

「オメーがその欠片も無い才能に縋り付きてぇって気持ちは分からんでもない。だが、縋り付く前に何かしらの努力はしてきたのか?
 それすらしてねぇってんなら、回れ右して、祈ってるだけで願いを叶えてくれる神様でも探しに行け」
「…才能が無い事に変わりはありませんが、努力を続けてきた事はあります」

 そう言いながら恭也は左の袖から鞘ごと取り出した八影を見せた。隠し持つには大き過ぎるそれを見た男は、隠し切っていた恭也の技量に驚き目を見開いた。

「剣か?」
「はい」
「そいつがオメーの住んでる次元世界の武器としては主流なのか?」
「いえ、疾うの昔に廃れています。俺の世界の優れた対人兵器といえば銃器になります」
「じゃあ、何でそいつを使わねぇ?剣だって十分に立派な殺傷力がある。遊び半分で握ってる訳じゃあねぇんだろ?」
「…憧れたんです。
 比較するのも馬鹿馬鹿しいほど性能の勝る拳銃に見向きもせず、ただ剣を極めようと邁進する先達の背中に。
 助けた誰かから送られる僅かばかりの感謝の気持ちに嬉しそうに浮かべる笑顔に。
 誰かを助けるなら、これにしよう、と」
「…それがオメーの誇りって訳か」
「誇りなんてありません。どう言い繕った所で人を殺傷している事に変わりは無いんですから。
 先達の姿を格好いいと思ったから真似をしている、それだけです」
「それなら、浮気なんかしちゃ拙いんじゃねーのか?」
「別に罰則がある訳ではありませんから。
 きっと、あの人達なら魔法に頼る事無く守りきって見せるんでしょうが、残念ながら俺には無理でした。
 それなら、些細な事に拘る訳にはいきません」
「…その手、一月や二月で出来るもんじゃねぇな。
 本当に良いのか?その拘りを捨てちまって」
「俺は誰かを守るために剣を取りました。
 そして、腕が未熟なのは俺自身の責任です。
 そうする事で大切な人が助けられるなら、俺の拘りなどドブにでも捨てますよ」

 言葉に熱を込める事も感情を滲ませる事も無い恭也を見つめていた男は、そこで初めて視線を外し、悲しそうに恭也の背中に視線を投げ掛ける少女達を見やる。

 本人の口調ほど軽い決断じゃあねえな。少なくともこいつが剣に捧げてきた物は半端なもんじゃねえはずだ。
 たいしたもんだ。手段に拘って目的を果たせない奴なんざ幾らでも居るってのに。
 今まで積み重ねてきた全てを犠牲にしてでも、守りたい存在、か。
 しょうがねぇなぁ。

「いいだろう。この仕事、引き受けた」
「!ありがとう、ございます」
「そういうのは物ができてからにしろ」

 男の了承の言葉に深々と頭を下げる恭也に男は視線を逸らしながらそっけなく返す。
 その態度になのはとフェイトが顔を見合わせ微笑した。横柄な態度ばかり見せられていたので印象が悪かったが、正面からの感謝の言葉に照れている姿を見る限り、悪い人ではないのだろう。

166小閑者:2017/09/17(日) 15:12:05

「それで、お前さんはどんな奴がいいんだ?朧気でもなんかあんだろ」
「はい。まず、アームドデバイスにして下さい。形状は出来る限りこの刀と同じに」
「え!?…あ」

 恭也の回答になのはが思わず驚きの声を上げ、約束を思い出してバツの悪そうな顔をする。
 なのはは父や兄・姉が武器を、刀を大切にしている事を知っていた。危険物としての取り扱いという意味とは別に、自身の命を預けるものとしてとても丁寧に扱っているのだ。
 如何に剣への拘りを捨てると言ったところで、愛刀を手放すなんて想像もしていなかった。もっとも、これはなのはが本格的な、二刀を使用した御神流の鍛錬を見させて貰えていないからこその驚愕である。
 そして、初対面の男にとっても意外な回答だった。訝しむ様な表情で留めているのは、武器を消耗品と捕らえる考え方がある事を承知しているからだ。

「別にその剣を手放す必要はねえだろう?
 アームドデバイスを指定するって事は接近戦を主体にする積もりなんだろ?」
「手放す積もりはありません。
 今は一振りしかありませんが、俺の流派は二刀流、剣を二振り扱うんです」
「ええ!?」

 今度の驚きはフェイトのものだった。
 彼女は一度きりの早朝練習で徒手の恭也に惨敗を喫していた。だから、武装した恭也と対峙した事は無いのだが、一度だけ見せて貰った刀を使っての型稽古は一刀だったのだ。
 優雅な舞の様でありながら、敵の姿が幻視出来るほどの実践的な動きに、フェイトは目を奪われた。仮想の敵が、直前に素手の恭也に翻弄されていた自分とアルフだったのだから尚更だった。
 あの動きすら本来の恭也の動きではなかった事実に、もう恭也が何をしても驚くまいという暫く前からの誓いを、またも守ることが出来なかった。

「他には?」
「後は思い付きません。最初に言った通り、俺は魔法の知識がありませんから。
 目的は空中を飛び回る魔導師と渡り合う事、その一点です」
「…飛び回ってない魔導師なら渡り合える様な言い草だな?」
「これまで一度も魔法の練習をしたことも無く、魔道資質は最低ランク。そんな俺が、AAAランクの魔導師との能力差を埋める性能をデバイスに要求するのは、勝手が過ぎると言うものでしょう。
 飛び回っていない魔導師との能力差は頑張って補います」
「はぁ!?目標はAAAランクだと!?馬鹿かテメーは!頑張ったくらいで補える訳ねーだろーが!!」
「あの、それは物凄く当然の意見だとは思うんですけど…、恭也君は補えちゃうみたいですよ?」
「…あん?」

167小閑者:2017/09/17(日) 15:16:53

「…信じらんねぇ。
 お前さん、デバイスなんていらねえんじゃねぇの?」

 疲れ切った男の言葉になのはが口に出さずに心の底から同意する。
 男の反応は予想出来る物だったので、持参したクロノとの遭遇戦と局員3人を相手にした模擬戦のデータを見せ、それでも納得しない男を外に連れ出し、目の前でフェイトを相手に手合わせをした。
 恭也の武装は刀に見立てた工房にあった2本の金属パイプ、フェイトは当然バルディッシュ。
 結果は、

「何を言ってるんです。テスタロッサの圧勝だったじゃないですか」

という恭也の台詞通りフェイトの勝利だった。
 だが、内容が正確かどうかは視点によって異なるのだろう。少なくとも、なのはの隣で黄昏るフェイトを見る限り、恭也とフェイトの見解には高くて厚い隔たりがあるようだ。
 フェイトが受けたダメージは皆無、恭也は一発の魔力弾で昏倒しているので、恭也の意見にも一理はある。
 だが、恭也はその一発以外の射撃、斬撃、仕掛け罠、全ての攻撃を悉く躱し続けた。逆にフェイトは恭也にしこたま殴られている。それはもう嫌というほど。ダメージが無いのはバリアジャケットの性能故。
 フェイトのバリアジャケットは防御力より機動性を重視しているため、同じランクの者と比べれば確かに弱い。だが、AAAランクは伊達ではない。
 そして、恭也が敵対しようとしているヴォルケンリッターが推定AAAランクである以上、この模擬戦はそのまま実戦での結果となるだろう。

「…けどなあ、流石にバリアジャケットを破るような方法は思い付きそうにねえぞ?」
「いえ、そこまでは望みません」

 バリアジャケットを纏った魔導師にダメージを与える方法は2つ。
 属性か純粋な威力でバリアジャケットの性能を上回る攻撃を放つか、バリアジャケットそのものを無力化するか。
 どちらも簡単に実現させる事は出来ない。出来るならば魔導師の優位性がここまで高く評価されてはいないだろう。

「俺が欲しいのは空中にいる魔導師に近付く手段です。
 テスタロッサは基本的に接近戦を主としているので接点がありましたが、遠距離攻撃を主とする者もいますし、近接戦闘者だとしても頭上を支配されると圧倒的に不利になりますから」
「そうは言っても、高速移動する高位魔導師に追いつくのは簡単なこっちゃねえぞ?」
「ですが、同じ相手と何度も対戦することはあまり無いはずです。
 程度はともかく空を飛ぶ手段があれば、やりようによっては騙す事が出来るかもしれませんし、少なくとも警戒させることは出来るでしょう」
「確かにな。特にお前さんの戦い方なら、敵が順応して対応策を模索する前に潰せるって訳だ。
 攻撃さえ通用すれば、だが」

 男の指摘は尤もだ。
 少なくともフェイトとの模擬戦を見た者ならば、空を飛べない事よりも余程明確な欠点に見えたはずだ。

「攻撃が効かない事については、最悪、時間稼ぎの足止めに専念すれば、なんとか」
「そう甘かぁねえだろ。
 効かねえ事がばれりゃあ、お前さんの攻撃を無視して突っ込んで来るぞ」
「そうでしょうね。
 ですが、直撃させなければ威力が無い事はばれず、警戒させる事が出来ます」
「理屈だな。だが、そう上手くいくかい?」
「少なくとも、ハラオウン執務官とアースラでの模擬戦の相手には有効でした」
「あん?…まさか、あの対戦者がギリギリで凌いでた様に見えた攻撃は、お前さんが加減して凌がせてたってえのか!?」
「ええっ!?」
「嘘っ!?」
「…ええ、まあ。
 念のために言っておきますが、余裕と呼べるほどの力量差があった訳ではありませんよ?“2撃で体勢を崩して3撃目を入れる”という組み立てをやめて、全て1撃で捉えようとしただけです。
 恐らくは魔力弾を躱す体術があるせいで、当たりさえすれば攻撃にも相応の威力があると思い込んでくれるんでしょう」

168小閑者:2017/09/17(日) 15:17:59
 クロノとの遭遇戦において、恭也の出鼻に放った蹴撃がクロノの鳩尾にモロに命中している。本人の言葉を信じるならば、その初撃でダメージを与えられなかった事を見て取った恭也が以降の攻撃をギリギリで躱せる物に抑えていた事になる。
 恭也の台詞を冷静に聞いてみれば、攻撃を躱させるのはあくまでも威力の低さを隠すための苦肉の策であると分かる。それは先程の模擬戦でフェイトにダメージを与えられなかったことで良く分かる。
 だが、対戦したフェイトは勿論、観戦していたなのはでさえ、恭也が実力を隠すための言い訳にしか聞こえなくなっていた。
 そして、剣術どころか剣道すら知らない3人は気付かなかったが、たった3撃で捉えられる事が、既に圧倒的な実力差なのだ。
 ちなみに、早朝練習時に恭也から攻撃を仕掛けた事はなかった。近付くことが困難だった事もあるが、いくらバリアジャケットの存在を説明された所でなのはやフェイトを殴り飛ばす事に抵抗があったのだろう。万が一にでも怪我を負わせる訳には、と言う訳だ。
 2人が習得しているのが魔法ではなく何らかの武術であったならば、訓練過程での負傷はあって然るべきものとして気にしなかっただろうが、恭也にとって“魔法”の位置付けが明確になる前だった事が要因だったのだろう。

「何れにせよ、明日にでも力が必要になる可能性があるんです。万全など望むべくも無い。
 同じ舞台に立てるならそれ以上の贅沢を言う積もりはありません」
「そこまで急ぐのか?
 だが、リンディの嬢ちゃんなら速攻で必要な材料は揃えてくれんだろうが、製作時間だけでもけっこうかかるぜ。
 取り敢えず、どんくらい時間が掛かるか試算してみるから、ちっと待ってろ。
 ついでに必要なモンの洗い出しと在庫の確認か」

 言い終えると男が席を立った。言葉通り在庫の確認に向かったのだ。

「手伝える事はありますか?」
「今んトコねぇよ。
 少し掛かるだろうから、そこらに適当に座ってろ。飲み食いしてぇならそっちの奥に台所があるから勝手に漁れ」
「ありがとうございます」

 恭也の謝辞を最後まで聞く事無く、扉が閉まった。
 勿論、恭也の謝辞は男の配慮に対するもので、本当に台所を漁ったりする事は無い。
 扉が閉まると、部屋には落ち込んでいるフェイトと彼女を宥めるなのは、そして緊張を解くように静かに、しかし大きく息を吐き出す恭也だけになった。



     * * * * * * * * * *



「提督、少し宜しいでしょうか」
「ええ、入って」
「失礼します」

 クロノが許可を得て入室したのは、リンディの執務室だ。
 クロノは自室に戻り、先刻抱いた恭也への疑念を整理すると、リンディに恭也の身辺調査を提案するためにやって来た。
 だが、そこにはリンディの他に予想していなかった先客がいた。

「おお、クロスケ!」
「久しぶりね」
「げっ、ロッテにアリア!」
「ほほ〜。
 久しぶりに会った師匠に対して随分なご挨拶じゃないか」
「これは久しぶりに師匠への接し方って奴を、みっちりと体に教え込む必要があるみたいだね」
「コ、コラ、近寄るな!纏わりつくな!!服を脱がすなー!!!」
「あらあら、愛されてるわねぇ、クロノは」
「笑ってないで止めて下さい!」

 クロノにじゃれ付いている2人の先客は、どちらも公私共に何かと世話になっているギル・グレアム提督の使い魔だ。そして、本人たちの言葉通りクロノの師匠でもあり、リーゼアリアが魔法を、リーゼロッテが体術をクロノの体に文字通りの意味で叩き込んでいる。
 また、2人が獲物を嬲って遊ぶ猫を素体としている事が関係しているのか、頻繁にクロノをからかって遊んでいる。生真面目なクロノが一々反応するため、悪戯に拍車が掛かる傾向にある。
 クロノにとっては、管理局員としても先輩に当たるため、3重の意味で頭が上がらない存在だった。

169小閑者:2017/09/17(日) 15:19:20
「それで、クロノの用件は何かしら?」
「ハァハァ、八神恭也の転移後の生活範囲について再調査を提案します」
「…それは闇の書との関わりについて、と言う意味ね?」

 クロノがなんとか2人を振り払うと、リンディの問い掛けに対して率直に提案した。

「恭也さんが異次元漂流者である事は間違いないようよ?
 それでも調査を再開する理由は?」

 民間の協力志願者についての身元調査は当然行う。管理局への入局志願者と同程度、と言うほどの労力は割かないが、担当している事件との関連性についてはそれ以上に厳重に行う。
 ただし、身辺調査と言ったところで、調査対象が管理外世界の出身であった場合、それまで過ごした年月を日毎に確認する事も、接触のあった全ての人物とその背後の繋がりを確認する事も実質的には不可能だ。思想や習慣に関連する行動範囲や、所属する団体の調査が限界なのだ。
 そして、調査範囲も基本的にはデータベース上に存在するものまで。存在さえすれば、技術力の差から大抵の管理外世界のデータは確認できる。
 恭也の場合は状況が特殊ではあるが、それでも協力の申し出を受け入れたのは、同情や憐憫、何より負い目が含まれていなかった訳ではないが、当然それだけではない。
 まず最初に、恭也自身とは別に事件の背景について。
 1つは、この第97管理外世界で過去に次元犯罪に関わる組織の存在が確認されていない事。勿論、今まで無かったから今も無いとは言えないが、「見つかるまで探し続ける」などという事は出来ない。管理局に限らず治安機構の活動が対処療法になるのは宿命とも言える。
 もう1つは闇の書の陣営が組織だった活動をしていない事。何処かの組織の中枢だった人間が主に選ばれれば話が変わってくるが、そうであるなら今までの蒐集活動を守護騎士だけで行ってはいなかっただろう。
 次に、当然恭也自身について。
 仮に彼が転移前に何処かの犯罪組織と繋がりがあったとしても現状では連絡を取り合う手段がなく、また、この事件に絡む可能性は考え難い。
 そして、既に恭也が転移後に暮らしていた八神家についても調査は終了していた。調査結果は、恭也を迎え入れた事からも分かる通り“シロ”。
 八神家の構成は9歳の少女1人きり。両親は数年前の交通事故で他界しており、親類はなし。それが、戸籍や病院の記録から判明した八神家の全てだったのだ。

 クロノが自分の気付いた恭也の言動の矛盾と意図的に行動している節がある事を説明すると、リンディは驚く様子を見せる事無く頷いて見せた。

「なるほど。
 つまり、あなたと同じ結論に至って恭也さんを疑う人が現れる前に彼の潔白を証明しておきたいのね」
「…どう聞いたらそういう結論になるんですか」

 同じ内容ではあるのだが、視点を変えただけでニュアンスが180度反転している。
 勿論クロノにも、リンディが自分をからかうために態とそういっているんだという事は分かっている、という事にしておいた。その考えが無かった訳ではない事を認められない程度には、男としての矜持を持ち合わせていた。

170小閑者:2017/09/17(日) 15:20:17
「照れてる照れてる」
「やーさしいなぁクロスケは」
「勝手な事言うな!
 …提督も同じ結論ですか」

 クロノが見る限り、リンディが驚かないのは“納得”というより“予想通り”というニュアンスだった。
 勿論、意外だとは思わない。自分が気付く事にリンディが気付いていない事はそれほど多くない。

「私が気になったのは、元の世界の縁故が一切無くなったと言っているのに、命懸けで守りたい人がいるこの世界に留まる意思を見せない事ね。
 余裕が無いせいで思いついてないって可能性もあるし、否定はしていたけど元の世界に戻りたいと思わせる誰かがいるのかもしれないから決定的ではないけれど。
 それに、昼間恭也さんに状況説明をしていた時、過去の闇の書事件の顛末を聞いて酷く驚いていたでしょ?
 暴走による被害が広範囲に渡る事を知って八神さんを心配したのかもしれないし、事件の問題点が襲撃とリンカーコアの蒐集だけだと思っていたからかもしれない。でも、私には書の主の身を心配しているように感じられたわ。訓練場に押し掛けたのもその後だしね。
 あと、恭也さんが恩を受けたと言っている相手が何時も複数の人を指している事もね。もっとも、八神さんの家は両親が他界していて女の子1人だけだから、世話をしてくれる誰かが居ても不思議は無いんだけど」
「そう、か。言われてみれば確かに不自然ですね。
 ですが、気付いていたのに何故彼の参加を認めるような事を言ったんです?確認が取れてからでも遅くは無かったでしょう」
「不自然と言ってもそれほど強いものではないし、管理局が彼に負い目がある事は事実ですもの。
 それに彼が本当に闇の書と関わりがあるならこちらが疑っている事を気付かれない方が良いわ。
 ヴォルケンリッターは間違いなく強敵ですもの。なのはさん達が実力をつけたとは言っても、拮抗出来るようになっただけ。天秤がどちらに傾くか分からない程度の力関係ですもの。
 数で押せるとは言っても危険は少しでも減らしたいのが本音だわ」

 魔導師の実力は高性能なデバイスを装備すれば自動的に上がる訳ではない。道具とは担い手の実力を引き出す事はあっても、底上げはしてくれない。
 金に飽かして手に入れたデバイスに振り回される高官の子息の姿は陸士訓練校の入校直後の風物詩として親しまれている程だ。
 なのはとフェイトがカートリッジシステムにより出力の上がったデバイスに振り回される事無く、完全に魔法を制御下において見せた事でも分かる通り、システム搭載前のデバイスには2人の能力を引き出しきれていなかった事を示している。
 だが、能力の上がった彼女達でさえ、客観的に見て“拮抗”だ。リンディの懸念は当然のものだろう。
 総合力で勝るとは言ってもそれは犠牲を前提にしたものだ。単一戦力として見た場合、アースラクルーの大多数は守護騎士に瞬殺されかねない程実力に開きがあるのが現実だった。

「ロッテ達に頼む積もりですか?」
「もう了解は得られたわ」
「ま、当たりを引いたら漏れなくAAAランククラスの魔導師4人に囲まれて歓迎されるとなれば、流石に通常の武装局員では手に余るだろうしね」
「私達だって馬鹿正直に正面から訪ねていけばあっさり潰されるのは目に見えてる。
 いや、潰されればまだマシか。逆に隠れていることにも気付かずに素通りさせられるのが一番まずいわね」
「だが、ハズレの可能性の方が高いんだ。存在しないのを上手く隠れているからだと思い込めば永遠に探し続ける事になる。
 君達の力を遊ばせておけるほど現状に余裕は無いんだ。見切りをつけるタイミングを間違えないでくれよ」
「分かってるさ」

 リーゼロッテはクロノに返事を返しながら、目配せをしてきたリーゼアリアに頷いて返す。

171小閑者:2017/09/17(日) 15:20:59
 危ないところだった。あの男の存在によって計画が大きく揺らいでいる。アリアが記憶を覗いて確認しているので、あの男があくまでも偶然彼女たちと関わりを持ったのだと言う事は分かっているが、それだけの事でここまで計画に狂いが生じるとは想像も出来なかった。
 もともと綿密な計画など立てようがなかったため、自分たち2人がイレギュラーに対して迅速に対処していく事にしていた。実際、一月ほど前にあの男、恭也が現れるまでは大きな狂いもなく進んでいたというのに。
 事がここまで進んでしまえば、恭也を排除するのも状況的に難しくなってしまったため、皮肉な事に彼の行動の尻拭いまでする羽目になっている。リンディの提案がなければこちらから不審な点を上げて、調査を買って出るという不自然な行動を取る事も覚悟していたのだ。逆に自分たちの登場が遅れていたら、クロノ自身が調査に出向き、守護騎士の存在が露見していた可能性もあったのだ。
 絶妙のタイミングだった事を思えば、まだ完全にツキに見放された訳ではない。

<ロッテ、気を抜かないで>
<分かってるって。こんなところで尻尾を掴まれたりしないさ>
<そうじゃない。タイミングが良すぎる事を疑えって事。
 リンディにとってもこのタイミングで現れた私たちは不自然に見えるはずよ。
 調査を振ってきたのも釜掛けの可能性があるわ>
<リアクション次第では疑われるって事か。最近はクロノも勘が働くようになってきたみたいだし、油断は出来ないね>
<父様の苦渋の決断なんだ。絶対に失敗は許されない>
<分かってる>

 自分達の主であるギル・グレアムが11年前の事件を悔いて下した苦渋の選択。それが決して正しい事ではないと分かっていても、悲しむ人間を最低限にするためには必要な事だと信じた。ならば自分達は使い魔として主の願いを叶えるために尽力するのみだ。




 それぞれの思惑が絡み合いながらも、時は止まる事無く進み続ける。



     * * * * * * * * * *



 男が試算を終えて部屋に戻ると、結局立ったままの3人に出迎えられた。
 栗色の髪の少女の目が赤みを帯びている事から、先程聞こえてきた泣き声がこの娘のものだと察する事が出来た。
 険悪な雰囲気も無く、来訪時に感じた張り詰めた気配が消えた事からすれば、何かしら心配事が片付いたのだろう。内容がこの少年に関する物だろうと思えるのは単なる当てずっぽうだが、外れてもいまい。
 金髪の少女も模擬戦で受けたショックからは立ち直っている様だ。この短時間で回復できるほど軽いものだとは思えなかったが、現実との折り合いは付けられたのだろう。
 上手いフォローが出来たのか、既に慣れていたのかまでは分からないが、何れにせよ余程少年に心を許していなくてはこうは行くまい。

「随分、賑やかだったじゃねぇか」
「すみません」
「バーカ、ガキが気ぃ使ってんじゃねぇ」

 子供は元気であるべきだ。
 面識の少ない者からは誤解されがちだが、男は子供好きなのだ。態々誤解を解いて回る積もりはないが、隠す積もりも無いのである程度親しくなった者は察している様だが。
 幼い子供があらゆる面で未熟である事は当然だと思っている。経験不足なのだから当たり前だ。
 同時に男は相手の年齢が低いからといって侮ることも無かった。今、目の前にいる3人は対等に扱うに足る人格を持っている。

172小閑者:2017/09/17(日) 15:21:44
「気のせいか、随分楽しそうに見えますが、何か良い事がありましたか?」
「そう見えるか。
 どんなデバイスにするか構想を練ってみたんだが、なかなか面白いモンに仕上がりそうだからよ。
 お前さんの剣は隠し武器とか仕込んであるか?」
「いえ。
 これには確実で堅牢な基盤としての役割を求めていますから、奇をてらう様な仕掛けはありません。
 出来ればデバイスもその方向でお願いしたいのですが」
「クックック、そうだろうそうだろう、それで良い。
 デバイスってのは、本人の能力を引き出すためのモンだ。縋り付く為のモンでも装飾品でもねぇ。
 最近はそんな事も忘れて不相応な性能やら無意味な機能やら付けて喜んでやがる連中が多過ぎる。
 シンプル イズ ベスト!
 今回のコンセプトはこいつだ。スペックの全てをお前さん固有の戦闘スタイルを引き出す事に注ぎ込んでやる!」

 フェイトと恭也の模擬戦を見た時には、完成された彼の戦闘スタイルに介入できるのかと懐疑的だった。芸術的な絵画に色を足して完成度を高めるなど普通は有得ない。
 単純に魔法技能を高めるだけであればどうとでもなる。現状が“0”なのだからどれだけ小さな増加量でも倍率としては無限大だ。
 だが、恭也が求めているのは魔法技能ではない。戦闘能力を高めるための手段としての魔法だ。
 しかし、だからこそ遣り甲斐がある。彼の技能を高められればどれほど爽快だろうか。

「製作には最低でも三日は掛かりそうだ。
 完成を急かすからには、お前さん時間は取れんだろうな?
 試作の度に調整が必要になんだから、完成するまで泊まってけよ?」
「それで短縮できるなら、異存ありません。
 聞いての通りだ。運んで貰っておいて悪いが、今日は帰ってくれ。デバイスが完成したら連絡する」
「うん。
 恭也君、無理しちゃだめだよ?」
「高町の方こそ、今日はちゃんと寝ろ。
 テスタロッサも突然の模擬戦で悪かったな」
「いいよ。
 良いデバイスが出来るといいね」
「ああ」



続く

173小閑者:2017/09/17(日) 15:25:38
第16.5話 共感



 艦船アースラで境遇を語り終えると同時に心労で倒れた恭也を残し、リンディに送られて高町家に帰宅したなのはは、深夜になっても眠れずにいた。

 いくらリンディに送って貰ったとは言え、普通なら間違いなく叱られる時間帯に帰宅したにも関わらず、母・桃子が注意を促すに留めていた事を考えれば自分は余程酷い顔をしていたのだろう。
 食欲も全く湧かず、「寝る前に食べたお菓子でお腹がいっぱいだから」という苦しい言い訳にも、母は疑問を返す事無く頷き、今日は風呂で体を暖めて早めに寝るようにと勧めてくれさえしたのだ。
 だが、母の気遣いに心の中で感謝しながらベッドに潜り込んでも一向に眠気が訪れる様子はなかった。戦闘による気分の高揚など当の昔に消え失せているし、高い集中と極度の緊張による疲労は間違いなく体に蓄積されていると実感できるが、それでも目が冴えてしまっていた。
 理由もちゃんと分かっている、恭也の事が気になっているのだ。

 リンディには恭也の事はアースラスタッフに任せて今日はゆっくり休むようにと言われている。なのはにも今の恭也にしてやれる事が無い事は分かってるが、だからといって感情を納得させる事など出来る訳ではない。
 ただ、なのは自身も自分の感情を測りかねている部分があった。倒れた恭也が意識を取り戻す前に帰宅したため、恭也の体を案じている積もりになっていたが、親友のアリサが風邪で倒れた時と違う気がするのだ。
 そこまで進めた思考をなのはは意識して停止させた。その先は何かとても怖い事のように思えたのだ。
 次にヴィータ達を捕捉出来るのが何時になるか分からない以上、常に万全の体勢を保つべきだ。
 意識が脇道に逸れないように、その建前に縋り付いて眠りに付こうと目を閉じていると、両の拳を血に染めて、感情を噛み殺す様に歯を食いしばり、力の限り壁を殴りつける彼の姿が鮮明に脳裏に蘇った。


 気が付くと母に抱きしめられていた。
 不思議に思って母の顔を見上げると、ほっと胸を撫で下ろしながら優しく微笑んでくれた事に心の底から安堵した。母の肩越しに家族3人の姿も見えた。
 聞いてみると、自分の悲鳴が聞こえたので駆けつけたら、泣きながら縋り付いてきたのだそうだ。言われて漸く、母の胸元が濡れている事に気付いた。広がり具合からすると、かなり長い間泣き続けていたのだろう。
 流石に恥ずかしくなって俯くが、まだ離れる事は出来なかった。柔らかな胸に包まれて髪を撫でられていると安心できた。
 父や兄姉ではなく母に抱きついていると言う事は、きっと帰宅後の自分の様子を心配して部屋のそばに居て、真っ先に駆けつけてくれたのだろう。夜間の鍛錬に出かけている時間帯に父達が居るのもきっと同じ理由からだ。そう思い至るとまた、涙が溢れた。
 先程なのはが怖くなって目を背けようとしたのは、恭也はこんな存在を永遠に失くしてしまったという事実に思い至ろうとしていたからだと気付いた。

 家族を失くしたという点ではフェイトも同様だが、プレシアはなのはの目から見る限り「母親の姿」からかけ離れていたため実感が湧かなかった。打ちひしがれるフェイトの姿に心を痛めはしても、それがどれほどの辛さなのか想像しきれなかったのだ。
 だが、恭也の家族はなのはも知っている。厳密には桃子との再婚前であるため共通の家族は士郎だけで、恭也にとって美由希は従兄弟なのだが、その2人を通してその先の家族がイメージできる。そのイメージが合っているかどうかはともかく、イメージを持った事で恭也の境遇に共感することが出来てしまった。

174小閑者:2017/09/17(日) 15:27:01

 家族が就寝し静まり返った高町家で、なのはは1人で自分の部屋のベッドで横になったまま恭也のことを考えていた。
 桃子や士郎から一緒に寝るように誘って貰ったが、なのははやんわりと断った。
 普段から両親の布団に潜り込む事はあったため、添い寝をして貰うこと自体には抵抗は無い。アリサに知られるとお子様呼ばわりされるため頻度は下がったが、なのは自身は両親と一緒に寝るのは好きだったし、両親よりも更に頻度は少ないが、兄・恭也あるいは姉・美由希と一緒に寝ることもあった。
 なのはを気遣っての誘いを断ったのは、恐らく今日は眠る事が出来ないだろうという予感と、1人で考える時間が欲しかったからだ。
 考え事とは勿論、八神恭也に何をしてあげられるのか?だ。

 誰かに相談することも考えた。子供であるなのは一人で考えるより余程しっかりした答えが得られるだろう。
 兄である高町恭也に意見を聞くことも考えた。なのはは、既に八神恭也の事を一個人として認識してしまっているため高町恭也と同一人物と言われてもピンと来なかったが、それでも意見を聞く相手としてはうってつけだろう。
 しかし、それらの選択肢を捨てて一人で考える事を選んだ。
 恭也の家族を取り戻す方法が無い以上、それ以外の行動は気休めでしかない。正解足り得ないのであれば、初めから相談するのではなく、自分の意見を纏めてからにするべきだ。その方がきっと恭也に喜んで貰えるだろう。

 周囲に精神年齢の高い者が集まるため、普段の言動から幼く見られがちななのはだが、そんな考え方が出来る程度には子供らしくない聡い少女だった。



 翌日。
 結局、予感が的中して一睡も出来なかったなのはは登校はしたものの授業に関する記憶がまるでなかった。登校途中に出会ったフェイトに恭也の様子を聞き出して安心した後、いつの間にか放課後になっていた。やはり小学生の身に徹夜は堪えた様で、居眠りこそしていなかったらしいのだが意識は完全に飛んでいた。

 帰宅すると荷物だけ置いて、ユーノと共にフェイトについてハラオウン家に訪れた。
 クロノに非難されていたため少々険悪な雰囲気ではあったが、昨夜の様子を引きずる事無く力を取り戻した恭也の姿を見た事で随分と安心できた。
 条件次第で恭也が参戦できるようになった事に驚きながらも、恭也が活力を取り戻そうとしている事が純粋に嬉しくもあった。その内容が少々殺伐としている気もするが、昨夜の様子と比べればどんな形であろうとやはり嬉しい。

 だが、恭也が元気になると、周囲の人間が凹むように出来ているのか、デバイス製作者に模擬戦を見せた後にはフェイトが黄昏ていた。リンディに紹介されたデバイスマイスターが家の奥に入っていった後になのははフェイトに話しかけた。

「フェイトちゃん、そんなに落ち込まなくても…」
「なのは〜
 だって、やっとシグナムとも互角に戦えるようになったと思ったのに、恭也には全然敵わないんだもん。
 バルディッシュが危険を承知でパワーアップしてくれたのに、私は全然バルディッシュの思いに応えられてない。
 私、弱いんだ…」
「たわけ」ッズビシ!
「キャウ!?」

 落ち込んだ気分と共に俯いていたフェイトの顔を持ち上げるように、恭也の左手の中指が額に炸裂する。

「〜〜ックゥーー」

 言葉を纏める余力の無いフェイトは、涙を溜めた瞳で襲撃者に抗議を訴えるが、当然の様に受け流された。

175小閑者:2017/09/17(日) 15:29:30

「阿呆が。それが勝者の台詞か」
「うぅ、だってあんなのどう見たって恭也の勝ちじゃない。
 きっとシグナムも恭也と戦う方がいいって言うよ」
「敵の機嫌を伺ってどうする。そして俺を殺す気か?
 だいだい、決着がついた時点で気絶していた俺と無傷のお前を並べれば勝敗など一目瞭然だろうが」
「だって、私は恭也の攻撃をほとんど躱せなかったんだよ!?恭也が今回初めて本気を出したのは分かったけど、今までこんなに誰かから攻撃を受けたことなんてないよ!」
「恭也君、ワザと避けられる攻撃をしてたって本当なの?」
「攻撃が効かない事は分かっていたからな。敵を殴ってばらす訳にはいかんだろ」

 “ギリギリで躱す事に成功しているから敵からダメージを受けていない”のと“敵の攻撃が弱過ぎて喰らってもダメージを受けない”のとでは意味が全く異なる。防御・回避を考慮する必要がなければ、その分攻撃に力が注げるのだから当然だ。
 拳銃を持った敵を牽制するには、自分の持つモデルガンを本物だと思わせなくてはならない。それには、チラつかせることはしても、弾を命中させて威力を実感させるなど論外だ。

「でも、恭也に攻撃力があったら、私なんて手も足も出ないよ…」
「…その言い方をするなら、テスタロッサに攻撃を当てられる技能や精度があれば完璧な訳だ」
「そんなの簡単に身につく訳無いよ…」
「俺にバリアジャケットを抜ける攻撃力が簡単に付くとでも?」
「それは、…恭也が魔法を使えるようになれば…」
「その魔法の才能が無い事が、目下のところ最大の問題になっている訳だ」
「…ごめんなさい」

 フェイトも自分の台詞が無い物強請りでしかないことに気付ける冷静さが戻ると、その内容が恭也のプライドを傷付ける類であることに思い至った。
 異様なまでの回避能力で忘れがちになるが、恭也の攻撃の性質は純物理的なものだ。高位魔導師の纏うバリアジャケットで防ぐ事は難しい事ではない。

「…でも、その、恭也、ホントに全力で攻撃してる?」
「フェ、フェイトちゃん?」
「ほー。
 フェイト・テスタロッサ様にとっては周囲を羽虫が飛び回っているようにしか感じないから、手を抜いているんじゃないかと。そう言いたい訳だ?」
「ちちちち違うよ!!そういう意味じゃなくてっ、剣のことみたいにまだ隠してるんじゃないかって!」
「あ、それはありそう」
「そうだよね!ほ、ほら、なのはだってそう言ってるよ!?」
「言質をとって仲間を増やしたか。1対2だからといって手を緩めると思われているとは心外だな」
「待って待って待って!2回もされたらおでこが割れちゃうよ!」
「安心しろ。3回目までは骨に皹が入らないのは実証済みだ」
「4回目で皹が入ったの!?まままま待って!恭也君指を構えながら近付いてこないでぇ!!」
「誰か助けてぇー!」
「お前たち、他所様の家で騒ぎ過ぎだ。少しは落ち着け」

 散々怖がらせておきながら、あっさりと態度を翻す恭也に恨みがましい視線が寄せられるが、勿論恭也には通じている様子が無い。そして、下手に抗議すれば「確かに中途半端は良くないな」などとデコピンの恐怖が復活しかねない。なんて理不尽な。

「もぅ。それでホントに隠してる事は他にないの?」
「疑い深いじゃないか。人を信じる純粋さを忘れてしまうとは寂しいことだな」
「そ、そんなの恭也のせいだよ!」
「そうだよ、フェイトちゃんはとっても素直な良い子だったんだから!」
「なるほどな。
 今のテスタロッサが人の言う事を信じない悪い子になった事を高町も認めている様だから言っても仕方ないかもしれないが、隠している事はないぞ」
「なのはぁ…」
「ち、違うよ!?今のは言葉の綾で、フェイトちゃんは今だって素直な良い子だよ!」

 半泣きのフェイトに必死になって前言を訂正するなのは。揚げ足を取って引っ掻き回した元凶は楽しそうな仏頂面で眺めている。

176小閑者:2017/09/17(日) 15:31:45

「もう、恭也君!どうしてフェイトちゃんを苛めるの!?」
「そうは言われてもな。あんな事を言われたら少しくらい反撃したくなるのが人情というものだろう」
「そ、そうりゃあ、さっきの言い方はフェイトちゃんにも悪いところがあったとは思うけど…」
「そんな生易しいものではないぞ。
 俺が高町との練習で毎回自分の非力さにどれほど打ちひしがれていると思っている。毎夜毎夜悔し涙で枕を濡らしているんだぞ?」
「え…」
「あ、ご、ごめんね?私、恭也君がそんなに気にしてたなんて知らなくて…」
「知らなくて当然だろう。
 嘘なんだから」
「な!」
「…恭也!」
「2人ともまだまだ素直な良い子な様で安心した」

 誤魔化すために頭を撫でられているだけなのに恭也の手を振り払えない。その事実がなのはの頬を膨らませる。
 だが同時に、恭也にからかわれている事に安堵もしていた。
 数日前のフェイトを交えた早朝訓練以降、恭也が冗談を言っている姿を見た覚えが無かったからだ。いくら早朝訓練から昨日の夜にビルの屋上で遭遇するまで顔を合わせていなかったとは言え、恭也の境遇を聞いた今、たとえ毎日顔を合わせていたとしてもそんな余裕など無かったのではないかと思ってしまう。
 だが、冷静に考えれば恭也は随分前からその境遇にある可能性に気付いていたのだから、ここ数日だけ落ち込んでいた訳ではないはずなのだ。
 なのははフェイトとなかなか逢えなかっただけで、あれほど寂しいと思っていた。昨夜など大切なアリサやすずかといった友人どころか、大好きな家族にまで2度と会えなくなることを想像しただけで泣き出してしまった程だ。
 そんな事を考えていると、恭也の戸惑いがちな視線に気付いた。

「…あ〜、やり過ぎたか?
 デバイス製作を引き受けて貰えて少々浮かれていた様だ。済まん」
「あ、なのは…」
「え?っあ、違う、違うよ!これはそんなんじゃないの!恭也君の所為じゃないから!」

 恭也の表情が翳る僅かな変化を敏感に感じ取ったなのはが目に溜めた涙を拭いながら慌てて否定した。だが、慌てれば慌てるほど溢れる涙が止まらなくなる。
 恭也の喜びに水を差している事が悲しくて、これを切っ掛けに境遇を思い出させてしまう事が怖くて、その境遇の過酷さに絶望して。
 何時からか、なのはは声を上げて泣いていた。既になのは自身にも何に対して泣いているのか分からない。困惑し、声を掛けることも出来ないフェイトに見守られながら、ただ只管、抱えきれない感情を吐き出す為に、弱々しく掴んだ恭也の胸元に額を押し付けて、声を上げて泣いていた。

「…心配を掛けたようだな。
 大丈夫だ。俺は、平気だ」

 肩に手を添え、空いた手で頭を撫で続ける恭也が、そんななのはを見守り続けた。



つづく

177小閑者:2017/09/18(月) 19:48:20
第18話 宣言




 恭也がデバイスの製作のために異世界へ行って二日が経った。予定では今日の夕方には恭也のデバイスが完成している筈なので、学校が終わったら状況を確認してなのはとフェイトで恭也を迎えに行く事になっている。
 フェイトは前日まで普通に過ごせていたが、三日目の今日は朝から落ち着けなかった。それはなのはも同じようだが、この二日間ずっと心ここに在らずでぼんやりしていたなのはほど酷くは無いだろう。

「あんたたち、なんかあったの?ここんとこずっと変よ」
「そうだね。フェイトちゃんはうっかりやさんに拍車が掛かってたし、なのはちゃんは何時も以上にぼんやりしてたよね?」

 …大差は無かったようだ。
 だが、恭也本人から内緒にしているよう頼まれているので話す訳にもいかない。別に恥ずかしいからじゃないんだよ?

「まさか、男じゃないでしょうね?」
『え!?』
「…そうなの!?」
「あ、あんた達、何時の間にそんな相手見つけたのよ!?」
「ち、違うよ!そんなんじゃなくて!」
「そうだよ!あの、えっと、ちょっと心配な事があって、今日その結果が分かる予定だから落ち着かないだけだよっ」
「怪しいわね」
「怪しいね〜」

 アリサだけでなく、普段ならアリサを抑えてくれるすずかにまで言われると圧倒的に劣勢になってしまう。
 フェイトはなのはとアイコンタクトを交す。大好きななのはのためならどんな苦労も厭う積もりはないし、今回に至っては利害まで一致しているのだ。1人では敵わない強大な難敵であっても2人で意思を揃えて立ち向かえば、きっと大丈夫だ。

「そ、そろそろ次の授業が始まるよ!」
「そうだよね!早く準備しないと!」
「…それで逃げれた積もり?」
「まあまあアリサちゃん。まだ、1時間目が終わったばかりなんだし」

 団結した2人が足並み揃えて背中を見せて全速で逃走しようとすると、すずかが助け舟を出してくれた。瞬殺するのと包囲網を狭めて少しずつ確実に刈り取るのと、どちらがより残酷なのかは考えない。先の不安に脅えるよりも現時点での無事を喜ぶのは、きっと正しい事だと信じたい。
 その判断は正しかった。結果的に、敵前逃亡して時間を稼いだ事が功を奏してアリサ達の追及を躱しきる事に成功したのだ。
 予定より半日早くデバイスの完成した恭也をアルフが迎えに行く事になったと授業中に念話で聞いて、酷く落ち込んでしまった2人にアリサ達の矛先が鈍ったから、という不本意な理由だったが。

「あんな抜け殻みたいになられちゃ、流石に追求できないわよ」
「何があったか知らないけれど、凄く楽しみにしてた事を横取りされちゃった様に見えたわ」

 それが後日聞いた2人の感想だったそうだ。

178小閑者:2017/09/18(月) 19:49:42


 時空管理局が第97管理外世界において拠点としているマンションの一室、別名ハラオウン邸。その中のベッドとタンスと机だけが置いてある簡素な部屋で、その部屋を宛がわれた部屋の主、恭也がベッドに横になっていた。
 フェイトの部屋も似た様なものだが、この部屋は簡素や質素なのではなく何も無かった。机の中には文具が無く、タンスの中には着替えも無い。勿論、何かの主張ではなく、着の身着のままハラオウン邸に匿われた恭也に手荷物は無く、部屋を宛がわれた当日から外泊をしていたので物が増えることも無かっただけだ。
 ただし、現在部屋には本人とリンディ達に用意された家具の他に部屋の中央、ベッドの脇に鎮座する存在があった。立派な毛並みをした大型犬、アルフだ。
 部屋は静かなものだ。リンディとクロノは不在、エイミィは別室にて事務仕事をこなしているため、物音一つしない。
 そんな中、アルフが不意に耳を立てた。玄関の開く音に続き、帰宅と来訪を告げる声。フェイトがなのはを伴って帰宅したのだ。

「キョーヤ、キョーヤ。フェイト達が帰ってきたよ!」
「…ああ、今起きた」

 恭也が体を起こす様子をアルフは心配げに眺めやる。
 確かにこのマンションは広く、この部屋は玄関からは奥まった位置にある。いくら静まり返っていても、扉をいくつか隔てたこの部屋で玄関の開閉音を聞き取る事は難しいかもしれない。だが、一般人に出来なくても恭也にならば出来るはずだ。自分が呼び掛けなければ起きられないという事は、やはり相当弱っているのではないだろうか?
 そんなアルフの心配に恭也が不服そうな声色で弁解してきた。

「念のために言っておくが、この部屋から玄関の開閉音が聞こえないのは人間としておかしなことじゃないからな?
 疲れている事は認めるが異常と言う程の状態じゃあない」
「じゃあ、多数決でも取るかい?今の状況をみんなに説明して、恭也に異常があると思う人と無いと思う人、どっちが多いか聞いてやろうか?」
「…さて、部屋に押し掛けられる前にリビングで出迎えるか」

 状況の不利を悟ったらしい恭也はあっさりと身を翻した。ちゃんと自覚はあった様だ。
 いそいそと扉に手を掛けた恭也にアルフは言葉が強くならない様に意識しながら声を掛けた。

「キョーヤ、あんまり無理しちゃ駄目だよ」
「テスタロッサが心配するからな?」
「それも有るけど、何で捻くれた取り方するんだい!」
「…ああ。
 これが片付いたらゆっくり休むさ」

 言い残し、退散していく恭也を今度は黙って見送った。

179小閑者:2017/09/18(月) 19:50:27
 恭也がリビングに入ると、帰宅したフェイトとなのはをエイミィが出迎えているところだった。扉の開く音に気付いたフェイトが恭也を見つけると微笑みながら声を掛ける。

「あ、恭也、ただいま」
「お邪魔してます」
「ああ。
 テスタロッサ、悪いが後で手合わせを頼みたい。1人でデバイスを振り回していても分からない事が多くてな」
「…いいけど、お帰りって言ってくれないの?」
「いらっしゃいって言ってくれないんだ?」
「…間借りしているとはいえ、俺はこの家の住人ではないんだ。そんな厚かましい事は言えんよ」
「それくらい言ってあげればいいじゃん。固いなぁ恭也君は。
 そんな事言われたら私もお帰りって言えないじゃん」
「あなたは長く家族付き合いをしているんでしょう?それに将来的に家に入るなら問題ないじゃないですか」
「いや、そういう…ん?」

 もっと気楽に言って良いんだよと恭也を促そうとしたエイミィは、聞き流しそうになった恭也の台詞に首を傾げた。今、彼は何と言った?

「エイミィ、クロノと結婚するの?」
「わぁ、おめでとうございます」
「っな!?ふ、ふ、2人とも何言ってるの!?
 無い!無いよ!そんな事!!
 恭也君、何言い出すの!」
「場所は鍛錬に使っていた公園で良いだろう。テスタロッサ、直ぐに行けるか?」
「どうして話が進んでるの!?
 恭也君、さっきのちゃんと訂正してよ!」
「テスタロッサ、高町。リミエッタさんが恥ずかしさのあまり赤面している。
 その話はここまでにしよう」
「締め括ってどうすんの!」
「クロノ君と結婚するのは恥ずかしいんですか?」
「べ、別にクロノ君だから恥ずかしい訳じゃないよ!」
「え?結婚する事が恥ずかしいの?」
「テスタロッサ、察してやれ。
 神聖な行為であろうと年頃の女性にとっては恥ずかしい事もあるらしい。特に異性に対しての感情は本人にも分からない場合があるそうだ。感情は理屈ではないからな。
 お前たちももう少し大きくなれば、自然に知るようになるんじゃないのか?」
「そうなんだ、エイミィ、大人なんだね」
「フェイトちゃん!?違う、違うよ!私達何もしてないよ!?」
「は?」

 ヒートアップして墓穴を掘りかけたエイミィを救ったのは部屋中に鳴り響くエマージェンシーコールだった。
 瞬時にして表情と共に思考を切り替えたエイミィがモニター室に入り操作を始めると、後を追った3人が部屋に入る頃には、シグナムがどことも知れない荒野で巨大な百足の様に見える何かと戦っている姿が映し出されていた。

「シグナム」
「え?」
「…違ったか?」
「あ、ううん、合ってるよ」

 姿を見て徐に呟いた恭也にフェイトが驚き、声を上げた。たった一言だったが声の響きに暖かい感情が篭っていた様に感じたのだ。
 だが、聞き返す恭也からは何も感じ取れなかったし、なのはも特に反応している様子がないので勘違いだったのだろう。そう結論付けたフェイトは意識をモニターに映るシグナムへ戻した。
 別室に居たアルフが合流する頃にはその次元世界にいるのがシグナム一人だけである事が判明していた。ヴィータやザフィーラは別行動のようだ。

「シグナムが相手なら私が出るよ」
「うん、お願いね、フェイトちゃん」
「私はどうしますか?」
「なのはちゃんは待機してて。見つけられたのは1人だけだから、赤い方のヴィータって子が別行動してる可能性が高いと思う。
 アルフと恭也君も待機ね。使い魔の男も現れてないし、恭也君はまだデバイスの慣らしも済んでないんでしょ?」
「いえ、試験運転は繰り返し行っていますから問題ありませんよ。する事がないならテスタロッサに付いて行きます」
「え!?」
「だ、駄目だよ。敵は物凄く強いんだから恭也君じゃ勝てるわけ無いじゃん!」

 余程驚いたのかエイミィの台詞は彼女にしては珍しく物凄くストレートな内容だ。
 だが、フェイトとなのはがその内容に驚き絶句している横で恭也はショックを受けた様子も無く平然としていた。

180小閑者:2017/09/18(月) 19:51:07

「それが順当な予想だとは分かっていますし、それを覆して見せるといっても信じては貰えないでしょうね。
 では、別の観点から提案し直しましょう。
 連中は、今のところ殺人を犯していません。リンカーコアを抜き出すためとも考えられますが、自分達の存在を隠す積もりなら抜き出した後ででも殺すべきだ。それをしないということは、何の意味があるのかは知りませんが、少なくとも自分に余裕がある限り、敵対する者の命を奪う積もりは無いのでしょう。それなら、俺の命は保障されたようなものです。
 そして、テスタロッサとシグナムの実力は俺が見る限り拮抗している。それなら、勝率を上げるために先に捨て駒をぶつけて少しでも敵を疲弊させるべきです」
「うっ」
「そ、それはちょっと、…ずるいんじゃ」
「ほう。敵を打倒して自分の方が強い事を見せ付けたいということか。なかなか自己顕示欲が強いじゃないか」
「ち、違うよ!」
「それなら目的を見失うな、阿呆。
 あいつらを止めたいのだろう?
 自分達が間違ったことをしていると知っていて、尚、他人を害してリンカーコアを集めている連中から事情を聞いて、誰も不幸にならない解決策を模索したいんだろう?
 目的が手段を正当化する、とは言えないが、集団で戦う事が卑怯だと言うなら弱い者は強い者に従っていろ言っているのと変わらんぞ?」
「あ、う」

 恭也に捲くし立てる様に並べられた言葉に誰も言い返せなかった。
 間違いなく恭也にとって都合の良くなるような観点からの理屈だったが、聞いた限り即座に反論できるほどの穴が見つからず、何より決して敵は待っていてくれない。

「うぅ、分かった。この現場には2人で向かって」
「良いの?エイミィ」
「時間がないんだから何時までも悩んでらんないよ。
 ただし!絶対に無事に帰ってくる事!いいね!?」
「善処はしましょう。
 後でハラオウン提督に説教を受ける時には同行します」
「やっぱり、なんか拙い事なの!?」
「滅相もない。単に判断ミスの可能性を言っているだけです」
「嘘だ、絶対確信犯なんだ!
 はぁ、この場での責任者は指揮代行である私なんだから、恭也君の案を採用した責任は私にあるんだよ。気持ちだけ受け取っとく」
「この場合、確信犯とは言いませんがね。
 分かりました。後日何かしらで埋め合わせはしましょう」

 エイミィの台詞は当然ではある。
 提案者が持つ責任は、様々な視点から現状に適した方策を考案し、採用者(イコール責任者)の判断材料を増やして支援する事だ。そして、提示された案を採用するかどうかは、採用者が決める事であり、方針を決定する責任は採用者が取るべきものである。
 当然、提案された内容が相応しくないと判断した場合には、採用者の責任において不採用としなくてはならない。
 “恭也に提案されたから”などと言い訳しようものなら執務官補佐失格である。

「恭也、急いで!」
「ああ、すまん。
 …手を繋げば良いのか?」
「うん。
 っわ、おっきい手だね。それにゴツゴツしてる」
「気分の良いものではないだろうが、我慢してくれると助かる」
「そんな事ないよ!暖かいし…凄く、安心できる」
「…そうか?まあ、兎に角急ごう」
「あ、ごめん」

 そんな会話を交わしつつ姿を消した2人の居た方向を眺めていたなのはがポツリと呟く。

「…いいなぁ」
「…管制室。ここは管制室なの…」

 アラーム音が鳴り響いた直後の緊迫感など既に何処にも存在しない。尤も、手を繋ぐのが恥ずかしいからといって頭を鷲掴むような男と手を繋ぐ機会は確かに少ないだろう。
 目の幅涙を流すエイミィの様子を無視するように、なのはが先程の遣り取りについてに尋ねた。表情も口調も至って平静であることから、エイミィの呟きは聞こえなかったようだ。

「エイミィさん、恭也君が出ちゃったら何か拙かったんですか?」
「う〜ん、相手が相手だけにやっぱり不安ではあるんだよね。
 敵が対戦者を殺していない事だって、経験則であって、理由が分からないから安全とは言い切れないし。そもそも、致命傷ではないとは言っても無傷じゃないしね」
「そっか。
 そういえば、恭也君もまだ、デバイスには慣れてないんでしたね。本当はこれからフェイトちゃんと練習しようとしてたんだし」
「そうなのかい?」
「あ、そう言えばそう…ああー!」
「にゃあ!?
 エ、エイミィさん?」
「どうしたんだい!?フェイトに何か!?」
「そうだ…、リンディ提督から『相応の実力が認められない限り戦場には出さない』って言われてたんだ…」
「あ…」

 虚ろなエイミィの視線の先、モニタに映し出された異次元の荒野にはシグナムに追いついたフェイトと恭也の姿があった。

181小閑者:2017/09/18(月) 19:57:15

【Thunder Smasher】

 フェイトの放った雷撃魔法がシグナムを締め上げていた触手を持った巨大な百足の様な生物を一撃で葬り去った。
 結果的に労せず拘束から抜け出す事が出来たシグナムは、しかし、憮然とした表情で手助けをしたフェイトを見やり、同時に彼女の左手にぶら下がる様に掴まる恭也に気付いて片眉を跳ね上げた。

『ちょっとフェイトちゃん…敵を助けてどうするの?』
「あ、ごめんなさい」

 何故か弱々しいエイミィの声に内心で首を傾げつつもフェイトが謝罪すると、恭也が助け舟を出す。

「いや、あれで良い。敵の目的がリンカーコアの蒐集である以上、妨害する手段としては有効だ」
『だからって、先制攻撃するとか出来たでしょう』
「速度重視で来ましたから俺達が辿り着いている事は気付かれていますよ。
 百足もどきに苦戦していたのは生け捕り目的だったからでしょう。その気になれば何時でも抜け出せたはずだ。
 テスタロッサの存在に気付いていながら雑魚にかまけている様な、攻撃力しか能の無い阿呆にアースラの武装局員が遅れを取っている訳ではないでしょう?」
『…本当に良く口が回るよね」
「随分、含みのある言い方ですね」
「身内を引き合いに出して反論を封じるなど、真っ当な精神構造では出来んだろうからな」
「敵にまで言われるとは。
 俺は新参者でな、味方と言っても身内と言えるほどの関わりはないんだ。
 テスタロッサ、もう放してくれて大丈夫だ」
「え、この高さから?…じゃあ、放すよ?」

 残り10m以上の高さから危なげも無く着地する恭也を見やり、シグナムが目を細める。

「ほう。てっきり、テスタロッサが一人身の私に当てつけるために連れてきた恋仲の男かと思ったんだがな。
 その体術と先程の毒舌、ただの優男ではないな」
「な!?ち、違います…」
「否定する時には最後まではっきり言った方がいいぞ、テスタロッサ。
 シグナムといったな?毒舌に何の関係があったのかは知らんが、優男というのは優しげな男の事、一般的に美男子を指す言葉だ。
 皮肉として使うにはありきたり過ぎるし、本気で言っているなら眼科に行くか街中で審美眼を磨いてから出直して来い」

 言い切った恭也から視線を外したシグナムが恭也の背後に降り立ったフェイトを見ると、彼女も不思議そうに恭也の背中を見つめていた。
 恭也の顔は造作も整っていると言える範囲だし、何より視線に強い意志が宿っている(仏頂面なので表情には表われ難い)ため、美醜を超えて人の意識を惹き付ける。実際、“美人”と見なされる顔とは“平均的な顔立ち”という説もあるくらいなので、魅力とは顔立ちだけで決まるものではないだろう。
 結局、個人の好みに依存する程度のものではあるが、恭也の顔は10人に聞けば半数以上にはカッコイイと評価して貰える位には整っている。つまり、恭也本人が評価しない方の半数に属しているのだろう。

「別に間違ってないと思うけど…」
「何の話だ?」
「お前達はここに雑談をしに来たのか?」
「ふむ、それでも良かったんだがな。身の上話でもしてみないか?」
「断る。
 態々来てくれたのだ。有り難く蒐集させて貰う」
「性急だな。では、お前達の目的を明かしてくれたら俺のリンカーコアを提供しよう。それでも不服か?」
「恭也!?何を言ってるの!」
「交渉か。だが、お前達管理局は既に我々が闇の書のプログラムの一部であることを知っているだろう。我等が主の情報以外に自身のリンカーコアを掛けてまで知りたい事があるとは思えんが?」
「では、闇の書を完成させて何をする気だ?世界征服か?それとも世界平和か?」
「さあな」
「答えられん目的か、目的そのものが主に繋がるか。そのくらいは知っておきたかったがな」

 交渉決裂とばかりに恭也が抜刀した。右手に小太刀、左手に小太刀型アームドデバイス、それぞれを順手に握り、しかし構える事無く自然体のままでシグナムと対峙した。

「流石に態々付いて来て傍観という事は無い様だな。だが、お前のその灼熱の日差しに真っ向勝負するような黒尽くめの服は騎士服、いやバリアジャケットではないな。余裕の積もりか?」
「試してみれば分かる事だ。あと、色は趣味だ。ケチを付けるな。
 テスタロッサ、悪いが先に出るぞ」
「なんだ、一人ずつか。親切な事だな」
「残念ながら連携出来るほどの練習はしていなくてな。
 さて、久しぶりに二刀が揃った事だし名乗らせて貰おうか」

 気軽に言葉を紡ぎながらゆっくりと二刀を構えた恭也を離れた場所から見ていたフェイトは、照り付ける日差しの暑さも通り過ぎる風の音も消失した様な、正確には認識できなくなった事に気付けないほど、身体中の全感覚が恭也から逸らせなくなった。

「永全不動 八門一派 御神真刀流 小太刀二刀術 八神恭也」
「!」

 シグナムは言葉を失い恭也を見つめた。

182小閑者:2017/09/18(月) 20:01:45
 恭也は名乗ると同時にそれまでの隙こそ見せないながらも弛緩した雰囲気を、一瞬にして触れれば切れてしまうと思わせるほど張り詰めたものに一変させた。
 だが、勿論シグナムが意識を奪われたのはそこではない。恭也が流派を名乗った事に驚愕したのだ。
 流派を名乗るという事は、これからの行動は全て流派の代表者としての振る舞いである事、そしてその行動に嘘偽りが無いことを自分の流派の名誉に掛けて宣言しているのだ。
 流派の名誉は剣士にとって命よりも尊いもの。それが次元も年代も超えてなお、剣士の共通の認識である事は、草間一刀流の道場で指南役を勤めている間に確認している。
 つまり、恭也はこう言っているのだ。

“ヴォルケンリッターとは袂を分かち、敵対する”

 シグナムは恭也の言葉の意を汲み取ると、感情を押し殺し、表情と態度に細心の注意を払いながら、自らも名乗り返す事で恭也の意思に応えた。

「ヴォルケンリッター 烈火の将 シグナム、そして我が剣 レヴァンティン」
“承知した。今、この時より我等は貴様を敵と見なす”

 その言葉と意味に満足げに目を細めた恭也の様子から、彼の期待に応えられた事を察したシグナムは内心で安堵した。
 自分も彼も剣士だ。意見が対立すれば敵対する可能性がある事は百も承知だ。だが、最後の瞬間だけでも家族の意に沿う事が出来た事が嬉しかった。
 その喜びを胸に、目を閉じて長剣を上段までゆっくりと掲げる。
 再び目を開いたシグナムからは、ただ眼前の敵に対する闘志だけが溢れていた。



 シグナムは上段に構えたまま感覚を研ぎ澄ませ、恭也の様子を伺う。
 恭也は右足を引いた半身で、やや前傾。左手のデバイスを水平に寝かし胸の高さに構えている。
 草間の道場で一振りの木刀を両手で構えていた時にも堂に入ったものだと感心した覚えがあったが、二刀を構えた今の姿と見比べてしまえば明らかに一刀は錬度が足りない事が分かった。あの時は、道場での立会いであった事、得物の長さが違う事が恭也にとってのハンデだと考えていたが、一刀であった事こそが最大のハンデだったのだ。シグナム自身も全力を見せた積もりはなかったが、恭也の方が隠していた引き出しの数は多かったのだろう。
 道場で見た彼とは別人だと思わなければ危険だ。
 それは、左手に握るアームドデバイスの存在を差し引いたとしても変わる事の無いシグナムの見解だった。

 彼我の距離はおよそ20m。
 魔法戦において近距離と言えるこの間合いは、白兵戦においては距離を詰めなければ攻撃の届かない遠距離だ。
 恭也がこの短期間に魔法を習得していて、魔法戦を仕掛けてくる。そんな意表を突いた戦法がシグナムの脳裏を掠めた瞬間を見透かしたかのように、恭也が柔らかな砂地をものともせずに猛烈なスピードで前進を開始した。

 恭也の選択は至極真っ当なものだ。
 仮に恭也の魔導師ランクがシグナムと並ぶ程のものだったとしても、それは才能でしかない。
 なのはですら、魔法に初めて触れた頃は、現在と比べて“稚拙”と評価せざるを得ない技能だったのだ。勿論、“習い始めたばかりにしては驚異的な技能”であっても“絶対的な評価からすればまだまだ低レベル”というのは当然だ。
 ましてやシグナムは高位魔導師との戦闘経験も豊富な歴戦の魔道騎士だ。強力な砲を撃てたとしても、戦術どころか戦技とも呼べない様な単発の魔法を使う駆け出しの魔導師など何の脅威にも成り得ない。
 シグナムが予想した、恭也が取る可能性の最も高い、そして恭也が勝利する可能性が僅かでも存在する戦法とは、剣術を主軸とした白兵戦のみなのだ。

 砂を蹴り上げながら距離を詰める恭也のスピードは、シグナムに肉薄する頃には道場での踏み込みに見劣りしない程になっていた。それは道場での手合わせ以外に恭也の戦闘行動を見ていないシグナムを驚愕させるに足るものだった。
 砂地では固い地面を走る様には移動できない。砂が変形して力を逃がしてしまうからだ。
 足で地面を押すと同じ大きさの、向きを反転させた力が跳ね返ってくる。この反作用を移動の際の推進力にしている訳だが、このベクトル成分の内、鉛直方向分が体を持ち上げ、水平方向分が体を前進させる。地面を蹴る力を効率良く推進力に変えるには、水平方向に地面を蹴れば良いのだが、砂地ではこの理屈を適用する事が難しい。水平に力を加えれば砂が飛散して力が逃げてしまうからだ。砂が移動しない程度の角度と力で砂地を蹴らなくてはならないのだ。原理は違うが、摩擦の少ない氷の上を移動するのと同じ現象である。
 恭也はこの問題を地面を蹴る回数を増やす事で解決している。一蹴りで得られる推進力が少ないなら回数をこなして合計値を合わせれば良い、という理屈なのだが、魔法で飛翔すれば済むシグナムからすれば、その解決方法を発案する事も実行する事も実行出来る事も正気の沙汰とは思えなかった。

183小閑者:2017/09/18(月) 20:02:24
 シグナムが驚愕を振り払い、恭也の突進にタイミングを合わせる。
 恭也の移動方法は突飛ではあるが、理屈の通ったものだ。そして、理屈に沿っている以上、この移動方法では急激な制動も針路変更も出来ない事になる。ならば、如何に砂地における移動としては非常識なスピードであろうとそれ以上のものではない。

 だが、この男がただ突進するだけ等と、そんな単純で無様な真似をすると誰が信じるものか。
 警戒レベルを最大まで高めろ。
 魔法の有無など関係なく、この男は危険だ!

 シグナムは恭也の行動を予想する事を放棄した。砂地での移動一つとってみても基盤となる技術の隔たりが大き過ぎることが分かる。下手に予想すれば先入観を生み、虚を衝かれた時に反応が致命的に遅れかねない。
 恭也の一挙手一投足を観察し、リアルタイムで次瞬の動きを予測し、それらの行動を積み重ねる事で恭也が目指す成果、つまりは戦術を洞察する。
 シグナムの行動はまさしく、対等の敵を迎え撃つためのものだった。

 シグナムの間合いの2歩手前で前傾だった恭也の姿勢が起き上がった。意図を察したシグナムが瞬時に間合いを詰める為に飛び出すが、それすら考慮の内だったのか体を起こした恭也は動揺する事無く、つっかえ棒の様に右足を前方の地面に突き立てた。
 突進による運動エネルギーが集約されたその一歩を受け止めた地面は、反作用として何割かを恭也に跳ね返しはするものの、エネルギーの大半を砂を弾き飛ばす事に転換し、結果、砂の瀑布が出来上がった。だが、恭也の行動を阻止出来なかったシグナムは、巻き上がる砂に動じる事無く、滝の向こう側にいる恭也を見据えていた。

 阻止する事は出来なかったが、シグナムが相手ではそもそもこの技(蹴りつけるだけでは有り得ないほど砂が舞い上がっている事からも分かるように特殊な踏み込みをしている)の効果が半分以下しか発揮されないのだ。
 砂を舞い上げたのは単純に姿を隠すためなのだが、その方法として目潰しとブラインドの二つの役割が込められている。だが、シグナムの騎士服は肌が露出している様に見える頭部や手足も保護しているため、機能の一部であるバリアが蹴り飛ばした程度の砂など完全に遮断するのだ。そして、飛散する砂のブラインドには恭也の位置を隠し切るほどの厚さと密度がない。

 シグナムは彼我の距離が自身の間合いに達した事を把握すると、恭也の間合いまで踏み込ませる前に上段に掲げたままのレヴァンティンを袈裟に振り下ろした。軌跡を斜めにする事で水平方向の射程範囲を広げた斬撃は空間に舞う砂の壁を切り裂きながら恭也へと迫り、しかし、剣に加えられた力によってベクトルの向きを強制的に変えられた。それは、確認するまでもなく恭也の仕業でしかなく、確信出来るのはこの一撃だけで終わりであるはずがないという事だ。
 シグナムの確信を裏切る事無く、恭也は更に踏み込むと、シグナムの斬撃を逸らした右の薙ぎ払いの回転運動をそのまま利用して左の小太刀型デバイスを振り抜いた。

「ああ!」
『嘘!?』
『凄い!』

 フェイトとエイミィ、なのはが展開された光景に思わず叫び声を上げるが、当事者であるシグナムは騎士服を切り裂かれた事に対して驚愕も焦燥もなく、翻って切り上げてきた右の小太刀を弾き返した。

 当然だ。二刀を構える姿を見た時から分かっていた。対等な実力を持つと認めた恭也の刀が騎士服を切り裂いた事に対して驚く理由が何処にある?
 何より、騎士服がその役割を全うしているからこそ、恭也の刀は肌まで届いていないのだ。あの威力の斬撃を受ける事は想定の範囲内。言ってしまえば騎士服の防御力未満の攻撃は幾ら受けても問題にならないのだから、シグナムの戦い方は恭也に今以上の斬撃を放たせない、あるいは喰らわない事だ。ただし、それとて決して容易なことではない。シグナムは、今の斬撃とて回避行動を取れていなければこの程度で済んでいなかったと思っている。

184小閑者:2017/09/18(月) 20:03:21
 長刀と短刀の戦いでは間合いの奪い合いになる。
 至極単純な図式として両者の腕力を同等と仮定して考えた場合、振り回された長刀を停止させた短刀で受け止める事は出来ない。腕力に加えて運動エネルギーが加算されるからだ。当然、立場を逆にした場合にも適用される内容だが、距離を詰めていった場合に先に間合いに到達するのは長刀である事を考えれば、この条件は長刀の利点と考えるべきだろう。
 振り回された長刀に対して同様に短刀を振り回してぶつけたとしても相殺するには条件が必要になる。長刀の方が質量が大きい分、速度との乗算であるエネルギーが大きいし、回転速度が同じなら回転の中心から離れるほど速度が増すため、これも長刀に分がある。相殺に必要な条件とはこれらを逆に考えて、長刀以上の速度でぶつけるか、短刀の先端で長刀の鍔元にぶつけるかをしなくてはならない。
 では、短刀の間合いではどうなるか。
 よく聞く通り、取り回しは短刀に分があるだろう。長刀とて短刀と同じ長さの部分だけ使用する積もりであれば切り付ける事も出来るが、物理的にその先がある以上、短刀よりも質量も大きく、先程長所として上げた中心点から離れた先端のエネルギーが逆に作用して刀の加速を鈍らせる。
 刀に運動エネルギーを与えるのが自身の両手である以上、大きなエネルギーを長所とする長刀は、短所として長刀にエネルギーを与えるための時間が多く必要になるのだ。つまり、同等の運動エネルギーであれば軽量の短刀は速度が速い。そして、人間の皮膚を切り裂くには大きなエネルギー量を必要としない。
 これらの優劣を覆すために技術が生まれた訳だが、逆説的に技術を持ってしか埋められない根本的な優劣が存在する以上、戦う上で間合いを制する事は絶対的なアドバンテージを得る事になる。
 ましてや二刀流の恭也はこの傾向が更に顕著になる。
 敵の間合いでは、片手で剣を握るため敵の攻撃を受け止める事が難しくなる。両手であれば、鍔側を握る手を支点とし柄尻を握る手を作用点とした梃子の原理が適用できるので、刀身で受けた敵の刀と拮抗させることが出来るが、片手では刀身に掛かる力により発生するモーメントを握力のトルクだけで対抗しなければならないからだ。
 逆に自身の間合いにおいて左右の刀で切り付ければ一刀の敵が対応する事はまず出来ない。無論、刀での「斬る」という動作は刀を叩き付けるだけでは成立しないので二刀を同時に出す事はないが、それでも圧倒的な優位性が覆る訳ではない。
 また、古流の場合はどの流派でも基本的に卑怯万歳、生き残りさえすれば良いという思想がある。今回、恭也は長刀の間合いを過ぎ、短刀の間合いに至る為に使用した砂の目晦ましもその思想からだ。だが、この場の思い付きで出来ることではない。ただ砂を蹴り飛ばしたとしても人の頭の高さまで砂を上げる事は出来るものではないし、敵に狙いを悟られるほどあからさまな予備動作をする訳にもいかないからだ。この技が砂地の少ない日本国内では日の目を見る機会がほとんどない事は分かっているはずだが、何時来るかも知れないその日のために練習していた事になる。
 古流で言う“戦い”が“殺し合い”を意味する以上、同じ相手と二度戦う事を考慮する必要はない。ならば、10回戦って1回しか勝てない実力差があろうと、最初にその1回を引き当てれば良く、そのための努力を惜しむ事は文字通り自殺行為と言える。奇策に頼り、溺れてしまっては意味が無いが、小太刀の間合いという圧倒的なアドバンテージを比較的安全に得る事の出来る手段を持つ事は重要なことだろう。

185小閑者:2017/09/18(月) 20:04:57

 恭也の攻勢が続いた。
 無論シグナムとて怠けていた訳ではない。凌ぎ、躱し、防ぎ、時には騎士服の防御力に任せて敢えて受けもしたが、恭也との間合いを広げる事が出来ないのだ。
 草間の道場で出来た事が実戦であるこの場で出来ない。それは恭也が実力を意図的に隠していた事を意味する。二刀流である事だけではない。小太刀と木刀では長さも重量も違うため、間合いも踏み込み速度も剣速も重さも違う。対峙した時に思ったのとは別の意味でも、道場で仕合った彼とは別人だ。
 だが、時間が掛かりはしたがシグナムは恭也の動きにも慣れてきた。恭也の戦い方は二刀と言う手数の多い利点を生かした文句の付けようのないものだが、この世界の住人では持ち得ない騎士服の防御力がそれを覆した。
 万全の体勢からの斬撃以外はほとんど無効化出来てしまうなど、恭也の世界では反則と言える機能だ。魔法世界では「実力の違い」と斬って捨ててきたその事実にシグナムは僅かな後ろめたさが心を過ぎる。それは恭也が当然の事と受け入れているからこそ助長される。
 だが、シグナムの侮りにも似たその思いは、恭也に冷水を浴びせかけられ消え去った。

 恭也の左の一撃を弾き、反撃に転じようとしたシグナムの脳裏に最大級の警鐘が鳴り響く。思考を挟む間も無く反射的に上体を反らすと、

警戒網を掻い潜ったかのように右の小太刀がシグナムの胸元を掠めた。

 僅かな痛みに刃が届いた事を悟る。切り裂かれたのは血が滴る程度の皮一枚分。だが、傷を負った事そのものより、右の薙ぎ払いに反応出来なかった事実にシグナムは混乱した。
 恭也は常に二刀を振るい続けている。ならば当然左の斬撃を受けている最中だろうと右の刀にも注意を払っていて然るべきだし、実際に直前までシグナムはそうしていたのだ。あの瞬間、あの右の刀から意識が外れた、いや、外されたのか!?
 シグナムの混乱を他所に、恭也の右の小太刀が翻り唐竹割が放たれる。
 混乱を引き摺りながらもシグナムが今度こそ両刀に意識を向けながらレヴァンティンを切り上げ、背筋を走る怖気に従い柄から離した左手に鞘を顕現させ、

鞘が実体化した瞬間、レヴァンティンをすり抜けた右の小太刀がシグナムの鞘と激突した。

 斬撃を防いだシグナム自身が驚愕に目を見開く。
 馬鹿な!何故、そこにある!?
 シグナムの驚愕も、攻撃を防がれた事にも、突然現れた鞘の存在にも拘泥する事無く、恭也が連撃の流れを滞らせることなく次の攻撃態勢に移行する様子を目にしたところで、シグナムが恭也より先に手札を切った。

「レヴァンティン!」
【Sturmwinde】

 主の呼び掛けに答え、レヴァンティンが魔法を発動、シグナムは狙いを付ける事無く地面に向かってその衝撃波を叩き付けた。騎士服の防御力に任せて被爆を覚悟で放った一撃だったが、地面の砂を爆散させはしたものの、既に恭也は安全圏まで退避していた。おそらく、魔力の高まりを感じ取って即座に行動したのだろう。バリアジャケットを装着していない恭也にとって魔法による攻撃はそれだけで脅威となるため警戒するのは当然だ。
 だが、シグナムにはそれで十分だった。もとより体勢も崩せていない状態で放った技を恭也が喰らう事など期待していない。攻撃を中断させ、距離を取る事を目的にし、達成できたのだ。それ以上は望むべくもない。

186小閑者:2017/09/18(月) 20:07:22
 冷静さを取り戻したシグナムは恭也を見据える。
 先程の2撃が技術なのか魔法なのかは未だに判断できないが、方法はともかく結果が分かれば対処の仕方もある。
 この戦いではあれを破る事は出来ない。ならば、出させなければ良い。
 弱腰にも思える考え方だが、当然の対処でもある。目的を達するために戦っているのであって、敵を打倒する為に戦っている訳ではないし、ましてや敵の技を破って勝ち誇ることには何の意味もない。
 そして、ここに至れば認めざるを得ない。剣の技量において恭也は自分を超えている。
 勿論、今回の一方的な展開は奇策により間合いを詰められた事が原因であると分かっているが、それを成功させた事も含めて技量だ。そもそもあの砂のブラインドで隠したかったものは、姿そのものではなくレヴァンティンの剣筋を逸らす為の最初の一薙ぎだったのだろう。見えていれば対処のしようもあったあの一薙ぎが勝敗を決したのだ。その意図を看破できなかった事こそが敗因と言える。
 おそらく騎士服を纏わず、魔法を使用しなければ、10回仕合ったとして5つは勝てないだろう。懐に入り込ませなければシグナムが勝利出来るが、恭也は正攻法でも間合いを詰める手立てを持っているに違いない。

 悔しい、と思う。羨ましい、とも。自分よりも強い者に対してこの思いを抱くのは当然だ。
 だがそれ以上に、尊い、と思う。
 武術は魔法程極端に生まれ持った素養が実力を左右するものではない。同じだけの修練を修めても上り詰められる者が一握りでしかない事に変わりはないが、威力のある術を組む事で飛躍的な効果を得られる魔法より、一つずつ積み重ねるしか道がない武術の方が道のりが険しいと思うのはシグナムの贔屓目だけではないだろう。
 どれほどの時間と汗と血を供物として捧げれば、この歳でこれほどの実力を身に付けられるのか想像もつかない。

 だが。
 それでも。

「魔法に頼る事無く、その若さでそれだけの技能を修得したことに対しては敬意を払おう。
 だが、何時までも付き合っている訳にはいかない。この力を持って押し通らせて貰うぞ」
「…」

 シグナムの宣言にも恭也は答えない。表情すら揺るがせる事無くシグナムの姿を注視している。
 その、流派を名乗った直後から変わらない、自らを剣にした姿こそが、彼の描く御神流剣士としての在り方なのだろう。





「凄い…」

 なのはの口から零れた言葉は、恭也への賞賛だった。7階級も上位の魔導師相手に手傷を負わせられる者など他には居ないだろう。
 だが、その内容に反して、彼女の表情は強張っていた。
 この均衡はシグナムが魔法を使用すれば呆気なく崩れ去るだろう。恭也が魔法を使う姿は見た事がないし、Fランクの魔法がどの程度の威力を持つのかなのはには実感できないが、誰に聞いても同じ答えしか返してくれなかった。
 “焼け石に水”
 恭也の非常識さを目の当たりにした者でさえ、なのはへの気休めの言葉にすら否定的な響きが含まれていた。恐らく、それは当の本人さえ認めている事実だ。
 それが分かっていても、圧倒的な力の前に立ち塞がろうとしている。

 何が彼をそこまでさせるのかが分からないなのはには、彼の願いを手伝う事が出来ない。
 だから、せめて無事に帰ってきてくれる事を心の中で祈った。




 再び対峙したシグナムと恭也だったが、今回は睨み合いは続かなかった。恭也に予想を上回る行動を取られる事を警戒したシグナムが即座に仕掛けたのだ。

【Explosion】  ッガシュン!

 シグナムの意思を受けたレヴァンティンがカートリッジから魔力を抽出、シグナムとレヴァンティンの固有特性である炎熱変換によって剣身に炎を纏う。それはシグナムの決め技の一つであり、シュツルムファルケンを除けば1,2を争う破壊力を持つ「紫電一閃」を放つための準備だ。ファルケンを選択しなかったのは発動までに時間が掛かる技では恭也に先制されてしまうと判断したからであって、恭也の安全を考慮して威力を落とした訳ではない。何故なら、紫電一閃は並みの魔導師ではバリアジャケットごと切り捨てられる威力がある「必殺技」と称しても決して誇張表現ではない技だからだ。バリアジャケットを纏っていない者であれば消し炭に出来るだろう。

187小閑者:2017/09/18(月) 20:09:32
 そもそも、致命の威力を忌避するのであればシグナムは攻撃魔法を使う訳にはいかない。非殺傷設定を持たないシグナムにとって、攻撃魔法は純粋に“魔法で防御力を上げている敵を打ち破る術”なのだ。魔法を使用していない恭也に対して行使すれば、シグナムの持つ如何なる攻撃魔法であろうと命中する事は即ち命を奪う事になる。言い換えれば、シグナムがカートリッジを消費してまで紫電一閃を放つのは、恭也の命を絶てる威力があろうとも他の魔法では用を成さないと判断したからに他ならない。
 ベルカ式の魔法は近接戦に特化している。そして武器を介して直接魔力を叩き込む事を基本としている以上、一撃の威力が大きい半面、単発になる傾向がある。ヴィータのようにオールレンジで戦えるベルカの騎士の方が稀なのだ。その事は日が浅いとは言え管理局に属している恭也も知っているだろう。ならば、たとえ命中すれば致命傷を被る攻撃であろうと躱しさえすれば反撃のチャンスになる、という絵空事の様な“言うに易い理屈”をこの男なら実現して見せる可能性がある。そして、この男が数少ないチャンスを何度も手放すとは思えない。他にどんな手段があるかなど想像も付かないが必ずシグナムを脅かす何かを仕掛けてくるだろう。ならば、限りなく低い可能性さえも潰えさせるためにも、恭也の回避範囲全域を攻撃対象とするしかない。
 極めて乱暴な方法だ。そもそも恭也が回避を選ばなければその時点で恭也の身が消滅しかねないのだ。
 シグナムとて恭也を殺害する事など本意ではない。幸いこれまで取ってきた方針のお陰で、無力化さえ出来れば命を奪う事が無くとも恭也との関係を疑われる事は無いはずだった。しかし、殺さないための手加減、つまりは魔法を行使する以前での決着というシグナムの目論見は恭也自身の手によって脆くも崩されてしまった。
 恭也の技量を目の当たりにしたシグナムには、魔法抜きでの恭也の制圧があまりにも細い綱を渡った先にあることが理解出来ている。後先を考えずに没頭出来るのならばシグナムとて心弾むこの戦いに全精力を費やす事に何の躊躇もないだろうが、今は戦う事を目的とする訳にはいかず、この後にはフェイトも控えているのだ。

 万が一にも負ける事は許されない。
 恭也が自分たちと敵対する道を選んだように、自分達は誰を敵に回そうとも主はやてのために闇の書を完成させると決意したのだ。

「行くぞ」

 聞かせるためではなく、自らの躊躇を断ち切るための言葉を呟くと、シグナムは飛翔魔法で恭也との間合いを猛烈な勢いで詰めていった。当然の様に先程恭也が技術を駆使して走破した速度を上回るその移動方法に対して、恭也は目に見えるような反応を示す事無く注視していた。
 攻撃を回避するにはタイミングが重要になる。回避行動を取るのが早すぎれば攻撃軌道を修正されてしまうからだ。恭也が未だに行動を開始しないのはそのタイミングに至っていないと判断しているのだろうが、それはつまり、回避距離が短くなるという事だ。
 最小限の動きで敵の攻撃を回避するのは武術の基本的な思想ではある。しかし、それでも普通はフェイントを交える事で的を絞らせないようにするのがセオリーと言えるのだが、恭也に回避運動を行う様子はない。
 何より、“数mmの間合いで刃を躱す”という実現するには非常に困難な理想的な回避方法は魔法のない世界でしか通用しない。余波だけで岩くらい砕きかねない威力を伴った攻撃に対して実行するには、相応の防御力が必要であり、バリアジャケットを纏っていない魔法初心者の恭也に実現できるとはシグナムには思えなかった。そのことにシグナムの中で小さな焦りが生じる。

188小閑者:2017/09/18(月) 20:10:39
 シグナムの中に芽生える逡巡を他所に彼我の距離がなくなる。シグナムは余計な思考を排斥すると振りかぶっていたレヴァンティンを恭也に向けて叩きつけるために両の腕に力を込めた。そしてそのまま斬撃のためのモーションを起こした瞬間、シグナムの目にはアームドデバイスを握っている恭也の左手が霞んで見えた。
 シグナムにとって攻撃をするには変更の効かない絶妙のタイミングではあったが、およそ小細工をするには遅過ぎる間合いでもある。
 紫電一閃には恭也のどんな行動であろうと叩き伏せる威力がある。その自負の元、狙いを定めて技を放とうとしたシグナムの眼前、文字通り両の眼球の直前で同時に何かが弾けた。そう気付けたのは、抑える事の出来なかった反射行動として目を瞑り僅かに顔を背けた後だった。
 恭也は実質的には何の脅威にも成り得ない威力しか持たないその“何か”によって、シグナムの視覚と攻撃の妨害という破格の成果を叩き出したのだ。
 だが、紫電一閃の一連の動作を体に染み込ませているシグナムは、キーとなる初動を入力した事で、停滞する事無く恭也の居た空間に向かって技を放っていた。

--ッズドン!!

 爆音と共に地面が爆散した。舞い上がる砂埃と膨大な熱量による光の屈折で視界は利かないが、直径が優に20mを超えるクレータが出来ているだろう。だが、シグナムは周囲への警戒心を最大に高めていた。

 何の手ごたえもなかった。その事実にいたく自尊心を傷付けられた。
 命中していれば恭也を消滅させていたのだから、躱されて良かったのだという思考もあったが、そんなものでは感情は納得してくれない。
 この結果は自分の驕りが原因だ。
 攻撃魔法を使う事を決めた時点で、恭也との実力差は大きく開いた。この認識が間違っている訳ではない。
 しかし、それは恭也の実力が下がった事を意味しない。どのような手札を隠し持っているか分からない、油断ならない強敵。その評価を無意識の内に取り下げてしまっていたのだ。
 なんという浅はかさか!
 このような醜態は二度と許されない!
 警戒を怠るな。恭也は必ず何処かから攻撃の機会を窺って


【SIiiiiMPLE IS BEeeeST!】



「…は?」



 シグナムは寸前まで纏っていた緊張感を霧散させると、背後を振り向きながら音源である上方を振り仰ごうとして視界を縦断する影を見つけた。
 影に視線を向けた時点で、既に恭也は地面に接触していた。素直に「着地」と表現しないのは小石を水の表面で跳ねさせる水切りの要領で、猛烈なスピードで砂地の表面を水平方向にバウンドしている最中だったからだ。
 砂煙を撒き散らしながら20m近く転がって漸く停止した恭也は、体中についた砂を払いながら起き上がった。距離がやや離れているため、ただでさえ読み取り難い表情は更に判別が付かなかったが雰囲気としてバツが悪そうにしている事は分かった。
 そんな恭也に向かってシグナムが口を開いた。これだけはどうしても確認しなくてはならない。

「1つだけ聞きたい。
 先程絶叫したのは、おまえか?」
「断じて違う!」

 間髪入れずに力強く否定したことから考えても、本人も余程恥ずかしかったのだろう。御神の剣士としてのスタイルもかなぐり捨てて、断固とした態度である。



 その、先程までの殺し合いから団欒の場面を編集で繋ぎ合わせたかのような場面転換に、爆発に巻き込まれた恭也を見て叫び声を上げる事も出来ずに固まっていたフェイトが、肺に溜まった空気を大きく吐き出すことで、止まっていた呼吸を再開した。
 呼吸と共に停止していたのではないかと思える心臓も、サボっていた分を取り戻す様に猛烈な強さと速さで拍動している。
 綱渡り、どころか、まるで糸を渡っているようだ。バランスを崩さずとも加減を間違えただけで糸が切れてしまうような危うさの中、漸く命を繋ぎとめたと言うのに瞬時にして気持ちを切り替えるなど、恭也の精神構造はどうなっているのだろうか?しかも、これだけの実力差を見せ付けられても恭也は自分と交代する積もりはないだろう。糸渡りはまだ終わっていないのだ。
 数日前の模擬戦で幾ら殴られてもダメージが無かった事を思えば、あの時ですら手加減をされていた事になるが、そんな事は既にフェイトの思考の片隅にもなかった。

189小閑者:2017/09/18(月) 20:11:50
「さっきのはデバイスの起動音だ」
「そうか。起動音にそれを選んだ訳か」
「それも違う!製作者の趣味だ!
 まったく。さっきまでの緊張感が粉微塵だ」
「対戦相手の気勢を殺ぐ事が目的だったなら、目論見通りと言えるんじゃないのか?」
「担い手の気勢まで粉砕していては本末転倒だろう。
 勘弁してくれ、おやっさん…」

 恭也のぼやきに苦笑を見せながらも、シグナムは彼の挙動から一瞬たりとも視線を外す事はなかった。
 デバイスの起動音に呆気にとられたのは事実だったが、恭也が地面に着地する様を見た時点でシグナムは冷静さを取り戻していた。軽口を叩いたのは確認作業に過ぎない。
 わざわざ魔法を使用して自由落下による垂直の速度ベクトルを水平方向へ変化させて、地面を転がりながら落下の勢いを殺している姿を見て、シグナムは恭也が負傷している事を察したのだ。
 起動音が上空から聞こえたことから、垂直方向に吹き飛ばされた事は分かる。だが、フェイトにつかまって現れた時には10mの高さから難なく降りたっているのだ。空中で停滞できなかったのも、飛翔して地面に接触する前にUターン出来なかったのも、単に魔法に不慣れなためか魔法の適正が低いからだと考えればそれで済む。それでも敢えて着地を不確実な魔法に頼らなくてはならなかった事自体が、恭也が負傷している証拠と言える。
 つまり、シグナムの呆れ口調の問い掛けに返事を返したのは時間稼ぎだ。立ち上がった恭也は左半身を前にしているため詳細は分からないが、上着の右袖とズボンの右裾が破れているようだ。熱により破損したのなら生身の肉体も火傷を負っているだろうし外傷だけとは限らない。
 負傷の程度の確認か、痛みをやり過ごそうとしているのか。そこまで恭也の思考が読み取れる訳ではないが、魔法を使い始めたシグナムを相手にして、デバイスの起動音ごときに呆気に取られる余裕が恭也に無い事だけは確かなことだ。

 恭也が紫電一閃を妨害するために放った金属の針は、技の直後に周囲を警戒していて見つけている。飛来物に因って目を背けさせられる直前に恭也の左手が霞んで見えたので投擲したのは左手だった事はわかるが、寸前までデバイスを握っていた手で隠し持っていた針を引き抜いて投擲し、自由落下を始めたデバイスを再び握り直した事になる。それだけの早撃ちでありながら、高速移動する自分の眼球を正確に狙撃したなどとは信じたくない話だが、闇雲に投げた針の数がたまたま2本で、それが偶然目の位置だったなど有り得ない。
 デバイスを起動させた時に自分の背面に居た事から、針を投擲して視界を晦ませた後、自ら前進して交差する事で斬撃を躱した事が推測できる。魔法で発生した炎を纏った剣で切り付けた事から、その威力が術者の前方、せいぜい扇状に広がると推測しての行動、いや博打を打ったのだろう。術者を中心にして放射状に破壊力を撒き散らす術だったならその時点で恭也の命はなかったのだが、賭けに出なければどの道未来はなかったのだから選択の余地などなかっただろう。
 そこまでして尚、恭也は紫電一閃の余波で空高く舞い上げられた。如何に舞い上げられた原動力が空気とは言え、「爆圧」だ。衝撃波で鉄筋製のビルを崩壊させる事すら出来るのだから、爆風に晒された恭也が致命傷を負っても何の不思議もない。少なくとも紫電一閃にはそれだけの威力があるのだ。しかし、風圧で飛ばされたからこそあの程度の火傷で済んだとも言える。仮に恭也がバックステップして斬撃の範囲から逃れていたなら本当に消し炭になっていたところだ。
 だが、恭也は術の余波に考えが至らなかった訳ではないだろう。紫電一閃に対して剣を合わせる事すらしなかったという事は、それだけの威力があると見積もっていたからだ。「炎」から「爆発」を連想する事もそれほど難しい事ではなかった筈だから、斬撃を躱すだけではなく出来る限り距離を取りたいと考えていただろう。ならば余波は「食らってしまった」のではなく「喰らわざるを得なかった」のだ。その理由は、紫電一閃を妨害するために恭也が「時間」という対価を支払った事にある。
 恭也は術の余波を往なせるだけの距離を取るために必要な、何物にも変え難い貴重な「時間」を費やすことで、針を投擲するタイミングを得たのだ。針に因るダメージが皆無である以上、早過ぎれば即座に体勢を立て直して斬りつける事が可能だったと自分でも分析できるし、遅過ぎれば斬撃が届いていただろう。つまり、恭也は余波を受けるという代償を支払う事で、紫電一閃の本命である斬撃そのものを回避したのだ。

190小閑者:2017/09/18(月) 20:14:43
 そこまでの労力を費やして獲得した回避の隙にしても余裕などなかっただろう。如何に直前で標的を見失ったとは言え、それまではしっかりと照準していた以上、あのタイミングでは踏ん張りの利かないこの地面では素早く動く事が出来ないため半身になって躱した程度の筈だ。逆に言えば、余波とは言ってもそれだけの至近距離で受けて生き延びているのは、自分が斬撃の姿勢を崩された事が大きかっただろう。
 つまり、偶然という要素も含まれているとは言え、五体満足で生き延びていること自体が、魔法の使えない恭也が得られる成果としては法外なのだ。ならばそれだけの難行を成し得た報酬として、せめて恭也の体勢が整うまで戯言に付き合ってもいいだろう。


「さて、そろそろ続きを始めようか?」
「私の攻撃を目の当たりにして続行しようと言えるのは大した胆力だな。同じ事が二度通じると思っている訳ではないだろう?」
「逃げ帰って布団の中で震えて居たい位だが、お前たちを投降させる為には相応の対価が必要だろう。優勢にある者が敵の呼び掛けに応じる訳はないし、劣勢に立ってもお前が投降するとは思えん。叩きのめして拘束し、交渉の材料になって貰う。
 お前自身の身の安全では他の守護騎士への投降の対価にはならないだろうが、お前たちに殺生を禁じている主には交渉の材料になる筈だ」
「誰がそんな命令を受けているといった?」
「命令でないのなら、お前たち自身が主のために自ら禁じていることになるな」
「それも推測でしかあるまい」
「闇の書の守護騎士が、書の主のため以外に行動する理由があるものか」
「水掛け論だな。それに、お前が自らの命を削る戦いを継続する理由を答えていないな。先程管理局員になって日が浅いと言っておきながら、そこまでする理由があるのか?」
「…お前たちが蒐集活動を続ければ悲しむ人がいる。それだけだ」
「…そうか。
 私にも成さねばならぬ事がある。テスタロッサも待たせている事だし、次で引導を渡してやろう」
「そう急ぐなよ、お客さん。
 不破、弾丸撃発」
【Rock'n Roll!!】  ッバシュー!
「…おいおい。趣味に走り過ぎだろう」

 恭也のコマンドヴォイスに従いカートリッジをロードするデバイスにシグナムが目を見張る。起動音声に引き続きやたらファンキーな音声確認だったが、当然注目すべきはそこではない。苦笑を交えて呟く恭也にシグナムが問い掛けた。

「魔法が使えるなら何故今まで使用しなかった?少なくとも私が使い始めたのに合わせていれば先程の私の攻撃を躱すのに砂の上を転げ回る必要はなかったのではないか?」
「嘗めていた訳ではない。個人的な意地だ。それも先程跡形もなく粉砕して貰ったがな。
 何とかして御神流の技で決着を着けたいと思っていたんだが、“敗北”という結果では困るんだ。
 不破、身体強化」
【Circult of SOLDIER】
「さて。信条を曲げてまで縋り付いて手にした力だ。退屈はさせん。篤と御覧じろ」

 言葉と同時に恭也が駆け出した。
 40mの距離を詰めるべく駆ける恭也の姿は戦闘開始時を彷彿とさせるが、決定的な違いがあった。
 初速から全速。
 砂地では有得ない筈のその速度は身体強化では得られないものだ。だが、のんびりと併用している魔法を推測している猶予などない。小太刀の間合いに入られてはシグナムの持つ魔法では恭也の動きに対応する事は難しいのだ。
 シグナムは即座に飛翔し、自らも恭也との間合いを詰める。交差の瞬間、シグナムの斬撃を躱すために中空を駆ける恭也を見て、漸く彼の併用している魔法の正体がわかった。直径30cm程度の円盤状の魔方陣が垂直の壁を蹴るような姿勢になっている彼の足元に見て取れた。

 足場の形成。
 恭也以外の誰であっても、それ単体では効果の薄いその魔法は、恭也にとっては絶大な成果を齎すだろう。地という“面”を駆ける事しか出来なかった彼が、任意の“空間”を足場に出来ればその行動範囲に圧倒的な広がりを見せる。今回の様な不安定な足場であれば効果は絶大だ。恭也の跳躍は、自分が飛翔魔法を使用して旋回や方向転換を行った場合を圧倒的に上回る速度を持つ。つまり範囲こそ限定されているが超高速機動手段を手に入れた事になる。
 だが、それでも自分との戦力差は埋め切れない。
 恭也には魔法の才能がない。恐らく、あれ以上並列で魔法を起動する事は出来ないか、出来ても強い効果は得られない。一芸だけは自分をも上回るほどに秀でているが、それ以上の広がりがない。
 致命的なまでの攻撃力不足だ。

191小閑者:2017/09/18(月) 20:17:57

 シグナムはそう結論を下す自身の理性を笑い飛ばした。あの男にそんな常識に納まっているほどの可愛げがあるものか!
 シグナムが空中に停止して振り向くと、既に恭也が追い縋って来ていた。流石に速い、そんな賞賛が思考を掠めるが、勿論油断はしない。
 突拍子もない事を当たり前のように仕掛けてくる恭也を相手にして“待ち”を選択するなど下策ではあるが、彼に攻撃をヒットさせるのは容易でない事も想像が出来る。もしかするとヴィータの中距離誘導型射撃魔法シュワルベフリーゲンすら空間を駆ける恭也なら躱しきるかもしれない。そして、シグナムには使い手の良い空間攻撃法がないのだ。ならば、騎士服の防御力を頼りに攻撃で動きの鈍ったところへカウンターを打ち込むのも一つの手だ。

 恭也は間違いなく格下だ。それにここまで梃子摺る事自体がイレギュラーなのだ。
 シグナムの持つどんな攻撃でも一撃入れば沈められる。だが、その一撃が入れられない。これ以上ずるずると戦いを引き延ばされて消耗すれば後に控えているフェイトとの戦いに影響するし、今はまだ来ていないが時間が掛かるほど増援が来る確率が跳ね上がる。
 その一方で、恭也が次に何を仕掛けて来るかに心を躍らせている自分がいることにも、シグナム自身気付いている。

(この攻撃が躱されたら次こそ紫電一閃で決着を着ける)

 誰にも聞こえないその言い訳を胸中に留めて、接近する恭也を睨み付けていると突然自身の周囲が明るくなる。それが恭也の使用している足場のための魔法陣が同時に複数展開されたためだと理解する前に、シグナムはレヴァンティンへ防御を命じた。

「レヴァンティン!」
【Panzerhindernis】

 展開したのは全方位をカバーする障壁パンツァーヒンダネス。高い防御力と引き換えに術者の行動を封じるためシグナム自身は歴代の守護騎士としての人生を通して数えるほどしか使用した事のないその防御魔法が発動した瞬間、凝視していた恭也の姿が忽然と掻き消えた。
 次瞬、障壁上を斬撃が走り回る。シグナムの全方位から聞こえてくるその斬撃音と、初撃に獣の鉤爪の様に四本同時に刻まれたものを初めとした連続した斬線が、攻撃者が本当に一人なのか、両の手に握った二振りの刀だけなのかと疑いたくなるものだった。
 驚愕のあまり思考の停止しかけたシグナムの引き伸ばされた時間間隔では何分間にも感じられたその斬撃の嵐は、実際には2秒にも満たない内にガラスを砕く様な硬質な音と共に停止した。
 シグナムが愕然とした面持ちで視線を向けた先に見たものは、砕かれた無残な障壁ではなく、足場を踏み抜いて明後日の方向へ体を投げ出す恭也の姿だった。



「ッゼェ、ッゼェ、ッゼェ、ハッ」

 シグナムはパンツァーヒンダネスを解除すると、吹き飛んでいった先で不時着し、戦闘態勢を取りながら乱れた呼吸を整えようとしている恭也の方向を見やる。流石に視認出来ないスピードで飛んでいっただけあって、20m以上離れている。魔法初心者が形成した足場に耐えられなかったのも頷ける面はある。間抜けだが。
 息を乱している恭也を見て、シグナムは漸く今までの魔法に頼らない戦闘行動において恭也が呼吸を荒げている姿を見た覚えがない事に気付いた。勿論、恭也にとって大した運動量ではなかった、という事ではなく、消耗の度合いを敵に悟らせないようにしていたのだ。
 最終的にはあまりにも間抜けな形で強制終了したようだが、あの時、使用する魔法の選択を誤っていれば流石に無傷では居られなかっただろう。

「ゼェ、普通、ハァ、格下相手に、ックゥ、完全防御は、ハァ、大人気ないんじゃないか?」
「あれだけの真似をしておいて良く言うな。
 それにしても、先程姿を消して攻撃したのはどんな魔法だ?」
「…こんなに息を切らせて見せているんだから、根性を入れて走ったと考えるのが礼儀じゃないのか?」
「そんな礼儀は知らん。が、やはりな」

 問い掛けると同時に瞬時に呼吸を落ち着けて見せた恭也にシグナムは呆れるしかなかった。先程の攻撃が体術である事は分かっている。魔法の発動を感じなかった以上、これは絶対だ。それでもシグナムがあれを魔法だと思い込んでいる姿を見せると、すぐさま呼吸が乱れている事こそが演技だったように見せかけた。
 恭也自身が本当にシグナムを騙せたと思っているかどうかは微妙なところだが、大抵の者は彼の態度に疑心暗鬼になるだろう。何が本当で何が嘘なのかがとても分かり難い。あまりにも非常識な事を何気なくやって見せるから尚更だ。

192小閑者:2017/09/18(月) 20:20:14
 楽しい。非常に楽しい。
 一度の対戦でここまで次々と驚かせてくれる者は初めてではないだろうか?
 奇を衒う魔法を次々に仕掛けてきた者は居たが、恭也のそれは常識を無視して予想の斜め上を行くものではあるがどれもが正攻法の延長にあるもののようだ。
 だが、これ以上は本当にまずい。これ以上深みに嵌まる訳にはいかない。

「惜しいとは思うが、次で最後だ。
 正面から来い、とは言わんが逃げるなら全力で逃げろ。
 半端な真似をすれば、死ぬぞ」
「怖い事を笑顔で言うな。不殺の誓いはどうした」
「先程言っただろう。そんな物はお前たちの推測に過ぎないとな」
【Explosion】  ッガシュン!
「やれやれ、少しくらい休ませてくれよ」

 炎を纏ったレヴァンティンを見ても軽口を絶やす事無く恭也が二刀を納刀した。当然、それは逃走のための準備ではないのだろう。そのまま刀の柄から手を放す事無くシグナムと対峙した。

 真っ向勝負。
 そう見せかけて絡め手で来る可能性も考えないではないが、今回ばかりは堂々と正面から来るだろう。と思う。もっとも、恭也にとっての正攻法が自分と同じ基準とは限らないだろうが。普通に考えれば、魔法の補助に期待できない恭也に紫電一閃と破壊力で競えと言うのは無理難題と言う物だ。
 そもそも、恭也に紫電一閃に対抗できる攻撃手段があるのだろうか?
 武器は耐えられるだろう。彼の身体強化が装備にも掛かっているのは、先の紫電一閃で所々焼け焦げている服が、目に映らないほどの高速行動にも耐えている事から推測できる。
 問題は攻撃そのものだ。身体強化を解除する事が自殺行為である事は分かっているだろう。
 攻撃は最大の防御、紫電一閃の攻撃力を完全に相殺出来るだけの威力を持つ攻撃魔法であればバックファイアから術者を守るための相応の障壁が展開されるため全て解決する。だが、当然の事ではあるがそれは高等魔法だ。魔法初心者の恭也に扱えるものではない。
 それに恭也が気付いているかどうか分からないが、仮に同威力の砲撃で競ったとしても正面からぶつかれば斬撃という一点に威力を集中している紫電一閃に軍配が上がる。
 常識の範疇に納まるならば恭也に対抗手段は無い。だが、彼は先程身を持って紫電一閃の威力を体感していながら正面から対峙している。命懸けのハッタリという事はないだろう、自信はないが。
 可能性の高い方法は先程の高速行動で斬撃を躱しての反撃だが、明らかに消耗を隠しきれなくなっている今、如何に身体強化が継続していようと再度実行できる技とも思えない。
 ならば、純粋な身体技能で紫電一閃に対抗するだけの破壊力を実現出来るのか?無理であって欲しいところだが、先程はテスタロッサの使っていたプリッツアクションと同等の事を成したという実績がある以上、油断は出来ない。

 そこまで考えて、シグナムは考えるのを止めた。集中が乱れて威力を落とすほど未熟ではないが、何をしてくるか予想の付かない恭也を相手にして他事を考えていては対応できる訳が無い。

 汗が滴る。
 日差しは強く、地面からの照り返しも焼けた地面から立ち上る熱もある。シグナムが騎士服により大半の熱を遮断しているのにこれだけ熱いなら、恭也が熱によって奪われる体力はどれほどだろうか。この日差しに長時間さらされるだけで日焼けどころか火傷するだろうに。
 片隅でそんなどうでも良い思考を弄びながら対峙していたにも関わらず、恭也の意思が混線したかのように駆け出す瞬間がピタリとあった。
 飛翔するシグナムと疾走する恭也は、その中間点で接触した。
 シグナムが上段に構えたレヴァンティンを振り下ろすのに対し、恭也は右手で腰に挿した八影を、それを追うように左手で左肩越しから不破をそれぞれ抜刀、一振りの剣と二振りの刀が同時に空間の一点で接触した。

193小閑者:2017/09/18(月) 20:22:33

「目が覚めたようだな。
 そのまま聞け」

 結界の中で意識を取り戻したボロボロの姿の恭也に、覚醒しきる前の意識で致命的な発言をしないように牽制してからシグナムが語り掛けた。

「テスタロッサのコアは蒐集させて貰った。言い訳は出来ないが彼女が目を覚ましたら“済まなかった”と伝えてくれ」
「…何故、俺のリンカーコアに手を出さない?」
「お前の貧弱な魔力では数行程度にしかならん。情けだとでも思っておけ」
「テスタロッサに頼まれたか?」

 シグナムの言葉を無視するように尋ねる恭也にシグナムが逡巡するが、直ぐにそれが答えと同義である事に気付いて言葉にして肯定した。

「…ああ。
 今のお前が戦う力を失えば、自分の体を誰かの盾にするためだけに戦場に出かねないと。
 同意見ではあったが従う義理も無かったので無視するつもりだったが事情が変わった。その程度で謝罪になるなら数行分くらい他で調達すれば良い」
「この結界は、テスタロッサか?」
「ああ、ここの日差しでは私との戦いに決着が付く前にお前が丸焼きになりかねんからな。
 感謝しておけよ?カートリッジまで消費して、細部まで丁寧に築き上げた一品だ」

 フェイトは結界魔法の適正が低い。使えない訳ではないが、術者の意識が断絶した状態で継続するほどの結界は日差しを和らげ気温を調整する程度の物とは言っても容易いものではない。
 からかう様な台詞を顰めた顔のまま口にしたシグナムが、両手で抱き上げていた気絶したフェイトを結界内の恭也の隣に横たわらせようとしたところで、恭也が苦労して上体を起こし両手を差し出してきた。誤解しようの無い、フェイトを受け取る仕種に対してシグナムが意外さを表情に表しながらも無言で応じた。
 気絶している人の体は重く感じるものだが、恭也は軽い仕種で横抱きのまま受け取った。もっとも紫電一閃で受けたダメージはやはり深刻な様で動作は酷くゆっくりとしたものだったが。それでも、そのまま胡坐を掻いた足の上にフェイトのお尻を乗せて、上体を自分の胸に凭れ掛けさせた。たったそれだけの動作に呼吸を乱しながらも、力を失って傾くフェイトの頭を肩で支えながら、恭也がポツリと呟いた。

「阿呆が、人の心配をしている場合か…」

 それは言っている本人にも適用される言葉だったが、既にその場に聞いている者は居なかった。



     * * * * * * * * * *

194小閑者:2017/09/18(月) 20:24:45
     * * * * * * * * * *



「シグナム、恭也と戦ったってホントか!?」
「ヴィータ、少し落ち着け」
「落ち着いてるよ!どうなんだ!?」
「騒ぐとはやてちゃんを起こしてしまうわ。落ち着いて」

 シャマルがヴォルケンリッターに対する絶対的な強制力を発動させる魔法の言葉を口にすると覿面にヴィータが口を閉じた。それでも表情だけでシグナムを急かしている辺り、いかに恭也のことを心配していたかが見て取れる。
 負傷した恭也が管理局に収容された時の出来事は聞いている。負傷については直ぐに治療が施されている事は想像出来るためそれほど問題にしていなかったが、恭也のヴィータに対する態度を不審に思われたのではないかという点を非常に気にしていたのだ。

「ああ。ちゃんと管理局員として振舞っていた」
「そう、か」
「良かった、って手放しに喜べないところが複雑ね」
「俺としては恭也が前線に出てくるというのは意外だが。もっとも資料庫に立て篭もっていられる風でもなかったがな。実力はどうだった?」
「梃子摺らされた。次から次に予想を上回られた」
「戦場に現れるだけの事はある訳だ」
「そんな可愛げのあるレベルではなかった。極めつけは紫電一閃に真っ向からぶつかってきたぞ」
「はぁ!?知らないからって無茶にも程があんだろ!
 っつーかシグナム!恭也相手に何本気出してんだ!」
「そうよ!恭也君を殺す気!?」
「落ち着け、2人とも。
 …それほど恭也の実力が高かったのか?」

 興奮する2人を宥めたのは唯一冷静さを保っていたザフィーラだが、流石に疑わしげに問い掛けた。その当然と言える反応にシグナムがどこか誇らしげに答える。

「紫電一閃は二度放ったんだ。
 一度目は魔法の補助も無しに躱された。余波で跳ね飛ばしはしたが初見であそこまで見事に躱されては言い訳もできん。
 二度目は一度目で威力を実感していながら、身体強化しか使えないくせに正面から打ち合いに来た。結果は、奴は衝撃で意識を失い、私はレヴァンティンが刃毀れした」
「刃毀れ!?いや、正面から打ち合って生きてんのかよ!?」
「流石に見た目はボロボロだったし目を覚ましてもまともに身動きが取れない様だったが、紫電一閃の8割方の威力を相殺された事になる」
「ちょっ、待ってシグナム!恭也君、身体強化しか使ってなかったってほんとなの!?」
「使えない、と表現する方が正しいようだ。魔導師としての適正は低いらしい」
「では、身体技能だけでそれだけの威力を発揮したというのか!?」
「そうなるな。方法は全く分からんが、レヴァンティンが言うには強力な振動波を放っているようだ。恐らく武器破壊を目的とした技なんだろう。
 先程は8割を相殺と言ったが、刃毀れを起こしたレヴァンティンが自壊しないために威力を抑えた事も含めてだ」
「それでも、それは恭也君が刃毀れさせた事による成果ね」
「ああ」

 シャマルの正当な評価に満足げに答えたシグナムが静かに興奮していた。恭也との戦闘を反芻しているのが丸分かりだ。

「それにしてもこの短期間に魔法を使えるようになっていたとはな」
「登場した時から八影の他に同じ様な形状の刀を差していたんだが、待機状態にしていなかったから私も初めはアームドデバイスだとは気付かなかった。
 最初は魔法を使わずに済ませようなどと甘い考えを持っていたら、たいした時間も掛からずに追い詰められて使わされたよ」
「剣技だけでシグナムを上回るのかよ。振動波を打てるなら出来ない訳は無いんだろうけど…何に驚けばいいのか分かんねぇな」
「確かにな。しかし、恭也は何故最初から魔法を使わなかった?出し惜しんで命を危険に晒すタイプではなかったように思うが」
「そこは私も不思議に思っている。実際、魔法を使い始めたら惜し気もなく仕掛けてきたしな。本人は『剣士の意地』と言っていたが、目的と手段を違えるような未熟さが残っていたのか?」

 その手の失敗は熟練者でも陥る可能性のある罠なので、完全に否定するほどの事ではない。ただ、それは長期間一つの事に携わっている場合に陥りやすい傾向にあるものだ。

195小閑者:2017/09/18(月) 20:25:16
 恭也が八神家に来た当初、“目的と手段”の話題でかなり明確な基準を自分の中に備えている様だったので少々違和感を感じたのだが。

「管理局側に何かを隠そうとしていたんじゃないかしら。
 恭也君、他に何かメッセージを伝えようとしていなかった?」
「…そうか、それなら辻褄は合う。不用意だったんじゃないかと思っていたが、管理局側でも流派への拘りを見せていれば隠せるはずだ」
「何だよ、一人で納得してないでさっさと言えよ!」
「開戦時に、あいつが正式に流派を名乗ったんだ」
「…え?」
「永全不動・八門一派・御神真刀流・小太刀二刀術 八神恭也」

 シャマルの口から零れた声にシグナムが砂漠で聞いた恭也の名乗りを口にした。

 この世界の剣術であればその戦技に魔法は組み込まれていない。だからこそ、恭也は名乗りを上げる事が不自然にならないように、流派の戦い方に拘る者として魔法を一切使わなかった。
 魔法を使わざるを得ないほど追い詰められてからは、流派の技こそ振るっていても、御神流の剣士として振る舞う事無く、軽口を重ねて見せた。

「…そう。誓いと警告ね」

 戦闘に直接携わらないシャマルも、剣士が流派を名乗る意味を取り違える事は無かった。
 ヴィータもザフィーラも無言のまま時が流れる。
 静寂を打ち破るようにシャマルが再び口を開く。

「誓いについては、良かった、って言うべきかしら。それとも残念ね、かしら?」
「勿論“残念”だ。この言葉は主はやてに宛てた内容ではないだろうが、それでも出来る事ならご報告したい言葉だった」
「そうね。はやてちゃん、一生懸命隠そうとしてるけど、やっぱり恭也君が居なくなって寂しく思っているもの」
「“管理局に所属しても八神として在り続ける”
 あいつが態々戦場に出向いて来たのは、その宣言をするためだけと言っても過言ではなかったんだな」

 流派を名乗るのは、嘘偽りが無いことを自分の流派の名誉に掛けて宣言する事。
 恭也はシグナムと戦う事が避けられなくなる事を知りながら、ただ2つのメッセージを伝えるためだけに、細い糸を渡る様な戦いに身を投じたのだ。

 “八神”である、と。はやての味方で在り続ける、と。

 文字通り、恭也が命懸けで伝えてきたその1つ目のメッセージを、今一番その言葉を欲しているであろうはやてに届けられない。
 自分たちという存在こそが、はやてに害を齎しいるのではないかという考えが浮かんでしまう。
 そして、恭也が名乗りに込めたもう1つの意味。それは先程脳裏を過ぎった否定したい考えを指摘するかのような内容。4人共が正確に読み取り、しかし、口にする事で認めたくない内容。

 八神として、はやてのために、ヴォルケンリッターを止める。

 それは名乗ることで誰しもが連想する表面上の意味と重なる、スパイとしてではない、事実上の敵対宣言だ。
 誰も恭也が寝返ったとは思っていないし、決して肯定している訳ではないだろうが今更犯罪行為を理由に中止を呼びかけてくるとも思っていない。つまり、こちらの言葉の裏には警告が込められているのだ。

 『ヴォルケンリッターの行動、あるいは存在そのものに、はやてに致命的な不利益を齎す可能性がある』と。

 ただし、それも有力ではあっても可能性でしかない段階だ。絶対の確証を得れば、形振り構わず八神家に押し掛けている筈だからだ。

196小閑者:2017/09/18(月) 20:25:59

 恭也が居なくなってから、一度だけ4人で協議した事がある。恭也が安全・確実かつ平和的な方法を見つけてきた場合には、潔く自首するというものだ。4人共、好んではやての命令に背いて蒐集活動を行っている訳ではないため、当然の結論ではある。
 しかし、蒐集活動がはやての害悪になるという可能性は想定していなかった。闇の書の主として覚醒すればはやては絶対たる力を手に入れ、その一部として肉体機能が万全になる。書の侵食による下半身の麻痺はもとより、病気の類とは一生無縁になるのだ。手に入れた力を悪用すれば確かに害悪とも言えるが、はやてがそれをするとは思い難いし、万が一そうなったとしてもそれはその時対処する問題だ。
 だからといって、恭也が軽はずみな行動を取っているとも思えない。管理局側に信用させるためのポーズとしては、事が重大すぎる。剣士としての側面を持つ恭也が戦場に立つ以上、殺される覚悟は勿論、状況によっては4人のうちの誰かに止めを刺す覚悟も出来ている筈だ。
 恭也が決意するほどの、せざるを得ないほどの懸念事項。それが何なのか誰にも分からない。
 しかし、恭也の調査結果を座して待つ事は出来ない。闇の書の侵食速度が速くなっているとシャマルが診断したからだ。原因は不明だが、状況的に見て恭也の不在によるはやての気力の低下が有力だろう。ならば、蒐集を進めて結果的に悪化させる可能性と、停滞させた結果有力な解決手段が見つからず蒐集が間に合わなくなる可能性、二つを秤にかけて4人は前者を選択した。どちらも可能性でしかないならば、自分達の知る手段を実行することにしたのだ。

「闇の書が完成して、はやてが真の主になって、それではやてはホントに幸せになれるんだよね?」

 ヴィータが漏らした弱音の様なその言葉に即座に同意出来る者は居なかった。




続く

197小閑者:2017/09/19(火) 21:45:53
第19話 悪夢



 全身に軽度の、そして右腕、及び右足に他より症状の重い火傷
 右耳の鼓膜の破裂
 右側の肋骨が3本骨折、2本に皹
 多数の打撲、打ち身、擦過傷
 過度の運動による糖分、蛋白質、その他の栄養素の欠乏。つまりは疲労。

「あいつの非常識さには慣れてきた積もりだが、それでも信じ難いな…」
「うん、7階級差の敵と戦って“この程度”で済んだなんて、誰も信じないよね。多分、遭遇して直ぐに逃げ出したって言っても疑われるんじゃないかな」

 シグナムとの戦闘による恭也の負傷の診断結果を見たクロノが零した感想にエイミィが同意した。
 戦闘中に意識が途切れた時点で戦いには負けているが、エイミィの言葉通り五体満足で生きている事自体が異常事態だ。
 逆に止めを刺されなかった事自体はそれほど特異な事ではない。ヴォルケンリッターがこれまでの蒐集活動で殺害を避けていた事とは関係なく、本来なら7階級も格下の敵とは塵芥と同義なので態々止めを刺すような手間を掛ける魔導師は少数だ。今回はフェイトが後に控えていた事も根拠を補強している。
 尤も今回の戦いを見る限り、恭也を相手にした者は、彼を脅威と認定して止めを刺しに来ても不思議ではないので、魔導師ランクを覆す事が良い事ばかりとは限らない訳だ。

「それもあるが、これだけ負傷しながら、決定的な戦力低下に繋がるような傷が無い。
 骨折の痛みを無視するのは簡単な事じゃないが、あいつなら体力さえ回復すれば平然と戦線復帰する。骨折したのは例の高速行動の前のはずだしな」
「…あ〜、確かに」
「困ったものね」

 その程度の感想で済んでしまう辺り、恭也の非常識度に対する共通認識はかなり浸透しているようだ。


 現在、艦船アースラの会議室の一室には艦の首脳陣が集まっていた。先の戦いの事後処理がひと段落して反省や方針の確認を行うためだ。

 恭也がシグナムと交戦を始めた後、暫くすると別の次元世界でヴィータを発見した。
 闇の書を携えている事からこちらが本命であると推測し、捕縛のためになのはが出撃するがヴィータを追い詰めたところで仮面の男の横槍が入り失敗に終わった。
 しかし、エイミィが悔しがる暇も無く駐屯地である海鳴のハラオウン邸に設置した管理局と同レベルの防壁が組まれているシステムが、クラッキングを受けて即座にダウンさせられた。
 通常であれば有り得ないその事態に対してエイミィがすぐさま対処に乗り出せたのが、自分の中の常識という価値観を覆される事に慣れてきたお陰かどうかは不明だが、短時間でシステムを復旧させる事に成功。だが、時既に遅く、補足できたのは結界内で寄り添って座り込む傷だらけの恭也と気を失ったフェイトの姿だった。
 試験運行中だったアースラが現地へ急行して2人を収容し、即座に治療を行えた事で大事に至る事は無かったのが不幸中の幸いと言えるだろう。
 リンカーコアから魔力を吸収されたフェイトが意識を取り戻したのと入れ替わるように今は恭也が眠りについている。
 正確に表現するならば、疲労と負傷で何時気絶しても不思議ではないほど体力を消耗しているはずの恭也が全く眠らなかったため、治療に託けて魔法で眠らせたのだ。
 勿論、恭也が治療を拒絶していた訳ではないし、起きていたからといって治療できない訳でもない。実際、恭也の傷は鼓膜の再生も含めて治療が終了している。だが、蓄積した疲労を回復するには睡眠は不可欠と言ってもいい。

 恭也に眠りの魔法を掛けた時、アルフがなにやら慌てていたため何か問題を抱えているのかと少々気にはなった。
 だが、クロノと同様に疑問を持ったフェイトが問い掛けても、アルフは言葉を濁して明言を避けていた。アルフが主であるフェイトに対してそんな態度を取る事は滅多に無い事を知っているだけに余計に気になったが、フェイトに無理強いする積りが無い様なのでクロノにはどうにもならなかったのだ。
 流石に致命的な問題を隠しているという事は無いだろうから、何か恭也が個人的に困るような事を知っているのだろうか?
 無いとは思うが、おねしょが治っていなくて医務局のベッドを水浸しにしていたら、指を指して笑ってやろうとクロノは心に固く誓っている。

198小閑者:2017/09/19(火) 21:46:41
「恭也は魔法に頼れない以上周囲の情報は五感で集めるしかない。多分、傷そのものより右耳が聞こえないことの方が深刻だろう。
 尤も、それさえも視覚や触覚で補っていたようだけど」
「目で耳の代わりは出来ないでしょ?」
「唇の動きを見て台詞を読み取る技術がある。
 実際、爆圧で吹き飛ばされた時、鼓膜が破れた右耳は勿論、左耳もまともに聞こえなかった筈なのに会話を成立させていたしね」
「え、あれって聞こえてなかったの?」
「確かに恭也さんはバリアジャケットを展開出来ないものね。あれだけ至近距離から生身であの爆発音を受ければ暫くは聞こえないか。
 幾ら我慢強くても骨が折れた直後は痛みが引くまで動作に支障が出るから、少しでも回復する時間を稼ぎたかったとは言え凄いわね」
「いえ、もっと深刻な問題があった筈です」
「肋骨の骨折以上に深刻って事?」
「ああ。
 あの時の恭也は三半規管が揺らされて平衡が保ずに、戦闘行為以前に歩く事もままならなかった筈だ。ゆっくりした動作とはいえ立ち上がれたのが不思議なくらいだ」
「…とてもそうは見えないけれど」
「ですが、着地の際に砂の上を転がり回っていたのは恐らくそれが原因です。
 あいつの身体能力ならあのくらいの着地で無様を晒すとは思えません」
「信頼してるんだねぇ」
「…知っているだけだ」

 面白がっているエイミィの視線から顔を反らして熱を持ち出した頬を隠すクロノを見てリンディが微笑む。年頃の男の子としては素直にその事実を認めるのは恥ずかしいのだろう。

 クロノには同年代の友人が少ない。プライベートの時間がなかなか取れないからだ。職場では役職上、同年代はほとんどが部下となり、軍事組織としての側面を持つ管理局では階級差があると馴れ合う事が出来ない。更に本人の気質がその関係を助長してしまう。
 訓練校を卒業してから脇目も振らずに局員として過ごしてきたクロノにとって、立場を気にする事無く接する事が出来る相手は貴重だ。
 ましてや、各分野の技能を水準以上に高める事で高い戦闘力を得たクロノに対して、一分野の技能をとことん高める事で他を補っている恭也の在り方はとても刺激になるのだろう。
 エイミィの追求を避けるためにクロノが話題を修正した。

「それに時間稼ぎ以外にも目的があったと思う。多分、敵に自分の情報を与えない為のハッタリも兼ねているんだ」
「情報?…ダメージの大きさや箇所の事?」
「そうだ。負傷を隠すのは戦闘の駆け引きでは重要な事なんだ。
 “どれだけ攻撃しても効果が無い”と思わせれば敵に攻撃を躊躇させる事が出来るかもしれない。
 不安にさせるだけでも集中力を低下させる事が出来る。
 敵の表情が見分けられる近接戦では必須技能と言っても良いだろう。
 もっとも、恭也のは異常だけどね。僕だって、診察結果とモニターを見比べたから推測出来たけど、実際に対戦しているシグナムの立場だったら何処まで気付けたか…」
「理屈では分かるけど、私もここまでする人にも、ここまで出来る人にも会った事は無いわね」

 エイミィは勿論だが、リンディも近接戦闘の経験は多くない。
 典型的なミッド式の魔導師であるリンディは距離を取った戦闘を基本とし、その“基本”だけでほとんどの敵を撃墜出来てしまえるほど優秀だったため、訓練以外では近接戦闘の場面はなかった。勿論、訓練結果は優秀だったが、実戦でなければ分からない事は多い。尤も、そもそも指揮能力が高かったため前線にいる期間も長くはなかったのだが。

 クロノは恭也の戦闘についての講釈が一区切りついたところで、バルディッシュが記録していたシグナムと恭也の戦闘シーンを見終えたリーゼ姉妹に声を掛けた。

「感想は?」
「非常識」
「異常者」
「うわぁ、物凄く端的な感想だね」
「頷けてしまう辺り、恭也さんに同情してあげるべきなのかしら」

 2人の至極真っ当な感想に苦笑を浮かべるエイミィとリンディ。もっとも、多少なりとも恭也の戦闘方法を事前に知っている3人にとっても、この展開は異常極まるものだ。

199小閑者:2017/09/19(火) 21:50:02

「ロッテ、君にならあの戦い方は可能か?」
「…大半の行動は、再現は出来る。でも、この戦闘方法自体は無理だね」
「使い魔の身体能力でもそうなんだぁ」
「エイミィ、ロッテが言っているのは身体能力とは関係ない部分だ」
「言ったろ?再現は出来る。身体能力自体はこのボーズより私の方が上だ。勿論、魔法の補助があるからこそだけどね」

 リーゼロッテは猫を素体とした使い魔だ。魔法が無くてはそもそも人型をとることすら出来ない。そして、人型を取った時点で通常の人間の身体能力を大きく上回る。
 それは一般人と比較すれば人間を逸脱したような身体能力を持つ恭也すら超えるものだ。ならば、恭也の戦い方が出来るのか、と言えばそういう訳にはいかないのだ。

「だけど、戦い方そのものは真似できない。
 どの場面を見ても、私なら絶対に採用しないような選択肢ばかり、いや、選択肢として発想しないものばかりを実行してる。それは私の持つ技能からすると最適じゃないから、ってのもある。アリアほどではないとは言っても私も魔法は使えるからね。
 そもそも私の存在が魔法の上に成り立っている以上、魔法を使わないなんてナンセンスだ。それでも敢えてこの戦い方をするとなれば、少なくともこのレベルに達するには相当な年月を費やして練習する必要があるね」

 近接戦闘では敵の攻撃に対して一から十まで思考を働かせて体を動かしていては間に合わない。だが、条件反射だけで戦闘を成立させる事も難しい。敵を打倒する事が目的とは限らないし、そうであっても反射行動では同じパターンの繰り返しになりかねず、それは隙となる。
 一般的に武術では“型”を体に覚えこませる。敵の行動に対して適当な型を選択して実行する事で全ての動きをその場でアレンジするよりも格段に動作が速くなる。勿論、一連の行動を体に染み込ませる事で動作そのものにも技の連携にも無駄を無くす事も大きな目的の一つだ。
 荒っぽい表現をするなら、格闘ゲームでコマンド入力すれば技が出せるのと同じ様なものだが、その“一連の動作”の長さが問題になる。
 ロッテが再現出来ると言ったのは、流派を名乗るところから紫電一閃に打ち負ける所までの全てを“一連の動作”とする事だ。だが、当然ながらこれでは実戦では使いようが無い。少しでも敵が違う動作をした時点でかみ合わなくなるからだ。
 普通は“一連の動作”とは一撃単位まで分割し、敵の動作に合わせて他の“一連の動作”と組み合わせるなどの応用が不可欠だ。
 ロッテが練習の必要があると言ったのは、動作の習得と習得した動作の選択を適切に行えるようになる事の2つがある。

「とは言え、私の目からするとシグナムが魔法を使い始めてからは、あの戦い方は全部が博打にしか見えないわね。
 彼の実力でAAAクラスと遣り合おうと思えばこの辺りが限界なんでしょうけど、普通はそもそも遣り合おうなんて発想自体が湧かないわ。
 無知って怖いわね」
「意外だな。『戦いに“絶対”や完璧は無い。敵の攻撃を予測し、自分の取れる最善を模索する事こそ戦いの本筋だ。自分より弱い者としか戦えないようじゃあ役に立たない』そう言っていたのは、アリア、君だったはずだ。
 それに恭也はシグナムの技を見ても怯む様子を見せていない。AAAの実力を知っていたとしても平然と挑んで行っただろうさ。内心はどうか知らないけれどね」
「クロスケが男の味方をするとは珍しいね?」
「待て!性別で態度を変えた事はないぞ!」
「男性への評価が辛口になるだけよね?」
「公明正大を心掛けてます!」

 寄って集って苛められるのは最早クロノの日常と化しつつある。逆らえない存在と苦手な者と天敵が集まればジリ貧でしかないが、最後の矜持とばかりにクロノは必死になって抗う。その反応こそが彼女達を焚き付けるのだが、そのことに本人が気付くのはまだまだ先のことのようだ。

200小閑者:2017/09/19(火) 21:54:49
「ロッテ、話を戻すが恭也が終盤に見せた高速行動や剣を交差させた攻撃も再現できるのか?」
「チッ、嫌なところを付いてくるね。
 あの2つは難しそうだ。高速行動魔法を突き詰めれば近い事は出来るかもしれないけど、たぶん同じにはならないと思う。
 あれは異常だ。あれほどの高速行動に思考速度が追い付けるとは思えない」
「そうね。でも、もしかすると追い付いていないかもしれないわ」
「どういうことだ、アリア?」
「今回は敵が完全な防御体勢に入っていたでしょう?動かない標的であればそれほど思考を挟まなくても斬りつける事が出来てもおかしくはない。
 同じ速度で動く敵に対しては同じ事が出来ない可能性があるわ」
「あ、そうか」
「確かに、仮面の男を弾き飛ばした時も反撃の肘打ちに対応出来ていなかったな」

 クロノにも今度のリーゼアリアの見解には一理あるように思える。
 確かに魔法を使わずにあれだけの高速行動が出来る事には脅威を感じるが、発想を転換すれば魔法を使えない恭也が力技でそれを補っているに過ぎない。…力技で補える事自体が驚異的なのだが、恭也の非常識さに驚くのもそろそろ疲れてきたのだ。

「それに、何よりもあれほど疲弊するようでは戦闘中においそれと使えないわ。文字通りそれで戦闘を決着させる決め技にしなくちゃならない。一対一でなければ使いどころは無いと言っても良いくらいでしょうね」
「脅威的ではあっても絶対的では無いという事か。
 剣戟の方はどうだ?」
「どうって言われてもねぇ、解析結果くらい教えてよ。
 あんな細い剣を二振り重ねたくらいでアームドデバイスを刃毀れさせられるとは思えないんだけど?」

 その感想は当然と言えるものだ。
 刀は西洋の剣とは違い、刀身が細く、見た目からして強度が低い。それは“引き裂く”あるいは“切り裂く”刀と、“叩き切る”あるいは“押し切る”剣との用途の違いでもある。小太刀は刀身が短い分、やや厚みを持つが、それでも刀の域を超えるものではない。
 ただし、この剣戟の異様さはそれだけではなかった。

「特に後から追った剣は先の剣に叩きつけてるんだから、普通一振り目が折れるでしょ?
 見た目だけを真似るなら、まあ、簡単じゃないけど練習すれば出来なくはない。だけど同じ成果は得られない。
 今言えるのはそれくらいだね」
「見た目を真似るだけでも簡単には出来ないの?」
「出来ないよ。
 エイミィには実感が湧かないかもしれないけど、全力で振った両手の剣を同時に交差させて当てるってのは難しいんだ。
 どの程度のタイムラグまで許容するかにも依るだろうけど、真っ先に思いつくのは、一振り目の後ろから当てるためには、二振り目は剣の幅の分だけ手前を到達点にしなくちゃならない。右と左で到達点が違う上に、敵の剣も高速で向かって来るんだから勘に頼る部分も少なくないだろうね。
 更に言うなら、剣を振った時の軌跡の中で威力の高い場所は限られてるからね。あれが技術の集大成だってんなら、ただぶつければ良いって訳じゃあ無いだろうさ。想像出来そう?」
「…はは、難しそうだって事はなんとなくわかったかな」

 リーゼロッテが憮然とした表情ではあるものの、正直に考えを口にした。
 戦闘に従事する者は無意味に見栄を張る事はない。必要な場面ではハッタリも使うし、手の内を隠すために嘘も吐くが見栄とは別物だ。
 何より、リーゼ達は恭也の戦闘技能を知る必要があった。
 何処からか紛れ込んで来た取るに足らない羽虫、その程度の認識だった恭也が、状況と方法によっては十分に脅威と成り得る事がこの戦闘記録で明らかになったのだ。リンディ達に不審に思われない範囲で恭也に関するデータを収集しなくてはならない。
 ロッテの疑問に特に警戒する様子もなくエイミィが苦笑しながら解析結果を答える。

「あれを真似するのは、まだ“難しいみたいだ”って思えただけマシかもしれない。中身の方はもうどうやってるのか想像もつかないんだよ。
 原理は不明だから現象だけ言うと、剣を叩き付けた時の衝撃を任意の点、この場合なら敵さんの剣に集めてたみたい」
「…ハァ?」
「あ、やっぱり想像つかない?」
「衝撃を集めるって言っても…、ブレイクインパルスの様なものかしら?」

 エイミィの言葉から何とか既存の概念に当てはめようとしたリンディが考え付いたのは、物質の持つ固有振動数を解析し、その周波数の振動波を送り込む事で対象を破壊する魔法だ。
 固有振動数による破壊は、実際に吊り橋などで発生した事例もある事から分かる様に純粋な物理現象であり、ブレイクインパルスはその現象を魔法で強制的に発生させているに過ぎない。
 それが人間に出来る事かどうかは問題ではない。既に非常識の領域を漂っている恭也に今更そんな事を言うのはナンセンスだ。

201小閑者:2017/09/19(火) 21:57:34
「いえ、あれとも少し違うみたいです。
 先に言っておきますが、推論でしかない事を忘れないでくださいね?
 彼がやったのは、10枚重ねたガラスの板を、上から叩いて5枚目だけを割る、そういう技術だと思います」
「…また、そんな絵空事みたいな事を…。
 じゃあ、後から追った左の剣の威力が、一撃目の剣を透過してシグナムの剣を破壊しようとしたという事か?」
「そうなるかな。
 一撃目と二撃目の破壊力が、両方とも同じ点で同時に炸裂したからこそシグナムの剣を欠けさせる事が出来たんだと思う。もしかすると、相乗効果みたいな現象も働いてるのかもしれないね」

 そう締め括るエイミィの頬は引き攣っていた。まだ、恭也の行動の非常識さに悟りを開く事までは出来ていないのだろう。尤も、この場に居る誰一人としてそんな事は出来ていないのだが。

「…まぁ、恭也君が敵じゃなくて良かったよねぇ。何してくるかわかんないし」
「この戦闘記録の後じゃ、私たちの報告なんて大した意味が無かった気もするけどね」
「そんな事はないさ。恭也とシグナムがグルで、こちらに信じさせるために演技している可能性もあったんだ」
「でも、恭也さんがデバイスを持てたのは偶然の要素が強過ぎるわ。お爺さんからは間違いなく魔法に関して初心者だって報告も受けてるし。
 結託しているとしてもシグナムが恭也さんの魔法戦闘の実力を知っていることは有り得ない。相手の力量も把握していない状態であそこまでギリギリの攻撃を仕掛けるとは思え難いわね」

 リンディが苦笑しながらこの戦闘が演技であった可能性を否定した。尤も、本当に命懸けで騙そうとしてくるやばい連中も居るため油断する訳には行かないので、リーゼ達の「異常なし」の報告が有ったればこその結論と言える。
 その点、恭也とヴォルケンズとの繋がりを知っているリーゼ姉妹の方が余程驚いている。
 リンディの台詞にあった通り、シグナムは恭也の魔法戦闘の実力を知らない筈なのだ。少なくともバリアジャケットを装着していない事から大した魔法適正がない事は推測出来る筈だ。にも関わらず恭也に対して全力攻撃を仕掛けるなんて想像もしていなかった。

 ひょっとして、仲悪かったの?

 共にアイコンタクトで片割れに問い掛けるが、2人で同じ疑問を発している時点で答えなど得られる訳が無かった。


 姉妹が仲良く睨み合っているのを訝しげに眺めていたクロノに医務局の局員からコールが掛かった。内容は目を覚ました恭也が呼んでいるので手が空いたら来て貰いたいとの事。

 本来、執務官は多忙であるため一個人が、それも民間協力者が呼び出して良い存在ではない。恭也側から面会に行くのも同様だ。役職を無視したら組織など成り立たない。
 だが、ここはリンディを艦長に戴くアースラだ。上位者側に選択権があるとは言え、その行為自体を咎められる事はない。
 クロノとしても先の戦闘について恭也に訪ねたい事がいくつか出来たため、出向く事にした。尤も、彼固有の攻撃方法に関しては知る事が出来ないだろうと諦めている。回答が得られたとしても真実では無い可能性が高いからだ。幾ら突飛な答えだったとしても、行動そのものが非常識なので嘘か本当か判断できないから性質が悪いにも程がある。
 あと半日は眠り続けるはずの恭也が目を覚ました事で、自身の医療知識に不安を抱く通信をくれた医務局員に、くれぐれも恭也の事例は無視するように念を押したクロノは一同に断りを入れて退室すると、当然のように追って来たエイミィを伴って医務室に向かった。

「それにしても、恭也君、随分早く目を覚ましたよね」
「今更その程度の事、驚く気にもなれないけどな」
「そうなんだけどね。
 ただ、恭也君からクロノ君に、って言うより自分から誰かに話し掛ける事って無かったから、何か関係があったりするのかなって」
「…流石に、よく見ているな」

 エイミィの言う通り、恭也はアースラクルーに自分から近付く事がなかった。

202小閑者:2017/09/19(火) 22:00:09
 別に、恭也にもっと社交的になれと言うつもりはないし、なのはのプロフィールを調べる過程で知ったこの世界の御神流の在り方からしても目立つ行動を取るとも思えない。
 そもそも、仮面の男の攻撃で負傷してアースラに収容されてからたいした日数は経過していないし、乗艦していた時間自体も極短いのだから、クルーの中に溶け込めていなくて当然とも言える。
 しかし、異邦の地だからこそ不安を軽くするためにも意識・無意識に関わらず、少しでも面識のある者と共に行動しようとするものだ。いくら肉体面・行動面が非常識な恭也であっても精神面まで逸脱している訳ではないと思いたいのだが、知己の仲だと思っていたなのは、フェイト、ユーノが相手であっても自分から話し掛ける様子はなかった。
 当初は監視カメラにより行動を捕捉していたため、この結果は間違いが無い。与えた部屋から一歩も外に出歩いていないため、監視するまでも無く得られた結論ではあるのだが。
 恭也のこの行動が何を意図したものなのかは分からない。
 距離を取る事でアースラクルーと馴れ合わないようにしているのか、意外にも本性は引っ込み思案の恥ずかしがり屋…無い無い、絶対無いし信じない。

「まぁ、行ってみればわかるさ。逆に言えば、あいつの事は確かめてみなくちゃ、一つとして分からないよ」
「そういう言い方も出来るね」

 クロノの見解にエイミィが苦笑を浮かべながらも相槌を打ったのを確認すると、クロノは医務局の扉を開け放った。
 見渡すまでも無く視界に入ったのは、体を起こして立てた片膝を抱くようにしている気だるげな恭也と、見舞い用の椅子に座るなのはとフェイトの後姿だった。

「失礼する。
 随分早いお目覚めの様だが体調はどうだ?
 …?何かあったのか?」
「お蔭様で。
 医者に止められてるからベッドを離れる事が出来ないんだ。ここまで来てくれ」

 クロノの入室に気付いて僅かに振り向いたなのはとフェイトの沈んだ表情に気付いて問い掛けたクロノの言葉が無視された形になったが、恭也に呼び寄せられた事で、大きな声では言い難い内容なのだと察して文句を口にする事無くクロノは恭也に歩み寄った。
 廊下側からは死角になっていて気付かなかったが、入室する事で壁際に立っていたアルフにも気付いた。感情が表れ易い彼女から読み取れるのは、“何かに失敗して落ち込んでいる”といったものだ。そして、アルフの表情と比較する事で、なのは達の表情が“心配”を源にしている事に気付けた。だが、収容された直後の恭也の姿なら兎も角、治療後の現在、心配しなくてはならないような傷が残っているという報告は受けていない。
 クロノはベッドに歩み寄るとなのは達を刺激しない様に落ち着いた声で恭也に問い掛けた。

「何があった?」
「なに、人の努力を水の泡にしてくれた礼をしたかっただけだ」ッズビシ!!
「☆#%ッ〜〜〜!?」

 予想もしていなかった恭也の攻撃が、クロノに想像を絶する痛みを引き起こした。
 執務官として前線に立ってきたクロノは、当然多くの傷を負ってきた。だから、ある意味慣れ親しんできたこれまでの負傷による痛みとは一線を画する恭也のデコピンによる痛みに悶え苦しむ事になった。
 額表面の皮膚は全く痛みを感じないのに、脳味噌が物凄く痛い。いや、脳組織に神経は通っていないそうなので、この痛みの発生源は頭蓋骨の内側辺りなのかも知れないが、そんな場所だけを負傷した事など無いので何処が痛いのか判断がつかない。
 声を漏らす事無く(漏らす事も出来ず)、蹲ってひたすら痛みに耐えるクロノに女性陣がうろたえる。
 これまで恭也が披露してきたデコピンは、被害者の顔が空を仰ぐため痛みが直ぐに連想出来たが、今回クロノの頭部は微動だにしていなかった。それにも拘らずクロノの痛がり様は今までの比ではないのだ。それでも誰一人としてクロノが大袈裟だと思う者は居なかった。絶対、恭也が想像もつかない方法で、言語に絶する痛みを与えたに違いない。

203小閑者:2017/09/19(火) 22:02:38
「ク、クロノ君、大丈夫?」
「ッ痛ぅー、いきなり何をする!」
「…フンッ、ただの八つ当たりに決まっているだろう」
「堂々と言い放った!?」
「どんだけ理不尽なんだ、お前は!?」
「チッ、浅かったか。復活が早いな。
 医者の言う通り、まだダメージが抜け切らんか」
「これだけやって、まだ不服か!?」
「台所に現れる生命力豊かなアレの様に床の上をのた打ち回らせてやろうと思ったんだがな」
「イヤー!見たくない、そんなの見たくないよ!クロノ君、こっち来ないでー!」
「エイミィ、突っ込み所はそこじゃないだろう!それから簡単に混同しないでくれ!」

 クロノが入室してからものの数分で場が混沌と化していく。
 理不尽なまでの速度で伝達してくるその空気にクロノも半ば取り込まれかけたところで、援軍と言うには心許無いながらも普段であれば同じ軍勢に参列してくれる筈の少女達が沈黙したままである事に気付いた。

「フェイト、なのは?
 …恭也、もう一度聞くぞ。何があった?」

 当初の雰囲気を取り戻したクロノが再度問い掛けると、小さく溜息を吐いた恭也が同様に雰囲気を一変させて口を開いた。
 クロノにとっては非常に迷惑な話ではあるのだが、今のはなのは達の意識を逸らす為の演技だったのだろう。

「…やっぱり、こうなるか。
 たいしたことじゃない。眠りが浅くなると魘される事があるようでな、それをこいつらに見られたんだ」
「…内容は察しがつくが、そんなに酷いならなぜカウンセラーに相談しない?錯乱して暴れた時に医局長に念を押されていただろう」
「自分では見れんから詳しくは分からんが、それほど頻繁にある訳じゃない。
 要らん心配をさせないために人前では眠らないようにしていたと言うのに、つい先程その努力が水泡に帰したと言う訳だ」

 言葉とともに投げつけられる視線を受け流しながら、クロノは“頻繁ではない”という言葉が嘘だと断定した。
 人間の睡眠は、眠りに就いた直後に一番深くなり、その後、浅く深くという振幅を繰り返しながらその平均が浅くなっていくものだ。つまり、恭也は一時的に浅くなったタイミングだったとしても後半日は眠り続けられるほどの深い眠りにありながら、魘されて目を覚ましたのだ。“見るか見ないか分からない”などと言うほど浅い傷ではないし、それが自覚出来ていないとも思えない。
 恐らくは隠しているのだろう。戦闘を生業とする家系に生まれ育ったためなのか、恭也は行動の根底に自分の情報を隠す面がある。何が出来て何が出来ないか、その範囲や補う方法、技能・思考・身体等、自身に関するあらゆる情報を隠している。何処の誰が敵もしくはそのスパイであるか分からないため日常においても見せる事はない。
 現代の日本では過剰に過ぎるそのスタイルを否定する事は出来ない。クロノとて情報の重要性は嫌というほど理解しているし、彼らにとっては死活問題なのだろう。
 だが、心の底から恭也の身を案じている少女達が居るのに、その思いを裏切るような真似をする事がクロノには許せなかった。

「いい加減にしろ!
 お前が自分の弱みを隠すのは勝手だが、無理を重ねて命に関わる事態に陥ったらどうする積もりだ!
 お前自身は満足かもしれないが、フェイト達がお前の事をどれほど心配しているか分からないのか!?」
「止めとくれ!」
「え、アルフ?」
「あんたが怒るのは分かるけど、キョーヤも一生懸命なんだ。
 キョーヤの考えてる事知らないままで責めるのはやめとくれよ…」

 クロノの弾劾の台詞を止めたアルフにフェイトが驚きを表した。普段のアルフであればこういった場合には、内容的にクロノの台詞を支持する側に回るからだ。

「アルフ」
「ごめん、キョーヤ。これ以上は無理だよ」
「態々言う必要は…、無理か。
 ここまで来たら、言わないのは隠していた理由に反するもんな」

 恭也とアルフが互いにしか分からない問答を進めているのを眺めている内に、クロノにも凡その事情が分かってきた。
 短期間とは言え恭也があの状態を隠せていたのは共犯者が居たからだ。そして、アルフが共犯者足りえたのは、その結果がフェイトのためになる内容だからだろう。それに反しようとしている今、アルフが隠し続ける理由は無くなったのだ。
 一方、ハラオウン邸でアルフが恭也との行動を優先する場面を何度か見ていたフェイトは、ちょっと寂しかったり羨ましかったりと自分の感情を持て余し気味だったので、その理由を察する事が出来て知らず安堵の溜息を零していた。

「ごめん、フェイト。
 あたしはキョーヤが夢に魘されるのを知ってたんだ。でも、誰にも言えなかった。
 きっと、誰か詳しい人に相談した方が良いって分かってたけど、キョーヤにどうしてもって言われて、これ以上酷くならない限り黙ってるって約束したんだ」

204小閑者:2017/09/19(火) 22:07:37
 恭也が錯乱して暴れた夜。
 意識を失った恭也をハラオウン邸のフェイトの部屋に寝かしつけると、早々にフェイトとアルフも眠りに就いた。
 シグナムとの戦闘での疲労が大きかったためフェイトの眠りは少々の物音では覚めないほど深かった。
 逆にアルフは動物ならではの生まれ持った才能により浅い眠りのままだった。それは戦闘による疲労からすると浅過ぎるものだったが、無防備に眠っているフェイトを守るためには当然の処置だろう。警戒対象は勿論、同じ部屋に居る人物、八神恭也だ。
 この時のアルフの価値観では、既に恭也は“仲間”に分類されてた。普段であれば警戒する事はないが、今はフェイトが睡眠中という無防備な状態であり、恭也が錯乱してから大した時間は経っていない以上、警戒は当然だ。
 そして、アルフの危惧が現実になったのは住人全てが寝静まり暫くした頃だった。それまで身動き一つしていなかった恭也が呻き声を発したのだ。
 アルフはすぐさま意識を覚醒させると、恭也の動向を窺った。疲労の濃いフェイトを出来るなら起こしたくはなかったし、恭也に対しても手荒な事はしたくなかった。
 だが、魘され方は徐々に酷くなっていく。このままではアースラの医務局での惨事が再来しかねない。アルフは思いつく中で最も穏便な手段を取る事にした。
 まず、フェイトに対して外向きの結界を、部屋全体に内向きの結界を張る。これで恭也が暴れだしてもフェイトの身は安全だし、壁をぶち抜く事も無いだろう。
 自分に向けられた魔法にしか恭也は反応しない、と言っていたなのはの言葉が正しかった事を実証したあと、アルフは恭也に向かって恐る恐る手を伸ばした。
 アルフが取った穏便な手とは、至極単純ながらも魘されている恭也を起こす、というものだ。ある意味当然の対応ではあるのだが、つい数時間前に何をされたのかも分からないうちに無力化された身としては恐ろしく勇気の必要な選択肢だろう。

「キョーヤ…、キョーヤ!」

 アルフが声を掛けながら肩を揺すっても恭也は目を覚まさなかった。いくら気絶して運ばれてきたとはいえ、八神家の者であればそれだけで動揺しかねない状態だ。
 アルフも、眉根を寄せる程度とはいえ苦悩の表情を見せる恭也にどう対処すれば良いか分からず、不安が大きくなっていく。普段の恭也が感情も苦痛も表情に表さない鉄面皮だけに、今の恭也の表情を直視するのは痛ましくてならない。
 それは普段の恭也の無表情が、本人が意図して作り出しているものだという証拠でも有るのだが、動揺しているアルフにはそこまで考えが至る事はなかった。

「キョー「父さんっ父さん!っあああああああああああ!」
「キョーヤ!しっかりして!キョーヤ!」

 アルフの呼びかけも空しく、恭也が絶叫とともに虚空に向かって何かを掴もうとするように手を伸ばしながら跳ね起きた。勿論、意識を取り戻した訳ではない。そのまま暴れだそうとする恭也の頭を正面から抱きしめると、アルフは必死になって呼びかけた。
 その姿は半年前の、プレシアを亡くして暫くの間の、今でもたまに見せるフェイトの姿と重なるものだ。違いがあるとすれば、フェイトがそのまま消えてしまいそうな弱々しい姿であるのに対し、恭也は突き付けられた過去に全力で抗おうとしている事だろう。しかし、両者とも、僅かでも加わる力が増せば呆気なく折れて砕けてしまいそうな儚く脆い印象を受ける点は共通していた。
 だが、静かに泣き濡れるフェイトとは違い、全力で暴れようとする恭也は、押さえつけているアルフを傷付けた。“攻撃”ではないため致命的な傷を負う心配こそないものの、素の身体能力が既に人類のトップレベルからはみ出しかけている恭也に対して無抵抗に体を晒し続けるのは容易な事ではない。
 錯乱状態の恭也に敵意や魔法を含めた攻撃行動を取ってはいけない。その結果は数時間前にアースラの医務局で実証されている。尤も、アルフの行動は経験を活かした的確なものに見えるが、本人にはそんな考えがあった訳ではない。傷付き苦しんでいる恭也に対して強硬手段に出るという考え自体が浮かばなかったのだ。
 アースラでは、フェイトを守るという使命感から鎮圧に向かった。だが、涙を流す事無く獣の如く咆哮を上げながら暴れる恭也の姿に、群から逸れて彷徨う獣を想起させられた途端、攻撃する気力を根こそぎ奪われ、抵抗も出来ずに鎮圧された。
 意志力を漲らせ、何者にも侵される事の無い力強い普段の姿からは想像も出来なかった恭也の一面は、誕生から僅かな歳月しか経ないアルフの幼い母性を刺激するには十分だったのだろう。それは、たった今こうして恭也に傷付けられても尚、衰える事の無い庇護欲として表れていた。

205小閑者:2017/09/19(火) 22:10:33
「キョーヤ、しっかりしとくれよ!キョーヤ!」
「ッ!」

 アルフが必死に呼び掛け続けると、唐突に恭也が反応を示した。
 それまで、アルフの存在を無視するように前方に突き出していた左腕と、前進を阻むアルフを引き剥がそうと加減もせずにアルフの背中や肩に爪を突きたてていた右腕が動きを止めたのだ。

「…アルフ、か?」
「ああ、そうだよ。大丈夫かい?」

 アルフの豊かな胸に埋もれているため不明瞭な恭也の確認の言葉に、優しく頭を撫でる。その体勢は結果的に背中や肩の傷を恭也から隠すのに都合が良かったのだが、勿論アルフにはそんな計算高い考えなど欠片ほども持ち合わせては居なかった。
 アルフがそのまま姿勢を変える事無く時の流れに身を委ねていると、恭也がゆっくりと両腕を背中に回し、強く抱きしめてきた。
 更に胸に埋もれさせようとするが如く顔を押し付けてくる恭也の姿は、だが、内容に反して邪な下心を感じさせる要素は一欠けらも無かった。
 体の震えを止めようとするように縋り付いてくる恭也を、アルフはより深く抱きしめるように迎え入れた。





「ちょっと待て!」
「ど、どうしたんだい恭也?どっか間違ってた?」

 アルフの語る話の内容に恭也が堪り兼ねたように待ったを掛けたが、止められたアルフの方は心底から不思議そうに視線を返す。
 恭也が止めるのも無理も無い、と聞いていたクロノすら同情してしまう。

「ま…間違ってはいないが、そこまで細かく話す必要はないんじゃないのか?」
「え?でも、説明するには必要じゃないかい?」

 アルフの表情には一片の曇りも無い。当然だ。彼女は別に恭也をからかう積もりも辱める積もりも無いし、そもそも何故恭也が説明を中断させたのかも理解できていないのだから。

「あー、恭也。
 流石にその辺りの事をからかう積もりも言い触らす積もりも無いから、あまり気にしなくてもいいぞ?」
「う、五月蝿い!
 そんな思春期の息子の生態を見た母親の言い訳みたいな台詞で納められる訳が無いだろうが!
 アルフ、お前の記憶力が迷惑極まりないほど優れている事は良く分かったから、説明するならせめて要約してくれ」
「え、よっ要約?短い言葉で言い表すって事、だよね?」
「そうだ」
「う、うん。ちょっと待っとくれよ?」

 そう言ってアルフが考え込み始めたので、なのはとフェイトは恭也を見つめる。
 恭也は先程、跳ね起きたとは言っても直に正気を取り戻した。アルフが語った内容よりも症状が軽かった事は分かったが、それが快方に向かっているのか、日によって違うだけなのかまでは分からない。
 記憶が回復してからまだ一週間と経っていないのだ。フェイトの経験上、とても持ち直せるだけの猶予とは思えない。
 アルフの話すままに想像した彼女と恭也の抱きしめ合うシーンは妙にリアルに思い描けてしまい胸がモヤモヤしたし、歳相応の慌て方をする眼前の恭也の姿は微笑ましくすらある。
 だが、強烈に脳裏に焼き付いた悪夢に魘されていた恭也の姿が直にそれらを掻き消してしまう。普段、感情を押し隠してしまう恭也だからこそ、冗談を言っている最中すら家族の死に苛まされているのではないかと心配してしまう。
 だが、そんな2人の暗い思考はアルフの台詞が一瞬にして吹き飛ばしてくれた。

「え、えーとね、確か、フェイトとなのはの事を愛しているから、隠れている訳にはいかないって、…言ってたと思う」

 …?---ッボシュー!!

