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神の存在/不在と科学の範囲

291AH1:2007/01/19(金) 18:00:47 ID:b4lKR3h.
>そんなことで怒らないで欲しいんですけどね。まぁ、知りもしないことを「知っている」と標榜することで商売しているような宗教にとってはダメージかもしれませんが、宗教の価値ってそんなことではないんじゃないかなぁ。

「宗教の価値・・」という点については全く同意します。私の感じている違和感は以下の二つ(つきつめれば一つ)だけです。
「知っているという言葉は『科学的に検証されている』の意味だけか」
「知の体系は科学だけか」

昨夜あたりの投稿の中で、mcskaさんが「確信している、というなら別にいい」「自分は科学という枠の中だけで言っている」と仰っていますので、私としてはほぼ納得いきました。
強いて言えば、私なら『ここでは科学の枠内についてのみ、「現実世界」という言葉を使っている(カガク的な現実、とでも言えばいいか)が、もちろん宗教は科学とは違う、方法論も用語も異なる、別個の知の体系である』と、どこかで明確にしておきたいという事です(たぶん論争になったのはその部分)。
「宗教者が怒るだろうな」と書いたのは、これが明瞭でないと「何ー!貴様、科学だけが知だと言うか!宗教は科学に許して頂いた範囲でだけ存在せよと言う気か!」と言われかねない、という意味です(実際、そのようなカガク絶対主義的な考えは存在するでしょうし、少なくとも科学が『幅を利かせる』現代において宗教者は日々、実感しているでしょう)。

勿論、私は道具としての科学の有効性を疑わないし、馬鹿でもできる・・というか「衆生でもできる」と言いましょうか、サトリを必要としない知の体系として科学の有効性を認めています。一方で地下猫さんの言う「別の知の体系」の存在も認めます・・というか否定しません。
複数の知の体系がある場合、「それは『どの体系に関して』知ってるって意味か」をコンテクストから判断する、わからなければ確認する、また語る側が複数の知の体系を混ぜこぜにしてしまわない・・という注意は必要でしょうが、私はそれだけで良いと考えます。

ああ、やっと「腑に落ちた」。これは複数の体系にまたがって「わかった」ということでしょうね。


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