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神の存在/不在と科学の範囲
304
:
芥屋@keya1984
:2007/01/20(土) 00:12:57 ID:Q7XBVw2.
>NORTON3rdさん
ご指摘ありがとうございます。「中観派」です。
>macskaさん
>>298
あなたにとって仏教が宗教であるとかないとか、何の言い訳にもなりません。ならば創造科学も「宗教ではない」と言えばそれまでになってしまうでしょう。そんなことは何の関係も無い。「価値感であって、信仰ではない」…だから何なのです。あなたにとって仏教が「宗教ではない」もので、「信仰ではなく価値感」だとして、それが仏教である以上は仏説であるはずです。その仏説に対して、あなたはどのように科学で検証して、今にいたるのか、それを示せと言っているのです。
できないことなどないでしょう?見せてご覧なさい。ナザロの復活やマリアの処女受胎などを科学で検証すべきだと言う以上、当然、あなたも自身の受け入れるところの仏説に対して、それを行ってきたはずだ。異教をあれこれ言う前に、自分はこうやったと示す責任がある。仏教徒と称しつつクリスチャンに科学の矢を放つ以上は、それが異教徒への最低限の責任だと言ってもよい。いや、それ以前に、同じ仏教徒への責任でもある。
それと、「ドーキンス流に言えば仏教は宗教にあらず」とは詭弁もはなはだしい。「宗教」という言葉が仏典用語である。「宗(むね)とする教え」だ。仏教が宗教でないことがあろうか。怪異や奇跡を信仰しないこと、むしろ「信仰を去れ」というに近いものであったかもしれないことは私も承知している。おそらく原初の仏説はそうだったのではないかとは私も思うが、その部分だけに逃げて仏教をとらえてはいけない。既に他の人が引用していますが、
*************
かようにわたしは聞いた。あるとき、世尊は、サーヴァッティの祇園精舎にあらわれた。その時、ヴァッチャという外道の行者が、世尊を訪ねてきた。二人は友誼にみち礼譲ある挨拶を交わしてから、さて、彼は世尊に問うて言った。「世尊よ、あなたは、世界は常住であるとおもわれるか。これのみが真であって、他は虚妄であると思われるか。」「ヴァッチャよ、わたしは、そうは思わない。」「では、世尊は、世界は常住でないという意見であるか。」「そうではない。」・・・(中略)・・・さらにヴァッチャは、霊魂と身体とは同一であるか別であるか、人は死後もなお存在するか存しないか等のことについて、世尊がいずれの意見であるかを問うた。だが、世尊は、そのいずれの意見をもとらない旨を答えた。
かくて、ヴァッチャは、さらに問うて言った。「いったい、世尊は、いかなるわざわいを見るがゆえに、かように一切の見解をしりぞけられるのであるか。」すると世尊は、かように教えて言った。「ヴァッチャよ、[世界は常住かどうか、霊魂と身体とは一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、などのような種類の問い]に対する見解は、独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。それは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。
(マッジマニカーヤ 中部経典72、増谷文雄訳「火は消えたり」『仏教の根本聖典』、大蔵出版、240〜242頁)
**************
ttp://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html
科学によってそれらを検証せよ…とのあなたの主張は、仏説に背くものであると思うが如何。だから私は問うている。あなたは、自分の主張をこの仏説に向けたことがあるのか。
それと、ドーキンスの近著に感化されたとのことだが、にわかじこみは恥ずかしいのでやめたほうが良い。ついこのあいだまで、社会生物学論争を反フェミのプロパガンダ程度にしか見ていなかったのに、急にグールドvsドーキンスの深い主題が理解できているとは、到底思えないのだが。
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