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左翼・革新・護憲 斗争スレ

888チバQ:2020/08/31(月) 20:37:58
 生存本能で結び付いた自社両党だったが、次の衆議院選挙で社会党が大打撃を受けることは火を見るより明らかだった。あえなく「非自民」連立に失敗した小沢だったが、公明党などと新進党を結成して自民党に対抗する保守勢力を再結集していた。社会党は自民党と新進党の二大保守勢力に挟撃されることになる。

 そうであればこそ、村山は自民党から選挙協力の確約を取っておくべきだった。それこそが生き残りのための戦略だったはずだ。しかし、社会党はあまりにも無策だった。結果として、自民党を政権に復帰させ、自らが基本政策の大転換という代償を払っておきながら、自民党から選挙区調整という「実」を取っていなかった。首相の座と、幾つかの大臣ポストをあてがわれ、思考停止してしまった。当時、社会党に対して、「大臣病」と揶揄する言葉が浴びせられたのも、こうした背景からだ。

リベラル新党構想

記者団に囲まれて会場となったホテルを出る山花貞夫新民主連合会長=1995年1月16日、東京・ホテルニューオータニ
 社会党に危機感がなかったわけではない。新たな政治勢力を模索して出てきたのが「リベラル新党構想」だった。社会党は94年11月29日の中央執行委員会懇談会で「政界再編の第3極として民主主義・リベラル新党をつくる。新党は新しい党としてつくられ、社会党の党名変更に終わらせない」などの方針を確認した。この頃、自民党でも新進党でもない第3極の政治勢力として「リベラル」という言葉が乱用されるようになった。

 実際に行動を起こしていたのは、村山の前の委員長だった山花貞夫や、現在、衆議院副議長で、細川政権当時、書記長だった赤松広隆らのグループだった。そもそも、このグループは自民党との連立に反対だった。赤松に、今回、改めてその理由を聞いた。

 「自民党と連立を組むなら、まずそれを宣言して選挙で信を問わなければならない。執行部だけの判断で連立してしまうのは、何でもありの政治だ。

 保守でもリベラルでも、政権が長期化すれば必ず腐敗する。緊張感を保つためにも政権交代は必要だ。これは小沢さんの言う通り。そして、我々は自民党の政治を否定していたわけで、その自民党との連立はまったく理解できなかった。原発問題、安保政策など、あらゆる領域で我々と自民党の政策には溝がある。利権構造に対する意識も全く違う。いまだに河井(克行前法相)夫妻の買収事件のような政治とカネの問題がなくならないことを見れば、その違いは明らかだ」


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