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神の存在/不在と科学の範囲

412HAKASE:2007/02/02(金) 18:33:58 ID:ZC/gbS1c
Josefさん.お返事どうもです.

科学の分野でも「偶然性」については扱われていて(専門用語かどうかは私は知らないですが,カオスの分野などでこのような表現をされる事があります),私はそちらの意味で解釈していました.
Webでざっと調べましたが,「偶然性」というのは哲学の専門用語(?)としてよく使われる言葉なのですね(科学哲学という分野があるのもここで始めて知りました).
哲学で言うところの「本質的偶然性」については,いまいち理解できなかったので(雰囲気はなんとなくわかるんだけど…),Josefさんの文脈にそった適切なレスができなくてすいません.

# 以下,気になった点のコメントだけさせてください.
私自身は,科学者の多くは,証明・実証がなされていない事については「わからない・明確になっていない」という立場を取ると思ってるので,「本質的偶然」が「何の法則性もなく結論が決まる事例」の意味であったとしても,おそらく科学者なら『「本質的偶然など無い(世の中に全く存在しない)」』と断言するよりも「あるかないかは明らかになっていない」という立場をとるんじゃないかなと思います(あると*仮定*して研究をするとしても).

それから「前世からの因果」と「科学的な因果」については,どちらも『*まずは*「公理にあたる因果関係(?)」を「てきとーな解釈でもって」定義してしまっても良い(それこそ極端な話サイコロ振って決めても良い)』という点では私も同じだと思います(科学を「真理を追究するもの」ととらえている方には異議があるかもしれませんが).
ただし,「科学的とされる(されている)因果」については,公理系を定義した後で『(論理学で言うところの)完全性が保証された推論形式や推論規則を用いて,観測結果とその公理とから予測や推論を行ってみて,その結果が観測結果と一致しない場合には,その公理系などに修正を加える』という作業を繰り返すことで,「ある一定の(例えば確率的にいって十分確からしいとみなせるなどの)範囲内」で「ある一定の誤差内での予測や推論」が可能であるとみなせるレベルまでの修正がなされている,という点が異なってると思います.

という事で,最後にJosefさんが書かれた「一種の信仰であって,大して変わらない」という見方ついては,『「上記のような検証手続きを経ているか否か(あるいは検証手続きを現在行なっている途上にあるか否か)の違い」を無視すれば,大して変わらない』という意味では私も同意見です.

# おそらくJosefさんは哲学の立場から話してると思うんですが,私は哲学についてはよく知らないので,これ以上はレスできないです.すいません.


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