したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

神の存在/不在と科学の範囲

169えめ:2007/01/15(月) 22:38:57 ID:4.Y76JrM
>「大多数の宗教者は、自分の認識に合わせて都合よく教典を読み替えるくらい平気でやってのけます。」
>これでも冒涜だと思いますか?

 まあ冒涜でしょうね。このまま読めば。
とりあえず経典は学説に関する論文のように解釈されなければ”ならない”と主張している点で本人アウトだと思うんだけどねー
何故”ならなけれ『ばならない』”のかは、科学ではなく、宗教との共通ルールを築いた上で納得させなければね。

例えばイエスにしても、ユダヤ教にある神の姿を新しい物に変えて見せたが、本人は神の本来の姿を見出したと主張しているに過ぎない。
いわば宗教的に”検証された”結果、以前のユダや教としての教義(仮説)が変更(ユダヤ教にとっては否定)されたとも取れるでしょう。
奇跡でそれを証明して見せた。これは宗教的にはまるで誤りではないでしょうよ。※

だいたい「大多数の科学者も、自分達のルールに合わせて都合よく自然を読み替えるくらい平気でやってのけます。」だって事実ですよね。
その自然を読み替えるというプロセスにどれだけの英知と創造、真摯な思いが関与しているか。
宗教だって同じですよ。その上での発言でしょうか?

そしてその前提で
「科学程いい加減なものがあろうか。昨日迄確か有ると言っていたいたものが今日にないと言う。そんなもの何の当てになろうか」
と主張する人間に対して科学は現在どんな答えを与えることが出来ますか。それは宗教といかほどの差がありますか?
科学は時に無力ですよ。科学とは個々や、全体ではないグループの運命に対しては確約を与えない知見ですから。

創造論者が特定の経典を科学敵事実として納得させようとしてやってる無茶と同様に、あらゆる事象に於ける評価については科学のルールが宗教に優先されるべきだと思うのはおこがましいと言えるんじゃないのかな。そのおこがましさこそが科学主義と捉えられる原因じゃないの。
 
 
※ところで福音書の記述内容について確認された客観的な事実であるとし、その科学的な側面についてのみ言及するアホらしさについては同意いただけてますよね?。

余話
特定の大型哺乳類が際限も無く増殖して環境に対する蚕食の度合いが危険なほどに大きくなったら科学はどんな答えを出すだろう。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板