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鏡の世界の迷子の旅路 無断転載
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:
小閑者
:2017/12/03(日) 13:10:44
持ち得る最高の技術を尽くして想いを歌に乗せる責任と、聞いた人が抱く感情を受け止める覚悟。
『世紀の歌姫』と呼ばれた母ティオレ・クリステラの歌声でさえ、受け入れる事無くビジネスのため(歌が気に入らないからではなかったと信じたい)にテロリズムによって妨害する者がいたのだ。
きっと、多くの人に喜んで貰えたとしても、それが万人に受け入れられる事はないだろう。
そして、歌を望んでくれたとはいっても、目の前に居る今の彼の期待に応えられるとは限らない。期待を裏切り失望させてしまう可能性は十分にある。
それでも、自分の歌を望んでくれたのだ。怖気づいて逃げ出す訳にはいかない。
フィアッセは店内に声が届くように壁を背にして立つと、気息と精神を整えつつ手近な椅子に座った恭也に問い掛けた。
「曲のリクエストはある?」
「いえ、最近の曲はほとんど知らないので…そうですね、落ち着いた曲調の物があれば」
「落ち着いた曲か…。じゃあ、コンサートとかで歌った曲じゃなくても良いかな?」
「構いません。あなたが歌いたい曲でお願いします」
「うん。
じゃあ、始めるね」
BGMを切った静かな店内に光の歌姫の奏でる旋律が響く。
伴奏の無い、ただの肉声。
科学的に表現するなら、単なる空気の振動。
だが、そこには確かに込められた気持ちが、乗せられた想いがあった。
安らかでありますように。
痛みが和らぎますように。
心の傷が癒えますように。
歌詞として歌い上げている訳ではない。
フィアッセが恭也の事情を知る由も無い。
だから、歌声から受ける印象は、汲み上げた想いは、聞き手であるはやての感傷でしかないのかもしれない。
それでも、きっとそれがフィアッセ・クリステラが八神恭也のために紡いだ歌の全てだ。
その心に染み入る歌を聴きながら、しかし、何の根拠も無い『この歌を恭也に聞かせてはいけない』という焦燥と恐怖に胸を締め付けられる。
胸の痛みに身動ぎも出来ず、溢れる涙も拭えなかった。
テレビ放送でも、コンサートDVDでも聴いたことの無い曲。
けれど、なのはにとっては聞き覚えのある曲。
物心着く前から、フィアッセが泊り掛けで遊びに来た時に聞かせてくれた子守唄。
妹分にせがまれて幼い兄妹のために幼い彼女が即興で歌った、フィアッセ・クリステラの最初のオリジナル曲。
そして、彼女のレパートリーの中で唯一恭也が知っている可能性のある曲。恭也の守りたかった幼馴染が歌っていたかもしれない曲。
どうして、よりにもよってこの曲なのか。やっぱり、無理矢理にでも別室に連れて行くべきだった。
後悔の念が涙となって頬を伝う。
共感、と言えるかどうかは分からない。
気のせいだと言われれば、それだけの事。
穏やかな曲調の歌を聴いている者としてはそぐわない鋭い眦と硬く閉ざされた口元も、普段と変わらないだけかもしれない。
それでも、母に捨てられた時の、母を亡くした時の、あの絶望と悲哀を恭也が感じていると思った瞬間から、辺りを流れる穏やかな音色はフェイトの耳には届かなくなっていた。
明確な悪意によって奪われようとしているなら、明確である分、闇の書を起動させた時のはやての様に略奪者に対して怒りや憎しみといった感情をぶつけるのは比較的容易だったろう。
だが、自分にはどうする事も出来ない理由で大切な存在を失おうとしているこの状況では、はやてやなのはの様に絶望や恐怖、悲哀や後悔といった感情に支配されると身を竦ませて行動を起こすことが出来なくなる。
だから、どれほど求めても得られず、拒絶され、死出の旅路を見送る事しか出来なかった母との関係も、『良かった』などとは口が裂けても言えないけれど、今、この場で行動するための経験だったと思えば、ほんの少しだけ報われたんじゃないかと、フェイトにも思う事が出来た。
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