「わ!?なのはちゃん!フェイトちゃん!」
「お、おい2人とも大丈夫か!?」

 掛け値無しに恭也を案じていた2人だったが、アルフの台詞の意味を理解した直後、全身が瞬時に紅に染まった。エイミィには顔から湯気が昇ったようにすら見えたほどだ。

206小閑者:2017/09/19(火) 22:14:28
「お、おい、いきなりどうしたんだ高町」
「ふにゃ!?」
「悪化した!?
 …だ、大丈夫かテスタロッサ」
「…ぁぅ、--ぅぁ」
「更に赤く!?」

 先程の羞恥心を引きずっているのか、困惑の表情を隠せないままに恭也が声を掛けるが、当然今の2人には逆効果でしかない。
 人体の限界に挑戦しているかと思うほど赤かった2人の顔は、まだまだ序の口と言わんばかりに赤みを増した気がする。

「おい、恭也!
 事の元凶が声を掛けるな!どう考えても悪化するだけだろう!」
「人聞きの悪い事を言うな!俺は何もしていない!
 2人ともアルフの台詞に反応して、…ちょっと待てぇ!!
 アルフ。
 まさかとは思うが、さっきの台詞は、あの時の会話を要約した内容だ、なんて、言わないよな…?」
「そ、その積もりだったんだけど、どっか違ってた?」

 恭也が恐る恐る確認を取ると、アルフが自信なさ気に肯定した。
 クロノも、まんま愛の告白を人を経由して伝えられた割には当人の筈の恭也が平然とした態度だった事を不審に思っていたのだが、これなら納得も出来る。恭也本人が自分の話だと思っていなかった訳だ。

「原形留めてねぇよ!
 直前までアレだけ克明に覚えてたくせに何で突然杜撰になるんだ!?」
「えぇ?いやぁ、同じ位覚えてる積もりなんだけどぉ…」
「何処がだ!?あんな台詞、一言も言ってないぞ!」
「で、でも、要約ってのは短い言葉に言い直しても良いんだよね…?」
「あ。
 ねぇ、恭也君。ひょっとしたらアルフの中ではその時の会話がさっきの内容として理解されちゃってるんじゃないかなぁ」
「なっ!?」

 事の成り行きを黙って眺めていたエイミィが、第三者の視点特有の冷静さで指摘すると恭也が大口を開けて絶句した。わぁ、こんな顔も出来たんだぁ。
 エイミィは、恭也は向かうところ敵無し、といった印象を持っていたのだが、やはり天敵は存在するようだ。天然、恐るべし。既に、数分前のシリアスさもアルフの語った悲壮感たっぷりの情景も、砕け散って粉塵と化している。
 惜しむらくは、真似することが出来ない事と、アルフ本人にもコントロールが利かない事だろうか。何時こちらに飛び火してくるか分かったものじゃない。

 力を使い果たしたと言わんばかりに脱力しきった恭也は、ベッドの上で立てた膝に額を押し付けたまま弱々しく呟いた。

「もう、それで良いや…。
 そう言う訳で隠してたんだ…」
「うわ、物凄い勢いで妥協しちゃった」
「あー、まぁ気持ちは分からんでもないが、内容が中途半端過ぎて理由になってないぞ。
 アルフ、悪いが省略せずにあの晩の事を全部話してくれ」
「まぁ、良いけどさ」

 どこか不服そうにしながらもアルフが承服した。頑張って要約したのに認めて貰えなかったのが納得出来ないのだ。
 当然、別の意味で納得出来ない者も居た。

「なっ、蒸し返す必要は無いだろう!
 2人の事をあ、あっあ…守るために戦場に出たかったんだよ!」
「『愛してる』って言えたら、認めてやらんこともないぞ?」
「テメッ、この…!」
「あーもう、クロノ君も悪乗りしないの!
 恭也君には悪いけど、理由はちゃんと知っておきたいんだよね。隠し事してた罰だとでも思って諦めて」
「…なら、せめて別室でやって下さい」
「さっき打たれた額が妙な痛み方をするんだ。万が一の事があっては拙いから、痛みが引くまでは念のために医務局から離れる訳にはいかないなぁ」
「…お前だけは後で絶対泣かす…」
「もう、クロノ君、後でどうなっても知らないからね…。
 でも、内容が間違ってないか確認して貰いたいから、やっぱり一緒に聞いて欲しいんだけど?」
「…好きにして下さい。
 テスタロッサ、高町、そろそろ再起動しろ。見てるこっちが恥ずかしい。
 それから、さっきの内容は事実無根だから、きれいさっぱり記憶から消せ」
「は、は、ハイ」
「ワカリましタ」
「メチャメチャ引き摺りそうだな…」

 恭也とて、2人がそこまで感情をコントロール出来るとは思っていないようで、片言になっている2人をやるせなさそうに眺めるに留めていた。

207小閑者:2017/09/19(火) 22:19:50
「もう、大丈夫なのかい?」
「…ああ、手間を取らせて済まない」
「何言ってんだい!
 大切な人を亡くしたんなら悲しむのは当然だよ。
 それより、悲しい時にはちゃんと泣かなくちゃダメなんだよ?」

 アルフの言葉通り、対面している恭也は雰囲気こそ哀愁を帯びているが、目は充血していないし顔を押し付けていた彼女の胸元も濡れていなかった。先程の震えは泣いているものだとばかり思っていたが、悲しみに耐えていたのか。
 感情は押し殺せば死んでしまう。死んだ感情は消える事無く心の奥に沈殿し、変質しながら堆積していく。積み重なれば心が歪むし、耐え切れなければ壊れてしまう。恐怖、憎悪、悲哀といった所謂負の感情ほどその傾向は強い。
 泣いたり人に話す事で感情を発散する事は大切な事なのだ。
 アルフの主張は誰かの受け売りなのか本能的な物なのかは兎も角、確かに正しかったし、何より本気で恭也を心配してのものだ。それはきっと、アルフの顔を見ていれば誰であろうと疑う事はなかっただろう。

「…ああ。ありがとう。
 だけど、泣くのは無理みたいだ。受け入れられないのか、感情が強過ぎるのか…、何にしても涙が流れない。
 案外、肉親が死んでも悲しまない様な薄情者なのかもな」
「…ばか。薄情な奴がそんなに苦しんだりするもんか。
 冗談でも二度と言うんじゃないよ」
「…わかった。
 アルフ、迷惑ついでにもう一つ頼みたい事がある」
「ん?言ってみなよ」
「この事件が解決するまで俺が魘されていた事を誰にも言わないで貰いたいんだ。出来れば今後、俺が眠っている時に人が来たら起こして欲しい」
「な…、何言ってんだい!?クロノから医者に相談するように言われてたじゃないか!クロノの奴、あたしやフェイトにまで念押ししてったんだよ!?」

 錯乱するほど精神にショックを受けた者にカウンセリングを受けさせるのは当然の対処ではある。魘されるようなら、と言うのは消極的ですらあるが、恭也の性格上過干渉を嫌う事は容易に想像が付いたのだろう。カウンセラーの腕次第ではあるだろうが、カウンセリングを受ける事がストレスになっては無意味ではある。
 尤も、クロノがアルフやフェイトに注意を促したのは、本人に自覚が無い場合を危惧してのものであって、自覚して尚、隠し通そうとするような無謀な行為を考慮していた訳ではない。

「分かってる。だが、そこを敢えて頼む」
「…あたしが納得出来るような理由があるのかい?
 あんたにとってはどうか知らないけど、フェイトはあんたの事をもう友達だと思ってる。だから、あんたが無理をして怪我したらフェイトが悲しむんだよ?」

 主を最優先とする使い魔にとって、それは許容できない事だ。
 恭也に使い魔の在り方が分かっているとは思えないが、それが気軽に引き受けられない内容である事は自覚しているだろう。
 アルフの築いた結界の中で穏やかに眠るフェイトの顔を少しの間見つめた後、恭也はベッドから降りてフローリングの床に正座するとアルフに向き直った。

「テスタロッサには、絶望に沈んでいたところを身を挺して救い上げて貰った。
 高町にもこちらに飛ばされて不安に潰されそうになっている時に支えて貰った。
 あいつらが何処まで自覚しているかは分からないが、俺にとっては返しきれないほどの恩義なんだ。
 魘されている事が知られて病室に押し込まれれば、この事件に関わる事が出来なくなる。それだけは受け入れられない。そんな事になるくらいなら単独で事件を追うためにここを出て行く。
 だが、ここを抜け出してこれ以上2人に心配を掛ける事は同じ位避けたいんだ。誰かに見つかるまでで良い、見逃してくれ。
 頼む」

 そう言って、床に両手を着いて深々と頭を下げた恭也を見て、アルフは呆気に取られた。その姿勢を“土下座”と呼ぶ事までは知らなかったが、床に額を擦り付けるその姿が気安く出来るものではないことくらいは分かる。

208小閑者:2017/09/19(火) 22:24:10
「ちょっ、どうして、そこまで…」
「おまえに、テスタロッサに秘密を作らせるのに見合う対価を持ち合わせていない。
 こんな事で足りると思っている訳ではないが、他にどうすれば良いのか思いつかない」
「あんたが寝込んでもおかしくないほどのショックを受けてる事はみんなが知ってるんだ。
 無理に事件に関わらなくても誰も責めたりしないよ」
「俺は何としてでもこの事件に参加する。絶対にだ。
 何が出来るかなど分からないし、他の誰から責められても認められても関係ない。
 家族の死や体調を理由に事件を傍観するような事があれば、俺はこの先一生自分を許さない」
「…分かったよ、頭を上げとくれ。
 大したフォローは出来ないと思うけど、あたしからは誰にも言わない。
 でも、具合が酷くなるようならクロノに言うからね?」
「十分だ。感謝する」
「…無理し過ぎちゃ、ダメだよ?」

 恐らくは聞き入れてくれない事を感覚的に悟りながらも口にせずにはいられなかった。





 アルフが語り終えると医務室は静寂に包まれた。
 先程のバカ騒ぎの所為でシリアスな雰囲気など戻って来ないのではないかというエイミィの予想は裏切られた。

 なのはとフェイトは複雑そうだ。
 恭也は行動する際、一切の余分を排する。目的を達成するために取り得る最適な方法を選択する。極端な表現をするなら、誰かを守るために必要であれば他の一切を見捨てる事が出来る。
 なのは達にそこまで理解出来ていた訳ではないが、そんな恭也が無理をしてまで症状を押し隠そうとしたのは、2人の前から立ち去らずに済ませるためだ。
 あの時点であれば、精神的な負担を理由に事件が解決するまで海鳴へ戻ると言えば、何の問題も無く実行出来たはずだ。
 恭也にとって行動方針と秤に掛けるほどの存在になれた事を嬉しく思う反面、自分達のために無理をさせている事に心が痛んだ。

 あの時の恭也はまだデバイスを持つどころか、二刀の流派でありながら一刀しか装備していない状態だった。序盤だけとはいえクロノを翻弄して見せた技能は驚異的だが、本人の口から出た魔法の優位性を認める言葉が嘘だとは思えない。そのまま戦場に立つ事が無茶を通り越して無謀でしかない事くらい、この事件の最前線に立った事の無い彼にも予想出来ていただろう。
 恭也の態度から湧き上がる疑念は二度にわたり否定されているし、口にこそしないもののクロノ自身も外れていて欲しいと願っていたものだ。だが、事件が解決していない現在、疑わしい者はその疑いを晴らす必要がある。

「恭也。何故そこまでして戦いに参加したいんだ?」

 クロノのその問いを予想していたのか、恭也が驚く事無く、それでも仕方無さそうに小さく溜息を吐いてから口を開いた。

「黙秘。
 と、言いたいんだが、そういう訳にはいかないんだろうな」

 自分が未だに疑われている事は承知している。言外にそう言われたことに居心地を悪くしながらもクロノは黙って先を促した。

「昔、力が及ばず仲の良かった子を守り通す事が出来なかった事があった」

 澱みなく語られた内容に全員が驚きを表情に表すが、辛うじて声を上げる事は踏み止まった。10歳現在の恭也の実力なら大抵の難事は潜り抜けられるはずなのだが。
 恭也は周囲の様子に反応を示す事無く言葉を続ける。

「その頃は剣術を習い始めたばかりで、相手が体を鍛えた一般人程度でも正面から一対一で戦えば勝率は5分にも満たなかった。
 だから、その子を狙って刃物を振り翳す男を無力化するには、子供の力でも効果があって、敵に反撃の余地を与えない方法を取る以外にはなかった。
 結果、その子は、片目を潰され半狂乱になって暴れる男が頚動脈から血を噴出す姿を見たところで心を壊した。
 議員をしていたその子の父親の政策を妨害するためのテロ行為だった事と、その子が自室の隅から出て来なくなった事を、俺は病院のベッドの上で聞かされた」

 恭也は言葉を失くす一堂を一度だけ見回した後、言葉を足した。

209小閑者:2017/09/19(火) 22:27:33
「あの時の俺にはあれ以外に選択の余地はなかった。それすらサイコロを10回振って同じ目を出し続けたようなものだった。でも、それだけの博打に勝ってもあの子の心は壊されてしまった。そもそもの力が小さ過ぎたんだ。
 あの子の父親はテロリストに屈して政策を曲げる事は出来なかったし、子供を狙うほどの強硬手段に出るとは誰も予想していなかった。
 誰が悪かったかと言えば、馬鹿な企みを実行したテロリストだけど、根本から価値観の違うそいつらを未然に改心させるなんて出来る訳がない。
 だから、俺は俺に出来る事をする事にした。何時、誰が、どんな非常識な手段で向かって来ようと、守りたい人を守る手段を身に付ける事にしたんだ」

 その出来事が今の恭也を決定付けた事は想像に難くない。
 何歳の時の出来事かは分からないが、確実に今より幼い時だ。その結末について周囲に居た誰も恭也を責めたりはしなかっただろうが、他の誰でもない彼自身が自分を酷く責め立てたのだろう。そして、自分に“強くなる事”を課したのだ。
 正義の味方に憧れてテレビのヒーローを真似る子供の様な無邪気さは何処にも無く、奇麗事など挟む余地のない実戦で敵を殺す技術を磨くという選択はあまりにも血生臭い。ましてや、子供としての時間を全て捧げているとなれば、ある意味精神を病んでいたと言っていいだろう。
 果たして、それは次に表れる守るべき誰かのためなのか、あるいは、刑罰としての肉体の酷使なのか。
 その気持ちをクロノは理解できた。
 クロノにもあったのだ。
 他の一切に手が付かず、ただ只管に力を追い求める衝動に駆られてしまう経験が。非力な、無力な自分が許せず、憎しみすら抱いていしまう経験が。

「目指す頂は遥かに高いけど、実力を言い訳にして今何もせずに後悔するなんてのは死んでもする気はない。
 だから、前線とは言わないまでも何かしらに携わりたかった。
 それすら叶わないなら、ここから抜け出してはやての傍に居ようと思っていた。何か起こった時に体を盾にして守るくらいは出来ると信じたいんだ」

 静かに語られたその内容が本気だという事は、疑う余地もなかった。
 言葉通り恭也が身代わりになってその“はやて”さんが生き残ったとしても、恭也を犠牲にした事をその人が酷く悲しむ事は容易に想像が付く。恭也がそこまで決意するなら、その人は絶対に優しい人だ。
 そんな助かり方をしても、その人は絶対に喜ばない。それでも死んでしまえば悲しむ事も出来ない。
 どうする事が正しいのかは誰にも分からなかったが、恭也の意思を変えられない事だけは全員がハッキリと理解出来た。
 



            * * * * * * * * * *

210小閑者:2017/09/19(火) 22:30:53
            * * * * * * * * * *



「あちゃー、また失敗してもうた。
 恭也さんに愛想付かされてまうのも当然やな」

 それははやてが先日から事ある毎に口にする台詞だった。
 調理の味付けが僅かに濃過ぎた時。
 勉強道具を片付け忘れて部屋を出ようとした時。
 乾いた洗濯物を畳んでいて、シャマルとシグナムの下着を取り違えそうになった時。
 些細な、と言っても過言ではないほどのちょっとしたミスに気付いた時に声に出して繰り返した。自分以外には聞かれない状況で、聞こえない声量で、自分自身に言い聞かせるように呟いた。



 はやては家族の雰囲気が変化した事に気付いていた。
 それが何時からなのかははっきりしない。恭也が居なくなって暫くは寂しさに浸って周囲が見えていなかったからだ。
 不思議には思ったがが、落ち込んでいる自分に気を遣ってくれているのかもしれない。そう考え、吹っ切れた事を主張するために何気なさを装って口にした「恭也」という名前に全員が過剰に反応した事で、直感的に理解した。
 全員、直に平静を装ったのではやても気付かなかった振りをしたが、見間違いと言う事は絶対に無い。恭也がこの家を出た日以降にみんなは彼と会っているのだ。
 恭也に会える。その事に嬉しさが込み上げて来るが、同時に内緒にされている事にちょっとだけ腹を立てる。ならば、とこっそりと恭也の携帯に電話を掛けた。
 気付いていないと思っているみんなを恭也と口裏を合わせて驚かせようという、他愛の無い悪戯の積もりだったが、「電源が入っていないため…」という音声ガイダンスを聞いて湧き上がった喜びが一瞬にして熱を失った。


 何の根拠もないその確信は、憤りを経て疑問に変わった。

 どうして、みんなは自分にだけ秘密にしているのか?
 どうして、恭也は元の世界に帰れなかったのに、直にこの家に戻って来てくれないのか?

 …秘密にしなければならない理由があるのか?
 戻る事が出来ない理由があるのか?

 恭也が何らかの理由で身動きが取れないとしたら?
 自分が知れば心配したり、悲しんだりするような理由だとしたら?
 身動きが取れないほどの怪我を負っていたり、最悪、

「無い!そんな事ありえへん!」

 数日前の記憶が頭に浮かんだ事をきっかけに、自動的に推論を推し進めようとした思考を大声で遮断して蓋をする。誰かに聞かれないように配慮する余裕は無い。
 震える体と心を落ち着かせるために、何度も大きく深呼吸を繰り返し、それでも声の震えが治まるまで待ちきれずに口を開いた。

「…まったく、ほんまに私も図々しいな。
 恭也さんに嫌われたんがまだ認められんか。
 有り得へんような他の理由を考える暇があったら自分の悪いところを直せっちゅうの。
 この調子じゃ、一生友達出来へんで」

 身の凍る様な恐怖から目を逸らす為に、自分の言葉で心を傷つける。
 他の3人が外出している時にはやての傍に居るシャマルには、部屋に篭る事の多くなったはやてを心配しながらも、最近急激に精神を疲弊させる原因を察する事が出来ずにいた。接する時間の短い他の3人も、日に日に笑顔を見せる事の少なくなるはやてを心配し、そのためにはやてと接する時間が短くなるというジレンマに苦しんだ。


 はやてが倒れ、病院へ運び込まれたのは翌日の事だった。


続く

211小閑者:2017/10/09(月) 11:13:53
第20話 勧告




 恭也が眠ると魘される事実が発覚した日から、彼が一人で過ごす時間は極端に短くなった。
 本人が人恋しさに自ら誰かに会いに行くようになった、などという事はこの期に及んでも無かったため、クロノが手を回したのだ。但し、恭也と面識のある者に限定したため、メインとなるのは学校も仕事も無いアルフだった。特別な趣味も無く、事件解決後には元の世界に帰るため海鳴で顔見知りを増やしたくないとの本人の希望から選択の余地が無かったのだが、それまでと大差無かったとも言える。
 違う点と言えば、予備知識を得たために今まで気付けなかった恭也の感情の揺らぎに気付けるようになったことだろう。泣き言を言う事も、表情を崩す事も無いが、ふとした瞬間に不自然に間が空く事があるのだ。食事中、雑談中、テレビを眺めている時。
 魘されている事を知ったために全てをそこに結び付けてしまっているだけかもしれないが、気のせいだと片付ける訳にもいかない。勿論、本人に問い質せる訳はないので何が出来る訳でもなく、結局は見守るだけだったが。
 なのはとフェイトも放課後には出来るだけ寄り道をせず、恭也とともに過ごしている。事件解決には必須の戦力である筈の2人が毎日のように恭也の傍に居られるのは、勿論サボっているからではない。ここに来て闇の書陣営の行動パターンに変化が現れたのだ。



 元々アースラが海鳴に活動拠点を設置したのは、フェイトになのはとの日常生活を楽しませてやる為だけではない。被害の発生した世界を纏めた結果、その範囲がこの世界近傍を中心にしている事がわかったからだ。
 しかし、この数日は、蒐集活動自体に変わりは無いが、ヴォルケンリッターの活動範囲が急速に広がり補足仕切れなくなっていた。発見できる多くがその痕跡のみで、上手く原住生物と戦っている場面を補足出来た時も距離が遠過ぎて転移を繰り返して到着した頃には姿を消されていた。
 真っ先に考えたのは管理局との衝突が増えたため活動拠点を変えた可能性だ。だが、行動範囲を追う限り、転戦を繰り返しているようにしか見えない。あるいは、そう見せかけるために蒐集行為の後に拠点に戻り、休息後、前回の次元世界に移動してから次の蒐集対象を探している可能性もある。
 それら一通りの説明を終えたクロノは、データの表示されているモニターを見ながら周囲の者と色々な可能性を検討しているスタッフ一同の中で、手持ち無沙汰そうにしている恭也(資料が読めない)と視線が合った。
 現状確認の意味も兼ねてブリーフィングに参加させただけだったのだが、ふと興味を引かれたクロノが問い掛けた。

「恭也はどう思う?」
「毎日拠点に戻るという方法は有り得ない、とまでは言わないが可能性は低いように思う。
 転送はそれなりに手間と労力が掛かるんだろう?繰り返せばかなりの疲労になると言うなら戦闘前に疲労し、戦闘後にも余力を残す必要がある。当然、効率が悪くなる。
 俺個人の意見としては転戦を繰り返している方を推す」

 尋ねておきながら、解答があることを期待していなかったクロノが面食らっていると恭也の両隣に座っていたフェイトとなのはが会話に参加した。

「でも、シグナム達が行く世界は人が住むのに適さない環境が多いって聞いたよ?体を休められないならやっぱり効率は悪くなる。
 他の人に転送して貰えば出来るんじゃないかな。この前、私が恭也と一緒に転移したやり方ならサポートに徹する人が居れば…」
「どの程度の装備を持っているかにも依るが、慣れた者なら体を休める事くらいは出来ると思うが。
 仮に敵陣営の4人のうち活動を確認出来ない1人が転送役だとすれば、他の3人を転送させている事になる。一度の転送で届かない距離なら一緒に移動するしかない。時間や労力の面でそれは吊り合うのか?」
「一日で1人当たり数回の転送を往復×3人分。更に術者本人の復路が加わって2倍。賢いやり方とは言えないな」
「じゃあ、フェイトちゃんの言ったやり方と個人転移を組み合わせてるかもしれないよ?」
「そちらも否定はしないが、やはり可能性は低いと思う」
「う〜ん、フェイトちゃんやなのはちゃんの案も私達を撹乱する分には十分な内容だと思うんだけど…。
 恭也君が強行案を推すのは何か理由があるの?」

 実際にはどちらであったとしても、アースラ陣営には待ち伏せという方法が取れる訳ではないので後手に回る事に変わりは無い。仮に毎日拠点に戻っているとすれば、撹乱のためにそこまで労力を費やすほど慎重な者が拠点を一箇所に留め続けるとは考え難い。
 エイミィが敢えて話を詰めているのは何かしら現状を打開出来るヒントが得られないかというのが一つ、メンバーに停滞しているという印象を与えないようにするという少々後ろ向きな理由が一つ。

212小閑者:2017/10/09(月) 11:15:17
「安全を考えるなら一時的にでも活動を停止させるのが一番です。それをしないと言う事はする必要がないか、出来ない理由があるということです。
 前者の場合、管理局の戦力を歯牙にもかけない圧倒的な戦力を保有している事が条件になりますが、それなら撹乱するような手間を掛けるのは辻褄が合わない。
 そうなると後者の可能性が高くなりますが、その場合時間的な制約を受けている可能性が高い」
「制約?」
「安直かもしれないが、スクライアの中間報告にあった闇の書からの主への侵食が発生している可能性だ」

 恭也の台詞にリンディとクロノが視線だけで意見を交わす。
 これまでの恭也の発言には、ここまで踏み込んだ意見はなかった。それはクロノ達が恭也の存在に疑惑を抱いていた事を承知していたとも、推論を積み上げるには恭也の持つ情報が不足していたとも取れる。
 何れにせよ、理論立てた内容であればこちらのミスリードを誘うためのものでも、判断材料として聞いておいて損は無いだろう。

「随分突飛な案だが、根拠はあるのか?」
「単なる消去法だ。
 以前、アルフが『蒐集活動が書の主の関知しないことだ』と聞いている。その言葉を真に受けるなら守護騎士は主に内密で自発的に活動している事になる。
 主と守護騎士が日常生活においてどのような関係にあるかは知らないが、守護騎士が自発的に活動するほどの忠誠心を発揮するなら何日間も顔を合わせなくても済むような関係にあるとは思えない」
「それならフェイトさんの意見の方が合ってる事になるんじゃ…」
「活動範囲の広がり方からすると休息時間は必要最低限でしょう。俺が医務室に縛り付けられている事から考えても、回復役が居たとしても回復魔法は負傷や疲労を瞬時になかったことに出来るほど便利なものではない筈です。
 主の下に帰還しても疲弊している姿を見られては、自分達の行動を隠すことが難しくなる」
「確かにそうね。でも、それは姿を見せなくなっても結果は変わらないんじゃないかしら?」
「守護騎士の活動自体は半年前から続いています。行動理念が忠誠心であれ、仲間意識や愛情であれ、それらを育むだけの期間が活動を開始するより前にあった筈です。なら、頻繁に不在にする理由くらいは用意しているでしょう」

 リンディからの疑問にも澱みなく答えを返す恭也に驚きながら、エイミィも当然浮かぶべき疑問を口にする。

「なるほど。でもどんな理由だったとしても一週間以上となれば流石に不審に思うんじゃないかなぁ」
「言い訳の内容までは分かりませんが、就職しているなら出張、友人と海外旅行、学校の行事、その場凌ぎで誤魔化すだけなら何でも構わないでしょう」
「それではエイミィの疑問に答えた事にならないぞ。
 自分でもその場凌ぎに過ぎないと言っているじゃないか」
「被害状況からして間も無く蒐集が終了すると言ったのはお前だろう。
 闇の書が完成した時に具体的にどんな現象が発生するのか知らないが、流石に書の主が無自覚なままという事はないんじゃないのか?
 ならば、守護騎士が独自に蒐集を行っていた事も露見する。つまり、隠し続ける意味がなくなる」
「…なるほど、な。
 じゃあ、主への侵食に繋げた理由は?」

 筋は通っているがここまでは強行案の補足説明でしかない。詰まらなそうにお茶を啜る恭也を見ながら続きを促したクロノは、説明を続ける恭也の姿にふと違和感を感じた。
 意気揚々と自説を披露する姿を想像していた訳ではないが、クロノの目から見ても違和感を感じるという事は余程気分が落ち込んでいるのではないだろうか?
 視線を動かさないように視界の端に映る会話に参加しなくなったフェイトとなのはを確認する限り、クロノの気のせいではないようだ。

「当初、活動を隠そうとしていたのは管理局やその他の勢力からの妨害を避けるためもあるだろうが、書の完成後も主の存在を隠そうと考えていたんじゃないかと思う」
「僕達管理局の目を誤魔化しきれると思っていると?」
「現に、今現在所在を見失っているぞ。
 このまま、蒐集活動自体が終了して今後魔法を使用しなければ、守護騎士は兎も角、姿を確認していない主は特定出来ないんじゃないのか?」
「む…」
「守護騎士に蒐集を命じなかったという事は、主には書の力そのものに興味が無い可能性が高い。書が完成してもその考え方が変わらなければ、主である事を隠匿して生活出来る可能性が出てくる」

 痛いところを突かれて言葉に詰まるクロノに追い討ちを掛ける事も無く言葉を続ける恭也になのはの表情が更に曇る。彼女が恭也の人物像をどう捕らえているかが如実に表れているが、この場には気付いている者は居らず、恭也も言葉を続けた。

213小閑者:2017/10/09(月) 11:18:10
「守護騎士もそう考えたんだろう。そのためには犯罪者として手配されていない方が良いのは当然だ。
 ここまでの仮定が正しかったとすれば、守護騎士が犯罪者と認定されて尚、活動を続けるのは矛盾する。捕まれば意味がなくなるからな。
 魔力資質の高い高町やテスタロッサのコアに着目したのは分からんでもないが、これ以上はリスクの方が圧倒的に高くなる。矛盾させないためには、この矛盾を解消できるピースを空白のままのスペースに嵌めれば良い」
「…主に命じられていもいないのに守護騎士が行動を起こした理由、か」
「他に適当な理由があるのかも知れないが、俺の手持ちの情報を組み合わせて完成する全体像はこんなところだ」

 そう締め括る恭也にブリーフィングルームに居るスタッフの驚きを含んだ視線が集まる。
 確かに恭也の持つ情報の中では矛盾してるところは無い。実際にアースラの首脳陣も同じ結論に至っていたが、個人レベルでここまで理論を組み立てるとは思っていなかった。戦闘に特化している印象があっただけにその思いは一入だ。

「お前がそこまで理論立てて考えられるとは思ってなかったな。
 頭脳労働にも向いてるんじゃないのか?」
「…フッフフッ。
 この数日間ベッドに縛り付けられていたせいで、どれだけ腕が落ちてるか不安になってる俺に、これ以上、体を動かすなと言いたいのかお前はー!!」
「ええ!?恭也君、それで落ち込んでたの!?」
「他に何がある!」
「…そんなこったろうとは思ってたよ」

 クロノのぞんざいな台詞にエイミィとリンディが苦笑を漏らした。
 だが、書の完成後、隠匿生活を送ると予測してもクロノ達には看過することはできない。
 典型的な管理局員とは違い、リンディの部下には犯罪者の断罪に執着する者は居ない。
 犯罪者が犯した罪に相応する刑罰を受けるべきだという考えは、被害者側の観点からも持ち合わせているが、何より優先すべきは被害拡大の防止であり、新たな犯行の抑制である。被害が広まらないと言う事が確約され、犯罪者が改心すればそれ以上追求する積もりはないし、その余力も無い。
 現実としてフェイトという実例があるとは言え、それが圧倒的少数であり、再犯の確約など得られないからこそ犯人を追っているだけだ。
 これは前回の闇の書事件でクラウド・ハラオウンを失っているリンディとクロノも同意見だった。クラウドを失った悲しみが無くなった訳ではないが、それは2人にとって管理局員である上での、信念と覚悟だった。
 だが、闇の書に関してはその考え方を適用する事が出来ない。闇の書の完成が力の暴走と直結するからだ。
 それは管理局の過去の記録と各次元世界での闇の書事件の記録に、ユーノが無限書庫で得た情報で補足された確定事項と言っても良い結末だとクロノ達は考えている。
 だが、幾ら躍起になったところで敵と接触できない現状が覆る訳ではない。
 リンカーコアさえあれば知性を持たないような獣すら手当たり次第に蒐集するヴォルケンリッターの、言葉通り形振り構わない鬼気迫るその姿勢からは次の標的を予測する事が出来ないでいた。
 網を張るには世界は広く、人手は少ない。下手に網を広げるために少数になればリンカーコアを提供するだけだ。
 アースラ陣営には地道に捜査を続ける以外に出来る事がなかった。



 その翌日、ハラオウン邸のリビングでモニタと向かい合うクロノ、キッチンで夕食の準備を進めるエイミィ、ダイニングで椅子に座り新聞を眺める恭也は、それぞれの体勢のまま学校から帰ってきたフェイト達を迎えた。
 放課後に真っ直ぐ帰宅したなら有り得ない時間に帰宅したフェイトが表情に陰りを帯びている事にはリビングに居た全員が直に気付いた。だが、原因に見当が付かず気遣わしげにフェイトを見つめるクロノ達を他所に、一緒に来たなのはが恭也に向かって遅くなった理由を静かに告げた。
 入院した八神はやてちゃんのお見舞いに行ってきたよ、と。
 クロノとエイミィがその言葉の意味を汲み取る前に、恭也が激的と表現しても良いほどの反応を示した。
 座っていた椅子を蹴り倒し、しかし、気づいた様子も無くそのままなのはに詰め寄って彼女の腕を掴み、辛うじて自制心を発揮して声を荒げない様にゆっくりと口を開くと、結局言葉に纏める事が出来ず再び口を閉じて歯軋りするようにかみ締めた。

 錯乱して暴れだした事はあったし、夢に魘されて絶叫しながら跳ね起きる姿も見た。しかし、その直後であろうと正気を取り戻した瞬間から強靭な精神力で自制して見せた恭也が、なのはの言葉に自意識を保ったまま動揺を露にしたのだ。
 リビングに居た全員が驚愕に目を見開いた。

214小閑者:2017/10/09(月) 11:21:47
 至近に迫る恭也の黒瞳を見つめ返すなのはも、吸い寄せられたかのように合わせた視線を逸らす事が出来なかった。恐らく、それは恭也に腕を掴まれていなかったとしても変わる事は無かっただろう。
 なのはの二の腕を掴む恭也の固い掌の力が僅かに増す。
 腕の神経は掴まれた直後から痛みを訴え続けているが、なのはの努力が報われているのか恭也には気付いた様子が無い。単に今の恭也にはなのはの様子に注意を払う余裕が無いだけなのかもしれないが。
 恭也が全力を出せばなのはの二の腕を握りつぶす事くらい難しくないだろう。つまり、恭也は力を込めないように必死に自制しているのだ。にも関わらず過剰な力が加わっているのは、恭也の強靭な理性を持ってしても抑えきれないほど強い感情が彼の内で荒れ狂っているのだろう。
 抑えきれない感情に揺れる瞳を見つめ返していたなのはは、不意に胸の奥を締め付けられる様な痛みに襲われた。それははやてへの嫉妬ではなく、幼さから来る純粋さ故の恭也の心を埋め尽くしている不安と恐怖への共感だった。
 それでも、なのはは恭也の感情に流される事なく、無意識の内に穏やかな笑みを浮かべていた。

「大丈夫だよ」

 強さと優しさを併せ持った微笑を浮かべたなのはの言葉に、緊張に強張っていた恭也がゆっくりと深く息を吐き出したことで、漸くクロノ達も緊張を解く事が出来た。

「…すまん…取り乱した」
「ううん、私こそ勘違いするような言い方してごめんね?
 はやてちゃん、普通にお話も出来たし、元気そうに見えたよ。
 今回の入院も検査のためなんだって」
「…そうか」

 なのはのフォローに恭也が辛うじて言葉を返した。
 検査のための入院。だが、入院してまで行うような大掛かりな検査が必要になると言う事は病状に変化が現れた可能性が高い。
 そして、原因が闇の書からの侵食であるなら好転する可能性は極めて低い。瞬時にそこまで考えが至ったからこそ、恭也の返事は重く、悲壮だったのだろう。
 なのははその内容が気休めでしかない事には気付いていないようだったが、それも仕方が無いことだ。
 闇の書が元凶である事を知らず、直接の面識も今日まで無く、接点自体もすずかを介したものだ。恭也からはやての事を聞いた事はないし、そもそも彼がこの世界に残っている事を隠すように頼まれていたため尻込みしてしまってはやてと関わり難くなっている。
 以前を知らなければ今回の入院にどの程度の意味があるかを推し量れるはずがないのだ。

「明日、もう一度みんなで学校帰りにお見舞いに行く約束してるの。ちょうどクリスマス・イブだからプレゼントを用意してはやてちゃんをビックリさせようって。
 …恭也君も行こうよ」
「…」
「…ごめんね。恭也君も自分の事で大変だって知ってるけど、はやてちゃんもきっと心細いと思うから…」
「…ああ。分かった」
「!
 うん、ありがとう!」

 我が事の様に喜び、満面に笑みを浮かべるなのはを見て、恭也も口元を微かに綻ばせた。




 帰宅したリンディを交えた夕食の後、フェイトとアルフが自室に戻り、リビングに恭也、リンディ、クロノ、エイミィの4人になると恭也が口を開いた。

「提督。闇の書に関する追加情報はありませんか?」

 その前日までと同じ内容の質問に対して、リンディの答えも変わり映えのしないものだった。

「残念ながら特に新しい情報はないわ。
 記録にある限り、起動した闇の書は例外なく暴走している事から、何代目かの所有者による改編によって魔道書の機能自体に支障をきたしている可能性が極めて高いこと。
 闇の書の元々の名前は、夜天の魔道書だったということ。一応、こちらは新しく分かった事と言えるわね」
「待って下さい!奴等自身、自分達の事を『闇の書』と言っていませんでしたか!?」
「ええ、そうね。
 こちらの認識に合わせてそう呼んでくれるほど親切でなければ、自分自身を間違えて認識している事になる。
 闇の書のプログラムがどんな組まれ方をしているか分かっている訳ではないけれど、本当に基礎部分にまで異常が発生している可能性が高いわね」

 リンディは恭也が奥歯をかみ締めるのが分かった。
 もう限界なのだろう。いや、ここまで良く頑張ったと言うべきか。

215小閑者:2017/10/09(月) 11:23:10
「現状に関しては昨日のブリーフィングで話した通りだ。
 全666ページの内、実際に何ページまで埋まっているかは不明だが、被害規模と状況からすれば完成はそれほど遠い日の事ではないだろう」
「状況とは?」
「残り時間に制限があったとしても流石に今のペースは異常だからね。ペースを変えない限り長続きはしないって私達はみてるんだよ。
 途中で力尽きて頓挫するんなら有難いんだけど、多分その前に魔道書が完成するくらいの目算は立ててるだろうから。
 そうだね、速ければあと1週間から十日くらいかな」

 感情表現の豊かなエイミィすら事実を淡々と口にする。情報の伝達に感情を交えれば正確さを欠く可能性があるのだから当然ではあるのだが。
 ただし、民間協力者でしかない恭也に対して開示するにはその内容はかなり突っ込んだ物と言えるだろう。
 局員であれば命令系統は明確になっているし階級による上下関係もあるため、個人の単独行動は起こらない。仮に起きたとしても大きな問題にならないように情報に制限が掛けられている。個人の判断で行動すれば現場は混乱するし、組織的な行動など取れなくなるからだ。
 民間協力者に時空管理局の規律を細部まで遵守させる事は、知識の面からも価値観からも難しいため、尚更与えられる情報は最低レベルであるべきなのだ。独自の判断で行動できるような情報は明らかに過剰だ。
 だが、恭也がそのことについて疑問を持っている素振りは見せていないし、リンディから説明した事はなかった。

「…“魔道書からの侵食を止める方法”か“魔道書の主である事を解除する方法”については、何か分かりませんか?」
「え、解除する方法?…あ!」

 黙考した後恭也の口にした言葉に3人が虚を突かれて目を丸くした。その着眼点は確かになかったが、同時にこれまでには活用しようの無い情報でもあった。
 だが、昨日の恭也の推測、“書から侵食を受けている主を救うために守護騎士が独自に行動している”という説が正しかった場合、その原因を解消出来れば必然的に蒐集をする必要がなくなるのだ。

 それは恭也がはやて達から遠ざかってまで欲した情報であり、そうでありながら今日まで直接尋ねる事の出来なかった内容だった。恭也がアースラに収容されてから得た情報を合わせる事で組み上げられる推論を超えてしまえば、恭也が、引いては身を寄せていた八神家が疑われるからだ。

「ユーノさんが連日、書庫で資料を探してくれているけれど、今のところ侵食を止める方法もマスター登録の解除方法も分かっていないわ」
「そうですか。…スクライア1人で、ですか?」
「…うん。
 ユーノ君の力不足って訳じゃないからね?
 無限書庫の蔵書量は尋常じゃないから、逆にこんな短期間でこれだけの情報を検索するなんて今までじゃあ考えられなかったんだよ。
 ユーノ君は十分以上に頑張ってくれてる。悪いのは無限書庫を整備出来てなかった私達の怠慢だよ」

 エイミィのフォローには特に反応する事無く恭也が僅かに俯いた。過ぎた事をとやかく言ったところで時間が戻る訳でも事態が改善する訳でもない。

「奴らが投降した場合、書の侵食を阻止する方法を探す事は出来ますか?」
「交渉する積もり?」
「はい。
 書の侵食と無関係であれば意味はありませんが、事実であればそれを阻止する手段を探す事を条件に投降に応じてくれる可能性はあると思います」
「分かったわ。
 魔道書そのものを解析すれば方法が見つかる可能性も高いし、襲撃事件がそれで終了するならその条件を飲みましょう」
「ありがとうございます。では、高町やテスタロッサにもその様に指示をお願いします」

 そう告げると恭也は大きくゆっくりと息を吐き出した。
 一仕事終えたとでも言うようなその姿に、リンディは辛うじて苦笑が浮かぶのを堪え、誤魔化すために湯飲みを口に運んだ。
 この数日間、医務局に縛り付けておいただけあって恭也がシグナムとの戦いで負った傷は完全に回復している。だが、体調は万全とは言えないだろう。
 精神と肉体が密接に関わっている以上、精神の疲弊は肉体に反映される。リンディは居合わせなかったが、夕方の恭也の取り乱し方はかなりのものだったと聞いている。
 時空間の転移に巻き込まれ、見知らぬ土地に孤立無援で放り出され、家族の死を克明に思い出した。ここに来て、この地での寄る辺となっていた親しい少女の病状が悪化して入院した事を聞かされたのだ。

(取り繕う余裕なんて、有る訳無いわね)

 これ以上は誰が考えても酷だろう。そう思考を締め括ろうとしたところで恭也と目が合った。

216小閑者:2017/10/09(月) 11:25:17
 夫・クラウドやその容姿を色濃く受け継いだクロノよりも尚黒い瞳。見る者によって“未知の恐怖”と“平穏な安らぎ”の両極面の印象を与える宇宙空間を思わせる漆黒が、静かにリンディを見据えていた。

「茶番、ですかね?」
「あら、そんな事言うものじゃないわ。
 例え、高い確率で現実になる事柄でも“未来”である間は変える事が出来るかもしれない。
 努力が必ず実るほど世界は優しくは無いけれど、努力しなければ絶対に覆す事は出来ないもの。
 私達に出来る事は、“未来”が“現実”になる瞬間まで足掻き続ける事だけよ。
 足掻ける時間は残り僅かよ?後悔せずに済むように、一緒に頑張りましょう?」
「…はい」

 恭也が僅かながらも瞳に力を取り戻した事を確認すると、リンディの内心で安堵感と罪悪感が鬩ぎ合う。本人が望んでいる事ではあっても、更なる苦境へ向かう彼の背中を後押ししたようなものだ。
 リンディの葛藤に気付いた様子もなく就寝の挨拶を告げてリビングを出て行く恭也を見送ると、クロノが口を開いた。

「母さん。バランスを崩さないようにね?」
「ええ、分かってるわ。
 でも、あんなに頑張ってる姿を見てたら、やっぱり報われて欲しいとは思っちゃうわね」
「…肩入れするな、とは言わないけど、下手をすればあいつ自身に跳ね返る事は忘れないでよ」
「はーい」
「フフ、優しいねぇクロノ君」
「フン」

 世界の治安機構を自任する時空管理局は、多数を守るという大義名分の下、法を盾に少数を切り捨てる事がある。
 社会の一員として共存するためには権利には義務を課せられ、自分勝手な行動は法により規制される。当然それを破れば罰則が下される。
 ルールを逸脱するほど利己的な者に対して適用されている限り、その制度は大多数には納得して受け入れて貰えるだろう。しかし、世界は“勧善懲悪”で完結するほど単純に出来ていないのだ。
 フェイトの生みの親であるプレシア・テスタロッサが起こした事件もそういった面を含んでいた。
 愛娘を生き返らせたいという気持ちは誰にでも理解出来るものだが、そのために近隣世界を巻き込みかねない次元断層を発生させる事を黙認する事など出来るはずがない。だが、その行為を断罪しに行った時空管理局の一部署の暴挙こそが、プレシアの愛娘であるアリシアを死なせたと言っても過言ではなかった。
 原因が何であろうと無関係の人々を巻き込む理由にはならない。だが、原因を作った側がそれを説くなど厚顔無恥にもほどあるだろう。
 また、管理局に落ち度が無かった事件であろうと、少数側に非が無い事など幾らでもある。
 それでも、リンディは提督として法という基準を当事者に押し付けて裁定を下す事を求められてきた。悠長に裁判の判決を待っていられない事例は少なくないのが実情なのだ。
 だからこそ、この事件の恭也のように、経験で培ってきた勘が闇の書との関わりを示唆していたとしても、明らかな確証が無い限りは出来得る限り自由に行動出来るように取り計らっていた。恭也の死に物狂いの行動が純粋な思いを源にしている事くらい見ていれば分かる事だ。

 法を盾に切り捨てる義務が課せられているなら、法を盾に守る権利を活用する。
 判官贔屓ではなく、力を持つ者が陥り易い価値観の押し付け、一方的な介入を戒めるための処置だ。
 戦力であれ権力であれ、力が容易に暴力に成り易い事も、人間と言う種族が如何に力に溺れ易いかも、管理局内で周囲を見渡せば実例付きで知る事ができる。「ああは成るまい」という気持ちを、薄めさせないための努力は大切な事だ。
 そう答えておけば、良心を持ち合わせている者は納得してくれる。
 ただし、リンディの親友であるレティ・ロウランなど親しい者からは『好き勝手するための大義名分』と笑われているのだが。

「だけど、アリアやロッテの報告からするとホントに恭也君が無関係の可能性は残ってるんだよね」
「―――ああ、そうだな」

 恭也がデバイス製作のためにこのマンションを離れている間に行った、リーゼ姉妹による八神家の再調査の結果は「複数の人の出入りは認められるが闇の書との関わりは認められない」
 彼女達も基本方針は同じなので、あるいは勘を刺激する程度の痕跡を見つけながら伏せている可能性はあるし、そもそも本当に何の痕跡も無かったのかもしれない。だが、フェイトと恭也のシグナムとの戦闘時に、管理局と同レベルのセキュリティを誇るここのシステムをダウンさせた存在を思えば、内部犯を疑わざるを得ない。
 クロノにとってリーゼ姉妹は師であり姉でもあるのだ。彼女達に疑いを抱いて穏やかで居られる訳が無い。
 もしも、恭也が転送事故に巻き込まれなければ、転送先がこの地でなければ、このタイミングでなければ、彼女達に疑いを持つ事も無かったのだろうか?
 リンディはそんな起こり得ない仮定を思い浮かべて、詮無い事だと静かに目を伏せた。

217小閑者:2017/10/09(月) 11:26:58
「なのはもフェイトも随分機嫌が良さそうだけど何かあったの?」
「ふふ、なんでもないよ、アリサ」
「フェイトちゃん、そんなに嬉しそうに言われたら何か隠してるって誰にでも分かっちゃうよ?勿論、なのはちゃんもね?」
「えへへ〜。実はね、はやてちゃんへのプレゼントをもう一つ用意出来たの」
「あぁ、なのは、内緒にしようって言ったのにぃ」
「ごめんごめん、でも中身までは言わないから」
「何よ、そこまで話したんなら最後まで言いなさいよ!」
「ダメだよー。ひ・み・つ!」
「うん、秘密。アリサもすずかもきっと驚くよ?」
「そうなんだぁ。じゃあ楽しみにしておくね」
「すずか、簡単に引き下がりすぎ!」
「まあまあ、アリサちゃん。もう病院に入るんだし静かにしないと」
「あ、ごめん、お見舞いの前におトイレ行ってくるね」
「じゃあ、私も」
「私達はここで待ってるからね」
「うん、ごめんね」

 連れだってトイレへ向かうなのはとフェイトを見送ると、アリサがはやてへのプレゼントを持ち直しながらすずかに話しかけた。

「あの2人、昨日までが嘘みたいにはしゃいでるわね」
「うん。心配事が無事に済んだならいいんだけど」
「ったく、私達には相談もしてくれないんだから!」
「仕方ないよ。話せるようになったらきっと教えてくれるから、それまで待ってあげよ」
「フンだ、親友を蔑ろにした報いは絶対取らせてやるんだから。
 …ところで、あのはしゃぎっぷりにはプレゼントが関係してると思わない?」
「うん、私も思う。アリサちゃんはプレゼントが何か予想出来そう?」
「はやてが喜ぶ物ってだけじゃ絞りようもないけど、同時にあの子達が嬉しい物っていうのがねぇ。まさかとは思いたいんだけど、あいつじゃないわよね?」
「どうだろうね?少なくとも、私の予想とは一致してるよ」
「お待たせ」
「あれ?アリサちゃん楽しそうに見えるけど何の話?」
「なのは、あんたはお見舞いの後にそこの突き当たりにある眼科で視力検査してきなさい」
「春に測ったときはちゃんと2.0だったよ?」
「問題が視力じゃないとすると脳外科か神経科か精神科ね。総合病院で良かったわ」
「な、何の話?」

 普段通りの、日常の遣り取りに無自覚ながらも昨日まで以上に心を弾ませていたなのはとフェイトは、入室の挨拶とともに自覚しないまま非日常へと踏み込んだ。

 2人は目の前の光景を理解するのにいくらかの時間を要した。
 このような場所で遭遇する可能性を欠片ほども想像していなかったし、普段着姿を目にする機会もなかった。なにより、あれほど穏やかな表情を見たことがなかったため、はやての病室に居る3人の女性が誰であるのか理解するのに手間取った。
 対して、彼女達も驚いてはいたようだが、なのはとフェイトが自分達の敵であることに即座に気付いたようで、瞬時に表情が引き締まった。
 皮肉な事にその警戒を露にした表情を見ることでなのは達にも漸く3人の女性がヴォルケンリッターである事が理解出来た。

 何故、八神はやての病室に?
 決まっている。闇の書の主を守る守護騎士がはやての病室に揃っているという事は、つまり“そういう事”なのだろう。

 辛うじて表情を取り繕う。シグナム達がどう対応してくるかは分からないが、アリサとすずかが居る以上、迂闊な真似をして戦闘に巻き込む訳にはいかない。
 来客として対応するシグナムに上着を預けながらフェイトが潜めた声で語りかけた。

「念話が繋がらない」
「シャマルが封じている。お前達も友人を巻き込みたくはないだろう。妙な真似はするな」

 シグナムの脅し文句に2人は密かに胸を撫で下ろす。シグナム達にも無関係の人間を好んで巻き込む積もりは無いようだ。
 建前だけである可能性も残ってはいるが、短くとも濃密な時間を共有してきた間柄だ。その言葉は信用してもいいだろう。

コンコン

 ノックの音にシグナムが僅かに眉を顰めるが、直にシャマルへ視線を投げ掛けた。
 フェイト達が今日この病室を訪れたのは間違いなく偶然だ。ならば新たな来訪者が彼女達の増援である可能性は低い。
 何よりシグナムたちははやての前でこれ以上不信な態度を取る訳にはいかなかった。既にこの時点で、はやては何かを感じ取っているのかその表情が固さを持ちはじめている。
 シグナムがフェイトを見遣り頷いて返すのを確認する。数度の交戦でフェイト達の性格は分かっている。この状況で周囲を巻き込む様な騒ぎを起こす事はないだろう。

「はーい、どうぞ」

 シャマルが声を掛けるとゆっくりドアが開かれた。

218小閑者:2017/10/09(月) 11:29:11
 はやてはシグナム達の硬くなった態度と、緊張感の高まった雰囲気を敏感に感じ取っていた。それは自分の知らないところで、重大な、そして決定的な何かが進行している様な予感。
 怖い。
 だけどしっかりしなくては。自分は八神家のお母さんなんだ。恭也がいない今、自分がしっかりしなくては。
 表情と態度に細心の注意を払いつつ、なのはを睨み付けるヴィータを優しく叱りながら来客に注意を向ける。
 特別な期待を抱いていた訳ではなかったが、この雰囲気を変える切欠くらいにはなりはしないかという一縷の望みを託して新たな来客に視線を向けたはやては自分の目を疑った。

「え?」

 はやてが呆然としている事にも部屋の雰囲気にも気を留めた様子もなく、平然と入室してきた恭也が気負う事無く口を開いた。かつて八神家でそうだった様に。

「妙に緊迫していると思ったらお前たちか。
 シグナム、高町、こんな所にまでスーパーでの因縁を持ち込むな」
「何よ、因縁て?」

 異様な雰囲気に困惑していたアリサが、日常を纏って現れたかのような恭也の台詞に反応すると、それを合いの手に恭也が続ける。

「特売品の奪い合いをしていたんだ。
 方やはやての期待に報いるために、方や洋菓子屋の娘としての誇りに賭けて。公衆の面前で睨み合っていた」
「なのは、あんたって子は…」
「えぇ〜!?ち、違うよ!そんな事してないよ!」
「シグナム、そこまでせんかてええんやで…?」
「な!?ち、違います!恭也のデマカセです!」

 なのはやシグナムにとっては身に覚えの無い中傷なので当然反論するが、その程度の言葉で恭也の矛先を躱せる筈がなかった。

「ほう、シグナムにとってはやてへの思いはその程度だったのか?」
「そんな筈があるか!あ…」
「高町、姉の美由希の様にはなるまいと母に誓ったのは嘘だったのか?」
「嘘じゃないよ!ってなんで恭也君が知ってるの!?」
「まぁ睨み合っている間に商品を掻っ攫われて二人して膝をついていたんだ。
 隠したくなる気持ちも分からんではないがな」
「アカンやんけ!!」

 はやてが間髪入れずにツッコミを入れると、直前の緊張感から開放された安堵も手伝い、何時看護士に叱られてもおかしくないほどの笑い声が病室に響いた。
 流石は恭也さん、ブランクを感じさせない切れ味!笑い過ぎて涙が出て来た。
 はやては治まりきらない笑顔のまま、歩み寄ってきた恭也を見上げ声を掛ける。

「アハハ、もう恭也さんは相変わらずやね。アハ、ハ、笑い過ぎて、涙、出て――」

 恭也が無言ではやての頭を撫でる。
 その頃にははやて以外誰も笑声を上げている者はいなかった。
 ただ黙って、笑顔のまま涙を拭うはやてを見詰めていた。

「もう、私だけ、笑っとったら、頭悪い子みたいやん」
「よく頑張ったな」

 はやての笑顔が治まる。
 人が居れば、それが看護士であっても絶やす事のなかった笑顔が。
 頬を伝う涙を拭う事も忘れ、ぼんやりと恭也を見上げていたはやての表情がゆっくりと崩れていき、恭也がはやての頭を包み込む様に抱きしめると堰を切った様に声を上げて泣き出した。

「っう、うあ、ああぁあぁぁ、こわ、怖かった、っひく、怖かったんや!
 みんな教えてくれへんから、ぐすっ恭也さんが、死んでしもたんやないかって!
 ひっく、みんな、居れへんし、怖くて聞けれんくて、」
「心配させて済まない。もう大丈夫だ。絶対にお前を1人にはしない」
「うあああぁー!」

 はやては恭也が八神家を出て以来溜まり続けていた不安と恐怖を吐き出すかの様に恭也に縋りついて泣き続けた。

219小閑者:2017/10/09(月) 11:30:04
 全員に見守られながら泣き続けていたはやてが落ち着きを取り戻すと、恭也がすずかとアリサに視線を向けた。
 それだけで察した二人は頷き、泣き疲れたのか安堵に気が緩んだのか、どこかぼんやりしているはやてに暇を告げた。

「はやてちゃん、私達、今日はこれで失礼するね?」
「あっ、すずかちゃん!あの、ゴメンな?私、突然その…」
「ううん、気にしないで。こっちこそいきなり来ちゃってゴメンね?」
「ええねん、私ほんまに嬉しかった。アリサちゃんも、時間があったらまた来てな?」
「うん、絶対来る。その頃にははやても元気になってなさいよ?
 じゃあ、帰ろうか?」
「高町とテスタロッサはすまんがもう少し良いか?」

 恭也の言葉になのはもフェイトも穏やかな表情で頷いて見せた事にシャマルが訝しげに眉を顰めた。
 はやてが縋り付いて泣いた事から、恭也がはやてと親しい関係である事が分かるはずだ。それは同時に、恭也が負傷してアースラに収容された日より以前からヴォルケンリッターとも接触があった事になる。
 書の主と良好な関係にあることから守護騎士との関係も推し量る事が出来るだろう。交戦しているシグナムさえも恭也を警戒していないことから、主を介する事無く、個人的に友誼を結んでいる可能性だって気付けるはずだ。
 何処まで推測出来ているかは兎も角、この繋がりは管理局に所属するこの2人にとっては裏切り以外の何物でもないというのに動揺する様子すら見せていない。
 事前に恭也から自分達との関係を伝えられていたのだろうか?しかし、それなら病室に入ってから恭也が現れるまで2人が緊張していた理由が説明出来ない。あれは少なくとも敵との遭遇により開始する戦闘への緊張か、それにすずか達を巻き込む危険性を危惧していた事が原因のはずだ。
 すずか達が病室を出ると、シャマルの思考を代弁するように、幸せそうに抱きついていたはやてを離しながら恭也がなのは達に問い掛けた。

「高町、テスタロッサ。状況は理解出来ているか?」
「多分、ね」
「恭也君はヴィータちゃん達とお友達だったんだね」
「…お友達…
 まぁ、良いだろう。
 はやて。内容は理解出来ないだろうが、暫く黙って見ていてくれ。
 …どうした?」
「!?なんでもないよ?うん!」

 ベッドサイドに立つ恭也の服の裾にこっそりと手を伸ばそうとしていたはやてが慌てて手を引っ込めながら同意した。
 その挙動を不思議そうに眺めながらもこちらが優先とばかりに恭也はなのはとフェイトに向き直った。

「以前話した通り、俺はこの世界に来てから八神家に居候していた。当然、ヴォルケンリッターとも交流がある。
 俺はお前達を利用して、裏切って居たんだ。
 それに気付いているのに、何故お前たちは警戒を解く?」
「別に恭也は裏切ってた訳じゃないでしょ?」
「そうだよ。恭也君、ずっと言ってたじゃない。辛い時に助けてくれたはやてちゃんを守りたいんだって。
 そのために、アースラに来たり、シグナムさんと戦ったりしたんでしょ?」
「利用したって言う事は出来るのかもしれないけど、目的が重なるなら協力するのは悪い事じゃないと思う」

 聞いていたシャマルはポカンと口を開いて瞬きを繰り返した。
 時間を置いて考えたのなら分かる。それでも善良と言える回答だ。だが、たった今聞いた事実に対して即座に返した答えがそれというのはどうなんだろうか?あるいは、恭也個人への絶大な信頼を基にした思考なのだろうか?
 恭也には後者の可能性には思い至らなかったのか、至極当然、といった面持ちで考えを告げた2人に静かに溜息を付きながらシグナム達に向き直った。

「予想通りとは言え、思わず将来を案じるような回答だな。
 自己紹介させるよりも伝わったとは思うが、この2人は“善人”という生き物だ。管理局全体の事は知らんが、今回の件に携わっている陣営は多少の差はあれど、概ねこんな感じだ。
 それを踏まえて聞いて欲しい。投降してくれ」
「…単刀直入だな」

 シグナムは言葉を切ると静かに恭也を見つめ返した。
 気軽に思い付きで言っている訳ではない事は分かっている。そのメッセージを遠回しに伝えるためだけに命懸けで自分の前に立ちはだかって見せたくらいだ。
 ここで投降するという事はこれまでの蒐集活動による自分達の苦労も周囲への被害も全てが無駄になる事を意味する。だが、そんな事はどうでも良かった。全ては主はやてのために。はやてさえ助かるのなら、幸せになるのなら、どんな犠牲も厭わない。自分達の努力自体が徒労に終わる事など大したことではない。
 しかし、戦闘を介して恭也のメッセージを受け取った時点でその選択を取らなかったのは意地を張っていたからでも目的を見失っていたからでもない。
 第一に管理局という組織がはやてを任せるに足る存在かどうか計りかねたから。
 そして、

「それで、はやての体が治せるのか?」

220小閑者:2017/10/09(月) 11:30:40
 口を閉ざしたシグナムに代わり、メッセージに込められた“蒐集活動の危険性”に敢えて目を瞑って続行していた理由を問い質したのはヴィータだった。
 “犠牲”には自分達自身の存在も含まれている。はやてが誰を失ったとしても悲しむ事は分かっていたが、それでもはやてには生きていて欲しい。それが4人の願いだ。
 その願いを理解している恭也が率直に投降を呼びかけてこなかった理由は、この期に及んで提案に留めている理由は、根本的な解決策が見つかっていないためだろう。

「ああ、予想を裏切れなくて悪いが、現時点ではその方法は見つかっていない。何処まで効力があるかは疑問だが、お前達が無抵抗で投降する事を条件に書の主の救済に全力を尽くす約束を取り付ける事が出来ただけだ。
 残念ながら、仮に本当に管理局が全力を尽くしたとしても、救済が確約されている訳ではない」
「では、何故敢えてここに来て投降を勧める?」
「管理局側の調査ではあなた達の活動が破綻する可能性が高いと結論しているからだ」
「…根拠は?」

 その反応にフェイトは驚くとともに嬉しくなった。
 シグナム達が罪を犯してまで選んだ行動を真っ向から否定する内容であるにも関わらず、即座に跳ね退けないほど彼は信用されているのだ。
 だが、それは恭也にとっても好き好んで語りたい内容ではないだろう。声にさえ感情を乗せず、それでも一縷の望みに縋る様に問いを返す姿に、フェイトは胸に痛みを覚えた。

「魔道書が改変を受けている事は自覚しているか?」
「無論だ。闇の書は我々自身だと言ってもいいからな」
「では夜天の魔導書という名に聞き覚えはあるか?」
「夜天、の…?」

 シグナムの顔に浮かぶのは困惑。それはシャマルとヴィータも同様だった。聞いた事があるのにそれが何を意味するのか思い出せないのだ。
 恭也はその事を言及する事なく、論点を移した。

「“主″として覚醒した過去の書の持ち主を覚えているか?」
「ええ、魔導書に記録されたあらゆる魔法を使いこなせる様になるわ」

 シャマルが不安を払おうと直ぐ様言葉を返すが恭也はそれを否定する。

「違う、書に記載されている規定事項ではなく、記憶に残っているかと聞いているんだ。先代や先々代の主が覚醒した後どうしていたのかだ」
「それは…、主が覚醒した時には私達が現界していない事が多いから…」
「現界?実体化していないという事か?
 …本当にそうか?仮にそうだとしても書そのものでもあるあなた達が覚えていないのか?」

 恭也はシャマルの言葉に疑問を持った様だが、一先ず押し止め、続けて問い掛けるが、シャマルには答える事が出来なかった。
 動揺が広がる。シャマルもシグナムもヴィータも指摘されて漸く気付いたのだ。あえて目を逸らしていた訳ではなく、思考がそこに向かわない、向ける事が出来ない事に。

「…出来れば、否定して貰いたかったんだがな。
 書の改変は表層だけでは無く、根幹にまで及んでいるようだ。あなた達自身の認識が及ばないほど。
 管理局で記録している限り、主として覚醒した者は――、っ!?」
「あっ!?」
「何!?」

 恭也の言葉に動揺していたシグナム達は勿論、気を緩めていたなのはとフェイト、みんなの会話から朧気ながら凡その事情を察して驚いていたはやて、そしてはやてに手を伸ばした事で躱す機を逸した恭也、その場にいた全員が台詞の続きを遮るタイミングで仕掛けてきたバインドに拘束された。

「わあ!?なんやのこれ!?」
「はやて!
 シャマルっ、まだか!」
「やってる、けど、まさか無効化されてる!?そんな!」

 自身、解呪を試みながらのヴィータの焦りを溢れさせた問い掛けに対して、補助魔法のエキスパートであるシャマルは驚愕を込めて返した。シャマルの魔法を跳ね除けるほど強力な魔法という訳ではなく、効力自体を打ち消されていたのだ。
 魔法初心者ならば兎も角、シャマルほどの術者ともなれば術の強化やスピードアップのために術の構成をオリジナルに近いレベルまでカスタマイズしている。それを本人に気付かれないうちに無効化出来るほど解析するなど、通常ならば有り得ない事だ。
 だが、姿を見せない敵は対策を打つ時間など与えてくれる訳がなかった。次の瞬間には全員の足元に1つずつ魔方陣が展開される。

「今度はなんだ!?」
「この魔法陣は…強制転送!?」
「まずい!クソッ、はやて!」
「恭也さん!」

 拘束されて尚伸ばされた恭也の手をはやてが掴む前に術式が発動し、あまりの騒がしさに看護士が注意しに乗り込んだ時には病室は無人となっていた。





続く

221小閑者:2017/10/14(土) 22:34:01
第21話 前夜




 はやての意識がゆっくりと浮上する。
 普段の自然な感覚とも睡眠薬による眠気の纏わり付いてくるような感覚とも異なるそれを、浅くなるにつれて膨れていく焦燥感が急速に加速させた。
 覚醒と同時に中空を見上げたはやてが見たものは、虚空に磔にされている俯いたヴィータと、彼女を挟み込むように両隣に浮いているなのはとフェイトの姿だった。
 肌を刺す寒風にも、凍り付きそうなほど冷えた床にも気付く余裕もなく、はやては声を張り上げた。

「ヴィータ!?
 何!?何しとんの、なのはちゃん!フェイトちゃん!
 ザフィーラ、ザフィーラは!?」

 焦燥感の原因であったザフィーラの声どころかその姿さえ、はやてが覚醒した時には既に無かった。
 不安に駆られて周囲を見渡したはやては、シグナムとシャマルの着ていた服が散乱している事を認めると、驚愕の表情で空に在る3人に視線を戻した。

「はやて、君はもう助からないんだよ。どんな事をしても闇の書の呪いを解く事は出来ないんだ」
「…そんなん、ええ。そんなんええねん。私が死んでまうんは、しゃあないって分かってる。
 ヴィータを放して。みんなをどうしたん?」
「闇の書はね、ずっと昔に壊れちゃってたんだよ。勿論、そこから出て来た守護騎士達も。
 なのに本人達はそんなことも気付かずに必死になって蒐集してたんだよ?馬鹿だよねぇ」
「だから、壊れたおもちゃは危ないから君の代わりに捨ててあげてるんだ。コレで最後」

 それは、はやての心を絶望に閉ざすための言葉。
 非力で無力な自身では成し得ない望みを叶えるために、力を求めさせるための言葉。
 極めて狭い世界しか知らない少女の感情を揺さぶるなど、それを構成する守護騎士を残酷な方法で消し去るだけで十分なのだ。
 計算外だったのは、それが少女の逆鱗に繋がっていた事だろう。

「…あんたら、誰や」

 少女の口から零れた直前までの動揺が消滅したかのような平坦な声に、なのはとフェイトに怪訝な表情が浮かぶ。悲しみとも怒りとも憎しみとも違う、正確には2人が想定していたどの反応にもないはやての様子に僅かに警戒したのだ。
 ここまで来て尚、発生しようとしているイレギュラーに苛立ちそうになる感情を意思の力でねじ伏せて、静かに問い返す。

「…誰って、酷いなぁはやてちゃん。
 昨日も、今日もお見舞いに行ってあげたのに覚えてくれてないの?」
「なのはちゃんもフェイトちゃんもそんな事せえへんし、あんな酷い事も言わへんわ!
 早ようヴィータ放しや、この卑怯モン!」
「…勝手に偽者扱いしないで。
 君が私達の事どれほど知ってるって言うの?」
「確かに私は2人の事、大して知らへん。
 でもなぁ、私が騙される事あっても、恭也さんが信用してるあの子らがそんな事するはずあるか!」

 また、あの男か!
 11年越しの悲願が漸く叶おうとしているここに来てシナリオを掻き回す男の姿を脳裏に浮かべて歯軋りする。そんなフェイトの姿に気付かせないために、はやての視線を誘導するべくなのはが口を開く。

「恭也君がどう思ってるかなんて知らないけど、今のこの状況が変わる訳じゃないよ。
 壊れた人形を捨てるのにお別れの言葉なんて要らないよね?」

 この場に居るなのはとフェイトの真偽など状況を覆す鍵にはならない。それに気付かせれば何の支障も無いのだ。
 見せ付けるようにヴィータに向かって右腕を掲げると、はやての表情が恐怖に歪んだ。

「イヤ、やめてー!」
「止めさせたければ力ずくでどうぞ」
「はやてちゃん。世の中ってね、“こんな筈じゃなかった”事でいっぱいなんだよ」
「確かにな」

 言葉と同時に放たれた斬撃を瞬時に形成したシールドでなのはが受け止めると、動きの止まった襲撃者の背後に高速で回りこんだフェイトが光を纏う左腕で薙ぎ払う。完全な死角からのその一撃が見えてでもいるかのように襲撃者は光る円盤の足場を蹴って躱し、屋上のはやてと2人の中間へと危な気もなく着地した。

222小閑者:2017/10/14(土) 22:39:28
「恭也さんっ!」
「…はやて、すまん。間に合わなかった」
「…え?あ、―――ヴィータ」

 喜色を隠す事の無いはやての声は、恭也の謝罪の意味を目の当たりにした瞬間、一切の力を失った。
 ヴィータの名残である光の煌めきを呆然と見つめていたはやては、視界に割り込んできた2人の少女へと緩慢に焦点を合わせる。
 『何故?』
 思考はその2文字で埋め尽くされていた。

「どういうことだ?高町、テスタロッサ」
「この期に及んでそんなこと言うんだ?」
「恭也が闇の書側のスパイだって分かったのに私達だけ約束を守れっていうのは虫が良過ぎるよ」
「ック!」
「まあ、それでも恭也君自身が犯罪に手を染めてた訳じゃないし、闇の書のプログラムでもないんだから、抵抗しなければ大きな罪には問われないよ」
「そうだね。
 さあ、そこをどいて闇の書の主を引き渡して?」
「断る」
「…だろうね」

 茫然自失していたはやてを強引に正気付かせるほどに雰囲気が一変した。3人の会話は正確に聞き取れていなかったが、腕や手にしたカードを光らせる少女達と抜刀する恭也を見れば誤解の余地など無いだろう。

「…あ、やっ止めて!恭也さんは闇の書とは関係ない、悪い事なんてしてへんのや!」
「公務執行妨害ってやつだよ。はやてちゃんを、犯罪者を守ろうとする以上、力づくで排除させて貰うよ」
「ダメッ!
 恭也さん、もうええ、もうええねん!私、大人しく捕まるから、もう止めて!死んでまうよ!
 恭也、さんまで、死んでまったら、私…!」
「大丈夫だ、はやて。
 言っただろう。もう、絶対にお前を1人にしない」

 病室で聞いた時には歓喜に震えたその言葉が、はやての背筋を凍らせた。
 恭也は絶対に引かないだろう。
 絶望しかない戦いであろうと、絶対に。

 合図はなかった。
 少なくともはやてには理解できない切欠で始まった戦いは開始と同時に苛烈を極めた。
 なのはの放った20を超える拳大の光弾が空間を縦横に駆け巡る。直線・曲線・鋭角・鈍角・緩急を交えて空間を埋め尽くすほどのその軌跡に触れさせる事無く、姿が霞むほどの高速移動で躱しながら恭也が間合いを詰めていく。
 だが、明らかに人間の運動能力を上回るスピードで行われていた回避行動が唐突に破綻した。光弾の一つが足場となる円盤を打ち抜いたのだ。そして、恭也が体勢を崩した瞬間、あらゆる角度から恭也の体を光弾が通り過ぎた。
 はやての視界の中を恭也の体が至る所から液体を撒き散らしながら、床へ落下した。
 受身を取る素振りもなく人形のように無防備に落下した体は、小さくバウンドしたきり二度と動く様子は無く、欠損した各所から溢れ出して出来た水溜りの広がりだけがこの光景が静止画でない事を表していた。
 そのあまりにも呆気ない結末に対して、床に倒れ付した恭也を見つめるはやてが何かのリアクションを取る事は無かった。
 髪が風に揺れていなければ時が止まっているのかと錯覚するほど、近寄る事も顔を背ける事も声を発する事も表情を動かす事も感情を揺るがす事も無い。

(拙いな。
 刺激が強過ぎて精神を壊したか?)

 心臓すら動いていないように見えるはやての様子に、なのはとフェイトに焦燥が生まれる。
 闇の書を凍結封印するためには魔道書の起動は必須条件だ。今のはやてを闇の書ごと凍結させたとしても、はやての生命活動が停止した時点で魔道書の転生機能が働き新しい主の下へと移動するだけだ。
 起動条件は揃っている筈だ。あとは本人の意思で望みさえすれば。
 時間を置けばはやての意識が戻り、魔道書を起動させる可能性はあるが、この場に長時間留まり続ける訳にはいかないし、何より低いとは思うが精神を立て直される可能性すらある。
 はやての身柄を幽閉する事を検討しようと2人が少女から意識を反らした瞬間。

「嫌アアァァアアアアアアアァァアアァアア!!」

 はやてを中心に爆発的な勢いで放出された魔力が2人を打ち据えた。虚を突かれた事も合わさり、なのはのディバインバスターに匹敵するほどの衝撃に意識を飛ばされながらも、なのはが辛うじて転移魔法を発動し姿を消した。
 残されたのは魔力の柱に浮いたまま虚空を睨み付けるはやてとその傍らで自動的にページを開く魔道書だけだった。


【解放】



     * * * * * * * * * *

223小閑者:2017/10/14(土) 22:44:34
     * * * * * * * * * *


 遥か上空、はやて達の居たビルの屋上から直線距離にして2,000m以上離れた空間に形成されたクリスタルゲージに幽閉されていた恭也は、成す術も無く闇の書が起動するまでの一部始終を見せ付けられた。

「はやて…!」

 クリスタルゲージの破壊も体を縛る多重バインドの解呪も、一緒に閉じ込められたなのはとフェイトに委ねる他無く、恭也には“何もしない事”しか出来なかった。掌の皮膚を破らない様に拳を握り締める事も、歯を噛み砕かない様にかみ締める事も、拳を痛めない様にゲージを殴りつける事も、自傷に、戦力低下に繋がる一切の行動を多大な精神力を費やして抑え付けながら、只管遠方の推移を見守り続けた。
 そして、たった今、それらの努力が水泡に帰した。

「止められなかった…
 ぁぁああああああーーーー!」
「…きょうや」

 狭いゲージ内に恭也の慟哭が響く。鼓膜どころか直接皮膚を震わせるほどの絶叫は、そのまま恭也の絶望の深さを示しているのだろう。
 恭也に声を掛ける事も出来ずただ呆然と見つめていたフェイトの頬を涙が伝う。
 慰めも気休めも、今の恭也には意味を成さないだろう。

「諦めちゃダメ!」
「…なのは!?」

 恭也の慟哭に負けない声量で叱咤するなのはにフェイトが驚愕の視線を向ける。

「まだだよ!まだ、闇の書の暴走は始まってない!
 ユーノ君が一生懸命対策を探してくれてるから、頑張ってはやてちゃんを助け出そうよ!」
「なのは、ダメ!」

 それは絶望を悟った者に掛けるにはあまりにも楽観的に過ぎる言葉だ。一歩間違えれば相手を逆上させかねない。
 だが、フェイトの静止も間に合わなかった。
 なのはが第一声を発した時点で沈黙した恭也がゆっくりと振り返る。その顔に表れている怒気と憎悪、そしてそれらを上回る殺意を目の当たりにしたフェイトは本能的な恐怖と明確な死の予感を感じると同時に深い悲しみに包まれた。
 自分の持つ全てを代償にしてでも守ろうと誓った少女を目の前で失った悲しみが狂気へと変わったのだ。それを誰が責められるだろうか?
 だが、

「だ、ダメ、だよ…」

 恭也の苛烈な感情を正面から叩きつけられながらも、なのはは尚も諌めようと声を絞り出した。
 怖くない訳がない。
 恐怖に体は芯から震え、歯の根は合わず、意識さえ途切れそうになる。
 それでも、逃げ出す訳にはいかなかった。
 今逃げ出せば、口を噤めば、はやてを救い出す最後のチャンスを失う事になる。救い出せる可能性は限りなく低いだろう。それどころか有るか無いかすら分からない。だが、今ここで動かなければ可能性は確実に“0”になる。

「一緒に、はやてちゃんを助けに行こう!
 絶対、はやてちゃんは恭也君が助けに来てくれるのを待ってるよ!」

 なのはの瞳から涙が溢れ、雫となって零れ落ちた。
 恭也に対してどれほど残酷な事を言っているのか理解している。
 更なる絶望を突きつける結果に終わる可能性の方が遥かに高いことも分かっている。

「はやてちゃんを助けるんでしょう!?
 剣の道を捨てて、魔法に縋り付いて、どんな事をしてでも助けるって決めたんでしょう!?」

 それでも。
 全てが終わった後、今ここで蹲っていた自分自身を一生責め続ける。
 恭也にそんな事をさせたくない一心で言葉を重ねた。

 決めたんだ。
 恭也君が辛い時に支えてあげようって。
 進む道を見失った時には、一緒に探そうって。
 それで私が嫌われても、憎まれても、今の恭也君にとってどれほど辛い事だとしても。
 後で振り返ってみて、後悔しなくて済むように。
 あのとき諦めなくて良かったって思えるように。

「だったら!
 こんなところで諦めちゃダメだよ!」

224小閑者:2017/10/14(土) 22:50:09
 なのはが泣き叫ぶように言葉を叩き付けた直後、拳が頬を殴りつける鈍い音がクリスタルゲージ内に響いた。
 口を挟めず成り行きを見つめていたフェイトが顔を蒼褪めさせるほど、その拳は何の加減もされていなかった。
 あまりの事態に声を失うなのはが見つめる先で、口から滴る血を殴り付けた自分の右拳で拭いながら、恭也が大きく息を吐き出した。

「無様を晒した、すまん。
 高町、感謝する。お陰で目が覚めた」
「…!…!」

 なのはが安堵に口から零れそうになる嗚咽を堪えるために歯を食いしばったまま、思い切り首を左右に振る。

「謝罪も感謝も、全て終わらせてから改めてさせてもらう」

 なのはの頭を軽く撫で、フェイトに視線を投げ掛けながらそれだけ告げると、次の瞬間には、直前の一切を引き摺る事無く前を見据えながら恭也が口を開いた。

「さて。
 頼ってばかりで悪いが、早くこの檻を破壊してくれ」



     * * * * * * * * * *





 はやての居るビルから数km離れたビルの屋上に現れた魔法陣に出現したなのはとフェイトは、はやてから受けたダメージに堪えきれずに片膝を着いた。
 魔法として現象に転換することも目的に合わせて弾丸や砲撃のように形状を持たせてもいない単純な魔力の放射でこれほどのダメージを受ける事になるとは想像もしていなかった。魔導師としての訓練を一切受けた事が無いとはいえ、闇の書に主として選定された事実は伊達ではなかったという訳だ。
 だが、これで条件は揃った。
 後は闇の書が暴走し、理性的な判断が出来なくなってから凍結し、封印すれば二度と悲劇を生む事は無くなるのだ。
 なのはとフェイトが小さく安堵の溜息を吐き変身魔法を解くと、現れたのは全く同じ容姿の2人の仮面の男だった。

「多少のイレギュラーは発生したが予定通り進んでいるな」
「ああ。
 後は暴走まで待つだけだ」
「あの子達、持つかな」
「持って欲しいな。
 クリスタルゲージも破ったようだし、このタイミングなら上手く囮になってくれるだろう。
 …!?しまった!?」
「なにっ!?」

 どちらも歴戦の兵である。大事の後に危機に陥りやすい事は承知していたし周囲を警戒もしていた。
 それでも、この状況下で無駄口を叩いていた事が象徴する通り、大願成就を目前にした事で気が緩む事を抑えられなかった。その油断の代償として、2人は射程も発動速度も低いストラグルバインドに拘束され、全身を光に包まれた。

「くそ!」
「こんな魔法、教えてなかったのになぁ」
「1人でも精進しろと教えたのは君達だろう…」

 ストラグルバインドの機能である“拘束者に掛かっている強化魔法の強制解除”が働き、光が収束すると仮面と共に容姿や体格まで変化した2人の女性が拘束されていた。
 リーゼロッテもリーゼアリアも自分達が正体を晒された事より、クロノが自分達の姿に驚いた様子を見せない事に歯噛みする。どの程度まで真相に迫っているかは不明だが、“仮面の男”の正体が予想出来ていたと言う事は、その背後関係など容易に想像が付くだろう。

「闇の書側の活動の幇助、管理局のシステムへの不正アクセスの容疑で君達を逮捕する」
「あと少しなんだ!あと少しで闇の書を完全に封印出来るんだよ!」
「クロノだって、クライド君の事を忘れた訳じゃないだろう!?」
「…現時点では闇の書の主は何の罪も犯していないんだ。それを、!?」

 クロノが背筋を走る悪寒に従い会話を中断して振り仰ぐと、視線の先、距離にして50mほどの中空で、見知らぬ銀髪の女性が掲げた右手に漆黒の光球が収束したところだった。

「まずい!」
「デアボリック・エミッション」

 バインドで拘束されているリーゼ姉妹は当然の事ながら魔法を使用出来ないし、回避行動を取る事も出来ない。クロノは咄嗟に2人の前にシールドを展開し、自身は回避する事でやり過ごそうとするが、術者から全方位へと放射状に放たれた純魔力攻撃を回避する術など無かった。

225小閑者:2017/10/14(土) 23:13:20
「クロスケ!うわぁ!?」
「クロノ!ロッテ!」

 魔法をもろに喰らったクロノが弾き飛ばされ気を失うと同時に2人を拘束していたバインドと保護していたシールドの両方が消滅し、結果として魔法に特化したリーゼアリアのみが咄嗟にシールドを張る事で、漸く敵と思しき女性の攻撃魔法の威力の何割かを防ぐ事に成功した。
 不意を突かれたとはいえ、アースラのトップ戦力である自分達3人の内2人が最初の一撃で戦闘行動に支障が出るほどの負傷を受けたことにリーゼロッテが戦慄した。
 眼前の女の外見が闇の書の管理プログラムである事は過去の資料から分かっている。それが闇の書を携えているという事は、八神はやてとのユニゾンにより融合している事は想像に難くない。
 だが、なのはとフェイトを倒してから現れたとしたらいくらなんでも速すぎる。

「逃げても無駄だ。ヴォルケンリッターを、そして恭也を殺したお前達2人は我が主の望みに従い塵すら残さず消滅させる」
「!」

 淡々とした声色とは裏腹に烈火の如き感情を孕んだ視線を投げ掛ける女性の言葉でアリアも状況を察する事が出来た。
 恐らく、闇の書の起動直前にはやての中に生まれた激しい感情を起因とする願いが明確だったのだろう。
 “目の前で起きた家族を奪われる惨劇が夢であって欲しい”
 そのくらいの曖昧さを含んだ漠然とした願いであれば、闇の書も標的を選ぶ事無く無差別に周囲を破壊するに留まったかもしれない。あるいは、姿形の同じ本物のなのはとフェイトを攻撃対象としたかもしれない。
 …もしかしたら、先ほどのはやての台詞にあった『恭也が信用しているなのはやフェイトはそんな事をしない』という言葉が、強がりでも仮説でもない本心だっただけなのかもしれない。
 何れにせよ、はやての願いが“守護騎士と恭也を殺した者の死”であったなら、どのような姿をとったとしてもその対象はアリアとロッテ以外の誰でもないのだ。
 空間転移の経路を割り出す術があるのか、アリアとロッテ自身にマーカーとなる何かを打ち込んでいるのか、もっと他に方法があるのか。歴代の魔道技術を蒐集してきた闇の書ならば自分の知らない手段で追跡してきたとしても驚くには値しない。問題となるのはSランク魔導師が殺戮目標として自分達に矛先を向けている事そのものだ。
 だが、アリアとて負ける積もりはなかった。元々、なのはとフェイトが闇の書の暴走開始まで足止め出来なかった場合には自分とロッテで時間を稼ぐ覚悟はしていたのだ。
 ロッテが意識を取り戻すまで凌ぎきれば、制圧する事だって容易ではなくとも不可能では無いはずだ。
 リーゼロッテが格闘術に長けているように、リーゼアリアは魔道技術が高い。
 局員として長く働いてきた彼女達には、過去にSランク魔導師と対戦する機会もあった。彼らの大魔力を活かした広域殲滅系の魔法には苦しめられたが、その代償である魔力の精密操作・高速運用・並列処理の技能の低さを突くことで勝利を収めてきた。それらは大魔力を持つ者の性質であり、努力で補う事の出来ない特性だからだ。
 勿論誰にでも出来る事ではなかったが、リーゼ姉妹が管理局で最強の一角と評されている理由の最たる物は、姿を視認出来る距離に詰められればSランク魔導師とも渡り合ってきたその実績だった。

 唯一にして最大の誤算は希少なユニゾンデバイスとの戦闘経験がなかったことだろう。
 ユニゾンデバイスはマスターとの融合が前提となるためシステム自体が非常にデリケートである事は当然として、マスターとの相性まで関係してくる。当然のリスクとして融合事故が付随する事になるが、過去に製作された物の大半が事故を起こしたため、その製造方法自体が廃れていった。
 サンプルが少なく、現存する物は所有する一族が秘匿しているため、ユニゾンデバイスの性能は過去の記録でしか知る事が出来ない。
 何より、闇の書そのものが起動後の数十分しか正常に動作することが出来ない。
 そういった理由があるとはいえ、闇の書のユニオンデバイスとしての性能をどれほど過小に評価していたのか、アリアは直に思い知らされることになった。

 闇の書の周囲に30前後の魔力弾が発生した。それが誘導弾である事を見抜いたアリアは困惑しながらも迎撃のために同種の魔法を起動した。
 困惑の理由は弾数があまりにも多過ぎる事だ。
 魔導師ランクから考えれば当然といえる程度の数だが、誘導弾となれば話が変わってくる。
 全てを同時に制御してまともな誘導が出来るとは思えないし、小分けにして誘導するくらいなら直射魔法にして同時に射出した方が有効だ。あれだけの数なら直射魔法でも十分な弾幕になる。
 いや、それ以前に、操作・照準に精密性を欠くSランク魔導師が、誘導弾!?

226小閑者:2017/10/14(土) 23:16:04
 アリアが結論に至るまで待ってくれる訳も無く、闇の書が攻撃を開始した。
 当然の様に出し惜しむ事無く全弾一斉に、それでいて僅かなタイムラグを持って飛来する視界を埋め尽くすほどの攻撃に動揺する事無く、アリアも即座に打ち出した。数は比率にして10:7、一発当たりの魔力濃度も負けている以上、相殺する事は出来ないし意味が無い。
 誘導弾の操作は必ずしも精密操作である必要はない。そもそも操作の精度は個人差があるし、弾数が多ければ全弾が細かい動きをする必要がないからだ。要所の数発を敵のアクションを妨害するように誘導すれば残りは力押しで済む場合がほとんどだ。
 ただし、操作そのものを放棄する事は出来ない。そのため、誘導弾を操作する術者を攻撃して制御力を低下させて回避するのがオーソドックスな対処法となる。ヴィータがなのはを相手に取った手段であり、アリアも当然の対処として同じ行動を取ろうとしたが、その後の展開も、そして驚愕も同様に味わう事になった。

「馬鹿な…
 全弾撃墜だって!?」

 初撃の文字通りの範囲攻撃とは違い、弾丸として形成されている以上隙間と呼べる空間は存在する。魔力を弾丸として分割する事で攻撃範囲を広げているのだから隙間を失くすほど弾を一箇所に敷き詰めたら何の意味もない。だからこそ、人体が通り抜けられない程度の空間的・時間的なその隙間に魔力弾を通せばカウンターを入れることは難しい事ではない。
 セオリーだからこそカウンターに対する対処法も幾つも存在するが、大抵は持ち前の魔力量に飽かしてシールドやバリアで防ぐためバリアブレイクの効果を付加した弾丸は高い成果を齎してきた。しかしその実績も闇の書に届く遥か手前で魔力弾に撃墜された事で意味を成さなかった。
 だが、Sランク魔導師の常識を軽く覆す光景に驚いている余裕などアリアにはなかった。魔力弾の撃墜に何割か消費したとは言え、残りの半数以上が健在なのだ。
 誘導弾である以上に広範囲から殺到してくる弾数に対して、アリアには回避という選択肢は無い。展開したシールドに全精力を費やすように只管耐えていると、弾幕の向こうで掲げた右腕に落雷を受け止める闇の書の姿を見て愕然とした。

 自分達が思い描いていたシナリオから悉く逸脱しようとする現実に対して、焦りと苛立ちが募っていたのだろう。事ここに至って、漸くリーゼアリアも自分が闇の書について重要な特性を失念していた事に思い至った。
 闇の書は“蒐集”というレアスキルに隠れがちだが高位魔導師を補佐するためのデバイスだ。高位魔導師、即ち保有魔力量の多い者が抱える事の多い制御と高速・並列処理に対する適正の低さという問題を解決する事こそがデバイスとしての機能なのだ。
 相手が高位魔導師である以上、油断するほどの未熟さは持ち合わせていなかったが、「一般的なSランク」を想定した戦い方を選択してしまう程度には冷静さを欠いていた。そう現状を分析すると、リーゼアリアは仕切り直すべく闇の書を睨み付ける。あの腕に纏った雷撃による攻撃を凌ぎきり反撃に移る、心中でそう決意を固めた。
 容易い事ではない。それどころか絶望的と言ってもいいだろう。他の誰かであれば、あるいは普段のアリアであれば「不可能だ」と判断して撤退する事に全力を費やすような状況だ。だが、この戦いだけは退くという選択肢は存在しない。

 管理局員としての誇りも、自身の良心もかなぐり捨てて、罪悪感と自己嫌悪に苛まれながらも決して引き下がる事無く進めてきた父様の悲願なんだ。どんな犠牲を払ってでも必ず達成してみせる!

 不退転の決意を胸に、闇の書の攻撃に全身全霊をかけて対抗しようとしたアリアは、だからこそ背後から音も気配も無く駆け寄った存在に気付く事無く、その突進の勢いを余す事無く打撃に転換した右後回し蹴りを左肩に受けて吹き飛ばされる事になった。

227小閑者:2017/10/14(土) 23:18:24
 殲滅対象に対して斜め上空から最短距離を飛翔して間合いを詰めた闇の書は、接近する人影に気付いていた。
 敵の増援だろう。単騎であることに疑問を持たないではないが、自分に挑める高位魔導師が多くない事も分かっている。
 何より、敵がどれだけ増えようとも自分には関係のないことだ。主の願いは必ず叶える。力の暴走が始まるまでそれほど猶予があるわけではないが、だからこそ状況の変化に対応する事よりも目的の達成だけに集中する。
 そう自分自身に言い聞かせた彼女ではあったが、流石に増援だと判断していた人影が殲滅対象からみて左斜め後方から接近したかと思ったらそのまま蹴り飛ばして見せられたため思考が停止した。

「は?」

 彼女の認識では、現在自分に味方してくれる者はいない。だから、彼女の想定からかけ離れた人影の行動に軽く混乱した。
 この右腕の雷光から女を遠ざけるにしてももう少し他のやり方があるだろう。
 そんな思考が流れている間も肉体は攻撃行動を継続していた。殲滅対象と入れ替わるようにその場に残った人影に向かってそのまま腕を振り下ろそうとする自分を人事のように眺めていた彼女は、後ろ回し蹴りによる旋回運動で正面を向いた、つい先程死んだはずの恭也の顔に今度こそ頭の隅々まで白く染まった。



     * * * * * * * * * *



 なのはとフェイトがクリスタルゲージを破壊すると、2人が探査魔法を起動する前に恭也が指し示した戦闘区域に向かい、飛べない恭也の腰に抱きつく形で3人は一塊になって飛翔していた。

【進行方向、約4500m先に魔法戦闘の反応があります】
「ありがとう、バルディッシュ」

 バルディッシュの裏付けで恭也の言葉が正しかった事が証明されたがそれで納得する訳には行かない。
 恭也の非常識な技能を疑う様な愚かさは既に2人とも持ち合わせていないが、彼の非常識さを無条件に受け入れられるほど良識を捨てた訳でもない。
 移動時間を無為に過ごすよりは疑問を解消しておく方が良いだろうとフェイトが口を開いた。

「恭也、闇の書が転移したのがこっちだってどうやって分かったの?ケハイ?」
「この距離では気配を読むのは無理だ。さっき姿が変わる直前、はやてがこの方向を見ていたんだ」
「…姿が変わった?…ええと、偶然はやての顔が向いてただけとは思わなかったの?」
「睨み付けていたからな」
「…はやてちゃんの表情まで見えてたんだ?」

 顔を見合わせた2人は同時に苦笑しながら首を振った。2km以上離れた位置から顔の造詣など普通は見えない。2人には発生した魔力の柱の中に人影が見えた程度で、姿が変わったことも見取れなかったのだが。
 なのはの苦笑に呆れや困惑より嬉しさの割合が高いのは恭也の非常識さをまた1つ知る事が出来たからだろう。フェイトになのはの内面がそこまで理解出来たのはその気持ちを共感していたからに他ならない。

「目と目で通じ合っているところ悪いが、はやてへの対処について確認しておく。
 あいつを殴り倒せたとしても解決するとは思えないから、目的はスクライアが対処法を見つけ出すまでの時間稼ぎ。
 基本は説得、無理ならゴリ押し。恐らくは戦闘になるだろうな。
 ここまでについて何か異論は?」
「何か、随分表現が過激な気がするんだけど…」
「恭也、ひょっとして気が立ってる?」
「時間が無いから端的な表現をしているだけだ。
 説得については俺が担当しよう。弁が立つとは思っていないしはやての意識が残っているとも限らないが、今の自我だってヴォルケンズと何かしらの繋がりはあるだろう。
 説得に失敗すればそのまま戦闘になるだろうが、俺が倒されるまでは手を出さないでくれ」
「ええ!?
 何言ってるの恭也君!シグナムさんより強いんだよ!?」
「それは大した問題じゃない。そもそもシグナムだって俺より強いからな。
 拳銃が大砲になったところで当たれば死ぬ事に変わりは無い」
「その括り方は、流石にどうかと…」
「気にするな」
「…どうして1人でやろうとするの?」
「俺の目的ははやてを止める事だ。実力行使はその手段に過ぎない。
 さっきの2人組みがお前達の姿に化けていた以上、はやてがお前達を仇と勘違いする可能性は高い。興奮させては元も子もない」
「私達の姿を!?」
「拘束を解きながら見ていただろう?」
「あの距離では無理だよ…」

228小閑者:2017/10/14(土) 23:20:44
 魔法技能以外の肉体的なスペックで恭也と張り合う気にだけはならない。
 恭也の言う通りなら、確かに自分達が姿を見せれば話し合いの余地は無くなるだろう。だが、恭也が単独で向かったとしても必ずしも会話が成立するとは言い切れないのだ。
 会話が成立せず、強攻されれば戦闘になるだろう。この世界で育ったはやては魔法とは無縁であったはずだが、既に転移魔法を行使しているところからしてもデバイスとしての魔道書の機能に問題は無いのだろう。推定Sランク魔導師との戦闘になれば1人で行くのがなのはやフェイトであっても危険である事に変わりは無い。格上相手に1人で行くという前提がそもそも間違いなのだ。
 恭也に限ってそれが分からない訳が無い。つまり、どれほど大きなリスクを負ったとしても恭也にとっては引き下がれないラインなのだ。

「無理にでも付いて行くって言ったら、どうする?」
「なのは…」

 勿論、嫌がらせではない。
 なのはだってはやてを助けたいと思っている。ただ、その条件が恭也を危険に晒す事だとすれば素直に頷く事は出来なかった。

「…無理強いする権利も、力ずくで押し通す実力や時間も無い。
 形振り構っていられる余裕は当の昔に無くなっているが、俺には頭を下げる事以外に出来る事は無い。
 少しでもあいつに不利な条件を減らしたいんだ。頼む」
「…ずるいよ、恭也君」

 普段の飄々とした、あるいは不遜とも傲慢とも取れるような態度は何処にも無かった。それでいて形式的に謙(へりくだ)った鼻に付くようなものではない、真摯な態度だ。
 こちらの方が恭也の本来の姿だ、そう言われれば何の疑いも持たずに信じてしまえるその姿を見せられては、なのはには如何に正論であろうとこれ以上強く言う事は出来なかった。

「わかった、手出ししない。
 その代わり、絶対、無事に帰ってきてね!」
「…感謝する」

 そう言いつつ前方に目を向ける恭也に倣えば、数十の光弾が単色ながらも鮮やかな花火の様にビルの屋上に向かって打ち出されたところだった。

「ここまでで良い。
 まずは説得からだ。お前達は隠れていてくれ。
 弾丸撃発」
【Rock'n Roll!!】  
「分かった。気をつけてね、恭也」
「ああ」

 恭也は短い返事を残すと、残りの200mほどの間合いを次々と足場を作り上げながら最短距離を駆け抜け、その勢いを余す事無くリーゼアリアの左肩に右後ろ回し蹴りにして叩き付けた。闇の書の攻撃に耐えるために全身全霊を懸けて前面に展開したシールドを強化していたリーゼアリアに何の抵抗も無く届いた右の踵は苦も無く彼女を弾き飛ばした。
 目的がアリアを闇の書の攻撃から逃がすだけなのだから、恭也であれば他にもっと穏便な遣り方は幾らでもあっただろう。それを採用しなかったのは間違いなく私怨だ。弾かれたアリアを受け止める事になったフェンスが大きく歪み、何本かの支柱がコンクリートから引き抜かれている事からも加減のなさが見て取れた。
 ただし、恭也が攻撃の積もりで放った蹴りであれば突進による運動エネルギーを100%衝撃に転換する事でアリアの体をほとんど動かす事無く致命的なダメージを与えていたであろう事を考えれば、如何に私怨が混ざろうとも目的だけは忘れた訳ではないことも分かる。
 アリアを弾き飛ばす事で位置を入れ替えた恭也は、当然の結果として闇の書の攻撃に身を晒す事になった。恭也の顔を目にした彼女の表情から簡単に読み取れる通り、驚きに染まる思考では攻撃を停止する事も攻撃の軌道を逸らす事も期待出来なかったが、恭也も当てにしていなかったのか遅滞なく回避行動に移っていた。
 移動の慣性を完全に失いリーゼアリアの居た位置に停止した恭也が、腰の高さに足場を生成するのと同時に回し蹴りの軸となった左足を跳ね上げて円板の下面を蹴り上げ、自身の体を下方へ反らし闇の書の雷光を纏わせた右正拳を躱した。
 右腕を振り抜いた姿勢で大きく目を見開いたまま動きを止めた闇の書の管制人格に対して、恭也はとんぼ返りの要領で数m下方に展開した足場に着地し彼女を見上げた。

「恭也…、生きていた…?
 そうか、先程のお前は奴等の幻術か」
「今の俺が偽者の可能性だってあるだろう?」
「そんな非常識な体術で躱す人間が他に居るものか」
「いやいや、お前が見た俺だって非常識だっただろ?」
「いや、思い返してみるとあれは無闇に高速で動いていただけで体術と呼べるほどの物ではなかった。高速移動型の魔導師と変わらない。
 それより、やはりお前自身も自分の動きが非常識に分類されるという自覚があったようだな」
「これだけ散々貶されれば話くらい合わせるようになる」
「そんな殊勝な心掛けなど持ち合わせていまい。
 …時間を稼いでどうする積もりだ?」

229小閑者:2017/10/14(土) 23:25:24
 穏やかとさえ言える柔らかい表情を浮かべていた美貌が呼吸1つで硬質なそれに変わる。
 対する恭也は無言。闇の書の指摘に是とも非とも答えず、静かに彼女の顔を見上げている。
 答えが得られそうにないと判断した闇の書は恭也と目線が揃う高さまで降下してから質問の矛先を変えて問い掛けを続けた。

「何故あの女を庇った?あれらが我が主に何をしたか見ていたのだろう」
「ああ。一部始終見ていたし、以前からちょくちょく煩わしいちょっかいを掛けてきた奴の正体だった事も判明した」
「ならば、何故邪魔をする?」
「それに答える前に1つ確認しておきたい。
 お前がはやてでは無い事は分かったが、ヴォルケンリッターの誰でもないようにも見えるんだが?」
「私は魔道書の制御プログラムだ。管理局の魔導師に喋るデバイスを使う者が居ただろう。そのAIが人の形を与えられたと思って貰えば良い」
「なるほど。シグナム達を統括しているという事か。
 彼女達はお前の一部なのか?」
「いや、役割が違うだけだ。魔道書を構成する一部という表現をするなら、それは私も含まれる。
 たしかに今はシグナム達も魔道書に蒐集されているため私の内にあるとも言えるがあくまでも独立した存在だ。
 理解出来たなら私の質問に答えて貰おう」

 表情を引き締めてからの彼女の言葉には遊びが無い。それはそのまま心のゆとりの無さを表していた。

「お前、殺す気だったろ?」
「無論だ。主の願いは守護騎士と恭也を殺した者の死だ。
 まさか、実際には死んでいなかったから無効だ、などとは言うまいな?」
「当たり前だ。
 だが、それがはやての意思とは俺には思えない。
 はやてを聖人君子に祭り上げる積もりはないが、だからこそ、突発的に強い悲しみに揺さぶられればその反動として衝動的に殺意を抱いても不思議には思わない。
 外見こそ変わったがお前の体がはやてのものであり、お前が“はやての望み”として人を殺そうとしている以上それははやての罪だ。
 殺人は取り返しのつかない罪だ。生物が生き返らない以上、コレは絶対だ。一時の感情で犯すにはその罪は重過ぎる。
 ならば、止めてやるのが家族としての俺の役割だろう」
「奴等の立てた身勝手な計画の犠牲者である主に、心に傷を負わされて泣き寝入りしろと言いたいのか?」
「殺意を抱くなとは言わない。報復は正当な権利だと俺は思っている。
 だが、それは万難を排してでも貫けるほどの意志か?
 感情に流されれば後で必ず後悔する。冷静になるまで時間を置いてからもう一度考えさせろ」
「数日程度で家族の殺害を許せるほど情の薄い方ではない事はお前も知っているだろう」
「許す必要などないが、他の報復行動で許容出来るようになる可能性はあるだろう」
「時間を置いても死を望まれた場合はお前も協力すると?」
「どうしても、と言うなら仕方ない。
 その時には改めてはやての前に立ち塞がるさ」
「何故そこまで邪魔をする?」
「どう考えても、あいつらを殺した先にはやての幸せがあるとは思えないからだ」
「それがこの国の人間の考え方か?」
「国民全て、とは言わないが、多数派だろう。少なくともはやてはこちらに属しているはずだ」

 恭也の言葉に闇の書が口を閉ざした。
 はやての幸せ。
 それは守護騎士にとって、延いては闇の書にとっての最優先事項だ。
 他の誰でもない恭也の言葉は十分な信頼性がある。それについ先程まで顕現する事が出来なかったとは言え、ずっとはやての傍らに寄り添っていたのだ。掛け値なしに心優しい少女である事は誰よりも良く知っている。
 迷う理由など何処にもない。

「退いてくれ、恭也。
 これ以上邪魔するのなら、たとえお前でも容赦しない」

 そう。
 初めから闇の書には選択の余地など何処にも無いのだ。

「…お前が奴等を手に掛ければ、あの子は泣くぞ。
 自分の激情が理由で家族が人を殺したなど、はやてが許容できる訳がない」
「主は、私の中で守護騎士やお前と共に平和に暮らす夢を見ている。
 私が在り続ける限り主は永遠に幸せで居られる」
「死んでいない事と生きている事は同じ意味じゃない。
 誰もが“永遠”に意味を見出せる訳でもない」
「これ以上は水掛け論だな」
「そうだな。
 最後に、1つだけ答えてくれ」

 そう言葉を足しながらも躊躇っている恭也の様子に、闇の書は質問の内容を察してしまった。

「…お前の名前を、教えてくれ」
「…すまない」

 その、答えになっていない返答に、恭也が表情を歪めるのが分かった。

230小閑者:2017/10/14(土) 23:28:53
 闇の書が起動した時点で、選択権など存在しなかったのだ。
 数分か、数十分か先に魔道書は暴走する。シグナム達とは違い、管制プログラムである彼女はその事実を認識していたが、それを未然に防ぐ手段はなかった。
 魔道書は、主をサポートすることこそ存在意義だ。力及ばず主を失うならばまだしも、自らの存在が主の命を奪うなど認める訳にはいかない。
 だが、だからと言って彼女に取れる手段は他にない。
 主を自らの内で眠りにつかせる。そして、闇の書の意識が在る限り、主の最後の願いを叶えるために全力を尽くす。
 魔道書としての自身を消滅させられない彼女には、何の解決にもなっていない事を承知で、それでも、道具としての役割に徹する以外に出来る事はなかった。



 気持ちを切り替えるようにゆっくりと目を閉じ、開く。同時にリーゼアリアに放ったのと同数の誘導弾を自身の周囲に展開した闇の書は、最後通告として恭也に確認を取った。

「…本気で私と戦うつもりか?」
「出来れば冗談で済ませたかったが、そうもいかんだろう。死んだら恨んでやるから加減してくれ」
「普通は『恨まないから遠慮するな』だろう?」
「何を馬鹿な。死にたい訳がないだろう」
「だったら立ちはだかるなと言いたいところだが、死にはしないから安心してくれていい」
「ほう?親切だな。手足を打ち抜くだけで済ませてくれるのか」
「お前を相手にしてそんな器用な真似は出来ない。
 管理局に居たなら非殺傷設定を知っているだろう」
「知ってはいるが、あれは確か比較的最近開発されたと…、蒐集ってそんなことも出来るのか?」
「察しが良いな。心置きなく喰らうといい」
「急所を外そうとしてくれる事を期待していたんだが、難易度が格段に跳ね上がったな。
 知ってるか?非殺傷設定と言っても喰らうとかなり痛いんだぞ?」
「知らない。受けた事はないからな」
「とことん上から目線だな。少しは弱者の気持ちを考えろよ…」

 この期に及んで軽口を止めない恭也に苦笑しながらも、闇の書は油断する事無く恭也に向かって全弾射出した。

 ヴォルケンリッターを内に吸収した闇の書は、彼女らの経験や感情をある程度共有している。複数の人格を吸収しているため共感には至らないし、適正の違いから技能は共有できないが、それでも彼女らが見た恭也を知っている。
 そして、だからこそ、知らない。
 恭也と対戦したオーソドックスな魔導師がどんな感想を抱くかなど。

「な…!?」

 過去に恭也と対峙した経験は、シグナムが剣道場と砂漠で1度ずつ、ヴィータがビルの屋上で一中てだけ。
 その知識だけでも十分に呆れられるものだったが、それらだけでは不十分だった。
 真剣での切り合いを本分とする剣術家にとって、的を絞らせない事は必須技能だとシグナムの思考が告げていたが、共感できない闇の書には実感出来ない。
 分かる事は、決して視認出来ないほどのスピードではないにも関わらず、空間を駆け巡る恭也にヒットしないという事実のみだ。
 5分近く繰り広げられたその光景は唐突に終了した。
 恭也に対して誘導弾は効果が無い。そう結論を出した闇の書が魔力弾をキャンセルしたのだ。

「ゼェ、ゼェ、お前、幾らなんでも、ゼェ、最低ランク相手に、大人気ないぞ!ゼェ
 加減が足りん!ハァ、ゼェ」
「…安心しろ。
 威力は兎も角、弾速と精度は全く手を抜いていない」
「あぁ、そうなのか?ハァ
 それなら今と同じ要領で、ゼェ、躱せばなんとかなるんだな。ハァ
 って、出来るか!どれだけ運頼りだったと思ってる!?」
「なに、謙遜する必要は無い。
 八神家での生活を見ている限り、お前はこれっぽっちも幸運に恵まれている様には見えなかった。
 先程のは100%お前の実力だろう」
「…え?
 いやいや、そんな筈はないさ。
 俺の実力などそれほどのものじゃないんだ。絶対にこれから先の運を相当消費した筈だ」
「それは無いだろう?そもそも持ち合わせていないんだ。
 この国の『無い袖は振れない』という諺の通りじゃないか。
 そもそも、どうして実力を評価されたのにそんなに嫌がる?」
「っくぅ
 うるさい!俺にだって見つめたくない現実って物があるんだよ!
 お前に俺の気持ちが分かって堪るか!」
「ふむ。
 分からないものだな。こんな事で精神的にダメージを与えられるとは思いもしなかったが」

231小閑者:2017/10/14(土) 23:43:38
 急速に呼吸を整えていく恭也の姿を見据えていた闇の書が深く息を吐き出した。
 あの呼吸の乱れは演技だろうか?
 恐らく演技だろう。
 シグナムとの戦いでは連続した戦闘行動は多くなく静と動が明確に分かれていたが、行動時には目まぐるしい状況変化とフェイントを交えた駆け引きが繰り広げられた。
 難易度自体は凄まじく高いが“誘導弾を躱す”という単一の目的だけで動いた先程の運動は、恭也にとって呼吸を乱すほどではなかったはずだ。
 そんな本筋から外れた内容で思考を締め括った。
 あれが誇張された演技で恭也の疲労が大したものではなかったとしても、休息を与える必要は無い。それでも敢えて会話に乗ったのは眼前で展開した異様な光景に動揺したからとしか言えないだろう。

「恭也。お前は本当に生物か?」
「…そんなざっくりとした括り方をされたのは初めてなんだが、その枠にすら入ってる事を疑われてるのか?」
「当たり前だ。
 展開した足場は即座に砕いているのに回避行動に支障がないし、妙な動きに照準を絞る事は出来ないし、数で押しても悉く躱される。
 視認出来ないほどの高速行動ならまだしもあれは異様過ぎる」
「フッ
 医務室に強制収容される程の病人だった筈の俺に、気晴らし程度の模擬戦で情け容赦なく技能の限りを尽くして撃墜しようとする冷徹な砲撃魔導師がいてな。
 訓練内容が、生き残りさえすれば誰だってこの程度の事は出来るようになっているという超ハードコースだったんだ」

 病人が模擬戦に参加している時点でどうなんだ?という至極もっともな彼女の視線を物ともせずに、ワザとらしく遠い目をする恭也。
 無理強いしておいて酷い言い草である。なのはが聞いていたら思わず背後から狙撃しかねない内容だ。
 魘されている事が明るみに出た後、医務室に強制収容されていた恭也であるが、勿論大人しく閉じ篭っている訳がなかった。なのはやフェイトが訪れる度になんやかんやと言いくるめて訓練室へ連れ込んでいた。3日目には2人とも諦めていたようだが。
 勿論、アースラ艦内の訓練室をこっそり使用することなど出来るはずは無いので、ガス抜きとして黙認されていたのだ。恭也もそれは承知していたようで、堂々と訓練室に入り、フェイトに頼んで設備を使用し、スタッフの誰かが止めに来るまでの1時間前後を只管駆け回っていた。

 闇の書が知る限り恭也がデバイスを手にしてから2週間と経っていない筈だ。
 この短期間に魔法の構築・展開・発動のプロセスに掛かる時間を短縮出来るほどの才能が恭也に無い事は分かっている。コンマ数秒という発動時間は恭也の運動能力からすれば遅過ぎるはずだ。ランクからいっても魔法の行使自体がデバイス頼りだろうから、恭也が如何に努力したところで敵の攻撃に合わせて瞬間的に足場を形成する事は出来ないだろう。
 だが、先程は間断無く降り注ぐ無数の魔力弾を幾つもの足場を作り出しながら全て躱して見せたのも事実だ。シグナムとの戦いのように事前に足場が形成されていれば破壊して動きを封じる積もりでいた闇の書にとっての誤算はここにもあった。
 恭也は常識的な観点からすれば在り得ない事を幾つも体現しているが、本人の思考は決して根性論や精神論で形作られてはいない。不可能を可能とするには本人のやる気や努力だけではなく、出来る事で補う必要がある事をちゃんと理解している。

「魔法が足場として具現化するまでのタイムラグを考えれば、魔力弾がかなり離れた位置にある段階でなければ足場を作り出せないだろう。
 仮に私を幻惑する動きが私からの攻撃を無視しても成り立つものだったとしても、それでは精密誘導していない魔力弾を避けられない。
 お前に防御力が無い以上、取れる選択肢は見て避けるしかない。だが、30近い弾丸のコンマ数秒後の軌道を全て予測するなど信じられん話だ。直進だけではなく弧を描かせた物も半数近くはあったから尚更な。
 予知能力じみた予測は勿論だが、その土台となっているお前の動体視力と認識速度は生物の域を超えているぞ」
「やけに口数が多いと思っていたら分析する時間を稼いでいた訳か。
 そこまで動揺して貰えるなら無理した甲斐があったというものだ」
「動揺か…
 術中に嵌まった様で癪に障るが、流石に平常心を保っていられなかったな。
 お前の方こそ動揺に付け込む事無く私に付き合っていた理由は何だ?
 私の力が暴走するのを待っている訳ではあるまい?」
「動揺程度で埋まるほど実力差が浅くないと自覚しているだけだ」
「立ちはだかっておいて泣き言など聞く気は無いぞ」

232小閑者:2017/10/14(土) 23:47:16
 無駄口はここまで、とばかりに闇の書の周りに8基のスフィアが展開された。
 恭也の動きに翻弄されてしまい誘導弾は効果が期待できないため、弾速と弾数で勝る直射弾で回避出来ないほどの弾幕を張る作戦だ。
 デアボリック・エミッションの様な空間攻撃系の魔法をこの状況で選択する気は無かった。あの系統の攻撃魔法はチャージタイムが掛かり過ぎるのだ。
 今まで恭也が見せてきた攻撃手段に高位魔導師相手に有効なものはなかった。僅かながらもシグナムの肌を傷つけた事はあったが精々その程度だ。闇の書のバリアジャケットは彼女のものより強固であるため完全に遮断出来るだろう。
 だが、それを根拠に恭也に攻撃手段が無いと決め付ける気は無い。シグナムの意見に頼るまでも無く、常識や一般論が如何に儚いものなのかをたった今見せ付けられたばかりなのだ。

 闇の書と恭也の睨み合いは長くは続かなかった。間近で空間転移魔法が発動したからだ。
 反射的にそれが先程攻撃した子供と2人の殲滅対象の内の誰かが使用したものだと確認した闇の書は慌てて意識を正面の恭也に戻した。
 意識を逸らした事を察したのか、単に行動を起こす切欠としただけなのか、その一瞬で恭也との距離が半分にまで縮められていた。
 舌打ちする間も惜しんで即座に射撃を開始しようとすると恭也の体がブレた。原理は不明だが、目に映っているのにそこに存在する事を疑ってしまうという誘導弾を躱された時に味わった奇妙な感覚に再び陥った。
 騙されるな!絶対にそこに居るんだ!
 そう強く思った時、恭也が右に向かって大きく跳躍した。反射的に直射弾を一斉射した闇の書は光の奔流の中で恭也の姿を見失った。
 魔力弾の光を目晦ましにして移動したのか、そもそも跳躍したように見えたこと自体が錯覚だったのか。推測を進めようとする意識を強引に押さえつけて常時起動している探索魔法から得られた反応に合わせて、振り向き様に左腕を掲げてシールドを展開。顕現したシールドが寸前で刀の進攻を阻んだ。
 右手に握った刀で切りつけた姿勢の恭也の姿が視界に映る。すぐさまスフィアから魔力弾を放つが、動揺を抑え切れなかった事も手伝って、既に恭也はシールドを蹴りつけトンボを切っていた。視線だけで追うと上下逆さまの状態から展開した足場を蹴りつけてアッサリと射線から離脱してしまった。
 追撃を諦め、裂傷を負った左手を見やる。治癒と言うより復元と呼べるほどの速度で回復するその傷はシールド越しに負ったものだ。
 視覚情報と感覚を狂わされる所為で、恭也には技術的に干渉出来ないはずの探索魔法の結果まで疑わされてしまう。その出鱈目な技術については最早何も言うまいと諦めていたが、この裂傷については流石に納得が出来なかった。
 刀身は完全にシールドで受け止めた。シールドの内側にあった彼女の肉体を傷付ける要素は何処にも無かったはずだ。

「…何をしたんだ?」
「教えてやらん。
 と言いたい所だが、ヒントくらいは出そうじゃないか。
 八神家で世話になって直ぐに携帯電話を渡されてな、コードも繋がってない上に掌に収まるほど小さいからどうして電話として機能するのか不思議でならなかった。
 そんな俺でも努力の結果、通話出来るようになったんだ」
「…それはつまり、お前自身にも分からないという事か?」
「その通りではあるんだがな。
 知ってるか?事実は端的に語るよりオブラートに包んだ方が会話が豊かになるんだぞ?」
「そんな豆知識は要らん」

 油断無く対峙したまま、雑談に突入した事を自覚した闇の書は苦笑が顔に浮かばないように取り繕うのに苦労した。
 顕現した直後ははやての感情に引き摺られてリーゼ姉妹を殺す事以外に向けられなくなっていた意識がいつの間にかニュートラルに戻っている。勿論、主の願いを叶えるために咎人達を殺す事に変わりは無いが、周囲に目を向けるだけのゆとりが出来た。
 あの2人には転移されてしまったが、追跡する事は造作も無い事と切り捨てて恭也を見据えた。

 他人の強い感情に触れた時の反応は人により異なる。
 共感する者、反発する者、嫌悪する者、恐怖する者、扇情する者、否定する者、無視する者。
 状況を理解した上で平時を意識した態度をとる事は決して容易い事では無い。
 感情の起伏が激しいヴィータが懐くのも頷ける。それに振り回されていてはヴィータと付き合っていくことなど出来ないのだから。

233小閑者:2017/10/14(土) 23:48:35
 恭也は敵対する形でSランク魔導師と対面しながら、逃げ出す事も積極的に攻勢に出る事も無く、こちらが明らかに動揺し隙を見せていた時にさえ会話を優先した。
 そんな事が出来るのは同ランク以上の実力を持つ者か、実力差の分からない愚者だけだった。
 恐怖を感じていない訳では無いと思う。非殺傷設定の攻撃だと宣言してあるが、恭也が本当の意味で恐れているのは、自分が命を落とす事よりも意識を失い全てが手遅れになる事だ。自分自身に関する事を全て後回しにしてでも目的を達成する、そういう生き方しか出来ない者を戦場で大勢見てきたから恭也もその部類だという目算は恐らく間違ってはいないだろう。
 そして、魔道書の核となる制御プログラムから、根源とも言える自身の名前が欠落している事を知ってしまった。表面的とはいえ管理局に属していたなら闇の書を危険物として認定している理由が力の暴走である事も聞いている筈だ。そして、暴走する原因である制御プログラムの改編が、修復が効かないほどの深部に及んでいる事を理解出来てしまったからこそ先程は絶望を隠し切れなかったのだろう。
 対峙する恐怖心をおくびにも出さない胆力と、はやてを救済する術が無いに等しいこの絶望的な状況にも抗う事をやめない精神力。

 それらが都合の良い錯覚でしか無いと知っているからこそ、苦い笑みが浮かびそうになるのだ。

「強いな。
 我が主のために自分の命を危険に晒す事も厭わず、私の暴走を防ぐ方法に目処も立っていないのに希望を捨てずに抗い続ける。
 誰にでも出来る事ではない」
「違う!
 買い被るのはやめろ!
 他の在り方を知らないだけだ!」

 それまでの軽口を続ける事も出来ずに顔を強張らせて否定する恭也の様子に、鎌をかけた闇の書が目尻を緩めた。

「そうか」
「ッ!?
 …なんて間抜けだ」
「そう言わないでくれ。
 済まない。今のは悪質に過ぎた」

 分かっていた事だ。恭也にだって余裕は無い。
 そう思ってはいたが、あの程度の言葉に反発するほど追い詰められていると思っていなかったのも事実ではある。
 自分達に見せた事はほとんど無かったが、別の場所では、あの少女達には、弱さを見せた事もあったのだろうか。

 恭也はこれまで十分に八神家のために尽力してくれた。それが、元の世界から放り出された事や一族の死という辛い現実に押し潰されないための行為だったとしても、はやてや守護騎士達が受けた恩に変わりは無い。
 それなのに、今目の前で闇の書が暴走すれば、はやてを救い出す事が永遠に不可能になるという事実を突き付けることになる。それは恭也の努力を裏切る事に他ならない。
 そして、はやてを助ける事に縋り付いていたと言っても過言では無い恭也には、その事実に耐えられず精神を壊す懸念さえある。その結末はあまりにも報われない。
 だが、恭也に対して「気にするな」と告げたところで何の効果も無い事も分かっている。本人の言葉通り、彼にはそう在る事しか出来ないのだろう。
 愛しくさえ思えるその不器用さを失わないために、取れる手段は多く無い。
 主や守護騎士達はこの選択を非難するだろうか?悲しみ、寂しがりはしてもきっと反対はしないだろう。
 そう自問自答した後、闇の書の管制人格は表情を引き締め恭也を見据えた。

「これ以上時間を浪費する訳にはいかない。
 決着を着けようか」
「さっきので見縊られるのも癪に障るな。
 いいだろう。窮鼠らしくその企みを粉砕して見せようじゃないか」

 三度目の開戦は言葉の終わりに被せる様に始まった。
 闇の書の周囲に瞬時にして魔力が集結する。形状は弾ではなく剣。16本の赤い短剣を顕現すると同時に残り5mまで間合いを詰めた恭也に向けて解き放った。

「穿て、ブラッディダガー」
【Blutiger Dolch】

 同時に射出された全ての短剣は視認出来ないほどの速度で飛翔し、恭也が立っていた魔法陣の上の虚空で互いに衝突して粉砕した。その破砕音が響いた時には視界の左端に八影を抜刀する恭也の姿が映った。シグナム戦で見せた視認出来ないほどの高速移動による回避だと悟ったと同時に腹部に裂傷。痛みを無視して左手を伸ばすと先程の高速機動の影響か、明らかに鈍くなった動作で恭也が死角となる背面側へと回避。即座に4つの魔力弾を生成、探査魔法を頼りに背後に向けて射出。微かな手応え。恭也の乱れた呼吸音が耳を打つ。仕掛けるならここしかない!

