[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
左翼・革新・護憲 斗争スレ
1059
:
名無しさん
:2020/11/20(金) 17:41:37
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0fca80d4858e49ffd8b67f997798bbc8e8a2b1e
「最近のリベラル政党はTwitterの見過ぎ」社民党・福島党首の“反省の弁”と“展望”にノンフィクションライター・石戸諭氏が苦言
11/20(金) 17:08配信
「今は伝統と革新を両立できるようにがんばっていきたい」。74年の歴史を持つ社民党を解散し、立憲民主党へ合流するべきなのか。党が出した答えは、“分裂”だった。
19日の『ABEMA Primeに出演した』党首の福島みずほ参院議員は「去年の12月に立憲民主党の枝野代表から呼びかけがあり、解党・合流することの是非を問うということで、1年近くにわたって議論してきた。社民党は党大会で代議員の3分の2がないと解散できないし、“議員の政党”というよりも、党員が決める“党員の政党”だ。もちろん賛成と反対、両方の意見があったが、中には“せっかく政党要件もあるので、やっぱり社民党でがんばりたい”“社民党を守ってくれ残してくれ”という声も、とても多かった。それで解党・合流の道は選択しない、ということになった」と説明する。
■「みんな”に響く政策と言葉が足りなかった」
前身である日本社会党は自民党と同じ1955年に結党。単独で160議席以上を持つ、日本政治の一大勢力だった時代もある。1989年には当時の土井たか子委員長のもと、都議選、参院選で大勝。自民党を過半数割れに追い込んだこともある。その際の土井委員長の「山が動き始めた」という発言は、つとに有名で、女性議員の躍進は“マドンナ旋風”とも呼ばれた。
さらに1994年には新党さきがけとともに、宿敵だったはずの自民党との連立に合意、当時の村山委員長が総理大臣に就任した。ただ、これを機に“自衛隊は違憲”としてきた方針を大転換したことに反発する議員も現れるなど、党の分裂の兆しも。そんな中の1996年、党名を社会民主党(社民党)に変更、2年後に初当選したのが福島党首だ。2003年に党首に就任すると、2009年の民主党政権では、少子化担当大臣に起用されるなどの活躍も見せたが、党勢の衰微は止められなかった。
そんな経緯もあることから、今回の党大会では照屋寛徳衆院議員が壇上の福島党首に「先輩方が築いた遺産をすべて食い潰したのはあなただ。そういう自覚はないのか」と激しく詰め寄る場面も見られた。
「党大会で出た意見は全て受け止める。ただ、党のことは党首だけの問題でもないし、これからも党の内外で頑張ろう、応援している、という声もたくさんいただいた。伝統と言ってしまうとおかしいかもしれないが、社会党時代からの組合、働く人、非正規雇用の人たちとの連携も大事にしつつ、女性や若者などの市民と繋がるために外に向けて広がっていくところが弱かったのかなと思う。“みんなのための政治”を訴えたが、これが“みんな”になかなか響かなかった。政治とは関係のない人たちに届くような政策と言葉が足りなかったと思う」。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板