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神の存在/不在と科学の範囲

143みずすまし:2007/01/14(日) 02:45:46 ID:TgyKdXjk
はじめて書き込みます(たぶん)。
よろしくお願いします。

なお,macskaさんの日記のリンクから来ました。


>>1
> > Q. 進化が正しいとすると、神さまはいないのでしょうか?
> >
> > A. いるともいないとも言えません。神がいるかどうかとい
> > う問題は、科学の範囲外です。進化が正しいかどうかという
> > 問題と、神がいるかどうかという問題は別問題です。進化論
> > と信仰を両立させている科学者はたくさんいます。
>
> この記述ですが、「神がいるかどうかという問題は科学の範囲外」という言明が常に正
> しいとは思いません。
>
> 神といっても宗教によっていろいろあるわけですが、その存在が科学が対象とする範疇
> 内であるかどうかは、その神がどういった性質を持つものとされているかによるのでは
> ないでしょうか。

私は,このmacskaさんの主張は正しいと思います。

例えば(あくまで,例え),「神は,世界をお創りになったとき光速を10mm/sと定め,それ以降,変更されていない」という教義を持つ宗教があれば,そのような神の存在は科学で否定されいますよね。

極端な反実在論あるいは認識論的相対主義に立てば,「宗教的事実としては,光速は10mm/sである」が,「科学的事実としては,光速は約30万km/s」ということも言えるかも知れませんが,そこまで極端な反実在論あるいは認識論的相対主義に立つことには強い躊躇を覚えます。

だから,「『神がいるかどうかという問題は科学の範囲外』という言明が常に正しい」とは思えない。

極端に非現実的な仮想例は置いておくとしても,現実の宗教においてはどうなのかと考えれば,(a)科学で否定されている教義,(b)科学で否定されえ,その実験もかなり具体的に想定可能な教義,(c)科学では否定されえないとまではいえないが,具体的な実験方法は今のところ特にない教義,(d)およそ,科学で否定されそうには考えられない教義,という(a)〜(d)まではグラデーションをつくっているとは思います。

でも,そこにグラデーションがあって明確な線引きが困難だからといって,(a)(b)のような教義が実際にあり,またそれがその宗教における「神」の語に強く結び付けられいるような宗教があることを否定することはできないのではないでしょうか。

問題は,(c)(d)があるかどうかではなく,(a)(b)があるかどうかなのではないでしょうか。

-----
(補足1)

もし,「およそ宗教的言明は,科学とは異なる文法や語彙を用いているのだから,科学の文法や語彙で理解することは誤りだ」というのならば,先の「神は,世界をお創りになったとき光速を10mm/sと定め,それ以降,変更されていない」という教義でさえ否定できなくなりますが,それはあまりにも強すぎる相対主義(意味論的な?相対主義)に立っているように思います。

また,仮にそのような立場に立つとしても,冒頭に孫引きしたQ&Aの文章(すでに修正されていますが)にはそのような立場に立てば,という留保があって良いように思います。その文章を読む人が,そのような強い相対主義に立っているかどうか不明だからです。

-----
(補足2)

もし,「『真の宗教』は(a)(b)を含まず,(a)(b)を含むようなものは本来の意味では『宗教』と呼べない何かである」とするならば,冒頭に孫引きしたQ&Aの文章は問題がないものになるでしょう。

しかし,実際に世の中にある多くの宗教がそのような意味で「真の宗教」であるようには思えませんから,そのような立場は,それほど一般的な立場ではないように思います(先進国のインテリにとっては,一般的なのかもしれませんが …もしかしたら)。


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