ドーキンス的には、わたしにとっての仏教(信仰ではなく価値観)は「宗教」と呼ぶべきではありません。以下は「The God Delusion」 p.37 から引用。
> And I shall not be concerned at all with other religions such as Buddhism
> or Confucianism. Indeed, there is something to be said for treating these
> not as religions at all but as ethical systems or philosophies of life.
ただし、argument from designという考え方は、ID(インテリジェントデザイン)説における、「デザイナー」の存在に対しては有効な論点だにゃ。IDの連中は、自分たちのいっていることが特定宗教の神だということを認めることができにゃーので、万能の神を持ちだすことができにゃーんだよ。
正直いって不勉強だにゃ。IDのデザイナーのようなチンケな神を否定する理屈で、創造神を否定できると思ってもらったら困る。
まあ、必然は mass としての偶然の産物ですから、個別の偶然性を一般的なものとして科学で取り扱うのは無理でしょうね。偶然もまた必然の産物であるという観点から扱える偶然性だけが科学の対象となるのでしょう。「本質的な偶然性」というのは科学の対象にはなりそうにありませんね。そういう意味でも科学の限界性というものを常に自覚している必要があるでしょう。しかし、これは科学に限らず人間の認識一般について言えることであり、一人科学だけが限界を持っているというわけのものでもないですが。それでもなお必然性として説明したいという欲求が科学や人間の認識の拡大の原動力になっているという面を、私としては評価したい気持があります。