舩後氏と木村氏の存在が議論を一歩前に進めた
同委員会で与党筆頭理事を務める自民党の大家敏志参院議員は「これまで制度を整備してこなかった反省もあり、今できることをやって、臨時国会の召集日を迎えたい」と語っていた(NHK NEWS WEB 7月30日)。舩後氏と木村氏の存在が議論を一歩前に進めたのは間違いない。
A 総理大臣を出したあと、大胆に改革できなかったから
「一将功なりて万骨枯る」という有名な言葉があります。社民党は、社会党時代の1994年6月、当時の委員長の村山富市氏が自民党、新党さきがけとの連立を組んで総理大臣になったことで、滅びの道を進むことになったと言えます。なまじ総理大臣を出してしまったことで、党員数も支持者も減ってしまったのです。