234小閑者:2017/10/14(土) 23:50:20
 半周して右側面に現れた恭也は無呼吸運動が出来なくなるほどの疲労を抱えていた。それでも防御力の無い恭也は守勢になって強制的に回避行動を取らされるより、僅かでも場をコントロール出来る攻勢を選ぶ。そして、防がれる事を承知で放った斬撃が、闇の書の右腕の肘から先を断ち切った。
 有り得ない筈のその光景が疲労と合わさり恭也の動きを一瞬だけ停滞させた。
 その一瞬を逃す事無く恭也を正面から抱きしめるように拘束した闇の書は、自分諸共恭也をバインドで縛り付けた。
 闇の書の豊かな胸の谷間に顔を埋める体勢になった恭也には、当然ながら嬉しさや羞恥に頬を染めるような余裕は無かった。

「まさか腕を切り落とさせるとはな。
 夜伽と言うには明る過ぎないか?」
「相手がお前なら私にも異論は無いのだがな。
 いや、性的な意味だけでは無いのだから間違いでは無いか」

 穏やかに話す闇の書の背後で爆発音が連続した。我慢出来ずに拘束された恭也を助けようとなのはとフェイトが攻撃を仕掛けているが、恭也が密着しているこの状況では打ち抜く訳にはいかない。そして、全力を出せない以上あの2人といえどもSランク魔導師である闇の書のシールドを打ち破る事など出来るはずがない。
 恭也にもこの体勢から抗う術は無かった。致命の傷で無ければ闇の書は無視するだけの覚悟をしているし、はやてを助けるためにここに居る恭也には致命傷を負わせることが出来ないからだ。

「我が主も、守護騎士達も、勿論私自身も、お前には言葉では表しきれない程の恩義を感じている。
 もう、十分だ。
 眠ってくれ」
「待っ…」

 その言葉と共に恭也の体を紫色の魔力光が包み込む。
 自分自身を犠牲にしてでも他者を守る。そんな生き方しか出来ない恭也を守るなら、恭也の周囲の人間が傷付かない世界にするしかない。
 その、現実には存在しない理想の世界も、夢物語ならば成立する。
 主や自分達を忘れられる事を寂しくは思うが、それが恭也の幸せに繋がるなら、皆もきっと納得してくれる筈だ。
 そうであることを願いながら、闇の書は恭也を眠りの園へと誘った。

【吸収】





続く

235小閑者:2017/11/04(土) 11:25:06
第22話 夢中




 静かに開かれる襖。無音と言ってもいいほどに忍ばせた足音。右手に握られた木刀。
 夜の帳も明けきらない薄闇の中で、見つかれば問答無用で通報されかねない不審者然とした行動ではあったが、そんな時間帯だからこそその人影を見咎める者もいない。
 更には侵入した部屋に居る人物が布団を被って眠っているとなれば、その不審者は襲撃者と断定しても問題ないだろう。

 日本家屋では人が歩くと音が出易い。板張りの床は不用意に歩けば踵が板を叩く音が響くし、仮に爪先立ちになって衝撃を吸収したとしても板が軋むことは避けられない。畳敷きの床は体重を柔らかく受け止めることで硬質な足音を出さない代わりに、芯に使用されている藁が擦れあう微かな音を発散する。
 雑音の多い昼間であれば聞こえない程度のそれらの音は、静まり返ったこの時間帯であれば眠りの浅い者を目覚めさせるほどの騒音となる。
 つまり、板張りの廊下を通り、畳を踏みしめて布団の傍らに至るまで一切音を発することのなかったという事実こそが、その襲撃者が素人ではなく相応の修練を積んでいることを証明していた。

 襲撃者がゆっくりと木刀を振り上げる。空気を押し退けることさえ危惧するような慎重さで上段まで移動した木刀は、逆に一瞬でも早く行為を終えようとするかのように躊躇なく一気に振り下ろされた。
 ボンッ!と木刀が布団を叩く音が響いたときには、布団に包まれていた人物・恭也は掛け布団ごと襲撃者の反対側へ跳ね起きた。布団を跳ね除ける動作のまま右手を腰へ、左手を肩口へ伸ばし、両の手が空を切ったことで流れるようだった一連の動作が澱んだ。
 一瞬の停滞。それは、襲撃者が木刀を躱された動揺から立ち直り構え直すより尚短く、文字通り瞬く間だった。
 全幅の信頼を寄せる存在を見失った者としてはあまりにも微小なリアクションの後、恭也は俊足の踏み込みで暴漢に肉薄した。
 武装している襲撃者に対して無手で反撃に転じたのは実力差を見抜いたからではなく、帯びていたはずの武装の一切を失っていることを察知したからだろう。そうでなければそもそも最大戦力である小太刀に手を伸ばすはずがない。
 もっとも、接触と同時に襲撃者を組み伏せる事に成功したことからもその判断が間違いではなかったと分かる。

「ま、参りました」

 あっさりと組み伏せられた襲撃者が漏らす敗北宣言に僅かながらも目を見開いた恭也はゆっくりと相手を子細に観察した。
 恭也より頭一つ分は小柄な体躯。鍛えられ、引き締まっていることを差し引いても華奢な、それでいて柔らかさを失っていない腕。一瞬とはいえ激しい立ち回りのために乱れながらも絹糸のように滑らかな、背中に届くストレートの美しい黒髪。
 その後ろ姿は、俯せに押さえ込み含み針を警戒して額を床に押しつけているため顔を確認できない襲撃者が、声や気配から連想した通りの人物である、という有り得ないはずの結論を肯定するものだった。

「…み、美由希?」
「え?うん、そうだよ?」

 何を今更、と言った様子で答える美由希。
 悪びれる様子がないのは恭也自身がこの襲撃を受けることを了承しているからに他ならない。

「兄さん?」
「…あ、ああ、すまない」

 何時までも解放されない事そのものより恭也の様子を不審に思った美由希が呼びかけると、我に返った恭也が固めていた美由希の手首を放した。
 体を起こした美由希が見やると、恭也は呆然と部屋の中を眺め回していた。

「兄さん…?どうかしたの?」
「…いや、刀を携えてどこか別の場所に居た気がしたんだが。
 八影は父さんが持ってるんだから、別の…別?
 何だ?俺の刀より大きかったのに、練習刀じゃなかった…?」

 独り言を呟きながら眉をしかめる恭也に美由希がいよいよ不安を抱いたのか、どたばたと廊下を走りながら声を張り上げた。

「お母さん、お母さーん!
 お兄ちゃんが変だよー!」

 少々失礼な言葉を叫びながら美由希が明るみだした廊下を駆けていく。
 不破家から声を張り上げても御神家で朝食の準備に取りかかっている美沙斗に聞こえるはずがないことに気付かないほど混乱している美由希に、言い回しを気にする余裕などなかった。

「夢を…見ていたのか?」

 一人残される形になった恭也は、美由希の言葉を咎めることもなくぽつりと呟いた。

236小閑者:2017/11/04(土) 11:26:52
 町内のジョギングと、御神の敷地にある道場での型と打ち込み。それが朝食の前に行う鍛錬の内容だ。
 平日から行っている日課は、休日であっても変わることはない。

「目に見えて上達するな、恭也君は」
「ありがとうございます。でも、まだまだですよ」
「年齢からすれば十分過ぎると思うけど、それじゃあ満足出来ないんだろうね。
 これは私もうかうかしていられないな」
「静馬さんが油断しているところなんて、俺は見たことがありませんけどね。でも、いつまでも目標でいて貰えた方が有り難いです」
「私個人に勝っても意味はない、か?」
「勿論です」

 クールダウンを行いながら会話する静馬と恭也。
 フィアッセが心を壊した事件の後、当時5歳の恭也は自発的に口を開かなくなった。元々口数が少なく表情も豊かとは言えなかったが、無口と表現する事も戸惑うほど事務的な応答しか出来なくなった時期があるのだ。
 そんな恭也に静馬は積極的に、辛抱強く話しかけ続けた。それは静馬に限ったことではなかったが、お陰で回復した今でもふとした時に恭也に話しかけることが癖になっていた。

「今の恭也君なら大抵の相手なら退けられると思うけどな」
「そうでもないですよ。無力感に打ちひしがれたばかりなんですから」
「…え?最近何かあったのかい?」
「ええ。…あれ?」
「どうした?」
「あ、いえ、それが…。
 何か、押し潰されそうなほど絶望的な状況に追い込まれた筈なんですが、その状況が思い出せないんです」

 静馬はおかしな事を言い始めた恭也の様子を窺った。
 普通に考えれば絶望的な状況などそう簡単に忘れられる訳がない。だが、恭也の困惑した表情は、その言葉が決して嘘ではないと主張してる。弱味を見せる事を嫌って口を濁している訳では無いようだ。

 恭也は誰に対しても弱音に類することを口にする事は無かったが、静馬と士郎だけは例外だった。尤も、今の言葉のように愚痴というより状況報告にしか聞こえないような、俯瞰というか客観視したような内容なのだが。
 静馬が自分が例外であることを知ったのは最近の事だ。
 日常的な話題で楽しげに、あるいは穏やかに会話している美沙斗や琴絵でも、鍛錬や兵法を中心にした話をする事の多い一臣でもなく、恭也が自分を選んだ理由は知らない。剣腕だけであれば美沙斗も一臣も恭也より上なのでもっと別の基準があるのだろう。
 その事で美沙斗から僻まれたこともあったが、別に優劣の問題ではないと思っている。逆に、恭也の他の側面については自分よりも彼女たちの方が余程詳しいんだし。
 恭也が何かを期待して弱みを見せる相手に自分を選んだとは思えないが、話してくれた時には出来る限り力になる事に決めていた。尤も、大抵が事後報告であるため次回のためのアドバイスが精々なのだが。
 とはいえ、今回は本人が思い出せないのようなのでアドバイスのしようもない。
 思いの外、恭也は悩み事が多いので解決しないまま抱え込ませるより、他へ気を逸らした方が良いだろう。そう判断した静馬は別の話題を探す事にした。
 再燃するほど重大な悩みなら、その時改めて相談に乗ることにしよう。

「…妙だな。どうして覚えてないんだろう」
「まあ、妙な話ではあるけど、あまり気に病み過ぎないようにね?
 ところで、今更だけど士郎さんはどうしたんだい?」
「父さんなら、昨日の夜中にフラッとどこかに出かけたらしいです」
「ふらっと、ね」
「そのうち帰ってくるでしょう」

 放浪癖のある士郎だが、その際、基本的には宣言してから出立する。恭也が生まれる前には宣言することなく放浪していたので、父親としての自覚が行動として現れている数少ない事例である。
 その士郎が何も告げずにいなくなったなら、仕事か目的のある私用だろう。そちらの方も内容を告げていって貰いたいのが正直なところだが、一定期間で帰ってくる事が決まっている用事は連絡しておく必要性を感じていないらしいのだ。
 困ったものだな、と思いつつも、恭也に言っても仕方が無い、と諦め気味に話を纏めて恭也を促した。

「まあ、いいか。
 恭也君、そろそろ戻ろうか」
「はい」

237小閑者:2017/11/04(土) 11:29:13
 鍛錬を終えると汗を流してから朝食を取る。
 不破家で生活している恭也も朝食だけは御神家で取る。以前は朝食も不破家で取っていたのだが、剣の修行を始めてからは今のスタイルになっている。
 宗家・分家を問わず剣術を生業とする者以外にも護身術や趣味として鍛錬に参加する者がいるし、少数ながらも外部の門下生もいる。そこに参加するようになった恭也は早朝鍛錬後の朝食まで行動を共にするように言いつけられていた。
 鍛錬を始めた当初のフィアッセの事件の前の恭也は、人見知りや物怖じすることもなければ年齢に相応な生意気な態度をとることもなかったが、お世辞にも社交的とはほど遠く、団体行動に向く性格ではなかったからだ。
 席順は特に決められている訳ではないが、だからこそ年齢や実力である程度席が決まってくる。
 同様に御神家と不破家も習慣通り固まって食事を取っていた。恭也と同じ座卓には静馬、美沙斗、美由希、一臣、琴絵が着いている。
 その席で今朝の出来事を興奮気味に語る美由希に、穏やかに美沙斗が受け応えていた。

「それでねぇ、今日は木刀を振りかざしても目を覚まさなかったから当てられる!って思ったのに、ぎりぎりでかわされちゃったんだ。
 ホントに、ホントに惜しかったんだよ?」
「それは残念だったね。
 でも、恭也が慌てていたなら追撃できたんじゃないのかい?」
「…なんか、昨日帰って着た時みたいには出来なかったの。
 今日の兄さん、近づいても気付かなかったのに目を覚ましてからは凄く速かったんだ。
 母さんよりも速かったかもしれないよ?」
「そうなのかい?
 それはお母さんもうかうかしていられないな」
「ホントだよ?ホントにもの凄く速かったんだよ?」
「それじゃあ美由希ももっと頑張らないと恭也から一本取るのは難しいね」
「あ…うぅ」

 恭也が如何に凄いかを母・美沙斗に訴えていた美由希は、指摘されることでようやくそれが自分のハードルの高さに直結していることに気付いたようだ。
 黙々と食事を続けていた周囲の面々も思わず苦笑を漏らす。
 基本的に内気な美由希は口数が少なく物静かな方だ。友達と外に遊びに行くよりも部屋で独り本を読むことを選ぶような性格だったが、例外も存在する。それは兄の様に慕う従兄弟の恭也に関することだ。
 剣術を始めたことも、両親の呼称を「お父さん、お母さん」から「父さん、母さん」に変えたのも恭也を真似たものだ。まあ、こちらに関しては恭也の呼称も含めてまだ定着していないようで、慌てたり興奮したりするとアッサリと戻ってしまうようだが。
 美由希の想いが兄妹から異性に対するものへと変化する日はそれほど遠くないだろう。それが当事者である恭也以外の共通した認識である。
 美沙斗も子供の頃から想いを寄せていた従兄弟の静馬に近付きたくて御神流を修めて想いを成就したという経歴を持っている。だから、娘の行動は昔の自分の姿を見せつけられているようで居たたまれない思いを味わわされている。同時に当時の自分の想いと重なり密かに応援してもいるのだが。

 最近、娘が自分よりも恭也と一緒にいることを優先することが多くなって複雑な想いをさせられる静馬が、内心を綺麗に押し隠した微笑を浮かべて同じ座卓で口を挟むことなく食事を続けている斜向かいの恭也に話しかけた。

「恭也君、今日は随分と追いつめられたみたいだね」

 静馬の声には揶揄するようなものは含まれていなかった。
 如何に愛娘の言葉とはいえ、現時点での恭也と美由希の実力差からすれば、たとえ不意打ちであろうと接戦になるはずはない。
 美由希の見た「もの凄く早い動き」とは、つまり普段見ている加減されたスピードではない、本来の恭也の動きだったのだろう。それを恭也が出さざるを得ないほど追い込んだ要因は美由希の実力では無いはずなのだ。
 周囲の者からは親馬鹿と評されている静馬だが、剣術に関しては御神流の現当主としての態度を崩すことはなかった。
 また、別の理由からも、美由希の自己主張ではなく、恭也の意見を聞く必要があった。
 美由希が基礎訓練から本格的な剣術の鍛錬に移る条件を、恭也に「実力を認めさせること」としたからだ。美由希が恭也に事あるごとに襲いかかっているのは、そのためだ。
 ちなみに、美由希には目標を高くするために「恭也から一本取ること」と伝えてあるが、それが不可能に近いことは分かっていた。才能はともかく、本格的な鍛錬を重ねている恭也が基礎訓練しか受けていない美由希の攻撃をまともに受ける訳がない。
 尤も、美由希の実力を測らせているのは恭也の訓練も兼ねていた。実力の高い先達を相手に技術を吸収するのと同じように、未熟な後輩という鏡を通して自身の未熟な部分を認識するのは良い勉強になるはずだ。
 年齢からすれば早すぎる役割ではあったが、年齢からはかけ離れた実力を持つ恭也であれば妥当だろう、との上位陣の判断からだった。

238小閑者:2017/11/04(土) 11:34:49
「そうですね。
 今日のは単なる俺の失態ですが、美由希が実力を付けてきているのは事実です。
 俺はこのままあと二月も基礎訓練を重ねれば、本格的な鍛錬に入っても良いと思います」
「ほ、ホントお兄ちゃん!?」

 思いがけない恭也からの好評に興奮して呼称が戻っている美由希に、苦笑気味に恭也が釘を刺した。

「ああ。
 ただし、一本取れなければ単なる俺個人の感想でしかなくなる。俺の評価が正しい事を証明するためにも頑張ってくれ」
「うん!私頑張る!」

 元気良く応じる美由希と僅かに目元を弛めて笑う恭也に周囲の大人の方が苦笑する。
 この2人が並んでいると大人しい性格の美由希が溌剌として見えてしまう。

「でも美由希ちゃんが恭ちゃんの枕元まで近付けたっていうのはホントに凄いわね」
「えへへー」
「いえ、それは俺の失態です。
 今思えば目を覚まさなかったのが不思議でなりません」
「ぶー」

 琴絵の褒め言葉に照れる美由希を諫めるように恭也がすぐさま否定した。
 膨れる美由希を見ながら琴絵が苦笑を漏らす。その言葉自体は真実なのだろうが、口にしたのは間違いなく美由希の増長を抑えるためだろう。
 恭也が剣に関することで美由希を褒めることは滅多にない。日常生活ではそこまでの厳しさは見せていないので、それだけ真剣なのだろう。
 先ほどの上達を認める発言に美由希が過剰に喜んでいたのはそれも理由の一つなのだ。
 そのやり取りに興味を示したのは静かに食事を続けていた一臣だった。

「恭也君のその手の失敗は珍しいな。何かあったのかい?」

 恭也が如何に年齢に不相応な実力を備えているとは言っても発展途上であることに変わりはない。失敗する事くらい幾らでもある。
 それでも珍しいと言う言葉に異論を挟む者がいないのは、恭也が突発的な閃き型ではなく堅実に力を積み重ねる努力型だからだ。初めて試みることなら兎も角、一度身につけた技能を衰えさせたところは誰も見たことがない。

「何かの夢を見ていたようで、眠りが深かったみたいなんです」
「夢って、どんな?」
「それが良く思い出せないんです。
 真剣を帯びていたような気になっていたので戦闘を含んでいたんだと思うんですが…」

 思い出せないことがよほど気持ち悪いのか、恭也が見て分かるほど眉間に皺を寄せていた。

「目を覚ましたら夢の内容を忘れてしまうなんて良くあることだろ?
 あまり気にしなくても…」
「それはそうなんですが…。
 何故かやたらと気になるというか…
 何かきっかけがあれば思い出せると思うんですが」

 思いの外恭也が気にしているようなので一臣が気に病まないようにと声を掛けるが、あまり効果はなかったようだ。
 話を振った手前放置するのも気が引けたのか、更にアドバイスを送った。

「断片的にでも覚えてないのかい?
 登場人物とか、どこかのシーンとか」
「登場人物は辛うじて。
 ですが、どの名前にも聞き覚えがないんです」
「それはないわよ。夢っていうのは記憶の断片ですもの。
 恭ちゃんが自覚してないだけで、マンガやドラマ、は、見ないか、兎に角、表札を見かけた程度でも記憶の一部のはずよ?」

 それまで傍観していた琴絵が話に参加した。食事をしながら会話する事が苦手な琴絵が本腰を入れて話し出した事を不思議に思った一臣が顔を横に向けると直ぐに理由が分かった。きれいに食べ終わっていたのだ。
 美由希が話していた時にほとんど会話に参加していなかったので珍しいと思ったら、面白い話題になりそうだと踏んで食事に専念していたようだ。

「それほど突拍子もない名前ではなかったので、印象に残ってないだけと言われてしまえばそれまでですね」
「参考までにどんな名前か教えてよ」
「何の参考になるんですか…。
 はやてと高町とテスタロッサです」
「3人居たんだ、しかも外人さんまで。
 ひょっとしてみんな女の子?」
「は?
 ええと、姿までは覚えていませんが、印象としては多分そうだと思います」

239小閑者:2017/11/04(土) 11:38:36
 ツッコミを入れながらも素直に口にしたのは、目を輝かせる琴絵の追求を躱すのが困難であることを知っているからだ。勿論、別段隠しておく必要がないというのも理由の一つだろう。
 その答えがどういった事態を引き起こすか想像出来ない訳では無いはずなのだが、琴絵に対する恭也の警戒レベルは格段に低く設定されているようだ。
 恭也が漏らした情報に当然の如く琴絵が、そして少々意外なことに美沙斗が食いついた。

「一人だけ名前で覚えてたってことは一番親しかったのかな?」
「立場の違いから呼び方が違うだけかもしれませんよ?
 恭也、そのはやてさんの名字は覚えているのかい?」
「あっいえ、名前だけしか…」
「と言うことは単に名前で呼んでいただけの可能性は高いね。
 でも恭ちゃんが名前で呼ぶって事は身内だったのかな?姉か妹?」
「その辺りが妥当ですね。
 私としては接する時間が少ないはずなのに身内と同じくらいの印象を与えている2人がどんな人物なのかが気になりますね」
「あの、他人の夢の登場人物でプロファイリングというのは」
「恭ちゃんは黙ってて」
「はい」

 最早、当事者そっちのけである。
 普段穏やかな美沙斗の珍しい一面に静馬が苦笑を漏らす。あまり人前で見せることは多くないのだが、美沙斗も結構な親馬鹿なのだ。
 自分が楽しくてやっている姉の琴絵とは違い、美沙斗は娘の美由希のために真剣に情報収集をしている事を静馬は知っていた。
 視線を転じれば、可愛らしく頬を膨らませている美由希が目に映り静馬は苦笑を深くした。
 夢の中とはいえ恭也が他の女の子と仲良くしているのは嫌なのだろう。

「恭也、夢で見たその女の子たちの特徴を詳しく言うんだ」
「いえ、ですから、人物どころか漠然としたイメージしか残っていないんです」
「恭ちゃん、夢は記憶でしかないの。モデルになった女の子は必ず居るはずよ?
 怒らないからお姉ちゃんに教えて?」
「なんで怒られなくちゃいけないんですか。
 照らし合わせるための人物像が残っていないんですって」
「琴絵さん。
 恭也君も困ってるからその辺にしときなよ」

 見かねた一臣が恭也に助け船を出した。
 だが、恭也が浮かべたのは安堵の笑みではなく苦笑だった。たとえ藁にでも縋りたい心境だったとしても、泥船にしがみつかない程度の冷静さは残っていたのだ。

「カズ君は黙ってて。
 愛する恭ちゃんの心に近付くチャンスなんだから!」
「お願いだから近付かないで。
 それ以前に、その冗談は結構キツいからやめて貰いたいんだけど…」
「そんな!私の愛を疑うの!?」
「今の流れだとその愛の向かう先は恭也君みたいに聞こえるんだけど!?」
「勿論よ」
「あの、琴絵さん。
 祝言を控えている身で、それは流石に一臣さんが可哀想ですよ」
「恭也君…ありがとう!」

 助けようとした相手に逆に助けられている一臣に呆れた視線が集まる。暫く前から周囲の食卓の意識もこちらに向いていたのだ。

「明後日には一生に一度の結婚式…一度だけですよね?」
「どうしてそこで疑問を持つんだ恭也君ー!?」
「恭ちゃんさえ肯いてくれればもう一回くらい!」
「いやあぁ!」
「お兄ちゃん取っちゃダメー!」

 気色悪い悲鳴を上げてのた打ち回る一臣に代わり、我慢できなくなった美由希が参戦した。
 琴絵の活き活きした表情にエスカレートする事を予想した周囲の者が苦笑を漏らす。
 病床生活の長かった琴絵が人との触れ合いに飢えていることは周知のため、余程の事が無い限り止める者はいないのだ。

「いくら美由希ちゃんのお願いでもそれだけは聞けないわ。
 どうしても私から恭ちゃんを奪いたいなら、恭ちゃんが放っておけないようなナイスバディでお淑やかな女の子になることね!」
「なるもん!
 ぜったい、ぜったい、ナイスバデーでおしとやかになるもん!」
「その意気や良し!
 美沙斗には成し得なかった偉業を成し遂げなさい!」
「はい!」
「クッ!」

 満面の笑みでサムズアップする琴絵と決意を表す美由希の横で、美沙斗の悔しげな声が広間に響く。

240小閑者:2017/11/04(土) 11:39:09
 響くはずのないその小さな声が響いたのは、広間が静まり返っていたからだ。
 雲行きが怪しくなり始めると同時に、他の食卓を含めた男性陣は誰一人として視線を向けるどころか物音一つ発していない。流石は気配に敏感な御神の剣士といったところだろう。
 美沙斗が自身のプロポーションにコンプレックスを持っていることも、その事を隠している事も、誰もが知っているためその話題に触れる者は当然いなかった。誰だって自分の命は惜しいに決まっている。
 敢えてその話題を取り上げる琴絵も、長く病床に就いていただけあってプロポーションは美沙斗と大差なかったりする。単に美沙斗と違って開き直っているのだ。

「お兄ちゃん!私、ガンバるね!」
「…まぁ、頑張れ」
「うん!」

 ある意味無邪気な美由希の言葉と共に向けられた美沙斗の澱んだ視線に怯みながらも返答する恭也に、男連中から同情と賞賛の視線が集まる。よく、「俺に振るな!」と言わなかったものだ、と。





 話に夢中になって食事が進んでいなかった美由希が気を取り直した美沙斗に窘められているのを、食後のお茶を啜りながら眺めていた恭也に復活した一臣が話しかけた。

「恭也君があの手の言葉を肯定するなんて珍しいね。それも夢の影響かい?」
「…ああ、さっきのですか。
 動機は何であれ努力するのは良いことでしょう。
 美沙斗さんと静馬さんの娘ですから素材としては保証されている様なものだし、努力を欠かさなければ将来惚れた相手を振り向かせるのに有利になるでしょうからね」
「その相手が恭也君だって可能性もあるだろう?」
「理想通りに成長できれば引く手数多になるでしょうからね。その事に気付けば俺に甘んじていることは無いでしょう」
「人を好きになる理由はそれぞれだと思うけどね。
 でも、それなら恭也君も自分を磨く努力をするべきだろう?」
「…そうですね」

 その答えに一臣は密かに嘆息する。
 耳を傾けていた静馬にも一臣の気持ちが理解できた。
 恭也が肯定の言葉を選んだのは単に追求を避けるためだ。それが分かっているからこそやるせない気持ちに支配される。

 恭也はフィアッセの心が壊れた事を自分のせいだと信じている。
 テロリストが原因だと理解しながら、それを止められなかった自分を責めている。
 恐らく、自分が幸せになることを肯定できないでいるのではないだろうか。
 幼い子供の多くは自分の失敗から目を逸らそうとする。それは受け止められる強靱さも柔軟性も持っていないため、本能的に傷つかないためにとる行為と言えるだろう。
 だが、恭也にはそれが出来なかった。理性が育ってしまったからだ。精神も年齢離れした強さを持っていたが、それでも受け止めきる事は出来なかった。
 恭也の態度に事件の影響を垣間見る度に、子供を守る立場にありながら、それが出来なかったという事実を突きつけられた様で酷く憂鬱にさせられる。
 士郎が飄々とした態度を保ちながらもその事を深く後悔していることを静馬は知っていた。
 現場に居合わせなかった“叔父”の静馬ですらこうなのだ。共に行動していた“父親”の士郎の心情は計り知れない。

「カズ君、暗い顔してどうしたの?」
「え?ああ、大したことじゃないんだ。
 恭也君も少しだけで良いから、兄さんみたいに気楽に生きられたら良いのにって話をしてたんだ」
「ふーん」
「話は変わりますが、琴絵さんはウェデングドレスも似合うと思うので、次は教会式にしませんか?」
「あ、流石は恭ちゃん!良く分かってる!
 じゃあ、気が変わらない内に日取りも決めちゃおっか?」
「待ってー!どうしてまたその話に戻ってるの!?」
「“戻ってる”とは失礼な。ちゃんと先に進めてるじゃないですか」
「そうよ。あとは日取りと招待客と予算を決めれば、大枠は完成でしょ?残りの細かいことはその都度決めていけばいいんだもの。
 ちゃんと練習したからバッチリよ!」
「練習じゃない、練習じゃないよ!明後日のが生涯一度きりの本番だよ!」
「カズ君にとってはそうよね」
「琴絵さんにとってもそうなの!そうでなくちゃ嫌だ!」
「一臣さん、あまりワガママを言って琴絵さんを困らせちゃ駄目ですよ?」
「これ以上苛めないでー!」

 何をやってるんだか。

241小閑者:2017/11/04(土) 11:42:37
 もの凄い勢いで脱線していく会話に、聞き耳を立てていた者が苦笑を漏らす。
 恭也が士郎に憧れ、必死にその背を追いかけていることは誰もが知っている。勿論、それが叶わず悔しがっている事もだ。
 性格面に関しては是非ともこれ以上近づくことなく、今の恭也のまま育ってくれる事を願っているのは静馬だけではないはずだ。士郎との掛け合いや、偶に一臣をおちょくる姿を見る限り既に手遅れな感も否めないが、それでもこれ以上は、と切に祈ってしまう。
 恭也自身も士郎の豪放磊落な性格に振り回された経験が何度もあるはずなのに、その面すら真似たがるのは何故だろう?あるいは、振り回されているからこそ振り回す側に立ちたいのだろうか?
 そんな訳で恭也は士郎と比較されることを嫌っているのだが、それが分かっているはずなのに一臣はちょくちょく口を滑らせて似た様な発言を繰り返すのだ。
 大概の皮肉や揶揄を受け流せる年齢不相応な恭也が、ほぼ100%ムキになる内容だから、一臣もわざとやっているのかもしれない。毎回手痛い反撃を食らっているので、かなり疑わしいのだが。
 何より、美沙斗の話では、恭也が士郎の真似をし始めた時期は、以前一臣がちゃらんぽらんな士郎を揶揄して「本当に兄さんが恭也君の父親なのか疑わしい」といった不用意な発言をした頃と重なっている、とのことだ。
 余計な事を。時間が戻ることなど無いだけに、どうしてもそう思ってしまう静馬だった。



 そんな日常風景になりつつある光景が展開している大広間に、誰にも察知されずに入室してきた者がいた。
 恭也の十年後の姿と言われれば疑う者がいない位に似た容姿ながら、決定的に違うと言えるいたずら小僧の様な表情を浮かべた人物。

「おかえり、士郎さん。今回は何だったの?」
「野暮用だ。
 それより随分賑やかだな。なんかあったのか?」

 この距離まで気配を察知させない穏行を意識することなく行う士郎に、まだ気付いていない一堂に知らせる意味も込めて静馬が声を掛けると、気負った風もなく答えが返ってきた。
 日常において士郎が焦りや緊張を帯びている姿は、付き合いの長い静馬でさえも数えるほどしか見たことがない。
 士郎のこの態度は生まれながらの性格に因るところが大きいが、2割ほどは恭也を安心させる為に意識してとっていることを静馬だけが知っていた。
 あの事件に影響を受けたのは、なにも恭也だけではないのだ。

 朝から何処か様子のおかしかった恭也も士郎の姿を見たことで少しは落ち着いただろうか。そんな事を思いながら恭也に視線を移した静馬は、目を見開き完全に固まっている恭也の姿を見て呆気にとられた。

「…ぅっ、あ カハッ、あ」

 精神的な衝撃を受けた者が見せる、呼吸もままならないほどの重度のショック症状。
 頭の片隅で思い浮かべたその説明を恭也の状態と直結させる事が出来ない。つい先ほどまで一臣達と漫才を繰り広げていた姿と今の恭也が繋がらないのだ。
 呆然としている者たちの中で、唯一人、士郎だけが即座に恭也に駆け寄った。

「恭也!おい、どうしたんだ!?恭也!」

 肩を掴み強く揺さぶると、焦点を失っていた恭也の目が士郎を捉えた。
 蒼白になった顔色のまま、たどたどしく絞り出すように呟く声は、恭也のものとは思えないほどか弱いものだった。

「父さん、なのか…?」
「ああ、俺だ!不破士郎だ!」
「…じゃあ、ゆめ、だったのか?あれが?…あんなにがんばってた、くるしんでた、あいつらが…ぜんぶ、ゆめ?
 でも、…だって、ここに…」

 溺れる者が縋りつく様に、何の加減も無く士郎の二の腕にしがみつく恭也の指がジャケットを破り、肉に食い込む。
 恐怖に歪み、今にも壊れそうな、消えて無くなりそうな恭也の肩を力強く掴んだまま、滴る血も肉を引き裂く痛みも歯牙にかけず、言い聞かせるような力強い士郎の言葉が広間に響いた。

「俺は、此処にいるぞ!」
「ッ!」

 感電したかのように体を大きく震わせると、恭也はゆっくりと士郎を掴んでいる腕を伸ばし、距離を空けた。
 砕けそうなほど奥歯を噛みしめ、揺れる瞳で見つめてくる恭也を、士郎も力を込めてしっかりと見つめ返す。

242小閑者:2017/11/04(土) 11:43:12
 どれほどそうしていただろうか。
 静止した時間を動かしたのは、何かと葛藤していた恭也だった。

「お願いが、あります」

 絞り出すように告げる、幾らかの理性を取り戻した声は明らかに震えていた。

「もう、俺には何が本当なのか、分からない…」

 一言ずつ区切るように、声に出す。

「だから、確かめさせて、下さい」

 身を引き裂くほど辛くとも、逃げ出す事が出来ない在り様は、如何に立派であろうと幸せとは言えないだろうに。
 自分では恭也を変えてやることは出来ないのかと、無力感に苛まれながらも、表に出すことなく士郎が応える。

「何をすればいい?」
「俺と、試合って下さい。
 その結果に、従います。もう二度と、疑わないから。
 だから、お願いします」
「…分かった」







 恭也の反応は、それほど意外なものではなかった。
 流石にショック症状は想定していなかったが、顔を見せれば封じられていた記憶を触発する事になるのではないか、とは思っていたのだ。
 封印が弱かったのか、封じた記憶の印象が強過ぎたのか、精神力が強過ぎるのか。理由こそ定かではないが、記憶を取り戻したことは疑いようもない。
 だが、恭也は記憶を呼び覚まされて尚、どちらが現実なのか分からず混乱してしまった。どちらも鮮烈なのだろう。血塗れで倒れる自分の姿や恭也のために心を痛めてくれる少女たちの姿も、リアルに五感に訴えてくる今体験しているこの世界も。

 てっきり、恭也なら此処が夢だと気付けば、すぐさま現実世界に引き返すと思っていた。
 夢から覚めることは難しいことではない。夢だと認識し、決別するだけでこの世界は壊れてしまうのだから。
 やはり、実際に触れ、確かめる事の出来る世界が夢だとは思え難いということか。自惚れるなら、自分達が死んだという事実が受け入れ難いというのも一因かもしれない。
 仮に、恭也がこの世界を選んだとしても、誰にも責められる事ではないだろう。あいつはもう十分に苦しんだ。もしも責める者がいたら、そんな奴を斬り捨る事に躊躇するつもりはない。

 それより、一つだけ気がかりなことがある。
 それは、どちらの世界を選んだとしても、恭也が喪失する悲しみを追体験するだろうという事だ。
 それがどちらであれ、結果的に恭也は現実と認めた世界の人々のために夢と定めた世界の全てを切り捨てる事になる。そして、切り捨てる事で負う心の傷を、周囲の人間にも気付かせまいと隠し続けるだろう。
 酷な事をする。
 良かれと思ってこの世界を構築したであろう彼女には悪いが、それが素直な感想だった。


 士郎は自室で一人、装備を調えながら物思いに耽り、そんなことをつらつらと考えていた。
 自室を一歩出た瞬間からその身を戦闘者へと切り替えなくてはならない。考え事を抱えたまま対峙出来るような易しい相手ではないのだから。
 恭也との手合わせは何度も行ってきた。手合わせする度に前回を上回る何かを身につけている恭也を見るのは、本当に心が躍る。
 恭也は未熟だ。
 年齢を遙かに越える実力を身につけているし、“御神の基準”においても、師範には届かずとも十分に一人前と呼べる力量を身につけている。
 それだけの実力を身につけて尚、“未熟”なのだ。
 成熟した暁にはどれほどの剣士になっているだろう。十年に一人の天才と言われた静馬や自分を越える日はそれほど遠くはないはずだ。
 だが、此処に残れば成長は止まり、向こうに帰れば見られなくなる。どちらであっても、その時の姿を見られないことが心残りではあった。
 苦笑が零れる。
 誰に文句を言っても仕方ないと分かっていながらこれほど執着するとは。
 最近まで自分は比較的割り切りが良い方だと思っていたが、恭也のことになるとどうにも調子が狂う。
 親馬鹿になったものだ、と思う。夏織に赤子を押しつけられた当初はあれほど“面倒事を押しつけやがって”と身勝手にも憤慨し、途方に暮れていたというのに。

243小閑者:2017/11/04(土) 11:45:08
 大きく息を吐き出し、随分と脱線してしまった思考の軌道を修正する。
 道を見失い途方に暮れた恭也が、標として自分を頼ったのだ。不肖とはいえ、親を名乗る身として是が非でもその信頼に応えなくては。
 そう思いながらも、士郎は恭也が具体的に何を自分に期待しているのか分からずにいた。
 手合わせの結果に全てを委ねると言っていたが、勝敗でどちらの世界が現実か決める、などという短絡的な結論をあの恭也が出すとは思えない。そもそも、現時点の恭也の実力では士郎には勝てない事は恭也にも分かっているはずだ。
 勝てない筈の士郎に勝つことが出来れば此処が夢の世界だと言う証拠にはなるだろうが、逆に士郎に負けても現実である事の証明にはならないのだ。それでは“確認”というより“ギャンブル”と変わらない。
 それが“不破恭也”の選択とは到底思えない。
 だから、士郎はそれ以上考えないことにした。
 思考の放棄ではない。恭也が指標として“自分との手合わせ”を選んだ以上、それに全力を注ぐ事こそが、恭也の期待に応える事になると考えたのだ。
 それがどんな結論だったとしても。


 襖を開けて、一歩踏み出す。
 深呼吸や瞑想も必要とせず、その一歩で不破士郎は、不破恭也が師と仰ぐに足る最高の剣士に変貌する。
 それが、あの日自身に課した、恭也への贖罪だった。



 士郎が離れにある道場の入り口に立つと、中央に恭也が一人で佇んでいた。流石に「何時でも何処でも」行ってきた今までとは違い、今回は奇襲や不意打ちは無いようだ。
 趣旨からすれば当然の様にも思うが、逆に御神の剣士としての試合を望まれている事を思えば油断出来ない。別にシャレや冗談で卑怯な手段を採る訳ではないのだから。

「待たせたか?」
「いえ」

 恭也の対面へと士郎が移動するまでにそんな短い言葉を交わしただけで、5mほどの距離を隔てて対峙した後は互いに自然体のまま無言の時間が経過していく。
 道場には2人の他には誰もいなかった。
 だからといって、誰かを待っている訳でも開始の合図を必要としている訳でもない。
 実際には、無言のまま、身動ぎもせずに2人の戦いは始まっていた。

 一般人であればそれだけで気を失いかねないほどの殺気を濁流のように叩き付けてくる恭也に、眉一つ動かすことなく平静な視線を返す士郎。
 どちらにとっても特筆するべき事ではなく、そもそも殺気をぶつける事そのものは恭也にとって手段でしかない。
 唐突に恭也の殺気が途絶えた。
 ブツ切りにされた気の空白によって、苛烈な殺気に晒されていた士郎の感覚が恭也を見失う。同時に高速機動と巧みなフェイントで視覚的にも姿を眩ませながら距離を詰めた恭也の右手が腰から模造刀を抜刀し、動じる事無く抜き放った士郎の模造刀が正面からぶつかり合い甲高い金属音を響かせた。

 恭也の使った手法は別に恭也のオリジナルという訳ではない。古くからある技法の一つと言ってもいい。
 ただし、誰にでも使える訳ではないことも事実ではある。
 明るい部屋で突然照明を消されれば、目が暗さに慣れるまで見えなくなるのと同じ様な原理だ。つまり、叩き付ける殺気が苛烈であるほど、また殺気を消しきるまでの間が短時間であるほど効果が大きい。ONとOFFの落差の大きさこそがこの技の要だ。
 随分前から使って見せていた技の練度が増しただけ。言葉にすればそれだけの事であっても、一朝一夕で出来ることではないと分かっているだけに、やはり感嘆の念と同時に苦い思いが湧いてくる。
 本来これは子供に使える技術ではない。体術とは違い、見ることが出来ない分だけ修得が難しいというのが大きな理由だ。
 憑かれた様に鍛練に没頭していた時期に、四六時中肉体を虐め過ぎて体が壊れないように与えた課題。それを、鍛練以外の全ての生活時間中に行った結果が、今の恭也だった。
 生活の場の全てが鍛練。そうでなければ恭也の年齢でこの実力はあり得ない。だが、そんなことをすれば普通は精神が持つはずがない。それでも、説得して止められず、無理強いすれば精神が病みかねなかった。
 精神が壊れる前に自分を許せるようになる方に賭けるしか選択の余地がなかったのだ。感情が凍り付いていた事が賭の勝利の最大要因であることは皮肉以外の何物でもないだろう。

244小閑者:2017/11/04(土) 11:50:22

 士郎に感傷に浸る暇を与えまいとするかのように恭也の攻勢が続く。二刀を巧みに操り、息つく暇も無いほどの連撃を浴びせ続ける。四割ほどの確率で含まれる“徹”の威力も申し分ない。

 徹は刀の運動エネルギーを効率よく衝撃に変換する技術であるため、攻め手は同じダメージを与えるのに小さな力で済ませる事ができ、受け手は刀が接触した時点で衝撃が伝播するため受け流すことが難しいという特性を持つ。
 体格が小さく体力にも劣る恭也にとっては喉から手が出るほど欲しい技能だったこともあり、修得したての頃は斬撃の全てに徹を込めていた事があった。
 だが、如何に徹が技術的に威力を上げるものとはいえ、特殊な振り方である以上、通常の斬撃よりも消耗する。そして、徹を受け止めても尚、士郎の体力は恭也のそれを上回っていた。
 その反省を踏まえて、恭也は徹を込める割合を減らした。混ぜるだけで十分に効果がある事に思い至ったからだ。
 攻撃を受け止めるには威力に相応する力を込める必要があるが、徹が込められているかどうかは受けるまで分からない。力が不足していれば刀を弾かれてしまうため、無駄になろうと全て徹を受けられるだけの力を込めて防御するしかない。
 速さを信条とする御神の剣士と斬り結ぶ者にとっては、力の消耗よりも筋肉を硬化させる事で発生する動作の硬直時間の方が深刻な問題となるのだ。


 道場内を剣戟と床や壁を蹴りつける音だけが響き続ける。
 御神の剣士の戦いでは気迫を声に表す事が少ない。奇襲や隠密行動を前提とした戦闘スタイルなので必然的に声を抑えた戦い方になるのだが、この2人は本当に呼気以外漏らさない。
 恭也の姿が士郎の眼前で霞んで消える。開戦直後に行った気殺による認識阻害、その簡易版だ。それでも戦闘中に鋭敏になっている感覚は気殺の直前に叩きつけられる凶悪な殺気に中てられて瞬間的に恭也の気配を見失う。そして絶妙のタイミングで巧妙なフェイントを交えて左右へ、時には意表を突いて正面へと移動し、諦める事無く斬撃を放つ。
 徹の込められた斬撃を受け続ける事は如何に体力で勝る士郎とて容易な事ではない。それでも、表情を歪める事も動作を澱ませる事もなく全ての攻撃を受け続ける。
 対する恭也も放った攻撃を悉く受け止められながら、焦りも苛立ちも見せない。
 格上だから防がれて当然。
 そう思っているのか、単に内面を隠す事に長けているのか。どちらもありそうだ、と内心だけで苦笑していた士郎は、恭也の斬撃の軌道が前触れも無く変化した事を目敏く察して慌てる事無く受け止める。
 そうして平静を装いながら、やはり感心させられる。
 注意の引き方も軌道の変化もぎこちなさの無い実に滑らかなものだ。“貫”も十分に実戦レベルと言える錬度になったな、と。
 ただ、徹と同じく貫もアッサリ受け止めて見せたにも拘らず、やはり恭也に落胆した様子は無い。
 確かに今までも受けて見せていたし、同門である以上互いに手の内は知られているのが前提だから今更かもしれないが、恭也なりに上達している実感があるはずの技を防がれ続ければ何かしら思うところはあるだろうに。
 逸れかけた思考を引き戻し、士郎はいっそう気を引き締める。油断などした事はないが、もはやいつ不覚をとってもおかしくはないほど実力差はなくなってきているのだ。

 “貫”と一括りにしてもいくつかの種類がある。
 一番単純な物が手品と同じ要領で、上体への攻撃で意識を上に集めておいて足払いを掛けるといったもの。
 次に剣筋を変えるもの。
 普通の人間の動態視力では、斬撃中の刀身を見ることは出来ない。せいぜいが残影、刀が通過した後の光の軌跡が目に焼きついていたものだ。仮に刀身を肉眼で捕らえられたとしても見てから動いていては防御も回避も間に合わない。
 だから、足捌き、胴体、肩、腕の振り、視線、間合い、あらゆる兆しを総合して刀の軌道を予測する。刀身そのものを目で見て捕らえたとしても、その情報は最後の微調整にしか役立てることは出来ないのだ。
 そして、通常は熟練するほど剣筋がブレることは無いため、予測と現実との差違が埋まれば以降は反撃の糸口を探るためにどうしても注意が薄れる。だから、刃をバネで飛ばすナイフのような、軌道を変化させる手段が有効になる。

245小閑者:2017/11/04(土) 11:54:05
 刀身を無くしては戦えなくなるため、御神流では腕の振り方までは変えることなく、手首を返し、握りを変えることで拳一つ分剣線をずらす。せいぜいが50mm程度の変化だが使いようによっては十分な効果を発揮する。
 握りが弱くなるため威力は格段に低下するが、敵の防御を掻い潜る事を目的にしているのだ。低下したところで、人間の皮膚を切り裂くには何の問題もない。
 更に、無数の斬撃の中に一定のパターンを繰り返す事で敵に覚えさせるものもある。
 例えば、右の袈裟切りの後に必ず左の薙払いを放つことで、そのパターンを敵に覚え込ませる、あるいはそういう癖を持っていると思わせて、手首の角度だけで定位置に来た敵の防御をかわして切りつける簡易版の誘導型だ。
 最後にその発展型となる体捌きにより思考を誘導するもの。
 先述した通り、斬撃は刀の軌跡だけ見ていては対応が間に合わない。踏み込みから肩の振りまで総合して予測する。それは言い換えれば自身の体の動きで敵の予測を誘導出来ると言うことだ。対戦中に敵がどの動作のどんなポイントに重点を置いて予測しているかを見極め、敵の動作を、意識を、思考を誘導する。
 勿論、言葉にするほど簡単な内容ではない。予測する、と言うことは、敵は“そのプロセスを踏めばその攻撃しか出来ない姿勢になっている”と確信しているのだ。自分と同等以上の実力を持つ者を相手にして、その予測を覆す事など普通に考えれば出来る訳がない。
 だから、出来なくて当たり前。僅かでも敵の予測に誤差が生まれれば、あるいは敵の注意が一カ所でも薄れれば儲けもの。
 “貫”とは総じて、その一撃が決定打にならずとも敵を動揺させる事が出来れば十分な成果と言えるし、警戒させ意識を分散させる事が出来るだけでも見せる価値はあるのだ。



(また、腕を上げたな)

 嬉しさと苦さが等分に士郎の胸を占める。
 恭也は辛い事があると鍛練に没頭する。「辛い現実」が「自身の非力さ」と直結することが多いため、現実からの逃避なのか真っ向から立ち向かおうとしているのかは、俄かには判断出来ないのだが。
 この二ヶ月ほどの期間でこれほど腕を上げたとなれば、本当に鍛練漬けだっただろう。
 恭也にとっての幸せとは何だろうか?
 そんな思考が掠めたのを最後に、士郎は感情を締め出して攻撃に転じた。

 士郎が攻勢に出たのに合わせて恭也の行動パターンも変化する。
 士郎が押せば引き、引けば押し、時には押しても押し返してくる。士郎の攻撃を受け、流し、躱す。柔軟に対応し、無理な攻防で動きを破綻させる事もなく、しかし時には強引に流れを断ち切りにくる。
 攻撃面の成長と同じだけ防御・回避技能も錬度が格段に上がっている事に満足しながら、士郎も一手づつ積み上げていく。まだ負けてやるわけには行かないのだ。

 目まぐるしく攻守が入れ替わり、徐々に士郎の攻撃時間が長くなる。
 圧倒的な速度という訳ではではない。
 圧倒的な膂力という訳ではではない。
 ましてや、奇抜な技術を用いている訳でもない。
 それでも恭也は士郎に押されていく。
 時には最短に、時には迂遠に、時には緩やかに、時には迅速に。剣閃が、踏み込みが、回避が、防御が。
 速さも力もほぼ同等。今の恭也ならトレースすることが出来るレベルだ。つまり、選択の違いが天秤を傾ける要素なのだ。

 恭也の実力を見るために敢えて受け続け、その後僅かに上の技術を示してみせる。それが恭也と手合わせをする時の士郎のスタイルだった。
 恭也はその違いを省み、盗み、改善する。
 士郎は手取り足取り教えた事はない。それは他の者に任せていた。
 ただ、強く在る事。高い壁であり、目指すべき頂で在り続ける事。それが士郎が自らに課した役割だ。

「ック、ゥッ」

 恭也の食いしばった口から声が漏れる。

「…おぉ、アアアアァァ!」

 その声が己を鼓舞するがごとき雄叫びに変わっていく。
 珍しい、そう思いながらも士郎は呑まれる事も釣られる事もなく捌き続ける。
 鼓舞した事で勢いを盛り返し、しかし、無理に攻勢に出た事で生まれた僅かな隙を衝かれて、側面に回り込んだ士郎の刀が恭也の首筋に突きつけられた。

246小閑者:2017/11/04(土) 11:56:13
「ここまでだ。
 まだまだだな」

 それは手合わせ終了時に士郎が告げる定型句だ。
 この一言を口にするために自分を鍛え続けているという気もするな。そんな感慨に耽りながら納刀する士郎の感覚に、世界に亀裂が入る音が聞こえてきた。

「…え?」

 あまりにも唐突な事態の推移に士郎の思考が追いつかない。
 確かに恭也は手合わせの結果でどちらが現実か判断すると言っていたが、士郎には前後の脈略がどう繋がっているのかすら分からなかった。

「おい、恭…」

 恭也が決別した以上、その事に異論を挟むつもりはないが、未だに判断基準を聞いていなかった士郎は逸らしていた視線を恭也に向けて言葉を途切れさせた。
 視線を道場の敷き板に固定したまま顔を歪め、歯を食いしばって何かに耐える恭也を見て、悟る。

(これ以上言葉を交わせば恭也の辛さが増すだけ、か)

 それなら、黙したまま別れるべきか。
 そう結論づけようとした士郎に異を唱えたのは、歯を食いしばっていた恭也本人だった。

「永全不動八門一派 御神神刀流小太刀二刀術 不破恭也!」
「!?」

 先程の雄叫びを超える声量で叩きつけるように士郎に向かって名乗りを上げる恭也に、今度こそ士郎は呆気にとられた。
 恭也の意図が分からない。
 名乗り上げる意味も距離を開いた理由も猛烈な気迫も懇願するような視線も何もかもが分からない。

(そもそも何の為に名乗りを上げた?
 さっきまでの恭也は間違いなく全力だったし、俺がそれを疑ってない事くらい分かってる筈だろ?
 …!)

「永全不動 八門一派 御神神刀流 小太刀二刀術 師範」

 士郎は、名乗り上げに恭也の表情に僅かな喜色が浮かんだ事に気づいて安堵した。

(そうか。
 最期だもんな)

「不破士郎」

(俺の全力を見せてやる!)

『参る!』

 声を重ねた2人は直後に中間地点に到達、同時に抜刀。

 御神流 奥義之壱 虎切!

 微塵の加減もされていない虎切に模造刀が悲鳴と火花を散らし、威力と体格で劣る恭也を弾き飛ばした。
 士郎は即座に神速を発動。
 意識が加速する事で相対的に時間感覚が遅くなり、粘性の増した空気を突き破りながら、モノクロの世界を駆ける。
 全力を見せると宣言した以上、出し惜しむつもりはない。恭也も神速の領域に踏み込んでいるのだ、無様な真似など出来るものか!
 神速を発動していながら崩した体勢を通常の速度領域で立て直していく恭也に、容赦なく士郎が切り込む。潔く防御と回避に全力を注いだ恭也が、辛うじて士郎の攻撃をやり過ごした。これだけの速度差がありながら右太股と左頬の裂傷で済ませた恭也の手腕は瞠目に値する。

247小閑者:2017/11/04(土) 11:58:27
 恭也が神速の領域に達したのは1年ほど前の事だ。
 鍛錬中、本人も無自覚に踏み込み、そのまま引き延ばされた時間感覚に合わせて無理矢理動こうとした結果、完成していない肉体が破綻した。
 骨折と筋肉の断裂と肉離れ。再起不能になるほど深刻なものでこそなかったが、3週間の入院が必要になるほどの重傷を負った。
 以来、恭也には肉体が耐えられるほど成熟するまで神速を禁じていてる。本人も体を壊すつもりはないから、と答えたが、士郎は重ねて“意識の加速”そのものを禁じた。
 肉体が高速機動に耐えられないのなら、意識だけ加速させて肉体は通常機動をとれば問題はない。戦闘中、意図的に意識を加速出来るというアドバンテージは、同等の技能を備えた敵に対してい絶大な効果を発揮するのだ。敵の動作をつぶさに観察出来れば虚実も見抜けるし、行動に合わせて手を変えることも出来るだろう。
 病院のベットで神速の用途を模索していた恭也に、士郎は禁じ手とする様に伝えた。それが剣士としての上達を妨げる事になるから、と。
 神速は特殊な技能ではあるが、御神の剣士の専売特許ではないのだ。系統立てて鍛えることが出来る流派の存在を耳にした事はないが(存在したとしても吹聴して歩くはずはないが高速行動を目撃されれば噂位にはなるものだ)、ずば抜けた才能を持つ個人にそれが出来る可能性は十分にあるのだ。
 恭也もその説明で納得したようで、任意で神速に入る訓練をしながら、戦闘訓練中に意識を加速させる事はなかった。


 その恭也が、今、意識を加速させている。
 だが、神速を使うことを今更とやかく言うつもりはない。恭也なら自分の体と折り合いをつけてやっていくだろう。
 今、士郎が集中すべき事は全力を尽くすことのみ。
 神速が解けた士郎は即座に再度神速に入る。
 太股に傷を負った恭也には時間が経つほど高速機動が難しくなる。ならば、動けなくなる前に、圧倒的な実力差でねじ伏せる!
 二刀を納刀しながら床を蹴りつけ間合いを潰す。予想していたのか恭也は動くことなく士郎を迎え撃つために納刀した小太刀に両手を添えて居合いの構えをとっていた。
 正面に向き合った状態で2人同時に抜刀。

 御神流 奥義之睦 薙旋!

 抜刀により加速した2撃と、薙払いの勢いのまま回転することによる複雑な捻転と慣性により加速した2撃を合わせた4連撃を瞬時に叩き込む。
 ギギンッ!という金属同士が奏でる悲鳴と床を踏みつける足音を最期に道場が静寂に包まれた。
 静寂の中、抜刀からの2連撃で右の小太刀を叩き折られ、左の小太刀を弾き飛ばされた恭也が、首筋と胴体に刀を突きつけた士郎に見据えられていた。




「いくつか聞きたい事がある」

 その姿勢のまま口を開いたのは士郎だった。

「どうして、ここが夢だと確信出来た?」
「…結婚式の前の俺には不破士郎にあれだけの力を出させることは出来ないんです」
「なるほど、な。本当に“指標”だったんだな」

 恭也の返答に少々迷いながらも素直に喜んでおくことにして、本当に確認したかった事を口にした。

「じゃあ、もう一つ。
 …やっぱり、夢じゃあ満足出来ないか?」
「違う。そんなんじゃあないんだ。
 …はやてを起こそうとしたのは、それがはやての意志で選んだ結果じゃなかったからです。はやて自身の選択の結果であれば口出しする気はありませんでした」
「それなら、どうして?
 おまえもここに魅力を感じたからこそ、あんなに迷ったんだろう?」
「…俺が取り込まれたことはみんなが知っているんでしょう?
 高町もテスタロッサも俺が帰ると信じていると思う。それじゃあ、帰らなければ心配させる」
「心配、させる?」
「いくらあいつ等でも、気を逸らしていて勝てる相手じゃないはずです。俺のわがままにあの2人を巻き込む訳にはいきません。
 はやても目覚めていれば気に病むでしょう。元居た世界を模倣している場所に俺が留まっていると知れば尚更」

 その答えを聞いた士郎は、突きつけたままになっていた小太刀を鞘に納めた。
 やっぱり恭也は解放されていなかった。予想していた事ではあるが、やはり突き付けられれば胸が締め付けられた。

248小閑者:2017/11/04(土) 12:00:56
 自分自身を肯定出来ない。自分の価値を信じられない。
 遊ぶ事も笑う事も出来ずに戦う力を練り続ける、そんな子供が健全である訳がない。
 ずっと、何とかしたいと思っていた。専門家にも相談したし、出来る限りの手は尽くした。その甲斐あってか、実際に以前よりは余程マシになったと思う。時間さえあればきっと回復出来る、そう信じられる兆候もあるのだ。

 時間さえ、あれば…

 光が溢れ、道場の壁すら見えなくなった周囲を睨みつけることしか、士郎には出来なかった。
 自分の無力さに絶望するのは何度目だろうか?
 結局、恭也を泣かせてやることすら、出来なかった。

「…済みません」
「ッ!
 ッカヤロウ!何でおまえが謝るんだ!?」
「この世界があれば、あなた達も…」
「やめろ!
 お前が気に病む必要なんか無いんだ!ここは夢の世界だ!儚く消えて当然だろうが!」
「だけど!」
「うるせー!
 だいたい、なんで敬語なんか使ってんだ!?」
「っ!」

 話を逸らそうととっさに口にした言葉に恭也が息を呑んだ。意外な態度に士郎が怪訝な顔を恭也に向けると、逆に顔を背けた恭也が言い辛そうに口を開いた。

「…父は死にました。俺を庇って死んだんです。
 俺はあの人以外を“父さん”とは呼びたくありません」

 呼びたくない。
 義務でも、理屈でもなく、感情を基にした拒否。
 命を賭して守ってくれた父親の代わりなど望むつもりは無いということか。
 あるいは、ここにいる不破士郎を父親と認めることで、二度も今生の別れを体験したくないのかもしれない。
 他人のためにたくさんの物を譲った後ではあるが、少しは自分の感情を省みようとしている。そのことに少しだけ安堵した。
 …それが父親への思慕であるのは、気恥ずかしくはあるが。
 まったく。口は達者になってきたと思っていたが、こういう場面では結局素のままか。こいつの恋人になる女の子は苦労するな。
 そんな思考で何とか気を逸らす。男親として別れ際に涙を流すような真似だけは絶対に出来ない。

 ふと、良く似た他人というシチュエーションの方が伝えなくてはならない言葉を口にし易いことに思い至った。
 気付くと恭也の顔も光に埋もれて霞んでいる。もう、時間がない。伝えるべき事を伝えなくては。

「恭也君」
「っ!」
「何かの縁で俺の息子に会うことがあったら伝えて貰えないか?」
「…何を、ですか?」
「別れ際に“死ぬな”なんて後ろ向きな事言っちまったから訂正したかったんだ。
 幸せになれって」
「!」

 驚きに恭也が自分の視線を正面から受け止めていることを霞む視界の中で確認すると、ありったけの想いを込めて言葉を足した。

「無理に生きろとは言わないし、生きるために辛い思いをしろとも言わない。
 ただ、振り返って幸せだったと思えるように、自由に生きろ」
「…と、とうさ」

 言葉の途中で恭也の存在がこの場から消えた。そのお陰で醜態を晒さずに済んだ事に、士郎は僅かに安堵した。

249小閑者:2017/11/04(土) 12:02:18
 恭也の消失と同時に恭也の記憶を核として構成されていたこの世界の崩壊が加速していく。
 士郎は自分の存在も霧散していく事に気付いていながら、拘泥することなく背後の気配に穏やかな声を投げかけた。

「悪いな、俺ばっかり」
「狡い、と言いたいところだけど、恭也くんの御指名じゃあしょうがないな」

 士郎の言葉に、居並ぶ一同を代表して静馬が答えた。

「お兄ちゃん、幸せになるよね?」
「うん、きっと大丈夫。
 一人では無理だとしても恭也を幸せにしてくれる子が居るみたいだしね」

 恭也との別れに涙を流す美由希は、自身の消失を自覚しながら一心に恭也を案じていた。
 悲しみ、傷付いた恭也を幸せにしてあげたい。美沙斗はそう打ち明けてくれた愛しい娘を背後から抱きしめる。

「恭ちゃんみたいな息子を生みたかったのになぁ、ざーんねん」
「来世では一緒にその夢を叶えよう」
「えぇー、来世では恭ちゃんのお嫁さんの方が良いなぁ」
「そりゃないよ、琴絵さーん」

 形を失いながらも変わらない一臣と琴絵のやり取りに苦笑しながら、士郎がこの場を去った恭也に語りかける声を最後に、全てが光の中に融けていった。

「じゃあな、恭也。
 思うままに、自由に生きろよ」








続く

250小閑者:2017/11/04(土) 12:14:22
第23話 夜明




「バスター!」
【Divine buster, extension】

 愛らしい顔立ちを凛々しいと呼べるほど引き締めた栗色の髪をした少女の、子供特有の高い声が響き渡る。紡がれた言葉と共に放たれた女の子らしい桃色をした一条の光は、それらとは裏腹に莫大な威力を秘めて虚空を貫く。
 地球上に住まう生物が単体で発揮するには明らかに異常で過剰な威力を持つその攻撃は、しかし、標的にされた銀髪の女性が翳した右掌に届くことなく、僅かな空間を置いて鬩ぎあっていた。
 生半可な威力ではないことは、その炸裂音から容易に想像出来る。それでも、翳した掌に揺らぐ様子は無い。
 その構図は、単純であるが故に、2人の実力差を如実に顕していた。このままどれだけの時間を費やしたとしても、銀髪の女性に攻撃が届くことは無いだろう。
 それを理解しているからこそ、闇の書の管制人格である銀髪の女性に動揺はなく、それを理解していて尚、攻撃を防がれているなのはにも焦燥は浮かばない。
 どれほど実力差を突きつけられたとしてもなのはには焦る必要はないのだ。彼女には心強い仲間が居るのだから。

「ハーケンセイバー!」
【Haken Saber】

 闇の書の直上からなのはが信頼を寄せる金髪の少女が、近接武器の射程からほど遠い距離から光刃の鎌を振り抜く。
 柄から分離した光刃が高速回転しながら襲撃してくるのを視界に捕らえながらも、なのはの攻撃を防いでいる闇の書には回避行動をとることは出来ない。それでも、彼女はその怜悧な美貌を歪めることなく空いている左手を上空へと翳した。

「盾」
【Panzerschild】

 闇の書が展開した盾は顕現するのと同時に光刃と接触、回転鋸のように激しく音と光をまき散らしながら拮抗し、しかしなのはの砲撃同様、盾を切り裂くことは叶わず、光刃は彼方へと弾かれた。
 だが、そうなることは承知の上。
 腰まである金髪をはためかせながら光刃を追って間合いを詰めていたフェイトは、デバイスに再展開した光刃で直接闇の書の盾に切りつけた。同時にバルディッシュが自律で光刃を強化する。

【Haken Slash】

 AAAランクとSランクという階級差がある以上、一対一で出力を競っても勝ち目など無い。だが、なのはとの二面からの同時攻撃であれば、力を分散させざるを得ないはず!

「甘く見られたものだな」
【Schwarze Wirkung】
「!?」

 小さな呟きを耳にした事で意識を眼前のシールドから闇の書に移したフェイトは、彼女の右腕に収束する魔力に気付いて思わず息を飲んだ。

251小閑者:2017/11/04(土) 12:16:48
 シールドの発動に“手を翳す”というアクショントリガーを設定する者はまずいないため、その行為には術者のイメージ補強以上の意味は無い。フェイトはそれを承知しているから翳していた手を動かせる事を不思議には思わなかったし、いかにもオーソドックスな射撃型の闇の書が近接攻撃を選んだことに驚いている訳でもない。
 今、闇の書が展開しているシールドは一つのシールドの防御面を広げたものではなく、明らかに二つの独立したシールド魔法を起動したものだ。そこにさらに魔力付与、しかも疑うまでもなく属性か効果付加の込められた高度なものを発動した。
 いくらマルチタスクが魔導師の基本技能と言っても、既に常駐型の魔法として、バリアジャケットを纏い、恭也を内部空間に閉じ込めているのだ。その状態で飛行魔法とAAAの攻撃に揺らぎもしない高出力のシールドを二つ展開しているのに、更に高度な魔法を追加出来るなんていくら何でも反則だ。

 それは、魔力保有量や瞬間放出量も去る事ながら、人間は勿論、ハイスペックを誇るバルディッシュやレイジングハートを圧倒するほどの演算処理能力をこの魔導書が持っている事を示していた。

 フェイトが動揺を表した瞬間、闇の書はフェイトに向けていたシールドを消去し、体の流れたフェイトの光刃を躱しながら位置を入れ替えて右拳を振りかぶった。
 とっさにバリアを展開しながら、引き寄せたバルディッシュで拳を受けようとしたフェイトの反応速度は評価に値するだろう。同時に闇の書の背面側から十数発の桃色の光弾が飛来した。魔導師としての常識が身に付いていないがために闇の書の魔法の同時起動に動揺しなかったなのはが砲撃を中断して放ったアクセルシューターだ。
 だが、読み合いには闇の書に一日の長があった。
 なのはの砲撃が終了すると、闇の書は即座にシールドを消去してバリアを纏う事でなのはの誘導弾を受け流した。そのまま威力増加の他にバリアブレイクの効果を付与した右拳をフェイトに向かって振り下ろす。

 バキーン!
「っぁあああ!」

 硬質な破砕音を周囲に響かせながらバリアを破壊、デバイス越しにフェイトを海中まで弾き飛ばした。

「フェイトちゃん!」
【マスター!】
【Blutiger Dolch】
 ドドドドン!
「きゃあああ!」

 起動から発動、更には弾速までが高速のこの魔法は威力こそそれほど高くないが、堅いシールドを張れるなのはには極めて有効な攻撃手段と言える。
 反応速度を上回る攻撃を受けたなのはは、フェイトの様に回避する事もシールドを展開する事も出来ず、バリアジャケットと持ち前の抗魔力で耐えるしかない。
 ブラッディダガーの着弾により発生した爆煙が消える間もなく、追い打ちを掛けようと飛翔した闇の書だが、なのはに接近する事は叶わなかった。

「ファイアー!」
【Plasma Smasher】
【Panzerschild】

 電撃の特性が付与されているため弾速の速いプラズマスマッシャーをシールドで受けた闇の書は心中で舌打ちする。

 あの砲撃を放つためのチャージ時間を稼げたということは先ほどの拳打を受けた直後、それこそ吹き飛ばされながら術式を構築していた筈だ。それはつまり、拳打が効いていなかったということだ。
 原因は拳打を放つ直前に受けたなのはの誘導弾だろう。当然の様に対処して見せたが、あれを受けるのにリソースを裂かれて拳打の威力が落ちたのだ。
 戦闘開始直後には、1人+1人対1人だった戦いは、2人が急速に連携を高めていくため2対1の様相を呈してきた。
 勘も鋭く飲み込みも速い。戦闘経験によるアドバンテージは、2人の連携の上達とともに急速に縮められている。
 何故だ?
 恭也を吸収してから努めて動かしていなかった闇の書の表情が僅かに険しくなった。


<大丈夫、なのは?>
<うん、フェイトちゃんは?>
<私も平気>

 離れた位置から念話で互いの状態を確認したなのはとフェイトは、視線を交わすまでもなく相手が苦笑を浮かべている事が想像出来てしまい、一層笑みが深くなった。
 大丈夫な筈はないし、平気でいられる筈もない。
 完膚無きまでの空元気だ。
 それでも、はやてを助け出すのだ。恭也を取り戻すのだ。なら、泣き言など口にする訳にはいかない。
 その想いが揺らいでいない事は確認するまでもなく分かっていた。

252小閑者:2017/11/04(土) 12:19:57
<カートリッジ残り18発。
 スターライトブレーカー、いけるかな…>
<手はあります>
<レイジングハート?>
<エクセリオンモードを起動して下さい>
<え!?ダ、ダメだよ!
 フレーム強化が済んでないのにエクセリオンモードを使ったら、私がコントロールに失敗したらレイジングハートが壊れちゃうんだよ!?>
<失敗しなければ壊れません>
<それはそうだけど!>
<彼なら>
<!>
<引くことの出来ない戦いで、失敗を恐れて有効な手段を出し渋ることは無いでしょう。
 無謀な蛮勇に終わるか、勇気ある決断となるかはマスター次第です。
 私はマスターを信じます>
<レイジングハート…。
 うん、私もレイジングハートを信じるよ>


<バルディッシュ…>
<ご随意に>
<!
 …無謀かも、しれないんだよ?>
<どれほど無謀に見える行いであろうと、彼は仲間の信頼に応えるために微塵も躊躇することはありませんでした。
 私もあなたの信頼に応えて見せます>
<…ありがとう、バルディッシュ。
 …行くよ!>
<イエッサー>

 闇の書の視線の先で、幾らかの距離を隔てたなのはとフェイトがそれぞれのデバイスを構えた。
 あれは何かを決意した顔だ。それが分かるからこそ闇の書も気持ちを引き締め、覚悟を決める。
 出来れば恭也が大切にしている存在を傷付けることは避けたかったが、いつまでもこの2人の相手をしている訳にはいかないのだ。限られた残り時間で主の願いを叶えなくてはならない。

「レイジングハート!エクセリオンモード、ドライブ!」
【Ignition】
「バルディッシュ!フルドライブ!」
【Yes, sir.
 Zamber form】

 レイジングハートが槍の様な攻撃的で鋭角なフォルムに、バルディッシュが幅広の剣身を持つ光の大剣に、それぞれ変形するのを見ても闇の書に動揺はなかった。
 この場面で形状を変化させたなら、それはより攻撃に突化するためであることは容易に想像出来る。だが同時に、今まで出さなかったと言う事は、その形態に何かしらの問題を抱えているという事でもある筈だ。

 なのはが闇の書に向かって構えたレイジングハートの各所を環状魔法陣が包む。威力強化や精度向上を目的としたそれらがゆっくりと回転する。
 1対1での戦いであればあり得ない、長いチャージタイムも今は気にする必要がない。
 なのはの期待に応えるように、何の合図も無くフェイトは闇の書に向かって一直線に飛翔した。
 砲撃の準備を進める無防備ななのはに攻撃が向かえば斬り払わなくてはならないため、その進路は2人を結んだライン上だ。もっとも、直線的なスピードこそ速いが恭也のような躱し方が出来ないフェイトには、攻撃に晒される時間の短くなるその経路は危険を軽減する意味も含まれている。
 だが、フェイトにどのような思惑があろうと、闇の書にとって回避という選択肢を持たない正面からの突貫など絶好の的以外の何物でもない。

【Photon lancer, genocide shift】

 感情を排した機械的な音声により魔法が起動し、闇の書周辺を数十の光が煌めいた。
 それが、自分の持つ魔法の中でトップクラスの威力を持つフォトンランサー・ファランクスシフトの改良版であることを察したフェイトは戦慄した。
 フェイトがその魔法を使うには詠唱を必要とするし、弾丸の発射台となるスフィアを形成するのにも時間を要する。それを無詠唱で、しかも即座にこれだけの数のスフィアを形成したと言う事は、魔力量や演算速度の違いだけではなく、術式そのものが大幅にアレンジされている筈だ。
 全ての面で上回れるほどオリジナルである自分の魔法も杜撰ではないと思っているが、だからと言って速度や数だけの豆鉄砲だとは思えない。
 背後にはなのはが居る。回避はあり得ない。取り得る手段は迎撃のみ!

「間に合え!
 撃ち抜け、雷神!」
【Jet Zamber】

253小閑者:2017/11/04(土) 12:23:19
 闇の書の射撃に僅かに遅れて発動した、結界・バリア破壊の効果を付与した魔力刃をフェイトが駆け抜け様に降り抜いた。
 斬撃の前段として放つ衝撃波を省略したし、斬撃そのものも射撃やバリアに相殺されて威力の何割かを削られている。結果、闇の書の強固なバリアを斬り裂くことには成功したものの、本人は僅かに体を折ってはいても大きなダメージを受けている様子はない。対してフェイトは被弾しながら斬撃を放ったため、受けたダメージは決して小さくはない。
 だが、それで十分。

「エクセリオン バスター!」
【Excellion Buster」

 フェイトの援護を無駄にする事なく、なのははバリアを失った闇の書に向かって間髪入れずにこれまでで最大の砲撃を解き放った。
 直撃。
 桃色の砲撃は闇の書を飲み込み、魔法防御が働かなかった証として一瞬の拮抗もなく駆け抜けた。なのはの渾身の砲撃は、照射の終わり際に激しい光と音を伴って爆発した。

 煙で視界の利かない爆心地を警戒しつつ、切り払えなかった闇の書の直射魔法の痛みに顔を顰めたフェイトが煙を迂回しながらなのはと合流した。
 なのはも高威力の砲撃による消耗から肩で息をしながら闇の書の居た空間を油断なく見つめていた。

「はあ、はあ、なのは、どう?」
「はあ、文句無しのクリーンヒット。これで駄目なら…」
【マスター!】
【高魔力反応!】

 噴煙の中で高まる魔力を関知したデバイス達がそれぞれに警鐘を鳴らした。
 言葉を切って周辺の異常を探る2人の目に周囲の煙を押し退けて膨れ上がる黒い光球が映る。攻撃が来たのかと身を強ばらせた2人だったが、予想に反して急速に光球が萎んでいく事に困惑し、次の瞬間脳裏を過ぎった閃きに2人同時に戦慄した。

「空間攻撃!」
「フェイトちゃん、私の後ろへ!」
【Round shield】
【Diabolic emission】

 フェイトを背後に匿ったなのはがシールドを展開した直後、恒星の爆縮の様に高密度に圧縮された魔力が闇の書を中心に放射状に爆散した。
 強度に定評のあるなのはのシールドが軋むほどの凄まじい圧力に、表情を歪めながらもなのはは必死に耐える。シールドに添えた左手のバリアジャケットが破れていく様子が、その攻撃の威力を物語っていた。
 全てを閉ざそうとする闇の浸食と、それすら攻撃だと言わんばかりの轟音に耐えきり、疲労からバランスを崩すなのはと彼女を支えるフェイトは、共に息を乱したまま夜空を振り仰いだ。
 長い銀髪を靡かせ悠然と佇むその姿と、落ち着き払った静かな表情には、些かの陰りも見つけられない。
 2人掛かりでの、理想的と言っても良いほどの攻撃だった。にも関わらず、得られたのは僅かに衣服に煤を付けたという結果のみ。

「…ハァ、ハァ、ハァ
 フェイトちゃんがバリアを壊してくれてたから、大した防御は出来てなかった筈なのに」
「…魔導師ランクが一つ違うだけで、ここまで圧倒的な差が生まれるの?」

 ポツリとこぼれたなのはの呟きに、フェイトも追随するように言葉を紡いだ。
 疲労は蓄積し、再三に渡り受けてきたダメージも無視出来ないものになってきた。対して闇の書には有効と言えるほどの攻撃を与えることが出来ていない。
 何時、徒労感に押し潰されたとしても何の不思議もない状況だった。

 それは闇の書が意図的に2人の思考を誘導して出させた答えだ。そう印象づけるために開戦当初から実力差を示すような戦い方をして見せてきたのだから。
 自らの攻撃はその種類や属性を知られても防ぎきれない威力を、速度を、性質を持たせて散々に撃ち据えた。
 2人の攻撃は妨害せずに、撃たせた上で強固な防壁で弾き、対を成す属性で防ぎ、固有の特性を突いて封じて見せた。
 最後のバリア破壊から繋がる砲撃の被弾には想像以上のダメージを被ったが、爆煙がブラインドになったお陰であの2人にはダメージを受けた様子を隠し通せた筈だ。想定外の事態ではあったが、結果的には“バリアさえ抜ければ”という希望を砕くための演出になっただろう。
 ヴォルケンリッターがこの2人のリンカーコアを蒐集してるため、闇の書は2人にはそれぞれ奥の手とも言える魔法が残っている事を知っていた。だが、威力の分だけチャージタイムの長いその魔法を悠長に使う暇があるとはどちらも思ってはいないだろう。
 つまり、サポートの期待出来ない今の状況では、間違いなく先ほどの攻撃が一・二を競うほどの威力を持つ攻撃だった筈だ。更に言うなら同じ手が二度通じるとは思っていまい。
 それなのに、何故?

254小閑者:2017/11/04(土) 12:25:58

「何をしても効かないんじゃないかって、思えちゃう」
「うん。
 万全のなのはの砲撃に耐えきるなんて。
 こう言うのを絶望的、って言うんだろうね」

 なのはの砲撃に晒されても表情を変えなかった闇の書が僅かに顔をしかめた。
 当然だろう。
 彼女が意図した通りの弱音ともとれる2人の言葉は、不退転の決意を固めた表情や、意志力を漲らせた瞳で口にするものでは無いはずなのだから。

「恭也はこんなにも、ううん、きっとこれ以上の実力差を感じていたのに、少しも諦めようとしなかったんだ…」
「凄いね。
 いくら恭也君の戦い方が魔法に頼らないものだからって、闇の書さんの力が低くなる訳じゃないのに。
 私たちも、もっと頑張らなきゃだね」
「うん。
 2人掛りなんだ。恭也には負けられない」

 大きくはない声。強くはない口調。それでいて溢れ出すほど力を秘めた言葉。
 自分に向けられた訳ではないその言葉を聞いて、闇の書が諦観と共に納得した。いや、再確認したと言うべきか。
 恭也がアースラに身を寄せていた僅か約半月の間、この2人はずっと恭也の姿を追い、その目に焼き付けてきたのだろう。遠く離れても見失ったりしないほど、しっかりと。
 そんな2人が力に屈して意志を曲げる筈などないではないか。





     * * * * * * * * * *




「…眠い」

 泥の様に纏わり付いてくる眠気に抗いながら、はやてが辛うじて薄く目を開けた。
 目に映るのは見た事も無い空間。
 長年馴染んできた感触から車椅子に座っている事は察する事が出来たが、寝惚けているためか座っているのか倒れているのかも分からない妙な浮遊感を感じる。

「ここは…?」
「夢の中です」

 何とかして状況を把握しようとするはやてに声を掛けたのは見知らぬ女性だった。
 銀髪紅眼の整った顔立ちの美しい女性。季節を無視したぴったりとしたノースリーブを押し上げる胸元は羨ましい限りだ。

「ここは安全です。
 安らかにお眠り下さい」

 その言葉はまるで子守唄の様にはやての中に染み渡った。





     * * * * * * * * * *






「…恭也の、ためか」

 闇の書がポツリと呟いた。
 内容そのものより突然口を開いた闇の書に面食らいながらも、目的を見失う事無く2人は即座に会話に応じた。力で屈服させる必要など何処にも無い。

「うん、必ず助け出すよ。
 恭也君も、はやてちゃんも、そしてあなたも!」
「2人は私の中で眠りについている。永遠に醒めることのない静かな眠りの中で幸せな夢を見ている。
 それを無理矢理起こす権利などおまえ達には無いはずだ」
「どんなに幸せな夢でも、優しい夢でも、やっぱりそれはただの夢だ。
 夢はいつか必ず醒める。醒めなくちゃいけないんだ。
 眠り続けていたとしたら、それは生きてるとは言えない」
「生きていれば辛いことや悲しい事はいっぱいあるよ。
 それでも、はやてちゃんも恭也君も眠ったままで良い筈がない。
 辛いことでも立ち向かわなきゃいけない時が必ずくる」

 どんな攻撃にも無表情を貫いてきた闇の書が顔を顰めたのが見えた。闇の書自身も自分の行動に非があると考えているのだろうか?

255小閑者:2017/11/04(土) 12:28:43
「…綺麗事だ。
 おまえ達には、無いのか?
 心が壊れてしまうほどの、人の悪意に晒された事が。
 何も感じることが出来なくなるほど、凄惨な事故に遭遇した事が。
 …全てが夢であって欲しいと願わずにいられないほど、自分の“全て”と言える存在が理不尽な死を遂げる様を見せつけられたことが!」

 熱を帯びていく闇の書の言葉に息を飲む。

 フェイトには、あった。
 半年前、母と慕った女性の言葉にボロボロに傷付けられた挙げ句、自分を見捨てて遠くへ旅立たれた事が。
 あれが母の悪意であったとは今でも思いたくはないが、そのことで逃避し、自らの内に閉じ籠もった事があるのは事実だ。短時間で戻ってこられたのは、あのまま逃げ続けていたら本当に母を失ってしまう状況だったからだ。

 自身の事として愛する家族の死を想像しただけで泣き崩れたなのはにも、反論の言葉など無かった。先ほどの言葉は、事実ではあっても理想論であり、感情を無視した机上論でしかない事は自覚している。

 家族の死を鮮明に思い出したために狂ったように壁を殴り付ける姿も、その夢に魘され絶叫と共に跳ね起きる姿も、闇の書の起動を阻止出来ず絶望の叫びをあげる姿も。
 感情を押し殺す事に長けた恭也が耐え切れずに感情を爆発させている姿は2人の目に鮮烈に焼き付いて離れることはない。
 本来は理屈や気休めなど軽々しく述べて良いものではないだろう。

「…その辛さは、知ってるよ。
 同じだなんて言わないけど、心が壊れそうになる経験は私にもある」
「…私は、無いかな。
 想像しただけで、泣き出しちゃった位だもん。本当にお母さん達が死んじゃったら、たぶん、耐えられないと思う」

 フェイト達の同意の言葉を聞きながらも、闇の書は苛立ちに歯をかみ締める。どちらも表情を歪めてこそいるが、戦闘態勢を崩していない事は一目で分かるからだ。

「だけど!それでも恭也がはやてを見捨てて夢に浸ってるとは思えない!」
「闇の書さんだって知ってるでしょ!?恭也君なら絶対に夢から抜け出すために必死に努力するに決まってるって!
 だから、私たちは諦めないよ!」
「全部が終わって、どうする事も出来なくなるその瞬間まで、私たちは恭也と一緒に頑張るって決めたんだ!」

 その、恭也を神聖視するかのようなフェイト達の言葉に闇の書の苛立ちが募る。

 そんな事は知っている。
 はやてのためであれば、それどころかこの少女達のためであったとしても、恭也が自分の様々な物を押し殺してしまえる事くらい、言われなくても分かっている!
 誰にも認められなくとも、誰から非難されようとも、助けると決めた相手の為ならたとえ独りになろうとも絶対に諦めたりしない。
 そんな恭也だからこそ、誰かが守ってやらなければならないというのに!

「…お前達のその過度の期待が恭也を苦しめている事が何故分からない!?
 恭也は聖人でもなければ超人でもないんだぞ!
 親しい者の死には悲しむし、自分の無力に苦しみもする!
 …もう十分だ。
 主はやても、恭也も、これ以上苦しむ必要などない!」

 初めて感情を露にする闇の書に驚くと共に、拳を震わせ声を荒げながら叩き付けられた言葉になのは達も表情を歪める。その言葉が確かに恭也の一面を表している事は知っていたからだ。

256小閑者:2017/11/04(土) 12:30:04
「…知ってるよ。
 恭也が悲しむ姿も苦しみもがく姿も何度も見てきたから…。
 でも、だからって恭也に『見捨てろ』なんて、『後で傷付くから関わるな』なんて、言える訳無いじゃない!」
「どんな夢か知らないけど、恭也君が夢とはやてちゃんを比べてどちらを選ぶかなんて、あなただって分かってるんでしょ!?
 恭也君が、何も出来ずに全部が終わっちゃう事を一番怖がってるのを知らないの!?」
「そんな事くらい知っている!
 恭也に見せているのは家族の夢だ。恭也の記憶から再現した、失ってしまった恭也の世界の、本当の家族だ。
 勿論、死んでしまった事実も、この世界に飛ばされた事も、この世界で過ごした一切の出来事も、全て記憶に封印を掛けた。
 周囲の人間の誰も危険な目に遭わず、穏やかに生涯を過ごす、覚める事の無い夢。この夢の中でなら恭也は幸せに過ごす事が出来るんだ!」

 恭也は親しい者が傷付く事を看過出来ないからこそ、戦闘技術を身に付けた。
 身に付けていく上で、技術の向上を喜ぶ事はあっただろう。だが、決して人を傷付ける事を、力を振るう事を良しとしている訳ではない。身に付けた技能を発揮する機会など無いに越した事はないと考えているはずだ。
 誰も傷付く事無く、危険な目にも遭わない。そんな理想的な世界でなければ、恭也が穏やかに過ごす事など出来ないだろう。

 ここまで明かせば少女達も納得せざるを得まい。
 そう確信していたからこそ、顔色を蒼褪めさせた2人を見て訝る。
 どちらも納得した顔には見えない。
 だが、闇の書にはそのことを追求する余裕は無くなった。




     * * * * * * * * * *




「何故ですか?主はやて」

 必死に眠気を振り払い意識を繋ぎ止めようとするはやてに、闇の書の管制人格は悲哀と困惑に顔を歪めて語りかける。

「あなたの望みの全てがそこにあります」
「私の、望み…?
 私は、何を望んでたんや…」

 途切れそうになる意識で考えを纏めようとするはやてに、暗示を掛ける様に、思考を誘導する様に言葉を重ねる。

「皆と一緒に幸せに暮らす事。健全な体で、自分の足で歩く事です。
 そこにはあなたを傷付ける存在はありません。
 お眠りを、主はやて」

 ヴォルケンリッターと恭也、家族みんなでずっと一緒に幸せに暮らしていく事。それは、確かにはやての望みだ。
 それでも、はやては緩慢な動作ながら首を左右に振る事でその言葉を否定した。

「…それでも、それは夢や。ただの、夢や」

 外に居る2人の少女と同じ結論。それは幼さからくる純粋さだ。
 だが、その言葉を肯定出来ない理由のある彼女は、はやてを傷付ける事を承知しながら最も残酷な切り札を切った。

「…死ぬかも、しれないのですよ?」
「!?」
「現実の世界では、あなた自身は勿論、あなたが愛する周囲の者達の誰かが命を落とす可能性があるのですよ?
 守護騎士の4人が再召喚出来る事は既に御存知でしょう。
 ですが、…」

 言葉が途切れた。
 それがどれほどはやてを傷付けるか分かるからこそ、躊躇した。
 だが、突きつけなくてははやてが納得する事はないだろう。

「ですが、恭也を生き返らせる事は、出来ません」
「…あ、恭也、さん
 恭也さん、恭也さん、きょうやさん…」

 恭也の名前を呟きながらボロボロと大粒の涙を零しだしたはやてを直視出来ず、顔ごと視線を逸らす。

257小閑者:2017/11/04(土) 12:32:02
 自分がどれほど卑怯な事をしているかは理解している。
 恭也は生きている。それを知っていながら、ここに留めるためになのは達の偽者に殺されたと思い込んでいるはやてに態と誤解させるような言い回しで突きつけたのだ。
 だが、事実でもある。恭也が戦う人間である以上、絶対に切り離す事の出来ない可能性なのだ。
 第一、はやてが現実世界に復帰したとしても、恭也は夢の中から戻る事は無いのだ。恭也の見ている夢の内容を知れば、はやても無理矢理起こしたりする事は無い筈だ。

「…それでも、…ううん、だからこそダメや…」
「…え?」

 はやての言葉に思わず振り返ると、涙を流し続け、悲しみに顔を歪めたままの瞳に見据えられた。
 その瞳に気圧され、微動だに出来ずにいると、はやては歯を食い縛りながら言葉を搾り出した。

「恭也さんは、私を生かすために戦ってくれた。
 危険なんは承知しとった筈やのに、何も躊躇せずに立ち向かってくれた。
 なら、私が逃げ出す訳には行かへん!
 恭也さんが命懸けで助けてくれた私は、立派にならなあかんねん!
 恭也さんが無駄死にだったなんて誰にも言わせへん!思わせへん!
 皆が恭也さんに感謝したなるくらい、私は立派になったるんや!!」

 徐々に大きく力強く告げられるそれは、生きる上での制約であり、生きるための成約であり、自分自身への誓約だった。

<…辛いぞ、その生き方は>
「かまへん!私はそれだけの事を恭也さんにして貰ったんや!」
「…恭也!?」
「恭也さん、見とってや!絶対、恭也さんが命懸けで助けてくれた事を誇れるような人間になって見せたる!」
<まあ、程々にしておけ。
 逆説的に、はやてが誇れるほどの人間になったら俺は命を投げ打たなくてはならなくなるからな>
「馬鹿な、どうして…」
「何言うとんの、志は高くないといかんやろ!?…て、あれ?」

 ナチュラルに掛け合いへと雪崩れ込もうとする自分に気付いたはやてが虚空を見上げる。
 そこには相変わらず何もなかった。

 空耳?聞きたくて仕方なかった自分が作り出した幻聴?

 視線を下げると驚愕を顔に貼り付けた女性の顔が映る。どうやら聞こえたのは自分だけでは無いようだ。
 覚醒した時に得た知識が彼女が魔導書の管制人格であることを抵抗無く受け入れたはやては、最大の疑問を勇気を振り絞って口にした。

「今の、まさか、…恭也、さん」
<ふむ、ちゃんと声が届いているようだな。
 念話まで使えるとは知らなかった。随分詰め込んでくれたようだな。おやっさんに感謝しなくては>
「あ、ああ、恭也さん…、恭也さん恭也さん!
 どこ!?どこにおるの!?」
<落ち着け。俺に空間を渡る技能は無い。
 おい、何時までも呆けてないで何とかしてくれ>
「あ、なあ、あんた、恭也さん、ここに呼べるの?」
「…え?」

 新たに流れる熱い涙で頬を濡らしながら、恭也の声に促されて問い掛けてきたはやてに対して、呆然としていた彼女は完全に虚を突かれた反応を返した。
 恭也があの夢を拒絶して現実へと戻ってくる事など、有り得ないと思っていたのだ。

「…あ、す、済みません。この空間は独立しているため恭也の居る空間と繋げる事は出来ません」
「あ、そ、そうか」

 喜びに溢れていた表情を翳らせたはやてを見て心が痛む。
 そして、同時に自身を嫌悪すら通り越して憎悪する。はやての顔を曇らせるのは自分なのだ。自分がこれから犯そうとしている罪は、たった今はやてと恭也を隔てている事すら生温い、軽蔑、あるいは恨まれ憎まれすらする事なのだ。

<おい、もう時間が無いじゃないのか?
 俺達を外に戻せ>
「時間?…えーと、私ももう夢に逃げる気は無い。戻せるんやろ?」
「…出来ないのです」
「え?」

 涙を零しながら震える声で告げる管制人格をはやてが見つめる。
 隠し切れないと観念したのか、はやてに跪きながら声を震わせたまま言葉を重ねる。

258小閑者:2017/11/04(土) 12:36:59
「過去に改編された、魔導書に記述されている自動防御プログラムが暴走を始めました。
 今現在、私の持つあらゆる権限が奪われ続けています。
 もう、私には暴れだした顕現している実体を制御する事が出来ません。
 あなたに平穏に暮らして貰う事を望んでいるのに、あなたを喰らい尽くす自分を止められないのです」

 彼女の言葉を引き金にはやての持つ知識が引き出される。
 現状と、これから迎えるであろう限りなく現実に近い未来予想。
 その、知識から与えられる不可避という結論に顔色をやや蒼褪めさせながらも、涙を流す管制人格を見つめながらはやては口端を持ち上げて見せた。

「諦めたらあかん。
 マスターは私や。
 マスターの言う事は聞かなあかん」
「無理です。
 暴走した防御プログラムが邪魔をして管理者権限を使用出来ません」
<外に出てる奴だな?
 高町とテスタロッサが揃ってるならどうとでもなるだろ>
「加減していた私にすら太刀打ち出来なかったんだぞ。
 あの2人には無理だ」
<さっきから否定の言葉しか出ないな。
 問題ない。あの2人なら大丈夫だ>
「2人って、なのはちゃんとフェイトちゃん?
 …信頼、してるんや?」
<そう大袈裟なものじゃない。近くに居た分、知ってるだけだ>

 はやての表情を見られない恭也は、話を切り上げてしまった。
 こんな時だと言うのに無条件の信頼を見せる恭也に拗ねて見せるはやてが愛しくて仕方が無い。両頬を挟む様に添えられた掌の温もりを意識して、更に涙が頬を伝う。
 失いたくない。
 その想いが募り、涙となって溢れていく。





     * * * * * * * * * *





 恭也の記憶を封じた上で、失った家族と共に暮らす幸せな夢を見せている。
 なのはとフェイトは闇の書の放った言葉が浸透するに従って、顔から血の気が引いていく事が自覚出来た。

「…なんて、ことを…」

 その言葉を零したのがどちらだったかは意味が無いだろう。

 恭也にとって、それが理想の世界である事は理解出来る。
 だが、それでも認める訳にはいかなかった。
 いくら恭也を傷付けないためだからといっても、自由に羽ばたく翼をもぎ取って、籠の中に閉じ込めるような真似を認めるられる訳がないではないか!

 不自由さは、自分で選ぶ事無く思考を停止させて過ごせる、と言う面において“楽”だ。
 選択の余地も無く、ただ、目の前に提示された目標を達成する事だけを考えて過ごす生活を選ぶ者が決して少数ではない事実がそれを示している。
 だが、その気持ちを理解出来ないくらい少女達は気高く純粋であり、その怠惰を許容出来ない程度には、幼かった。
 それでも、恭也がどれほど家族の死に心を痛めていたか知っている2人を怯ませるには、その言葉は十分な威力を持っていた。現実世界に戻るために記憶と寸分違わぬ家族を自ら切り捨てなくてはならないなど、どれほどの苦しみを伴うか想像も出来ない。
 しかし、時間は待ってくれない。
 力の暴走までのタイムリミットは確実に迫ってきているのだ。今立ち止まれば全てが手遅れになってしまうかもしれない。

「…ダメだよ、そんなの!
 いくら守るためだからって、そんな世界に閉じ込めて良い筈なんて無い!」
「恭也は観賞用のペットじゃない!
 恨まれても構わない!
 力ずくでも助け出す!」



<頼もしいじゃないか。言葉が省けて何よりだ>

259小閑者:2017/11/04(土) 12:39:29
 唐突に語り掛けてきた念話になのはもフェイトも思考が停止した。
 それは、姿を消してからずっと聞きたかった声。

 もしかしたら、消滅して2度と会えないのではないか。
 もしかしたら、封じられた記憶が戻らず夢の世界から戻って来ないのではないか。
 もしかしたら、記憶を取り戻しても辛い現実に戻る事を放棄するのではないか。
 もしかしたら、現実に戻る手段が見つからないのではないか。
 もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら…

 必死になって抑えてきた不安が溶けて消えていき、安堵と歓喜が代わりに溢れてきた。

「きょう、や、くん?」
<待たせたか?>
「…恭也、なんだね?」
<他の誰かの声に聞こえるのか?>

 なのはとフェイトが聞き間違える筈が無い。
 その惚けたような台詞も、普段通りの口調も、間違いなく八神恭也のものだった。

<いつまで寝惚けている積もりだ?
 はやても目を覚ました。さっさとケリを付けるぞ>
「うん!」
「…恭也、あの、…大丈夫、なの?」
「あ…」

 恭也が無事だったと言う事に安堵したなのはが失念していた、恭也の状況を知らなかったはやてには気付けなかった、その懸念事項をフェイトが恐る恐る問い掛けた。
 闇の書の言葉が事実だとしたら、恭也は夢の中で本物と差異の無い家族と決別してきた事になる。平気でいられる筈がないのだ。

<平気だ。大した事はない>
「そんっ、…分かった」
「フェイトちゃん!?…」

 フェイトが飲み込んだ『そんな訳ない!』という否定の言葉を正確に読み取ったなのはだが、辛そうに表情を歪めたまま力なく首を左右に振るフェイトに言葉を途切れさせた。

 なのはにも分かってはいたのだ。
 念話で伝えられる感情を読み取れないほど平坦な声こそが、恭也の心情を雄弁に語っている事は。
 フェイトの質問で、恭也も2人が夢の内容を聞かされている事は察しているだろう。それなら、あれは触れるなと言う意思表示だ。
 脇目を振るなと言う意味なのか、辛い事に触れて欲しくないと言う意味なのかまでは分からなかったが、力の暴走まで時間が無いのは確かだ。痛みに耐えてまで夢を抜け出した恭也の努力を無にしないためにも、今ははやてを助け出すために全力を尽くす時なのだ。

「恭也君、どうすれば良いか分かる?」
<む、そうか。しばし待て。
 …お前達の目の前に居るのは意思を持たない魔導書の自動防御プログラムだけだ。それが停止すれば管制人格、今までお前たちと会話していた奴の承認ではやてのマスター登録が完了して管理者として魔導書を制御下に置けるようになる>
「停止させる、ってどうするの?
 バインドで縛ればいいの?」
<ああ、済まん。
 簡潔に要約すれば、非殺傷設定で攻撃すれば良い>
「え!?」
<加減は要らん。完膚なきまで叩きのめせ>
「恭也やはやては大丈夫なの!?」
<問題ない。俺達は管制人格の作り出した仮想空間にいるから、防御プログラムのダメージは影響が無い。
 どうせ今までは慣れない加減の所為で攻撃が粗雑になっていたんだろう?
 遠慮は要らん、得意の“全力全壊”で薙ぎ払ってみせろ>
「きょ、恭也君?確かに“全力全開”って言う事あるけど、何か響きが違わない?」
「私はそんなこと言ったこと無いよ!」
「フェイトちゃんに裏切られたー!?」

 恭也の意図に合わせて雑談により肩の力を適度に抜くと、恭也曰く闇の書の防御プログラムを睨み据える。
 先ほどから不自然なほど動きを取らなかった事に不審を抱いていたのだが、時折痙攣している事から何らかの強制力が働いているようだ。
 マスターであるはやてが目覚めたと言っていたので何かしらの働きかけをしてくれているのかもしれない。

「行くよ、フェイトちゃん」
「うん」

 恭也とはやてが甘い夢を振り払って戻ってきた。
 助け出す手段も判明した。
 半端な加減が必要ないことも分かった。
 何の憂いも無い。
 ランク差など些細な事だ。自分達が全力を発揮すれば解決する、恭也がそう言ってくれたのだから!

 先ほどまで体を縛り付けていた何かから開放されたなのはとフェイトは恭也の言葉に従い最大威力を行使した。





     * * * * * * * * * *

260小閑者:2017/11/04(土) 12:41:46

「ハァ…」

 念話による通話を終えた恭也の口から重い溜息が漏れる。
 精神的な疲労はフェイトの指摘を否定した言葉とは裏腹に最早限界に近いのだろう。他者の視線が無いとは言え、精気を失った虚ろな顔は、恭也を知る誰も見た事が無いほどのものだった。

「意識を保て。
 まだ、終わってない」

 自分自身に暗示を掛けるように呟く声も弱々しい。
 念話でははやて達に気付かせまいとしていたとは言え、呟いた声は念話に乗せたそれとは掛け離れたものだった。




     * * * * * * * * * *




 現実世界に復帰し、ヴォルケンリッターを無事に再召喚したはやては、なのはとフェイト、更にアースラからやってきたユーノとアルフに合流した後、1人で取り乱していた。

「あれ、恭也さん?恭也さんは何処行ったん!?」
「え?はやてちゃんと一緒じゃなかったの?」
<落ち着け、阿呆。
 俺なら魔導書の仮想空間内だ>
「え?なんで帰ってこうへんの!?」
<戯け、俺には空間転移なぞ出来んと言っただろうが。
 マスター登録が済んでるなら、お前の意思でもここから解放出来るだろう?>
「あ、そうか。
 うん、ちょっと待ってな?」

 はやての言葉に従って構築された魔方陣に影が浮かび像を成す。
 その僅かな時間を使って手櫛で髪を整え、服の裾を払って身繕いをする辺りは流石に幼いながらも乙女達である。尤も、そんな余裕があったのは浮かんだ像が恭也の姿を取るまでだったが。
 笑みを浮かべて迎えようとしていたはやてとなのはとフェイトは、恭也の姿を見た途端、緊張の糸が切れて三方から恭也にしがみ付いて泣き出してしまったのだ。

 無理も無いだろう。
 方や目の前で胸を光弾に貫かれて絶命する姿を見せ付けられ、方や姿を消失した上で二度と戻る事は無いと宣告されていたのだ。年端もいかない少女達が平然と受け入れられるものではない。

 困惑した視線を向けてくる恭也に対して、周囲の人間は苦笑を返す。
 流石のはやて至上主義者達もこの時ばかりは自分達の分まで奮闘してくれた恭也を非難する積もりは無いようだし、ユーノも何かしらの理由を付けてなのはを引き離すような強引さは持ち合わせていない。
 例外と言えるのはアルフで、彼女だけは非常に楽しそうな笑みだった。

 孤立無援である事を悟った恭也は憮然とした表情を浮かべながらも、泣きじゃくる3人を宥めに掛かった。

「ほれ、そろそろ泣き止め。
 まだ終わってはいないんだろう?」

 海面にあるドーム状の黒い物体を見据えながら声を掛ける恭也に、鼻を啜りながら顔を離したはやてが今更ながら無傷の恭也を見て驚いた。

「あの、恭也さん、怪我は大丈夫なん?」
「は?…ああ、お前が見た殺された俺は幻だ。
 あんな照準の杜撰な魔力弾など、幾ら速かろうと喰らうものか」
「…そ、そうか。凄いんやね」
「…」

 いかな恭也の言とはいえ信じ切れなかったのだろう、はやては困惑を表情に浮かべながらそれでも同意の言葉を口にした。
 周囲に居る誰も余計な事は言わない。“幾ら速くても”と言うのは言い過ぎのような気もするが、それでも見栄を張った誇張表現とは断言できないし、何より知る時は遠からず来るだろう。あの回避運動は、無邪気に『凄い』と喜んでいられる領域を遥かに逸脱しているのだ。
 知らないって、きっと幸せな事なんだよ?

「和んでいるところ済まない」
「おお、アッサリやられて活躍する事無く退散したハラオウンじゃないか」
「確かに反論し難い結果を残してしまったのは事実だが、その言い方は無いだろう!?」

 唐突に割り込んだ言葉に対して、渡りに船とばかりに恭也が返した言葉にクロノの頬が引き攣る。
 だが恭也の揶揄とは裏腹に、周囲の視線は勇者を称えるそれだった。
 いくら職務とは言え、照れ隠しに何をしてくるか分からないこの状況の恭也に自ら絡まれに行くとは凄い男だ。

261小閑者:2017/11/04(土) 12:46:05
「冗談だ。
 見ていた訳ではないから詳細は知らないが、身内の行動に気を取られて不意打ちでも喰らったんだろう?
 どんな理由があろうと生死の懸かった戦場で状況把握を放棄したり、敵対者から意識を逸らすなんて俺にはとても真似出来ないが、動揺していたんだし仕方ないさ。
 安心してくれ。ハラオウンがあんな短時間で、大した反撃も出来ずに、アッサリと撃沈されるなんて、不意打ちを喰らうか、他事に感けているか、ダラダラに油断している時だけだという事くらいちゃんと分かっているさ」
「…そ、そこまで言うか!?」

 恭也にしては珍しく悪意がてんこ盛りの揶揄だ。
 まあ、闇の書封印の手段としてはやてを殺そうとしていた連中と親しくしているクロノに対して何の蟠りも持たずに接するのは簡単な事ではないだろう。クロノがその陰謀に関わっていないと理解していたとしても、だ。
 はやてが助かったのは結果論に過ぎないのだから尚更だ。

「理解を示してやっただけだろう。
 それより、今更のこのこと現れたんだ、汚名挽回出来そうな情報でも持ってきたのか?」
「汚名を挽回してどうするっ!?
 …オホンッ。真面目な話なんだ、茶化さずに聞いてくれ」
「何故俺の方を見る?」
「お前以外にッ…
 ハァハァ、頼むから、聞いてくれ、時間が無いんだ!」

 クロノが力を込めつつ一言づつ区切りながら念を押すと恭也が肩を竦めた。
 恭也とて状況が逼迫している事には気付いているし、クロノがはやて達を助けようと尽力している事も知っているのだ。
 肩を竦める仕種を同意と解釈する事にしたクロノは改めて初対面のはやてと彼女を囲む守護騎士達に話しかけた。

「時空管理局・執務官、クロノ・ハラオウンだ。
 僕たちはあそこにある闇の書の防御プログラムの暴走を止めなくちゃならない。
 そのことについて君達守護騎士の意見を聞きたい。
 一応こちらで用意したプランは2つある。
 1つは極めて強力な凍結魔法で封印する方法。
 もう1つは艦船アースラの持つ魔導砲で消滅させる方法。
 これらについて、何か意見は無いか?出来れば他に有効な手段があると有難いんだが」

 クロノの質問は、同じ魔導書のプログラムである守護騎士であれば、弱点とまではいかなくとも防御プログラムの特性を知っているのではないかという期待を込めたものだ。
 だが、シグナム達には返せるだけの情報を持ち合わせてはいなかった。

「済まない。
 同じ魔導書の一部とは言え、我々と防御プログラムは完全に独立した存在だ。
 過去にもプログラムの暴走に立ち会った経験は無い」
「…そうか」
「凍結魔法での封印も賛成出来ません。防御プログラムは魔力の塊だからコアがある限り自己修復で直ぐに復元しちゃうと思います」

 シャマルの意見に言葉を返す事も出来ずに黙り込むクロノ。
 アルカンシェルを地表に向けて放てばどれほどの被害が出るか予測出来るだけにクロノの纏う悲壮感は誰もが声を掛ける事を戸惑うほどだ。だが、その被害を恐れてプログラムの暴走を放置すればそれ以上の被害が発生するのだ。

 クロノの気持ちが伝染した様に全員がその雰囲気に潰されようとする中、1人だけそんなものは何処吹く風と、普段と変わらぬ口調で言葉を発する者が居た。




「AAAクラスがこれだけ雁首揃えていながら、何をウジウジとやっている。
 時間が無いんだろう?
 無理なら下がってろ、面倒だが俺が切ってくる」




「え?」

 軽く言ってのける恭也に疑問符が零れ落ちた。
 それが呆気に取られていた自分の口から出た物だと気付いた事で正気を取り戻したクロノが、この期に及んで軽口を叩く恭也にとうとう切れた。

「巫座戯るな!冗談を言っていられる状況じゃないのが分からないのか!?」
「誰が冗談など言った?
 お前達が無理だと言うから代わりにやってやると言っているだけだろう。まったく、疲れているというのに…」

262小閑者:2017/11/04(土) 12:53:45
 そんな愚痴を零しながらも黒いドームから視線を外そうとせず小さな足場に危なげも無く佇む恭也の様子に、クロノの腕に鳥肌が立つ。
 本気で、言っている!?

「ちょっ、待て!何を聞いていたんだ!?無理だと言っただろう!」
「うるさい奴だな。
 それはさっき聞いた。だから代わってやると言ってるんだろうが」
「僕らが束になっても敵わない相手に、Fランクの君が敵う訳がnうおっ!?」

 クロノの台詞は、いつの間にか振り返った恭也に胸倉を引き寄せられた事で遮られた。
 恭也の黒く澄んだ瞳からは、静かな湖面の様に何の感情も読み取れない。その瞳と同様に感情を含ませない声音で恭也がはっきりと言い放った。



「俺は、俺がしたい事をしたい様にする。
 俺の限界をお前が決めるな」



 静かな湖面の奥に潜む何かにクロノは知らず背を震わせる。

「な、何を言って…」
「恭也さん!」

 クロノが搾り出すように口にした台詞を遮ったのははやてだった。
 視線を寄越す恭也に穏やかな笑みを浮かべると、先ほど迄の暗く沈んだ表情を微塵も感じさせない声ではやてが話を切り出した。

「恭也さん疲れとるんやろ?
 それなら先に、私にやらせて貰えへん?
 ダメやったら、そん時は改めて恭也さんにお願いするわ」
「私も手伝うよ、はやてちゃん」
「勿論、私も」
「我々は主はやての望みを叶える為に居ます。何なりとご命令下さい」
「あたしはフェイトの使い魔だからね。当然手伝うよ」
「僕もここにはお世話になった人がたくさん居るから出来る限りの事はするよ」

 既に無意味に悲壮感を振り撒く者はこの場には居なかった。
 これを、狙っていたのか?
 だが、クロノが疑問を乗せた視線を向けても恭也からそれらしい反応は返ってこなかった。

「…お前達が出るなら俺は必要ないだろ」
「…水を差す様で悪いが、ここに居る全員の総力を結集しても、恐らくあれの暴走は止められない」

 クロノとて好んで悲観論を口にしている訳では無い。だが、責任者としてこの場に居る以上、精神論に賛同して特攻する事など許可出来る筈が無いのだ。
 悲観に沈みこそしないもののクロノの言葉を覆す手札を持ち合わせていない事を自覚して押し黙る一同に代わり、口を開いたのはまたしても恭也だった。
 だが、今度の発言は先ほどの純度100%の精神論とは毛色が違っていた。

「状況を整理させて貰おう。
 あれの暴走を食い止めるのが前提になっているようだが、暴走したまま放置したらどうなるんだ?」
「自己修復の術式が狂っている所為で、魔力が続く限り無限に再生するんだ。いや、元の姿を保つ事無く周囲のあらゆる物を取り込みながら大きくなっていくから増殖って言った方が良いかな。
 試してみる訳には行かないけど、魔力はほぼ無尽蔵といっても良いから、理論上は一つの次元世界を丸ごと飲み込む事くらいは出来る筈だよ」

 クロノに変わって澱みなく答えたのはユーノだった。
 クロノの知識は無限書庫でユーノが探し当てた資料を基にしているものなので、ユーノの方が詳しく知っているのだ。
 それに気付いた恭也は問い掛ける相手をユーノに変えて質問を続けた。

「では前回の暴走を阻止した方法は?」
「さっきクロノが言っていたアースラの魔導砲だよ」
「それの使用を躊躇する理由は?」
「魔導砲アルカンシェルは被害規模が大きいんだ。
 勿論、闇の書の暴走を放置した場合とは比較にならないけどね」
「具体的には?」
「規模としては照準した空間を中心に半径数百キロ。効果範囲内の物質を対消滅させる兵器、って言って分かるかな?」

 ユーノが軍事機密を当然の様に知っている事とそれをアッサリ暴露した事に、クロノは額を押さえるながら『非常事態だから』と自分に言い聞かせる。

263小閑者:2017/11/04(土) 12:54:18
 その横でヴィータが声を張り上げる。

「そんなの絶対ダメー!そんなの使ったらはやての家が無くなっちゃうじゃんか!」
「そういうレベルの問題じゃないんだが…」
「わ、私も反対、そんなの困るよ!」
「いや、だから…」

 完全無欠の主観論が展開している脇で、恭也が更に話を進める。

「対消滅とやらが想像しきれないが、効果範囲の空間に存在する物質をごっそりと消し去るというなら、場所を沖合いに移したとしても海水の消失で高波が発生して沿岸部は壊滅しかねないな」
「多分、そうなるよ」
「仮に空中に持ち上げたとしても、空気だって物質だ。消滅するんじゃないのか?」
「間違いなく」
「と、なれば、突然の気圧変動とそれに因る気象変化か。陸地や海水よりは質量が少ない分被害が少なくなるだろうが、避けられるなら避けたいところだな。
 …宇宙航行用の艦船に搭載されている魔導砲なら宇宙空間でも撃てるな?」
「それは問題ないと思うけど…、エイミィさん?」
『管理局のテクノロジーを舐めて貰っちゃあ、困りますなぁ。
 撃てますよぉ、宇宙だろうと何処だろうと!』
「お、おい、まさか!?」

 恭也とユーノの会話をヴィータやなのはをあやしながら聞いていたクロノが慌てているが、2人は気にする事無く意見を煮詰めていく。

「あれを宇宙空間、いや、アースラの鼻先に転送させる方法は?」
「強制転送って術式があるけど、僕とアルフとシャマルとザフィーラが総出で掛けても保有する魔力量の差でレジストされると思う」
「待て、俺を数に入れるな。専門は防御であって補助魔法は大して役に立てない」
「と、なると3人か。
 魔力量の差と言う事はさっきの魔導書の管理者権限の時と同じ考え方が適用出来るのか?」
「…そうか、なるほどね。
 うん、それで合ってるよ。
 尤も、今あのドームの中であの時よりも魔力行使に適した構造を作り上げてるだろうから難易度は格段に跳ね上がってるだろうけどね」
「ハッ、泣き言なんぞ聞く耳持たん。
 まあ俺が思いつくのはこの程度だ。細かい手順までは知らんし、役に立たなくても責任は持てんがな。
 知恵熱も出てきたし、余波で吹き飛ばされては敵わんから後ろに下がらせて貰う。
 精々頑張れ。健闘を祈るくらいはしてやろう」

 一方的に告げると足場を展開しながら本当に後退して行く恭也を一同は呆然と見送った。
 あれだけ頭を悩ませていた問題にアッサリと解決方法を提示されるとは思っても見なかった。
 手段自体はトリッキーだし、綱渡り同然ではあるが、エイミィが即席で行ったシミュレートの結果はギリギリながらも実現可能範囲と出た。
 恭也の挙げる疑問に立て板に水とばかりに答えていたユーノも苦笑するしかなかった。一見、対等に話し合っているように聞こえるが、ユーノは知識を提示したに過ぎない。大事な事は豊富な知識を如何に活用して状況を打開する手段を見出すか、なのだ。
 残された時間でこれを上回る良案が浮かぶとは到底思えない。

「何から何まで規格外だな…」

 我が事の様に自慢気に恭也の事を語っている3人の少女達の様子にクロノの苦笑が一層大きくなる。

「無策で特攻を仕掛けようとしていたのは士気を上げるためか。まあ、当然か」
「…貴方にはそう見えるのか」

 クロノは独り言に反応が返ってきた事とその内容に驚きながら、返事を寄越したシグナムに問い返した。

「じゃあ、君は放って置いたら恭也が本当に特攻していたと言うのか?」
「しただろうな。貴方もそれを感じ取ったからこそ引き止めようとしたのでは無いのか?」

 確かにあの時は恭也が本気で言っているようにしか思えなかった。だが、それが無謀を通り越して絵空事にもなっていないことは恭也にだって感覚的にでも分かっていたはずだ。
 恭也の道化師じみた言動は何度も見てきたが、それでも彼の戦闘理論が極めてロジカルなものである事は分かっている。それが最も顕著だったのが、他でも無いシグナムとの戦闘だったのだ。

264小閑者:2017/11/04(土) 12:57:12
 シグナムにそれが分からないとは思えなかったが、自分よりも恭也との付き合いが長い事も事実だ。クロノはその見解を素直に口にする。

「…彼は感情に任せて戦って玉砕するタイプには見えないんだが?」
「私もそう思っている。
 だが、あいつは“勝てる相手だから戦う”訳ではない。“勝たなくてはいけない相手だから戦う”んだ。
 貴方は違うのか?」

 思わず息を呑むクロノを静かに見据えたまま、シグナムが言葉を足す。

「防御プログラムの暴走を看過する事は出来ない。
 手持ちの有効な対抗手段は管理局の魔導砲だけだと察しても、貴方の言葉から使用に躊躇する理由がある事も同時に気付いていたんだろう。
 ならば、出来る事は全て試してからでも遅くはない。
 恭也が考えていたのはそんなところだろう」
「…試してみる、なんて表現で済ますにはリスクが大き過ぎるだろう?
 いや、勝率など無い事は言われるまでもなく彼にだって分かっていた筈だ」
「…分かっていただろうな」
「なら、どうして!?
 …この世界の住民のためなのか?」
「いや、恐らく恭也は私と同じタイプだ。
 顔も知らない他人のために命懸けで戦う事は出来ないだろう。転んだ子供に手を差し伸べるのとは訳が違うからな。
 …恐らくは、無関係の人々を巻き込む事態に陥って、主はやてが生涯気に病む事を案じたのだろう」
「そ、そんな遠回しな理由で…?」
「管理局の執務官として無辜の民を救うことに尽力する貴方達には理解出来ない事かもしれないがな。
 私や恭也の様に“仕えるべき主君の剣になる”と言うのはそういう事だ。
 私達と貴方達とでは同じ“守る”という一事に対して対極のスタンスにあると言ってもいいだろう」
「対極?」
「多数のために少数を切り捨てるか、一人のために全世界を敵に回すか」

 シグナムの静かな言葉にクロノが絶句する。
 その言葉は本気なのだろう。
 クロノとてその言葉が全く理解出来ない訳では無い。だが、その在り方を真似する事は出来ないだろう。







「恭也君、怪我して無い?回復魔法掛けてあげるわよ?」
「そんなのよりあたしが守ってやるから安心しなよ、キョーヤ」
「…馬鹿な事言ってないで、さっさと配置についてこい。
 こっちに余力を回すくらいなら、倒れるまであれを攻撃しろ」

 恭也は言い寄るシャマルとアルフをにべもなく追い返すと、嘆息を付きながら念話をユーノに繋げた。

<おい、そこの中年男、笑ってないで手を貸せ>
<もう〜、笑ったのは謝るから『中年』は勘弁してよぉ>
<なら、さっさと俺の足場を用意しろ。カートリッジの魔力残量がヤバイ>
<それならシャマルかアルフの厚意に甘えればいいのに>
<御免被る。あんなものは子供が人の玩具を欲しがっているのと変わらんだろうが>
<君が人気者なのは間違いないと思うけど。
 それにしても、戦場に留まるなんて君も変なところで苦労を背負い込むよね。陸地まで下がってても良いんじゃないの?>

 恭也が口調にすらいくらかの疲労感を滲ませている事に気付いたユーノは、言葉を交わしながらも他のメンバーに気付かれないように注意しつつ恭也の足元に円盤状の足場を形成した。
 魔力が欠乏しているという言葉に嘘はなかったようで、恭也は絶妙のタイミングで掠れて消えていく自作の魔方陣からユーノ謹製のそれに乗り換えると足場を睨みながら顔を顰めた。
 何の変哲も無い筈の力場に視線を注ぐ恭也の様子に不安を煽られ、ユーノは先ほどの疑問を棚上げにして恭也に問い掛けた。

<どこか気に入らなかった?>
<…別に>

 短い返答を不審に思ったユーノが更に窺う様に恭也を見つめていると、恭也がぞんざいに言葉を足した。

265小閑者:2017/11/04(土) 12:59:48
<実力の差を突き付けられてやさぐれていただけだ>
<…足場を作っただけだろ?>
<その、片手間で作った足場が俺の力作より頑丈とあっては流石に、な>

 不貞腐れている恭也から顔を背けて笑いを堪える。
 “隣の芝は青い”とはこの国の諺だったはずだが、完璧超人の様な恭也の、無いもの強請りなどという人間臭い面を見せられると何処かで安堵している自分に気付かされる。
 だが、恭也に笑いを堪えている事を気付かれたらどんな仕返しが待っているか分かったものではない。
 ユーノは誤魔化すためにも話を戻す事にした。

<それで避難しないのは何か理由があるの?>
<ふん。
 逃げ出したいのは山々なんだが、あいつら妙なところで打たれ弱いからな。
 不用意に俺が後ろに下がると、深読みして無闇に心配した挙句、戦闘に集中出来なくなりかねん>
<ホントに意外なところで苦労性だなぁ。…あまり無理しない様にね>
「余計なお世話







「恭也さん!!」
「うおっ!?」

 突然目の前に現れた涙目のはやてのドアップに、恭也は反射的に仰け反り、その拍子に足場を踏み外した。

「おわっ!?」
「危ない!」

 バランスを崩し、足場となる魔方陣から落ちそうなる恭也に、正面からはやてが、左右からなのはとフェイトが慌ててしがみ付いた。
 慌てていた証拠とでも言うように力加減が全くされていないタックルのようなその抱擁は、恭也の首や胴を絶妙に締め上げた。

「グッ!い、きが、でき…、血が、暗・く」
「フェイト、なのは、と、はやて。その辺にしておかないと恭也が醒めない眠りに就くことになるぞ?」
『あぁ!ご、ごめんなさい』

 謝りながらも足場から完全に離れてしまった恭也をそのまま放す訳にもいかず、体勢はそのままに力加減に気を遣いながら浮遊する。
 浮遊するだけなら3人も要らないし、そもそも抱きついている必要すらないのだが、気付いているのか、いないのか、離れようとする者はいなかった。

「ケホッ
 …ふう。それで、全員揃って突然一体何なんだ?遊んでいる暇など無いだろう?」
「有るんだよ、遊んでる暇がね」
「…何?」

 恭也の回復力に呆れながら口にしたユーノの言葉に怪訝を表す恭也。その様子にわざとらしく溜息をついたのはシグナムだった。

「お前、どの時点から意識を失っていたんだ?
 防御プログラムは既に消滅している。お前が立案した通り、宇宙空間に転送した後、魔導砲で止めを刺した。
 あれだけの轟音と爆風の中で良く立ったまま…、ああ、足場だけじゃなく結界も張って貰っていたのか」
「…」

 シグナムの言葉を確認する様に恭也が視線を転じた海上からは黒いドームが消え、巨大な生物の内臓らしき物や形状のはっきりしない鉱物らしき物が徐々に形を崩しながら海中へと沈んでいくところだった。

「戦闘開始前に僕が展開した足場に降り立った後、会話の最中に立ったまま気を失ったんだよ。落ちないように回復を兼ねた結界も追加したけど、凭れもせずに立ち続ける辺りがいかにも恭也だよね」
「そんなに前から!?
 恭也君、やっぱりずっと無理してたんだね…」
「…態々全員に知らせてくれたスクライアには後で礼をくれてやろう」
「なっ!?」
「それより、何時までこうしている積もりだ?さっさとアースラに戻るなり地上に降りるなりしてくれ」
『そんなに照れなくてもいいじゃん。役得だと思って堪能しときなよ』
「リミエッタさんがそれほど寂しがっているとは知りませんでした。
 後で一週間は立ち直れない程度に捻り潰して差し上げますから、今は早く回収して下さい」
『えっ!?
 ま、待って!今のはウィットに富んだ軽いジョークであって、』
「その話は後で。
 はやてが限界です。速く治療を!」
『後でって、――――っえ!?』

266小閑者:2017/11/04(土) 13:02:27
 焦りを滲ませた恭也の言葉で全員の視線が彼の腕の中に集まったのは、それまで顔を蒼褪めさせ声を殺して耐えていたはやてが静かに意識を失った瞬間だった。
 つい先ほどなのはやフェイトと肩を並べるように破壊の力を行使していたため失念していたが、1時間前のはやてはベットから出る事も出来ない重病人だったのだ。

「はやて!?はやてー!!」
「エイミィ、急げ!」
『ゴメン、アルカンシェルの影響で直ぐに転送出来ないんだ』
「落ち着け、ヴィータ!
 主には大事無い。疲労で気を失っただけだ」
「…え?闇の書!?」

 驚きに声を漏らすフェイトの視線の先には、先刻死闘を演じた相手である闇の書の管制人格が実体化して、慌ててはやてに縋り付こうとするヴィータを嗜めていた。
 立て続けに何度も事態が急変したため、フェイトははやての魔法行使が魔導書とのユニゾンの結果である事に思い至らなかったのだ。
 尤も、それは知識を持たないなのはと深く思考する事が苦手なアルフ以外は気付いていた様で、クロノやユーノは勿論、通信ウィンドウ内のエイミィにも動揺した様子はなかった。

「リインフォース、はやてちゃんに回復魔法掛けた方が良い?」
「いや、必要ない、と言うより効果が無い。何の訓練もなく大威力の魔法を行使したのが原因だからな。
 リンカーコアが正常稼動したばかりで、魔法を使えばこうなる事は承知されていたというのに…」
「リイン…?いや、後だ。
 では、はやては休息を取れば回復するんだな?」

 聞き慣れない呼称に囚われかけた恭也だったが、すぐさま軌道を修正してはやての容態を問い質した。
 そう、名前など後でゆっくりと確認すれば済む事だ。現時点での最大の懸念事項ははやての容態だ。
 恭也なら自分とシャマルとの会話から凡その状況を察する事が出来た筈だが、それでも彼自身に理解出来る言葉を使い、誤解しようの無い状況認識に勤めようとしているのだ。

 そうでなくては、な。

 リインフォースは心中で満足気に評価しながら、鉄面皮に押し隠しているであろう不安を解消してやるために恭也の言葉を肯定した。

「ああ、主は大丈夫だ。
 しばしの休息は必要だが問題なく回復するし、リンカーコアが正常に作動しているからいずれは足の麻痺もなくなるだろう」
「そうか…良かった…」

 雑談中でさえ常に何処か緊張の糸を張り続けていた印象の恭也が漸く精神を弛緩させた。
 その様子を見て全員が思う。
 心底からはやての身を案じていたんだな、と。

 見知らぬ土地に放り出された不安も、知らぬ間に一族全てを失っていた孤独も、何の知識も無い魔法に対する無力も、事実上敵対していた管理局に単身で潜り込む緊張も、それら全てが間に合わず徒労に終わる恐怖も。
 全てを押し隠し、脇目も振らず奔走し。
 それでも、“報われた”ではなく、“無事で良かった”としか思っていないだろう事は想像に易い。
 少しくらい、自分に優しくしても良いだろうに。若くして執務官まで上り詰めた自分を律する事に長けたクロノでさえもそう思ってしまう。

 周囲の想いを他所に、恭也は俯けた顔を上げた時には既にいつもの自分を取り戻していた。
 リインフォースに向き合うと先ほど後回しにした疑問を持ち出す。

「名前を思い出したのか?」
「いや、違うんだ。
 幸運の追い風、祝福のエール、リインフォース。
 この名は我が主から賜った新しい名前だ」
「…そうか。
 良かったな」
「ああ。私は、幸せだ」

 そう答えたリインフォースの淡い表情は、心の底から幸せを噛み締めている事が見て取れるものだった。
 その様子に、恭也が心情を吐露するように呟いた。

「凄いな、はやては…」
「恭也?」
「…命を守るのは難しい。だが、心を守る事はもっと難しい。
 …俺には出来なかった事だ」

 それが、恭也にとってトラウマと呼べるほどの出来事を指している事に気付いたなのは達が咄嗟に恭也に掛ける言葉を見付けられずにいると、事情を知らない筈のリインフォースが気負う事無く言葉を返した。

「そんな事は無い。
 お前は一度として私を“闇の書”と呼ぶ事はなかった。
 それだけでも、私には涙が出るほど嬉しかったよ」

267小閑者:2017/11/04(土) 13:05:23
 その言葉に恭也が目を見開いた。
 恭也の反応にリインフォースが苦笑を漏らす。
 恭也はやはり、気付いていなかった。恭也の言動にどれほど周囲の者が勇気付けられたか。喜んだか。心安らいだか。
 周囲の人達も、彼の心境を気に病んでいたようだ。恭也の様子に呆れると共に安堵している事が分かる。
 恭也が友人に恵まれている事に少しだけ安心した。

 だが、“それだけ”でもある。
 恭也が人前で意識を失うなど非常事態と言えるものだ。そして、ユーノの結界でどれほど回復出来たか知らないが、平然と会話して見せいている今現在さえ、気絶していた時とコンディションは大して変わらない筈だ。
 懸念が現実になる可能性など常について回っている。
 不意にリインフォースの口からその不安が零れ落ちた。

「…本当に、夢から醒めてしまって良かったのか?」

 周囲の者が色めき立つ中、当の本人は動揺する事無く視線だけで続きを促した。

「お前の性格や行動理念では、この先も生きていくだけで辛い事がたくさんあるだろう。
 かつて、私が仕えた主たちは夢である事を承知しながらも、その世界で一生を遂げる者は何人も居た。
 “現実から逃げ出した”と非難する者も居たが、そんな言葉の届かない世界だ。
 望みさえすれば、あらゆる害意も悪意も無縁になる。
 …それはお前にとって、それほど忌避するものだったのか?」
「…予想はしていたが、やはりそういう意図だったか」

 珍しく視線を彷徨わせながら恭也が嘆息を零す。
 面倒事を避けるためにせよ、弱味を見せないためにせよ、即座に否定すると予想していたクロノは訝し気に眉を寄せた。
 恐らくは何かを言おうとして性格やプライドと葛藤しているのだろうが、即座にそちらに傾かない事が既に珍事と言える。
 喫茶翠屋で初対面にも拘らず辛い境遇に関わる事を話して貰ったフェイトには、その時の様子を突き付けられている様で、かなり居た堪れない心境だ。

「別に忌避した訳でも嫌悪した訳でもない。
 …まあ、個人差だとでも思っておいてくれ」
「無理強いする気はないが、言いたく無いような内容なのか?」

 問われた恭也は腕の中のはやてと、抱きついて支えてくれているなのはとフェイトをちらりと流し見た後、溜息を吐く。

「まあ、な。
 …一つ挙げるなら。
 俺は父親に助けられた。なら、助けられた俺が逃げ出す訳にはいかんだろう?」
「我が主も、同じ事を仰っていたな…
 済まない」

 恭也とはやてが共通の見解を出したため、リインフォースもそれ以上夢の世界を勧める気は無くなった。だが、それを引き下げるからには、謝罪しなければ筋が通らなくなる。

「何故、謝る?
 そうする事で俺を救えると信じて取った行動だろう」
「悪意が無ければ何をしても赦されるとは思っていない。
 結果としてお前に家族との別離を体験させてしまったんだ。
 …償う術があるとは思っていないが、私に出来る事なら何でもしよう。
 お前の気の済むようにしてくれて構わない」
「…阿呆が、鏡を見た事が無いのか?
 お前の容姿で、男に向かって“何でもする”なんて二度と言うな。言えばそれさえ受け入れる気で居る辺りが尚悪い」
「…相手は選んでいるさ。
 恭也が望むなら、私は構わないが」

 その言葉にシグナムとシャマル、クロノとエイミィが驚いて顔を赤らめた。尤も、抱きついているなのはとフェイトはキョトンとしているし、恭也達は彼女らの反応を気に留める事もなく会話を続けていたが。

「お前が望むとも思ってはいないよ」
「左様で。
 …その事は気にするな。夢とはいえ、もう一度話す事が出来たんだ。むしろ感謝しても良い位だ。
 “何でもする”と言うなら、“二度とこの話題を蒸し返すな”」
「…わかった」

 答えた恭也の様子に納得出来るものがあったのか、リインフォースはそれ以上言葉を重ねる事はなかった。

268小閑者:2017/11/04(土) 13:05:58
 2人の会話が終わるタイミングを見計らいエイミィが全員に声を掛けた。

『お待たせ。
 転送の準備が出来たよ』
「分かった。
 はやても横になった方が良いだろう。君達も異論は無いな?」
「ああ。
 …迷惑ばかり掛けておいて虫のいい事を言っているという自覚はあるが、主はやての治療を頼む」
「最善を尽くす事は約束する」

 シグナムの願いにクロノが真摯な言葉を返すと、それを聞いたヴォルケンリッターが微笑を浮かべた。
 安心して浮かべた筈の微笑みが寂しそうに見えた事を不思議に思いながら、なのはとフェイトは長かった事件が無事に解決した事に笑顔を交した。



 まだ、幕が引かれていないことを知らされたのはアースラに戻ってからの事だった。




続く

269小閑者:2017/11/19(日) 10:45:33
第24話 選択




 転送ポートに揃って降り立つ一同を出迎えたのはデバイスを構えた20人前後の管理局員だった。
 シグナム達は雰囲気を緊張させながらも反射的に身構えようとする体を意識して押さえ込む。
 自分達は犯罪者だ。拘束されるのが当然であって、抵抗してこれ以上心象を悪くすればはやてが不利になるだけだ。
 だが、はやてを抱き抱えた恭也は場の緊張感をまるきり無視して歩き出した。気負う事の無いその歩調にあるのは、戦闘時の幻惑する様な不規則性でも見失うような希薄さでもなく、散歩しているような気楽さだけだった。
 局員の攻撃を誘発させかねない不用意な行動。恭也にもそう見られる自覚はあったようで歩調を緩める事無く落ち着いた口調で局員に向けて声を掛けた。

「病人です。抵抗する積もりはありませんから今は通して下さい。
 信用出来なければ片腕くらい置いていきますが?」
「怖い事をサラッと言うんじゃない!」

 即座に入ったクロノのツッコミに局員の態度が弛緩する。
 対照的にクロノ達は冷や汗が浮かぶ思いだ。
 今の恭也に冗談を言う余裕は無いだろう。冗談めかした落ち着いた口調だったがあれは本気だ。要求すれば即座に躊躇無く自分の腕を切り落としかねない。

「我々も戦いを望んでいる訳ではない。事件が解決したならそれで十分だ。
 だが、投降を認めたとはいえ規定に従い武装解除と拘束はさせて貰う」
「分かりました。武器は預けます。ですが、拘束はこの子を医務室に運ぶまで待って頂きたい」
「ああ、わかった、…んだが、話をする時くらい立ち止まらないか?」

 局員側の代表として発言していた壮年の男が、横を通り過ぎようとする恭也に呆れ気味に問い掛ける。
 恭也は片眉を上げる程度のリアクションも無く、右腕だけではやてを抱き上げ直すと左手で鞘ごと外した二振りの小太刀を押し付けるように男に渡して通り過ぎていく。
 顔を顰める男に対して頭を下げたのは、既に後姿を見せている本人ではなかった。

「あ、あの、ごめんなさい!」
「恭也、悪気は無いんです!」
「今、凄く疲れてて、でもはやてちゃんの事が凄く心配で!」
「だから、あなた方を怒らせようとか、そういう積もりはなくて!」
「分かってるから、落ち着いてくれ、2人とも」

 詰め寄る様にして恭也を弁護してくるなのはとフェイトに男も苦笑を返す。
 傍目にそうと分からないだけで恭也が極限状態にある事は全員が承知しているのだ。
 恭也が医務室で暴れた理由も、シグナムとの戦闘も、闇の書との遣り取りと夢中へ取り込まれた事も、且つ自力で帰還した事とそれが意味する事も。
 今の恭也を誰が責められるものか。
 …ただ、十代半ばの局員にはこんな可愛らしい女の子達が必死になって庇ってくれる恭也を羨み、去り行く彼の背中にじっとりとした視線を投げる者も居たが。

「君達もデバイスを置いたら行って良い」
「クロノ執務官、事情は聞いていますがあまり規定を外れる行為は…」
「…良いのか?拘束くらい構わないが?」

 クロノの言葉に難色を示す若い局員を気遣うようにシグナムが問い返すが答えたのは本人ではなかった。

「構いません。
 はやてさんが目を覚ました時に貴方達が縛られていたら驚いてしまうでしょう?」
「艦長…」

 いつの間にか背後に立っていたリンディに別の若い局員が情けない声を出した。幼さすら漂わせる顔立ちからも分かる通り入局して間も無いのだろう。教本を額面通り学んできた彼らは、規律を逸脱し続けるリンディの采配に困惑しているのだ。
 リンディは彼らの心情を察しながらも表情を曇らせる事無く、その局員にも納得出来る理由を開示してみせる。

「その代わり、監視モニターを切る事は出来ないから問題になる様な行動は取らないこと。
 裁判ではやてさんが不利になってしまいますからね?」
「承知しています。
 ご厚意、感謝します」

 リンディとシグナムの遣り取りが終わったと見るや、直ぐ様ヴィータが恭也を追って駆け出した。シャマル、ザフィーラ、シグナムも走りこそしないが、早足に後を追う。
 いくらリインフォースの保証があっても、実際にはやてが気を失っている以上心配せずにいられる筈がないのだ。
 ちなみに当然の様に歩いていく恭也には道案内は付いていない。アースラに滞在した期間の大半を過ごした医務室への道順を今更確認する必要は無いからだ。

270小閑者:2017/11/19(日) 10:47:43


 医務局長の言葉に全員が安堵のため息を吐いた。
 リインフォースの説明を疑っていた訳ではないが、やはり正規の医療関係者に回復を告げられると安心感が違う。

「そう、ですか。
 ありがとうございました」
「安心したならお前さんも休め。もうボロボロじゃろうが」

 医務局長は呆れと諦めを等分に込めた口調で恭也に言った。
 恭也の自己管理能力が高い事も、それでいて他人のために無理をする事も承知している。結局のところこの少年は本人が納得すれば勝手に休息を取るし、納得しなければ何を言ったところで休息を取らないのだ。
 勿論、彼も恭也が本当にヤバイ状態であれば力ずくでドクターストップを掛ける事も辞さない。それが声を掛けるに留めたのは少なくとも肉体的にはそこまででは無いと判断したからだ。

「大袈裟ですよ。
 それにまだ気になる事があるんです」
「ほどほどにな」

 忠告は済んだとばかりに控え室へと戻っていく医務局長の態度は見ようによってはかなり投げやりだ。恐らくは乗組員にも無理をする者がいるのだろう。
 いたく共感出来るシャマルは、去り行く老人の後姿に申し訳無さそうに頭を下げた。彼の心労を減らせない以上、シャマルに出来るのはこれで精一杯なのだ。
 だが、彼女らの心情など一顧だにせず、恭也ははやての診察中に遅れて入室していたリインフォースに向き合った。

「リインフォース。
 念のために魔導書を管理局で調査して貰わないか?
 …貴方にとって魔導書は体か何かに相当するんだろうから、敵対していた組織に預ける事には抵抗があると思うが、敢えて頼む」
「ああ、構わない。
 緊急事態とはいえ、お前が刀を預けるほど信用しているんだろう?なら、私が疑う訳には行かないさ」
「…すまない」
「謝る必要がどこにある。
 …防御プログラムの事か?」
「っ…ああ」
「まったく…
 魔導の知識は無いに等しいくせに、どうしてそこまで勘が働くのやら」

 そう呟きながらリインフォースは苦笑を漏らす。
 この男は隠したい事に限って、アッサリと嗅ぎ付けてみせるのだから始末に悪い。出来る事なら知られる前に片を着けたいのだが。

「残念ながら、お前の懸念は当たっている。
 そして、恐らくその希望は叶わない」
「納得出来ない結末を座して待つ積もりは無い」
「…そうだろうな」

 儚く微笑むリインフォースから目を背ける様にして、差し出された魔導書を掴んだ恭也は足早に医務局を出て行った。
 その後姿を閉じた扉が遮ると、怪訝な顔をしたヴィータがリーンフォースに問い掛けた。

「おい、リインフォース、何の話だよ」
「…遠く無い未来、防御プログラムが復活する」
「!
 …そっか。
 だけどどうして恭也が知ってたんだ?防御プログラムだけを破壊出来るなんて管理局だって想定してなかったんだろ?」
「何かしら勘を刺激するものがあったんだろう。
 この世界の家庭用のコンピュータでも、アンインストールしない限り何度でもプログラムを立ち上げる事が出来るから同じ様に考えたのかもしれないし、我が主がお前達を再召喚した事から連想したのかもしれない。
 案外、もっと単純に“嫌な予感”程度かもしれないな」
「じゃあ、恭也君は防御プログラムを修正する方法を探す積もりなの?」
「もしくは、魔導書から削除する方法だな。
 お前が『その希望が叶わない』と言う根拠は何だ?」
「…管理局にはあれを読み解く事が出来ない。恐らくな」

271小閑者:2017/11/19(日) 10:53:21
「解析出来ない!?
 どういうことだ!」
「それをこれから説明しようとしているんだ。
 少し落ち着いてくれ」

 詰め寄って胸倉を掴む恭也を冷静に見据えたクロノが、恭也を取り押さえようとする周囲の局員を手を翳す事で制止しながら静かに答えた。
 共に技術室を訪れ、1時間近い時間を費やして漸く得られた結論がそれでは恭也が取り乱すのも無理は無いだろう。
 殊更ゆっくりとしたクロノの言葉に漸く自分の言動に気付いた恭也が手を離し1歩退くと、苦労しながらもどうにか篭ってしまう力を抜く。
 クロノはそんな恭也から思わず視線を逸らした。

 流石に、キツイな。

 クロノとて局員として働き、多くの事件に携わってきた。
 ハッピーエンドに辿り着けたものもあったし、そこまで行かずとも悲劇を食い止める事に成功した事件もあった。だが、努力も虚しく悲惨な結末を迎えた事件も決して少なくはなかった。
 それらと比較すればこの事件は上手く収束に向かっていると言えるだろう。これまでに発生した闇の書事件と比較しても、形はどうあれオーバーSランクの魔導師が関わった事件としても、何より第一級ロストロギアに認定された事件としても信じ難いほど小さな被害規模で済もうとしている。ハッピーエンドに分類しても良い位だ。
 それでも、関わった者全てが幸せになれる訳ではないのが実情だ。

 決して恭也1人が努力してきたなどという事はない。局員の中には重傷者こそいないが未だに病室のベットから出られない者もいる。
 だが、だからといって、目の前で苦悩する姿を見て何も感じない訳ではない。

 深呼吸で表面上だけでも冷静さを取り繕った恭也が改めてクロノに問いかけた。

「…それで?」
「闇の書は、…スマン、夜天の魔導書は、体系としてはベルカ式に分類される。僕達の扱うミッドチルダ式とはプログラムの書式が違うんだ。
 更に言うなら、製作されたのは遥か昔だ。古代ベルカ式と分類している」
「それは予想出来た事だな?」
「そうだ。
 アースラの乗員に古代ベルカ式に精通する者はいないから、本局の技術部に解析できる者を何人か待機させていた。
 だが、送信したデータを読み解く事が出来なかった。文字がバラバラで文法どころか単語としても成り立っていなくて、とても意味を成しているとは思えなかったそうだ」
「まさか、そこまで…?」
「いや、プログラムが壊れている訳では無い筈だ。
 プログラムと言うのは複雑且つ繊細だ。人格を形成するほどのプログラムとなれば数十万行でもきかないだろう。その内、いくつかの単語が間違っているだけで正常に起動しない場合も有り得る。バラバラ何て以ての外だ。
 解析出来なかった理由として彼等が上げた物は2つ。
 1つは夜天の魔導書に用いられているプログラム言語が低級寄りの可能性」
「低級?
 人格を持つほどのプログラムの存在に懐疑的だったのはお前だろう。それはベルカのものがミッドのものより高度と言う事ではないのか?」
「プログラム言語としての高低だ。どういったら良いか…。
 デバイスが処理する言語は僕等の物とはかけ離れているんだ。それは人間の技術者が組むプログラムですらない。だから、デバイスはプログラムを実行する時に、技術者の組んだプログラムを翻訳・変換しているんだ。
 これはシステムソフトウエア、つまりリインフォースの人格部分でも、一つの攻撃魔法を起動する部分でも変わらない。
 言語の高低と言うのは、人間の読み易い物を高級、デバイス寄りの物を低級と言う。
 プログラムとしての優劣を言うなら言語変換に掛かる負荷が少ない分、言語として低級なほどプログラムとしては優れていると言えなくも無い。
 勿論、変換し終わったものを保存しているだろうから実質的な違いは大して無いんだが…」
「十分だ。尋ね返しておいて言うのもなんだが、脱線してるんじゃないのか?」
「う、スマン。
 古代ベルカ式の技術の多くは散逸してしまっていて、現在の研究成果では古代ベルカ式のデバイスが走らせるプログラムを直接読みとる事は出来ないんだ。現存する物は『壊れていないからそのまま使っている』か『デバイスを継承している一族のみにメンテナンス方法が伝承されている』ようだ。
 だから分かったことは、確認されている古代ベルカ式のデバイスの言語とは違うと言うことだけだ。
 更に言うなら、一言で『古代ベルカ式』と言っても、製作された年代から地域まで考えれば人間の組むプログラム言語どころかデバイスのシステム言語すら同じではない可能性がある。
 使用されている言語が未知のものであれば、言語の解析や体系付けるだけで最低でも数年は掛かるそうだ。
 リインフォースが魔導書にアクセスしてくれなかったらデータの引き出しすら困難だったらしいから、『古代ベルカ式』で一括りにしたのは考えが甘かったと言うことだろう」

272小閑者:2017/11/19(日) 10:59:29
「遠隔操作でそんなことまで出来るのか?」
「自分自身の様なものだからな。どの程度の距離までかは知らないが、艦内程度なら大した距離ではないんだろう。
 話を戻すぞ?
 解析出来なかった理由のもう1つの可能性はプログラムデータの暗号化だ」
「…機密か。そう言えば魔導技術の蒐集が本分だったな」
「ああ。
 他者から情報を隠蔽したとしても不思議じゃない。
 暗号だったとすればそれを解読するには10年単位の期間が必要になるそうだ」

 言葉が途切れる。
 防衛プログラムの再起動が何時になるか分かっている訳ではないが、仮にも「無限再生」などと呼ばれる程の機能を持っているのだから月単位と考えることすら楽観的だろう。
 だが、恭也は勿論、クロノとてデバイスの機構について専門的な知識は持ち合わせていない。専門家が解析不可能と判断したならそれを覆す手段など持ち合わせている筈がなかった。

「…リインフォースが言語の翻訳方法や暗号の解読方法を知っている、と言うことは無いか?」
「彼女なら僕達がプログラム解析で躓くことを予想出来ただろうからな。
 解読方法を教えてこないと言うことは、知らないのだろうとは思っていたんだが、先ほど確認したら謝罪の言葉が返ってきた」
「…クソッ」

 力無く悪態を吐いた恭也が、不意に顔を上げて入り口を見やる。
 それに倣ってクロノもドアの方へ顔を向けるが一向にドアが開く様子はなかった。
 気配とやらで人が居ることを察知できる恭也が視線を向けたので、てっきり誰かが入室してくるのかと思ったのだ。
 怪訝に思ったクロノが問いかける前に恭也の零した言葉が耳に届いた。

「どうして、誰も来ない…?」
「…恭也?誰か来る予定なのか?」
「違う。状況は分かっている筈なのにヴォルケンリッター達が何故1人も来ていない?」
「…あの子が目を覚ました時に不安がらせないように傍にいるんじゃないのか?」
「子供じゃないんだ、全員が揃ってる必要はないだろう」
「いや、9歳は十分子供だろう」
「ヴォルケンリッターの事だ!
 こちらにいても出来る事が無いのは変わらないかも知れないが、何かしらの情報が得られる可能性だってあるんだぞ!?」
「…管理局に期待してなかったんじゃないのか?
 端から解析出来ないと」
「藁にも縋りたい現状でそんな贅沢を言うほどの馬鹿じゃない…
 医務局の状況は!?」
「落ち着いてくれ。
 あの子の症状に変化があれば連絡が来ることになってる。大丈夫だ」
「そんな事を言ってるんじゃッ…
 お前、何か知っているな?」

 それほどおかしな反応は返していない積もりだったが、やはり不自然だっただろうか?
 騙し通せると思っていた訳ではないが、思いの外あっさりとばれたな。いや、予想通り、と言うべきか。

 諦観したクロノは、威圧感を増していく恭也を刺激しないように意識してゆっくしりた口調で語りだした。

「僕達はリインフォースからの提案を受け入れたんだ。
 魔導書の解析に成功し、防御プログラムの修正か削除が出来ればそれで良し。
 出来なかった場合には、魔導書からヴォルケンリッターの存在を切り離し、魔導書を破壊する、と」
「っ!
 …切り離す、とは?」

 「魔導書の破壊」と聞いても辛うじて理性をつなぎ止めている恭也に痛々しさすら感じながら、変わらぬ口調でクロノが答える。

「守護騎士プログラムはリンカーコアを形成し、それを核として実体を生み出すものだそうだ。
 そして、一度顕現すれば基本的に魔導書との交信を行う必要がない。
 だから、リインフォースの裁量と外部からの補助を受ければ、マスターであるはやての承認が無くとも独立させる事が出来るそうだ。
 独立、つまり魔導書から切り離してしまうと、以降は消滅しても二度と再起動は出来なくなる。つまり、人間の死と同等になる。
 代わりに、魔導書が破壊されても影響を受けなくなる」
「…問題が無い様に聞こえるが、それなら隠しておく理由がないな。
 リインフォースはどうなる?」
「…彼女の役割は魔導書の管制だ。
 当然、魔導書とも密接に関わっているし、顕現していても彼女自身はリンカーコアを形成している訳じゃない。言ってしまえば、彼女の核は魔導書そのものだ。
 リインフォースは、魔導書を破壊すれば存在する術を失うことになる」

 クロノはそれだけ告げると、黙って恭也の反応を伺った。

273小閑者:2017/11/19(日) 11:04:09
 射殺そうとするかのように鋭い眼光。全身から溢れ出す身の毛がよだつほどの殺意。それらを押し止める強固な理性。
 危ういところではあるが恭也がどうにか均衡を保っている事を見て取り、クロノは密かに胸をなで下ろした。
 怒りのはけ口として、全力で殴りかかってくる事も想定していたが、この期に及んで理性が感情を上回っているようだ。異常と言っても良いほどの自制心だが、素直にそれに感謝しておくべきだろう。
 この男と閉鎖空間で戦う事だけはなんとしてでも避けたい。それがクロノの偽らざる本音だ。
 加減されていた(筈)とはいえ、Sランク魔導師に肉弾戦を挑む無謀さも、ダメージを与えてみせる非常識さも、五体満足で凌ぎきる異常性も、敵対したくない理由には事欠かない男なのだから。

 クロノがあまり人に聞かせられない考えを巡らせていると、隣室にいた技術者が慌てた様子で飛び込んできた。
 恭也の纏う雰囲気に気付いていればそのまま固まってしまっていただろうが、幸いにも周囲を観察する余裕を失っていた彼はクロノの姿を認めた時点で叫ぶように呼びかけた。

「クロノ執務官!」
「どうした?」
「闇の書が突然転送しました!」
「…そうか」
「そうか、って、良いんですか!?奴ら、また暴れ出す積もりじゃあ!?」
「大丈夫だ。
 僕も提督も、その件は承知している。
 ご苦労だった。通常勤務に戻ってくれ」
「え?は、はあ…」

 クロノの言葉に呆気に取られる局員を完全に無視して、クロノに向けられている恭也の視線が圧力を増した。
 魔導書を破壊する案を聞いた直後にこの事態を知れば、誰であろうと直感が働くだろう。

「…魔導書を壊し終わった訳じゃ無いだろうな!?」
「恐らくは、まだだ。
 破壊する前に守護騎士達を独立させる必要があるから、相応の手順を踏む筈だ」
「場所は!?」
「聞いていない」

 怒鳴りつけるように問い掛けてくる恭也に答えながら、クロノは恭也の挙動に意識を集中する。
 最早、恭也が何時暴走しても何の不思議もない。
 出来れば穏便に済ませたいと切に願っているのだが、自分の持つ情報は嘘偽り無く開示しても恭也の怒りを触発する役にしか立たないだろう。
 嫌な感じの汗が背中を伝うのを感じていると、抑揚を失った声が部屋に響いた。

「…はやては?」
「…!?
 家に、帰っている」

 あまりの変貌に一瞬声の主が誰か本気で迷い、慌てて答えた。
 本格的に、不味いのでは?

「心身に負担がかかっているから、自分の家の方が療養に向いているという判断で了承された」
「不破を、デバイスを借りたい。
 それから俺も地球へ転送してくれ。今すぐだ」
「分かった。
 転送ポートへの道順は分かるな?
 君のデバイスもそこに運ぶように手配しておく」

 クロノの言葉を最後まで聞く事無く恭也が駆け出した。技術部の扉をこじ開ける様にして退室した恭也を見送るとクロノが大きくため息を吐いた。まさしく猛獣の居る檻に閉じ込められた気分だった。
 弛緩しているクロノに図った様なタイミングでリンディから通信が入る。まあ実際に部屋の様子をモニタしていたのだろうが。

<お疲れさま、クロノ>
「本当に疲れましたよ。
 ですが、行かせて良かったんですか?リインフォースには足止めも頼まれていたんでしょう?」
<『出来るだけ』って注釈付きだったもの。
 クロノが出来る範囲で時間は稼いでくれたじゃない>
「御命令とあれば拘束しましたが?」
<恭也さんを相手にするには、その部屋は狭すぎるわ。部下に無意味なリスクを背負わせる気は無いの>

 流石にお見通しか。
 まあ、恭也の戦闘記録は一緒に確認しているのだから、至る結論が同じになるのは道理だろう。
 尤も、それが必要であれば、リスクを承知でリンディは命じただろうし、最終手段として転送ポートを使用させなければ恭也に地球へ行く術は無くなるのだ。
 つまり、恭也を止めない理由は別にある。

<…立ち会わなければ、恭也さんだけ取り残されてしまうかもしれないものね>
「そう、ですね。
 前に進むためには、現実から目を逸らす訳には行きませんから」

 それが正しいと言い切れる自信は2人にも無かった。
 疲弊した恭也の精神には耐えきれない可能性だってあるのだ。
 だが、同時に引き留めることが正しいとも限らない。
 当事者ではない2人に出来ることは、ただ見守る事だけだった。



     * * * * * * * * * *

274小閑者:2017/11/19(日) 11:08:36
 音も無く舞い降りる雪がうっすらと敷き詰められた丘の上。
 市街の喧噪は届かず、厚い雲に月明かりも閉ざされたこの場所は、街灯の明かりで強調された闇によって異世界に迷い込んだかと錯覚するほどの雰囲気に包まれていた。
 その空間に、悲愴感の滲む少女の声が響いた。

「マスターは私や!
 言う事聞いて!」
「駄々っ子はお友達に嫌われてしまいますよ?
 私に、デバイスとして最も優れた手段を選ばせて下さい」

 転倒した車椅子の傍らで雪と泥にまみれたはやては、頬を伝う涙を拭う事も忘れて懸命に言葉を重ねていた。

 なのはとフェイトどころかヴォルケンリッターもこの儀式を行うために魔法陣の中に立っている。それはリインフォースが消える事を受け入れたという証だ。
 だが、ヴォルケンリッターを責める事は出来ない。その選択に因る犠牲がリインフォースだったのは単なる結果でしかないからだ。それが他の誰かだったとしても同じ様に選択しただろう。
 なにより、彼女達の悲しみに沈んだ顔が、決してこの選択を納得していないと語っている。
 ならば、この役目は、リインフォースを引き留めるのはマスターである自分が請け負うべきものだ。
 だが、幼い妹をあやす様に穏やかな口調で応えるリインフォースの透明な微笑を見ては、彼女の説得が無理だと悟らざるを得なかった。

 リインフォースは受け入れしまったのだ。
 自分が消える事で家族が助かるのなら、はやてだってそれを選ぶだろう。
 だが、それでも納得する訳には行かないのだ。

「そやかて、やっと解放されて、これからいっぱい、幸せにならなあかんのに…」

 手を離せばそのまま消えてしまう様な錯覚にかられ、リインフォースを掴む手に必死の想いで力を込める。
 だが、そんなはやての小さな手を暖めるように、リインフォースが上からそっと手を重ねた。

「私は十分に幸せにして頂きました。
 綺麗な名前を貰い、家族と呼ばれ、貴女の力になることも出来ました。
 私は、世界一幸福なデバイスです」
「…でも、でもぉ」

 はやての頬を伝う涙が増え、滲んだ視界がリインフォースの姿を霞ませる。
 想いとは裏腹に引き留める掌から力が抜けていく。
 抗えなくなる。
 彼女の言葉を、意志を受け入れてしまおうとしている自分がいる。

 心が挫け、諦めようとする寸前。
 まるで、絶望に直面した敬虔な信者が神の名を口にする様に、はやてがその名を呟いた。

「恭也さん…」

 恭也なら、きっと何とかしてくれる。そんな都合の良い事を思っていた訳ではない。
 それでも、ただ、傍に居て欲しかった。
 だが、同時に宇宙船にいる恭也がこの場に辿り着けない事も頭の片隅で理解出来ていた。
 だから、はやてにはリインフォースの言葉の意味を直ぐに理解する事が出来なかった。

「…来てしまったか。
 良かれと思ったんだが。
 …こうも悉く跳ね除けられると言う事は、残念だがおまえとは余程相性が悪いのだろうな」
「…え?」

 リインフォースの視線を追って空を見渡すが、街灯の明かりが闇を際立たせているため、はやてには街灯越しに何かを見つけることは出来なかった。…いや、木立より僅かに高い空間に鈍い光のラインがこちらに移動してきているのが辛うじて見えた。
 勿論、不思議がるのははやてだけで、他の者達は即座にそれの正体に見当をつけていた。
 あの光は、ラインが移動している訳ではない。
 いくつもの小さな光点がもの凄い速度でこちらの方向に生成され、極短時間で綻び、消滅しているのだ。それが距離を置いているために移動している様に見えているに過ぎない。
 そして、そんな方法で高速移動が出来る者も、そんな方法でしか高速移動が出来ない者も、この場に居る誰もが心当たりは1人しか居なかった。

「恭也さん!?」

 肉眼で判別出来る距離になり、はやてが驚いて声を上げる横でリインフォースが眉を顰めた。恭也が足場として生成している魔法陣が、遠目に見ても明らかに構成が粗くなっていたのだ。
 リインフォースが恭也とこの場を繋げる足場を形成しようとして、しかし恭也に隠れて消え去ろうとしていた後ろめたさから魔法の行使を躊躇った瞬間、足場を踏み抜いた恭也が林の中に落下した。

『あっ!』

 意図せず唱和した驚嘆の叫び声の直後、枝や幹が折れるバサバサバキバキという音が静寂を破って響きわたった。

275小閑者:2017/11/19(日) 11:10:40
 それが、普段の恭也であれば誰も心配などしなかっただろう。
 だが、普段の恭也は限界を見誤って足場を踏み抜く様な迂闊さも、落ちる先が林の真ん中になる様な不用意さも、枝を折る様な平凡さも持ち合わせていないのだ。
 防御プログラムとの戦闘から1時間程度しか経過していないし、自分達の体にもしっかりと疲労が残っている。
 恭也だけは例外。そんな、有り得ない幻想に囚われれば、また恭也に無理をさせてしまう。

『恭也!』
「動くなっ!
 頼む、動かないでくれ!儀式が崩れてしまう!」

 語尾こそ違えど、全員が名を叫び駆け出そうとするのをリインフォースが必死に押し止めようと声を張り上げた。
 だが、心底からの懇願の声に辛うじて踏み止まったとは言っても、納得している者は1人としていない。

「そんな事を言ってる場合じゃないでしょう!?」
「そうだ!恭也があんな落ち方したんだぞ!どう考えたってやべぇだろうが!」
「恭也君、ずっとずっと無理を続けてたんだよ!早く助けてあげないと!」
「儀式ならもう一度やり直せば良い!今は恭也を!」
「駄目なんだ!
 …もう一度、陣を築けるほど回復するには時間が掛かり過ぎる。
 今を逃せば、次の暴走に間に合わないかもしれない…」
「大丈夫や!みんなの力を借りれば、絶対さっきみたいに上手くいく!」

 リインフォースの言葉にはやてが必死に反論する。説得出来るとすれば彼女が感情を揺らしている今しかない。
 落下した恭也の事も当然心配だが、どのみちリインフォースを説き伏せなければ歩けないはやてには助けに行くことが出来ないのだ。

 恭也の様相と危うく儀式が中断しかけた事に動揺したリインフォースは、はやての魅力溢れる甘い言葉に思い切り揺さぶられた。
 終わる事は無いと諦めて久しい、幾度となく繰り返されてきた悪夢が終焉を迎えたのだ。
 過去の多くのマスターの中でも、幼いながらも非凡な人格を有する主に仕えることが出来るのだ。
 これほどの幸せは無い。
 これほどの喜びは無い。
 それらを失いたい筈など、無いではないか!



 だが、それでも。
 いや、だからこそ!



