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神の存在/不在と科学の範囲

319macska:2007/01/20(土) 12:05:22 ID:VdHL1C4M
>>315
> 価値観を持たない宗教があるか。

それはごもっともですが、価値観があれば全てが宗教というわけではありません。わたしの場合、わたしは仏教を信仰しているわけではなく、価値観として仏教を参照していると言っているのです。それを宗教と呼ぶかどうかは定義によりますが、ドーキンスの定義によればそういうものは宗教とは呼ばないことになっています。

> いいからサッサと、「自分は仏説について、釈尊の言行録について、自分の主張として
> このように検証してみた」と示してみたまえ。なぜそんな簡単なことができぬ。自分の
> 主張を自分の価値観に対してやって見せよ、と言っているのだ。

自分の主張は、キリスト教やユダヤ教に対するものではなく、科学に対するものです。
また、わたしは「科学的な検証の対象となり得るはずだ」と主張しているだけで、実際の検証を行なっているわけではありません。

> ナザロの復活やマリアの処女受胎だって、ただポツンと出来事が挙げられれているのではない。

はい、その通り。だから仮にイエスのDNAが発見されて、イエスの生物学的な父親が人間であったことが判明したとしても、処女受胎伝承の宗教的な意義は失われないと思います。わたしが言っているのは、仮にそうした物的証拠があればそれは科学的検証の対象となり得るというだけのことであり、宗教的な意義が科学によって否定されると主張したことは一度もありません。

> ならばあなたの主張は、あなたの言い逃れによって否定されるだけのことだぞ?

わたしの主張は、現実世界で起きた事象は科学の対象となり得るということです。そのどの部分がどう否定されるというのでしょうか?

> だから、今ここでの科学論の題材として具体的に何か選ぶんなら、異教ではなく自分の宗教、
> つまり仏説を引用して科学の側につきつけよと私は言っている。

例に挙げるのであれば自分の宗教から例を出せ、というのはもっともなのですが、わたしは何ら超自然的なものを信仰していないのでそれは不可能です。

まぁ例えば、わたしは釈尊(と表記します)が歴史上に実在した人物だと思っていますが、かれが実在したかどうかは科学的検証の対象となるでしょう(そして、もし科学的証拠によってその実在が否定されたら、「へぇ、そうだったのか」と受け入れます)。また、その伝記が正確かどうかも、具体的な記述について何らかの物的証拠があれば検証可能でしょう(そしておそらく、誇張や創作も含まれているでしょう)。そんなこと当たり前ですし、それらの事実が科学的な検証の範囲外だと主張する人はまずいません(現実問題として、検証するに足る証拠が入手不可ということはあり得ますが)。したがって、これらのことが科学の対象であるとわたしがことさら主張する必要はありません。

ところが超自然的な信仰となると、「それは科学の範囲外である」と主張する人が大勢います。しかし、超自然的な主張の全てが科学の範囲外であると決めつけることは、科学の範囲を不当に狭めることになるのではないか、というのがわたしの主張です。超自然的な主張であっても、現実世界において何らかの現象が起きた(起きる)という主張であれば、それは科学的検証の対象となり得るからです。大勢の人が科学の範囲を間違って狭めて理解していることは科学にとって問題ですから、それはおかしいと主張しました。

その際、例として聖書をとりあげたのは、単純にわたしが生まれ育った環境においてキリスト教やユダヤ教の影響があり、聖書について詳しく知っているからです。仏説やコーランについても勉強中ですが、聖書の方が断然よく知っています(そのため、聖書の知識を他の宗教に一般化しているのではないかというおしかりも受けました)。また、マリアの処女受胎など聖書の中には有名な伝承が数多くあるので、読んでいる方にも理解しやすいと思って例にしました。キリスト教やユダヤ教を何ら冒涜あるいは否定する意図がないことは再三説明しています。


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