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鏡の世界の迷子の旅路 無断転載
387
:
名無しさん
:2018/02/24(土) 23:07:33
実は士郎が家に辿り着いたのは試合が始まって暫く経ってからだ。始まってからどれくらい経過していたのかまでは分からないが、少なくとも門の手前から苛烈な打撃音が聞こえていた。
全集中力を費やしていなくては押し流されてしまうような濁流の如き剣戟の渦中にあって、潜めた気配を鋭敏に察知するなど生半な技量で出来るものではない。
対戦者である恭也が気付いていなかったのは先程の会話で確認していたし、恐らくは全盛期の士郎にも出来なかっただろう。敵意や殺意を孕んでいれば望みはあるが、それにしたって攻撃の瞬間に気付けるかどうかだ。
それでも背中を駆け抜ける戦慄を綺麗に押し隠した士郎は足元へと転がってきた飛針を拾うと、さっさと海の方へ顔を逸らした恭也へと歩み寄る。
「変質者はひでぇな。
通りがかったら面白そうな事してたから眺めてただけなのに」
そう言いつつ恭也とは逆端に腰を下ろした。
続く攻撃を心配したりはしない。先程の飛針が『気付いている』という意思表示以上の意味を持たないことが分かっているからだ。
意表を衝かれたので慌てて躱したが、先程の飛針の軌道は肩の皮を掠める程度だった。勿論、当たれば服に穴は開くし、出血もするので、世間一般の価値観からすれば冗談では済まないだろうが、相手が士郎だと分かっていたからこその悪戯か、せいぜい嫌がらせだろう。
そして、独りになりたくて追い払うつもりなら、自分の所在を示す攻撃などしてこないはずだ。後をつけていることにも気付いていたのだから、公園に辿り着く前に気配を消して姿を眩ませる方が余程手軽だ。武力行使はそれが失敗してからで十分なのだから。
「で、その通りすがりが何か用ですか?」
「別に?
ただ、どうせ暇だし、若者が悩み事を抱えてるみたいだから、愚痴くらいは聞いてやろうかと思ってな。
よく言うだろ?身近な人には言えなくても見ず知らずの通りすがりになら言える事もあるって」
「初めて聞きましたよ」
「そうか?」
「ええ」
それっきり会話が途絶えた。
口を開きそうにない少年に内心で嘆息する。
自分がかなり無理のある論法を振り回している自覚は流石の士郎にもあった。実父に良く似た他人では余計に話し難いと思われても何の不思議も無い。
だが、1月の寒空の下、汗の処理もまともにしていないであろう少年を放置する訳にはいかないし、この状態のまま連れ帰れば勘の鋭い娘達に隠し切れるとは思えない。少女達から問い質されたところで余程切羽詰っていなければ真情を吐露したりしない少年なだけに、互いに無意味にストレスが溜まるだろう。
老婆心だという自覚がないではないが、会った事も無い彼の父親が果たせなかった責務となれば放置するのも寝覚めが悪い。
小さな親切、大きなお世話と疎ましがられる可能性に気が滅入るのは確かだが、未だに追い払われる事無く同席を許されているのだから何かしら期待されているのだと勝手に解釈する事にして、もう一度重い口を開いた。
「同族嫌悪って言葉があるけど、あれって実際に自分のそっくりさんにあったらどんな風に思うもんなんだろうな?」
視線を水平線に固定したまま隣の様子を窺うが目立った反応はなかった。
はずれだっただろうか、と思いながらも他にそれらしい理由が思いつかない士郎はそのまま言葉を続けた。
「自分で自覚してる欠点を客観的に見せ付けられる事で腹が立つ、とか」
無反応。
ちょっと心が折れそうだ。
「自分がこんなに努力してるのに、温い生活に浸ってだらけているのが許せない、とか」
…あまり言いたくなかったのだが、しかたない。
「…自分に欠けた物を当然の様に持っている姿を見せつけられて、自分の歪さが強調されてる様で辛い、とか」
身動ぎどころか呼吸にさえ乱れが生じなかった。
確信を突いた積もりでいた士郎は反応が無い事に吐きそうになった溜め息をなんとか飲み込んだ。
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