「…同じ方法が通用するとは限りません。
 皆の疲労が回復する前に始まる可能性すらあります。
 管理局の魔導砲が次も使用出来るとは限りません。
 仮に暴走までに期間があったとしても、管理局が高確率の危険を看過するとは思えません」
「や、やってもみんうちから諦めたらあかん!
 恭也さんに怒られたばっかやろう!?」
「一度でも踏み外せば奈落へ落ちる綱渡りを延々と続ける事など承諾する訳には行きません。
 既に発生してしまった事態であれば危険を孕む賭に出る事もあるでしょう。
 ですが、事前に事態を回避する選択肢が在りながら、敢えて危険な道を選ぶ事を勇気とは言いません」


「阿呆が。
 ゼェッ、仲間を見捨てる方法を、ゲホッ選択肢などと言うものか!」
「!?」


 荒い語調とは裏腹に呼吸の乱れたか細い声が届いた。
 発言者である恭也が藪をかき分けて姿を現すと、背を向けているはやて以外の全員が驚きに息を飲む。

「恭也さん!…ッ!?」

 恭也が無事だった事、リインフォースを説得する勢力になってくれる事に安堵しながら振り向いたはやても、恭也の姿に息を呑み、続く言葉を途切れさせた。

 覚束ない足取り。
 右手で樹に寄りかかることで辛うじて支えられている体。
 肘と手首の間で向きを変え、力無く下ろされた左腕。
 顔の右側面を赤く染め、顎から滴り落ちる大量の血。

 非殺傷設定での魔法戦しか知らないなのはやフェイト、そもそも戦闘経験が防御プログラム戦しかないはやては、眼前の光景が理解出来なかった。
 無理も無いだろう。言葉としてしか知らなかった、戦いとそれが齎す結果を見せ付けられたのだから。
 同時に、恭也だけは負傷とは無縁だという、無意識の内に持っていた妄信を浮き彫りにされ、完膚なきまでに否定されたのだ。
 敵が居るかどうかは問題ではない。本人のキャパシティを超える事態に対処しようとすれば、多少の差はあれ、同じ様にリスクを背負う事になるのだ。

276小閑者:2017/11/19(日) 11:12:06
 声も無く固まる一同の様子を意に介さず、真っ直ぐにリインフォースを見据えていた恭也にリインフォースから口を開いた。

「状況は聞いているな?」
「ああ」
「それでも、止めるのか?」
「当然だ」
「…暴走した時には、どう対処する積もりだ?」
「あんなものは俺が切り捨ててやる」
「命懸けで、か?」
「掛ける必要など無い。片手間でやってやる」
「ここに辿り着くだけでそれだけ傷だらけになっている様では説得力が無いぞ。
 それに、その事態に臨めば、ここに居るメンバーは全員が参戦するだろう。そして全員が等しく命を落とすリスクを負う。
 それは、今私がしようとしている事と本質的には変わらない」
「…」

 リインフォースの言葉が恭也の反論を完璧に封じた。

 成功の可否ではなく、実行する上で負う事になるリスクの大きさ。
 失敗すれば戦闘参加者全員の命とその次元世界に住む全ての生物が消滅する。成功したとしても、誰かが死傷する可能性は決して低くは無い。
 それは、今この場でリインフォースが行おうとしている行為とどれほどの差があるというのか?
 防御プログラムとの戦闘は誰も失わない可能性がある、と言えば聞こえは良いが実質的には不可能だろう。
 今回は圧倒的な火力であっさりと消滅させたように見えるが、実際には薄氷を渡るのに近い行為だ。出現地点が町中であれば全力を揮うことすら侭なら無い。メンバーが揃えられない可能性もある。何より、防御プログラムを消滅させるのに不可欠である魔導砲アルカンシェルは気軽に使用出来るものでは無いだろう。

 リインフォースは口を噤んだ恭也を見て苦笑を漏らす。
 論破されて尚、怯む事も、戸惑う事も無く、傷だらけの体を引きずりながら眼光を揺るがせない、その姿を。

 やはり、いくら言葉を重ねてもこの男は止められないか。

 予想は、していた。
 誰に言われるまでもなく恭也は理解していたのだろう。状況も、リスクも、成功する可能性の低さすら。だからこそ、すぐにでも体を休める必要があるにも関わらず、アースラに収容されても奔走していたのだから。
 いや、例え今指摘されるまで理解出来ていなかったとしても同じだったのかもしれない。
 周囲の声を聞く柔軟性を持ちながら、それでも一度決めたことは貫き通す奴だ。

「どうしても、諦めてはくれないんだな」
「当たり前だ。お前の命を代償に生かされるなど、御免被る」
「お前達の命を代償に生かされる私はどうなる?」
「知ったことか」
「身勝手な奴だ」

 リインフォースが溜息とともに僅かに恭也から視線を逸らした瞬間、樹に寄りかかっていた恭也が爆発する様な勢いで迷う事無くリインフォースへと突進した。リインフォースが魔法陣から出れば儀式が崩れる。その言葉が聞こえていたのだろう。
 だが、形振り構わず彼女を弾き出そうと最短距離を弾丸の如く駆ける恭也に、周囲の空間から幾つもの光の鎖が絡みついた。

「ガァッ!?」

 バインドは外観通りの鎖の形状を持ちながら、その凹凸が肌に食い込む事は無い。だが、猛烈なスピードを瞬時にゼロにされたため壁にぶつかるのと同等の衝撃が恭也を襲い、その口から苦悶が漏れた。
 瞬く間に終結したその一連の事態に対して、はやては理解が追いつかず、なのはとフェイトは驚き、ヴォルケンリッターは眉を顰める。

 魔力の枯渇した恭也には最早抗う手段が無い。
 予備知識を持たないはやては、その考えから恭也が何か行動を起こすとは思っていなかった。
 だが、そんな筈が無いのだ。
 意識を失っていない恭也が諦めることなど絶対に無い。それに、恭也の戦闘は魔法を主軸においてはいない。
 しかし、だからこそ、原因が負傷か疲労かまでは分からないにせよ、樹に寄りかからなければ体を支えられない状態では大した行動は取れない。なのはとフェイトはそう思っていた。
 ブラフなのだ。
 確かに左手は折れていた。頭部を負傷し派手に出血もしていた。人前で意識を失ったばかりなのだから、疲労も半端なものではなかっただろう。
 だが、意識を保っている恭也が疲労の度合いを計れる要素を親切に見せてくれる筈が無いのだ。

277小閑者:2017/11/19(日) 11:17:32
 例え、たった一歩踏み出す事すら出来ないほどの疲労であろうと、恭也は涼しい顔をしてみせるだろう。左腕を見せているのも、頭部の出血を隠さないのも、それらに見合うほど疲労していると、まともな戦闘行動が取れないと思わせるためのアピールに過ぎない。
 疲労や負傷を隠して警戒させるより、それらを見せることで油断を誘おうとしたのだ。…そうせざるを得ないほど、追いつめられていたのだ。恭也とリインフォースを結ぶ直線上にディレイ型のバインドが設置されている事を予想出来ないほどに。あるいは、予想して尚、真っ直ぐに突進する事に賭ける事しか出来ないほどに。
 全貌を正確に察したヴォルケンリッターの4人は、バインドに縛り上げられ身動きの取れない恭也の姿に、その状態で尚抗おうとする姿勢に哀しみに眉を下げた。


 恭也の動きを封じたリインフォースの顔には、捕獲に成功した喜色は勿論、失望も悲哀も表れていなかった。
 酷く透明な表情をしたリインフォースが身動きの取れない恭也へとゆっくりと歩み寄り、魔法陣の縁で恭也と正面から向かい合った。

「私は魔導書。意思など持たない、ただの道具だ」

 リインフォースの言葉に恭也の視線が斬りつけるほどに鋭くなる。だが、恭也が何かを言う前にリインフォースが穏やかに微笑んだ。

「それなのに、わが主は私を家族と仰られた。
 道具では無いのだと、一人の人間なのだと」

 左手を伸ばすと血塗れの恭也の頬をなぞる。
 慈しむ様に。
 惜しむ様に。

「だから、私は意志を持って行動する事にした。
 私も、私がしたい事を、したいようにする」

 それは恭也の言葉だ。
 恐らく、彼にとって大切な言葉。何処かの誰かへの誓い。
 恭也が顔を顰める様を見たリインフォースは楽しそうに微笑むと、再び微笑を穏やかなものに戻した。

「私は、命を賭して、我が主を守る。
 誰にも邪魔はさせない。
 もしも、それが理由でお前の負担が減ったとしても、それはただの偶然だ。気に病む必要など何処にも無い」

 そう告げると、リインフォースの頬を涙が伝う。
 嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか。
 はやてには彼女の涙の訳を表情や台詞から読み取る事が出来なかった。

 リインフォースは恭也の頬に添えていた左手を離すと、恭也の血で赤く染まった指で自分の唇に紅を差した。
 雪の様に白い肌にルビーの如き真紅の瞳と文字通り血の紅さを持つ唇は、リインフォースの美貌を壮絶なまでに引き立たせる。それでいて、穏やかで儚げな表情と流れる涙が、その鮮やかなコントラストとは裏腹に周囲の静けさに溶け込む様なとても自然な印象に変えていた。

「恭也。
 助けられてやれなくて、すまない。
 だけど、助けようとしてくれた事は、嬉しかった。
 ほんとうに、嬉しかったよ」

 リインフォースはそう告げると、魔力の鎖に絡め取られながらも険しい表情のまま睨み据える恭也にそっと唇を重ねた。





 誰一人として声を上げるどころか、身動ぎして衣擦れの音をさせる事もない。
 永劫の様な刹那の後、ほんのりと朱に染めた顔を静かに離したリインフォースは呆気に取られて目を見開く恭也を見て、口元を綻ばせた。

「フフッ。
 私からの礼だ。
 返品は受け付けない。何せ私の“初めて”だからな」

 楽しそうに、あるいは、恥ずかしそうに。
 恭也の赤く彩られた唇から視線を逸らす。

「それでは、主はやて、守護騎士達、それに小さな勇者達。
 ありがとう。そして―――さようなら。
 …出遅れて後悔する様な事だけは無いように」

 硬直している一同が正気付く前に別れのあいさつと焚き付けの言葉を残して、リインフォースは空へと還って行った。
 リインフォースの消滅と同時に恭也を絡めていたバインドが解けると、糸の切れたマリオネットのように恭也の体が純白の雪の上に静かにくず折れた。






     * * * * * * * * * *

278小閑者:2017/11/19(日) 11:24:13
「…お?
 目ぇ醒めたみたいだな。
 大丈夫か?恭也」

 声を発する事も無く、僅かに目を見開いた恭也に目敏く気付いたヴィータが声を掛けるが、恭也から反応が返る事は無かった。
 寝起きとは言え、初めて見るどこか呆けた恭也の様子に心配になったヴィータがそのまま覗き込む様に顔を近付けると漸く反応が返ってきた。ただし、仰向けのままベットを這いずって距離を取るという、ヴィータが想像もしなかったものだったが。

「あぁ?
 人が心配してやったってのに、なんだその反応は?」

 頬を引き攣らせながら恭也を睨みつけるヴィータだったが、恭也の頬が赤みを帯び、握られた左手が口元に寄せられている事に気付いた時点でそのリアクションの意味を悟り、顔を真っ赤にして思い切り動揺した。

「な!?
 ちっ違うぞ!
 今のは本当に様子を見ようとしただけで、キ、キスしようとかそういう」
「ヴィータ?」
「ヒッ!?」

 誤解を解こうとあたふたしながら言葉を重ねようとしていたヴィータは背後からの呼びかけに背筋を伸ばして固まった。物理的に背中に突き刺さっていると錯覚するほどの圧力を持った3対の視線に、歴戦のベルカの騎士が恐怖のあまりピクリとも身動き出来ずに赤かった顔を蒼褪めさせる。
 そんなヴィータの窮地を救ったのは事の発端である恭也だった。

「…はやて?
 高町とテスタロッサもか?
 随分殺気立っているが何かあったのか?」

 完全に他人事風味の発言ではあったが、目覚めたばかりで状況の分からない恭也には無理も無いだろう。状況を把握していたとしてどれほど内容が変わっていたかは不明だが。
 今度は3人娘が動揺する番だった。

「え!?」
「な、なんもあらへんよ!」
「そ、そう!恭也がなかなか目を覚まさないからちょっと心配してただけだよ!」
「む?
 そうか、すまんな。
 ここは…、病院か?」

 何とか誤魔化せた事に胸を撫で下ろす。
 実は3人ともヴィータの行動が恭也を心配していただけである事は理解していたのだが、ヴィータの行動がリインフォースの姿に重なった瞬間、反射的にヴィータを威嚇してしまったのだ。
 3人が声に出す事無く、視線とジェスチャーでヴィータに謝罪していると、シグナムとシャマルが揃って病室に入ってきた。
 コソコソと遣り取りをしている4人を気に留める事無く黙りこんで何事か考えに耽っていた恭也が何気なくシグナム達を一瞥し、思わずといったように話しかけた。

「何かあったのか?
 2人とも心なしかやつれている様に見えるんだが…」
「あ、あはは…」
「大した事じゃない、と言っては拙いんだろうな。
 石田先生にお叱りを受けていたんだ」
「お叱り…?
 あー、スマンが状況を整理して貰えないか?
 起きたばかりで、何故ここに居るのかも分かってないんだ」
「分かった。
 では、お前が意識を失う直前から」
「そこは割愛して下さい」

 恭也の申し出に応えるために全員が来客用のパイプ椅子に座った事で、慌しかった場が漸く落ち着いた。

 昨夜ははやてが仮面の男達に転移させられたため、病院側から見たら無断外泊になってしまった事。
 当然、病院では大騒ぎになり、八神家にも何度も電話を掛けていた事。
 リインフォースを送った後、帰宅して病院からの留守電で漸く事態に気付いた事。
 恭也の負傷を魔法で治療したが目を覚まさなかったため、そのまま病院に連れてきた事。
 病院には、寂しがるはやてを想うあまりシグナムとシャマルが黙って連れ出してしまったと説明した事。
 事情を知らない恭也が街中を駆けずり回ったため昏倒してしまったと説明し、はやての病室に簡易ベットを用意して休ませて貰えるようにした事。

 シャマルが順を追って説明している間、病室は静かな空気に満ちていた。時折、恭也が疑問を挟んでもそれが変わる事は無かった。

279小閑者:2017/11/19(日) 11:28:32
 悲痛、と言う訳ではない。厳粛、と言うのは大袈裟だろう。
 ただ、静かに故人を悼む恭也に引き込まれ、一通りの説明が済んだ後も誰も口を開く事が出来ずにいた。
 シャマルは、八神家で恭也の境遇が判明するたびに沈み込む一同の気持ちを切り替えるために率先して行動するのが、一番辛い筈の当事者である恭也だった事を思い出す。こんなところでも助けられていたのだと改めて気付かされて眉を顰め、今回こそはと顔を上げるが、結局口火を切ったのは恭也だった。

「リインフォースは、納得出来たと思うか?」
「…さあな。
 結局のところ、こればかりは本人に聞く以外には想像する事しか出来ないからな」
「シグナム…」

 シグナムの突き放すような言葉に、シャマルが呼びかけながら咎めるような視線を向ける。
 シグナムは5つに増えた非難の視線に苦笑を浮かべながら、1人だけ感情の篭らない恭也の目を見つめ返して言葉を足した。

「だが、お前には最後にあれだけの笑顔を浮かべていたあの子が納得していた様には見えなかったか?
 あるいは、お前があの子の立場だったら納得出来なかったか?
 お前の想像したその結論は、決してお前自身が罪の意識から逃れるための都合の良い言い訳などではない。
 私が保証しよう。それでは不服か?」

 シグナムの言葉を受けても無言のまま視線を返していた恭也が目を伏せた。
 そうする事で、無表情に見えた先程までの恭也の顔が張り詰めたものだった事に漸く気付く事が出来た。
 恭也は不安だったのだろう。
 最早、彼がどれほど自分の都合の良い理屈を並べて勝手に納得したとしても、リインフォースには否定する事も反論する事も出来ないのだから。

 シグナムには恭也の不安が分かっていたのだ。同じ剣士として共感出来る面が多いという事だろう。
 流石はヴォルケンリッターを纏める烈火の将。

「まあ、最後にキスして逝くくらいだ、好意的だったと解釈する以外にあるまい」

 前言撤回!普通、この場面でそれを蒸し返すか!?
 シャマルとヴィータが異質な者を見る眼差しをシグナムに送っていると先程を上回るプレッシャーが発生した。2人には怖くて発生源を確認出来ない。確認するまでもない、とも言える。
 高まった圧力が防壁を決壊させるよりも早く、動揺を隠しきれない恭也が抗議の言葉を発した。

「ちょッ!お前、その話題を今出すか!?」
「アッサリと唇を許していたんだ、恭也も満更ではなかったんだろう?」
「バッ、そんな筈あるか!身動きが取れなかっただけだ!
 そもそも、普通あの状況であんなことするか!?」
「まあ、感謝の印というのもあったんだろうが、心残りを作りたくなかったなかったんだろう」
「俺の意思は!?」
「そんなこと言うて、ホンマは役得やったとか思とるんと違う?」
「なっ!?」
「そういえば恭也は夢に取り込まれる前にあの人に抱きしめられてた時も大人しくされるがままになってたよね」
「テスタロッサ、誤解を招く様な発言は禁止だ!
 あれは動きを封じられていたんであって、決して喜んでいた訳じゃない!」
「フンッどうだか!
 男の子はみーんなリインフォースみたいに美人でおっぱい大きい子が好きやから心ん中では喜んどったんやろ?」
「ちょっと待て!
 そんな十把一からげみたいな扱いは納得いかんぞ!」
「じゃあ、恭也君は違うのッ!?」

 頬を膨らませて上目遣いで睨んでくる3人娘に、恭也が声高らかに主張する。

「当たり前だ!
 確かに、あいつは美人だったさ!
 胸だって抱きしめられたら顔が沈むほどボリュームがあった上に物凄く柔らかかったよ!
 それでいて、バランスおかしんじゃないの?ってほどウエストは細かった!
 性格だって多少過激なところはあったけど、一途で優しかったんだ!
 何処に文句がある!?」
「思いっ切り肯定しとるやんけ!!」
「おお!?
 いやいや、リインフォースに文句を付ける積もりは無いと言いたかったんだ!
 俺が問題にしてるのは、キスするならもう少し順序と言う物があるんじゃないかということだ!」
「恭也君、さっきと言ってる事、違うよ!」
「馬鹿な!?高町のツッコミだけは的外れになると信じてたのに!」
「そんな信頼のされ方、嬉しくないよ!」

280小閑者:2017/11/19(日) 11:29:39
「話が逸れてるよ!
 結局、恭也も胸がおっきい子の方が好きなんだね!?」
「それも本題じゃなかったろ!?」
「大事な事だもん!!」
「フェイトちゃん、その気持ちはメッチャ分かるねんけど今は後回しや。
 恭也さん!結局、恭也さんはキスされたり、抱きしめられてあのおっぱいに顔を埋めた事を喜んどったちゅうのを認めるんやね!?」
「どうしてそうなる!?」
「じゃあ、リインフォースとのウレシハズカシな諸々の出来事を忘れる、言うんか!?」
「…忘れる?」

 恭也が滑らかに進む掛け合いを途切れさせた。
 唐突な変化に戸惑う一同に気付く事無く、視線を彷徨わせた恭也が不意に言葉を零した。

「忘れてなど、やるものか…」

 病室に静寂が満ちる。
 その反応で漸く自分がどの様な態度をとったのか気付いた恭也は、誤魔化す様に前髪を掻き揚げながら1つ溜息を吐くと立ち上がった。

「どうにも詰めが甘いな。
 悪いが、外すぞ?繕うほど泥沼に嵌まりそうだ」
「…ああ」

 シグナムの返答に背中を押されるようにして退室する恭也へ、声を掛けられる者は居なかった。
 扉が閉まると後ろめたさを誤魔化すように髪を掻き揚げながらシグナムがポツリと呟いた。

「話を振ったのが裏目に出たな」
「…え?
 それじゃあシグナム、さっきの、態とだったの?」
「当たり前だろう。
 多少落ち込んでいても周囲が賑やかになれば気分が晴れるかと思ったんだがな。
 あいつ自身が真っ先に喰い付いて来るとは、いや、即座にリアクションが取れるほどの余裕があるとは思っていなかったんだ。
 軽率だったか…」

 気落ちするシグナムをどうフォローするか思考を巡らせていたシャマルは、なのはやフェイトと一緒に落ち込んでいると思っていたはやてが微笑を浮かべている事に気付いて訝しげに声を掛けた。

「はやてちゃん?どうしたんですか?」
「…え?」
「えっと、なんだか嬉しそうに見えたから…」
「ああ、うん。
 恭也さんの事は心配やねんけどな?
 でも、今は恭也さんが、リインフォースの事、忘れたないって思ってくれてるゆうんが分かってちょっと安心した。
 もう、覚えてる事くらいしかリインフォースにしてあげられる事、あらへんからなぁ」

 はやての言葉にシャマルが目を見張る。
 間違いなく恭也の事を心配していながら、ちゃんと周りを見渡す事が出来ている。
 大人であっても、周囲に居る者を傷付けても気付く事が出来ない様な盲目的な恋に陥る者が少なくないというのに。
 恭也の非常識さに隠れがちだが、はやても決して歳相応の未熟さとは縁が遠いのだと再認識する。

「リインフォースは、…やっぱり恭也さんの事、好きやったんかなぁ?」
「…少なくとも、あたしはあいつが自分からあんな、キ、キスするところなんて見たことないよ」

 単語に反応しているのか、シーンが脳内再生されているのか、頬を染め、視線を彷徨わせながらヴィータが証言した。
 その可愛らしさになのはとフェイトも小さく口元を綻ばせる。

「そうですね。
 恭也は、ある意味、リインフォースに一番近付いた存在だったでしょうから」
「一番って、シグナムさん達やはやてちゃんよりって事ですか?」
「ああ。
 絶対的な主従ではなく、意思を揃えた同郷でもない。
 実力差を恐れて媚びる事も隠れる事も無く、意見をぶつけ合い、相手が正しいと思えば賛同し、間違っていると思えば傷付く事も傷付ける事も厭わずに正そうとする、対等な存在。
 高ランク魔導師の元へ自動的に転送されるあの子にとっては、恭也の様な存在はどれほど望もうとも簡単に得られるものではなかっただろう」

 そう言いながらも視線を伏せるシグナム。
 言葉にしなかった想いを読み取り、シャマルとヴィータも視線を逸らした。

281小閑者:2017/11/19(日) 12:39:23
 リインフォースはずっと孤独だったのだ。
 過去にプログラムの改編を受けた事で、『夜天の魔道書』が『闇の書』と呼ばれるようになる頃には、リインフォースは守護騎士とすら意思を交す事は出来なくなっていた。
 書の管制人格の存在は覚えていても、6割以上の蒐集とマスターの承認なくしては意思を表す事の出来ない彼女とシグナム達が会話出来る機会は極めて稀だったはずだ。
 何より、例え、闇の書の起動から暴走までの僅かな時間に一同が会したとしても、暴走し、転生した時点で守護騎士の4人は記憶の大半をリセットされてしまっていた。
 言葉が交せずとも同じ悲しみや辛さを共有していたなら、リインフォースにとっても多少の慰めになっていたかも知れない。
 自分達の意思とは無関係であったとはいえ、辛い記憶を消去され、転生の度に暴走と言う結末のために奔走する自分達を、目を逸らす事も出来ずに見守り続ける役割を振られた彼女は一体どんな思いを抱いていたのだろうか。
 そして、マスターを殺してしまう結末から目を背けるために縋りついた『はやての願い』を、書の完成から暴走までの僅かな時間に実行しようとするリインフォースに対して『その行為は間違っている』と立ちふさがる恭也の事をどう思っただろうか。
 事情を知らない者が口先だけで正論を吐いていると思えば、苛立ち、憎悪すらしたかもしれない。だが、顕現出来なかったとはいえ、八神家で過ごし、はやてのために奔走する恭也を見ていたのだ。その恭也が一個の存在として“自分”を認識し、実力差に怯えて顔色を窺うこともなくヴォルケンリッターと同様に接してくれた事を思えば嬉しくないはずが無い。
 …だからこそ、文字通り生命を賭して立ちはだかる恭也をその手に掛けてしまう未来に恐怖し、凍り付いていたのではないだろうか。
 リインフォースの苦肉とも言える悲劇の回避手段、『吸収』すら跳ね除け、自力で道を切り開く姿に心を震わせただろう。
 危険を、いや不可能を承知で、それでも『消えるな』と言ってくれた事がどれほどの喜びだっただろう。
 …それでも、消える事を選択するより他にどうすることも出来ない己の悲運をどれほど恨んだだろう。憎んだだろう。哀しんだだろう。
 消滅するその瞬間まで、あれほどの笑みを浮かべている胸の内に、どれほどの想いを秘めていたのだろうか。


 ふと気が付くと、はやてに手を引かれていた。
 ヴィータもシャマルもシグナムも、優しく導かれるままに引き寄せられ、膝を着いて頭を包み込まれるように抱き寄せられた事で、漸く自分が涙を流している事に気が付いた。

「自分の事、そんなに責めたらあかん。
 きっとあの子も、そんな事望んでへんよ。
 …みんな、よう頑張ったな」

 言葉が、染みる。
 もう、嗚咽を堪えるだけで精一杯だった。




続く

282小閑者:2017/11/19(日) 12:45:47
第25話 岐路




 空を覆う厚い雲が日差しを遮り、昼になろうとしているこの時間でさえ辺りを薄暗くしていた。
 曇天により気温の上がらない今なら、あの雲から飽和した水分は間違いなく白い結晶として舞い降りるだろう。
 これからもリインフォースの別れ際を彩った無色無音の装飾を見るたびに昨夜の情景を思い出すのだろうか。
 そんな風に感慨に耽っていた狼形態のザフィーラは持ち上げていた頭を下ろした。
 背中の上で跳ね回る存在から逃避しきれなくなったとも言える。

「…勘弁してくれ」

 どれほど過酷な戦場であろうと漏らす事の無い弱音をザフィーラから引き出したのは、数匹の子犬だった。
 融け切らずに残った昨夜の雪で白く染められた中庭で、地面に伏せるザフィーラを中心にして犬種の違う数匹の子犬が元気に跳ね回っていた。
 どれも首輪を着けているところからすると飼い犬なのだろうが、周囲に飼い主の姿は無い。犬とは違い、この寒さの中、屋外で戯れる元気は持ち合わせていないのだろう。
 今朝の日も昇らない様な時間にはやてと気を失った恭也を担ぎ込んだ時からザフィーラはここに居る。毛皮のお陰で寒さに震える事は無いが、医者からの説教を聞かずに済む代償が今のこの状態では吊り合っているのか疑問の余地が有るとザフィーラは思う。

「モテル男は辛そうだな」
「…そう思うなら何匹か面倒を見てくれ」
「御免被る」

 唐突に背後から掛けられた言葉に平静を装って受け答えながら、ザフィーラは心中で溜息を吐く。
 いつもの事になりつつあるが、この男と一緒に居ると狼としてのプライドが傷だらけになる。
 ザフィーラの音の無い文句に気付く事無く、恭也はザフィーラの正面にあるベンチに腰掛け、即座に子犬の団子に揉みクチャにされる。

「…御免だと言った筈なんだが」
「聞こえなかったんだろう。頑張って説得するといい」

 笑いを含んだ声を掛けるザフィーラを恨めしげに見やりながらも子犬の所業を放置する恭也の様子に、ザフィーラは口を噤んだ。
 どんな対応だったら恭也らしいと言えるのかが具体的に思い描けている訳ではなかったが、それでも、その態度は恭也らしくない様に思う。

 何かあったのだろうか、などと白々しい事を考えている訳ではない。
 無い訳が、無い。
 ただ、だからといって何と声を掛ければ恭也の気が晴れるかが見当も付かなかっただけだ。
 そこまで考えて、ザフィーラは自分の思考に嘆息する。
 はやてやシャマル達にも出来なかったからこそ、病室を出た恭也がこの状態なのだ。自分に気の利いた台詞など、出る筈が無い。
 ならば、無理に慰めるような台詞は逆に恭也に気を遣わせてしまうだろう。そう結論付けたザフィーラは普段通りに話し掛ける事にした。

「これから、どうする?」
「…これから、か」

 途方に暮れた様な力の無い口調が、何のプランも無いことを雄弁に語っていた。
 転移事故に巻き込まれて着の身着のままこの世界に飛ばされて、それが『事故による転移』だと証明されてから2週間ほどしか経っていないのだから当然ではある。そもそも判明してから昨夜遅くに至るまで身の振り方を考える余裕など無かったのだから。
 ザフィーラとて、念のために確認してみたに過ぎない。

 身に付けた戦闘技能こそ非常識なレベルだが、恭也は社会的には未だに何の力も持たない未成年なのだ。この世界で文明的な生活を送るには非常に困難な状況と言えるだろう。
 恭也なら野山を駆け回って生きる事は出来てしまうだろうが、流石に事故に巻き込んだ責任上、管理局がその選択を良しとするとも思えない。
 管理局側の提示する最初の選択肢は元の世界に戻るか、この世界に残るかだ。
 本来であれば戻る手段が見つかった時点で恭也は強制的に送還された筈だ。この世界に来た事事態がイレギュラーなのだから、元の世界に身寄りが無くともそれが道理だ。冷たい言い方になるが、事故さえ発生しなければその状況に置かれていたのだから。
 だが、管理局としては今回の事件で恭也に大きな借りが出来た。

『第一級ロストロギア関連事件であるにも関わらず死者0名』

 その立役者が恭也とされるからだ。
 語尾が未来形なのに断定しているのはリンディが是が非でもそうしてみせるとにこやかに断言していたからだ。これはリンディが『送還方法が見つかった場合に恭也をこの世界に残せる方法』として本人以外に提案し、満場一致で同意を得たものだ。勿論、最終的にどうするかの判断は本人に委ねる事になっているが。
 尤も、恭也には未だに経緯は勿論選択肢すら明示されていない。ザフィーラは恭也が目を覚ましたら最初にその話になると思い込んでいたため確認を取らなかったのだが、提示されたところで即座に結論が出せない事に変わりはないので2人とも気付く事は無かった。

283小閑者:2017/11/19(日) 12:48:46
「無理強いする訳にはいかないが、八神家に残る事も考慮してくれないか?」
「…」

 恭也が視線だけで真意を問い掛けてきたためザフィーラが嘆息する。
 分かっていた事ではあるが、この男は自分自身の評価が低過ぎる。

「知っての通り、主は名実ともに我等守護騎士のマスターだ。
 我等を部下ではなく、家族として接して下さるが、それでも家長として振舞われる。
 本来であれば親の庇護を甘受するべき年齢でありながら、保護者としての振る舞いと責任を全うしておられる。
 それを成せる事は素晴らしい事だが、いつか無理が出る気がしてならない」
「…分からなくはないが、足の麻痺が治れば復学するんだろう?
 学校で友人が出来れば、その心配も杞憂に終わるだろう。
 学校でなくとも、高町やテスタロッサも居るし、月村やバニングスははやてが自力で築いた関係だ。
 俺が見る限り彼女らは至って健全な精神をしているし、人格についても問題は無い」
「分かっている。主が心を許すご友人だ、その点については何も心配はしていない。
 だが、彼女らはあくまでも友人であって家族では無い。どれだけ親身になり、心を許せても、限界はある」
「…突き詰めるなら、親子であろうと“本人”では無い以上“他人”だ。
 その理屈は通らないぞ」
「そこで“俺だって家族ではない”という言葉が出ないなら十分だ」

 その切り替えしに恭也が口を閉ざした。そのままゆっくりと曇天を仰ぐと肺の中の空気をゆっくりと吐き出す。
 尋常で無い肺活量を証明するように宙に吐き出された大量の白い吐息が虚空へと融けて消えるまで無言で見つめ続ける。
 恭也にジャレ付いていた子犬達も一緒になって見上げていたため辺りが静寂に包まれる。
 その静寂を破り、恭也の悲しげな声が響いた。

「お前だけは人を引っ掛けるような真似はしないと思っていたんだが…」
「それは認識を誤ったな。主のためであれば泥に塗れる事も厭わぬのが守護獣というものだ」

 恭也の恨みがましい視線にもシレッと答えるザフィーラはどこか自慢げですらあったが、直ぐに口調を改めて言葉を足した。

「主はお前の前では歳相応に振舞う事が出来るようだ。それがお前を誘う理由ではあるが、恭也、それはお前にとっても同じでは無いのか?」
「…」

 今度の沈黙は先程の演技臭さの混ざらないものだった。
 ザフィーラが性急過ぎただろうかと恭也の様子を窺うが、僅かに逸らされた視線からは何の感情も読み取ることが出来なかった。

「…良いのか?そんな事を独断で決めて」

 恭也がポツリと漏らした呟きは訊ねたことに対する答えではなかった。

「我等守護騎士の総意と受け取って貰って構わない。
 確認してはいないが、主のお考えも、本音は大きく外れていないと推測している」
「そうか…」

 それだけ答えると、恭也は再び口を噤んだ。
 視線をザフィーラから外したまま膝の上でじゃれ付く子犬達を左手だけで構う姿は、途方に暮れた迷子の子供の様にしか見えなかった。




 どれほどの時間そうしていただろうか。
 ザフィーラは音もなく舞い降りる白い粉雪が視界に入った事で漸くそのことに思い至った。

「おい、恭也!早く建物に入れ!」
「…何かあるのか?」

 恭也はザフィーラの言葉とその語調に周囲を警戒するように視線を飛ばすが、その動作すら緩慢であることにザフィーラの焦りが募る。

「そんな薄着で出歩ける気温ではないだろう!
 早く暖房の効いた部屋へ入れ!」

 上着も羽織らずに薄着のシャツだけの格好では当然の結果ではあるのだが、唇を青くしながらも指摘されるまで自分が凍えている事に気付かないとは。
 過剰な評価は捨てた積もりだったのだが、今の精神状態の恭也に対してあまりにも配慮が足りなかった。

「そうだな。
 ほら、そろそろ開放してくれ」

 恭也は緩慢な動きのまま子犬を退かせると、ゆっくりとした足取りで病棟へと向かう。その後姿を見送るザフィーラは己の無力をかみ締めることしか出来なかった。

284小閑者:2017/11/19(日) 12:52:40
 時期に因るものか時間帯の問題か、2階までの吹き抜け構造になっている開放的なロビーは閑散としていた。無人と言っても差し支えない広いロビーに恭也が辿り着くとタイミング良く恭也の右手側から2人の少女が駆け寄ってきた。

「恭也君」
「どうした?高町、テスタロッサ」
「恭也がなかなか戻って来ないから探しに来たんだよ」
「よく見つけられたな?」
「探し始めたらちょうどザフィーラさんが念話で『ロビーに居るはずだ』って教えてくれたの」
「手間を掛けたな」

 気遣わしげな表情のなのはに対して、恭也が頭をぽんぽんと軽く叩きながら素直に言葉を口にした。
 その、らしくない態度になのはは逆に困惑してしまう。

「べ、別にそんなことないけど…
 大丈夫?話し方とか雰囲気が随分違う気がするけど…」
「まあ、な。
 自覚が無いが調子が出ないようだ。
 今日は何を口走るか分からんからあまり構うな」
「調子が悪いなら尚更放っておけないよ…って、恭也君の手、凄く冷たいよ!?」
「ん?ああ、すまん、冷たかったか」
「そんな事言ってるんじゃないよ!」

 謝罪しながら手を引っ込める恭也になのはが口調を強めて詰め寄る。
 普段から言葉遊びで煙に巻くような言動をする恭也だが、今の遣り取りはそうしたものとは違っているように思えた。
 なのはが引き戻そうとする恭也の左手を握り驚きに目を見開いたのを見て、フェイトも慌てて恭也の右手を、次いで頬に手を当てる。

「どうしてこんなに…
 まさか、こんな薄着で今までずっと外に居たの!?」
「フェイトちゃん、兎に角、体を温めないと!」
「うん。
 私、何か飲み物買ってくるよ!」
「そんなに慌てなくても、ロビーは暖房が効いてるから暫く放って置けば温まるだろう」
「ダメだよ!」

 恭也の投げ遣りな台詞にフェイトはおもわず声を張り上げた。
 離れたカウンターに座る看護士の姿にここが病院であることを思い出すと、フェイトは懸命に声を抑えながら、しかし感情の強さを表すように語気を強めて恭也に言い募る。

「今は無理する必要なんて無いでしょ!?
 お願いだからもっと自分を大事にして!」
「…悪かった。頼むからそんな顔をしないでくれ」

 困り果てた様にそう答える恭也にフェイトは複雑な想いを抱く。
 こちらの言葉を素直に聞き入れてくれる事は有り難いのだが、このリアクションはどう考えても平時のものではないだろう。
 それでも聞き入れてくれたことに小さく胸を撫で下ろすと、フェイトはじっと戸惑いを表す恭也の顔を見つめた。

 調子が出ないと言うのは本当の様だ。
 普段の恭也であればそもそも体が冷えている事を気付かせる様な行動は取らない筈だ。先程の反応と併せて考えるなら『調子が出ない』とは『思考がうまく働かない』つまり『隠し事が出来ない』という意味だろうか?
 捻くれた言動であれば困らされ、素直な態度を取られると心配させられるとは。
 いっその事、恭也の事を全て忘れて『赤の他人』になるというのはどうだろうか?
 そんな馬鹿な事を考えつつ、小さくため息を吐くことで、見慣れた者に分かる程度の無表情ではない恭也の見慣れない容貌から視線を逸らす。

 無理です。ゴメンナサイ。

 こんな時だと言うのに、普段と比べて格段に無防備な恭也の顔に顔が赤らむのが自覚出来てしまう。
 どう言う訳か、近頃はふとした瞬間に、恭也の顔を思い出したり、その場に居たらどんな反応をするかを想像したりする事が多くなっているというのに、恭也の事を忘れて過ごすなんて出来るとは思えない。
 なのは以外の人の事をこんなに考えるようになるとは思ってもいなかった。
 そんな事を考えていたフェイトは、自分が失念している事柄に気付いてそれまでの温かくもくすぐったい気持ちが急速に熱を失っていった。
 表情を強張らせたフェイトを怪訝に思ったのか恭也が問いかける。

「どうかしたのか?」
「え!?あ、ごめん!直ぐに買って来るから!」
「いや、別に急かすつもりは…」

 顔を見られないように恭也の声に慌てて駆け出す。

 忘れていた。
 事件が解決した以上、恭也は元の世界に帰るかもしれないんだ。

 決めるのは恭也だ。
 たとえどちらを選んだとしても、それを否定することも反対することも出来ないし、してはいけない。
 そう理解しているからこそ、行き場を失った想いがフェイトの胸の内で渦巻いていた。

285小閑者:2017/11/19(日) 12:57:00
 フェイトが早歩きで自販機コーナーに向かう姿を見送ると、なのはは手を引いて恭也をソファーへと誘導する。窓側のソファーは前庭が見られるように窓に向けて、通路側の物は受付が見えるように逆向きに設置されていたので窓側を選ぶことにした。
 恭也が素直にソファーに座ると、ピッタリと寄り添うようになのはもその右隣に腰掛ける。その距離に恭也が何かを言いかけるが、なのはは機先を制するように恭也の体に抱きついた。

「な!?」
「うわぁ、恭也君ほんとに冷たいよ」
「…ひょっとして、暖めようとしているのか?」
「え?
 うん、冷えた体を暖める時はこうするんでしょ?」
「誰に聞いた?」
「アリサちゃんが持ってるマンガに載ってたんだ。確か、すずかちゃんの持ってるのにも載ってたと思う」
「あいつら…。
 せめて分別のつく相手を選んで渡せよ」

 恭也はそう言いつつ溜め息を吐くと、なのはが顔を赤らめている事に気付かないまま軽く嗜めた。

「年齢的にはまだ大丈夫なのかもしれないが、曲がりなりにも男を相手に気安くこういった真似をするのは感心しない。
 国や風習によっては“はしたない行為”と受け取られかねないからな」
「そ、それは分かってるけど今は緊急事態だもん!」
「大袈裟な…
 俺の方が恥ずかしいから勘弁してくれ」
「じゃ、じゃあせめて腕だけでも」
「む、…その辺りが妥協点か」

 あっさりと同意されたことにフェイトと同じ様に複雑な想いを抱きながらも、なのはは言及する事無く恭也の腕を抱きかかえる。
 座った体勢のお陰で体格差が埋められたとは言え、それでもなのはの目の高さは漸く恭也の肩辺りだ。客観的に見て『しがみつく』と言ったところだろうか?もっとも、それ以前になのはの幼い容姿では色気より微笑ましさの方が前面に出ているのだが。

「うわぁ、恭也君の腕、凄く太いね」
「剣を振っていればこの程度にはなる。兄や父の方が太いだろう?」
「そうなのかな?
 意識したことなかったし、最近はあんまり触る機会なんてなかったから良く分かんないよ」
「そうか」

 そこで2人の会話が途切れた。
 恭也は元々積極的に発言する方ではないので、なのはが話しかけなければ沈黙が訪れるのはいつもの事だ。普段であれば、恭也は勿論なのはも無理に言葉を紡ぐ事はせず、その空気を楽しむ事が出来る。
 だが、今のなのはが話しかけないのは緊張によるものだ。その原因は沈黙に対してではなく、これから恭也に話す内容についてだ。
 今の恭也がかなり不安定であることは先程はやての病室で露見している。この話題は負担を増やす事にしかならないかもしれない。
 それでも、先延ばしにする事は出来ないし、何より万が一にも恭也が誤解している様な事があれば、そのまま決心を固めてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。

「恭也君。
 もう、決めた?」
「何を?」
「その、…元の世界に戻るか、この世界に残るか」
「…元々、この世界に来たこと自体が管理局側の携わった事件が原因だったんだ。
 体面上の問題もあるから戻る手段さえ見つかれば強制的に帰されるだろう」
「え…?
 あ、まだ聞いてないの?恭也君が居たいならこの世界に残る事も出来るんだよ?」
「…初耳だ」

 危なかった。思っていたより遥かに手前の段階だったとは。

「望むなら…か」
「うん。
 誰も強制はしないと思う。
 だから、先に言っておこうと思って。
 恭也君がこの世界を選んでくれたらはやてちゃん達も喜ぶとは思うけど、私も恭也君と一緒に居られると嬉しいよ。
 多分、フェイトちゃんも」
「…え?」
「あ、あれ?
 どうしてそんなにびっくりしてるの!?」
「いや、意外だったから」
「ええ!?
 なんで!?私もフェイトちゃんも恭也君と一緒に居ると楽しいし、嬉しいよ!?」
「いや、そっちじゃない。
 俺が選択するまで何も言わずに、帰ると言い出してもそのまま黙って見送ると思ったが。
 高町も俺がそう考えるだろうと思っていたからわざわざ言ったんじゃないのか?」
「まぁ、予想通りではあったんだけど…」
「予想ね。
 兄と反応が同じか?」
「え?お兄ちゃん?
 えっと…、そうだね。お兄ちゃんも大事な事を黙って決めちゃう辺りは恭也君と似てるかな?
 ?どうかしたの、恭也君?」
「なんでもない」

286小閑者:2017/11/19(日) 13:04:24
 なのはの中では高町恭也と八神恭也は完全に別人として認識されているようだ。比較して尚、兄『が』恭也『に』似ている、という表現が自然に出てくる辺り、なかなかの徹底振りである。
 恭也としても、先程の発言が兄と重ねているからこそのものだと思っていたのか、なのはの言葉にいくらか戸惑いの表情が浮かんでいた。

「高町はそういう事をはっきり言うんだな」
「そういう事って…、嬉しいとか一緒に居たいとか?」
「気付けると言う事は一般的ではないと自覚しているんだろう」
「そう、だね。
 元々、あんまり抵抗はなかったんだけど、前に黙ってたのが原因でアリサちゃんと喧嘩になった事があったから。
 それに特に今回は、もしかしたら本当に二度と会えなくなっちゃうかもしれないし。
 恭也君が勝手に『なのは達の傍に居ないほうが良いんじゃないか』、なんて考えてたら大変だもん」

 そう言いながら柔らかく微笑むと、恭也が視線を逸らした。

「えっほんとにそんな事考えてたの!?」
「冗談だ。
 強制送還されると思っていたから何も考えていなかった」
「…それはそれで寂しいよ」

 少しくらいこの世界に留まれる様にリンディに掛け合って欲しかった、と考えるのは流石に贅沢だろうか?

「お待たせ。
 あれ?なのは、暖めてるの?」
「うん、ほんとに冷たくなってるんだもん」
「じゃあ、私はこっち側だね。はい、これ」
「ああ、ありがとう。
 …テスタロッサも抱きつく事に抵抗を感じない口か。
 2人ともあと2・3年の内に認識を改めておけよ?誤解してトチ狂う馬鹿が現れてもおかしくないからな」

 俯く事で意図せずそこはかとなく幸せそうに綻ぶ口元を隠したフェイトと、改めて恭也に擦り寄るなのはに念を押すと、恭也は差し入れてくれた缶のプルタブを開けようとして動きを止めた。

「…そんなに怒ってたのか?」

 ポツリと漏らされた言葉を不審に思ったなのはが恭也の視線を追って恭也の手に包まれたジュースを見て、固まる。

 おしるこ

 おもわずフェイトの顔を確認しようとしたなのはを遮る様に恭也が解いた右手でなのはの頭を軽く撫で、そのままプルタブを開く。

「冗談だ。
 ハラオウン提督にでも勧められたのか?」
「?うん、私はまだ飲んだ事ないけど、凄く美味しかったって。
 恭也はこれ飲んだ事ある?」
「滅多にないな。だが、体を暖めるには向いているんだ。有り難く頂こう」

 そう言って恭也は流し込む様に一気にお汁粉を飲み干した。
 フェイトにしても善意100%の行動だったのだ。惜しむらくはリンディと恭也の味覚に関する嗜好が180度向きを違えていると察する事が出来なかった事だろうか。
 早々にフェイトに教えてあげなくてはとなのはが心に誓っていると珍しく恭也から話題を切り出した。

「そう言えばまだ恩を返していなかったな…
 2人とも何かして欲しい事でも有るか?」
「オンって何?」
「どうやって翻訳してるのか知らないが、テスタロッサは時々不思議なところに疑問を持つな。
 謝礼や迷惑料だと思えば良い」
「恭也君が態と難しい言葉や普段の会話で使わない様な単語を使ってるだけだと思うけど…」
「標準語なんだが…
 まあ良い。それで何か無いか?どんな無理難題でも、とは言えないが、それなりの要望には応じる覚悟がある」
「それってアースラに来てから恭也を助けたお礼って事?」
「そうだ。勿論、直ぐに思いつかないなら保留にして貰っても構わない」
「いいよ、私は恭也にたくさん助けてもらったから、私の方が恭也にお礼をしなくちゃいけないくらいだよ」
「俺が何かしてやった事があったか?
 はやて達については騙した、と言っても否定されたが秘密にしていたのは事実だ。
 医務室で暴れた時には2人とも身を挺して止めてくれた。
 シグナム戦では無理矢理先陣を譲って貰ったし、結界まで張ってもらった。
 夜天の書が暴走した時には戒めや檻を壊してもらった。
 して貰った事ばかりでしてやった事は特に思いつかないが?」
「え、えっと…」
「あ、私はビルの屋上で仮面の人から助けて貰ったよ」
「それでも貸し借りで言えば圧倒的に借りっぱなしだと思うがな。
 直接的な表現に変えようか。
 魔道書の暴走の時にあろうことかトチ狂ってお前達に殺気を叩き付けたうえに、あまつさえ攻撃しようとしたことについて謝罪がしたい。何度自分の腹を掻っ捌いてやろうと思った事か」
「ええ!?ダッダメだよそんな事しちゃ!」
「そうだよ!いくら恭也でも死んじゃうよ!」
「疑問の余地も無く死ぬだろ。そのためにするんだし。
 だが、まぁ自己満足のためにお前達に負担を掛けては本末転倒だからそれはしない」

287小閑者:2017/11/19(日) 13:06:48
 なのはとフェイトが同時に脱力する。恭也の腕にしがみ付いていなければソファーに倒れ付していたかもしれない。
 多分恭也は本気だったろう。自分を律する事に掛けては妥協する様子を見せない恭也ではあるがここまで過激だと正直怖くなってくる。
 恭也が無茶をしないようにしっかり見張っていなくては!
 それぞれがそんな決意を抱いていると恭也が促してきた。

「更に言うなら高町には正気付けて貰ったからな。あのまま勝手に絶望して座り込んでいればはやて達を助けに行くことすら出来なかった。謝罪についても感謝についても何をどれだけ積んでも不足だろう。
 だが、途方に暮れ居ていても意味が無いからお前達にあれに見合う望みを挙げて貰おうと思ってな」

 恭也の申し出に、2人は咄嗟に思い浮かんだ『この世界に残って欲しい』という言葉を慌てて呑み込んだ。
 その選択肢は恭也自身に選んでもらわなければ意味が無い。
 理想論ではない。残留を望めば恭也は承諾してくれるだろうが、恭也の将来を限定するような願いは恭也の命を奪う事とどれほどの差があると言うのか。
 とは言え、なのはには適当な望みが浮かばなかった。この“望み”が恭也に対して相当な強制力を持つ事が分かってしまっては迂闊な事を言える筈がないだろう。
 きっとフェイトも同じだろうと恭也越しに窺うと妙案でも思いついたのか明るい表情を浮かべていた。

「じゃあ、私の事、名前で呼んで貰えないかな?」
「あ!それ良い!
 私も『なのは』って呼んでよ!」
「…いや、呼ぶのは構わないが、あれの対価がそれか?」
「でも、あの時は結局私もなのはも怪我はしなかったもの」
「うん。ほんとの事言うと凄く怖かったけど、怖い想いしたお詫びなら嬉しいことじゃなくちゃ」
「…理屈、か?
 いや、だがあの時の恐怖心と名前を呼ぶ事が吊り合いはしないだろう?そもそも名前を呼ばれるのが嬉しいのか?」
「ちゃんと吊り合うよ。それに納得するかどうかは恭也が決める事じゃないでしょ?」
「それは、そうだが…」

 フェイトの言葉は理屈が通っているが、恭也には屁理屈にしか聞こえないだろう。それでもフェイトもなのはも本当に嬉しそうに微笑んでいるとなれば否定の言葉を重ねられる訳が無い。

「まあ、良いが。
 それより、高ま、なのはは『友達になれ』とでも言ってくるかと思ったんだがな」
「にゃ!?そ、そう?」
「何に動揺して…
 赤くなるほど恥ずかしいなら呼び方戻すか?」
「ダッダメ!絶対ダメ!!」
「分かったから落ち着け。
 で、どうして膨れっ面になってるんだ、フェイト」
「…べ、別に」
「あのな、嫌なら嫌と言え。頬を引きつらせてまで嬉しそうな顔にする必要はないんだぞ?」
「そんなんじゃ、ないもん」

 顔を背けて恭也から表情を隠すフェイト。
 提案したのは自分なのに先に呼んでくれなかったから拗ねている、とは流石に自分の口からは言えない。ましてや、呼ばれた事が想いの外嬉しくて緩みかけた頬を、拗ねた手前無理矢理抑えているなんて知られる訳にはいかない。
 『乙女心は不可解だ』と公言しているだけあって、恭也はフェイトの心の機微に気付いた様子も無く視線を転じる。その先で懸命に平静を取り戻そうとしていたなのはは視線が合った途端、赤面しつつ目を泳がせる。

「会話にならんな」
「にゃ〜…
 え、えーとね?お友達になる話は、その、もういいの」
「ほう。
 意外に諦めが良いじゃないか?」
「別に諦めた訳じゃないよ」
「きょ、恭也が前に言ったんだよ。自分で決めれば良いって」
「そう、だったか?」
「そうだよ。だから私は恭也君の事、お友達だと思ってるし、恭也君もそう思ってくれてるって思ってるもん」
「他人の気持ちまで勝手に決めるのはどうかと思うのだが?」
「恭也ならそう言うと思ってたよ。
 でも、自分が傷だらけでも気絶してる私を気遣ってくれたし、私達に心配掛けたくないからって悪夢に魘されてる事を隠し通そうとしたり、…幸せな夢を振り払って帰ってきてくれたり…」
「さっき恭也君は私達が一方的に助けてるって言ってたけど、そんな事無いよ。そんな恭也君だから私達も何かしてあげたいって思うんだもの。
 だから、呼び方なんて何でも良いの。こういう関係でいられるならそれで十分だよ」

 恭也が天井を見上げた。
 赤みを残した顔で朗らかに微笑む2人に挟まれている為、顔を背けるにはそれしかなかったのだろう。
 2人はそれを察しながらも口にする事無く、抱えた腕をそのままに恭也に寄り添うように凭れ掛かった。
 そうして2人が幸せに浸り、リラックスした瞬間を狙い澄ました様な絶妙なタイミングで声が掛けられた。

288小閑者:2017/11/19(日) 13:10:01
「幸せそうやなぁ」
「にゃあっ!?」
「ひゃあっ!?」

 驚きを座ったまま飛び跳ねるという器用な真似で表現したなのはとフェイトが慌てて振り向くと、車椅子を操作してこちらに近づいてきながらはやてが苦笑を浮かべていた。
 特別に疚しい事はしていない筈だがやたらと恥ずかしい。
 そう思いつつも、なのはもフェイトもそれが自分の腕に恭也の腕を抱えている事に起因しているとは考えていない様で離す素振りは全く無い。
 腕を組んだまま並んで座っているため容易に向きを変えられない3人と向かい合うために、はやては苦笑を深くしながら前に回り込む。するとそれまで何の反応も返す事がなかった恭也と目が合った。
 恭也に驚いた様子は無いが、はやてにとってもその事に意外性は無い。だが、いつから気付いていたのかは不明だが、はやてが近付いてくる事に気付いていながら抱きつかれた腕を解かなかったというのはちょっと意外だ。
 リインフォースを助けられなかったショックで感情が鈍っているのだろうか?などと心配していると本人の口から真相が語られた。

「まあ、“両手に花”というやつだからな。
 もっともこれだけ可愛ければ片手だったとしても嬉しくない訳がないだろう?」
『…え?』
「ん?どうして疑問符が返ってくるんだ?」

 どうやら、はやての言葉を自分に向けられたものと勘違いしての台詞だったようだ。作られたニヒルな笑みも浮かべずに、普段の硬質な仏頂面から力みの抜けた柔らかい素の顔で、サラッと聞き慣れない単語を口にされて思わず聞き返してしまった。

「あ、いや、え〜と…
 恭也さん、今、あんまり冗談とか言えるほど、調子良うないよね?」
「ああ、さっきので懲りた。
 悪いが掛け合いは期待しないでくれ」
「つまり、本心な訳やね…」

 はやてがボソッと呟いた言葉も恭也にはちゃんと聞き取れいてたようだが、言葉の意味までは汲み取れなかったようで僅かに首を傾けていた。
 実際には、冗談が言えないからイコール本心、と言う訳ではないだろう。
 恐らくはやてがここに来る直前の会話を隠そうとしているのではないだろうか?
 普段であれば誤魔化すために場を引っ掻き回すような言動を選択していたところを別の話題に転換するという方法で代用したのだろう。
 だが、そのために恥ずかしい台詞を口にしていては意味が無い様に思うのだが。
 ひょっとして、『2人が可愛いことは周知の事実だから口にしても恥ずかしくない』とでも思っているのだろうか?…有り得る。

 チラッと視線を下げてみる。真っ赤だ。深紅と言っても良いかも知れない。完全に飽和して茹っている。口から魂がはみ出してそうだ。
 それでも恭也の腕を離さない辺り、なかなかの根性である。
 まあ、分からなくも無い。仮に周囲の人から言われ慣れていたとしても、言われる相手によって受ける印象や抱く感情は違ってくるものだ。
 ちょっと羨ま、いやいやいや!
 それよりも、滅多にあっていい事ではないが、恭也がこの状態になったらあまり女の子を近付けてはいけない。そう心のメモに極太マジックで大きく記しておく。
 それにしてもあの芸人風味の言動は本人の趣味でもあるのだろうが、周囲への予防線でもあったんだなぁ。

「ところで、はやて。
 その服、外出でもするのか?」
「え?あ、うん、外出許可が貰えてな」
「外泊許可?昨日の今日で良く貰えたな」
「昨日の今日だからかもしれへんね。
 超恥ずかしい事に、昨日病室で泣いてた事も知れ渡ってるっぽいんよ。それで、今日の検査結果も良好やったからって」
「なるほど。メンタルケアと言うやつか。じゃあ今日は自宅か」
「あ、いや、え〜とな?」
「ん?」

 はやてが言葉を詰まらせた事に不思議そうな表情を浮かべる恭也。
 辛うじて復活したなのはが控えめに手を上げながらおずおずと声を上げた。

「今日はうちでクリスマスパーティをすることになってて、はやてちゃんも来てくれるって」
「なのはの家で?」
「なのは!?」
「どうした、はやて?」

 唐突に素っ頓狂な声を上げるはやてに恭也が会話を中断した。はやてが何に反応したのか分からないのだろう。

289小閑者:2017/11/19(日) 13:12:20
「い、何時から!?
 ついさっきまで『高町』やったやろ!?」
「何を興奮しているんだ?
 つい先程なのはとフェイトを名前で呼ぶ事になってな。
 経緯は、まあ、色々あったんだ」
「イロイロ!?何?何があったん!?」
「秘密だ。想像に任せる。紆余曲折あったと思ってくれ」
「そ、想像に…?
 あ、あかんよ恭也さん!
 ああ、フェイトちゃん逃げて!金髪美人に恭也さんの理性が!!」
「え?え??」
「フェイトちゃん、どうなっちゃうの!?」
「ああ、小学生にそんなことまで…、ケダモノ、人の皮を被ったケダモノがおる…」
「え、え、ケダモノ?」
「どこ?どこにいるの!?」
「はやて、今のメンバーではまともな返しは期待できないからその辺にしておけ」
「あは、そやね。漫談するには2人ともちょう純粋過ぎるかな」
「え、あれ?」
「ケダモノは?」

 話に全く付いていけてないなのはとフェイトに苦笑が漏れる。
 そんなはやてに恭也が微かな笑みを返した。それに気付いたはやては頬を染めて目を泳がせた。

「はやて。
 あまり気を使わなくていい」
「あ〜はは…」

 その会話で漸くなのはにもはやての懸念が理解出来た。家族を失ったばかりの恭也から士郎や美由希の話題を遠ざけようとしたのだろう。

 やっぱり優しい娘だ。
 恭也君が一番辛い時期に一緒に居てくれたのがはやてちゃんで本当に良かった。

「クリスマス…聖誕祭か」
「せいたんさい?あ、えっと、そんなに正式なものじゃなくて、仲の良い友達を呼んで楽しむちょっとしたパーティだよ。
 フェイトちゃんも、あとアリサちゃんやすずかちゃんも来るの」
「そうか」
「恭也君は、…どうする?」
「あの、無理にって言う訳じゃないんだよ?恭也は、その、会いたくないかもしれないし」
「うん。でも、勝手に決め付けるのも、良くないかなって」

 はやてが2人の言葉に驚き、凝視する。
 どちらの表情にも恭也を気遣う気持ちが強く表れていた。恭也の気持ちを汲み取った上で、選択肢を提示しているのだ。
 敵対している組織に単身で潜入する様な無謀な真似を成し遂げられたのはこの子達が居てくれたお陰だろう。
 警察機構である管理局が、現地の一般人を危険に晒す行為を気安く容認する筈がないし、闇の書の被害を最小限に抑えるために事件を迅速に終結したいという思いもあっただろう。本来であれば二重の意味で、魔法についてド素人の恭也が魔法戦に、しかも事件の最前線に参加する事は出来なかった筈なのだ。
 だが、どれほど正論を突きつけられたとしても、必要と判断すれば恭也は絶対に引いたりしない。はやては恭也が『八つ当たり』と称してAランク魔導師3人を自信喪失まで追い込んだ事実を知っている訳ではない。それでも、恭也の無茶や無謀を机上論だけで押さえつければ、それらを振り切るために更なる無茶をする事が想像出来た。

 管理局にいる時に恭也さんと一緒に居てくれたんがこの子らで本当に良かった。

「出欠は今すぐ決めないと拙いか?」
「ううん、後で構わないよ。なんだったら直接来てくれても良いよ。
 6時から翠屋だから、気が向いたら寄ってね」
「そう…だな。では、そうさせて貰う。
 なのは、フェイト、もう十分だ。離してくれ」
「あ、うん」
「恭也さん、うち帰る?」
「いや、独りで色々と考える時間が欲しい。シグナム達に送って貰ってくれ」

 そう答える恭也の儚げな表情に、3人とも返す言葉が見つからない。
 立ち上がった恭也は、そのまま玄関を抜けると雪の舞う寒空へと去って行った。





続く

290小閑者:2017/12/03(日) 12:16:45
第26話 一歩




 舞い降りる粉雪が厚い雲に遮られた日差しと相まって、閑静な住宅街の色彩をモノトーンに染める。
 夕方と言うにはやや早い時間帯。繁華街であれば活気もあっただろうが、外出するには低すぎる気温は、普段から人通りの少ない街路から更に人を遠ざけていた。
 だが、出歩くには不向きな条件ではあったが、人影が皆無という訳ではなかった。
 顔立ちの整った妙齢の女性、なのはの母である高町桃子と、普段の彼女が滅多に浮かべることのない警戒心を露わにした視線の先を背を向けて歩く男性。
 2人は先行する男性に桃子がついていく位置関係でありながら、一緒に歩いていると言うには離れ過ぎ、かと言って探偵の様に尾行していると言うには近過ぎる距離を保っている。
 既に無言の同道は数分を経過しようとしていた。
 やっぱり、遠回りをすることになっても引き返すべきだっただろうか。
 そんな後悔の念を抑えながら、このまま何事も無く少しでも早く次の分岐路に辿り着くことを願う。
 足を速めて男性との距離を縮める訳にはいかない今の桃子にとって、願う事しか出来ることは無かった。



     * * * * * * * * * *



 今夜はそれぞれが親しい友人を招いてのクリスマスパーティだ。
 桃子は主催者として、翠屋のパティシエールとして腕に縒りをかけるべく、朝一番から下拵えに勤しんでいた。普段から手を抜いた事など勿論無いのだが。
 下拵えが済むと一度帰宅し、開始時刻ぴったりに仕上がるように翠屋に向かおうと息子である恭也と一緒に自宅を出た桃子は、タイミングよく降り始めた雪を見てすぐさま踵を返した。理由は勿論防備を整えるためだ。
 呆れた様な視線を寄越す薄情な息子は先に店に向かわせた。一足先に店に向かった夫であり翠屋店主である士郎と共に店のセッティングをするためだ。テーブルの配置換えなど、埃の立つ様な作業は調理の前に行う必要があるため、どのみち桃子の本格的な出番はそれらの後になるのだ。
 桃子は自室に向かう途中でドア越しに美由希に声を掛けた。美由希も気配とやらが読めるらしいのだが、恭也ほど上手ではなく気配の主が誰なのか分からないと聞いているので泥棒と勘違いされないための配慮である。
 尤も、床の軋む音で体重や歩き方が推測出来るから、歩いていれば美由希にも区別が付くとも言われている。“気配”とやらがどんな感覚なのかまるで分からないが桃子は、歩く音って“気配”の内に入るんじゃないの?と問い掛けた事があるが『そんなあからさまな物は含めて考えてない』という答えが返ってきた。音以外の何で察知しているんだろうか、となのはと2人で首を捻ったものだが、その疑問も早々に放棄している。分からないものはいくら考えても分からないのだ。
 とは言え、声を掛けるのは会話によって交流するためであって、識別を目的にした事務的な行為ではないのだ。気配で誰なのか特定出来る士郎や恭也が相手であっても見かければ声を掛けないなんて事はある訳が無い。
 ただし、今回桃子が声を掛けたのは美由希の様子を窺うという意味合いの方が強く、案の定、声が返ってくる事はなかった。その美由希の態度に桃子はこっそりと溜め息を吐いた。
 美由希が返事もせずに部屋に閉じ籠もっている理由が、体調不良の類ではなく拗ねているだけだからだ。
 美由希が拗ねている原因はパーティ開始時刻まで翠屋への入店を禁じた事にある。家族総出で行うイベントから締め出す様な真似をすれば美由希でなくとも拗ねて当たり前ではある。そうは言っても、心を鬼にするだけの理由と必要があるのもまた事実なのだ。
 そして、美由希も自覚と実績があるだけに強く反論する事が出来ず、強行するには父と兄の壁は厚く高い。結果、美由希は不貞腐れて部屋に閉じ籠もっているという訳だ。
 『夕方には拗ねるのにも飽きて出て来るだろう』と冷たく言い放ったのは翠屋に向かった恭也だ。普段は口数こそ少ないものの温和な性分の兄とは思えない辛辣な台詞だ。だが、彼にこんな台詞を口にさせるのにも当然の様に理由があった。端的に言ってしまえば美由希が振り撒く災厄の被害確率が最も高いのが彼なのだ。
 普段はとても仲の良い兄妹だけに、こういった状態は見ていて心が痛む。きっと本人たちも辛いだろう。
 決意を新たにし、心に誓う。一日も早く、美由希の食材を使っての創作行為(決してあれを『料理』と呼んではいけない!)を改善してみせる!
 天井に向かって拳を突き出していた桃子は、我に返ると自室へ向かった。残念ながら美由希を更生させるには時間と労力を要するのだ。言い聞かせて済むほど生易しいものであれば既に改善されている筈なのだから。

291小閑者:2017/12/03(日) 12:17:41
 ちなみに、美由希に備わっている食物を劇物に変換する能力は、判明してから数年が経過しているが、未だに改善されていない。
 美由希が料理に手を出さなければ済むことではあるし、家族からも料理を人に出すことは禁じている。だが、桃子の料理を幸せそうに食べている人達を見て、『自分の作った料理で喜ばせてあげたい』という想いが膨らんでいき、膨らみきって我慢の限界を超えると思わず料理に手を出してしまうのだそうだ。
 剣術に関しては師の言葉を素直に聞き入れて成長してきた美由希ではあったが、こと料理に関しては誰の言葉も届かず暴走してしまうのだった。
 母親として、料理人として、美由希の想いはとても嬉しいのだが、現実が伴わない以上野放しにする訳にもいかない。とは言え、その想い自体は非難するべきものではないし、将来の事を考えれば料理くらいは出来るべきだろう。上手くいかないなら練習して上達すれば良いのだ。
 そんな訳で憧れを抱かせた責任として桃子自ら折を見ては料理を教えているのだが、厄介なことに桃子が監視している場で作らせた料理は普通に食べられる物が出来上がるのだ。

 初めて監視下で調理させた時には出来上がったまともな料理に桃子は首を傾げた。
 監視と言っても一切手も口も出さず見守っていただけなのに、拙いながらも美由希が独力で作り上げた料理は何の問題も無かったからだ。何品か作らせても結果は同じ。
 あの時の劇薬は何かの間違いだったのだろうと気を許した桃子が昼食の一品を美由希に任せて、嬉しそうにやる気を出した美由希と共に調理場に立った。食卓に出すその他の料理を作りながら念のために横目で美由希の行動を見ていたが、おかしな行為に及んでいる様子はなかった。
 少々歪ながらも完成した料理を前に小躍りして喜ぶ美由希を微笑ましく眺めていた桃子は、味見をするように言い渡した。
 特に警戒心が働いた訳ではない。単に調理中に味見をしている姿を見た覚えがなかったため、調理した者の責任を教えただけの積もりだったのだが、素直に応じた美由希が自信満々に料理を口に含んだ瞬間、意識を失った。

 美由希の感性の赴くままに作られた料理に、その誰にも利益を齎さない才能が発揮されると言う事実が発覚した瞬間だった。

 家族総出で介抱した結果、大事に至ることはなかったが、意識を回復した美由希は自信作の味を思い出して悲嘆に暮れた。
 死者に鞭打つ様で気は進まなかったが何故創作などという暴挙に出たのかを尋ねると、『そっちの方が美味しくなって、喜んでもらえると思ったから』という、叱りつけるには少々気が咎める理由だった。
 上達するまで少しづつ料理の基礎を覚えていこう、とやんわりと創作の禁止を伝えて美由希が頷いた事を確認するとその場はお開きとなった。

 だが、喉元過ぎれば何とやら。悲嘆に暮れた数日後には同じ事件が勃発した。ちなみに被害者は兄の恭也だった。
 それ以来、本人にはオブラートに包む事なく『基礎が出来ていないのに創作料理に手を出すな』と口が酸っぱくなるほど念を押しているのだが、『今度は大丈夫!』という何の根拠も無い確信の元、新たな危険物が創造され続けた。
 意識を失うほどの劇物なのだから見た目や匂いを嗅いだ時点で口に入れなければ済むだろうに、という意見は実物と向かい合った事が無い人だからこそ言えるのだ。
 美由希の料理は特に酷い外観をしている訳でもなければ異臭を放っている訳でもない。
 正規のものとは違っていても警戒心を抱かせない程度には料理として整った外観。
 直ぐに味を連想出来ないながらも不快感や不信感を持たせる事の無い不思議な香り。
 美由希の創作物は迷惑極まりない事に、桃子の料理に紛れて食卓に並んでいると発見する事が難しい条件を生まれながらにして備えていた。『味を想像出来ない香り(未知の物質?)』も冷めると嗅ぎ取り難くなるため決定打とは言えないのだ。
 『ブービートラップ(士郎命名)』あるいは簡素に『擬態(恭也命名)』と呼ばれるこの機能は高町家の食卓を(特に桃子が忙しくて料理だけ作って仕事に出ている時に)疑心暗鬼に陥れた。
 桃子が打開策を見つけるまで、かわいい妹(無論なのはの事)を守るために恭也が毒見役として体を張った。彼の被害率が格段に高くなったのはこのためだ。

 せめて被害が広がる事を食い止めるために、自作した物は必ず試食するように、と美由希には言い含めてある。
 だが、(主に周囲の人にとって)不幸なことに、美由希は完成した料理を前にするとそれを食べた人が喜ぶ様を想像して舞い上がってしまい、味見するのを忘れてしまうと言う救いようの無いドジッ娘属性まで持ち合わせていた。
 尤も、欠片ほどの悪意も無いからこそ、喜んで貰える事を微塵も疑っていない美由希は作った物を尋ねれば素直に答えてくれる、という桃子の見つけた打開策が有効になるのだが。

292小閑者:2017/12/03(日) 12:18:49
 再現性が無いにも拘らず同レベルの危険性を発揮する物体を生成する能力と、懲りる事も学習する事も無く裏付けの無い自信に身を委ねて、実現する事の無い妄想を羽ばたかせる精神。
 周囲の全てを不幸にする二つの才能を併せ持つ美由希を思うと桃子は涙が止まらない。
 天は二物を与えないんじゃなかっただろうか?


 閑話休題。
 脱線しつつも予定出発時刻を30分遅らせて完全防寒態勢を整えた桃子は、静かに降り積もる粉雪を眺めながら一人で歩きだした。
 今回降り始めてからさしたる時間は経過していないが、そもそも昨晩から何度かに分けて振り続けているため、町並みは既に雪化粧が施されている。
 雪に彩られた町並みを背景にして舞い散る雪に心を奪われる。
 寒さはあまり得意ではないが、見慣れた景色を情緒豊かに演出する雪が見られるなら悪くないかな。
 そんな事を考えながら跳ねるように歩いていると、視界に映る人影に気が付いた。
 こちらに背を向けて歩いていると言うことは暫く前から一緒に歩いていたことになる。はしゃいで声を上げる様な真似をしなくて良かった、とこっそり安堵した後、その不自然さに思い至った。
 この道は暫く前から一本道だ。脇道はあるが人が通るには向かない程度には細いし、何より脇道から現れたなら目立つので気付かない筈はない。
 だが、ならば一緒に歩き続けていたのかといえばそれも納得し難い。先にあった交差点からここまで500mは歩いているのに気付けないなど有り得るだろうか?
 おかしな挙動をしている訳でもないのに不自然さを感じる人物と同道するこの道は、悪い事にかなり先まで分岐路が存在しない。安全策をとって来た道を戻って道順を変えればかなりの遠回りになる。時間的なロスもさることながら、迂回路を選ぶにはこの気温は少々厳しい。
 自分自身に女性としての魅力がそれなりにある(控えめな表現)事を自覚している桃子は、相応の警戒心も持ち合わせていた。
 だが、必ずしも不審者=変質者でないことも事実であるし、何よりすぐにでも暖房の効いた部屋に入りたい。
 そんな葛藤の妥協点として次の分岐路で男とは別の道を選ぶことにして、不審者の注意を引かないように男の後方を歩いていた。
 そうして息を潜めながら歩き始めた桃子は幾らも経たないうちに男の姿に不自然な点がある事に気付いた。気温に反してやたらと薄着なのだ。
 寒さの苦手な桃子は黒いダウンジャケットの中には厚手のセーターを着込んでいる。更には首元にマフラーを巻き、手には厚手の手袋を着けている。厚手のロングスカートとロングブーツで足元もしっかりカバー。勿論、スカートの中の装備は乙女(!?)の秘密である。
 対する前方の人物は、

 黒い長袖の薄手の生地のシャツと同じく黒いスラックス。以上。

 有り得ない。
 あのシャツの生地が最先端の科学技術の粋を極めた断熱効果を持っているとか、もっと進んで暖房効果付とか言うならまだしも、普通のシャツにしか見えない。
 マフラーは勿論手袋も着けていない。にも拘らず、背を丸める事もなく、ポケットに手を突っ込む事もない。それでいて寒さに体を震わせる様子も無い。
 異常に寒さに強い人なのだろうか?それはちょっと羨ましいぞ。
 だが、それにしても薄着過ぎはしないだろうか?
 頭や肩に被っている雪が融けていないという事は、少なくとも体温は下がっているのだ。寒さに強い人がどういった人種なのかはわからないが、哺乳類である以上、気温の低い環境でも体温を維持出来る人達だと思っていたのだが。
 そんな事を考えているといつの間にか前方を歩いていた男性の姿を見失った。唐突な状況の変化に桃子は驚きに身を強張らせ立ち竦む。
 民家の入り口も細い脇道も無いのに見失うなど有り得ない。だが、幻だったとは思えないし、この場から消失したとも思えない。

 姿を見失った理由が悪意からくるものだとすれば、女として最悪の事態さえ有り得る。
 あるいは命さえも。

 激しくなる動悸と荒くなる呼吸を強引に抑えつけ、目を凝らす。パニックを起こさず対処出来たのは『闘う人』と長く接してきたお陰だろう。
 程なくして再び男の後姿を捉える事が出来た。男性が日陰から出たことで視界に映ったのだ。
 相対距離は変わっていなかった。いや、桃子が立ち止まった分、少し離れたくらいだ。…では、影に隠れていたから普通に歩いていただけの男性の姿を見失った?そんな筈は、無い。
 日陰と言ってもそもそも雪の降るような曇天なのだ。日向と日陰にそれほどの明暗は無い。その僅かな明度の差で見失うなど信じ難い。
 そういえば、以前に美由希が『姿を消せるようになった』と言って実演してくれたが、それと同じなのだろうか?

293小閑者:2017/12/03(日) 12:19:23
 なのはが八神恭也君も似た様な事が出来ると言っていたように思う。という事は、ひょっとして自分が知らないだけである程度運動が出来る人にはポピュラーな技で、偶然居合わせた眼前の人物にも同じことが出来るのだろうか?…いやいやいや、そんな筈は…無いわよね?
 そんな風に自分の常識を疑い始めた桃子が改めて前を向くと、視線が合った。

「高町さんでしたか」
「え?…あ、八神君!?」

 声を掛けられた事で漸くその人物が以前翠屋で会った娘の友人であることに気付いた。
 後姿から息子・恭也に見えれば連想して思い付きそうなものだが、何故か全く気付かなかった。

「どうしてそんなに驚いて…って、気付いていたから付いて来てたんじゃ…
 気付いていたなら声くらい掛ける距離か」
「う、後姿に見覚えがあるな〜とは思ってたのよ?」
「嘘ですね。ご子息に酷似した後ろ姿だと気付いた時点で連想した筈です」
「御免なさい。気付けませんでした」
「勘違いしないで下さい。気付いてくれなかった事を非難している訳ではありません。
 貴方自身の危機感の無さに呆れているんですよ」
「え?危機感?」
「御主人から警戒するよう言われていないんですか?
 貴方のような麗人が昼日中とはいえ人気の無い場所で素性の知れない男に近付くべきではないでしょう」
「れ、麗人って…
 もう、大人をからかうんじゃありません!」

 耳慣れない褒め言葉に思わず頬が染まる。
 娘と同じ歳の男の子の言葉に動揺してどうする、と自身に言い聞かせながら少し顔を顰めて見せるが、遥かに年下の筈の少年の方が圧倒的に視線に篭る力が強い。

「厚着をしているとはいえ、自分の容姿が異性を引き付けるものだと自覚していない訳ではないんでしょう?」
「…はい。
 不用心でした。
 御免なさい」

 淡々とした口調に反してかなりキツイ内容ではあったが、間違いなく桃子の身を案じる言葉だ。親子ほどの歳の差がある相手であろうと無意味なプライドを発揮して跳ね除けて良い物ではないだろう。

 幼い子供…幼い?―――ともかく、娘と変わらない年頃の子供に真剣に心配されたうえ、お説教まで受けた事に軽く凹む。彼の言い分が全面的に正しいので反論の余地も無い。
 続く言葉も甘受するしかないと恭也の様子を窺うと、素直に非を認めたことで十分と考えたのか視線が和らいだ事がわかった。

「…軽視出来る事ではありませんでしたからキツイ言葉になりましたね。言葉が過ぎた事は謝ります」
「え?…あ、違うの!さっきのはホントに私が悪かったんだから!
 だから、その、…そう!心配してくれてありがとうね、八神君」
「いえ、分かって頂けたなら十分です。
 とは言え…さて、どうしたものか」
「え?」
「これからお店ですか?」
「え?あ、ええ、今夜のクリスマスパーティの準備でね。
 八神君は用事があるから来れるかどうか分からないって聞いてるけど、用事が済んだらぜひ来てね」
「はい。
 それより、人通りのある道まで送りますよ」
「え!?
 いいわよ、そんなの。用事があるんでしょ?」
「小言だけ言って放り出す訳にもいきませんよ。通り道でもあります。気にせずどうぞ」
「そ、そう?じゃあ、お願いしようかしら」
「では、少々お待ちを」

 恭也は話が纏まったところで桃子に背を向け道路を渡った。桃子が何をするのかと見ていると、大した助走も無しに軽く跳躍すると2mを超える塀に手を掛けた。と、思う間もなく跳躍のスピードのままに片手で体を引き上げる。
 すごーい、と単純に感心する桃子には、それが一般人には到底真似出来る芸当ではないことには思い至らない。家族の過半数に出来てしまうため、少々感覚が狂っているのかもしれない。
 桃子の感嘆の視線の先で、恭也はその家の庭から道路まで張り出した枝に積もった雪を掴んで降りてきた。何をしているんだろうと眺めていると、掌中の雪を崩して何かを取り出す。
 手品かと思って見直すと、雪だと思っていたものは白いビニール袋だった。取り出した物にもう一度目を戻すと、それは黒い携帯電話だ。何故あんなところにあったのかという疑問を口にして良いのか迷っていると恭也の表情が僅かに曇ったように見えた。

294小閑者:2017/12/03(日) 12:21:10
「どうかしたの?」
「いえ、暫く放置していたせいか故障したようです。
 水はかかっていないと思うんですが、気温が原因でしょうか…電源が入りません」
「う〜ん、私もあんまり機械の事は分からないんだけど、ひょっとして電池切れなんじゃないかしら?どのくらい置いておいたの?」
「2週間ほどです。
 鉛電池は低温状態だと放電し易いと聞いたことはあったが、これも同じなのか?
 …何れにせよこの場ではどうにもならないな。
 お待たせしてすみません。行きましょう」

 恭也に促された桃子は歩きながら恭也の様子を窺った。
 以前翠屋で会った時にはもう少し雰囲気が柔らかかった様に記憶していたのだが、今の彼はほぼ無表情であるため感情の変化が視線からしか読み取れない。
 洞察力に自信があり、表情の変化の少ない息子と長く接してきた桃子でもそれで精一杯という事は、大抵の人には読み取れないはずだ。
 こんな調子で学校生活は大丈夫なのだろうか?
 いやいや、先日は翠屋で女の子に囲まれていたのだから普段はもう少し表情も豊かなのかもしれない。なのは達をからかうくらいのユーモアも持っていると言うし。
 『友達の母親』との対面に礼儀正しく接している、という事だろうか?

「どうかしましたか?」
「…え?
 あ、ご免なさい、じっと見ちゃって」
「いえ、ご子息と似ているそうですからね。珍しいのは分かりますよ」
「そう言う訳じゃないんだけど、…その、寒くないの?」

 咄嗟に誤魔化そうとした桃子は、先程思った疑問を引っ張り出した。
 だが、口に出してみると改めて疑問に思う。同じ空間に居るはずなのに自分と八神君で服装が違い過ぎる。

「鍛えてますから」
「その一言で済ますには無理があるくらい寒いと思うんだけど…」
「『心頭滅却すれば』と言うでしょう」
「あれは暑さを忘れるためのお呪いでしょ?」
「は?マジナイ?
 …あの、『心頭滅却すれば火もまた涼し』というのは別に神頼みや超常現象ではありませんし、字面のまま炎を涼しく感じるものでもないんですが」
「あはは、冗談よ。
 集中すると暑さとか寒さなんかが気にならなくなるってことでしょ?」
「そう解釈している人が多いですが、本来は集中力とかいった精神論とも違うらしいです。
 元は中国の故事です。
 原文は忘れましたが、要は、無念無想の境地に入れば、猛暑の中でも涼味を感じられるという内容だったようです。
 戦国時代のどこかの坊さんが焼き討ちにあって焼死する寸前にこの言葉を残した事で、暑さ寒さではなく、“苦難”そのものを対象にした言葉とされるようになったようですが。
 何れにせよ宗教観を含んだものでしょうね」
「そうなんだぁ、知らなかったわ。
 あ、じゃあ八神君もその宗教を信仰してるの?」
「いいえ、まったく」
「…あのね」

 からかわれたのかと苦笑しながら桃子が顔を向けるが、特に表情を動かす事の無い彼の様子に戸惑ってしまう。真面目な表情のまま嘘を吐いてからかう息子とも違う様に見える。

「思い付くままに言葉を並べたので誤解させてしまいましたか。
 済みません」
「あ、大丈夫よ。別にこれくらいで怒ったりしないから気にしないで」
「そうですか。
 それから、本当に寒くは無いので気にしないで下さい」
「そう?」

 言葉が途切れた。
 会話を嫌っているという印象はないが、表情に変化が無いため言葉を続ける事に躊躇してしまう。わざわざ心配して送ってくれている彼に、気に障るような話を振るのは流石に気が引ける。
 だが、折角の機会なのだ。娘の友人の事を知るためにも出来るだけ会話をしておきたい。
 意を決した桃子は少々踏み込んだ内容を振る事にした。

「…あの、話は変わるんだけど、前にお店に来てくれた時も思ったんだけど、こうして話してると八神君凄く大人びてるわね」
「そうですか?」
「うん、少なくとも私はそう思うわ。
 お店の時はもう少し、その、子供っぽさが残ってる様に感じたんだけど、今は下手したらそこらの社会人よりよっぽどしっかりしてそうだわ。
 あの時は少しはなのは達に合わせてたのかしら?」
「…そんなことはありませんよ。
 ここのところ自分がどうしようもなく子供なんだと思い知らされてばかりいるんですから」

295小閑者:2017/12/03(日) 12:21:54
 表情も視線も声音も揺らがせること無く口にしたのは、ともすれば単なる謙遜と受け取れる様な言葉。
 だが、桃子にはそれが本心の様に思えてしかたがなかった。
 面識がほとんど無い自分が相手だから敢えて感情を抑えているのかとも思ったが、受ける印象が違う気がする。もしかすると、この数日の間に何か辛い事、悲しい事があったのかもしれない。
 そう思ってしまった桃子には、この話題を続ける事は出来なかった。

「…そうなんだ」
「そろそろ店も増えてきましたし、この辺りで良いですか?」
「え?
 …あっごめんなさい。話しに夢中になってたみたい」
「いえ。
 それでは高町さん、今夜はどうなるか分かりませんが、何れまた」
「こちらこそ。
 それは兎も角、出来れば『桃子さん』って呼んで貰いたいんだけど?」
「…勘弁して下さい。
 年上の、しかも既婚の女性を名前で呼ぶ事なんて出来ませんよ」
「むぅ、考え方まで古風なのね。しょうがないか。
 それじゃ、送ってくれてありがとうね、八神君」

 別れ際まで引き摺るべきではない、と明るい声で紡いだ桃子の言葉に軽く会釈すると彼は背を向けて歩きだした。
 結局、今日は彼の子供らしい言動を見ることは無かった。その事に小さく溜め息を吐く。
 人と接する経験の少ない子供は人見知りでもない限り『自分』を隠すという行為をしない。なのはを含め、娘の親しい友人は教育が行き届いているため礼儀作法として年長者を敬う態度を取れる。だが、それは隠す行為とは意図が異なる。
 だから、いかに丁寧に振る舞おうとも感情を表すことのない彼に対して『この歳で礼儀正しくてしっかりした立派な子』という同様の、ある意味単純な感想を持ってはいけないのではないだろうか。
 人は出会いを経験するほど、よく知らない相手と接する時に畏まった態度を取るようになるものだ。
 それが礼儀だから、と言う建前を外してしまえば、相手の気分を害さないようにするための配慮であると共に、悪い印象を持たれて関係を悪くしないための処世術と言えるだろう。
 子供でなくなるほど、初対面から『自分』を曝け出す事を恐れるようになるものだ。
 もしかしたら、彼も年齢に見合わないほどの人生経験を積んできたのだろうか?
 ただし、良好な関係を築くための処世術なら愛想笑いの一つもするはずだ。一切の感情を押し殺して接すれば、一般的な感性を持つ者が相手であればその異質さは警戒心を喚起するだけだろう。
 技能として、口振りや仕草からも感情が読みとれない程自制できる者がいることは知っている。夫の知人として紹介された、護衛任務に従事するSPだ。
 勿論、先程の八神君は流石にそこまでではなかったが、それに準じるレベルではあったと思う。だが、それは今が平時であることを考えれば異様なことだ。もしかしたら、彼もその気になればプロのSP並みに一切の感情を押し隠すとことが出来てしまうのかもしれない。

 八神君の言動から受ける印象が子供らしさでも、大人という意味での一般人らしさでもなく、特殊な技能者に最も近いことが何を意味しているのかが分かる訳ではない。
 ただ、そのことで『天真爛漫』という言葉から程遠い位置に居るのではないか?、そんな風には思ってしまう。
 何の根拠もないその考えに、子を持つ親として少しだけ悲しく、遣る瀬無い気持ちを抱えながら、桃子は揺らぐことのない背中を見送った。






     * * * * * * * * * *







 雪を降らせる曇天と、季節と共に早くなる日没が高台にも暗闇を齎す。
 周囲の明度に合わせて点灯した街灯の白い光が雪の白さを引き立たせる。
 リインフォースが空へと還るのに選んだその空間には今、降り続ける雪以外に動くモノはなかった。

「…助けられてやれなくて、済まない、…か」

 この場に足を踏み入れてから身動ぎもせずに広場の中心を眺めていた恭也が、生きていることを思い出したとでも言う様にポツリと言葉を零した。

296小閑者:2017/12/03(日) 12:24:40
「阿呆が…
 何が、嬉しかった、だ」

 頭や肩に積もった雪は、溶けては積もりを繰り返した結果、頭髪やシャツを凍らせていた。下手すれば凍傷になりかねない状態でありながら、恭也にはそれに対処する様子はない。気付いてすら、いないかの様に。

「どうして、罵らない。
 どうして、…助けを、求めてくれない」

 承知していたからだ。
 あの場に居た同胞や書の主よりも。
 居なかった魔法世界の管理者を自称する組織の提督や執務官よりも。
 改善する余地も、覆る可能性も、奇跡に縋る猶予も、何もかもが無い事を、誰よりもリインフォース自身が、一番正確に把握していたからだ。

 不破恭也に、それが理解出来ない筈がない。
 たとえ納得出来ていなかったとしても、理解してない筈がない。

 大切な友達を失った。
 その事実から逃げ出す様に、目を背ける様に、二度と繰り返す事が無い様に、遮二無二、力を求めた。
 そうして得られた僅かな力を圧倒的に凌駕する筈の父親を含めた一族の者達ですら、命を落とした。
 ならば、当然未熟な身に負いきれない事態などごまんと在ると、そんな簡単な理屈が、分からないなどと言うことはあり得ない。

 それでも、出来ないのだろう。
 認める事が、割り切る事が、諦める事が。

「…たわけが…
 助けられなかったんだぞ…」

 恭也を責める者は、一人しかいない。
 今も、昔も。

 はやても、シグナムも、シャマルも、ヴィータも、ザフィーラも、なのはも、フェイトも、リンディも、クロノも。
 ティオレも、アルバートも、士郎も、静馬も、美沙斗も、一臣も、琴絵も。

 空へと還るその時まで、静かに涙を流しながらも澄み切った笑顔を浮かべていたリインフォースも。
 現実の恭也を認識出来なくなり目に映る恭也の姿に恐怖しながらも、眠りに付けば恭也への謝罪を呟き続けるフィアッセですらも。

 誰もが知っているから。
 それまで、恭也がどれほどの努力を続けてきたのかを。
 そのとき、恭也がどれほどの無茶を押し通したのかを。
 そのあと、恭也がどれほどの後悔を抱えてしまったのかを。

 それらを知る、恭也本人以外の誰も、彼を責める事は一度としてなかった。



 誰からも、罪と認められない罪。
 だからこそ、責められる事は無く、だからこそ、赦される事も無い。



 視界一面の雪景色。
 重ねる事で白さを濃くするかの様に、雪は音も無く降り続ける。






     * * * * * * * * * *

297小閑者:2017/12/03(日) 12:28:16
 玄関のドアが閉まる音を聞いてソファーに体を沈めて物思いに耽っていたシャマルが顔を上げた。
 シャマル以外に誰も居ない八神家は当然物音一つ響いてはいない。いくら扉越しとは言え、無造作に開閉していればあれほど小さな音で済む筈は無い。そして、八神家には平時に意図してドアの開閉音を小さくする者は一人だけ。ならば、ドアを潜ったのが誰であるかなど明白だ。
 シャマルは玄関に繋がるドアを開けると、暗がりに居た他意も無く物音を立てずに行動する人物に声を掛けた。

「お帰りなさい、恭也君」

 シャマルは呼び掛けに視線だけ返した恭也の様子に、何とか表情を取り繕う。
 最後に会った病室での様子より、そしてシャマルが想定していたよりずっと酷い状態に見える。事前に表情を変えないように心構えをしていなければ取り乱していただろう。

「外、寒かったでしょ?早く部屋で暖まった方が、って、どうしたのその格好!?」
「…?」
「頭も肩も凍り付いてるじゃない!ホントに気付いてなかったの!?
 って、言ってる場合じゃないわね、早く上がって!ええっと…、あ、お風呂が良いわねっ。兎に角、その雪と氷を融かさなきゃ!」

 シャマルが捲くし立てながら手を引くと、恭也は何の抵抗も無く後に続いた。
 その従順さにシャマルは不安が募る一方だが、目前の事態への対処は必須事項だ。
 不安を押しのけて恭也と一緒に浴室に入ると、椅子に座らせて冷え切った体が痛みを感じないようにぬるま湯に設定したシャワーを服の上から浴びせ掛けた。
 次に凍りついた服を脱がそうとして、即座に断念。大急ぎで裁ちバサミを取ってくると、恭也を傷付けない様に注意しながら服を切り裂き上半身を裸にする。

「お湯、もう少し熱くするけど大丈夫?」
「…」

 お湯や服を脱がせた事への反応も、問い掛けへの返答も無い事にシャマルが表情を曇らせると、漸く恭也が口を開いた。

「済まない」

 脈略の無い謝罪の言葉に虚を衝かれたシャマルは、理解が追いつかずに短く聞き返した。

「…え?」
「心配を掛けて、すまない」

 それが、今必死に行っている治療に対する言葉だと理解したシャマルは、反射的に叱りつけようとして開きかけた口を辛うじて噤んだ。
 別に、感謝の言葉が欲しかった訳ではない。だが、今の恭也が口にするべき言葉は謝罪ではない筈だ。そのことを諌めようとして、しかし、ギリギリのところで自制する。
 直前に恭也の表情を見た事で今叱責する事が死者に鞭打つのと替わりない事に気付いたからだ。
 シャマルはそのまま答えを返す事無く、治療するため、そして恭也の精神状態を察するために注意深く観察を続けた。
 頭皮は問題ない。かなり冷えているが髪の毛が雪や氷を皮膚から遠ざけてくれているし、空気の層を保っている事で断熱材としても作用している。深刻な状態にあるとすれば肩の方だろう。

 地球上の物質の多くは温度が上がれば膨張し、下がれば収縮する。しかし、水はこの法則に従わない。液体と固体の状態では摂氏4℃で最も体積が小さくなり、密度が大きくなる。だからこそ、4℃より低温の氷は体積が大きくなるため水に浮くし、凍りついた水道管は破裂する。(氷は水よりも分子の結合が強いため温度による体積変化が小さい。そのため極低温になった氷も水に浮く)
 この水道管が破裂する現象は動物の細胞でも同様に発生する。凍った肉や魚の切り身を解凍すると染み出してくる肉汁は、水分の膨張で破れた細胞膜から溢れた細胞液だ。上手く解凍すればそのまま生きていられる生物の最も基本的な構成単位である細胞も、細胞膜が破れてしまえば死んでしまう。
 体を構成している細胞がいくつか死滅しても母体である生物が死ぬ訳ではない。実際に体中のあらゆる組織の細胞は死滅と生成を繰り返しているのだ。
 だが、それが一つの組織を構成する細胞が一度に死滅したとなれば話は別だ。切断された四肢が再生しない様にその部位を永遠に失うことになる。
 そうなればその組織そのものが機能を維持出来なくなり、それが重要な器官であれば母体そのものが死んでしまう事もある。
 凍傷の場合、一般的に末端である鼻や耳、手足の指から発症するため余程広範囲まで進行しない限り生命活動に支障が出るようなことにはならない。
 ただし、細胞が壊死すると生きている細胞にとって毒素となる成分が発生するため切断しなくてはならなくなる。
 それは身体能力が戦闘能力の全てと言える恭也にとって、そして剣術を生業とする者にとって致命的とも言える状態だ。

298小閑者:2017/12/03(日) 12:30:49
「よかった、これなら普通の手当てでも回復出来るレベルだわ」

 シャマルが恭也にも聞こえるように診断結果を口にしても反応する様子はなかった。
 今回の凍傷は下手をすれば肩の肉を、連動して両腕を失う可能性があった。それが理解出来ていない筈が無いのに、症状が軽度であるという言葉にも無反応とは。
 シャマルが回復魔法を起動しながらも眉を顰めて視線を落とす。
 昼間にはやての病室を去る時にもここまでではなかったはずだ。あの後、何かがあったのだろうか?…それとも、なけなしの精神力で覆い隠していただけで、あの時点で既にここまで傷付き疲れ果てていたのだろうか?

「…助けられなかった」

 シャワーの音に掻き消されそうな、か細い声がシャマルの耳にも辛うじて届いた。弾かれた様にシャマルが顔を上げると、恭也は前を向いたまま神に懺悔するかの如く呟き続けた。

「…はやてを助ける事は出来た。
 たくさんの協力者が居たとはいえ、それだけでももの凄い幸運だとは分かってる。
 更には、貴方達まで助かったのは奇跡以外の何物でもないんだろう。
 …だから、これ以上を望むのは贅沢だし、ただの無いもの強請りだ。
 それは、分かって、いるんだ」

 顔を上げた恭也の目尻から水滴が頬を伝う。
 まるで、涙の様に。
 あるいは、流す事の出来ない涙の代わりとするかの様に。

「…それでも、助けたかった」
「恭也君は十分に頑張ったわ!」

 シャマルは恭也の言葉を遮る様に声を重ねると、濡れるのも構わず恭也の横顔を胸元に包み込むように抱き寄せた。
 小さな衝撃で壊れてしまうガラス細工を守ろうとする様に抱きしめたまま、恭也の心に届きますようにと祈りながら、必死に言葉を紡ぐ。

「貴方の所為ではないの。
 あの場に居た誰にも、管理局の人達にだってどうする事も出来なかった。だから、リインフォースはあの結末を受け入れたの。
 主のためなら、はやてちゃんのためなら、どれだけ辛い出来事でも耐えられる事が私達の誇りよ。その私達が以降の奉仕を放棄するという選択肢を受け入れるしかなかった。他にどうする事も出来なかった!
 責任があるとすれば、ずっと魔法に携わってきたのに何の対抗手段も持ち得なかった私達にこそあるわ!
 …恭也君は何も悪くないの。何の責任も無いの」
「…責任なんて、知らない」

 恭也が漏らした荒げた訳でもない小さな呟きにシャマルの言葉が途切れた。
 胸の中の恭也の顔に表情は無く、何処かへ消えてしまいそうなのに、か細い声だけはシャワーの音にも紛れること無くシャマルの耳に届く。

「今更誰がどう責任を取ったところでリインフォースが還って来る訳じゃない。
 どんな事をしてでも助けたかったんだ。それなのに、俺の持っているどんなものを差し出してもあいつを救い出すには足りなかった。
 どう言い繕ったとしてもその事実は変わらない。

 だから、
 俺は、八つ裂きにしてやりたいほど、俺が憎い」

 殺意も、怒気も、憎悪もそれどころか、感情らしい感情も籠もらない呟きにシャマルは身を竦ませた。

 このままでは、いけない。
 何とかしなくては、きっと、恭也を失ってしまう。
 だが、自分の言葉では恭也に届かない。



 なんて無力なんだろう。
 抱きしめる手に力を込めて、必死に涙を隠し続ける事しか出来ないなんて。






     * * * * * * * * * *

299小閑者:2017/12/03(日) 12:32:28
「なのはもすっかり恋する乙女ね〜」

 間もなくクリスマスパーティを始めようという時刻。
 オーブンの焼き上がりを待つだけになった桃子がキッチンから顔を出して、カウンターの内側に居る夫に語り掛ける。
 視線の先に居る話題の人物である愛娘は友人との談笑の合間にちらちらと入り口のドアへ視線を泳がせている。
 声を掛けられた男、桃子の夫にしてこの喫茶翠屋の店長を務める高町士郎は撫でるように顎に手をあてながら、なのはの様子にいくらか困惑しながら言葉を返した。

「…う〜ん、下手したら親しくなった男を『異性』じゃなくて『大事な友達』としか認識せずに一生を過ごすんじゃないかと心配してたくらいなんだが」
「あら?
 『なのはは誰にもやらん!』とかやらないの?」
「あのなぁ、桃子。
 …そりゃあ、馬鹿な男に騙されそうになってるってんなら反対もするだろうけどな?
 なのははのほほんとしてるようで人を見る目はしっかりしてるから滅多な事にはならんだろ。
 多少うだつが上がらない男だとしても好きになった相手と一緒になった方が良いに決まってる」

 9歳の娘の結婚相手を心配するのは流石に気が早過ぎるだろう。
 それでも桃子が揶揄する事はなかった。
 士郎の視線がなのは越しに別の誰かを見ているような気がしたからだ。

 結婚前に一度だけ話してくれた士郎の実家での結婚式と、その時起きた事件。
 路銀が尽きて恭也と共に遥か遠くの地で足止めされたために、知る事も出来なかった事件。
 仮に士郎がその場に居たとしても、きっと阻止する事は出来なかっただろう、と士郎自身が言っていた。死体が2つ増えるのが関の山だった、と。
 それでも、高町士郎が一生悔やみ続けるのは、幸せを掴もうとしていた長く病床に臥せていた従姉弟の存在が大きいのだろう。
 『周りの言葉に踊らされるな。自分の心に正直に生きろ』事ある毎に家族に言い聞かせていた言葉はきっとそこから来ているのだろう。

 桃子の表情から心情を見抜かれている事を悟った士郎は照れ隠しに視線を逸らして話題をひねり出した。
 その態度すら『お見通し』と言わんばかりの視線が背中に刺さる感触を根性で無視する。

「まぁ、好きになったとしても相手が振り向いてくれるかどうかは別の問題だけどな」
「そうなのよねー。
 なのはも桃子さんの美貌を受け継いできっと将来は美人さんになると思うんだけど、それだけで勝ち抜けるほど倍率低くないみたいだし」

 なのはと一緒にテーブルに着いているのは、頻りに時計を気にしているフェイトとやたらと窓越しに道行く人影に反応するはやて、そんな3人を微笑ましく見守るすずかと呆れ顔を隠す事も無いアリサだった。

「…ま、敵もさるもの引っ掻くものってか?
 フェイトちゃんと、え〜はやてちゃん、だっけ?」
「2人とも可愛いものねぇ。
 アリサちゃんやすずかちゃんが参戦してないだけでも好しとするべきでしょうね。この先も『そう』って保障は無いんだけど」
「モテまくりだな。
 そんなにカッコ良いのか?その八神恭也君とやらは」
「恭也似の外見ってだけでもレベル高いとは思うけど、10歳とは思えないほど落ち着いてるのよねぇ。
 良いことなのか悪いことなのかは分からないけど、間違いなく同じ年頃の子と比べたら『大人』に見えるわね。
 あの子の魅力はそれだけじゃないんでしょうけど、少なくとも女の子に興味を持たせるには十分なきっかけになるだろうし」
「ふーん、…雰囲気も似てるのか?」
「そうねぇ…
 恭也よりもちょっと鋭いっていうか、硬いっていうか、そんな感じ?
 …昔の、一番余裕がなかった頃の印象が近いかもしれないわね」
「桃子が会ったのはオープンテラスであのメンバーに混ざってる時だったよな?」
「そのときははやてちゃんは居なかったけどね。
 実は今日ここに来る途中にも会ってるの。人通りの無い道を1人で歩くのは物騒だからって、大通りまで送って貰っちゃった。
 今日は友達と一緒じゃなかったからか特に静かだったわね。口数が少なかったのもあるけど、以前よりももっとこう…張り詰めてたっていうか、…道場で鍛錬してる時の恭也に近い感じ、だったかな」
「そこまで、か」

300小閑者:2017/12/03(日) 12:45:35
 高町恭也の精神は年齢に見合わないほど成熟している。
 9年前に士郎は護衛任務中に負った負傷で長期の入院生活を強いられた。折り悪く妊娠・出産、士郎の看病、更には開店直後の喫茶翠屋の運営と桃子も忙殺されていた時期。その時期に高町家を支える役割を恭也自身が誰に言われることも無く自らに課したからだ。
 遊びたい盛りの10歳児。
 元々剣術の鍛錬を日常的に続けていた恭也は同年代の子供と比較すれば自制することに慣れていた。それでも脇目も振らずに家族のために尽くすという経験は確実に恭也を変えた。
 見舞いで顔を合わせる短時間でも朧気に感じていたその変化は、退院後の生活で嫌と言うほど見せ付けられた。自分は恭也にこれほどの負担を掛けたのか、と。
 常に感情を揺るがせる事無く、平常である事。戦闘者として必要な、幼い子供としては異常な在り方。
 その変化は任務中の負傷を『そういうもの』と割り切っていた士郎に後悔の念を覚えさせるには十分なものだった。

 そんな恭也も転機を迎えた。
 穏やかな表情を見せる事が多くなり、控えめながらも声を上げて笑う事すら見かけるようになった。口数は、まぁあまり増えてはいない気もするが、それでも自発的に雑談に参加するようにはなった。
 それが月村忍という女性を恋人として家族に紹介した時期だったため、桃子となのはは単純に『愛の力だ』とはしゃいでいた。
 だが、士郎は2人の間に起きた出来事が一般的な学生が経験する類のものではなかっただろう事が予想出来た。それは2人の纏う空気と、何より恭也の剣士としての質の変化から感じ取ったものだ。
 恐らく、恭也は“死”を実感するほどのギリギリの戦闘を経験し、その闘いに勝利したのだろう。それは恭也の自信となり、余裕となった。
 それでも恭也が慢心する事が無いのは、きっと守る者が増えた事と、父親の入院した時の体験を反面教師にしているからだろう。
 …勿論、あれほどの美人を恋人に持ってイロイロと経験している事も大きいのだろうが。

 そんな経験を重ねてきた高町恭也と、印象の重なる10歳児。
 在り得る、のだろうか?

 士郎は、容姿など大した問題だとは思っていない。顔の造形など持って生まれたものが大半だ。小学生に見える成人だろうと、壮年にしか見えない高校生だろうと、探せば見つかるだろう。
 だが、雰囲気や印象は経験の占める割合が圧倒的に大きい。
 心の赴くままに奔放に行動する事を抑圧される子供はいる。躾かもしれないし、貧困かもしれないし、虐待かもしれない。だが、それらは自らの意思で行動を制御するのとは別のものだろう。
 また、医療技術の発達した現代の日本では人の“死”に触れる機会は意外に少ない。
 そして、それ以上に死にかけるような経験をする者は少なく、その脅威を自らの力量で跳ね除けられる者は更に少ない。

 更に、運動能力の高さ。
 士郎は引退したとは言え、御神流を修めた身。現役の恭也は勿論、皆伝に至らない美由希にも勝てなくなったが、一般人どころかプロの格闘家を相手にしても互角以上には戦える自信はある。
 だから、『娘と結婚したければ俺を倒してからにしろ!』とかする訳にはいかない、本来であれば。
 可能性は低いがその少年は例外に入るかもしれない。そんな風に会ってもいない少年を仮とは言え高く見ている理由は今のなのはの評価だからだ。
 一年前のなのはは中学生の運動部員の動きにも驚いていた。だが、今のなのはは感心する事はあっても驚くことは無いはずだ。
 今年になってからの、もっと具体的には3年生になってからのなのはは、日を追うごとに所作(運動能力そのものではない)の面でも気配の面でも鋭さが急速に増していった。信じ難い事ではあるが、実戦さえ経験している事は疑いようも無い。その変化の中で、優しさや素直さを失っていないのは奇跡に近いだろう。
 どの様な技能であるかまでは分からないが、恐らくは御神の剣士である恭也に匹敵するほどの力を獲得しているはずだ。そして、そのなのはが少年の実力を絶賛しているのだ。

 洞察力の人並み外れて高い桃子が恭也と印象を重ね、どの様な手段でか恭也に追随するほどの戦闘技能を得たなのはが認めるほどの実力を持った少年。
 桃子もなのはも嘘を吐いたりはしない。だが、それでもこの目で確かめなければ信じることなど出来ない。
 高町恭也の才能は御神の歴史でも間違いなく上位に入る。その恭也が19年掛けて最短のコースを駆け抜けてきた境地に、半分の年月で精神と肉体の両面で追い縋る者がいるとは士郎でなくとも信じ難いだろう。

301小閑者:2017/12/03(日) 12:46:58
「…ま、上手くすれば今日会えるんだ、楽しみにするとしようか。
 それにしてもまさに『恋は盲目』だな。周りの様子なんてまるで見えてない」
「小学生なんだから無理も無いわよ。
 これからいろんな経験していっぱい学んでいけばいいのよ。
 仮に失恋に終わったとしても、若い内なら『女』を磨く糧に出来るもの」
「…桃子も磨かれてきたのか?」
「さあ、どうかしら?」
「むぅ…」
「母さん、焼けたみたいだよ」
「あ、ありがと恭也。
 こっちはもう良いから忍ちゃんの所に行って上げなさい」
「今焼けた奴が…」
「運ぶくらい美由希に任せて上げなさいよ。ホントに拗ねちゃうわよ?」
「…まあ、配膳くらいは平気か」
「そういうこと。じゃあこれ、あなた達の分ね」
「ありがとう」

 雑談の片手間に入れた紅茶をトレイに載せて恭也に渡すと桃子が入れ替わりにキッチンへと引っ込んだ。
 士郎が横目で見やると、こちらの遣り取りが聞こえていた忍が蕾が綻ぶ様な笑みを浮かべていた。目鼻立ちの整った、下手をすれば冷たい印象を与えかねない美貌が、それだけのことで非常に魅力的な女の子へと変貌する。
 それまで、恭也の唯一と言える男友達である赤星勇吾と、美由希が招いた神咲那美と陣内美緒を交えて取り留めの無い話に花を咲かせていた時に浮かべていた笑みだって決して愛想笑いなどではなかっただろうが、やはり恋人に向けるものとは質が違うということだろう。
 良い子に巡り合えたものだ。
 そんな感慨に耽っていると、トレイを持ってフロア側に回った恭也の気配が警戒色を滲ませた。
 以前にからかったことで未だに警戒している様だ。クリスマスにまで無粋な真似をすると思われているとは心外だ。失礼な奴め。

「ほれ、さっさと ―――― 恭也」
「!―――ああ」

 士郎が意識的に口調をそのままにして呼びかけると、恭也も心得たもので動揺を表す事無くトレイをカウンターに置いて店の玄関へ向かった。
 ドアまでの数歩で呼吸と体勢を整え、窓の無い木製のドア越しにそこに立つ人物と対面する。街中で遭遇するにはあまりにも異質な気配を纏うこの人物は恭也の面識の無い相手だ。
 仮にただの来客で無かった場合、この気配の人物の用件が穏当に済むようなものとはとてもではないが思えない。万が一の事態になれば、撃退するのは恭也の役目だ。
 士郎が美由希に非常時用の模擬刀を用意するように指示しているのを視界の片隅で確認した後、恭也はドアを引き開けてそこに立ち尽くしている人物に丁寧に話し掛けた。

「失礼ですがご来店でしょうか?
 申し訳ありませんが、本日は貸切となっておりまして…」

 恭也の言葉が途切れた。
 士郎も咄嗟に言葉が浮かばない。
 限りなく透明な気配を纏い、恭也の声でこちらに顔を向けた自然体で玄関先に佇む人物に目を見張る。言葉では可能性を論じながら、心のどこかである訳がないと否定していた存在が実像を成して目の前にいた。
 御神の剣士としては完全に失態でしかないが、思考が漂白されてしまった。
 早めに引退を宣言しておいて良かった。心のどこかでそんな馬鹿げた思考が流れる余裕があるのは、自分と同じ顔をした不審人物と対面しながらも揺らぐ事の無い息子の背中が見えているからだろう。

「あ!恭也君!」
「え!?」
「あ、あれ!?こっちの道から来るんやないの?」

 少女達の安堵と喜色の含まれた声に恭也が辛うじて警戒心を押し隠して来客を迎え入れた。

「っ失礼。
 確か、…八神恭也君、かな」
「…はい」
「いらっしゃい。楽しんでいってくれ」
「ありがとうございます」

 微かとはいえ笑みを浮かべて歓迎の言葉を述べる恭也と、仏頂面のまま表面上だけ謝辞を返す恭也。
 どう好意的に受け取ろうとしたところで、不機嫌か喧嘩を売ろうとしている様にしか見えない応答に士郎と恭也が僅かに眉を寄せた。
 そんな周囲にいる初対面の人達の反応が予想出来ていたはやてが軽い口調に聞こえるように恭也を嗜める。

302小閑者:2017/12/03(日) 12:50:32
「もう、あかんよ恭也さん!
 いっくらなんでも初対面の人に『嬉しそうな仏頂面』とか『楽しそうな仏頂面』なんて見分けられへんのやから。
 ここは愛想笑いの一つも浮かべとかんと」
「…あまり難しい事を要求しないでくれ。ただでさえ噂に聞いていた同じ顔に突然出迎えられて困惑してるんだ」
「困惑?してるの?」
「アリサも暫く付き合ってると見分けがつくようになると思うよ?」
「目元でいろんな感情を表現してるから、分かるようになるとちょっと得した気分になれるんだ」
「テスタロッサ、高町。バニングスに妙なことを吹き込むな。分からんならそれで良いんだから。
 …何故睨む?怒る権利なら俺の方に…あの、マジモンで視線が怖いのですが、私が何かしましたか?」

 妹とその友人の視線の余波を受けただけで恭也の防衛本能が警鐘を鳴らしている。
 彼女達の威圧感が軽く子供を泣かせるレベルを超えているのはどういう訳だろう?末妹はのんびり穏やかに、フェイトちゃんはビデオレターで見た通り内気で恥ずかしがり屋だったはずなのだが。
 彼、八神君には悪いが助け舟を出すことは出来そうにない。というより、状況的に彼が元凶なのでは?うん、きっとそうだ。
 恭也の思考が逃げ腰ながらも正解に辿り着き、クリスマスパーティの平穏のためにも安らかに眠ってくれ、と心の中で冥福を祈っていると、なのは達と同席しているはやてが苦笑を浮かべた。

「しゃあないなぁ。
 恭也さん、名前、名前」
「名前…?
 …え〜、
 …その、
 …ああっと、え!?名前!?それだけなのか!?
 …あのな、フェイト、なのは。
 慣れた呼び名を変えるんだ。もう少し猶予があっても良いんじゃないのか?」
「そりゃ、仕方ないかもしれないけど…大事な事なんだよ?」
「それにヒントを貰ってもすぐに分からない恭也君にもちょっと問題があると思います」
「恭也にとっては大事じゃないの?」
「呼び方なんて、とても大事な事だな、うん」
「弱ッ!?」
「アリサちゃん、それは可哀想だよ」
「せやねぇ、あの視線に晒されたら大概の人は降参するやろ」

 あれだけの視線さえ話題にして談笑を始める妹と友人達。
 いつの間にか兄の知らない顔を持つようになった妹にちょっぴり寂寥感を感じながらも、平静を装いつつ八神君をなのは達のテーブルへ案内する。といっても内輪のパーティの上、立食形式なので案内も形だけなのだが。

「ごゆっくり」
「ありがとうございました」

 抑揚の少ない謝辞と、恭也には平坦にしか見えない眼差し。妹を疑いたくは無いが、あの3人には本当にこの視線から感情が読みとれるのだろうか?

「恭也ー」
「ああ、今行く」

 恭也がカウンターへ移動した恋人の呼び掛けに応じて歩み寄ると、忍と一緒に居た士郎が口を挟んできた。

「どうだった?八神君の第一印象は」
「…驚いた、かな?」
「うわ、シンプル過ぎ。他にもっと無いの?
 なのはちゃんを奪う憎い男に対して、こう『俺の妹はお前などにやらん!』とか。
 あるいは、『顔が似てるのを良い事に美人でスタイル抜群の俺のスイートハニーに近付こうったってそうはいかんぞ!』とか」
「忍、お前は俺をどういう目で見ている?」
「こんな目」
「あとでゆっくり話し合おうか」

 恭也は苦笑を収めると士郎に向き直る事無く、周囲に聞こえないように配慮しながらも何気ない調子で言葉を続けた。

「なのはと歳が変わらないという言葉を信じたくないほど熟練しているな。
 間違いなく剣術。
 間合いからして、小太刀。
 恐らくは、…二刀流」
「それって…」

 思わず口を挟んだ忍を目で制す。
 気持ちは分かるがまずは主観や推論ではなく、現状を確認するための客観的な情報を揃えなくてはならないからだ。

303小閑者:2017/12/03(日) 12:52:08
「気配が驚くほど薄い。
 抑えているのは間違いないが、恐らくは無意識のレベルだろう。
 気殺や探査は俺よりも上と見るべきだ」
「ガラスの天才、なんてことは?」
「無いな。
 間違いなく俺よりも実戦経験は多い。
 …恐らく、死線を越えた数すらも」
「いい線だな。俺も同意見だ。
 にしても、あの歳で命の駆け引き、か。
 堪まんねーなぁ」
「…そうだな。それが彼自身の意志だとしても、自分より年下の、それも年端もいかない少年がそんな闘いに参加しているというのはな…
 感情の起伏も極端に薄い。ある程度生まれ持ったものでもあるだろうが、…人の死に触れる経験が多いのか、…親しい人を亡くしたのか」
「ま、まだあんまり話せてないから分からないだけじゃないかな?この間、表でみんなで話した時には普通…よりは淡々としてたけど、でもでも、一応感情が籠もった言葉もあった、し」

 忍の言葉が途切れた。
 確かに、あの時は前半の雑談では柔らかい感情を垣間見る事は出来たし、恭也と比較してすら微かとしか言えない程度ではあったが表情の変化もあった。フェイトの質問に答えた時も内容の異常さからすれば無いに等しいものだったが、感情の揺らぎ位は感じ取れた気がする。
 それらが、今は無い。
 町中で恭也と勘違いした見知らぬ少女から罵声を浴びていたのを見た時から、先日のオープンテラスでの会合までにも(本人は否定していたが)何かがあっただろうに、あれから今日までに更に彼を追いつめる様な何かが起きたのだろうか?
 彼の目から感情を読みとれると言っていたなのは達の言葉が本当であって欲しい。忍でなくても切実にそう願ってしまうだろう。

「剣術だけなら、まだ恭也の方がいくらか上かな」
「『だけなら』という表現は的確だな。『まだ』というのも痛いところだ」
「え?恭也が抜かれるかもしれないってこと!?」
「忍ちゃんには信じ難いかもしれないけど、恭也よりも剣腕が上って奴はいない訳じゃないんだよ。決して多くないことも事実だけどね」
「戦いに勝つには剣の腕だけでは駄目なんだ。その点、きっと彼は強いよ。剣術以外の要素を必ず持ってるだろう」
「…たった10年。
 どんな生活を送ってきたのやら」
「流石に、やるせないな」

 目だけで子供達の様子を窺うとアリサとすずかが席を外したテーブルでは、笑みを絶やさぬ3人の少女と無表情の青年が1人。その落差が尚更少年の異質さを引き立たせてしまう。

「なのはちゃん達も八神君の事情を知ってるのかな?」
「ああ。
 承知してるからこそ、ああして気遣ってるんだろう」

 3人とも表情にも仕草にも堅さが見られる。彼の無表情が普段のものとは違うのか、表情を失っている理由を知っているのだろう。
 それを周囲の者に不審がられないように繕い、同時に彼の精神を落ち着けようとしている。
 前者はアリサとすずかにまで気付かれている辺り、上手くいっているとは言えない。それでも、逆に『今の八神君が普通の状態じゃないんだ』ということが伝わった事で今日集まっているメンバーに彼の態度に気分を害する者はいなくなったのだ。目的の半分は達していると言えるだろう。
 後者も彼の様子に変化は見られないところからすれば上手くいってはいないだろう。それに、憶測でしかないが、彼は自分の不調に気付いているなら大抵のものは誰にも気付かせないように抑え込めてしまうくらいの精神力は持っていそうだ。それが出来ていない時点で小手先の技で隠せる事態でも、軽い気分転換で切り替えられるレベルでもなくなっている様に思う。

「で、恭也的に八神君の心証は?」
「悪くはないよ。
 俺から見ても愛想があるとはとても言えないが、なのは達の気遣いを無駄にしないように会話に応じようとしてたしな。愛想しかない奴よりは余程ましだ。
 ただ、評価については保留しておく。
 まだ大して話しも出来てないし、何より今の彼を評価対象にするのは酷だろう」
「なるほど。なのはの婿候補として門前払いだけは避けられた訳だ」
「そんな評価はしていない。
 第一、恋人になるかどうかは当事者同士が決めることだ。俺が気に入ったから勧めるものでも、気に入らないから妨害するものでもないだろう」
「あ〜やだやだ、いかにも良識ありますって答えを選びやがって。『俺の妹は誰にもやらん!』位の事、堂々と言ってみろってんだ」
「言うわけ無いだろ。そもそも、それ自分がさっき母さんに言われてた内容じゃないか」
「俺が言わないんだからお前くらい言わないとなのはが寂しがるかもしれないだろ?」
「自分が嫌なことを人に押しつけるな!
 俺がやったらただのシスコンだろうが!」
「大丈夫!やらなくても恭也は立派なシスコンだよ!」
「忍、話しに割って入ったと思ったら暴言にもほどがあるぞ」

304小閑者:2017/12/03(日) 12:53:06
 恭也の半眼ににこやかな笑みを返しながら、忍はそっと肩の力を抜いた。
 以前から八神恭也を知る者として、今の彼が初対面になる人達の印象が気になっていたのだ。
 初対面の相手であろうと平然とからかったり、目上の者が相手であろうと敬意に値しないと判断すれば心証を気にすることなく横柄な態度をとる男なので絶対に万人受けはしないだろう。
 それでも彼の事を気に入っている忍としては自分の親しい人にも受け入れて貰いたいというのが本音だ。
 ごく最近まで学校での友達付き合いを放棄していたため忍の交友関係は同年代の少女達と比べて極めて狭いと言ってもいいだろう。
 それは本人の性格だったり、家庭の事情だったり、血筋や体質だったりと色々な事情が絡んではいる。
 妹の様子を見る限り、本人の性格や態度の占める割合が非常に高かったんじゃないかと今更ながらに反省してはいるのだが、矯正するにはちょっと遅かったかなぁ、と開き直ってもいる。開き直れる程度には、今の狭くとも深い付き合い方を気に入っているということでもあるのだが。
 だからこそ、と言うと責任転嫁でしかないのかもしれないが、自分の気に入った者同士も仲良くなって貰いたい。
 贅沢で身勝手な考えであることは重々承知しているが、それが忍の偽らざる本心だった。








「私、何か飲み物貰ってくるわね」
「アリサちゃん、私も行くよ」
「ありがと、すずか。
 何でもいいわよね?」
「甘くないもので」
「恭也は水ね」
「いいけどな」
「冗談よ。
 『とろけるシリーズ』とかあるかしら」
「聞き慣れんが、それ絶対甘いだろう」
「良い勘してるわねー」
「このヤロ」
「アリサちゃん、ほどほどにね」
「はいはい」

 なのは達の苦笑に不安が滲み始めたのに気付いたすずかが声を掛けるとアリサもあっさりと頷いた。
 ポーズも過ぎれば負担になる。過度の干渉は禁物だろうと手を引いたアリサに余計な言葉を足したのは恭也自身だった。

「気を使わせてばかりで済まんな」
「…あんたね、そういう事は言わないのが暗黙の了解ってものじゃないの?」
「そうなのか?
 子供なんで難しい事はよく分からないな」
「いけしゃあしゃあと、よくもまあ」
「八神君のそういうところは凄いと思うけど」

 あんまりな発言内容にすずかは苦笑を浮かべたまま逡巡した。
 言えば、気まずくなるだろう。なのは達が懸命に取り繕っているこの場の雰囲気を完全に壊す事にもなりかねない。
 だが、それでもきっと誰かが告げなくてはならないことだ。
 そう結論付けたすずかは、恐らく彼の事情を知るからこそなのは達が言えなくなってしまったであろう言葉を、知らない者の責務として代わりに口にした。

「ダメだよ、八神君。辛い時には辛いって、苦しい時には苦しいって言ってくれなくちゃみんなも手を差し延べる事が出来ないんだから。
 強がり過ぎると余計みんなに心配掛けちゃうよ?」
「…手厳しいな。
 子供だからな、オトコノコとしてはカッコ付けたいんだ」
「…そっか」

 恭也から返された実質的な拒絶の言葉にすずかが小さく嘆息した。
 詳しい事情を知らない気楽さと無神経さを装って単刀直入な物言いをしてみたが、これくらいで改善するならなのは達も苦労はしてないだろう。
 一瞬とはいえ恭也が言葉に詰まった事に疑問も浮かぶが、曲がりなりにもパーティに参加する意思を示している以上、幾らなんでもこの程度の言葉で動揺するほど深刻な状態ではないだろう。
 そう思いながらも幾許かの不安を覚えたすずかは無難に話の矛先を恭也から逸らすことにした。

「八神君にそんな甲斐性があるなんて知らなかったなぁ。
 あ、でも甲斐性があるからこんな状態なのかな?」

 話を振って3人の反応を見るが、意外にも動揺して頬を赤らめたのははやてだけでなのはとフェイトは不思議そうに見つめ返してきた。
 この2人がこの手の話題で動揺を隠せるとは思えないので、無自覚なのか言葉の意味が理解出来なかったかのどちらかだろう。ああ、和むなぁ。

「すずか、思いっきり飛び火してるわよ」
「あはは、ちょっと見かねちゃって。ごめんね、はやてちゃん」
「な、なんでそこで私に振るの!?」
「なんとなく。
 それじゃあ、八神君もほどほどにね?」

 それだけ告げると、すずかはアリサと共にテーブルを離れていった。

305小閑者:2017/12/03(日) 12:54:33
 外見通り清楚で柔和な内面を持つ上に人見知りの気のあるすずかにしては、それほど親しいと言えない恭也に対して随分と踏み込んだ発言だった。
 そして、すずかがあんな態度をとったという事は、

「そうとう怒らせた、かな」
「それもあると思うけど、凄く心配してるんだよ」
「…そうだな」

 恭也が相手を怒らせる事を承知しながら態度を崩さないのだから、なのはとしてもそのことを注意しても仕方がないと思っている。それは、本当の意味で相手を傷つけたりはしないだろうという信頼も含めた諦観ではあるのだが、それでも口を出したのはなのはとしても恭也に親友の事を誤解して欲しくはなかったからだ。
 短い返答から恭也も理解してくれている事を感じ取ったなのはは、改めて恭也の様子を窺った。

 先程3人が口にした『目から感情を読みとれる』という言葉は嘘ではない。それなのに、今の恭也からはほとんど読み取ることが出来ないでいた。
 じっと見つめていれば、時折微かに揺れている様には見える。ただし、それがどんな感情なのかまでは分からないし、小さ過ぎるためか即座に抑え込んでいるためか、すぐに消えてしまう。
 それらが意図したものか無意識の行為か、それすら分からないという事実が更にはやて達の不安を掻き立てる。

 恭也がリインフォースの死を悲しんでいるのは想像するまでも無いことだ。
 なのはやフェイトですらショックを受けた。
 そして、逢って間もないにも拘らず家族として受け入れていたはやての受けた傷はなのは達の比ではなかった。
 泣き崩れずにいられるのは家族に心配を掛けないための虚勢でしかなく、このパーティへの参加もその意味が強い。
 逆に、はやての傷心を知るシャマル達が送り届けてそのまま帰っていったのは明るい場に居ることではやての気が紛れる事を期待したのと、自分達の存在がはやてに虚勢を張らせる要因になると理解しているからだ。

 では、恭也は?
 病室でシグナムが言っていたように、リインフォースに最も深く接したのは間違いなく恭也だ。
 その距離は、あるいは家族としてのそれよりも近いものだったのかもしれない。ならば、彼女の死に誰よりも深く傷付いたのは、彼女の死を誰よりも深く悼んでいるのは恭也ということになる。悲しみや動揺を隠せなくなるのは当然と言えるだろう。
 だが、恭也は故郷の実の家族の死により受けた衝撃すら、意識を保っている間は周囲から隠し続けた。
 愛情の深さに優劣をつける行為は決して褒められたものではないが、これでは恭也にとって家族への愛情が合って間もないリインフォースへの思いより低い様に見えてしまう。
 だが、転移事故で孤独に押し潰されそうになっていた姿や新聞記事で知った一族滅亡の事実に打ちのめされていた時に寄り添っていたはやても、家族の死ぬ場面の記憶を取り戻した直後の錯乱する様や夢に魘され跳ね起きる姿を見たなのはとフェイトも、恭也の家族への想いが決して低いものでない事を知っている。
 ならば、リインフォースの場合だけ隠し切れないほど精神を疲弊させているのは、本当に死を悼んでいる事だけが原因だろうか?
 リインフォースが飽和状態のダムを決壊させる止めの一撃になったという可能性は十分にある。だが、3人は何か別の要因が絡んでいるのではないか、という何の根拠も無い想像が拭えずにいた。
 そのために、問題を先送りしているだけだと理解していても3人には様子を窺う事しか出来なかった。

「あの、恭也君、来てくれてありがとね」
「招いて貰ったのは俺の方なんだ。なのはが礼を言うことでもないだろう。
 とはいえ、ここまで気遣われるとは思っていなかった。
 あからさまな態度は取っていないつもりだったんだが、来たのは失敗だったかもな」
「そ、そんなことないよ」
「そうだよ。
 招待したのは私だし、楽しむために来たんだからそんなこと気にする必要ないよ。
 それより恭也君、無理だけはしないでね」
「ああ。ありがとう」

 なのはとフェイトは言葉に、はやては静かに握る恭也の手に、想いを込める。
 少しでも、僅かでも恭也の心が晴れますように、と。
 周囲の微笑ましげな視線にも気付くことなく一心に想いを寄せていた3人が不意に振り向いた。
 特に大きな音をたてた訳でも声を掛けた訳でもないのに唐突に視線が集まったため、視線を受けた方が面食らって問い掛けた。

306小閑者:2017/12/03(日) 12:55:10
「あ、あれ?
 どうしたの、急に一斉にこっち見て。
 心配しなくても私だってこれくらいちゃんと運べるよ?」

 視線の先には、首の後ろでリボンで纏めた綺麗な黒髪の丸いめがねを掛けた人物がホールケーキを載せたトレイを持って居心地悪そうに佇んでいた。
 それは視線を向けなくとも誰であるかが分かるほど恭也にとって親しい人物。出会う事を覚悟していた筈なのに面と向かうと思わず体を硬直させてしまう相手。
 恭也の緊張を感じ取ったはやて達が予想した通りの人がそこに居た。

「お姉ちゃん…」

 その言葉に応える様ににっこりと微笑んだ、女性というにはいくらかの幼さを残したその人物は、なのはの姉であり、恭也が妹のように接してきた従兄妹の面影を持つ、高町美由希だった。
 ピッタリとしたタートルネックの黒いセーターと濃い茶色のロングスカートというシンプルな出で立ち。そんな地味になりがちな色合いが妙に馴染み落ち着いた雰囲気を纏っている。
 不自然に出来た間を繕うためにはやてが美由希に話しかけた。

「あ、じゃあ、あなたが美由希さんですか?」
「はやてとは初めましてだね。これ置いたら改めて自己紹介させて貰うけど、挨拶が遅くなってゴメンね」
「いえ、こちらこそ。八神はやてです。よろしくお願いします」
「うん、こちらこそ。
 で、君が八神恭也君か、…ホントに昔の恭ちゃんに似てるなぁ。
 っとと、失礼しました。以前、家の前で会ったことがあったと思うけど、なのはの姉の美由希です。改めてよろしくね」
「こちらこそ。それより前を見た方が良いですよ」

 運び終わったら改めて、と言っておきながら会話を中断する事無く余所見をしながら歩く美由希に恭也が注意を促すが、残念ながら家族総出で料理に関して役立たず扱いを受けていた今の美由希には逆効果でしかなかった。

「な…!?
 こ、これくらい別に何とも無いよ?」

 素直に忠告を受け入れるゆとりを失くしていた美由希は、なけなしの理性を総動員することで頬を引き攣らせながらも辛うじて笑顔を保つ。そして、意地になって恭也に顔を向けたままテーブルへと歩み寄ると、慣れないロングスカートの裾を踏みつけた。
 つんのめって上半身を前方に投げ出した美由希は、恐怖によって引き伸ばされた時間感覚の中、反射的に平衡を保とうと持ち上げた両手が掴むトレイからケーキが大皿ごとゆっくりと宙を舞う様を見せ付けられた。
 ああ、これで調理どころか配膳すら任せて貰えなくなるのか。
 後悔と失望から目の端に涙が浮かぶ頃には、放物線の頂点に達したケーキが更に大皿から離脱してそのまま重力に引かれて落下を始めた。
 行き着く先は桃子が腕を振るった料理の数々が並べられたテーブルの真ん中だ。生クリームをふんだんに使われたケーキが着地と共に八方へと四散して全ての料理を台無しにしてしまうだろう。
 数瞬後の正確な予想は頼んでもいないのに色彩鮮やかに細部まで鮮明に脳裏に浮かんでくれるというのに、停止した思考は奥義の歩法を発動してくれない。皆伝どころか修行中の身では鍛錬中でも任意に神速に入れたことは無いんだけどね、などと余計な思考だけは流れるが、その内容すら現実逃避の色を帯びてきた。
 ケーキの全身が完全に大皿から離れた。浮遊しつつも傾く事で程よい色に焼き上がっている底面のスポンジ生地が見えなくなっていく。

 着地は側面からだね。追随するお皿も回転してるからケーキの上に蓋をする形で裏返しに着地するなぁ。
 あ、ダメだよ手を出しちゃ。
 あー、せっかく真上から蓋をする軌道だったのに、お皿の向きを戻されちゃった。あ、今度は着地の順番まで変えられちゃった。
 せっかく綺麗に分離したのにまた合体させちゃっ…あれ?

 横合いから伸ばされた手がケーキを型崩れさせること無く皿に軟着陸させたのだと理解した瞬間、美由希の時間感覚が通常状態に戻った。同時に、両手を前方に伸ばして受身も取れずに床に放り出された体が下から腕で支えられた事に気付く。
 放心したまま腕の主を見上げると、長年身近にあった大切な人の横顔があった。

「恭ちゃ「良くやった、八神君!!」「すごーい!」「危うくみゆきちが血祭りになるところだったのだ!」「美緒ちゃん、それはちょっと…」っわ」

 一斉に上がる歓声に押されて漸く美由希も正気付いた。
 惨事を回避し、あまつさえ倒れようとしてた自分を支えてくれたのがなのはの友人の八神恭也だった事に思い至った。
 八神君は左手でケーキ皿を、右手で自分を支えているために身動きが取れなくなっている。
 助けて貰った上にこれ以上迷惑を掛ける訳にはいかないのでさっさと立ち上がりたいのだが、スカートの裾を踏みつけた足では上手く立てないし、手を地面に突こうにも絶妙に届かない。

307小閑者:2017/12/03(日) 12:56:52
「あの、」
「わ、態とじゃないぞ!?」
「は?」

 いっそ床に降ろして貰おうと彼を見上げると脈略も無い言葉が返ってきた。
 どちらかと言えば言い訳染みたその台詞は自分が口にするべきものではないだろうか?

「わ、鷲掴みや…」
「だ、だから態とじゃないんだ!」
「…え?」

 その遣り取りで美由希にも漸く事情が理解出来た。
 美由希を支える彼の手が美由希の左胸を掬い上げるように堂々と鷲掴みにしてると言っていた訳だ。まあ、この位置関係なら当然…!?

「ひゃああああ!?」
「っちょ、暴れたら余計に押し付けられてっ!?
 速く立ってくれ!」
「そ、そんな事言われても届かな、っわ!?」
「何をやってるんだ、お前は」
「あ、きょっ恭ちゃん」

 背後から襟首を摘まんで引き上げてくれたのは今度こそ兄だった。
 どさくさに紛れて揉みしだく様な真似はされていないが、人一人分の体重を片手で支えて微動だにしない力強さが、遥かに年下の子供である彼が『男』なのだと強く意識させられた。
 顔が熱い。きっと真っ赤だ。
 無意識の内に抱き寄せていた自分の腕に胸を守るように力が籠もる。

「まったく。
 ほら、ちゃんと礼を言っておけよ。同時に2度も助けられたんだからな」
「あ、う、うん。
 あの、ゴメンね?それと、ありがと。折角のケーキや料理が台無しになるところだったよ」
「…いえ、大事無くて何よりです。
 ところで、助けておいて礼を求めるのは自分でもどうかとは思うのですが、出来れば俺の背後で膨れ上がるプレッシャーを何とかして貰えませんか?」
「え、え〜と。助けて貰ったんだし、恩は返したいところだけど、多分私が口出しすると余計に縺れると思うんだ。
 ゴメンねー!」

 それだけ告げると、美由希は那美と美緒のところへ逃げ帰ってしまった。
 なかなかに薄情ではあるが、流石に年頃の女の子にどんな理由であれ胸を鷲掴みにされた直後にその相手と朗らかに会話をするなど無理な要求というものだろう。
 仮に、小学生の妹達の放つ気迫が凄いことになっていたとしても、きっと逃げ出した原因としての割合は些細なものなのだと思いたい。
 取り残された恭也の腕を両脇から抱えた眉間に皺を寄せたなのはとフェイトが、車椅子を玉座と錯覚させるほどに睥睨しているはやての前に恭也を連行した。

「恭也さん、なんか言うことないか?」
「うむ。
 りんごみたいな大きさで手に収まりきらないのに、もの凄く柔らかかった」

 半眼で問い質すはやてに対して、真面目な表情のままでありのままを語る恭也。
 逃げ帰った美由希の耳にも届いたらしく遠くから『あぅ…』とかいう呻き声が聞こえてくる。

「素直で宜しい。ちょお話があるから、ここに座りなさい」
「拒否権は」
「無い」

 他の人達に背を向ける形で置いた椅子に両脇を固められたままの恭也を座らせるとはやては正面へ回り込んで小声でも聞こえるように顔を近づけた。

「恭也さん、大丈夫?」

 問い掛けるはやてのか細く掠れた小さな声は既に震える事を抑えられなくなっていた。
 そんなはやてを落ち着かせるように、何かを包む様に開かれた右手を見下ろしながら恭也が静かな声で答えた。

「心配し過ぎだ。流石に驚いたけどな。
 それにしても、柔らかいものなんだなぁ。
 鼓動まで感じられたし、暖かいし、手に余る程成長してるん、だっ…て」

308小閑者:2017/12/03(日) 13:00:47
 恭也の感覚で一か月ほど前に止まった美由希の時間。
 どれほど願おうと進むはずのなかったそれの10年後の姿を、不意打ちで真っ向から突きつけられたのだ。動揺するのは無理も無いだろう。
 ゆっくりと握り締めた拳には力が込められ微かに震えていた。
 食いしばった口からはそれ以上の言葉は紡がれる事はない。
 そのまま溶けて消えてしまいそうな恭也を繋ぎ止めるようになのはとフェイトが腕に力を込めて体を寄せる。
 もう、掛ける言葉さえ見つからない。


 だが、不幸とは往々にして折り重なる様にしてやってくる。


“カランコローン”
「ただいまー」
「あー、おかえりー。
 意外と早かったのねぇ」

 ドアベルの音に続いた耳に馴染んだ帰宅の言葉と出迎える桃子の言葉がなのはの意識を刺激した。
 これ以上悪い事なんて起こる筈がない、と自分に思い込ませようとしながらも、妙な焦燥感に突き動かされてドアの方を振り返った。
 そして、来店したのが家族の様に親しんでいる心優しい金髪の英国女性である事を知ると、焦燥を勘違いと結論したなのはは安堵と共に彼女の名前を口ずさもうとした。

「なんだ、フィアッセさ、ん」



『昔、力が及ばず仲の良かった子を守り通す事が出来なかった事が…』
『議員をしていたその子の父親の…』



 恭也の口から直接聞いた過去の出来事の描写が唐突になのはの脳裏に浮かんだ。
 あまりの驚愕に声を上げる事も出来ずに、ただ目を見開く。

 何故、気付かなかったのか。
 気付ける可能性が有ったのは自分だけだというのに。
 ダメだ。今の彼をあの人と逢わせては絶対にいけない!

 なのはの様子をフェイトとはやてが訝し気に見やるが、その視線に気付く余裕も無い。
 そして、皮肉な事に、なのはの驚愕を含んだ眼差しに気付いたフィアッセが子供グループに笑顔を向けたために、その傍らに着席している『可愛い弟』の後姿に気付かれてしまった。

「あー、こんなところに居た。
 ただいまぁ、恭也。久しぶりー」

 なのはが止める間もなく、歩み寄ったフィアッセは背凭れ越しに恭也を背後から柔らかく抱きしめ頬を寄せた。
 はやてとフェイトが、その行動がこの女性のちょっとした人違いでは済まない事に思い至ったのは、恭也が明らかに驚愕を表情に表したからだった。
 不意打ちだった事もあるだろう。
 気配で近付いてくる人物を察知していようと行動まで読める訳ではないので、単純に抱きつかれた事にも驚いていたのかもしれない。
 だが、見開いた目が動揺に激しく揺れる様は、他の誰かの取ったリアクションだとしても異常があったことを察するのに余りあるものだ。
 それが、自制に長けた普段から表情を動かす事の少ない恭也ならば最大級のものと言えるだろう。

 これほどの驚愕を示すという事は恭也自身もこの場にフィアッセが現れる可能性を考慮していなかったということだ。
 それは無理も無いことではある。
 恭也の認識ではフィアッセは長い間イギリスの自室から出る事が出来ずにいたのだ。物理的な距離以上に彼女の精神状態を知る恭也だからこそ彼女がこの場にいる可能性を除外していたのだ。

 それはつまり、このフィアッセ・クリステラは『あの』フィアッセではないのだと、そんな簡単な結論さえ、きっと今の恭也には至れないのだ。
 そんな思考を働かせる余裕は、冷静さは、何処にも無い。
 溢れそうになる何かを堪える事に、壊れそうになる何かに耐える事に必死になっている恭也にそんな余力は、無い。

「あ…ダ、メ。
 フィアッセさん、ダメ!離れて!!」
「え!?」

 恭也の様子になのはが反射的に叫びながらフィアッセを押し退けて2人の間に割り込んだ。

309小閑者:2017/12/03(日) 13:04:53
 普段のなのはからは想像も出来ない様子と言動の全てに驚いたフィアッセは抵抗する事無く呆然として押されるままに腕を解いて一歩退いた。
 店内に沈黙が満ちる。
 静寂と、驚きを顔に浮かべたフィアッセを含めた大人達の視線に漸く自分が何をしたのか理解したなのはは、恭也の様子を気にしながらも事情を説明出来ないためにしどろもどろに言い訳を口にしようとした。

「あ…ちが、違うの、あの、今のは、その…だから…こっちは恭也君なの!お兄ちゃんじゃないんです!違う人なんです!だから」
「落ち着けなのは」
「え!?恭也!?
 ええ!?じゃあ、こっちの人は!?」

 背後から聞こえたなのはをフォローする声に振り向いたフィアッセは、先程抱きしめた筈の人物が背後に居ることに驚愕の声を発した。

 苦笑を零しながら状況を説明する兄の言葉に耳を傾ける余裕の無いなのは。
 なのはの言動からこの美麗な女性が今の恭也の在り方を決定付けた少女に該当する人物だと遅まきながらも思い至ったフェイト。
 そして、詳細を知らないながらも朧気に状況を察したはやて。
 3人は微動だにせず、固唾を呑んで恭也を見守る事しか出来ない。

 フィアッセが離れた後に表情を隠すようにして右手で目元を覆ったまま、時折痙攣するように体を小さく揺らせていた恭也が硬直していた体から少しずつ力を抜いていった。
 だが、細くゆっくりと息を吐き出そうとしているのに、たったそれだけの事が出来ていない。何度も途切らせ、その度に硬直しようとする体を諌めて懸命に呼吸を整えている。
 はやて達には永遠にも感じられる一呼吸分の吐息を終えた恭也が顔を覆っていた右手を静かに離すと、あれだけの動揺がいくらか顔を蒼褪めさせている程度に抑え込まれていた。
 ゆっくりと椅子から立ち上がると、背後を振り返る。
 間違いなく心の準備をしていただろうに、フィアッセの姿を認めた瞬間、恭也の表情が強張る。
 それでも、その動揺を瞬時に押し隠すと、何事も無かったかの様に恭也がフィアッセに話しかけた。

「…紛らわしくてすみません。八神恭也といいます。
 高町恭也さんと外見がよく似ていると思いますが、単なる他人の空似です。
 高町さんの周囲の方には迷惑を掛けてしまい心苦しい限りですが、どうかご容赦下さい」
「そそそんな、あ、ああ、あの、私の方こそごめんなさい、私勘違いしちゃって、あんな…」
「いえ、謝って頂く必要はありませんよ。むしろ感謝させて貰いたいくらいだ。
 今まで勘違いされて厄介ごとに巻き込まれたことはありましたが、あなたのような綺麗な女性に抱きしめられるなんて、これから先に被る迷惑まで含めても補って余りあるほどの役得です」
「え、ええー!?」
「こらこら、八神君。
 確かに人違いとはいえ『光の歌姫』に抱き付かれるなんて一生モノの思い出になるでしょうけど、なのはちゃん達の目の前でそんなこと言っちゃったら、また…え?」

 恭也が場をとりなそうとしている事を察した忍は、彼に合わせて軽口を叩きかけるが視線を転じた先に居たなのはが本当に泣き出しているのを見て言葉を途切れさせた。いや、なのはの後ろにいたから気付くのが遅れたが、フェイトとはやても涙こそ流していないものの同じ表情をしている。

「ダメ だよ、ック、もう、止めて…」

 溢れる涙を拭いもせずになのはが嗚咽交じりに訴える。
 なのはにも、家族やその友人達から見れば恭也より自分の言動の方が余程おかしいという自覚はあった。だが、既に体面を気にしている余裕など何処にも残っていない。

 恭也には泣き叫ぶなんて真似は出来ないだろうし、何の非も無いフィアッセに当たり散らすなんてもっと無理だろう。
 それでも、平気な振りだけはして欲しくなかった。
 これ以上感情を抑えたら、感情を殺したら、軋みを上げる恭也の心が本当に壊れてしまう。
 そう思っただけで、もうなのはには耐えられなかった。

310小閑者:2017/12/03(日) 13:06:33
 そのなのはの様子にフィアッセの困惑が益々深まる。
 先程のなのはの言葉は、聞き様によっては自分に向けて『これ以上恭也君の気を惹かないで』と牽制しているようにも聞こえる。
 だが、なのはが訴えている相手は明らかに自分ではなく彼だ。しかしそうなると、なのはが彼の言動の何を止めようとしているのかが分からない。
 子供達の様子からすると、彼は当事者どころか中心人物だろう。だが、淡白ながらもおどけた様な言動という器用なリアクションをとっている彼と、パーティ会場で何かに怯えている少女達では明らかに後者の方が不自然だ。
 帰って来たばかりだから分からないだけなのかと周囲を見るが、大人達も程度の差はあれ困惑しているのが分かる。
 周囲から得られる情報は無い、という考えに至ったフィアッセが注意を戻すと、中心人物たる彼が優しくなのはの頭を撫でていた。
 金髪の子と車椅子の子とは面識がないが、なのはが可愛らしい容姿とは裏腹にただ辛いだけで泣いたりしない芯の強い子である事は知っている。そして、それ以上に、人の痛みに涙する事が出来る優しい子だということも。
 ならば、如何に自然に振舞っている様に見えようとも、傷付いているのは彼なのだろう。
 フィアッセがそう結論付けるのを待っていたようなタイミングで少年が店内に居る一同を見渡してから話し始めた。

「…お気付きの事とは思いますが、この子達の様子が不自然なのは俺に原因があります。
 実は、…少し疲れていまして、心配を掛けるよりはと見栄を張ってこの会に参加させて貰ったんですが、逆効果だったようです。
 場を白けさせてしまって申し訳ありません。
 本来なら早々にお暇させてもらうべきなんでしょうが…」

 恭也が言葉を切って振り返る。
 釣られてそちらを見やれば、そこには本人よりもよっぽど不安に押し潰されそうな表情をした少女達が居た。

「このまま帰宅してもこの子達の不安を拭えそうに無い様なので、不躾だとは思いますが後で控え室ででも少し休ませて貰えませんか?」
「そいつは構わないが、調子が悪いなら帰って休んだ方が良いんじゃないのか?
 無理に追い出す積もりは無いけどな、人を気遣って無理をする必要も無いんだぞ」
「ありがとうございます。
 ですが、…出来れば俺自身ももう少しこの場に居させて貰いたいんです」
「そうか。
 じゃあ、せめてそっちのソファーに座っててくれ。食い物はたくさんあるから遠慮なく食ってくれ。腹が膨れれば自然に元気も出てくるさ。味は保障するぜ?
 なんだったら好きな物をリクエストしてくれてもいい。大抵のものは用意出来るはずだ」
「ありがとうございます。でも、これだけの料理が揃っているなら…
 …いえ、では、一つだけ」

 前言を翻した恭也に士郎が意外に思う内心を綺麗に隠したまま言葉を待つと、何度も逡巡した後で恭也が控え目に口にしたのは料理名ではなかった。

「…フィアッセ、さん」
「え、私?」
「『歌姫』…と呼ばれているという事は、歌を…歌われているんですか?」
「う、うん。まだ、デビューしたばかりの駆け出しだけどね」
「では、…何か1曲、聞かせて貰えませんか?」

 それだけの事を言うために、何度も言葉を途切れさせ、その度に呼吸を整える少年の様子を見て、漸くフィアッセにもなのは達の危惧が決して大袈裟なものではない事に気付いた。
 感じ取れるのは、後悔、だろうか?そして、僅かに見え隠れしている、何か。
 彼のリクエストは、まず間違いなく単なる興味本位に因るものではないだろう。
 歌う事自体は何の問題も無い。だけど、もしかすると歌う事で彼を傷付けてしまうのではないだろうか?
 一度は泣き止んだなのはを含めて、泣き出す寸前の悲痛な表情の少女達を見れば尚更不安が膨らんでしまう。

「フィアッセ、歌ってやってくれないか?」
「士郎、でも…」
「まぁ、彼が何を期待してるのかまでは分からないけどな。
 でも、きっと彼にとっては大事な事だ」
「…うん」

 士郎に促される事でフィアッセも覚悟を決めた。
 歌を歌うプロフェッショナルを表明している以上、身内とは言え人前で歌う際に手を抜く事など在り得ない。歌う事が楽しくて、好きだからこそプロになったが、生業とするからには趣味の延長ではいけないのだ。

311小閑者:2017/12/03(日) 13:10:44
 持ち得る最高の技術を尽くして想いを歌に乗せる責任と、聞いた人が抱く感情を受け止める覚悟。
 『世紀の歌姫』と呼ばれた母ティオレ・クリステラの歌声でさえ、受け入れる事無くビジネスのため(歌が気に入らないからではなかったと信じたい)にテロリズムによって妨害する者がいたのだ。
 きっと、多くの人に喜んで貰えたとしても、それが万人に受け入れられる事はないだろう。
 そして、歌を望んでくれたとはいっても、目の前に居る今の彼の期待に応えられるとは限らない。期待を裏切り失望させてしまう可能性は十分にある。
 それでも、自分の歌を望んでくれたのだ。怖気づいて逃げ出す訳にはいかない。
 フィアッセは店内に声が届くように壁を背にして立つと、気息と精神を整えつつ手近な椅子に座った恭也に問い掛けた。

「曲のリクエストはある?」
「いえ、最近の曲はほとんど知らないので…そうですね、落ち着いた曲調の物があれば」
「落ち着いた曲か…。じゃあ、コンサートとかで歌った曲じゃなくても良いかな?」
「構いません。あなたが歌いたい曲でお願いします」
「うん。
 じゃあ、始めるね」





 BGMを切った静かな店内に光の歌姫の奏でる旋律が響く。
 伴奏の無い、ただの肉声。
 科学的に表現するなら、単なる空気の振動。
 だが、そこには確かに込められた気持ちが、乗せられた想いがあった。

 安らかでありますように。
 痛みが和らぎますように。
 心の傷が癒えますように。

 歌詞として歌い上げている訳ではない。
 フィアッセが恭也の事情を知る由も無い。
 だから、歌声から受ける印象は、汲み上げた想いは、聞き手であるはやての感傷でしかないのかもしれない。
 それでも、きっとそれがフィアッセ・クリステラが八神恭也のために紡いだ歌の全てだ。
 その心に染み入る歌を聴きながら、しかし、何の根拠も無い『この歌を恭也に聞かせてはいけない』という焦燥と恐怖に胸を締め付けられる。
 胸の痛みに身動ぎも出来ず、溢れる涙も拭えなかった。


 テレビ放送でも、コンサートDVDでも聴いたことの無い曲。
 けれど、なのはにとっては聞き覚えのある曲。
 物心着く前から、フィアッセが泊り掛けで遊びに来た時に聞かせてくれた子守唄。
 妹分にせがまれて幼い兄妹のために幼い彼女が即興で歌った、フィアッセ・クリステラの最初のオリジナル曲。
 そして、彼女のレパートリーの中で唯一恭也が知っている可能性のある曲。恭也の守りたかった幼馴染が歌っていたかもしれない曲。
 どうして、よりにもよってこの曲なのか。やっぱり、無理矢理にでも別室に連れて行くべきだった。
 後悔の念が涙となって頬を伝う。


 共感、と言えるかどうかは分からない。
 気のせいだと言われれば、それだけの事。
 穏やかな曲調の歌を聴いている者としてはそぐわない鋭い眦と硬く閉ざされた口元も、普段と変わらないだけかもしれない。
 それでも、母に捨てられた時の、母を亡くした時の、あの絶望と悲哀を恭也が感じていると思った瞬間から、辺りを流れる穏やかな音色はフェイトの耳には届かなくなっていた。
 明確な悪意によって奪われようとしているなら、明確である分、闇の書を起動させた時のはやての様に略奪者に対して怒りや憎しみといった感情をぶつけるのは比較的容易だったろう。
 だが、自分にはどうする事も出来ない理由で大切な存在を失おうとしているこの状況では、はやてやなのはの様に絶望や恐怖、悲哀や後悔といった感情に支配されると身を竦ませて行動を起こすことが出来なくなる。
 だから、どれほど求めても得られず、拒絶され、死出の旅路を見送る事しか出来なかった母との関係も、『良かった』などとは口が裂けても言えないけれど、今、この場で行動するための経験だったと思えば、ほんの少しだけ報われたんじゃないかと、フェイトにも思う事が出来た。

312小閑者:2017/12/03(日) 13:12:27
 歌に聴き入る周囲の注目を集めない様に、静かに背後から恭也に歩み寄る。そして、崩れ落ちないように優しく、溶けて消えないようにしっかりと、背凭れ越しに恭也を抱きしめて耳元でそっと囁いた。

「恭也、これ以上、無理しないで。
 もう、止めよう?」
「…心配掛けてばかりで、済まんな」

 謝罪の言葉とは裏腹に、声に込められた拒否の意思を敏感に感じ取ったフェイトが身を硬くする。
 だが、抱きしめる腕を解くために掴んだのかと思っていた恭也の手は、フェイトの左手首をそっと握ったまま動く事は無かった。
 怪訝に思いながらも恭也の顔を覗き込む事を躊躇っていると、手首に添えられた手が微かに震えている事に気付いた。
 泣いているのだろうか?
 一瞬そんな考えが頭を過ぎるが、すぐに否定した。泣く事が、感情を吐き出す事が出来るなら、きっとこれほど追い詰められてはいない筈だ。
 これ以上掛ける言葉が見つからなかったフェイトは、抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。






 店内が拍手で満たされる中、優雅にお辞儀をしていたフィアッセは、顔を上げるとリクエスト者である少年の様子を窺った。
 ライブは録音した歌を再生するのとは違う。歌う事に集中していたとは言ってもそれは観客を蔑ろにする訳ではない。
 だから、曲の途中から金髪の少女が少年を抱きしめていた事も、それが悪巫山戯や周囲を無視した甘えでは無い事も察する事が出来ていた。
 歌を気に入って貰えるかどうかは個人の好みや感性に因るが、今回はリクエストした事も含めてきっと少年個人の事情が絡んでいるのだろう。
 歌う前には、気分を害す様なら歌唱を中断するように何らかの行動を取るだろうと思っていたのだが、恭也に似ているのが外見だけではなかったとしたら聞いている他の人のために我慢していたかもしれない。
 絡めていた腕をポンポンと軽く叩いたのを合図にして女の子に腕を解いて貰うと、椅子から立ち上がった少年が深々と頭を下げた。

「…我が侭を聞き入れて頂いて、ありがとうございました」
「全然構わないよ。
 それより、今の歌は君の期待に応えられたかな?」
「勿論です。
 十分に、…いえ、想像していたより遥かに素晴らしい歌でした。
 …なんて、普段音楽なんて聴かない俺が偉そうに言う事ではありませんね」
「そんな事無いよ。
 私達は評論家に良い点数をつけて貰うために歌ってる訳じゃないもの。
 聞いてくれる人に喜んで貰える事が何よりのご褒美だよ」
「…変わらないな」
「え?」
「いえ、独り言です」

 そう言って話を切り上げた恭也は、一度背後を振り向いた後で士郎に向き直った。

「どうやら俺は自分で思っているより酷い状態みたいです。
 申し訳ありませんが、お言葉に甘えて少し休ませて貰いますね」
「ああ、暖房は付けておいたから元気になるまで休んでいってくれ。
 なんだったら布団も用意するぞ?」
「それは流石に大袈裟ですよ」
「自覚が足りないだけかもしれないだろ。
 あと、食べる物も桃子が適当に用意した」
「スタッフルームに食べ易い物を見繕って置いておいたわ。
 足りなければテーブルにある物もいくらでも持って行っていいからね」
「そんな訳で、なのはと、フェイトちゃんとはやてちゃんも一緒に休んでくるといい」
「…え?」
「恭也君を一人にしちゃ可哀想だろ?
 それに、君達自身も気になってパーティどころじゃないんじゃないか?」
「あ、はい。あ、でも…」
「恭也がゆっくり出来ないんじゃ…」
「これだけ心配掛けておいて偉そうな事は言わんよ。
 それに、まあ、なんだ…我ながら女々しいとは思うが、一緒に居て貰えた方が俺としても、多分助かる」
「…あ、う、うん。恭也君が良いって言うなら、一緒に居るよ!」
「恭也さん、何かして欲しい事あるか?」
「はやて、兎に角移動しよう?」

313小閑者:2017/12/03(日) 13:13:04
 恭也に頼られた事が余程嬉しいのか、涙をぬぐい先刻までの悲痛な表情を一変させた少女達一行がスタッフルームへと続く通路に入っていった。
 スタッフルームと言った所で個人経営の喫茶店のそこは更衣室兼物置でしかない。
 だが、なのはがドアを開けてみると本来であればロッカーと備品しか置かれていないはずのそこには、4脚の簡素な椅子と1脚の小振りな丸テーブル、その上に置かれた大皿に盛られた料理と取皿が用意されていた。
 あの静かな曲調のアカペラに雑音を挟む事無くこれだけの用意をしてのける両親には感心させられる。
 恭也に促されて先に部屋に入った3人が振り向くと、下世話な話題で盛り上がる店内の面々の声を閉じたドアで遮った恭也がそのままドアに凭れ掛かって座り込んでしまった。

「恭也さん!?」
「…問題ない。
 少し、…少し休めば、大丈夫だから」
「―――――」

 顔を隠すために俯き、右手で顔を覆ったまま呟いた恭也の言葉に言葉を失った。
 どう見ても、大丈夫な訳がない。
 だが、それを指摘する事には意味が無い。
 恭也自身だって、いくらなんでもその言葉を自分達が鵜呑みにするとは思っていないだろう。
 『この件に触れるな』
 そう宣言されたのだ。

 だが、黙って眺めているためについて来た訳ではない。一度犯した失敗を繰り返す事など有ってはならない。

「恭也さん、フィアッセさんの事、聞いてもええか?」
「…」

 彼女の事を知っているであろうなのは達には出来ない質問。
 無理強いすればどうなるか想像もつかないからこそ、導入として必要な問い。
 これすら拒絶されれば、以降は本当に何も聞けなくなるだろう。
 だけど、きっと答えてくれる。自分達がついて来るのを認めてくれたのは意図したものか無意識なのかは分からないが、たぶん話を聞いてくれる相手を求めたからだ。
 その推測を信じて、恭也の言葉を待つ。

 暴走と直結する闇の書の起動を阻止出来なかった事。
 夢の中で二度と逢う事が叶わない筈の家族と再会し、永遠の別れになる事を承知していながら決別した事。
 ボロボロの体を押して助けようと奔走したにも拘らず目の前でリインフォースに旅立たれた事。
 失った父親、そして想像する事しか出来ない筈の成長した妹と触れ合った事。
 家族と出会った時にすら見せなかった程の反応を示す相手、フィアッセ・クリステラと対面した事。

 昨日の夕方から立て続けに起きた出来事に恭也は間違いなく激しく揺さぶられている。
 今後、恭也の精神にこれ以上の影響を与える出来事など起きないだろうし、起きてはいけない。
 それなら、恭也に内に溜め込んでいる何かを吐き出させるのは今しかない筈だ。本人の言葉通り、今この時を乗り越えてしまえば、恭也は平静を装って二度と表に出す事はないだろう。癒える事の無い傷を抱えたまま、誰にも悟らせる事なく一生押し殺していくのだろう。
 そんなことは、させてはいけない。
 祈る様に、縋る様に、言葉以外のサインが無いか一瞬たりとも視線を逸らさず、恭也の言葉を待ち続ける。
 この沈黙が拒絶の意ではないのかと、その考えに囚われて震えだす両手を左右から伸ばされた手に握られた。独りではない事を涙が出そうなほど心強く思えたのは初めてかもしれない。
 それでも、身動ぎもせずに沈黙を貫く恭也に、じわじわと不甲斐ない想いが心を占めていく。

 たくさん、助けられた。
 助けられてばかりいた。
 それなのに、自分は恭也の話を聞いてあげる事すら出来ないなんて。

 3人が、無力感から視線を下げる寸前、か細い声が空気を震わせた。
 弾かれた様に視線を戻した彼女達が見守る中、およそ恭也のものとは思えないほど力の無い声が、途切れながら少しずつ語りだした。

「…フィアッセは、父さんが護衛を務めたイギリスの議員の一人娘だ。
 長期の休みに旅行を兼ねて連れて行かれた議員の自宅で何度か顔を合わせて親しくなったんだ。
 『世紀の歌姫』と呼ばれるほど世界的に有名な歌手を母親に持ったからか、歌う事が好きで、自分の歌を聞いた人が喜んでくれる事に幸せを感じる様な、優しい子だった。
 …そのフィアッセが、父親の政策に反対するテロリストの標的にされたんだ」

314小閑者:2017/12/03(日) 13:13:59
 恭也のゆっくりと吐き出した息が震えている事に気付いたが、はやてはグッと下唇を噛んで耐えた。両手に添てくれているなのはとフェイトの手が震えている事に気付いて、指を絡めて握り返す。
 止めてはいけない。そんな事をしても何の解決にもならない。

「…その場に居たのは俺だけで、彼女を守るには俺の力では足りなかった。
 結果、フィアッセは心を壊して、自室から出られなくなった。
 …あの、綺麗な心を宿した歌声は、二度と響く事はなくなったんだ」
「…だから、恭也さんは体を鍛えたの?」
「…そうだ」
「…次に同じ境遇の人に会った時に助けられる様に?」
「…ああ。
 他の誰かを助けたところで、フィアッセに起きた事が無かった事になる訳じゃないし、フィアッセの心が戻って来る訳でもない。…そんなことは、分かってる。
 だけど、俺が同じ事を繰り返したら、フィアッセがあまりにも報われない。
 …フィアッセが誰かを助けるための犠牲だったなんて考えたくないのに、ただ無意味に傷付いただけとも思いたくなかった」

 恭也が右手を離しながらドアに頭をつけるようにして俯けていた顔を上げる。天井を仰ぐ様に上げた顔は、涙どころか表情も無い虚ろなものだった。
 店内では、他の人が居るところでは辛うじて保っていた無表情すら抜け落ちた空虚な顔。それは『精神状態を隠す』事を身に染込ませている恭也が、ここに居るのがはやて達3人だったからこそ見せた気の緩みなのだろう。

「…なのに、リインフォースも、助ける事が出来なかった」
「それはっ!…」

 はやては口を衝いて出ようとした言葉を咄嗟に飲み込んだ。
 『恭也さんの所為やない!』
 そう言う事は簡単だった。だが、恭也はその言葉を受け入れないだろう。いや、受け入れられないだろう。
 恭也のトラウマはフィアッセが精神を患った時、つまりずっと以前に負ったものだ。その傷を今より幼い、精神の未熟な時期に周囲から隠し通せるはずがない。
 恭也の家族には父親と妹にしか会っていないが、あの人達が共に生活する人がまったく正反対の人格とは考え難い。恭也の家族が彼の心の傷を放置したままにしていることはないだろう。きっと、あらゆる手を尽くして、それでも癒しきれなかったに違いないのだ。
 ならば、今更頭ごなしに言葉を投げかけたとしても効果など無いだろう。

 冷静に。
 慎重に。
 感情に流されずに。
 会話を続けて、苦しむ恭也さんを救う手立てを見つける。
 出来るかどうかなんて考えるな。
 何としてでも遣り遂げなあかんねん!

