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左翼・革新・護憲 斗争スレ

1109とはずがたり:2020/12/01(火) 22:53:21
「遺産を全て食いつぶした」ののしられた福島瑞穂氏は…
12/1(火) 11:51配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/235e1a0445f2d807b942f8141d23ad20259d4425
西日本新聞
<記者コラム>

 11月14日の社民党臨時大会で党首の福島瑞穂氏を、衆院議員の照屋寛徳氏が激しくののしる場面があった。

 「あなたが2003年に党首になってから、全国の社会党、社民党の党員の皆さん、先輩方が築いた遺産を全て食いつぶした」

 照屋氏は衆院選だけで沖縄2区から6回の当選を重ねてきた党の長老。かねて福島氏の党運営には批判的だったが、この日、福島氏があいさつで次の衆院選に勝利したいと訴えたのには、怒りを抑えかねた。

 というのも参院議員の福島氏はこれまで4回、すべての選挙を比例代表によって当選してきた。照屋氏にすれば、党首たるもの、自力で選挙区を勝ち上がってこその思いがある。

 社民党の国会議員はこの党大会の時点で4人。75歳の照屋氏は、既に次の衆院選には立候補しない考えを表明しており、他の議員も立憲民主党へ合流する意向で、残るは福島氏1人となる。衆院選で勝つ展望などまるで見えてはいない。

 社民党の前身は、戦後労働運動の高まりの中で育った日本社会党。冷戦を背景に、自民党と対抗する革新勢力の中軸を担ってきた。

 だが1989年のベルリンの壁崩壊で冷戦が終わり世界の政治状況は一変した。日本ではとうに資本主義か社会主義かという考え方は、人々の心に響かなくなっていた。社会党離れは無党派層を広げていった。

 新党ブームによる政界再編が進む中、社会党はその政策ではなく議員の多さゆえに優遇された。93年の細川連立政権では与党となり閣僚を多く出した。その後に自民党が仕掛けた自民、社会、新党さきがけの連立政権では、ついに党首の村山富市氏が首相となった。

 だが野党に安住してきた社会党は急な政権参加に準備ができていなかった。外交防衛など、それまでの政策の転換に追い込まれ、党内の亀裂ばかりが深まった。党名を社民党に改めても針路は見えなかった。

 私はその頃、村山政権の官房長官だった野坂浩賢氏の宿舎で「党のイメージを立て直すには何をしたら」と聞かれたことがあった。

 バブル崩壊の後だった。私は「若者がまじめに働けば家を持てると希望を持てる政策を具体的に示すのが必要です」と答えた。

 すると野坂氏は真顔で言った。「そうかね。ワシの田舎の鳥取じゃ、みーんな家は持っとるよ」

 党も幹部も迷走していた。率直に言って、今の社民党が野党の軸を担う存在でなくなったのは、時代が変わり、命数を使い果たしたからだと思う。党大会で照屋氏にののしられた福島氏は「私のみが社民党を食いつぶしてきたと言われるのは極めて残念」と反論していたが、分かる気がする。 (特別編集委員・上別府保慶)


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