したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

神の存在/不在と科学の範囲

242みずすまし:2007/01/18(木) 17:23:21 ID:TgyKdXjk
>>237

> >>203 は、どこに答えればいいのかな。
> 「神学的知はどうして排除されるのか」という問いなら、空からのフックによってもた
> らされるものをわたしは「知」とは呼びません(宗教学や宗教史、神学史なら、「知」
> になり得ます)。その理由は既に書きました。


「その理由は既に書きました」というのは,「人間の知覚の対象とならない物事について、人間は確かな知覚を得ることができない」(>>236)だと思います。それは正しいと思います。

# ここでいう「知覚」とは,五感とその統合作用による知覚だと思いますが,以下,そ
# の前提で書きます。

しかし,「人間の知覚の対象とならない物事」について,確かな(or かなり確からしい:以下同じ)知識を得ることはできるのではないでしょうか?


例えば,数学がそうですよね。

macskaさんが,数学的知識も「人間の知覚の対象と *なる* 物事」の知識だというのならばそれはそれで一つの立場だと思いますし(私は賛成できないけど),数学的知識は確かな知識ではないというのならそれも争う気はありません。

しかし,もし,macskaさんが,数学的知識が「人間の知覚の対象とならない物事」の知識であり,確かな知識だと認めるならば,少なくとも「人間の知覚の対象とならない物事」について,確かな知識を得る方法を一つは認めるわけですよね。

さらに,もしそうであるならば,科学的知識と神学的知識は「人間の知覚の対象とならない物事について、人間は確かな知覚を得ることができない」ということで区別できたとしても,数学的知識と神学的知識はそれでは区別できません。

それならば,どういう理由で数学的知識と神学的知識は区別するのだろうか,というのが私の疑問です。


ところで,「空からのフック」(>>237)・「下から築き上げるためのクレーン」(>>179)というアナロジーがよく分からないのですが,そのアナロジーだと,数学的知識は「空からのフック」に吊るされたものになるのでしょうか? それとも「下から築き上げるためのクレーン」があるものになるのでしょうか?


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板