<はやてちゃん、落ち着いて>
<まずは話を聞こう。恭也の抱えてる苦しみが何か確かめないと>
<っ!
 うん、そうやね。それにしても、恭也さんの目の前で密談出来るなんて、念話ってちょっと反則ぎみな能力やね?>
<あは、そうだね>
<うん。でも表情に出したら気付かれちゃうから気を付けてね>

 冗談交じりの雑談を交わす事で、無理矢理にでも意気込んで入り過ぎていた肩の力を抜く。
 そうだ、自分には味方が、いや、恭也を救いたいと心底から思っている女の子が自分の他に2人もいるんだ。
 はやては心の中で『落ち着け』と繰り返し念じながら、静かな声で切り出した。

「恭也さんは、フィアッセさんが傷付いた事やリインフォースが消えてしまった事を、自分の所為やと思ってはるの?」
「…誰の所為かなんて、知らない。
 ただ、俺にはその場に居たのに助ける術がなかった。
 それが赦せないだけだ」
「リインフォースの時には、恭也よりも魔法に詳しい人がたくさんいたんだよ?
 その人達にもどうすることも出来なかった。
 魔法初心者の恭也を責める人なんて何処にも居ないよ?」
「他の誰に、何が出来たかなんて、知らない。
 誰に責められても、誰に赦されても、関係ない。
 俺が、何の力もない俺自身を赦せない。だから、嫌悪してるし、憎悪もしてる」
「…どうすれば、自分の事赦してあげられる?」
「赦す余地なんて、何処にある?」

 恭也の言葉に引き込まれそうになるのを繋いだ手に力を篭めて互いを意識する事で踏み止まる。
 挫けるな。目を逸らすな。絶望している暇なんて無いんだ。

「…私も、ね?母さんを怒らせる自分の事が嫌いだったんだ。母さんを助けられなかった自分を憎いと、今でも思ってるんだ」

 自身の傷を見せようとするフェイトの言葉に、なのはが視線を寄せる。
 その気遣いに感謝しながら、小さく微笑む事で応えた。
 自分は大丈夫だ。
 なのはに、生きていく勇気を分けて貰えたから。

315小閑者:2017/12/03(日) 13:15:05
「だけど、それ以上に、母さんを失った事が悲しいから、思い出して泣いちゃう事もあるんだ。
 でもね、夢に見て泣きながら目を覚ました事は何度もあったけど、起きてる間に思い出して泣ける様になったのは最近の事なんだ。
 恭也が、泣いても良いんだって、教えてくれたからだよ」


『理由なんて、どうでも良い。状況が許す限り泣きたい時に泣いておけ』


「自分の事を赦せなくても、嫌いになっても、仕方ないかもしれない。
 でも、悲しい時には、泣きたい時には、ちゃんと泣かなくちゃダメだよ?
 だって、泣いてもいい時には我慢しちゃいけないって教えてくれたのは恭也なんだよ?」
「…別に、我慢なんて、していない」
『えっ!?』

 思わず口を衝いて出た驚きの声が自分の耳に届く事で我に返る。
 同時に、その声が自分のものだけでない事を知って、他の2人の前で泣いていた訳では無い事も理解する。
 では、他の人の前で泣いていた?あの、恭也が?
 自惚れる積もりはないが、それは無いような気がする。
 では、独りで居る時に?
 過去の新聞記事から一族の滅亡を知った夜に『寂しい』と零した時にさえ涙を流さなかった恭也が?
 家族の死亡する光景を思い出して錯乱していた時にも、夢に魘され跳ね起きた時にも涙を見せなかった恭也が?

「恭也君、それじゃあ、悲しい時には、ちゃんと泣いてたの?」
「…」

 なのはが恐る恐る口にした疑問に恭也が答える事はなかった。
 その事に、3人は嫌な想像が膨らむ事を止められない。


 悲しい時には泣くべきだと言ったのは、恭也だ。我慢なんてしていないとも。それなのに、泣いたのかと尋ねると沈黙で応えた。

 泣いたと答える事が恥ずかしかっただけなら構わない。男の子としての矜持だってあるだろう。
 だが、たとえ独りで居る時だったとしても、本当に恭也に感情を吐き出す事が出来たのだろうか?それが出来ていて、それでもここまで追い込まれているのだろうか?
 客観的に見るなら、追い詰められても何の不思議も無い状況だろう。自分が恭也の立場に居たら、家族の死を知らされた時点で、暫くの間、行動どころかまともに思考する事も出来ないかもしれない。
 だが、その立場に在るのは、あくまでも恭也だ。
 過大に評価してはいけないが、過小に評価する事にも意味は無い。
 それに、今現在、心の傷と虚ろな表情を晒している恭也は泣いていないのだ。独りで居たからといって泣けるとは思えない。

 ならば、我慢していないという言葉が嘘なのだろうか?
 普通に考えれば、それが一番有り得る話だ。
 異常と言っても差し支えないほど我慢強い恭也なら、本当に限界ぎりぎりまで耐えてしまうかもしれない。たとえ、限界の先が崩壊だと承知していたとしても。
 3人が心配していたのもまさしくその事だ。だからこそ、感情を、悲しみを泣くと言う行為で吐き出させようと考えていたのだから。

 だが、もしも先の言葉に一つとして嘘が無かったとしたら?
 全てに嘘がなく、それでいて矛盾しないように説明する事は出来る。
 だが、そんな事が有り得るなど信じられない。
 それでも、その条件であれば納得出来る事もある。
 『我慢強い』と言う言葉だけで片付けるには、恭也の状態は異常に過ぎる。
 想像通りだとすれば、今の恭也を占める感情は自分への嫌悪と憎悪だけだ。それらの感情を吐き出させれば、確かに自傷行為、最悪、自殺以外にはないだろう。過剰と言うのも生温いほどの鍛錬を自らに課していたのは自傷行為と変わらないと思っていたが、まさしくその通りだったのでは?
 その想像が単なる妄想だと笑い飛ばすために、意を決したなのはが震える声で問い掛けた。

「…ねぇ、恭也君。
 ちゃんと、悲しんでるよね?
 フィアッセさんの事も、リインフォースさんの事も。
 ちゃんと、悲しいって思ってから、それから、自分の事を責めてるんだよね?」
「―――?」

 恭也のリアクションに、今度こそ3人は言葉を失った。
 その疑問符は、『何を当たり前のことを?』と言うものではない。
 『何故、悲しむのか?』と、『悲しむ理由が何処にあるのか?』と、そう問い返していた。

316小閑者:2017/12/03(日) 13:16:30
 込み上げる恐怖心を必死になって押さえつける。
 今まで見てきた恭也の異質さとは一線を画すその反応に、嫌悪感すら含んだ恐怖心で体が震えだす。
 好きな人が、大切な人が、守りたい人が傷付いた時に悲しまない人間などいる訳が無いと思っていた。
 そんな事は、心を持つ者ならどんな存在であろうと、例外など居る筈が無いと。
 その、居る筈の無い例外が、今、目の前に―――

<そんな筈、あるかい!!><違う!!><有り得ないよ!!>

 同時に上がった否定の言葉。
 互いの言葉に励まされて揃って胸を撫で下ろす。
 そうだ。ある筈が無い。
 あれほど心を痛めている姿を見せるのも、無力な自分を責めるのも、悲しいからこそだ。
 ならば、何故恭也自身がそんな勘違いをしているのだろうか?余程の理由が無ければこれほどの思い込みは出来ないだろう。
 あるいは、その理由が分かれば恭也を解放する糸口が見つかるかもしれない。

<なんやと思う?>
<ちょっと想像もつかないかな>
<恭也君のことだから物凄く突飛な事を考えてるのかも>
<う〜ん、そう言われればそんな気もするねんけど、具体的な事が思いつかんのよね>
<そう、かな?
 恭也も結構、理論的だと思うんだけど…>
<そうかぁ?>
<うん。
 ただ、普通の人なら『無理だ』って諦める所をそのまま突き進んじゃうって言うか…>
<ああ、そうか。
 そうだね、だから恭也君のやることってトンでもない事に見えるのに、説明されると凄く単純な言葉で済まされちゃうんだよね>
<う〜ん、そうなるとこの場合は…>

 『悲しくない』ではなかったとしたら何があるだろうか?
 悲しいと思えない?そんな筈は無い。それにこれでは意味合いがほとんど変わってない。
 悲しいと思ってはいけない?悲しむ権利の無い人なんて、…権利の、無い人?それは、加害者だろうか?でも、恭也は決して加害者などでは…守れなかったから?守れなかったから、悲しんではいけない、の?
 いくらなんでも、そんな…そんな理由で?
 そんな通ってもいない理屈で、感情を捻じ伏せることが出来るなんて思えない。感情をコントロールするのは容易な事ではないのだから。そう、如何に筋道立てた論理を示したところで泣き止んでくれる子供などいない。…理屈ではないのだから。
 理屈でも、論理でも、道理でもなかったのなら。…ただ、赦せなかったのではないのか?
 フィアッセを傷つけた者を。フィアッセを守れなかった己を。
 だから、フィアッセを守れなかった自分には、悲しむ権利なんて、無い、と…

 のろのろとした動きで左右を確認すると、なのはとフェイトも同じ結論に至ったようで、呆然とした顔には『信じられない』と書かれているかのようだ。
 純粋、だったと言う事なのだろうか?
 悲しむ事を禁じるなんて、自傷行為に近いものだったのかもしれない。
 その思い込みが、時と共に暗示となり、強固な呪縛となったのではないだろうか。

 真相など、分からない。
 本人にすら、自覚はないだろう。
 でも、そうだとしたら、あまりにも…

「アホや、なぁ…」

 はやてが軽く笑い飛ばそうとするが、震える声では成功しているとは言い難かった。

 なんて不器用な人なのだろうか?
 普通の人には真似出来ない様な事は平然とこなすくせに、誰も疑問に思わないような事に躓いて先に進めなくなってしまうなんて。
 はやては唇を噛んで湧き上がる感傷を振り払う。今考えるべきことは、恭也をこの呪縛から解放する方法だ。

317小閑者:2017/12/03(日) 13:17:35
 悲しんでも良いのだと、泣いても良いのだと、そう言ったとして恭也の心に届くとは思えない。
 優しい言葉は、きっと家族から何度も掛けられてきたはずだ。その結果が今の恭也だというなら、もっと別の角度からのアプローチが必要なのだ。

<はやてちゃん、何か思いついた?>
<うん、1つだけ、酷い事思い付いたわ>
<私も、思い付いたのは酷い事、かな?なのはは?>
<うん、私も、優しい言葉で恭也君を助けられるのは思い付かなかった>
<念のために確認しとこか?>

 3人とも、正直なところ浮かんだ案には自信が無かった。
 カウンセリングの勉強などしたことが無いのだから当然なのだが、素人考えでもその案が一般的なカウンセリングに向いている内容ではないと自覚していたからだ。
 だから、自分の思い付いた方法よりも的確で穏やかな方法を期待して意見を出し合い、どの案も内容に変りが無い事に落胆した。

<他に良い考えが思い付かない以上、これで行くしかないんだよね>
<フェイトちゃん…でも、逆効果になるかもしれないんだよ?>
<そやね。
 …もしかすると、今の弱り切った恭也さんには本当の意味で止めになってしまうかもしれへん。
 だから、部屋を出て行くのを止めたりせえへんよ。
 ドアには恭也さんが凭れ掛かってるけど、椅子に移動して貰うのはそんなに不自然やないやろし>
<…はやては、やめないんだね?>
<うん。
 きっと、恭也さんを助けられるのは今が最後やと思う。勿論、素人考えやから根拠なんて無いようなもんや。
 それでも、きっとここが最後や。
 恭也さんは私らを信頼してこの部屋に招いてくれた。他の人ではきっと無理やねん。
 カウンセリングの真似事を期待した訳やないんかもしれへん。そもそも『信頼されてる』いうんが私の勝手な思い込みかもしれへん。
 それでも、今、この場に立ち会ってる以上、手を拱いてる訳にはいかへん。
 どっかの偉いお医者さんも言うとった。『見殺しにするくらいなら人殺しになる事を選ぶ』って>

 自信の篭ったおどけている様にすら聞こえる台詞を、蒼白な顔で伝えてくるはやてを見て、なのはとフェイトも決意を固めた。
 2人にも『ここが最後』という予感はあった。だからこそ、絶対に失敗出来ないという重圧を感じていた。仮にこの案を実行しない事で恭也の心の傷を広げずに済ませたとしても、もう恭也を救うチャンスは二度とないかもしれないのだ。
 不安に胸が締め付けられる。目眩さえ感じる。叫んで、逃げ出して、ドアの外に居る大人達に助けを求めたい。
 だけど、それでも、これは自分達にしか出来ない事なのだ。
 はやての言葉通り、他の誰かがこの場に踏み込んできたら、恭也は即座に仮面を被るだろう。そして、二度とそれを外してくれなくなる可能性すらある。
 そんなこと、絶対にさせてはいけない!
 きつく閉じた瞼を開いた2人の眼差しから迷いが消えているのを見て、はやては強張った頬を少しだけ持ち上げた。

<よっしゃ、気合入れて行こか!>
<絶対に恭也君を助けよう!>
<うん、頑張ろう、なのは、はやて!>




「恭也さん」

 焦点を失っている様に見えた恭也の瞳がはやての言葉に反応してゆっくりとはやてに向けられた。
 声にすることなく問い掛けてくる瞳に怯みそうになる心を叱咤すると、声が震えない様に気をつけながら3人は話を切り出した。

「多分、な?誰でも同じやと思うねん。
 やろうとした事が上手くいかへんかったら、きっと誰でも怒ったり、嫌になったりするんよ」
「人によってその気持ちが自分に向かうか、外に向かうかの違いでしかなくて、恭也君は自分に向けちゃう人だったっていうだけなんだと思う。
 だからね、自分を嫌いになるのはしかたないし、おかしな事じゃないと思うんだ」
「私にも、経験があるよ。
 自分がどうなっても母さんを助けられるならそれで良いって思ってた。
 だから、母さんを助けられない自分が嫌いで、母さんを困らせる自分なんて要らないってずっと思ってた。
 恭也にとっては、それがフィアッセさんだったんでしょ?」

 応える声は無くとも僅かに歪む表情が、言葉が届いている事を教えてくれる。
 そして、その表情こそが少女達の精神を削り取る。呼吸が乱れ、視界が滲み、身体が震え、舌が強張る。
 それでも、握った冷えきった掌に力を込めて、互いを支えにして、互いに支えあい、なけなしの気力を振り絞って恭也を見据える。

318小閑者:2017/12/03(日) 13:18:22
 恭也を救えると信じて縋った言葉は、一度口にすれば後戻りの出来ない内容だ。
 それを承知しているからこそ、口火を切ったのは2人に決断を促したはやてだった。


「だから、な?
 恭也さんだけ、…ズル、するのは、あかんやろ?」


 恭也の表情が僅かに変わる。
 それは言葉の意味に疑問を示すものだったが、恭也の数年間の想いを真っ向から否定する言葉を口にしたはやては過剰に反応して身を竦めた。
 だが、ここで終わらせる訳にはいかない。
 言葉を継げないはやてに代わり、フェイトが口を開く。


「みんな、同じなんだよ?
 リインフォースを助けられなかった人はみんな同じ。
 私達も、シグナム達も、クロノ達も。
 力が無い事を、知識が無い事を、悔しがって不甲斐無い自分を嫌いになった。
 …だから、きっと、フィアッセさんが傷付いた事を後で知った人も、フィアッセさんの傷を癒してあげられない人も、力が有っても助けるチャンスがなかった人も…
 …力が、無くて、助けてあげられなかった恭也だけが、特別なんかじゃ、ない、よ?
 …だから、…だか、ら」


 優しいフェイトには恭也を非難する事自体が苦行でしかない。
 フェイトの限界を察したなのはが、涙に上擦りそうになる声を懸命に抑えながら最後の言葉を突きつけた。


「だから!
 恭也君だけ、悲しまずに済ませるなんて、そんなズルしちゃ、ダメだよ…!」



 目を逸らす甘えに、口を噤む誘惑に、傷付ける恐怖に、必死に抗いながら口にしたのは、あまりにも稚拙な理屈だった。

 悲しまないのは、その権利が無いからではないのだと、自分への罰などではないのだと。
 悲しまないのは、楽をしているだけで、ズルをしているだけ。
 助けられなかった恭也とて、他の人達と変わりなどないのだから、特別ではないのだから、悲しまずに済ませてはいけないのだと。

 それは、恭也が悲しまない理由が3人の推測でしかない以上、ただの誹謗中傷に過ぎない可能性すらある内容だ。
 仮に推測が正しかったとしても、もっと言葉を重ねて、時間を掛けて恭也の心を解き解すべきなのかもしれない。
 だが、それは理想論でしかない。
 今の10歳に満たない3人の少女には、これが精一杯だった。
 そもそも、この二日間に立て続けに起きた一連の出来事は、少女達にも平等に降り注いだのだから。
 恭也の消滅、自身の生命を脅かすほどの戦い、リインフォースの死。
 恭也にとってのウィークポイントだったために、平時に泰然としている恭也がもっとも顕著に動揺を表したことで特に強調されたにすぎない。
 そして、強調されたからこそ、全員が自分の状態を把握する余裕すら無いままに恭也の心配をしていたのだ。

 いつからか少女達は泣き出していた。
 拙いながらも立てていた筋書きも頭には残っていなかった。
 ただ、恭也を助けたくて、動かない足を無視して車椅子から這い降りようとするはやても、両脇から彼女を支えるフェイトとなのはも、膝を立てて床に座り込む恭也に歩み寄ると周囲から身体を寄せて手に手を重ねた。

「恭也さん、悲しんだげて…
 お願いやから、フィアッセさんのことちゃんと悲しんだげて…」

 まっすぐに感情をぶつけるはやてと、流した涙を拭いもせず嗚咽を堪えながらそれでも視線を逸らさないフェイトとなのは。
 そんな少女達をぼんやりと眺めていた恭也の目が、僅かに細められ、上へと逸らされた。


 届かなかった…


 思考を染めるその言葉に、心が冷えて体が震える。
 その、絶望へと沈もうとした少女達の耳に、恭也の掠れた声が届いた。



「…ごめん、フィアッセ」



 恭也にしては幼さを含むその言葉に顔を上げると、涙で滲む視界に恭也の頬を伝う一滴の雫が映った。

 たった、ひとしずく。
 嗚咽を上げる事も無く、閉じた瞼からそれ以上溢れさせる事も無い。
 それでも、何年もの間、停滞していた恭也の時間が動き出した証。

 それを見届ける事で張り詰めていた緊張の糸が切れた少女達は、恭也の代わりを務める様に恭也に抱きつき泣きだした。
 恭也は声に出して応える事無く、それでも太く逞しい腕で3人を包むように、あるいは縋りつく様に、抱きしめる。
 その温もりに安堵した少女達は、いつまでも声を上げて泣き続けた。







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319小閑者:2017/12/24(日) 17:30:09
第27話 笑声




「えー、と言う訳で記念すべき第一回目の団体戦です」
「はやてちゃん、これってこれからも定期的にやるんですか?」
「定期的かどうかは分からんけど、そのうちやる機会はあるやろ。
 では改めて、騎士対魔導師、6対5のチームバトル〜」
『異議有り!!』

 ここは時空管理局・本局、その一画にある戦闘訓練室の一室。

「のっけから躓いてばっかやなぁ。
 なのはちゃんもフェイトちゃんもなんやの?模擬戦参加は納得しとったやろ?」
「私はほとんど済し崩しだったけど、それはもういいよ。
 そんな事より!このチーム分けはずるいよ!」
「人数が奇数なんやからしゃあないやん。
 魔力量は兎も角、経験値がひよっこ同然の私がおるんやから1人分のハンデくらい認めてやぁ」

 時は事件の終結から2週間が経とうとしている1月初旬。

「人数の事じゃないよ!はやても分かってて言ってるでしょ!?
 どうして恭也がそっちのチームなの!?」
「ふっふっふ、何を言い出すかと思えば。
 恭也さんはアームドデバイス持っとるんやから、騎士か魔導師か言うたら当然騎士やん」

 会するはお馴染みのメンバー。

「恭也君が使う魔法はミッド式なんだから魔導師だよ!」
「そうだよ!
 ハンデが欲しいならクロノかユーノと交換するよ!」
「あ、それ良いね!」
「ダメでーす!
 提案は棄却されました!」
「横暴だよ!」
「そうだよ!シャマルさん、控訴します!」
「え!?なんで私に!?」

 訓練室に揃った一同は、いつも通り賑やかに騒ぎながらもチーム対抗での模擬戦を始めようとしていた。



 フェイトの裁判がそうであったように、管理局は局への奉仕を条件に刑や任期の軽減を図る。
 それは、管理局では犯罪の防止と抑止、犯罪者の更生を目的としているのであって刑罰を課す事自体は手段に過ぎない、という名目と、広大な次元世界の平和を維持するためには優秀な人材はいくらあっても足りない、という実情を折り合わせた結果である。
 ただし、犯罪を犯したという経歴自体が消える訳ではないので、閲覧に制限の掛かっている犯罪歴を見られる権限を持った上層部、その中でも一部の潔癖な者達からの風当たりは強い。
 また、当然ながら各種の行動制限や定時報告義務、上位者からの監視など諸々の規則が課せられ、それらを破れば更に罪状が積み上げられるため、見方によっては留置場に拘束されている方が楽とも言える。
 それらのメリット・デメリットの説明を受けた上で、はやてとヴォルケンリッターは提示された選択肢を選んだ。
 社会奉仕や犯罪の低減に貢献するというのは、分かり易く、且つ具体的な『罪を償う』ための行為だし、それを成すための力も備わっている。そして、実際に犯罪に巻き込まれて苦しむ人が少しでも少なくなるのであれば、はやての心情的にも実益としてもこれほどぴったりの道は無い。
 勿論、向き不向きはあるし、年齢的にも部署や方向性は模索する必要があるが、はやて自身の極めて個人的な目的のためにも努力を惜しむつもりは無かった。
 そして、そのための第一歩とも言える裁判を間近に控えているヴォルケンリッターが何故模擬戦などにうつつを抜かしているかといえば、その場のノリと勢い、ではなく、リンディからの要請があったからだ。
 適材適所という意味でも、人手不足と言う意味でも、高度な戦闘技能を持つ者に庭掃除をさせるほど馬鹿な話はないし、本人がいくら望もうとも情報処理能力にのみ特化した者を戦場の最前線に立たせるわけにもいかない。
 事件中の戦闘シーンは事件資料として秘匿するため、個人データとして登録するための正式な戦闘データは改めて収集する必要があるのだ。
 とは言え、ヴォルケンリッターの実力はそれぞれAAA前後。相手を出来る者は自ずと限られてくる。
 そのためAAA+のクロノと事件直前にAAAランクに認定されたフェイト(+フェイトについて来たアルフ)が交代で単独戦闘の対戦相手を務めるために訓練室に集められた。そこに、調整中のレイジングハートの具合を見るために戦闘データを必要としていたなのはと不慣れな無限書庫勤務の休憩に出てきたユーノ、更には本局内を当て所も無く彷徨った挙句たまたま辿り着いたという恭也が合流した事で団体戦へと切り替わった。
 勿論、脈絡も無く唐突に始まろうとする団体戦に、『実力を見るための個人戦ではなかったのか!?』とクロノが異議を唱えたがリンディにあっさりと一蹴された。

320小閑者:2017/12/24(日) 17:30:49
 曰く、はやてを含めたヴォルケンリッターの集団戦闘力を見るためのメンバーを揃えるのは簡単ではないから、と。
 実際、AAAクラスのメンバーを揃えるだけでも容易ではないし、仮に揃えたとしてもそのメンバーが連携出来ない烏合の衆では八神一家の実力を測る事が出来ないのも事実なのだ。
 偶然ながらもオールラウンド且つ指揮能力を持つクロノ、射撃・火砲支援のなのは、射撃・近接戦闘のフェイト、防御・補助のユーノ、補助・近接戦闘のアルフ、と偏りの無い編成だし、気心も知れた仲だ。彼女らの実力を計るにはうってつけのメンバーと言えるだろう。
 …守護騎士達の実力を計るはずなのに、そこに恭也が混ざっては拙いだろう、という正論はクロノも口にしない。どうせ『見たいのは勝敗ではなく連携よ』とか『Fランク魔導師が1人加わったから負けた、なんてみっともない事を誰に言う積もり?』などと切り返してくるに決まっているのだ。

 それは兎も角、だ。

「フェイト…、曲がりなりにも義兄に対してその扱いは…」
「立場を利用して着替えを覗こうとすれば嫌われるのは当然だろ?」
「ユーノ!人聞きの悪い事を言うな!
 あれは事故だ!しかも未遂だったんだぞ!」
「ドアノブまで回してたじゃん。恭也が阻止してなければ堂々と入って来てたろ?」
「アルフまで…」
「ワザとじゃなくっても、一緒に住んでてそれは拙いだろ」
「クッ…
 君だってなのはの家に居た頃はフェレットに化けて風呂場に乱入していたそうじゃないか?」
「僕が!連れ込まれてたの!」
「…ま、どっちも恭也とのトレード要員扱いなんだし、仲良くしといたら?」
「その括り方は納得いかないんだが…」
「しかもはやてには端から拒否されてるし。
 …ま、あの3人にとっての恭也のポジションを考えれば当然なんだろうけど」
「いやに物分りが良いじゃないか。
 …諦めるのか?」
「諦めるも何も、なのはの事は可愛いとは思うけど、今のところ恋愛感情って訳じゃないみたいだしね。
 これからどうなっていくかなんて僕にも分からないけど、逆に今すぐどうこうってモノでもないよ」
「それが諦めだと言っているんだがな。
 その歳で諦めが良過ぎるのは感心できる事じゃないぞ?
 …同情、じゃないのか?」
「無いとは言わないよ。
 でもね、これでも遺跡調査のためにあちこち飛び回る一族に居たからさ。
 親類を亡くした子供、子供を殺された親、…大事な存在を失った人は結構見てきたし、僕自身も多少なりとも経験してるから、彼の境遇自体に特に思うことは無いんだ。
 ただ、歯を食いしばって生きようとする恭也みたいな人の事は、やっぱり嫌いにはなれないよ。
 それに、クロノだって恭也の事は気に入ってるんでしょ?」
「…ふん」

 クロノは返答の代わりに鼻を鳴らしながらそっぽを向く。
 ユーノの言葉を素直に認めるのにもムキになって否定するのにもクロノの精神は少々成長し過ぎていたし、対象となる恭也はこちらが肯定すればからかいに来る性格なのだから無難な反応だろう。

 クロノもユーノも、恭也の八神家での生活を知らないが、なのはとフェイトが恭也に好意的であることに疑問を挟む積もりは無い。それが、友人に対するものなのか異性に対するものなのかまでは年齢的にも判断に迷うところではあるのだが。

 先の事件では何度か深刻な状況に陥った。
 それは管理局員として働いていたアースラスタッフにとっては、悪い方から数えた方が速い物ではあっても絶望する程ではない、言ってしまえば『いつもの事』。
 だが、嘱託として就任したばかりのフェイトや民間協力者でしかないなのはにとっては心を挫かれる可能性が十分にあった状況のはずだ。それでも諦める事無く耐え抜いて来られたのは、本人達の心の強さは勿論の事、恭也の存在が大きな支えとなったのだろう。

 正体不明の敵陣営との初めての邂逅、そして一方的な展開のまま叩き伏せられた最初の戦闘がなのはのリンカーコアを蒐集される事で幕を閉じた時。
 襲撃者が第一級のロストロギアである闇の書の守護騎士であると判明した時。
 2度目の守護騎士との戦闘で偶然が重なり戦場に紛れ込んだ(と当時判断された)恭也がなのはを庇い重症を負った時。収容されたアースラの医務室で錯乱した時。その原因を自身の口から告げられた時。
 砂漠でのシグナムとの戦闘で恭也とフェイトが負傷したうえに、守護騎士以上の実力と推定される第三勢力が現れた時。
 努力も虚しくはやてが書の主として覚醒し、闇の書が起動した時。
 闇の書の『吸収』により恭也の姿が2人の目の前で消失した時。
 吸収された恭也を助け出すための管制人格との戦いにおいて、どれほど攻撃しても通じなかった時。
 圧倒的で純粋な『力』となった闇の書の闇と対峙した時。

321小閑者:2017/12/24(日) 17:31:40
 別に、その時々に2人の傍に居たのは恭也だけではないし、恭也が居なかった時もあった。居た時であっても恭也自身が直接的に2人のために何かをしていた訳ではなかった。逆に恭也が原因になりかねないものさえ混ざっていた。
 それでも2人が恭也と距離を取る事はなかった。
 それは、辛い時に何時も助けてくれる『英雄』に、言い換えれば助けてくれなければ存在価値の無い『英雄』に、恭也を祭り上げていた訳ではないということだ。
 そもそも、恭也には他人に手を差し伸べている余裕などなかったはずなのだ。何故なら、両陣営の状況を知っていた恭也は事件に係わった誰よりも辛い立場に在ったのだから。
 恭也ははやてを助ける手段を探すために管理局に潜入した事で、徐々に追い詰められていく守護騎士達の様子を突き付けられ続けた。そして、そんな彼女達を助けるどころか追い討ちをかける立場に在ったのだ。毛筋ほどの動揺も表すことの無かったその胸の内ではどれほどの葛藤があったのだろうか。
 ヴォルケンリッターが私欲で動いている訳では無いと察して力になりたいと思いながらも犯罪を是とする事も出来ず苦悩するなのはとフェイトの姿も恭也は見続けていた。仮に2人がヴィータやシグナムを純然たる『悪』であり単なる『敵』だと認識して、自分達を『正義の味方』とでも思い込んでいる様な単純な子供だったなら恭也の抱く想いも変わっていたかもしれない。だが、そうではなかった以上、恐らく戦闘で互いに傷付けあう2人にも守護騎士達にも恭也は心を痛めていただろう。
 そんな状況にあって、悲観にも楽観にも傾く事無く、程よい緊張を保ちつつ適度にくつろいでいる様を繕いながら、必死に、有らん限りの力を尽くして手を差し伸べようとする恭也。
 なのは達が心の支えにしていたのは、あるいは逆境でも踏み止まり自らが強く在ることで支えたかったのは、そんな恭也なのだ。
 その想いの強さは、嫌われる事を覚悟してでも恭也を諌める姿から容易に推測出来るだろう。
 そして、居候していた八神家においても、孤独に苛まれながらもはやて達のために尽力していたであろう事は、はやて達の態度を見れば想像に難くない。

 結局のところ、平時には一見すると傲岸不遜な態度を取る恭也であるが、非常時に垣間見せる彼の本質を知ってしまえば嫌う事が酷く難しくなるのだ。
 全くもって、厄介な事この上ない男だ。

 感慨に耽る少年達を脇に、少女達の舌戦は続いていた。
 そして、徐々にヒートアップしていく3人の様子を見かねて口を挟んだのはシグナムだった。

「主はやて、互いに譲歩する気がないならいつまでも結論は出ないでしょう。いっその事、本人の意見を採用しては如何です?」
「はぁはぁ、そ、それもそやな」
「そ、それなら、はぁ、私も構わないよ」
「恭也は、はぁはぁ、どっちのチームが良いの!?」
「…ん?チーム?
 …まぁ、また別の機会もあるだろうし、今回はその組み合わせで良いんじゃないか?」
「…あ、うん」
「そう、そうだよね。次があるよね」
「はは…、じゃあ、今回はこのまま、いう事で」

 まるで自分を巡って行われていた少女達の言い争いが聞こえていなかったかのような恭也の至極冷静な答えに、息も絶え絶えになるほど白熱していたはやて達も“素”に戻されてしまった。

「…恭也は相変わらずみたいだね」
「まぁ、な…はぁ」

 諦め口調のユーノの台詞に、クロノも溜息に溶ける様な声を返した。
 もともと恭也は多弁とは言えなかったが、こうしてみんなで集まった時に火が消えたように感じてしまうと恭也の変化を痛感させられる。


 クリスマス以降、恭也の発言からは皮肉や冗句の類が完全に抜け落ち、常に張り詰めていた雰囲気は霧散してしまっていた。いや、恭也と一緒に居る少女達は妙に落ち着いていたというか安心していたので『張り詰めていた』という表現には語弊があるのだろう。ただ、周囲を威嚇することも無く傍から見ていて欠片ほどの油断も無い事が見て取れた以前とは明らかに違っていた。
 あの晩の事で恭也を助けられた、少なくともそのきっかけにはなったと思っていた少女達は勿論、周囲の者は皆多少の差はあれ困惑した。
 彼の言動が高町恭也に似ている事に気付いたユーノの『憑き物が落ちた結果、本来の不破恭也に戻ったのではないか?』という仮説に一度は全員が頷きかけた。今の恭也も『抜け殻』と言う訳ではなかったし、一緒に居ると落ち着ける雰囲気は残っているからだ。
 だが、翌日には自他共に認める恭也観察者達がその仮説を否定し、『考え事か悩み事に没頭している』という一致した意見を出した。
 そして、恭也に対する観察眼の高さを鑑みた結果、少女達の説が有力視された。丁度、今後の身の振り方を決める時期ではあったし、そもそも誰にとっても激動の日々が収束したばかりなのだから無理もない、という今の状況もこの説を補強していた。

322小閑者:2017/12/24(日) 17:32:20
 だが、暫くはそっとしておいてあげよう、と率先して周囲に訴えていた3人娘こそがその一週間後に誰より先に音を上げた。恭也に構って貰えない事に想像以上に寂しさを募らせてしまったのだ。
 そのため『悩み続けるのは良くない。たまには気分転換が必要な筈だ』という勝手且つ一方的な見解を導き出し、恭也を漫談に巻き込もうと画策するようになってしまった。
 先ほどのなのは達の掛け合いの様な遣り取りがまさしくそれで、恭也が参加する事を期待した呼び水のつもりなのだ。手段があまりにもアレな上に、あの内の何割が演技なのかが周囲の者には非常に気になっているところではあるのだが。その上、日に何度か行っている同様の試みも今のところ成功したという話は聞こえてこないので、少女達に対する印象が残念な方向に傾いただけという結果に終わっていた。なんとも報われない話である。
 すっかり恭也に毒された少女達を見て、彼女達の将来を案じているヴォルケンズも、自覚の無いまま落ち着きが無かったり気が短くなっていたりと人の事は全く言えていなかった。
 だが、笑い話に出来たのはここまでで、アースラスタッフは恭也のアクの強さ、その中毒性と依存性の高さを実感して背筋を震わせることになった。一方的にからかわれていたはずのクロノやユーノまで日に日に口数が減っていったのだ。
 勿論、クロノ達の変化がその原因を恭也の何かに感染したからと決め付けるには根拠になるものは何も無い。だからといってこれだけ勢力が拡大していく様を見せ付けられれば楽観視する気にはなれなかった。
 初期症状で収まれば良いが、万が一にでも執務官であるクロノの症状が進行して少女達の様に情緒不安定になられては堪らないし、これで更にリンディとエイミィにまで蔓延してはアースラの運行すらままならなくなってしまいかねない。そして、恐ろしい事にその懸念が実現しかねない要素、恭也とリンディ達との日常における接点が存在するのだ。

「家でもずっとあの調子なの?」
「僕もそれほどマンションに居られる訳じゃないんだが、フェイトやアルフに聞く限りではね」
「…そんなんでいいの?大義名分は『保護観察』でしょ?」
「恭也はシグナム達の行為に加担してなかったから、ロストロギアの無作為転移に巻き込まれたただの被害者、それどころか書類上では事件解決の最大功労者だ。
 名目上でも保護であって観察じゃないんだ」

 そう。
 自首と言う形を取っているとは言え立場と書類上の都合と状況から裁判を控えた観察処分扱いの八神家に帰すことは出来ず、精神的に極大な負担が掛かる恐れのある高町家に放り込む事も出来ないとなれば、恭也の居られる場所はハラオウン邸しか残されていない。
 そんな訳で、家主であるリンディとクロノ、家族付き合いをしているエイミィに養子縁組みを進めているフェイトと彼女の使い魔であるアルフ、そして恭也を加えた6人が現在のハラオウン邸の住人である。

「あたしとフェイトが知る限り家の中でもあの通りだよ。
 でも、昨日あたしが後ろから空き缶を投げつけたら振り向きもしないで受け止めてたからボーっとしてるって訳じゃないのかもね」
「…まぁ、恭也だしね。
 警戒は怠ってないって事かな?」
「どうかな?僕はあいつが、それくらいのこと条件反射でやってのけたと言っても疑う気にはなれないぞ」
「それは確かに。
 あ、でも君がフェイトの着替えに乱入するのを止めたって事は、まるっきり上の空って訳でもないんだろうね」
「あれも配慮があったとは言えたもんじゃないから怪しいところだと思うが…」
「あれ?君の事だから悪態吐いてても感謝はしてるかと思ってたんだけど?」
「…まぁ、結果的に惨事を止めてくれた事に変わりはないから、感謝していなくも無いんだが…」
「はっきりしない言い回しだね。事故に託けて覗きたかったの?」
「違う!
 …あいつ、音も無く背後に立って、無言で首筋に刀を突きつけたんだぞ?
 刃の無い峰だったから着替えに踏み込みそうになったのが故意じゃないと分かってたんだろうと思うけど、頚動脈に触れる金属の冷たい感触なんて2度と味わいたくないぞ」
「うわぁ…、容赦ないなぁ」

 情景が容易に想像出来たのか、呟くユーノはやや蒼褪めている。以前になのはと一緒に入浴している事を知られた時に一悶着あったため他人事とは思えなかったのだろう。

323小閑者:2017/12/24(日) 17:33:23
「…まだ悩んでるみたいね、不破恭也君は」
「そうね。
 悩む必要なんて無いと思うんだけど、彼自身は納得出来ないみたい」

 モニタールームでコーヒーを啜りながら訓練室のやり取りをモニタ越しに眺めているのは、リンディと彼女の同僚であり友人でもあるレティ・ローラン提督だった。

「負い目ばかり増えていくのよねぇ、恭也さんには」
「負い目?」
「この世界に留まるって言ってくれた事よ」
「良かったじゃない。例のロストロギア、結局どう調べても恭也君のいた世界が割り出せなくて、システムの暴走で偶然その世界と繋がったんじゃないか、なんて半端な結論だったんでしょ?
 尤も、機能の何割かがブラックボックスだって話だから何処まで本当の事かはわからいけれど。
 でも、どうしてそれが負い目になるの?」
「彼に事情を説明して謝罪しようとしたら、『元の世界に戻る件だけれど』って切り出した時点で私の言葉を遮って『この世界に居させて貰いたい』って」
「…考え過ぎじゃない?」
「彼に関しては何処まで察してるか読めないから、気軽にそう言えないのよ。
 『ロストロギア』が現代の技術では解明しきれない物が多いって事も知ってるはずだもの。
 改めて説明と謝罪をしても『ちょうど良かった』で済まされちゃうし」
「負い目は増えるし、悩みは抱え込む、結構な問題児ね。
 それで態々彼のために模擬戦まで準備した訳ね。どうにもならない事態は幾らでもあるっていうのに、なかなかに御執心じゃない?」
「子供を導くのは大人の役目。
 尤も、大暴れした程度で悩みを晴らせるほど単純な精神構造はしてないのよねぇ、恭也さんは。
 集中出来ずに直ぐにリタイアなんて事にならないといいけれど」

 レティの模擬戦に関する言葉をリンディも否定はしなかった。揶揄は兎も角、恭也のために団体戦になるようになのはやユーノの行動に裏工作したのは事実だからだ。
 クロノの指摘通り純粋な戦力評価であれば個人データを優先するべきだし、不確定要素となる恭也をヴォルケンリッター側に組み込むなど論外だ。今回の模擬戦は参考データにしか使えないだろう。
 そこまでして、八神一家の戦闘データを記録するための模擬戦を強引に団体戦に仕立て上げたのは、話に上がった通り恭也に何がしかの切欠を与えたかったからだ。
 勿論、はやて達を軽んじている訳ではない。ただ、勝訴出来る算段が立っている上にメンタル面で余裕のある彼女達よりは、不安定になっている恭也を優先するべきだと判断したのだ。

「クロノ君を口先だけでやり込める所を是非とも生で見てみたかったんだけど、この調子じゃ無理かしら?」
「趣旨が変わってるわよ?
 彼の戦闘記録が信じられないから直に見たいっていうから呼んであげたのに」
「そりゃあ疑いもするわよ。
 あれを初見で見たままを受け入れる人がいたらそっちの方が異常よ」
「順番に見なかったの?」
「言われた通り、クロノ君との遭遇戦から順番に管制人格との戦いまで見たわよ。
 確かに最初から闇の書戦を見たら絶対CGだと決め付けてたと思うけど…
 だからってあれは無いわ。
 クロノ君との戦闘やシグナム戦の前半では魔法を使ってないんでしょ?」
「まあ、ねぇ?」
「それに戦う度に新しい技を見せたってことは、前回の戦闘を経験したから強くなった、なんて都合の良い台詞も当て嵌まらない。
 ってことは、いくらシグナムが身内だったからって寿命を磨り減らすような戦いで手札を伏せたままにしてたってことでしょう?
 …まさか、戦力分析も出来ないって事は無いでしょうね?」
「それは無いと思うわ。
 馴染みが無い筈の魔法戦闘まで評価してたもの。馴染みが無い分、先入観や魔法理論も無いから、起きてる現象そのままの物凄く的確で辛辣な評価だったわ。
 それにクロノが相手の時には単に魔法が使えなかっただけだし、シグナムさんの時にはメッセージを伝えたかったらしいわよ?」
「メッセージ?何て?」
「…はやてさんの味方だよって事と、蒐集活動を続けるとはやてさんに害があるかもって」
「…それだけ?」
「……それだけ」
「…まぁ、大事なことなんでしょうけど、…命懸けで?」
「…………命懸けで」
「…価値観の違いかしら。
 ちょっと正気の沙汰とは思えないんだけど」

324小閑者:2017/12/24(日) 17:35:51
 レティの言葉に苦笑いを浮かべながらも内心で同意するリンディ。
 尤も、レティにデータを見せたのは何も驚愕を分かち合いたかった訳でもなければ、彼女の驚く様を見たかった訳でもない。運用部に所属するレティに恭也の実力を知って貰いたかったからだ。
 魔導師ランクからすれば恭也の実力は限りなく底辺を這いつくばっていると判断されてしまう。この判断自体は魔法文明に帰属する管理世界では仕方がないものではあるし、リンディ自身もクロノとの遭遇戦が済し崩し的に始まっていなければそもそも彼の実力を確認しようとは考えなかったはずだ。
 仮に恭也が武装局員になる事を希望した場合にその判断基準は間違いなく彼にとって不利に働くだろう。門前払いこそしないだろうが、高ランク魔導師との手合わせなどと言う場自体が設けられることは無く、彼の実力は誰にも知られる事無く埋もれる事になる。そうなれば戦場に配属されようとも良くても後衛、悪ければ補給部隊などの補助的なものになる。
 それらの役割が非常に重要であることは否定しようの無い事実ではある。前衛部隊しかいない軍など大した脅威には成り得ない。だが、同時に補給部隊しかなければ軍とは呼べない。組織である以上、偏っていてはダメなのだ。

 恭也の戦闘技能は魔法に依存しない。勿論、魔法を使わなければ空を駆ける事は出来ないし、身体強化を発動していなければ超高速行動は行えないだろう。
 だが、足場自体は任意の空間に形成出来なくとも彼であれば建築物や樹木で代用してみせるだろうし、超高速行動以前に魔法が関与していない視認出来ても理解出来ない数々の体術は十分に戦力に成り得るものだ。
 尤も、魔力弾の一撃で破壊出来るような純物理的な力場の形成という正しくFランク相当の魔法で、こともあろうかSランク魔導師に文字通り殴りかかれるだけでも非常識な戦果ではある。
 そんな、たとえ限定条件下であろうと高ランク魔導師と渡り合える者を遊ばせておく余裕などないのが管理局の実情だ。
 そして、力を発揮出来る条件が限定されている人物をその条件を満たす部署に配置するのが運用部の役割であり、その運用部を纏め上げているのがレティなのだ。
 だから彼女に戦力を内密にしておくなどという選択肢は在り得ない。そして彼女であれば恭也の技能を生かす事無く腐らせてしまうという心配はない。
 望みさえしてくれたなら。

「何処からでてくるのかしらね?『自分が居ない方がはやてちゃん達は幸せなんじゃないか』、なんて考え方」
「脚色されてるわよ。
 今後の事を話していた時に、ポツリと『傍に居ない方が良いかもしれない』って言ってただけ」
「他の意味に取り様がないじゃない」
「まあ、ね」
「『世界はこんな筈じゃなかった事ばかり』って言うのはクロノ君の言葉だったかしら?」
「ええ。
 でも、恭也さんの悩みは『転送事故でここに来なければ、自分が関わったりしなければ、あの子達はもっと幸せだったんじゃないか』って言うのとはちょっと違うんじゃないかしら?
 人の数だけ夢と理想と欲望があるなら、現実になるのが一握りなのは当たり前だろう、って当然のように答えてたもの」
「…それはそうでしょうけど、犯罪者の私欲に巻き込まれて不幸を背負い込んだ人にそんな理屈は、…彼、前の世界で家族を失ってるんじゃなかった?」
「人災ではなかったみたいだけどね。
 でも、転移事故に巻き込まれたのは彼一人。他の人が一緒に助からなかったのも、彼が孤独に苛まれたのも、容易に受け入れられる事ではないはずなんだけど、ね。
 それに、恭也さんも犯罪に巻き込まれても仕方ないって言ってる訳ではないのよ。降り注ぐ火の粉を払うために身に着けたのがあの戦闘技術ですもの」
「自分の理想とは違っていても、目の前に現実として現れたら嘆いていても仕方ない。理想に近付けるように力を尽くすのみ、か。
 年齢的に初等科なのに悟りきってるわね。
 …あら、じゃあ『自分が居ない方が〜』て言うのはこれからの事?」
「そうでしょうね」

 眉間に皺を寄せるレティと、同意を示す様に苦笑を返すリンディ。
 普通に考えれば、はやてにしてもなのはやフェイトにしても、恭也が一緒に居てくれる事を喜びこそすれ嘆いたり嫌がったりする事はないだろう。
 彼の感性を持ってすると全く別の結論に至るのだとすれば、悟っているというより一般人と大きくずれているだけなのかもしれない。

325小閑者:2017/12/24(日) 17:36:43
「まぁ、自分なりの答えを見つけるしかないんでしょうけど…
 あと3年でうちのグリフィスもああやって『人を幸せにするには』なんて悩みを抱えるようになるのかしら」
「さぁ、どうかしら。
 少なくとも、クロノが10歳の頃には目の前の事に掛かりきりで周りを見渡せる余裕は無かったわね」
「普通はそうよねぇ。特に男の子は精神的に成熟するのが遅い傾向があるし。
 それにしたって私達だって自分の存在意義や行動に疑問を持つようになったのはもっと後だったわよね?」
「ええ。
 あの頃はまだ純粋に『管理局の正義』を信じていられたと思うわ。管理局員として悪い人達を捕まえていけば、きっとみんなが幸せになれるって…。
 恭也さんは、知ってるのかしらね…」


 リンディが声に出さなかった言葉を察してレティも口を閉ざす。
 勧善懲悪が罷り通るほど世界は優しくないと、世界は想像以上に汚く汚れているのだと、そう思い知らされたのは何時頃だっただろうか。
 自覚の無い悪意。悪意の隠された善意。醜悪極まりない善意。『価値観の違い』の一言で片付けるには異質過ぎる心の在り方。…自分自身の中にも存在する心の一面。
 モニタに映る表情を表す事のない少年は、そういった世界の醜さまで知っているのだろうか。
 そんなものは知る事無く過ごして欲しいと思う反面、生きていけば何時かは必ず直面するものだとも分かっている。社会に暮らす以上多かれ少なかれ向かい合わなくてはならないそれは、管理局員になることでより具体的でより極端な実例を『事件』と言う形で付き付けられる事になるだろう。
 自分が例外でない事を知ったレティが、それでも絶望せずに済んだのは身近な友人達の小さな優しさに気付けたからだ。
 何れやってくるその時に、深い闇と対を成すように暖かい光が存在する事に彼らは気付けるだろうか?
 きっと大丈夫だ。
 屈託の無い笑顔を浮かべる少女達と柔らかい視線で見守る少年を見ていると、根拠も無くそう思える事がレティを少しだけ勇気付けてくれた。










「はやて、訓練室の予約時間は決まってるんだ。
 いい加減に始めないと決着が付く前に切り上げる羽目になるぞ」
「はーい。
 じゃあ、クロノ君の小言が本格的になる前に始めよか」
「好きで言ってる訳ではないんだが…」
「あはは、ゴメンゴメン、冗談やって。
 それじゃあ改めまして、これより」
「済まんが、少し良いか?」

 事ある毎に脱線していた模擬戦が漸く始まろうとしたところで、またもや横槍が入った。
 だが、発言者が誰なのか気付くと、全員が口を挟む事無く次の言葉を待った。
 一斉に集まった視線に怯む様子も無く、思考を纏めきれていないのかどこか茫洋とした口調で恭也が続く言葉を口にした。

「はやては、何故特別捜査官を志望したんだ?」
「え?」
「ハラオウン提督からシグナム達と離れずに済ませる方法として管理局員になる事を提示された事は予想出来る。
 だが、刑罰の軽減が管理局への奉仕であるなら他の部署でも問題ないはずだ。
 あの方なら、お前達が如何に垂涎モノの戦力であろうと本人の意思を無視するとも情報を隠して利己的に思考を誘導するとも思えない。戦闘行動に係わりの無い部署も同時に提示してくれたんじゃないか?」

 想像もしなかった恭也の発言内容に、はやては咄嗟に言葉が返せなかった。
 状況からしててっきり恭也の話は最近悩んでいる事に関連していると思っていたのだが。
 …ひょっとして、自分の進路や将来を案じてくれていたのだろうか?
 頬が自覚出来るくらい熱い。心配させておいて喜ぶのは間違っている気もするが膨らむ気持ちは抑えられない。

「なのはは武装局員、フェイトは執務官だったな。
 どのくらいの程度差があるかは知らないが、どちらも戦闘技能を要求されている以上、戦う事が前提だろう?」
「あれ、恭也君、もう知ってるの?」
「え、私も?」

 三日前にリンディに告げた内容を直接伝えてもいないのに悩みを抱えているようだった恭也が知っている事に驚くなのはと、恭也と出会った時には嘱託として従事していた自分まで心配の対象になっていたことに驚くフェイト、そして、恭也さんはみんなに優しいなぁ、と横でこっそり落ち込むはやて。

326小閑者:2017/12/24(日) 17:37:28
「力を持たない人を守るというのは尊い行為だ。
 お前たちの持つ類い稀な力を持ってすれば、きっと多くの人を助けられるだろう。
 その選択自体を非難する積もりはないし、そんな権利は持ち合わせてはいない。
 ただ、これだけは聞いておきたいんだ。
 その選択の先にはお前達にとっての幸せが存在するのか?」
「幸せ?」

 突然概念的な内容になったため思わずはやてが尋ね返す。
 幸せ
 それは個人の趣味・嗜好に依存するものだ。
 たった一人で豪華な食事を取る事を、喜ぶ者も居れば寂しいと評する者も居る。それは絶対的な正誤の存在しない問題だからだ。
 恭也もそれを理解しているからこそ、『お前たちにとって』と聞いているのだろう。

「呼吸するように人助けをする人も居る。それはその人の価値観が他人を助ける事を是としているからだ。
 だが、社会的通念として『そうする事が正しいから』という程度の気持ちであれば止めた方が良い。
 その考えはいつか必ずお前達自身を不幸にする。
 力を持ちながら人助けをしない事を非難する者が現れるかもしれないが、そんな奴は無視して良い。俺が許す。
 力を持たない者も持つ者も同じ人間だ。持たない者は守られるのに持つ者は守られないなんて事があっていいはずが無い」

 権力も財力も無い(武力だけは一個人としては破格なほど持ち合わせているが)小学生に許されたところで何の慰めにもならない筈だが、矢鱈と心強く感じる。
 何より、自分達の事を心底から心配してくれているというだけで、この上も無く嬉しい。

「うん、心配してくれてありがとうな。
 でも、大丈夫や。私ら、管理局に入るんは目的があんねん」
「目的?
 そうか…ん?3人とも同じなのか?その目的は」
「えっと、まぁ、同じ、かな?」
「差し支えなければ教えてもらえないか?」
「はは、やっぱそうなるわな」
「無理強いする積もりは無いが?」
「ああ、ええねん。聞かれたら答えようとは思とったし。
 なのはちゃんもフェイトちゃんもええよね?」
「うん、いいよ」
「はやてに任せるよ」
「では、私が代表して。
 あ、一応言うとくけど、3人で相談して決めた訳やないんよ?それぞれが決めた事をお互いに話とこってことになったら、同じ目的やった言うだけやねん」

 それだけ前置きをした後、小さく深呼吸したはやては、恭也に向き直るとゆっくりと話し始めた。

「私な、守りたい人がおるんよ」

 その言葉に反応した恭也の眉がピクリと動いた。
 その言葉は、恭也がデバイスマイスターである老人に特殊な仕様のデバイスを求める動機を聞かれた際に、説明の冒頭に用いた言葉と重なっていた。そうとは知らないはやては、恭也の反応を不思議そうに見返しつつも話を続けた。

「その人、えらい強い人でな、その人に無理なら他の誰がやっても無理やろって思わせるような人やねん。
 おまけに心まで強くてな、その人の事良く知ってる人が言うには、その人は大切な人を守るために必要やったらその他の全部を見捨てられるんやって。
 …私も、そう思う。
 きっと、相手が小さな子供でも、無力なお年寄りでも、男の人でも女の人でも関係なく、それがどうしても必要やって判断したら、躊躇無く、平然と、…見捨ててみせると思う。
 …どれほど苦しくても、どれほど悲しくても、どれほど辛くても、…平然とな。
 誰にも言い訳せんと、誰にも悩みを打ち明けんと、誰にも…心配させてくれへんと、平然として見せる、そういう人やねん」

 震えだした声を落ち着けるために、言葉を止めて深く大きく呼吸する。
 見ると、なのはの目には涙が浮かび、フェイトは震える身体を治めようと胸元で両手を重ねて握り締めている。2人も翠屋の控え室で決壊寸前の心を抱えて床に蹲る恭也の姿が脳裏に浮かんだのだろう。

「いっくら良く見てても、次は気付かれへんかもしれん。次は大丈夫でも、その次はどうか分からへん。きっと隠すのも上手くなってくから、いつか見つけられんくなるかもしれん。
 でも、『やめて』なんて言えれへん。
 不器用やから、そういう風にしか生きられんのやって、自分で言うとってん。
 なら、止める訳にはいかへんやん?その人に、『その人である事をやめて』って言うのと変わらんもんな」

327小閑者:2017/12/24(日) 17:38:06
 とうとうはやての頬を涙の雫が伝い始めた。
 見かねた恭也が話を止めようと口を開くが、静かに首を振る事で柔らかく拒む。
 この話をする時には最後まで話すと決めていたのだから。
 服の袖で乱暴に目元を拭うと、はやては視線と声に力を込めて話を再開した。

「だからな、決めたんよ。
 心配しとっても何も変えられんなら、その人のために、私に出来る事をしたろって。
 それで、何が出来るか一生懸命考えて、リインフォースから貰ったこの力を活かして働くことにした。
 あの子がこの使い方を喜んでくれるかどうかは自信があらへん。でも、きっと分かってくれるとは思てる。
 管理局員になって、悪い事してる人捕まえて、困ってる人助けて。
 そうやって、いつか誰も悲しんだりせんでもいい世界に出来たら」

 瞼を伏せたはやては、あまりにも現実的とは言えないその世界で穏やかな時を過ごす恭也の姿を想像して自然に微笑みを浮かべる。
 リインフォースが夢の中で構築した『悲しむ人の居ない世界』。それを実現させるなどという夢、人に話せば一笑に付される事ははやてにだって分かっている。無知な子供の絵空事だ。
 それでも。

「きっと、その人も、心から笑って過ごせるんやないかなって」

 何に変えてでも幸せにしたいと想える恭也が幸せそうに微笑む姿を想い描いてしまったのだ。
 それなら、もう頑張るしかないじゃないか。
 先の事など分からない。挫折するかもしれないし、心変わりするかもしれない。それでも、今、言い訳を並べて何もしなければ、絶対に後悔する事だけは確信しているのだから。

「だから、私は特別捜査官になろうと思ったんよ」

 はやては言葉を結ぶと真っ直ぐに恭也を見つめた。
 恭也なら本気の言葉を嘲笑うような事はないだろう。ただ、自分のために途方もない目標を定めたと知れば心を痛めるかもしれない。
 聞かれても答えるべきではなかっただろうか?少しだけそう思うが、途方も無い夢だけに口にすることで少しでも意思を強くしたいという甘えもあった。
 だが、恭也のリアクションははやての想像とは違っていた。何と言うか、こう、眩しいものを見るというか、子の成長を喜ぶ親の様な…?

「そうか。
 そこまで想い合う相手が居るとは知らなかった」
「…想い合う?」
「自覚してないのか?
 その世界の実現が途轍もなく難しいのは分かっているんだろう?
 それでも一個人を幸せにするために努力を惜しまないという事は、『一生を懸けてその人のために尽くす』と言っているのと変わらん。つまり、愛の告白と言う訳だ」
「こくッ…!!!」

 はやては思いもよらない展開に混乱した。
 確かに、恭也に対してそういう気持ちがない訳ではないが、この気持ちは何の自覚も覚悟も無しに口にした言葉で伝える予定ではなかったのだ。

 出来れば、やっぱりこういうことは男の子から切り出して欲しいけど、きっと恭也さんは恋愛感情とかには無頓着と言うか、自分の気持ちに気付くのにも年単位の時間が掛かりそうだから、恭也さんと吊り合うくらい魅力的になったと自覚出来たら、2人っきりでムードのある夜景をバックにこちらから告白しようかと

「危険を伴う仕事となればはやて一人の問題じゃないんだ、相手とよく相談しろよ。
 俺から言えるのはそれくらいだ」
「うん、うん、ありがとなぁ。
 恭也さんならそう言うてくれると思とったわ」
「…何故泣く?」
「泣いとれへんわ!
 これは心の汗やねん!!」
「そ、そうか」

 恭也を怯ませるほどの気迫で言い切るはやて。
 さっきの言葉を告白として受け取る感性があるのに、よもや『その人』が誰なのか分からないなんて予想もしなかった。

 普通気付くやろ!?エロゲの主人公属性は生まれ持った天賦の才やったんか!?

 どこぞの電波を受信するほど錯乱するが、現実逃避も長くは続かなかった。
 身内とは言え衆目監視の中での一世一代の告白をスルーされた形になったはやてに注がれる生温い哀れみの視線は、全く有り難くない事に錯乱していたはやてをすぐさま正気づかせてくれた。
 そんなマジ泣きしそうなほどの居た堪れなさに悩まされるはやてに助け舟を出したのは、事の元凶である恭也だった。

328小閑者:2017/12/24(日) 17:39:19
「あ〜…その、なんだ、ひょっとしてまだ片想いの段階なのか?」
「あっ、う、えっと…」
「そうか。
 恋愛事にまるで疎い俺では大した助言は出来んが、将来の進路を決める要素にするほど想いを寄せている相手なら、いっその事自分から告白してみたらどうだ?」

 うん、やっぱりこの助け舟は泥舟だったようだ。
 周囲の視線が『してるしてる!たった今真正面からしてるから!』と訴えているように思えるのは、はやての被害妄想なのだろうか?
 漸く精神を立て直すことに成功したはやては、大きな溜息を吐く事で眼前の真面目面をドツキ倒したくなる衝動を堪えると、真剣にアドバイスしてくれたであろう恭也に言葉を返した。

「アドバイス、ありがとうな。
 でも、ええねん。もともと伝えるのはもっと後にする予定やったし」
「後?」
「うん。
 もっと成長して、心も身体もええ女になってからや。
 今の私じゃ、その人と釣り合えへんからな」
「身体は兎も角、心はかなりのものだと思うんだが…
 それに、そんなにのんびりしていて大丈夫なのか?
 まあ、結婚するにも子供を生むにも早過ぎるのは確かだが」
「こど!?
 な、何言うとんの!?まだエッチな事するには早過ぎるやろ!?
 そういうのんは順番というものがありまして、まずは交換日記からと相場が決まっとるんよ!?」
「意外と古風だな。
 それにどうして俺から身体を隠そうとする?
 誰かは知らんが、相手が違うだろう」
「わ、分かっとるわ!
 よう見ときや!
 すぐにええ女になって誰を好きなんか教えたるわ!」
「…前言を翻して悪いが、焦る必要はないだろう。
 ちゃんと見ててやるから、ゆっくり時間を掛けて納得いくまで自分を磨くといい。
 その時がくるのを楽しみにしているよ」

 そう告げる恭也は、言葉も口調も眼差しさえも驚くほど優しげなものだった。
 思考が真っ白に染まっているのに頬の熱さだけが実感出来る。ひょっとしてからかわれているだけなのだろうか?

「恭也さん、ほんまのほんまに相手が誰か分からへんの?
 分かっとるのに惚けとるだけやないの?」
「なんで泣きそうになってるんだ!?
 俺も知ってる奴なのか?しかし、そうなると…」

 泣きべそ寸前のはやてに怯みながらも該当者を探そうとする恭也だが、この世界に飛ばされてから知り合った男は多くない。尚且つはやても面識のある人物となると更に限られる。

「ひょっとして一目惚れとかする方なのか?それが悪いとは言わないが、深入りするならせめて相手を良く知ってからにした方が」
「ちゃうねん。まるっきり外れとるから」

 恭也の視線の先に誰が居るか気付いたはやては即座に制止の声を掛けた。

「恭也さんの推理は明後日の方向に進むんが分かったから、この話はここでお終い。ええね?」
「…まぁ、いいけどな」

 クロノ達には悪いがきっぱり否定しておかないと、これ以上恭也に変な先入観を持たれてはどう拗れるか分かったものではない。
 幸い、といって良いのかどうか分からないが、この一連の会話で彼らにははやての言う『その人』が誰なのか伝わっている様だから気を悪くしたりはしないだろう。

「そう言えば、さっきなのは達も目的は一緒だとか言ってなかったか?」
「にゃ!?」
「ち、違うよ!?私は別に、恭也のことが好、じゃなくって、恭、きょ、えと、だから、…そう!恭也の言ってたような、好きとかじゃなくて!」
「私もそう!恭也君のこ、っあ、えーと、恭也君の、言ってた、『その人』の事、大事な友達だと思ってるから!だから、幸せになって欲しいなって!」
「慌て過ぎだ。俺は主旨とは関係ないだろうが。
 要は恋愛感情じゃないと言いたいんだな?」
「そう!そう言いたかったの!」
「意義有り!
 被告人の発言には虚偽が含まれとります!」
「ふ、含まれてないよ!」
「そうだよ!別に、みんながはやてちゃんとおんなじ様に思うとは限らないじゃない!」
「ほほう。
 そこまで言うなら証明して貰おうやないか」
「しょ、証明?」
「これから私の言う通りの事をしてみてや。何とも思てへんのやったら簡単な内容や」

329小閑者:2017/12/24(日) 17:41:02
 何かのスイッチが入ってしまったらしいはやては、詐欺師然とした表情でなのはとフェイトを罠へと誘い込む。
 無論、なのは達にもはやての意図は読めているが、ここで提案を拒めば鬼の首を獲ったかのように『それ見たことか』と言われるのが目に見えているので引き下がる訳にもいかない。

「い、良いよ。はやての思い通りになんてならないんだから!」
「そうだよ、全然平気なんだから!」
「ふっふっふ、よう言うた。
 じゃあ、まずは2人とも目を瞑って」

 はやての言葉に2人が素直に従ったことを見届けた後、はやては恭也を手招きした。
 この状況で手招きに応じれば片棒を担がされる事は明らかだが、今のはやてに逆らう事と天秤に掛ければどちらに傾くかという事もまた明らかだろう。

「そのまま頭の中にその『大事なお友達』の顔をしっかり思い浮かべて」

 2人ともはやての言葉に逆らう事無く、素直に相手の顔を思い浮かべているようだ。何故それが分かるかと言えば、2人の頬が仄かに色づいているからだ。
 …思い浮かべただけで頬染めといて、よう『友達』なんて言い張れるなぁ、とはやてでなくても思うだろうが、言い張る以上はぐうの音も出ないほどの証拠を突きつけるのみである。
 はやてがそのためのミッションを耳打ちすると、予想通り恭也が胸の前で両手を交差させて拒否の意思を伝えてきた。
 とはいえ、ここで恭也に動いて貰わなければ効力が半減どころか激減してしまう。
 それでも、恭也に強制する権利など持たないはやては、気持ちを込めた笑みを浮かべて、もう一度視線でお願いしてみた。
 幸いにしてはやての笑顔を目にした恭也は一度だけ肩をビクッ!と揺すると、ミッションを実行するために脇目も振らずに二人の方へと歩いて行った。誠意を込めれば気持ちは通じるものである。

「普段私らをからかう時とは違う真剣な顔で見つめてきました。あなたに何かを伝えようとしとるようです。
 手の届く距離から更に半分の距離まで顔を近付けてきました。目を逸らしたらあかんよー。
 『落ち着いて、良く聞いてくれ』と前置きしてから、ゆっくりと息を吸いました」

 気をつけの姿勢で指先まで真っ直ぐ伸ばしてカチコチに固まっているなのはと、左手を右手で包み込み胸元に引き寄せた姿勢で緊張から震えているフェイト。
 そして、目を閉じたまま想い浮かべた相手に視線を合わせるために上げた顔が、正確に自分の顔を捉えている事に首を傾げる恭也。
 疑問を抱えながらも振られた役割を全うするべく、少女達の緊張が最高潮に達した瞬間、はやての用意した台詞を並んで立つ少女達の間、その耳元で囁いた。


「好きだ」


 変声期前でありながら低く落ち着いた声に一瞬意識を漂白された後、言葉の意味が浸透したところでなのはとフェイトが両目を開き、間近にある恭也の顔を目にして腰を抜かしてバランスを崩す。
 恭也が慌てて受け止めるが、それはイコール密着するということだ。つまり、逆効果。
 これこそ純色の赤だ、と言わんばかりの顔色。口から漏れ出す意味を成さない呻き声。落ち着く事無く泳ぎまくる視線。
 自立することも恭也にしがみ付く事も出来ない身体は、だからこそ恭也に強く抱きしめられ、だからこそ混乱に拍車が掛かる。それを悪循環というか好循環というかは彼女たちの表情からでは判断に迷うところだ。
 左右の手で一人ずつ抱き寄せた体勢の恭也は、一緒に屈み込みながら2人を地面に座らせてから顔を覗き込む。

「人間の顔ってこんなに紅くなるものなんだな」

 完全に人事風味の台詞に周囲から白い視線が突き刺さるが、自覚のない恭也には視線の意味も理解出来るはずがない。

「それにしても相手に関係なく『その言葉』だから反応するというのはどうかと思うぞ?」

 恭也の斬新な解釈の仕方に対して、満面の笑みで高々とVサインを掲げるはやて以外にリアクションの取れる者は居なかった。
 ど真ん中ストライクだったからだろ!という直球の言葉を少女達のために飲み込むと、他のリアクションが思いつかなかったのだ。
 そんな周囲の気持ちを他所に、立ち上がった恭也が独り言の様に呟いた。

330小閑者:2017/12/24(日) 17:43:00
「まあ、いいか。
 なんにしても目的を定めてるなら、俺が口出しすることじゃないしな。
 そうか…」

 自分自身に言い聞かせるように呟いていた恭也が小さな溜息を吐くと、俯けていた顔を上げて無言で一同を見渡した。
 いつも通りの無表情。
 激を飛ばした訳でもない。
 それでも、寸前まで呆けていたなのはとフェイトまで弾かれた様に立ち上がる。

「中断させて済まなかったな。
 そろそろ始めようか」

 その言葉で、弛緩していた空気が一瞬にして戦闘訓練室に見合った物に変貌した。
 そして両陣営が距離を取りつつ即席ながらも役割に応じた配置に着き、展開したデバイスを構える中、一人自然体のまま中央よりやや騎士陣営に近い位置から動くことの無かった恭也が魔導師陣営の先頭に立つクロノに話しかけた。

「さて、ハラオウン。
 まさか開始の合図が必要などとは言わないだろうな?」
「はやても居るからその方が良いと思っていたんだがな。彼女が構わないならこちらも異論は無いよ」
「はやて?」
「う、うん。大丈夫や」
「なにより。
 それにしてもこのチーム分けは有難いな」

 合図無しで始めて良いと決まった以上、本来であれば恭也の軽口に付き合う必要はない。
 だが、たとえ棒立ちに見えようともあの不破恭也が戦場と定めた空間で隙を見せるはずが無い。
 更には、先程まで一緒に傍観していたシグナムやヴィータまで恭也に触発された様にやる気に漲っているとなれば、ただでさえ錬度で劣る急造チームである自分達から不用意に攻撃を仕掛けるのは如何にも厳しい。
 消極的ではあるがこの場は恭也の出方を見守る事にしたクロノが言葉に応じて口を開いた。

「そうかな?
 言っては何だが、はやては戦闘訓練を受けていない身だ。リインフォースから受け継いだ力だって相応の経験がなければ役立たせる事も出来ないはずだ。
 人数差はあってもそのハンディキャップが埋められるとは限らないぞ」
「そんな言ってる訳じゃない。
 ここのところ戦う時には気を使ってばかりいたからな。相手がお前だったらやり過ぎても非難される心配がないだろう?」
「…言ってくれるじゃないか。
 君の方こそ、いくら古流剣術だからって手持ちのカードが無限な訳じゃないんだ。そろそろ出し尽くしたんじゃないのか?」
「失敬な。
 1度見た程度で対処出来る程安い技だと思われているというのも業腹だな。
 そこまで言う以上、軽く凌いで見せろよ?」

 台詞の直後、クロノの周囲の空間に二桁に届く数の鈍い輝きが灯る。
 この光景にシグナム戦での視認出来ない高速行動を連想したクロノは、迎撃用に準備していたスティンガースナイプを咄嗟に破棄して自分の全周にシールドを展開した。
 瞬間的な判断力もシールド魔法の起動速度も賞賛されて然るべきものだ。管理局内で屈指と評価される実力の一端を垣間見せたと言っても良いだろう。だが、『卑怯万歳』を謳う古流出身の恭也に対して、その反応は余りにも素直過ぎた。
 シールド越しに届く斬撃に耐えるべく歯を食いしばったクロノの目に、地面を駆けて真正面から突進してきた恭也の姿が映った。
 騙された。そう気付くが今更後の祭りだ。だが疑問も残る。今のブラフの意図が読めない。
 高速攻撃だと判断したため既にシールドの展開は済んでいる。そして、恭也の攻撃ではシールドを破壊出来きない。
 何か見落としがあるのか、まだ見せていない手札をこんな模擬戦で見せる積もりなのか。情報を集めようと眼前に迫った恭也を睨み付け、両手が空いている事に気付く。
 混乱を深めるクロノを嘲笑う様に恭也の右掌底が、次いで左掌底が迫るのが見えたところで漸くブラフの意図を悟った。

 あれはシールドを全周に張らせて包囲させる事で僕の動きを僕自身に封じさせたんだ。そしてこの攻撃はシグナムの剣を欠けさせた技の応用!

 悔恨の念を押さえ込んで咄嗟に背後のシールドを消去した直後、最後の一歩を踏み込んだ恭也の右手がクロノの頭部を守る位置のシールドを、同時に左手が右手の甲を打った。
 タイヤなどの硬質のゴムでできたバットで殴られた様な、弾かれるのではなく殴られた力が全て残っているようなダメージが額に炸裂した。
 クロノはバリアジャケットが機能しない程度の打撃とは思えない衝撃に飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら、シールドを解いた背後の空間へ飛び出した。恭也の攻撃はクロノを弾き飛ばしてはくれないため、クロノ自身がジャンプすることで攻撃の威力の何%かでも削り、尚且つ距離を取ったのだ。

331小閑者:2017/12/24(日) 17:43:46
 不意打ちに近いオープニングヒットが炸裂すると、戦場が怒涛の如く動きだした。
 クロノが残したシールドの前にいた恭也は僅かな技後硬直から抜け出すと、すぐさま屈み込む。半瞬前まで恭也の胸のあった高さを光の戦斧が駆け抜けた。高速移動魔法で音も無く恭也の背後をとりそのまま流れるように攻撃を放ったフェイトと、彼女の姿を目視することもなく危うげもなくその攻撃を躱した恭也、そして初撃で転倒させられたクロノは、顔を見合わせる暇もなく即座にその場を離脱。直後に連結刃がその空間を薙ぎ払う。空振りに終わったはずの連結刃は、しかし翻されることなく突き進み後衛のなのはに襲い掛かり、ユーノの展開した強固な魔力障壁に阻まれた。半日かけても突き破れない強度があることを悟ったシグナムがシュベルトフォルムに戻すより早く、間合いを詰めたアルフが振るった魔力を帯びた右拳を割って入ったヴィータが鉄槌で迎撃・離脱。戦場を貫く桃色の砲撃はヴィータに続いてアルフとシグナムが散会した空間を直進し、本丸へと到達。頬を引き攣らせたはやてと涼しげな表情で佇むシャマルの幾らか手前でザフィーラの障壁に阻まれた。




「…凄い事になってるわね」
「そうねぇ」

 声音を若干引き攣らせるレティと微笑ましげな態度を崩さないリンディ。
 レティは部署柄、戦闘行動を観戦する機会が少ないため、高位魔導師の、更には集団戦の迫力に圧倒されるのは仕方がないことだ。尤も、驚いているのはその中にFランクが混ざっている様に見えない事なのかもしれないが。
 それでも見るべきところはちゃんと見ている辺りは流石と言ってもいいだろう。

「それにしてもこうして見ていると1人だけレベルの違いが見て取れるのが、保有魔力量の突出してるはやてちゃんと言うのは皮肉なものね」
「仕方ないわよ。
 魔力量自体は先天的なもの、目的に合わせて使用量を決めて魔力に方向性と適した性質を与えるのは経験で培うしかない後天的なもの。
 その法則だけは、覆す事が出来た人に会った事はないわ。程度の差は有ったとしても、ね?」

 この結果は開始前から予想出来ていた事ではある。
 如何に遥か昔から蓄積されたリインフォースの知識と魔道技術があろうとも、それを活かすだけの経験がはやての中に培われていなければ宝の持ち腐れになるのは当然の結果だ。

「様子見が済んだからか更に苛烈になってるけど、やっぱり疲労が無い前半は誰もまともに食らわないのね。
 実力が拮抗してるからこそでしょうけど…今のところ、恭也君のオープニングヒットが一番大きいかしら?」
「ええ。『不意打ちあり』って言われた直後にクロノにヒットさせる辺りが流石よね」
「あれはやっぱりスタイルの違い?」
「そうねぇ、クロノに甘い評価を出すのは良くないんだけれど、今回は流石に責めるのは可哀想ね。
 恭也さんの戦闘スタイルは大半が私達の常識から外れてるから経験則が適用出来ないのよ。
 『見て』『分析して』『対処法を考案して』『実行する』
 恭也さんが相手だと、この内の分析と考案に大幅に時間が掛かってしまうのよ。
 普通であれば初対面の敵であっても、相手が魔導師であればある程度立てられるはずの予想が全く立てられない。
 恭也さん相手に下手な予測は逆手に取られかねないし、そもそも予測を立てること自体が出来ない場合すらあるわ。
 だからどうしても行動が遅れてしまうの」

 それは初めて遭遇する敵に対して等しく負うリスクなのだがここまで極端な存在は稀だろう。
 逆に恭也は相手を変えては模擬戦を繰り返しているので、魔導師への対処法の基本骨子が確立している様だ。
 尤も、それは『更に厄介になった』と表現する程度のものだろう。

「でも、スタイルの問題だけではないのよ?」
「それは被弾率の事?」
「流石に着眼点が良いわね。
 みんながシールドで防いだりバリアジャケットの性能に頼る一般的な魔導師の戦い方なのに、恭也さんは明らかに1人だけスピードが遅いにも関わらず攻撃が当たらないでしょ?」
「当たらないっていうか、当たるような攻撃じゃないもの。見当違いの位置で炸裂してる弾まであったわよ?
 目で追うのがやっとのスピードを生身で出せるのは事件当時のデータを見て知ってるわ。あの動きなら当たらないのも納得出来る。
 でも今回は、被弾したら即リタイアって自覚してるくせに、どう見たってスピードを7・8割にセーブしてるわよ。魔導師の実力を舐めてるとしか思えないけど、実際にそれでも当たってない。
 あるはずないと分かってても、端からは全員で彼への攻撃だけ手を抜いてる様にしか見えないわ。
 原因、ていうか何かしらの理由はあるんでしょうね?」
「エイミィ」
『はいはーい』

332小閑者:2017/12/24(日) 17:44:46
 リンディの呼び掛けに別室で戦闘の記録・解析を進めていたエイミィが空間投影ディスプレイ越しに元気に返事を返した。

『彼の回避能力にはまだまだ不明点がたくさんあるんですけど、前回までの戦闘で分かったことを説明しますね。
 真っ先に目に止まるのは、単純に行動による回避だと思います。
 非常識なほどの動態視力と視覚情報の認識力、その情報を活用出来る頭脳、更には頭脳が導き出した回避のための無理難題を実現させる反射神経と運動能力。人間の域は越えちゃってますけど、この辺りまでは誰もが行う回避行動のグレードアップ版です。
 勿論、誘導を伴わない砲撃や射撃と言った音速に迫る直射魔法を躱せるのは、魔法が物理面に転化される際の予兆や対戦者の行動・表情から攻撃の射線やタイミングを、戦局や直前までの攻撃・回避・防御と言った戦いの流れから攻撃手段やその意図を、その他諸々を見抜く洞察力が予知能力レベルだからこそなんですが。
 …分かってます。『恭也君だから』の一言で片づけるのは無責任だってことは。
 でも、前回までの記録は恭也君の運動能力が際だってたもので、拾い出した特異点が悉く彼個人の肉体性能って結論に行き着いちゃったんですよ。
 解析するための取っかかりに煮詰まっちゃってたんですよねぇ』

 エイミィの澱み無い説明は、技術者としての敗北宣言へと急降下していった。
 記録したデータは、いくら詳細であろうとそのまま何もしなければ数値の羅列でしかない。並んだ数値から意味を見いだす事こそが技術屋の腕にかかっていると言える。それが前例のない事象であれば尚更だ。
 また、前半の説明部分についてもリインフォースとの戦いの説明としては納得出来なくもないが、今回の模擬戦での回避方法を説明するには明らかに言葉が足りていない。
 逆に言えば、前回までと今回とを比較して明らかになった差違こそが解析のヒントになるはずだ。
 レティの期待を裏切ることなく、エイミィは自身の非凡さを示して見せる。

『でも、今回の模擬戦で漸く一つ明らかになりました。
 恭也君の動きは緩急の落差が物凄く大きいのにその変化が驚くほど滑らかなんです。
 つまり、彼の動きから自分の攻撃の届くタイミングに彼が居る場所を予測すると、間に合わなかったり早過ぎたりするんです』

 言われて訓練室の各所を映す分割されたモニタに目を向けるとふらふらと動き回る恭也の姿が俯瞰で映し出されていた。
 他のメンバーより明らかにロングレンジで映されていたのは、開始当初、恭也の姿がモニタ画面から度々フレームアウトしていたからだ。それは管理局の所有するコンピュータが物理面・戦術面から予測して自動追尾するカメラを振り切っていた事を意味するのだが、その様なカラクリがあったとは。
 カメラの動きは機械的なもののはずだ、と思いがちだがそのプログラムのアルゴリズムを考案したのは人間だ。
 恭也の技能は人間を想定したものなので、プログラマーも術中に嵌まるのは避けられなかったということなのだろう。

 彼の行動は確かに非常識以外の何物でもないが、そこで思考停止してしまってはエイミィの言葉通り責任放棄になりかねない。レティも思いついた攻略法を上げてみる。

「変化を読む事は出来ないの?」
『残念ながら変化についても綺麗にランダムにしたり、規則性を持たせておいて相手が慣れてきたのを見透かして突然別のパターンにしたり出来るみたいで。
 付け加えるならパターン自体もバラエティに富んでます』

 流石に簡単に攻略させてはくれなようだ。”豊富”と言ったところで限度はあるのだろうが、それでもパターンを見抜いた頃には変えてくるだろう。ここでも予知能力じみた洞察力がやっかいな壁になる。
 恭也自身も決定力になるような攻撃力を持ち合わせていない事を自覚している筈なので、援軍待ちか敗走援護の時間稼ぎ以外で敵に姿を晒し続けることはしないはずだ。全ての回避パターンを見せた頃には彼の目的は達成されているだろう。
 ランダム回避を封じる事が出来たとしても反射神経便りの行動回避だって十分以上にやっかいなのだし。

『もう1つおまけに、カメラ映像には引っかからない要素もあるみたいでして』
「引っ掛からない要素?」

 言葉の意味を図りかねたレティの疑問にリンディが口を挟んだ。

333小閑者:2017/12/24(日) 17:45:21
「映像に映せない要素があると言うことよ。
 彼と対戦した人が記録を見ると、必ず『この記録はおかしい』って主張するの。顔を青ざめさせて『瞬間移動か幻惑魔法を使ってたはずだ』って。
 クロノ曰く、遭遇戦で見せた『気配を消す』っていうのと似て非なるもの、モニタ越しでは分からない何か、だそうよ」
「…恭也君のコメントは?」
「『頑張って躱してます』」
「…そりゃあ『余裕で躱してます』なんて言われても困るけど…」
「惚けてる、と断言するのも難しいのよ。
 なんせ、恭也さん自身が特殊な技法と認識していない可能性を否定しきれないんですもの」

 やはり『恭也だから』で済ませるより他に無いようだ。

「なるほど。
 『肺から吸い込んだ空気からどうやって酸素を抽出するのか』なんて化学式以外で答えようが無いものね」
「レ、レティ?
 どうして例えが物理現象レベルなの?この場合『心臓の動かし方』くらいだと思うんだけど…」
「そうかしら?
 純然たる運動能力だけでAランク以上の魔導師と張り合ってるのよ?自律神経くらい制御してそうじゃない?」

 レティの言い分にリンディが絶句する。
 彼女が真顔で言い切った事に驚いている訳ではなく、心の片隅でちょっぴり同意してしまったからだ。
 我に返ったリンディは小さく咳払いするとレティを小声で嗜めた。

「いくらホントの事でも口にしちゃいけない事くらい分かるでしょ?」
「…そうね、気を付けるわ」
(何を口走ってるかは指摘しない方が良いのよね?)

 控え目な毒舌なのか、礼節の敷居が下がっているのかは判断に迷うところではあるが、何れにせよリンディにしては珍しい失言にレティも心の中だけで自問する。
 リンディは良く言えば思慮深く、悪く言えば計算高い面がある。彼女はほわわんとした言動に反して失言や失態が無いのだ。レティの様に付き合いの長くない者の中には『ほわわんとした言動』が既に演技なのではと疑う者も居るほどだ。

(こんな単純な失言をするなんて誰かの影響かしら)

 そんな風に考えるレティの視線の先にあるモニタには、苛烈な魔法が飛び交う戦場を飄々と駆け回る非常識が映されていた。

334小閑者:2017/12/24(日) 17:45:52
「デアボリック・エミッション!」

 その言葉をトリガーにしてはやての魔法が発動した。
 ザフィーラに守られ、かつ、シャマルに補佐してもらいながらではあったが、自身の広域・遠隔の適正を活かす事で後方から訓練室の中央を闇に染める。
 そうして身体の芯まで揺さぶる轟音が晴れたその空間には、しかし、誰の姿も無かった。

「ハァハァ、あ〜、躱されてもうた。
 シグナムもヴィータも頑張って引き付けてくれたんやけどなぁ」
「直前でクロノ執務官が指示を出してたみたいですからね。
 きっとシグナムやヴィータちゃんの行動でこちらの目的に気付かれちゃったんですね」
「え、クロノ君に?…私には2人の素振りはそんな不自然には見えんかったけど」
「主にとっては恭也にからかわれている姿が印象強いでしょうが、あの男の実力は相当なものです。
 恐らく高町やテスタロッサには一対一で彼に追い縋る事が出来たとしても、集団を指揮する力では遠く及ばないでしょう」
「へー、そうやったんか。
 執務官になるのは難しいらしいから、やっぱりクロノ君は凄かったんやね」

 はやてがシャマルやザフィーラと言葉を交わしているのは油断している訳ではない。
 実力の拮抗する戦いに昂ぶる心を懸命に平常心に戻そうと、同時に苛烈な戦いに戦く身体を必死に宥めて落ち着けようとしているのだ。
 はやての心境を理解しているからこそ、シャマルは努めて温和な声を、ザフィーラは落ち着いた口調を意識して会話に応じているが結果は芳しいと言えるものではなかった。
 勿論、一方的に大出力魔法を放つ事で勝利出来た闇の書の防衛プログラムとの戦いしか経験の無いはやてに、戦闘中にリラックスするなんて簡単に出来ないのは当然のことなのだ。
 今のはやてには気付けないだろうが、その状況を承知しているクロノ達ははやてへの攻撃を散発的にしか行っていない。尤も、こちらに関してはその余裕が無いというのも事実ではある。シグナムとヴィータと恭也の攻撃と時折挟まれるはやての援護射撃だけでもクロノ達に楽をさせるほど安いものではなかったからだ。
 シャマルとザフィーラがはやてにべったりと張り付いているのは、散発的なものであっても今のはやてでは対処しきれないという実情以外にも、はやてへの攻撃を控えているクロノ達とバランスを取る意味合いもあった。

<主はやて、大丈夫ですか?>
<あ、シグナム。
 うん、私は大丈夫や。ザフィーラとシャマルが守ってくれとるからな。
 それより、折角チャンス作ってくれたのに活かせれへんでゴメンな>
<そんなのはやてが気にすること無いって!
 あたし達がもっと上手く引き付けれたら一発で片付いたのに…ごめん>
<何言うとんの、それこそヴィータが謝る事なんてあらへんやろ>

 シグナムとヴィータが言葉を探して会話が途切れた。
 はやての乱れている呼吸も強張っている身体も、面と向かうまでもなく想像がついているのだろう。
 なにもはやてに、天賦の才を発揮して戦局を自在に操るだとか、リインフォースから受け継いだ魔道を存分に使いこなすといった過剰な期待を寄せていた訳では無い。ましてや後方支援だけでいっぱいいっぱいになっている事に対して失望しているなどと言うことでもない。
 寧ろ、模擬戦とは言え、トップクラスの戦場が初陣である事を考慮すれば十分以上に落ち着いていると評価しても良い位だ。
 だが、はやて自身がそんな自分に納得していないようだ。闇の書の主としての贖罪と、恭也を幸せにするという目標を達成するために思い描いた自分自身の理想とする人物像との隔たりが大き過ぎるのだろうか。
 そんな健気に頑張るはやてに対して大したフォローが出来ない自分達の不甲斐無さが情けない。
 勿論、戦闘に関して言えば4人ともが十分な働きをこなしている。主の手足となることは、そう定義されて生み出された彼女達には容易とさえ言える事だ。
 しかし、だからこそ戦場の空気に喘ぐはやての心境を本当の意味で理解する事が出来ない。
 そして、戦闘のための駒としではなく、家族としての在り方は誰もがはやてを主としてからの半年間の経験しかなく、家でのやり取りを日常からかけ離れた今回の様な場で咄嗟に応用するのは難しい。
 手探り状態の彼女達は、掛ける言葉が浮かばない時には言葉が途切れてしまう。それがはやてに気を使わせてしまうと分かっていても、どうすることも出来ない。
 彼女達には、まだまだ時間と経験が必要だし、だからこそ幼いはやてが家族としての関係において名実共に家長を勤められるのだ。
 はやても、沈黙から彼女達に気を使われていると察して話題を探そうとして、普段であればさりげなくフォローしてくれる人物が会話に参加していないことに気付いた。

335小閑者:2017/12/24(日) 17:46:35
<えっと、…あれ?
 恭也さんの声が聞こえへんけど、どうしたんかな?
 やられたりしとらんよね?>
<え?
 ああ、恭也君なら…敵陣営の向こう側にいますね>
<…なんでそんなとこに。
 えっと、恭也さん?>
<…
 もしもし?>
<へ?
 も、もしもし?>
<…
 あー、あー、こちら恭也だが、はやてか?聞こえてるか?>
<あ、はい、聞こえてます。って、この会話変やろ!宇宙飛行士との通信かい!念話で時差とか電波障害とか無いから!>
<まあ、落ち着け。
 使い慣れない機能なのに取説なしでは仕方ないさ>
<恭也さんのデバイス、思考解析端子が入ってる言うとったやん!>
<よく覚えていたな、そんな設定>
<危険な発言禁止ー!>

 念話での絶叫ツッコミを終えたはやては、乱れた呼吸が整うと込み上がる笑いに逆らうことなく楽しそうに笑いだした。
 目標を持つことは大切だが、それに押し潰されては意味がない。何事においても大事なのはバランスだ。
 簡単なことなのに当事者は天秤の傾きに気付き難い。だからこそ周囲の者が入り過ぎた力を適度に抜いてやる必要がある。その役割は自分達こそが勤めるべきであり、勤められるようになりたいと守護騎士の誰もが思っているのだ。
 だからこそ、シグナム達ははやての笑顔に胸をなで下ろしながらも、それをあっさりと引き出してみせる恭也に嫉妬してしまう。

<さて、そろそろ本題に入ろうか。
 俺の目から見る限り戦況はほぼ互角。互いに即座に決着をつけられる大技を持っていても、それを活用出来る状況を作る事が出来ないでいる。
 こういう場合は意外に長引く。互いに状況を理解している分、余程の間抜けでなければ集中力を切らしたりしないからだ。
 だが、均衡が傾いた時には一気に崩れる。傾きを戻すのは至難だ>
<そうかぁ。
 そうなるとますます私の出番は無くなるんかな>
<馬鹿者、切り札が睨みを効かせているからこその均衡だ。何時でも即座に札を切れるように戦場全体を見渡していろ。
 状況を把握し、流れを読み、戦局を操り、勝利に導け>
<え!?わ、私が!?>
<他に誰がいる。
 無論、言葉ほど簡単な訳がない。それでもシグナム達と一緒に行動するなら、あいつ等の力を発揮させるためには必要なことだ。
 それに、夢を叶えたいなら局内で上り詰める必要があるんだろう?ならば、それが後方にいる指揮官の役割であり必要となる技能でもあるはずだ>
<ええ!?
 そ、それはちょっと…難しい、ような…>
<当たり前だ。誰にでも出来ることでもない。
 高い目標と強い意志は当然として、適正が無ければ大成は出来んだろう。
 …諦めても誰も非難はせんぞ?>
<うう…>

 途方もない目標と、甘く優しい口調と内容の言葉にはやての心が一瞬揺れる。
 だが、次の瞬間、はっと我を取り戻すと激しく頭を左右に振って甘い誘惑を振り払う。

<これから頑張ってこう思とる人間にいらんこと言うな!
 今は無理でも直ぐに出来るようになったるわ!!>
<恭也、主はやての志を愚弄するなら容赦は出来んぞ>
<この程度の言葉で諦めるくらいなら止めるのが優しさと言うものだ>

 悪びれる事のない恭也のセリフにそれ以上反論しないあたり、シグナム達も体面は兎も角同じ意見なのだろう。
 そもそも、夢への一歩を踏み出したばかりのはやてに対して厳しい現実を突きつける恭也に誰も言葉を挟まなかった。それは普通の女の子としての生き方を残しておきたい彼女たちにとっても、あの夢を諦めるという選択肢を消し去る真似が出来なかったからだ。同時に目指す頂の高さに、そしてそこへ至る過程の困難さに、はやての幸せを願う4人には素直に彼女の選択に賛同出来なかったからでもある。

 また嫌な役割を恭也に押しつけてしまった。

 その気持ちが胸を締め付ける。
 苦言を呈してこその家臣。困難な道を選んだ時に最初に立ち塞がる壁となるべき家族。
 だが、シグナム達には未だその勇気が持てない。
 はやては自分の為を思って言われた言葉であれば、感謝こそすれ疎ましがることなどない、と理性では理解している。だが、存在しないはずの可能性に脅える感情を押さえつけることがどうしても出来ない。
 戦場において万の敵が現れようとも臆することなく戦えても、はやての言葉に一喜一憂し、嫌われることに脅える。
 そんな子供のような自分自身を嫌う4人の気持ちを一笑に付したのは、ハラオウン家で考え事に浸っていた数日前の恭也だった。

336小閑者:2017/12/24(日) 17:47:09
『生後半年の赤子の分際で何を生意気な。
 せいぜい失敗を繰り返して成長してみせろ』

 カチン、ときた。
 背伸びする子供を馬鹿にするような言葉に、敵愾心を煽るような口端を持ち上げた表情までサービスしてくれたのだ。10歳そこそこの子供にここまであからさまに鼻で笑われて頭に来ない者などそうそういないだろう。

 必ず報いてみせる。
 恭也自身も悩み事を抱えていたその時期に、ここまで分かり易い敵役を演じさせたのだ。はやては勿論のこと、恭也自身にだって欠かせない存在だと思わせるほど成長してみせてやる!

 そんなポーズとは裏腹に、4人の脳裏には別の想いがよぎる。
 からかいながらそっと導き、憎まれ役を演じてでも背中を押し、道を誤ろうとすれば正面から立ち塞がり、常日頃から影に佇み優しく見守る。
 知識として知る理想的な親の在り方を、気負う事も違和感を感じさせる事も無くこなしてみせる恭也だが、彼自身が年端もいかない子供なのだ。
 はやてから聞いたクリスマスの出来事は、細部を伏せた触りだけでも恭也の内面の歪つさを伺わせるには十分な内容だった。
 悲しい想いをした人ほど他人に優しくなれる、そんな言葉で片づけられるレベルは遠の昔に越えている。
 シャマルなど、その一端を垣間見ながら手を拱いていることしか出来なかった事すらある。

 一日でも早く、恭也を守れる存在になりたい。

 魔導書が消失し契約が破棄されて尚はやてを主と仰ぐように、制約とも契約とも無関係な純粋なその想いを胸に秘める。

<話を戻すぞ。
 今、相手側は遊撃よりの前衛を務めてるフェイトも含めて一塊になってる>
<一塊?馬鹿な、一網打尽になりかねない布陣にするはずがない。
 幻術だ>
<それはないな。気配の位置が一致してる>
<シグナムの意見は尤もだけど、この場合私でもそうするわ>
<何言ってんだよシャマル!こっちにははやてが居るんだから、どう考えたってそんなの変だろ!>
<通常なら有り得ない布陣と言うことはイレギュラーを考慮していると言うことか。…恭也だな>
<ああ、そうか!ザフィーラ冴えとるな!
 …ん?でも恭也さんと何の関係が?>
<今居る位置と関係してる筈ですよ。ね、恭也君?>
<離れてる奴が居たら暗殺、もとい、忍び寄って個別撃破しようと思っただけだ>

 恐らくクロノは、はやてが広範囲型の攻撃魔法を起動しようとも魔力の収束を関知してから対処出来ると考えたのだろう。
 その考えに思うところがないでもないが、確かに気配を消して忍び寄る恭也よりは対処のしようもあるだろう。

<なるほどな。技能面でも戦術面でも恭也の特性を良く理解している>
<チッ、ハラオウンめ、小賢しい奴だ>
<それは…ちょっと>

 はやては暗殺紛いの戦法に悪びれる様子の無い恭也にツッコミを入れたいところだったが、それが見当違いである事くらいは理解出来た。クロノもそれを肯定しているからこそ、考慮した配置をとっているのだ。
 そもそも、模擬戦とは実践を想定した戦いだからこそ意味があるのだ。つまりは、卑怯臭い手を採用する可能性を考慮していない事の方が問題なのだ。
 無法者を取り締まる職に就く以上、自分が採用するかどうかは別として、こういった戦法にも対応出来るような柔軟な思考は必要不可欠だろう。
 思考が一般的な良識を持つはやてにとって、学ぶべき事は山の様に積まれているようだ。

337小閑者:2017/12/24(日) 17:47:42
「全員くれぐれも周囲の警戒は怠るなよ。いつの間にか首筋に刃を突きつけられてリタイアなんて事も十分有り得るんだ」
「経験者の言葉は重いねぇ」
「アルフ、駄目だよ」

 揶揄するアルフをフェイトが窘めると、堅い雰囲気が僅かに緩んだ。
 今、クロノ達は恭也の言葉通り、視界の開けた空間で背中合わせに立つことで互いの死角を補っている。
 レベルの高い戦闘では互いに攻撃を止めて出方を伺いあう事がある。敵の手を読み罠を見破り逆に仕掛ける。物理的・魔法的な物だけでなく逃げられない状況や力を発揮出来ない配置に誘い込むことも含めた罠は、人数が多いときほど重要になってくる。
 専門の指揮者がいない小規模な部隊戦では、リーダー自身も戦闘に参加するため、途中経過を把握して戦術を修正する必要がある。いくらマルチタスクを習得していようとも指揮官のメモリが決まっている以上、戦闘行動と平行して立案するより効率も内容も良くなるのは自明だ。

「指示しておいてなんだが、やはり落ち着かないな」
「そりゃあそうだろうね。素人の僕でも、こんな見晴らしのいい場所で作戦会議する人がいないことくらい想像がつくよ」

 ユーノの指摘通り、こうした場合には敵に発見されにくい場所、狙撃が出来ない遮蔽物で視界が閉ざされた場所で行うのがセオリーだ。
 実際、八神一家はこちらの視界には入っていない。状況としては『一方的に奇襲しても構いませんよ』と宣言しているようなものだ。

「でも、クロノ君の言う通り、今は恭也君がこっそり近付いてくるのが一番怖いもんね」
「魔法だったら攻撃でも捕縛でも、起動の前に誰かが気付いて対処出来るかもしれないけど、恭也の接近には気付けそうにないからね」
「臭いで探せたら良かったんだけどねぇ。何でここは室内なのに風まで吹いてんだい」
「リアリティを追求しているからな」

 森林を想定してデコレーションされた訓練室は微弱ながらも風が吹いていた。だからと言って臭いを嗅ぎ取れないから風下にいるのかといえば、それもやっぱり確証が持てない。

「愚痴はそれくらいにして、集団戦をやってみて気付いた点があれば上げてくれ」
「はい」
「なのは、挙手はしなくていいから。隣じゃなかったら見えなかったぞ。
 念のために言っておくが、くれぐれも話に夢中になって周囲の警戒を怠らないでくれよ」
「わかってるよ!
 私が気付いたのは恭也君がグループでの集団戦でも活躍出来るってこと」
「具体的には?」
「えっとね、ユーノ君に協力して貰ってシグナムさんの動きが止まった瞬間にヴィータちゃんに攻撃しようとしたことがあったんだけど、恭也君は他の場所の戦いも見てるみたいで、魔法を撃つ瞬間に飛針をレイジングハートに当てて逸らされちゃったんだ」
「飛針?確か、恭也の使うニードルだったな。
 …偶然、じゃあないんだよな?」
「…3回あったよ?」
「ウソッ、3回も?
 なのはがシグナムの相手をしてるときは私とアルフでずっと追いかけてたから、そんな余裕は…無かった、と思うんだけど」
「そこで弱気になられても困るんだが…
 投げてるところは見ていないのか?」
「勿論見たよ。実際にはあたしやフェイトに何回も投げてたしね。
 あたしが食らったのは加減してくれてたからあたしのバリアジャケットでも弾ける程度の威力だったけど、フェイトの攻撃魔法を撃墜するときは本気で投げてたね。
 で、魔法の迎撃以外にあたし達に向かって本気の投げ方したやつに限って外してたね」
「そ、そうなの、アルフ?」
「あぁっと、フェイトの目では追いきれないかな?
 スピードが全然違ってたよ。逆に言えば加減してた方は全部命中してたんだけど。
 外したやつもどうせ何か企んでるんだろうとは思ってたけど、なのはに向けて投げてたとは思ってなかったなぁ。
 にしても、2回は気付いたけど、3回目は…ああ、フェイトのプラズマランサーを相殺した時の奴に混ざってたのかな」
「プラズマランサーを!?
 シグナムだって魔法で迎撃してたのに、ただの金属の針でどうやって!?」

 ユーノが本筋から外れてしまうと分かっていながらも、身体ごと振り向いて聞き捨てならないアルフの台詞に食いついた。
 まあ、無理も無いことではあるのだが、だからと言って警戒を解いていも良い理由にはならない。

338小閑者:2017/12/24(日) 17:48:15
「ユーノ、落ち着いて。ちゃんと警戒してないと危ないよ。
 知ってると思うけど、私の魔法は電撃の属性が付いてるから掠っただけでも効果があるんだけど、ランサー本体も電撃も上手く封じられちゃったみたい。
 恭也に向かって放ったランサーから突然地面に向かって光が走ったんだ。
 飛針が当たっただけであんな風になるとは思えないから、多分、鉄のワイヤー、鋼糸だっけ?あれを組み合わせて避雷針にしてたんだと思う」
「プラズマランサーは弾自体の強度があるから逆に触れただけじゃ電流は流れないんじゃなかったのか?ユーノじゃないが、僕も魔力も帯びていないただの金属で、あの魔法をどうにか出来るとは思いたくないんだが。
 そもそも、ランサー本体はどうなったんだ?電流自体は副次的なものだろう?」
「ううん、電流は流れるよ。閉じ込めちゃったら折角の性質が活かせないもの。
 電流は鋼糸で逃がして、魔力弾自体は飛針に貫通されたことで誘爆されたんじゃないかな。もしかすると一発のランサーに同時に飛針を何本もぶつけてたのかもしれない」
「私のアクセルシューターもそうやって落とされたことあるよ」
「確かに物質に干渉出来る以上は物質からの干渉も受けるものだけど、実際に実行出来る人なんていないと思ってたよ」
「なんでいなかったんだい?」
「誘導弾にしろ直射弾にしろ、普通の人が手で投げた物を当てられるほど遅くないからね。
 魔力弾だけ壊して万が一にも内包してる電流を浴びないようにしてる辺り、恭也も結構勉強してるよねぇ」

 通常、電流は抵抗の大きい空気中を流れる事が出来ない。だが、電流自体は不安定なため単品で存在する事が難しい。だからこそ、大気の摩擦で発生した雷雲中の電気は、電気的に安定している大地に電流を逃がすために落雷と言う形で空気中を無理矢理移動する。
 プラズマランサーが内包していた電流が魔力弾を破壊されることで空気中に放り出されれば、金属を纏っている恭也に落雷することは十分に考えられる事態だ。だからこそ、人体以上に導電率の高い鋼糸を経由して大地へと放電する必要があるのだ。

「…なるほど。
 その内の、外れた、いや外して投げた本気の飛針がなのはの狙撃を妨害していた訳だな。
 フェイトとアルフの攻撃から逃れつつ、他のメンバーへのフォローまでこなしていたのか。
 実は、僕もヴィータの攻撃を躱そうとした瞬間に右足に何かが絡み付いて、危うくハンマーをまともに貰いそうになったことがある。
 言い訳に聞こえるだろうが、魔法なら反応出来ただろうから、やっぱり恭也の使うワイヤーだろうな」

 重い沈黙が流れる。
 彼に限っては魔導師ランクが何の意味も成さない事は承知していたが、刀の届く範囲にしか驚異がないと思っていただけに、『近付けさせなければ安全』から『戦場の何処にいても厄介』にランクアップされては前提から瓦解してしまう。
 更に厄介なのは、恭也自身が自分の実力とその活用方法を理解していることだろう。
 雀の涙の様な射程距離という弱点も、その範囲まで対象に近づく機動力を本人が持っているためそれほど大きなマイナス要素になっていない。十数発の誘導弾を躱す体術を封じるのが至難であることは言わずもがな。
 調子に乗って攻撃に傾倒してくれれば迎撃する事も出来ただろうが、只管逃げ回ってくれるのだ。勿論、逃走経路は味方のフォローが出来るコースだ。
 コース取り自体を妨害したくても、恭也の意図が読み切れないため一方のフォローを妨害できたと思っていたら他方へ行くためのフェイントだったということになりかねない。
 魔導師としての基本技能であるマルチタスクはあくまでも『思考法』でしかない。だから、他所の戦闘の推移を予測するにはそれとは別に情報を収集するための技能が必要になる。
 勿論、肉眼以外にも魔力探査で魔法の起動くらいは察知出来るが、まるで観戦でもしているようなレベルで状況を把握している彼とは取得している情報量が違い過ぎる。
 気配による探査というのはクロノが想像する以上に精度が高いのだろう。そうでなければ恭也の澱みの感じられない行動は説明が付かない。
 当然、手に負えないからと言って、恭也の相手を投げ出してしまう訳にも行かない。少なくとも、クロノは何の枷も無い彼が何をしてくるかなんて知りたくも無い。

339小閑者:2017/12/24(日) 17:49:11
「正面きって戦う分には対抗手段を幾つか考えていたんだが、正直、サポート役に徹してくる事も、それがこれほど厄介だとも想像してなかったな。
 誰か彼への対策は思いついたか?」
「恭也の戦闘スタイルからすれば、移動距離を全て範囲に収められるような広域攻撃か、回避・迎撃技能を上回るほどの飽和攻撃のどちらかだろうね。
 気付かれない攻撃や、反応速度を上回る高速攻撃は現実的とは思え難いな」
「流石に音速で動いている訳じゃないんだ。速射魔法を躱せるのは事前に何かしらの兆候を察知する手段を持ってるんだと思うんだが、どのみち何を判断基準にしているかをこの模擬戦内で見抜けるとは思わない方がいいだろうな。
 とは言え、広域攻撃も飽和攻撃も、準備に時間が掛かり過ぎる。シグナムやヴィータが傍観していてくれるはずが無いし、恭也に気付かれれば躊躇無く遁走されそうだ」
「ああ、キョーヤなら逃げるだろうね。意味が無いと思ったことには少しも執着しないからね」
「意味が無いかどうかは兎も角、恭也君なら態々自分に不利な選択はしないね。
 目的を達成する手段が他にあるなら、成功し易くて危険の少ない方法を選ぶよ」
「今回はサポート役って決めてるなら、シグナムかヴィータを追い詰めれば時間を稼ぐか直接助けるために恭也が攻撃に参加するかもしれないよ?」
「回りくどい気もするが、回避に専念されてる現状よりはマシになるかもしれないな」

 『Fランク魔導師を攻略する手段としてAAAランクを追い詰める』
 事情を知らない者が聞いたら冗談としても受け取って貰えそうに無い案だ。それでも、恭也のサポートとしての機能が万全に働いている状況は早い段階で崩しておきたかった。

「恭也以外のメンバーについては何か無いか?」
「気のせいか、僕にはシグナムとヴィータが連携した動きをとってるように見えないんだけど…。
 精々相手の行動圏内に侵入しない位置取りをしている程度じゃない?」
「ああ、僕にもそう見える。
 いくら騎士の戦いが一対一を旨としているとは言っても、互いの動きをまるで無視した戦い方なんて不自然過ぎる。これじゃあ事件当初よりも連携が杜撰じゃないか。
 シグナムやヴィータに一対一の戦いに専念させない積もりだったんだが、前提が覆されてはどうにもならない。
 何を考えてるんだか」
「そうなのかい?
 あたしはキョーヤばっかり追いかけてたから気付かなかったけど。
 あれ?フェイト、どうしていきなり不機嫌になってるんだい?」
「…別に、なってないよ」
「ふむ。
 フェイトとなのはが揃ってこうなったということは、これも恭也がらみか。
 何か気付いてるなら教えてくれ」
「なってないもん。
 …多分、シグナムもヴィータもサポート役を恭也に任せっきりにしてるだけだと思う」
「任せっきりって…
 シグナムにしろヴィータにしろ、恭也と共闘なんてしたことないだろ?
 蒐集についてもかなりぎりぎりまで恭也には伏せていたらしいから、八神家で生活している間もなかったんじゃないのか?」
「聞いたことはないけど、多分そうだと思う」
「それじゃあ、まともな連携なんて取れないじゃないか」
「関係ないよ。
 きっと、ヴィータちゃんかシグナムさんが『出来る?』って聞て、恭也君が『出来る』って答えたんだよ。なら、疑ったりしないよ」
「そ…そうか?」

 フェイトの意見はなのはの言葉で補足(?)されてもクロノ的にはかなり疑わしい内容だ。
 武人然としたシグナムは勿論、外見通り子供っぽさを残した言動の見られるヴィータですら、戦闘に関しては非常にシヴィアな判断を下す事は確認している。闇の書の守護騎士であり、歴戦の騎士である彼女たちにとっては至極当然の判断と言えるだろう。
 その判断基準が恭也に対してだけハードルが下がるなどとはクロノにはどうしても思えないのだ。

「あ、ひょっとしてシグナム達が恭也の言った事疑いもしないからヤキモチ焼いてたのかい?」
「な!?
 そ、そんなこと無いよ!」
「そうだよ!恭也君くらい強ければ誰だって疑ったりしないよ!」
「そうかなぁ。
 あたしが見た限りじゃ、あいつらはたとえフェイトやなのはが出来るって言ったとしても何度か様子を見てからしか信じないと思うけど」
「う…」

340小閑者:2017/12/24(日) 17:49:46
 揃ってアルフに言い負かされる様子を見て、クロノも漸く納得出来た。
 クロノの持っていたシグナム達の印象は間違っていた訳ではないようだ。単に、あの2人が、いや恐らくヴォルケンリッター全員が恭也へ無条件の信頼を寄せているということだろう。
 書の主であるはやてとほとんど同等の信頼度と言うのは信じ難い話だが、だからこそフェイト達が不機嫌なのだろう。主従の関係にある訳でもない恭也を懐深くに置いているということなのだから。

 自覚の程は不明だが、それは仲間や戦友の範囲なのだろうか?
 いや、八神家で一緒に暮らしていたのだから家族の一員とは思っているのだろうが、下手をすればもっと親密な…

 そこまで考えを進めたクロノは、溜息と共に下世話な思考を吐き出した。
 人間関係は当事者同士が決めることだ。相談を受けたならまだしも、想像だけで邪推するなどワイドショーのゴシップ記事を囃し立てる姦しい主婦と変わりが無い。
 今考えるべきは均衡している現状を打破する方法、引いてはこの模擬戦に勝利する事だ。
 とは言え、敵もさる者、明確な弱点や連携の穴など見つけられそうに無い。

「地道にいくしかない訳か」

 流石に攻略法なるものを期待していた訳ではないつもりだが、それでもこれほど薄氷を踏むような戦いが続くとなれば喜ぶ気にはなれない。
 尤も、格下相手に悠々とした戦いなどしていたら腕が鈍る一方だ。実力の拮抗していて何をしてくるか分からない相手との模擬戦はクロノにとっても非常に良い糧となるはずだ。
 ただし、魔法に関する高度な技能とか巧みな応用といった意味ではなく、全く異質な戦闘方法の恭也を相手にするのは、本当に実戦の様で神経が磨耗していく。…理想的な模擬戦のような気もするが、この精神的疲労は素直に認め難いものがあるのだ。

 クロノの妙な葛藤が決着するのを待っていたかのように、遠方で急速に魔力が高まりだした。
 全員でそちらに向き直りながらクロノが声を張り上げる。

「来るぞ!ユーノ!」
「了解!」

 ユーノが返事と共に即座にシールド魔法を自分達の背面側に起動すると、ほとんど同時にシールドを蹴り付ける音が響いた。
 振り向くと突進の勢いを吸収するために障壁に着地した恭也がとんぼ返りで地面に降り立つところだった。
 激突しなかっただけでも立派と言えるタイミングで突然発生したシールドに対しては、流石の恭也も衝撃を透過させるような高度な技は出せなかったようだ。
 ここまではクロノの予想通りだ。付け加えるなら、恐らく現在の恭也は単独行動なのでシグナム達が到着するまでに5人がかりで何としてでも討ち取らなくてはならない。
 シールドを背後に展開した時点で、恭也にもこちらの意図が読めているだろう。ここが勝負の分かれ目になる!
 だが、またしても恭也の行動はクロノの想像を軽々と超えていった。

「弾丸激発!」
【Rock'n Roll!】  

 恭也のトリガーボイスに不破の音声確認が応じると、即座に恭也の魔力量が跳ね上がる。そして、シールドを隔てたクロノ達が行動を起こす前に、身体強化を発動すると同時に背後に向けて猛烈な勢いで疾走を開始した。

「な!?」

 ユーノのシールドを盾にして脇目も振らずに、倒れないのが不思議なほどの前傾姿勢で背中を向けて逃走する恭也に、全員が呆気に取られる。
 一撃離脱にしてももう少しスマートな逃げ方があるだろうに。その考えがある可能性を想起させてクロノの肌を粟立たせた。

「に、逃がすか!」
「追うなアルフ!砲撃が来る!全員散開!離脱しろー!!」

 クロノの焦りを滲ませた怒声が響いた直後、視界上方に大きな黒い魔力塊が出現。一気にバレーボール程度のサイズまで凝縮されたかと思うと、反発するように爆散し周囲一帯を魔力の嵐が荒れ狂った。

341小閑者:2017/12/24(日) 17:50:50
 ヴィータの視界の端に、ディアボリック・エミッションの効果範囲からぎりぎりのタイミングで抜け出した恭也の姿が映る。
 その場所は確かに本人が到達出来ると申告した通りの位置だが、正直言って半信半疑だったヴィータとしてはホッとしたのが半分、呆れたのが半分といったところだ。誰が考えても樹木が障害物になる雑木林を、それらを躱しながら疾走して辿り着ける距離ではないと思うのだが。
 『恭也に対する疑問・驚愕・否定といったあらゆる思考は模擬戦が終了するまで仕舞っておけ』というシグナムの忠告に珍しく素直に従ったヴィータが視線を戻す。
 耳を劈く轟音と視界を閉ざすほどの魔力流の中に、結局逃げられなかったのか爆心地に対して盾となるようにシールドが張られているのが微かに見える。魔力光からすると書庫の司書のようだ。
 ユーノと接点の無いヴィータは、どうして司書が模擬戦に?と思わなくは無いが、実力が劣る者がこの場に居るはずがないし、実際に開幕直後にシグナムのシュランゲバイセンを受け止めていた事からしてもかなり強固なシールドを持っているのは理解している。
 だが、これで連中はそう簡単には離脱出来なくなった。
 一度完全な守勢に回ったならこちらの波状攻撃が終了するまで耐え切るしかない。そして自分達の攻撃は耐え切れるほど温くは無い。

 だが、はやての魔法の終了に被せてギガントシュラークを放つべく上空へと移動したヴィータは、横合いから思いもよらぬ強襲を受けた。
 寸前で襲い来る金色の一閃に気付いてグラーフアイゼンで受け止めるが、体勢が不十分だったヴィータは勢いを吸収しきれず弾き飛ばされ、更に追い討ちで放たれた桃色のバスター砲で林へと叩き落された。

「ヴィータ!?」

 グラーフアイゼンが自動展開してくれたパンツァーシルトで直撃だけは避ける事が出来たが、今のはやばかった。完全な不意打ちだったから防げただけでも善しとするべきかもしれないが、不意打ちされた原因が慢心では言い訳のしようがない。
 おまけに先程聞こえた悲鳴じみた叫びははやての声だった。なのは達を効果範囲に封じる事が出来ても出来なくても、ここで総攻撃を掛ける予定なので恐らく全員で付近まで来ていたのだろう。
 はやてにカッコ悪いところを見られた恥ずかしさと、後でシグナムと恭也から慢心を指摘される悔しさが怒りへと転化されて急激に燃え上がる。
 はやての魔法の持続時間は残り僅かだ。即座にギガントシュラークを放つために攻撃に適した位置に目星をつけると怒りに任せて木々の間から飛び出した。

「こんのヤロー!!」
「まあ、落ち着け」
「な!?」

 飛行魔法で飛翔するヴィータを横手から伸びた腕が絡め取った。
 勿論、ヴィータの驚愕の叫びは、腕の主がディアボリック・エミッションの反対側に居るはずの恭也だった事に対してだったが、その驚きは直ぐに上書きされてしまった。
 全力で飛翔しようとしたヴィータに恭也がしがみ付いたかと思ったら、縺れる様にして空中でくるくると回転した後、2人一緒に地面へと着地してしまったのだ。
 移動しようとする物体を押し止める方法として、物体に加わっている力に対して正反対で同じ大きさの力を加えるのが最も単純だ。
 だが、ヴィータの飛翔魔法の推力に対抗出来るだけの力は魔法の補助が無い恭也には出す事が出来ない。
 ならばどうやったのかと言えば、恭也は幾つも足場を生成し、それを蹴ってヴィータの推力とは別方向から力を加えることによって進行方向だけを操作したのだ。
 結果として、着地した2人は恭也がヴィータを背後から覆い被さるように抱きしめる体勢になっていた。

「ちょっ、恭也!何すんだ!放せ!」
「落ち着けと言うに。
 向こうにはハラオウンやなのはがいるんだ。追撃もせずにお前が突っ込んでいくのを待っているからには罠が仕掛けてあるに決まってるだろうが」

342小閑者:2017/12/24(日) 17:53:47
 はやての魔法が解けて出てきたクロノは恭也の台詞に頬を引き攣らせた。図星だったからだ。
 あの瞬間、なのはがフラッシュムーブで、フェイトがプリッツアクションで離脱したのを見届けたクロノは敢えてユーノとアルフと共にその場に残った。
 なのは達の姿を見られていないかどうかは賭けだったが、上手く姿を隠せば不意打ちが出来ると踏んだのだ。偶然ながらもはやての魔法が視界の効きにくい物だったため、シールドの光で閉じ込められている状態まで演出出来た。
 そして、ユーノとアルフに防御を任せて、念話でなのはに襲撃者がヴィータであること、砲撃で林へと弾き飛ばしたこと、防御されて大したダメージにはなっていないこと、更にクロノとの位置関係を聞き出すと、ヴィータがギガントシュラークを打つのに適した何箇所かにシールドの中からディレイバインドを設置した。

 即興の仕掛けのため不自然に見える点はあるかもしれないが、このタイミングであれば如何に守護騎士であろうと捉えられる!

 そんなクロノの確信をあっさり覆してくれたのだ。動揺を態度に出さなかっただけでも褒めて貰いたいくらいだった。
 恭也にバインドの発動を察知する技術はないので、状況と言動からの推測だけで見抜かれたことになる。つまり、『戦場の何処にいても厄介』どころか『戦線に居なくても厄介』まで格上げされる可能性が出てきたのだ。
 クロノ自身も周囲の人間から『完璧超人』などと言われる事があったが、彼ほど出鱈目ではないと主張したい。
 勿論、そんなことをすれば五十歩百歩だと反論されることになるのだが。
 しかし、ヴィータの言いたかったのはそんなところではなかった。

「そんなこと言ってんじゃねー!いいから早く放…あっ!?」
「は?」
「い、いつまで触ってんだ、バカーー!!」

 ヴィータの台詞に意表を衝かれたのか、突き飛ばす力に逆らう事無く恭也が腕を解いて一歩後ずさる。
 振り返ったヴィータは左手とグラーフアイゼンで胸元を庇いながら正面から恭也を睨みつけている。
 はやてが母性を刺激されてふらふらと近寄ろうとするくらい、ちょっぴり涙が浮かぶ眦を吊り上げた紅い顔で威嚇するヴィータの姿はなかなかに刺激的だ。
 流石の恭也も良心に来るものがあったようで、思わず口を滑らせた。

「済まん、気付かなかった」
「なっ!?」

 羞恥の赤が瞬時にして赫怒の赤に切り替わる。
 恭也も自分の失言に気付いたらしく、珍しく言い訳じみた弁解を始めた。

「あ、いや、他意は無いぞ?
 ただ、前に顔を埋められたりだとか、手に余るほどのサイズを押し付けられたりしてな。何と言うか、その、印象が強過ぎてそういうものだと刷り込まれてしまったというか」
「チクショー!
 小さくて悪かったなぁ!!」
「いや、だから、そういうつもりでh おおお!?」

 言葉の途中で慌てふためきながら屈んだ恭也の頭髪の先端が抵抗も無く切り離された。
 その鎌はホントに非殺傷設定ですか?と確認できる命知らずはこの場には居ない。
 距離を取ってから振り向いた恭也は、慌てて静止の言葉を投げかけた。

「ちょっ、待てフェイト!
 模擬戦中なのは分かってるが少しは空気を読んでくれ!今、明らかに脱線してただろ!?」
「やっぱりリインフォースのが良かったんだね」
「は!?
 あの、フェイトさん?会話がかみ合ってないんですが…」

 フェイトの、教本として写真にして額に納めて飾っておきたいほど綺麗な笑顔を確認した途端、言葉使いが敬語になる恭也。
 写真には写らない何かを背負って佇むフェイトは、やっぱり恭也の言葉を聞いていなかった。

「そうだよね。なのはのお兄さんが選んだのも忍さんだもの。
 恭也は、アルフかシグナムかシャマルかリンディさんかエイミィか桃子さんか美由希さんかフィアッセさんか忍さんくらいじゃないと女の子として認めてくれないんだね」
「え?何の話だ?
 そのラインナップ、共通項が分からないんd ふぉおお!?」

 不意打ちに対応したとは思えないほどのスピードでバックステップしたにも関わらず、恭也の前髪が5ミリほど焼失した。

343小閑者:2017/12/24(日) 17:54:52
「なのは!ちょっ…と待って下さい。致命的な誤解があると思うんです」
「そんなことないよ。
 女の子を身体的特徴で判断するような悪い人にはお仕置きが必要だもの」
「身体的特徴?だから、何の話w ひいいい!?」

 恭也らしからぬ悲鳴を上げて90度捻った身体の前後を高速物体が通過した。
 それが赤い短剣だと視認出来たのは恭也だけだろうが、その彼自身も身体を捻る以上の回避行動が取れなかったのは弾速以上に攻撃される可能性を全く考慮していなかったからだろう。躱せたのはコントロール精度の甘さに助けられたようなものだ。

「は、はやて!俺、味方だよな!?」
「味方?何言うとんの?
 おっぱいの大きさで女の子を区別するような人、女の子の敵に決まっとるやん」
「…」

 漸く具体的な単語を聞けたことで誤解を解く切欠を見つけたはずなのに、恭也の視線はやや上方の遥か遠くを眺めていた。

 クロノには分かる。
 あれは女性の理不尽な行動に苦労してきた者の目だ。
 きっと、今の彼女達にはどれほど理を説いた説明も言い訳としか受け取って貰えない。それどころか恭也の何某かの行動を引き金にして私刑と言う名の一方的な殺戮が始まるだろう。
 恭也にはその未来予想図が鮮明に描けている筈だ。
 言うなれば解体出来ない時限爆弾。
 放っておけば勝手に爆発するが、解除しようと試みればそれに反応してやっぱり爆発する。
 対処方法など存在しない。
 それを知らない者は不用意に手を出し爆発させ、知っている者は起爆しないことを祈りつつ少しでも時間を稼ぐために沈黙を貫く。勿論、クロノは祈りが届いた事など一度として無かったが。
 だが、クロノは思う。
 恭也ならば、自分には出来なかった方法を選択してくれるのではないだろうか、と。

 その想いが届いたかどうかは定かではないが、恭也はクロノの期待に見事に応えた。
 一度軽く俯いた後、3人に見えるように小憎らしい冷笑を浮かべると、神経を逆なでするように鼻で笑って言い放った。 

「どう言い繕ったところで今のお前達がペッタンコなのは動かし難い事実なんだ。
 シグナム辺りに動き易さを自慢してやったらどうだ?」

 クロノは思った。
 きっと、世の男性の何割かは自分と同じ様に恭也のことを尊敬するだろう、と。





「おお、あれすら躱すか」
「これだけ離れて見てるのに時々見失うって凄いわね」
「だが、だんだん魔法の威力と効果範囲が大きくなってきてるから、本当に躱すだけで手一杯になってきてるな」
「逆に早めに当たっておいた方があんまり痛い思いしなくて済んだんじゃないのかい?」
「そうか?恭也の回避能力は知ってるんだからワザと当たったりすると後でもっと酷い目にあう気もするけど」
「これ以上大威力の魔法だと訓練室の被害が馬鹿にならないな。ユーノ、広域結界を張っておいてくれ」
「展開済み」

 戦闘が始まると、全員が速やかに部屋の隅まで移動して、余波を受けないようにザフィーラの展開した障壁の影に隠れていた。完全に観戦モードだ。
 ちなみに、そのメンバーにはヴィータも入っている。フェイトの笑顔を見た時点で怒りは鎮火していた。

 戦闘は終始少女達の攻撃魔法の炸裂音が響き続けていた。
 だが、その展開は単調なものではない。
 威力よりも手数とスピードを重視した魔法から始まり、徐々に威力と効果範囲の広い魔法へと移ってきている。
 3人の呼吸も時間を追う毎にあってきて、互いに詠唱から発動までのタイムラグを補い合うようになっている。それはイコールとして恭也が劣勢に追い込まれていくということでもある。
 尤も、表現を変えるなら未だに『劣勢』で押し止めているとも言える。モニタールームに居るレティなど暫く前から文字通り開いた口が塞がらなくなっているほどだ。

344小閑者:2017/12/24(日) 17:55:37
 だが、辛うじて保たれていた均衡が一気に崩れた。集中力の問題か、単なる魔力不足か、強度が不足した足場を恭也が踏み抜いてしまったのだ。
 何とかバランスを取り戻し、地面に到達する前に再び走り始めた恭也だが、極度の集中力を発揮している彼女達に対してその隙は大き過ぎた。

「チャーンス!
 フィールド形成完了!
 フェイトちゃん!」
「いつでもいいよ、なのは!」

『N&F 中距離殲滅コンビネーション 空間攻撃ブラストカラミティッ!』
「全力全開!」「疾風迅雷!」
『ブラストシュート!』



 轟音が訓練室の隅に避難していたクロノ達の身体を揺さぶる。
 なのはの展開したフィールド内を、なのはの魔力を上乗せしたフェイトの斬撃による威力放射が荒れ狂う様を見て、観戦組みの誰かが呆然と呟いた。

「そこまでするの?」

 だが、実際にはそれだけではなかった。



「魔力充填完了!
 こっちも行くで!
 来よ、白銀の風、天より注ぐ矢羽となれ!」

 耳に届いた詠唱に、該当する魔法が脳裏に浮かんだシャマルの顔が蒼褪めた。

「フレースヴェルグ!シューート!」



 爆圧が訓練室全体を揺るがし、轟音と閃光が広い室内を隅々まで満たす。
 耳がイカレるほどの轟音の中、誰にも聞こえない懺悔がクロノとユーノの口から異口同音に零れ落ちた。

「すみませんでした。
 少しでも『羨ましい』とか思って、本当に申し訳ありませんでした」



 本来であれば殲滅兵器と呼べるほどの威力を誇る魔法だが、ユーノの広域結界に守られているとはいっても訓練室が原形を保っているからにはかなり威力が絞られているのだろう。
 それが手加減なのか単に現在のはやての制御力の限界なのかは不明だが、それでも個人に向けて使用する魔法ではないし、室内で使う魔法でもない。

「あたたたた…
 ちょう、強過ぎたやろか?」

 バックファイアを打ち消しきれずに地面をごろごろと転がる羽目になったはやては、座り込んだまま周囲を見渡す。そして、少し先で同じ様に尻餅をついていたなのはとフェイトに気付くと、互いに照れ笑いと苦笑いを折半したような顔になる。
 流石に3人とも正気を取り戻し、やり過ぎた事に気恥ずかしさを覚えたのだ。

「っと、恭也さんは!?」

 我に返ったはやてが声を上げると、タイミング良くクロノの風系統の魔法が一気に砂埃を吹き消した。
 だが、見事な更地に変わり果てた訓練場には恭也の姿は見当たらなかった。身を隠すような物陰も無いのに見つからない。
 不思議そうに辺りを見渡す当事者達とは対照的に、観戦者一同の背中を冷や汗が滴る。

 誰か非殺傷設定にしてなかったんじゃ…?

 湧き上がる不安を払拭するために全員で必死に視線を廻らせるが、樹木や岩どころか起伏さえほとんど無くなった訓練室では如何な恭也とて隠れきれる訳が無い。
 絶望感さえ漂い始めた一同を救ったのはシャマルだった。

345小閑者:2017/12/24(日) 17:56:35
「いた!あそこ!」

 一斉に声の主に集中した視線は、彼女の指差した先を追って空を仰いだ。
 そして、魔法で視力を強化しなくては識別出来ないほどの高空をたゆたう恭也の姿を見つけると、安堵で胸を撫で下ろした。
 この短時間でどうやってあそこまで移動したのだろうか、という真っ当な疑問が浮かぶが、恭也だからな、と自答して完結する。
 現金なもので、安心したら気持ちよさそうに漂っている恭也の姿を見ているとだんだん腹が立ってくる。
 文句の1つも口にしようとしたクロノがその不自然さに最初に気が付いた。

 恭也は適正の低さと期間の短さから浮遊魔法も飛行魔法も習得を放棄した。空中にいるためには生成した力場の上に立つ事しか出来ない。
 では、彼は今、どうやって身体を横たえて空中を漂っているのだろうか?

 疑惑を抱いたクロノが注意深く観察していると、距離が遠過ぎて先程までは気付かなかったが、彼は未だにこちらから遠ざかるように飛び続けているようだ。
 更に言うなら、徐々に頭が下向きになってきているような…?

