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神の存在/不在と科学の範囲

111macska:2007/01/13(土) 08:27:38 ID:UfRlMoOA
>>105
> しかし、宗教にとっては科学的検証結果など「それがどうした」なのです、多分。

そうあって欲しいものです。

しかし、既に例をあげましたが、仮に紅海の海底を調査したところ、ちょうどモーセの時代頃に海が突如ふたつに割れ、またすぐ元通りになったような跡が残っていたとします。モーセの神話を信じる人たちは、「科学的検証なんて関係ないね、こんな情報知りたくもない」と無関心でいられるでしょうか? おそらく逆に、「これこそモーセの話が事実であり、聖書が歴史を正確に伝えていた新たな科学的証拠である!」と宣伝するでしょう。

また、進化論を支持する論者のあいだで解釈をめぐる紛糾があったり、進化論者が「この部分では完全な証拠がない」と認めたりすれば、「進化論は科学的に証明されていない」と騒ぎ出す宗教者が大勢いるのはみなさんご存知の通り。

つまり、宗教が科学的検証に背を向けることが多いのは、科学が自分たちに有利な結論を出してくれないからです。もし少しでも有利な結論が出てくれば、遠慮なく科学的証拠を利用するでしょう。宗教は科学に無関心なのではなく、無関心を装わざるを得ないだけです。わたしは別にそれを責めようとは思いませんが、かれらの「自称無関心」をそのまま信じるほどナイーブではありません。

>>106
> さて、macskaさんは色々懸念なさっているみたいですが、果たして真の宗教者は
> 「信じる」こと以外何をするのでしょうか。

あのですね、別に何か社会的問題を起こすからダメだと言っているのではなくて、というかそもそも宗教はダメだとかそういう話はしていなくて、わたしは一貫して「科学的手法や理性を支持する側が、宗教に過剰に『遠慮』したり宗教の不当な要求に屈している」ことを批判しています。

>> 要するに、大多数の宗教者は、自分の認識に合わせて都合よく教義を読み替える
>> くらい平気でやってのけます。
>
> これは暴言だと思いますよ。

どうして? 事実として間違いだから? それとも、事実だけれどそれは指摘してはいけないの?

> 例えがちょっと漠然として良くわからないのですが、この場合「知る」を「信じる」
> に置き換えて不都合はないんじゃありませんか?

不都合です。「知る」とはどういうことなのかという部分を読み直してください。

>>107
> macskaは偶然性ということについて「人間の無知のために存在するかにみえている
> にすぎない」という立場なのは明らかだと思われますにゃ。

わたしの立場は、そういう認識に依存しません。いい加減その誤解やめてください。
何十回も説明させるつもりですか?


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