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神の存在/不在と科学の範囲
205
:
Hiju
:2007/01/17(水) 18:37:24 ID:MM7DYpv2
初めて書き込みします。
結局、macskaさんの言葉に従えば、宗教は「宗教だけが知っている」なんて
何があっても言えないってことですよね?だって、知っているならば「人間
にとって知覚可能」でなければならないし「人間にとって知覚可能」ならば
科学の検証対象であると考えなければならないんでしょう(なんなら知覚が
不可能であっても、現実に起こったことは科学の検証対象なわけですし)?
そして、科学の検証対象であれば、科学が口を噤むのはおかしい、と。
つまり、宗教の「知」は科学の範囲内に納めておけ、科学がわからない事象
についての宗教的「知」などありえない、知っているんじゃなく信じている
だけだと認めろ、と、“宗教に対して科学側は主張すべきだ”と。
そうしないのは科学的思考の不徹底だと。
言い換えれば「宗教が『知っている』と言っているものは全て科学の対象と
言え」ってことですよね。『信じている』だけだと認めているものは科学の
対象にしなくて良いけど、と。で、その理由は「宗教は『信じている』だけ
で『知っている』わけではない主張を押し付けてくることがあって、有害だ
から」。
macskaさんの定義そのものが、宗教的知を科学的知より不確かで範囲の狭い
ものであることを認めろ、という主張に読めます。
だからカガク主義的だったり宗教を否定していたり、のように見えるのでは?
で、ポイントは「科学の検証対象であるが、検証不能な現象について」。
これを「科学(“人間”と言い換えてもいいです)が検証不能なのだから、
宗教でも『知っている』とは言えない」という主張をmacskaさんはしている。
それに対し、「科学が検証不能なのだから、宗教が『知っている』かどうか
科学には何も言う術がない」というのが他多くの方の主張。私は後者に同意
します。
#「検証不能であれば科学の検証対象ではなく、範囲外である」という
#話もありますね。
ここでmacskaさんの主張は、「宗教の知は『科学が検証できる範囲』にだけ
収まるべきである」と読み替えることができますよね。なぜなら科学が検証
できない範囲については“宗教が知っているはずがないと断言できる”わけ
ですから。宗教の知の範囲は、科学的検証が可能かどうかによって左右され
てしまう。
#あるいは、宗教には『知』などありえない、という主張なんですか?
#もしくは、“よりよい生き方”みたいなことについては宗教的知がありえ
#るんでしょうか?宗教的知の一例でもないと理解しにくいですね。
基本的に私は「知ること」と「信じること」は区別すべきだと考えているし
宗教的知については「うん、科学的知とは違うけど信じてるんだよねー」と
答えてれば良いじゃんと思う方なのですが、宗教的知を科学的に検証可能な
範囲に限定するようなやり方は科学主義的だと感じます。
それはそうと、「本人の中で使い分けが出来ていれば良い」んだったらば、
「死後の世界が存在するかどうかは知らない(信じているだけだ)が、神の
存在は知っている」と主張する人がいたら、彼は「神の存在を知っている」
と認められるんでしょうか?だったら「知っているはずがない」という主張
ができるはずがないので、ここはグローバル(?)な定義に従って解釈してみま
した。
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