「なんだ、恭也の奴、さっきまで走り回ってたくせにちゃんと飛べるんじゃねぇか」
「…違う」
「え?」
「さっきのはやて達の魔法で弾き飛ばされたんだ!
 あいつ、気絶してるぞ!」
『えええ!?』

 ヴィータの台詞を否定したクロノの言葉に全員の驚きの声が唱和した。

『なんで躱さないのーーー!?』
『いやいやいやいやいや!?』

 続いて響いた3人娘の理不尽な絶叫に、一同の突っ込みがまたもや唱和した。

346小閑者:2017/12/24(日) 17:59:50
「…う」
「あっ!気が付いた!」
「恭也君、大丈夫!?」
「痛いところ無いか?」

 あの後、3人は後先考えない全力飛翔で重力に引かれるままに落下を始めた恭也に追いつくと、体当たりするように抱きついたところで3人同時に魔力エンプティで仲良く団子になって落下した。シャマルが溜息混じりに掛けてくれた浮遊魔法が無ければ無理心中になっていたところだ。
 恭也が意識を取り戻したのは、着地して身体を地面に横たえて直ぐの事だった。
 流石の恭也もあれだけの砲撃に晒された直後だけあって、雰囲気に鋭さも堅さも感じ取れない。
 その事が余計に3人を落ち込ませた。
 迷子の子犬の様に項垂れる少女達は、叱り付けられる事に、あるいは嫌われる事に怯えながら窺う様な上目遣いで恭也の反応を待つことしか出来ない。
 少しの間、そんな少女達を茫洋とした視線で眺めていた恭也が漸く口を開いた。

「…まったく。
 少しは、加減しろ。
 死ぬかと…思ったぞ」
『ゴメンなさい…』

 弱々しい、聞き様によってはのんびりとした恭也の文句に縮こまりながら異口同音に謝罪を口にする。
 そうして下げた頭を少しだけ持ち上げて恭也の様子を窺ったところではやて達の顔に疑問の色が浮かんだ。
 てっきり、怒るか呆れるかしていると思っていた恭也が、不思議なほど穏やかだったからだ。別の何かを隠すために取り繕っているとも思え難い。
 困惑する少女達を他所に、恭也は寝転がったまま思い返すように目を閉じた。

「負けたか…。
 ぐうの音も出んな。
 …フ、フフ、ハハハ」

 穏やかに笑い出す恭也をはやて達も、離れて様子を見守っていたクロノ達も呆然と眺めることしか出来なかった。
 衝撃が強過ぎて…、と言うほど異常を感じるものではない。
 勿論、あの恭也が人前で笑い声を上げているからには、ダメージや疲労による自制心の低下はあるだろう。少なくとも誰もが今までに感情の発露として笑声を零す恭也を見る機会はほとんど無かったはずだ。
 それでも、これほど無防備に、そして穏やかに笑い声を響かせている理由はもっと別にあるだろう。

 単純に全力を振るえた事に満足しているのかもしれない。
 困難な道を選んだ少女達が、3人がかりとは言え自分の全力を上回る力を示した事に安心したのかもしれない。
 戦略級の攻撃魔法を持ちながらも、子供らしい素直さを無くしていない事に喜んでいるのかもしれない。
 自分の敗北が事件を破綻させる致命打になるのではないか、という重圧から開放された事を漸く実感出来たのかもしれない。

 どれも推測でしかない。
 当たっているものがあるかもしれないし、全てが当たっているかもしれないし、逆にどれ1つとして当たっていないかもしれない。
 それでも、実際がどうだったとしても、こんな笑い方が出来るならきっと恭也にとっては良い事なのではないだろうか。

 その手伝いが出来た事が嬉しくて、役に立てた自分が少しだけ誇らしくて、少女達も知らず穏やかな笑みを浮かべていた。





終わり

347小閑者:2018/01/14(日) 10:55:51
1.日常



 クロノ・ハラオウンの朝は早い。
 几帳面かつ勤勉な彼は、亡き父の背を追い管理局の執務官を目指すと決めたその日から、早朝から深夜まで弛まぬ努力を続けてきた。
 師であるリーゼ姉妹から『物覚えが悪い』と評されようと諦める事無く、知識を蓄え、技を磨き、体を鍛えた。
 その努力が実を結んで執務官就任の最年少記録を塗り変えても、傲ることなく在り続けた。
 不規則になりがちな仕事な上に、次元世界によって1日の長さが違ったり、降り立った地により時差が生じても、現地の朝には非番であろうとしっかりと目を覚ますのもその一端と言えるだろう。
 そんな彼が寝起きの顔を洗い、身だしなみを整えて、いつも通り寝静まっている家人を起こさないように静かに洗面所を出たところで、玄関から入ってきた恭也と大型犬モードのアルフに遭遇した。

「…おはよう、恭也、アルフ。
 こんな早くから何処に…、鍛錬か?」

 表情も動作も呼吸さえも平時のままだった上に玄関の照明が消えていたため気付くのに遅れたが、恭也の全身から湯気が立ち上っていたのだ。
 逆に一般的な犬と同様に発汗での体温調整があまり利かないアルフは、舌を垂らして短く速い呼吸を繰り返している。

「おはよう。
 昨日、あれだけやられてそんな元気はない。
 習慣で目が覚めたから暇そうにしてたアルフにつきあって散歩してきただけだ」

 欠片ほどの疲労も見せずに澱み無く恭也から答えが返ってくる。勿論、口調には動揺や後ろめたさなど見受けられない。
 彼の面の皮の厚さからすれば元々この程度の受け答えで内心を悟らせるようなことはないだろうが、今回に関しては本心から事実を語っているのだろう。
 勿論、彼の主観に基づいた事実を、である。
 汗が湯気になる事事態はそれほど不自然ではない。気温が低いと空気は乾燥するから体温程度の熱を持った水分でも蒸発し易いし、それが冷やされれば空気中で結露して湯気になるのは当然と言える。
 ただし、その気温の中で身体を動かして汗が出るほど身体を温めるのはそれなりの運動量が必要になるはずだ。恭也にとっての呼吸が乱れない程度の運動は世間一般で言う『散歩』とは異なるものだろう。
 また、今現在が早朝と呼べる時間帯だしこの季節の夜明けは遅いらしいので、彼らが起き出したのは未明というよりまだ真っ暗な時間帯だったのでは?
 そんな風にクロノが推測していると尋ねる必要も無く同行していたアルフが肯定してくれた。

「よく言うよ。
 リビングで寝てたアタシの横をこっそり通り抜けて出てこうとしたくせに。
 玄関のドアの音でアタシが目を覚まさなかったら普通に鍛錬するつもりだったろ?」
「こそこそしているつもりはなかったんだが…。
 なるほど、妙なところで寝ていると思ったら見張りだったのか」
「キョーヤの事だから絶対無理するに決まってるからね。
 だいたい犬の散歩ってのは2時間も休み無しに全力疾走するもんじゃないよ。
 子犬モードのままだったらアタシの方がバテるところだったじゃないか」
「運動しようって時に省エネなんて考えてどうする。ましてや体格的にも筋力的にも子犬のままでは大したことなど出来るはずないだろう。
 そもそも、使い魔があの程度でバテるな。
 だいたい、全力じゃなかったろ。呼吸を乱さない程度に抑えてたし」
「アンタは、ね!
 どっちにしても戦闘中のスピードじゃなかっただけで、あれは散歩のペースとは言えないだろ。
 …訂正。一般人は言わないの!」
「…相変わらずのようでなによりだ」

 2人の会話からクロノにも経緯が見えてきた。
 非殺傷設定とは言え昨日あれだけの魔法を食らったにも拘らず深夜と呼べるような早朝から日課の鍛錬に出かけようとした恭也を、リビングで待ち受けていたアルフが発見して引き止めたのだろう。名前は出なかったが、きっとフェイトもアルフと同じ心配をしているのだろう。
 尤も、恭也はアルフがリビングで寝ている事を不思議に思いながらも引き止められる可能性には思い至らなかったのではないだろうか?アルフには悪いが五感の鋭い獣形態であろうと本気で抜け出そうとする恭也を寝ている状態で察知出来るとは思い難い。
 結局、鍛錬したい恭也と安静にしていて欲しいアルフが互いに妥協した結果、『軽い運動』として散歩することになったのだろう。定量的な評価の出来ない『軽い』という言葉の認識に隔たりがあるのはいつもの事と諦めるべきところだ。

348小閑者:2018/01/14(日) 10:58:35
 魔法とは物理法則の一時的かつ局所的な上書きによる事象の操作である。
 そして魔法の威力は単純な魔力量だけではなく物理法則を上書きするための術式の演算精度に左右される。同じ量の魔力を注ぎ込んだとしても構築した術式が杜撰であれば威力は下がり、精度が高ければ威力は上がる。
 そして、非殺傷設定の魔法は、その魔法の『威力』に相当する魔力量を被弾者から削り取り、尚且つ相応の痛みを与える。一時的なものであっても苦痛は精神を疲弊させるため、集中力を必要とする魔法の行使は勿論、戦闘行動自体に支障が生じるし、痛みが強ければ意識を奪うことも出来る。だからこそ、局員を殺傷する事に躊躇の無い犯罪者相手に『殺す事無く逮捕する』などというある意味『気楽な方針』が罷り通るのだ。
 ただし、非殺傷設定の魔法であっても破壊力自体は存在する。
 物質を透過して精神だけを攻撃出来る魔法に変化させる訳ではない代わりに、物質であれば紙の盾すら貫通出来ない魔法に劣化させる訳でもない。
 では、分厚い鉄筋を破壊出来る魔法が何故生物の肉体を破壊出来なくなるのか?
 また、保有する魔力で相殺しているという説明が正しかったとすれば、保有量を上回るほどの威力の魔法を受けた場合は肉体を損傷することになる。だが、実際にはそんな現象は起きたことがない。それは何故なのか?
 これらの疑問に対する明確な回答は、管理局でも出せていないのが実情だった。
 開発された当初には当然のように「そんな得体の知れないもの使っていいのか!?」という意見が出た。だが、余程の実力差か兵力差が無い限り戦場で加減など出来るはずがないし、「犯罪者の生死など関知しない」と言い切ってしまえば一武力集団に成り下がりかねない。結局のところ、ブラックボックスであろうと成果の出ている手段を死蔵させる余裕は今も昔も管理局には無いのだ。
 いい加減に聞こえるかもしれないが、仕方の無い面も含まれているのも事実ではある。
 科学的手法とは発生した事象を様々なアプローチで解析し、理論を構築し、実験で正しさを証明するプロセスを言う。つまり結局のところ、多くの場合『理解』とは『現象』の後についてくるのだ。ニュートンが発見しなくても万有引力は働いていたし、コペルニクスが証明しなくても太陽系の惑星は太陽を中心にして公転していたのだから。
 ちなみに、AAAランクのフィールド系魔法防御であるアンチマギリングフィールドに対して有効な『魔法で発生した効果』をぶつけるタイプの魔法(そこらの岩を加速させて打ち出すスターダストフォールなど)は流石に非殺傷にすることは出来ない。精々、属性付加されている魔法までだ。

 閑話休題
 昨日の模擬戦でなのはとフェイトが連携した殲滅魔法とはやての戦略級魔法を連続して受けた恭也は、意識こそ取り戻したもののそのまま医務室にかつぎ込まれた。
 クロノの経験上、一般的な上級魔導師であっても昏倒したまま最低でも丸二日は意識が戻らない程のダメージの筈なのだが、一同が何の根拠もなく想像していた通り、恭也は夕方には起き出して帰宅した。
 団体戦から一夜しか明けてないのだからフェイトやアルフ(恐らくは更にはやてとなのは)の心配は尤もではあるのだが、既にクロノには恭也の行動にいちいち目くじら立てる気にはなれないというのが本音だった。
 勿論、本来であれば役職上クロノも見過ごして良い立場にはいない。だが、あらゆる事柄に関して恭也と自分たちでは物差しが違い過ぎるように思えてならないのだ。ミクロン単位の物体の長さを巻尺で計ろうとしているというか、横断幕の文字を顕微鏡を使って読もうとしているというか、とにかく的外れな印象ばかり付きまとうのだ。
 それに、こう言ってはなんだが、正直なところ恭也であれば所謂『周囲の大人』が心配する必要や意味は無いと思っている。
 こと、肉体の運用に関する恭也の知識や見識は、医療に関する知識に特化している医者を上回る可能性すらありそうだ。
 勿論、『だからほっといても大丈夫』という訳ではない。『医者の不養生』という言葉がある通り、知識が有っても実行しなければ意味は無い。その意味では自分自身を蔑ろにしているようにしか見えない恭也は、途轍もなく危険な思想を持っていると言ってもいいだろう。
 では、何故クロノが心配していないかと言えば、フェイト達が彼の事を心配しているからだ。

349小閑者:2018/01/14(日) 11:01:57
 恭也が彼女達の事を大切に考えているのは疑う余地が無いだろう。ならば、彼は余程の事が無い限り、彼女達を悲しませるようなことはしないだろう。それこそ彼女達自身の身に危険が迫るような事でもない限りは。
 尤も、だからと言って恭也は彼女達を異性として考えている訳ではないように思う。勿論、実年齢からすれば別に不自然な事ではない。性の違いに気付き意識し始める年頃ではあるが、それがイコール恋愛とはならないだろう。
 そういう意味では、3人の他にも恭也の大切な存在の枠に入っている者は居るだろう。ヴォルケンリッターやアルフは入っているだろうし、早朝訓練で顔を合わせる機会の多かったユーノやなのはを介して繋がりのある少女達(確かアリサとすずかだったか?)も入っているかもしれない。
 何れにせよ、恭也に関しては親しい人物が彼の身を案じている事を知ってさえいれば、自身の力量と限界を熟知している分、安心していられるとクロノは思っている。既に高い能力を示しながらも未だに底の知れないポテンシャルを垣間見せる少女達の方が無茶な行為に走るという意味では余程危うい気がするのだ。
 ただし、恭也が無茶をしない、という意味ではない辺りが厄介ではある。
 彼がそんなに小賢しい性格なら、そもそもまともな攻撃魔法の一つも使えない身でシグナムやリインフォースに戦いを挑んだりしていないだろう。
 絶対に引く事の出来ない戦いに際して、『1%の可能性に賭けて挑む』という精神論寄りのスタンスと『100戦した時に1度しか勝てない実力差なら最初の1戦目でその勝利をもぎ取るためにあらゆる手を尽くす』という僅かばかり現実を見つめたスタンス。その差にどれほどの違いが出るのかは不明だが、前者に入るであろうフェイトやなのはよりは後者に分類されるであろう恭也の方が少しだけ安心出来るのではないかとクロノは思っている。
 心外な事に所々で自分を恭也の同類だと評価するエイミィから『自己弁護だ』などと言いがかりをつけられたが、現実を見据えている分マシというのは客観的な評価なのだ。

 そんな風に思考が彷徨い始めたクロノを恭也の言葉が現実に引き戻した。

「ハラオウン、ドアの前でボーっとするな。
 身体が冷える前にシャワーを浴びたい」
「あ、ああ、済まない。
 ん?アルフは良いのか?」
「キョーヤが入るんならアタシは後で良いや」
「なんだ、アルフも浴びるのか。
 なら一緒に入ろう。洗ってやるぞ?」
『…ええー!?』

 クロノとアルフが驚愕の叫びを上げて恭也を凝視するが、緊張どころかからかっている様子すらなく平然としている。
 その態度に混乱に拍車が掛かる2人を恭也は真面目な口調で嗜める。

「おい、フェイトもリンディさんも寝てるんだ。大声を出すな」
「ツッコミどころはそこか!?」
「キョーヤ、本気で言ってんのかい!?」
「休日ならまだ起こす必要は無いだろう?起こすにしても無闇に騒がしくするものじゃない」
「そこじゃなくて!」
「…さっきから何を言って…あ、そうか。
 済まん、失念していた。入浴するなら人型になるのは当然か。
 先に入ってくれていいぞ」
「…ああ、この格好のままだと思った訳ね。
 ちょっと焦ったよ。ムッツリスケベを返上して、オープンなスケベになったならフェイトに近づける訳にはいかないからね」

 アルフが安堵しながら人型に変身すると、律儀にも服を湿らせるほどの汗まで再現されていた。
 その姿にクロノが顔を赤らめつつ何気ない素振りで視線を外した。
 健康的な血色と抜群のスタイルと露出度の高い衣装。いつも通りのその姿を肌を伝う珠の様な汗で飾る事で、溌剌とした印象が前面に押し出されている普段とは違い妙に艶めかしく見えたのだ。
 対する恭也は視線を逸らすどころか顔色を変える事も無く、平然としたまま会話に応じている。

350小閑者:2018/01/14(日) 11:02:41
「人聞きの悪い事を言うな、馬鹿者。
 大体、ムッツリでもオープンでも助平に変わりが無いなら警戒しておけ。そもそも、助平心を誘発するような露出の高い服を着ておいて言う台詞か」
「この格好、動き易くて良いんだよ」
「警戒心は何処へ行った?
 フェイト視点だけじゃなく、少しは自分に向けられる視線も気にしろよ。
 それに、動き易さを優先するなら、胸は無い方が良いんじゃないのか?」
「別に大きくデザインしてる訳じゃないよ。人型の大人に変身したら勝手にこうなったんだ」
「…変身魔法だよな?姿形は任意で設定するものじゃないのか?」
「骨の形や内臓の働きまで思い浮かべられる奴なんてそうそう居ないだろ?少なくともアタシにゃ無理だ」
「ハラオウン、説明」
「当然の様にこき使うな!
 …変身魔法の術式には術者の生命活動に支障を来す事が無いよう、厳重なプロテクトが掛けられている。アルフの言葉通り、生体としての機能に不可欠な臓器を変質させてしまったら命に関わるから、この処置は当然だろう。
 その一環として、本人のイメージと生身の身体の特徴を術式に記録されているデータに反映させることで変身後の姿が決定される。これが使い魔が人型に変身する時の理屈だ。身体に掛かる負荷を出来るだけ減らすために身体的な特徴が残り易い。端的な例としては性別や色素だ。
 ちなみに、特定の人物に成り済まそうとしたり、ユーノのように人間が別の生物に変身する場合は、余程変身対象の事を生物学的に理解していない限り見てくれしか真似る事が出来ない。仮に、ユーノがフェレットの脳の構造を忠実に模倣していたら、脳の容量や機能の問題で記憶や知識は勿論、人格や知性すら失っていたはずだ。
 同じ理由で、僕が君の姿に変身したとしても君の戦闘スタイルまで真似る事は出来ない。君の剣技を活用する知識が無い事も理由ではあるが、外見を真似ているに過ぎない変身魔法では根本的に筋力や骨格といった体組織までコピーする事が出来ないからだ」

 使用する上では持っていなくても不都合の無い知識を当然の様に説明出来るのがクロノなら、その説明から必要な要素だけ抜き取って他の部分を切り捨てるのが恭也である。

「ふむ。
 つまり、アルフの胸は犬型の時からでかかったという事か」
「…態々これだけ詳しく説明したのに、あまり卑猥な表現で要約しないで貰いたいんだが」
「別に卑猥だとは思わんが、間違ってないだろ?」
「…まあ、そうなんだが」
「アンタ、意外とそういう事、口にするの平気なんだね。恥ずかしがって言わないかと思ってた」
「まぁ、自分の趣味・嗜好となれば変わってくるだろうが、事実をありのまま口にする分にはあまり羞恥心は無いな。
 相手は選んでる積もりだし、場も弁えている積もりだが、不快に思ったら言ってくれ」
「それぐらいなら構わないけどね」
「それは重畳。
 …それは兎も角、そろそろシャワーを浴びてくれ。身体を冷やしたくない」
「ああ、悪い。
 って言うか、アンタ先に入りなよ。アタシは使い魔だから風邪引いたりしないし」
「む、そうか。
 では、悪いが今日はそうさせて貰うか」

 そう言って着替えを取りに部屋へ向かおうとした恭也が体の向きを変えたところで、カチャッというノブの音と共に開いたドアからフェイトが姿を現した。
 若草色のワンピース型のパジャマに解いて下ろした髪という昨日までと同じ寝起き姿のフェイトは、しかし、開ききらない瞼と緩慢な動作という普段ならあまり見せる事の無い如何にも寝惚けている様相だった。

「寝惚けてるな」
「あ〜、昨日は恭也の事が心配で明け方まで寝付けなかったみたいだからねぇ」
「それを俺の所為と言われるのは不本意だな。
 そもそも俺が寝込んだ原因はあいつらに有るんだぞ?」
「フェ、フェイト?大丈夫なのか?今日はまだ寝ていても良いんだぞ」

 フェイトはクロノの掛けた言葉に反応して顔を向けると、一番手前に居る恭也の姿を認めた時点でホニャッと笑みを浮かべた。

「きょうやだ〜」

 舌っ足らずな口調で名前を呼ぶと、覚束無い足取りで歩み寄りそのまま恭也の身体に腕を回し胸に額を押し付けた。

「…をい」
「その位は大目に見てやっとくれよ」
「きょうやのにおいがする〜」

351小閑者:2018/01/14(日) 11:06:20
 恭也の様に実年齢通りの容姿でなかったらアウト判定を喰らいそうな台詞を幸せそうに呟くフェイトと、心配を掛けた事に多少の後ろめたさが有るのかフェイトを振り払う事無く眉間に皺を寄せる恭也。

「アハ、ベタベタする〜」
「…それは一般的に嬉しそうに言う台詞ではない。不快に思って離れる場面だ」
「あったか〜い」

 会話が成立する事を諦めきった様に呟く恭也と、予想を裏切る事無く脈略の無い言葉を思いつくままに並べながら頬を摺り寄せるフェイト。
 恭也が視線だけ向けるとニマニマと笑うアルフの隣で、普段であればフェイトを諌めるであろう良識派のクロノは視線を逸らして見なかった事にしているようだ。昨晩の心配するフェイトの姿を思い出して少しくらい大目に見る気になったのだろう。
 こうなれば恭也は自力で状況を打開するしかない。
 尤も、その気にさえなれば他力など必要としないのも恭也なのだが。

「いい加減目を覚ませ」 ビシッ!
「イタッ!?」

 未練も逡巡も無くフェイトの額を中指で弾く恭也に、クロノとアルフが慌てふためく。寝惚けているところに目の奥で火花が散るほどの衝撃を受けたらシャレでは済まない。
 だが、当のフェイトは目尻に涙を浮かべて右手で打たれた額を押さえているが、蹲ったり床を転げまわってはいない。以前クロノが受けたものと比べれば、本当に軽い一撃だったようだ。

「一体、何が…?」
「そろそろ『年頃』と呼ばれる頃合の娘が寝惚けていようと男にしがみ付くんじゃない」
「え、恭也?」

 痛みで覚醒したフェイトははっきりした口調を取り戻したが状況は理解出来ていなかったようで、聞き間違える事の無い声に顔を上げて、間近にある顔に驚いて硬直した。
 不意打ちで至近距離から恭也に見つめられた事でフェイトの顔が急速に赤くなる。
 そんな何時までも身動きしないフェイトに、彼にしては珍しく辛抱強く言葉を重ねる。

「何時まで呆けている。
 はしたないから妄りに男に身体を寄せるものじゃないと忠告しているんだが?」
「…え?
 あ、ごごごごごめんなさい!」

 左手を恭也の背中に回したままになっている事に漸く気付いたフェイトが慌てて手を離して、一歩退いた。
 真っ赤な顔で視線を落として縮こまる姿は非常に愛らしく、普段着に着替えて自室から出て来たばかりのリンディにも『何か』があったと一目で伝わった様だ。

「おはよう、恭也さん。
 何があったのか教えて貰えないかしら?」
「おはようございます、リンディさん。
 アルフの散歩で汗を掻いたんです」
「それでフェイトさんが赤くなってる訳じゃないでしょ?」
「そちらは寝惚けて乱行に及んだだけです。
 身体を冷やしたくないのでこれにて失礼。詳細は本人からどうぞ。」

 恭也はそれだけ告げるとするりと自室へ滑り込んだかと思うとすぐさま着替えを掴んでUターンし、4人の間をすり抜けて洗面所へと入っていった。誰にも反応させる事の無い見事な転進だ。
 相変わらず凄いはずの技能を惜しみなくくだらない事に注ぎ込む男である。

「逃げたな…」
「逃げたわね。仕方ないから本人に聞きましょうか」
「あうぅぅぅ…」
「容赦無いな、母さん」

352小閑者:2018/01/14(日) 11:07:40
 恭也とアルフが順にシャワーを浴び終わる頃には、フェイトを散々突いて満足したリンディが朝食の準備を済ませ、ダウンしていたフェイトも辛うじて復活を果たしていた。
 いくらか赤味を残した顔のままフェイトが配膳を手伝っていると、リビングに転送ポートの起動音が響き、直ぐにポートの設置されている奥の部屋からエイミィが姿を現した。

「おはようございまーす」
「おはよう、エイミィ」
「おはようございます、リミエッタさん。
 どこかの螺子が緩んでるように見えますが、徹夜明けですか?」
「あはは、一晩貫徹した位で緩んだりしないって」
「それもそうですね。失礼しました、普段も変わりありませんでしたね」
「そうでしょう、そうでしょう。
 …ん?緩んでるってところを訂正してくれないって事は…?」
「ちょうど朝食の準備が整ったところですよ」
「ちょっと待って、私にとって凄く大事な話の途中だよ!?」
「何を言ってるんですか。一日の始まりは朝食から。
 身体が資本なんですから食事を蔑ろにしてどうするんです。
 徹夜明けで螺子が脱落してるんですか?」
「そ、そんなことないよ!
 うん、朝ごはんは大事だよね!」

 取り繕うように食卓に着くエイミィに3人の生温い視線が集まる。
 普段であれば『脱落するって事は、緩んでるのが前提なの!?』くらいの返しは出来ただろうから、徹夜の影響は少なからずあるのだろう。
 仕掛けた本人と気付いていないアルフがエイミィに合わせて合掌したのを見て、3人も慌てて手を合わせて唱和する。

『頂きます』




 こうして、賑やかに、そしてこれから『いつも通り』と言われるようになる朝が始まった。

353名無しさん:2018/02/24(土) 20:52:42
2.返上



「恭也さんの食べっぷりを見てると、本当に『作った甲斐があった』って思えるわね」
「そう言って頂けると有り難いですが、少々自分が浅ましく思えてきますね」
「とんでもない。
 クロノは美味しいとは言ってくれるけれどあまり食べてくれないから腕の振るい甲斐が無いのよ。
 遠慮せずにどんどん食べてね」
「ホントにクロノ君って少食だもんね」
「そんなんだからでっかくなれないんだろうね」
「もう、だめだよアルフ」

 前日までもアルフと競うほどの食事量だった恭也だが、今朝は2割り増しの食欲を示していた。それが悩みが解決した事に起因していると暗黙の内に理解している面々も自然に普段以上に会話が弾んでいた。
 尤も、話題の渦中にあるはずのクロノだけはムッツリとした顔のままおかずを頬張っていた。
 勿論、この話題にクロノ自身が嬉々として加われる訳がないのは誰にでも分かってるので敢えて話を振る者もいない。
 だが、意外な事に普段であれば食いついてきそうな人物まで食事に専念していた。

「恭也さん、お代わりは?」
「頂きます。でもそろそろ自分で装いますよ」
「遠慮しないで」
「…はい、ではお願いします」
「あれ?恭也がこういう話題に乗ってこないなんて意外だね」
「さっき私の時には容赦なかったのに、なんかズルイなぁ」
「まあ、失敗や勘違いなら兎も角、努力が実らない事を揶揄するのは主義に反しますから」
「努力?」
「黙々と食べ続けてるだろう。
 昨日までも、食事ではいつも無理にでも満腹以上に食べるようにしてるみたいだしな。普通はある程度詰め込めば胃が大きくなっていくものなんだが、こういうことでも個人差があるものなんだな」
「ああ、やっぱりクロノも気にはしてたんだね」
「どう見ても気にしてるだろ」
「まあ、クロノ君は覚えた事を忘れない代わりに大抵の事が身に付くのに時間掛かるからね。
 あ、でもいつも最終的には身に付いてきたんだし、きっと身体も大きくなるって」
「うん、きっとクロノも大きくなれるよ!」
「…別に悲観してる訳じゃないから励まさなくてもいい。
 寧ろ、慰められてる気分になるからやめて欲しいんだが」

 とうとう堪えきれなくなった様でクロノが会話に参加したが逆効果でしかない。
 クロノの台詞が呼び水となり、朗らかな笑い声が食卓を包み込んだ。

 ハラオウン邸では食事中にしゃべるのを咎められる事はない。勿論、口に物を入れたまま大口を開けば窘められるだろうが、そこまでする者はいないし、食事は楽しく摂るというのが不文律だった。
 だからこそ、恐らくは恭也の健啖ぶりに触発されてこれまで以上に食料を胃袋に詰め込むことに専念していたクロノを全員でつついていたのだ。
 家族の団欒の場である食事を栄養摂取のための作業に貶めるのは褒められたものではない。

354名無しさん:2018/02/24(土) 20:55:19
「僕は兎も角、フェイトはもう『ごちそうさま』か?
 いくら小柄でもフェイトだって育ち盛りなんだからもっと食べた方がいいんじゃないか?」
「え?でも、私本当にお腹いっぱいだし…」
「まあ、無理強いはしないが、士官学校で初めてエイミィと会った時は今の君とそれほど変わらない体格なのにガツガツと、」「うりゃ!」ッゲシ!「アタッ!」
「クロノ君、女の子に対してそういう話題は問題あると思うよ?」
「だからってグーは無いだろ!?」
「恭也も、もっと食べた方が良いと思う?」
「食べられるならそれに越した事はないだろうな。
 比較しても仕方ないだろうが、美由希は同じくらいの体格だったが鍛錬を始めてからお代わりくらいするようになったからな」
「美由希さん、細身なのに大きかったんだよね…」
「…は?それは何か矛盾してないか?」
「その頃の美由希さんは8歳くらい?」
「に、なる前だな」
「…」

 恭也の答えを聞いたフェイトは自分の身体を見下ろす様に俯くとしばし黙考した。
 そして顔を上げると徐に拳を握って恭也に突きつけた。

「恭也、ちょっと握ってみて」
「…おまえの拳をか?」
「うん。包む感じでお願い」

 訝りながらも恭也が突き出されたフェイトの拳を握ると、掌がすっぽりと拳を覆ってしまった。
 目を見開いて引き寄せた自分の拳をまじまじと見つめるフェイトを翠屋のクリスマスパーティに出席しなかった全員が不思議そうに眺めていた。

「こ、こんなに大きく…。
 恭也、私頑張るね!」
「…何を?食事の話じゃなかったのか?
 …いや、まあ、よくは分からんがほどほどにしておけ。意気込み過ぎだ。
 何事も急には変わらない。積み重ねが大事だ」
「うん!16歳までにはきっと立派になるから!」
「…?
 まあ、目標を持つのは良い事だろう。頑張れ」
「うん!」
「あらあら」

 それだけのやり取りを見ていただけでなんとなく察したリンディが楽しそうに微笑み、その笑みをヒントにエイミィも答えに至り笑みを浮かべて頷く。アルフはフェイトのやる気が伝わっているようで、訳も分からず一緒に燃え上がっている。
 クロノもフェイトの言っている言葉の意味が判らなかったが、2人の様子に口を挟むべきではないと無難に判断し再び食事に専念していた。

「あ、恭也もお代わりする?」
「…そうだな、もう一杯だけ貰おうか。ついでに頼めるか」
「うん、任せて!」

 フェイトは自分の茶碗を右手に、その倍はありそうな恭也の茶碗を左手に持つとまじまじと見比べる。
 恭也の茶碗は元々クロノ達と同じサイズの物(フェイトの茶碗は一回り小さい)だったのだが、一度の食事で四・五回お代わりを繰り返すため大きい物に買い換えたのだ。
 フェイトは普段から食事の準備を手伝っているのでこの茶碗に装うのも初めてではないのだが、食事量の話題の後だからか、その量に改めて感動にも似た驚きを感じたのだ。

「どうした?」
「あ、なんでもない。
 お待たせ。はい、ご飯」
「ありがとう」
「何かおかずになるもの作ろうか?」
「いや、そこまでは。漬物か何かあれば貰えるか?」
「ちょっと待っててね、冷蔵庫見てくるから」
「済まんな」

355名無しさん:2018/02/24(土) 20:59:13
 恭也は冷蔵庫に向かうフェイトを見送ると、装ってもらったご飯に合わせてゆっくりと残ったおかずを平らげにかかる。気を使ってフェイトが戻るのを待てば、彼女が慌てるか気に病む事が分かっているからだろう。ご飯の量からしても流石に恭也の方が時間が掛かると予想出来た事も一因か。
 そんな風に落ち着いて食事する様が馴染んだ恭也と、彼のために甲斐甲斐しく嬉しそうに動き回るフェイト。
 その様子はまるで、

「なんだか新婚夫婦のやり取りみたいね」
「え…新、婚、夫婦?」

 ポツリと零したリンディの言葉に浅漬けを手に食卓に向かって来ていたフェイトの動きが停止する。
 色白な顔が桜色に染まり、夕焼けの様に赤味が差し、深紅へと至る。

「…リトマス試験紙みたいだな」
「恭也君、女の子に失礼なこと言わないの!」
「フェイト、大丈夫かい?」
「う、ん、…なんともなイヨ?」
「そんな顔で言われてもな…
 母さん、フェイトは純粋なんだからあまりいじめないこと」
「あら、幸せな人は少し位の冷やかしは刺激になって良いものなのよ?
 周囲にもそう見えてるんだって思えると、いっそう幸せを実感出来るもの」
「その見解にはかなり個人差が有りそうですがね。
 ところで、フェイトはこの状況の何に幸せを感じてるんです?」 
「恭也さん。
 人から聞いた答えは得てして身に付かないものよ。自分で気付かなくては意味が無いわ」
「…確かにその通りだとは思いますが、漫談から派生した様にしか見えないこの状況で言われても、誤魔化すための屁理屈にしか聞こえませんよ」
「同じ年頃のフェイトさんはこんなに素直なのに、どうして恭也さんはそんなにスレてるのかしら」
「身近にリンディさんと同系統の困った大人が居たからです」
「それじゃあしょうがないわね」
「そこで納得しちゃうんですか、リンディさん?」

 苦笑するエイミィにリンディが口元を掌で隠してホホホと笑い返す。
 そんなリンディの様子が昨日までの取り繕ったものでない事が分かってエイミィも小さく安堵した。

 昨日まではリンディから恭也への心配が見え隠れしていた。
 勿論、恭也の様子がおかしかったのはエイミィにも分かっていた。恐らく、初対面でもなければ彼の振る舞いがおかしいことに気付かない者は居なかっただろう。だが、リンディが心配するほどの危うさだったかと聞かれれば、エイミィは否と答えただろう。
 リンディは任務中であれば、たとえどれほど状況が切迫していようと絶望的であろうと、上に立つ者としての責務から強靭な意志で内心を誰にも悟らせない。
 それが、意図したものか、気を許しているが故なのか、家庭ではその隠蔽レベルが僅かに下がる。それでも、余程の事態に至った時に垣間見せる程度だ。
 そのリンディが隠し切れない程の心配事となれば、エイミィの目からすると単に考え事に耽っているだけに見えた恭也はもっと悪い状態だったのだろう。
 いくらなんでも事件中ほどの深刻さではなかったと思いたいが、リンディの方が観察力もあるし機密の高い情報も知っているのだ。
 勿論、一般的に思い浮かべる『精神的に危険な状態』とは違う可能性はあるが、楽観する気にはなれなかった。
 何の相談もなかったからにはエイミィに手伝えることではなかったのだろうが、だからこそ全容が分からず不安が膨らんだとも言える。
 だからこそ、リラックスしているリンディを確認する事で、漸く少しだけ安心できた。きっと、隣で呆れ顔を隠そうとしないクロノも内心では同じ想いだろう。

356名無しさん:2018/02/24(土) 21:01:29
「そういえば、恭也さんの今日の予定は決まってるのかしら?」
「何か用事があるなら合わせますが?」
「いえ、そう言う訳ではないけれど、放っておくと一日中鍛錬に明け暮れてそうだから、フェイトさんと遊びに行ってきたらって言おうと思って」
「え、ええ!?」
「鍛錬は鍛錬で有意義だと思っているんですが、今日は別にすることがあります。
 …何故落胆する?出かける約束はしてなかっただろう?」
「あ、なんでもないから、気にしないで」
「そうか?
 アルフ、威嚇するな。別にフェイトと出かけることを嫌がってる訳じゃないんだ」
「フンッ」
「それで恭也さんの用事って?」
「はやての家に行くつもりです」
「…ええ!?恭也はここでずっと一緒に住むんじゃないの!?」

 思わずと言った様子でフェイトが立ち上がる。
 良く聞けば分かりそうなものだが、直前まで恭也と生活する喜びに浸っていたためか、『はやての家に行く』=『はやて家での生活に戻る』と勘違いしたようだ。

「…いや、はやてに用事があるから会いに行くと言ったつもりだったんだが」
「…え!?あ…、ご、ごめんなさい」

 尻すぼみに小声で謝罪しながら赤面しつつ着席するフェイトを眺めた笑顔のままリンディが口を開いた。

「はやてさんなら、今は本局に居るわよ。
 昨日の模擬戦で大出力魔法を連発したから、念のためにリンカーコアの検査をしているの。
 11時には帰宅する予定よ」
「そうですか。
 後で連絡してみます」
「ところで、恭也君の用事ってなんなの?」

 エイミィが何の気なしに問いかけると、恭也が僅かに逡巡した。
 珍しい事ではある。隠したい事であれば、黙秘するにしても誤魔化すにしても淀み無く実行する恭也が言葉に詰まったのだ。
 恐らく、口にするかどうかではなく、用件そのものが恭也をして怯ませる内容なのだろう。

「…借りていたものを返そうと思いまして」







 本局での検査から帰宅したはやては、忙しなく働いていた。
 本局で検査結果を待っている間に、恭也から帰宅後一段落したら話をしたいと連絡があった。
 恭也から昼食後に来訪したい旨を伝えられたが、はやては昼食を一緒にとる事を提案した。都合が良ければフェイトも一緒にどうか?、とも。
 その提案が通った結果、帰宅したはやては7人分の昼食の準備に精を出しているのだ。

「よっしゃ、完成!」
「お疲れ様、はやてちゃん」
「シャマルもありがとな」

 湯気の上がる人数分のスープパスタとサラダ、更にサイドメニューの数々が並んだ食卓を前にはやてとシャマルが互いを労う。
 だが、知らない者がこのメニューを見たら疑問を浮かべるだろう。
 普通に考えれば約束の時間に合わせたとはいっても、来客が到着する前に完成させてはパスタがノビてしまう。スープをパスタに絡めるのを到着後にするか、メニュー自体を別の物にするべきだろう。
 はやても勿論そのくらいのことは承知しているので、来客が他の誰かなら別のメニューをチョイスしただろう。

357名無しさん:2018/02/24(土) 21:07:59
ピンポーン
「おお、流石。
 時間ぴったり!」
「たまに時間に遅れる事自体はあるのに、どうして来て欲しい時にはしっかり時間通り来るんでしょうね?」
「時間て言うよりタイミングやろうな。
 天性の女誑しやから、タイミング外したりせえへんねん」
「ほぉ。
 実に興味深い考察だが、そもそも女誑しとは誰の事だ?」
「…きょ、恭也さん?
 出迎え無しに入ってくれる言うことは、自分の家だと思ってくれてるんやね。うれしいわぁ。
 でも、それならチャイムもいらんのとちゃう?」
「ザフィーラが迎え入れてくれた」
「よし、ザフィーラお昼ご飯抜きな」
「主!?」

 怖くてはやてが振り向く事も出来ないまま裁定を下した後、全員で揃って食事を始めた。
 勿論、話を逸らした上にうやむやにするためにザフィーラに理不尽な命令を出したはやての後頭部には恭也のデコピンが炸裂している。冗談だと言うことが分かっている筈なので本気モードではなかったとは思うが、ダイニングに響いた炸裂音はなかなかに澄んだ良い音だった。
 意外なことにはやて至上主義者たちが、この教育的指導に表だって文句を並べる事は無かった。
 以前に言われた『過保護に接する事で、はやての人格を歪めるのが忠臣の成すことか?』という恭也の言葉が呪縛になっているのだ。
 ちなみに、その言葉が恭也がヴォルケンズの矛先を躱すための屁理屈であり、はやてがこの程度のやりとりで本気と冗談の区別がつかなくなる訳がない、という結論に至るのはもう少し先のことである。
 そんな訳で、涙目で食卓に着くはやてにおろおろとした気遣わし気な視線を送る一同の中で、当然恭也だけは平然と食事に取りかかっていた。
 恭也の前には他の皿と同量に盛られたパスタが3皿並んでいる。八神家で生活していた時期に恭也の食事量を把握しているはやてが、飽きが来ないように3種類の味付けのメニューを作ったのだ。
 流石に一緒に暮らしていた期間が長いだけにはやての配慮は細やかだ。勿論、『特別な想い』が含まれているからこそではあるのだろうが。

 ちなみに、恭也の食事量は朝昼晩とほとんど違いがない。
 『朝を抜くけど晩はしっかり』とか『朝食をたくさん食べる代わりに晩ご飯はつまみ程度』など、三食のどこかだけしっかり食べるという考え方が一般的だし、アスリートにしてもカロリーコントロールを念頭においた食事制限を行うものだが、そう言った配慮は見受けられない。せいぜい好き嫌いなく野菜類もタンパク質も取っているという程度だ。
 尤も、運動量自体が尋常ではない上に、彼の戦闘スタイルは持久力だけとか瞬発力だけに特化していては成り立たないので、ある意味『質より量』という形になるのも当然かもしれない。いや、あれだけの量を摂取すれば自然に必要な栄養も得られそうなので理には叶っているのか?誰にでも出来る方法ではないだろうが。
 そして、普段通りの健啖家ぶりを示す恭也の隣に座るフェイトはあまり食事が進んでいない。
 朝食の後、フェイトも恭也と一緒に『軽い』運動をしたのだが、朝食を頑張ってたくさん食べたせいか運動量のせいか、食欲を刺激するはずの香りがちょっと辛い。
 とはいえ、招いて貰った手前、残したりしたらはやてが気を悪くするだろうと態度に出さない様に食事を続けていると、一心不乱にパスタを頬張っているように見えた恭也が不意にフェイトに顔を向けた。

「フェイト、食欲が無いのか?」
「…えっと、ちょっと朝、食べ過ぎたみたいで」

 見抜かれているとは思っていなかったため、とっさに誤魔化すことが出来なかったフェイトは無難な理由を口にすることで恭也の言葉を肯定した。

「だから無理をするなと言ったのに」
「口に合わんかったかな?」
「そんなことないよ。おいしいよ?」
「これだけの味に文句をつける奴は居ないだろう」
「…そ、それはちょっと褒め過ぎやろ」

 恭也のやや婉曲な褒め言葉にはやてが頬を染める。
 最近は恭也が言葉にして料理を褒めてくれる機会自体が少なかったからか、思いの外、顔が熱い。
 そして、当然の様に恭也がその事に気づいた様子はない。

358名無しさん:2018/02/24(土) 21:08:50
「運動後の休憩が短かったかもしれんな。
 魔法無しでの運動だったから加減を誤ったか」
「ダメよ、恭也君。フェイトちゃん、女の子なんだからちゃんと気遣ってあげなくちゃ。
 どのくらいの運動量だったの?」
「3時間ほど組み手のような事をしていただけなんだが」
「長過ぎるわよ!そんな運動、恭也君以外に出来る訳ないでしょ!?」
「俺にしか出来ないというのは言い過ぎだ。
 それに、フェイトには休憩を挟ませた。アルフとハラオウンも一緒だったから交代で休んでいたんだ」
「なんだ、いかにも連続でやったような言い方だったから勘違いしちゃったわ」
「恭也は一度も交代しなかったけどね」
「…」
「シャマル、その諦めきった顔は止せ。
 驚くか呆れるかされた方がまだマシだ」

 恭也の中にも常識という枠から外れることに対して多少は抵抗があるようだが、その程度の抗議で今更認識が改まる訳がない。

「自業自得だ。
 そんな事より恭也、何故私を誘わない?」
「『そんな事』とか言うな。
 今、境界の崖っぷちまで追いやられてる状態の筈だ。挽回するならここしかないんだ」
「恭也君、まだこちら側に居る積もりだったの?」
「サラッと切り捨てられた!?」
「本当に今更だな。それで理由は?」
「人が衝撃の事実に打ちひしがれてるのに、鬼かおまえは!?
 …シグナムが加わったら『軽く』なくなるし、そもそもお前達が本局から戻ってくるまでの時間を有効活用するのが目的だったんだから無理に決まってるだろう」
「そういえばそうだったな。
 ところで、テスタロッサの戦い方は知っていたが、クロノ執務官も魔法無しではお前に追い縋れないのか?」
「まあ、魔法の使用を前提にしている魔導師に対して、魔法を封じれば当然の結果ではあるんだがな。
 ミッド式でもフェイトの戦い方は異例だろ?そういう意味ではオーソドックスタイプのハラオウンは善戦したと言っても良いだろうな。
 普通に考えれば、オーソドックスなミッド式魔導師が素手での殴り合いに強くなっても総合的な実力はたいして向上しない。つまり、あいつは魔法を封じられるか魔力を使い果たした後にも戦う事を想定して鍛えてあるんだろう。
 それが執務官という役職に就くために必要な技能とされているのか、ハラオウンが個人的に修得したのかは知らないがな。
 更に言うなら、あいつは俺と同じく『直感』ではなく『経験』で戦うタイプだから一朝一夕では身につかない。それなりに本腰を入れて鍛えているはずだ。
 それでも、単純な手数とスピードで勝るアルフが一番手強かったのは、まぁ現実は甘くないと言うしかないがな」

 恭也の分析には嘲笑や侮蔑は勿論、同情や憐憫も無い。感情の含まれない客観的で純然たる評価だ。
 だからこそ、それは恭也に出来る最大の賛辞だろう。きっと、ここに本人が居たらシグナムの言葉を肯定するだけで済ませたのではないだろうか。
 そんな風に恭也を理解出来る事がちょっと嬉しくて、クロノへの評価が何故か面白くなくて、ヴィータが茶々を入れるように口を挟んだ。

「そりゃあ、その条件なら恭也が強ぇーのはわかり切ってんだから、ハンデくらいつけてやれよ」
「恭也は素手で、私とクロノはデバイスサイズの棒を持ってたんだ…。
 しかも、私たちはペアを変えながら2人一組だったよ…」

 虚ろな口調で述懐するフェイトにヴィータが気まずげに目を逸らし、他の者から同情の視線がフェイトに集まる中、隣の恭也が胸の前で両手を合わせた。

「ごちそうさまでした」
「速ッ!?」
「私、まだ半分くらいなんですけど」
『それは遅過ぎ』
「あれだけ手が止まっていれば当たり前でしょう。
 全員、食べ終わったらリビングに来てくれ。急いではいないからゆっくり食べてくれて良い」

 食器をシンクへ運んだ恭也がリビングのソファーに座ったのを見届けると全員が食事を再開した。いや、子犬モードで黙々と食事を続けていたザフィーラだけは、同じく食事を終えてリビンに向かった。

359名無しさん:2018/02/24(土) 21:15:40
 食卓に付いている女性陣は食事を再開した直後こそ話もせずに食べる事に専念していたが、誰からともなくアイコンタクトを始めた。
 別に会話を禁じられた訳ではないので気兼ねする必要はないのだが、恭也の様子を盗み見る様に伺っているためなんとなく後ろめたい気持ちが高まってしまう。
 そして、彼女たちには本人を目の前にして内緒話をするためのスキルが備わっていた。

<恭也さん、なんか雰囲気違わん?>
<そうですね、ちょっと緊張してるように見えますね>
<そうか?私には決意を固めた顔に見えるが>
<そうだね。どちらなのかは特定出来ないけどそんな雰囲気だ>
<はやて、恭也の用事って何か聞いてないの?>
<うん、話したい事があるとしか聞いとれへんな。
 フェイトちゃんは知らん?>
<…確か、何か返したい物があるって言ってたと思う>
<返す…?何か恭也さんに貸しとったっけ?>
<さあ…。あれ、でも『返したい物がある』のに『話したい事がある』って変じゃないですか?>
<確かにな。言い間違えにしても妙な間違え方だ>
<どっちにしても聞いてみんことには進まんな>

 そう結論を出したところで全員で合唱する。

『ごちそうさまでした』
「あれ、フェイトちゃん、結局全部食べたんやね」
「うん、いっぱい食べる事にしたから」
「なんかあったの?」
「…美由希さんは7歳の頃からお代わりするようになってたんだって」
「へ…?
 !恭也さんの手に余るほどやったんよね?」
「私の握り拳より大きいって」
「私は出遅れとるやろから頑張らんといかんな…。
 でも、これって下手したら単に太ってしまうんと違う?」
「私も朝食の後で気が付いた。でも、リスクを恐れたら何も得られないと思うんだ」
「…そうやね。
 運動してコントロール出来るかもしれん。努力代があるんやから怖がっとるだけではあかんな」
「がんばろう、はやて!」
「おうとも!」

 少女達が決意を固めている横では、彼女達に敵視されかねない女性が暢気に呟いていた。

「シャマル、主はやて達は何を」
「シッ!
 シグナム、今2人に話しかけちゃダメよ。私もそうでしょうけど、特にあなたは敵視されるわ」
「何を馬鹿な。私が主はやてに敵対するはずがないだろう?」
「良いから、今だけは言う通りになさい!
 忠誠心だけでは解決しない悩みって物もあるのよ!」
「…私に出来ることはないのか?」
「無いわ。
 時間が解決してくれる事を祈るしか、ね。
 成長するか、それが価値の全てではないと悟るか…
 恭也君のフェティシズムがマニアックならそれはそれでいいのかも」
「シャマル…、何の、話だ…?」

 暴走気味な女性陣の中でヴィータだけは一歩離れて背を向けていた。
 ただ、胸に手を当てている辺り、単に『賢明な判断』という訳でもないようだ。心なしか彼女の周囲だけ照明の明かりが届いていないようにも見える。

360名無しさん:2018/02/24(土) 21:20:10
 意志を確かめ合ったフェイトとはやては、恭也を待たせていることを思い出すとフェイトに食器を運んで貰い、はやてが先に車椅子を進めてリビングに入った。

「お待たせ、恭也さん…。
 何しとんの?」
「ん?
 見ての通りザフィーラを撫でているんだが?」

 恭也はテレビを見る習慣がないため、ニュース番組以外は自分で電源を入れる事は滅多にない。そして、女性陣が食事を済ませるまでの時間は何かを始めるには半端だったのだろう。
 手持ちぶさただった恭也が近くにいた子犬をかまうのはそれほど不自然なことではない。
 ただ、それが普通の子犬だったならば何の問題もなかったのだろうが、ザフィーラであったためはやてが絡む余地を与えてしまった。

「恭也さん、分かっとるん!?
 ザフィーラは筋肉ムキムキのお兄さんなんよ!?
 つまり、恭也さんはマッチョマンの頭を撫でとるんやよ!?
 ものっそい嘆美な世界が広がってしまうやんか!!」
「ええ!?
 恭也、男の人が良かったの!?」
「恭也君、いくら何でもマニアック過ぎるわ!」

 いきなり嫌な方向に盛り上がる3人に対して、一人と一匹は子犬の耳が僅かに揺れる以上の反応を見せることはなかった。過剰に反応すれば火に油を注ぐ事になるのは明らかだから無難なところだろう。

「…ヴィータ、あの3人は何を言ってるんだ?」
「あたしに聞くな。
 …ったく、恭也関係だと、どこまで本気なのか分かんなくなるんだよなぁ」

 3人から一歩離れて理解の追いつかないシグナムが小声でヴィータに問いかけると投げやりな返答が返ってきただけだった。
 ちなみに、この手の盛り上がり方をする時に何が話題になっているのか分からなくてもシグナムは恥とは思わない。『十中八九くだらん話だから分からなくても気に病むな』と、八神家に住んでいた頃の恭也から聞いていたからだ。ただし、『人間としての幅が広がるから少しずつでも覚えていくと良い』とも言われたため、こうしてコツコツと勉強しているのだ。
 この辺り、何度も恭也にからかわれているにも関わらずシグナムの中に占める恭也への信頼度はかなり高い。尤も、これはシグナムに限った事ではなかったりするのだが。

 まあ、そんな女性陣を恭也が気にすることなくくつろいでいるのは防衛だけとは思えない。腹が満たされているからだろうか?

「犬の頭を撫でているのを見てて、そういう発想が出てくるのは才能と言っても良いのかもな」
「狼だ」
「久々に聞いたな、その台詞。
 で、なんだったか…。
 そう、これに問題があるならはやては普段マッチョマンに抱きついていると言うことで良いんだな?それともザフィーラに、か?」
「ええ!?
 ちゃ、ちゃうよ!?
 私はペットに抱きついとるんであって、ザフィーラを男の人として見とる訳やないんよ!
 恭也さん、勘違いしたらあかんよ!?な?な!?な!」
「別に陰口を叩く気はないから安心しろ。
 俺の胸の内に仕舞っておいてやる」
「あかん!!それが一番あかんねん!!」

 恭也は無意識(の筈)にはやてにとって一番ダメージの大きい反撃を選び、最も恐ろしい仮定で論を結んだ。
 はやても自分の言いだしたボケなのだが、思いの外クリティカルな内容で反撃されたためモロに混乱しているようだ。
 一定の成果を確認すると、恭也の反撃の矛先ははやての隣で『意外な事実を知ってしまった』という顔ではやてを見ているフェイトに向かう。

「ちなみにフェイト、俺はちょくちょくアルフを抱きしめてる事になる。お姫様抱っになるのかハグになるのかはよく分からんがな。
 更に言うならあいつに仰向けになってせがまれた時には、腹やら何やら撫で回してやってるぞ?無論、着衣などない素肌をだ」
「きょきょきょ恭也、アルフの事、好きだったの!?
 …あ、そのダメな訳じゃ、ないんだけど、その、だって…
 や、やっぱり胸?胸なの!?
 それとも元気な子が良かったの!?
 あ、優しいところとか、明るいところとか、一生懸命なところ?それとも、もっと他の…
 …そうだよね、アルフ魅力的だもんね。恭也が好きになっても不思議じゃないや…」
「ふむ、アルフの取り柄が胸しか無いと思っている訳じゃないようで何よりだ」
「止めなくても良いのか?
 テスタロッサは本気で信じ込んでいるようだぞ?」
「特に嘘を吐いた訳じゃないんだ。
 物事を一側面だけで判断すると誤解する事が学べてちょうど良いだろう」

 本気で言ってるっぽい恭也にこの場を収拾する気はないようだ。

361名無しさん:2018/02/24(土) 21:23:30
 からかっていたはずなのにいつの間にか誤解を解く事に必死になっているはやてと、恭也に好きな相手がいると思い込み膝を突きそうなほど落胆するフェイト。
 絡みに行って軽くあしらわれたはやては兎も角、巻き添えを食らったようなフェイトは少々可哀想にも思うが、簡単に扇動されてしまうのも問題と言えば問題か。
 とはいえ、守護獣としては主とその友人が悲しみに沈むのを看過する訳にはいかない。勿論、無骨な自分が直接口を出しても好転するとは思えないので適任者に任せることになるのだが。

<シャマル>
<はいはい>
「はやてちゃん、フェイトちゃん、ちょっと落ち着いて。
 恭也君が言いたかったのは、ザフィーラの事もアルフの事も動物形態の時には見たままの姿で接してるってことなんですから」
「え?え?」
「…見たまま?」

 2人にシャマルの言葉に反応するだけの冷静さが残っていることにザフィーラが密かに安堵する。
 どちらも聡い少女なので、聞く耳さえあれば説明を続けることで誤解も解けるだろう。
 先の見通しが立ったことでザフィーラは改めて恭也の様子を伺った。投げっぱなしは良くある事だがいくらか違和感を感じたのも事実だった。

「…何かあったのか?」
「…特に自覚は無いが、質が悪かったか?」
「多少な」
「ふむ…。
 話が進まない事に苛立っていたのかもしれんな。話の内容にプレッシャーを感じているのか…?」
「話?主の軽口にか?」
「俺がこれから話そうとしてる内容に、だろうな。
 済まんな。大人げない真似をした」
「…謝るほどの事ではない」

『お前は十分子供なのだから』
 そう言葉を続ける事がザフィーラには出来なかった。
 これだけ頼りきっておいて、という後ろめたさと、一時期の不安定さは脱したとはいえ、やはり恭也の立ち位置を揺るがせる真似は避けたい、という不安。
 子供扱いされる事に反発するほど恭也が子供だとは思っていないが、そうする事で恭也の精神的負荷の増減が計れないザフィーラにはどうしても踏み込めない。
 恭也の特殊性を除いたとしても人の心は難しい。
 守護獣としてのプライドに懸けて弱音を晒すつもりは無いが、ザフィーラとしても心苦しい状況が続いていた。

「じゃあ、恭也さんはホントのホントに誤解しとらへんのやね?」
「しつこく念押しされると誤魔化そうとしてる気がしてくるから不思議だ」
「もう言いません!もう言いませんから、堪忍してください!」
「ふむ、フェイトも良いのか?」
「あ、うん。
 でも、別にアルフが恭也の恋人でも、私はその、構わない、けど…」
「その割には歯切れが悪いな。
 誤解したままでも構わないが、アルフを巻き込むのは本意ではないから一応言っておこう。
 成犬だろうが子犬だろうが獣形態に欲情するほど特殊な趣味・嗜好はしていないし、人型でも精神面が未熟な印象を受けるから恋愛対象という感じはない。
 口先での説明以外は出来んから信じるかどうかは好きにしてくれ」
「恭也君、どうしてそんなに投げやりなの?」
「別に。
 俺が同姓愛者だと思われようと、獣姦者(?)だと思われようと誰も困らないでしょう?
 まあ、変態と距離を取りたいと言われたら、…まあ別に良いのか」
『良い訳無いでしょ!』
「…間髪入れずに全員で突っ込まなくても」
「それほど下らん事を言ったという事だ」
「何度も言ってますけど、恭也君は早く自分を卑下する考え方を改めなくちゃダメよ?
 分かりましたね?」
「むぅ、まあ、善処するから」

 超希少な弱り果てた恭也の図。

362名無しさん:2018/02/24(土) 21:24:15
 傍若無人に見えて恭也はごく希にこんな感じで遣り込められることがある。
 だが、小馬鹿にしたり横柄な態度を取ることで人の精神を逆なでするところなどは、いくら注意しても聞き流されてしまう。
 違いは単純で、その行動が自分で決めたものかどうか、という点のようだった。
 いくら恭也といえども全ての行動を意志を固めて決断している訳ではない。
 だから、日常において何気なくとった行動には恭也の内面が、内罰的だったり自分を卑下する傾向が表れる事があり、その決意の無い行動は一般論を引き合いに出された程度で揺らいでしまう。恭也への心配が溢れた言葉なら覿面だ。
 転移事故から事件終結まで、恭也と接する機会がほとんど非日常であっただけに、誰一人として事件後の日常になるまで見る機会のなかった姿だった。
 そして、関係者一同はその事態を、恭也の不安定さを歓迎した。
 少女達は、単純に恭也の新しい側面を発見出来た事に。
 大人達は、平気で自己を蔑ろにする恭也の内面を改善する余地がある事に。
 だが。
 大人達は気付いていない。少女達もまた、それが恭也を助けるチャンスだと見定めている事に。
 少女達は気付いていない。それが、クリスマスの夜に自分達が成し得た成果である事に。

 そして、誰一人として気付いていない。この事態に他ならぬ恭也自身が驚愕している事に。

 『揺らぎ』とは『弱さ』だ。
 あらゆる状況で、あらゆる条件で、あらゆる敵対者に対して躊躇無く刃を突き立てなくてはならない剣士にとって、揺らぐ事、迷う事は有ってはならない事だ。
 だが、通常の感性を持った人間にそんな事は出来ない。
 訓練を重ねる事で、感情を理性で抑制して『作業』として殺人をこなす兵士を作り上げる事は出来ても、平均的な10歳という脆弱な精神では『兵士』のまま戻ってこられなくなる。
 自我が確立する前の幼児の頃から教育する事で殺人に忌避感を持たない子供を作り上げることは出来るが、それでは現代の日本の社会に解け込む事が出来ない。
 そういう意味でも恭也の奇跡的なバランスを持った精神の在り方は間違いなく偶然の産物だ。
 それを獲得した経緯が幸か不幸か?と聞かれれば間違いなく不幸な事だが、それでもその不幸を経験したからこそ先日までの恭也が在った。
 そして、その限りなく理想に近い姿が崩れた事に気が付けば、愕然とするのは当然だろう。

 それでも、恭也は前髪を掻き上げる動作一つでリビングの空気を引き締めた。

「いかんな、脱線ばかりだ。
 はやて、悪いが用件を済まさせて貰うぞ」
「え〜と、何か話しがあるんやったか?」
「ああ。
 借りていた物を返しにきた」
「借りてたもの?
 え〜と、ゴメン、何を貸しとったっけ?」

 はやてが素直に訪ねると、恭也は僅かに目を伏せた。
 その様子にはやての鼓動が一瞬、不安に乱れる。
 逡巡を振り払うように恭也が背筋を伸ばし居住まいを正すと、困惑していたはやてを先頭に全員が釣られるように背筋を伸ばした。




「今日を持って『八神』の姓を返上させて貰う」





続く

363名無しさん:2018/02/24(土) 21:45:35
03.苗字



 静寂。
 家族全員が揃い、あまつさえ2名の来客を加えた八神家としてはあり得ないほどの重い沈黙がリビングに満ちている。
 それほどの衝撃。

 恭也が身内を大切にする事は共に過ごした2ヶ月に満たない生活で見せつけられている。
 それは、粗末な『恭也自身の扱い』と比較すれば大切という言葉では表しきれないほどのものだ。
 その恭也が、八神の姓を捨てる?

 静寂を破ったのははやての守護騎士の将・シグナムだった。

「恭也」

 声量が大きかった訳でも語気が強かった訳でもないシグナムの声にはやてとフェイトの肩がビクッと揺れる。
 その反応に気付かない振りをしたまま、シグナムは確認しなくてはならない事柄を直球で恭也に問いかけた。

「それは、我々がお前の事を疎外したいと考えている、と思っているからか?」
「違う」

 恭也の即答に、全員の不安が僅かに薄らぐ。
 それでも、シグナムは留まる事無く、更に踏み込む。

「では、お前が我々との縁を切りたいという事か?」
「…」

 今度の問いかけには、即座に答えが返る事は無かった。
 その事実に全員が先程を上回るほどの衝撃を受けた。
 顔面を蒼白にして唇を震わせているはやてとフェイトの反応が最も顕著だったが、問いかけたシグナム自身も両目を大きく見開いた。

「…何故だ!?
 何故…」

 動揺したままシグナムが譫言のように呟く。
 言葉が続かないのは、浮かばないからだ。

 縁を切りたいほど、見限ってしまいたくなるほど、自分達は恭也を失望させてしまったのか?

 その悲観的な思考とは別に、冷静な部分が最も高い可能性に思い至る。

「まさか、自分の存在が私達の負担になると考えた訳ではないだろうな!?」
「ええ!?
 そうなんか、恭也さん!」
「てめぇ、恭也!ふざけんなよ、コラ!」

 シグナムの言葉に即座に反応したはやてと、即座に沸騰したヴィータが恭也を問い詰める。

「いや、待て、落ち着け。
 済まん、そうじゃないんだ」

 対する恭也は多少動揺している様で、片言の言い訳が返ってきた。
 恭也が本当に身を引く事を決心していたなら、どれほどの非難にも罵声にも懇願にも動じる事はないだろう。
 逆に言えば、今の恭也の態度こそが誤解である事を雄弁に語っているのだが、興奮している一同の中に気付く者はいなかった。

「どんな事態だろうが、そんな事してあたし達が喜ぶ訳ねぇだろが!」
「…そう言ってくれると思ったからその案は却下したんだ。
 全員、落ち着いてくれ。今のは誤解だ」

 ヴィータの激発を見て冷静になった恭也が、静かな声で否定したため、全員が睨みつける視線のままではあったが漸く聞く体勢を整えた。

「俺がお前達と縁を切りたがる事などあり得ない。逆なら兎も角な」
「私らだってあり得へんよ!」
「ああ、そう言ってくれるとも思っていたから最初に否定しただろう?」
「では、何故私が『縁を切りたいのか』と問いかけた時には無言だった?」
「うむ、言葉の意味を理解するのに時間がかかったんだ」
「日本語だっただろうが!」
「あまりにも想像の埒外だったから言葉が浸透しなかったんだよ!」
「でも恭也君、廃案にしたとはいえ身を引く事は考えたんでしょ?それなら予想外と言うほどではなかったんじゃないの?」
「『身を引く必要がある』のと『縁を切りたい』では180度違うだろう」
「じゃあ、恭也さんは私らと一緒に居たいって思ってくれてる訳やね?」
「…まあ、そういう言い方も出来るかもしれんな」

 はやての念押しに対してこの期に及んでも直接的な表現を避ける恭也を全員がジト目で睨む。
 勿論、それが恭也の照れ隠しであることが分かっているからこそのリアクションだ。
 どうやら全員、誤解だったと納得出来たようだ。
 しかし、そうなると最初の疑問に戻ってしまう事になる。

364名無しさん:2018/02/24(土) 21:47:43
「では、改めて聞くが、何故姓を返上するなどと言い出す?」
「言い方が不味かったのかもしれんが、目的は姓を『不破』に戻す事なんだ」
「ああ…
 それならそうと…、紛らわしい言い方をするな」
「そうは言うが八神姓を返してから不破を名乗るのが筋と言うものだろう?」

 恭也の弁にシグナムは漸く彼の意図を理解する事が出来た。
 元々は『不破』というその業界で有名な姓を名乗る事で危険を引き寄せてしまう事を危惧して、身を寄せたこの家の姓である『八神』を名乗るようになったのだ。
 家に来た当初こそ、単に『姓を借りたい』と言われただけだったため、仮初めとはいえ家族の一員になりたいのだ、と解釈していたが、恭也が管理局に行く直前の時期に本当の理由を教えられていた。
 ただ、それからも恭也は『八神』を名乗り続けていたし、そうする事に単なる偽名以上の愛着を見せてもくれていたのですっかり失念していたのだ。

 だが、理解が広がり落ち着きを取り戻した八神家のリビングでフェイトだけが表情に疑問符を浮かべていた。

「フェイトは納得がいかないか?」
「あ、そうじゃないよ。
 ちょっと聞き慣れないから上手く聞き取れなくて。
 フワ、で良いの?」
「そうか、フェイトは知らなかったな。
 俺の元々の、…前の世界での姓は『不破』と言うんだ。
 発音はそれで合ってる。
 文字は、不可能の不に破壊の破。
 意味合いとしては『破られず』…まあ平たく言えば『負けない』と言うことになるかな」
「凄い名前だね」
「まあ、全国の『不破さん』が皆、意味を気にしているとは限らないし、ましてや、体現出来る家系などそうは無いだろうがな。
 ただ、この名前はマフィアや殺し屋といった裏の世界で有名だから不用意に名乗ると要らん騒動を引き寄せる事があるんで隠していたんだ」
「裏の世界って…」
「想像はつくだろう?
 魔法の存在が知られていないこの世界で俺の剣術流派がどの程度の脅威になるかは」
「凄い事になるよね」
「まあ、銃火器と正面から戦えば勝率は下がるし、他にも同等の力量の流派が存在するからそれほど一方的ではないんだがな」
「他にもあるの!?」
「多くはないが、皆無でもない。
 それに、残念ながら俺の居た世界でもこの世界でも、名前通り『破られず』と言う訳にはいかなかったしな」
「あ…」
「む、済まん。一言余計だったな」

 珍しく失言を漏らした事に気まずげな恭也に、いけないと思いつつもフェイトは痛ましげな視線を向けてしまう。

 親族どころか家族同然の人達、加えてたった一人の肉親までもを一度に失ってからまだ2ヶ月だ。
 一度だけ不完全ながらも悲しみを吐き出させる事に成功したとはいえ、傷が癒えたとは到底言えないだろう。
 気の緩みと言えるのか、本当に極稀にこういった言動にその痕跡を垣間見せる事でもそれが分かる。逆に、普段の生活態度に表れない事が手放しで誉めて良い事なのかどうかの判断すら付かない。

 フェイトの表情から内心を読み取ったようで、話を逸らすように恭也が再び口を開いた。

「話が脱線したな。
 改めて言い直そう。
 はやて、八神の姓を返上させてくれ」
「…はい、確かに受け取りました」

 恭也の再度の申請を受理したはやての表情は、悲哀を隠し切れていなかった。
 無理もない。
 異性として意識する前から、兄として、家族として慕ってきたのだ。そして、異性として意識するようになってからも、その想いが無くなった訳ではないのだから。
 恭也は心理的な距離を取りたがっている訳ではない。
 理性ではそれが分かっていても、やはり文字として目で見えて、言葉として耳に聞こえればどうしても胸に痛みが走る。
 それは時間が解決してくれるだろう。
 それは時間にしか解決出来ないだろう。
 恭也もそう察しているのか、それ以上言葉を重ねる事はなかった。

「これで今から…不破恭也さん、やね」
「…ああ、ありがとう」

 色々な想いを織り交ぜた表情のまま、儀礼の様な遣り取りを交わす二人をヴォルケンリッターは口を挟む事無く静かに見守る。

 望みを告げる恭也を咎める事など出来るはずがない。
 受理したはやてを責める事など出来るはずがない。
 ただ黙って見守る事以外に出来る事など、何もない。

365名無しさん:2018/02/24(土) 21:51:27
 リビングを再び包む静寂を破ったのは恭也だった。

「さて。
 姓が変わったからといって俺自身が変わる訳ではないんだ。あまり深刻に考えないでくれ、と言ってしまうのは虫が良過ぎるか?」
「そんな事無いわ。
 みんなも突然だったからちょっと戸惑ってるだけよ。
 恭也君はもの凄く強引な所があるくせに、こういう所では遠慮し過ぎなの」
「そうだな。
 恭也は横柄な態度やからかうのを控えて、もう少しだけ自分自信の欲求に素直になっても良いと思うが」
「ザフィーラは子犬の姿でその渋い声は違和感有り過ぎるな」
「そう言うのを控えろと言ってるんだ」
「欲求通りに行動して婦女暴行にでも及んだらどうする気だ?」
「恭也君、どうして私を見るの!?
 もしかして私狙われちゃってる!?」
「2人しか居ませんからね。
 シグナムを押し倒すって現実的じゃないでしょ?」
「消去法!?しかも、口調がもの凄くどうでも良さそう!!」
「『本能に任せて動かない』のも欲求だろう。見ず知らずの相手であろうと悲しませたくない、と思うこともな。
 そもそも、今のお前にその手の欲望があるように思えんが?」
「肉体機能としては問題なさそうだし欲求も確かにある。
 ただ、『想いを交わす行為』という認識が強くて強要する気にも手軽に済ませる気にもならんな」
「そうか。
 …その認識は少々意外だな。古流というのはその方面でも動揺しないように、『単なる行為』として慣らしてるものかと思っていたが」
「概ね、その認識で間違ってない。
 少なくとも未経験のままでは仕事を請け負う事を禁じられていた。弱点になりかねないしな。
 俺が特殊なのは叔母達の教育の賜なんだろう。
 俺が成人する時どうする積もりだったんだろうな?」
「俺に聞かれてもな」
「はい、そこまで!」

 柏手を打ってまで話を締めたのはシャマルだった。
 恭也が視線だけで続きを促すと、シャマルは溜め息を吐きながら窘めた。

「この家には年頃の女の子がたくさんいるんですから、直接的な表現じゃなくってもそう言う話題は謹んで貰わなくちゃ困ります!」

 恭也が言葉に釣られるように周囲を見渡せば態度こそそれぞれ違うものの、シャマルの危惧を裏付ける光景が広がっていた。
 はやては背伸びをしたいのか平気な表情を装ったまま頬を紅潮させている。
 フェイトは顔色が見取れないほど俯いているのに耳や首筋まで真っ赤に染まっているので隠し切れていない。
 ヴィータなど、怒りに顔を紅潮させている、と思わせたいようでしかめっ面になっているのに視線がさ迷っているので丸わかりである。

「確かに不用意だったか。
 ところで、シグナムまで一緒になって赤面している様に見えたのなんて気のせいだ、うん。
 間違いなく気のせいなんだ!
 だからレバンティンを出すな!抜くな!構えるな!」
「からかうのは控えろと言ったそばからこれか…」
「恭也君のはコミュニケーションに近いから、あれを控えるとホントに無口な子になっちゃいそうよ?」
「…上手くいかないものだな」
「描写されてないからって、おわッ、ほのぼのと喋ってないで、と、ハッ!、こいつを止めろ!」
「やれやれ」

 恭也が壁を背にして鍔迫り合いするところまで追いつめられた所でシャマルが取りなした。
 小太刀の方が室内での取り回しで有利なはずだが、今回はシグナムの迫力勝ちだったようだ。それを表すように、恭也の顔が普段以上に仏頂面だ。
 ただ、先程までの静寂は何処にも無くなり、普段の八神家の空気を取り戻していた。
 ザフィーラは何処までが計算した行動なのかと問い質したくなる気持ちをぐっと堪える。

366名無しさん:2018/02/24(土) 21:53:23
「それじゃあ、恭也君もこれに懲りたら不用意な発言は慎む事。
 良いですね?」
「腰に手を当てて指を立てるな。言動が俺の嫌いな職種のものになってるぞ」
「私もスーツを着たらそれっぽく見えると思うんだけどどうかしら?
 放課後の個人指導とかって男の子の喜ぶシチュエーションって聞いたんだけど?」
「慎めと言った話題を俺に振るな」

 ジト目で睨む恭也に小さく舌を出しながら笑顔を返すシャマル。あまり多くない攻撃チャンスに調子に乗っているようだ。
 恭也がどういった反撃をするかと、黙って見ているつもりだったはやてだが、ふと浮かんだ疑問を恭也にぶつけてみる事にした。

「なあ、恭也さん。
 恭也さんは何で『不破』に戻そうと思ったん?
 あっ、いや、理由が無いとあかんとか言う訳やないんよ?本名なんやし。
 ただ、恭也さんは前の世界との繋がりは、無理してでもなのはちゃんのお父さん達から出来る限り隠そうとする気がして…」
「…そうか。
 …よく見てるな」
「え?」

 恭也の呟きが聞き取れなくてはやてが聞き返すが、聞こえなかったのか恭也は静かに目を閉じてしまった。
 考えを纏める為なのか、口にする事で何かが決まる事を躊躇しているのか、決まる事に対して覚悟を固める為なのか、それ以外の何かなのか。
 それは目を閉じた静かな表情から読み取る事は出来なかった。

「先に言っておくが、理屈なんて通ってないからな?
 …聞いているかもしれないが、俺の居た世界への移動は実質的に不可能と告げられた。
 だが、『だからこの世界に残る』とは言いたくないんだ。
 時空間を飛ばされた事は偶然だ。
 飛ばされた先がこの世界だった事も、その出口が散歩中のはやて達の眼前だった事も偶然だ。
 だが、俺がこの世界に残る事は俺自身が決めた事だ。
 此処に居る事が仮初めではないのだから、名乗る姓も仮初めのものにはしたくない。
 自己満足以外の何物でもないが、それが理由だ」

 説明を終えた恭也に視線が集まる。
 別に疑っている訳ではない。驚いているのだ。
 恭也が人の為に動くのはいつもの事だ。
 だが、自分の為に動く事は極端に少ない。
 趣味らしい趣味を持っているとは聞いた事がないし、自分の時間の大半を費やしている剣術すら、守りたい人を守るためだ。
 その恭也が、自分勝手な行動を、自分の感情を優先した行動を取ろうというのだ。

「そか。
 じゃあ、しゃあないな」

 恭也にそこまで思って貰えた。
 その理由には、きっと自分達の存在が占める割合もある筈だ。
 そう自惚れる事で良しとするべきなのだ。

「ありがとう」

 そう答えた恭也の表情を見てはやては思う。
 どうやら思っているほど自分は上手く笑えてはいないようだ、と。

「そういえば、これで恭也君と結婚した娘は苗字が不破になるのね」

 シャマルが唐突に発した言葉にはやての思考が停止した。

 …不破はやて?
 …悪くないのではなかろうか?

 視界の端に険しい顔が見える。
 フェイトだった。

 不破フェイト。いや、フェイト・不破か?
 どちらもちょっと語呂が悪いだろうか?
 日本人的には漢字の苗字に横文字の名前というのもしっくり来ない気がする。

「…?
 それはそうだろうが、どうして今そんな話が出てきたんだ?」
「あ、でも婿養子なら恭也君の苗字が変わるのよね?」

 なるほど。それなら正式に八神恭也になる。この響きはとても好ましいと思う。
 今度はフェイトも納得しているようだ。恭也・テスタロッサがお気に召したのだろう。

「…なぁ、ハラオウンの家でも時々あるんだが、この脈略のない話題転換は最近の流行なのか?
 それとも繋がりが読みとれない俺が鈍いのか?」
「恭也君が鈍いのよ。
 でも、そのままの恭也君で居てくれた方がお姉さん嬉しいわ」
「誰がお姉さんか!」

 からかわれて不満を表す恭也だが、それ以上続ける事はなかった。
 先程まで表情を曇らせていたはやてとそんな彼女を気遣わしげに見つめていたフェイトが、そろって夢見る少女風味の表情で壁を突き抜けた遙か彼方を見つめていたからだろう。
 尤も、恭也が心配そうな雰囲気を纏っている辺り、顔を曇らせているのとトリップしてるのでどちらが良い状態なのか判断に迷っているのかもしれない。

367名無しさん:2018/02/24(土) 21:57:30
「まあ、いい。
 それより、そろそろお暇させて貰う。なのはの家に挨拶に行きたいんでな」
『挨拶!?』
「!?
 ど、どうした?フェイト、はやて。
 急に戻ってきたと思ったら大声を出して」
「私、ずっとここに…、あ、そんな事より、なのはのご両親に挨拶に行くって、ほ、ホントに?」
「その積もりだが、どうしてそんなに驚いてるんだ?」
「恭也さん、もう…なのはちゃんに決めてしまったの?」
「…決める?」
「はやて、仕方ないよ。
 なのは、可愛いし、優しくて強いもの。
 事件中も凄く恭也を支えてたんだ」
「…そう、か」
「ううむ、ここまで理解出来ないと流石に寂しいものがあるんだが、ちゃんと伝わってないだけじゃないよな?
 念のために言い直しておくが、俺の事を説明しに行くんだぞ?」
「え、恭也の?」
「え〜と、お父さんとの関係とか、そういう事?」
「ああ。
 と言うか、他に何があるんだ?」

 確かに正常な判断が出来れば、小学生の男子が小学生の女の子の両親に『娘さんと結婚させて下さい』などとは言わない事くらい判りそうなものだ。
 言ったとしても普通は子供の言葉として本気にされないだろう。…相手が恭也の場合、外見と言動からして微妙なところだが。
 2人もトリップの方向性が違っていたら、流石に結びつけたりしなかったと信じたいところである。

「あ、あはは、そうやなぁ、他にあらへんやんなぁフェイトちゃん」
「そ、そうだよね。あはは、勘違いしちゃった」
「だから、どう勘違い出来るんだ?」
「ま、まあまあ、ええやん。それよりすぐ行くん?」
「先方の都合に合わせるさ。
 今は仕事中だろうから、夜か後日になるかもしれんな。
 喫茶店なら夕食前には閉店するかな?
 なのはに電話してみるか」
「あ、なのはちゃんなら今日、本局で会ったよ」
「本局?」
「うん。
 レイジングハートの調整や言うてたな。
 あ、そろそろ帰ってくる時間かな?」
「そうなのか?
 なら電話してみるか。
 …フェイトはどうする?」
「え?どうって…」
「元々、暇だったから俺についてきただけだろう?
 このままはやての家で遊んで行くか?」
「恭也はどうするの?」
「さっき言った通り、話が出来るのは早くても今夜だろうが、大した面識もないのに団欒の時間を割いて貰うという頼み事を電話越しに話すのも失礼だろうからな。
 店の混まない時間に直接頼みに行く積もりだ」
「そっか。
 はやてはどうするの?」
「私は特に用事も無いし、フェイトちゃんが遊んでってくれるなら歓迎するよ?」
「いっそのこと、はやてちゃんも一緒に遊びに行ってきたらどうです?」
「へ?」
「検査ばかりだったから体は平気でも気疲れしてるでしょう?
 家の事はやっておきますから、気晴らしに外出するのも良いんじゃないですか?」
「え、でも…」
「主はやて、シャマルの言う通り家の事は我々に任せて頂いて構いません。
 羽を伸ばしてきて下さい」

 シグナムの口添えにはやてが視線を転じると、ヴィータが微笑み返し、ザフィーラも頷いてくれた。
 はやても気疲れを感じていたのは確かなので、有り難く家族の好意に甘える事にした。

368名無しさん:2018/02/24(土) 21:58:00
「ん〜、そうか?じゃあお言葉に甘えさせて貰おうかな?
 そんな訳でフェイトちゃん、恭也さん、よろしく」
「ふむ。
 では、とりあえずなのはと合流するか」
「そう言えば、はやて。晩ご飯には帰ってくるんだよね?」
「そりゃそうや」
「よかった〜」
「ヴィータちゃん、どういう意味かしら?
 シグナム、ザフィーラ、どうして一緒に頷いてるの?」
「言葉通りだよ」
「必要なら詳しく説明するが?」
「謹んで辞退させて頂きます」
「シャマルの料理は出来れば避けたい」
「ザフィーラ!私、辞退したわよね!?」
「シャマル、お料理苦手なの?」
「味付けがちょっとな?」
「はやてちゃん、重要機密を漏らさないで!」
「何が機密だ。
 生煮えにならないようにと煮込み過ぎる点を伏せて下さっている主はやての優しさがわからんか?」
「シグナムが暴露してるじゃない!」
「サラダに入ってたキュウリのスライスがアコーディオンみたいに繋がってたのも笑えたけどな」
「ヴィータちゃん、これ以上いじめないで!」
「はやての家っていつも賑やかだね」
「せやろ?」

 一人悶えるシャマルをつついて遊ぶザフィーラとシグナムとヴィータ。
 数時間後にネタとして取り上げていたシャマルの手料理の数々を食べるハメになったのは、因果応報と言えるのかもしれない。




続く

369名無しさん:2018/02/24(土) 22:03:08
4.剣士



 八神家を出てから程なくしてなのはと合流した恭也一行は、現在高町家を訪問するべく歩みを進めていた。
 既に翠屋で高町夫妻に今晩のアポを取り付けており、店が閉まるまでなのはの家に遊びに行く事になったのだ。
 ちなみに、いつの間にやら恭也達3人は高町家の夕食に招かれる事になっていた。柔らかい物腰でありながら押しが強い辺り、リンディと桃子の共通点はかなり多いようである。
 経緯はどうあれ、強行に反対するほどの事では無いこともあって、決定事項に抗う者はいなかった。家への連絡も抜かりはなく、翠屋を出る前に恭也とフェイトはリンディに、はやては電話を取り次いだシグナムに夕飯をごちそうになる事を告げてある。
 電話を切る間際のシグナムの縋るような念押しの確認が印象的だった、とははやての弁。余程シャマルの手料理を恐れているのだろう。
 それは兎も角、町中から外れて周囲の喧噪が収まる頃、なのはが恭也に気になっていた事を問いかけた。

「そういえば、恭也君はお父さん達に何て説明する積もりなの?」
「どうもこうもない。転移事故で異世界から飛ばされてきた『赤の他人』だと話すさ」
「え!?何で『赤の他人』になるの!?」
「何でも何も、本人でなければ他人だろ?」
「よく似た世界とか平行世界とかの話は?」
「特にする積もりはない。
 それに、俺が居たのが理論上有り得ないとされていた酷似した世界だったとしても、平行世界だったとしても、俺は俺であってお前の兄ではない事に変わりはないんだ」
「でも、その…、お父さんは…」
「勿論、お前の父親と俺の父親も別人だ。
 容姿が似ていたとしても、同一人物じゃないなら他人としか言えないな」

 恭也の淡々とした口調になのはも口を噤む。
 確かに、その通りだ。
 だが本当にそれで良いのだろうか?
 例え八神家のみんなが家族として受け入れていても、ハラオウン家で暮らしていても、そうやって線引きしている限り恭也の心は独りぼっちのままではないのか?
 恭也がしたいようにさせてあげたいと思う反面、意識してか無意識でか距離を取ろうとする恭也の態度を寂しいと思ってしまう。

「ックシュ」

 やや重くなった空気に可愛らしいくしゃみが響いた。
 注目を集めた事にか、雰囲気を無視したような格好になった事にか、フェイトが居たたまれなさそうに顔を赤らめ首を竦める。
 一月中旬という時期柄、吹く風はかなり冷たいのだからくしゃみくらいは無理もない。
 歩いているフェイトがそうなのだから、恭也に車椅子を押されているはやては一入だ。恭也の忠告に従わずに見た目重視のスカートにハイソックスを押し通していたら芯まで凍えていただろう。
 フェイトには悪いが空気が軽くなった事に内心でホッとしながらはやては話題を変えることにした。

「フェイトちゃん、随分冷えるけど大丈夫か?」
「う、うん」
「そうか?
 まあ、私も恭也さんの忠告聞いとらんかったらヤバかったやろな」
「それは何よりだ。
 だが、まあ、なんだな。達磨になるのは遣り過ぎじゃないのか?」

370名無しさん:2018/02/24(土) 22:04:26
 恭也の合いの手に内心で喜びつつ、表情をしかめて反論する。

「それは大袈裟やろ?失礼な。
 そもそも、こないに可愛いダルマなんてあらへんわ」
「冬眠直前の皮下脂肪を蓄えた熊と言ったところか」
「もっと失礼な!誰が熊やねん!」
「そうだよ、はやてちゃんはもっと可愛いよ!」
「うん。クロノが言ってたよ、はやては子ダヌキだって」
「そうそう。
 可愛い可愛い子ダヌキや!ってちょっと待てい!」
「フェイト、それは外見より中身を評したものの筈だ。
 恐らく4:6くらいの割合で」
「内面6割かい!いや、外見4割も十分失礼やけど!」
「え?タヌキ可愛いよね?」
「なのはちゃん、それフォローになっとれへんから!」
「えぇ!?可愛くない!?」
「そことちゃうねんて!私が言いたいのは!」
「違うの?」
「狸は狐と並んで人を化かす生き物とされているんだ。
 人を陥れる様な悪質なものから、からかう程度の軽いものまで幅は広い。
 それにしても、大した接点も無いはずなのにはやての本質を見抜いている辺り、ハラオウンを甘く見ていたようだ」
「感心するところちゃうやろ!」

 先ほどの重い空気が消えて、賑やかに連れ添って歩く。
 そんな一同を高町家で出迎えたのは、高町兄こと恭也と、高町姉こと美由希だった。

「ただいまー」
『お邪魔します』
「いらっしゃい」
「いらっしゃい。
 母さんから電話で聞いてるよ。みんな、夕食も食べてくんだよね?」
「美由希は台所に近づくなよ?」
「酷ッ!?」
「クリスマスに何をしたかもう忘れたか?
 寒かっただろう?兎も角上がってくれ。
 はやてちゃんは車椅子ごとの方が良いかな?」
「あ、すいません。
 タイヤを拭ける雑巾か何か貸して貰えますか?」
「ああ、ちょっと待っててくれ」
「いや、俺が運びますよ。
 流石にバリアフリーになってる訳ではないでしょう?
 はやて、掴まれ」
「へ?
 わ!?ふわわわわわ!?」

 その場にいる全員が言葉の意味を理解する前に、恭也がはやての膝裏と肩に腕を回して抱き上げる。
 普段、風呂など車椅子の使えない状況でシグナムやシャマルに抱き上げられている為に、持ち上げられたはやては条件反射で恭也にしがみついた。
 軽々と持ち上げられたはやては顔を真っ赤にしながら恭也の腕の中で心底から思った。恭也の忠告通り厚着をしてきて良かったと。
 動きを阻害される事を嫌う恭也は雪が降る程度の気温であっても厚着をしないため、はやても無理して薄着をしていたら恭也の逞しさとか温もりとかいった諸々の物を直に感じ取って脳みそが沸騰していたかもしれない。
 シグナムに抱き上げられた時だって十分な安定感があって不安に思った事など無いのに、恭也の腕の中だと不思議なほど安らげるのはどうしてだろう、などと停止寸前の思考で考えていると恭也の声が聞こえてきた。

「はやて、襟を放して貰わないと離れられないんだが?」
「へ?
 …ごごごごごめんなさい!」

 いつの間にかリビングのソファに下ろされていた事にも気付かずにしがみついていたはやては、恭也の声で漸く我に返って大慌てで手を離した。
 ドクンドクンと激しく力強く脈動する心臓と火照る頬から自分の顔がどうなっているか予想出来たはやては、顔を隠すように俯く事しか出来ない。

「外見が似るとこういう所も似るものなんだねぇ」
「美由希、何の話だ?」
「女の子はいろいろと大変だよって話」
「…そうは聞こえなかったが?」
「そうなの。ねー?」
「えっと、お姉ちゃんの言う通り、かな?」
「多分、合ってると思います」
「むう」

 間違いなく自分への悪口だと思っていたのに、なのはとフェイトに同意されてしまったため追求出来ない高町兄。
 末妹に激甘な彼は、最近急速に子供から女の子に変わっていくなのはに困惑する事が多くて困っていた。素直な所や優しい所が無くなっていないのがせめてもの救いだろうか?

371名無しさん:2018/02/24(土) 22:06:44
「そういえば私も恭ちゃんも当然の様に同席してるけど、外した方が良かった?
 何をする予定か知らないけど、今、する事無いから私も交ぜて貰えると嬉しいんだけど」
「晩ご飯まで一緒に遊ぼうと思って集まったんだけど、まだ何するかは決めてないんだ。
 このままお話してても良いし、ゲームしても良いし。
 誰か、何かやりたいことある?」

 なのはが一同に意向を尋ねるが、知り合って間もない高町兄妹が含まれているせいか、フェイト達に意見を出す様子がない。
 フェイトはもともと人見知りの傾向があるし、恭也に口を開く様子は無く、はやては現在自分の事で手一杯なのであまり期待は出来そうにないのだ。
 美由希もそれを察した様で、交ざりたいと言い出した手前、と言うよりは、知りたくてウズウズしていた事を訪ねてきた。

「じゃあさ、魔法のお話とか聞いても言い?」
「また?お姉ちゃん、最近その話ばっかりだよ?」
「うぅ、だって本の中にしか存在しないと思ってた魔法が実在したんだよ?知りたくなるじゃん!
 最近、ユーノも家にいないし、なのははあんまり知らないし、こんなチャンスあんまり無いんだから」
「ユーノ君みたいに答えるなんて無理だよぉ」
「ユーノ、居ないの?
 あ、無限書庫か。エイミィが報告書のデータがスムーズに手に入るから助かってるって言ってたっけ」
「うん。
 朝、会ったときにお仕事頑張ってるって言ってたよ。
 はやてちゃんも魔法は最近使えるようになったばっかりだから、今、お姉ちゃんの質問に答えられるのはフェイトちゃんだけかな?
 あ、はやてちゃんはリインフォースさんの知識も受け継いでるんだっけ?」
「まあ、経験や実感の伴わん上辺だけの知識になってまうけどな。
 美由希さんは読書されはるんですか?」
「えっと、それなりに」
「図書館のヌシって呼ばれてるんだって」
「なのは!?」
「ヌシとは凄いですね。
 私も市の図書館には結構通ってたんやけど、美由希さん位の年の人は勉強ばっかで本を読んでる人は見かけませんでしたわ。
 同年代の子はすずかちゃんくらいやったし」

 復活したはやてが本という単語に反応した。
 遊びたい盛りの年齢のため同年代の図書館利用者は少ない。
 だからこそ、すずかの存在が浮き彫りとなり交友を結べたと言えるため悪い事ばかりではない訳だが、やはり共通の趣味を持つ人物は多い方がはやてとしても嬉しいのだ。

「あ、はやての姿は何度か見かけたよ?」
「え、そうなんですか?」
「なんとなく眺めてたら、赤味がかった髪の凛々しいおねーさんに睨まれちゃった」
「あー、シグナムの事やろな。
 すいませんでした。少し前までいろいろありまして敏感になっとったんですよ」
「ああ、大丈夫だよ。気にしてないから。
 それに多分、私が剣術を習ってるから警戒されたんだと思うし」
「美由希さんも習ってはるんでしたね。全然ごつい印象が無いから忘れてました」
「あはは、ありがと。
 でも、服で隠れてるだけで、結構ごつごつしてるんだよ?」
「そうなんですか?
 でも、その、凄くスタイルもええらしいし…」
「え、スタイル?
 そ、そんな事無い、…え゛!?」

 謙遜しようとした美由希がはやての言葉の根拠に思い至りぎこちなく恭也へと顔を向けると、ワザとらしく視線を逸らされてしまった。
 それを見て、胸を鷲掴みにされた事実がその感触ごと蘇り、美由希は一気に首筋まで紅く染めた。
 美由希の失態から危うくクリスマス会を潰しかねない大惨事になるところを助けて貰ったのだし、故意ではなかった事も考慮すれば感謝こそすれ責める要素は何処にもない。
 勿論、美由希もそれは承知しているし、実際に感謝の念はあるのだが、だからといって恥ずかしくなくなる訳ではない。
 羞恥に沈黙した妹に変わって、今度は兄が口を開いた。

「戦闘態勢にない美由希の力量に気付いたということは、そのシグナムさんは魔法使いじゃないのかな?」
「え?シグナムも魔法は使いますよ?」
「そうなのかい?」
「なんかおかしんですか?」
「いや、そういう訳ではないんだ。
 ただ、立ち居振る舞いから武術家としての実力を読みとる洞察力は、同じく武術家としての経験を重ねないと身に付かないものなんだよ。
 だから、なのはは勿論だけど、フェイトちゃんも普段の美由希から剣士としての技量は読みとれないだろう?」
「あ、はい…」
「ああ、別にだからといって『剣士より魔法使いの方が劣ってる』なんて言うつもりはないんだ。
 単に、専門分野の違いでしかないからね。
 ただ、魔法使いとしての能力の高さとは別問題だって言いたかっただけだよ。
 ひょっとして、シグナムさんは武術の実力も高いのかな?」
「はい!
 剣の形をした『魔法の杖』を持っとって、魔法使いであり剣士でもある『騎士』、それがシグナムです!」

372名無しさん:2018/02/24(土) 22:08:51
 我が事の様に嬉しそうにシグナムの自慢をするはやての様子に、微かに目尻を下げながら恭也が続けて述べた。

「なるほどね。
 日常の、特に図書館に居る時の美由希は、本に囲まれてる嬉しさに惚けてて表情や雰囲気では『闘う者』には見えないから、それが見抜けるのはかなりの力量だろうね。
 出来るなら一度魔法抜きで手合わせ願いたいな」
「伝えときます。シグナムも喜ぶ思います。
 でも、本人は、魔法抜きだと恭也さんに10本中5本は取れへんだろうって悔しがっとりましたよ」
「え?俺に?」
「あ、スイマセン。
 高町さんやのうて、こっちの恭也さんです」
「ああ、そうか、済まん」

 流石に同じ場所に同じ名前が2人いるとややこしい。
 この子達が『恭也』と言ったら彼の事だと思った方が良さそうだが、反射的に反応するのを抑えるのは難しいだろう。
 そんな事を考えていた恭也は、先ほどから彼が会話に参加していない事に思い至り、何の気無しに話を振ってみた。

「そういえば、八神君の腕前もまだ見た事がなかったね。
 相当な剣腕なのは見て取れるけど、機会があれば一度手合わせして貰えないかな?」

 その言葉に反応を示したのは、彼ではなく少女達だった。
 怯えているのだろうか?
 表情を強ばらせ、それでも口を挟まない少女達を不思議に思い、向けようとした意識を引き留めようとするように彼が口を開いた。

「不破です」
「…え?」
「『八神』の姓は事情があってはやてに借りていたんです。
 本名は不破。
 不破恭也です」
「ええ!?
 不破って、え!?どう言う事!?だって、それじゃあ、」
「美由希、落ち着け」
「だ、だって恭ちゃん!」
「いいから落ち着け」

 完全に取り乱した美由希に対して、恭也は僅かに目を見張るだけで直後には平静を取り戻していた。
 そんな恭也に通じる高町兄の自制心の強さを見ても尚、少女達は思う。
 やはり、不破恭也と高町恭也は違うのだ、と。

 恭也なら、あの状況、あのタイミングで伝家の宝刀を振るわないなんて有り得ない!

 そんな馬鹿げた事を可愛い妹達が考えているとは露ほども知らず、高町兄妹は恭也を真剣に見据えていた。

「『この世に偶然なんて無い。全ては必然だ』」

 唐突に切り出された高町兄の台詞に困惑する女性4人に対して、男2人は感情を読ませないよく似た仏頂面をつき合わせたまま話を進めた。

「そういう考え方があるのは知っているし、きっとそれは本当のことなんだろう。
 だが、『因果の繋がりを知る術』を持たない俺には、例え『それ』が必然であっても何を意味するのか理解出来ない。
 そして、無闇に恐れたり過剰に警戒する事は、思考から柔軟性を奪い、本当に必要な時にとっさの対応が出来なくなる。
 だから、不要な警戒を解くために、俺は『偶然は存在する』と考える事にしている」

 話の内容が理解出来ているか確認するために言葉を切ると、彼が微かに苦笑している事に気付いた。既に恭也が言いたい事は察しているのだろう。
 それでも妹達に説明するために話を再開した。

「勿論、全てを偶然として捨ててしまう訳にはいかない。
 だから、直接的な危険性のない事象だったとしても、3つ重なれば警戒する事にしてる。
 そして、君の存在の不自然さについては、不破の姓で偶然が3つ揃った事になる」
「2つじゃないの?
 お兄ちゃんとよく似てる事と苗字の事でしょ?」
「3つ目は彼の剣術が小太刀の二刀流であることだ」

 恭也への警戒を解きたいなのはが兄の考えを否定しようとするが、即座に答えが返された。
 高町家ではなのは以外知らないはずのその回答にフェイトとはやてが反射的になのはを見やる。
 恭也の事を話したのかと問いかける視線に、なのはは慌てて勢いよく首を左右に振る。
 そんなやり取りに僅かに苦笑を漏らした兄が妹をフォローするように言葉を足した。

373名無しさん:2018/02/24(土) 22:10:47
「見ていれば分かるんだよ。
 歩法や人との距離の取り方、視線や筋肉の付き方、その他諸々の事を総合すると、扱う武器の種類や射程範囲が推測出来るようになるんだ。
 例えば、フェイトちゃんは両手持ちの槍か斧に近い武器じゃないかな?」
「あ、はい。
 斧、と言えると思います」
「すごーい」
「ホンマにわかるんやねぇ」

 素直な賞賛に恭也が苦笑を漏らす。
 不要に恥をかきたくはないのでそれなりに確信を持って口にしたのだが、実は、フェイトの所作から読み取れる情報は酷く曖昧だったため、少々不安に思っていたのだ。
 フェイトは武術単体についての練度がそれほど高くない(無論、基準は御神流である)上に、飛翔魔法を駆使した空戦を前提としているためか、歩法もそれほど熟練していない。
 更に言うなら、魔法を攻撃手段として持っている事から武器の間合いとイコールとなるはずの射程範囲が不鮮明だったのだ。
 勿論、これらは魔法が存在しない(正確には存在が認められていない)地球で発達した武術の視点での話だが。
 そんな訳でこっそりと安堵していた恭也に、対面に座る少年の視線が届く。特に感情を表していない表情であったが恭也には分かった。この視線には多分にからかいが含まれていると。
 彼の実力からすればフェイトの技能が読み取り難い事も分かっているだろうから、武器の推測が何割かの偶然を含んでいた事も見抜かれているだろう。
 バツが悪そうに僅かに視線を逸らしつつ、彼は初対面で見抜いたのだろうか?と考えている恭也は知らなかった。不破恭也が下着の柄を暴露してまで、フェイトに戦闘態勢を取らせて情報収集に勤しんだ事を。

「話を戻そう。
 容姿は兎も角、小太刀の二刀流と不破という姓。
 それらは俺達にとって無視する事が出来ないものだ。
 そして、俺には過去に、未来の自分と出会うという経験は無い。つまり、君は俺ではない。
 君は一体何者だ?」

 一般的には考慮の必要が無いはずのタイムワープを真面目に検討している辺り、高町兄も決して非常識な経験に事欠いていなかった事がよく分かる。
 そして、その非常識に対処出来る自分自身の存在が、負けず劣らず非常識なのだとは思っていない辺りが彼らの共通した非常識さなのだった。
 それは兎も角、視線を強めて恭也を見据える兄になのはは口を挟む事が出来なかった。
 兄の視線には敵意こそ含まれていなかったが虚偽を許さない鋭さがあったからだ。
 『別の世界からの漂流者』という説明だけで、果たして兄や姉、ひいては父の不信感を拭い去る事が出来るだろうか?
 更に、全てを突き放すような恭也の考えを変えられないかと悩んでいたなのはは、夕食後まであった筈の猶予が突然無くなった事に焦燥感を募らせた。
 そんななのはの心情を知ってか知らずか、高町兄は前言を翻す様に視線を緩めた。

「と、まあ、その辺りの事を説明しに来てくれたと思って良いのかな?」
「ええ」
「それなら予定通り父さん達が揃う夕食後にしようか」
「あ、そっか。だから、さっき私の事止めたんだね?」
「そう言う事だ」

 その兄妹の会話に少女達も安堵する。
 勿論、言葉の内容そのものにではなく、理性的な判断を下せる冷静さを失っていない事に、だ。たとえ不信感を煽るような事柄が並んでいようと、それだけで恭也を危険視したりはしないでくれているのだから。
 尤も、その何割かが、自分達の全幅の信頼を寄せる態度に因るものだとまでは3人共気付いていなかったが。
 だが、その結論で話を纏めるのであれば、彼もここまで回りくどい言い方をしなかっただろう。
 だから、この話題が終了したと思って気を緩めた美由希を含めた少女達とは対照的に、続く言葉を予想して僅かに眉間に皺を寄せる不破恭也と、予想されている事を承知して微かな笑みを浮かべる高町恭也が視線をぶつけ合っていた。
 2人の様子に気付いた妹達が口を開く前に、恭也が続く言葉を口にした。


「それじゃあ言葉の説明では分からない部分を見せて貰えるかな?」





続く

374名無しさん:2018/02/24(土) 22:16:52
5.感情



「お断りします」

 その非常に簡潔な拒否の言葉が『言葉では示せないものを見せろ』という高町恭也の言葉に対する不破恭也の返答だった。
 しかも、刹那の間も無いほどの即答だった。
 即決即断、と言うより条件反射だったのではないかと疑いたくなるほどだ。
 その僅かな躊躇も無い返答の内容に唖然とする美由希。
 そもそも、高町恭也が具体的に何を要求したのかピンと来なかった為に困惑している3人。
 そして、これ以上無いほどあっさりと断られたにも関わらず動揺した様子を見せない恭也。
 リビングを沈黙が支配し少女達がその重さに不安に駆られ始めた頃、自発的な発言を諦めた恭也が理由を問いかけた。

「理由を聞いても良いかな?」
「理由が無いからです」

 またもや酷く端的な、と言うか素っ気ない言葉が返ってきた。
 『剣技を見せる理由が無い』と言っているのだとは思うのだが、何と言うか、こう、ひょっとして俺、嫌われてる?

「理由って、手合わせする理由って事?」
「ええ。
 俺の存在を説明する事と技量を見せる事には何の関連もありません」

 美由希の問いかけには僅かながらも補足説明が付いている辺り、随分と態度に違いがある気がする。
 …そっくりの容姿で男と女で態度を変えるほどの女好きとかはやめて貰いたいのだが。
 そんな風に現実逃避した思考を、ため息の代わりにゆっくりと瞬きする事で追い出した。

「ええっと、私も見てみたいかなぁ、なあんて」
「見せ物ではありません」
「…だよねー」

 同じ可能性に気付いたらしい美由希が、念のため程度に提案するが、当然の様に断られた。…いやまあ、そこで翻意されてもそれはそれでショックだっただろうが。
 もう一度、静かに目を閉じる。

 きっと、この違いは俺に対する怒りだ。
 腹に据えかねるほど、彼の目から見た今の俺の姿は『堕落した自分』に見えるのだろう。

 そう確信するほど、恭也はクリスマスの夜に初めて彼と対面した時に衝撃を受けた。
 まるで、極限まで薄く鍛えた刀の様な印象だった。
 風に吹かれただけで折れてしまいそうな危うさながら、だからこそ、触れただけで切り裂かれそうな鋭さを持った一振りの刀。
 それは、父・士郎が護衛中の負傷により入院していた時期に、恭也が渇望した『家族を守るための理想の姿』だった。
 同時に、どれほど望もうとも至る事の出来なかった在り方だった。
 後になって、あの時の彼は精神的に極限まで追いつめられた状態だったのだと知ったが、だからこそ、普段であれば包み隠しているであろう彼の本質が如実に現れていたのだと思う。
 そんな彼だからこそ、今の自分の在り方は、きっと我慢の出来ないものに違いない。手合わせなど検討する余地もないほどに。
 そう締め括ろうとしていた恭也の思考を遮ったのは、まるでイタズラした子供を諭すように話しかける末妹だった。

「良いの?恭也君」

 その穏やかな口調と母性を感じさせる眼差しを恭也に向ける幼い妹に、兄と姉が揃って目を見張る。
 対する恭也は、微動だにすることなく、淡々とした口調で問い返す。

「何がだ?」

 動揺に顔色や表情を変える事はなく、向きになって声を荒げる事もない。そして、なのはと視線を合わせる事も、ない。
 なのははその態度に言及することなく、変わらぬ視線で恭也の言葉にただ応える。

「『あの時』とは違うから、無理してでもって言うつもりは無いよ?
 だから、お兄ちゃんのお願いを断る事が恭也君にとって良い事なら、私からはこれ以上何も言わないよ」
「俺が逃げだそうとしていると言いたいのか?」
「どうなのかな…
 ホントの事を言うと、今の恭也君がちょっとだけ辛そうに見えただけなんだ。
 ホントに辛いのかも、どうしてそう見えたのかも分からないの。
 ただ、もしもそれが断った事と関係してるなら、もう一度恭也君にとって一番良い方法を考えて欲しいなって思ったの。
 言いたかったのはそれだけ」

 そう締めくくると言葉通りなのはは口を閉ざした。
 それが、決して見放した訳ではない事は慈愛を湛えた眼差しからも分かる。

375名無しさん:2018/02/24(土) 22:19:14
 美由希は、背伸びした様子もなく大人の女性の様に振る舞うなのはの成長が嬉しいような、子供だと思っていた妹にいつの間にか追い越された焦りのような、そんな複雑な気持ちに戸惑う一方で、冷静になのはの言葉が的を外したものだと予想していた。
 正直なところ、美由希には八神君改め不破君が辛い思いをしているかどうか分からなかった。ただし、彼が兄・恭也に対してどのような感情を抱いたのかは想像が出来た。
 彼が抱いたのは、きっと同族嫌悪だ。
 この結論は、恐らく兄とも妹とも違うだろう。
 兄が自身の評価を極めて低く設定している事は知っていたし、妹が彼の人物像を多少ながらも美化している事も想像がつくからだ。
 だが、余程のナルシストでもない限り、人は自分の短所にコンプレックスを持っているものだ。そして、一般的に長所よりも短所の方が目に留まり易い。だからこそ、自分とよく似た人物と出会うと、自身の短所を客観的に見せつけられるようで嫌悪感を抱くのだ。
 不破君とはそれほど言葉を交わした事はないが、それでも彼の価値観が兄とそれほどかけ離れている訳ではないことは察する事が出来ていた。
 ならば、極端に自分自身に厳しいであろう彼にとって、どれほど多くの長所があろうと、他の人からの評価がどうであれ、兄の姿を通して映し出された自分の姿は許し難いものだったのではないだろうか?
 そして、なのはが見いだした彼の辛い想いとは、コンプレックスを刺激された事で生まれたものなのではないだろうか?
 だが、そうであっても、身内に優しいであろう彼がなのはの気遣いに応えて試合の申し出を受けるだろう事も美由希には予想出来た。
 ただし、全てが予想通りに進むほど、この世界は優しくもなければ単純でもなく、何より不破恭也は甘くないのだった。

「…相変わらずなのはは容赦がないな。
 『逃げてないで向かい合え』とは」
「えぇ!?
 私、ちゃんと無理しなくていいって言ったよね!?」
「そうだったか?
 俺には『剣術しか能がないくせに、女々しい事言ってるんじゃない』という副音声の方がインパクトが強くて良く覚えていないんだが」
「言ってないし、思ってもいないよ、そんなこと!」
「あ〜、なのはちゃんはスパルタやからなぁ」
「納得しないでよ、はやてちゃん!」
「そうだよ!それはなのはの優しさなんだから!」
「フォロー、だよね?
 フォローなんだよね、フェイトちゃん?」
「しかし、それを優しさと解釈するのは、『全力全開で打ち落とす!』という台詞に『お話きかせて?』というルビを振る位に無理がないか?」
「そ、そんなこと、しないもん…」
「…どうして目が泳いでるの、なのは?」
「なのは、まさか、本当に…?」
「ち、違うよ、お姉ちゃん!お兄ちゃん!」
「ほう、違うのか?
 アルフとハラオウンから聞いたフェイトとの馴れ初めでは、欠片ほどの容赦も無くトドメを差しにいったと聞くがな。
 …すまん、フェイト。青褪めながら震え出すほど傷が深いとは思ってなかった」
「そそんな事、ない、よ?」
「むぅ。
 フェイトでこの調子では、ヴィータももう一度『話し合い』に持ち込まれていたら危なかったかもしれんな」
「なななななのはちゃん!ううう家の子等に手を出すなら、わわた、私が相手、に…う、うう」
「し、しないよ、はやてちゃん!?私、そんな事しないからね!?」
「はやて?
 …なにやら本気で怯えているようだが、全力モードのなのはの姿を知っているのか?」
「…はやて、魔法戦闘に慣れてきたからって、この間なのはと模擬戦したんだ」
「なるほどな。
 『鉄は熱い内に打て』とは言うが、レベルが低い内にトラウマを植え付ける事で、将来的に反抗出来ないように深層心理に刷り込んでいるという訳か。
 やるじゃないか、なのは」
「そこは諺をねじ曲げてまで感心しちゃうんだ。
 それにしても、知らない間になのはが凶悪になってるみたいで、お姉ちゃん、なのはの将来が心配になってきたよ」
「あ、あれは、はやてちゃんがビックリするくらい強かったからいつの間にか熱くなっちゃって…
 …ごめんなさい」

 みんなから集中砲火を食らい続けた結果、からかわれているだけだと分かっている筈のなのはがとうとう涙目になるほどヘコんでしまった。
 この辺り、如何に天才的な魔導の才を持ち、絶望的な状況でも折れる事のない不屈の心を持とうと、まだまだ小学3年生である。
 そして、あやすように優しく頭を撫でる恭也を上目遣いでそっと窺い、恭也の顔に浮かぶ微かな笑みと優しい眼差しに頬が仄かに色付いている辺り、立派な女の子でもある。

376名無しさん:2018/02/24(土) 22:23:08
「さて、と。
 憂さ晴らしも済んだ事だし、話を戻そうか」

 そう切り出した恭也の様子が普段の泰然とした雰囲気を取り戻している事にはやてとフェイトも安堵した。
 高町家を訪れてから、もっと言ってしまえばなのはの兄と対面してから、恭也の態度が少しずつ堅くなっていくのを2人も感じていたのだ。
 だから、恭也の心境を察するには至らなかった事も一因とは言え、恭也のために行動する事が出来ない不甲斐ない自分に心が沈み、行動出来るなのはを羨んでしまう。
 はやてははやてなりに、フェイトはフェイトなりに恭也を支えているのだが、美由希の考え通り成功よりも失敗の方が印象に残り易いのだ。そして、それはなのはとて例外ではない。
 当然の事と考えて何気なく採った行動こそが恭也の助けになっている場合が多いため、尚更本人達は自覚出来ていない。そして、人を羨む様な考え方自体を恥ずべきものと考えている3人は、互いが互いを羨んでいるなどとは夢にも思っていないのだった。
 人生経験の浅い小学生なのだから当然とさえ言える結果ではあるのだが、恭也の事を鈍感と認識している自分達自身もまた、五十歩百歩だと気付けるのはまだ先の事なのだろう。

「きょ…高町さん。
 先程の『確かめたい』という言葉は、手合わせする、と解釈して良いんですね?」

 妹達とのテンポの良い会話から一転して、自分の呼称に迷う少年に名状し難い想いが過る。
 単に彼自身と同じ名前を口にするのに抵抗があると言うよりは、自分を『恭也』とは認めない、という意思表示なのだろう。
 無理もない事だと自分を納得させて、恭也は努めて感情を殺しながら先を促した。

「…ああ、それであってるよ」
「先程も言いましたが、俺の技量自体は俺という存在を説明する上で何の関わりも無いはずですが?」
「確かに技量の高低は関係ない。個人的に興味はあるがな。
 だが、手合わせで見たいのは技量ではなく剣技そのものだ。
 君の修めた剣術流派の思想を知るには手合わせするのが一番だからな。
 どんな戦いを想定して、何を勝利目標にするか。
 そういったものは戦い方に反映されるから、たとえ道場での手合わせであっても見えてくるし、勝敗にも左右されない。
 勿論、手合わせ自体、無理強いするつもりはない。だから、わざわざ曲解して『技量』なんて言い出さなくても普通に断ってくれればいい」
「それをわざわざバラす辺り、外見からは想像出来ないほど性格が悪いようですね」
「…まあ、身内からは意地が悪いとよく言われるんだが、これだけよく似た容姿でその台詞が出る辺り、君も良い性格してるね」
「ええ、性格が良いとはよく言われます」
「面の皮も厚いようだ」

 無表情のまま互いを皮肉る様子は、鏡に向かって自分を婉曲に罵倒しているようで、見せつけられている少女達の方が居たたまれない。
 そんな事は知った事かと言わんばかりに眉一つ動かさずに口を閉ざした少年を、恭也も静かに見据え続ける。
 勿論、意外な口の悪さに腹を立てている訳でもなければ、ましてや唖然としている訳でもない。単に、この沈黙が何らかの葛藤に因るものだと察して結論が出るのを待っているのだ。
 なのはの口添えがあったお陰で、再考には辿り着いた。勿論、再考した結果として改めて拒否される可能性もあるが、結局のところ無理強いしたところで本人にやる気がなければ意味は無いのだ。なるようにしかならないだろう。
 恭也としても彼の技量に興味はあったが、言葉通り『興味』、つまりは好奇心以上のものではない。
 そして、興味と言う意味では、どうして彼がここまで手合わせを拒むのかが気になり始めていた。

377名無しさん:2018/02/24(土) 22:25:18
 『実戦剣術』を謳う流派と言えども、現代の日本で本当に武力として剣術を行使している事は無いと言ってもいいだろう。法律と照らし合わせれば『暴力行為』以外の何者でもないのだから当然ではある。
 そして、法律を無視してまで、或いは逆に合法的に剣術を戦う術として実行している流派は喧伝などしない。
 それを反映するように、一般人が耳にすることのない裏側の情報網は、狭い代わりに非常に深い。彼ほどの実力と外見的な特徴を持っていれば、非合法側でもない限り、仮にデビュー前だとしても噂くらいは聞こえてきても良さそうなものだ。
 だが、実際には恭也はおろか士郎すらも彼の噂を耳にした事がない。ならば何かしらの理由があるはずだ。
 クローン技術による御神流剣士の複製品。
 それは、知人にオリジナルとその複製存在の両方がいるため真っ先に思い浮かべた可能性だったが、程なくしてその考えは否定した。なのはから、彼がはやてを助けるために懸命に、文字通り命を懸けて戦い、事件の解決に大きく貢献したと聞いたからだ。
 別に、オリジナルであるリスティのHGS(高機能性遺伝子障害)患者としての類希な能力を量産しようとして生み出されたフィリスが、能力面だけを見た場合に圧倒的に劣っていたから、クローンとは須く劣化しているものだ、などと言うつもりはない。確かに肉体面でもかなり幼オホンッ、その代わりとでも言うように、人格的にはフィリスの方が数段ゲフンッゲフンッ
 …何が言いたかったかと言えば、彼は情緒面が育ち過ぎているのだ。
 違法技術を駆使してクローンを生み出すような組織であれば、当然、クローン体に意志など持たせるはずはなく、命令を忠実に実行する兵士を作り上げるだろう。その思考パターンは自発的に誰かを守るような行動とは相反するものだ。

 そうなれば、次に浮かんでくる可能性は『並行世界の同一存在』だ。
 因みに、何故先にこちらが出なかったのかと言えば、相違点があまりにも大き過ぎたからだ。
 十歳当時の自分の身長は平均から大きく外れるものではなかった筈だ。そしてなにより、彼の年齢に対する剣術レベルは御神流の基準からしても非常識なまでに突出している事が手合わせをせずとも分かる。
 これでは余程自惚れていたとしても『同一』というには無理があるだろう。
 それでも、こうして対面した事で理屈を越えて思う。やはり彼は『不破恭也』なのだと。
 魔法の世界では地球で言う銀河系を移動する手段を持っていて、なのはの関わった事件について、説明と感謝と謝罪に来たリンディやクロノ、また半年ほど前からなのはが飼うようになったフェレットのユーノも別の惑星の住人との事だった。
 ならば、同様に並行世界、あるいは地球と酷似した世界の不破恭也に相当する人物がこの世界に来たと考えるのが順当と言えるのではないか。
 恭也がその場でそう問いかけると、現在のミットチルダの学説では並行世界も酷似した世界も、更には時間移動の手段も存在しない事になっている、とユーノに否定された。
 因みに、博識なフェレットだ、と感想を洩らすと、この人間の姿が本来の姿だし、決して年齢詐称もしていないのだ、と切々と語って聞かされた。既に誰かから相当からかわれていたのだろう。
 だが、如何に人間がフェレットに化けられる技術があろうと、別の銀河系へと移動出来ようと、この世の全てを解明している訳ではない。『見つけられない』のは『存在しない』事とイコールとは限らないのだ。
 そもそも、地球の常識では真面目に論ずれば精神病院を紹介されかねない幽霊やら超能力者やら吸血鬼やらに散々関わってきた上に身内から魔法使いまで現れたのだ。今更『並行世界なんて存在しない』などと言われても信じる気にはなれない。
 それに、並行世界の自分ではないなら自分に酷似している八神恭也とは何者なのか、と聞き返すと、自分達の所属する『時空管理局』という組織の守秘義務に抵触するから、という理由で回答を拒否されたのだ。はっきり言って並行世界を肯定しているのと大差は無い。
 更には、管理外世界の住人で管理局に所属しない者には強制力の無い規則ですが、などとわざわざ仄めかしてくれたりもした。
 それはつまり、管理局の仕事を続けるつもりでいるなのはとフェイトには無理だが、現時点では嘱託契約が切れている不破君(その割には自由に施設を出入りしているようだが)であれば、守秘義務は課されていない、言い換えれば、話すかどうかは不破恭也の判断に一任している、と言っているようなものだ。

 そこまで慎重になる事もあるまいに。

 それがこの話を聞いた時の恭也の感想だった。

378名無しさん:2018/02/24(土) 22:28:31
 確かに、突然、自分の同一存在が現れれば普通の人は驚くだろうし、それを許容するか拒絶するか嫌悪するか歓迎するかは本人の性格に依るだろう。
 そして、恭也にとっては『それがどうした?』と言う程度なのだ。
 如何に酷似した経験を積んでいようと、或いは全く同一の記憶を持っていようと、今この時間に同時に存在している以上、彼は彼であって自分ではない。記憶が共通であったとしても共有している訳ではないし、意志だって独立している。
 ならば、自分と彼は、間違いなく他人であって本人ではないのだ。
 だから、同一存在である不破恭也も同じ結論に至る事で、気兼ね無く状況を説明してくれる、そう思っていた。
 少なくとも、『話す必要がないから話さない』事はあっても『隠す必要が無いのに隠す』事は無いのだと疑いもしなかった。たとえ相手が腹立たしい存在であったとしても、屁理屈を捏ねてまで手合わせを避けようとするとは思っていなかったのだ。
 手合わせを避けるのは技を隠すため、と言うのが最もそれらしく聞こえるが、恐らくは違うだろう。
 実戦剣術である以上、剣技は門外不出が原則だ。生死を賭けた戦いで必殺を期して繰り出した剣技に対抗手段を編み出されていれば、死ぬのは自分であり同門の仲間である。
 『技』と表現する攻撃は決して同門の人間以外には見せず、見せた相手からは確実に命を奪わなくてはならないものだ。いくら同じ流派と目されていようと身内でない相手においそれと見せる事は出来ない。その考えは理解出来る。
 だが、通常の斬撃を全て隠す必要がないのもまた事実である。刀の種類によって戦闘スタイルは変わってくるが、日本刀である以上、基本的な扱い方に違いは無いのだ。流派特有の剣技をさらけ出したりしない限り、一度や二度の手合わせで全てを見抜ける訳では無い事くらい彼も承知しているはずだ。
 先の事件で負った負傷を妹達から隠しているから、露見しかねない戦闘行動を避けている、と言う方がまだ納得出来る。尤も、恭也の目から見ても動作に不自然さが無いためこの可能性も限りなく低いとは思っているのだが。
 では、自分との力量差を確かめたくないとでも言うのだろうか?
 だが、言っては何だが、彼は自分と同じでたとえ負けても子供然とした駄々を捏ねるタイプには見えないし、何より力量差から目を逸らしていては剣士など勤まらない。
 勿論、相手より力量が上だから手を抜ける訳ではないし、下だからと諦める訳でもない。
 敵と自分の持つ技能について何が上で何が下かを正確に見極めた上で、敵に力を出させずに自分の能力を最大限に活かす戦い方をする。それが趣味でもスポーツでもない、戦闘の本質だ。それを実戦経験を積んでいるであろう彼が履き違えているとは思え難い。
 そもそも上達の途上にある者が自分より格下を選んで戦っていては先が知れているし、彼の実力からしてそんな事をしてきた筈がない。
 ならば、この程度の考え方の違いは誤差の内で、彼にとっては隠す必要のある情報という判断なのだろうか?
 考えてみればそれは仕方の無い事なのかもしれない。恭也と言えど非常識な経験(一族の運動能力は除外)は全て高校3年に進学して以降のものだ。彼の老成した雰囲気から誤解していた面はあるが、恭也とて未経験の頃に自分の同一存在に出会っていれば混乱していたかもしれない。

「…腹立たしくはあるが、なのはの言う通りいつまでも目を逸らしていても解決はしないな」

 聞こえた声に思考を中断した恭也が顔を上げると、彼の視線とぶつかった。
 迷いは晴れたのか、相変わらずの仏頂面ではあるものの眼光には強い意志が見て取れた。恐らく、これが本来の彼の顔なのだろう。

「…恭也君のイジワル」
「何を今更。
 高町さん、先ほどの手合わせの件、承諾します」
「良いのか?
 こちらから言い出しておいてなんだが『なのはの友人』である事に君の素性は関係ないんだ。
 だから、君が俺と酷似している事についての説明自体、省略されても非難するつもりはないよ」
「…『なのはの友人』、ね」
「!?」

 徐々に友好的(?)になってきていた恭也の雰囲気が再度硬質なものに変化した事に困惑し、全員が視線を交わし合う。

379名無しさん:2018/02/24(土) 22:29:05
 零れた呟きからすればなのはの友人として扱われる事に不満があるようにも受け取れるが、そもそもこうして恭也的に鬼門であるはずの高町家に事情を説明に来ているのはなのはの友人として在るためなのだ。それにいくら恥ずかしがり屋とはいえ、恭也が照れ隠しとして採る態度とは思えない。
 それでは一体何が?
 そこまで考えた少女達は少々突飛な可能性に辿り着いた。恭也一人が何らかの異変を、あるいは危険を察知して警戒しているのではないか、と。
 仮にそれが事実であれば、恭也がここまであからさまに雰囲気を変化させた現状は凄く危険なのではないだろうか?少なくともあの事件中でさえこんな事は数えるほどしか無かったはずだ。
 そう思い至ったなのは達は、不安を滲ませながらも表情を引き締めた。
 表情からその危惧を察した剣士2人が揃って小さく首を振るが、高町兄姉の実力を知らないなのは達が警戒を解く事はなかった。
 先程までの会話からすれば姉と兄は少なくとも魔法に頼らない能力については自分達を遥かに上回るのだろう。だが、そうであったとしても恭也が気付いて2人が気付いていないという可能性を否定した事にはならない。そしてそれ以前の問題として、闇の書事件を恭也と共に戦った3人にとって、実際の能力や技能の優劣などとは関係なく、高町兄姉より恭也への信頼の方が厚いのは当然だった。
 だが、続いて恭也が口にしたのは誰もが思いもよらない言葉だった。

「承諾すると言いましたが訂正します。
 高町さん、是非、俺と手合わせ願えませんか?」
『え…?』

 消極的だった態度を覆した恭也に対して、全員が疑問の声を漏らした。
 会話の流れを考えれば、先程の兄の言葉に腹を立ててその憂さを晴らそうとしているとしか思えない。だが、いくら今が平時だとはいっても、あの恭也がそんな行動を採るだろうか?
 物問いた気な視線を兄と姉から受けてもなのはにだって返せる答えは持ち合わせていない。
 恭也の極端に起伏の小さい感情を察知する事に長け、非常に特殊な思考回路がはじき出す結論を高い精度で推測出来るからと言っても、彼の全てを理解している訳ではないのだ。それははやてやフェイトも同様だった。
 妹達の表情から凡その心情を想像出来た恭也は、小さく息を吐くと挑みかかってくるような視線を静かに受け止めた。

 事情を問い掛けたところで返事は期待出来ないだろうな。
 それならいっその事、利害が一致したと考えるべきか。

 そう結論を出した恭也は、少年の感情を煽る様に意識して唇の端を小さく持ち上げながら短く答えた。

「いいだろう」




* * * * * * * * * *




 厳粛な静寂と身を切るような冷気に満たされた板張りの道場で2人が対峙していた。
 大仰に構えるでもなく、気勢を発するでもない。
 始まりの合図は無かった。それでも、間違いなく始まっている。
 敢えて言うなら、先程なのはの兄の名乗り上げを遮る様なタイミングで振られた、素振りと言うには無造作な、他意が無いというには鋭すぎる恭也の一薙がそれに当たるのかもしれない。

 …さっき?
 さっきって何時や?
 数分前?それとも、もう10分以上過ぎたんやろか?

 たった数十秒間をはやてにそう錯覚させる程に、空気が張りつめていた。
 いや、そう感じていたのははやてだけではない。並んで座っているなのはとフェイトも身動ぎもせずに固唾を飲んで見守っている。
 普段行っている魔法の戦闘訓練とは明らかに何かが違っていた。
 なのに、それが何か分からない。
 はやては草薙道場での、フェイトとなのはは砂漠の惑星での恭也とシグナムの戦いを見ている。
 だが、その剣士同士の戦いとも違うように思う。

 ただ、静かに。
 このまま、外界からの刺激が無ければ道場内は永遠に静止しているのではないかと本気で考え始めた頃。

「動く」

 呟くような美由希の台詞が、やけに大きく耳に届いた。




続く

380名無しさん:2018/02/24(土) 22:48:41
6.混乱



 恭也は眼前に佇む自分の似姿に僅かな落胆を覚えた事を自覚し、その自分勝手な感情に呆れてしまった。
 一部の隙も無い自然体で佇む姿も静かに凪いだ気配も一朝一夕で身に付くものではない。このまま数時間睨み合っていたとしても小揺るぎもしないだろう事が想像出来る。彼の年齢からすればそれだけでも十分に驚異的と言えるだろう。
 そして、自分が彼と同じ年頃の時には、比較にもならないほど未熟だったのだ(当然、平均的な成人男性の運動能力など比較対象にならないレベルだが)。
 ならば、如何に彼が自分の理想の体現者であろうと、一方的で過剰な期待にそぐわなかった事に落胆するのは身勝手にも程があるというものだ。
 だが、彼が自己の感情を完全に制御出来る理想的な剣士なのだと期待していた分だけ、凪いだ気配とは裏腹に『意地でも負けるものか!』という感情が読みとれてしまう事が惜しくてならない。
 それは、戦う上で極めて重要な意志ではある。
 だが、勝ちに逸り判断を狂わせる要因になりかねないその感情は、内に秘めて敵に悟らせてはならないものでもある。

 決めつけるのは早計か。

 自身をそう戒めた恭也は、ほんの僅か、なのは達は勿論、相手が美由希だったとしても気付かれない程度に重心をずらした。
 気付くには非常に高度な洞察力が必要なのとは裏腹に内容としては非常に単純な罠。
 その、罠と表現するのも気が引けるほど些細な餌をチラツかせると、即座に彼の気配が瞬間的に、しかし、美由希にも分かるほど攻撃的なものに変化した。

「動く」

 美由希の言葉が聞こえた直後に初速からトップスピードで間合いを詰めてくる彼の姿を恭也は静かに見据え続ける。

 こんなものか。

 油断無く迎撃体勢を保つのとは裏腹に、感情に振り回されている彼の姿にそんな想いが脳裏を過ぎる。
 あの重心の変化に気付いた洞察力は驚嘆すべきものだ。そして、確かにどれほど微少であろうと重心のずれは、どのような攻撃にも瞬時に対応出来る自然体が崩れた事を意味している。
 だが、それを勝機と結び付ける判断は短絡的としか言いようがない。
 あの程度の変化は隙と言うにはあまりにも小さ過ぎる。誘いであれば、事実恭也は誘うために意図的に自然体を崩した訳だが、誘いであるが故に間合いを詰める間に修正されてしまうレベルだ。
 勿論、見つめ合っていただけではいつまで経っても勝機など見えてくることはないだろう。何の要因も無く決定的な隙を晒すような未熟さは互いに持ち合わせていないのだから当然だ。だからこそ、相手の出方を探りながら相手に全力を出させない様に気を配りつつ機を窺う、という駆け引きが必要になるのだ。
 だと言うのに、彼の深い踏み込みには様子を見るといった警戒心が含まれているとはとても思えなかった。
 それでも恭也は油断することなく、猛烈な踏み込みから放たれる鋭い、それでいて無造作な右の薙払いを受けるべく右手に握る木刀を自分の右側面に垂直に構えた。
 恭也に油断は無かった。それだけは胸を張って断言出来る。
 だからこそ、無造作に見える薙払いに『徹』が込められている可能性を考慮して構えた右手に耐えられるだけの力を込めていたし、だからこそ、彼の逆手に握る左の木刀が右の薙払いを追跡している事実を確認しても疑問を挟む事も動揺する事もなく彼の狙いが即座に理解出来たのだ。

 雷徹

 その単語が恭也の脳裏に閃いた時には、右腕に衝撃が駆け抜けていた。
 右腕の衝撃に連動して硬直する体とは別に、思考が高速で駆け抜ける。

 逆手での斬撃は手首の構造上可動域が狭く順手に比べて射程が短く威力も落ちる。それでも敢えて彼が逆手を選択したのは、右の薙払いのモーションに紛らわせ易いからか。
 だが、交差する位置が左の射程外であれば雷徹は成立しなかった事を考えれば結果オーライの博打に過ぎない。開始直後に仕掛けるには確実性に欠けた無謀な行為だ。
 仲間の生命が懸かる戦いであってもこんな事をするつもりなのか?
 いや、こちらが薙払いの威力を殺ぐために斬撃の出際、つまり逆手の射程である彼の体に近い左前面で受ける事まで予測していたのか?

 真意を探るように雷徹の技後硬直にある彼と目を合わせた恭也は、目論見が成功した喜悦も優位に立った興奮も含まない冷徹な視線を認めた事で漸く悟る事が出来た。

381名無しさん:2018/02/24(土) 22:50:07
 違う。
 予測されたんじゃない、俺が思考を誘導されたんだ。
 やっぱり彼は感情に翻弄されて判断を誤るような未熟さは無かったんだ。
 だが、一体どこまでがブラフだったんだ!?
 誘いに乗った事?
 勝利に執着する感情が透かして見えた事?
 リビングでの遣り取りから?
 それとも、俺が勝手に深読みしているだけで本当は全てが偶然の産物なのか?
 いや、そんな事より!

 次々に浮かぶ疑問と疑念に翻弄されかけた思考を一瞬で漂白すると、全ての神経と注意を眼前の敵に集中する。
 雷徹の衝撃に因り硬直している自分より繰り出した斬撃の力の解放に因り硬直している彼の方がコンマ零何秒かは次の行動の開始が早い。
 その十分の一秒に満たない出遅れは、速度を信条とする御神の剣士にとって勝敗を決するのに十分な時間だ。
 現状を冷静に把握した上で、尚諦める事無く敵を見据える恭也は自分が微笑を浮かべている事に気付いていなかった。




 木刀同士が打ちつけられる高く乾いた音が響く。
 時に強く、時に弱く、しかし間断無く響き続けるその打撃音は、ともすればうねりを持った連続した一音に聞こえそうだなほどの密度で閑静なはずの道場を満たし続けていた。
 いくら二刀流が手数を重視した戦法であり、手にしているのが日本刀の中でも短い部類に入る小太刀サイズの木刀であるとはいってもこの上もなく非常識だ。
 斬撃である以上、単に振り回している訳ではない。無論、腕の筋力自体は不可欠だが、一撃毎に全身の骨格や筋肉が連動していなければ威力は生まれない。そして素材が木材であっても『刀』としての強度を持っている以上は相応の密度=質量があるという事だ。動作の面でも質量の面でもドラマーがスティックを振るのとは訳が違う。
 そして、彼らの異常性に輪を掛けているのは、どちらも足を止めて打ち合っている訳では無いという事だ。
 一秒と同じ場所に踏み留まる事無く、壁も天井も足場にしながら道場内を縦横無尽に駆け巡り、目まぐるしく互いの位置を入れ替える。
 更に、そんな動きをしているにも関わらず小太刀の間合いを外れた事は一度としてないのだ。武器の特性上、弾き飛ばす攻撃ではないとは言え、これだけの行動範囲と移動速度からすればこれだけでも十分に異様である。
 そんな人間の規格を逸脱した戦いをはっきりと肉眼で捉える事が出来ているのだから、フェイトも高機動魔導師としての面目躍如と言えるだろう。
 尤も、見えるからといって、即、あの戦闘に参戦出来るなどと思い上がる程フェイトは馬鹿ではない。

 あの位のスピードまでなら、魔法の補助が前提にはなるけど、私とバルディッシュなら、五合や六合であれば多分何の問題も無く対応出来る。
 十合や二十合であってもなんとか凌げると思う。
 だけど、きっとその先で詰まれてしまう。
 …多分、単純な手数の問題じゃない。
 あれほどのスピードで動き回っているのが信じられないほどの手数に圧倒されて勘違いしそうになったけど、なのはの戦い方と根っこの部分が同じなんだ。

 『捌ききれないスピードと手数』ではなく『対処出来ない体勢や状況への誘導』
 それはスピードで劣るなのはがフェイトと五分の戦績を叩き出している重要な要素だ。

382名無しさん:2018/02/24(土) 22:54:16
 互いの戦闘技術が高ければ『絶対に相手の体勢を崩せる一撃』は存在しないと思っていい。攻撃技術と同じだけ防御・回避技術が高いのだから当然の結果だ。あるとすれば『相手の予想・想像を越える一撃』くらいだ。だからこそ一般的に相手の意表を突く暗器が有効になるし、御神流では相手の予想を覆す『貫』が編み出されたのだ。
 ならば、今回のようにどちらも自滅を期待出来ない技量を持ち、なおかつ互いに相手の手の内を知っているという場合にはどうするべきか?
 結論は変わらない。攻撃に対処出来ない状況に追い詰めれば良い。一撃で無理なら十手でも百手でもかけて。
 だが、言うまでもない事だが、戦闘は自分の攻撃に相手がどう対応するかで展開が何通りにも分岐するし、逆もまた然り。更に拮抗した実力を持つ相手であれば同じ事を狙ってくるのは明白だ。
 互いに相手の『追い詰めるための手』を見抜き打ち破り、相手を追い詰めるための見破られないような婉曲で最短の手を相手の捌き方に合わせて常時修正・変更しながら打ち続ける事に腐心する。
 そんな緻密で繊細な行為を超高速で、しかも自分の生命、あるいはそれを差し出してでも守りたいものを背に負いながら、延々と行い続けるのだ。
 フェイトにだってそれが出来ない訳ではない。単純に恭也やなのはの読み合いのレベルが異常に深過ぎるのだ。
 尤も、そう言った戦術眼で劣っていると言ったところでなのはと同率の戦績を誇っているという時点で、フェイトも悠々と常識の枠から逸脱しているのだが。

 そして、一般人からドングリの背比べと言われようと五十歩百歩と言われようと、微々たるものであっても背の高さに差はあるし五十歩分の距離も零ではない。
 フェイトが技能の質の違いを悟っているように、なのはも恭也達との力量差を痛感していた。

 なのははPT事件の折り、レイジングハートの指導の元、徹底的に戦術を磨いた。
 それは、重装高火力型のなのはが自身の持ち味を最大限に発揮するための至極当然の選択ではあったが、魔法初心者にして並の管理局員を一蹴出来たであろう才能を持って生まれた者にありがちな慢心に到らないだけの理由が存在したからこそと言えるだろう。
 それは本人が努力家だった事や、傲る為に必要な『平均的な実力の魔法使い』が周囲にいなかった事もあるだろうが、なのはの前に最初に立ちはだかったのが、当時のなのはの実力を大きく上回る軽装高機動型のフェイトだった事が最も大きな要因だっただろう。
 出会った当初、圧倒的な開きのあった実力差を埋めるには、『戦技で負ける事を前提にした戦術』を組む以外に速度で劣るなのはに勝機は無かったのだ。
 尤も、なのはの得たものは欲しただけで身に付く程度のものでは断じてない。
 天賦の才を授かり、相応する努力が出来た上で、良い師に恵まれなければ得られない、得られたとしても相当な期間を要するレベルのものだ。
 結局の所、世界は不公平に出来ていて、なのははその申し子とでもいうべき存在だっただけの事なのだ。
 …まぁ、そうは言ってもなのはの周囲は『類』に呼ばれた『友』が集まりまくっているため、各分野に特化した彼ら彼女らを見れば全ての富がなのはに偏在している訳ではない事も、なのはの得た富が大きく偏っている事も良く分かるのだが。
 そして、なのはが得られず恭也やフェイトが得られた才能こそ、比較の必要も無いほど歴然とした差を現在進行形で見せつけ続けている身体操作能力である。

 まるで、『戦術を磨いたフェイトちゃん』だ。
 唯一のアドバンテージが無くなったら、今の私じゃ太刀打ち出来ないよ。いくら恭也君の魔導師ランクが低くても、それがほとんどハンデになってないもん。
 不意打ちは論外だし、戦術を駆使して避けられない状況に追い込むのもまず無理だから攻撃魔法が当てられない。
 バインドなんかの補助魔法も、魔法そのものを認識出来なくても、きっと罠に追い込もうとする私の行動から意図を読まれて対処されちゃう。
 運動神経抜群で戦術にまで長けてるなんてズルいよ〜

 コンプレックスを大いに刺激されているなのはは呆然とした表情以上に混乱していた。
 尤も、家族内も含めて異常な身体能力を誇る者が周囲に多いため本人すら勘違いしているのだが、なのはの運動神経も小学生の平均値からすれば格段に劣っているという訳ではない。どちらかというと『苦手だから』と敬遠した結果成長し難いという悪循環の傾向が強いくらいだ。

383名無しさん:2018/02/24(土) 22:56:24
 ただし、それを全て本人の意識の問題と一蹴するには、なのはの家族は特殊過ぎた。なぜなら、物心がつく前から見続けてきた兄や姉の動きこそがなのはにとっての基準なのだ。それがどれほど一般常識からかけ離れていようとも、孵化したばかりのヒヨコの如く刷り込まれてしまったなのはにとって、後天的に身に付けた常識程度では『運動が苦手』という自己暗示を払拭しきる事が出来ないのだ。
 笑い話のようにしか聞こえないかもしれないが、放っておいたら餓死するまで本を貪り読んでいそうな重度の活字中毒者という超インドア派であり、真っ平らな道路で躓くなり足を滑らせるなりして転んでみせる姉が、眼前の剣劇に参戦出来るとなれば自分自身の欠陥を疑いたくなるなのはの心情も理解出来るだろう。
 そして身体操作そのものは兎も角、父親譲りの非常に優れた動態視力と空間把握能力(死角に存在する物体を把握する、という意味ではなく、認識した空間内の物体の位置関係や相対距離を精度良く把握する能力)を持つなのはは、辛うじてではあるが、試合を目で追う事が出来ていた。そして、なのはが読み取る限り、試合は開始直後からずっと恭也が流れを掌握していた。
 流石に振られた木刀の刀身自体が見える訳ではないが、なのはにはそれが何を目的とした斬撃であるのかは大凡の予測が出来るのだ。
 例えば、先程の恭也の一撃は、兄に右へ躱させて次撃を撃ち込み易い位置に誘導しようとしていたのだ。恐らく兄がその通りに動いていれば続く3手で決着していただろう。ただし、そんな短絡的な誘導に兄が気付かないはずはなく、恭也はそもそも他の分岐まで想定して攻撃していた。左に躱していれば十数手で、右の木刀で上方向に弾いていれば20手以上で、受け止めれば…、といった具合に。
 そんなふうにどの選択肢を選んだとしても『悪化』を強制する斬撃を恭也は開始直後からずっと放ち続けているはずなのだ。
 それでも二人は未だに打ち合い続けている。
 なぜなら、兄の選択が、最も軽度な悪化で済むものか、僅かでも有利になる選択をしているからだ。それが恭也の想定を越える対処法なのか、想定した上で黙認することしか出来ない選択肢なのかは剣術の知識が無いなのはには分からない。
 そう。なのはに分かるのは、2つだけ。

 試合の流れをコントロールし続けているのが恭也であること。
 そして、そうであるにも関わらず、この戦いがずっと拮抗したままだということ。

 戦技で勝っているのか、戦術に長けているのか、その両方なのか?いずれであるのかまでは分からないが、結論は変わらないだろう。
 不和恭也より高町恭也の方が、強いのだ。
 それは、恭也の強さを間近で見続け、肌で感じていたなのはにとっては驚愕に値する事実であり、『それだけ』でしかない事実でもあった。

 恭也ですらどうする事も出来ない現実は確かに存在する。
 己の無力さに打ちのめされ慟哭する彼の姿を何度も見てきたのだ。今更間違えたりはしない。
 恭也に寄せる信頼は、単純な武力などではないのだから。

 そして、戦闘経験の面でも、肉体性能の面でも、この試合の内容が全く理解出来ていないはやては、ただただ魅了されていた。
 管理局員との模擬戦は基本的に魔導師を相手にしているためこのような展開にはならない。距離があれば切り合いになりようがないし、距離が詰まれば恭也に敵うわけがないからだ。
 そして、ヴィータやフェイトは勿論のこと、近接特化で同じ剣士のシグナムが相手でもこういう展開にはならない。勿論、それが武器の特性であり、ひいては戦闘スタイルの違いであることははやてにも理解出来ているのだが。
 ただし、だからといってスタイルが噛み合った時にこれほどの戦いになるとは想像もしていなかった。
 先程、美由希がリビングで『夢物語にしか存在しないはずの魔法』に目を輝かせていたが、はやてにとっては止むことのない耳鳴りのような打撃音と、姿が霞むほどのスピードで繰り広げられている目の前の剣戟の方がよっぽどファンタジーだ。
 目から侵入してくる光景に圧倒されていたはやての口から、在り来たりな、そして最もふさわしい言葉がこぼれた。

「スゴい…」
「 !?」

 辛うじて聞き取れる程度の少女の呟き。
 家の前を通る車の走行音に紛れてしまう程度の声量と、逼迫した感情を含まない声音から恭也が雑音として聞き流したその声の半拍後、自動人形達との命懸けの戦いで味わったのとは別種の緊張感を孕んだ試合が予想もしない形で呆気なく幕を閉じた。

「なっ!?」

 驚愕の声を上げる恭也の視線の先で、これまでどれだけ引き離そうとしても小太刀の間合いから半歩と離すことが出来なかった少年が、同極の磁石が反発する様に一瞬にして3m程の距離をとった後で棒立ちになっていた。

384名無しさん:2018/02/24(土) 22:58:04
 何かの作戦と言う風でもない。
 何故なら、荒い呼吸を整える事も忘れて驚愕の表情の張り付いた顔がそもそもこちらを見ていないからだ。
 そして、彼の様子に驚いているのは恭也だけではなかった。彼の視線の先にいる観戦していた少女達も揃って戸惑いの表情を浮かべていた。
 彼女達に何らかの危険が迫っていたのなら、彼は驚愕に任せて立ち尽くしたりしないだろう。補足するなら恭也も少女達の傍らにいる美由希も脅威となるような気配を感じていない。だが、彼の様子を見る限り唯事とは思えない。
 無為に時間が経過して事態が悪化するのを警戒した恭也が問い質そうと口を開くより早く、元凶となった少年が声を発した。

「はやて!
 早く部屋に戻れ!」
「へ!?わらひ?
 恭也はん、急にどう…
 あえ?くひがうあく動かへん」

 恭也の呼びかけに応じようと口を開いたはやてだったが、ろれつが回らず妙な言葉が吐いて出た。

「自覚してないのか!?凍えてるんだ、阿呆!」
「ええ!?」
「ちょっ!?
 はやてひゃん、じふんでわかあなかったの!?」
「はやて、くひびる真っ青らよ!?」
「お前等もだ、ド阿呆!」

 はやての様子に驚いて声をかけるなのはとフェイトだったが、2人とも負けず劣らずろれつが回っていなかった。

「美由希、傍に居たんだから気遣ってやらないか!」
「うう、ゴメン恭ちゃん。
 一応気にはしてたんだよ?ここ寒かったし。
 でも、30分経っても誰も寒そうにしないし震える様子もなかったから、魔法で暖房でもかけてるのかと思って」
『えぇ、はんじゅっぷん!?』
「時間の経過にすら気付いてなかった訳ね。30分どころかもうすぐ1時間になるよ」

 自分が凍えている事に気付かないほど集中して見入っていただけあって、3人共時間が経つのも忘れていたらしい。なかなかの集中力である。

「あ、れ?な、なんや、いまはら震えが…」
「雑談は後だ!早く暖房の効いた部屋に移動するぞ!」
「いや、ここまで冷えきってるなら風呂に入れた方がいいだろう。
 美由希、風呂は沸かしてあるから一緒に入ってやってくれ」
「私も?」
「大丈夫だとは思うが、体がかじかんで風呂場で転んだりしたら危ないからな」
「うん、わかった。はやて、抱っこするから掴まって」
「おてふう掛けまふ」
「どういたしまして。
 なのはとフェイトも急いで」
「あ、うん」
「あ、あえ?足が動からい…なんれ?」
「わ、わらしも…?」
「え、2人ともそんなに凍えてるの?」

 末端部や細かい動作に影響が出るならまだしも、足そのものが動かないとなればかなりの大事だ。
 単なる寒さでは無かったのかと焦る美由希が視線をさ迷わせると、先程までの動揺を沈めた年下の少年から落ち着いた声音が帰ってきた。

「いや、慣れない正座で足が痺れただけでしょう。
 ほれ、運んでやるから掴まれ」
「うひゃぁ!?」
「ほわわわわ!?」

 恭也の声に美由希から伝染したなのはとフェイトの僅かな不安が氷解したのも束の間、言葉が終わるや否や両腕に抱え上げられ揃って驚きに声を上げた。
 恭也の厚い胸板を背もたれにしてそれぞれ片腕で膝裏から太股辺りを下から支えられているため、まるで椅子に座っている様な体勢だ。2人が小柄だと言ったところでそれなりの体重はあるのだが、全くふらつく様子が無いのは流石と言うべきか今更と言うべきか。
 それでも、お尻が完全に浮いている上に支えられてる足の感覚が曖昧な2人は、ずり落ちないように体を捻るようにして恭也の胸元にしがみついている。
 その様子を端的に表すなら、

「バストショットで写真を撮ったら不破君がもの凄く女誑しに見える構図だね」
「5年以上後やっはら、完へきれすね」
「くだらん事言ってないで、さっさと進め。
 …高町さん、こちらから申し出ておいて済みませんが」
「気にしなくていいから早く行ってくれ。
 片付けは任された」
「はい、ありがとうございます」

 少年の挨拶も早々に一同が退室して扉が閉められたのを見届けた恭也は、長く深く息を吐き出した。

385名無しさん:2018/02/24(土) 23:00:54
 今すぐにでも板張りの床に体を大の字に投げ出してしまう誘惑に抗う事に手いっぱいで、引き受けた片付けに取り掛かる気力は全く湧いてきそうにない。
 よもや、これほどとは。
 自分の半分程の年齢という言葉を改めて疑いたくなる。
 同じ年頃の自分はどの程度だっただろうかと思い返そうとしてところで、道場の扉の向こうに良く知る気配を感じ取って中断した。
 気配を消していないのだから隠れている積もりは無いだろうが、扉を開く様子がない事に疑問を感じながらも恭也が声を掛けた。

「おかえり。随分早いね」
「ただいま。どっちかと言うと、一足遅かったみたいだけどな」

 案の定、飄々とした口調で答えながら扉を開いて入ってきた父親の言葉に、現状を見抜かれている事を察して小さく嘆息する。
 特に隠す積もりは無かったし、後で話す積もりでもいたのだが、やはり見透かされるというのは気分的に面白くない。
 尤も、いくらも時間の経っていない道場の空気にはしっかりと戦いの残滓が残っている。やって来たのがなのはの友人とはいえ、来客を無視してあの場での最年長者である恭也が一人で鍛錬していたなんてことは有るはずがない。更に、やってきたのが『彼』となれば、手合わせしていたという結論に至るのは推理と呼ぶほどのものではないだろう。

「で、実際に手合わせしてみて八神君の印象は変わったか?」
「その前に、名前に訂正があった。
 彼の名前は『不破恭也』だそうだ」
「ふーん」
「…まあ、今更ではあるだろうが、そこまで淡泊な反応もどうかとは思うぞ」
「ほんとに今更だろ?それに驚くほどの内容じゃない」
「良いけどね。
 印象については、『間違ってなかった』が正しいんだろうな。それどころか、懐疑的なのを見透かされてひっかけられたほどだ」
「そりゃあ大したもんだな。で、実力は?」
「溜め息しかでないな。
 かなり高く見積もっていた積もりだったんだが、それでも過小だったよ」
「具体的には?」
「技術だけで言えば十の内、七つは取れると思っていたんだが、六つがせいぜいだ」
「…それほどか」
「ああ。
 不測の事態、と言うには大袈裟だが、中断せずに続けていたらあと20分ほどで負けていたはずだ」
「今日は4つの方だったのか?」
「初対戦で心理面を突かれたんだから、普通ならもぎ取られたと言うべきだろうな」

 剣術で言う実戦は殺し合い、つまりは一度きりが基本となる。当然、十度戦って一度しか勝てないほどの実力差のある敵との戦いは避けなくてはならない。
 だが、実際には自分より弱い敵とだけ戦っていられる訳ではない。強敵との戦いが避けられない時は必ず来る。護衛を生業とする御神で有れば尚更だ。そして、戦う以上は(結果として自身の生命を代償にしたとしても)目的を達成しなくてはならない。『戦った』という事実には自己満足以外に何の意味もないのだから。
 ならば、1/10の確率を引く幸運に頼るのではなく、剣術の技能とは別に『勝利をもぎ取る力』が必要になる。
 だが、9割の勝率を持つ敵も、強者だからこそこちらを侮る事無く勝利をもぎ取りに来る。つまり、『敵の勝利をもぎ取る力』プラス『勝率の根拠となる実力差』を、『自身の勝利をもぎ取る力』だけで覆すと言っているのだ。極めて都合の良い話しにしか聞こえないだろう。
 だが、必ずしも剣術の技量だけで勝敗が決する訳ではないのが実戦の一側面でもある。勝てば官軍、卑怯万歳の古流ならではの考え方とも言えるだろう。
 会話を絡めた心理戦や状況の変化を利用する対応力、更には単なる運不運まで含めた『剣腕以外の能力』という曖昧で漠然とした括り方をした力が戦況を左右する事は少なくないのだ。
 しかし、一見お手軽に聞こえかねないこの力は並大抵の精神力では発揮出来ない。自分より格上の敵と命の削り合いをしている最中に揮るわなくてはならないのだから当然だろう。

「そりゃあ大したものではあるんだが、…ただの手合わせじゃなかったのか?」
「俺としてはそのつもりだったんだが…」

 そう。本来は剣椀を見るための試合でそこまではしないものだ。
 それだけ真剣だったと解釈する事は出来るのだが、始めのうちに手合わせを渋っていた者の態度とは到底思えない、というのが恭也の偽らざる本音だった。最終的に態度を翻して積極的になっていたのがポーズだけではなかったという事なのだろう。

386名無しさん:2018/02/24(土) 23:04:49
「まあ、相当嫌われてるようだしな。
 ただ、…試合だけに集中していた俺とは違って、彼は周囲を見渡していた。あの子達に対してだけっていう可能性はあるし、それを余裕とは言わないだろうけれど、それでも意識を裂いてあれだけの動きを見せられてはぐうの音も出ないよ」
「へぇ…。
 ところで、嫌われたってのは何だ?」
「面と向かって言われた訳じゃないが、彼は感情を排した剣士として理想的な在り方だからな。
 10年後に相当する俺がこれでは怠慢だと思われても無理はないだろう」
「…そうか。
 お前は日常であそこまで感情を殺せた事はなかったから『昔を懐かしむ』と言うより『過去の自分の姿に憧れてる』ってところか?
 何にしても情けない話だな?」
「自覚はしてるよ」
「それなら絶対に隠し通せよ?
 自分と同じ顔した奴が醜態さらして嬉しいはずがないからな」
「…?」

 父の軽い口調の言葉の裏に強制するような意志を感じて、恭也が訝る様に僅かに眉根を寄せた。
 何か気に障るような内容だったかと思い返してみても、特におかしな遣り取りは無かったように思う。聞き返したとしても、わざわざ言葉を紛らわせているのだから素直に答えてはくれないだろう。
 とはいえ、恭也自身もこれ以上彼を失望させるのは望むところではないので反発する理由も無い。

「わざわざ念を押さなくても言う積もりは無いよ」
「それはなにより。
 じゃあ、ちょっと出かけてくる。晩飯には帰るから」
「何処に行くんだ?
 大して時間は無いよ?」
「わかってる。ただの散歩だ」

 この寒空に、しかも僅かな時間で何処に行くつもりなのやら。
 そう思いつつもそれ以上問い詰める事もなく、恭也は手つかずだった道場の片づけに取りかかった。



 道場を後にした士郎はそのまま門を潜ると、道の先に小さく映る後ろ姿を認めてゆっくりとした歩調で歩き始めた。
 『追う』と表現するにはあまりにもやる気のないその足取りは、先を歩く人物の目的地を知っている様にも、進路が同じになったのが単なる偶然の様にも見える。
 実際、士郎は人影に視界の焦点を合わせるどころか視線を向けてすらいなかった。視線を固定することなく、ゆっくりと空や路面や生け垣など周囲の景色に目を向けている。
 ただし、視界の端から人影が外れる事はない。
 熟練の兵士が感じるはずのない赤外線スコープの照射に反応する様に、視線に反応される可能性を考慮した措置だ。当然、門を潜る時、どころか道場から出る時点で気配は消している。

(さて、これで上手く騙されてくれてるか?)

 最大限の注意を払って前方を歩く希薄な気配の持ち主、不破恭也の後を追いながら、それでも士郎には自分の存在を隠し通せている自信が持てずにいた。
 彼は特に気配を消していないはずだ。そして、遮蔽物のないこの状況なら、彼の位置は十分に士郎の索敵範囲内だ。それなのに彼の気配が周囲に溶け込み霞んでいる。
 気配の感知と抑制はどちらか一方が突出する技能ではない。つまり、無意識にこれほどの気殺が出来る者ならば、当然、感知出来る範囲も精度も高いと考えるべきなのだ。
 一見すると何の関わりもないように見える二人組は程なくして臨海公園に辿り着いた。
 先行している恭也が公園内の海に面したベンチに座るのを公園入り口の下り階段を降りた所で見届けた士郎は、彼の斜め後方に位置するベンチへと足を向けようとして、

「うおっと!?」

右肩口に飛来した飛針を既のところで慌てて躱した。
 背後で階段のコンクリートに飛針が弾かれる甲高い金属音を聞きながら、投擲者を睨みつける。

「随分と過激な挨拶だな」
「道場での打ち合いの時からずっとこそこそ覗き見している様な変質者に礼を尽くす謂われは無い」
(…筒抜けかよ)

 予想以上の気配察知能力に士郎がこっそりと舌を巻く。

387名無しさん:2018/02/24(土) 23:07:33
 実は士郎が家に辿り着いたのは試合が始まって暫く経ってからだ。始まってからどれくらい経過していたのかまでは分からないが、少なくとも門の手前から苛烈な打撃音が聞こえていた。
 全集中力を費やしていなくては押し流されてしまうような濁流の如き剣戟の渦中にあって、潜めた気配を鋭敏に察知するなど生半な技量で出来るものではない。
 対戦者である恭也が気付いていなかったのは先程の会話で確認していたし、恐らくは全盛期の士郎にも出来なかっただろう。敵意や殺意を孕んでいれば望みはあるが、それにしたって攻撃の瞬間に気付けるかどうかだ。
 それでも背中を駆け抜ける戦慄を綺麗に押し隠した士郎は足元へと転がってきた飛針を拾うと、さっさと海の方へ顔を逸らした恭也へと歩み寄る。

「変質者はひでぇな。
 通りがかったら面白そうな事してたから眺めてただけなのに」

 そう言いつつ恭也とは逆端に腰を下ろした。
 続く攻撃を心配したりはしない。先程の飛針が『気付いている』という意思表示以上の意味を持たないことが分かっているからだ。
 意表を衝かれたので慌てて躱したが、先程の飛針の軌道は肩の皮を掠める程度だった。勿論、当たれば服に穴は開くし、出血もするので、世間一般の価値観からすれば冗談では済まないだろうが、相手が士郎だと分かっていたからこその悪戯か、せいぜい嫌がらせだろう。
 そして、独りになりたくて追い払うつもりなら、自分の所在を示す攻撃などしてこないはずだ。後をつけていることにも気付いていたのだから、公園に辿り着く前に気配を消して姿を眩ませる方が余程手軽だ。武力行使はそれが失敗してからで十分なのだから。

「で、その通りすがりが何か用ですか?」
「別に?
 ただ、どうせ暇だし、若者が悩み事を抱えてるみたいだから、愚痴くらいは聞いてやろうかと思ってな。
 よく言うだろ?身近な人には言えなくても見ず知らずの通りすがりになら言える事もあるって」
「初めて聞きましたよ」
「そうか?」
「ええ」

 それっきり会話が途絶えた。
 口を開きそうにない少年に内心で嘆息する。
 自分がかなり無理のある論法を振り回している自覚は流石の士郎にもあった。実父に良く似た他人では余計に話し難いと思われても何の不思議も無い。
 だが、1月の寒空の下、汗の処理もまともにしていないであろう少年を放置する訳にはいかないし、この状態のまま連れ帰れば勘の鋭い娘達に隠し切れるとは思えない。少女達から問い質されたところで余程切羽詰っていなければ真情を吐露したりしない少年なだけに、互いに無意味にストレスが溜まるだろう。
 老婆心だという自覚がないではないが、会った事も無い彼の父親が果たせなかった責務となれば放置するのも寝覚めが悪い。
 小さな親切、大きなお世話と疎ましがられる可能性に気が滅入るのは確かだが、未だに追い払われる事無く同席を許されているのだから何かしら期待されているのだと勝手に解釈する事にして、もう一度重い口を開いた。

「同族嫌悪って言葉があるけど、あれって実際に自分のそっくりさんにあったらどんな風に思うもんなんだろうな?」

 視線を水平線に固定したまま隣の様子を窺うが目立った反応はなかった。
 はずれだっただろうか、と思いながらも他にそれらしい理由が思いつかない士郎はそのまま言葉を続けた。

「自分で自覚してる欠点を客観的に見せ付けられる事で腹が立つ、とか」

 無反応。
 ちょっと心が折れそうだ。

「自分がこんなに努力してるのに、温い生活に浸ってだらけているのが許せない、とか」

 …あまり言いたくなかったのだが、しかたない。

「…自分に欠けた物を当然の様に持っている姿を見せつけられて、自分の歪さが強調されてる様で辛い、とか」

 身動ぎどころか呼吸にさえ乱れが生じなかった。
 確信を突いた積もりでいた士郎は反応が無い事に吐きそうになった溜め息をなんとか飲み込んだ。

388名無しさん:2018/02/24(土) 23:17:57
 『恭也』は自分に厳しく他人には甘い。
 そして、どれほど容姿が酷似していようと、良く似た境遇を歩んでこようと、自分ではない以上、他人なのだ。
 それは、空想でしかないはずの平行世界にいる自分に相当する『高町恭也』であっても、それぞれの自我が融合でもしない限り変わらないだろう。『自意識過剰』という言葉とは対極に位置していそうな彼らだが、強固な自我が確立出来ていなければ剣士など務まらない。
 だからこそ、不破恭也は高町恭也を見ても堕落した『自分』などとは思わないはずだ。

(だから、自分に無いものを持ってる恭也を見て、自分の未熟さを思い知った、なんて展開を想像したんだがなぁ。
 あ、そうか、自分の未熟さを『他人』に当り散らしたりしないのか。
 ったく、ややこしい性格しやがって)

 順調に八つ当たりへとシフトしていこうとする士郎の思考を押し止めるように恭也が口を開いた。

「俺が前に住んでいた世界にも、あなたの様に遠慮会釈無く踏み込んでくる迷惑極まりない人がいましたよ」

 それが時間差の付いた先程の推理の返事だと気が付いた士郎は、狙い通り、と言う態度を繕いながら鷹揚に応えて見せた。

「はっはっは!
 そいつは災難だな」
「まったくです。
 …どうして、」
「ん?」
「…いえ、我ながら進歩が無いなと思っただけですよ」

 そう呟くと、恭也は再び口を閉ざした。
 今度は士郎も声を掛ける事無く、辛抱強く待ち続けた。

「高町恭也さんは、笑えるんですね」
「!」

 再開した恭也の第一声に、士郎は咄嗟に言葉を詰まらせた。予想していた通りの答えに、それでも動揺を抑えきれない。
 恭也が『剣士として理想的』と称した感情を殺した在り方が、彼自身が望んで獲得したもので無い可能性は十分にあった。いや、望んでいた可能性の方が低かったと言うべきだろう。
 そう、士郎は少年が感情を自ら殺したのではなく、殺されてしまったのだという想像がついていた。だからこそ、望まぬ姿に羨望を寄せる恭也にその気持ちを彼に決して見せないようにと釘をさしたのだ。
 紛争地帯に足を踏み込んだ事のある士郎は、そうした子供を何人も見てきた。特に、兵士として鍛えられた少年兵は、引き金を引く事に躊躇いを見せるような心を大人達に殺され、兵器の一部として扱われていた。
 ただ、そういった少年達と彼の間には明確な違いがあった。絶対的な従順さを求めて自我さえ壊された少年達とは違い、彼には明確で強固な意志がある。
 だから、会ったこともない『彼の父親である自分』が彼の在り方を意図的に作り上げた訳ではないのだと自分に言い聞かせる事が出来た。しかし、それは同時に『子を守る』という親の責務を果たせていない言い訳にはならない。
 十年近く前の仕事中の負傷で恭也の在り方を歪めてしまった士郎にとって、平行世界の自分もまた同じ過ちを犯していたという事実を改めて突きつけられて大きなショックを覚えたのだ。
 特に答えを期待していなかったのか、単に動揺していることに気付いていないのか、無言の士郎に反応する事無く恭也はそのまま言葉を続けた。

「それに、『妹の友人』というだけで俺の様な胡散臭い男を信用出来るんだそうです。
 俺には真似する気にもなれません」
「…それで試合の勝敗に拘ったのか?」
「そうなんでしょうね。
 はやて達が凍えてるのに気付いた時に漸く自覚しましたよ。
 正直、愕然としました。あいつらの様子も気付かないほど勝敗に執着していたなんて。
 何のために剣術を身につけようとしていたんだか…」

 自嘲的な台詞ではあるが、その手の失敗は別に恭也に限った事ではない。
 目的を達成するために手段に磨きを掛けている内に、手段を磨くために掲げた小さな目標にのめり込んで最初の目的を忘れてしまうというのは、残念ながらよくあることなのだ。
 むしろ、観戦していただけの士郎や美由希すら気付かなかった、本人達が自覚していない体調の変化を試合中の身で最初に察知したのだから、気遣い過ぎと評価してもいいのではなかろうか?

