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神の存在/不在と科学の範囲

140diamonds8888x:2007/01/13(土) 20:13:11 ID:h2fLyT9w
 一応71で質問したつもりだったのですが、地下に眠るMさんの「宗教はもともと人生訓や格言ではにゃー。現実的な救いの問題だにゃ。」という発言での「現実的な救い」の範囲がよくわからなくて戸惑っています。

 宗教的な神による救いというものを分類してみます。実は別に神の教えではなくても、科学的知見からの処方箋でも、小池監督の言葉でも区別はありませんが、それに従うことで得られる「救い」にどんなものがあるのかということです。
1.客観的な物質的な良い結果をもたらす。−−受験合格、無病息災、金メダルが取れるなど。
2.心の中に良い結果をもたらす。−−困難な時にも平安が得られる、など。
3.死後に良い結果をもたらす。−−極楽往生できる、など。

 3が科学の範疇外ということではmacskaさんも含めて全員同意してるでしょう。1については「確率への介入」を除けば科学の範疇ということで、これまた全員同意してると思います。2については話題にあまりなっていませんが、少なくとも自分自身のことなら検証可能です。客観的にも「あなたは幸福ですか?」とかアンケートしてみれば一応検証可能と考えられます。ただ「主観的問題だから科学の範疇外」という見解もありそうです。

 で、地下に眠るMさんの「現実的な救い」というのは1を意味しているのでしょうか? そしてそれが「人生訓や格言ではない」というのもよくわかりません。人生訓もそれに従うことで1〜3の救いが得られることを主張するものですし、格言はそれをコンパクトに表現したものです。そして宗教での「教え」の多くは、このような人生訓を神を根拠として述べたものでしょう。確かに「極楽往生できるから○○せよ」というのはあまり人生訓とは呼ばないかも知れませんが、「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」というのはひとつの人生訓と呼んでもおかしくはありません。

 さて、多くの人が救いを求めて特定の神を信じるに至るのは、教えに従うことと結果との因果関係を自分なりに検証して正しいと思ったからというのが多いのではないでしょうか? 特に1〜2の場合はそうです。教えを知らない間は良い結果がでなかったが、教えに従ってみたら良い結果が出た、という体験をした人は、まさに検証の結果がOKだったのでさらに深く従うようになるわけです。その検証の手法は科学からみれば不完全ではありますが、教えに従うことと結果との因果関係自体は、検証可能だし、人々は検証を試みていると思うのですが、いかがでしょうか?

 地下に眠るMさんが「科学の範疇外」と主張するのは「教えに従うこと(または従わないこと)と結果との因果関係」とは違うもののようにも思えるのですが、はっきりはしないもので。


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