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左翼・革新・護憲 斗争スレ
890
:
チバQ
:2020/08/31(月) 20:38:47
「それでは遅過ぎる。村山さんは党名変更だけでお茶を濁そうとしていた」とみていた赤松らは、村山を除外して、新党さきがけの鳩山や菅と新党結成に動くことになる。新党構想をめぐって社民党は事実上分裂していた。
実際に、96年9月29日に結成された「民主党」は、村山と、新党さきがけの党首だった武村正義らの新党参加を認めなかった。それは自民党との連立に甘んじた勢力との関係を断ち切り、リベラルな「非自民」勢力を再結集するための「排除の論理」だったのだ。
爪痕としての「村山談話」
戦後50年に当たり首相談話を発表する村山富市首相=1995年8月15日、東京・首相官邸【
左派リベラル勢力の一部は民主党で生き残りの道を探り、一部は政治的な消滅への坂道を転がり始めた。村山ら社民党残留組は96年10月の衆議院選挙で、30議席から15議席へと半分に減らし惨敗。これを機に、閣外協力に転じ、政権への影響力をほぼ失った。村山政権で入閣した社会党ベテラン議員も多くが引退した。
村山が党を犠牲にしてまで残したものは何だったのか。後日、自らの政権を振り返って、一番誇りに思っている実績を聞かれて、「やはり談話だ」と答えている。この「談話」とは、戦後50年を節目に発表された、いわゆる「村山談話」のことだ。
日本が「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を」与えたことを認め、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ち」を表明した、日本政府の公的な歴史認識だ。
「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「お詫び」という四つのキーワードで表されたこの歴史認識は、その後の歴代内閣に継承されてきた。「協調政治」という「リベラリズム」の精神を大きく破壊した小泉純一郎ですら、自ら発表した「戦後60年談話」で継承している。
「村山談話」を批判する勢力を鉄板支持者に多く抱え、自らも「安倍内閣としてそのまま継承しているわけではない」と答弁していた安倍晋三でさえ、いざ「戦後70年談話」を発表するとなれば、「村山談話」の四つのキーワードを盛り込み、「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」と強調した。
村山談話」は、まさに戦後の「リベラリズム」を支える「反戦」の精神を具現化したものだ。これは、政治の「許される幅」から逸脱し、衰退を余儀なくされた村山が残した、左派リベラリズムの爪痕ではなかったか。(敬称略)【時事通信社「地方行政」2020年7月20日号より】
菊池正史(きくち・まさし)日本テレビ政治部デスク。1968年生まれ。慶應義塾大大学院修了後、93年日本テレビ入社、 政治部に配属。旧社会党、自民党などを担当し、2005年から総理官邸クラブキャップ。11年から報道番組プロデューサー等を経て現在は政治部デスク。 「著書に「官房長官を見れば政権の実力がわかる」(PHP研究所)、「安倍晋三『保守』の 正体」(文藝春秋)などがある。
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