389名無しさん:2018/02/24(土) 23:22:56
「笑う事も、きっと悲しむ事も怒る事も自然に出来る高町さんが羨ましかったんでしょうね。せめて感情を失った代償に磨き上げた剣椀だけでも負けたくないとでも思ったんでしょう。
 試合を申し込んだ時にはそんな事は自覚してませんでしたが」
「勝利を手にして少しは気が晴れたかい?」
「まさか。
 実力を計る事を念頭に置いた勝敗度外視の戦い方で臨んだ高町さんを騙まし討ちしただけですから何の価値もありませんよ。
 実感出来たのは勝率3割がやっとっていう実力差だけでしたしね」
「随分辛い評価だな。あの内容なら4割くらいは言っても良いんじゃないか?」
「初撃であれだけ優位に立っておきながらあそこまで凌がれておいて、そんな評価が出来るはず無いでしょう」

 こういう自己評価の低さを見せられると、本当に恭也と彼が同一存在だと納得させられる。
 武術に携わる者として自分の実力を過小に評価するのはむしろ害悪な面もあるのだが、士郎が客観的に見た限り3勝は出来そうだが4勝目は出来るかどうか、という辺りなので不当に低くしているという訳でもないのだ。
 ただし、普通はなんのかんの言っても自分には甘いのが人間の性のはずなので、彼も息子も自然に低い方だとしているのは呆れるばかりだ。
 せめて、謙遜して不確定な勝ち星を相手に譲っているだけだと信じたいところだ。
 それは兎も角、ここまで内面が似通っているなら、きっと考え方も同じなんだろう。それならこのまま有耶無耶にする訳にはいかない。

「…でも、本当の悩みはそこじゃないんだろう?」
「…そんなにちっぽけですか?この悩みは」
「まさか。それだって十分に重大事だ。
 ただ、君が会って間もない俺にあっさり話すって事は、本心を隠すためのカモフラージュなんじゃないかと思ってな。いくら俺が『誰か』にそっくりだとしても、だ。
 よくやるだろ?隠し事をする時には真実の一端を含ませる事で本当に隠したい事柄から意識を逸らさせるってやつ」

 どうだ、と言わんばかりの顔を向ける士郎に恭也が太く重い溜め息を吐いた。
 事実上の白旗に士郎が笑みを深くする事で続きを促すと、ゆっくりと海に目を向けながら恭也が口を開いた。

「感情に振り回される自分に戸惑ってるんです」

 その台詞の意味を図りかねた士郎は一瞬戸惑い、直ぐに納得した。

「意外ですか?」
「いや。
 意表は突かれたし驚きもしたけど、納得も出来る」
「前の2つは意外だったって事でしょうに」
「ハハッ
 そうとも言うかな。
 ただ、俺は以前の君を知らないからな。
 だから、君が恭也の在り方に嫉妬したり向きになって突っかかったりするのが特に不自然だとは思わなかった。その位の感情の起伏は誰にだってあって当然だからな。
 尤も、クリスマスの時の印象ではそれすら押さえつけてしまいそうだったから、そっちが本来なんだ、と言われれば納得出来るのも確かなんだ。
 ここんところのなのはの愉快な百面相を見てる限り、昨日は久しぶりにそこはかとなく嬉しそうな顔が見れたから何かしらの変化があったんだろ?」
「…笑っていたらしいですよ。朗らかに」
「君が?
 へぇ、そいつは想像し難いな。
 …なんで『らしい』なんだ?」
「模擬戦で襤褸雑巾にされた後の朦朧とした状態だったんで自覚が無いんです」
「うわぁ…
 頭打って配線がずれたとかじゃないだろうな?」
「可能性は十分に有ります」
「真顔で言うなよ、怖いから。
 まぁ、真面目な話し、在り方ってのはそう簡単に変えられるものでもない。君くらい強固になっていたら特にな。ましてや自覚出来るほどの変化となればかなりの大事だ。
 脳味噌は言うまでも無くデリケートだから、現実問題として物理的な作用で変化する可能性も零ではないが、君の場合は逆に変化が小さ過ぎるから考え難い。
 そうなれば精神的な理由で変化したと考えるのが順当なんだが、思い当たる節は?」
「…残念ながら、無くは無いです」
「それは何より。
 尤も、君にとっての問題点は変化そのものであって、原因ではないんだろうけどな」

 士郎が確認の意味を込めて言葉を切って恭也の顔を横目で窺うが仏頂面に変化はなかった。
 それを肯定の意として受け取ると士郎は再び口を開いた。

390名無しさん:2018/02/24(土) 23:28:36
「怖いのか?変わる事が」
「…戸惑いはありますが、怖いと思うほど不快ではありません。
 ただ、刀が曇るかもしれないという可能性は恐怖以外の何物でもありません」
「君の…親族も、剣士だろう?その人達は感情を失っていたのかい?」
「いいえ。
 みんな、日常では一般人と変わりなく喜怒哀楽を示していました。勿論、みんな俺など足元にも及ばないほどの実力を持った剣士です。
 ですが、みんなに出来るから俺にも出来る、とは限りません」
「確かに、な。
 でも、やってみなければ分からないのは感情に限った事じゃないし、感情のコントロールだって言ってしまえば『技術』だ。習得するよう努力するしかない。
 そもそも、感情を取り戻す事は望んでなかったのか?」
「…特に望んだ覚えはありません。人が喜んでいる様を見てもそれを羨ましがるほどの情動が働かなかったんでしょうね。
 ただ、失いたくなかった。喜んでいる人の笑顔が曇るのは、堪らなく嫌でした」

 どちらも感情に根ざす思考でありながら、自分の幸福を求める事無く、周囲の幸福だけを祈る。
 士郎にはそれが安易に自己犠牲とは言えない様に思えた。
 守るべきものを守れなかったという後悔から来る自責と、また守れないのではないかという恐怖には士郎にも覚えがあるからだ。それらが合わされば、自分を犠牲にして周囲の人が幸せになれるなら、という考え方に行き着いてしまうのは当然ではないだろうか。

「色々と紆余曲折した結果、俺の中では、周囲の親しい人達は俺が感情を取り戻す事を望んでいるという結論に至りました。だから取り戻す努力をしました。それも、『みんなが望んでるから取り戻そうとしている』と気付かれればそれも悲しませる原因になるから隠した上で。
 勿論、茶番ですがね。
 俺は大人達が俺の考えなどお見通しだと分かっていながら隠そうとしていた訳ですし、大人達も俺が予想している事に気付きながら気付かない振りを続けてくれていたんでしょうから」

 自嘲的な内容の台詞が感情を含まない声で紡がれる。
 それを黙って聞き続けるのは士郎にとって苦行以外の何物でもなかった。
 それでも、彼の言葉を妨げても何の意味もない事も分かっていた。

「これでも、以前よりは余程改善されてきていたらしいですよ。
 感情の起伏が現れるようになってきたとも言われました。実感はありませんでしたがね。
 笑い話に聞こえるかもしれませんが、相手の表情や言葉から感情を読み取ってその場に即した反応を返すという作業を円滑に行える事と、感情の篭った反応との違いに悩んだりもしました」
「全く笑えないんだが」
「それは残念。
 …こんな話、怖くてなのは達には聞かせられませんがね。
 聞かせたら泣きながら叱られそうだ」
「その様子だと経験済みか?」
「ええ。あれは堪えましたよ」
「ハハッ
 そうだろうな。
 …で、どうするんだ?
 今ならまだ、君は芽生えだした心を摘む事だって出来るだろう。次があるかどうかは分からないけどな。
 逆に、育てる事だって出来る。勿論、どう育つかなんて育ててみなけりゃ分からないし、育てるにしても剣士として致命的な欠陥を抱える可能性を内包している事を承知の上で、てことになるが。
 幸い、摘み取ってしまったとしても今の君ならなのは達に悟らせない事も出来るだろう?『結局、芽吹かなかった』そういう結果として受け入れて誰も君を責めたりしないはずだ」

 正誤のある問題ではない。だが、結論は出さなくてはならない問題だ。
 生きていれば多かれ少なかれ取捨選択を繰り返す事になるが、大概の選択は後で修正出来るものばかりだ。
 だが、この選択は修正が利かない上に一生を左右するにも関わらず先延ばしする事も出来ないときている。年端も行かない少年が突きつけられるには余りにも重いが、肩代わりする事が出来る類でもない。
 根っからの楽観主義で豪胆な士郎と言えども、流石に同情を禁じえない。
 尤も、仮にその選択を突きつけられたのが自分だったとしたら大して悩みもせずに選んでしまうだろうが。

391名無しさん:2018/02/24(土) 23:29:13
「ま、いくら先延ばし出来ないと言ったところで1日2日の猶予も無いって訳じゃないんだ。今日のところは家に帰ろう。
 悪いな。思いの外、長話になっちまった。身体も冷えたろ?風呂で暖まりながらのんびり考えな。
 流石になのは達ももう出てる頃だろうしな」

 士郎がそう言いながら立ち上がると、恭也も抵抗する事無くベンチから立ち上がり、並んで家路に着いた。

「で、どうだ?少しは解決の糸口になったか?」
「欠片ほども。
 最後の選択肢で悩んでいる最中に、一から説明させられたので時間を無駄にしただけでした」
「そうかそうか。
 それなら寒空の下で態々話を聞いてやった俺としても殺意が沸いてくるってもんだ」
「そう言って貰えれば俺としても1割くらいは溜飲が下がりますよ」
「はっはっは」
「はっはっはっは」

 互いに言葉で笑い声を発しあう。
 事情を知らない人が見たら間違いなく親子喧嘩だと誤解される構図ではあったが、憎まれ口を叩けるだけの余裕が出てきた少年の様子に士郎は心中で少しだけ安堵していた。




続く

392名無しさん:2018/03/04(日) 23:49:27
7.認識



 模擬戦の観賞で体を冷やしたはやてを抱き上げた美由希と、同じ理由で歩けないなのはとフェイトを抱えた恭也が道場から足を踏み出すと、それを見越したように風が吹く。
 吹き付ける寒風の冷たさに、暖房器具が一切無い道場とは言え、風を凌げるだけでもマシだった事がよくわかる。
 悪い事に、道場に面した縁側にある窓を兼ねた引き戸は季節がら閉め切られて内側から鍵を掛けられているため、玄関からしか家の中に入ることが出来ない。月村家やバニングス邸ほどの豪邸ではないとはいっても、この北風では10mの遠回りはかなり辛いところだ。

「はやて、寒いからしっかりくっついててね?」
「ありあとはんでふ、では遠慮無く。
 …おお、一見しただけでは分からないこのボリュームと弾力は!」
「ちょっ!?
 はやて、何で胸揉むの!?しかも手つきが物凄くイヤラシんだけど!?」
「ハッ!?
 あまりの魅力に思わず揉みしだいてしもた!?
 ス、スイマセン!」
「ま、まぁ、分かってくれれば良んだけど…
 言葉遣いがハッキリするほど興奮してるみたいだし、ひょっとしてはやてってそっちの人?
 私はてっきり不破君なのかと…」
「シッ、シー!!」

 自業自得気味ではあるものの、その台詞にはやてが慌てて美由希の口を手で塞ぐ。
 だが、当然ながらそれでは空気を震わせた声が恭也に届くのを妨害する事は出来ない。

「ちょっと待て、流石に聞き捨てならないんだが。
 俺が女の胸を揉んで歩いてるような言い方をしないで貰えませんか?
 先日のはあくまでも事故です。胸を揉んで喜んでいるのはあくまでもはやてであって俺じゃありませんよ」

 真面目な顔で釈明する少年の顔を美由希がまじまじと見つめる。
 数秒掛けて自分の台詞を『胸を揉んで興奮するのは不破君なのかと思っていた』と解釈したのだと理解すると、はやての顔を、継いでなのはとフェイトの顔を確認して自分の解釈が間違っていない事を悟った。
 先程の遣り取りを他意もなくあそこまで見事に曲解するということは、自分がはやてに好かれている可能性を微塵も考慮していないのだろうが、ここまでくると鈍感と言うよりは日本語の理解力の問題ではないだろうか?

「…訂正した方が良い?」
「そのままで…お願いします」

 少々不憫に思い一応提案してみたが、やっぱり予想通り断られた。流石に恋する乙女としては、この想いはなし崩し的に知られたくはないだろう。
 泣き崩れそうなはやてに助け船を出したのは、恭也に抱き上げられているなのはだった。

「え〜と、あ、恭也君、やっぱり凄く汗かいてるね。服がぐっしょり濡れてるよ」
「流石にあれだけ動けばな。
 すぐに風呂に入れるから、少しくらい濡れるのは我慢してくれ」
「あ、それは全然平気だよ。ね、フェイトちゃん?」
「うん、暖かくて気持ち良いくらい。
 あ、恭也にとっては冷たいよね。ゴメンね?」
「…まぁ、構わないがな」

 恭也の返事はニュアンス的には冷たい事に対するものと言うより、喜んでいるようにすら見える少女達の態度に対するコメントだったようだが、2人に気付いた様子は無い。
 どちらも無邪気な事この上ないが、その2人で比較すれば無邪気さ加減はなのはの方に軍配が上がるようだ。

「でも、うちのお風呂に5人いっぺんって流石に狭そうだね、お姉ちゃん」
「…え?
 あの、なのは?5人目って誰?」
「あれ?お姉ちゃん一緒に入るんでしょ?」
「私が5人目?じゃあ、4人目は、って言うか、誰と入る気?」
「え?
 だから、私とフェイトちゃんとはやてちゃんと恭也君とおね『ええっ!?』っわ!?」

 なのはを除いた少女達の驚愕の叫びが響いた。

393名無しさん:2018/03/04(日) 23:53:11
 高校生の美由希は当然として、耳年増気味のはやても、同室で着替えるという暴挙に及ぶ事で羞恥心を体感したフェイトも、なのはの言葉は受け入れられるものではなかった。
 だが、なのはにとっては驚愕を示すみんなの反応の方が意外だった。滴るほどの汗にまみれた恭也だって少しでも早く風呂に入った方が良い、なんてことは言うまでもない事だと思っていたからだ。

「な、なのは、不破君は男の子だから一緒にお風呂に入るのは止めた方が良いと思うよ?ね?」
「え、でも、10歳までは良いんでしょ?」
「そりゃあ、銭湯はそういうことになってるけど…」
「なのはちゃん、出来れば私も一緒に入るのはちょっと…」
「私も…」
「ええ!?で、でも、恭也君が風邪引いちゃうよ!?」

 真っ赤になっている3人に対して、改めて驚きの声を上げるなのはにフォローを入れたのは恭也本人だった。

「この位で引いたりしないからさっさと入ってこい。
 お前達は兎も角、お前の姉と一緒に入るのは俺も御免だ」
「ぁぅ…」
「へぇ、美由希さんだけなんや…」
「利害が一致してるんだから、そこで食い下がるな」
「むぅ」
「なのはもそろそろ認識を改めておけよ。ルール以前にあまり無防備だとあらゆる意味で周囲に被害が及びかんねん」
「えぇ〜?」

 不満、と言うよりは理解出来ないと言う顔のなのはに揃って苦笑を返す。
 基本的になのはは異性への警戒心が低い。
 勿論、なのはにだって羞恥心は有る。それなのに恭也と入浴することに抵抗を感じないのは、想像が追いついていないからだ。
 風でスカートがめくれてパンツを見られたら恥ずかしいと感じる。それは経験があるから良く分かっている。
 だが、なのはには幼稚園以来『男の子とお風呂に入る』という経験が無い。父や兄はなんだかんだと理由を付けられて入ってくれなくなったのだ。だから、異性との入浴が恥ずかしいものだという一般論が具体的に理解出来ていないのだ。
 フェレットの姿をしたユーノと一緒に入っていた事も、男子との入浴に対する抵抗感を下げている一因になっているのだろう。
 尤も、フェイトと同じ様に、実際に一緒に入浴すれば思考回路がショートしただろうことは容易に想像出来るのだが。

 脱衣場に到着すると美由希が中へ入り、続いて足を踏み入れた恭也が入り口付近で立ち止まって中を見渡した。
 洗面所も兼ねた脱衣所はそれなりの広さを持っていたが、子供を含めた4人が同時に着替えるには流石に手狭だった。
 とは言え、この状況で贅沢を言っても仕方がない。椅子の類が無いため、恭也はなのはとフェイトを床に降ろした。

「あ、恭也君、ありがとう」
「ありがと、恭也」
「良いからしっかり温まってこい。
 それじゃあ美由希さん、3人共自力で服も脱げないだろうが宜しく頼む」
「りょーかい。
 不破君も体を冷やさないようにね?」
「心得ています」

 そう言い残すと恭也は惜しげもなく背中を見せて脱衣所のドアを閉めて出ていった。

「…ねぇ美由希さん、少しくらい興味を持ってそうな素振りがあってもええと思いません?」
「あ、あはは…
 まぁ、女の子の裸に興味を持ってもおかしくない年頃だとは思うけど、もの凄く恥ずかしがり屋な上に自制心も強そうだから、そんな素振りは簡単には見せてくれないと思うよ?
 それにはやてだって、相手が女の子なら誰彼構わず着替えを覗こうとする不破君なんて嫌でしょ?」
「それは、まあ、確かに…。
 ところで、フェイトちゃんは何で真っ赤になっとんの?」
「な…なんでも、ないよ?」
「…ひょっとして、恭也さんに覗かれたん?」
「ちちちちちちがうよ!!
 単に一緒の部屋で着替えただけだし恭也は見ないように背中を向けてくれてたから私が一方的に見てただけだもん!!」
「へ〜そうなんや。
 じゃあ、詳しい話はお風呂に入りながら聞かせて貰おか」
「…は!?誘導尋問!?」
「そんな高度な駆け引きじゃなかったと思うけど…
 まぁ、何にしても脱がせ終わった子から湯船に放り込むからね?
 っと、その前に水で埋めて温くしておかないと凍えた体には辛いか。
 あ!そう言えば着替えが要るんだ。なのは用の買い置きがどこかにあったかな?
 みんな、ちょっと探してくるから自力で脱げるだけ脱いでおいて」
『はーい』

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395名無しさん:2018/03/05(月) 00:11:06
 急なイベントのため右往左往する美由希を見送ると、未だに体の自由が戻らない3人は脱衣所の床に座ったまま苦労しながら服を脱ぎ始める。

「それにしても綺麗に掃除されとるね、この脱衣所。
 なのはちゃんのお母さん、毎日喫茶店で働いとるのに凄いなあ」
「あ、お掃除はお兄ちゃんとお姉ちゃんが毎日交代でやってるんだよ。
 私もお休みの日は手伝うけど、まだ掃除機が上手く使えないから拭き掃除とかだけなんだ」
「使えんて…まあ、市販の掃除機は大人が使い易いように設計されとるから多少はコツが要るけど、ちょお大袈裟な気も…ああ、あのお兄さんらならごっつい『上手く』使いそうやね。
 それは兎も角、やっぱり毎日掃除しとるんか。
 うちも去年から家族が増えたから分かるけど、人数が多いとすぐに埃が溜まりよるからね」

 普段から家事全般をこなすはやてならではの感想だが、確かに埃やら何やらが落ちていたら直に座るのはかなり抵抗があっただろう。
 恭也も先程見渡した時に確認したからこそ躊躇い無くなのは達を床に下ろしていったのだろう。
 それは兎も角として、

「脱げないね…」
「あ、やっぱりフェイトちゃんも?」
「せめてボタンのない服やったらな」

寒さにかじかみ震える手でボタンなど外せるはずがなく、痺れた足ではスカートを脱ぐ事も出来ない。
 結局、3人とも美由希が戻ってくるまで無為に時間を過ごす事になるのだった。




「極楽やぁ〜」
「はやてちゃん、おじさんみたいだよ?」
「わ、私は足がビリビリしてきたんだけど…?」
「あ〜、正座した後とかに急に血流が良うなるとなるんよね。
 ここか?ここがええのんか?」
「ひゃあ!?」
「ちょっ!?はやてちゃん、触っちゃダメ!」
「危ないからあんまりはしゃいじゃダメだよ」
『はーい』
「湯加減は丁度良かったみたいだね。
 でも、そのお湯、ほんとはかなり温いから馴れたら沸かすよ?ちゃんと暖まらないと風邪引いちゃうからね」

 高町家の浴槽は一般家庭と比べてもかなり広い。
 士郎が湯船には手足を伸ばしてゆったり入りたい、と設計段階で要望を出していたため、子供3人が一緒に入ってもまだ余裕があった。

「お姉ちゃんは一緒に入らないの?」
「お姉ちゃんは身体冷やしてないから、そのお湯、温すぎるんだよ。
 沸くまで体洗ってるね」
「ごめんね、お姉ちゃん」
「良いってば」

 そうして体を洗い始めた美由希をぼんやりと眺める3人。
 入浴しているのだから当然ではあるのだが、美由希は眼鏡を外し、先程まで三つ編みにしていた髪を解いている。だが、たったそれだけの事で、美由希は見違えるほど大人っぽく見えた。
 更に言うなら、美由希の眼鏡はフレームこそ女性用の細いものとは言え黒縁でレンズの大きなものだし三つ編みも野暮ったく見える。どう考えても今時の女の子の感覚からするとマイナス要素でしかないそれらを外した素顔の美由希は、今まで気付かなかったのが不思議なほどの美人だった。
 しっかりメイクをすれば、そこらのグラビアアイドルなど敵ではないんじゃなかろうか?
 そして、もう一つ。
 現在小学校3年生の3人は高校2年生の美由希とは8年の年齢差がある。成長期の8年の差は当然ながら大きい。どのくらい大きいかと言えば、平坦な自分の体を見下ろせば一目瞭然と言えるほどだ。
 美由希も御神流の剣士である以上、普段から武装を帯びている。短刀や飛針を目立たないように収納するために動きを阻害しない範囲で多少ゆとりのある服を選んでいる。結果、身体の線は非常に分かり難くなる。更に、美由希が普段好んで着る服は大半が黒色なので、凹凸によって出来る陰影が目立たない。つまり、平均以上の大きさがあるにも関わらず、目の錯覚で高低差が分かり難いのだ。
 なんて勿体無い、とはやては思うのだが、セックスアピールを武器にする積もりのない美由希には関係の無いデメリットなので、剣士としての実用性と好みが優先された結果だった。

「3人とも静かになっちゃったけど、どうかしたの?」
「え?あ、なんでもないよ」
「そう?」

 3人が魅入られたのは、容姿についてのギャップに驚いていたこともあるが、やはりふくよかな胸元に関心が向かったためだ。
 成長する余地がある、と言う事は、成長しない可能性がある、と言う事の裏返しだ。未来が確定していない以上は期待と不安の二律背反は避けられない。
 母・桃子の容姿を色濃く受け継いでいるなのはとてそれに変わりはなく、期待が持てるというだけで安心には至らないのだから。

396名無しさん:2018/03/05(月) 00:25:35
「…あの、美由希さん、どうしたらそんなに胸が大きくなるんですか?」
「へ?」
「おお、フェイトちゃん、ストレートやね。
 でも、秘訣とかあるんやったら私も知りたいです」
「そう言われても…
 私だって何が原因かなんて分からないよ。
 それに御神流の運動量だとちゃんと固定しておかないと本当に胸が千切れるんじゃなかってほど痛くなる事があるし、バランスを崩すしそうになる事もあるから剣士としては手放しで喜べないんだ。勿論、小さかったらそれはそれで悩みの種にはなったんだろうけど。
 そんな訳で、特に積極的に大きくなるのを望む訳にもいかなかったから、特別に何かしてた訳じゃないんだよ。筋肉の鍛え方だったらいくらでも相談に乗って上げられるけど、こればっかりは…」

 美由希としてもこの手の話題は得意ではないので避けたいところだが、その悩み自体は身に覚えがあるので無碍にもし難い。
 だが、確定していないからこそ未来と言うのであって、本人に分からないのだから他人にだって分かる訳がないのだ。『成長したら大きくなるよ』なんて無責任な事も言いたくない。その言葉に何の根拠も無い事が分かっているからこそ、過去に美由希自身もその言葉を返され、適当にあしらわれている様にしか聞こえなかった事を覚えているからだ。
 だからと言って、適切なアドバイスが出来る訳でもない。
 そもそも、100%胸を大きくする方法なるものが見つかっているなら、逆に世の女性はこれほど胸の大きさを気にしたりしないだろう。

「え〜と、とりあえず生物学的には脂肪の塊な訳だから、沢山食べる事、かな?」
「お姉ちゃん、身も蓋もないよ…」
「色気まであらへんな…」
「そ、そんな事言われても」
「でも、お腹とかにも付いちゃいませんか?」
「そこは運動するしかないと思うんだけど…、私の運動量はあんまり参考にならないと思うんだ」
「そう、だよね。
 お姉ちゃん、さっきの試合に参加出来るんだよね?」
「あ、やっぱりそうなんだ」
「凄いですね。魔法なんかよりよっぽどファンタジーやと思いますけど」
「ファンタジーかなぁ?
 でも、確かに運動量的には参加出来ると思うけど、本当に参加だけだよ?」
「どう言う事?」
「三つ巴の戦いだとしたら、間違いなく最初に脱落するのは私だって事。
 不破君が10歳だなんて信じたくないよぉ」

 いつの間にか話題が『胸を大きくする方法』から逸れている事に気付くことなく、美由希の泣き言に3人は顔を見合わせた。
 恭也が負ける姿を想像出来ないのは確かだが、同じ剣術流派の先達と言う事で美由希の方が強いのだろうと漠然と考えていたのだ。

「ほんまに美由希さんより恭也さんの方が強いんですか?」
「え?そりゃあ、ずっと師事を受けてるんだから恭ちゃんの方が…、あ、ごめん、不破君の事だね。
 うん、強いよ。多少の相性の違いはあるかもしれないけど、私は恭ちゃんの本気をあそこまで引き出せた事ってほとんどないから」

 試合を思い出しているのか、美由希は遠くを見るような眼差しになっていた。
 自分より遙かに年下の少年の実力が自分を上回っていれば、大抵の者はショックを受けるだろう。
 だが、美由希が気にしているのは少々別の理由だった。

 高町恭也が10歳の頃と比べても、不破恭也はあまりにも強過ぎる。
 恭也が10歳の頃といえば、士郎が重傷を負って入院したため恭也が自ら師範代を名乗り美由希を指導しだした頃合だ。『師範代』は自称でしかなかったが、美由希を正しく導けいている事を考えれば、逆説的に御神流の基準に照らし合わせても恭也の実力は十分に高かったと言えるだろう。
 恭也は年齢からすれば不自然なまでのストイックさで周りの子供が遊んでいる時間を剣術に費やしてきたのだ。その恭也を越える彼は、一体どのような密度の鍛錬をこなしたのだろうか?それは、本当に健全な精神でいられたのだろうか?
 そして、もう一つ。
 普通ならあり得ない同じ素材という比較対照があるとどうしても考えてしまう。如何に10歳時点の実力に差があろうとも、肉体の成長期に順当に上達していれば兄と彼の実力差がこの程度ではなかったのではないのか、と。物心がついて刀を振れるようになってからの数年間と、成長期の十年間ならばどう考えても後者の伸び代の方が大きいはずなのだから。

397名無しさん:2018/03/05(月) 00:26:06
 …そう、恭也が美由希の指導に費やす時間を自分自身のために使っていれば、もっと実力差は開いていたのではないだろうか。
 幸不幸は個人の価値観だ。周囲の全ての人間から羨望を受ける境遇を本人が受け入れられないからといって、本来は『贅沢』や『世間知らずの我侭』と決めつけて良いものではないのだ。
 だが、剣腕が高かろうが低かろうが余計な苦労を背負い込んでしまう『恭也』という存在は、本当に幸せなのかと心配になってしまう。美人でスタイル抜群の恋人が出来たり、将来有望な美少女達から想いを寄せられたりと、決して不幸ばかりの境遇ではないのだろうが、それで採算が合っているのだろうか?

 いつの間にやらそんな考えに耽りながらシャワーで全身の泡を洗い流す美由希の姿に再び3人の目が自然と吸い寄せられる。
 眼鏡を外した事で明るみに出た美貌に憂いを帯びる事で大人の色気を醸し出す素顔。
 三つ編みを解かれて背中に広がる緩くウェーブの掛かった美しい漆黒の髪。
 重力に屈する事無くしっかりと綺麗な形を保っているのにちょっとした動作で柔らかく揺れる乳房。
 女性らしさを象徴するような丸みを持った腰回り。
 鍛えられて引き締まっているにも関わらず絶妙な厚さの皮下脂肪に覆われて筋肉の凹凸が目立たないお腹。
 そして意外なほど日焼けしていない肌理の細かい白い肌。
 そんな起伏に富んでいながら見事な曲線で構成された肉体を水流が滑らかに滑り落ちる様は、成人男性向けの映像に出てきそうな仕草をしているわけでもないのに、耳年増なはやてどころかその手の知識が備わっていないなのはとフェイトの頬を染めさせるほど、清楚ながらも艶やかな色気を醸し出していた。

「…あれ?お湯、熱すぎる?」
「え!?だだ大丈夫ですよ!?」
「うううん!」
「こここんくらい平気です!」
「そ、そう?凍えた後にのぼせたりしたら身体の負担も大きいだろうから無理しちゃ駄目だよ?」

 そんな事を言いながら湯船の空いているスペースに浸かる美由希。
 もしかするとこの手の無自覚さは家系なのだろうか?

「え〜と、何の話だっけ…?
 あ、そうそう、不破君の強さだったね。
 今日の不破君と恭ちゃんの試合は、あのまま続けてれば多分不破君の勝ちで勝負が付いてたと思う」
「そうなの!?」
「うん。あんまり正確じゃないと思うけど、あと30分前後続いてたら決着したんじゃないかな?
 ただ、同じ条件で何度も戦えば10戦中2勝から4勝くらいの結果になると思う」
「あ、やっぱりなのはのお兄さんの方が強いんですね」
「今回と同じ条件での戦いではね」
「?
 今回と違う条件の戦いってどんなんがあるんですか?」
「どっちかって言うと今回の戦いの方が特殊なんだけどね、屋内戦ばかりとは限らないんだし。
 木が遮蔽物になる森の中や足下が不安定な川辺や砂浜、建物の中でも、椅子やテーブルなんかの邪魔な物がある部屋や小太刀を振り回せない狭い通路、無関係な一般人が大勢いる会場。
 1対1じゃない可能性だってあるし、すぐ傍まで接近されるまで敵だと気付かない場合、その逆だってあるかもしれない。
 飛針や鋼糸、あるいはもっと別の武装を使える場合とか、そうそう、不破君は魔法も使えるんでしょ?」
「そういえば、今回は2人とも刀だけでしたね」
「そっか、フェイトは見えてたんだ。
 どう?フェイトは戦えそうだった?」
「とても無理です。
 動きには何とかついていけると思いますが、直ぐに追いつめられちゃうと思います」
「フェイトちゃんはついていけるからまだ良いよ。
 私は魔法を使ってもどれだけ逃げ回れるか…」
「目で追えるだけでも立派だと思うけどね。
 はやては?」
「私は目で追う事も…」
「それが一般的だから気にしないで。
 それに魔法使いの本領は距離を取っての魔法攻撃でしょ?」
「まぁ、人によってちゃいますけど、私の場合はそうですね。
 そう言う美由希さんはどないなんですか?
 さっき、恭也さんの方が強い、みたいな事は言うてはりましたが」
「今日と同じ条件なら不破君に4勝するのは難しそう、て位かな?
 でも、ちょっと意外かな。魔法なんて使われたら私達なんて手も足も出なくなるものだと思ってたけど、条件次第ではそれなりの勝負になるものなんだね」
「いえ、あの、普通は勝負になんてなりませんよ?」

 この場で唯一(僻地ではあるが)魔法文明に触れいてたフェイトが美由希の誤解を訂正した。

「そうなの?」
「魔法の存在する世界の常識では、魔導師に近接武器で挑む人なんていません。無謀だからです。
 仮に戦ったとしてもCランクの人が相手でも1対1では一般人にはまず勝ち目が無いんです」

398名無しさん:2018/03/05(月) 00:26:43
 尤も、誤解を解いている美由希自身が非常識に分類される事は確定しているため、この説明にどれほどの意味があるのかは疑問の余地があるのだが。
 また、フェイトは説明を省いたが、銃器で武装して狙撃レベルの奇襲が出来れば魔導師にも勝てる。バリアジャケットは強度に応じて常時魔力を消耗するためそれほど高く設定しないからだ。勿論、それには殺害かそれに準ずるほどの負傷を負わせる事が条件になるため、殺し合いが前提の話だ。
 逆に奇襲に失敗すればまず勝ち目がなくなる。魔力の出し惜しみをしなければ、よほど大威力の銃器でなければ防げるし、専用の装置でもなければ探査魔法を掻い潜る事が出来ないからだ。

「魔導師ランク、だっけ?
 因みにフェイト達のランクは?」
「私は半年程前にAAAの認定を受けました」
「私は受けたこと無いけど、クロノ君達が言うには同じくらいだろうって」
「私も受けたこと無いですね。魔力量は多いらしいですけど照準とか収束とかの技術的な事がからっきしなんで、よっぽど訓練してからでないとごっつい低評価になりそうです」
「ふうん。
 それで、不破君との模擬戦の結果は?」
「…最初の頃は一応優位に立ってたはずなんだけど、最近はどうやって優位に立ってたのか思い出せなくなってきちゃったかな」
「昨日、3人掛かりで総攻撃して漸く捉えられたんですが、その、3対1だったのに魔力量に頼った『物量作戦』だったのであまり…」
「スマートじゃなかった?
 でも、資質を効果的に使うのは別に恥じる必要は無いと思うけど?」
「そう、ですか?」
「うん。
 それに、勝ち方に拘るって事は『拘っても勝てる』と思ってるって事でしょ?同等以上の相手だったら形振り構っていられないはずだよ。
 最低ランクの不破君が相手なら勝って当然?」
「ち、違います!
 そんな、ことは…あぅ」

 思わず否定したが思い当たる節のあるフェイトは尻すぼみになってしまった。ショックのあまり強ばった顔を隠すように深く俯くフェイトに美由希が苦笑する。
 勿論、フェイトが恭也を見下していたなどと言う事はない。そもそもランク以前に3人掛かりで挑んでいるにも関わらず戦闘技術で敵わないからと、先天的な資質である魔力量頼りのゴリ押しという手段に出る事を恥じるのはある意味当然なのだ。広範囲型の魔法が殲滅系とか戦略級とか呼ばれる大威力魔法しか持ち合わせていない事もその考えを助長しているかもしれない。
 ただし、1対1での訓練で恭也の領域とも言えるクロスレンジに踏み込んで敗北を続けていたのは事実だし、その戦い方を恭也から指摘されていながら頑なに戦闘スタイルを変更していないのも確かなのだ。
 本人にどのような意図があろうと、魔導師ランクという評価基準が存在する以上、それは見下しているという解釈も出来なくはない。尤も、それで連敗しているのだからあまり説得力があるとは言えないのだが動揺しているフェイトはそこまで考えが回らないようだ。
 そんなフェイトを見ていられなかったなのはとはやてが美由希に抗議の声を上げた。

「違うよ!
 フェイトちゃんは得意な分野で強くなろうって頑張ってるだけだよ!」
「そうです!
 格上の相手に挑む、言うんは見下すのんとは正反対や!」
「なのは、はやて…」

 分かってくれる人は分かってくれる。誤解して欲しくない親友達の声援にフェイトは胸が熱くなり、潤んだ瞳で2人に抱きついた。
 話を振った美由希も期待していた通りの結論に落ち着いた事に安心して、抱き合う3人を微笑ましく見つめ、年長者の責務として苦言を呈す。

「自分の方向性を把握してるのは良い事だね。現状に満足せずに上を目指すのも立派だと思うよ。
 でもね、得意分野を伸ばしたとしても不破君に追いつくのは簡単じゃないよ?」
「?
 それはそうですよ」
「へ?」

 不思議そうに肯定するフェイトに意表を突かれた美由希が間抜けな声を上げるが、なのはとはやてにとっても同じ結論なのでどちらもフェイトと同じ顔をしている。

399名無しさん:2018/03/05(月) 00:27:36
「お姉ちゃん、急にどうしたの?」
「恭也さんと対等になるんが大変なんは当然やないですか」
「私達が力をつけてる間に恭也だって強くなるだろうから何年掛かるか見当も付かないよね?」
「そうだね。
 20発以上の誘導弾を躱せること自体も異常だと思うけど、普通の人ならどんなに頑張ったって離れた所から目で追えなくなる様なスピードで移動するなんて自力では絶対出来ないもん」
「オリンピック選手かて無理やで。
 私的にはエスパーか思うほどの読心術の方が厄介やな。面と向かってなくても、魔法の種類や仕掛ける位置とタイミングで何を狙ってるか予想出来るってどんだけやねん」
「そうだよね。
 恭也って本当に魔法の存在を知って1ヶ月位なの?
 効果範囲や威力そのものだけじゃなくて魔法の余波や余剰の光や砂埃まで普通に戦術に組み込んでるなんておかしいよ」
「一応、『魔法が発動するまでに恭也君が近づけないロングレンジから撃てて、恭也君の回避距離以上に広い効果範囲の魔法』って言うのが今の恭也君に有効な攻撃なんだけど…、いつの日か、その弱点すら克服しそうだよね」
「それって、私が魔法の高速処理や並列処理が出来るようになる言うんと同じレベルの無理難題のはずやねんけどなぁ…、ホントにいつの間にか克服してそうやなぁ」
「あはは、そうだね。
 でも、どっちかって言うと魔法の特性の裏をピンポイントで突く様な変則的な方法とか、誰も思いつかないか思いついても馬鹿馬鹿しくて実行しないような奇抜な方法とかで対処しそうじゃない?」
『ああ、有りそう有りそう』
「…信頼、されてるなぁ」

 それは本当に信頼か?という無粋なツッコミを入れる者はこの場には居なかった。
 それより、美由希はありのままの不破恭也を受け入れている少女達に感心さえしていた。
 フェイトは兎も角、地球では御伽噺でしか存在しない『魔法』という力に順応しているなのはやはやてではあるが、3人とも特に異常な感性をしている訳ではない。だから、事件の最中に恭也の異常性を垣間見たという話は聞いていたので、何処かしらに彼に対する恐怖心があるのではないかと美由希なりに心配していたのだ。
 だが、少なくとも美由希が見る限り彼に対して壁を作っている様子は無く、普通に年頃の(と表現するには早熟な気もするが)娘らしく憧れ、慕っているようだ。
 二刀流という特殊な剣術を習っていたためにクラスメイトから忌避された経験を持つ美由希としては羨ましいくらいだ。
 こんな良い子達だから無茶を通すのだろうか?
 そんな考えが美由希の脳裏を過ぎり、それなら仕方がないか、と納得してしまう。

400名無しさん:2018/03/05(月) 00:28:11
 美由希は、話に聞いた事件中の不破恭也の戦い方にある種の疑念を持っていた。
 戦いを経るごとに手の内を明かしていく、と言う戦い方は簡単に実行出来る事ではない。
 確かに過剰な力を示す必要は無い。相手の力量を把握して必要十分な力で対応するのが武術の理想ではある。
 しかし、肉体的な技術を駆使して戦う地球の武術ならいざ知らず、魔法と言うこの世界に無い概念との戦いではどのように裏を掻かれるか分からないのだ。そして、一度の敗北が死を意味する以上、相手が何かを仕掛けてくる前に無力化するのが戦術の基本になるはずなのだ。
 戦う相手が常に身内、殺してしまう訳にはいかない相手だったから全力を振るえなかった、という解釈も出来ない。刀を打ち込む位置や威力を加減すれば済む事だし、歩法や運体は直接敵を殺傷する技術ではないからだ。
 ならば、一体どのような意味があるのか?
 その答えとして美由希が思いついたのは『自分を追い詰めるため』だった。
 命懸けの戦いは飛躍的に実力を高めてくれる。無論、勝ち残る事が絶対条件ではあるが、『実戦に勝る経験は無い』という言葉通り、安全が約束された模擬戦を重ねのと、自分を殺しに掛かってくる敵と戦う実戦とはまるで違う。
 当然、実戦を経たからと言って飛躍的に筋力が増加する訳でもスピードが上がる訳でもない。ただ、自分の生命が危険に晒される恐怖や、守りたい存在に魔の手が伸びようとする焦燥といった心理的なプレッシャーに打ち勝つことは大きな糧となる。
 何より、地力で勝る敵との戦いが避けられない事態は必ず訪れる。そして、どれほど実力差があろうと不利な状況であろうと負ける事が許されない以上、手持ちのカードと周囲の状況を駆使する事で敵を打倒しなくてはならない。
 『自分よりも強い相手に勝つ』、そんなある意味矛盾を抱えた勝利はこれ以上無いほどの経験だろう。
 そんな状況を彼は自分の手札を伏せる事で作り上げているのではないか、と美由希は疑っているのだ。
 だが、いくら伏せていようと『手元に札がある』という状況は、心のどこかに余裕を生む。多大なリスクに対してリターンが小さ過ぎる。

 単なる邪推かなぁ、といういつもの結論に至ったところで美由希は重大な過失に気付いて目を見開いた。

「ちょっ、みんな早くお風呂から出て!」
『…ほへ?』

 明らかに反応が鈍い。既にのぼせかけているのは明白だ。

「のぼせる前に自己申告しようよ〜」

 兄の叱責を想像して頭を抱えた美由希の泣き言が浴室に虚しく反響した。




続く

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<削除>

402語り(管理人):2018/03/14(水) 22:59:17
>>109
>>401

「……引っ張ってった言う女の子もやっぱりかわいかったん?」
「ああ、一緒に居たその子の友人は3人ともタイプは違うが容姿は整っていたぞ。
 ところでシャマル、確認しておきたい事がある。俺の目には会話が進むに連れて、はやての怒りゲージが溜まっていってる様に見えるんだが気のせいだよね?だって笑顔なんだモン」
「うわっ、キモッ!」
「心細さが語尾に顕れてるわね。
 大丈夫よ恭也君。あなたの見立ては正しいわ。笑顔に見えるのは気のせいだから」
「何も大丈夫じゃないし。今の会話の何処に怒りを買う要素があった!?」
「本気で言ってる様に見える所が凄いわね。あれだけ語るに落ちてれば怒るでしょう」
「…え?俺、何か隠し事してたのか?」
「アタシに聞くな!」
「ムゥ…」

 何等疚しい事はありませんと返されては、はやても呻く事しか出来ない。「浮気者!私と言う者が在りながら!」とか言う台詞が思い浮かぶが口には出さない。転がりようによっては自分が羞恥にのたうちまわるか、思いもよらない大ダメージを受ける可能性がある。
 最近はやては恭也に対して隠しておきたい感情が芽生えている事を自覚しつつある。万が一にもこんな冗談のやり取りで知られる訳にはいかない。
 怖がってる訳やないよ?勘違いやったら困ると思とるだけなんよ?だって家族やし?
 言い訳など探せばいくらでも見つかるものである。

「…ひょっとして、俺がかわいい女の子と知り合いになっていた事か?」
「エッ!?そんッ…」

 隠そうとしている事をあっさりと指摘されてあからさまに動揺するはやてを眺める恭也の表情に表れているのは純粋な“呆れ”だった。あれ!?

「シャマルとシグナムの胸では足りないのか…。
 念のために言っておくがあいつらははやてと同じ歳だから知り合いになっても手を出すのは何年か経ってからにしておけよ?
 あと、本人の同意が得られなければ同性であっても犯罪だと思うぞ。
 それ以前に友人無くすから止めておけ?」
「そう来るか!恭也さん、私のことどういう目で見とるの!?視線を逸らさんといて!いや、優しく肩に手を置けと言う意味でもなく!」
「なんだ自覚がなかったのか。
 安心しろ、はやて。最近は同性愛者への理解も世間に浸透しつつある。俺も自分が巻き込まれない限りは寛容だぞ?」
「待たんかい!爽やかな仏頂面でサムズアップすな!背中押してどないすんねん!ここは引き留める所やろ!」
「引き止められたいのか?」
「勘違いや言うとんねん!
 シャマル達の胸揉むんは気持ちええからや!あの何物にも替えがたいフカフカの感触は手放せんのや!」
「ほぅ」
「もとい!今のは忘れて?」
「無理だろ」
「ひーっ!?ちゃうねん!今のは言葉の綾やねん!私にはちゃんとっ…!?」
「…ちゃんと?」
「ナッナンデモアリマセン!」
「好きな男がいるなら誤解を招く真似は止めた方が良いんじゃないか?」
「イヤ〜〜ーーッッッ」

 数分前の思いも虚しくあっさり暴露しかけるはやて。
 そんなお笑い芸人の道を爆進するはやての姿にシャマルがそっと涙する。

「昔はここまで酷くなかったのに…」

 否定する気は無いらしい。

403小閑者:2018/04/19(木) 12:46:34
8.大人



 士郎と共に戻ってきた恭也が風呂から上がる頃にはのぼせていたなのは達も復帰し、帰宅した桃子が夕飯を作る間、なのはの発案に従い4人はリビングでテレビゲームに勤しむことにした。

 ゲーム初心者のフェイトと恭也にも出来るゲームと言うことで双六の様なボードゲームタイプとコントローラを振り回す体感ゲームタイプが選択肢として上げられ、初心者組みがどちらも運動に長けているからという理由で後者となった。
 ゲームソフトは4人で出来るテニス。ペアは経験者同士と初心者同士でじゃんけんをして勝ち同士・負け同士とした結果、なのは&フェイトV.S.はやて&恭也となった。
 始めた当初は『運動は苦手だけどゲームなら得意』と主張するなのはと、『ヴィータと散々やり込んだ』と自信を露わにするはやての熟練者2人が初心者2人をフォローしながら和気藹々と遊んでいた。
 ゲームキャラにダイビングボレーをさせようとしたフェイトが、自ら飛び跳ねて着地地点にいた恭也に顔面鷲掴みキャッチされたり。
 なのはの打った頭上を越えるロブをスマッシュしようとした恭也が、抜き手も見えない背負い刀の抜刀よろしくコントローラを振り回してゲーム機のセンサに検出して貰えなかったり。
 そんな初心者に有りがち(?)なミスを笑い合う余裕もあった。
 しかし、笑顔でいられたのは初心者2人がゲームに慣れるまでの10分程度だった。
 たかがゲーム。
 されどゲーム。
 真剣に取り組むからこそ楽しいのだ、と言ったのは何処の誰だったか。
 僅かな隙間を逃すことなく打ち抜くスタイルのなのはと、チェンジオブペースで相手のリズムを崩してチャンスを作り出すはやての実力はほぼ拮抗していた。
 方法論こそ違えど熟練した2人がこの短時間に今更上達するはずはなく、勝利を目指す以上は必然として互いに相手の弱点を攻撃することになる。1対1であれば苦手な球種やコースを探すところだが、これはダブルス、互いに分かり易い急所を抱えているのだから、自ずと行動は決まってくる。
 相手初心者をどう攻撃するか、それをフェイントにフォローに走ろうとする熟練者の裏をどう掻くか、味方初心者をどう行動させるかに腐心するようになっていく。
 そうなると勝負の行方は伸び代のある初心者達の上達速度に掛かってくる。
 そして、フェイト・恭也共に流石と言うべきか、予想を裏切る事無く物凄い勢いで上達した。
 どちらもテニス自体のルールを把握するところから始めたにも関わらず、あっという間に上級者モードのNPCを相手にしても引けを取らないであろうレベルに到達してしまったのだ。
 だが、そこまでいくと個人の特性が現れ始める。
 恭也もフェイトも反射神経と動体視力が人類の範疇から逸脱した高速戦闘のエキスパートなのだ。当然の事ながら、彼らの性能は平均的な一般人が楽しむために作られた家庭用ゲーム機に注ぎ込むには明らかにオーバースペックなのである。逆に言えばプレーヤーキャラの移動スピードや打球スピードを彼らのスペックが遺憾なく発揮出来るように調整されたゲームなど、一般家庭の善良なお子様方に楽しめる代物ではなくなってしまう。
 『もっと速く動いてよ!』とか『どうしてあんな遅い珠しか打てないんだ!?』というゲームプレーヤーとしては負け犬の遠吠え的な『自分だったら』という負け惜しみが何度か零れた後、漸く2人とも考え方を切り替えた。
 即ち、このゲームの本質は来た玉に反応するのではなく、如何に敵の思考を読み、誘導し、裏を掻かにあるのだ、と。
 来た玉に反応するのは出来て当然、としている辺りはこの2人ならではの前提である。ただ、戦術としては間違ってはいないのだが、瞳の何処を探しても笑みの欠片も見つからない戦場さながらの雰囲気を纏って取り組む姿は『みんなで楽しむ家庭用ゲーム機』の遊び方としては限りなく間違っていると言わざるを得まい。
 熟練者2人も、徐々に口数が減り目の据わり始めた初心者(素人に非ず)の雰囲気の変化に頬を引き攣らせていたが、そこは類友、さしたる時間を待たずに同類と化す。
 だが、洞察と駆け引きとなれば独壇場となるかと思われた恭也であるが、殺伐とした斬り合いとスポーツでは勝手が違うのか、単になのは・フェイトペアの以心伝心ぶりが上回っているのか、手の読み合いに移行しても一進一退の試合展開が続くことになった。
 結局、3度目のファイナルセットのマッチポイントで、現実であれば互いにタッチネットを取られているのでは?という距離でのスマッシュ&ボレーの打ち合いという在り得ない応酬の末、力んだ恭也がコントローラを握り潰すのと同時に、興奮したフェイトが無意識に零した帯電した魔力がコントローラ内の回路を焼き切り煙を吹いたのが決まり手となった。
 勝負の結果は壊れたコントローラ2つを前にがっくりと床に手を突くなのはの独り負けで幕引きとなった。

404小閑者:2018/04/19(木) 12:47:06
 テレビの中でガッツポーズをきめる勝利チームのキャラクターを背景に、勝者を称える賑やかな曲が無言のリビングに響く。
 跪いているなのはの様子を見る限り、それなりに想い入れのあるものなのだろう。普通に考えれば買い換えれば済む物にこれだけ落胆していると言う事は、愛着の分だけ同じ性能の別製品とは一線を画するのかもしれない。
 無論、弁償はするにしても、こればかりは気軽に笑い話にする訳にもいかないだろう。
 恭也ですら神妙な態度をとっている辺り、なのはの落ち込み具合が分かるというものだ。

「あ、あの、ごめんね、なのは。
 興奮して、熱が入りすぎちゃって…」
「入ったのは電流やったけどな」
「あー、すまんな、なのは。
 大人げも無くはしゃぎ過ぎてしまった」
「いやいや、恭也さんは正しく子供やろ」
「あ、はは、し、仕方ないよ、2人とも初めてだったんだし。
 気にしないで?」
「顔蒼褪めさせてまで頑張っとるところでなんやけど、いくら初めてでも普通は握り潰さんし、焼き切らんけどな」

 一々はやてが茶々を入れているが、別に空気が読めていない訳ではない。一緒に遊んだメンバーの中で唯一、被害者にも加害者にもならなかったので、あまり深刻にならないようにという配慮のつもりなのだ。
 尤も、恭也に順応しつつあるこのメンバーに対して取る態度としては、やや不用意と言うか軽率と言うか、ぶっちゃけ、絡まれに行ったようなものである。
 口火を切ったのは加害者チームだった。

『お詫びと言ってはなんだけど、次のはやてとの模擬戦で憂さ晴らしすると言う事で一つ』
「まままま待たんかい!声を揃えて何を恐ろしい提案しとんの!?」
「じゃあ、お言葉に甘えてS.L.B.3連発くらいで手を打つよ」
「打たんといて!たとえ非殺傷でもショック死するわ!
 深刻にならんように場を和ませようとしたはやてちゃんに酷いんちゃう!?」
「単に部外者的な立場になったのが寂しくて絡んできただけだろ?」
「な!?
 ちゃ、ちゃうわ!そんな注目集めるために泣きわめく子供みたいな事せえへんちゅーねん!」
「大丈夫だよ、はやてちゃん。
 誰も無視したりしないし、寂しがるのは恥ずかしい事じゃないから」
「待って!そんな生温い目で見つめんといて!
 …ん?その、さも理解者ですよ、言う顔で擁護するって事は、寂しがり屋1号はなのはちゃん?」
「にゃ!?」
「藪蛇だったな」
「大丈夫だよ、なのは。なのはに寂しい想いなんてさせないから」
「ち、違うよ!私だっていつまでも子供じゃないんだから!」
「前の時から2ヶ月も経ってないけどな」
「それより、なんで一番寂しがり屋のうさちゃんキャラっぽいフェイトちゃんがそっち側なん?」
「飛び火してきた!?」

 沈下してしまったかと思いきや、再び賑やかになった子供達を夕食の準備を進めながら眺めていた大人達が感心する。

「なのはをあそこまで落ち込んだ状態から復帰させるとは、なかなかやるな」
「前に美由希がゲームCD踏み砕いた時には3日は沈み込んでたんだけどな」
「次の日には同じソフト買ってきたんだけどねぇ…」
「人には分からない違いが有るんでしょ。
 それにしても、目まぐるしく攻守交替するのね。流石にジェネレーションギャップを感じるわ」
「う〜ん、あの会話のテンポには私もついていけないかも」
「美由希、あんたまだ若いんだから頑張らないと。恭也の事、老成してるなんて言ってられないわよ?」
「恭ちゃんほど酷くないよ!」
「その会話は十分酷いぞ」
「そう言えば、あっちの恭也君は漫才みたいなノリにも参加出来るのね」
「なのはの話では主導権を握るのは大抵彼のようだぞ。恭也と似てるのは顔だけなんじゃないのか?」
「放っておけ」
「士郎さん、あんまり恭也をいじめないの。
 よし!完成。
 恭也、あの子達呼んできて」
「了解」

 恭也にとって風向きの怪しい会話が続いていたためこれ幸いとリビングへと移動してみると、どういう経緯でそうなったのか、『本物のウサギ』を追求していた少女達から心の底から怯えるリアクションを返されてマジ凹みすることになるのだった。

405小閑者:2018/04/19(木) 12:48:18
 高町家では食卓を延長するための予備の机がある。それだけ友人知人が飛び入りで食事参加する事が多いのだ。
 今日もまた、その机が存分に役割を全うし、賑やかな食事風景が広がっていた。

「凄く美味しいね、はやて」
「ほんまやな。このミートパイ、どうやったらこんな味になるんやろ?」
「あら、はやてちゃんはお料理に興味あるの?良いわよ、後でレシピを教えてあげる」
「ほんまですか!?ありがとうございます!」
「ふふ。
 恭也君はどう?お口に合うかしら?」
「ええ、美味しく頂いてます。
 高、…桃子さん、は、洋菓子が専門と聞いていたんですが、他の料理でも十分にお店を開けるんじゃないですか?」
「ふふ、ありがとう。
 なのはにもちゃんと伝授しておくから期待しててね?」
「?
 まあ、なのはの料理なら味見が命懸けになる心配はしてませんがね」
「う〜ん、この反応は、流石は『恭也』君、と言うべきなのかしら?
 フェイトちゃんやはやてちゃんも苦労してるでしょ?」
「もう慣れました」
「まぁ、これはこれで可愛いと思えるようになりそうですわ」
「達観してるなぁ。頬が引き攣ってなければ完璧だよ」
「美由希、そういうところは見なかった事にしてあげなきゃダメじゃない」
「ほ〜う、恭也君は随分女泣かせになりそうだな。
 なのは、競争率高いから簡単に泣かされてたら生き残れそうにないぞ?」
「な、何言ってるの、お父さん!」
「失礼な、泣かせるような真似は、…それぞれ一度、位しか、…2度…?
 あ、いや、弄んだとかじゃないんだから、後ろめたい事は何も無い!」
「…と言う事は『落ちた』方かな?」

 そう言って士郎が見回すと3人共が揃って顔を赤らめ視線を泳がせる。
 なんとも分かり易い反応に苦笑しつつ、立場も恭也との関係も異なる3人共が彼に関連する理由で泣いている事に少々驚く。尤も、聞いた限り生死に関わる事件だったようなので、幼い精神が追い詰められれば感情が振り切れる事くらい普通にあるだろうが。

「あんまりいじめちゃダメよ、あなた。
 恭也君、お代わりは?」
「頂きます」
「はい。
 あら、恭也も?さっきお代わりしたばかりじゃない。いつもよりペースが速いけど大丈夫?」
「いつも通りだ」
「大丈夫だよ、母さん。恭ちゃん、さっきなのは達に怖がられたのがショックで自棄食いしてるだけだから」
「余計な事を言うな。いつも通りだ」
「あらあら」
「あの、高町さん、さっきのはほんまに迫真の演技であって、怖がっとるとかそういうんでは…」
「ああ、分かってるよ。本当に気にしてないから美由希の言った事は聞き流してくれ」

 そう言うと高町兄の表情が幾らか和らいだ。
 気持ちが晴れるような遣り取りではなかったので、顔に出ていた険を意識的に収めたのだろう。
 恭也に比べて高町兄は随分と感情が表に出易いように思う。
 恭也が『2〜3』としたら高町兄は『10』くらいだろうか?無論、一般人を『100』としてだ。
 大抵の人からは大差無いと言われそうだが、フェイトとなのはからは同意が得られるに違いない。
 勿論、恭也にだって表情筋を操作して『笑顔』を繕う事は出来るだろう。見た事も本人に確認した事も無いが、周囲の反応に合わせて演技する事だって出来るはずだ。
 だが、それらははやて達が望むものではない。彼の感情を伴う微笑みを見た事があれば、営業スマイルなどお呼びではないのである。

「そう言えば、恭也君、何か話したい事があるとか言ってなかったか?」

 楽しい団欒が途切れた折に、唐突に士郎がそう切り出した。
 ふと思い出したといった口調の士郎の問いに対して、応じる恭也の口調も平常そのものだった。

「ええ。
 大した話ではないんですが、管理局側は緘口令が引かれてるらしいので直接言いに来ました。
 管理局に所属する者が他の次元世界、要は地球以外の惑星から来ているという話は聞いて貰っていると思いますが、俺もその中に含まれます。
 俺はこの地球と言う惑星の人間ではありません」
『ええ?』

 サラリと語られた話の内容に驚愕の声が上がった。

406小閑者:2018/04/19(木) 12:50:15
 現代日本の常識を持つ者が聞けば驚いて当然の話だ。いや、それ以前においそれと信じる事の出来ない内容だろうか。
 だが、声を上げた者達に向ける恭也の視線は冷ややかなものだった。

「…何故、お前達が驚く?」
「なのは達は知ってたんじゃないの?」

 恭也の疑問の声に驚く側にいるはずの美由希が質問を重ねた。
 そう、先程の驚嘆は士郎でも桃子でも恭也でも美由希でもなく、なのはとフェイトとはやてだったのだ。

「え、だ、だって、その話だと思ってなくて…」

 代表して答えるなのはに、フェイトとはやてが首肯して同意した。
 それは恭也が高町夫妻の予定を確認してまで高町家を訪れた最大の目的だ。だが、訪問してから紆余曲折あったため少女達は士郎の言葉を聞いてもすぐに思いつかなかったのだ。
 傍から見ていれば、実は大して心配してなかったんじゃ?と思われかねないところだが、一つだけ彼女達を弁護するなら話を振られた当の恭也自身が全く気負う様子を見せていなかったため、深刻な内容だとは連想出来なかったのだ。模擬戦前の高町兄との会話で感情を揺らがせていたため、平静さが強調されたのも理由を補強しているだろう。
 理由を察した士郎が苦笑しながらも助け舟を出す意味も兼ねて、恭也に続きを促した。

「今更宇宙人だと言われても驚いたりしないけど、どうして君の件だけ伏せられてたんだ?」
「俺が移動した理由だけフェイト達とは違うからです。
 2ヶ月ほど前に管理局が、過去に滅んだ文明跡から発見した機械を誤作動させた結果、あらゆる次元世界の物質・生命体を問わず多くの存在が無作為転移に巻き込まれたそうです。その中の一人が俺と言う訳です。
 誤作動自体は単なる事故ですが、管理局は次元世界でそれなりの信用と権限を持つ組織なので、事故を起こした責任を取る必要があるんだそうです。それで、転移に巻き込まれた存在を探し出しては元の世界に送り帰していたらしいんですが、俺の居た世界だけはどうしても見つけ出す事が出来なかったらしいんです。
 管理局に落ち度がある以上、何かしらの保障をする必要がある。ただし、出来る限り局の失態は広めたくない。
 以上の理由から提示された案が、転移事故の秘匿を条件にした身柄の保証と生活の保護、と言う訳です」
「え、えっと、…全然秘匿してないけど、良いの?」

 美由希が苦笑に若干の心配を含めて尋ねるが、恭也は平然とした態度を崩す様子もない。

「構わないでしょう。
 こちらに説明に来る事は黙認されていましたから。
 他の次元世界との交流を持たない地球では時空管理局の失態を発信する方法がありませんし、そもそも、この世界では時空管理局の存在を知る者自体が限られているから問題にならないと言う判断でしょう」
「…そんな説明も受けたのか?」
「いえ、俺の勝手な解釈です」

 恭也の疑問にも至極当然と答える恭也。
 恐らくは正しいのだろうが、その解釈は、何と言うかこう、小学生?
 自分はここまでスレてなかったはずだ、と心の中で釈明する高町兄に向けられる家族の視線は、やっぱり同一人物か、という納得が篭っていた。

「ところで、説明が終わった様な雰囲気なんだが、俺と容姿や境遇が似てる事についての説明は無いのかい?」
「凄い偶然ですね」
「…え?それだけ?」
「俺が知る限り、何者かの作為が絡む余地も無く『俺』は『俺』でしたから、そういうこともあるんでしょう。
 『あなたが士郎さんの息子である理由』と同じレベルで説明のしようがありません。
 あなたは俺ではないんでしょう?同じ様に、俺はあなたではありません。
 俺とあなたの境遇がどの程度一致しているのかも検証のしようがありません。決定的に違うのは10歳で異世界に跳ばされた経験の有無でしょうね」
「ま、確かにな…」

 2時間ほど前にはその問答だけで空気がギスギスしていたというのに、なんとも素っ気無い言い草である。
 あの中断した試合で何かが解消したとは思え難いのだが、他に何かあったのだろうか?
 誰もが浮かべるそんな疑問を流すように、士郎が別の疑問を問い掛けた。

「ま、それは兎も角だ。
 帰還出来ない、と言われて、君はどうするんだ?あまり、従順に頷いてるタイプには見えないが?」
「敢えてどう見えるか詳しく聞く気はありませんが、今のところ独力で元の世界の場所や帰還の方法を探すつもりはありません」
「へぇ、意外だな。
 君は元の世界に心配する人が居れば何が何でも…、済まん」
「いえ」

 言葉にしてから士郎は自分の失言に気付いた。

407小閑者:2018/04/19(木) 12:52:12
 士郎の推測は正しい。ならば、帰る努力をしない理由も明白だ。
 桃子達も恭也に身内やそれに類する親しい者が居ない事を即座に察して僅かに表情を堅くした。
 だが、重くなりかけた雰囲気をものともせず、短い謝罪を済ませた士郎は何事も無かったように再び口を開いた。

「じゃあ、これからどうする予定なんだ?」
「未確定ではありますが、管理局に属する事になると思います。
 詳細は確認していませんが、管理局の本部のある都市では就労年齢がかなり低いようなので俺にも職に就けそうなんです。
 俺が治安組織に向いているかどうかという問題は置いておくとして、丁度良いかと考えています」
「…そいつはあまりお勧め出来ないな」

 恭也の進路案に直接難色を示したのは士郎だったが、桃子も心配そうに眉を顰めていた。

「おまえさん、何のかんの言っても真面目そうだからな。
 その歳で仕事に就いたらそれに没頭して『遊ぶ』って事をしそうにないだろ?うちの馬鹿息子もそうだけど、それじゃあつまらん人間になっちまうぞ」
「うちの恭也がつまらないかどうかは置いておくとして、同じ年頃の子と遊ぶのは大切よ?
 そんなに急いで仕事に就かなくても良いと思うけど」
「別に24時間365日出勤と言う訳ではないでしょう。
 それに、働かなくては食い扶持が稼げませんしね。
 そもそも、月村さんほどの美人の恋人が出来るなら釣り合いは取れてるんじゃないですか?」
「それは一理ある。
 だけど、まだ『恋人』だからな。つまらない男はやっぱり嫌、と見限られんとも限らんだろう?その点、俺は美人でよく出来た『嫁さん』を貰ってる訳だからな。
 参考にするなら、『成功するかもしれない例』よりは『成功した例』にしておいた方が可能性は高いだろう?
 と言う訳で、俺の様に遊ぶ時にはしっかり遊んだ方が良いぞ!」
「あなたの場合、四六時中遊んでそうな印象が有りますがね」
『正解』

 高町一家の5人中本人以外の4人から肯定されて、流石の恭也も一瞬怯んだようだ。
 聞いていただけのはやてとフェイトも、家長としての尊厳とかいったものは大丈夫なのかと心配になって士郎の方をチラリと見るが、本人が誇らしげに胸を張っているのだから問題ないのだろう。

「まぁ、冗談は兎も角、惑星ごとで文化レベルは違うだろうから成人する時期なんてバラバラだろう?
 それなら君の暮らしていた星の社会通念に合わせて10年程度の食い扶持くらい管理局とやらで賄って貰えるんじゃないか?」
「リンディ提督は融通が利く人ですが、弱みを見せると弄り倒してくる人でもあるので借りを作りたくないんですよ」
「確かに優しそうな女性だったから、被害者の希望は多少の無理を通しても融通してくれそうではあるな。
 弱みに付け込むようで気が引けるってのも分からんでもない」
「…」

 士郎の解釈に対して恭也は向きになって否定したりはしない。周囲の浮かべる苦笑にも動揺を示すこともない。
 だが、なのは達には分かる。
 得意げな笑みを見せる士郎に向ける恭也の目は、虎視眈々と反撃の機会を窺う猛獣のそれだ。これ以上恥ずかしがり屋の恭也を刺激するのは危険だと思うのだが、残念ながらそれを士郎に伝える術は持ち合わせていない。

「なんなら家に来るか?
 1人位増えたって養ってやれる甲斐性くらいあるつもりだ」
「代わりなんて要りません。
 あなたの事を日常的に『お父さん』と呼ぶ事になったら俺の精神が衰弱しかねませんからね」

 恭也の口調が更に固くなったように感じてなのは達の不安が幾何級数的に高まる。
 そして、知った事かと言わんばかりに士郎が更なる追い討ちを掛けた。

「はっはっは、照れるな照れるな。
 そのうち、『お義父さん、なのはを僕に下さい!』なんてイベントが起きるかもしれんだろ?」
「にゃ!?」『えぇ!?』

 瞬時に赤面するなのはと動揺する少女達。
 苦笑を深くする兄妹と楽しそうな笑みを浮かべる母。
 そして、口元だけで笑ってみせる恭也。

「人をからかうために自分の娘まで巻き込む非常識さは、確かに俺の父親に似ていますね。
 なんせ小学生の俺にむかって『10人の女性と同時に付き合った事がある』とか、『一晩で同時に5人の女性の相手が出来た』とかいう内容で自慢する男でしたから」
「なっ!?」

 恭也の放った反撃の言葉は爆弾となって投下と同時に炸裂した。
 事実上、確認する術の無いその言葉は非常に強力な威力を持っている。
 無論、なのはにフォローする気は全く無い。

408小閑者:2018/04/19(木) 20:37:18
「…あら、凄いのね、士郎さん」
「も、桃子さん!?ち、違いますよ!?
 今のは彼のお父さんの事であって、僕は無実なんですよ!?
 な?な?そうだよな!恭也!美由希!俺、そんな自慢した事無いよな!?」
「私は聞いた事無いかな?」
「そうだろ!?ほらな!?」
「…恭也はどうして目を逸らしてるの?ちゃんと母さんの目を見ながら正直に話してごらんなさい?」
「…俺が聞いたのは、同時に6人、だったかな?」
「きょうやぁー!」
「俺が母さんから隠し通せるはずないだろ?そもそも自業自得だ。
 まぁ、時効という事で許しを乞うてくれ」
「15年経ってると良いですね」
「恭也君、これ以上は勘弁して下さい!!」

 確認出来ないのを良い事に事実無根の話をでっち上げたのかと思いきや、本当に暴露話だったとは。しかも、何やら余罪があるっぽい。
 美由希を含め、顔を赤らめた女の子達から非難の視線を浴びる士郎と、彼の懇願からワザとらしく顔を背けてそ知らぬふりをして食事を再開する恭也。
 だが、桃子の追及に便乗する形で更なる追撃の機会を窺っているかと思われた恭也が、唐突に動きを停止して口をつけた味噌汁の椀を見つめた。
 感嘆の声を上げた訳でも表情を変えた訳でも無い。
 それでも、直前までのやり取りを全て忘れたかのように呆然としている恭也に釣られて、収拾の付きそうになかった食卓の喧騒がピタリと止まった。
 恭也が自失していた時間は1秒にも満たなかった。
 そして、我に返ると一変してしまった雰囲気に気付き、恭也にしては珍しく取り繕うように口を開いた。

「美味いですね、この味噌汁。
 和食までこなすなんて驚きましたよ」
「ありがとう。
 結婚する前から和食もそれなりに自信はあったんだけど、味噌汁だけは士郎さんが納得してくれなくて、試行錯誤を続けて漸く辿り着いた味なのよ」
「…あの頃の味も美味かったし、ちゃんと『美味しい』とも言ってたろ?」
「でも、いつかの旅行で泊まった旅館のお味噌汁では感動してたじゃない?」
「…そりゃ、単に懐かしがってただけでだなぁ」
「ふふ、分かってるわよ。でも、こういう味って馴染んだものの方が良いもの。恭也や美由希のためにもね。
 だから、士郎さんが出張で居ないうちに恭也に協力して貰って色々と工夫して…。
 恭也の味覚が鋭くて助かったわ。その分、ハードルも高くなった気もするけど、苦労の甲斐はあったと思うし」

 黙って聞いていた少女達にも事情が理解出来てきた。
 どうやら、この高級料亭で出されそうな味噌汁の味こそ、恭也が慣れ親しんだ実家のそれだったのだろう。

409小閑者:2018/04/19(木) 20:38:04
 桃子は士郎にとって後妻に当たる事を、はやては八神家で恭也から、フェイトはアースラでなのはから聞き及んでいる。だから、桃子の手料理は恭也にとって『家庭の味』には該当しない事は知っていた。
 だが、他の料理が違っていたからこそ、味噌汁の味が懐かしさを強調したのかもしれない。
 寂しい事ではあるが、恭也は士郎や美由希と一緒に居る間、感情を乱さないように警戒しているはずだ。何度も対面し、会話を重ねる事で緊張が解れたとしても、警戒を解く事はないだろう。それは、恭也がありのままを受け止められるようになるその日まで変わらないはずだ。
 そんな恭也が無防備な姿を晒したのだ。
 不意打ちだったのは間違いないし、鮮烈な味だったのも確かだろう。
 だが、やはり最大の要因は、恭也が押し殺しひた隠しにしている家族を失った悲しみが、望郷の念が、それだけ強いと言う事なのではないだろうか。
 分かっていた事だ。だが、時折忘れてしまいそうになる事でもある。
 恭也の心の傷が簡単に癒える様なものでは無い事は。
 恭也がその傷を決して人前に晒すはずがない事は。
 恭也が自分達と変わりのない一人の子供でしかない事は。

「ま!なんだな。
 飲みたくなったらまたいつでも来ると良い。
 リンディさんの料理の腕前は知らんが、流石に直ぐにこの味は出せないだろうしな」

 恭也の心情を察して言葉を無くす子供達に代わり、軽く笑い飛ばしてみせる士郎。
 それは相手によっては単なる無神経な態度と言われてしまうだろう。

「…ありがとうございます」

 だが、恭也に対しては確かに正しい選択だったのだろう。彼の感謝の言葉はきっとそういう意味だ。
 そして、謝辞を述べる恭也の顔に強く表れる羨望とも憧憬とも取れる表情が、どれほど否定しようとも士郎を父親と重ねてしまっていることを教えてくれた。
 先程の高町家で暮らすと言う提案は、強靭な精神力を持つ恭也が『代わりなど要らない』ときっぱりと言わなくてはいられないほど、抗い難い魅力に溢れたものだったのだと遅まきながら気付かされた。

「なのは、フェイトちゃん、はやてちゃん」

 込み上げる悲しみを隠そうと歯を食いしばっていた少女達は、桃子に呼ばれて顔を上げた。

「頑張ってね」

 慈愛に溢れた笑顔で告げられた抽象的なその言葉の意味を掴みかねて困惑するが、直ぐに気付く事が出来た。
 恭也の失った家族の代わりなんて誰であろうとなれる訳はない。
 それなら、その悲しみを支えられる存在になればいい。恭也にとっての特別な1人になれる自信はまだ無いけれど、ずっと恭也の傍で支える事なら出来るはずだ。
 想いを新たに見つめ返すと、桃子が柔らかく微笑み返してくれた。




続く

410小閑者:2018/04/19(木) 20:38:47
9.学校



「…もう一度言って貰えますか?」
「恭也さんの転入手続きが済んだから、明日から学校に通えるわよ?」

 恭也の要望に応えてリンディが発したのは、ハラオウン邸のリビングでくつろいでいた恭也に帰宅した彼女が唐突に切り出した台詞と律儀な事に一字一句違えていなかった。
 彼女の表情が輝いていないところを見ると、本当に聞き逃したと思っているようだ。恭也の反応を楽しむために綺麗に言い直したのであれば、三十路を過ぎた一児の母とは思えない可憐な容貌にマッチした豊かな表情が雄弁に語ってくれるはずだからだ。

「どうして本人の意思確認も無しにそんな話しになってるんですか?」
「なのはさんのご両親、士郎さんと桃子さんとお話したのだけれど、やっぱり今の恭也さんにそのまま管理局で働いて貰うのは良くないって結論になったの」
「本人の、意志の、確認は?」
「省略しちゃった。えへ☆」

 言葉を区切って強調しながら訪ね返す恭也に、ちょっとした悪戯を告白するように小さく舌を出しながら小首を傾げるリンディ。
 だが、年齢詐称で訴えられかねないほどよく似合う男心をくすぐりまくる彼女の仕草は恭也の琴線に触れないのか、眺める視線は痛いほどに冷たかった。勿論、推定年齢が外見年齢を大きく上回っているから萌えない、という事ではないだろう。
 そして、恭也の眼差しを真っ向から受け止める自信は無かったのか、よく見るとリンディの視線は会話を切り出してからずっと恭也の目から微妙に外れていた。先程言い直した時の丁寧さも、聞き逃したと思ったからでは無く後ろめたさからだったようだ。
 少なからず怒気を纏っていた恭也だったが、リンディがその場のノリと勢いだけで個人の意志を無視したりしないだろうという程度の信頼は寄せていたようで、小さく息を吐くと口調を改めて問い直した。

「今の俺のままでは駄目な理由は何なんです?よもや今更戦力にならないから、とは言わないでしょうね?」
「管理局の基準が魔導師ランクに準拠してるのは厳然たる事実だけれど、それ以外の能力を全て無視している訳じゃないわ。
 少なくとも、優秀なアースラのクルーを軽くあしらってしまう人物に対して戦力外なんて評価を下したりしません」

 恭也に合わせて改めて穏和ながらも真面目な顔になったリンディは恭也の懸念をきっぱりと否定した。

 次元航行手段が確立されてから次元世界の広さに見合う多数の異能の生物が確認されてきた。
 人語を理解し意志の疎通が出来る植物に近い生命体や、人間と同等以上の知性を示す昆虫に似た種族や、宇宙空間で単独で活動出来る魚類にしか見えない何かなど、魔法世界の住人であろうと実際に自分の目で確認しなければ信じられない生物は確かに存在するのだ。
 だから、魔法以外の得体の知れない力であろうとコミュニケーションが可能で局の方針に賛同する存在を受け入れるように制度を整えるのは、次元世界の治安組織たる時空管理局としては必要な事だった。
 尤も、ヒューマノイドタイプにおいては、いわゆる超能力を代表とする突発的な先天性固有技能者や、おとぎ話的な『魔法使い』、更には生まれつき肉体機能が突出して高い種族が少数ながらも確認されていたが、後天的に鍛えた運動能力だけで並の魔導師を凌駕する者が現れるなど誰も想定していなかっただろうが。

 流石の恭也もそんな事をつらつらと考えていたリンディの思考までは読み取れなかったようで、訝る様子もなくまだ語られていない『理由』の続きを無言で促した。

「士郎さんが言うには、恭也さんには同年代の子供と遊ぶ事で知らなくちゃいけない事があるそうよ」
「…どういう、意味です?」

 士郎の言う『知らなくちゃいけない事』が先日公園で話した感情を育てる事に繋がっている事に気付かない恭也ではないだろう。ならばこの問いは言葉通りの意味ではなく、恐らくは士郎がどこまでリンディに話しているかについて探るためのものだろう。
 恭也の声が僅かに堅くなったが、リンディに気付いた様子はなく士郎との会話を思い出して困惑した表情で答えを返した。

「ご免なさい、私も具体的には教えて貰えなかったのよ」
「…」

 どうやら士郎はあの会話を引き合いに出した訳ではなかったようだ。
 居心地悪げに視線を逸らす恭也の様子に、逆にリンディが訝しげ眉を寄せた。

411小閑者:2018/04/19(木) 20:39:26
 リンディとしては、そんな半端な状態で転入手続きを進めた事に対して恭也から文句なり嫌味なりが来るだろうと身構えていただけに肩透かしを食らったのだ。勿論、だからといって藪をつつくような不用意な真似が出来るはずも無く、リンディなりの理由を話しだした。

「それで、士郎さんの考えは分からないけれど、私も恭也さんには学校に通って貰いたいの。
 管理局の制度上は恭也さんも就業年齢を満たしているけれど、人格の形成される時期は同じ年頃の子達と触れ合うのも大事な事だと思うのよ」
「そうは言われますが…
 制度がそうなっている以上、管理局には同年代の子供もいるはずですよね?まぁ、戦闘部署にいるのかどうかは知りませんが。
 そもそも、俺の人格に成長の余地があると本当に思っているんですか?」
「うっ…
 駄目よ、恭也さん。自分で限界を決めてしまえば、本当に成長出来なくなってしまうわ」
「怯んだ時点で説得力は皆無です」

 まあ、表に出すかどうかは別としても恭也を知る大抵の人間は同じ意見なので、リンディを責めるのは酷というものだろう。

「では、建前は結構ですから本音をどうぞ」
「もうっ、そんな言い方されたら他の理由が出せないじゃない!」
「つまり、他に全く別の理由があるんですね」
「うぅ…
 どうして恭也さんと話してるとこんなに追いつめられていくのかしら…?」
「後ろめたいことばかり抱えているからですよ」
「そんな事ありません!
 もう一つの理由っていうのは、あなたが学校に通わずに管理局に入局すると、フェイトさん達まで同じ事を言い出しかねないでしょう?」
「…一理ありますね」

 考えてもみなかった、と言うよりは、考えたくなかったと言うように溜息混じりに恭也が同意した。そして、あの少女達の内の誰かの名前が挙がるという事は、恭也がその話しに同意したのと同義だった。
 恭也の行動は、3人の少女達のためになるかどうかが判断基準のかなりのウェイトを占めているのは周知の事だ。だが、それは彼女達を甘やかす事には繋がっていない。恭也独自の基準に基づいて判断した結果、手出し無用と考えれば彼女達が窮地に立っていても放置するだろうし、行く手に立ち塞がる事が必要だという結論が出た場合には躊躇無く障害となるだろう。つまり、少女達を引き合いに出したからといって恭也を思い通りに操れると言う訳ではないのだ。
 今回も単に自分が就業するのを先延ばししてでも彼女達を学校に通わせるべきだと判断したのか、あるいは、

(そういう口実を作ってでも、本当は彼自身が学校に行きたかった?
 いえ、この世界の小学校で学ばなくてはならない事があると判断した、かしら)

 別に、どちらの理由だったとしても問題は無い。フェイト達は喜ぶだろうし、恭也にとっても良い事のはずだ。
 ただ、敢えて言うなら、

(要・不要じゃなくて、『行きたい』と思って貰いたかった、なんて思うのは贅沢なんでしょうね)

 公園での恭也と士郎の会話は誰にも漏れてはいないので、恭也の悩みなどリンディは知る由もない。
 だが、恭也の生い立ちを知る者として、彼の精神面を心配するのは当然だ。
 出来る事なら同年齢の子供達に混ざって夢中になって遊んで欲しい。小学校はそれが出来る場で、きっと、今の彼に必要なのはそういう経験なのだから。
 そうする事に問題があるとすれば唯一つ。

(イメージ出来ないのよねぇ、球技や遊具で無心になって遊ぶ恭也さんの姿って。
 せめて、体格だけでも同じくらいなら溶け込みようもあったでしょうに。いや、無理か。爺むさいし)
「性懲りもなく不埒な事を考えていますね」
「それは一種の被害妄想ね。
 自分が普段悪い事ばかり考えているから、根拠もなく他の人も同じなんじゃないかと思えてしまうのよ?」
「違います。
 悪い事ばかり考えているから、他の人が考えている悪い事を読み取れるんです」
「恭也さん、自分が悪い事考えてるって所を肯定してるわよ!?」
「隠すほどの事ではありません」
「隠すべきでしょッ!?人としてッ!」
「入学の件、気は進みませんが承知しました」
「軽くスルー!?
 …恭也さん、ひょっとして私の事、嫌い?」
「滅相もありません。
 軽く親より年上っぽいですが、リンディさんなら全然オッケーですよ?」
「ッ!?
 …そういう、『軽い男』みたいな言い回しは似合わないから止めなさい」
「あれ?年齢の方へのツッコミを期待したんですが、そんなに違和感がありましたか…」

 艶やかな微笑を惜しげもなく引っ込めた恭也が、心持ち残念そうな口調で反省した。

412小閑者:2018/04/19(木) 20:40:07
 先程の笑顔は単なる作り笑いとは質が違っていた。勿論、面白いとか楽しいとかいった感情の発露とは違うだろうが、表情筋で形作られただけの笑い顔とは思えない。
 ただ、恭也自身も先程の自分の表情については無自覚の様で、身持ちの堅さで定評のあるリンディの鼓動を早めるほどの威力を持っている事には気付いた様子はない。
 あの笑顔に台詞回しや状況まで組み合わせて『攻め』られたら、正直リンディでもちょっと危なかったかもしれないと思う。恋に恋する年頃の女の子では笑顔だけでも一溜まりもないだろう。
 笑顔の威力を知った恭也がそれを駆使してろくでもない女誑しへと転落しないように、というリンディの努力は報われたようだ。
 尤も、恭也はその効力を自覚した上で行使するような性格ではないのだから、本当に正しい対処法は恭也に自覚させる事なのだが…、息子よりも年下の男の子にドキドキしました、なんて事実はリンディでなくとも他人に知られたくはないだろう。
 リンディに出来る事は、恭也があの笑顔を振り撒くのがせめて他人をからかう時だけでありますように、と祈る事だけだった。
 勿論、一般的にはそれを『野放し』という。
 そして、人一人の人生設計が変更されたとは思えないほど軽い調子で恭也の入学は決定したのだった。






「みんなー!おっはよーさん!」
「あ!おはよう、はやてちゃん!」
「おはよう。はやてちゃんも朝からご機嫌だね」
「おはよう、はやて。
 なのはといい、はやてといい、ホント、アンタ達の顔見たら恭也の転入が今日だって思い出せて便利だわ」
「そんな事言って、アリサちゃんも昨日はスゴく浮かれてたじゃない」
「それは間違いなくすずかの気のせいだから!」
「アリサちゃんはツンデレさんやなぁ」
「違うっつってんでしょうが!」

 朝っぱらから賑やかな少女達は車椅子に乗っているはやてが合流しても学校に向かう事無くそのままおしゃべりに華を咲かせていた。
 登校時間に十分な余裕がある事は勿論だが、何よりも3学期からメンバーが増えた仲良し5人組の最後の一人であるフェイトと話題の人物である恭也を待っているからだ。
 恭也が少女達と同じ私立聖祥大附属小学校に通う事は、彼が同意したその日の内にフェイト経由でメンバー全員の耳に届いていた。翌日からのフェイト・なのは・はやての浮かれ様はかなりのもので、恭也の登校初日が三日後ではなく次年度からだったら授業に身が入らず職員室に呼び出されてお説教を食らうハメになっていただろう。
 ちなみに、既にアリサとすずかにも恭也の名字と素性の件は説明が済んでいる。
 高町家での説明と同じく肝心なところが曖昧な内容だったが、アリサから文句が出る事はなかった。明らかに不機嫌そうな表情からすれば全く納得していなかっただろうが、翠屋での一件から恭也にとって気軽に口に出来る事情ではない事を察したのだろう。
 労る様な表情を浮かべていたすずか共々、聡明な少女達なのだ。

「そもそも、学年が違うんだから同じクラスになりようがないのに、どうしてそこまではしゃげるんだか」
「それは言いっこ無しやろ、アリサちゃん」
「そうだよ。それに、一緒に学校に行けるだけでも嬉しいもん」
「そや。
 お昼だって待ち合わせすれば一緒出来るやろし」
「あ、そっか!」
「それは止めときなさいよ」
「ええ!?どうして!?」
「そんな意地悪せんでもええやろ!?」
「そうじゃなくて、そういうイベントでいちいち引っ張りだしてたら恭也がクラスに馴染み難いでしょ?」
「そうだね。
 もともと、こんな一年の終わり際じゃ、仲の良い子同士でグループが出来ちゃってるから入り込み難いんじゃないかな。
 恭也君ならいろいろと文句を言っても来てくれそうだけど、休み時間にクラスにいないと馴染むのは余計に大変になると思う」

 アリサとすずかの冷静な意見に、舞い上がっていたはやてとなのはも辛うじて冷静さを取り戻した。

「う〜ん、それは考えてへんかったなぁ」
「そうだね。
 でも、恭也君ならすんなり溶け込みそうな気もするけど」
「どうやろなぁ。本人にその気がないと、ものっそい孤立しそうな気もするしなぁ」

 確かに、何とも両極端ではあるが、どちらも十分に有り得そうだ。そして、どっちつかずという半端な結果に終わる事はなさそうだ。
 人間関係は本人の努力次第である程度は良好にも険悪にも出来るものだが、彼ほど本人の意思が結果に反映されそうな人もいない気がする。

413小閑者:2018/04/19(木) 20:40:43
「それに、そろそろ女の子と仲が良いと男の子同士で冷やかされたりする事もあるみたいだから…」
「そうなの?」
「まぁ、なのはは知らないでしょうけどね。
 ホント、男子ってガキばっかりよ。勿論、女子の中にも結構いるでしょうけど」

 すずかの懸念はもっともだった。
 標準的な10歳児の持つ意地や見栄やプライドが恭也の価値観とズレている可能性は非常に高い。というより、重なる部分がほとんど無いような気がする。
 そして、学校内で女子グループと行動を共にするのは、残念ながら小学生男子のカッコ良さの基準からすれば御法度だろう。
 まったくもって理解に苦しむ生物である。
 また、子供(勿論、同年代の事)を相手にした場合の対応パターンを恭也が持っているかどうかは甚だ疑問だ。
 この場にいる5人が相手であれば恭也は険悪ではない程度の関係を築けていると言えなくもない(アリサ評価)。しかし、5人の事を客観的に評価するなら、不本意ながら誰も平均的な小学3年生の枠には収まりきらないので、あまり参考にはならなかったりする。

「そっちかぁ。
 けど、そういう幼稚な振る舞いは恭也さんには出来へんやろからなぁ…
 精神年齢が違うのは分かっとった事やけど、行動に現れる部分でもひょっとせんでも浮きまくるんやろうなぁ」
「あ、でも、運動神経は抜群だから、体育の授業で活躍して…、しないか」
「まぁ、わざわざ目立つ真似する人とちゃうからなぁ」
「言っちゃなんだけど、あいつ、小学校に通うには意外と不安要素が多いわね。
 いじめにあって不登校になる心配だけはしなくて済むけど」

 嫌がらせだろうといじめだろうと、陰険であろうと陰湿であろうと、軽く蹴散らせるだけのスペックを持つ恭也だけに精神的にも肉体的にも心配するには及ばないだろう。
 仮に、クラス一丸となって恭也を排斥しようとしたところで、本人にその気があれば次の日から恭也以外のクラスメイトが全員不登校になるという惨状が目に浮かぶ。勿論、本当にそんな事態になれば、恭也がそこまで学校に固執するとも思えないので自分から身を引いてしまうだろうが。

「まぁ、先の事を心配しとってもしゃあないし、今を楽しもうやないか」
「言ってる事がダメ人間になってるわよ、はやて」
「気にしたら負けや。
 あ〜、恭也さん、はよう来んかなぁ」
「はやてちゃん、ひょっとして一緒に登校する事以外に何かあるの?」
「おぉ、流石はすずかちゃん、鋭いなぁ、と言いたいところやけど、自力で気づいて欲しかった。
 恭也さんが小学校に通う、いうことは、や。
 あの恭也さんが、仏頂面で小学生離れした体格の恭也さんが、ランドセルを背負う姿が見られるってことやん!」
「…へ?」
「ランドセル?」
「その通り!
 恭也さんの歳を初めて聞いた時からずうっと待ち望んだ、ランドセルを背負った恭也さんの姿がとうとう見られるんや!
 これを喜こばんで何を喜べと!?」

 そう力説するはやてに対してアリサ達が向けるのは共感ではなく苦笑だった。
 テンション上がりまくりのはやても、流石に3人のそのリアクションに疑問を覚えたが、問いかける間もなく待ち人の声が聞こえてあっさりと意識が逸れた。

「朝っぱらから騒がしいと思ったら、未だにそんな事を期待していたとはな。
 想像しただけでむせ返るほど爆笑しただけの事はあるじゃないか、はやて」
「恭也さん、おはよう!フェイトちゃんも、おはようさん!
 イヤやなぁ、別に恭也さんの姿を笑いものにしようとか言うとる訳やないんよ?
 寧ろ、その逆。
 恭也さんならどんな格好しても似おうてるの分かっとるから楽しみにしとったんやん。
 ほら、思った通り!
 手提げ鞄片手に聖祥の白い制服着て佇む恭也さんはメッチャカッコいいで!普段の『真っ黒クロスケ』とのギャップも手伝って、どこのグラビアアイドルや!?ってほどの馬子にも衣装っぷりでって手提げ鞄!?」
「長いな。ノリツッコミなのか気付くのが遅かっただけなのかが微妙なラインだ」
「どどどどういうこと!?なんでランドセルやなくて、私らと同じ鞄なの!?って同じ学校だからに決まっとるやないか!!」
「自己完結してくれると話が早くて助かるが、最早これって会話じゃないよな?」
「当たり前でしょ?今ははやての独り言タイムなんだから黙って見てなさいよ」
「了解した。楽が出来るなら異論は無い。
 しかし、この『スーパーはやてタイム』はどのくらい続くんだ?転校初日に遅刻は避けたいんだが」
「そりゃあ、リリなのの伝統として美味しいところをかっさらえるくらいカッコいい台詞が出るまででしょ」

 クロノの存在を知らないのに『スーパークロノタイム(NANOHA wiki参照)』を引用するアリサ。勿論、俗語を知ってる時点でアウトではあるのだが。

414小閑者:2018/04/19(木) 20:41:45
「幸い車椅子なんだし、あんた押してあげなさいよ」
「それが妥当か。
 そこの3人。距離を置いて他人の振りなんぞしてないでさっさと来い。出発するぞ」
『はーい』
「…これは、優しさなんやろか?」

 ポツリと零したはやての疑問に視線を逸らす事で答える心遣いこそが少女達なりの優しさだろう。

 車椅子の上で一人黄昏るはやてに構うことなく歩きだした一行ではあるが、6人で横一列に並べるほど歩道は広くないし道を占有するほど非常識でもない。
 当然の結果として歩きだした順に前後2列になると、車椅子を押す恭也の隣にアリサが並んだ。
 アリサとしては特に意図した位置関係ではなかったが、今更位置を変えるのも変に意識しているようで抵抗がある。
 ここは恭也が隣を歩いている事など気にもならない事を示すためにも普段通りに振る舞うべきだ。
 勿論、そんな事を考え始めた時点で普段通りではない訳で、気にし始めるとただ歩くだけでも違和感を感じ始める。普段の歩き方ってどんな風だったっけ?
 混乱に拍車が掛かり始めたアリサとは対照的に、隣を歩く恭也には腹立たしいほどに力みも不自然さも全くない。
 釈然としないアリサは、何かボロを出さないかと恭也の横顔をこっそりと眺めてみる。
 相変わらずの仏頂面ではあるが、無表情とも少し違う気がする。尤も、感情を読み取れるほどの表情でもないので、この顔から感情や思考を読み取れるというなのは達には可視光線以外の周波数帯の光が見えているのかもしれない。あるいは、魔法使いはひと味違うという事だろうか。
 それにしても、数えるほどしか会っていないのに無闇に印象に残っている男である。顔を覚えるのは得意だし、そもそもなのはの兄として知った顔なのだが、それとは別に、その強烈な個性と存在感は簡単に忘れられるものではない。
 その最たるものが、こうして改めて間近で見ると意識する同年代の子供との雰囲気の違いだろうか。
 それは大人達が纏うのと同質のもののように思うが、体格に依るものではないだろう。聖祥の高学年にも恭也と同じ位の身長の男子はいるが、文字通り『図体の大きい子供』という印象しか持った事がないからだ。
 事件中の恭也の話はなのは達から聞き及んでいる。機密に関わる事は伏せられていたため状況が不鮮明だったし、乙女フィルターによって美化された主観的な内容だった事を考えればどの程度の信頼性があるかは疑問ではあるが、それでも恭也の精神年齢が高い事に疑う余地は無い。
 生来の気質なのか、必要に迫られて否応無く成長せざるを得なかったのか。
 どちらだったとしても大差は無いのだろう。少なくともそんな事を嘆くほど軟弱な男だとは思えない。

「どうかしたのか?」

 前を向いたまま発した恭也の問い掛けが自分に向けられたものだと気付くのにアリサは一瞬の間を要した。
 視線だけで観察していたはずなのに当然の様に見抜かれているとは。尤も、アリサとしても気付かれる事は想定の範囲だったので、動揺を隠しながら恭也に顔を向けて用意しておいた疑問を投げかけた。

「編入が決まってから半端に期間が空いてる気がするけど、何かあったの?」
「よくは知らんが三日間で入学手続きが済むのは寧ろ速いくらいじゃないのか?戸籍の偽造から必要なんだしな」
「偽造言うな。
 確かに戸籍を取得するなんて簡単に出来るはず無いっていうか、そもそも出来ちゃいけない気もするけど、それを言うならフェイトだって同じなんでしょ?そもそも、学校に行かなかったとしても日本で暮らすなら必要になるんだから手続きは進めてたんじゃないの?」
「詳しくは知らんが、つい先日までさっさと管理局に入るつもりでいたから、わざわざ手間を掛けて日本の戸籍を作ったりしないと思うんだが…」
「そうだったの!?
 まあそれはそれとして、経緯が何であれ編入はリンディさんから持ちかけた話なんでしょ?
 単なる私の印象だけど、あの人は用意周到に全部の準備を済ませて逃げ場を封じてから話を切り出すタイプかと思ってたんだけど」
「逃げ場くらい残しておいてほしいなぁ。
 それにしても…」

 真っ直ぐに進行方向を見たまま話を続けていた恭也を歩きながら見上げていたアリサは、不意に向けられた恭也の顔にある種の感嘆を見つけた気がして思わず鼻白む。

「な、何よ?」
「いや、よく見ているなと思ってな。
 人物の観察眼は人の上に立つには必須技能だろうからこれからも伸ばしていくといい」
「…お、大きなお世話よ」

 恭也の素直な賞賛とアドバイスに頬が熱くなる。

415小閑者:2018/04/19(木) 20:42:28
 人をからかうことしか能のない馬鹿になのは達が懐く訳がないと分かっていたし、滅多な事では人に悟らせないが自分と大差ない年齢でありながらかなり大変な経験を積んでいる事も察していたから、正当な評価が出来る事にはそれほど驚いてはいない。
 ただ同時に、人への褒め言葉を口にする事のないひねくれ者だと思っていたので、意表を突かれて照れてしまったのだ。
 アリサは誤魔化すために強引に軌道を修正した。

「それで?
 リンディさんの人物像が合ってるなら、なんで間が空いた訳?」
「まぁ、端的に言えば学年が間違っていたんだ。その修正に時間が掛かった」
「はぁ?学年なんて間違いようがないじゃない」
「そうでもない。そもそも俺の居た世界がこの世界とよく似てるせいで俺の年齢があやふやだしな」

 大した感慨も込めずに恭也が説明したのは以下のようなものだ。
 元の世界に帰れないどころか存在すら確認出来ないため、酷似しているこの第97管理外世界である地球を恭也の故郷と定める事になったのだが、そうなると戸籍の登録上生年月日は確定しなくてはならない。
 恭也の居た世界がこの世界と同時に存在する並行世界だったと考えた場合、恭也の転移は時間も移動した事になるのだが、9年と半年ずれていたため話がややこしくなってしまった。
 西暦をそのまま計算すると高町兄と同じ年齢になるので論外としても、誕生日を跨いで転移したため、10年と半年の人生で11回目の誕生日が経過してしまっていたのだ。
 今年で10歳とするか、11度目の誕生日を迎えた事にするか、経過年数に合わせるために誕生日を半年ずらすか、いっそのこと印象に合わせて年齢を十代後半にしてしまうか、という論争が繰り広げられたのだそうだ。

「で、結局どうなったの?」
「誕生日はそのままで現在11歳ということで戸籍に登録されているらしい」

 完全に人事風味で恭也が答えると、前後から落胆の声が聞こえてきた。
 聖祥大附属小学校は文字通り聖祥大学の附属校なので小・中・高・大と一貫のエスカレーター式なのだが、小学校と中学校では同じ敷地ながらも校舎が離れている。恭也が現在11歳ということは3ヶ月後に始まる新年度には最高学年となり、1年間しか一緒にいられない計算になる。
 どのみち学年が違えば運動会などの学校全体の行事くらいしか学校では一緒にいられないのだが、そこまでは考えが至っていないのだろう。
 それは取りも直さず、3人とも今の今まで恭也の戸籍がどうなっているか知らなかった事を示しているが、普通は友人の戸籍など気にしたりしないので、いくら恭也の立場が特殊だからといっても仕方ないのだろう。

 その説明が終わったところで丁度校門にさしかかった。
 まだ十分に余裕のある時間帯ではあるが、周囲には結構な数の生徒が歩いている。流石に良いところの子息令嬢の集う学舎だけあって遅刻ぎりぎりに駆け込むような事はないのだろう。
 そんな中、当然の様に高級車で送り迎えされている者もいるというのに、徒歩で通学している彼女達に注目が集まっていた。それは大声を出したり騒いだりして悪目立ちしているからではなく、単に彼女達が有名だからだ。
 5人が5人共、類稀な美貌と他を圧倒するプロポーションを誇るため良くも悪くも注目の的になるのだ、という理由を適用するには後5年は必要だろう。今の幼さを残す彼女たちは周囲の女の子達と同じように、出るべき所も引っ込むべき所もほとんど同じ高さだし、生徒の多くは『お金持ちの家に生まれる事こそ勝者の条件』と言わんばかりに程度の差はあれ男女問わず整った容姿をしている。
 では、何故その環境で有名になるかと言えば、残りの要素である言動や考え方が周囲の人間を引き付けるからだ。
 そんな女の子グループの中に見慣れない男が混ざっていれば当然の結果として視線が集まる。
 そして、言うまでもなく恭也がそんな視線に怯むはずも拘泥するはずもないのだった。

「それじゃあ、俺は職員室に顔を出すように言われているからここで」
「そりゃそうか。
 それじゃ、私達も行きましょう」
「あ、うん。
 それじゃあ恭也君、帰りも一緒に帰ろうね」
「時間があえばな。
 転校初日では予定も立たん」

 堂々と、と言うよりも、飄々と、と表現した方がピッタリな、無駄な力の省かれた自然体で恭也がこちらを気にする様子もなく職員室へと歩いていく。人見知りがちなフェイトや編入して間もないため慣れていないはやてとは対照的だ。この男に心細いとかいう繊細な感覚は、無いんだろうなぁ。

416小閑者:2018/04/19(木) 20:43:06
 恭也の後ろ姿を横目にアリサ達も教室へ向かって歩きだした。
 3人が落胆しているため自然と会話も途切れていたのだが、思案顔だったすずかがポツリと疑問を口にした。

「ねぇ、アリサちゃん。リンディさん、恭也君の歳が決まってるのにどうして学年を間違えたんだろうね?」
「そう言えばその話だったわね。
 ん〜、あれじゃない?学力が合わないから学年を下げたとか?」
「アリサちゃん?」
「ちょっ!?冗談、冗談よ、なのは!」
「あはは…、あ、でも、学校によって勉強の進み具合は違うらしいから可能性はあるかもしれないよ?
 それに、恭也さん、えとなのはちゃんのお兄さんも授業はあんまり真面目に聞いてなかったから大学受験の時に大変だったってお姉ちゃんも言ってたし」
「むぅ」

 アリサを笑顔で恫喝していたなのはもすずかの意見に不承不承視線を緩めた。
 兄が、知能は高いが知識は浅い、という評価を受けているらしい事を思えば強くは出難い。

「あ、そか、きっとそれや」
「え、はやて?」

 一番恭也を低く評価しそうにないはやての同意の言葉にフェイトが驚いて聞き返す。
 はやてにも自覚はあるようで、フェイトに苦笑を返す。

「ちゃうちゃう、恭也さんがおバカさんや、言うつもりはないんよ。
 恭也さんがこっちに飛ばされたの、春頃や言うとったからな。5年生の授業なんてほとんど受けとらんやろ」
「ああ、そうか。
 1・2学期の授業を受けてないのに3学期に合流するなんて無理があるわね。
 それで今は4年に編入して4月から改めて5年生になろうって訳か。
 きっと、リンディさんが間違えたのもそこね。
 どうせなら戸籍も10歳にしておけばよかったでしょうに。こっちの学校に通うつもりがなかったってのは本当みたいね」

 アリサが納得顔で話を纏めると、誰からも異論の声はあがらなかった。
 ただ、恭也との学生生活が1年延びた事が単純に嬉しかったのも手伝って、その後はいつも通り授業が始まるまで笑顔が絶える事はなかった。





「早速だが、転入生を紹介する」
「不破恭也です、よろしく」
「なぁんであんたがこのクラスに入って来るのよ!!」

 アリサ達のクラスの担任が朝のホームルームで開口一番に発した台詞に合わせて入室した恭也が簡潔な自己紹介を済ませると、間髪入れずに椅子を蹴り倒しかねない勢いで立ち上がったアリサが人差し指を突きつけながら絶叫した。
 メンバーの誰もが呆然としている中で即座にツッコミを入れてみせる辺りは『流石はアリサ』としか言いようがないだろう。
 対する恭也も心得たもので、慌てず騒がず教師に向き直ると落ち着いた口調で申告した。

「先生、生徒の一人から正面切って『おまえなどこのクラスに入れてやるものか』と宣言されました。
 いじめです」
「ありゃあ、いじめじゃなくてケンカだ。
 自力で頑張れ」
「やる気なさげな声援だけ!?あんた本当に教師か!?」

 確かに、正々堂々真正面からぶつかってくるならケンカだろうか?少なくともいじめと聞いて思い浮かぶ陰湿な姿とはかけ離れている。
 尤も、どちらであったとしてもそこで生徒の背中を押すという教育方針は少々斬新ではあるだろう。

「教員免許はちゃんと持ってる。崇め奉ると良い」
「御免被る。
 金持ちの子息令嬢を相手にそんな返答でよく訴えられないな」
「フッ、要領良く生きてきたからな。もとい、生徒達から尊敬されてるからな。
 不破、おまえも生徒である以上、先生にはちゃんと敬語を使え。
 文明社会に生きるからにはほとんどの場合、肩書きの力関係に従わなくてはならん。それが嫌ならさっさと俺より偉くなるんだな」
「少しはオブラートに包んだらどうです?
 おまえ達もよくこの教師に従っているな?」

 小学校の先生とは思えない赤裸々な返答を寄越す教員に、流石の恭也も呆れながら生徒に振ると、アリサ達を除く全員が声を揃えて答えた。

『反面教師!』

 全員がイイ笑顔を浮かべるだけでは飽きたらず、ズビシッ!とサムズアップして見せてくれた。

417小閑者:2018/04/19(木) 20:44:04
 日頃から練習しているのではないかと疑いたくなる一糸乱れぬその動きに、浮かぶ感想は多くないだろう。

「…息のあった良いクラスですね」
「よく言われる」

 ニヤリと笑ってみせるヒゲ面のナイスミドルに恭也の眉が僅かに動いた。
 性格破綻者かと思いきや、どうやらこのキャラクターは意図的に作られたものの様だ。勿論、何割かは地なのだろうが、少なくとも生徒達から一定の信頼を勝ち得る程度には生徒思いなのだろう。

「ま、それは兎も角、そろそろバニングスの相手をしてやった方がいいぞ?
 流石の俺も、不破が転校初日でケチョンケチョンにされるというのは心が痛む」
「つい先程ケンカをけしかけた本人が言う台詞ではありません。序でに言うなら、ここまで脱線したのは間違いなく先生のお陰ですから、バニングスからの返礼を辞退しきれなかった暁にはきっちりとお裾分けしますよ」
「謹んで受け取り拒否させて貰うが、そろそろ本気で軌道を修正しようじゃないか。バニングスの眉毛が洒落にならない角度になってきた」
「まあ、いいでしょう。
 それで、バニングス、…ああ、何の話だったか…?」
「へぇ?」
「これ以上刺激しないでくれ!このクラスに編入した理由だ!」
「なんで教師がそんなに必死なんですか…。
 3年の複数あるクラスの内、このクラスになった理由なら知らんよ。校長がサイコロを振って決めたのか、どっかの誰かの都合なのか」
「それ、分かっててトボケてんのよね?」
「無論だ。心にゆとりを持つのは大事な事だぞ?
 11歳の俺が5年ではなく3年に編入してきたのは、以前に病気で2年ほど入院していた事があったからだ」
「は?2年間?
 今年の1年分は、転移事故で1・2学期が潰れたからでしょ?」

 恭也の説明と自分達の推論の相違点をアリサが率直に尋ね返した。
 その疑問に対して恭也の動きが止まる。同時に視線を上方へとさ迷わせた教諭がぽつりと呟いた。

「あー、俺、聞かなかった事にした方が良いか?」
「…先生の処世術に照らし合わせるなら、それが妥当な判断かと。いろいろと肩書きを持つ人達が困る事になるでしょうから」
「…?、…あ」

 それだけの遣り取りを聞いて、アリサも事情が理解出来た。
 一般人には魔法関連の事情を伏せるのだから、当然転移事故に関しても話せるはずがない。ならば、本来の『1年間休学していた理由』の方を水増しした方が話が早いし不自然さも少なくて済むという判断なのだろう。
 普段の聡明なアリサなら、まずやらかす事のないミスではある。無視された挙げ句からかわれたため、平常心を失っていたようだ。

「…コホンッ
 病気で入院?あんたが?
 怪我ならまだしも、病気なんて掛かるの?」

 咳払い一つで無かった事にしたアリサが次の疑問点をあげた。話を逸らしている様にも聞こえるが、恭也を知る者であれば自然に浮かぶ疑問でもある。
 それに対して、溜め息を吐きながら肩を竦めるという、典型的な呆れを示すリアクションを取った恭也が口を開いた。

「コメントに何の捻りもないな。
 いいか?バニングス。
 仮に生まれてこの方一度も風邪を引いた事がない理由が知性の不足に起因していたとしても、だ」
「風邪引いた事が無いのは認めるわけね」
「いたとしても、だ。入院が必要になる類の病気に掛からない理由にはならんだろうが。梅毒とか淋病とかな」
「ちょっ!?
 あんた、それセクハラよ!!」

 即座に赤面しつつ柳眉を逆立てるアリサに対しても、恭也は平静を崩す事無く指摘する。

「一般論だ。
 そもそも今の病名がどんな病気か分かるのもどうかと思うぞ?
 赤面してるのはおまえと月村とはやての3人だけだしな」
「ぅ、っく」

 大切な知識なのにテストの点数が良いとからかわれる教科・保健体育。この場合、小学校の授業で習う内容ではない事も羞恥に拍車をかけているだろう。

418小閑者:2018/04/19(木) 20:45:59
「う、うっさいわねぇ!
 あんただって分かってるんだから一緒でしょ!?」
「俺は別に、病気の知識を持っている事を恥とは思わん」
「ひ、卑怯な…
 …い、一応、念のために確認しておくけど、アンタほんとにその手の病気になったの?」
「なるか!5歳で感染って、どれだけ経験豊富だ!?考えなくても分かれよ!
 先生、ここは一つ無知なバニングスの為に感染経緯から闘病生活までの経験談をお願いします」
「馬鹿者。俺は妻一筋だ」
「これは失礼」
「だーっ!!
 いい加減にしなさい!この話題は終了!良いわね!」
「まあいいだろう。我が儘な奴め」

 如何にも、願いを聞き入れてやった、という態度の恭也に一泡吹かせようと唸っていたアリサだが、服の裾を引かれて振り返った先に真剣な顔でゆっくりと首を左右に振るなのはを見て矛先を納めることにした。
 気軽に冗談を交えていたように見えたので全く気付かなかったが、恐らく、休学する事になった原因は恭也にとって地雷なのだろう。
 今更になって止めに入ったのは、なのはも気付いていなかった可能性が高い。それでいて、なのはの様子から察するに、地雷の威力は超特大っぽい。

(そんなヤバそうなもの、気軽にチラつかせるんじゃないわよ!)

 そうは思うが、見方を変えればそれほどの大事を周囲に悟らせないというのは凄い事だ。
 強い感情は本人が意図せずとも多くの場合周囲に影響を与えるものだ。一般的には、体面に囚われず自制心の効かない子供は感情を素直に現すため、より顕著になるというのに。
 学校でのアリサも、自他共に認めるほど感情表現が豊か(=我慢強さが全く無い)だ。親の仕事の関係で大人に囲まれる時には自制心を働かせるが、だからこそ日常から当然の様にそれを発揮する恭也の凄さは認めざるを得ない。
 勿論、いくら何でも四六時中悲哀に暮れている訳ではないだろうが、不意打ちに対応出来る程度には気を張っている必要はあるはずだ。少なくとも、その位の事はしていないと簡単にボロが出るだろうし、『うっかりミス』とは縁の遠そうな印象の男だ。
 しかし、それは同時に周囲との関係に壁を作っているということでもある。もともと魔法に関連する事柄を隠さなくてはならないのだが、知識を隠すのと感情を隠すのとでは壁の高さが明らかに違う。
 この学校において、魔法使いであるなのは達3人を除けば、部分的とはいえ恭也の事情を知っている一般人は自分とすずかだけなのだ。恭也が気を許せるようになれる可能性があるとすればこのグループだけだろう。
 この半年ほどで仲良しグループもフェイトが加わり、はやてが増えて、とうとう男子が入ろうとしている。正直言って、変化する事に不安はあるし、性別という要素が絡む事でみんなとの関係が単なる仲良しでは済まなくなる可能性もある。

「まあ、いろいろと思うところはあるだろうが、よろしく頼む」
「…しっかた無いわねぇ」

 それでも、やはり追い払う気にはなれない。
 そう思う程度には恭也の事を気に入ってはいる。それに、偶然が重なったとはいえ、恭也の事情を知る自分達のいるこのクラスに編入してきた幸運をわざわざ不意にすることはないだろう。

 不承不承という態度を作りながら答えたアリサは、自分のお人好し加減に呆れながら席に着く。
 その態度を見つめていた少女達は、嬉しそうに笑みを交わした。




続く

419小閑者:2018/05/03(木) 12:10:37
10.寂寥



 恭也が学校に通うようになってから数週間が過ぎたある日の週末。
 アリサに招かれたなのは、フェイト、はやて、すずかは、招待者本人と共にアリサの部屋に3台並べられたキングサイズのベットの上にいた(ちなみに、わざわざ家具を部屋の外に運び出さなくてもベットを追加出来るほどアリサの部屋は広い)。
 時刻は20時にならないところなので小学生とはいえ就寝にはやや早い時間だが、既に全員一緒に入浴を済ませて持参したパジャマに着替え終えている。ただし、傍らに置かれた少々のスナック菓子とジュース類がパジャマ姿と矛盾しているだろうか。
 全員が眠たそうな表情を見せるどころか、ベットの中心で笑顔を突き合わせている事からも分かる通り、これから始まるのは所謂パジャマパーティだ。
 元々、アリサ、すずか、なのはの3人では何度かそれを開いていた。その流れから言えばフェイトが転校してきて仲良しグループに加わった頃に彼女も含めた4人でのお泊まり会を開くはずだったのだが、残念ながらその時期は事件の絡みでなのはもフェイトも余裕がなかったのだ。
 そんな訳で、序でと言っては失礼極まりないが、最近メンバーに参入したはやても一緒になって5人での開催となった。
 ちなみに、恭也は参加していない。
 なのはが提案した恭也の参加にはフェイトが賛成し、はやてが消極的賛成を示したのだが、意外と性道徳的に真面目な恭也本人が辞退した事と、アリサの『この手のイベントは女の子だけでするものよ!』という主張が通ったためだ。
 アリサの主張の理由は、当然、異性が居ては出来ない話をするためなのだが、もう一つ、本人が居ては出来ない話をするためでもある。

「それじゃあ、早速本題からいってみましょうか?」
「本題?
 アリサちゃん、今日はお話する事、決まってるの?」
「別にいつも通り、何話しても構わないわよ。
 ただ、今回は『これだけは外せない』って話題があるだけよ!」
「外せない話題?」

 初参加のフェイトとはやてが多少の緊張から口を開けずにいると、アリサとなのはの遣り取りにすずかが合いの手を入れた。

「多分、フェイトちゃんの事だと思うよ、なのはちゃん」
「え!?私?」

 すずかに呼ばれて静観していたフェイトが声を上げた。
 ただし、本人に心当たりは無いようで、声にも表情にも疑問が浮かんでいた。

「その通り!
 トボケてる積もりは無いんでしょうけど、その程度で矛先を弛めるほど、あたしは甘くないわよ!」
「えと…、お手柔らかに」

 その生き生きとした表情から、何を言っても無駄、と悟ったフェイトは既に笑みが引き攣り気味だ。効果の期待出来ない嘆願が最後の抵抗といったところだろう。
 当事者ではない3人も苦笑するしかない。
 だが、アリサにはこのネタが傍観者3人を仲間に引き込む力を持っている確信があったようで、少々演技がかった口調で手札を切った。

「それじゃあ、早速白状して貰いましょうか!
 愛しの恭也様との甘ぁ〜い同棲生活を!」
「…えええっ!?」

 アリサの台詞を理解するために数瞬の間を要したフェイトは、ワンテンポ遅れて驚愕の声を発した。普段の彼女の話し声からでは想像出来ない、広い部屋を満たして余りある声量が驚きの度合いを示している。

420小閑者:2018/05/03(木) 12:12:51
 絶叫自体は即座に収束したが、間近でその声に晒された少女達は、遅蒔きながら両手で耳を塞ぎ、過剰な反応を示したフェイトの様子を恐る恐る窺う。みんなの視線を一身に受け止めるフェイトは、驚きに両目を見開いた顔をほんのりと赤く染めていた。

「つぅ〜
 いくら何でも驚き過ぎでしょ?」
「ア、アリサが急に変な事言うからだよ!」

 普段であれば謝罪の言葉を返すであろうフェイトが、アリサの恨みがましい非難の声に即座に反論する辺り、動揺のほどが窺えると言うものだ。
 尤も、フェイトがアリサの言葉をどこまで理解出来ているかは少々疑問ではあった。普段の言動から性的な知識が身についているとは思えないので、案外『愛しの恭也様』に反応しただけかもしれない。
 とは言え、アリサだってフェイトから『大人の階段を駆け登っちゃった☆』なんて言われたり、あまつさえ、その行為を具体的且つ詳細に語られてもドン引きしただろうから問題は無いのだが。
 そんな内情は兎も角として、動揺する、と言う事は、人には話せないような何かがあったのだ、そう結論する人も決して少なくない訳で、

「私もそのお話、聞きたいなぁ」
「さぁ、サクサク行こかぁ。『微に入り細に入る』言うやつでお願いします」
「即座に敵に!?」

 そこに単なる好奇心以外の成分が含まれれば、採るべきスタンスなど自ずと限定されてくるのは言うまでもないだろう。
 尤も、好奇心だけでも十分な動機ではあるのだから、

「それじゃあ、フェイトちゃん、実例付きでお願いね?」
「すずかまで…」

 コイバナと言う奴に興味を持ち始める年頃である事も考慮すれば、アリサの目論見通り、この場にフェイトの味方は存在しないのだった。
 縋る藁を探す様に部屋中に視線をさ迷わせた後、フェイトは逃げ場が無い事を悟って渋々といった表情で溜め息を吐いた。

「…先に言っておくけど、アリサが期待してるような話は出来ないと思うよ?」
「へ〜、そうなんだ?
 ところで、フェイトはあたしがどんな話を期待してると思ってるの?」
「うっ!?
 …その、今借りてるマンガみたいな、お風呂でバッタリ会うとか、躓いて転びそうになって抱きつくとか」
「あー、その手のハプニングは恭也さんに限っては有り得んやろな。気配とか読めるし、転びそうになるんも事前に察知しそうやし」
「あ、でもお兄ちゃんはフィアッセさんがお風呂に入ろうとして服を脱いでる最中に脱衣所の扉を開けちゃった事があったよ?」
「え、そうなん!?
 高町さんも気配とか読めるやなかったん?」
「え〜と、確かお昼前だったから、お風呂に入ろうとしてるとは思わなかったって言ってたと思う」

 何故フィアッセが風呂に入ろうとしていたかまではなのはも覚えてはいなかったが、『高町家の風呂』に入ろうとしていた理由は、単に彼女が何度も宿泊した事があるほど高町家と親しくしていたからだ。
 そして、一般的な家庭と同じ様に、高町家の風呂の脱衣所が洗面所と兼用になっている事がその事故の原因と言えるだろう。そこにフィアッセがいると分かっていたのが高町恭也でなくとも、時間帯から考えて洗面所を使っていると解釈する方が寧ろ自然だ。どちらかと言えば、服を脱いでいるのに扉に鍵を掛けないフィアッセの危機感の薄さの方が問題ではなかろうか。

421小閑者:2018/05/03(木) 12:14:24
「あ、そう言えば、前にお姉ちゃんが『いる事が分かっててもどんな格好してるか分かる訳じゃないから、そこが狙い目だよね』ってノエルと話してた事があったけど…」
「…すずか、今の、あたし聞かなかった事にしとくわ」
「え?…あっ、うん!
 …って、じゃなくって、冗談、きっと冗談だよ!」
「そうね、きっとそうよ」
「アリサちゃん、お願いだから目を逸らしながら言わないで…」

 妙な方向に飛び火した話題を全員が苦労して浮かべた苦笑いで何とか流す。これ以上推測を進めると怖い結論に至るのではないかという恐怖心が幼い彼女達にも漠然と湧いたのだろう。
 勿論、冷静に考えれば、自分達の知る月村忍が相手を陥れてどうこうするはずが無い事には直ぐに気付いただろう。悪戯好きで人をからかって遊ぶ事はあっても、基本的には善人なのだ、月村忍と言う女性は。
 それは兎も角、黙り込んでしまった一同にフェイトがコッソリと内心で安堵していると、残念な事に、奮起したアリサが微妙な空気を振り払うように殊更明るい口調で軌道を修正した。

「え〜と…、そう!
 フェイトのラブラブ体験の話だっわね」
「内容が微妙に変わってるよ!」
「細かい事は気にせず、正直に言っちゃいなさいよ」
「うぅ…」

 流石にこれ以上の脱線は期待出来そうにないようだ。尤も、あれだけ意気込んでいたアリサからそう簡単に逃げ果せるとも思っていなかったのも確かなのだが。

「でも、本当に話せるような事は何にも無いよ?」
「…え、それは、人には話せないような事ならあるとかって言う…?」
「話せないような事って?」
「えっ!?いや、それは、えっと…」

 先程と同系統のアリサの茶々であったが、フェイトには少々難易度が高かったようで、そのまま問い返されてしまった。
 全くと言っても良いほど具体性の無い、漠然としたイメージながらも、少々アダルティな内容を思い浮かべていたアリサはとっさに言葉が返せなかった。
 流石に、今の自分の思考が無垢な乙女としてアウト判定を喰らう自覚はあったようで、何とか話題を逸らそうと頭を捻る。

「ま、まあ、あんまり漠然としてると話し難いかしら。
 だけど、具体的な内容はこっちから指定出来る訳じゃないから…、そうね、『してみようと思ってた事』でどう?
 『恭也と一緒にしたかった事』でも良いし、『恭也にしてあげようと思ってた事』でも良いし、逆に『恭也にしてほしかった事』でも構わないわ。そういうのを実際にやってみた結果とか、やろうとしてどうなったかとか」
「したかった事…」
「そう。1つくらい何かあるでしょ?」

 アリサが話題を逸らしつつ本題を進めると、フェイトも素直に応えた。それは普段から思っていた事なのだろう、改めて考える素振りもなく、促されるままに話し始めた。

「…うん、お話し、したかったんだ」
「…?」

 フェイトがポツリと零した言葉に、少女達は怪訝な顔で互いを見合った。今の言い方ではフェイトが恭也と話せていないように聞こえたのだ。
 だが、フェイトと恭也が会話している場面は誰もが何度も見ていたし、恭也がそれを嫌がる素振りを見せた事もなかったはずだ。

422小閑者:2018/05/03(木) 12:15:31
 戸惑うアリサ達とは別の反応を示したのはなのはだった。

「そっか。
 恭也君の事、もっと知って、もっと仲良くなりたいんだね」
「…うん」

 なのはの指摘に頬の赤みを僅かに増したフェイトが、はにかみながらも小さく頷いた。

 なのはとフェイトはPT事件を通して何度もぶつかりながら想いを交わし、なのはが差し出し続けた手を最終的にフェイトが取る形で友達になった。そして、事後処理や裁判の為に一緒にいる事が出来ない代わりに、ビデオレターを通して沢山の言葉を交わして交流を深めた。
 好きな事、嫌いな事、思った事、考えた事。
 他者と関わる事の少ない生活を送ってきたため最初は戸惑っていたフェイトも少しずつ口数も話題も増えていき、その分だけ互いの事を理解して近づく事が出来ていった。
 フェイトが言いたいのはきっとそう言う事なのだろうとはやて達にも察する事が出来た。
(余談だが、思いの外、純朴な答えが返って来た事でアリサが地味にダメージを受けて密かに悶えていた)
 ただ、沈んだ表情で過去形で語ったという事は上手くいっていないのだろう。

「フェイトちゃん、悩み事なら相談乗るよ?
 恭也さんと一緒に生活するんは私の方が先輩やしな」
「大丈夫。みんなで考えればきっと上手くいくと思うの」
「はやて、すずか…」

 優しく声を掛けてくれるはやてとすずか、言葉にせずとも眼差しに想いを込めて励ましてくれるなのはとアリサにフェイトの瞳が感激に潤む。
 その様子にアリサが視線を泳がせつつ先を促した。誰もが、別に照れなくても良いのに、と思いつつも、そこで照れなくちゃアリサちゃんじゃないよね、とも思わせる辺り、絶妙なバランス感覚である。

「えっと、ね、どう言えば良いんだろう…
 別に、みんな揃ってる時は平気なの。私も一緒にお話出来るし、恭也にクロノや私がからかわれてみんなで笑ったり…
 でも、2人っきりになると、なんだか、上手く話せなくって…」
「緊張してまうんかな?
 みんな、言うてたけど、具体的には何人やったら平気なん?少なくなったら緊張してくん?」
「え?…ええと、誰か居れば平気かな?アルフと3人の時には普通に話せてたよ。多くは無いけど、母さんかクロノかエイミィが居ても大丈夫だったと思う」
「う〜ん…
 それじゃあ、一緒にいる人が会話に参加してないシチュエーションはなかった?部屋にはもう1人居るけど他の事してて話をしてるのはフェイトと恭也だけ、とか」
「ちょ、ちょっと待ってね?
 え〜と…、あ、それも平気だ。
 何度か、母さんかエイミィが夕飯を作ってる時にリビングで恭也と話した事があったよ」
「って事は、本当に2人っきりの時だけって事か…」

 はやてとアリサが的確に状況を絞り込んでいく。その結果、浮かび上がったシチュエーションにはやては首を傾げていた。
 フェイトが恭也を意識して緊張するというのは、はやてにも身に覚えがあるため納得出来る。しかし、逆にそうやって緊張に強ばるフェイトに対して恭也が何もフォローを入れないというのは少々違和感があったのだ。

423小閑者:2018/05/03(木) 12:18:15
 恭也は乙女心に対して鈍感だ。だが、あれでそれ以外の感情の機微には敏感で、朴念仁を体現している様に見える上に平然と横柄な態度をとって見せるものの、細やかに気を使う面も持っている。
 特に子供に対してはその傾向が顕著になる事を、はやては実体験で知っている。少なくとも日常生活において、対等な大人とは思われていない自分には適用されるのだ。
 出来ることなら一日でも早く異性として、と言うほど贅沢は言わないまでも、せめて女性として認識して貰いたいという個人的な願望は兎も角として、相手が子供であれば恭也は甘やかしこそしないものの、影に日陰にと助力を惜しむ事が無い。滅多に日向に現れないため、直ぐには気付けない事も多いし、もしかすると気付けたものすら氷山の一角に過ぎない可能性もあるだろう。
 はやての見る限り、今のところフェイトも例に漏れず恭也にとって子供でしかない。
 無論、恭也がフェイトの様子に気付いていない可能性も無くはないが、恭也の洞察力を疑うよりは前提が間違っている可能性を先に検討するべきだろう。
 そして、はやて自身の精神衛生上の問題で、まずは恭也内評価におけるフェイトの位置付けが頭一つ抜きんでて『大人』である可能性よりも、フェイトが恭也に話しかけられない要因が緊張以外である可能性から確認することにした。

「なあ、フェイトちゃん?
 上手くしゃべれへん言うとったけど、具体的にはどんな感じなん?」
「具体的?」
「うん。
 例えば、どもってまう、とか、頭の中が真っ白になる、とか」
「何て言えば良いのかな…、
 上手く表現出来ないんだけど、いつの間にか時間がなくなってるんだ」
「?
 それははやての言う真っ白とは違うの?」
「う〜ん、近い気もするけど、ちょっと違ってて…
 集中して勉強してると時間が経つの早いよね?あれに近いと思うんだ」
「集中してるの?恭也君と一緒の時に?他に何かしてる訳じゃないんだよね?」
「そうなんだけど…、でもちゃんと恭也の様子は覚えてるし…
 私だけ、かな…?」

 心細そうにフェイトが全員の顔を窺うが、困惑を隠そうとしたぎこちない笑みが浮かんでいるだけだった。感覚は個人のものだからフェイトがそう感じたと言うならそうなのだろうが、一般的とは言い難いその感覚を理解出来ないはやて達に非があるとも言えないだろう。
 そもそも、この場に居るのは恋愛経験豊富な成熟した女性ではなく、ドラマや漫画で擬似的に体験した事がある程度の、恋に恋する年頃の少女達なのだ。本人達の熱意と好奇心は兎も角、相談相手として適任か否かと問われれば否と返すのが公正な判断だろう。
 とは言え、良くも悪くも、本気で悩む友人に、不得意分野だから他所へ行け、と告げられるほど、少女達は薄情でもドライでもなかった。

「それじゃあ、その時の状況をもう少し詳しく教えてくれるかな?」
「え…、すずか?
 詳しくって、どう言う事?」
「最近恭也君と2人きりになった時の事は覚えてるよね?
 例えば、何曜日の何時頃で、どんな場所で、恭也君が何をしてて、どういう反応をしたか、その時にフェイトちゃんが何を思ってどう行動したのか。
 そういうシチュエーションが分かれば、もしかしたら私達にも何か分かるかもしれないでしょ?」
「さっすが、すずか!確かに客観的な分析は必要よね!
 それじゃあフェイト、覚えてる限り正確にその時の事を話してちょうだい」
「え…、せ、正確に?」
「勿論よ。じゃないとわからないでしょ?」
「うぅ、でも、恥ずかしいよ」
「そんな事言ってたら何時まで経っても解決しないじゃない。
 恭也には内緒にしといてあげるから、赤裸々に語っちゃいなさいよ」
「せ、赤裸々に…」

 何を思い浮かべているのか、頬を染めるフェイトの様子になのは以外の表情が若干不安の色を滲ませる。今までの遣り取りを思い返す限り、流石に、18禁的な行為に及んでいるなんて事はないと思うのだが、いまひとつ推測しきれない。
 そんな微妙な視線が集まる中、フェイトがぽつりぽつりと語り始めた。




* * * * * * * * * *

424小閑者:2018/05/03(木) 12:21:57

* * * * * * * * * *




 それは、つい先日の日曜日の出来事だ。

 その日、フェイトがバルディッシュの定期メンテナンスのために出向いたアースラから帰宅すると、夕日に染まり始めたリビングに居たのは恭也だけだった。
 恭也にとって学校が休みとなる土日祝日は恰好の鍛錬日だ。平日であっても、暇を見つけて、どころか積極的に時間を作っては鍛錬に勤しんでいるので、当然、休日は山籠もり同然の鍛錬量で一日中刀を振り回しているだろう、と言うのが誰もが思い浮かべる恭也の休日の過ごし方だった。
 だが、満場一致の推測ですらないその認識は間違っている事が発覚した。勿論、休日を迎える度に恭也が遊び惚けているなどという天変地異レベルの行為に及んでいると言うことではなく、鍛錬内容についてだ。
 意外な事に恭也は食事や睡眠以外にも、ちゃんと休憩を入れているのだ。それも、分単位の短いものではなく、数時間のしっかりした休憩だ。
 たまたま休日に早上がりで帰宅したクロノがリビングでくつろいでいる恭也を見て、驚きのあまり本気で体調不良を心配して尋ねると、デコピン一発を代償に休息を取っている理由を不機嫌そうに答えてくれた。

 動き続ければ疲れるんだ。休憩ぐらいする。

 この恭也の主観に基づき簡潔に纏められた台詞は、クロノが何度か質疑応答を繰り返し一般常識と照らし合わせて翻訳すると以下の様な内容になる。

 みんなが予想した通り、恭也は運動量を抑えれば(と言っても成人男性が3分で音を上げる程度の運動)問題なく一日中動き続けられるらしいのだが、ただ動き続けて疲労を蓄積していれば鍛えられるという段階は当の昔に過ぎているため、効率的な鍛錬にはならないらしい。
 だから、如何に非常識な身体性能と運動技能を併せ持つ恭也であろうとも、肉体的にも精神的にも短時間で適度な過負荷を掛け、その疲労を回復させるためにしっかりと休養を摂る、という常識的なスタイルを採っているんだそうだ。

 クロノに分かり易く翻訳された説明を聞いても恭也を知る誰もが、一般人に見せかけるるための建前か怪我か何かを隠すための嘘(少女達+ヴォルケンズ 談)だ、と即座に否定したのだが、『短時間』と『適度な過負荷』を実際に目の当たりにする事で納得して引き下がっていった。『これが詐欺の手口か…』と零したクロノのセリフがみんなの心情を代弁していた。
 そんな訳で、恭也は大抵の場合、昼食の前後1時間と夕食の2時間くらい前に帰宅して休息を採っている。(因みに鍛錬としては寝起きになのは達を含めて行う『早朝』と朝食後の『午前中』、昼食後の『午後』、気が向いた時に行う夕食後の『夜』と暗闇の中で行う『深夜』に分けられる)だから、恭也がこの時間に家に居ることはフェイトも予想していたし、リンディ達が帰ってくる時間にはまだ早い事も承知していた。
 闇の書事件が終結して一ヶ月以上が経っており、如何に第一級ロストロギア関連事件とは言っても随分前に事後処理も済んでいた。そのため、最近はリンディ達も忙殺される事もなく、休日の昼食と毎度の夕食は自宅に戻る事が出来ていた。これで休日そのものを合わせる事が出来れば言う事はないのだが、空気を読める犯罪者が居ないのが悔やまれるところである。
 だが、本来それだけでは恭也と2人だけという今の状況は生まれないはずだった。このマンションで暮らしているのはリンディ、クロノ、ときどきエイミィ、そして恭也とフェイトの他に彼女の使い魔であるアルフがいるからだ。
 しかし、庭園に居た時もジュエルシードを追っていた時もずっと一緒にいてくれたアルフは、最近では別行動をする事が少しずつ増えてきている。少々寂しくはあるが、アルフには自分自身の命を生きて欲しいと思っているので仕方が無い事なのだろう。
 既に、闇の書事件中は傷心の恭也を心配して寄り添っていたという前例もあるのだ。事件が解決してからは1人で遊びに出かける事も増えている。子犬形態だったり人型形態だったりと、その時々によって違うし、遊びに行く先も変わるようだが、それ自体は喜ぶべきことだろう。
 ただ、気になるのは、そうやって出かけるのは相手が人・動物を問わず誰かしらと遊ぶ為なのだが、恭也だけが家に居る時に外出する場合に限っては大抵が誰とも会う事もなく散歩しているだけの様なのだ。

425小閑者:2018/05/03(木) 12:24:21
 その事実に気付いたフェイトは、アルフが恭也を嫌っているのかと心配した事もあったが、彼女の様子を思い出してすぐにその考えは否定した。
 使い魔としてのリンクに頼るまでもなく、感情がストレートに表に現れる彼女の態度には恭也に心を開いている事を疑う余地など無かったからだ。子犬が飼い主に懐いている様にも、仲の良い兄妹の様にも見えるが、何れにせよマイナス方向の印象を持っている事はないだろう。
 尤も、アルフも何時までも子供の様に単純明快な思考回路ではなくなってきているようで、極稀にフェイトですらハッとするほど酷く大人びた眼差しで恭也を見つめている事もあった。もしかしたら、アルフ自身も無自覚に、フェイトにも測りきれない想いがその豊かな胸に生まれているのかもしれない。
 フェイトとしてもアルフのプライバシーは尊重したいのでその辺りの想いを言及するつもりは無かったが、恭也を残して外出する理由だけは聞いてみた。返ってきたのは『その方がフェイトもゆっくり出来るだろ?』という今一つ要領を得ない答え。それに、その回答からするとフェイトが帰宅するタイミングで顔を会わせない様に外出している事になる。
 アルフが居るのを邪魔に思った事など無いと強く反論したが、『分かってるって。それにそういう意味じゃないんだ。フェイトにもそのうち分かるようになるよ』としたり顔で微笑まれてしまった。
 普段、アルフの事を体の大きな妹の様に思っていたのに、その時ばかりは頼れる年上のお姉さんに見えたのが強く印象に残っていた。
 そんな事を思い返してフェイトが僅かの間ぼうっとしていると、リビングのソファーで本を読んでいた恭也が顔を上げた。フェイトの帰宅に気付いていなかったはずはないので、恐らくは入室しても何をすることもなくぼんやりと恭也を眺めながら佇んでいる事に疑問を抱いたのだろう。

「おかえり。
 そんなところでどうした?」
「ただいま、なんでもないよ。
 今日は何を読んでるの?」
「以前と同じだ」
「何処かの、ええっと…お侍さんだっけ?」
「武将の事を言いたいんだろうが、それとは別だな。ミッドの子供向けの物語の方だ」
「あれ?それは読み終わったって言ってなかった?」
「まだ、『文字に慣れる』段階だからな。新しい文章を読むよりも内容を理解している文章を繰り返し読んだ方が良いと思ってな」
「そっか。
 何か手伝える事があったら言ってね?」
「ああ。新しい本を読む時にはまた宜しく頼む」
「うん」

 初めて見るとかなり意外な印象を受ける者が多いが、恭也は結構な読書家だった。美由希のように寝食を忘れるほどの活字中毒ではないが、他に用事が無く鍛錬を始められるほど纏まった時間ではない時には恭也は本を手に取る事が多かった。
 これは先程の“休日の鍛錬方法”に通じるのだが、肉体の鍛錬が『疲労した筋力や骨が回復する時に、その運動に対応するために以前よりも頑強な肉体に作り変える』という生物としてのシステムを利用したものである以上、必ず休息が必要になる。そして、当然のことながら休息中は身体を動かせないのだから他の事をするしかない訳で、その時間をぼうっとして過ごすよりは知識を詰め込んだ方が有意義なのは議論の余地すら無いだろう。
 但し、理屈が通っていようと正論であろうとその通り行動出来るなら苦労は無い。感情の無いロボットでもあるまいし、一般的な人間であれば疲れている時には面倒臭くて本など読めたものではないし、感情を別にしても肉体の疲労を回復するために栄養も酸素もそれらを運ぶ血液も脳には向かい難い状態、つまりは睡魔に襲われている状態なので勉強するには最悪のコンディションだろう。

426小閑者:2018/05/03(木) 12:27:37
 それでも恭也は本を読む。それは、フィアッセの事件以降に士郎と静馬が恭也に課した、気配探査や気配のコントロールと同じく、鍛錬漬けになって身体を壊しかねなかった恭也に休息を取らせるための方便だった。勿論、恭也も今では休息の意味も重要性も理解しているのでちゃんと自主的に取っている訳だが、だからと言ってその時間を無為に過ごす必要も無いためそのまま続けている習慣なのだ。
 そういった経緯を知らないフェイトやクロノは、単純に恭也の勤勉さに感心していた。恭也としては誇れるものだとは思っていないだろうが、半端に否定すれば謙遜しているようにしか見えず、詳細に話して聞かせれば心配させると分かっている様で、黙して語らずで通していた。

「えっと、隣に座っても、良い?」
「ん?ああ、構わないが…、また座ってるだけなら自分の部屋の方が寛げるんじゃないのか?
 テレビを見たいなら俺が部屋に戻るが?」

 恭也の提案にフェイトがおもわず笑顔を引き攣らせる。それが意地悪でもからかいでも嫌っているからでもなく、純粋にフェイトへの気遣いから出た言葉だと分かっているから尚更だ。
 過去に三度、今日と同じ様に2人きりになった事があったのだが、話がしたくて対面や隣に座ったはずのフェイトは結局一度としてまともに会話が出来た事がなかったのだ。それどころか、フェイト自身は本を読むでもなくテレビを見るわけでもなく、客観的に見れば心ここに在らずという様子で恭也を眺め続けていた事になるのだ。恭也でなくとも不審を抱くだろう。いや、見ていたのが恭也でなければ特別に自意識過剰な者でなくとも別の意味に捉えていたかもしれない。
 幸いと言えるのか、見つめる視線を形容する言葉が『熱っぽく』とか『求めるような』とかダイレクトに『官能的な』といったものであれば流石の恭也も別の反応(対象が自分と思うかどうかは別)を返していただろうから、はしたない印象を持たれてはいないであろう事がせめてもの救いと言えるだろうか。
 とは言え、今の評価は『様子のおかしい子』なので、フェイト的には全然宜しくない状態だ。まかり間違って、このまま放置して『頭が可哀想な子』にでもグレードアップしては目も当てられない。

「大丈夫だよ、私も本を読もうと思ってたから」
「そうか。まあ、俺は構わないから好きにするといい」

 それだけ答えると、恭也は再び視線を本に落とした。
 本を読むにしても自室の方が集中し易いので、そう勧めてきそうなものだが、それは恭也自身にも言える事であり、そうしない以上は理由がある。
 人恋しくて、などと言う理由は不破恭也には在り得ない。本心はどうあれ恥ずかしがり屋の彼がそんな行動を取れるなら、これほど苦労を背負い込む事も、これほど強く在る事も、これほどアンバランスな精神が出来上がる事もなかっただろう。
 では何故か、といえばハラオウン家のルールだからだ。
 ルールとは言っても特に厳格な取り決めがされている訳ではないし文書化されている訳でもない。そもそも、誰かが思い付いてみんなの賛同が得られれば加えられるような気軽なもので、コンセプトも至ってシンプルに『みんなが気持ち良く過ごせる事』の一点のみ。
 そして、恭也がリビングで読書しているのはいくつかあるそのルールの内の1つ、『不都合が無い限りリビングに居ましょう』に従っているからだ。
 これは家に居る時くらいしか家族として顔を会わせる機会が無いのだから自室に引き篭もっているのは良くない、と言う理由から生まれたルールだ。つまり、リビングに居る以上、読書にせよ事務処理にせよそれらは優先度が低いため会話や手伝いで中断させても問題は無い、という意思表示でもあるのだ。
 このルールは元々このマンションに住む前からの、つまりフェイト達がハラオウン家に入る前からあったものなのだそうだ。わざわざこんなルールが出来る辺り、クロノがどんな子供だったか想像が出来てしまうというものだ。勿論、無ければ無かったで恭也が住むようになってから追加されたであろう事も想像に難くないのだが。
 何れにせよ、この家庭内ルールのお陰で恭也の隣に座る口実に事欠かないのだ。恩恵にあやかる身としては、必要とさせたクロノにも施行したリンディにも感謝の念が絶えない。

427小閑者:2018/05/03(木) 12:30:41
 時間を無駄にしないためにも急ぎ足で部屋に向かったフェイトは、この時のために学校の図書館で借りておいた日本の風景を収めた写真集を携えてリビングに戻った。そして、恭也の座る3人掛けのソファーに並んで座る。その際、決して足や腕が触れ合わないように、意識して少し距離を空ける事を忘れない。
 以前に手を握ったり凍えた身体を温めるために身を寄せた時にとても幸せな気持ちになれたので、2回目の2人きりの時に不自然に思われない程度にぎりぎり触れる距離に座ってみたのだ。その結果、身動ぎする度に服越しであるにも拘らず恭也の体温を強く感じて心臓が破裂するかと思うほど速く強く脈打ち、会話どころか呼吸もままならなかったのだ。二の徹を踏む訳にはいかない。
 勿論、恭也に触れられなくなったら寂しいから原因を追究したいところなのだが現在は保留している。

 だって、思い返すだけで凄くドキドキするのに、もう一度同じ事をして今度こそホントに破裂しちゃったら困るもん。

 へんなところで怖がりな子である。
 早朝練習などで殴る蹴る投げる極めるされた時には平気という事実に思い至っていれば真っ当な結論に至れそうなものだが、今時の小学生なら持っていそうな知識を得られない環境で育ったフェイトには少々難易度が高いのだろう。

 実はアリサがマンガを貸しているのはこの辺りに理由があるのだ。
 美少女にとって何かと物騒な世の中にあってフェイトのその無防備さはあまりにも危なっかしく思える。昨今の危険は暴力などと言う分かり易い形を持たない物が多いのだ。
 如何に魔法と言う特技(?)を持つフェイトであろうとも、言葉巧みに甘い恋を演出されたらコロッと騙されて奈落の底まで転げ落ちてしまう可能性がある。少なくとも、アリサの目にはそんなアンバランスさが見え隠れしているように思うのだ。
 だから、分かり易い内容のマンガをチョイスして教材として貸し与えて、まずは恋のイロハから順に、アリサ一推しの男女数人の縺れに縺れたドロドロの愛憎劇を描いた名作までみっちりと教え込んであげなければ。
 すずかには序盤の縺れ始めたところで敬遠されてしまったが、そこから先にこそ本当の面白さがあるのだ。徐々に熱を帯びていく本格的な駆け引きと互いの思惑が絡む事で変化していく心の機微、偶然すら利用する機転と計算されつくした布石を打ち破る純粋な想い。確かに万人向けとは言い難いが、間違いなく10年に一度のこの不朽の名作を早く誰かと熱く語り合いたい!…コホン。
 念のために釈明しておくが、アリサは自分自身で愛憎激を体験したいとは欠片ほども思っていない。ああいうのは傍で見ているからこそ面白がっていられるのであって、少なくとも今集まっているこの5人を男を取り合うために憎んだりするなど絶対にしたくないし、この子達にもして欲しくはない。その辺りも恭也がこのグループに加わった懸念材料だった。
 上手く折り合いを付けてくれると良いのだが、本人達の気性や性格は兎も角としても感情が絡むとどう転がるか推し量れないので、アリサとしては祈るばかりである。

 閑話休題
 腰を落ち着けたフェイトは早速本を開いた。
 繰り返しになるが、フェイトの目的は恭也との会話だ。だから、この写真集自体は恭也に不信感を抱かせずにリビングにいるためのカモフラージュ(なにせ、前回までフェイトは2時間近く何もせずに固まっていた)なのだが、会話のネタとしての役割もあった。日本の各地を廻った事がある恭也になら、その土地、或いは似たような景色の話を振る事が出来るだろう。
 今まで、会話をするのにわざわざ話題を用意しておく必要性など感じた事はなかったのだが、意識する必要もなく成せていた事が出来なくなっているのだから、『今まで』なんて適用出来ない前例に縋っているべきではない、という非常に真っ当な理論展開の末に辿り着いた結論だ。

428小閑者:2018/05/03(木) 12:32:35
 座る距離然り、写真集然り、失敗を踏まえてしっかりと前進していると自覚した事で、フェイトの中に小さな自信が生まれた。

 そうだ。
 確かに前回までは上手くいかなかった。
 でも、立ち止まっていた訳じゃない。
 諦めずに頑張ってきたからこそ、今の私があるんだ!

