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神の存在/不在と科学の範囲
339
:
酔っ払い
:2007/01/20(土) 19:09:17 ID:2.Oxx5s.
>macskaさん
回答ありがとうございます。
>>330
> つまり、はじめのうちは一般的に「死後の世界」は人知の及ばないものであるという常識に従った立論をしていましたが、
> 人知が及ぶかもしれないという意見を受け入れ、どちらの場合にでも通用するような主張に改めました。
了解しました。主張が改まったのは
>>125
「もしそういう次元で「死後の世界」が発見されるのであれば、もちろんそれは科学の対象ですね」から、だと考えてよろしいですか。
なお、改変後の主張は、「原理的に科学的検証を一切受け付けず、そもそもどういう証拠があれば科学的検証が可能なのかすら分からないモノ」であっても、究極的には科学的な検証対象にならないとは言えない、と考えていますが、この認識で間違いないでしょうか。
また、
>>311
>>314
で仰られていた件、下記の通りの認識で構わないのでしょうか。
人知が及ぶことに関して、人は科学の対象として扱える
人知が及ばないことに関して、人が「知る」ことはできない
ひとまずのところ、この認識が正しい前提で、話を進めさせていただきます。
さて、macskaさんは
>>161
文学作品のよしあしは、価値観であって現象ではないでしょう。もちろん価値観が脳内の物理現象の反映であるならば(そうだとわたしは言っていませんが)、究極的には科学的な検証対象にならないとは言えないですが、いきなり脳の研究をするのは有効な研究だとは思えません。文化の研究にはそれに適したツールが別にあるはずです。
>>311
わたしは自分にとって仏教は価値観であると言っています。価値観を科学的手法で否定できますか?
と仰っていますので、ひとまず価値観を「科学的手法では否定(も肯定も)できず、現象でもなく、究極的には科学的な検証対象にならないとは言えないもの」としてみます。
なお、ここでも「人知が及ぶ」ということを、
>>314
「何らかの客観的な観測が可能である」と解釈してます。
この解釈上では、価値観は現象ではなく、科学的手法では否定も肯定も、今のところできません。確かに究極的には科学的な検証対象かもしれませんが、これだけですと、「人知が及ぶ」と言えるのかどうか不安です。ですが、「科学とは別の適したツール」が使えるのならそれで十分だとも思えます。
次に、「原理的に科学的検証を一切受け付けず、そもそもどういう証拠があれば科学的検証が可能なのかすら分からないモノ」を考えてみます。例えば「死後の世界」、ですね。
ここで、価値観と死後の世界の共通点を見ていきますと、死後の世界は現象ではなく、科学的手法では否定も肯定もできない。究極的には科学的な検証対象かもしれないけれども、違うかもしれない点も同様です。
残っているのは「科学とは別の適したツール」が使えるかどうかになりますが、価値観、文化の研究にはそれに適したツールが別にあるように、「死後の世界」にも、同様に「科学とは別の適したツール」が存在しています。
そしてその「科学とは別の適したツール」、それらが通常「宗教」と呼ばれているのだと思うのですが、この認識に、問題はありますでしょうか。
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