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左翼・革新・護憲 斗争スレ

886チバQ:2020/08/31(月) 20:37:17
>>872-876

https://news.yahoo.co.jp/articles/39ebd491055c059cc38368297502445c98a726de
戦後保守政治の裏側7 左派リベラリズムの爪痕 存亡を懸けた大転換の悲しき代償
8/30(日) 18:05配信

政治的選択が「許される幅」
 前回の「地方行政」2020年7月2日号で、1994年に村山富市委員長率いる旧社会党が自民党との連立に踏み切り、基本政策を大転換したことに触れた。社会党は、93年7月の衆議院選挙では基本方針を掲げて戦っている。しかし、首相に就任した村山は、国会で、この大転換について「公約違反ではない」と強調し、政治家が「選択をする幅」であると釈明したのだ。【日本テレビ政治部デスク・菊池正史】

 政治に限らず、世の中に嘘、言い訳は付き物だ。誰でも気に入らない人を排除したいと思う。権力が「甘い蜜」というのも本音だろう。ポストのためなら、多数派に身を寄せたいし、権力者にゴマもすりたい。権力者の良しあしは別として、最近はやりの「忖度」もしてしまう。

 しかし、どれだけ見え透いた本音でも、政治には、それなりの建前が求められる。実は嘘や言い訳であっても、多くの人が「そういう理屈なら仕方がない。うまい理由を見つけたね」と、納得できる範囲でなければならない。その建前もなしに、私利私欲だ、権勢欲だという本音だけが見えれば、政治の言葉は一気に信頼を失うことになる。つまり、村山が言い訳に使った「選択をする幅」には、自ずと「許される幅」が設定されているのだ。
建前を放棄した左派リベラルへの失笑

衆議院本会議で答弁する村山富市首相=1994年7月20日、東京・国会内
 左派リベラリズムを主導してきた村山が、自民党との連立に踏み切ったことは、この「許される幅」を超えてしまっていたのではないだろうか。村山は、国会での所信表明演説で、こう述べている。

 「冷戦の終結によって、思想やイデオロギーの対立が世界を支配するといった時代は終わりを告げ(中略)こうした時代の変化を背景に、既存の枠組みを超えた新たな政治体制として誕生した」(94年7月18日)

 確かに社会党の基本政策は現実と乖離し、もはや説得力を失っていた。「日の丸・君が代」反対と叫ぶ人は、少々変わった原理主義者と見られていたと思う。70年の安保闘争が終結して以降、安保反対を叫ぶ世論も沈静化していた。冷戦構造と、その崩壊後の混乱した国際状況を考えれば、日米安保と自衛隊の容認は覆すことのできない現実だったろう。

 一方で、連立の本音が、「反小沢」だったことも確かだ。むしろ情緒的には、これこそが一番の本音だったろう。村山は「非自民」の細川・羽田政権で連携したものの、トップダウン型の小沢一郎についていけなくなった。この点は、自民党を分裂させ、野党へと転落させた自民党の怨念と一致した。そしてなれ合いの「協調政治」で融合したのだ。

 また、自衛隊は国連の方針に従ってPKO(平和維持活動)やPKF(平和維持軍)に参加すべきだという、小沢の「普通の国」論にも反対だった。これは左派リベラルの「反戦」の精神からくるものだ。村山は最小限の軍事力による専守防衛に徹するべきで、米軍との連携には慎重であるべきだと主張した。


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