 その成果を噛み締めるように小さく拳を握ったところで、フェイトは結い上げてある髪の一房が引かれる感触に気が付いた。
 日が沈んで急に気温が下がってきたため、いつの間にか自動的にエアコンが作動していたようだ。
 送風自体は特に強くなかったが、髪が靡いた先には読書中の恭也が居るので邪魔してないかな、と視線だけで確かめると、恭也は気にした様子もなく左手で固定した本を読み耽っていた。
 ホッとしつつ手元の本に意識を戻そうとしたフェイトの視界に動くものがあった。読書に集中している恭也の右手が、靡いてきたフェイトの滑らかな髪を指に絡めては軽く引いてサラサラと解いていたのだ。フェイト自身が誤解していた事で分かるように、最高級の絹糸の様に何の抵抗も無く解ける感触がよほど気に入ったのだろう、恭也はその動作を飽きる事無く繰り返していた。



 ああ。さっきのは、かぜになびいたかんしょくじゃ、なかったんだ。







* * * * * * * * * *




「…結局、そのまま恭也の手の動きをずっと眺めてたら母さんが帰ってきちゃって、その日もお話は出来なかったんだ。
 どうしてお話しなかったのかは自分でも良く分からないんだけど、ちゃんと見てたから恭也の手の動きは覚えてるよ?」
「目的忘れて他事してるんなら変わんないわよ」

 だから頭が真っ白になってた訳じゃないんだよ?と言いたいらしく、可愛らしく小さく首を傾けて見せたフェイトを、アリサが間髪入れずに切り捨てた。呆れかえってジト目で睨みつけてくるアリサに怯えたフェイトが助けを求めて視線を彷徨わせるが、返ってくるのは苦笑のみ。
 とは言え、フェイトに自覚が無かったとは言っても、何か非が有ったという訳でもないので、一応は全員で知恵を出し合った結果、『慣れなさい』という簡潔なアドバイスが送られた。

 尤も、アリサ達から何を言われるまでも無く、フェイトは日曜日以降、入浴時間を二割り増しにするという対価を(無自覚に)払い、それまで以上に丁寧にヘアートリートメントを行うようになっていた。根が素直な彼女は経験やアドバイスを元に試行錯誤を繰り返しているのだ。
 情報量の差で遅れをとっているのは事実だが、今、心身ともに猛烈な追い上げを始めたフェイトに少女達がお姉さん風を吹かしていられる時間は決して長くは無いのだった。





続く

429小閑者:2018/05/20(日) 13:40:57
11.進路




 5月
 特に進級試験など無い私立聖祥大附属小学校に通う恭也たちは恙無く4年生に進級し、6人全員が同じクラスに振り分けられた幸運を喜び合ってから一月以上が過ぎた。
 有り得ないと言うほどではない事ながら、あまりにも出来過ぎた偶然に、聖祥への最大の寄付金出資者であるバニングス家の一人娘が『パパ…まさかね…』と呟いていたとかいなかったとか。

 一方、小さなお友達からも大きなお友達からも憧れを抱かれる魔法少女としての顔を持つなのは、フェイト、はやての3人は、仮配属期間が終了して晴れて正式に時空管理局に入局を果たした。(勿論、聖祥組ではない守護騎士の4人もはやてと共に入局している)

 そんな彼女達が今、ここ本局にいるのは入局に必要な諸手続きのためなのだが、支給されたばかりの制服に袖を通して浮かれていても不思議がないはずの3人の顔には不満が露わになっていた。
 別に、お披露目を兼ねて着替えたのに意中の相手が不在、と言う訳ではない。何しろ、休憩を兼ねて覗きにきたクロノとエイミィが加わった事で6人になったメンツにはしっかりと恭也が含まれているのだ。

 食堂の片隅にある円卓の席に着いた状態で手元にあるジュースにも手を着けずにムッツリと押し黙っている少女達を見て、エイミィが苦笑を浮かべる。
 3人とも整った愛らしい顔立ちだけに、こうして不満を、あるいは寂寥を浮かべられると直接的に関わっていない自分でさえ居たたまれない心地になる。
 一般的な感性を持った大多数の人間であれば同じ感想を持つだろうという自信がエイミィにはあったが、少女達にそうさせている張本人は平然としていた。感性が特殊なのか少数派に属しているのかどちらなのだろう?いや、まぁ、どちらでも大差は無いんだけれど。
 エイミィとクロノにとって気まずい沈黙を破ったのは、無闇に膨れていても埒があかないと考えるだけの冷静さを最初に取り戻したはやてだった。

「何で恭也さんだけ嘱託のままなん?
 折角、一緒に仕事出来るようになる、思うてたのに…」

 そう、入局したのは3人なのである。そして、その事実を少女達はつい先ほどまで知らされていなかった。
 だから、彼女達は本局に来た時には、真新しい制服を纏うと憧れの局員になれた実感が湧いて制服姿を互いに褒め合う位には浮かれていた。更に、褒め言葉など期待出来ないと思いつつも恭也の反応をチラチラと伺っていた少女達のためにエイミィがつついた形ではあるが、恭也が一言二言感想を述べた事で彼女らのテンションは最高潮に達した。
 そして、その高揚は恭也1人だけが着替えを済ませていない事に疑問を抱いた事で失墜した。
 恭也が着ているべき制服を知らない事にもこの時に漸く気付き、改めて着替えない理由と配属先を尋ねたのだ。そして、何の躊躇いも見せる様子も無い恭也の返答を聞いた結果、現在に至る。

 はやての台詞に呼応するようになのはとフェイトもじっとりとした眼差しを恭也に向ける。
 対するいつも通りの鉄面皮はやっぱりいつも通りでありながら、内面を伺わせないからこそ見ているクロノ達の心情を映す様に後ろめたそうに見えなくもなかった。…勿論、気のせいなのだろうが。
 それでも、何かしら釈明の必要性は感じたのか、溜め息のように鼻を鳴らした後、恭也が口を開いた。

「そうそう特別扱いを受ける訳にはいかないだろうが」
「どう言う事?
 魔導師やなくても局員になるんは別に特別な事やあらへんやろ?」
「武装局員でなければな。
 それでも本来、正規の手順を踏んで、士官を目指すなら士官学校、武装局員であれば訓練校を卒業するのが筋だ」
「それは知ってるよ。
 でも、リンディ母さんが、私達くらいの魔法技能があれば訓練校のカリキュラムはあまり得るものがないから3ヶ月の短期研修にした方が良いって勧めてくれたから…」
「わかっている。
 お前達自身の為にも管理局側の人材の面でもその通りだろう。更に言うなら、そのための制度として短期研修があるんだからお前達なら何の問題もない」
「じゃあ、恭也君だって問題ないじゃない」

 何の問題があるのかと困惑を示すなのはに、何故分からんのだと言いたげに短く溜め息を入れた恭也が言葉を返す。

430小閑者:2018/05/20(日) 13:47:20
「あるだろうが。
 特例措置の適用基準は魔導師ランクに依る。当然、魔導師としての評価が底辺の俺では受けられない」
「そんなんおかしいやろ!?
 恭也さんは私よりよっぽど強いやん!」

 間髪入れずに反論したのははやてだった。
 実状を無視した制度など弊害でしかない。はやての言葉は一面としては確かに正しい。
 だが、管理局の制度が致命的な欠陥を抱えていれば、とうの昔に烏合の衆に成り果てていただろう。

「魔法文明の中で発足した管理局が制定した制度である以上、魔法技能が重要視されるのは当然だ。
 魔法自体が個人で行使できる力としては過剰なほどに桁外れに高いからな。
 魔導師ランクの昇格試験の内容も、単純な魔法の行使技術だけでなく状況判断や他者との連携も評価対象になっているという事だから、余程の例外を除けば、魔導師としてのランク評価は九分九厘が本人の戦闘能力のそれと直結している。
 つまり、魔導師ランクを判断基準の要として据える事に、おかしい事など何もない」

 管理局において、魔導師ランクという『物差し』は、疑問を差し挟む必要が無いほど信頼性の高いものだ。少なくとも武力を必要とする武装隊の判断基準としては非常に優秀だった。
 また、極一部の例外の為に一から基準を作り直すなどという無駄な手間を掛ける余力など今の管理局には無い。
 そして、存在しないはずの並行世界からの異邦人がいるように、仮にどれほど優秀な新制度を制定しようと例外は必ず出てくる。
 逆に言えば、現れた例外に対してどのように対応するかが重要になってくるということだ。恭也を論破するにはその点を突くしかない。

「でも、あくまでもそれは魔導師ランクが戦う力と合ってる場合でしょ?大多数の人がそうだから制度として組み込まれてるのは仕方がないけど、例外を認める余地はあるんじゃないの?
 人材不足が深刻な問題になってるってクロノもよく言ってるんだから、恭也が優秀だって示してもダメなの?」

 恭也との問答では煙に巻かれると思ったのか、フェイトが話の後半をクロノに振ってきた。
 クロノとしても、隠す必要のない情報なので躊躇いなく同意した。

「ああ。
 闇の書事件での功績もあるから、恭也の技能なら即日採用にこぎ着く事も出来るだろう」

 期待通りのクロノの回答に少女達の表情が明るくなる。その様子に逆に顔を曇らせたのは、意外な事に恭也ではなくエイミィだった。
 非難するようにエイミィがクロノを睨む。それを受けたクロノが僅かに頬を引き吊らせながら恭也へと視線を移すが、受け止めては貰えなかった。地味な嫌がらせである。
 彼女達を納得させるだけの理由があるのだからさっさと説明しろと言いたかったが、半端な答えを返して期待を持たせた手前、強く言うことも出来ない。期待に満ち溢れた彼女達を悲しませるのは誰だって嫌だろうから、元凶である自分が逃げ出す訳にもいかない、と思ってしまう辺りがクロノの馬鹿正直さである。
 顔を輝かせる少女達に、ややバツが悪そうに頭を掻きながらクロノが再び口を開いた。

「あー、期待しているところ申し訳ないんだが、恭也が入局しない本当の理由は別にあるんだ」
「え?」
「最初から本題を切り出していれば、余計な手間も省けただろうに…
 端的に言ってしまえば、剣術の修行を優先したいからと言うのが主な理由だそうだ」
「え…」

 クロノの言葉になのはが呆然と呟いた。
 それほど意外な理由だっただろうか、とクロノが見つめ返すと我に返ったなのはが慌てた様に言葉を探して問い返した。

「えっと、その、それは海鳴でないとダメなの?訓練施設ならミッドや、それこそ訓練校にもあると思うんだけど…」

 なのはは何かを探るようにちらちらと恭也の様子を窺いながら話すが、恭也には思い当たる節がないのか小さく首を傾げた。

「いや、駄目という事はないと思うんだが…」
「あー、もういい。自分で説明する」

 クロノの歯切れの悪い説明に埒があかない、という態度で、恭也が割って入った。

431小閑者:2018/05/20(日) 13:53:01
 不安げななのはを気遣って割り込んだのは明白なのに、クロノの要領が悪いから、というポーズを崩すつもりがないらしく、役立たずめ、と言いたげな冷ややかな視線がクロノに突き刺さる。相変わらず理不尽な男である。

「第一に、出来るだけ剣術を衆目に晒したくない。
 入局すればこれで戦うんだから隠しきれる訳ではないが、特別枠で入れば無用に注目を集める事になる。
 第二に、今の俺に必要な鍛錬は身体性能を向上させる内容だ。実戦経験は魅力的ではあるが、武装隊に入ってからではそちらの規則に縛られて思うような鍛錬内容がこなせない可能性が高い。勿論、正規の手順である訓練校でも同じだ」
「…えっと、剣術そのものじゃなくて身体性能?
 それって、要するにもっと運動出来るようになりたいって事だよね?恭也君は今のままでも十分なんじゃぁ…?」
「たわけ、一般論でくくるな。
 少なくとも、シグナムやリインフォースを相手にした時に出せたあの高速行動を身体強化魔法無しで、ついでに出したい時に出せるくらいの身体性能を身に付けたい。通常の剣術だけではこの先すぐにやっていけなくなるだろうからな」
「高速行動って、あの見えんくなるほど速いやつ!?
 ええ!?
 あれって生身で出来るもんなん!?」

 少なくとも、闇の書事件中にしか見せたことのない神速は身体強化魔法を発動していない時にはまともに動けていないので、はやてが驚くのも無理はないだろう。…いや、生身で出来ると言われれば普通に驚くか。

「恐らくな。
 ハラオウンに見せてもスクライアに見せても、不破に登録されている『身体強化』に筋力増強や加速の術式は含まれていないとの事だ。
 実を言うと、実家の道場で皆伝を受けた人同士の試合を見学していると、希に姿を見失った事があったんだ。
 単に俺の未熟さからくるものかと思っていたんだが、これがそうだったんだろう。
 肉体的なものか精神的なものかは分からんが、条件が揃えられれば俺にも好きな時に使えるようになるかもしれん。
 実際、先の事件の魔法を使えない時分の記録に、乱入してきた不審者を殴り飛ばすために無自覚に高速行動を使っていた場面が残っていたしな」
「なのはを助けた時のやつか…、無自覚?」
「ああ」
「その割には、シグナム戦やリインフォース戦は随分と都合の良いタイミングで加速できていないか?」
「疑い深いと嫌われるぞハラオウン。
 もとい。
 疑い深くなくても嫌われているぞハラオウン」
「無条件で!?しかも進行形!?」
「流石に、自律神経で加速している訳ではないだろうから、普通に考えれば精神力なり集中力なりを高める事は発動条件として必要だろう」

 いつも通りクロノを放置したまま軌道を修正した恭也。
 慣れてきたのかクロノも無言だ。黄昏ているだけかもしれないが。

「必須条件が複数あるのか、集中力の度合いの問題なのか。普段と身体強化中にどういった違いがあるのか分かれば条件が絞れそうだが…、運動量に耐えられる身体が出来上がっていないから無意識に抑制している可能性もあるな」

 それらしい思案気な口調で呟く恭也を前にして、5人は堂々と顔を見合わせる。
 隠す理由など無さそうなものだからあの高速行動は本当に偶然の産物なのかもしれないが、理由など無くとも隠しかねない、と思わせる男でもある。
 そして、恭也は夢の世界で士郎相手に使っていた事でも分かる通り、魔法無しでも任意に神速を発動出来るので彼らの抱いた疑惑は非常に正当なものなのだが、夢中の出来事を知る術のない彼らにはそれを証明する術が無い。
 あくまでも偶発的だと言い通す恭也の面の皮が揺らぐ事が無いのも、それを承知しているからだろう。もっともらしい口調のまま、恭也が話の軌道を修正した。

「言うまでもなく、あれは任意で使えるようになればかなり有用な技能だからな、何とかして身に付けたい」
「いやー、いくらなんでも生身では無理なんとちゃうの?」

 苦笑混じりにはやてが疑問を口にする。『儚い』と知りつつも人は自分の価値観や常識を守るために抵抗するものなのだ。

「御神流は日本で生まれた剣術流派だぞ。
 地球の常識では魔法なんて技術は存在しないという事をもう忘れたのか」
「おお、そう言えば。
 恭也さんの動きはそれ自体が魔法じみとるからすっかり忘れとった」

 はやてのわざとらしい感想に一同の顔に苦笑いが浮かぶ。今更言う必要が無いほど定番のネタだ。

432小閑者:2018/05/20(日) 13:55:31
 話題が盛大に逸れている事に気付いたフェイトが、苦笑を収めると修正を兼ねてもう一度恭也に訪ねなおした。

「そのトレーニングは、陸士訓練校の訓練内容じゃダメなの?近代ベルカ式の人達が基礎体力をつけるためのトレーニングは結構ハードだってクロノに聞いたけど」
「カリキュラムは見たが、あれは後衛に陣取るミッド式の連中が攻撃なり補助なりの魔法を使うまでの時間を稼ぐ『壁』を育てるためのものだ。言ってしまえば防御魔法を張り続けるタフさを鍛えるのが目的だ。
 俺ではコンマ1秒と耐えられん。
 結局のところ、俺に必要な鍛錬内容は、俺以外には不要な、俺の戦闘スタイル専用の内容になるだろうから、管理局の既存のトレーニングでは役に立たんよ。
 まぁ、管理局に限ったことではないだろうがな」

 今更言うまでもない事だが、恭也の戦闘方法は剣術が主体だ。魔法も使用するが、それはあくまでも補助でしかない。
 そして、魔導師を育成する学校の訓練メニューは当然、魔法を活用するために有用な内容だ。魔導師とは言え身体が資本である事に代わりはないので肉体を鍛えるための基礎訓練を疎かにしてはいないが、どうしたところで魔法に関連する内容にウェイトが置かれる事になる。
 尤も、それ以前の問題として、現時点で一般的な武装局員と恭也では身体能力に差があり過ぎるというのに、更なる能力向上を目指すなら彼らと同じメニューになどなりようがないのである。

「少なくとも身体が出来上がるまでは自分で組んだ鍛錬メニューで鍛えていく事になるから、当分の間は入局出来ないだろうな」

 朝から晩まで訓練校のメニューをこなした上で独自の鍛錬を行うのは、肉体的・体力的には兎も角、時間的に無理がある。
 ましてや、訓練校を卒業すればそのまま入局することになり、拘束時間も責任の重さも増加することこそあれ減少することはないだろう。
 ならば、恭也の目指す肉体改造にどれほどの期間を要するのかは分からないが、確かにそれを実行するのは訓練校に入校する前にするべきなのだろう。

「そっかぁ…」

 無念さが滲み出た声ではあったが同意を示したフェイトがなのはとはやてに目配せした。
 応じたなのはは説明が始まった時に見せた逡巡を残しながらも即座に、はやては僅かの間、眉間に皺を寄せた後、諦めたように頷いて返した。
 恭也がどれほどストイックに剣術の訓練に打ち込んでいるか知っていれば当然だろう。
 但し、納得して頷いたフェイトと何かを気にしながらも説明に対して疑問を抱いていないなのはに対して、はやてだけは事情が違っていた。恭也の説明の不自然さに気付いたからだ。

 元々、恭也は聖祥に通う事無く、管理局に入局する事を希望していたのだ。肉体改造を目指すのであれば練習メニューはその日その時思いついた内容、などと言う事は有り得ない。必ず長期的な計画になる。
 ならば、訓練校の日程との、更に言えば武装隊の勤務時間・勤務内容との両立に考えが至らなかった、と言う事はないはずだ。そして、他の誰にも真似出来なかったとしても、不破恭也にはその過酷であろう鍛錬メニューがこなせる目処が立っていたはずなのだ。

 また、なのはの兄姉である高町恭也と美由希は中学・高校と通学しながら御神流を学んできたと聞く。彼らの力量は恭也と同等程度、らしい。少なくとも、3人揃ってはやてでは優劣が付けられない次元にいる。
 その兄姉が、文武両道、と言えるほど勉学に勤しんでいたかどうかまでは知らないが、恭也だって小学校に通う以上は、いくら授業を熱心に聞いていなくともそれなりの時間は拘束される。陸士訓練校よりは拘束時間は短いかもしれないが、学校にいる間はほとんど体を動かせない小学校と、必要な自主鍛錬には及ばないながらも戦闘訓練を行える訓練校であれば明確な優劣はつかないのではないだろうか。
 恐らくは、高町兄姉よりも過密な鍛錬を行うため、と言う理由も、聖祥に通っていては成立しないだろう。
 つまり、先程恭也が語ったそれらしい理由は本心を隠すためのブラフである可能性が高いのだ。

 そういった不自然さに気付いていながらはやてが同意したのは、結局のところ恭也への信頼だ。
 恭也が今の時点で入局しない理由はなんなのか?
 そして、その理由を話さないのは、自分達に聞かせるべきではないからなのか?あるいは、単に恭也が隠したいだけなのか?
 気にならない訳ではないが、必要な事であれば恭也はきっと話してくれるだろう、と。
 尤も、はやて自身も意識していなかったが、この結論にはもう一つ心理的な要因が含まれていた。
 そもそも、恭也が穏やかに暮らせる世界にするために世界を平和にする、という目的で入局したはやて達に対して、恭也が管理局に入る積極的な理由は無いはずなのだ。

433小閑者:2018/05/20(日) 13:59:04
 その理由について、本人に訊いても適当な事を言って本心は教えてくれないだろう。だが、確認が取れないからこそ自分達を助けようとしてくれているんだろうと自惚れる事にしたはやては、今回に限らず恭也が何かを隠そうとしているのに気付いても、無意識に遠慮して適当なところで追求を控えてしまうのだ。
 因みに、事前に同じ内容の説明を受けていたクロノもはやてと同じ思考を辿り、恭也の提示した理由に疑問を抱いた。はやてとの違いはその疑問点をしっかり恭也に問い質した点だ。
 単純な戦闘能力以外にも、隠密行動や偵察・潜入・尾行といった戦闘以外に活用出来そうなスキルを持つ恭也は得難い人材だったし、何より立場上あやふやにする訳にはいかなかったのだ。
 ただし、クロノ自身もあまり答えを期待してはいなかった。それが必要な事であれば勿論の事、単なる気まぐれであろうと話すつもりの無い事は絶対に話してくれないだろうと思っていたからだ。
 そして、その予想通り、本当の理由は聞き出せなかった。聖祥に通いながらの鍛錬は出来ても、訓練校に通いながらの鍛錬は出来ない、という恭也の主張を覆せなかったからだ。実行者が恭也本人だけなので、本人が無理と言えば周囲の者がどう言ったところで覆す事が出来ないのだ。

 尤も、はやてとクロノがリンディと同じ様に、恭也が聖祥へ通う経緯を知っていれば某かの推測は立てられたかもしれない。

 そもそも恭也が聖祥に通う事になったのは、なのはの父・士郎から勧められたからだ。だが、恭也自身もその必要性を感じていなければ素直に従う事はなかっただろう。そして、実際に通うようになって、やはり必要な事だと結論づけた。
 だからこそ、はやて達と入局時期をずらしてでも学校に通う事を優先したのではないだろうか。
 唯一、事情を知るリンディはそんな推測を立てていた。
 管理局員としては優秀な人材には少しでも早く入局して貰いたいという思いがあるが、子を持つ母としては自分で選んだ道を進んでほしいとも思っている。
 クロノには入局の際に何度も意志を確認したが、彼は迷う事無く最短コースを選んでしまった。リンディ自身も似たようなコースを選んだ過去があるため偉そうな事は言えないのだが、親のエゴだと分かってはいても、もっと別の道も視野に入れて考えて欲しかったと言うのが偽らざる本音である。
 そういう意味では、恭也は寄り道する事を選び、フェイト達は二足の草鞋ではあるもののみんなと学校に通っているのだから、リンディとしては安心すると同時に応援もしているのだ。
 フェイト達に短期研修を勧めたのも、実は少しでも少女達の負担を減らす為、という狙いの方が大きかった。

 それぞれがそれぞれの理由で納得しようとしたところで、先程から何度か逡巡していたなのはが意を決したように恭也を見つめた。

「…あの、恭也君」
「どうした?」

 なのはの様子に鍛錬の話題が始まった時に見せた動揺と関連すると察したであろう恭也も、声色に怪訝な響きを含ませて続きを促す。
 自分から声を掛け、更に恭也に促されても尚なのはは言うべきかどうか悩んだ末に、恐る恐るといった様子で以前から抱いていた疑問を口にした。

「…あの、お兄ちゃん達とは練習しないの?」

 聞いた全員がなのはの逡巡に納得した。
 『人から習う』という方法は剣術に限らず技術を習得しようと考えれば誰もが思いつく事だろう。高町恭也は不破恭也をして、『剣腕は自分よりも上』と言わしめた男なのだ。
 また、数年前の護衛中に負った『日常生活を送れるようになっただけでも奇跡的』と言われたほどの負傷によって、高町士郎は御神流剣士を引退した。だが、皆伝を与えられた剣士としての経験と、師範として後輩を導いた実績が無くなった訳ではない。
 それでも、その考えを無意識の内に避けていたのは、恭也と相手が特殊な関係だからだろう。
 気付いていたなのはも、今日に限らずこれまでに何度か確認しようと思いながら同じ理由で切り出せずにいたのだ。
 予想外の問い掛けだったためか、恭也の表情が僅かに強ばるのを察したなのはが慌てて言葉を足した。

「あっ!嫌なら嫌で全然良いんだよ!?
 ただ、…剣の技はお兄ちゃんの方が上だって、この前言ってたし、上手くなることだけ考えるならやっぱり一緒に練習した方が良いんでしょ?」

 言葉を切ると、恭也の反応を窺う。だが、その頃には恭也も普段通りの雰囲気を取り戻し、静かになのはを見つめ返していた。

434小閑者:2018/05/20(日) 14:03:50
 湖面の様な静謐さを讃えた瞳が揺るぎない事を見て取ると、安堵と不安を抱いたなのはは知らず苦い笑みを浮かべながら再び口を開いた。

「あとね、お父さんが『御神流の技を全部修得してる訳じゃないだろうから知りたい事があったらいつでも来ると良い』って言ってたんだけど…」

 なのはは言うべき事を言い終えると、恭也の答えを待った。
 同席している面々も声もなく2人の遣り取りを見守る。
 誰がどう考えたとしても、御神の剣士として上達したいのなら師事を仰ぐべきなのだ。その単純な結論に辿り着くかどうかを黙って見守る理由は、彼が『不破恭也』だからにほかならない。

 世間からは不破恭也と同じ様に、無愛想・無表情と言われている高町恭也。
 だが、恭也は彼が穏やかに笑う事が出来る事を知っている。
 裏切られるリスクを承知の上で、妹の友人というだけで無条件で信用する強さを持っていると知っている。
 高町恭也と向き合えば、重ね合わせれば、そこからはみ出す自分の歪つさを嫌でも意識させられる。

 果てしなく遠い剣士としての、男としての父の背中。
 縮まることのないその距離に絶望しても諦める事が出来ずに追い続けた背中。
 自分を助けるために永遠に失われた背中。
 高町士郎と向き合うと言うことは亡き父と瓜二つだからこそ、同じではないからこそ、無くしたものを、その大きさを見せつけられる。

 そういった恭也の心情は、本人の性格と努力の甲斐もあってなのは達も事細かに理解している訳ではない。
 それでも、恭也が楽しい気持ちでいられないと察する事など造作もないことだ。
 そんななのはが敢えてそれに触れたのは、恭也が遠慮している可能性が高かったからだ。
 不破恭也の境遇は高町家の全員が知っている。どう言ったところで家族・親類を失って半年と経たない少年に気を使わない訳がない。家族を失う悲しみ、苦しみを知っているのだから尚更だろう。
 常人であれば鬱ぎ込んでもなんら不思議のない状況にありながら、良くも悪くもそう出来ないのが不破恭也なのだとなのは達はよく知っている。恭也の行動指針において、本人の感情の占める割合は限りなく小さいのだ。兄や父と顔を合わせたくないから、という感情を優先しているならある意味で喜ぶべきかもしれないとさえ思っている。
 固唾を飲んで見つめてくる一同に恭也は苦笑してみせると呆れたような口調で話し出した。

「信用されていないな…。日頃の行いは良い筈なんだが。
 先に言っておくが、その2人に迷惑を掛ける事について、微塵も遠慮するつもりはない。厄介事ができたら桃子さんや月村さんを悲しませない範囲で積極的に押しつけてやる予定だ」

 なかなかの鬼畜な発言になのはとフェイト、エイミィに引き吊った笑顔が浮かぶ。
 しかし、近い将来、管理局に勤める予定なので、本拠は兎も角、実質的な住居がミッドチルダになる恭也に生じる厄介事は海鳴に住む高町家の面々に押しつけようがない。そこまで承知した上でわざわざこういう言動を取っているのだと即座に気付いたはやてとクロノは呆れ顔だ。
 はやて達の内心にどこまで気付いているかは不明だが、恭也は淡々と説明を続けた。

「俺が1人で鍛錬するのは、単に一緒に鍛錬する事に利点が無いからだ」

 妙な事を言い出した恭也に、今度こそ全員の表情が疑問の色で統一された。
 恭也としてもそれだけでは通じないと承知しているようで一呼吸おいて言葉を足した。

「現状、一般的な魔導師との戦いは至極単純な図式になっている。
 近づければ俺の勝ち。
 近づけなければ俺の負け、までいかなくとも膠着する。
 これは近づく事が勝利条件と言っても良いほど近接戦闘技術に差があるということだ。
 つまり、目下のところ、俺に必要なのは空戦の技術、言ってしまえば距離を置いた敵に接近する技術と言うことになる。そして、御神流では壁や天井を足場にする程度の戦闘パターンは想定しているが、あくまでも『地上を駆ける敵』であって『飛翔する敵』までは想定していない」
「…なるほど」

 これには一堂、納得するしかなかった。
 少なくとも、はやてを除いたこの場にいる3人の魔導師と同等の、つまりはトップレベルの魔導師でなければ10m以内に接近された恭也に対抗する術はない。一度接近されれば距離を取り直す事も許されず、そのまま密着された上で瞬時に無力化されてしまうのだ。
 勿論、ハイランカーと言えどもそれぞれの得意分野で対抗するのであって、肉弾戦に付き合える者は多くない。そして、彼らでさえ、刀の届く距離まで近づかれれば『徹』を込められている事を想定した斬撃を浴びて詰みとなる。身近で例外となれるのは、打ち合えるシグナム、凌げるヴィータ、退避出来るフェイトだ。

435小閑者:2018/05/20(日) 14:10:32
 突出して秀でた能力を持たないオーソドックスタイプの魔導師の戦術は、バリアやシールドで敵の攻撃に耐えながら撃ち合う事を前提としている。別に一カ所に留まり続ける訳ではないし、回避行動も取るのだが、誘導弾は何かに着弾しない限り追い続けてくるし、直射型の連弾は躱しきれない範囲をカバーする弾数を備えている。完全に躱しきる事を前提にするのは現実的ではないのだ。
 これは、訓練レベルが低いという訳ではない。極一部のAAAランク以上の魔導師と比較することが間違っているだけだ。
 現代の魔導師戦を端的に表すなら、一対一の戦いにおいてバリアの強度を上回る攻撃力を持つ相手には勝てないと言うことになる。
 それが大抵の魔導師が持つ常識であり、魔導師ランクを覆すのが非常に困難な理由はここにある。
 攻撃力の高い者は防御力も相応に高いので、隙を突いて一発逆転という訳にはいかない。相手の攻撃は防げず、こちらの攻撃は通用しないという図式になるのだから、その結果が常識として定着するのも当然だ。
 そして、恭也はその常識を悉く覆す。

 紙切れ同然の防御力。
 射程こそ短いものの、防御を無効化する攻撃技能。
 躱せるはずのない攻撃を躱す回避能力と、短射程を補う移動技術とスタミナ。

 せめてもの救いは、あくまでも刀での攻撃なのでAランク相当の攻撃魔法よりも破壊力が低い事、と思われがちだがこれは誤認だ。
 刀の斬撃とは『壊す』のではなく『斬り裂く』ものだ。どれほど柔軟な物でも変形させず、どれほど脆弱な物でも欠損させる事無く、刃の触れた箇所を境にして分断する。それが日本刀による斬撃の理想の一つだ。岩を砕きはしないし、斬りつけた相手を吹き飛ばす事もないのは理念の違いなのだ。…勿論、魔法の使えない文明で発展した流派だからこその理念ではあるのだろうが。
 何より勘違いしてはいけないのは、防御を無効化した時点で人体を殺傷するのにそれほど大きな破壊力は必要ないという点だろう。
 シールド越しの『徹』による斬撃は、金属の刃ではない分、骨を断ち切る程の威力はないが、肉を斬り裂く事は出来る。外骨格ではない人体であれば、眼球や頸動脈など即死には至らなくとも極度の戦力低下や重傷を負わせる事は出来るのだ。

「しかし、それなら尚更、魔導師相手の模擬戦が必要になるんじゃないのか?」
「不要と言うつもりはない。単に行動パターンを見直したいんだ。
 折角、任意の空間に必要なタイミングで足場が作れるのに、『地面よりも高い位置に立てる』だけではもったいないからな」
「え?え〜と、それってどう言う…?」
「例えば、垂直に作った足場を蹴れば急激な方向転換にもなるし、上下逆さまになれば自由落下よりも速く下へ移動できる」

 恭也の作る足場は『任意の三次元空間に生成した平面力場』だが、魔法的な要素を上げると『材料が無いのに生成出来る事』と『空間に固定出来る事』の2点だけで、それらを除くとただの平たい円盤だ。『術者を円盤上に固定する』だとか『重力方向を制御して円盤に着地させる』だとかいった便利な機能は組み込まれていない。
 材質としては、形状が変形するほど強く踏み込むと術式が壊れて消滅してしまうので、金属よりはガラスに近いイメージだろう。当然、盾にして後ろに隠れるには不安でいっぱいの代物だ。
 『魔法で作りだした物質』と言うには、有り体に言ってショボイ代物ではあるが、だからこそ扱い初めて1日2日という期間で実戦に使用するなどという暴挙に出てもシグナムを驚かせる程度の結果は示す事が出来たのだ。

 日本の剣術は、基本的に平地で対峙している敵を想定して成り立っている。樹木の生い茂る地域などでは違ってくる可能性はあるが、そういった障害物の多い環境では振り回す事を前提にした刀のような武器を選択しないだろう。
 そういった意味でも、壁や樹木といった障害物を足場にした戦い方まで鍛錬に取り入れている御神流は特殊だ。
 そんな流派を修めた恭也だからこそ、ぶっつけ本番に近いような僅かな期間で三次元的な機動を行い刀を振るうなどという非常識な事が出来たのだろう。
 仮に、恭也の保有魔力と魔法適正に余裕があって『足場の生成』ではなく『飛翔』を選択していたとしたら、シグナム戦ではまともな戦いにはならなかったはずだ。あるいは、それは『人外レベルの運動能力を持つ恭也でさえ』と言うよりは『地を駆ける戦い方を極限まで突き詰めて鍛えた恭也だからこそ』と言うべきなのかもしれないが。
 ただし、そんな流派であり、それで鍛え上げた恭也であってもデバイス『不破』の機能を十全に活かせているとは言えない、と言うのが恭也の弁だ。どこまで使い倒したら納得するのやら。

436小閑者:2018/05/20(日) 14:15:08
「無理を通して不破を作ってくれたおやっさんの苦労に報いるためにも半端に済ませる訳にはいかん。
 勿論、剣術に関してもまだまだ未熟だからな。足場の使い方にある程度の目処がたったら手合わせを頼みに高町家に殴り込みに行くさ」
「殴り込みかい!
 でも、やっぱり皆伝を貰えるまで頑張るんやね」

 少しほっとしながらもはやてが予想通りと納得しようとしたが、珍しい事に恭也が視線を逸らし、口籠もるように呟いた。

「…どうかな」
『え?』

 らしくない恭也の様子に異口同音に疑問の声が零れた。
 躊躇う余地など無いだろうに、無いはずなのに、何故、言葉を濁すのか。
 恭也にとって、御神流は、剣術は、単なる戦闘手段では無いはずだ。二度と会えない父親との、親族達とのつながりで、ある種、神聖なものではないのか。
 何を言えばいいのか、問えばいいのか分からず言葉を詰まらせた少女達に代わり声を掛けたのはクロノだった。

「…剣術の訓練は続けるんだろう?
 なら、皆伝を取ることに躊躇する理由があるとは思えないが?」
「…明確な理由がある訳じゃない。いや、自分でも把握出来てない、の方が正しいか。
 敢えて言うなら、…そうだな、空戦は魔法で足場を生成しなくては成り立たない。だから、ここから先は御神流から派生した別の何かになる。それなのに御神流の皆伝を受けるのは違うんじゃないか、と。
 …そんな事を思っている気がする」
「純粋な御神流じゃなくなってしまう、と?」
「…どうだろう。
 元々、他流派の技術を取り入れる事に抵抗のない、いや、寧ろ積極的に取り入れようとして対外試合を繰り返すような流派だ。勿論、継ぎ接ぎだらけにした結果、弱体化しては無意味だから実際に取り入れられる要素なんてほとんどなかった筈なんだ。それでもそうしようとする姿勢を無くすことはなかった。
 だから、どこまでが御神流なのかという明確な線引きはなかった様に思う。
 多分それは、『守るために戦う』流派であり『戦えば勝つ』事を理としていたからだろう。剣技そのものではなく、結果に、勝利する事にこそ意味がある、と。
 ただ、銃器を手にする者はいなかった。
 でも、それは誇りと言うより自負だったんだと思う。銃器を握るよりも鍛え上げた剣術の方が強い、と言う自負だ。
 だから…」

 そこまで口にすると、続く言葉を探すように恭也が視線をさまよわせた。
 だが、結局見つからなかったのか、自嘲するような嘆息を零した。

「何が言いたいんだか。
 …結局、俺自身の意識の問題なのかな。
 そのうち気が変わるかもしれないが、今のところ、俺は今後御神流を名乗るつもりはないし、皆伝を取るつもりもない」

 纏まらない話を終えた恭也がカップを持ち上げ、中身が空なのに気づいて軽く嘆息しながらそのまま下ろした。

 恭也が、不安に揺れている。
 その事実に動揺する内心を少女達は懸命に押し込める。
 以前であれば無理矢理にでも隠し通そうとしていた内面を恭也が見せている。
 それが、元々の恭也の性質で事件中だったために隠していたのか、凍結していた心がクリスマスから少しずつ動き出した結果なのか、以前の恭也を知らないなのは達には分からない。
 もしかしたら、今、不安を顕している事自体、恭也には自覚がないのかもしれない。
 ただ、今なら、迫りくる危険も無く成し遂げるべき使命も無い今なら、胸の内の不安とじっくりと向かい合える。恭也の不安を解消する手助けが出来るならそれに越したことはないが、その糸口が見えない内は、せめて自分達が不安を見せる事で、恭也に不安を抱く事に不安を持たせるのだけは避けたかった。
 誰からともなく浮かべた微笑と優しい眼差しは、小学生とは思えないほど大人びていて、向けられている訳でもないのにクロノをドキリとさせるほどだった。

「事件に巻き込まれてる訳でもないのに、恭也君も色々と悩みが尽きないねぇ。
 でも、慌てる必要は無いんじゃないかな。
 ゆっくり考えて、これからどうしたいか決めていけば良いと思うよ」

 年長者の責務と考えた訳ではないだろうが、エイミィが気軽に聞こえる明るい口調で締めくくると、全員がほっとした様に表情を弛めた。

437小閑者:2018/05/20(日) 14:17:59
「それにしても早いもんだね、3人揃って管理局員だなんて。
 なのはちゃん達なら直ぐに『候補生』なんて肩書きもなくなるだろうし、少しは『海』も平和になるのかな」

 続けて話題を切り替えるべく話を振ると、クロノも心得たもので言葉を返した。

「どうかな…、そうなれば嬉しい限りだが。
 まぁ、3人にばかり負担を掛ける訳にもいかないし、先輩として僕等ももっと頑張らないとな」

 クロノらしい堅い内容に、エイミィがあからさまにからかう様な笑みを浮かべた。

「真面目なんだからぁ」
「別に普通だ」
「あはは、クロノ君らしいね」
「でしょ?
 まったく、『正義の味方』を目指すだけあって付いてく方は大変だよ」
「またその話を出す…」

 茶化すエイミィは台詞とは裏腹に嬉しそうだ。クロノも承知しているからこそ、渋面と口調が照れ隠し然としたものなのだろう。

「『正義の味方』?」

 不思議そうに目を瞬かせながら聞き返したのはフェイトだったが、なのはとはやても同じ感想を持っているようで視線がエイミィとクロノの間を行き来している。

「そう!
 それがクロノ君が管理局に入った理由なんだよ。
 事件に巻き込まれて悲しい想いをする人を助けられる正義の味方になりたいんだって言ってた」
「…別に、今でもその想いに変わりはないよ。『こんなはずじゃなかった』事を減らしたいと思いながら働いてる」
『…ップ、クスクス』
「…あれ?」

 話を聞いて揃って噴き出した少女達を見て、冗談めかして口にしたエイミィの方が驚いた。
 エイミィとてその夢が子供じみている事など承知していたから妄りに言い振らした事はなかった。いくら幼稚に聞こえようと、だからこそ、それは純粋で神聖なクロノの想いなのだ。頭ごなしに否定したり馬鹿にするような輩には決して話した事はなかった。
 今回話したのも、純粋さを絵に描いたようなこの子達が笑い出すとは全く考えていなかったからなのだが…。

「…ド阿呆。
 そのタイミングで笑い出すな。馬鹿にしている様にしか見えんぞ」

 笑い続ける少女達を窘めたのは、またしても意外な事に一緒になってからかう側に回るかと思っていた恭也だった。
 いや、意外では無いのかもしれない。照れ屋で無愛想なので誤解され易い男ではあるが、心や想いを大切にする人間だという事はよく分かっている。
 尤も、少女達が笑いだしていなければ、恭也は予想通りからかう側に回っていた様な気もするが。
 クロノとエイミィが目を向けると、手の中で弄んでいた空のコーヒーカップを持った恭也が立ち上がった。追求を避けるために自販機に向かったのか、と一瞬思うが、この場に残っていてもあの鉄面皮に変化がある訳もない事に思い至る。本当にお代りが欲しかっただけなのだろう。
 揃って前に向き直ると、少女達も笑いの衝動が収まってきたようだ。

「ごめ、プクッ、ごめんねクロノ君、別にクロノ君の夢がおかしいとかじゃないの」
「ハァ、堪忍な?
 余りにもタイミングが重なってもうたから思わず笑いだしてまったんよ」
「いや、別に構わないが、何かあったのか?」
「え〜っとね…」

 クロノの問いに答えようとしたフェイトが言葉を切って戻ってきた恭也の様子を窺った。
 それだけで何となく事情を察したクロノとエイミィではあったが、口を挟む事無く待っていると、恭也の無反応を消極的な肯定と受け取ったフェイトが続きを口にした。

438小閑者:2018/05/20(日) 14:23:04
「今日、学校で恭也が木から降りられなくなってた子猫を助けたんだけど、それを見てたクラスの子が恭也の事を『正義の味方みたいだ』って言い始めてね」
「恭也君は直ぐに否定したんだけど、変に盛り上がっちゃって、話も大きくなっちゃったから大変だったんだよ?」
「でも、まぁ、流石に話が大きくなり過ぎたから逆に先生等は笑いながら聞き流しとるのが救いやね。
 勿論、実際には魔法無しの純粋な運動能力やから隠さんでも問題無いねんけどな」

 やっぱりか。
 彼の身体技能はそもそも人類の範疇から逸脱しているのだ。本気ではなかったとしても小学生の目から見れば超人に見えても不思議ではないだろう。

「具体的には何をしたんだ?」
「5mくらいの高さの枝にいた子猫が落ちかけたところを空中でキャッチしたんよ」
「三角跳びって言うんだっけ?一度、木の幹に着地してもう一度ジャンプするの。
 みんなの頭の上を飛び越えて、子猫の首の後ろを摘んでフワって着地したんだ」
「猫ちゃんもビックリしてたみたいで、なんだかキョトンとしながら恭也君のこと見上げてたんだよ?」

 エイミィは3人の説明を黙って聞きながら脳裏でそのシーンを思い浮かべてみる。と、その眉間に皺が寄り、細めた視線が天井を見上げる。

「…それは、…既に、魔法抜きでも、隠した方が良いレベル、なんじゃないかな」
「君達、かなり基準がズレてきてるようだから、一度、一般常識を再確認しておいた方が良いと思うぞ?」
『ええっ!?』

 そんな馬鹿な!と顔に大書した少女達が絶句している事にこっそりと溜め息を吐いたクロノは、自分の話題なのに他人事風味にコーヒーを啜る恭也に水を向けた。

「君が人前で目立つ真似をするとは珍しいな。他に手は無かったのか?」
「有ったら採用してる。
 猫の落下地点に子供が集まっていて、割り込んでたら間に合わなかったんだよ」
「なるほど。
 見捨てても寝覚めが悪かった、と?」
「まさか。目立ってまで助ける理由もない。
 だが、生憎その場にはこいつらもいたからな。見捨てればこいつらが手段を問わず助けに入るのは目に見えてた。
 同じ異常事態なら魔法よりは常識の範疇に収まる方がまだマシだと判断しただけだ」
「…言いたい事は分からんでもないが、矛盾してるぞ、その言葉」
「ほっとけ」

 常識の範疇に収まらないから異常事態なのだ。実際、子供達が騒いでいると言う事は、比較的基準の曖昧な彼らにとっても恭也の行動は『凄い事』に該当したのだろう。
 勿論、クロノもそれ以上問い詰めたりはしなかった。それ自体がただの言い訳であり、誰が居なくとも目立つ事を承知で猫を助けただろう事は分かりきっていたからだ。
 エイミィも心得たもので、恥ずかしがり屋から矛先を逸らして少女達に気になっていたところを訪ねた。

「ところで、大きくなった話ってどんな内容なの?」
「あぁ、それは僕も興味があるな。
 小学生の思い描く『正義の味方』となると変身したりするのか?」
「そやねん!
 5人揃うと必殺技が出せて、合体ロボットを操縦して怪獣をやっつけるんやって」
「戦隊モノ!?
 ひょっとして決めポーズとか有ったりするの?」
「クラスみんなで意見を出し合ってるところだよ。
 結構カッコ良かったのもあったよ」
「残りのメンバーははやてちゃん達?」
「ちゃうよ。クラスの男子等が立候補しとった」
「募集中!?『ブラック』がリーダーって斬新じゃないか?
 採用したのか!?」
「するか!
 募集なんぞしとらんし、そもそも俺自身がリーダーどころかメンバーですらない!」
『アハハハハッ!』

 恭也のヤケクソ気味の突っ込みで、どこかに引きずっていた先程までの微妙な雰囲気が漸く一掃された。
 正義感に燃える恭也、という姿が思い浮かびそうで微妙にピン惚けしてしまうのも要因だろうか?

439小閑者:2018/05/20(日) 14:27:28
「まあ、恭也は『正義の味方』っていう感じじゃないよね」
「そやな、どちらかって言えば『悪の敵』って感じやろ」
「そうそう。アリサちゃんの持ってるマンガにあったよね?
『俺の気に入らない連中がたまたま悪だっただけだ』だっけ?」
「あったあった。
 うん、そっちの方が恭也にあってるよね」
「ダークヒーロー言う奴やな」

 盛り上がる少女達に苦笑を浮かべたクロノの視界の端に、いつも通りの仏頂面で佇む恭也が映る。
 何がどうしたと言う訳では無い。
 ただ、なんだろうか。何か、言葉に出来ない違いがある気がする。
 だが、その違和感を探るために試しに話を振ってみようかと思ったところで、機先を制するようにエイミィに声を掛けられた。

「さて、と。
 意外と時間も経っちゃったし、私達は仕事に戻ろうか?クロノ君」
「む…、いつの間に。小休止程度のつもりだったんだがな。
 それじゃあ、僕等はこの辺りで。
 恭也、済まないが少し遅れるかもしれないんだが…」

 席を立ちながらそう告げるクロノに視線が集まる。
 恭也がクロノと待ち合わせてどこかに出かける図が今一つ想像出来なかったからだ。
 一緒になってクロノを見上げていたフェイトが、自宅での会話を思い出した。

「そう言えば、恭也、クロノと模擬戦する約束してたっけ」
「まあな。尤も、申し込んできたのは向こうからだが。
 立て込んでるなら延期するか?」
「最悪、そうなるかもしれないが、今後も時間が空く予定が立たないんだ。
 煮詰まりかけてたが、わざわざ休憩まで採ったんだ。何とかするさ」
「時間には融通の利く身分だから構わないが、ただ待たされるというのも面白くないな。
 1分経過毎にハンデ1つで手を打とうか」
「どれだけ暴利だ…。
 そもそも、君は勝敗には拘ってないだろう?」
「勝ち誇ってないだけで、負けるよりは勝つ方が嬉しい。
 何より、お前を小突き回すのはとても楽しい」
「悪趣味な事をサラッとカミングアウトしやがった!」
「とても楽しいんだ」
「2度も言うほど!?」

 小突き回した経験なんて無いくせに堂々と言い切る辺りが尚凄い。
 実は、クロノと恭也は日程が合わなかったため、1月初めの団体戦以降、手合わせをする機会がなかったのだ。小学生は意外と時間的な拘束が多く、執務官は輪を掛けて多忙なので仕方がないことではある。

「まあ、手抜き仕事の片棒を担がされてもたまらんからな。
 適当に辺りをぶらついて時間を潰しておくから、終わったら連絡してくれ」
「一応、心遣いには感謝しておくが、仕事で手を抜いたことなんかないからな。あまり人聞きの悪い事を言わないでくれ。
 それじゃあ、またあとで」

 そう言ってカップを持って席を立ったクロノとエイミィを見送ると、残った者同士で顔を見合わせた。

「お前達も手続きが残っているんだろう?
 いつまでも寄り道してないでさっさと済ませてきたらどうだ」
「でも、恭也独りになっちゃうよ?
 あ、恭也も一緒に来る?」
「事務手続きについていっても暇潰しにならんだろう。
 いいから行ってこい」

 恭也と一緒に居たいからこその提案だったのだが、一顧だにされる事もなく断られてしまった。
 残念ではあるが予想通りの答えでもあるため苦笑で済ませる事に成功した少女達は、模擬戦を始める時に連絡を貰えるように約束を取り付けると、片付けを終えた後にそれぞれ別れの言葉を告げて食堂を出ていった。

 そうして独りになった恭也は、手に持ったカップに残るコーヒーから立ち上る湯気を静かに眺めていた。
 持ち上げているにも関わらずピタリと静止したカップの中身から波紋が消える頃、思い出したようにカップを口元に運びコーヒーを静かに飲み干した。

「上手く行かないものだな…」

 何を指しているのか不明な呟きは、誰の耳にも届く事無く消えていった。

440小閑者:2018/06/04(月) 00:21:54
12.牧歌



 直径が100mを越える円状の壁。
 視線が届く範囲を遙かに超えた彼方にある天井。
 住居として考えれば無駄でしかない空間を持つこの建築物は、無重力にすることで壁一面に据え付けられた棚の全てに本を収納する広大な書庫としての機能を果たしていた。

 無限書庫

 如何に広大な空間であろうと、如何に膨大な蔵書量であろうと、『無限』などとは大袈裟な、と言う者はいる。
 そう言う者も実際に目の当たりにすれば、大抵が理屈抜きで『無限』という言葉に納得してくれる。
 古今東西、あらゆる次元世界で発行されたあらゆる分野の書物が全て収められているのではないかと目されている知識の宝庫にして、何の規則性も関連性もなく手当たり次第に棚へと収納されているために単なる紙束の山に成り下がった混沌。
 目の前に広がる光景は満天の星空よりも余程『無限』を実感させてくれるだろう。
 だが、本当のところを言えば、この『無限』とは比喩でも何でもなかった。
 今尚、どのような原理か知る者のない方法で自動的且つ機械的に刻一刻と目の前で増え続ける蔵書は、管理者の泣き言に耳を貸す事もなく、唯一の法則である発刊順に地層を築き続けているのだ。
 本来であれば内部空間の有限性を証明する筈の天井は、収納スペースの減少に合わせて空間を歪める機能が働いているらしく、内と外の境界線としての役割だけに専念している。

 攻撃性こそ皆無であるため、方向を見失っての遭難以外の危険はないものの、言うまでもなく、書庫の役割を果たすこの構造物は遺失文明の残したオーバーテクノロジー、つまりはロストロギアである。

 管理局はこのロストロギアの存在を知ると、すぐさま管理者を名乗り出た。発見された当初、内部調査を始めるとすぐに遺失文明が遺した書物、それもロストロギアに関するそれを発見したため、現代の科学技術を超越した失われた知識を管理局で独占することで世界の秩序を保つ『力』を得られる、と思ったからだ。
 だが、その目論見はすぐに頓挫した。理由は単純明快で、必要な書物が見つけられない、という子供の言い訳のようなものだった。
 多くの場合、技術的な本や論文はそれ一冊では完結しない。必ずそれ以前に公表された理論や実験結果を基にしているため、参照文献が掲載されている。最初の本の内容を理解するにはその参照文献も理解しなくてはならない訳だが、当然そちらも別の書物が参照されている。
 こうして芋蔓式に探さなくてはならない本が増えていく訳だが、相手がオーバーテクノロジーとなると大抵の場合はそれだけでは済まなくなる。
 何故なら、ロストロギアに認定された物の多くは、現代科学の延長では辿り着けない物なのだ。発想や着想が根本から違うということは、つまり、一般常識や思想からして全く違っている可能性が高くなる。
 先端技術であればあるほど書かれた書物は基礎知識があることを前提とした内容となるのは当然なのだが、一般常識まで疑うということは初等部レベルの知識を確認する必要が出てくると言うことだ。その難易度は別次元にまで跳ね上がる。
 現代日本で例えるなら、原子力発電所を建設するために核分裂の本を手に取ったとしよう。しかし、そこからいくら参照文献を辿ったとしても四則演算の掲載されている本には行き当たらない。我々の文明においては四則演算など一般常識であり、それが理解出来ない者が高度な核分裂の演算になど取り組まないからだ。
 そして、教育機関が発達した文明であれば、毎年のように新しい教科書が発行され、利益を求める補助機関(塾や予備校など)や出版会社からも類似の本が出版される。仮に、一つの文明から一分野の専門書だけを集める事に成功したとしても、出版された年代毎に並べただけでは基礎から学ぶのに適した資料にはならないのだ。
 更に言うなら、最先端技術の粋を集めた製品とは一分野の知識だけでは成り立たない。発電所の例で言うなら、建築物の設計と原子炉の設計は全く別物であり、原子炉の設計も核分裂の知識だけでは形にもならない。完成したとしても、運用するためには携わる者達全員に各々の役割に必要な設備の知識を拾得するのは勿論の事、想定され得るトラブルシューティングまで出来なくては回らない。
 もう一つおまけに、一つの文明の出版物だけ集めるのも決して容易な作業とは言えなかった。どの時代を選んだとしても、広大な次元世界には数多くの文明が存在し、そこには数万から数億の住人が居る。それら全ての文明とそれを構成する人々の中で、団体・個人に関係なく本の形態を採ったあらゆる分野の書物が内容を問わずランダムに収納されているのだ。しかも、活版印刷ですらない直筆の日記(業務日誌ですらない個人的なもの)まで発見されてしまった。恐らくは、本そのものを転送して収集している訳ではなく、素材を含めて丸ごと全てコピーしているのだろう。

441小閑者:2018/06/04(月) 00:23:26
 収納された本は発行順だけは守られているのだから探せないはずはない、と喚き立てていた上層部も実情を知ると閉口せざるを得なかった。
 管理局としても決して情報を軽んじている訳ではない。知っていれば避けられる危険に正面から挑むなど愚の骨頂、ましてやそれが一つの次元世界を丸ごと飲み込む可能性が常に付きまとうロストロギアとなれば尚更だ。
 だが、実状として人的資材は有限で、ロストロギアの絡まない犯罪グループへの対応(事件の大半はこちらだ)や自然災害に対する救助など、損耗が生じる戦闘要員や救助隊に配属するための新人育成に力を入れるのは必然と言えるだろう。また、管理局への入局を希望する十代の若者達は、どうしたところで花形である前線部隊に憧れる傾向があるため、ある種裏方的な司書を入局当初から希望する者は多くないのだ。

 そういった事情から長きに渡り限りなく放置に近い状態だった無限書庫だが、半年ほど前に入局した一人の少年の功績により、全体量からすればカタツムリの如き微かな、それでも、それまでと比べれば劇的と言える速度で分類が進み始めた。
 それまでの検分は、魔法により文章の吸い出しと同時に翻訳した圧縮データを脳へと転送するという物だった。(勿論、司書の中にはこの魔法の使えない低ランクの者やそもそも魔導師でない者もおり、そういった者達は地道に手にとって自前の知識で翻訳しながら分類するか、分類作業以外の運搬などを行う)
 厚さが5cmはある本を僅か数分で読み解き、内容に合わせたタグを貼り、所定の棚へと移動させるのだから、手にとって読み説くのに比べれば凄まじい処理速度と言えるだろう。
 だが、それだけのスピードを持ってしても配属されている職員の数では、平均して毎分数十冊のペースで増え続ける書物には追いつけなかった。
 ところが、執務官クロノ・ハラオウンに見出されたその少年ユーノ・スクライアが組み上げた検索魔法は、既存のものとは術式の成り立ちが根本から違っていた。単純に性能だけ比較すれば、術式の難度は低く、処理速度は格段に速いという冗談のような代物だったのだ。既存の魔法が起動出来ない低ランクの司書の中にもこちらの魔法なら使える者が何人も出たほどだ。

 人数さえ揃えれば人海戦術で書庫中の全ての本を短期間で分類出来るのではないか?

 魔法によって十数冊の本を自身の周囲に浮かべ(これは無重力だからではなく魔法の機能の一環)、手を使うことなく全ての本を同時にめくり、目を使うことなく文字を読みとるユーノの姿は、危険なロストロギアに携わる局員にそんな希望を抱かせるのに十分だった。
 しかし、世の中はそれほど都合良く出来てない、という事実を突きつけられるのに時間は掛からなかった。
 確かに彼のもたらした検索魔法は既存のそれに比べて圧倒的な性能を誇る物だったが、凶悪な破壊力を持つ攻撃魔法や堅牢な防壁を生成する防御魔法と同様に、その検索魔法も使いこなすには使用者に相応の能力を要求する事に変わりはなかったのである。
 複数の魔法を同時に立ち上げる為に必要なマルチタスクは上位の魔法戦闘における必須技能ではあるが、実際のところ、完璧な並列思考を必要とする時間は多くない。デバイスが魔法処理を補助してくれるというのもあるが、複数の魔法の使用が『同時発動』ではなく『順次発動』である事が大きいだろう。発動直前まで処理した術式を己の内側で圧縮保存しておき必要な場面で解凍するという方法を採る事で、負担を極力減らす事が出来るのだ。
 それに対してこの検索魔法は、魔法そのものの負担は非常に小さいのだが、本の内容を検分する負担が同時処理する本の数だけ倍加ではなく相乗して増えた。全く別の分野の複数の本の内容を同時に把握するために、思考を強制的に分割する術式が含まれているのが原因だ。
 これは欠陥と言うよりは当然の帰結だろう。同時に処理する本の数だけ分割された思考で圧縮された情報を検分するのだから、負担にならない訳がないのだ。
 勿論、攻撃魔法の様に、複数の本の内容を同時に抽出したとしても、順次解凍・検分すれば負担は減るのだが、それでは作業効率上あまり意味がなかった。圧縮されていようとも本の情報量はそれなりの大きさがあるため、一時保存するだけでも脳の容量を圧迫してしまい、検分作業に使用出来る要領が減って作業効率が落ちてしまうのだ。
 同時読み取りによる時間短縮と検分の処理時間のバランスからすればAランク魔導師でも5・6冊くらいが同時処理数の限界だった。
 当然、と言うほど高ランクであるからという理由だけで適正を無視して戦闘部署に放り込んでいる訳ではないのだろうが、司書に配属されている局員にはユーノと比肩するほどの魔導師はいなかった。

442小閑者:2018/06/04(月) 00:24:58
 先に述べた通り、ユーノの検索魔法が劇的な加速を促したのは疑問の余地のない事実だ。また、半年の間に何度も見直し改良した結果、更に無駄を省かれ便利な機能を付加されてとバージョンアップを繰り返されてきた。
 だが、それでも漸く書庫の収集速度と拮抗するのが精一杯、一人でも欠員が出来れば追いつけなくなってしまう状態だった。

 終わりの見えない作業は往々にして倦怠感を生む。投げやりな仕事は周囲を巻き込み堕落させる。
 司書達がそういったものに負ける事なくモチベーションを保ち続ける事が出来ているのは、偏に重要な仕事を手がけているというプライドと、司書同士の団結力・仲間意識だろう。それらはとても重要で、良い仕事をする上では不可欠と言っても過言ではない。
 だが、薬も過ぎれば毒となる。
 何事にも加減は必要なのだが、若い者ほどそれが出来ずにワーカーホリックと呼んでも差し支えない状態になる傾向が強かった。
 それにプラスして、自分の仕事量が平均的な能力の司書数人分だと自覚しているユーノは、特に酷い状態だった。

「ふぅ…、漸く終わった。
 …さて、次は」
「精が出るな」
「!?」

 検分を終えた本を所定の棚へと仕舞い終えて、未分類の区画から次の蔵書を取り出そうと振り返ったユーノの眼前には、今この時には見たくない顔が浮いていた。
 思わず引き吊った表情を誤魔化すために、ユーノは敢えてありきたりな苦情を口にした。

「恭也。
 突然現れるな、なんて贅沢は言わない。
 せめて、上下逆さまは止めてよ。心臓に悪い」
「無重力なんだから茶飯事だろう?」
「魔導師じゃない人もいるから確かにそうだけど、普通は近づく前に声を掛けるのが礼儀だよ。そういう人は止まれないしね」
「お前以外にはそうしよう」
「僕にもそうしてよ!」

 50cmと離れていない空間に顔の高さを揃えて上下逆さまに佇むのは、言わずと知れた仏頂面だ。
 ユーノは恭也の足下を見上げ、予想通りに足場しかないことに嘆息した。
 無重力の空間では接地した反動で体が流れてしまうため足だけで着地するのは不可能に近い所行のはずなのだが、自分で生成した何の機能も付加されていない円形の力場に平然と立っている辺り、理不尽さは相変わらずのようだ。
 どうやってここに辿り着いたのか見ていないから、別の力場に手でしがみついて動きを止めてから、さも足だけで着地した様に見せかけている可能性が無いではないが、この男に限ってそういった小細工をするはずがない、と言う奇妙な信頼があった。

「人の顔を見て溜め息を吐くとは失礼極まりないな」
「見たのは足下だよ。
 相変わらず物理法則を無視してるね」
「魔法使いに言われる筋合いは無い。
 いい加減、喋りにくいから外に出るぞ」
「僕、仕事中なんだけど?
 向きを合わせるくらいで勘弁してよ」
「重力の無い空間に長居して筋力が落ちたらどうしてくれる?
 さっさと出るぞ」
「ちょっ、仕事中だってば!
 どうせ用事なんて無いんでしょ!?」
「ある」
「え!?そ、そうなの?」

 ユーノが驚くのは無理もないだろう。こうして仕事中に恭也が乱入して来た事は過去に何度かあったのだが、本当に用事があってやってきた事はなかったのだ。
 更に言うなら、勤務時間中に、しかも忙殺されている人間を連れ出すとなればかなりの大事だろう。
 だが、書庫の内外は空間が歪んでいる関係で念話が通じないが、緊急の用事なら出入り口で機械的な通信が取り継げるようになっているので急を要する内容ということは無いはずだ。
 そもそも地球に住んでいる恭也が、わざわざ無限書庫まで来て直接顔を合わせる必要があるほど重要、それでありながら緊急ではない用事、というのがユーノには思い浮かばない。

「ハラオウンとの模擬戦まで暇を潰す必要がある」
「どんだけ理不尽にしたら気が済むの!?
 わわ、聞く気も無しか!
 ちょっ、誰か助けて!」

 首根っこを捕まれて出入り口に向かって足場を蹴った恭也に誘拐されそうになったユーノは、身近に居た司書に向かって声を張り上げて、はっと息を飲んだ。

443小閑者:2018/06/04(月) 00:26:13
 団結力が強いという事は当然互いをよく知っていると言うことだ。ましてや新参者とは言え能力が高く一目も二目も置かれているユーノを知らない者はいない。
 先程思わず飛び出した『助けて』と言う言葉は予想外に切羽詰まった口調になっていた気がする。ひょっとしたら本当に一大事と思って助けようとしてくれるかもしれない。
 無論、ろくな戦闘訓練などしていない司書が総出で立ち向かっても恭也に触れる事すら出来ないだろうし、仲間を想って襲いかかる彼らに恭也が手を出すとも思わない。だが、彼らは恭也を『敵』と認識するだろう。
 色々と理不尽な目には遭わされるが、それでもユーノは恭也を友人だと思っているし、司書達の事は仕事の同僚以上の信頼を置けるようになった大切な仲間だ。
 後で仲間達の誤解を解くにしても完全に蟠りを無くす事は出来ないかもしれない。仲間と友人に無意味な溝が出来る様など見たくない。
 瞬時にしてそこまで思考して、表情を強ばらせたユーノの視線の先で、1人の小柄な少女が振り返った。
 ユーノもよく知るその女の子は、歳が近いためか普段から自分の事をなにかと心配して世話を焼いてくれる少女だった。
 普段であれば穏和で控えめな性格がそのまま顕れているような優しげな瞳が、今は驚きに見開かれていた。
 ユーノが慌てて前言を撤回しようとするが、少女は普段のおっとりした言動が嘘の様な素早さで、声が遠くまで届くように左手を口元に添えて、

「いってらっしゃーい」

にこやかな微笑みと共に、右手を小さく振りながら見送ってくれた。

「うらぎりものぉぉおおぉぉー!!」

 ユーノの悲痛な叫びは、無限の空間に木霊しながらいつまでも響き続けたらしい。






「…で?」

 半眼で睨むユーノに怯むはずもなく、常の通りの眼差しを向けることもなく恭也が聞き返す。

「で、とは?」
「そこでそうして釣り糸を垂らしてるだけなら、僕を連れてくる必要なんてなかったよね?」
「スクライア、自分を卑下するのは良くないな。
 お前は居てくれるだけで十分だ」
「なんか良い事言ってる様に聞こえるけど、騙されないからね!!」
「めんどくさい奴だな。
 これほどの陽気の日に穴蔵に籠もってたらもったいないだろう。連れ出してやったんだから感謝しろ」
「頼んでもなければ喜んでもないからね!
 もう…、勘弁してよ」

 どこからともなく用意した釣り竿を構えて背を向ける恭也に、何を言っても無駄と悟ったユーノは、両腕を大きく上げて伸びをしながら後ろへと寝ころんだ。
 風に揺られて瞬く木漏れ日に目を細めながら見上げた空は青く澄み渡り、吹き抜ける風は程良く涼しい。少々悔しくはあるが、確かに心地よい陽気と言えるだろう。

 2人は無限書庫から徒歩で5分と離れていないところを流れる小川の川辺にいた。
 大した川幅もなく、緩やかな流れで水は綺麗に澄んでいる。堤防代わりの土手は低く、短い下草と適当な間隔で植えられた街路樹が作り出す木陰は、時空管理局の本局の近くだという事を忘れられるほど牧歌的な雰囲気を醸し出していた。
 もしかしたら殺伐とした事件に携わる局員を癒すために作られた人工の川なのかもしれないが、そうであるなら十分に役割を果たせているだろう。
 たまに散歩道として整備された土手の上を管理局の制服を着た者が通り過ぎる。場所が場所だけに私服姿のユーノ達の方が場違いではあるのだろう。
 尤も、人通りの多いエリアに建設された本館側とは違い、無限書庫は本局扱いではあっても一般人どころか局員自体も外からやってくる事がない(用事のある者は転送ポートで直接、書庫の通用施設に入る)ため少々辺鄙な場所にある。つまり、今ここらを歩いているのは、気分転換するだけの余裕がある局員だけで、本当にそれが必要なはずの者達はここにはいないのである。それこそ、仕事を中断させてまで引っ張り出すような、強引な悪友でもいない限りは。

「…言っとくけどね、恭也。
 今日は、ちゃんと宿舎で寝てきたんだからね?定時に出勤したから、まだ6時間くらいしか勤務してないんだよ!」

 諦めたはずなのにユーノの口から不満がこぼれる。

444小閑者:2018/06/04(月) 00:27:37
 実力行使は現実的ではないと承知しているために、せめてもの抗議行動と言ったところだろう。本気で抵抗すればいかな傍若無人な恭也であろうと無理強いはしない(はず)だろうが、以前に限りなく不眠不休に近いペースで20日間ほど無限書庫に立て籠もっていた実績があるため、あまり強くも言えないのだ。
 別に、ユーノも好き好んでそんな無茶をした訳ではない。無限書庫が当初の期待通りにデータベースとして機能し始めたと知れ渡りだしたために、書類の検索依頼が殺到したのが原因だ。
 本来、従事する人員のキャパシティをオーバーする仕事量が来た場合にそれを調整するのは上長の仕事だ。だが、これまでまともに機能してこなかったデータベースとしての『無限書庫』という部署は、当然、内部の機構もほとんど機能しなかった。いや、努力はしていた様なのだ。ただ、それまでは期待されていなかったために、依頼自体がほんの僅かしか来ていなかったのだ。当然、交通整理に慣れる機会もなく、突然の依頼殺到に対応できるはずもない。要するに、こちらもキャパオーバーだったのである。
 勿論、何事も出来る事と出来ない事は存在する訳で、ユーノ達も早々にギブアップするべきだったし、実際にそうしようとしていた。だが、そのタイミングで、いつまでも出てこない資料の催促に自ら乗り込んできた高官の不適切な発言に、ユーノがキレた。
 元来、温厚なユーノではあるが、連日の過剰労働で疲労がピークに達しているところへ仲間への暴言が追い打ちとなり、理性が跡形もなく崩壊してしまった。残念な事に彼を止められる者もいなかった。それまで日陰者扱いされていた鬱憤も手伝って、司書一同が一丸となって暴走してしまったのだ。方向性が暴力行為ではなく仕事だったのは不幸中の幸いと言えるだろう。
 因みに、その事態は、どこからともなく現れた黒尽くめがユーノを制止することで収束した。一緒に暴走していた司書達も、先陣を切って突っ走り続けたユーノが不在となったために瓦解した、と聞いている。
 伝聞なのは、ユーノ自身は見ていないからだ。理由は至って単純で、恭也の制止が、物理的な方法だったからだ。問答無用で一撃入れて意識を刈り取り、宿舎に放り込んでいった、らしい。
 正直、疲労困憊だったためユーノの記憶に残っていない、と信じている。…決して、暴徒を鎮圧するための見せしめに、記憶が飛ぶほど凄惨な手段を選んだりはしていないと思う事にしている。
 この辺りの経緯は先程書庫で見送ってくれた少女から、丸2日間死んだように眠った後に聞かされたものだ。自分だって疲れているであろうに看病してくれていたというのだから心優しい少女である。目を覚ましたユーノを見て、『生きてて良かった!』と泣き出した辺りに激しく不安を駆り立てられるのだが、精神衛生上、彼女の心配の原因が、制止方法にあったのか、文字通りに死んでるようにしか見えないような眠り方だったからなのかは聞かない事にしておいた。どちらも大差がないと言われればその通りなのだが。
 あまり思い出したくない出来事を回想していたユーノに、どうでも良さそうなのんびりとした口調の答えが返ってきた。

「お前の仕事ぶりなぞ、知らん。
 1人で釣りをしていて不審者扱いされたら面倒だろ?」
「身元保証用!?危険を犯してまでこんなところで釣りする必要なくない!?」
「馬鹿者、要不要とは関係なくやりたい事を趣味と呼ぶんだ」
「他人の仕事邪魔してまでやらないでよ!」

 確かに、周囲には無限書庫以外に施設どころか民家すらないのだ。釣りをするにしても、職員以外がわざわざ無限書庫の傍まで来るのは不自然ではある。正式に入局したなのは達とは違い、恭也は学校があるため事件の起きていない期間まで常時嘱託扱いされている訳ではないので、その肩書きも使えない。
 実際に職務質問されたとしてもクロノなりリンディなりの名前を出せば、確認して無罪放免にはなるだろうが、居候している身としては家主に余計な手間を掛けさせたくはないのだろう。
 ここで言い負かさなければ逆に自分の負けが確定すると気付いたユーノが畳みかけようと口を開くが、タッチの差で恭也から反撃がきた。

「うるさい奴だな、魚が逃げるだろ。
 そもそも、2日間貫徹した後に2・3時間の仮眠を済ませたらたまたま定時の出勤時間だったからといって自慢になるか」
「ッ!?
 …変な言いがかりはやめて貰いたいな」
「なるほど、3日間だったか」

 エスパーッ!?という叫びは何とか抑える事に成功した。絶句してしまったので図星だとは気付かれたろうが、どのみち隠し通すのは無理だったろう。

445小閑者:2018/06/04(月) 00:29:10
 先程の状況を思い出せば、にこやかに見送ってくれた少女が内通者なのではないかという疑惑が浮かびそうなものだが、ユーノには身内を疑うという発想がないらしい。『恭也なら何でもあり』という刷り込みも一役買っているのだろうが、本当に彼女が内通者だったとしても、恐らく、本人が告白するか現場に遭遇するまで気付かないのだろう。
 尤も、超過勤務の後だからと言って自由気ままに休みを取っても良い訳ではないので、ユーノの勤務状況を引き合いに出しても恭也の行動が正当化される訳ではない。単に心配を掛けていると言うユーノの罪悪感と押しの弱さが敗因なのだ。
 とは言え、屁理屈では勝てそうにないと悟ったユーノは、短く嘆息するとそのまま後ろ向きに倒れ込んだ。

 駆け抜ける風が木陰を作ってくれている木の葉を優しく揺らし、木漏れ日が瞬く。
 木の葉のさざめきに、遠くから響く野鳥の鳴き声が重なる。

 頭の後ろで組んだ両手を枕にして草原に寝転がっていると、少々癪ではあるが、牧歌的な周囲の様子に気持ちが落ち着いていくのが分かる。
 あの時ほどではないにせよ、確かにここのところ仕事漬けの日々が続いていたため、精神的に疲労しているのだろう。
 それはそうだろう。
 初心者だったなのはに魔法の手ほどきをしたり、フェイトの裁判の手伝いをしていた半年前とはかけ離れた状況だ。
 一族と共に遺跡調査をしながら、これが生涯をかけた仕事になるのだろうと漠然と考えていた一年前には想像もしていなかった生活だ。

「世の中は『こんなはずじゃなかった』事ばかり、か」

 知らず、口からこぼれた言葉に苦笑が浮かぶ。生活様式が変わった程度で何を言っているのやら。
 抜けるような青空から、泰然とした背中へと視線を移す。同じ年頃の少年とは思えないほど落ち着き払ったその後ろ姿は、並の武装局員を圧倒する実力を備えたなのは達が恭也という存在を心の拠り所にしている理由として上げても、十分な説得力を有しているように見える。
 だから、だろうか。

「僕ね、時々考える事があるよ。
 僕は、なのはの人生を歪めちゃったんじゃないかって」

 そんな、罪の告白めいた事を口にしてしまったのは。

「もしも、この次元世界に来るきっかけになったジュエルシード…ロストロギアを発掘していなかったら、あるいは、それを事故で紛失していなかったら。
 落ちた先が地球じゃなかったら。
 僕に独りで回収出来る実力があったら…
 そのどれか一つでも出来てたら、なのはは普通の女の子でいられたんじゃないかって…」

 風が下草を揺らし、葉擦れの微かな音が耳に届く。
 風が通り過ぎるまで待っても恭也が反応する様子がなかったため、ユーノはもう一度空を見上げた。
 聞こえなかったのだろうか?
 どうにもならない事だと承知の上で口にした愚痴のようなものだから、それならそれで構わないけれど。

「無意味な仮定だな」

 辛うじて聞き取れる程度の呟くような口調で返された言葉に、弾かれた様に身体を起こして恭也を見やる。
 釣り糸を垂らすその後ろ姿には何の変化も無いように見えた。だが、普段の口調が感情を持っていた事に気付かされるほど、いつも以上に抑揚のない平淡な言葉を聞いて、ユーノは漸く自分の過ちに想い至った。
 闇の書事件に関わった者の中で、最も多くのモノを失ったのが誰だったのかなんて、確認するまでもなく分かっている事なのに。
 だが、ユーノが焦りながら掛けるべき言葉を探すのを恭也は待ってくれなかった。

「時間を巻き戻す手段が無い限り、いくら考えたところで何も変わらない。
 だが…、二度とやり直せないからこそ、無駄と知りつつも考えてしまうんだがな。
 取り返しのつかない事であるほど。
 失ったモノが大切であるほど」
「…ゴメン」

 ユーノは脳裏に浮かぶ言い訳じみた言葉の羅列を全て追いやり、シンプルな謝罪の言葉だけを口にした。社交辞令的なやり取りが有ると思っていた訳ではないが、恭也が沈黙した事に少しだけほっとする。その言葉すら受け取って貰えないかもしれないと考えていたが、杞憂に終わったようだ。

446小閑者:2018/06/04(月) 00:31:26
 だが、気まずさを誤魔化すために別の話題を探そうとしたユーノは、ふと浮かんだ疑問を確かめるようにもう一度恭也の様子を伺った。
 聞き流せば済んだ話題にわざわざ返事をしたのは、もしかして、そう言う理由なのだろうか?だとしたら、遮るべきではなかったのかもしれない。
 いくらかの迷いを残しながらも、ユーノは今度こそ恭也へ問い掛けた。

「気に障ったら謝るけど…、恭也も考えたこと、あるの?」
「当たり前だ」

 即座に返された言葉をユーノは驚きと納得を等量に感じつつ聞き入れ、そのまま続きを待った。
 それ以上、黙して語るつもりがないならそれでも構わなかった。ただ、先を促す事はせずに、もう一度仰向けに寝転がり身体から力を抜いて揺れる木の葉を眺めた。
 絶える事のない川のささめきが、静寂を優しく満たす。
 逡巡なのか、葛藤なのか、恐怖なのか、苦悩なのか。
 胸に何かが去来していたであろう事がわかる沈黙の後、それが何であったのか推測出来ないくらいに静かな声がユーノに届いた。

「俺が飛ばされた時、元居た世界では親族の結婚式の準備中だった。
 可愛げなんて欠片ほども無い子供にも優しく接してくれるような人達が、漸く結ばれようとしていた大切な日に、事故が起きた。いや、正直、事故と呼んで良いのかどうかも分からない。魔法の範疇にすら含まれないような異質な事態だったように思う。
 なんにせよ、俺など足元にも及ばない様な実力を持つ人達が全員同時に、成す術も無く生命を落とすような異様な現象が起きたんだ」

 思い出すのも辛いのだろう。そこまで話した恭也は、言葉を切ると懺悔でもするように僅かに俯いた。
 それでも、ユーノは口を挟む事無く寝転んだまま黙って空を眺め続けた。

「もしも、あれを未然に防ぐ手段が有ったら。
 その時に戻って危機を知らせるだけでも良い。
 そうすれば、誰も死なずに済んだだろう」

 それは、誰もが考える事だろう。考えてもどうする事も出来ないと知りつつ、考えずにいられない事だろう。
 やり直しの利く事は意外と少ない。いや、実際には事態を修正するのであって、時間を戻せない以上は本当の意味でやり直す事など出来ない。
 それを理解しているであろう恭也に対して、ユーノには掛ける言葉が無い。期待されてもいないだろう事も分かっていたから、ただ黙って聞き続ける。

「だが、そうなっていたら、俺はこの世界に来る事はなかっただろう」

 続く恭也の声音に苦みを感じ、ユーノが僅かに目を見開いた。

「先の事件で、俺は事態に干渉した。
 それにどれほどの意味があったのかは分からない。
 お前も、なのはとフェイトも、ハラオウン達も居た以上、俺がいなくてもあの事態は何かしらの形で終結しただろう。
 もしかしたら、俺が関わらない事で、思いつく限り最良の結末を迎えたかもしれない。
 だが、同時に、想像するのもおぞましい、最悪の結果に至る可能性もある。
 そう考えると、とてもではないが俺にはやり直す気概なんて持てそうにない」

 嬉しい事も悲しい事も辛い事も織り交ぜて、積み重なって、今がある。
 仮に、過去を全てやり直す手段があったしたとして、それが悪い過去であったとしても、変えてしまえば今ではない今になる。

「死んでいったみんなに恨まれたとしても、今の俺には『やり直す』という選択肢を、選ぶ事が出来ない。
 …俺は、やり直す手段なんてものが存在しない事に救われているんだ」

 罪の告白。
 これは、そう言えるのだろうか?
 恭也がそう思っているなら、そうなのだろう。
 でも、ユーノには、恭也が亡くなった人達の死を受け入れた、という事だと思えた。
 シグナムが言っていた。自分や不破恭也は、例え人類全てを敵に回したとしても、守ると決めた人のために戦うのだと。ユーノも、きっとその通りなのだろうと思う。
 自分より強いかどうかとは関係なく、恭也にとって家族は守るべき大切な人達だったのだろう。恐らく、生きていれば、いや、死んだと確信出来ていなければ、管理局がどれほど優遇しようとも元の世界に帰る手段を探し続けていると思う。
 あるいは、世界に『やり直す手段』が存在していたなら、恭也は優先順位を入れ替えたりせずに、はやて達を切り捨てていたのかもしれない。
 でも、現実は、恭也の言葉通りだ。

『そんな仮定に意味はない』

 恭也は、辛く悲しい現実をちゃんと受け入れたのだ。

447小閑者:2018/06/04(月) 00:33:26
 そんな彼の抱く罪悪感は、理性に抗う感情の叫びなのだろう。感情を律する事に長けていようとも、その理性を越えて恭也を突き動かす力も感情なのだから。
 そんな内罰的な友人の負担を少しでも軽く出来ないかと思い、ユーノは思考を巡らせた。

「…僕は、君の家族を知ってる訳じゃないけど、君を通してその人達の事を想像する事は出来るよ」

 恭也から制止されない事を肯定と受け取り、言葉を継ぐ。

「確かに、君の言った事は生者の理論だ。『死人に口無し』と同程度の勝手な話だ。
 事故に巻き込まれて死んだ人達だって、死にたくなんてなかったはずだからね。
 多くの人は、やり直す術があるなら、未来がどう変わろうと自分が死なない様にやり直して欲しいと願うと思う。
 でも、きっと君の家族は、例え見え透いたやせ我慢だったとしても、見栄を張って言うと思うよ。『やり直す必要なんて無い。掴み取った結果に胸を張れ』って。
 …君が、言いそうだからね」

 その言葉を最後に、一人は背を向け川面を見つめたまま、一人は寝転び空を仰いだまま、時の流れに身を委ねた。

 恭也からこんな話を聞く事になるとは思ってもいなかった、それがユーノの正直な感想だった。
 自分の中に抱えきれなくなったのか、パンクする前に意識的に他人に話して発散するべきだと判断したのか、弱みを晒すだけの強さが身についたのか。その相手が自分だった理由すら分からない。
 ただ、分からない事だらけではあったけれど、変わった事は、あるいは変わろうと努力している事は恭也にとって良い事だと思えたから、それを指摘して、また同じような状況を迎えた時に話し難くなる様な事はしなかった。




 どれくらいそうしていただろうか。
 ユーノが久しぶりに訪れた何も考えずにボーっとしていられる時間に気が緩んでウトウトし始めた頃。

「そろそろ良い時間か」

 そう言って恭也が釣り竿を仕舞いにかかった。
 ユーノが慌てて身体を起こすと、竿から外した釣り糸を小さく纏めて懐へ仕舞うところだった。
 その余りの手際の良さに浮かんだ疑問を、ユーノはそのまま問い掛けた。

「結局、釣れなかったの?」

 別に揶揄するつもりはなかったが、釣果があれば、当然魚をどうにかする必要があるはずなのにそれらしい素振りは無く、そもそも魚を入れるための容器すら見当たらないのだ。
 釣りの間ほとんど身体を動かしていた記憶がないので、キャッチ&リリースと言う訳でもないはずなのだが。
 その問いに対する恭也の答えは実に簡潔だった。

「ああ、針を付けてないからな」
「…はぁ?」

 理解が追い付くのに一呼吸分の間があったユーノを責める者はきっといないだろう。
 見栄を張って釣れなかった言い訳をするならもう少しましな理由を選びそうなものだ。そういえば、竿から外した糸を速攻で懐へ仕舞う動作には針を取り除く作業が抜けていた気がする。

「針を付けずに釣りになるの?」

 ひょっとして、糸で魚を絡め取るとか?
 まさか。
 いやいや、でも、恭也だよ?

「魚が釣れようがないんだ、釣りとは言わんだろ」

 至極常識的な回答が得られた事に違和感さえ覚えつつも安堵したが、結局最初の疑問に戻ってしまう。

「それじゃ、一体何してたの?」
「川面を眺めてると落ち着くんだ。
 なのに、ただ眺めてたら補導されかけた事があってな。やたらと悩み相談を申し出られて難儀してからは、こうする様にしている」
「あー…」

 健全であれば表情豊かであろうこの年頃の少年が、無表情に川面を眺めていれば心配されるのも無理もないように思う。
 釣る気が無いから竿にも強度は要らない訳で、伸縮型の指示棒の様な物を縮めて懐に仕舞うと恭也が立ち上がった。

448小閑者:2018/06/04(月) 00:35:15
「そろそろハラオウンの様子でも見てくるか」
「通信すれば良いんじゃない?」
「急かしたせいで仕事が疎かになったなんてケチを付けられては叶わんからな。終わってなければそのまま帰る」
「どうせする事が無いなら終わるまで待ってあげたら?」
「それも急かしてるのと変わらんだろ」

 そういうものだろうか?
 まあ、分かり難いながら、恭也なりに気を使ってるんだろうと納得してユーノも立ち上がり、大きく伸びをして眠気を払う。と、恭也に見つめられている事に気付いた。

「え、何?」
「お前、最近、模擬戦どころかまともに鍛錬もしてないだろう?少々惜しいと思ってな」
「あー、まぁ、ね?
 でも、攻撃魔法の適正も無いから惜しんで貰うほどの事でもないよ」

 ユーノの作り出す防御壁や結界はデバイスを使用していないのが嘘のように性能が高い。今までにもそれを見た者達の中の何人かには、スクライア一族の1人として考古学の世界に埋もれさせるのを惜しまれた事があった。
 だが、正直に言えば、考古学の仕事が楽しかったユーノはそれを低く見られているようで面白くなかった。当然、そんな連中の誘いに乗る気にはならず、今のと同じ内容の説明で全て断ってきた。
 攻撃魔法を使えないと知った時点で、戦力として期待して誘ってくる大半の連中が興味を無くすため使い回していた言い訳だったのだが、こんなところでも恭也は標準に収まってはくれなかった。

「年明けの模擬戦で俺の攻撃を悉く退けておいて、よくもそう白々しい台詞を吐けるな?」
「え、いや、それは相性の問題でしょ?」
「相性で言うなら、掠るどころか余波に煽られる程度で戦闘不能に追いやられる様な攻撃魔法を連打してくるなのはやフェイトの方が余程悪い。天敵と言っても過言ではないほどだ」
「いや、でも、僕は盾の中に閉じ籠もってた様なものだし」
「ほう。
 つまり、性能の高い盾を持ったくらいで安心してる様な輩を攻めあぐねるほど、俺が温い鍛え方をしてると、そう言いたい訳か?」
「アッ違う、違うから、訂正するから指を構えないで!デコピンはイヤぁーーアガッ!?」

 懇願も虚しく、額を押さえてうずくまるユーノ。
 ユーノを勧誘してきた者にも、少数ではあるが補助魔法の重要性を理解している者もいたが、そういった者たちでも魔法の性能に注目してもその運用に着目する事はなかった。レベルが上がると同じ魔法であっても自分なりにカスタマイズするのが一般的であるため、魔法の威力と運用を総合して『性能』と考える傾向があるのも要因だろう。
 恭也の感想は魔法に慣れ親しんでいないからこそ、とも言えるのかもしれない。
 尤も、これは一概に見る者の着眼点だけの問題とは言えなかった。なんせ、平均的な強度を持った防壁を紙の如く突き破る威力のなのはの砲撃にさえ、耐えてみせる防壁である。攻撃側に余程の技量がなければ、本人の言葉通り、盾の内側に隠れてやり過ごせてしまうのだ。

「別に無理強いして戦場に引きずり出すつもりは無いから無意味な言い訳をするな」
「うぅ…、だからって、これは酷くない?」

 効果が無いと知りつつも恨めしげに睨んでしまう。当然、恭也の表情筋は1mmたりとも動かなかった。
 ユーノは溜め息を吐くと話題を変えることにした。 

「でも、恭也が自分を基準にして評価するなんて珍しいね。『恭也の攻撃を退けたから僕が強い』って事は『恭也が強い』って事が前提でしょ?」
「単に『自分自身』が一番身近で正確な『物差し』だから引き合いに出しただけだ。
 それに、俺を封じたから強いと言った訳でもない。理不尽な攻撃力を持ちながら扱いきれていないなのはやフェイトよりもお前の方が戦い方を知っていると言ったんだ。
 攻撃魔法の活用の仕方で基準にするならハラオウンの方が適任か。
 あいつ等は出力でも魔力容量でもハラオウン以上なんだ、対戦して敗北する度に運用の不味さが浮き彫りになる」

449小閑者:2018/06/04(月) 00:35:59
 トップクラスの魔導技能を身に付けたなのはとフェイトをバッサリと切って捨てるのは、彼女達以上のハイランク魔導師以外では恭也くらいのものだろう。最下位ランクでありながら口先だけの評論家ではないという矛盾した事実にどうしても苦笑が浮かぶ。

「そこは、出力が劣るのに優勢を保てるクロノを誉めるところだよ。
 相変わらず恭也はなのは達に厳しいよね」
「…そうかもな」

 尤も、魔法的な劣勢を覆すその最たる者が、最下位の魔導師ランクに位置しながらなのは達をあしらい続けている恭也自身なので、彼の性格的に自画自賛に繋がるような事は口にしないだろう。まあ、劣勢を覆す方法が人外の運動量、及び身体技能なので適していないかもしれないが。

「だが、あの幼さであれだけの力を持てば慢心しかねない。あれだけの才能が潰れてしまうのは惜しいし、…何より、そんな姿は見たくない。
 いつまで出来るかわからんが、天狗にならん様にせいぜい立ちはだかり続けるさ」
「…まったく。君だってたいして歳は変わらないっていうのに。
 あんまり無理しないようにね?
 それに、きっともう必要ないと思うよ。はやても含めて、同い年で同じくらいの実力を持った子が身近にいるし」

 なにより、好意を寄せる相手を失望させたくはないだろうしね。

 胸中だけでそう付け足しておく。
 間違いなく彼女らの想いに気付いていない鈍い友人に対するささやかな報復と、彼女達のために、他人が余計な事を言うべきではないだろう。
 そんなユーノの思考を読みとれるはずもない恭也の関心は、言葉にされた内容に向いた。

「…同等の実力、ではないだろ。少なくとも今の時点では」
「そりゃあ、はやては覚え始めたばかりだから多少見劣りもするだろうけど」
「そうじゃない。気付いてないのか?」
「え?ってことは、なのはとフェイトの事?」
「ああ。
 半年前より改善されてきているが、なのはの戦術は近接メインの万能型、つまり対フェイト用に特化し過ぎている」
「え、そうなの!?
 いや、まあ、そうだと言われればそうなっても仕方ないだけの理由は思い付くけど…」
「まあ、それが目立つ様な相手と戦う機会が少ないから仕方ないか。
 俺も2人が出会った事件の経緯は聞いている。
 勿論、『そのせいだ』という表現は乱暴過ぎるのは承知している。一月半の間にそれまで見たこともない技術を曲がりなりにも形にしたんだ、寧ろ、『そのおかげ』と言うべきだろうな」

 フェイトが数年間かけて培ってきた戦闘技術を一分野に限定したとは言っても短期間で身に付けるのは簡単に出来る事ではない。幸いにも、敵がフェイト一人と決まっていたのだから、応用が利かない事を承知の上で狭く深く学ぶのは間違いではない。
 PT事件以降、他の戦術も身につけてきているはずなのだが、それでも追い付けていないのは戦闘というものの奥深さもさることながら、当時のフェイトを止めたいという必死で真摯な想いがそれだけ強かったという事なのだろう。
 尤も、それでも尚、アースラ所属のランクAの武装局員を圧倒出来る基礎能力の高さは才能としか言いようがないのだが。

「だが、だからこそハラオウンの様なオールレンジタイプの万能型は勿論、シグナムの様な近接メインの特化型にも、俺の様な魔導師以外の特異な型にも弱い」
「いや、奇想天外型の君に強い人なんていないから」
「ヴィータがフェイトと同じタイプだったのは幸運だったな。
 年末の事件で、なのはとフェイトのマッチメイクが逆になっていれば、結果は変わっていただろう」
「スルーですか。いや、良いんだけどね」
「勿論、本人も自覚しているようだし、努力を惜しむ性格でもないから、猛烈な勢いで他の戦術も身に付いてきているがな」

 そう締めくくったところで、恭也の携帯電話が初期設定のままであろう電子音を響かせ着信を知らせた。
 胸ポケットから取り出し、発信者を確認しつつ畳まれていた携帯を開くと、

「俺だ。終わったのか?
 …ああ、10分ほどで戻る」

簡潔な通話を終える。
 どうやら電話での会話が短いのは自分が相手の時だけではない様だとユーノが少々ほっとしつつ、非常に『らしい』やり取りに苦笑が浮かぶ。

「それじゃあ、僕も仕事に戻るよ」
「ああ、仕事にかまけてないでたまには顔を出せよ」
「努力するよ。
 恭也も次に来るときは事前に連絡してよ?」
「襲撃されて慌てふためく様な生活をしている方が悪い」
「う、クッ…
 そ、それでもさぁ――」

 そうして互いに言葉を交わしながら歩く姿は、付き合いの短さとは裏腹にとても馴染んで見えるものだった。

450小閑者:2018/07/10(火) 23:12:58
13.木霊



「…ああ、待たせて済まなかった。
 準備が良ければ訓練室まで来てくれ」

 恭也との用件だけの短い音声通話を終えたクロノが、地球の携帯電話が相手では機能しないために真っ暗なままの通信ウィンドウを閉じる。
 溜め息の様に小さく息を吐くクロノを見たエイミィがからかうように声を掛けた。

「緊張してるみたいだねぇ、クロノ君?
 ハンディキャップ無しの一対一じゃあ言い訳も出来ないし、管理局を代表する執務官としてはFランク魔導師の恭也君には負けられないもんねぇ?」

 ニヤニヤと形容出来そうなのに暖かみの溢れるエイミィの笑みに、クロノは迷った挙げ句、結局渋面を浮かべて反論した。

「確かに緊張はしているけど、別に負けるのが怖い訳じゃない」
「負ける訳がないって?」
「そんな訳があるか。
 恭也相手にそんなセリフを吐けるのは、彼の事を管理局基準のプロフィールでしか知らない連中か、身の程知らずの自信家だけだよ」
「じゃあ、負けるの前提なの?」
「それこそ、まさかだ。
 やるからには勝つために最善を尽くすさ。
 ただ、彼に負けるのを恥と思うほど彼の評価が低くないだけだ」

 言葉とともに表情が和らいでいくクロノを見て、エイミィの微笑も純粋なものに変わっていった。

「気遣ってくれて、ありがとう。
 でも、堅くなるほど緊張してるわけじゃないから大丈夫だ」
「え?…あ、や、…あはは、バレバレ?」
「流石にね。
 補佐官殿の恭也評がそれでは僕が困る」

 クロノの能力は極めて高い。
 それは、最年少で執務官に合格した事からも分かる通り、年代別に見てダントツ、とまではいかないまでもトップグループにはいる。年齢を除外して全体から考えても上位に位置する。
 そこには、重大事件の最中であろうとも、どこかに余裕を持てる精神的な強さも含まれているのだ。
 尤も、そんな事はエイミィとて百も承知している。補佐官を嘗めてもらっちゃあ困ります。

「まあ、どちらかと言えばそこまで余裕が無い様に見えた僕の方が問題だな」

 つまりは、そうと承知している彼女の目から見ても、今のクロノに余裕が有るようには見えなかったという訳だ。
 同意する様に苦笑した後で、気持ちを切り替えるために表情を改めたエイミィが素朴な疑問を口にした。

「でも、実際のところ、恭也君の強さってどこにあるんだろうね?
 確かに、魔法抜きで考えれば彼の身体能力はズバ抜けてるけど…」
「ズバ抜けてる、か。
 そんな控えめな表現では収まらないように思うけどな」
「まあねぇ。
 非魔法カテゴリーの超一流のアスリートが人類の最高峰って思ってたのに、次元を超えた上側にいる感じだもんね。身体を鍛え続けたら辿り着ける領域じゃないっていうか。海鳴のマンションでこないだ見たテレビ番組からすると地球のレベルも大体同じくらいだったから、この次元世界の基準がずれてる訳でもないし。
 でも、それでも魔法が使えない人に限定した場合だよね?本来は」
「本来は、ね」

 わざわざ強調するのは恭也の話題ではお約束だ。
 尤も、この場合の『本来』とは、どれほど高度な身体強化を施したところで肉弾戦ではAランクの魔導師にすら対等になれる訳がない、という意味だ。

451小閑者:2018/07/10(火) 23:13:35
「覚えてるか?事件中に、ロッテに恭也の戦い方を真似出来るか?って確認した事があっただろ?」
「あぁ、あったね。たしか、身体能力的には恭也くん以上だから再現出来るって言ってたよね?戦い方そのものは無理だとも言ってたけど」
「そうだ。使い魔は魔法生物だからな、言い換えれば通常の運動能力しかない魔導師であっても相応の強化を施せば恭也の運動能力を上回れる事になる」
「…嘘ばっかり」
「…あぁ、気付いてたか」
「気付いてましたぁ。恭也君の動きが使い魔なら誰にでも出来るってレベルじゃない事くらい。
 まぁ、アリアが無理だって言ってたからなんだけどね」
「言ってたのか?」
「言ってたのだよ。改めて強化魔法を掛けなければ自分には出来ないって。
 使い魔としては高位の存在なのに、ロッテには出来てアリアには出来ない。アリアだって身体能力は一般人を大きく上回るのに、パラメータの振り分けを魔導技能に多めに配分しただけで実行出来ないとか、どんだけデタラメなんだか…
 平均的な運動能力の人を恭也君並みに強化するなんて、それこそ高位魔導師の強化魔法じゃないと無理だよ?」
「そうだな。つまり、恭也は身体一つで高位の魔法と張り合える訳だ。
 これで恭也の強さの秘密の一端が分かってもらえたかな?」
「あっ、ずるーい…あれ?」

 軽く言いくるめられる事で納得仕掛けたエイミィだが、それ自体が誘導である事に気付いて辛うじて踏みとどまる。

「それじゃあ、身体能力が高いって話のままじゃん!」
「バレたか」
「バレいでか!」
「まあ、並みの使い魔よりも優れた身体能力というだけでも十分に自慢出来ると思うけどね」

 そう、恭也の戦闘方法の最も不可解な点は、肉弾戦で攻撃魔法を操る魔導師に対抗出来る点に尽きる。
 肉弾戦である以上、武器の届く距離まで接近しなくてはならない。
 そして、格闘をメインとする魔導師は魔法による高速移動で被弾を最小限に抑える努力はするが、どれほど優秀な魔導師であろうと被弾を0にする事は出来ないので、シールドやバリアジャケットといった防御技能が不可欠なのだ。

「あいつ、バリアジャケットはおろか、シールドすら張れないからな。肉体の強度自体は鍛えているとは言っても人類の範疇を出てないし」

 だが、恭也にはその不可欠なはずの防御技能、つまりは耐久力が無い。

「やっぱり、耐久力の無さをカバー出来るあの回避技能が恭也君の戦闘技術の要だよね?」
「そうだと言えばそうだ。
 だけど、ロッテほどのスピードがある訳じゃないのに躱し続けられる理由が説明出来ない事に変わりはないだろう?」
「そうなんだよねぇ。
 ホント、予知能力でもあるんじゃないか?ってほど悉く裏を掻いてくるし、後頭部に目が付いてるんじゃないの?ってほど周囲の状況を把握してるし。
 本人は『技術だ』って言い張ってるけど、体術として括って良いのか議論の余地があるよねぇ?」
「どちらかというと、『体術に含める』という結論の方が少数意見だと思うんだが…
 本当のところ、『ここが優れてるから』と明確に言えないのにこれだけの戦績を叩き出しているからこそ、君も頭を悩ませているんだろ?」
「そうなんだよねぇ」

 より正確な表現をするなら、恭也が意図して『優れた能力』を隠し通しているのだろうとクロノは考えていた。
 いくらなんでも突出した技能・能力もなしにあの強さが成り立つとは思えない。尤も、それが『気配探知』のように未知の技法である可能性は否定しきれないのだが。

452小閑者:2018/07/10(火) 23:15:10
「実際のところ、ロッテに限らず使い魔や身体強化に長けた魔導師の中には、単純な筋力やスピードで恭也君を上回れる人がいない訳じゃないんだけど、その人たちでも今のなのはちゃんやフェイトちゃんに勝てる人なんて多くはないだろうしね」
「2人共最近の上達ぶりは半端じゃないからな」

 よほど心身共に充実しているのだろう。それぞれの進路である執務官や武装隊・教導隊からも非常に有望視されているくらいだ。
 ただ、二人が突出しているだけに、同時期に入局した者にはプレッシャーになりかねない。

「はやてちゃんにはちょっと厳しいだろうねぇ。
 恭也君の事もあるし、リハビリで焦らないと良いんだけど…」

 闇の書の侵食から解放され、下半身の麻痺が解けたはやてではあるが、車椅子生活で衰えた足腰の筋肉を取り戻すには時間が掛かる。焦りから無理な運動を行えば、負荷に耐え切れず腱や靭帯、ひいては骨を痛めてしまう事も有り得る。
 そうならないためのリハビリなのだが、見識のある専門家の指示を仰がなければリハビリの運動そのものが害悪になりかねないのだ。

「大丈夫だろう。その恭也が親身になってリハビリに付き添ってるんだ」
「精神安定剤って訳だ。…元凶でもあるけど」
「良くも悪くも影響力は半端無いからな。その割に、相手によっては毒にも薬にもならないし」
「相手?」
「あいつ、学校では普段、気配を消してるらしいんだよ」
「あー、あの存在感の無くなるやつ?なんでまた?」
「え?…あー、流派の理念、と言うのが大きいんだろうな。
 目立てば標的になり易いし、『戦う者』だと知れ渡れば護衛などで警戒される。まあ、こちらは抑止力の意味では有りなんだろうが、護衛が就いていると知っても襲撃してくる連中は護衛の力量を見越して計画を立てて襲ってくる。勿論、十分に勝算があると判断してね。
 そうなると、銃器による武装もなしにあれだけの戦闘力があるんだから、御神流の剣士にはそうと気付かせずに備えさせて有事の制圧要因になって貰った方が効果が大きい。襲撃側の裏をかく意味でもだ。
 あとは単なる習慣だろうね。無意識のレベルで出来てこそ習得したと言えるんだろうし」
「ふ〜ん…
 でも、よくわかったね。恭也君が教えてくれる内容とも思えないんだけど。
 断定口調ってことは推測じゃないんでしょ?」
「未だにこの手の話は秘密主義だからな、あいつ。
 でも、今のは全部僕の推測だよ。なのは経由で士郎さんに裏付けは取ったけど」
「…え?答えてくれたの?どゆこと?『御神流』が秘密主義なんじゃないの?」
「うん、正直良くわからない。
 少し考えれば分かる様な内容だったんだし秘密にしなきゃならない訳でもない気がするから、恭也の線引きが厳しいだけって気もするし」
「あ、それは私も思うことあるよ。
 って言うか、恭也君のは隠す必要があってはぐらかしてるのか、悪戯の延長でからかいに来てるのか判断に迷う事が多いんだけど」
「それは僕も思う。
 ただ、士郎さんもうちの艦長に輪をかけて突き抜けた人だからなぁ。あの人はあの人で決して標準的な『御神流』じゃないんじゃないかなぁ」
「あ、あはは…」

 表面的には性格も言動も180度違ってるのに困ったところだけ『親子』な二人である。いや、クロノが接した限り、高町恭也氏はかなり常識人だったので血縁の問題ではないのだろう。実際、厳密には血縁じゃないんだし。

453小閑者:2018/07/10(火) 23:20:05
 そうして、苦笑を浮かべるエイミィを見て、クロノは心の中で安堵した。
 話の流れで思わず恭也が学校で気配を消している事を話してしまったが、なんとか誤魔化せたようだ。
 なんとなくエイミィには、恭也が学校で気配を消しているのが友好関係を広げないためであり、それは守るべき対象が増える事で戦いの最中に迷いが生じる可能性を減らすためだ、などとは知られたくなかったのだ。その考え方は既に短所というより人間性の欠点とか欠陥と呼べるレベルで、人によっては嫌悪してもおかしくはないだろうから。
 そんなクロノの思考が聞こえてでもいたかのように、エイミィが微笑を浮かべて冗談交じりに否定した。

「大丈夫だよ、そんなに警戒しなくても。
 無理矢理聞き出すつもりもないけど、ちょっとやそっとのことじゃ、今更恭也君を怖がったり嫌ったりはしないから。
 それとも、そんなに信用が無いのかな?私は」
「あっ、いやその、…すまない。決して信用してない訳じゃないんだ」
「フフッ
 冗談だってば。心配だったんでしょ、恭也君のこと。
 クロノ君はやさしーねぇ」
「っ!?」

 クロノはクスクスと笑いながら覗き込む様に顔を寄せてくるエイミィの柔らかな表情に心臓が大きく脈を打ったように感じた。
 頬の熱が頭にまで伝わったのか、思考が空回りを始める。役に立たない脳みそは頬が熱いと自覚出来ても反論を並べて話を逸らすこと自体を思いつくことがなく、それでいて恭也の考え方を隠そうとした本当の理由には思い至った。

 そうか。
 僕は、人の欠点に気付いて手のひらを返すように態度を変えるエイミィの姿を見たくなかっただけなのか。

 クロノの意志の強さを示すように、どれほどの困難にも揺らぐ事のない眼差しが常にはない光を湛えて見つめてくる。そう気づいたエイミィも、僅かに驚きに目を見張った一瞬の後にはクロノの熱病が感染したかのようにゆっくりと瞳が潤んでいった。

「邪魔するぞ」
「…え?」

 唐突に部屋に響いた第三者の声が、2人の思考を覆っていた霞を僅かに薄れさせた。
 今の声は、そう、恭也の声だ。
 エイミィも同じ結論に至ったのだろう、屈めていた姿勢を戻しつつ声のした方に身体ごと振り向いた。そして、エイミィが一歩脇に退く事で開けたクロノの視界の先には、扉を開いた姿勢の恭也が

「邪魔したな」

静かにスライドしたドアに遮られて見えなくなった。

「…え?」

 用事があって来たであろう恭也が、何の要件も告げずに退室したため不思議そうに2人で顔を見合わせる。
 頭の中で何かが鳴り響いてる気がする。…これって、ひょっとして警鐘?でも、一体何に対して?
 今一つ通常運転を再開してくれない脳みそを何とか稼働させて、先ほどの恭也の行動を思い出す。

454小閑者:2018/07/10(火) 23:20:57
 入室すらしなかったんだから退室じゃないな。じゃなくって、恭也は何をしにこの部屋へ…あ、模擬戦の約束してたんだ。あれ、…じゃあなんでUターンしたんだ?僕が一緒にトレーニングルームに行かなくちゃ始めようがないのに。立ち去ったということは中止と判断したのか?何故?…会話じゃないから…何かを見た?

 刻一刻と音量を増していく警鐘に追い立てられるように、もう一度先程の状況を思い浮かべる。
 恭也がドアを開けて再び閉めるまでの一連の流れを、頭の中で恭也の視点から互の相対位置や動作を正確に再現して、

 クロノの顔から血の気が引いた。

「ちょっ、待っ、きょきょきょきょうや!!待ってくれ!!」

 クロノの取り乱し様に驚き目を丸くするエイミィを置き去りにして、クロノがドアから飛び出したのは、携帯で通話している恭也の横顔が通路の曲がり角に消える瞬間だった。

「…ああ、漸く繋がった。
 いえ、忙しいところすみません、リンディさん」

 静まり返った通路の先から辛うじて聞こえた恭也の言葉に、背筋を冷たい汗が伝う。恭也が『艦長』ではなく『リンディさん』と呼ぶという事は、この会話は個人的な内容なのだ。
 恥も外聞も捨てて大声をあげてでも通話を妨害したいと思う一方で、事故に合うと分かっていても体が硬直して回避出来ないのと同じ様に、何故だか走る足を忍ばせて呼吸さえ止めて耳を澄ましてしまう。

「公務中でしょうから慎むべきかと思ったんですが、手短に要件だけでも伝えておくべきかと思いまして。
 今日の夕食には赤飯をお願いします」

『セキハン』が何かは知らないが嫌な予感しかしない。

「ああ、聞いたことがありませんか。
 日本で古くから、身内での祝い事に振舞われる料理です」

 そんな声に出してもいないクロノの疑問に、恭也が丁寧に答えてくれた。なのに何故だろう。全く嬉しくない。
 早く通話を止めたくて懸命に駆けているはずなのに、全く距離が縮まっている気がしない。実はあいつも走ってるんじゃないのか!?

「詳しい話は帰宅後に。
 先程ハラオウンの執務室で見た事を彩も鮮やかに脚色してお話しますよ」

 脚色すんなよ!!いや、事実だけでも拙いけど!!

「まぁ、端的に言うなら、リンディさんが孫を抱ける日も遠くはないかと」
「飛躍し過ぎだーー!!!」

 クロノの口が紡ぎ出したツッコミはアースラの隅々にまで響き渡ったそうな…








つづく

455小閑者:2018/07/14(土) 23:17:17
14.考察



 自分と恭也の強さの違いとは、要するに『パラメータの振り分け方』だとクロノは解釈している。
 ゲームなどで良くある『攻撃力』や『敏捷値』といったパラメータに獲得したポイントを振り分けて自分のキャラクタを作り上げる、というアレだ。
 勿論、現実はゲームの様に簡単に行く訳がない。実際には数値入力ではなく地道な鍛錬が必要だし、想い描いた理想像に近づこうと鍛えたとしても『特徴』だとか『個性』だとか言ったオブラートに包まれた『才能』に阻まれて伸び悩むことも多々あるのだから。
 それは兎も角、魔導師として考えた場合のパラメータは、大きな項目として『攻撃』『防御』『補助』があり、『攻撃』の中でも『砲撃』『射撃』『誘導』…etc、それぞれに『精度』『射程』『威力』『付加』といったものに細分化される。魔導師ランクの評価項目でもあるそれらで恭也の魔導師としての能力をパラメータ化した結果がFランクである事は既に周知の事実だ。同様に、運動能力を主体とする恭也の戦闘能力が、この『魔導師の基準』では評価しきれていない事も彼に関わる全ての人物が認めている事実だ。一般的なアスリートの評価基準の方が、『すさまじく高い能力値』と判定される分だけまだ現実に近いだろう。…いやまぁ、言うまでもないだろうが、2km先にいる人の表情を見分けられる視力を上限である『2.0』に分類しているように、一般人(アスリート含む)の基準では評価しきれる訳がないのだが。
 ただし、それなら単純に評価基準の上限を上げれば済むのかと言えば、やはりそう簡単にはいってくれない。
 恭也は測定させてくれないだろうし、させてくれても全力は見せてくれないだろうが、仮に何かの間違いで恭也の全力を計測したデータを入手できてしまったとする。他の追随を許さないその計測数値は誰がみても『凄い』と思うだろうし、確かに恭也を数字にして表しているだろう。しかし、そのデータだけを見て生身で魔導師と戦えると判断できる者は戦闘解析を専門とする者も含めて管理局にはいない。それは解析班の能力の問題ではなく、如何に緻密で正確だったとしても、比較対象の無いデータそれ自体は所詮数字の羅列でしかないからだ。

 そもそも、魔法的に強化されている使い魔の中には恭也以上のパラメータを誇る者(それでも全てにおいてとなると多くはないのだが)は存在するが、そんな彼らであっても、同様の戦闘スタイル(肉弾戦タイプの使い魔でもシールドなどの防御魔法は使用するので回避技能は高くない、もとい、恭也レベルではない)を採ることが出来ない事は以前にも述べている通りだ。
 言うまでもない事ではあるが、彼らの違いはその高い基礎能力をどの様に活用するかにある。それぞれの基礎能力を高次元で連携させた技能、つまりは戦闘技術こそが恭也の強さの根元なのだ。
 そして、魔導師の魔導技能をパラメータから推測するように恭也の戦闘技術をパラメータから推測するためには、魔導技術のデータベースに相当する物を構築するために恭也と同レベルの戦闘技術を持つ者たちのデータを大量に蓄積する必要がある。一日分の気象データがあったとしても、過去の膨大な観測結果が無ければ天気予報が出来ないのと同じことだ。
 但し、そんな戦闘集団に伝のない管理局(そんな集団が身近に存在するなら、これほど魔導師至上の価値観は浸透しなかっただろう)にとって、そのデータベースの作成は不可能に近い。
 つまり、恭也の基礎能力を数値として知ることが出来ても、それを基にして正しく評価することは出来ないのだ。

456小閑者:2018/07/14(土) 23:18:04
 因みに、恭也の身体能力は全ての面で使い魔に勝る訳ではない。単純な筋力の反映される膂力や走力、跳躍力といったものは、余程極端に魔導技能に傾注しない限り使い魔側に軍配が上がる。対して瞬発力や敏捷性など、いわゆるクロスレンジでの戦闘で必要になりそうな肉体能力は半々といったところだろうか。そして、恭也の戦闘技術の根幹とも言える反応速度は、大半の使い魔を凌駕する。
 反応速度、つまり敵の採る攻撃・防御と言った行動に対応するスピードは、思考を介さない行動、つまり反射行動が最短とされている。『見て』『(攻撃手段や位置、フェイントであればその意図を)認識して』『対応を検討して』『行動する』よりも、『見て』『行動する』方が速いのは当然だ。これは戦闘全般、中でもクロスレンジでの戦いにおいて絶大な効力を発揮する。戦闘技能が高度になるほどフェイントの応酬が激化するのは戦闘距離に関わらない事だが、クロスレンジではそれに対応するスピードの重要性が跳ね上がるのは想像に難くないだろう。当然、フェイントにひっかかったり、敵のモーションに対する反射行動が見当外れではいくら対応が早くとも意味がないのは言うまでも無い事だ。そして、洞察力を養い素早く適切な対応を行うためには、地味な反復練習を積み重ねる以外にはない。
 そういった意味では、御神流という下地を元に日夜鍛錬を欠かすことのない恭也の反応速度であれば、使い魔を上回る事にクロノ達も納得していた。いや、正確には恭也の反応速度が使い魔を上回るのは鍛錬に因るものだ、と自分を納得させていた。努力でどうにかなる範囲など遠の昔に通り過ぎている事実から目を逸らして思考を止めているとも言える。
 尤も、そこで目を逸らしているからこそ、恭也の本当に恐ろしい特性が、神速を発動するまでもなく人類の範疇からはみ出しているその思考速度にあると気づけないでいるのだが。

 因みに鍛錬で反射行動を身につける事について、特定の攻撃に対して常に同じリアクションを採れば先読みされてしまう、と思われるかもしれないが、殺し合い、特に近接戦闘において癖に気付かれるほど長期戦になる可能性はそれほど高くない。
 そのため、癖を見抜かれる心配をするよりは反射速度を向上させた方が生存率が高くなるのだ。
 また、流派の特性と同じくらい個人の癖も、広まることで自身の生命を危険に晒すことになるため、剣術に限らず殺人術を職業として身につけた者は、対峙した敵は確実に殺害するし、僅かな手がかりも残さないように敵の死体すら衆目に晒すような示威的な行為に及ぶこともない。その辺りが快楽殺人者との大きな違いだろう。
 勿論、反射的な行動よりも、敵の行動を見て対応手段をしっかり検討してから実行した方が確実性は圧倒的に増すので、思考行動が反射行動に追いつけるのであればそれに越したことはない。更に、反射行動のスピードは思考行動のそれを短縮したものと言えるため、思考速度の上昇は反射速度の底上げとも言える。
 恭也の鍛え上げられた肉体は、確かに人類を超越している。だからこそ、その根幹とも言える思考速度という特性が明るみに出るのは当分先の話だろう。

 閑話休題
 そもそも、恭也の技能は格闘技の延長にある(はず)なのに、単に測定基準の上限とは別に、単純に既存の評価内容が適用出来ない事が問題なのだ。
 魔導師と言えども魔力が尽きれば一般人と変わりがなくなる。それでも尚、戦おうとすれば残るは純然たる肉弾戦しかない訳だが、犯罪者グループに囲まれた状況でその状態に陥る可能性は無視出来ない。故に、執務官の試験項目には魔力が無くなった時の対処方法も含まれている(流石に魔導師ランクの試験項目には含まれていない)。ただし、拳銃などの質量兵器で武装出来ない管理局員の取る対処法とは、徒手空拳での肉弾戦、では、勿論ながら、無い。あくまでも身を隠すなり逃走するなりと言った技能であり、評価対象もそれに準じるものだ。

457小閑者:2018/07/14(土) 23:18:52
 当然、複数の犯罪者に立ち向かうなど下策中の下策とされており、更に魔導師の存在が確認されたグループに不用意な行動(たとえ逃走であっても)を行うなど論外、『状況判断能力欠如』として一発退場だ。
 だが、この評価自体は非常に理に適ったものだ。恭也という例外(と言うか規格外)が現れたからと言って軽々しく撤回出来るものではない。理由は至ってシンプルで、『身体を鍛えた程度では、魔導師の打倒どころか数の優位を覆すことも出来ないから』だ。
 犯罪者側も馬鹿ではないので捕まれば刑務所行きと分かっている以上、規模に見合う程度の武装はしているし、組織内でも暴力に酔い易い下っ端ほど生まれつき体格に恵まれている。
 アクション映画のヒーローとは違い、人数差を帳消しに出来るほど圧倒的な性能を誇る武装もなく、敵の戦意を挫けるほど残酷な殺害手段を取る訳にもいかない執務官にとって、『数』とは覆し難い力なのだ。
 また、Aランク以上の魔導師が相手となれば、能動的に展開するシールドどころか恒常的に纏っているバリアジャケットすら簡単には攻略出来ない。
 まず、平均的な魔力量で展開されたバリアジャケットであれば、一般に浸透しているイメージの通り、人体が生み出せる程度の打撃は無効化される。そして、パッシブアーマーとは違い触れることこそ可能だが(追跡されている状況なので警戒している魔導師に触れられるほど接近する事事態が既に高難易度ではあるが)、不意を突いて接近し締め技や間接技をしかけたとしても一定以上の圧力(首筋は特に)や痛覚に反応してバリア機能が作用するため『気付かれる前に制圧する』と言うのも実質的に不可能だからだ。
 問題は攻撃面だけではない。
 隠れるにしても、相手が単なる肉眼であっても数が多くなるだけで難易度が上がるし、探査の魔法が相手となれば魔力が尽きていては対抗できない。敵側に魔法的に覚えられていなければ、魔力探査に引っかからないため簡単に見つからないのがせめてもの救いだろう。
 逃走に関しても、地の利が相手にある(敵の拠点付近であるという前提)ため先回りされるなど人海戦術は非常に厄介だし、攻撃魔法は運に任せた単発の回避なら兎も角、躱し続けられるものではない。
 そして、本来『魔力が切れた魔導師』が『Fランクの魔導師』になった程度では、例え上級の使い魔と同等の身体能力があろうとこの評価内容に変わりはない。それが魔法文明で育った者達の常識だ。
 当然のことながら、『徹』という異能に分類されてもおかしくない攻撃方法どころか、シグナムの騎士甲冑を切り裂いて肌まで刃を届かせた刀による通常の斬撃など考慮されていないし、目の前にいるのに認識できなくなるなんて技術は、その常識には含まれていなければ、夢想すらされていない。
 だからこそ、恭也の身体パラメータから下される評価と本人の実力とが乖離してしまうのだ。

 その辺りの理由を鑑みた結果、クロノが着目したのは『距離』だった。
 魔法も物理も、攻撃も防御も回避も、瞬発力も持久力も、筋力も精神力も関係ない。細分化して定量的に評価するのではなく、ただ、戦闘を行う上での距離にどれだけ重点を置いているかの評価。
 そんなものに何の価値があるのかと一笑に付される事は分かりきっているし、相手が恭也以外の誰かであれば意味がないため、クロノもこの評価基準を誰かに話したことはない。それでもクロノはこの基準で恭也を評価することによって再認識できた事がある。

 恭也の比較対象の基準とするために、まずは全ての技能を均等に鍛えてきた自分をショート(クロス)レンジが100、ミドルレンジが100、ロングレンジが100とした。では、恭也は?
 単純に考えれば、刀を主体とした肉弾戦のみの恭也はクロスレンジの特化型だ。だが、ミドル・ロングレンジの戦闘技能が0であれば、その距離でのエキスパートであるなのはやフェイトは勿論、アースラに所属するAランクの武装局員にすら、ロングレンジでの対峙から始まった試合では恭也が負けることになる。だが、実際にはそうはなっていない。ミドル・ロングからの攻撃を躱す技能を持っているからだ。つまり、こと、回避行動に限定すれば、恭也は中・長距離にもポイントを割り振っているという見方が出来る。

458小閑者:2018/07/14(土) 23:19:36
 だが、それでもクロノは、恭也はクロスレンジに持てる全てを割り振ったと考えていた。何故なら、剣術とはクロスレンジを制するための技術だからだ。
 では、中・長距離からの攻撃にどう対処していると考えたかと言えば、『クロスレンジで躱している』だ。
 たとえそれが砲撃であろうと誘導弾であろうと、命中すると言うことは接触すると言うこと。つまり、恭也は自らのテリトリーであるクロスレンジに侵入する攻撃魔法を相手に、近接戦闘の技能を駆使している、クロノはそう考えたのだ。
 それは、クロノがパラメータのそれぞれに100ずつ振ったポイントの総数300を全てクロスレンジに振ったからこそ成し得る事なのだろう。

 限りなく生身に近い状態で魔法戦に参加するリスクを、恭也は正確に理解しているだろう。
 それでも、恭也が刀を手放すことはない。
 勿論、これまでつぎ込んできた時間や労力を考えれば誰だって固執したくなるだろうし、そういった精神的な問題だけでなく、長年掛けて培ってきた剣術に特化した肉体や戦術的な思考回路は簡単に変更が利かないモノだ。だが、恭也の拘りはそう言った実用的な理由とも別のモノのはずだ。
 何故なら、闇の書事件では剣術だけでは対抗しきれないと悟ると魔法に手を出す事に、少なくとも表面的には、躊躇する様子を見せなかったからだ。
 あの時、恭也は魔法での戦闘に剣術を活かせるとは考えていなかっただろう。つまり、それまでの人生の全てを捧げてきたであろう剣術を手放す覚悟を固めていたのだ。剣術を主体とした今の戦闘法に落ち着いたのは、あくまでも高い戦力を獲得する方法を突き詰めた結果でしかない。あるいは、リンディが紹介したデバイスマイスターがあの老人でなければ、違う手法に辿り着いていた可能性も十分にあったはずだ。
 それは、彼にとって剣術が目的を遂げるために必要不可欠であれば捨ててしまえるもの、という証明だ。言い換えれば、『選択の余地がないから縋りついている』訳ではなく、現代におてい拳銃を手に取らなかったのと同じ様に、彼が亡くした一族から受け継いだ剣術に、正しく『拘っている』のだ、命を懸けて。
 そもそも、今の恭也は魔導師と戦うために刀を手にしている訳ではないとクロノは考えていた。恐らく逆なのだ。誤解を承知で敢えて言うなら、剣技が活用できるから、もっと言ってしまうなら剣技を磨く場として管理局への入局の誘いに応じただけだろう。

 剣術で出来ることはするが、それ以上であればしない。

 それが、彼のスタンスなのだ。
 勿論、局での仕事で手を抜くと言う意味ではなく、『目的』>『剣術(自分の生命)』>『局の仕事』、という不等号を明確にしているだけだ。(そして、クロノは「命懸けで管理局に奉仕しろ」と人に強要する気はない)
 剣術を手放す覚悟を決めたあの時と現在の違いは明確だ。はやて達の、そして今ならきっとフェイトやなのはも含まれる、彼女たちの心と身体の安全だ。彼女たちの安全を図ることが出来るなら、今でも恭也は剣術を捨てる事に躊躇を見せないだろう。
 彼女たちに差し迫った危険の無い今の恭也には本当の意味での目的がない。だから、目的を見つけた時にそれを達成するための手段として心置きなく選択出来るように、剣技を磨く場を欲しているのだと思う。…いや、少し違うか。
 前言を翻すことになるが、恭也の覚悟がどうあれ現実的に恭也が剣術以上の技能を獲得できる可能性は無いといっても良いだろう。だが、フェイトたちが管理局に入局した以上、将来発生するであろう彼の目的、つまり彼女たちの危機や彼女たちだけでは解決が困難な場面での助力には、高い確率で魔導師との対峙が付随する。そして、今尚、成長を続ける彼女たちが魔導技能そのもので劣勢に追いやられる可能性は低いし、仮にそうなったとしたら恭也には逆立ちしても魔法の面では状況を覆せない事は分かりきっている。やるとするなら全く別方面からのアプローチが必要になる。恭也は、それを剣術に求めたのだ。それが拘わりと一致していたのは、決して長いとは言えないのに困難の多い彼の人生で、幸運と言える事柄なのではないだろうか。

459小閑者:2018/07/14(土) 23:20:08
 『不破恭也』という人物を知らなければ、原始的な武器を振り回してなのは達AAA魔導師が敵わない敵に挑むなど巫山戯ているのかと思う者もいるだろう。
 だが、言うまでもなく、彼は本気だ。
 そして、議論の余地もなく、彼は強い。
 ならば、クロノにも異論などあろうはずもない。広く浅く同じことしか出来ない個人の集まりよりは、狭く深く別のことしか出来ない個人の集まりの方が、連携さえ取れれば大きな力を発揮できるのだから。




 それにしても、とクロノは思う。

 彼は、御神でその教えを説かれていたのだろうか?
 それとも、誰から教わることもなく、その結論に辿り着いたのだろうか?

――― 自分より強い相手に勝つためには、相手より強くなくてはならない ―――

 訓練校を苦もなく卒業出来てしまうほどの若くして高ランクに達した生徒に対して、慢心しない様に敗北の味と共に教官から送られる矛盾を孕んだその言葉。

『総合力で自分より強い相手に勝つためには、得意な分野で相手より強くなくてはならない』

 この言葉をここまで適切に体現して見せる戦闘者を、クロノは他に知らない。
 だが、それでも、負けるつもりはない。

『クロスレンジにおいて圧倒的に強い恭也に勝つには、オールレンジにおいて恭也よりも強くあれば良い』

 フェイトたち、才気溢れる若き後輩たちのために。
 同時に、魔導に特化することになる彼女たちに物理戦闘という幅を持たせるという恭也の選択が決して間違いではないと実証するために。



続く

460名無しさん:2018/12/09(日) 23:26:16
15.結末(その1)


 訓練室に展開されたレイヤーである高層ビルの屋上を緩やかな風が吹き抜ける。
 模擬戦で加熱した思考と火照った身体を冷ましてくれる風の心地良さにクロノは目を細めて広がる青空を見やった。

 思いの外、短時間での決着だった。
 いや、恭也との戦いであれば勝敗の如何に係わらず短期決戦か、ひたすら索敵と潜伏に終始して時間切れでの引き分けのどちらかしか思い浮かばないからこんなものだろうか?

 空を仰いでいた顔を前方へと戻すと、視線の先、50m四方ほどの屋上の対角にいる恭也の姿が見えた。
 一戦交えた直後とは思えないほど疲労感を滲ませる事の無い超然とした立ち姿を見せられると、直ぐにでも座り込んでしまいたい誘惑に駆られているクロノの心に悔しさが首をもたげてくるが、その姿が弱みを隠すための演技に過ぎないという冷静な判断を下す自らの理性に従い溜め息の様に大きく息を吐きだすことでやり過ごす。そうやって平静を取り戻した後、クロノは改めて恭也の様子を窺った。
 クロノの居るその場所から恭也の表情までは読み取れないが、静かに佇む姿からすると先程の模擬戦を反芻しているのだろうか? 
 そんな事を考えながら歩み寄っていくと、こちらに聞かせるようなタイミングで、しかし実際には恐らく単に聞こえる距離まで近づいた時だっただけという偶然のタイミングで、恭也の口から言葉が零れた。

「・・・ああ、土星の環、か」

 あれ?模擬戦関係なかった?

 それが悪いとまで言うつもりは無かったが、恭也が模擬戦直後に他事を考えていると言うのも考え難いと言うのが正直なクロノの感想だ。となると、戦闘とは無関係そうなその『土星の環』とやらに何か意味があるのだろうか?
 この第97管理外世界である地球に来る際に基礎知識として馬鹿正直に勉強して覚えてきた単語の一つに含まれていることを思い出したクロノは、そのまま関連する知識を引きずり出してみた。

土星
 恒星である太陽とそれを中心に公転する天体で構成される太陽系の惑星の一つ。
土星の環
 土星はたくさんの氷や岩石などを衛星として持っておりそれらがリング状に配置されているため、地球から恒常的な環として観測される。

「・・・恭也。
 さっきの魔法は、構想にかなりの期間を要したし、実用レベルにするためのブラッシュアップにも物凄く労力が掛かってるんだ」
「・・・?
 いきなり苦労話を聞かされても反応に困るんだが。自慢話にでも繋がるのか?」
「違う。
 凄く苦労したんだから、一度見ただけで本質を言い当てるのは止めてくれ、と言ってるんだ」
「知るか。知られたくないなら、模擬戦なんぞで使うんじゃない。
 どんな技だろうが、一度でも見せれば対策を立てられると思っておくのは当然の心構えだろうが。だから、昔の剣術家は戦闘を見られた相手は必ず殺すし、殺せない相手や不特定多数の目がある状況で技を出すことはなかったんだ」
「物騒な事を言うな!」
「地球ではそう言うもんだったんだよ。
 そもそも、俺相手にしか使い道のない魔法など労力を掛けてまで開発するな。暇人かお前は」
「ウッ・・・
 別に、あの魔法は他の相手にだって使えるさ」
「見え透いた嘘を吐くな。あの魔法、魔法抵抗力ゼロだろ」
「・・・な、何を根拠に・・・」
「あそこまで複雑な構造にしておいてあの短い詠唱時間と発動速度を達成するのはいくらお前の魔導技能でも無理がある。それが出来るなら誘導弾の球数か精度か速度がなのはよりも圧倒的に高いはずだからな。となれば、俺を相手にして必要ない機能を削るしかない」
「・・・」
「相手が俺以外の場合、具体的に言えば、Cランク以上の魔導士なら拘束された時に最初にするのは単純な魔力での抵抗か破壊の筈だし、解呪が出来るほどのエキスパートであれば魔法抵抗力ゼロなんてあからさまな弱点は瞬時に見抜けるだろう。魔導士ではない一般人が相手ならそもそもそんな特殊な魔法を使う必要すらない。
 何か反論があるなら聞くが?」
「・・・さて、そろそろ模擬戦の反省会を始めようか」

 あからさまに話題を逸らしに来たクロノに、呆れたように息を吐きだしてから恭也が応える。

461名無しさん:2018/12/09(日) 23:26:53
「別に無理やり話を逸らさんでもいい。
 そろそろ夕飯だろうから俺は帰るぞ。
 お前も忙しい身だろう。執務に戻るなり、帰宅して休むなりしろ」
「いや、待て待て。
 言い方が悪かったのは謝るが、反省会はしよう。君だって戦闘の展開や僕の魔法について確認したい事はあるだろう?」
「?いや、別に。
 お前が使った魔法、最後のやつ以外はノーマルだったろ?展開も、終わってから振り返れば詰め将棋みたいなものだしな、特に疑問の余地はないだろ?」
「いや・・・、そんなあっさりと。
 僕の方は聞きたい事があるんだが・・・、特に君の取った行動の意図は聞いておきたい事がいくつかあるんだ」
「そうか?
 まあ、良いけどな。どの場面についてだ?」

 疑問符を浮かべつつも、一方的に情報を搾取する気はないのか応じる姿勢を取った恭也に安堵しながらクロノが切り出す。

「じゃあ、最初から順番に・・・」
「え、いくつもあるのか・・・?」

 何言い出すんだこいつ、とでも言いたそうな恭也の表情に心が折れそうになったクロノは、疲れた身体で立ち話もないだろうと恭也を促す事で心を立て直す時間を稼ぐと、二人分のドリンクを用意しつつ休憩室の席に着いてから話を開始した。

「じゃあ、早速始めようか。
 開始直後、見通しの良いビルの屋上に隠れもせずに立ってただろ?初期配置はランダムだから互いの位置が分からないとは言え、正直、完全に隠れてるか、隠れながら僕を探すかと思ってたんだが・・・」
「趣旨と期間の問題だな。
 目的が単に生き残る事なら戦う必要は無いから時間切れになるまで只管潜伏するのも有りだし、何日掛けても良いなら潜伏と索敵で不意打ちを掛けるのも手だったとは思うが、今回は戦闘訓練だからな」
「いや、何日もは大袈裟・・・じゃないか。魔法無しなら数日で済むなら早過ぎるくらいか」
「あの訓練室、10km四方の設定だっただろ。今更言うのもなんだが、個人戦で必要な広さじゃないんじゃないか?
 まあ、兎も角、模擬戦じゃなく現実であれば、その時点での目的も居場所も思考回路も行動原理も趣味嗜好も知らない相手を見つけるのは運以外の何物でもなくなる。あれだけ広い空間に一人しかいないなんて特殊な条件は模擬戦くらいしかまずないから、実際に街中で人を探すなら人混みの中から対象を選別する必要まである。尤も、人が居るなら居るで周囲の住人から情報を集めることで居場所を特定出来る可能性もあるがな。何れにせよ人海戦術か長期間の潜伏が前提になる。
 と、話が逸れたな。
 繰り返しになるが、今回の前提条件と俺の移動速度と索敵距離であれば、制限時間内に探し出せる可能性は運任せになる。つまり、俺には不可能と言って良い」
「だから、僕に探させた、か」
「そうだ。探索魔法は優秀だからな。
 尤も、先制されるリスクを冒してまで楽をするなど実戦であれば有り得ないが・・・」
「まあ、そうだろうなぁ。
 いや、でもあんな目立つところに立ってる必要は無かったんじゃないか?隠れてても良かったんだし」
「近距離での索敵精度なら兎も角、距離があっては探索魔法に対抗出来ない事は既に知っているから、態々今回の模擬戦で試すつもりは無かった。まあ、お前に探させたからその延長と言う面もあったかな。
 今更確認するまでもないだろうが、俺にとっての対魔導士戦は、如何にして敵の懐に潜り込むかだ。無論、気配を消して接近した後の不意打ちは手段の一つだが、折角これだけ広大な空間を使った模擬戦で試すんだから、臨戦態勢の魔導士に正面から接近する方法を試すことにしたんだ」
「実験台か・・・」
「問題があったか?
 戦い方の指定、と言うか制限はなかったんだ、弱点克服の模索や戦術の試行錯誤は当然だろう。
 そもそも模擬戦自体が敵との戦い方を模索するための手段なんだし」
「・・・あれ?勝敗に拘ってなかったのか?」
「・・・何?拘った方が良かったのか?って言うか、お前は拘ってたのか?
 手を抜いたつもりは無いし、当然勝つつもりで戦いはしたが、俺は鍛錬の延長という認識だったんだが」
「ああいや、すまない。そういう訳じゃないんだ。
 ・・・なるほど、通りで思いの外素直な戦い方だという印象を受けた訳だ」
「・・・ふむ。
 何やら期待を外したようだな」
「いや、問題無い。君の言う通り、戦い方を指定した訳じゃないし模索と言うのも正しいスタンスだ。
 何よりこれから先も模擬戦をする機会は幾らでもあるだろうしね」
「今日の調子では次回がいつになるか分からんがな」
「・・・まあ、善処はするよ」
「当てにはするまい」

 そう言ってコーヒーのカップを手に取った恭也に合わせて、クロノも用意した紅茶に口を付けた。

462名無しさん:2018/12/09(日) 23:27:33
 そうして一息ついたところで、ふと気が付いたという風に恭也が口を開いた。

「ところで、未だに会敵すらしてない段階なんだが、この調子で進めるつもりか?
 一挙手一投足を取り上げていたら、キリが無いぞ。下手したら、今日中に帰れなくなる」
「・・・まあ、出来るだけ手早くいこう」
「期待出来るのか、それ?
 ・・・で、次は?」
「どうして後ろから隠れて近付いた僕に気付いたんだ?500m以上は距離があったから気配での探知とやらの範囲からは外れてると思ったんだが。
 そう言えば、今聞いた話では僕からの先制攻撃を許容する事を前提にして待ってたって事なのに気付いたって事は、何か特殊な探知を行っていたのか?」
「一歩しか進んでねぇ・・・
 モロに顔出した上で思い切り直視したくせに何を言っとるんだお前は。
 先制を許容するとは言ったが手を抜いていないとも言ったろうが。察知したのに行動を見過ごす理由なんぞあるか」
「え?いや、どうやって察知したかが知りたいんだが・・・」
「だから答えただろうが。
 お前だって、街中を歩いていれば視線を感じることくらいあるだろう?」
「そりゃあ、あるけど・・・。え?ちょっと待て。本当に視線なのか!?」
「そう言っている。まあ、あれだけ無遠慮に視線を寄こしたからには、視線で気付かれる可能性は考慮してない事は予想していたがな。
 魔導士に出来ないからと言って一般人に出来ないと考えるのは、流石に傲慢だと思うぞ」
「ああいや、そう言うつもりはなかったんだ。と言うか、さらっと自分を一般人扱いするのは止めてくれ。
 だが、まあ、驚いて良いのか呆れて良いのか。君たちはそんなものまで戦闘に活用してるのか」
「別に、視線を感知するのが有効だから戦闘に取り入れている訳じゃない。索敵のために感覚を研ぎ澄ませた結果、遠距離でも視線を感知出来ることが事が判明しただけだ。
 ついでに言うなら、今回の様に閑散とした状況だったから特に目立ったというのも要因の一つではあっただろう」
「人混みの中なら感知範囲はもっと狭いと?」
「さあな。
 仮に俺の検知範囲の限界がその程度だったとしても、他のやつが一緒だとは限らんだろう。
 何度も言わせるな。『魔導士に出来ないから一般人にも出来ない』などという考え方では遠からず死ぬぞ」
「確かに魔導士ではないけど一般人にも括られないからな、君は。
 まあ、それは兎も角、忠告には感謝するし、これでも承知はしているつもりだ。
 単に、警戒するべき行動が認識出来ていないだけだから、これからも気付いた時には指摘して貰えると助かる」
「手の内を曝せるか。とは流石に言えんか。俺だけ一方的に魔導士の情報を搾取するのは理不尽だと言う自覚はあるし、お前達が死ぬ可能性を看過するのも寝覚めが悪いしな。
 ・・・まあ、尤も、技術体系が違い過ぎて何を知らないのか想像もつかないのは俺も同じだ。フェイトやなのはには模擬戦の時に随時指摘しているから、今まで通りあいつらから情報を汲み上げてくれ」
「う〜ん、実はフェイトも意外とミットの標準から外れているところが多いし、なのはも正規の訓練は受けてないから、案外漏れが多いんだよ」
「そこまでは面倒見切れんぞ。まあ、気付いた事は伝えるからそっちも疑問に思ったら都度聞いてくれ。
 ・・・ん?なのはの訓練はレイジングハートが組んだものだろう?標準的な内容じゃないのか?少なくとも、差異は把握していそうなものだが・・・」
「いやー・・・
 感覚で魔法を組むなのはにベストマッチしているのが関係しているのかどうかは分からないんだけど、これが意外となぁ・・・。高度な自己判断が出来る人工知能ってそういうものなのかなぁ・・・?」
「いきなり年齢の離れた部下との感性の違いに付いていけずにコミュニケーションに苦労している中間管理職みたいな表情をされても困るんだが」
「何その嫌な具体例!?
 ・・・まあいいや、次に進めよう。
 ここからは映像を見ながらにしようか」
「先は長そうだなぁ、おい・・・」

 恭也の相槌を聞こえなかった事にして、空間投影ディスプレイに先程の模擬戦の模様を再生させる作業を行うクロノであった。





続く

463小閑者:2019/01/25(金) 22:02:45
15.結末(その2)


「・・・正直、この誘導弾はヒット出来ると思ってたんだ」
「年明けにやった集団戦の回避行動を解析しただろ?」
「あー、うん。やっぱり予想はされてたか・・・」
「で、裏を掻くパターンまで想定した?」
「まあねぇ。
 君自身がさっき『知られたくない技を模擬戦で使うな』と言っていたろ。君が人に見せる技は『見せてもデメリットが発生しない場合』か『隠すまでもない場合』のどちらかだろうとは僕も思っていたんだ。
 回避技能は見られれば対策を立てられるから思いっきりデメリットになるはずだから、それを見せたのは裏を掻く手段があるんだろうと予想した。
 そうして、何パターンかの回避行動とその対応策を想定して挑んだ結果がこれな訳だ」

 そう言って内心を隠す事なく不貞腐れた表情のクロノが睨み付けるモニターには、単発とは思えないほど鋭く複雑な軌道を描くクロノの誘導弾と、一見するとその誘導弾が貫通している様にさえ見えるのに実際には掠りもしていない恭也が縦横無尽に空間を駆け巡る姿が映っていた。
 クロノは映像を一時停止させると、疲れた様に溜め息を吐き出してから続く言葉を口にした。

「まさか『隠すまでもない』方だったとは・・・」
「俺としては『当たり前だ』と言いたいんだがな。そもそも、お前が見たフェイントなんぞ極一部だろ。しかも、プログラムされたゲームの敵キャラじゃないんだから、お前の反応を見て対応を変えるのは当然だろうが。
 序に言うなら、格闘技のフェイントとしてはまだまだ初歩の領域を出てないから、そういう意味でも『隠すまでもない』ぞ」
「・・・そう、なのか?」
「無論だ」
「うわぁ。
 ・・・?いや、でもそれ御神流が基準じゃないのか?」
「それはそうだろうな。俺の中に他の基準は存在せん」
「・・・ふぅ、ちょっと安心した。いや、勿論、油断が拙いのは分かってるぞ?」
「左様で。
 そう言えば、ミッド式の魔導士としてはお前みたいに武術まで習得してる奴は珍しいんだったな」
「皆無とまでは言わないけどね。管理局の局員に限定すると更に割合は小さくなる。尤も、僕の技量が『習得してる』と言える自信はあまり無いよ。近頃はそのなけなしの自信も消失してきたし」
「実力評価は過大でも過小でも意味は無い。過度な自信は身を滅ぼすぞ」
「君はホント容赦無いよな」
「ところで、武術を習得していない大多数の局員は近接戦にもつれ込まれたらどうするんだ?少数とはいえ、犯罪者側にベルカ式の魔導士が居た事だってあるんだろ?」
「近接戦闘を磨くよりは、『接近されないように立ち回る訓練』の方が先だな。
 ただ、武術まで手を出すのは相当先かな。最後まで手を出さずに前線を退く人も少なくない」
「やっぱりその程度か・・・
 逆に聞きたいんだが、魔法文明圏では魔導士と対峙した一般人は格闘家であっても諦めて投降してしまうと聞いたんだが、本当なのか?純粋な体術を研究されていないのは仕方ないんだろうが、流石にそれはどうなんだ?」
「銃火器なんかで武装してない一般人が諦めるのは、流石に責められないぞ。彼我の戦力差を把握せずに突撃するのは蛮勇でしかない。
 ただ、僕は詳しくないけど魔法を組み込んだ格闘技なんかはあったと思うよ。代表的なところだとストライクアーツ、だったかな?」
「さっき言ってた『局員以外の武術を修めた魔導士』か。
 とは言え、防御魔法が使えると、どうしても純粋な回避には力を注げないだろうからな。必要が無い、と言う意味で」
「嘆かわしい、か?」
「・・・いや、そう言いたくはあるがそれが勝手な言い分だという自覚はある。
 俺だって、生まれた時から魔法が使えていれば、それを主体にしない理由はなかっただろうからな」
「理解を示して貰えると・・・あれ?」
「なんだ?」
「いや、地球では質量兵器、えと、銃火器が発達してるだろ?それなのに敢えて剣術で対抗する手段を確立した君の一族なら、仮に魔法文明圏にいたとしてもやっぱり剣術で対抗していたんじゃないかと・・・」
「・・・言われてみれば、そんな気がするな」

 流石に魔法の補助無しに空を飛んだり駆けたりは出来ない筈なのだが、何かしらの手段を編み出しそうな得体の知れなさがあるのがクロノにとっての御神流への、或いは恭也個人への印象だ。尤も、正面からの突破力は御神流の一面でしかない事を考えれば、空を駆ける必要すら無いのかもしれないが。

464小閑者:2019/01/25(金) 22:04:02
 詮無い事かと気持ちを切り替えるために制止させていた画像を再生させたところで、素朴な疑問を覚えたクロノはそのまま恭也に問い掛けた。

「これ、僕の目で捉えられる動きって事は、スピードじゃなくって技能で躱してるんだよな?」
「そうなるな」
「フェイント無しでスピードだけで躱す事も出来るのか?」
「今のところ、一対一であれば問題無いだろうな」
「・・・複数人なら被弾する可能性があると?」
「躱す空間が無ければ詰むからな。飽和攻撃と言うか、俺の逃走距離をカバー出来る範囲の『面』を弾丸で作れるだけの人数が居れば被弾する」
「そりゃあそうだろうね。理屈通りだよ。序に言うなら、『面』さえ出来れば人数は関係ないじゃないか。
・・・あれ?こないだフェイトが、フォトンランサー・ファランクスシフトを躱されたって落ち込んでなかったか?」
「・・・ああ、あの時の。
 あれは惜しいところまで行っていたんだが、弾幕にムラがあったんだ。範囲外に逃げられる事を危惧して効果範囲を広げたんだろうが、弾数が変わらんから反比例して密度が下がった。その隙間に滑り込んだだけだ。
 どうせやるなら、躱せない密度にするべきだったな」
「それが出来ないから苦労してるんだと思うんだけど・・・。いや、多少密度が下がっても躱せるものじゃないとツッコむべきか、元々発動してから逃げようとしても範囲外まで逃げられる程に発動速度は遅くない上に範囲も狭くない魔法だった筈だと言うべきか・・・」

 対恭也用に特化させてしまうなら、威力を落として範囲と密度を上げるのが正しいのだろうが、そうしなかったのはフェイトなりのプライドだったのだろう。

「ところで、さっきは複数人が相手でもフェイントだったら対応出来るような言い方だったけど、飽和攻撃が来たらフェイントじゃあ躱せないんじゃないのか?フェイントって、正確には『躱す技術』じゃなくて『的を絞らせないための技術』だろ?」
「そうだな。
 だが、目で追える程度のスピードの相手に飽和攻撃など心理的にそうそう選択しないだろう。特に、魔導士の常識とプライド的に、攻撃魔法も使ってこない上に銃火器ですらない原始的な凶器を振り回しているような相手に全力など出すまい」
「いや、そもそも初遭遇の敵と対峙したら相手の手の内が分からないんだから、魔導士でなくても普通は様子見から始めるだろ」
「それもそうか。
 仮に保有魔力量が豊富であっても有限である事に違いはないから、一人で弾幕を張れる奴でも出合い頭に無駄遣いになる可能性の高い弾幕打ちをしてくる事なんてそうそうはないと」
「だけど、躱され続ければ直ぐに意地になって全力出してくるだろうから本当に最初だけじゃないか?」
「初手から全力で仕掛けてこなければ、距離を詰めるまでの時間は得られるから単独の相手なら問題ない。
 複数だとしても、人数と技量にも因るだろうが、何人か沈めれば弾幕を張ること自体が出来なくなるだろうからそれで十分だろ」
「・・・本当に君は初見殺しとしては凶悪だよな」
「そうでもないだろ。逆に多少人数を減らされても弾幕が張れるほどの人数や技量がある集団が相手なら、逃走せずに対峙した時点でアウトだし」
「それでもだ。
 相手の陣容が分かるほど接近出来る事も、しておいて『逃走』を選択出来る事自体もおかしいからな?」
「後は、俺の戦闘方法が知れ渡っていて最初から弾幕を張ってくるとかな。
 まぁ、これに関しては、広範囲に高威力の攻撃魔法を無差別にばら撒く様な自己顕示欲が肥大した実力者という腹立たしい奴も居るかもしれんから俺の知名度に関係なく油断は出来ないんだが」
「可能性を論じ始めると身動き出来なくなりそうだけどな。それに知名度に関しては難しい所だ。隠蔽にも限界はあるし、知名度そのものは抑止力の効果もあるからね。
 それに、『距離を詰める事』と『制圧する事』がイコールで結べると言い切れるのは君くらいなものだよ。短期決戦になるから後回しにされた者でも戦闘中に君の特性に気付けるかどうかすら怪しいし」

465小閑者:2019/01/25(金) 22:04:32
「それも言い過ぎだろ。近接戦闘を鍛えてる者が居れば変わってくるし」
「気軽に言うが、クロスレンジで君を相手に時間を稼げる魔導士が今までに居たか?」
「立ち回りにも因るだろうが、ちゃんと居るぞ。
 今まで会った中で言うなら、アルフ、シャマル以外のヴォルケンズ、あと猫の使い魔のリーゼ・・・格闘の方」
「ロッテな、リーゼロッテ。それにしても一人として人間の魔導士が選ばれないとか。・・・フェイトでもダメなのか?」
「距離を取ることを優先すればいい線行くだろうし、せめて一撃離脱に徹すれば可能性もあると思うんだが、あいつ最近足を止めて打ち合おうとするんだ。
 心意気は買ってるし将来性は十分あるんだが、現時点ではまだ及第点は付けてやれんな」
「・・・そうか、相変わらず厳しいな」
「戦い方の問題だ。
 魔導技術は門外漢だから伸び代までは分からんが、現時点でも十分な技能があるだろう?それを身体能力と合わせて駆使すれば、現時点でも俺を圧倒することは可能なはずだ」
「う〜ん・・・、圧倒は難しいんじゃないかなぁ?
 そう言えば、さっきは聞き流してしまったけれど、一般的に魔導士にとっての『全力』と言えば面制圧より一点集中だって事は分かっているよな?」
「ああ、勿論だ。
 まあ尤も、俺にとってはそれもプラス要因なんだよなぁ。良いのか、こんなに優遇されてて」
「・・・ああ、そうか。さっきの話に戻る訳か。
 でもまあ、それを優遇とは言わないだろ。驚くほど狭いニッチにビックリするくらいジャストフィットしてるとは思うけど。
 威力を落としてまで範囲が広くて密度が高い魔法を用意する物好きはいないだろうしなぁ・・・。可能性としてはその場で魔法を組み上げるくらいか・・・」
「他に用途が無いだろうしな」

 シールドやバリアジャケットを貫通して敵にダメージを与える、そこまでいかなくとも相手の魔力を削るためには、範囲を狭めたり弾数を減らしてでも威力を上げる必要がある。余程の実力差がある場合は例外として、それが魔導士同士の戦闘におけるセオリーであり、魔導士に挑む非魔導士がほとんど居ない現状では魔導士全体の一般論になっている。
 更に、一点に集中させたとしても威力が不足すれば効果が無いから、威力を上げるためにも『溜め』が必要になる。そんなものは恭也どころか一般の魔導士であっても当たってはくれない。となれば高威力魔法を当てるためには、前段階で敵の態勢を崩すための溜めの短さに比例して威力の小さい魔法を駆使する必要がある。例を挙げるならなのはがディバインシューターやアクセルシューターで相手の態勢を崩してからスターライトブレーカーで止めを刺すのと同じだ。
 尤も、それらは『一般的な魔導士なら防御するしかない密度やスピードの攻撃』程度であり、余程上手く運用する方法を確立でもしなければ恭也には効果が無い。なのはがアクセルシューターで恭也を捕らえられず苦労しているのも、まさにこの点である。

466小閑者:2019/01/25(金) 22:05:11
 まあ、なのはの魔法は先程の『余程の実力差がある場合』の例外に該当するためディバインバスターどころかアクセルシューターですらも標準的な魔導士ランクの武装局員を制圧出来てしまうのだが。
 因みに、はやてはデアボリック・エミッションをはじめとする広域攻撃魔法を得意とする訳だが、発動までの時間で範囲外まで逃走されるか逆に接近されて制圧されるため、恭也との相性は最悪と言える。少なくとも、誰かの補佐が無ければ模擬戦が成立しない。まあ、はやての場合は相性以前に単独戦闘に致命的に向いていないのだが、それは彼女の魔法の特徴であり用途の差だ。攻城兵器と対人兵器を比較しても優劣など付けられるものではない。

「ところで、まだ続けるのか?映像は決着直前まで来てるぞ」
「おっと、いつの間に」
「って、巻き戻すのかよ」
「『巻き戻す』?・・・ああ、早戻しの事か」
「呼び方なんぞどうでも良い。本気で夕飯に間に合わんな、これは」
「諦めてくれ。長引いてるのは悪いとは思うけど、元々、夕飯はこっちで済ます予定だったろ。こんなに模擬戦が短く済むとは想定してなかったんだし。
 で、話を戻すけど、今回は結局『スピードで躱す』方はやらなかった様だけど、そのスピードで動く場合でもフェイントとか使えるのか?」
「・・・?当たり前だろう?何故、使えない可能性があるんだ?
 アースらの武装局員相手だとフェイントと認識して貰えなかったから、相手は選ぶことにはなるが、『使う』『使わない』は有っても『使えない』では話にならん」
「やっぱりなぁ、恭也に限って仮に使えなかったとしても使えないまま放置、なんてある訳ないか。
 どうしてこんなことを聞いたかと言うと、補助魔法に高速行動を可能にするものがあるんだけど、使った場合に何の妨害も受けてないのに制御しきれずに障害物に激突する事例が多くてね」
「そんなものと比較されてもな。
 まあ、使い勝手を知らんから、音速の10倍のスピードで飛翔する戦闘機でコンクリートジャングルを縫うように飛ぶのと同等の難易度だとか言われれば、一方的に『未熟』と断定するのもどうかとは思う。だが、それなら逆に、制御しきれない魔法を使用する事自体に対して『愚か者』という評価になるな。
 少なくとも、敵前で自身の肉体が制御下に無い状態に自ら陥るなど、正気とは思えない」
「窮地に陥った時に一縷の望みに掛けて、って事が意外とあるんだ」
「それならまあ、分からんでもない。単独行動中であれば、打開策を講じるのも自分自身だからな。『賢人であれば閃く良案』など都合良く出てはこないだろう。
 『博打を打つ前に打つべき手』が尽きれば、方向性こそ違えども次に打つのが博打になるのは俺とて変わらんよ」
「勿論、僕だって変わらないさ。だからこそ、『博打を打つ前に打つべき手』を日頃から少しでも多く用意出来る様に励むのが重要なんだと思ってる。
 っと、画像も合った事だし、次に進もうか」
「やれやれ・・・」




続く


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