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神の存在/不在と科学の範囲
128
:
いらはい
:2007/01/13(土) 17:52:35 ID:DHj5XiXA
>>118
>なりません。「信じている」は、宗教だけが独占するものではないからです。
たしかにそうですね。宗教ではなく信条というべきでしょうか。
>また、宗教にも「知っている」ことはあり得ます。宗教学や宗教史という形で「知」を形成できます。
宗教学や宗教史は宗教内部のものなのでしょうか。
神学等を含めればそうなのかもしれませんが、神学の知見はmasckaさんのいう「知っていること」の基準を満たしますか?
宗教者が同時に宗教の歴史を研究する場合でも、
本人の明言や文脈をもって信条や教義と実証的な知見を区別すればmasckaさんおっしゃる混同は避けられると思います。
>まぁ、神の存在や性質についての発言は、確かにほとんどが「信じている」になってしまいますね。
誰も何も知らないんだもの。
「知っている」という言葉を裁断するように厳しく使うのは気にかかります。
「知る」は本来専門用語ではない柔軟性のある言葉では?
たとえばクリスチャンは神に愛されてるという直感を得ることを
「神の愛を知る」なんて呼ぶ場合がありますが、
それに対して「そこで知るという言葉を使うのはおかしい、信じてるの間違いでしょ?」
と問いつめるのは暴挙のように思えるのですね。
「科学的検証のできる証拠はありますか?」と尋ねれば、
「そういうレベルの話ではない」で済むのに。
>「科学と宗教の住み分け」については、何をもって「住み分け」ができているかによるでしょう。
教義と科学の間に矛盾があってもそれはナンセンスだ、という立場なら住み分けはできると思います。
そのために、ある発言が科学的なものなのか教義や信条なのかは明確にする必要があるとも思います。
>いかに宗教の教義であっても現実世界についての言及である限り科学によって否定される可能性が常にあるわけで、そうした意味での「住み分け」は成り立ちません。
「信じていること」が科学から合理的でないと指摘された場合、それは教義が科学によって「否定」されたことになるのですか?
それと質問なのですが、科学が宗教を否定するのは科学的知見と教義に矛盾がでてきた場合のみなのでしょうか。たとえば地質学と創造の矛盾のような。
それともある教義が科学的仮説として説得力を持っていなければ否定できるのでしょうか。たとえば神は未発見のエネルギーを使って現実世界に干渉しているとか。
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